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RA-5C Vigilante #2

おはようございます。
今日も暑いですね、今年は冷夏って春頃にある気象予報士が言っていましたが大外れですね。

>ダブルタンゴさん
RVAH-1(AG)のビジランはNAVY/BuNo.等グレイで描かれていたんですかね?
理由は不明ですが、1964年の初来日のRVAH-5もNAVYの文字が目立たない色で描かれていました。

>K.TANABEさん
1970年10月のCVW-9機は本当についていませんでした。
まさか厚木を一般公開するなんて誰も思っていませんでしたから。
このRVAH-12は1967年の三軍記念日の展示機が最後でした。

>K.Akatsukaさん
1964年の初来日のRVAH-5機は、中学校に行く時に我家上空をローパスしたのが初目撃でした。
真下から見た真っ白で大きいビジランは、あのJ79のエンジン音と共に忘れません。
その後、入間の展示機が航空情報の表紙を飾り購入し、公開されたのを知りました。
中学生の時は時々近くの厚木の19側へ行くのが楽しみでした。

>村越賢司さん
航空情報に同じような写真が載っていて、その美しい姿にほれぼれしました。
RA-5Cが展示される情報が無かったんですね、降りてきた時の雰囲気が伝わりますね。

>徳永さん
入間にはいかなかったんですね。
私も厚木の南側から入間で行われたインパルスの演技を見たことがあります。
スモッグなどと言われ始めたのが何年頃だったのか覚えていませんが1968年10月でした。

1968年プエブロ号事件で厚木に飛来したRVAH-1機。
昔スキャンした汚い写真です。
ネガ戻ったら再度スキャンし直したいと思います。

MACH3 2019/08/18(Sun) 06:09 No.476 [返信]
Re: RA-5C Vigilante #2
インデペンデンスが出港して2ケ月と17日後、キティホークが入港。このときのCVW-11機は厚木初飛来がワンサカ。RVAH−13のビジランティは勿論のこと、VA−85ブラック・ファルコンズのA−6A、VF−213ブラック・ライオンズのF−4G、そしてE−2Aが初来日と、60年代の「初モノづくし」フライ・インとしてはベストワンと言えるでしょう。
ただ、RVAH−13の塗装は地味すぎて、感動は薄かったですね。写真は1965年12月27日初飛来時のものです。

K,Akatsuka 2019/08/19(Mon) 18:13 No.477
Re: RA-5C Vigilante #2
同日降りたNH601。個人的な好みで恐縮ですが、この「バンブー文字」というのが気に入りません。後年VF−21のF−14でも見られましたが、太字でも細字てもNAVYのペイントマニュアルで書いたほうが機体とのバランスがとれるような気がしますが、どうでしょう。

K,Akatsuka 2019/08/19(Mon) 18:20 No.478
Re: RA-5C Vigilante #2
ご存知のように60年代中期までは目視情報だけの世界でしたので、情報のヤリトリは、マニア同志の口頭のみ。
このときのキティホークの入港に関してもそうでした。C−1やA−3が飛んで来たりと入港の気配が漂う中、12月24(金)日没間際にRW01から降りるブラック・ファルコンズのA−6Aを大和トンネルの上から目撃(このときだけ風が変わり悔しかった)。
帰りがけにMigさんに電話。暮れも押し詰まっていたせいかも知れませんが3日後の入港には私とMigさん、Sabuさん、そして偶然だったという横田の重鎮T.Maさんの4人しか居なかったように記憶してます。

↓は、正月明けの1966年1月6日のフライト時でのNH−601です。正月中に情報が行き渡ったせいか横田からのマニアを含め15〜6人ぐらいは来ていたでしょうか。

K,Akatsuka 2019/08/19(Mon) 18:48 No.479
Re: RA-5C Vigilante #2
MACH3さん 皆さん こんにちは

>MACH3さん
AGビジランのT/C、Mdx、NAVY等は私のネガカラーでは薄い水色に見えるのですがいかがでしょう? RVAH-5も同色みたいですね

>K.TANABEさん
1970年10月10日は今もっても「不思議な日」でしたね A-6,A-7の上りは撮っていましたがビジランMdx601が上がったのは知りませんでした 移動中に撮り逃したのかな?

>K.Akatsukaさん
順番は歴史順ですね。私はSqn No順でいきます
AG604のBu.No.はお分かりになりますでしょうか? 私の汚いネガカラーでは全く読めません
それとRVAH-5 NG105と106はお分かりになりますか?

63,64年の横田三軍の次に行った航空ショーが1964年11月3日の入間航空祭でした
中三の私は父に車で連れて行ってもらい入間川河川敷が駐車場になっていたような記憶です 夢中で撮ったビジランでしたが当時どれほどの価値があるのか何もわかっていませんでした(笑)

ダブルタンゴ 2019/08/19(Mon) 20:11 No.480
Re: RA-5C Vigilante #2
入間ビジラン その二

ダブルタンゴ 2019/08/19(Mon) 20:14 No.481
Re: RA-5C Vigilante #2
入間ビジラン その三

ダブルタンゴ 2019/08/19(Mon) 20:15 No.482
Re: RA-5C Vigilante #2
入間ビジラン その四

ダブルタンゴ 2019/08/19(Mon) 20:16 No.483
Re: RA-5C Vigilante #2
入間ビジラン ラスト
ネガカラーです

追記
この機体はこの約ひと月後、1964年12月9 日、機器の不良によりトンキン湾に墜落、乗員2名が亡くなられました。

ダブルタンゴ 2019/08/19(Mon) 20:18 No.484
Re: RA-5C Vigilante #2
>ダブルタンゴさん
初入間、「夢中で撮ったビジランでしたが当時どれほどの価値があるのか何もわかっていませんでした(笑)」とのことですが、それでも
写真はしっかりと撮ってらっしゃる。No482なんか中三の少年が撮るようなカットじゃありませんよね。さすがタンゴさんです。

AG604は左面がないので分かりません。↓はシャッタームラのお見苦しい写真ですが、ここでもBu.Noは確認できませんね。
1964年は、まだ105oだけでしたので真横のショットがなく、NG105.NG106のBu.Noはいずれも尾翼に隠れて判別不能です。

K.Akatsuka 2019/08/20(Tue) 10:26 No.485
Re: RA-5C Vigilante #2
一つ疑問が
このビジランのステップラダー、C-1かUS-2で運んできたのですかね?
それともこの機体のどこからか? (^^

>K.Akatsukaさん
Bu.No.の件、ありがとうございます
RVAH-5,NG105はGETA-Oさんのホームページで149313と分かりました
あとNG102はNo.458の画像、及び近くのBu.Noから推測して149309ではないかと
NG106は最後の7から07、もしくは17ですがこれも近い番号で149307と勝手に推測しました(笑)
AG604は永遠の謎? (^^;;

>皆さん
今回自分の撮ったビジランと、過去H.P.やブログ等に出てきた日本での機体の数、及びBu.No.をざっくり調べています
出来ればこのあと出される画像のBu.No.等、データを書き込んでいただければありがたく思います よろしくお願い致します。M(_ _)m
現時点私が17機、それ以外は14機、計31機を確認しています

ダブルタンゴ 2019/08/20(Tue) 13:39 No.486
Re: RA-5C Vigilante #2
>ダブルタンゴさん
昔から「ナンバー」へのコダワリが薄くてすいません。原版写真を拡大して判読できたものは記入するようにします。

↓は、1966年2月28日、“カド”を周るRVAH−9/AC904のビジランティですが、写真からはBu.Noが確認できません。
ビジランはスポッター泣かせですね。(^^;

K.Akatsuka 2019/08/20(Tue) 18:14 No.487
Re: RA-5C Vigilante #2
>ダブルタンゴさん
確かにこのラダーはビジラン着陸前に運ばれていたようです
何が運んだのか解りませんが、陸送?
入間シリーズに追加しますがタキシングを終えてラダーがかけられ、パイロットさんが降りる場面です

村越賢司 2019/08/20(Tue) 20:24 No.488
Re: RA-5C Vigilante #2
まさか[AC]レターの海軍機が見られるとは思いませんでした。しかもビジランティで・・・。
この尾翼のグリーンが殊の外綺麗で、部隊マークのオレンジとの組み合わせもいいですね。
来日したビジランティの中では最も気に入ってます。

↓は1966年3月30日、01の「カド」を周るRVAH−9ですが、画面の広がりから見ると105oで撮ってたようです。

K.Akatsuka 2019/08/21(Wed) 19:33 No.489
Re: RA-5C Vigilante #2
同日撮影のAC903。どうやら風が変わったようで大和側で撮っています。↑も↓もサクラカラーASA50にて撮影。

K.Akatsuka 2019/08/21(Wed) 19:48 No.490
Re: RA-5C Vigilante #2
1965年5月15日、厚木三軍記念日で展示されたRVAH−9のビジランティ。
公開準備が整っていなかったのか、主翼と尾翼を折り曲げたままです。天気も悪く観客少なし。
私を含めて、朝一組は展示機を撮ってすぐレンジャーを見に横須賀へ向かったので、午後の様子は分かりませんが、
どなたかの写真を見ると主翼も尾翼も普段の状態へと戻していました。

K.Akatsuka 2019/08/22(Thu) 11:50 No.491
Re: RA-5C Vigilante #2
昨晩、写友のSabuさんから送っていただいたRVAH-1です。AG603と読めますが、他日付、データ共不明です。

K.Akatsuka 2019/08/22(Thu) 12:11 No.492
Re: RA-5C Vigilante #2
MigコレクションのRVAH-1ビジランティです。↑のSabuさんとは別日のようです。 1965.10

K.Akatsuka 2019/08/22(Thu) 22:55 No.493
Re:Vigilante #2
1968年11月、CVW2/NEで再来日したRVAH−9の“ビジラン”。このような写真が大好きな人を何人か知っています。Migコレクションより。

K.Akatsuka 2019/08/23(Fri) 11:35 No.494
Re: RA-5C Vigilante #2
Sabuさんから追加の『AC』のビジランティ。
Subuさんは当時エクタクローム100を使っていたと記憶してますが、小生の489と490のサクラカラーと比べると色の褪せようが違いますね。

K.Akatsuka 2019/08/23(Fri) 14:33 No.495
ReVigilante #2
離陸もしっかり撮っています。

K.Akatsuka 2019/08/23(Fri) 14:35 No.496
Re: RA-5C Vigilante #2
Migコレクションより。1970.10.10

K.Akatsuka 2019/08/24(Sat) 16:49 No.497
Re: RA-5C Vigilante #2
同日、基地内に入ってのRVAH-12。Migさんよく撮っておりますね。

K.Akatsuka 2019/08/24(Sat) 16:53 No.498
RA-5C Vigilante #1

本日からRA-5Cのスタートとなります。
私は遭遇する事も少なかったのですが、あのJ79エンジン音と大きくて美しい機体は大好きでした。

私の最初のRA-5Cは、1968年のプエブロ号事件で日本海に派遣されたUSS RANGERから飛来したRA-5Cです。

MACH3 2019/08/11(Sun) 05:33 No.449 [返信]
Re: RA-5C Vigilante #1
MACH3さん 皆さん こんにちは
きょうからビジランですね 前の部隊番号スレに出した記憶がありますが、仕切り直しでいきます
ではこれも一番からでRVAH-1 “Smokin Tigers”を
厚木エンド4回目、10月1日 都民の日で都立高校は休み(この頃はまだ自主休校はしていませんでした)
この時もまだ大和側しか知らず、風向きに関係なく北側にへばりついていました

ダブルタンゴ 2019/08/11(Sun) 10:46 No.450
Re: RA-5C Vigilante #1
↑の追いカット

ダブルタンゴ 2019/08/11(Sun) 10:47 No.451
Re: RA-5C Vigilante #1
同日 Mdx606

ダブルタンゴ 2019/08/11(Sun) 10:51 No.452
Re: RA-5C Vigilante #1
何度かT/Gをしていたような?

ダブルタンゴ 2019/08/11(Sun) 10:52 No.453
Re: RA-5C Vigilante #1
皆様、こんにちは。

いつも皆様の作品を拝見し楽しませて頂いて居ります。

本日より「RA-5C Vigilante」が始まりましたので、
私の少ないRA-5Cのネガからデジ化したものを少しアップ致します。

1970年10月10日の土曜日に南側の午前中、フェンスにかじりついて撮影したRVAH-12”Speartips"のRA-5Cです。

この日は前日に横須賀を出港した空母アメリカに向け厚木を飛び立つ”出港”(最近はフライ・オフと呼称)で、
A-7Eは目の前の誘導路を転がり離陸してくれたのですが、それ以外の機体(A-3/5/6、F-4J等)は
ランウェイバックかインターセクションで上がってしまい肩透かしを食ってしまいました。

K.TANABE 2019/08/11(Sun) 12:01 No.454
Re: RA-5C Vigilante #1
前項の続きで、離陸滑走中のRA-5Cです。
ビィジランの送りショットは、低い着陸と、このような離陸時での水平尾翼とフラップがフルポジションの時は
なかなか格好の良いもので好きでした。

K.TANABE 2019/08/11(Sun) 12:03 No.455
Re: RA-5C Vigilante #1
10月10日の午後になってエプロンに一般人が多数入り込んでいるのが双眼鏡で確認でき一同騒然となりました。
どう見ても「一般公開」の様なので、両エンドに居たマニア全員が正門へ殺到する騒ぎになりました。

しかし、突然の出来事にカラーフィルムを用意していたマニアは極一部で、
これが後々、積年の後悔へと尾を引きずる結果となって行きました。

規制線のロープの所から捉えたNG-605番。BuNoは148925です。
ご覧のように当日は上天気の撮影日和でしたが、そこにMACH3さんの姿はありませんでした。

もし彼が当日居たなら、間違いなくカラーフィルムは持参していたでしょうから、
このバイセンカラーに美しく塗られたビィジランティーをシッカリ撮影していた筈です。

この観点からも彼が当日不在だったのは大きな損失だったと今更ながら感じています。

K.TANABE 2019/08/11(Sun) 12:05 No.456
Re:Vigilante #1
東京オリンピックを9日後に控えた1964年10月1日、初めて撮ったビジランティー。
ヒコーキ写真人生の中で“トキメキ度”5指に入る記念のショットです。この日を境にオールラウンダー?から活動は主にアツギとなりました。

K.Akatsuka 2019/08/11(Sun) 19:26 No.457
Re: RA-5C Vigilante #1
今なら毎日のようにアツギに通えますが、当時は連日行かれるほど費用もヒマもなく精々週1回がいいところ。
翌週10月12日は曇り、次の10月19日は快晴で写真日和。↓のNG102はそのときの撮影です。

K.Akatsuka 2019/08/12(Mon) 00:29 No.458
Re: RA-5C Vigilante #1
↓NG106も10月19日の撮影です。
世の中はオリンピックで大フィーバーしてましたが、ビジランティーの飛来に「世紀の祭典」を見るどころではありませんでした。

K.Akatsuka 2019/08/12(Mon) 00:41 No.459
Re: RA-5C Vigilante #1
ペンタックスのボディは1台しか持ってなかったので飛んでるときのカラーは撮れず、11月3日の入間航空祭で
フィルムを入れ替えながら撮ったのがRVAH−5の唯一のカラー写真です。
まだコダクロームには手が届かず、サクラのリバーサルASA50を使ってました。

K.Akatsuka 2019/08/12(Mon) 00:49 No.460
Re: RA-5C Vigilante #1
K.Akatsukaさんと同じ日の入間航空祭でのショット
1964年11月3日、公開中に前触れなく着陸してきた
RVAH−5のRA−5C(NG101/149306)でしたが、タキシーウエイから曲がる場面は空自のフォローミー車と空自隊員を入れて撮影しました

村越賢司 2019/08/13(Tue) 15:27 No.461
Re: RA-5C Vigilante #1
エプロンに進入するRA−5Cはこの日多くの人が目撃したはずですが その美しいラインに魅了された方は多かったと思います
1964年11月3日入間航空祭にて

村越賢司 2019/08/13(Tue) 15:44 No.463
Re: RA-5C Vigilante #1
>村越さん
“ビジラン”のタキシングで最も美しく見える角度ですね。ピントも仕上げもよくシビレます。何かの折に大判紙でお願いいたします。
村越さんのショットから数分後にH.Komiyaさんが撮影したカット。
ビジランティーの展示は、スムーズに運んでなかったようで、関係者が戸惑っている様子が画面から感じられます。

K.Akatsuka 2019/08/13(Tue) 16:09 No.464
Re: RA-5C Vigilante #1
「RA−5Cの厚木初飛来はいつだったのか?」。
当時の情報はすべて現地での目撃から始まる“超”アナログ世界でしたので、はっきりしたことは分かりませんが、Migさんが1964年9月26日(土)の午後に格納庫西側にCVW9の所属機が勢揃いしている中にビジランティーを見たのが初めてらしい。
フライ・インはその日の午前中だったという話もあります。フライ・イン時に目撃(撮影も)した人の話を聞きたかったのですが、どうやら当日厚木に居たマニアはゼロであった可能性が高いですね。従ってMigさんとSabさんが3日後の9月29日(火)に、二人して撮影したのが日本のマニアによる“初撮りビジラン”です。

フライ・インに遭遇した人が居なければ、フライ・オフを見た人の話も聞いたことがありません。のどかな時代だったのですね。70年代マニアとは大違いです。
MACH3さんの調べによりますとレンジャーの横須賀出港は11月13日となっています。私はその4日後の17日に厚木へ行っているのですが、NGのA−4C,A−1H、PP det.MのRF−8AにRANGERのC−1Aも飛んでいました。
8月にトンキン湾事件が起き、本来ならレンジャーは真っ先にベトナム沖に向かわなければならないのに、ひと月半も横須賀に逗留していました。そんなことを思い出しながら推測しますと、レンジャーの将兵たちはトンキン湾事件は何なのかがすでに分かっていたのでしょうね。
K.Akatsuka 2019/08/13(Tue) 16:13 No.465
RA-5C Vigilante #1
Akatsukaさんと村越さんの素晴らしい写真の後でお恥ずかしいですが、私のRA-5C初見は1964年11月3日の厚木桜ケ丘でした。この日は入間の航空祭でしたが何故厚木に居たかは思い出せません。その頃から人混みが嫌いだったのかもしれません。
午前中の例の角から午後側に移動中に降りてきたため逆光の汚い写真になってしまいました。
この頃は空が綺麗だったせいか、厚木からでも入間のブルーインパルスの演技を見ることが出来ました。こうしてみると”のらひこ”さんのB-58もありえた話ですね。

>Wadaさん、
素晴らしいVQ-1のA-3のコレクションですね。返事が遅れてしまいましたがVAP-61の迷彩のRA-3Bを撮った1969年8月5日ですが、何故かカラーも白黒もTMのTA-4FやCam Ranh BayのC-117を撮ってないようです。そのうちポコっと出てくるかもしれませんが...。

徳永 2019/08/13(Tue) 16:18 No.466
Re: RA-5C Vigilante #1
MACH3さん 皆さん こんにちは
ビジラン初来日、入間で ”Savage Sons” 盛り上がっていますね
私はこの次に入間編を載せたいと思います
ではRVAH-1、残りの一枚はCVW-9移動後のエンプラ時代です プエブロ号事件で、日本海に展開したエンプラから厚木に飛来した機体です

ダブルタンゴ 2019/08/13(Tue) 17:08 No.467
Re: RA-5C Vigilante #1
初来日のRA−5Cでしたが長期間アツギに逗留したので、週一の撮影ペースでもこんなカットも撮ってます。
当時アツギに行けば必ず撮れたということでしょうね。1964.10.12

K.Akatsuka 2019/08/14(Wed) 15:24 No.468
Re: RA-5C Vigilante #1
こんなカットその2。

K.Akatsuka 2019/08/14(Wed) 15:26 No.469
Re: RA-5C Vigilante #1
皆様、こんにちは。

今日は天皇が玉音放送で国民に終戦を告げた日「終戦記念日」です。
あれから74年が過ぎ当時を知る人々は僅かとなりました。

我、田邊一族からも海軍佐官を輩出して居り、
戦後、かなり経ってから本人に戦争の話を聞く機会が幾度もあったにも拘らず
戦争の機微に触れる話まで聞くことが出来ずに終わり勿体ない事をしたと反省しています。

しかし、我々の世代は図らずも、戦争体験者から直に幾許かの話を聞けたのは貴重な体験でしたが、
現世代の若者達は、そのチャンスすらありませんが今は昔無かったインターネットが有ります。

当BBSのホーム画面の右端に「History 厚木基地の歴史」というMACH3さんが編纂された
素晴らしいコーナーが有りますので、この機会に是非とも閲覧されることをお勧めいたします。

我々は、唯単にアメリカ海軍機が好きなだけで写真を撮っていた訳ではなく
平和な日本を追求しつつ、
その中で日米双方の航空機を愛し撮影していたことが理解して頂けたらと願っています。

写真は1970年9月30日、R/W-01へ着陸してきたRVAH-12のRA-5C,BuNo-149317、NG-601です。

K.TANABE 2019/08/15(Thu) 13:07 No.470
Re: RA-5C #1
ビジランティのフライパスの写真をご紹介しようとネガをみましたら“ビネガー”やられてアップ不能でしたので、
数年前に某誌に掲載されたときのものを貼らせていただきます。(プリントが出てきたら貼り直します)

“ビジラン”の魅力は何と言ってもフライパス。3機編隊のパスはこのときしか見たことがありませんが単機でも迫力があって、
これをエンドで一度味わってしまうと誰でもがビジランティの虜になってしまいます。
写友のN.I君は「4機編隊のフライパスを見たよ」と言ってましたが、証拠写真は半世紀経っても出てきません。
どんなに小さかろうと写真があればねえ。

K.Akatsuka 2019/08/15(Thu) 18:26 No.471
Re: RA-5C Vigilante #1
懐かしの海軍機のオンパレードですが、ビジランティだけは今見ても古さを全く感じさせません。1964.10.1

K.Akatsuka 2019/08/15(Thu) 18:57 No.472
Re: RA-5C Vigilante #1
1964年のレンジャー/CVW9のフライ・インに立ち会ったマニアは居ないのですが、翌年のインデペンデンス/CVW7のフライ・インの話も聞いたことがありません。入港後の厚木の状況もよく分からず、厚木マニア資料派の大きな“穴”となっています。
フライ・オフは65年10月10日で、その離陸を撮っていたマニアは3人だけだったと思います。

RVAH-1(AG)のビジランティは何機飛来したのでしょうか。現在写真で確認できているのはAG604,AG606の2機ですが
他にありましたらご紹介ください。

K,Akatsuka 2019/08/17(Sat) 17:17 No.473
Re: RA-5C Vigilante #1
1965年10月1日 厚木RW01

K,Akatsuka 2019/08/17(Sat) 17:31 No.474
Re: RA-5C Vigilante #1
同じくAG606です。個人的には少し仰ぎ見たほうがビジランティらしさが出ると思いますが、余り撮っていません。

K,Akatsuka 2019/08/17(Sat) 17:37 No.475
A3D, A-3 Skywarrior #19

垂直尾翼上部のレドームを撤去したEA-3Bが出現したのが1969年だと思います。
双眼鏡で進入機を確認していた時代には、EA-3Bと咄嗟に判断できなくなりました。
1969年6月撮影

MACH3 2019/08/08(Thu) 05:48 No.429 [返信]
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
その後、胴体下部のフェアリングがカヌー型になり、通称「ヒゲロク」を除きこれが一般的なEA-3Bのスタイルとなりました。

MACH3 2019/08/08(Thu) 05:53 No.430
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん
そうですね、垂直尾翼上部のECMレドームは付いていたほうが
如何にも”EA-3B”らしくて自分は好きでした。

60年代後期からハンディータイプのエアバンが登場し
眼鏡にプラスし事前確認ができるようになって撮影スタイルも変化していきましたね。

1971年2月16日(火曜日)当時、南の角にあったエンジンテスト場に牽引されて来たEA3B/144850・PR-4.
この日の外来機はWB-55/60,RG-102,SZのC-117/50833,SG-11,C-133B/54-0144/436MAW,F-4C/63-7447/80TFS,347TFW(GR).

そして、HC-7のHH-2Cがフライトし、撮影できたことが収穫でしたが、
サイドドアを開けT/Gを繰り返したのですが機内にはクルーを守る分厚く大きな装甲版が備えられ
クルー自身も全身機体と同じグレー一色のロービジスタイルで、いつものHC-7のクルーとは明らかに違っていました。

仲間内から、ひょっとしたら装甲版の後ろから”ミニガン”を引き出してくれるのではとの期待の声も上がっていましたが
そんなうまい話がある筈もなく、超低空L/D迄で終わっています

M.WADA 2019/08/08(Thu) 12:02 No.431
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
↑のお帰りショット。
このEA-3B/144850は1987年1月25日、インド洋をクルーズ中のCVN-68 USS NIMITZへの着艦時に
バリヤーによる不慮の事故でパイロット/乗員7人全員が死亡し、機体も失われてしまいました。
当時144850はVQ-2所属機としてCVW-8 (AJ)へDET派遣されT/Cは「JQ」、Mdxは#−12でした。

M.WADA 2019/08/08(Thu) 12:03 No.432
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1985年12月21日(土曜日)フィリピン、NAS CUBI POINTに向け離陸の為、厚木R/W-01エンドにタキシーするNG-004.
この004は↑のPR-4とは別の機体で146459でした。

当日はCV-63/CVW-9(NG)のWestPacクルーズ最終日で、このNG-004も任務を終えキュービーポイントへの帰投でした。

M.WADA 2019/08/08(Thu) 12:05 No.433
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
機体後部「NAVY」の上部にはUSS KITTY HAWK,下部にはDET-CHARLIEと書き込まれ、
機首後方にも細い筆記体で文字が書かれていましたが、こちらは判読不能でした。

何方か、離陸側で撮られていたら、書き込み内容をご教授下さい。

M.WADA 2019/08/08(Thu) 12:06 No.434
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
皆さん、こんにちは。

1975年10月21日(火曜日)9時13分、厚木R/W-01を離陸するPR-005/146457.

この機体はCV-63 USS KITTY HAWK搭載、CVW-11(NH)へDET派遣されていた機体で、
クルーズ途中での厚木飛来では、このように所属空母名やCVW名が消されずに撮影できましたが、
そんな好条件での飛来は稀なことでした。

事程左様にVQ-1,DET機の特別塗装を撮影するチャンスは少ない分、
飛来が分かると自分も含め、撮影へのボルテージは急上昇しました。

但し、マニア以外には空母名等が書かれているだけなのに何故?と訝るでしょうが、
この感覚は「CHECKERTAIL BBS」へ来られる方以外には理解できない事かもしれませんね。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:44 No.435
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
↑の続きショット。
このショットを撮るために日の出前からニッピ山に陣取って離陸を待ち続けました。
8時30分、パイロット到着。
8時45分、パイロット搭乗。
8時47分、エンジンスタート。
そして9時13分、離陸ショットを撮ることが出来ました。
約2時間後に厚木に戻ってきたPR-005はT/Gの後、11時10分L/Dしています。

この日はPR-005の他にPR-004もフライトを実施。外来機はUS ARMYのUH-1でしたが、
機体がオリーブドラブに塗られておりサイドドアが白色という、
USARJのUH-1Dとは全く異なり、その詳細は不明のままニッピ入りしています。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:46 No.436
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1975年4月28日(月曜日)11時30分、燃料満タンの超低空で
厚木R/W-19をELINT/SIGINTミッションに向け離陸するPR-06/142671.

此の離陸はR/W-19の離陸で経験した最も低いA-3の離陸となりました。
PR-06は何と5時間15分後の16時45分に厚木に戻ってくるというハードなフライト。

当日の外来機はRC-7,51空のP2V-7/4634,4空のP2V-7/4661. マニアは常連が3人。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:48 No.437
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1975年12月20日(土曜日)真冬の日の出直後の7時47分、アガナに向け厚木R/W-01を離陸するPR-06/142671.
この時使用したコールサインはNF-627で、L/D時と同じコールサインを使用していました。

このPR-06はDET特別塗装機として、文字通りスペシャルなもので普段はブラックバニーなのに垂直尾翼には
スターマークと同程度の大きさの地球に白うさぎがしがみつくという意表を突いた構図に驚きを覚えました。

加えて、現像が上がってくるまで気が付かなかった、機首下方に金色で描かれた”GOLDEN BAT"の筆記文字と
伝統の黒いバーニーが確認でき、更なる驚きとなりました。

特別塗装のPR-06が最初に確認されたのは12月18日のCVW-5機フライ・イン当日のL/Dでしたが
12月20日の離陸迄フライトはなく、結局、撮影できたのはL/D〜T/Oの各1回だけ。
その為、portsideの写真確認が取れず、撮影チャンスが不十分だった事が悔やまれます。

此の離陸時に、01側でタキシーを撮っていれば両面撮影できたのに
当時は、そこまで考えが思い至らなかった自分自身に対しても慚愧に堪えません。

因みにPR-06離陸から8分後に6x7を抱えたマニアが肩で息をしながら相鉄線のトンネル上にしゃがみ込む姿が見えたので、
01の転がりにもひょっとしたら誰かいたかもしれませんね。

当日はPR-00(TA-3B)もアガナに向けT/Oしたのですが、自転車に乗って現れたクルーが、その自転車を機内に積み込み
離陸したのには驚きました。
同じくアガナへ飛び立ったRZ-609(C-118B)にもVQ-1の隊員と資材が積み込まれたので、配置転換等があったのかもしれません。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:50 No.438
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1981年6月3日(水曜日)15時58分、厚木R/W-19へ着陸するPR-006/142671.

当日はCVW-5機のフライ・インで、PR-006もその一員として飛来して来ましたが、
データ上はCV-61 USS RAGER搭載のCVW-2(NE)所属のようで、データ表記もその線で書き込みました。

このように少ないEA-3Bを持ち回りで各CVWが運用していたのは想像に難くなく
当BBS上では「マニアの目」を最優先としで順列を語るので、自ずとデータの確証性とは別次元で話が進みますので
この点は十分、ご理解を賜りたく存じます。

CVW-5機以外の外来機はUSAFのC-130Ex2機、SZ-838. 厚木のマニアは5人がエンドに来ていました。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:53 No.439
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1985年10月7日(月曜日)15時30分、NAS CUBI POINTに向け厚木R/W-19を離陸するNK-006/142671.

NK-006はCV-64 USS CONSTELLATION搭載のCVW-14へVQ-1からDET派遣された機体でした。

当日の午前中にテストフライトを実施後の離陸で、厚木から直接フィリピンへダイレクトで飛行する為、燃料は満タン。
離陸はご覧の通り、かなり低い離陸となりマニアを喜ばせました。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:55 No.440
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
↑の続きショット。
この日の外来機はUEのA-4が4機フライトを実施。他にWAのOA-4MもL/Dしています。 
マニアはNK-006目当てで11人が集まっていました。

少し横道に逸れます。

この頃になると、米空軍が主体となって米全軍が運用していたHFのATCが気象情報等、限られた運用機能を残して
サテライト利用に変更され、昔ながらの「無線通信」による情報伝達が廃止されてしまいました。

エアバンの世界の最高峰がHFの世界であり、写真の世界からエアバンの世界へ転身していた身としては眞に青天の霹靂でした。
このHF通信の終焉が自分のマニア人生のリタイアの引き金になったことは言を俟ちません。

FB等で、この世界を体験した人物、グループが存在するか調べましたが、
残念ながら誰一人として居ないことに愕然としてしまいました。

皆さんは、PlaneCaptain(EA-3Bではパイロットと背中合わせで座るNo-5 ECMオペレーター)がHF送受信機(ARC-119)から
発する音声を聞いたことがあるでしょうか?

一度聞いた者なら、魅了されること間違いなしと言える程、素晴らしい音声なのです。
このような経験を共有する人が居ないというのは悲しい事ですし、残念でなりませんが
今となっては、もうどうしようもないほど長い月日が過ぎ去ってしまいました。

M.WADA 2019/08/09(Fri) 14:57 No.441
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
皆さん、こんばんは。

今日で「A-3 Skywarrior」も最後となりましたので、
VQ-1のEA-3B中、マニアの人気が最も高かった”スペシャルマーキングのPR-7番”をアップ致します。

但し、当時は許された?襷の中に書き込まれた文言は、現在では間違えなくセクハラでアウトでしょうから、
この文言も含めて45年前のアノ時代を反映した機体と言えるでしょう。

1974年6月13日(木曜日)9:00am,ELINT/SIGINTミッションの為、お墓前の誘導路(DW)からR/W-19に載るPR-7.

このスペシャルマーキングPR-7の初飛来は6月11日(火曜日)13:00pmにR/W-19よりの着陸でした。
それをGENちゃんが捉えましたが、何故か朝9時から登場した西村さんは撮り逃がしています。

M.WADA 2019/08/10(Sat) 17:59 No.442
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
↑の続きショット。
当日は生憎の曇り空でしたが、暗いうちからニッピ山へ登ると、お目当てのPR-7の姿が見えず愕然。
途方に暮れ、仕方なく下山しようと最後にもう一度中を覗くと、ゆっくりとVQ-1のハンガーの扉が開き始めました。

すると、そこにはすでに牽引車にひかれたPR-7が見えたのです。ホッと一安心。
隠しておいた、撮影台の設営を開始し撮影に備えることとします。

VQ-1のフライトラインに駐機後の7:03am,パイロットが機体点検開始。
8:35am,クルー7人が搭乗。
8:47am,エンジンスタート。
そして9:10am,R/W-19を離陸し「北」へと飛び立ちました。

PR-7は13:36pm,マニア11人が見守る中、R/W-19へL/Dしました。
この日の外来機はPE-4,RG-404,RZ-787,NAS AGANAのPR-50のC-121J,NASU IWAKUNIのUS-2B/136519.

M.WADA 2019/08/10(Sat) 18:02 No.443
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1974年6月15日(土曜日)9:15am,厚木R/W-01を離陸しELINT/SIGINTミッションに赴くPR-7.

この日もVQ-1のハンガーから曳き出し(6:58am)整備員が入念にキャノピーを磨き上げていました。
8:15〜45am,クルーが機体のチェックを実施。
9:00am丁度、エンジンスタート。
9:05am,R/W-01へタキシー開始。と、その時、背後より「ライオン丸」君が乱入。
大柄な彼はニッピ山を一気に駆け上がった様子で汗びっしょり。
血走った眼を見開きながら”ボクも其台に登らせて撮らせて”と言い終わらぬうちに
足早に、強引に登ってしまいました。

撮影台は2人まで撮影可能ですが、「ライオン丸」は人一倍大柄の為、一人が限度。
時間的余裕が無いため、仕方なく自分の方が台を降り立木に登る羽目になってしまいました。

これは両足で樹を挟み両手はカメラ撮影に使うので、とても危険で撮影そのものも不安定なため
撮影失敗のリスクが大であることを意味します。

然も、結果的にこの日が最も良い条件下で離陸ショットが撮れた唯一の日だったのです。
上記のような理由で、もっと多くのショットを撮りたかったのですがワンカット撮るのが精一杯でした。

そんな自分を見てかどうかは判りませんが、この日以降「ライオン丸」君のニッピ山乱入は止まりました。

M.WADA 2019/08/10(Sat) 18:04 No.444
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
1974年6月19日(水曜日)14:49pm ,厚木R/W-19へと着陸するPR-7.

この日は7:56amにELINT/SIGINTミッションにT/Oしたところをニッピ山で撮影後下山。
午後になってR/W-19のL/D位置に移動したところで急に曇ってしまいました。

此処で一計を案じます。
今迄PR-7はstarboardばかりでportsideのL/Dを一枚も撮っていないことに気づいたのです。
仲間の訝る視線を背に再びニッピ山を目指しペダルを漕ぎました。

此処で最も案ずるのは、「晴れ」てしまう事、「晴れ」るな「晴れ」るなと唱えながらの道行となりましたが
無事、曇り空で撮影することが出来満足でした。

M.WADA 2019/08/10(Sat) 18:06 No.445
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
↑の送りショット。
この日の外来機はCF-6/4/13,SA-14/15,RG-1. マニアは6人がエンドに来ていました。

M.WADA 2019/08/10(Sat) 18:08 No.446
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
最後はPR-7からNH-007となって厚木に飛来した144849の姿のご紹介で「A-3 Skywarrior」を締め括ります。

1983年1月27日(木曜日)13:48pm、厚木R/W-19をELINT/SIGINTミッションに飛び立つNH-007.
コールサインは”PR-07"を使用し、約6時間のミッションを終え19:33pmに厚木に帰っています。

NH-007は1982年9月1日から1983年4月28日まで行われたCVN-65 USS ENTERPRISE搭載、CVW-11のクルーズへ
DET派遣されていた機体で、この日は、その合間を縫って厚木からELINT/SIGINTミッションをこなしたようでした。

当日の外来機はRG-424,YZ-63,PD-2,PJ-11,PCのP-3C、COMPACFLTのVP-3A/149675.
マニアは18人がNH-007狙いで厚木に来ていました。

さて、明日から始まる「RA-5C」ですが、自分の最も好きな飛行機なのですが、
悲しいかな、最も撮影機会の無かった飛行機でもありました。

その為、「RA-5C」は専らROMに回ることになってしまうので
此処は先輩各氏、及びMACH3さんを含む仲間のコレクションに期待したいと思います。

多くの皆さんに「A-3 Skywarrior」コーナーを閲覧して頂き感謝致します。
ありがとうございました。

M.WADA 2019/08/10(Sat) 18:10 No.447
Re: A3D, A-3 Skywarrior #19
>M.WADAさん
EA-3Bの画像楽しませて頂きました。
それにしても沢山撮られているのには、ただただ驚いています。
RA-5Cは飛来した数も少ないと思いますので、次回のリクエストがありましたらお知らせください。
MACH3 2019/08/11(Sun) 05:21 No.448
A3D, A-3 Skywarrior #18

>M.WADAさん
WDの事は覚えていません、なにしろWDのあの塗装のF-4は撮っていませんのでメモリーから消し去られてしまったのでしょう。
通称「ヒゲロク」はパイロット後方の席にビデオカメラをセットし、ソ連の大陸弾道弾の軌道を撮影していました。
そこで望遠付きビデオカメラでも写っていないかと撮った写真を調べましたが見つかりませんでした。
そのミッションは、我々の世代では終了していたかもしれませんね、あのVQ-1にいたKA-3Bが空中給油を支援していた頃だったようです。

このスレッドも来週で終了したいと思います。
次回はリクエストにより、日本でのヴィジランティーです。

写真は01を使用してのT&Gを19側で撮ったもの。
中々このようなあんぐるは撮れそうで撮れないと思っています。

MACH3 2019/08/02(Fri) 15:15 No.415 [返信]
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
同じくPR-14。
19側の午前中のショット。
EA-3Bはこのような構図の対象でした。

MACH3 2019/08/02(Fri) 15:16 No.416
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん
WDの事は覚えていない、メモリーから消し去ったとは流石MACH3さん、切り替えが早い!
自分はダメです。特に失敗したことを矢鱈引きずる性格の”負け組症候群”です。

「ヒゲロク”」のビデオ撮影ミッションの話は知りませんでしたし、
EA-3Bへの空中給油を担当の為VQ-1にKA-3Bが配置されていた事も知りませんでした。

1980年代に入ると自分もハンディーカムでDVC撮影をニッピ山で行っていましたが
現在そのハンディーカムが壊れたままでDVCが再生不可能になっていて残念です。
将来、修理して映像が視聴可能になることを願っています。

MACH3さんから、A-3のスレッドも今週限りとのことなので、取り急ぎ、Mdx順に発表していきます。
今回はPR-01です。

1977年7月14日(木曜日)梅雨明け当日の11時21分、北へのELINT/SIGINT任務のため厚木R/W-01を離陸するPR-01/146450.

因みに、此の離陸は自分が体験したA-3の離陸中、最も低い離陸でしたが
離陸直前(10時58分)に曇ってしまい晴れたショットで撮ることが叶わず残念でした。

この日、晴れてはいたもののヘイジーで視程も8時44分にVMCからIMCに変わったものの4500mと悪く、
撮影には適していませんでしたが真夏に01の離陸が撮れることは稀でしたので
その点に於いては幸いなことではありました。

事実,PR-01のT/Oから4分後にはR/W-01から19へ運用変更されたので、
ギリギリセーフで追い風T/Oが撮れたのは本当にラッキーでした。

当日は翌日のCV-41の出港を控えCVW-5機は5機がフライトしただけで外来機もなし。
海自、11FSのS2F-1,4114/4125/4146/4148が八戸に向けT/O.他HSS-2,P-2J,YS-11T,UF-2等、海自一色でした。

M.WADA 2019/08/05(Mon) 14:52 No.419
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
↑の連続ショット。

M.WADA 2019/08/05(Mon) 14:54 No.420
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
同様の真横ショット。以上3ショットは以前アップ致しましたショットとは異なるショットを選びました。

M.WADA 2019/08/05(Mon) 14:55 No.421
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
皆さん、こんにちは。

PCの調子が悪く、思うように投稿が出来ず
用意して置いたA-3を全てご紹介することは出来そうもありませんが
出来るだけ解説を端折ってご紹介できるように努めます。

今回はスペシャルマーキング付きPR-03のご紹介です。
この機体(146452)はDET-64として空母コンステレーション搭載のCVW-9(NG)へ派遣されていた時のものです。

VQ-1のEA-3Bに、このようなマーキングが施されるのはDET派遣時だけ例外として認められていたようでしたが、
厚木飛来時には押し並べて特別塗装は消されて来るのが常でした。

前回ご紹介したPR-01にも垂直尾翼に大きく翼を広げたコウモリが描かれていた跡が残っており
歯痒い思いを抱いたのは言を俟ちません。

1974年12月27日(火曜日)R/W-01へ着陸してきたC-13Eを見つめるPR-03.
この時(8時10分)は一人でPR-03を撮影しましたが
着陸時には、このPR-03狙いでマニア10人がエンドに来ていました。

今と違い、当時は電話が主な通信手段だったため、前日16日に降りたPR-03の情報が
伝達出来るのは、精々仲間内が限界でしたが、
今なら、一桁違う数のマニアがエンドを訪れたことは想像に難くないですね。

12月17日の外来機はWORLD AIR WAYS のDC-8(N-803WA),SZのC-117D,ED-8,RG-00.

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:04 No.422
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
1974年12月27日(金曜日)8時に晴れた朝、厚木R/W-01離陸に向けR/WエンドでライトターンするPR-03.
前輪脚カバーにA-3のシンボル”Whale;クジラ”が描かれていました。

10時12分T/OしたPR-03は14時15分にL/D.
直後の15時R/Wチェンジされマニア8人(内一人はアメリカ人のマニア)は19へ移動。

この日はCVW-5機7機がフライトを実施。
外来機はRZ-805,SZ-124,NASU IWAKUNIのUS-2B/133179.

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:07 No.423
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
1975年1月3日(金曜日)13時15分、厚木R/W-19を離陸するPR-03/146452.

この日の外来機はNASU IWAKUNIのUS-2A/136510,RG-00,SZ-124,RZ-805,PD-6.
マニアは9人がエンドに来ていました。

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:09 No.424
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
1975年に入ると、定石通りスペシャルマーキングは消されてしまいましたが
丁度この頃、厚木の離陸ルートの変更を行うための検証が実施され
あらゆる機体が、試験的に色々な出発方式を試していました。

その中でも、EA-3B,P-3,C-118BはR/W-01離陸直後、右(大和)側へ大きく捻る飛行方式を実施。
このショット(11月10日)は、通常の撮影位置とは異なる為、セカンドショットでは機首アップとなってしまいました。

撮影場所は、現在の草柳3号公園前「はるかセレモニー」前付近からの撮影です。
早朝、ハンガーから引き出されたPR-03は8時41分にエンジンスタート。8時56分にELINT/SIGINTミッションに離陸。
13時18分R/W-01へのl/Dは常連5人が撮影していました。

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:11 No.425
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
↑の15日後の1975年11月25日(火曜日)
前回の失敗から撮影場所を現在の、日飛正門が見える原っぱ、後日「リカーランドトップ大和店」となる地点で
撮影したのが、こちらのショット。

このショットの位置関係は機体後方が「大和駅」に辺り、
自分を中心として約270度のほぼ円周上に撮影可能域が存在していたことになります。

いつもはなかなか撮ることが難しい機体上面を撮ることが出来て、気持ちが高揚し満足感に包まれました。
この日も、基地到着時にPR-03の姿はなく、8時15分になって、漸くハンガーから曳き出されフライト準備開始。

10時13分、T/O.
14時30分、R/W-19へL/D後、間もなくして再びハンガー内へ移動させるという厳重な警備体制を敷いていました。

外来機はQD-248/816,QA-5,U-21/18097. マニアは常連5人。

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:13 No.426
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
↑から2日後の975年11月27日(木曜日)PR-03,8時25分エンジンスタート、
8時43分、T/O.同じような飛行ルートで離陸したものの、幾分ヘーズがかってはいたものの”捻り”は良かった。
外来機はSZ-124,QB-690. そしてCamp Fujiで冬季訓練中のCH-53Dx4機(YF-3/7/9/10)がフライト。
マニアは常連が3人でした。

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:16 No.427
Re: A3D, A-3 Skywarrior #18
↑のセカンドショット。
このルートテストは短期間で終了した為、他の機種で撮ることが叶わず残念でした。

M.WADA 2019/08/07(Wed) 14:17 No.428
A3D, A-3 Skywarrior #17

おはようございます。
迷彩のRA-3BやAGのKA-3B、そしてタンカーの帯入りKA-3Bと皆様の話題がつきませんね。
私的には忙しい毎日で、BBSを開くとスレッドがいっぱいになっている状態です。
皆様の投稿記事は読んでいますが、それに対するレスを書く余裕がありません。
と、何度も同じ言い訳ですがお許しください。

EKA-3Bを前から撮影。
こんな余裕はT&Gのおかげです。

MACH3 2019/07/25(Thu) 05:40 No.387 [返信]
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

>ダブルタンゴさん
No-384,ZBの4本線をカラーで撮影。
No-385,NHの2本線も腹這いになって一手間かけてのカラー撮影と、目元がピクリと上がってしまいました。

又、今回ダブルタンゴさんのカラーショットで気付いたのですが、NH-612/611の「黒帯」は「黒帯」ではなく、
後方に見えるVQ-1のEC-121Mと同じ「シー プレーン グレー」色と同色のように見えるのですが如何でしょうか?
Mdx-612の黒色と比較しても同じ黒色とは思えませんので、正しくは「濃い灰青色」とでも表現する色と思われます。

>MACH3さん
お忙しいのは何よりですが、高温期に入って来ましたので、くれぐれもお身体ご自愛ください。
上半身裸でオリスカニーのF-8を撮りまくった頃と気持ちは同じですがお互いカラダはメンテが必要な歳ですからね。

EKA-3Bの正面ショット、良いですね。
これは多分1968年12月24日(火曜日)にフライトしたCVA-43搭載、
VAQ-130,DET-43のEKA-3B/142660・VR-014ではないでしょうか?


以前、投稿に間に合わなかったVAQ-134のショットが遅蒔き乍ら完成したのでアップ致します。

1971年1月25日(月曜日)厚木R/W-19離陸に向けお墓前の誘導路をタキシーするVAQ-134のKA-3B/138932・NE-610 .
NE-610は1月23日L/D後、全く動きがないまま、この日の離陸となりました。

当時、CVA-61レインジャーには大好きなRA-5Cが5機(RVAH-1”Tigers")とA-6シリーズ中、注目のA-6Cが9機も載っていましたが、
1機も厚木に姿を現してくれなかったのは残念でした。

M.WADA 2019/07/25(Thu) 12:10 No.389
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
↑の続きショット。
この日の外来機はWB-56/57,SG-7,RZ-600,RG-202,VH-25(HH-2C),WC-135B,
そして海自、大村基地(オ)のUF-2/9055がフライパスのみで去っていきました。

M.WADA 2019/07/25(Thu) 12:13 No.390
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
1966年11月、CVW11/VAH4のKA−3Bが01エンドに向かうところ。
すでに印刷はされていますが、コダクロームKX、フルサイズでの画像です。左右のムラはマウントを剥がした糊の跡で、若干カビに侵されているも、KX独特の色あいは半世紀以上経っても退色が見られません。
コダクロームを国内で現像できるようになったのが、この年1966年からだったと記憶しています。それにより現像料はいくらか安くなりましたが、私の住んでいた街の写真屋ではコダックの業者を通じて本国へ送っていましたので時間はかかるし、フィルム代合わせて一コマあたり60円と高かった(パートの時給が70円ぐらい)。
ですが、当時のコダクロームは、サクラやフジと比べて発色の差は歴然で、多少無理をしてもコダクロームを使っていました。60年代のカラー写真(リバーサル)が余り残されていないのは、高価な特殊フィルムとの位置づけだったからではないでしょうか。

K.Akatsuka 2019/07/26(Fri) 14:47 No.391
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
機首に描かれたお馴染みのsnoopy。

K.Akatsuka 2019/07/26(Fri) 14:53 No.392
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
横道エッセイで失礼します。
スヌーピーが日本で初めて紹介されたのは、1967年、チャールズ・M・シュルツの漫画「PEANUTS」を谷川俊太郎の訳で単行本を刊行してからと言われてますが、それまで国内ではほとんどの人はスヌーピーのことを知りませんでした。
その前年の1966年の夏頃、数名の厚木のマニア(後のAGCメンバー)がエンドで集まっては「最近いろいろな海軍機に犬のマンガを描いているが、あの犬は一体何だろう?」と話題になっていました。しばらくして、豊中のH・Yさんが今は廃刊となっているMainichi Daily Newsに載っていたのを見付け、そこで犬の正体がスヌーピーであることが分かったのです。
そんな中、週刊誌のポピュラー音楽欄にSNOOPY VS. THE RED BARON−The Royal Guardsmen なる曲が、1966年最終週のビルボード・トップテンの2位に入っているのを発見。早速レコード店に走りましたが、まだ店には置いてなく、翌年東芝レコードから発売されたものの、そのタイトルが何と『暁の空中戦』。タイトルが悪かったのか、ジャケット(右)のデザイナーがトンチンカンだったのか、日本では全くヒットせず、レコード店に問い合わせても店員さんは「それ、軍歌ですか?」と答える有り様。
と、いうわけで、スヌーピーを日本で逸早く知ったのは若き日のAGCの連中だったというおはなし。
久しぶりに件の曲をyou Tubeで聴いてみましたが、軽快さが何とも心地よくイイ曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=u_nHdUimSi8

K.Akatsuka 2019/07/26(Fri) 15:04 No.393
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

>K.akatsukaさん
コダクロームKXやSNOOPYのお話、興味深く読ませて頂きました。

富士山をバックにしたSNOOPY入りZB-5のカラーショットは気持ちが籠った作品で、
アノ場所で撮ることがどんなに難しい事か知る者には眞に吃驚の一枚です。

自分もK.akatsukaさんと同じく、横道に逸れます。

自分には嫁いだ妹が居りますが、子宝に恵まれずキリストを頼りましたが、
その時出会った「SNOOPY」に傾倒。

自分で作った(産んだ?)チャーリーブラウンを”チャー”と名付け
以来ウン十年に亘って育て続けています。

写真は妹の家での「チャー」、「ウッドストック」、「スヌーピー」
そして「チャー」の妹の「菜々子」です。

ベランダの草花(左から「美女桜」、「ビンカ」、「アメリカーナ ゼラニウム」のプランター植えをプレゼント。
「スヌーピー」はアメリカ直輸入の鉢物用プランターで、中身は”芽”から育てた10年物の「達磨観音竹」です。

M.WADA 2019/07/26(Fri) 17:00 No.394
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
私もスヌーピーネタで、
1973年3月20日厚木に着陸するEA-3B(PR-6)です。
現像は時々自分でやりましたが、このときは(も)失敗。
フィルムの上下や所々に現像むらがあります。
現像むらに加え光線状態が良くなく、機体が光ってしまいました。
垂直尾翼にミサイル?に乗ったスヌーピーが描かれています。

MACH3 2019/07/27(Sat) 06:35 No.395
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
トリミングしてみました。
VQ-1機なので、すぐに消されたようです。

MACH3 2019/07/27(Sat) 06:37 No.396
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん
矢っ張り、出して来ましたねスヌーピー入りEA-3B.
この日(1973年3月20日、火曜日)は3月18日に降りたVAQ-131のEA-6B/158037・NK-613と
3月19日に降りたVA-145のA-6E/155678・NE-506狙いで厚木と横田のマニア各々5人づつ計10人が来訪。

午後になってR/W-19からNK-613が離陸しお目当ての内の1機は撮れたもののNE-506は飛ばず仕舞いでした。
外来機はRG-2,NAS AGANAのC-121J/131659,C-141/65-0278・60MAW,海自のHSS-2/8035・HS-101,SZ-838.
そして夕方R/W-19へ着陸して来たのがスヌーピー入りPR-6/142671でした。

撮影時はミサイル?に跨がるスヌーピーは認識していましたが、その上下に書かれた文字の意味までは
把握していませんでした。

然し、VQ-1の機体に漫画の登場人物が描かれることは稀でしたので、撮影後マニアから歓喜の声が上がり、
高揚感に包まれ、VQ-1のフライトラインに駐機したPR-6にはマニアから熱い視線が注がれました。

PR-6は翌日ミッションを実施。お墓前の転がりをカラーで撮ることが出来ましたが、
そのスライドは今に至るまで未発見でアップに間に合いませんでした。マニアは21人がPR-6狙いで来訪。

又、マニアが狙っていたもう1機の外来機、NE-506は早朝7時50分に飛び立ち撮り逃してしまいました。

スヌーピー入りPR-6は3月23日(金曜日)午後6時45分、厚木R/W-19を離陸アガナへ帰っていきましたが
離陸時間が遅過ぎて撮影を望んでいたマニア12人を嘆かせました。

自分もMACH3さんと同じくモノクロで撮影したPR-6のL/Dショット。

M.WADA 2019/07/27(Sat) 11:56 No.397
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
そのスヌーピーが描かれた垂直尾翼部分をトリミングしてみました。
其処に書かれていた文字は「HAPPINESS IS A CEASEFIRE JAN 28 1973」と読めました。

パリ(ベトナム)和平協定調印は1973年1月27日でしたが時差の関係(+7時間)で
作画中の現地の日時をそのまま書き込んだようです。

因みに米軍側最高司令官のジョンソン大統領は、前日の1月26日、協定成立を見ずに亡くなり、
泥沼のベトナム戦は米軍撤退という事実上の米側敗戦で終結し今に至る米軍再編の端緒となりました。

M.WADA 2019/07/27(Sat) 11:58 No.398
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
↑の続きショット。
地上部が写り込み「厚木」と一目瞭然で分かるショット。

M.WADA 2019/07/27(Sat) 12:00 No.399
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
そして角度を変えてスヌーピーをトリミング。

M.WADA 2019/07/27(Sat) 12:01 No.400
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

MACH3さんのPR-6からVQ-1のEA-3Bがアップされましたので
予定を変更し自分もEA-3Bのご紹介を始めます。

永らく厚木をベースに活動を続けたVQ-1のEA-3Bは、その任務の性格上、あらゆる面で「地味」でした。
それは機体の塗装や行動に現れ「地味」そのもので、厚木の日常に溶け込んだ存在でした。

1980年代後半からはEA-3Bの老朽化の為か厚木をはじめ各地で一般公開されるようになり
時代の流れを実感しました。

自分の現役時代で最も警戒が厳重だった部隊はVQ-1であり、厚木の公開中はハンガーに近づく事さえ出来ませんでした。
然し、毎回通う厚木で常に出会うEA-3Bは最も身近に居たA-3であり
元来A-3好きだった自分は必然的になくてはならない存在、それがEA-3Bでした。

ところが色々なアングルで撮影しようにも前述のような訳で、毎回おとなしいT/O〜L/Dを繰り返すのみ。
意図したアングルの撮影実現が最も難しかったのがEA-3Bでもあったのです。

という訳で、三沢、岩国、板付、嘉手納等で撮影された写真を羨ましく見ていました。
K.akatsukaさんが仰っていたように撮影場所が変わっただけで全く違う顔が表現できるのが航空機写真の妙ですね。

1969年3月15日(土曜日)朝方の北風が南風に変わりR/Wも01から19運用となった為、皆で歩いて相鉄線側へ移動中、
着陸してきたVQ-1のEA-3BがR/Wエンドまで転がって来てくれました。
普通はAWかBEに入ってしまい撮影できないのに、この時は幸運にもドラッグシュートを曳きながらAEに入って来たのです。
そして予想もしなかった事が数秒後に起こったのです。

M.WADA 2019/07/29(Mon) 12:09 No.401
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
↑の続きショット。
ご覧のように、何とP/Cが身を乗り出してこちらに「お手振り」。
自分の厚木撮影人生でこのような事をされたのは初めての経験でビックリでした。
余程何か嬉しいことがあったのではないかと思われ、思わずこちらも手を振ってしまいました。

M.WADA 2019/07/29(Mon) 12:12 No.402
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
すると後方のハッチから今度はEVAL(電子情報評価士)まで登場。飽きれた様子でP/Cを見やっています。

M.WADA 2019/07/29(Mon) 12:14 No.403
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
送りショットでも、P/Cは笑顔でこちらを見ています。
いったいどんな吉報が届いたのだろうかと、未だに気になっています。

M.WADA 2019/07/29(Mon) 12:15 No.404
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
>WADAさん
401の“逆転がり”が素晴らしい・・と次へスクロールしたら何と「ビックリしたなあもう!」です。演じているのがVQ−1のクルーなのがこれまた信じられません。

↓はHamanoさんの代貼り写真ですが、B−47ばりの盛大な排気ガス。私は見たことがありません。

K.Akatsuka 2019/07/29(Mon) 16:50 No.405
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
フル画面に近くなったときには通常の排煙となったようですが、光線状態も極めてよく、“額縁モノ”の写真ですね。

K.Akatsuka 2019/07/29(Mon) 16:54 No.406
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

1970年代初め、CVW-5移駐まで、厚木と言えばVQ-1,VQ-1のEA-3Bといえば”ヒゲロク”でした。
”ヒゲロク”は通常のEA-3Bと異なる機体形状(機首はTA-3様、尾部は機関砲装備時のもの)に加え
機首側面にCOMINTアンテナとセンサーアンテナが増設されており
この形状を指して”ヒゲロク”と命名されましたが、一体だれが命名したかは定かでありません。

このPR-16のミッションに関してはMACH3さんが非常に詳しく研究していますので、彼の解説を待つ事と致します。

1971年4月12日(月曜日)対北、中、ソELINT/SIGINTミッションに向け南の角の誘導路をR/W-01へタキシーするPR-16.

M.WADA 2019/07/30(Tue) 10:28 No.407
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
↑の送りショット。この日の外来機はWB-54,三菱MU-2/JA-8753,ED-12.

M.WADA 2019/07/30(Tue) 10:30 No.408
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
1973年2月13日(火曜日)厚木R/W-01を離陸するPR-16。

この日の外来機はPD-3,TC-172,UE−30(DP-2E),11FSのS2F-1(4157),空自のYS-11C/92-1157,
RZ-609,RG-1/3,QD-816,RM-23. マニアはパンダさんとSAWANOさんの二人。

数え切れない程の離陸ショットを撮ったPR-16ですが意外と低い離陸をしてくれず
今回のように地上部が写り込むような低い離陸は珍しい事でした。

自分が見たPR-16で最も低い離陸は「パンダ」さんがR/W-19午後に撮影したPR-16の写真でした。

そのショットはランディングギアが機体に収納された状態でランウェイ上を数メートルの高さで飛行する
度胆を抜く離陸ショットでした。

間違いなくすべてのEA-3B離陸ショットの頂点に輝くベストショットであると確信しているのですが
「パンダ」さんが当サイトへ投稿することはまず無いと思われるので残念でならないですね。

M.WADA 2019/07/30(Tue) 10:36 No.409
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

本日はHamanoさんがNo-188で発表された機首にVQ-1のコウモリが描かれたPR-4が見つかったのでアップ致します。

M.WADA 2019/07/31(Wed) 08:59 No.410
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
↑をトリミングしてみるとコウモリにはチャンと”目”が描かれていることが確認できます。
又、VQ-1としては珍しくCO?名「CDR CONNOLLY」も書かれていたことです。

目を引くのは、機首下方の諸元欄に書かれた数字。
通常EA-3Bの自重は43,161lb。然し、このPR-4の自重は43,402lb。差し引き241lb基本重量より重い事になります。
これは多分、ELINT/SIGINT機器を追加搭載したことによる重量増と考えられます。

そして最下段に手書きされた数字が49,200lb。トータル6039lbの重量増でのミッション遂行だったことが分かり
如何に長時間に亘って任務をこなしていたかが解る数字でした。

M.WADA 2019/07/31(Wed) 09:01 No.411
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
皆さん、こんにちは。

テールコーンに機関砲装備時代のものを使ったVQ-1のEA-3B/146454、#-10のR/W-19午後の降り。
撮影日は1969年7月20日(日曜日)。

此の時期のEA-3BはMdxを主脚ドア内側に書き、相手国迎撃機から絶対に機体識別出来ないように工夫していましたが
我々マニア側も機体の特定が容易でなく、このMdx記入方法の効果は絶大でした。

前日7月19日より日本海で日米合同演習がCVS-33 USS KEARSARGE(CVSG-53,NS)も加わって開始されており
厚木にもNSのS-2EやSH-3Aが少数飛来していました。

そんな中で、目新しかったのがCODにC-1Aの他にUS-2C(133368)を加えた2機態勢で運用した事と、
厚木の地元のHC-7からSH-3AがDET-110として空母に派遣された事でしたが
機体の外見には目立った記載が施されなかったためMdxの特定には至りませんでした。

又、#-10のL/Dショット撮影の翌日、7月21日にはアメリカのアポロ11号が月面着陸を果たしています。

M.WADA 2019/08/01(Thu) 15:00 No.412
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
1972年3月28日(火曜日)厚木R/W-19に着陸するVQ-1のEA-3B/146452・PR-14.

PR-14は此の日の朝、R/W-19をミッションに向け離陸滑走からリフト・オフ直前、離陸断念し、
フライトラインに引き返したのですが、再度ミッションに挑戦したものの敢え無くダウン。

傷心の中での着陸がこの6x7標準レンズで撮ったショットです。

然し、PR-14は厚木で活動したEA-3Bの中で最も稼働率の高かった機体なので
この時の不調はとても珍しい出来事でした。

外来機としてはWB-7,SZ-04の2機だけと奮いませんでしたがマニアの数だけは10人と多目でした。

M.WADA 2019/08/01(Thu) 15:02 No.413
Re: A3D, A-3 Skywarrior #17
1971年6月8日(火曜日)厚木R/W-01を離陸するVQ-1のEA-3B /144854・PR-15.
外来機はUE-02,QA-2/5/10,PR-50,RG-100.エンドに居たのは西村さんとMACH3さん、そして離陸側にK.TANABEさんの計3人。

この日は特に思い出に残る日でした。最悪の。。。

それは、厚木名物の”逆降り”です。が、降りたものが良くありませんでした。

レドームから機首にかけてV字に白く塗ったWD-00のファントムだったのです!
然も2機(WD-3)でR/W-19運用にも拘らずR/W-01へストレートL/Dし、そのままニッピ入り。
駐機した場所も外から撮影不可能な奥まった場所で打つ手無しでした。

それを見て、3人顔を見合わせて茫然自失。声もありませんでした。 MACH3さん覚えていますか?
K.TANABEさんはL/D直後にエンドに到着と、こちらもギリギリアウトでした。

M.WADA 2019/08/01(Thu) 15:04 No.414
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