おはようございます。
厚木にはお客さんが来ているとかで時間があれば出かけようかと思いカメラのバッテリーをチェックしたら残量が1メモリでした。
今、いつでも出撃できるよう充電しています。
皆さんからの写真に見とれています。
US-2Cのまだ出ていない、#32, 34, 35です。
最初はUE-32 1970年10月の撮影














VQ-1同様、厚木で最も慣れ親しんできた部隊であるVC-5だけあって中身の濃い投稿が続いていますね。
又、Hamanoさんの伊丹や沖縄でのショット、加えて村越さん、geta-oさんのVU-5機と
間違いなく"Checker tail History"の集大成と呼ぶに相応しい内容だと思います。
自分がUEを撮ったのは1965年から1985年の20年間あまり。
メインは1970年代でしたが、既にF-8は退役が迫っており満足のいくショットは撮れませんでした。
加えて、厚木をホームベースとして最も撮影機会がある筈のVQ-1,VC-5,HC-7,VRC-50各部隊の機体を、
最も厚木らしさが端的にわかる富士山入りのショットを一枚も撮ることが出来なかった事が悔やまれます。
この事は、今回の特集の為、準備していた中で気づいたことでした。
思い返すと、当時も富士山入りのUE/F-8のショットを夢見て努力していましたが実現はしませんでした。
先輩諸氏の中で、富士山入りUEのショットを撮影された方は、是非投稿してください。
勿論、1960年代生まれの”若手”マニアさんの投稿も大歓迎です。
>geta-oさん
VU-5機のショット。流石geta-oさん、素晴らしい。
自分の現役時代に、geta-oさんとお話していても、こんなにドエライ人とはつゆ知らず、
生意気な口をたたいていた事を恥じ入るばかりです。お許しを。
>ダブルタンゴさん
1972年の那覇/嘉手納ショットを拝見して思ったのですが、ダブルタンゴさんはいつ頃から休眠したのでしょう?
不思議なことに自分は厚木でダブルタンゴさんとお会いした記憶が無いのです。
若しお会い出来ていたらと、人の縁の不思議を思わずにはいられません。
それにしても、Akatsukaさんを始め、Migさん、Sabuさん、ハッチさん、DET-Echoさん等、
ハイレベルなグループが結成され今に至るまで活動が継続されていることは驚きですし素晴らしい事ですね。
翻って、我々の年代の纏まりの無さは天下一品です。
折角、1970〜1985年の写真選出作業の会合まで行ったのに、其処で起きたトラブルは失態でした。
悔やんでも悔み切れない出来事で、悪夢でしたが、いつの日にか再スタートが切れればよいのですが。。。
ダブルタンゴさん撮影のF-8シリーズに期待して居ります。
>Hamanoさん/Akatsukaさん
伊丹で撮影のUE/US-2C,C-1A,最高ですね。
VC-5のC-1Aは一度も厚木に飛来しなかったと思うので貴重なショットだと思います。
嘉手納も行って那覇も行く。自分にはHamanoさんのようなバイタリティーはありませし、
色々なシーンをものにされていて太刀打ちできません。
No-684,一般公開の日とは俄かに想像できないショットですね。
晴れ渡る5月の空の下、正面から夕日を浴び佇むVU-5のUS-2C.
US-2Cの独特な姿を巧みなアングルから活写した秀逸なショットで、暫く見入ってしまいました。
輝きを放つプロペラとダークグレイに塗られた機体色の質感がモノトーンで見事に表現されていて、これぞUS-ツーシー!
>村越健司さん
いつものアングル、いつもの階調、直ぐに村越さんと判るショット。
こういうのを職人芸といいますが、「銀塩写真」を経験していない現代のマニアには絶対にわからない技術の世界。
音楽の世界では「アナログ」が復興しつつありますが、航空機写真の世界では有り得ないですね。
>MACH3さん
流石に厚木の主のMACH3さんだけあってUEは漏れなく撮っていますね。
ガルグレー時代のUS-2Cも撮っていますよね?
確か、MACH3さんはVC-5の看板も撮っていたような記憶がありますが?
自分も遅蒔き乍らUS-2Cのショットを3枚。
1968年1月7日(日曜日)、厚木R/W-19の午前中にL/DするUE-3/133347.
この日はPC-1がT/O。又、本国からCVAN-65 USS ENTERPRISEがハワイのパールハーバーへ入港。
1月19日には佐世保に到着しています。
そして23日には米海軍のプエブロ号が北朝鮮の警備艇に拿捕される事件が起きています。
この日は2機のDP-2Eが居ましたが動きはなく空振りでした。
エプロンに居たDP-2EはUA-30番/128347(後のUE-32)とノーマークの尻切れDP-2E/128352(後のUE-31)でしたが、
このMAD無しDP-2EはVU-3/UF-21時代はRP-2Eと呼ばれていたようですが、
VC-5時代の制式名称はRPだったのかDPだったのか気になりますね。
>MACH3さん Akatsukaさん
VC(VU)-5のUS-2C、続々と出てきますね 今回の特集から運用時期、Bu.No.、Mdx等を整理していますが、一筋縄ではいきませんね
これまで計11機登場していますが、あとB/No.133344,45,82,88の4機がまだのようです
何方かよろしく
VC-5のC-1Aにはビックリ!こんなのがいたのを全く知りませんでした もしかして初出ですか?日付はいつ頃なのでしょう 146057はS2F-2の最終号機でMACH3さんが1971年11月にNAS Cubi Point所属を撮られていましたね
>M.WADAさん
70年代から80年代初頭にかけ段々エンド展開の回数が減り、厚木にはたまにしか行かなかったので、会う機会もあまりなかったかと思います
F-8も他のVC-5の機体の例にもれずあまり真剣に撮らなかったので(^^;ご期待に沿える画像はありません
では今回よりF-8 Crusaderに入ります 何度か既出がありますがm(_ _)m
この機種もヴェトナム戦、改修作業等で入れ替えが激しく私の記録では流れがつかめません
1964年11月3日 入間航空ショー




>ダブルタンゴさん
そうでしたか、ダブルタンゴさん辺りはヒョットしてと期待していたのですが残念です。
US-2CのBuNoの件ですが、133345と133382は有りましたが、133344(UE-23)と133388(UE-26)は撮れませんでした。
と言うより、厚木には飛来していたのでしょうか?
2機とも1970年に那覇に居ましたがUE-20,21,22は飛来していますが23番と26番は分かりませんでした。
但し、確信はありませんが確かパンダさんが那覇で撮影した映像を見た記憶が微かにありますが
今彼と連絡が取れないので確認を取る手段がありません。
ダート付きF-8など見たこともありませし、況してや厚木でVC-5のF-8A,B,C,D,F,Kと各型が撮れと時代が
あったということ自体知らないマニアが大部分となった今、
ダブルタンゴさんが撮られたこれらのF-8Aショットは貴重ですね。
No-711の編隊離陸はVC-5にしてはかなりタイトな部類であり、普通はルーズで画面に2機が一緒に写ることは稀でしたが
こんなことでさえ話が出来るのはこの談話室だけになってしまいました。
ではダブルタンゴさんからリクエストのあった133382/UE-33から。
1967年11月25日、厚木R/W-01に着陸するVC-5NAHAのUE-33.
このダークグレイのUS-2Cはキュービーポイントの分遣隊所属機で1976年になっても旧塗装のまま飛来しています。




伊丹のマニアでも撮った人は少なく、関東マニアではH.Taさんが1965年9月伊丹遠征時に撮っています。(当時は伊丹も遠征だった)
1966年Hamanoさん撮影。




多くのソリッドモデルは写真を元に製作しているようですが、高見さんは細部が判るこのモデルの鮮明な写真をお持ちだったのでしょうか。その写真も見てみたいものです。


Hamanoさんの撮られたUEのUH-34Eは伊丹ならではの珍機ですね。
UEのシーキングは元HC-1,DET-4/NP-006だった機体で、こちらも撮り逃がしています。
厚木ではVC-5のヘリはなかなか撮ることが出来ず往生しました。
昨日アップしたUE-27の6日後の姿です。
1975年9月27日(土曜日)11時、R/W-01へ着陸したUE-27は厚木のベースオペレーション前に駐機し
VIPを降ろした後、給油後再びVIPが搭乗し11時53分エンジンをスタートし12時10分T/Oしました。
情報から判断し、大島方面にライトターンすると読み、正午を過ぎていましたが
ニッピ山から撮影する事としました。
かなりな逆光ではありましたが読みはほぼ的中し右に捻ってくれました。
惜しむらくは、もう少し前から捻りを開始してくれたらとも思いましたが、贅沢は言えませんね。
F−8AとDF−8Fの違いはこの写真が分かりやすいです。
後方のDF−8Fはキャノピー後ろにアンテナが増設されており、配属当時のDF−8Fは全てテイルコードを斜めに書いてましたのでひと目で分かりました。1965年1月26日撮影。
#708の19エンドの光景は、今の県道の工事前ですね。66年頃から県道を迂回させ、しばらくオフロードバイクの練習場(遊び場)になり入れなくなりました。下の写真は105mmで撮ったものですが、同じようなところで撮っています。


旧塗装時代のUS-2Cを続けます。
1967年12月28日(木曜日)、厚木R/W-19へ着陸するUE-32/133351.
この日はRD-6が撮れた他は地元のUE-16やニッピのノーマーク機がフライトしただけで低調でした。
丁度、VAQ-135, DET-3/CVA-43,NL-612が離陸する為K-Uを装填したボディーを使おうとしていたところに
降りて来た為、仕方なく撮ったのがこのショットでした。
先輩の皆さんが仰るように当時UE、特にUS-2Cは通常マニアの撮影対象外の存在でしたので
思った以上に撮影コマ数はありませんでした。
カラー化していたこの時もモノクロで撮影して居り、如何にUS-2Cが”イモ”扱いされていたかが分かります。
然し今見ると、こういう退役間際の老兵こそカラーで撮るべきだったと思うのです。
おはようございます。
涼しくなりましたね。
昨日はジェット音が聞こえましたが、確認もせずゴロゴロとしてました。
>ダブルタンゴさん
VC-5のヘリは沖縄へ行かないとマズ撮れませんね。
私は記憶にないのでヘリは撮っていないと思います。
>徳永さん
US-2Cがグレイ塗装になったら、垂直尾翼が目立っていました。
私は厚木で2度ほど撮影の機会がありましたが満足な結果ではなかったです。
>K.Akatsukaさん
中井さんのファイアビーを吊るしたDP-2Eが撮りたくて沖縄へ行きまいたが、ファイアビーどころか1度も飛ばずでした。
周回遅れでDP-2Eです。
ヒコーキはこの角度が好きです。
1972年3月6日の撮影です。
マニアにとってVC−5の面白いところは、各機年代によって塗装やモデックスが変わったりすることですね。
↓のスナブは1967年頃撮影とのことですが、CHECKER TAILです。


Hamanoさんも、そのお一人だと思いますが、コレクションから128342を追ってみましょう。
↓は1968年頃撮影のUE-00




写真から想像すると、このあと解体されるような気がしますが、いかがなものでしょう?。


2007年9月、代官山のギャラリーで「デフォルメの妙、省略の美〜高見保市の世界」を開催したときリクエストで作っていただいたモデルです。


凄いスピードでVC-5機の紹介が進行しているので投稿の準備が間に合いません。
これでは、投稿する前にVU/VC-5機特集が終わってしまうのではと危惧しています。
準備の途中ですがNo-669でAkatsukaさんよりUE-30番の解体の話が出ていたので調べてみました。
先ずDP-2E/128342、UE-30は4年後の1978年12月にMASDCで機体が確認されているので
1974年5月18日、那覇の三軍記念日に展示された当時は
エンジン修理・点検等の為、露出部を塞いだ形で公開したようです。
因みに、他のDP-2Eも調べたところ、
128347/UE-32, 1976年6月時点でAMARCで確認。
128348/UE-32,1974年12月時点でMASDCで確認。
そして残る2機128352と128385の行方が分からないのですが、
128352はMAD無しの尻切れDP-2Eで特異な形でした。
其処でひらめいたのが、バイセンイアーに嘉手納遠征した時の朧げな記憶。
”確か、ZZの後ろにDP-2の後ろ姿が。。。”
半日がかりの捜索の結果、有りました、在りました、着陸しR/Wを滑るZZ/F-4Dの後方に
MAD無しDP-2Eが写っていました。
このDP-2Eは先程の調査結果からしてMAD無しDP-2E/128352、UE-31番の可能性が大と思われ、
その姿から推測して、嘉手納で最後を迎えたとみるのが妥当ではと思われます。
残念なのは128385/UE-40番の消息が解明できなかったことです。
何方か128385のVC-5以降の足取りが掴めた方は情報提供をお願い致します。
F8U-1は#9から#20までの12機が厚木にいたと思いますがそのうちの一部。
最初は#9/143713
1965/7






>Akatsukaさん
No.654のA-4B、綺麗なカラー、さすがコダック(ですよね?)! 652はサクラカラー、653はネガカラー、太刀打ちできません (^^。。
そしてNo.651の約2か月後の姿ですね 前から疑問だったのはモノクロでは判りずらいこのMdx29の尾翼はチェッカーだったのか? でその疑問が解決!と思いましたが、よく見ると機首Mdxの位置、UEの白影等、色々変わっており塗り替えられた様で未解決
そしてNo.654の1年半後の653もVC-5の位置、白とガルグレーの境界線が微妙に違っているのでまたまた塗り変えていますね
私のNo.584SNB、UE-5、これも赤一色だとばかり思っていましたが、よくよく見たらチェッカーでした
DP-2Eも機体、年代で尾翼の塗装が色々変わっていたのですね
VC-5は年代、機体、機種で塗装の変遷が多いのが今回改めてわかりました
ではA-4残り、A-4E、72年4月、変換前の那覇です


#654のUE−29/A−4BはコダクロームKXです。全体にカビのようなものが生えてしまい、うっすらと濁っているのはそのせいです。まあ、半世紀も前のポジですから仕方ないですね。
F−8〜A−4へと進み、置いてけぼりとなってしまいましたが、元に戻ってUS−2Cを始めます。しかしUS−2Cをほとんど撮って無かった!。甘く見てたのですね、後悔、後悔です。
1960何年でしたっけ?VC−5本隊が那覇へ移動してから益々縁遠くなってしまいましたが、“伊丹の雄”Hamanoさんが“ガッツリ”カメラに納めてますのでこの順次紹介いたします。
↓1967年6月、新明和工場へ向かうUE−1/133385。なぜかモデックスにNoを付け加えています。






1964年3月30日厚木19エンド
二機まとめて降りてきたUS−2Cです
UE−1/133385
VU−5機はUB−26JとRC−45JとF−8Aしか撮っていないので










おはようございます。
やっと秋がきたのかと思うほど、今日は朝から気持ちいい晴天ですね。
>徳永さん
VC-5, VQ-1機は見ている方が多かったですね。
しかし艦載機の飛来が少なくなってきてからは「まあ、撮ろうか」てな感じで暇潰しの対象となりましたが、すでにVC-5は移動して地味なVQ-1機のみでした。
>geta-oさん
沖縄便の行き帰りの座席の確保は考えましたね。
でもなぜか写真はありません。
>ダブルタンゴさん
沖縄でDP-2E撮っていますね。
私はとうとう飛んでいる姿には遭遇できなかったです。
>M.WADAさん
「美国海軍」は1972年8月撮ったあと気になっていましたが1973年にも飛来したんですね。
>K.Akatsukaさん
US-2C, RC-45Jの編隊は富士山上空での撮影でしょか?
隠密行動していたような部隊でないVC-5についてはヒストリーや写真があまり発表されていないは不思議です。
1972年8月撮影のカラーのUS-2Cです。
>M.WADAさん
DP-2E、ネプチューンの桜ヶ丘カドタキシー、いいですねえ モノクロを残念がっていますが、いやどうして、十分エンジン音と迫力が伝わってきます
>MACH3さん
US-2Cの旧塗装? 随分あとまで飛んでいたのですね geta-oさんの72年10月末のNo..626にもMdx20が写っていますね
UEのレシプロ、geta-oさんの画像を見てまだヘリがあるのを忘れていました
一枚目はgeta-oさんと同じUH-34Dです
72年4月返還直前の沖縄へ、海路はるばる晴海から2泊3日かけての初訪問でした このカットはJALのDC-8で後からやってくるY氏を迎えにいった時那覇の旧送迎デッキから撮影したものです








ひこーき撮りには絶好の気候になってきましたが、、、、、、
>Akatsukaさん
ファイアビーを吊るしたところは見たかったですね まあこれは運?ですね (^^;
ヘリコを含めたレシプロ機が一応終わったので(多分?)きょうからジェットを
先ずは少しのA-4から
一枚目、既出ですが(ほとんどそうですが)1966年 A-4B Det.A
このいたずら書きは未解決です


この128347は1970年6月28日、厚木に降りてマニアを驚かせたVC−1/UA30と同機ですね。VC−5の補充機だったことが分かります。


おはようございます。
ダブルタンゴさんと同じく横田へは仕事があり行けませんでした。
もう何年も行っていません。
>M.WADAさん
UH-25は確かACのままタワーの前に置いてあったと思います。
ネガが見つかりませんが三軍で撮りました。
>ダブルタンゴさん
この手の飛行機はタキシングは撮らなかったですよね。
何しろ飛んでいるのも見ていましたから・・・
DP-2Eはトンネルの上から真っ先に駐機しているのが分かりました。
>K.Akatukaさん
DP-2Eは望遠導入後1度だけの遭遇ですか。
私達も沖縄からニッピ入りする時くらいの遭遇でした。
まだ出ていない、US-2C(133351/UE-20)です。
1972年4月の撮影ですので、グレイ塗装に変更ギリギリ前だったのか?
VC-5の位置が少し右にずれていますネ。
当然UB−26Jと混成していたわけですが、両機とも基地所属機ですから、いつでも撮れると油断し、気が付いてみるとそのカット数は余りに少ない。それは皆さんと同じですね。
ついでに当日撮ったものを調べますと、機種の多さに改めて驚きました。
F-3B (NL/VF-151,AH/VF-161)、F-4B(NK/VF-143)F-6A(WH/VMFaw542,EK/VMFaw115)、F-8D(WS/VMFaw323)、F-8E(NK/VF-141)、A-4C(NK/VA-144)、RF-8A(PP)、C-1A(CVA64)、VQ-1のEA-3B、VU-5のF-8A、ほかTC-45J、T-33B、O-1B、TF-9J。
現役のファントム、クルーセイダー、デモン、スカイレイが1日で撮れたなんて夢のようなお話ですね。
↓のUS−2Cはさくらのリバーサルですが、ワリと色が残っていました。1966年3月24日撮影。


今日も上がりに行こうと思っていたのですが天候不良につき家で写真を整理していました。
ダブルタンゴさんのリクエストにあったJD-1のすべてですが古いネガが酢酸に侵されていて写真になりません。
ということでM.WADAさんリクエストを2つ。
最初はパンサー
F9F-5KD 125316/UE-38 1961/11/3




厚木のVU-5は昔機番を1より始めていましたが00もありました。
と言っても用廃の標的KDGG-2 VU-5のハンガー前に表札代わりに置いてありました。
1963/5/18


皆さんやはり地元だけあっていろいろ撮られていますね。私はJD-1には間に合いましたがGeta-oさんのようにF-9Fはさすがに撮れませんでした。3歳の年齢差ですかね。
VC-5はそれなりに色がついていたので、失礼な言い方ですがカラーフィルムの残り枚数の消化にはちょうど良かったです。ただいま見てみるとカラーと言ってもネガカラーがほとんどで、͡コダクロームやエクタクロームでのカラーがありません。やはり被写体としては二流国民だったようです。
1968年2月の撮影です。
>M.WADAさん
流石厚木最後のSNBを捉えていますね 121との絡みもいいですね
1971年1月でしたか 私の記憶より長かったですね という事はモットネガがあってもいいはずですが、、、、、、(^^;;
>Akatsukaさん
No.624、いい感じに飛んでいますね レシプロ音が聞こえてきそうです
>geta-oさん
パ、パンサーですか! さすが恐れ入ります m(_ _)m
ではDP-2E最後は73年那覇のビーチから
これも我一人独占状態でした(笑) 気分はサイコー! ですが同じ喜びを分かち合う友がいないのも寂しいものですね (^^;
もう今後貼る機会もないと思うのでその時の転がり、降りをうっとうしいでしょうが連貼りさせていただきます m(_ _)m


>ダブルタンゴさん
南国の光を浴びたUE-32の連続ショット、眩しく目の毒です。
NAHA AB は瀬長島から撮影したのみで、仲間から聞いてはいたものの、KADENAが気になって行かず仕舞いで終わりましたが、
今こうしてダブルタンゴさんのショットを拝見し、自分の選択が間違っていたと気付かされました。
因みに、1973年5月1日は、多くの仲間達と厚木で「美国海軍」のC-117Dの離陸を狙っていましたが
ED-4がT/O,SZ-270がL/D,そしてWB-00がフライトしただけでお目当ての「美国海軍」は動いてくれませんでした。
今回、自分もダブルタンゴさんのDP-2E繋がりで4枚。
1969年5月5日(月曜日)、ローカルフライトに向かうVC-5のDP-2E/128342,UE-00.
この日の外来機はTE-1,WL-17,NG-605,NJ-324と多彩でした。
垂直尾翼のチェッカー部分が縮小され派手さがトーンダウンしています。
撮影日は1970年12月30日(水曜日)、貴重なDP-2Eの角周りなのにモノクロフィルムでの撮影で
金欠病を恨みながらシャッターを押したことを鮮明に覚えています。
この日の外来機はYD-1,SG-1,RG-101/201,413,QD-248,SS-910(エンジンポッドにコウモリのマーク付き)、
そして特筆するのは元VC-5/UE-9であったF-8K/147022が離陸して行った事でした。
マニアは9人がエンドに来ていました。
MADの切れた尻切れトンボ。オマケに塗装の変更中のようでT/Cの無いノーマーク。
それでも「VC-5」とMdx「31」が残っていたのが救いでした。
当日は37機のCVW-5機がフライ・イン。
外来機はYF-19,QD-688,RM-18,TD-1,PE-4,RG-1/2/3. マニアは16人がエンドに来ていました。
同機は16時47分、NAHAに向けT/Oしています。
この日の外来機はNAHAのC-117D,QD-687,NASU IWAKUNIのUS-2B/133179,RZ-592,SZ-242,RP-11.
そして夜になってRP-3DがL/Dしています。 マニアは4人がエンドへ来ていました。
又、横田にWTのF-4Jが2機飛来しています。
皆様こんにちは、
やっと少しは涼しくなってきましたね。
>ダブルタンゴさん
那覇のビーチ行きたかったけど機会がありませんでした。
デジ化の後に気が付くものって結構ありますね。
今回はあのお墓でRC-45Jを200mmで撮っていたのをUPします。
機体よりニッピのエプロンが時代を感じさせますね。
1968年3月撮影
先輩マニアのカメラとレンズ(ペトリペンタ/コムラー400mm)を使わせて頂いたとき撮ったUB−26Jですが、画面に入れることだけで精いっぱいでした。






UE-31/JD-1Dは厚木でスクラップでしたか。地上に捨ててあるのを見たことはあるとおもいますが気が付きませんでした。
JD-1は厚木に行くといつもT&Gをしていて見る機会は沢山あったのですがあまり写真を撮っていないことに気が付きました。
機体は時々他の基地との入れ替えがありましたので調べましたら撮影したJD-1のBu.No.は全部で8機ありましたが全部出しても面白くないのでその中でも今日はまだ出ていない残りの機首番で1,4,5を
最初は
77146/UE-1 1963年


77214/UE-5 1962/11/4


VU/VC-5機が始まり、皆さんからの力作/コメントを楽しく拝見しています。
特にgeta-oさんからアップされるFJ-4,JD-1(UB-26J)は素晴らしいですね。
他にもVU-5時代にはGramman F6F-5D Hellcat,F9F-5P Panther,F9F-8T Cougar,AD-5,Sikorsky UH-34D等、
様々な機種を運用していましたので、お手持ちの機体の写真が有りましたなら投稿お願いします。
自分も、No-610でMACH3さんがアップされていたUB-26JとUH-25Bと同時期に撮影をスタートした為
現役時代の姿を撮ることは出来ませんでした。
それゆえにUB-26J/UH-25B共にMACH3さん同様基地南西にあったスクラップヤードに置かれていた姿のショットのみでした。
此処で皆さんのお知恵を拝借したい問題が一つあります。
MACH3さんがアップされたNo-610のショットの中で右側に写るUH-25Bの尾翼とT/Cに御注目下さい。
垂直尾翼に施された塗装は紛れもなくVC-5時代使われていた赤と黄色のチェッカー模様。
T/Cはというと、HU-1のT/C「UP」の「U」の下を薄く消し上と横に横棒を書き入れ「A」のような変則文字、
「P」は右側を消し、上下に横線を引き「C」のような変則文字。つまり「AC」又は「BC」あるいは「8C」??
このPIASECKI HUP/UH-25B RETRIEVERはHU-1所属のUP-6、128527だったのは皆さんご存知の通り。
1965年5月9日の三軍記念日にNARF横で見かけたUP-6の尾翼は確か赤地に「UP」と書かれていた記憶が有ります。
MACH3さんがUB-26Jを撮影した同じ日、自分も反対側から同機達を撮影していました。
UP-6のT/Cがどうなっているか知りたいが為に敢て撮った酷いショットですが
T/Cは同じように「AC」様の書き方で両方同じと判明しました。
この128527のT/Cと塗装に関する答えがお判りの方がいらしたならば、是非ともご教授下さい。
始めのショットは機首部分ですが以前と変わりはありませんでした。
久しぶりに横田に行きたかったのですが所用で断念、色付き撮りたかったですね
>MACH3さん
そう言えばSNBのタキシング写真ってあまり見ませんね 当然A-1の角も通っていたはずですが
>geta-oさん
JD-1、どうせなら総て見せてください
>M.WADAさん
T/Cの“ナゾ”ですね いたずらにしては両面ともとは ??
VC-5、レシプロ最後はネプチューン DP-2E
一枚目は1965年の旧塗装




あのUH−25は退役後にスクラップされる前は基地西側格納庫裏の芝生に置かれていたものですね。レターもチェッカーの塗装も意味なく描かれたものだと思います。撮影日が1966年だとしますと、丁度RVAH−9のRA−5C[AC]が初めて飛来した年ですから、そこからとったものではないでしょうか。
ゲートガードとなった機体の例を見ても好き放題やってますから。
↓は1963年9月19日に撮影したUB−26J唯一のカラーです。(さくらカラーポジ)
当時は標準レンズ付きカメラしかなく、ギャジットバッグでカラーに入れ替え、撮り終わるとまたモノクロに詰め替えるという、涙ぐましい作業をしてました。


DP−2Eたくさん撮ってますね。いいなあ。
私の最も好きなネプチューンですが、標準時代に2度、望遠レンズを使い出してから1度しか遭遇しませんでした。
↓はその1度のとき1966年6月15日にタクマー200mmとコダクロームKXで撮影。


先程、ジェット機が2〜3機R/W-01を離陸していきました。
ダブルタンゴさん、K.Akatsukaさんのお力添えで「AC」のUH-25Bの謎が53年ぶりに解くことが出来ました。
「いたずら」、「好き放題」、そしてRVAH-9[AC]のRA-5Cに関連付けての考察とまでは、思いもよりませんでした。
お二人に感謝です。 ありがとうございました。
No-583でダブルタンゴさんより”RC-45Jはいつ頃まで飛んでいたのか?”との質問が有ったので調べてみました。
1970年暮れになると、マニア内からそろそろSNBも退役なんじゃないかとの話題がエンドで出始めていました。
それは既に厚木のベースフライト機としてUS-2Aが導入され日々任務に明け暮れていたのに比べ
SNBはローカルフライトでT/Gを繰り返し、オールドパイロットのライセンス維持に飛んでいるように見えたからです。
1970年は12月30日でSNBのフライトは終了し、年が明けた1971年1月1日、エプロンにUS-2A(NAS ATSUGI/144704)の
姿は確認できましたがRC-45Jの姿は何処にもありませんでした。
やはり1970年度中に退役したのかと思いきや、1月6日になってハンガーよりRC-45Jが搬出され
丁度、期間限定で基地使用が許可(大阪万博で羽田が混雑の為)されている全日空のF-27(JA-8617)が
駐機している基地ターミナルにあるVIP駐機エリアへとトーイングされて来ました。
多数の一般乗客が全日空機へ乗り込む中、その横で将校とパイロットがRC-45Jの前で記念撮影をしている様子が
眼鏡で確認できましたので、急いでお墓まで自転車を走らせ金網にしがみ付きRC-45Jの転がりを撮影。
普段は目もくれないRC-45Jを最後と思い撮りまくりました。
ところが最後と思っていた51129はエンジントラブルで敢え無く厚木R/W-19へ引き返してきました。
そして翌日1971年1月7日(木曜日)、厚木を飛び立ったRC-45J/51129は二度と厚木に戻っては来ませんでした。
その3日後の1月10日、新たにNAS ATSUGIのベースフライト機としてC-1A/146022の姿がエプロンにありました。
↓は1956年7月号航空情報のルポ記事ですが、51129は同年4月24日にVU−5で飛んでいます。
これだけ長い間厚木に駐留していた海軍機は無いのでは・・?。もっと古い可能性があるとすればVR−21のR5D(後のVC−54S)ぐらいですかね。

