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あゝあの年の9月は - 7

1971年5月の岩国三軍統合記念日で初めてNFのテイルコードを描いたF-4Bが降り、しかも空母もミッドウェイで海軍機ファンの度肝を抜きました。
翌月ミッドウェイは横須賀に入港し、艦載機も厚木に飛来しました。
その3か月後の9月に再びCVW-5機が厚木に飛来、晴天の中訓練飛行を行いました。
タンク先端に炎を描いたF-4B。
1971年9月13日撮影

MACH3 2020/09/27(Sun) 06:27 No.2022 [返信]
Re: あゝあの年の9月は - 7
皆さん、こんにちは。

MACH3さんがアップされた「炎のセンタータンク」は記憶から抜け落ちていました。

これはカラーで撮って置きたかったのですが、
この頃は未だモノクロ主体の撮影スタイルだったのでカラー画像は無く惜しい事をしました。

1971年9月、厚木に飛来したCVW-5機は9月20日のフライ・オフまで良く飛びましたが不安定な天気が多い中、
MACH3さんが撮影していた9月13日(月曜日)は終日撮影日和の好天でCVW-5機16機がフライトを実施しました。

本日の「日付ネタ」は数が多く,全ての写真をアップするのは困難なので状況ショットを主にお伝え致します。

1970年9月27日(日曜日)はCVA-66 USS AMERICA搭載、CVW-9機の厚木フライ・インが行われた日でした。

前日、飛来していた空母アメリカ付きのC-1A/146051”Miss America"が27日早朝、空母に向かい
実際にCVW-9機のフライ・インが始まったのは午後になってからの事でした。

そのトップを切って厚木R/W-01上空に姿を現したのがVA-147”ARGONAUTS"の4機のA-7E達でした。
次に現れたのはVA-146 ”BLUE DIAMONDS"が同じく4機編隊で進入後L/D.

それから、。。。次が続きません。。、次のCVW-9機は翌28日になってから9機がフライ・イン。
28日は登校日で厚木に行けず撮れず仕舞いでしたので、是非とも27日に撮りたかったのに残念無念でした。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 10:09 No.2023
Re: あゝあの年の9月は - 7
27日の夕方、空母から再び厚木に帰ってきた"Miss America".

此の時は"Miss America"が厚木に飛来したことが分かるように、わざわざR/W-01午後の外周道路を
北に進んだフェンス際から地上部を入れて撮影.このショットが唯一,厚木と判るショットとして残りました。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 10:11 No.2024
Re: あゝあの年の9月は - 7
夕方になって丹沢方面を4機の機影が横切り、すは、CVW-9機フライ・イン、第2陣の始まりか?
と思われましたが、これがCFのスカイホークと判りガックリ。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 10:13 No.2025
Re: あゝあの年の9月は - 7
給油後、4機のCFは揃って岩国に向けR/W-01を離陸して行きました。

因みに、画面左後方に写っているのは厚木で事故後スクラップを待つ元VW-1のWC-121N/145928,TE-7,
その右に離陸待機中のVMO-6のOV-10A/WB-61、画面右側にチラッと写るのはスクラップ処理を待つ
元VQ-1のEC-121M/135751,PR-22の姿です。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 10:14 No.2026
Re: あゝあの年の9月は - 7
↑から7年後の1977年9月27日(火曜日)13時17分,厚木R/W-01を空母ミッドウェイに向けフライオフするRF-611.

ところがご覧のように、左エンジン排気口上部からジェット燃料が漏れ、
アフターバーナーに引火しながらの離陸で、RF-611は自分らの目の前で横浜市江田の住宅地に墜落炎上し、
日本人の母子3名が死傷するという「横浜米軍機墜落事件」となってしまいました。

事件の目撃者としての立場から言いますと、
無論、事故の第一責任者は米軍のパイロットにあるのは言を待ちません。

然し乍ら、其パイロットと同じように責任が有るのは
管制塔でRF-611に離陸の許可を出し離陸を見つめ管制業務を行っていた管制官達にもあると思うのです。

何故なら、我々マニアでさえ、離陸滑走を始めアフターバーナーが点火されたと同時に漏れた燃料に引火し
連続的に大きな爆発音を轟かせながら離陸して来たという事実が有ります。

自分の感触としては、これはとても離陸できる状況ではなく離陸を取りやめるべきだと直感した事です。

素人の自分でさえ容易に判るくらい「異常な」事態でしたので、
それを双眼鏡で監視していたであろうプロの管制官は即座に離陸中止を指示する必要があったと思うし
しなければならなかったと思うのです。

ところが、今まで自分が見聞きした報道、メディアで此のことを取り上げたところは皆無で
墜落の責任は”すべて米軍にある”と結論付けたことです。

今回、長年に亘って公言してこなかった自分の意気地なさを恥、亡くなられた方々の無念も含め
43年も月日が経ってしまいましたが、自分の意見を述べさせて頂きました。

此処に改めて故人のご冥福をお祈り申し上げます。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 10:16 No.2027
Re: あゝあの年の9月は - 7
「日付ネタ」第二幕、RF-611墜落後、滑走路の点検等の為R/Wクローズしていましたが
15時に閉鎖解除となり、離陸して来たのがVP-47”GOLDEN SWORDSMEN"のP-3C/157328,RD-11でした。

VP-47は同年8月1日から1978年1月10日迄NAF MISAWAに派遣されて居り、
此の時15時6分、厚木R/W-01 からの離陸も三沢に帰るためのものでした。

因みに157328は2004年1月にサウスカロライナ州GREENVILLEで登録抹消となり,同年12月20日,用廃。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 14:46 No.2028
Re: あゝあの年の9月は - 7
↑から1年後の1978年9月27日(水曜日)9時9分,嘉手納R/W-23上を編隊で通過するZZのF-4Dと26thTFTSのF-5E.

M.WADA 2020/09/27(Sun) 14:47 No.2029
Re: あゝあの年の9月は - 7
編隊をブレーク後、T/Gを行い9時18分、嘉手納R/W-05Rに着陸する12ndTFS "DIRTY DOZEN"のF-4D/66-7561.

ZZ-561,"ZUNI-12"はR/W-05Rへアプローチしてくれたので撮影出来ましたが
僚機ZZ-666”ZUNI-11"(Triple six Mig Killer)はZZ-561の着陸1分前にR/W-05LにL/Dした為に撮影を諦め
事前に「11」,「12」のどちらが"Mig Killer"か理解していればと悔やまれました。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 14:49 No.2030
Re: あゝあの年の9月は - 7
8時9分、嘉手納R/W-05Rを離陸した"ZUNI-11&12"に続き、8時28分R/W-05Rを離陸した"ZUNI"の喧嘩相手の
26thTFTS所属、F-5E/74-01574,"DRAGEN-31"は9時33分、R/W-05Lへ着陸。

撮影機会のあまりないF-5故、此の時ばかりはR/W-05Lまで全力疾走し撮影するも、陰ってしまいました。。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 14:51 No.2031
Re: あゝあの年の9月は - 7
本日の「日付ネタ遅れ分」は1975年9月22日(月曜日)8時40分、岩国へ向け厚木R/W-01を離陸するRF-614.

前日9月21日のCVW-5機フライ・インのトップを切って降りてきたRF-614は
いつものように翌朝MCAS IWAKUNIへ戻るのが分かっていたので早朝からニッピ山で待機し捉えたショット。

此の日は他にQA-11,RG-412,VE-3,UE-25を常連マニア5人と撮影。

M.WADA 2020/09/27(Sun) 14:53 No.2032
Re: あゝあの年の9月は - 7
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1977年9月28日(水曜日)気温25℃、9時25分、厚木R/W-01から
前日出港した空母ミッドウェイに向けフライオフするVA-115 "ARABS"のA-6E/169573,NF-505.

此の時ミッドウェイは館山沖の海上に居り、CVW-5機はその近くのRANGE-116/C-AREAで訓練を実施。
NF-505もC-AREAへと向かいました。

此の日、6時56分から21時44分にかけて7機のCVW-5機がフライオフ。
それに加えSA-10,TF-17,YW-21,YF-9/10/14,PR-41,RG-424/425,RD-11等をマニア6人と撮影。

因みに159573は1991年7月19日、カリフォルニア州、サンディエゴ沖で航行中の空母CV-61USS RANGERに
着艦しようとした際にテールフックが外れ機体が船外に飛び出す寸前、クルー2人は緊急脱出。

その事故の際、VMFAT-101(SH)のF/A-18C/163711がダメージを受け飛行不能となってしまい、
NAS NORTH ISLANDのNARFにF/A-18の修理裁定を依頼すると修理不可能との判断が下されました。

又、159573のダメージの方も詳細は不明で事故後の消息も掴めませんでした。
F/A-18は1996年10月、廃棄処分されたと記録されているので、恐らくスクラップ処理されたと思われます。

M.WADA 2020/09/28(Mon) 09:14 No.2033
Re: あゝあの年の9月は - 7
↑から7年後の1984年9月28日は4日前の9月24日から飛来しミッションフライトをし始めた
”シャークティース”付きPN/F-4E狙いで早朝5時35分に厚木を出発。
7時には横田R/Wエンドに到着と、かなりハードなスタートの金曜日でした。

”シャークティース付きF-4E”の情報は瞬く間に厚木のマニアの間に広がり
此の日、一日中横田に滞在した厚木のマニアは6人。
厚木で午前、横田で午後撮影したマニアは4人。
その逆で午前は横田、午後から厚木組は5人と各自各々行動パターンが分かれました。

幸運なことにPNのF-4Eは午前午後ともフライトを実施してくれたため、
「撮り逃し」を食らったマニアは出ず、双方和やかな雰囲気の中での撮影現場でした。

予想した通り、PN/F-4Eのクルー達は早くも7時28分に駐機場に到着し、離陸の準備に入りました。

タキシングを撮るか、離陸を撮るか迷いましたが、横田は自分にとっては「アウェー」なので
撮り慣れている「離陸ショット」に決め、離陸側へ移動して撮ったのがこのショットでした。

"RENO-01 FLIGHT"は8時40分、対戦相手のいる松島に向け編隊離陸をして行きました。

M.WADA 2020/09/28(Mon) 09:17 No.2034
Re: あゝあの年の9月は - 7
10時前、ミッションを終え横田R/W-36に戻って来た”RENO-01FLIGHT"は「'1」が2回、「'2」が3回、
其々ローアプローチを実施後L/D. 写真は「'2」こと"RENO-02"の10時5分のL/Dショットです。

因みに73-1198号機は1991年3月25日、AMARC入り。
2002年4月にMOJAVEへ移動しQF-4E(AF-238)に改造されました。

M.WADA 2020/09/28(Mon) 09:20 No.2035
Re: あゝあの年の9月は - 7
"RENO-01FLIGHT"の午後の部は12時41分、同じく松島基地へ向けての離陸で始まりました。
"RENO-01"は午前中と同じ71-1085でしたが僚機"RENO-02"は午前中の73-1198から73-1199に変わっていました。

因みに"RENO-01FLIGHT"は15時5分、ミッションを終え横田に帰投後、16時2分、西に向けT/Oしています。

M.WADA 2020/09/28(Mon) 09:22 No.2036
Re: あゝあの年の9月は - 7
本日の「日付ネタ遅れ分」は1975年9月25日(木曜日)12時45分,日飛入りのため厚木R/W-01へ着陸するED-8.

此の時もEDのA-6が確かに厚木に飛来した事が分かるように地上部分を入れて撮影しましたが、
A-6が着陸して来た時の他機との絡みや移動のタイミングなど、R/W横での撮影のチャンスは限られ、
常に意識はしていたものの、実際にR/W横からのショットが撮れたのは極々僅かなものでした。

此の日のトラフィックデータはNo-2014でご紹介済みですので省略致します。

M.WADA 2020/09/28(Mon) 09:24 No.2037
あゝあの年の9月は - 6

>M.WADAさん
WHITE HAT AIRLINESのCH-46のスライドを西村さんから頂きました。
厚木には飛来しなかったんですね。

1969年9月18日厚木を離陸するVMA-211のA-4E。
狙って撮ったわけではありませんが、中央増槽が機体と同じ塗装になっています。
着陸では主翼のタンクと主脚に隠れてしまったのではないでしょうか?

MACH3 2020/09/22(Tue) 15:31 No.2001 [返信]
Re: あゝあの年の9月は - 6
皆さん、こんにちは。

MACH3さんが撮られた1969年9月18日(木曜日)午後,厚木R/W-01から離陸するVMA-211"Wake Island Avengers"の
A-4E/150046,CF-2は戦闘活動中の機体ですから、撮影出来ている人は、殆どいないと思います。

VMA-211のインシグニア付きセンタータンクを撮るとしたら確かに、
このように離陸時に仰ぎ見ながら撮影するしか方法が無く、偶然にせよ撮れてラッキーでしたね。

MACH3さんが撮った此のA-4E/150046は当時VMA-211が居た南ベトナムのChu-Laiで
1969年1月5日にべトコン(North Vietnam Army)のロケット・ミサイルの奇襲攻撃を受け破損。

幸い負傷者は出なかったものの、そのままの状態でミッション続行は不可能と判断された150046は
厚木のニッピへ入り修理を受けた後、NARFでUSMC機仕様の修整を加えられ完成。

MACH3さんが撮られたりCF-2の離陸は再びChu-Laiへ戻る時のショットだと思われます。

ベトナム戦当時のUSMC機のデータは米軍発表以外では日本国内のマニアの情報以外殆ど無いので、
厚木で当時のUSMC機に関して詳しいデータを持った人物はMACH3さんがNo-1ですから
この「CHECKER TAIL BBS」内で随時ご紹介して頂けると嬉しいです。

本日の「日付ネタ」は1968年9月23日(月曜日)午後、厚木R/W-19へ着陸するVQ-1のEC-121M/143186、PR-27.

この143186は同年1月から6月までテキサス州GreenvileにあるLTVエレクトロ・システムス社で 
KELLY"G"と呼ばれる改造を受けVQ-1に戻り、ミッションに就いていました。

KELLY"G"とはVQ-1メインテナンス部門内の特別プロジェクト班に直接関係した技術的能力改善を指し、
この部門は艦隊レベルで諜報装備の改善を行っておりNASC(Naval Air Systems Command)に承認された
直轄の部門で、海軍内でも非常にユニークな存在となっていました。

因みに143186は1974年4月4日,MASDC入り.同年9月26日に用途廃止.1981年5月21日にスクラップ処理されました。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:15 No.2002
Re: あゝあの年の9月は - 6
PR-27の着陸を撮った同じ日、8時に空母アメリカが横須賀を出港。

それに伴い2機のF-4J/155757/155777(VF-33"TARSIERS"の補充機?)とVA-82のA-7A/153176/153206,AE-304/306の
計4機のCVW-6機がフライ・オフ。

アップした写真はR/W-19に向け,お墓前の誘導路(DW)をタキシングするVA-82"MARAUDERS"のA-7A/153176,AE-304.

153176は1970年5月28日、CVA-34 USS ORISKANY 搭載、VA-153機として北爆中被弾。
MUANG FANGDENGの南10マイル地点に墜落しパイロットは「戦闘中不明者」扱いとなったままです。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:18 No.2003
Re: あゝあの年の9月は - 6
↑と同じ日の帰り道、いつものように南の角に回り道して帰宅する習慣があり
此の日も最後に眼鏡で基地内をチェックし帰ろうとした矢先、
ランディング・ライトを光らせながら1機の航空機がR/W-19へ降りて来ました。

急いでカメラを撮り出しレンズを装着。フェンスに駆け寄ると、そこに現れたのはVWのファントム。

此の時VW(VMFA-314"BLACK KNIGHTS")のF-4Bは南ベトナムCHU-LAIで戦闘中でしたので
修理の為にニッピに来たようでした。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:20 No.2004
Re: あゝあの年の9月は - 6
此処で予想外の展開が待っていました。

VWのパイロットが写真を撮っている自分を見つけ「べトコン」が銃を構えていると勘違いしたのか
突然止まり、機首をこちらに向け咆哮し始めたのでした!

戦地から平和な日本へ突然来てもパイロットの頭の中は未だ戦地のままだったのかもしれません。

前脚を上下させながら吠え叫ぶそのさまは凄まじく、
夢中でその場を離れ家へ一目散で逃げ帰ったのは言うまでもありません。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:22 No.2005
Re: あゝあの年の9月は - 6
VWのファントムから一年後の1969年9月23日(火曜日)洗い場に佇むVMA-311”TOMCATS"のA-4E/150091,WL-16.

このWLのスカイホークも南ベトナムCHU-LAIから修理のために厚木に飛来して来たもので
手前のジープはスカイホークの牽引車として使われていたのもで、戦地の臭いプンプンの代物でした。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:25 No.2006
Re: あゝあの年の9月は - 6
↑と同じ日、WLのスカイホークを撮っていると、
突然後方からヘリの音が近づいて来て横に下がる暇もなく頭上へ飛来。夢中でシャッターを切りました。

ノーマークのシーホースと思っていた機体は現像後よくよく調べてみると
分かり難いですがLPH-8 USS VALLY FORGEに搭載されていたUH-34D/150558と判明。

こういう艦載ヘリ、特にUH-34は珍しいので、もう少し良い条件で撮影したかったのですが
このSEAHORSE/150558との出会いは、此の時の1回限りで終わってしまいました。

因みに150558は1965年から1967年にかけてHMM-362"UGLY ANGELS"/YL機としてベトナム参戦。
1968〜1969年のLPH-8を経て再びYL機として働き1971年にMASDC入り。1972年に保管No3H-0233が与えられています。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:27 No.2007
Re: あゝあの年の9月は - 6
↑から9年後の1978年9月23日(土曜日)15時12分、VC-5用のAQM-37 JAY HAWK2機を荷下ろし後
母艦USS ROANOKE(AOR-7)に帰投するHC-11”GUNBEARERS"DET-3のCH-46D/154836,VR-64,”CYCLER-64".

主にCVN-65 USS ENTERPRISE付随の補給艦として行動していたUSS ROANOKE は
此の時もエンタープライズのサポートをして居り、事実、NAF KADENAにもCVW-14機が少数飛来していました。

M.WADA 2020/09/23(Wed) 11:30 No.2008
Re: あゝあの年の9月は - 6
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」はSGのオライオンが一枚。

1973年9月24日(月曜日)L/DしたVP-50"BLUE DRAGONS"/SG-5がアガナへの離陸に向け
お墓前の誘導路をR/W-19に向かう姿です。

VP-50は同年7月1日から12月31日にかけてモフェットフィールドからアラスカのNAS ADAKと
NAS AGANAの二手に分かれて部隊を展開して居り、此のSG-5はグアムに派遣されていたP-3組の1機でした。

此の日撮れた航空機はRC-3,PR-50,SZ-242そしてEDのA-6Aがローアプローチ後横田へ降りています。
エンドに来たマニアは厚木組が6人、横田からは20人の計26人でした。

これらマニアの狙いはCVW-5機厚木移駐を当て込んでの来訪でしたが
実際にCVW-5機が移駐して来たのは3日後の9月27日の事でした。

M.WADA 2020/09/24(Thu) 10:52 No.2009
Re: あゝあの年の9月は - 6
此処からは「日付ネタ遅れ分」です。

1975年8月29日(金曜日)厚木R/W-19へ着陸するVMA(AW)-533”HAWKS"のA-6A/155679,ED-1.
撮影場所はご覧の通り”ニッピ山”です。

厚木で航空機のタッチダウンショットが撮りたくて開拓したのが”ニッピ山”でしたが
此の時のED-1のタッチダウンは見事過ぎる着陸で
接地時のスモークも上がらずスムースそのもので拍子抜けしてしまいました。

此の日は4機のCVW-5機がフライトを実施。11機がフライ・イン。
外来機RF-611,SZ-273,QB-808,WT-2,RZ-606/805を厚木13、横田6人の計19人で撮影。

M.WADA 2020/09/24(Thu) 10:54 No.2010
Re: あゝあの年の9月は - 6
1978年9月23日(土曜日)15時17分,訓練を終え嘉手納R/W-05Rに着陸後フライトラインに戻る"NICKEL-04".

因みに153840はF-4Sに改造後、VF-161"CHARGERS"NF-102として活動中の
1983年11月20日にフィリピン沖の海上に墜落し機体は失われてしまいました。

M.WADA 2020/09/24(Thu) 10:56 No.2011
Re: あゝあの年の9月は - 6
1980年9月3日(水曜日)気温29℃、13時40分、厚木R/W-19へ着陸するMCAS FUTENMAのC-117D/50823.

此の日のトラフィックデータはNo-1999でご紹介済みですので省略致します。

M.WADA 2020/09/24(Thu) 10:58 No.2012
Re: あゝあの年の9月は - 6
皆さん、おはようございます。

本日の「日付ネタ」は1973年9月25日(火曜日)NAS AGANAに向けDWより厚木R/W-19へ向かうPR-50.

機首前輪の収納カバーには"VICTORY LINER"と131654の愛称が書かれていました。
此の日撮れた航空機はNG-523,PE-5,SZ-838,RZ-805,ED-2.

因みにタキシーショットを撮った一年後の1974年9月131654はDAVIS MONTHAN AFBで保管状態にとなりますが
7年後の1981年4月8日、CLASSIC AIR 社のASCHER WARDに買い取られ、N-27189のレジを取得し
VAN NUYSからグランドキャニオン〜BAJA CALIFORNIA間での遊覧飛行を開始しました。

1988年1月、DARRYL G.GREENAMEYERがCLASSIC AIR社から買い上げ1988年4月5日、新たに HI-532CTを取得。

1990年6月、ドミニカ共和国のSANTO DOMINGOで着陸事故を起こし登録抹消となり、機歴を閉じました。

M.WADA 2020/09/25(Fri) 07:25 No.2013
Re: あゝあの年の9月は - 6
↑から二年後の1975年9月25日(木曜日)12時12分,三沢に向け厚木R/W-01を離陸するVP-50のP-3C/158221,SF-1.

VP-50は1975年7月31日から1976年2月9日まで半年間に亘ってMOFFETT FIELD からNAF MISAWAへ派遣されていました。
SF-1の他に撮れた航空機はRZ-604,YD-7,NASU IWAKUNIのUS-2A/136510,SZ-124,SF-7,ED-8と空軍のC-130Eで
マニア2人がエンドに来ていました。

因みに158221は後にP-3C III-Rにアップグレードされ運用後、
2004年1月6日にAMARC入りし、1月24日に早くも用廃となってしまいました。

M.WADA 2020/09/25(Fri) 07:28 No.2014
Re: あゝあの年の9月は - 6
今日の「日付ネタ遅れ分」はWDのファントム"LANCER-61".


撮影日は1984年8月7日(火曜日)17時19分、夕日で機体が赤く染まり、ただでさえ汚い塗装のロービジが
より一層汚い色になり万事休すのショットとなってしまいました。

このロービジ塗装が自分がマニアから足を洗う一つのきっかけとなったのも、さもありなんと思われませんか?

此の日、26機のCVW-5機がフライトを実施。
外来機はSG-6,QA-22,RD-1,SFのオライオン、RB-71,YZ-667/668,MCAS IWAKUNIのUC-12B/161518,5G.
マニアは4人がエンドに来ていました。

因みに158376は1988年11月23日、AMARC入りしています。

M.WADA 2020/09/25(Fri) 07:30 No.2015
Re: あゝあの年の9月は - 6
MACH3さん、皆様、こんばんわ
皆様の超貴重なショット、毎晩楽しく拝見しています!
間が開いてしまいましたが今日は日付ネタで一枚、1999年9月25日、空前絶後の Dirty Roll をお送りします。 リハーサルを遠目に見た時、T&Gからガバっと回る姿を見てビックリ仰天! 当日はとにかくこの歴史的な Dirty Roll をキッチリ撮るべく、立ち位置やフイルム交換のタイミングを計ったものです。 90年代のWINGSは展示機もフライトも充実した時期で、サンデー・マニアの自分にとっても大好きなF-14を存分に楽しめた、思い出深い季節でした。

FKEN 2020/09/25(Fri) 22:57 No.2016
Re: あゝあの年の9月は - 6
皆さん、こんにちは。

>FKENさん
"BLACK KNIGHT"のトムキャットによる"Dirty Roll",決まっていますね!
写真から「気合い」の入り具合が手に取るように分かり暫く見入ってしまいました。

投稿ありがとうございました。

次回も、自分が知らない「厚木のファインショット」を期待して居ります。



本日の「日付ネタ」は1972年9月26日(火曜日)午後,厚木R/W-19へ着陸するVMA-331のA-4E/151999,WL-12.

パイロットネームはCAPT JIM. BLOCHER.パーソナルネームは"LA FEET". P/CはCPL GUZENDA.

此の日SZ-04,RG-300/303,QE-3,RTN のS-2F/136447を常連マニア5人と共に撮影。
又、3starの空軍UH-1Pも飛来しました。

M.WADA 2020/09/26(Sat) 10:51 No.2017
Re: あゝあの年の9月は - 6
↑から3年後の1975年9月26日(金曜日)15時1分、厚木R/W-01を飛び立ちNAF NAHAへ向かうQA-1.

VP-22"BLUE GEESE"のオライオンは此の年の6月10日から12月10日の6か月間に亘って那覇に派遣されていましたが
これがNAF NAHAを使った最後の派遣となり、その後はNAF KADENAに派遣場所が変わりました。

M.WADA 2020/09/26(Sat) 10:55 No.2018
Re: あゝあの年の9月は - 6
同じく、1975年9月26日(金曜日)15時2分、日飛からテストフライトに飛び立ったED-9は
15時58分、厚木R/W-01へ戻って来ました。

因みに155680は1983年8月26日、VA-42”GREEN PAWNS"機として訓練中に墜落し水中に没しました。

M.WADA 2020/09/26(Sat) 10:59 No.2019
Re: あゝあの年の9月は - 6
ED-9の着陸30分前、15時30分にL/Dして来たVMFP-3”EYES OF THE CORPS"のRF-4B/153109、RF-614.
153109も155680同様、1987年10月19日、フィリピン、CROW VALLEYで墜落し機体は失われています。

此の日、CVW-5機は4機がフライトを実施。外来機MWHS-1のCT-39G/160054,QD-689等をマニア4人と撮影。

M.WADA 2020/09/26(Sat) 11:00 No.2020
Re: あゝあの年の9月は - 6
「日付ネタ」、最後は1977年9月26日(月曜日)11時21分、日飛入りの為、厚木R/W-19へL/DするVK-00.

着陸後”COMBAT-00"は日飛のフライトラインから西側NARFハンガー内へ移動。
9月28日迄はバイセン塗装でしたが10月6日のT/O時にはノーマーク機となって岩国へ戻っています。

因みに152931は1981年7月31日にMASDC入りしましたが、暫くして現役復帰を果たしたものの、
1996年8月9日、再びAMARC入り。その後飛ぶことは無く2002年6月14日に用廃となって終わりました。

M.WADA 2020/09/26(Sat) 11:02 No.2021
あゝあの年の9月は - 5

スパム投稿が入ったのでスレッドの順序が狂ってしまいました。
BBSのスパム対策の条件をくぐり抜け投稿するには、プログラムを作成しての投稿でしょう。
わざわざこんな事をするまでの価値のある内容とは思えませんが。

話は戻ります、空母アメリカの艦載機[AE]の訓練が始まっていた最中の、1968年9月21日にVAW-13"Zappers"のEKA-3Bが空母コーラルシーから飛来しました。
先に降りたVAH-10のKA-3BはCVW-15[NL]のテイルコードで、EKA-3Bはオリジナルの[VR]のままでした。

MACH3 2020/09/19(Sat) 06:21 No.1981 [返信]
Re: あゝあの年の9月は - 5
皆さん、こんにちは。

MACH3さんがアップされたVR-735/142656は1968年9月21日(土曜日)14時40分、R/W-01にL/Dでした。

このVR-735は9月29日(日曜日)のCVW-15(NL)機フライ・オフまで飛びませんでしたし、
VAW-13自体がフライ・オフから二日後にVAQ-130に名称変更されたので、
此れがVAW-13機を撮影出来た最後のチャンスで貴重でした。

A3D-2としてロールアウトした142656は1967年6月、NARF ALAMEDAでKA-3Bに改造。
7ヵ月後の1968年1月にNARFでEKA-3Bに再改造され運用後、
1974年2月14日、MASDC入りし、同地でスクラップ処理されて機歴を閉じています。

又、VAH-10も1970年9月1日に機種転換部隊のVAQ-129(NJ)"VIKINGS"となった為、
VAH-10機を撮れたのも限られた期間となり海軍航空部隊改変の過渡期を迎え始めたのが1968年でした。

本日の「日付ネタ」は1975年9月19日(金曜日)です。
此の日は海自P-2の特異日でP2V-7とP-2J、7飛行隊、合計12機のネプチューンが一日で撮れた日でした。

此れで205thATSのP-2が飛来していれば海自P-2部隊全部隊が揃ったパーフェクト達成でしたが
一応、現職VP機は全て制覇出来た思い出深い日となりました。

内訳は1,2,4,51,那覇の4飛行隊が2機づつ、3空と203空が1機づつの12機でした。

そこで今回は1飛行隊を各一機づつご紹介していきます。
先ず最初は厚木R/W-19を15時45分に離陸した1stFAS(VP-1)"SLUGGER-35".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 15:54 No.1982
Re: あゝあの年の9月は - 5
16時11分に離陸した2ndFAS(VP-2)の"POSEIDON-13".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 15:57 No.1983
Re: あゝあの年の9月は - 5
地元3空は飛ばし16時4分、離陸した4th FAS(VP-4)の"BLACKY-61".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 15:58 No.1984
Re: あゝあの年の9月は - 5
16時32分に離陸した51stFAS(VX-51)の"PEACOCK-08".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 15:59 No.1985
Re: あゝあの年の9月は - 5
15時45分に離陸したNahaFAS(VP-Naha)の”PEGASUS-28".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 16:00 No.1986
Re: あゝあの年の9月は - 5
そして16時25分に離陸した203rdATS(VT-203)の"ATLAS-59".

M.WADA 2020/09/19(Sat) 16:01 No.1987
Re: あゝあの年の9月は - 5
海自機だけのご紹介では申し訳ないので、海軍機を一枚。

1972年9月19日(火曜日)珍しくGCAを使い厚木R/W-19へ進入して来たHSL-31"ARCH ANGELS"のHH2D/149032,TD-1.

この機体は第7艦隊司令の指定機でもあり、サイドドアには「7th Fleet」のエンブレムが付けられ
「増槽タンク」にも「COMSEVENTHFLT」の書き込みがされ、如何にも”VIP"機の雰囲気が一杯の機体でした。

撮影時点での第7艦隊司令はジェームス・レミュエル・ホロウェイ3世海軍中将(後に大将に昇格)。

彼はベトナム戦でラインバッカー2号作戦を指揮・実行した人物で
後に製作された映画「トップガン」で技術顧問も担当しアメリカ政府の要職を歴任後、
2019年11月26日に97歳で逝去しています。

M.WADA 2020/09/19(Sat) 16:02 No.1988
Re: あゝあの年の9月は - 5
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1979年9月20日(木曜日)16時40分,厚木R/W-19へ着陸したVMA(AW)-332のA-6E/155591,EA-360.

16時8分、Yokotaアプローチにコンタクトして来た"Marine Echo Alpha -01"は厚木へのL/Dをリクエスト。
この時点での運用滑走路は01で横田もR/W-01へのL/Dを指示。

ところが16時20分、無風状態にもかかわらず厚木タワーはR/W-19を宣言。
もう、車を使っても”EA"のA-6のL/DまでにR/W-19側へ到着することは不可能です。

仕方なく南の角で待機する事となりましたが、通常A-6が着陸後に南の角まで滑走し誘導路に入ってくる事は無く、
殆んど絶望的な状況でGCAでのやり取りを聞きながら半ば諦めの境地で佇んでいました。

既に太陽は西に傾き日没を迎えつつあり、辺りは夕焼け色に染まっていました。

前照灯を灯しながらA-6はゆっくりと着陸。あ〜あんなにスピードダウンしていたら到底来ないな〜
と、見ていると、まるで予め予定していたかのようにスーっと角に入って来たのでした。

撮影状況は厳しくEA-360の塗装もロービジでしたが19着陸後のタキシーショットを撮れた事は貴重な体験でした。
EA-360は18時2分、岩国へ向け離陸。

此の日撮れた航空機はYN-651/653,YT-554,RG-321/793,SA-12,TG-32,NAF MISAWAのC-1A/136791,
そして横田よりDR-5とWA-04が飛来し、これらを仲間一人共に撮影。

又、此の日、横田にはOSのF-4EがL/D.

155591は1991年、VA-155に在籍していた当時、機体に"CENTURION"と書き入れフライトしていましたが
最後は「漁礁」として利用され機歴を閉じています。

M.WADA 2020/09/20(Sun) 12:09 No.1989
Re: あゝあの年の9月は - 5
↑の前年、1978年9月20日(水曜日)14時7分、嘉手納R/W-23Rに着陸するVMA-513,DET-BのAV-8A/158389,WF-05.

此の時、NAF KADENAでフライトしていたハリアーの中で"FLYING NIGHTMARES"のインシグニアを付けていたのは
この”MAGIC-05"1機だけで、厚木ではなかなか撮ることが難しいハリアーをマニア4人と夢中で追いかけました。

158389は最初、RAFがXW-649として1971年4月7日から使用後、USMCに戻りAV-8Cに改造され運用後、
1980年3月7日に用廃機となり,2016年アリゾナ州ユマのBARRY GOLDWATER RANGEで墜落し破壊された状態で確認。

M.WADA 2020/09/20(Sun) 12:12 No.1990
Re: あゝあの年の9月は - 5
此処からは「日付ネタ遅れ分」。
1971年9月19日(日曜日)日没後、厚木R/W-19へ着陸して来たVQ-1のEC-121M/145940,PR-25.

PR-25の機首には「目」とスマイルマーク似の「口」が描かれていましたが短期間で消されてしまいました。

M.WADA 2020/09/20(Sun) 12:14 No.1991
Re: あゝあの年の9月は - 5
1976年9月19日(日曜日)12時40分,横田R/W-36を僚機NK-704と共にフィリピン,NAS CUBI POINTへ向かうNK-700.

撮影場所の国有地には、当時かなり大量の「盛り土」が山積みとなって居り、
その上からR/W-36上の機体が狙え、格好の撮影場所となっていましたが雨でぬかるんだ時には
何人ものマニアが足を滑らせ転げ落ち「どろんこ」になる”要注意”場所でもありました。

因みに159390は其の後S-3Bに改造され1992年6月にCV-60/VS-30(AA-700),2004年4月にはCV-67/AA-700で運用。
2005年にAMARC入りし同年7月21日に用廃となっています。

M.WADA 2020/09/20(Sun) 12:15 No.1992
Re: あゝあの年の9月は - 5
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1972年9月21日(火曜日)に日本飛行機横浜工場のヘリポートで撮影した
NAF CAM RANH BAY DET TAN SON NHUT所属のCH-46A/152543”WHITE HAT AIRLINES".

D野さん近辺の情報から”WHITE HAT AIRLINES"と書かれたバートルが杉田ニッピ(マニア仲間の通称)に
来ているとの情報を得,その話を厚木で西村さんにしたところ、車を持っていた彼は即座に杉田行きを決断
自分とNさんを加えた、3人で杉田ニッピへ向かいました。

昼前に現地到着すると、情報通りバートルがヘリポートで整備の真っ最中でした。

メインテナンスハッチが開いていましたが確かに”WHITE HAT AIRLINES"と書いてあるのが確認でき
早速撮影に取り掛かかると昼食時間となり整備が中断。

午後から再び整備が始まり程なく終了。

するとバートルがエンジンスタート。すは、離陸と思いきやホバリングチェックで終わり
実際に離陸したのは翌日の事で、西村さん一人が撮影に成功しています。

彼によると離陸後バートルは横須賀方面へ向かったそうで、搭載艦に戻ったとすると
厚木には姿を見せなかった可能性が高いようです。

このように杉田ニッピだけで整備が完結した機体は厚木に飛来せず本隊に戻るか
木更津若しくは横須賀で艦船に載せ替えられ帰国した機体もかなりあったのではと推測されます。

何れにせよ,此の時撮影したアメリカ海軍のCH-46A”WHITE HAT AIRLINES"はとても貴重なものとなりました。

当時撮影したこの場所は、現在も存在はしますが、既に使用はされて居らず
ヘリポート敷地内、道路沿いの約半分近くは介護老人福祉施設と保育園が占め、
波止場からの航空機の搬入は出来なくなっています。

此の撮影から約一年後の1973年8月13日,152543はHH-46Aに改造されNAS WHIDBEY ISLAND所属機となっていましたが
残念なことに1980年9月13日,夜間のSARミッション中に墜落,乗員5人全員が死亡し機体も失われてしまいました。

M.WADA 2020/09/21(Mon) 10:53 No.1993
Re: あゝあの年の9月は - 5
CH-46A撮影から5年後の1977年9月21日(水曜日)8時20分、厚木R/W-19を編隊離陸しCAMP FUJIへ向かうYF-15/17.

このHMH-462"HEAVY HAULERS"のCH-53Dは当日 横須賀へ入港したLPH-11 USS NEW ORLEANS搭載、1stMB傘下の部隊で
7時35分から14時55分にかけてCH-53D/CH-46D/UH-1N/AH-1J等合計13機がフライ・イン。

此の日撮れたその他の航空機はRG-353/424/425,UE-42,TH-51,SA-11,PD-7,NAF MISAWAのC-1A/146055.

又、残念ながら9月18日L/DしていたVF-21のF-14A/NG-101は11時に離陸しようとエンジンを始動させましたが
マイナートラブルで離陸断念となり撮影することは出来ませんでした。

因みにYF-17だった157140は1989年3月20日、韓国、HUNGHAE付近で墜落し乗員19人が死亡,15人が救出されましたが
機体は焼失してしまいました。

M.WADA 2020/09/21(Mon) 10:56 No.1994
Re: あゝあの年の9月は - 5
↑から一年後の1978年9月21日(木曜日)8時51分、嘉手納R/W-05Lへ着陸するVMA(AW)-224のA-6E/152908,WK-350.
撮影していた時点では好天でしたが、午後からは曇や雨で思い描いていた予定が吹き飛んでしまいました。

"BENGAL-00"の垂直尾翼上端にはミッションC/S?の"Wanda Lynn"の文字が記入されていました。
又、主翼下のTERに「青ナスビ」が懸架されているのも嘉手納ならではのシーン。

152908は1982年2月12日、フロリダ州のOKEFENOKEE湿地に墜落。クルー2名は緊急脱出し無事でした。

M.WADA 2020/09/21(Mon) 10:58 No.1995
Re: あゝあの年の9月は - 5
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1970年9月22日(火曜日)に撮影したモノクロームショットが3枚です。

厚木R/W-19を午後ローアプローチする横田基地、41stARRW,DET-8所属のHH-43B/62-4561.

62-4561はHH-43Fに改造され運用後、1974年3月7日にMASDC入り。

同年、12月13日にワシントンの国家資源部局預かりとなり
FAAレジ取得の無いまま飛行不能状態となっていましたが1979年3月20日、TIMBER CHOPPERSに移り
1980年12月にN-8522Mを取得し運用されていましたが1992年Nレジを解除。
1997年10月、ユタ州HILL AFB AEROSPACE MUSEUMの展示機となりました。

M.WADA 2020/09/22(Tue) 11:51 No.1996
Re: あゝあの年の9月は - 5
↑と同日3機のF-4J,WT-1/4/7がL/D,WT-4/7は燃料補給後、岩国へ向け編隊離陸。
次に離陸したWT-1はローカルフライトを実施後、同じく岩国へ帰りました。

写真はWT-4/7の編隊離陸を眺める離陸待機中のWT-1の様子です。

分かり難いですが、WT-1の胴体には2段で「COMMANDING OFFICER LT COL ROBERT E.SOLLIDAY」の文字と
右側のスプリッター・プレートにはコーラを持った「スヌーピー」が描かれていました。

M.WADA 2020/09/22(Tue) 11:52 No.1997
Re: あゝあの年の9月は - 5
同じく厚木R/W-19へL/Dして来たWEST VIRGINIA ANGのC-121C/54-0177.同機は給油後T/Oしています。

又、此の日撮れた航空機はROK AFのS-2F,WB-56/65,USMCのCH-46D/153971.

因みに54-0177はN-1104Wのレジを取得し民間機として使用された後、
2008年12月、バージニア州NASMのUDVAR-HAZY CENTER内で展示中です。

M.WADA 2020/09/22(Tue) 11:54 No.1998
Re: あゝあの年の9月は - 5
今日の「日付ネタ投稿遅れ分」は1980年9月3日(水曜日)15時13分,厚木R/W-19を岩国へ向け離陸するDN-105.

DN-105はDN-101と共に12時33分,"SHAM-76"のC/Sを用いてL/Dからの離陸でした。

此の日撮れた航空機はRG-354/766/787,NAF MISAWAのC-1A/136791,MCAS IWAKUNI のC-117D/50823、YF-664.

因みに153845は其の後F-4Sにアップグレードされ運用後、1988年11月21日にAMARC入りしています。

M.WADA 2020/09/22(Tue) 11:56 No.1999
Re: あゝあの年の9月は - 5
1977年8月30日(火曜日)15時35分、ニッピでの整備を終え厚木R/W-01を離陸し岩国へ帰る"PORKY-06".

このDW-6/153856は後にF-4Sにアップグレードされた後、1988年11月にはQF-4Sドローン機となりました。
2000年9月26日、153856は用途廃止となっています。

DW-6撮影の此の日、横須賀からCV-43 USS CORAL SEA が出港。

それに伴い4機のシーキングがフライオフするもCV-43付きのC-1A/136766が空母に向かっただけで
NL-100は岩国へ行き、逆に空母からNL-500/405/413がフライ・インして来るという変則的な動きを見せました。

此の日撮れた航空機はPR-004/40,RG-353/424/425/787/793,WEのA-4Mx2機、VKのA-6E,PE-6等で
マニアは41人がエンドに来ていました。

M.WADA 2020/09/22(Tue) 11:58 No.2000
厚木で見た外来機 #6

おはようございます。
わがPCが立ちあがらなくなって、ヘルプデスクに電話して初期設定に戻さないとダメと言う事になりました。
リカバリーデスクを探したが見つからず、翌日「エ〜ィ」とパワーオンしヘルプデスクのアドバイスの再現を行ったところすんなりと立ち上がりました。
どうしてご機嫌が良くなったのか??不思議です。

>M.WADAさん
AFのグリーンの迷彩塗装は、今のグレイベースよりカラー向きですね。

厚木に降りる大型のチャーター機は色々なショットを撮る実験でした。

1973年4月WordのB-727は真正面から28mmの広角で挑戦しました。

MACH3 2020/02/22(Sat) 08:17 No.1321 [返信]
Re: 厚木で見た外来機 #6
送りのショットはカメラを横向きに変えて。

MACH3 2020/02/22(Sat) 08:18 No.1322
Re: 厚木で見た外来機 #6
皆様のチャーター機を拝見する内に思い出しました、ボルガドニエプルの An-124, 2006年2月12日, RWY01 の一枚です。 厚木でアントノフを見る事など想像も出来ませんでしたし、しかも米軍のチャーター便のようでしたから時代も変わったものだ、、、と思ったものです。
そう言えば最近はC-17で賄えるのか、逆に見かけなくなった気がします。

>MACH3さん
PCトラブルは突然&気紛れですよね、私は半年分の写真がフイになったことがあり、以来3重のバックアップをしています

>M.WADAさん
mid 80's の空軍機、懐かしいです、私は当時高校生でしたが「前日に行けば降りが撮れる」という概念すらありませんでした。少し考えれば分かることなのに(苦笑) 
71年の三軍、DC-8の写真もエピソードも強烈です!

FKEN 2020/02/22(Sat) 15:52 No.1323
Re: 厚木で見た外来機 #6
皆さん,こんにちは。

>MACH3さん
PCが復旧し良かったですね。
自分も最近MACH3さんと同じような事態に陥りK.TANABEさんの御厄介になってしまいました。

確かにPCを擬人化した存在として接するようになって来て居り、
”機嫌を取る”という表現でPCを見ていること自体、眞に「現代を生きるアナログ人」ですな〜。

28oで「セブンツー」の降り。然も正面と尻ですか。 流石MACH3さん、考えることが違います。
A-10はグリーンの迷彩塗装機しか撮っていないのでグレイのA-10も撮ってみたかったです。

>FKENさん
An-124の降りを撮影されていたんですね。
厚木でアントノフ、確かに想像だに出来ないチャーター機でしたね。

思いもよらない機体が現れるのも厚木なので、
今後の厚木がどのような展開になって行くのか見守っていきましょう。

mid80'sに高校生ですか、お若い!
FKENさんと同じような年代のマニアさんが厚木にも数多く居たのですが、
声をかけても、皆一様に”敷居が高い”と敷居を跨いてくれません。

そんな連中に先駆けて当BBSへ入って来てくれたFKENさんに感謝。
FKENさんに続いて彼らも気軽に来てくれたらと願っているM.WADAです。


1984年5月20日(日曜日)に開催された厚木三軍記念日に展示の為、
前々日(5月18日)に韓国、OSAN ABより飛来した19TASSのOA-37A”DRAGON FLY".

曇り空の下13時25分、厚木R/W-19へ現れた”RAVEN-11FLIGHT"はA-10同様ダークグレイの迷彩塗装機。
加えてセスナ社が開発しただけあって小型のCOIN機で撮影には手強い相手でした。

M.WADA 2020/02/24(Mon) 10:20 No.1324
Re: 厚木で見た外来機 #6
69-6364に続いて13時26分に降りて来たのが73-1067”RAVEN-12"。
此の時は一瞬薄日が差しショートカットでL/Dしたのでラッキーでした。

此の日の外来機はPJ-1/2/3,RD-2,RG-353/381/424/425/426/793,QD-812,
ZZのF-15Cx2機、WPのF-16Ax2機、空自203空のF-15DJ,陸自1stヘリSqのKV-107U-4等でした。

M.WADA 2020/02/24(Mon) 10:23 No.1325
Re: 厚木で見た外来機 #6
三軍記念日の公開が終わった翌日(5月21日)7時56分、南の角を回り岩国経由でオーサンに帰るRAVEN-11.
離陸許可が遅れ8時14分、厚木R/W-01を離陸して行きました。

M.WADA 2020/02/24(Mon) 10:25 No.1326
Re: 厚木で見た外来機 #6
RAVEN-11に続きタキシングして来たRAVEN-12.
FAC(前線航空管制)任務をこなすOA-37は小型で薄っぺら、
静かなエンジンと如何にも使い勝手のよさそうな機体に見えましたが
1992年には米軍から去って行ったんですね。

M.WADA 2020/02/24(Mon) 10:27 No.1327
Re: 厚木で見た外来機 #6
↑の送りショット。後方にはクロスR/W許可待ちのQD-812が見えます。
QD-812は離陸後マイナートラブルで厚木に引き返し再び岩国に向け離陸しています。

此の日の外来機はCOMPACFLT,VP-31 ETDのUP-3A/150526/150605,PR-003,SG-6,
RG-425/426/793,5FのUC-12B,CF-11,VT-504. マニアは8人がエンドに来ていました。

又、チームスピリット参加の為海自のP-2Jx4機が20時5分厚木を離陸。
WAKE経由でハワイ、バーバースポイントに向かっています。

M.WADA 2020/02/24(Mon) 10:28 No.1328
Re: 厚木で見た外来機 #6
皆さん,こんにちは。

1970年代の厚木で空軍の迷彩機と言えばハーキュリーズ。
ローアプローチ、GCA訓練と日常的に見られる存在でした。

その為、殆んどカメラを向けることもなく「見ているだけ」でしたが
実は、「厚木のマニアなら空軍機などは撮らない」という不文律のようなものが有り
空軍機にカメラを向けること自体憚れる空気があったのです。

その証拠を見せつけられたのが、今回の企画で使うスライド探しでした。
空軍のT-33,T-39,HH-43,C-47,C-130,C-5等々真面目に撮っていない事が判明したのです。

当時、厚木のマニアで凝り固まっていた結果がコレでした。
「降りて来たものは全て撮る」、此の心構えがあればどんなに失敗せずに済んだことか。
今になって悔やんでも、もう遅いですよね

そんな少ないショットの中から空軍のハーキュリーズを少しアップ致します。

最初は、自分のR/W-19午前中の定位置だった「ニッピ山」から撮影した776TAS/374TAW(DL)のC-130/63-7877.

撮影日は1974年11月22日(金曜日)11時43分、太陽を正面から受けてのL/Dと迷彩塗装機故
機体側面のディテールが瞑れてしまったのが悔やまれます。

63-7877は13時25分、彼らのホームベースであるフィリピン、クラーク基地に向け離陸しています。
此の日の外来機は空軍のT-39AがT/Gに飛来しただけ。CVW-5機もNF-311/510の2機のみ。

マニアは常連9人がDP-2Eの「ニッピ上り」狙いで集まりましたが不発。
このUE-30は翌日の12時15分、曇り空の中、高〜い離陸で厚木を去っていきました。

M.WADA 2020/02/25(Tue) 15:46 No.1329
Re: 厚木で見た外来機 #6
1975年2月21日(金曜日)厚木R/W-01離陸に向けR/Wエンドに向かうUSFAのC-130E/63-7897.
部隊名等、一切記入の無いノーマーク機。

63-7897は1999年9月時点でイリノイANG/169AS所属機でした。

2月20日から日付が変わった21日午前1時30分、断続的に降り続いていた雪が止み月が出て、
この月光に照らし出された雪庭を見ながら「雪レフ」写真の撮影に胸を時めかせながら床に就きました。

ところが勇んでエンドに来て一日中粘ってはみたものの
外来機は此のノーマークのハーキュリーズと夕方遅くに降りて来たQD-688の2機だけという為体。

苦労してエンドに集まったマニア4人と一緒に帰途に就く足どりは重く疲れ果てていました。

M.WADA 2020/02/25(Tue) 15:49 No.1330
Re: 厚木で見た外来機 #6
最後は嘉手納の345TAS所属のC-130E/72-1288の厚木R/W-01への降り。

撮影日は1978年1月11日(水曜日)9時30分、GCAによるストレート・イン。

真冬の富士山をバックにしたL/Dは自分の最も好むところですが
今回のような理想的な撮影コンディションでの巡り会いは稀有なことでした。

72-1288は10時丁度、嘉手納に向けT/Oしています。

此の日は13機のCVW-5機がフライトを実施。
外来機はYT-3/xx,RG-427,RD-5/6/11,TF-17,C-130/63-7881.夜間にかけ3機のP-3が飛来。
常連のマニア4人がエンドに来ていました。

M.WADA 2020/02/25(Tue) 15:52 No.1331
Re: 厚木で見た外来機 #6
皆さん、こんにちは。

1971年2月16日(火曜日)厚木R/W-01へ降りて来たDOVER AFBをホームベースとする436MAWのC-133A/54-0144.
当日の外来機はRZ-659,PR-00,VH-25(HH-2C),WB-55/60,RG-102,SZ-833,SG-11,そして海自のR4D-6.

M.WADA 2020/02/28(Fri) 11:41 No.1332
Re: 厚木で見た外来機 #6
↑のL/Dから暫くして離陸の為、南の角を回る54-0144.
いつもの”ボロッ、ボロッ”とゆっくり角を回る「ワン・ツー・ワン」と異なり
キーンという独特の金属音を響かせ銀色の機体がAEをタキシングすら様は圧巻の一言。

その巨体故、誘導路を逸脱するのではと思うほどのカーゴマスターですが
かなりのスピードで苦も無く目の前を通過して行ったのが強烈な思い出として残っています。

M.WADA 2020/02/28(Fri) 11:43 No.1333
Re: 厚木で見た外来機 #6
次は自分が撮った唯一の空軍のC-47D(C-47B-1-DLからスーパーチャージャーを撤去したタイプ)が
見つかったのでアップ致します。

撮影は1971年2月20日(土曜日),厚木R/W-01へ降りて来たC-47D/43-16251.
大戦中、多くの危機を乗り越えた43-16251は1954年からUSAF KOREA所属となりました。

1972年4月から台湾に移動となりましたが、この間の43-16251の動きは不明ですが
何れにせよ43-16521の厚木飛来は、台湾移動に伴う動きの一部だったのかもせれません。

C-47Dの他に撮れた機体はRG-100/102,WB-55/60,ED-4/11,そしてニッピでEG-7/9/10/21が撮れました。

M.WADA 2020/02/28(Fri) 11:45 No.1334
Re: 厚木で見た外来機 #6
カーゴマスターを撮影した同じ日、GCA訓練に厚木R/W-01へ姿を見せたのが横田のF-4C/63-7447でした。
所属は80TFS/347TFW(GR).横田のF-4Cをカラーで撮ったのは此の1枚だけでしたが
今見て、もっとカラーで撮って置くべきだったと後悔しきりです。

M.WADA 2020/02/28(Fri) 11:48 No.1335
Re: 厚木で見た外来機 #6
Hamanoさんから送られてきましたOV−1Bです。1968年1月2日撮影。
RW19から着陸。2時間ほどのステイで離陸しました。

あかつか 2020/02/28(Fri) 23:39 No.1336
Re: 厚木で見た外来機 #6
オープンハウス時を除くと、1度だけモホークの着陸に遭遇したことがあります。
1964年3月10日、RW19で一人ぽつねんと外来機を待っていると、見慣れないヒコーキが降りてくるではありませんか。
立川にはときどき飛来していたのは知ってましたが、まさかモホークが厚木に飛来するとは思ってなかったので嬉しかったですね。
写真的にはチョイブレ、ピンアマですが、標準レンズならではの角度でワリと気に入っている写真です。

あかつか 2020/02/28(Fri) 23:55 No.1337
Re: 厚木で見た外来機 #6
1枚だけ撮っていたベトナム迷彩のC−130。
たぶん、初めてみた迷彩130だったのでカラーで撮ったのでしょうね。所属もSNも分からない平凡な写真ですが、
用廃機置き場にUB−26とUH−25が写っているので、少々ポイント稼ぎましたかね(笑)

あかつか 2020/02/29(Sat) 00:05 No.1338
Re: 厚木で見た外来機 #6
皆さん、こんにちは。

>赤塚さん/Hamanoさん
Hamanoさんは68年の正月は2日から厚木に来ていたんですね。然もOV-1Bをキャッチ!
自分は3日が初撮りでしたが、正月早々、大物を取り逃がしていたとは!参りましたぁ〜。

赤塚さんも64年にモホークのL/Dを撮影体験されていましたか。
好天、19の午後、標準レンズでOV-1を一人だけ撮影と、今では考えられない撮影環境に
隔世の感ありですね。

自分はモホークの離着陸ショットは経験できず、「お墓」の転がりが撮れただけでした。

CAMP ZAMAにモホークが降りる度に吉村さんの車に同乗させてもらい挑戦し続けましたが
あと一歩のところでMPや県警に邪魔をされ悔し涙に暮れました。

No-1338,霞む富士山をバックにススキが北風に揺れる厚木R/W-01に着陸する迷彩ハーク。
下に写るインベーダーとパイアセッキが懐かしい。カラーで撮影、流石です!


1974年3月22日(金曜日)厚木R/W-19へL/Dするフィリピン、クラーク基地から飛来したC-130E/63-7859.
此の日撮れた機体はRZ-617,SF-5,NAS CUBI POINT のUS-2A/144704,WT-4.

M.WADA 2020/02/29(Sat) 11:42 No.1339
Re: 厚木で見た外来機 #6
1975年2月19日(水曜日)厚木R/W-01へ着陸する嘉手納、345TASのC-130E/63-7811.
着陸寸前北西からの突風に煽られ右へ傾いた瞬間を用水路の連結部上から撮影したショットです。

此の日の外来機はSG-50,ZE-10,YD-1,RC-7,PR-40,RG-1/407,RZ-609.マニアは11人が集合。

M.WADA 2020/02/29(Sat) 11:45 No.1340
Re: 厚木で見た外来機 #6
1976年7月7日(水曜日)厚木R/W-19離陸に向け「お墓」前をタキシーするMACのC-130E/63-7895.
63-7895は15時20分L/D、16時丁度、岩国に向けT/Oしています。

此の日の外来機はEA-6/12,TF-20,WA-01/05,RZ-609,MACのC-130Ex2機。マニアは一人。

M.WADA 2020/02/29(Sat) 11:47 No.1341
あゝあの年の9月は - 4

1969年8月26日にVMFA-334と9月7日にVMFA-232のF-4Jが南ベトナムのチュライ(MAG-13)から岩国(MAG-15)へ2部隊が移動してきた。
F-4Jは前年9月に来日したVF-33以来の1年ぶりで、また海兵隊としては初めてでした。
そこで飛び始めていると言ううわさを聞き初めての岩国行きとなった。
噂には聞いていた離陸のヒネリはほとんど頭上通過で、こちらも首を思いっきりヒネッての撮影でほとんどがブレてしまいました。

>M.WADAさん
VF-24の新塗装のF-8Jのニッピ入りでマーキングを消しての帰艦は残念でした。 RwyにEKA-3Bと並んだ姿が思い出されます。

MACH3 2020/09/14(Mon) 06:27 No.1956 [返信]
Re: あゝあの年の9月は - 4
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん
岩国で撮ったWU-2の離陸ショットは厚木では殆んど撮影出来ないアングルですからブレるのは仕方のない事。

MACH3さんの文面から想像するに、かなり異常な姿勢での撮影を強いられたようですので
場数を多く踏んだ”慣れ”が必要な場所だと感じました。

あの当時、NPのF-8JやRF-8Gはそこそこ厚木に飛来しては居たのですが
肝心の「足」がチャリンコしかなく離陸を撮りたくても行けず仕舞いで悔しい思いをしていました。


本日の「日付ネタ」は1970年9月14日(月曜日)午後、厚木R/W-01へL/DするVRC-50のC-1A/146022,RG-310.

此の日の外来機はH&MS-36のCH-46A/151952とCH-46D/153981,PD-9,NASU IWAKUNIのUC-45J/67126.

そして厚木からミッション後に帰投したPR-24のノーズギアの扉に"RAY's TOWING SERVICE"の記載あり。

又、当日、HC-7ハンガー前にHC-7の隊員約60人が整列し何らかの式典を開いているのが確認され,
式典は約5分間の短いスピーチの後解散となり、数名がノーマークのUS-2A 2機に分乗しT/Oして行きました。

146022は皆さんご存知のように永らくNAS/NAF ATSUGIのC-1Aとしてお馴染みの機体でしたが
VRC-50(RG)時代の映像は珍しいと思います。

146022の来歴を大まかにご紹介しますとCVA-43(1966)→CVA-31(1969)→VRC-50(1970)〜
〜NAS/NAF ATSUGI(1971〜1978)→VRC-50(1980)と変遷していて
1980年5月24日、RG-022でL/D後、翌25日に三沢に向け飛び立ち、日にちは特定できませんでしたが
再び厚木に戻って来てハンガー・インしました。

翌6月16日、格納庫内でノーマーク機となった146022を見たのが自分が146022を確認した最後となりました。
つまり146022の離日が一体いつだったのかが分からないのです。

然しデータ上では1983年10月25日にMASDC入りしているので無事本国に辿り着いて居たのですね。

M.WADA 2020/09/14(Mon) 09:27 No.1957
Re: あゝあの年の9月は - 4
「日付ネタ」が一枚というのも寂しいのでアメリカ人マニアRONALD W.HARRISONさんのショットをご紹介致します。
1974年9月14日、ペンシルベニア州NAS WILLOW GROVEの公開で撮影したVF-211のF-8J/150905,NP-110です。

原版は6x6版ブロニーでパイロットネーム LT STEVE GUNNが綺麗に読めるほど精緻な画像でした。
因みに150905は2001年7月4日にMASDC入りしています。

M.WADA 2020/09/14(Mon) 09:31 No.1958
Re: あゝあの年の9月は - 4
今日の「日付ネタ遅れ分」は1974年8月10日(土曜日)13時25分、厚木R/W-01へL/DするWT-7.

此の日,RZ-592,RG-300/404をマニア8人と撮影。WT-7以外に目ぼしいものは有りませんでしたが
お隣の横田にはUKのF-4Dx2機がL/D,CFのA-4Ex3機がL/D,内2機がT/Oと厚木より賑やかでした。

因みにWT-7/153818は後にF-4Sに改造後VMFA-333”SHAMROCKS"所属時の1980年1月2日に
僚機153853と空中衝突を起こし2機とも南カリフォルニア沖の海上に墜落、機体は失われています。

M.WADA 2020/09/14(Mon) 09:32 No.1959
Re: あゝあの年の9月は - 4
皆さん、こんにちは。
「日付ネタ」を初めて分かったことは、日にちによって投稿可能な写真数のバラツキがあり
昨日は少なく、今日は投稿準備が間に合わない程多くのショットが出て来た事でした。

その原因は、今日9月15日の「日付ネタ」の中に1977年9月15日に開催された三沢基地航空祭があったことです。
その為、此の時の展示機のご紹介は「日付ネタ遅れ分」の中で順次お届けして行こうと思って居ります。

本日ご紹介するのはMACH3さんがNo-1902でアップされたVF-33のF-4J/AE-205のコメントの中で述べられていた
CVW-6機のFly-in時の各機のご紹介です。

最初は2機降りたVA-82"MARAUDERS"のA-7A/AE-304,306の内の1機 AE-306の映像です。

又、VF-33は此のFly-in時点で10人のパイロットで12機のF-4Jを稼働。
VA-82 も同じく10人のパイロットで12機のA-7Aを稼働させていました。

因みに153208は1977年5月26日、MASDC入りした後、PORTUGUESE AF(FAP-15536)で運用され
AZEITAO でコックピットのみが保存展示されています。

M.WADA 2020/09/15(Tue) 13:26 No.1960
Re: あゝあの年の9月は - 4
次は2機降りたVAW-122"HUMMER GATORS"のE-2A/AE-723,724の内の1機 AE-724.
此方のVAW-122は総勢10人の部隊員で4機のE-2Aを稼働させていました。

M.WADA 2020/09/15(Tue) 13:28 No.1961
Re: あゝあの年の9月は - 4
CVW-6機Fly-inと同じ日にフライトしたのがVF-51”SCREAMING EAGLES"のF-8H/148661,NF-103でした。

この機体は同年6月26日,ベトナム上空で北ベトナム軍のMig-21機と空中戦の末AIM-9でMigを撃墜した機体で
操縦していたパイロットはCDR "MOOSE" MYERSでした。

これを記念して、機体ノーズに赤いMig-21のマークと星が描かれていました。
又、VF-51は8月1日にもLCDR NORMAN K.McCOYが操縦するF-8Hが同じくAIM-9でMig-21を撃墜しています。

このNF-103"MIG KILLER"を撮影した時点でVF-51が保有していたF-8Hは7機で
これを20人の隊員で稼働させていました。

VF-51は1968年1月27日、CVA-31 USS BON HOMME RICHARDと共に本国を出発しベトナム戦に参加、
1968年9月29日に戦線を離脱し、10月10日、NAS MIRAMARに帰還しています。

因みに148661は其の後PHLIPPINE AFに移籍となり、2012年にはCLARK FIELDで保存中です。

M.WADA 2020/09/15(Tue) 13:30 No.1962
Re: あゝあの年の9月は - 4
「日付ネタ」は最初にご紹介致しましたように三沢でのショットです。
F-4NからF-4Jに機種転換後間もない時期のVF-161"CHARGERS"のNF-113/155835.

此の日のショットは多くのマニアの方が色々なサイトで紹介済みですが、ご勘弁下さい。

NF-113は公開日前夜の19時15分にNF-114と共に厚木から三沢に飛来していました。
因みに155835は1985年3月29日、MASDC入りしています。

M.WADA 2020/09/15(Tue) 13:32 No.1963
Re: あゝあの年の9月は - 4
皆さん、こんにちは。
本日の「日付ネタ」は1975年9月16日,ニッピ山より撮影したH&MS-36,SUBUNIT-2のCH-46D/153377,WX-1.

此の時は珍しくR/Wを使ってL/D。然もオーバーランエリアへ土埃を立てながらタッチダウンする豪快さ!

R/W-19,相鉄線上迄はフライパスのような高度でしたが、そこから一気に高度を下げ
ヘッドアップしながら急角度のホバリング状態でのL/Dは差し詰めショーでの演技宛らでした。

153377はCH-46Eに改造され運用後の2009年6月22日にAMARC入りし、同年7月28日、用廃となっています。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 11:58 No.1964
Re: あゝあの年の9月は - 4
三沢基地公開の翌日、1977年9月16日(金曜日)14時55分、日飛からテストフライトに離陸した"NIPPI-01".

厚木R/W-01へ戻って来た”NIPPI-01"はローアプローチx3回、T/Gx3回を行った後、15時51分に着陸。

DW-10は此の時C/Sを"THUNDERBOLT-01"に変え17時30分、日飛を出て岩国に帰って行きました。

153773はAMARC入りの後、F-4J(UK)仕様に改装されRAFに引き渡されZE-351のレジで運用後、
1991年2月11日、登録抹消されています。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 12:00 No.1965
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑から一年後の1978年9月16日(金曜日)は嘉手納に行っていました。

岩国からNAF KADENAに訓練に来ていたVMFA-122”CRUSADERS"のF-4J達は連日爆弾投下訓練を行っており、
翼下に取り付けられたTriple Ejector Rack(TER)-9Aには訓練用模擬弾、BDU-33 Practice bombsが
吊り下げられ厚木では見られないシーンを撮ることが出来ました。

因みにBDU-33は仲間内では“ナスビ”又は”青ナスビ”と呼ばれ制式名称で呼ぶことは有りませんでした。

今回ご紹介したショットはDC-11と12がR/W-23Rエンドで”ナスビ”のピン抜き作業を受ける為
待機しているシーンですが、ホールド・ポジションが太陽に正対することが多く半逆光線になるのが難点でした。

2機のDC, ”NICKEL-12 Flight"は12時52分、嘉手納R/W-23Rを離陸。
爆弾投下訓練終了後の13時39分、再びR/W-23Rへ戻って来ました。

又、DC-12のセンタータンクには"EXECUTIVE COMMANDER VMFA-251 DW-02との書き込みが有りました。

因みにDC-12/11,154781/153857 は其の後共にF-4Sに改造され運用後、154781は1998年10月6日、
153857は1988年4月28日にいずれもAMARC入りしています。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 12:02 No.1966
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑と同じ日にMCALF HAMBYで撮影したHML-367"SCARFACE"のUH-1N/159201、#−551.
この機体1機だけが尾部ローター下に金色で描かれた「ハブ」?のようなマークがありました。

元来HAMBYはUS ARMYが所管する施設ですが、此の時はUSMCが運用していました。

MCAS FUTENMAの目の前、国道58号線、北谷に位置し58号の歩道から標準レンズで撮ったのが今回のショットで、
後方に写る海は「東シナ海」です。

如何に近い場所にヘリが置かれていたかがお分かりと思いますが、
残念ながら現在は日本へ返還されショッピングセンターへと変容し
基地の存在を示すものは何もなく、唯一郵便局に”ハンビー”の文字が残されているだけです。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 12:04 No.1967
Re: あゝあの年の9月は - 4
今日の「日付ネタ投稿遅れ分」も1977年9月15日に三沢で公開されたCVW-5機です。
VA-56"CHAMPIONS"のA-7E/160539,NF-410.パイロット・ネームはLT JIM APPELGATE.

NF-410はNF-405と公開前夜に厚木をT/Oし19時20分、三沢にL/Dしていました。
因みに160539は1990年4月24日、AMARC入りの後、ROYAL THAI NAVYへ移籍されています。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 12:06 No.1968
Re: あゝあの年の9月は - 4
NF-410と同様に三沢で公開されたVA-115"ARABS"のA-6E/152610,NF-500,CAG 機.
パイロットネームはLT PALSGROVE.

VA-115もこの年A-6AからA-6Eへ機種改変し、WestPacクルーズ終了(9月2日)後に展示されたものでした。
因みに152610は漁礁として海に沈められ機歴を閉じています。

M.WADA 2020/09/16(Wed) 12:08 No.1969
Re: あゝあの年の9月は - 4
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1976年9月17日(木曜日)午後、
厚木R/W-01へショートカットで着陸進入して来た3空のP-2J/4763.

此の日、9時30分より18時にかけて37機のCVW-5機がフライ・イン。
外来機RG-381,RZ-604,ZEのオライオン、TF-17/20,US ARMY のU-21A/67-18061等をマニア6人と撮影。

但し夕方L/DしたCVN-65 USS ENTERPRISE搭載、VS-29"DRAGONFIRES"所属の2機のS-3A/NK-703,704は
撮り逃がしてしまい、翌17日、8時30分の上りも寝坊してあと一歩で撮り逃がす失敗を犯しガッカリ。
2機のS-3の向かった先はフィリピンのNAS CUBI POINTでした。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:20 No.1970
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑から一年後の1977年9月17日(土曜日)気温26℃、視程30km、風向350°風力16knotの中、
横須賀から西側ヘリパッドへ着陸するHSL-33"SEA SNAKES"DET-10のSH-2F/150164,TF-17.

CVW-5機は6機がフライトを実施。
此の日の外来機RG-324/353/425/793,PR-007,ZE-3,RD-11,NG-701をマニア7人と撮影。

NG-701はCV-64 USS CONSTELLATION搭載、VS-21”FIGHTING REDTAILS"のS-3A/160158で
12時3分、R/W-01を板付に向け離陸して行きました。

因みに150164のオリジナルタイプはUH-2Bで、その時の所属は地元厚木のHC-7でVH-21号機でした。

其の後HH-2Cに改造され運用された150164は、1965年10月22日〜1966年3月29日迄サウスカロライナ州の
MCAS BEAUFORTでUSMC機としてSAR・ベースフライト機として使用された後海軍に戻されました。

1983年11月21日、150164は再起不能な事故を起こし、現在、フロリダ州FERGUSON AIR PORTで
コックピットのみ保存展示されています。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:22 No.1971
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑から一年後の1978年9月17日、アメリカのマニア、G.R.MARKGRAFさんがNAS NORTH ISLANDで撮影した
VF-301"DEVILS DISCIPLES"のF-4N/152278、ND-100, CAG機。パイロットネームはCDR RILEY D.MIXSON.
RIOはLCDR BARRIE COOPER.

後にRADMまで登り詰めたCDR RILEY D.MIXSONは数多くの勲章を受章したヒーローで
1973年〜1975年はA-7Bの飛行隊、VA-215”BARN OWLS"のXO/COを務め
1977年5月〜1978年12月までNAS ALAMEDAをホームベースとするCVWR-30(ND)のCAG.
1985年7月〜1987年4月まで横須賀を母港とするCV-41 USS MIDWAYの艦長を務めていました。

因みにF-4N/152278 は1983年12月15日、MASDC入りしています。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:24 No.1972
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑と同じ日、自分は嘉手納でDCのファントムを撮影していました。

いつも行っていた半逆光のポジションではなく目の前で"ナスビ"のピン抜きをした"NICKEL-01 Flight".
2機とも、彼らを撮影していた自分らに気付き”お手振り”のサービスで答えてくれました。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:27 No.1973
Re: あゝあの年の9月は - 4
此処からは「日付ネタ遅れ分」です。↑の前日9月16日、嘉手納での撮影。

午前中に行ったEvent-1と2の爆装訓練の後、午後の部Event-3で向かった先は自分の地元NAF ATSUGI。
”NURSE-101 Flight"は15時29分、嘉手納R/W-23Rを離陸して行きました。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:29 No.1974
Re: あゝあの年の9月は - 4
1977年9月15日、三沢基地公開時のA-4Mのショット。
キャノピー下の名前はパイロットではなく機付整備長(Plane Captain/PC) LCPL ALLEN THOMPSON.

因みにWE-6は三沢公開日の前夜、17時45分、”DIGMAN-21"のC/SでL/Dしていました。

M.WADA 2020/09/17(Thu) 09:31 No.1975
Re: あゝあの年の9月は - 4
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1968年9月18日(水曜日)午後、
厚木R/W-01へ降りてきたNARTU WILLOW GROVEのC-118B/131601,7W-601.

「NARTU」とはNaval Air Reserve Training Unitの略で米海軍予備役航空隊を指します。
こんな中途半端な撮り方を見ていたハッチさんに”そんな手を抜いた撮り方をするな”と注意を受けました。

当時、数字とアルファベットを組み合わせた変な輸送機という認識しかなかった自分に対しハッチさんは
予備役飛行隊機が日本で撮れる意義を丁寧に解説してくれました。

「7W」はNARTU WILLOW GROV所属機を示す記号であること,ウイローグローブはアメリカ北東部に位置する
ペンシルベニア州内の海軍基地であり、日本から最も遠く離れた所から厚木に飛来して来たと教えてくれました。

C-118Bの外見上から受ける印象は一言でいうと「地味」ですから、事前の知識が無いと見過ごす部類の機体です。

ハッチさんの助言を得、以後、心して撮るようにしましたが、実は、時既に遅しで
間もなくしてリザーブ機の厚木飛来は途絶えてしまい、次に姿を現したリザーブ機のT/Cから数字は姿を消し
RT,RV等他の部隊と同じようなT/Cに変更され「数字+アルファベット」の独自のT/Cの表記は廃止されていました。

因みに131601は、最初C-118A/51-17650としてUSAFに貸与され運用後US NAVYに戻されリザーブ等での使用を経て
MASDC入りとなりましたが、その後N-651CEのレジを取得して復活、アラスカのEVERTS AIR FUEL INCで使用されました。

M.WADA 2020/09/18(Fri) 11:21 No.1976
Re: あゝあの年の9月は - 4
↑から2年後の1970年9月18日(金曜日)午後、厚木R/W-01へ着陸する1空のP2V-7/4620.

此の日、日中は特にフライトは無く,夜に入ってPR-00,RG-100,元VF-111/AJ-105のF-8H/147054がフライト。

M.WADA 2020/09/18(Fri) 11:24 No.1977
Re: あゝあの年の9月は - 4
同じ9月18日撮影ですが↑から8年が経った1978年に嘉手納で撮影したVMA-311"TOM CATS"のA-4M/158166,WL-461/12.
機首のMdxは「461」ですが垂直尾翼上端には本来?のMdx「12」が書き込まれています。

何故このように2種類のMdxを使い分けるのか意味が良く分かりませんが
何れにしても「Mdx−xx+449=4xx」の計算式を用いて運用していた事だけは確かです。

何方か上記の方法を何故選択し、運用したのかの答えを御存知でしたら是非ご教授下さい。

M.WADA 2020/09/18(Fri) 11:26 No.1978
Re: あゝあの年の9月は - 4
「日付ネタ遅れ分」、本日は1974年8月8日(木曜日)正午、厚木R/W-01を離陸し岩国へ向かうWT-2.

WT-2は前日の7日、15時にR/W-19へL/Dしオーバーナイト後の離陸でした。
此の日、他に撮れた航空機はRD-3,PR-00,SZ-801,CF-6,NASU IWAKUNIのUS-2A/136510.

マニアは6人で、其うちGENちゃん+2名は連日のように飛来していたWTに鑑み
マリーン機を求めてCAMP FUJIへ出かけて行きましたが成果は不明です。

因みに離陸したWT-2のパイロット名はミッションC/Sが書き込まれており
前席がSTINGER",RIO席が"JACKAL"でした。

又、155818はF-4Sに改造され運用後、1986年10月30日にAMARC入りしています。

M.WADA 2020/09/18(Fri) 11:28 No.1979
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