>M.WADAさん
映画「トラ・トラ・トラ」の撮影用に作られた97艦攻は1枚も撮りませんでした。
理由は不明ですが、展示されていたことさえ忘れています。
USAFのF-4Cも沢山飛来していたんですね。
これも空軍機と分かった途端にカメラを下したと思います。
1972年8月の夕方離陸するC-124。
まだ、移動式GCAが設置されています。
厚木のC−124、いいですね。写真界がモノクロ中心の時代、写真のことを「光の芸術」とよく言われてましたが、カラーでもそのまま通用するのだと、このグローブ(団塊マニアはC−124のことをいう)見て思いました。
グローブ自体は素のままで何の“色気”もありませんが、夕陽の光りを身に受けたとたん見違えるように美しく変身し、まるで七変化のよう。本当に素晴らしいグローブの写真ですね。


お褒めのお言葉ありがとうございます。
この頃はどのような天候でもKIIしか撮らなかったのが良かったのかと。
飛行機のデザイン等々、個性豊かな時代の目撃者としては、グローブのタキシング時の「キ〜イン」という音が懐かしい。


>MACH3さん
Akatsukaさんが仰る通り、素晴らしいグローブのK-Uショット。
これはMACH3さんのセンスが良く出た面目躍如な作品ですね。
97艦攻は1969年4月某日、厚木R/W-19に向けSWから夕日を浴びて次々と”入港”して来た
所を撮っているのですが、未だにネガが発見できていません。
常連の仲間と撮ったことは確かなので、何方かアップ可能なら是非見せてください。
又、自分もMACH3さん同様、USAFのF-4Cは”見るだけ”が殆んどで
トラフィックが暇な時だけレンズを向けていたので、
実際に厚木を訪れていたF-4Cは、かなりの数に上ると思います。
No-1325/OA-37A”OS"と同日の17時46分30秒、厚木R/W-19へ着陸して来た"COWBOY-01".
35mm版カメラと違い6x7のシャッター幕は巨大で低速シャッターを切ると
35oよりブレる割合が大きく、最もブレが少ない「真横」でシャッターを押しました。
ブレは回避できましたが、味も素っ気も無い「魚拓写真」となってしまいました。
ブレても良いから垂直尾翼内側に描かれた”SHOUGUN"マークが見えるまで
写すのを我慢すべきだったのに、ブレる恐怖に打ち勝てず、「早押し」してしまいました。
今日は穀雨、温かい春の雨が降り穀類の目が伸び、花卉生産者は夏の花の種蒔きをする適期です。
あの10年以上続いた世界恐慌を上回る被害が出るのではと言われ始めた暗雲が一日も早く
収まり、平穏な日々が戻ってくる事を祈るばかりです。
1970年8月24日(水曜日)厚木R/W-19に向けローアプローチを行う横田/41stARRW、DET-8のHH-43B/62-4562.
此の日のトラフィックデータはNo-1380でご紹介済みなので省略致します。
此処で62-4562の41stARRW以降の歩みを振り返ってみます。
日本からアメリカに戻った62-4562はHH-43Fに改造されユタ州Hill AFB/1550thAEN Wingへ配属。
1974年3月7日、MASDC入りします。
1975年3月13日、ワシントン州にある米国天然資源省にN-324WNとして登録されます。
1984年9月12日、モーズリー航空で運用開始。
1994年7月19日、オレゴン州ジョン・ディー付近でヘリコプターによる伐採作業中に突然停電。
緊急着陸中、ヘリが地上部に衝突し機体は大きく損傷。
唯一搭乗していたパイロットも重傷を負いました。
パイロットの証言によると飛行中エンジンが突然”手榴弾”のようになったと述べ、
着陸に妨げとならない場所を探したが適当な場所が無い為、
仕方なく樹林への自動ローテーション降下を試みました。
彼はローターブレードを出来るだけ長くそのまま回転させておく為に
いくつかの大きな木々の上空を飛び回った末、他に代替案が無い為、
その中で最もしっかりした樹を選んで約40フィートの高さから、その樹に向かって緊着を試みました。
緊着時は降下率を確認する為、ピッチを引きながら細心の注意を払い樹上緊着を実行。
しかし、機体はワンバウンドして地上に落下。
着陸時の衝撃で車輪全体が機体内にめり込む衝撃の強さでした。
幸い、機体下面から落下したことで、重症を負いながらもパイロットは一命を取り止め。
彼の冷静な行動も功を奏して事故死を免れています。
後にFAAの査察官の調査で2番目のコンプレッサーが故障していることが判り
パイロットの操縦ミスではないことが裏付けられました。
事故後、機体は放置されていましたが、1997年、アリゾナ州フェニックスにある
Mosely Aviationに保存されることになりました。
2017年5月22日, N-324WNは登録抹消され、アイダホ州、Bonners Ferryに於いて解体処理されています。
>MACH3さん
夕景のグローブ、K-IIなのですね、やはり格別の発色です、、、 童謡「赤とんぼ」のような叙情の空気を感じます
>M.WADAさん
ロービジ以降のA-4しか知らない私には、そもそもA-4という存在自体がレアで、僅か数回地上展示でしか目に出来なかった憧れの機体です、、、 アツギのF-4C、堪能しました、こんなに飛来があったとは知りませんでした
私の「アツギの空軍機」は早くもネタ切れ、M.WADAさんが6x7で撮られた2日後1984年5月20日、COWBOYの展示姿を一枚。 高校に入ったばかり、初めての中間テスト前日だった記憶です(笑) SHOGUN塗装が懐かしいですね☆
>FKENさん
FKENさんにとってA-4は憧れの存在だったんですね。
自分にとって憧れの攻撃機と言えば、何といってもDouglas A-1 Skyraiderです。
A-1のエンジンをターボプロップ化したA2D SkysharkとA-4 Skyhawkが次期攻撃機候補として競い合い、
圧倒的な高性能のA-4に敗れ1973年までに米海軍から姿を消して言った為、
厚木で撮れたA-1Hは最後に厚木を去った1968年3月15日迄の僅かな期間でしかありませんでした。
No-1499は、1984年5月20日(日曜日)に厚木AFDで公開され嘉手納へ帰投する準備中の映像ですね。
因みに78−0520は18thTFWの後、マサチューセッツ州ANG,104thFWで運用され
2018年からはルイジアナ州ANG,122ndFS/159thFW所属機として飛んでいます。
自分もFKENさんのように撮りたかったのですが、ロープ際に何重にも観客とマニアの壁が出来ていて
最前列迄到達することが不可能でした。
と言うのは言い訳で、FKENさんのような情熱と気迫が失せ、”峠”を超えたマニアに成り果てたのが
本当のところだった気がします。
FKENさんのA-4好きが判ったので、自分が初めて公開で撮ったT/C入りのA-4のショットをアップ致します。
1966年5月15日(日曜日)に開催された厚木三軍記念日に公開されたVA-76"SPIRITS"のA-4C/147731.
このNG-512番は当時日本国内で嫌悪されていた原子力空母エンタープライズから飛来したものでした。
加えて、NKのファントム、ACのビィジランティーや迷彩塗装のF-100Fの展示など
中身の濃い充実した内容の公開でした。
しかし残念なことに中学生だった自分はカラーフィルムを買う身分ではなくモノクロでの撮影でしたが
フィンキャップと増槽タンクに塗られたグリーンが目に鮮やかに沁みたのを覚えています。
又、VA-76は此の公開の僅か4日前に北ベトナムThanh HoaのSAMサイトをVA-76 CO,CDR LAMES B.LINDERの
指揮で攻撃し施設を撃破。その勲功により彼はSILVER STARを授与されています。
撮影はお墓の木の最上部から撮ったもので、この高さが限界でした。
左後方に見えるのは赤/ダークグレイのS2F-U/9154、61stFSと白/グレイ塗装のS2F-C/9062,31stFSです。
以前出した各空軍機のご紹介時、準備が間に合わなかったものを今回まとめてアップ致します。
今回で空軍機は一応終了し、数は少ないですが米陸軍機へと進む予定です。
1969年3月14日(金曜日)R/W-01エンドに残る残雪の反射光を浴びながらL/DするMACのC-124C/51-7275.
同機は撮影から僅か19日後にMASDC入りし保管状態となっています。
珍しいのはWC-135ではなく、離陸スタンバイ中のUS-2Aの方で
ベトナム戦の最前線基地Da Nang ABからの飛来で、
TMのC-117,TA-4F同様、機首上部に連絡用の長いFMアンテナを装備し”実戦”の臭いがプンプンでした。
又、SZのUS-2Aを撮ったのは此の時1回だけで、厚木飛来は非常に珍しい事でした。
当日はCVW-15(NL)機のフライ・インがありNL-016/017/402/403/405/406/412の7機が飛来。
これは、ベトナム戦クルーズを終了し本国へ戻る途中、横須賀へ立ち寄る前日に厚木に降ろしたものでした。
他にRC-11とQEのP-3,そしてUE-3等が撮れました。
此の日撮れた航空機はC-141x9機、WB-8/14,WA-01/04,TD-1,RZ-793. マニアは13人がエンドに来ていました。
厚木R/W-19へL/Dして来た19thTASS所属のOA-10A/80-247.
同機は2010年4月26日、AMARC入りし、保管状態となりました。
どういう訳か、自分は厚木で米陸軍機と縁が無く撮り逃してばかりでした。
由って、三軍記念日に撮ったものと、エンドのショットを少々アップ致します。
もう54年も前になってしまった1966年5月15日(日曜日)に開催された三軍で展示されたOH-23G/63-12799.
CAMP ZAMAから飛来したもので、戦闘機と違って地味な陸軍ヘリは観客も疎らで撮り易かったです。
U-8が撮れたのは、此の時一回だけで貴重な出会いとなりました。
因みに57-6062は1979年4月23日にMASDC入りし保管状態となりました。
1981年12月2日、アンカレッジのアメリカ森林局所属となりN-104SFとなりかけましたが
キャンセルされ以後の消息が不明のままです。
もう一機のモハービはR/W-19離陸後すぐにポイント・ブラボーに向けレフトターンされてしまい
撮ることは出来ませんでした。
撮影当時、ヘリは主にターボシャフトエンジンが主流になって居りレシプロエンジンを搭載したモハービは
時代遅れの機体でしたが、大型なP&W ダブルワスプ星形エンジンの発する低出力のエンジン音は
腹の底を揺らすような重低音を響かせ5枚ローターの発する”バリバリ”という風切り音とが混ざりあい
圧倒的な爆音を響かせ離陸して来る様は度胆を抜かれるものでした。
だいぶ間が空いてしまいましたが、サボっていた訳ではなく、
今回アップ予定の写真は殆んどがブロニー版、然もモノクロネガの為、
準備にかなりの時間を要し、此処まで遅れてしまいました。
今回は、取り敢えず未発表だったZZのRF-4Cをアップ致します。
RP/P-3Aを、お墓の樹の上から撮影中にローアプローチして来た為
P-3と重ねて撮るしか手が無く、こんなショットになってしまい残念でした。
因みに、このRF-4C-37-MC/68-0549は1990年8月にSouth Korean AF機となっています。
又、P-3A-35-LO,MSN-185-5066/151353はUP-3Aに改造後、1991年4月29日にAMARC入りしています。
撮影当日の1971年3月12日(金曜日)に撮れた他の外来機はTE-1(WC-121N),TD-1,VE-15,QD-816,
QA-4,NASU IWAKUNIのC-1A/146036,VC-5のA-4E/152001等でしたが
01から19へR/Wチェンジとなり北側へ移動中に職質を受け、カバンの中身や身体検査までされ
まるで犯罪者扱いでしたが、確かに見た目は”ヒッピー”風、ホームレスに見えなくもない?
皆様、おはようございます。
>FKENさん
コロナのお陰で11日に予定されていた厚木基地の一般公開が中止となりましたね。
私も展示機の飛来を撮りたくて行きました。
U-2も撮ったんですが、箱入りのままのスライドを探すのが大変で躊躇しています。
>M.WADAさん
当時暇だった厚木には横田からGCAやT&G訓練に飛来していましたね。
HAMANOさんの写真紹介ありがとうございます。
ARMY続きでU-21Aです。
当時から時々飛来していました。
1969年2月8日 厚木
>MACH3さん
この8thARMYのU-21Aは時折Camp Zamaや立川にも飛来していたので皆さん、お馴染みの機体でしたが
S/N以外マーキング等一切書かれていないのが難点でしたね。
因みに67−18102は、後に民間に払い下げられN-7136Mのレジを付け飛んでいました。
1970年2月10日(火曜日)厚木R/W-01でT/Gを行う80thTFS(GR)のEF-4C/64-0757,Wild Weasel iv.
此の日はYD-1が撮れただけの閑散な厚木に嫌気が射し、友人とCAMP ZAMAへヘリを撮りに行ったところ、
イロコイのスクランブルに合い、そのローターからのダウン・ウォッシュで二人とも吹き飛ばされ
カメラも身体も真っ黒になり這う這うの体で逃げかえった厄日でもありました。
事程左様にCAMP ZAMAは迂闊には近寄り難い場所と自覚し、以後撮影には慎重を期すようになりました。
左主翼の内側パイロンにECMポッドを装着しています。
又、左右の増槽タンク前方を黄色、赤色、青色のストライプが斜めに描かれ
垂直尾翼先端にも上から順に赤色(36TFS/GL),青色(35TFS/GG),黄色(80TFS/GR)と塗装されていました。
来場者が機体の周りから離れず、機体全体の撮影は諦めざるを得ませんでした。
そして、仕方なく撮影したのが、此の機首アップショット。
パイロットネームは347thTFW司令官のCOL IREBY.B.JARVIS JR.
ウィングマークと共に書かれた”FANG"(牙)の意味するところは勉強不足で不明です。
No-1472でご紹介しましたXTのF-4Cの着陸後のショットが出て来たのでアップ致します。
R/W-19着陸後、US NAVYのグランドクルーにトランジェント・ラインへ誘導されるXT-793.
この頃、自分も含め厚木のマニアは写真の誘導員のように
ラッパ・ジーンズにダンガリーシャツの定番スタイルでエンドに通っていました。
然も、「制服」は勿論、YOKOSUKAアメ横で買う拘り振り。
音楽もドアーズ、スリー・ドック・ナイト、CCRとアメリカどっぷりでした。
マニアは専ら、公開機以外のNH-611/612,RP-5を撮影対象としていました。
その中で迎えたXTのファントムの飛来はマニアから”どよめき”が上がるほどの
驚きをもって迎えられました。
それは普段は絶対に撮ることのできないエプロン内での撮影が
これ以上ないと思える好天の下で叶えられたのですから無理もありませんでした。
1971年4月5日(月曜日)厚木R/W-19でT/Gを行う36TFS(GL)のF-4C/64-0758.
既に3月から横田のファントムは嘉手納の18thTFWに移動を開始して居り、
多分、この64-0758号機は整備等で移動が遅れていたものと思われます。
然し、それにしては主翼下の左右パイロンにサイドワインダーのキャプティブ弾が装着され
訓練時のようにも見え、本当のところは良く分かりません。
何れにせよ、自分が厚木で撮れた横田ファントムの最後のショットとなりました。
又、此の日撮れた航空機はWB-56,VE-14/18,UEのA-4E/150007/UE-3,152001,
RZ-618,NASU IWAKUNIのUS-2B/136480,QA-4,RG-100.
マニアは3人がエンドに来ていました。
因みに64-0758は1986年11月にAMARC入りし、1996年10月に廃物利用に回されています。
機首左横のインレット・ランプに赤地に黄枠で”Mig Killer"マークが描かれています。
347thTFWには数機のミグ・キラー機が存在しますが、
自分が厚木で撮れたミグ・キラー機は、此の機体だけでした。
何方か厚木、若しくは横田で撮影したミグ・キラー機のショットが御座いましたら
お見せ頂けると嬉しいです。
このGR-704以外にはCF-5/23,WU-1,AGANAのHU-16,YB-3/7等を仲間3人と共に撮りました。
ここで少し64-7704の機歴をご紹介します。
1965年、フロリダ州,MACDILL AFB/558thTFSへ配属され、
間もなく、南ベトナムCAM RANH BAY AB/559thTFSに移動。
1967年、DA NANG AB/480thTFS(CS),366thTFW所属機となる。
同年5月14日、CSのファントム3機が北ベトナム空軍のMig-17を各々1機づつ計3機撃墜し
その中の1機が64-7704でした。
パイロット,CAPT J.T.CRAIG. RIO,1stLT J.T.TAILORの二人が搭乗するCS-704は
Mig-17と空中戦に入りCAPT CRAIGが放った20o機関砲により撃墜したものでした。
同じく20o機関砲でMigを撃墜したのはMAJ J.MARGROVE,RIOは1stLT S.DeMUTH.
3機目のMigはAIM-7スパロー(AAA)を用いてMAJ S.BAKKE/RIO,CAPT ROBERT.W.LAMBERTコンビが
撃墜をマークしています。
1968年、64-7704は三沢の356thTFS(UD)/475thTFWに移動。
1970年、横田の80thTFS(GR)/347thTFWへ移動。韓国、OSAN ABへTDY.
1971年、嘉手納の67thTFS(ZG)"Fighting Cock"/18thTFW機となる。
197x年、カリフォルニア州、George AFBの35thTFW(GA)所属機。
1979年、アリゾナ州、LUKE AFB/58thTFTW(LA)所属機。
1982年、ルイジアナ州、ニューオーリンズにある122ndTFS/159thTFG,ANG機となる。
1987年、オレゴン州、Klamath FallsのKingsley Fieldにある114thTFTA/142ndTFGのANG所属機。
1987年3月2日付けでAMARC入り。
1992年3月、ウイスコンシン州、ミルウォーキーにあるGeneral Mitchell IAP内で
1967年11月、ベトナム上空でMigを撃ち落としたF-4C/64-0751号機の塗装を施され展示中。
「厚木で見た外来機」空軍機編、F-4Cファントムは今回で一応打ち止めとします。
1975年1月24日(金曜日)11時2分、厚木R/W-01へ編隊でローアプローチする44thTFS(ZL)のF-4C.
63-7585/63-7629の両機とも1988年にAMARC入りし、1996年には廃物処理されています。
撮影当日(1月24日)の外来機はPD-1/2,RG-1,RZ-592,RM-603(RF-4B)/616(EA-6A),SZ-124.
RM-603/616はコンビでフライト実施後、夕方、横田へ向かいました。
厚木エンドを訪れたマニアは常連の7人。
また、離陸しようとタキシー中のZE-10はコーナーでパンク〜脱輪し両輪とも交換作業となり
此の日、撮影することは出来ませんでした。
旧塗装のDF-8F/143738.
DF-8Fは当時既にガルグレイ塗装となっていたので、マニアにとって、この旧塗装のDF-8Fは魅力でした。
何故カラーで撮影していたのか半世紀以上たった今では記憶から抜け落ちていて分かりませんが
今迄、左程酷い退色もせず長い年月を耐えてくれたフィルムに感謝です。
皆様、おはようございます。
>徳永さん
1969年はヒマでしたね。
と言っても今よりも外来機は多かったですが。
>M.WADAさん
流石に外来機を沢山撮っていますね。
QxレターのC-130厚木に飛来していたんですね、私は1度も厚木では撮っていません。
>FKENさん
F-16の離陸を厚木で撮りましたが小さくて速い!
しかも北風の午前中、爆音が聞こえて突然現れる機体には止まる訳ありません。
厚木で撮ったモホークのスライドをデジカメでスキャン撮影していました。
1972年9月19日撮影。


COVID-19と寒さで今日は引籠りです。 と言っても明日には会社へ行かねばなりませんが。。。 毎度流れに合わせ切れず唐突で申し訳ありませんが、今日の一枚は2000年6月30日、翌日のWINGS2000展示のためRWY19午前降りのU-2Sです。 今では入れなくなった盛り土の丘?の上から200mmだったと思います。 U-2は99年00年01年と3連発で飛来、その後WINGS自体が無くなってしまいました。。。
> MACH3さん
ARMYのOV-1、羨ましいです、しかもオリーブドラブ塗装! 92年頃のWINGSにも飛来していたので近代でもチャンスはあったのですが会社を休めませんでした。。。 どなたかあの頃の前日翌日の写真をお願いしますです☆
>M.WADAさん
WPのF-16D、確かに2004年で転がりを撮ると言っても現在と同様、遠距離からメラメラ覚悟になったと思われますが、それでも南西側のフェンスから撮ったら良かったのではないかと妄想しています(笑) 84年、88年、どちらも公開当日だけ行きました! 懐かしいです、88年はWL09のA-4Mが展示されて嬉しかった年です。
今朝、ドリフターズの志村けんさんが新型コロナウイルスで死亡とのニュースが伝えられました。
彼と同年代の自分としては他人事とは思えない出来事で、より一層のコロナ対策を行わなければと思った次第です。
>MACH3さん
カラーでモホークの転がりを撮っていましたか。流石です!
此の時自分はMACH3さんの隣でモノクロフィルムを使用し撮影していました。
違いは歴然、自分のショットの投稿は勿論、控えさせて頂きます。
「オリーブドラブ」塗装じゃ写真映えしないとモノクロを選択した判断ミスでした。
今になると判断ミスと判りますが、アノ当時では自分の判断が極自然なマニアの思考でしたので
MACH3さんの思考回路は真に”正しい選択”を実行して居り先見の明ありでしたね。
>FKENさん
84年、88年と公開に行かれたそうで、何処かですれ違っていたかもしれませんね。
WLがお好き?A-4がお好き?アノロービジ塗装機でも嬉しかったと仰るということは
相当なファンとお見受けしますので、他にA-4のショットが有りましたら是非お見せ下さい。
重たいニュースが続いていますが、気を取り直して「厚木で見た外来機」空軍機編を続けます。
1974年7月25日(木曜日)10時5分、厚木R/W-19へL/Dする元89thMAWのVC-135B/62-4126.
折角、良い雲が出ていたのに、着陸の時だけ曇る運の無さ。
日頃の行いの悪さが招いた結果なのか、”ここぞ”という時に限って曇る場面が多々あった自分でした。。
C-135B-BNとして製造された62-4126はVC仕様に改造された後、再びC-135Bに戻され
2004年1月、TC-135Sに改造。2006年11月、RC-135Wに再々改造されています。
7月25日に撮れた航空機はWB-11,SZ-801,PC-3,海自、101FS/8005、111FS/8606,ナ/4720,VP-4/4664,203FS/4741.
CVW-5機、11機がフライト等をマニア6人が撮影。ニッピにWLのA-4E5機(WL-2/11/15/16/17)が駐機。
因みに”SAM"は89thMAWのC/Sですが撮影時点での62-4126は89thMAWには所属して居らず
敢て写真下のデータに所属部隊名は書き込みませんでした。
7月26日に撮影できた航空機はRZ-787,RP-31とCVW-5機が13機。マニアは14人が集いました。
この日の外来機はRG-056/381/422,RW-114,PJのP-3、TF-17,PR-40.夕方〜夜にP-3x3機L/D〜T/O.
62-4126同様、C-135B-BN→VC-135B→C-135Bと推移し2019年6月、"RIVER JOINT "fleet用にTC-135Wに改造され
ネブラスカ州オファットAFBの38thRS所属機となっています。
此の日撮れ航空機はWT-4/15,PD-4,RP-31,RG-101,6100thABWのT-39A/61-0680とCVW-5機13機がフライ・イン。
61-2673は1993年55WRSに於いて"RIVER CITY RAMBLER"仕様の高官輸送機C-135Cとなりましたが
どういう訳か、その年の9月28日にはAMARC入りとなってしまい、
2008年1月15日までは在庫登録されて居たものの、2013年2月にはスクラップ処理され機歴に幕を下ろしています。
仲間内の話になりますが、此の日、病に伏していた自分の師匠、中島道弘さんの為に
飛行場の仲間が集い、日赤へ献血に赴きましたが
皆の願いもむなしく、彼は間もなく天に召されてしまいました。
自分も間もなく彼と対面できると思いますが、笑顔で会えるよう願い、努力している毎日です。
今回はFAAで運用されていたT-29サマリタン、
そしてFAAとAFCSで使用されていたT-39セイバーライナーをご紹介致します。
1968年9月20日(金曜日)厚木R/W-19へ着陸するFAAのコンベアーET-29C/N-252.
此の日撮れた航空機はVA-82のA-7A/AE-304,306,LP-3、C-124C.
同日、空母ボン・ホム・リチャードが横須賀へ入港。
前日19日にはVA-93のA-4E/154989/NF-311が1機だけフライ・イン。
”暗黒の69年”を暗示するような出来事でした。
因みに、52−1128の機歴を紹介致しますと
T-29C→AT-29C→1962年にET-29C/N-252となり1969年12月に
FAAからUSAFに戻りVT-29Cとなり、1975年1月MASDC入りしました。
1979年3月にSouthwestern Alloys Corpに移籍し後に解体されています。
此の日はCAMP ZAMAのイロコイス#-2がGCAでローアプローチを繰り返す中、
RM-24がニッピ入り、そしてニッピからVE-14がテストフライトした程度でした。
因みにN-88は1993年12月29日、FAAから登録抹消されています。
此の日撮れた航空機はQD-788,CF-16,RZ-793,RG-3. マニア10人がエンドに集いました。
又、横田にQBのC-130BがL/D,CAMP ZAMAへUS ARMY BASE COMMAND OKINAWAのU-21A/18097がL/D。
翌日、仲間とCAMP ZAMAへU-21を撮りに出かけましたが、一足違いで撮り逃がしてしまいました。
此の日撮れた航空機はフライトチェックのC-46D/51-1114,TR-24(TA-3B)。
この他にUS ARMYのCH-47がL/D〜T/OしていますがR/Wを使わずアプローチして来た為アウトでした。
又、9月27日と30日にNFのA-6が3機づつ計6機L/Dして居り、
このことから、CVW-5機の厚木移駐が目前に迫ったと判断した厚木のマニア11人、横田からのマニア15人、
計26人がエンドに詰め掛けてました。
此の日撮れた航空機はRG-056/381/427,SA-13/14,QD-799を仲間10人と撮影。
そしてバイセンUP-01(SH-3A)がCAMP ZAMAでT/G訓練を行っています。
又、此の日は早起きし、横田の東側国有地内から
マーク付きMCAS IWAKUNI/C-117D/50833のタキシングが撮りたくて出掛け
午後から厚木に戻って撮影と二股をかけましたが、若さゆえ出来た行動でした。
今日も横田のセイバーライナーのご紹介です。
1975年1月15日(水曜日)9時58分、厚木R/W-01を離陸する475thABW のCT-39A/60-3490.
此の日撮れた航空機はRG-00,QA-11,SZ-801。それを何とマニア80人と一緒に撮りました。
何でこんな人数かと言うと、大部分のマニアはCVW-5機のフライ・オフ目当ての来訪だったのです。
この時代、今のように情報の伝達は進んでおらず、前日14日、既にフライ・オフしていた情報が
伝わっていなかったのが原因でした。
現在はこのような失敗は無くなりましたが、肝心なCVW-5が厚木から居なくなってしまうという
皮肉な結果となっていますね。
又、CAMP ZAMAでU-21AがT/Gを繰り返しているのを目撃、車でダッシュしましたが復もや間に合わず
座間で撮れないというジンクスは生き続けたままでした。
此の日撮れた航空機はRZ-604,QD-247,RC-5,SA-01/02,SZ-801,ED-10,RM/EA-6Aのエンジンテストを
常連4人と撮影。
此の日、23機のCVW-5機が10時30分より15時10分にかけてフライ・イン。
外来機はRG-353/413,RZ-592/609,UE-01/02,YT-00/7/9/14,QD-684/816,QB-690,NASU IWAKUNIのUS-2A/136510.
又、CVW-5機と共に垂直尾翼に地球儀に乗った白うさぎを描いたEA-3B(PR-06)がC/S"NF-627"を用い飛来。
マニアは13人がエンドに来ていました。
実は先月の31日にぎっくり腰をやってしまい、今日に至るも良くなっていません。
こうして椅子に座るのが最も痛くて投稿が遅れてしまいました。
治るのが遅いのは、どうやら歳を重ねたのが原因のように思われますので
気長に直していくしかないようです。
今日はKCを3枚、WCを1枚アップ致します。
1983年3月31日(木曜日)12時10分、厚木R/W-01へL/Dする嘉手納/376th SWのKC-135A/57-1432.
何故、厚木へ飛来したかは不明です。
此の日のトラフィックデータはNo-1279でご紹介済みですので省略致します。
57-1432は後にKC-135Rに改造されアラバマANGに配属されています。
1983年2月6日から4月22日までインド洋に展開していた空母アメリカ搭載のCVW-1(AB)に
派遣されていたVAQ-136のEA-6Bが、此の日、任務を終え厚木へ帰還。
15時42分から16時5分にかけ次々とEA-6Bが帰って来ました。
又、午前中にCVN-70搭載,VF-51と111のF-14Aが1機づつL/Dしましたが、エアバンに夢中で撮り逃がし。
その他の外来機はRG-353/425,WPのA-4M,PR-42,UP-3A/150528.常連のマニア5人がエンドに来ていました。
此の日7機のCVW-5機がフライトを実施。
外来機はAFCSのT-39A/62-4476,RG-354,TG-37,RC-00,SA-11/12,CY-621,USMCのUH-1,PR-41,RU-051.
61-2672は後にOC-135Bに改造されOPEN SKIES機となっています。
腰痛がやっと回復してきたので投稿できホッとしています。
1973年4月23日(月曜日)厚木R/W-01へローアプローチする56thWRSのWB-57F/63-13289.
この頃、垂直尾翼には「WEATHER」ではなく「MAC」の文字が書かれ
その下に"Military Airlift Command"のバッジが付けられていました。
此の日撮れた航空機はWA-04が1機でしたがマニアは10人ほどがエンドに来ていましたが
これは前々日離陸したNE-614の情報からCVW-2(NE)機の厚木フライ・インを当て込んでのものでした。
実際、厚木に艦載機が飛来したのは、それから一ヶ月以上経った5月24日で
空母コーラルシー搭載のVF-51/F-4N,NL-110,114でした。
胴体と主脚の間に見える黒い容器は集塵ポッドです。
此の日撮れた航空機はRG-1,WB-00,SZ-838,RTN のS-2F,WA-02,SG-5,PR-0.
マ
此の日撮れた航空機はRP-14,TD-1,ED-7,YB-10,PC-3.PD-2/7,SZ-270.
マニアは9人がエンドに来ていました。
因みに63-13302は1か月半後の6月5日にはAMARC入りしましたので
此の時期が13302号機の最後の姿となりました。
此の日撮れた航空機はWA-00,WB-12,UE-30,NF-404(A-7B)そしてVA-75のKA-6D/151570、AC-516.
常連マニア7人がエンドに来ていました。
AC-516は横須賀入港中の空母から艀で杉田の日飛に運ばれ整備後、再び艀に載せられ
木更津へ移動、厚木の日飛に飛来したものと思われます。
又、杉田の日飛で撮影したAC-516を西村さんから頂いたスライドは自分の宝物となっています。
今日は1960年代から親交のある関西の友人Hamanoさんの作品をご紹介致します。
日にちの特定が出来ませんでしたが、多分1968年の冬と思われる時期に撮影された空軍ファントム。
雲を頂く富士山をバックにRW-01に着陸するノースカロライナ州、Seymour Johnson AFBを
ホームベースとする4thTFW/335thTFSのF-4D/66-7678.
厚木初飛来となったD型ファントムで335thTFS(SB)と確認できたのはフィンキャップに緑地に白抜きで
インディアンのマークが描かれていた事に由ります。
又、334thTFS(SA)は青地に白のドット、336thTFSは黄色地に茶色のドットが描かれていました。
此の時は1968年1月23日10時に米海軍情報収集艦プエブロ号が北朝鮮警備艇に領海侵犯を理由に銃撃を受け
乗組員1名が死亡、82名が身柄拘束を受け艦と共に北朝鮮に連行。
此の事態を受け米海軍は空母エンタープライズの佐世保からのベトナム戦復帰を取りやめ
急遽、日本海へ展開。
一方、米空軍もノースカロライナ州シーモア・ジョンソンの4thTFWのF-4D/3個飛行隊を
韓国クンサンに緊急展開させました。
此の3個飛行隊(334/335/336thTFS)の内のひとつ335thTFSのF-4Dが厚木に飛来した時のショットが
今回、ご紹介した一枚です。
因みに、これら3個飛行隊は訓練で良く横田へ飛来し、日本初飛来のF-4Dはマニアを喜ばせましたが
訓練の他に未改修だった機首への赤外線センサーアンプを取り付けるための飛来も多くありました。
関西のマニアであるHamanoさんが、
地元・厚木のマニアを差し置いてF-4D厚木初飛来をモノにする凄さ。強運とバイタリティーに脱帽です!
やっと腰が治り始めたら、今度は両目が細菌にやられて眼医者通いとなってしまいました。
歳をとると、次から次へと病気が押し寄せ閉口してしまいますが、
コロナウイルスと合わせ、対処していかなくてはなりません。
皆さん、くれぐれもお体大切にして、お過ごしください。
さて、「厚木で見た外来機」空軍機編もいよいよ佳境を迎え「戦闘機編」へと進みます。
自分が厚木で最初に目にした空軍戦闘機は1965年5月9日(日曜日)に開催された
「アメリカ軍三軍統合記念日」で撮影した35TFSのF-105Dサンダーチーフと
40FISのF-102Aデルタ・ダガーでした。
然し、親父から借りたKONICA AUTO Sでの撮影は撮影の基本が全くないまま臨んだ為、
写真になっていませんでした。
その失敗の一年後、何とかモノにできたのが1966年5月15日の公開で撮った
356TFSのF-100Dと迷彩塗装のF-100F、そして441TFWのF-105Dだったのです。
最初は海軍機と違うジュラルミン肌の航空機に「空軍」を意識したF-100D.
自分と同じく興味津々で背伸びし機体に触れる子供に共有感を抱きました。
因みに、56-3335は後に3rdTFW/356thTFSに移動しベトナム戦争に参加。
1969年4月23日、CAN THO省、BINH THUYの西12マイル上空で北ベトナム軍の地上砲火により墜落。
パイロットは緊急脱出し、連絡を受け現場に急行した空軍のHH-43Bハスキーに無事救助されています。
一般の観客はジュラ肌のF-100Dより迷彩塗装のF-100Fの方が人気が高く人影が途切れず
仕方なく撮ったのが、このショットでした。
56-3783は1978年9月15日にトルコ空軍に引き渡されS/N-56-3783のまま運用されました。
まだ不自由ですが、今日の午後から目が開き投稿が再開出来るようになりました。
自分の現役時代、厚木に飛来したファントムは1963年〜1964年製造のF-4Cが主で
これらのファントムはベトナム戦で失われた機体も多く、
生還しても状態が悪くBDRT機になるか、スクラップとなった機体も多く有り、
一部、状態の良いものがANGに回され使用されました。
ZZのRF-4CもT/Gに訪れてはいますが、飛来回数は少なかったと記憶しています。
1968年3月15日(金曜日)厚木R/W-01へ着陸する35thTFS(GG)のF-4C/64-0699.
この機体は1966年4月23日、北ベトナム上空に於いてサイドワインダーを使用しMig-17を撃墜しています。
当時の所属部隊は555thTFS(FY)/8thTFW,Ubon RTAB.
その後64-0699は1989年7月20日、AMARC入りし、現在はアリゾナ州デビス・モンサンAFBで保存中。
F-4C撮影当日、空母レインジャーが日本海に向け佐世保を出港。
そのCVA-61に向けVA-165のA-6A/152909、NE-504とVAW-13.DET-61のEKA-3B/147649,VR-722が
厚木R/W-19を離陸しています。
又、空母コーラルシー搭載、VA-25のA-1H/139803,NL-404も同じくR/W-19をT/Oしましたが、
此の離陸が厚木におけるA-1Hの最後の離陸でした。
このF-4Cは横田の347thTFWへ配属の為に来日したもので、何故厚木に飛来したかは不明です。
右翼内側パイロンにSUU-21訓練弾ディスペンサーと胴体中央下にSUU-16 バルカン砲ポッドが見えます。
此の日撮れた航空機はUE-32とWorld AirwaysのB-707C/N-372WA.
因みに64-0824は1972年8月21日、英国Lowestoftを離陸後、北海上空でF-4C/64-0812と空中衝突、
両機とも墜落しクルー全員が死亡しています。
外来機は空母ハンコックのC-1A/136740、#-000が1機でしたので
GGのファントムは時間潰しには、持って来いでした。
64-0705は1987年1月26日にAMARC入り後、1991年ネバダ州Tolicha Peak Rangeで
標的機として使用されました。
厚木三軍記念日の最中Cam Ranh Bay AB,South Vietnamから飛来した
558thTFS(XT)所属のF-4C/64-0793.
厚木R/W-19へのオーバーヘッドアプローチからライトブレークしたところを捉えたショットです。
横田では、このころから1970年4〜5月にかけ12ndTFWの557thTFS(XC)や558thTFS(XT)が
修理/改修等で度々横田を訪れるようになり地元マニアにはお馴染みの存在となっていましたが
此処、厚木に於いてXTのファントムは珍しく驚きを持ってシャッターを押したのを覚えています。
因みに、64-0793は1987年10月、ハワイ、Hickam AFBでBDRT機として使用後、
Hawaii ANG/154thWingで訓練機として使用中、韓国から展示機として使用したいとの
計画が持ち上がりましたが、結局輸送費等、金銭面での折り合いがつかず計画は挫折。
輸送準備中だった64-0793号機は再びANGに戻すには経費が掛かりすぎると判断され
スクラップ処理されるという不幸な最後となってしまいました。
皆様、おはようございます。
>FKENさん
WINGSの頃は外来機が多かったですね。
今年は中止となりましたが、厚木の公開も飛行機が少なくなりました。
>M.WADAさん
AFのC-130は時々厚木に飛来していましたね。
何度か撮っていますが、厚木はヒマな飛行場だったんでしょうね。
現在は横田から飛来する事は稀です。
デズニ―のキャラクターは軍用機ではあまり使用されてないようなのでC-54は珍しいですね。
>あかつかさん
期待通りに飛行機が飛来しないのが軍用機を待っている楽しみでした。
逆に飛来した時間や天候がもう少し前後していたらと思う事は何度もありました。
>徳永さん
当時は横田から時々F-4Cが飛来していましたが、タキシングを撮る機会はありませんでした。
1969年6月1日(日)KC-135とF-4Cが3機、厚木に飛来しました。
当時は横田は滑走路工事をしていて日中はクローズで厚木に飛来したと思われます。
1967年2月15日撮影のTC-47J 50752。記録によるとこの機体は前年に海軍大使館事務所(USN Attaché Office)所属になり民間のレジN79963が与えられていますが、その後海軍に戻り訓練機になったのでしょうか?
>MACH3さん、
日中クローズで飛んできたのはKC-135とF-4Cですか。このころ横田も暇でしたからね。
>FKENさん、
初めまして。もしかしてNFがまだ厚木にいた頃にお会いしているかもしれませんが。1995年はまだ休眠期でしたので、このA-10をはじめヨーロピアン・ワンの迷彩は一度もお目にかかりませんでした。#1378の25TFSのF-4C 64-0699は、35TFSに移管される前の555TFS時代の1966年4月23日に北ベトナム軍のMiG-17を撃墜していますが、その面影は全然ありませんね。
1969年6月1日(日曜日)は撮った記憶はあるのですが手帳に記載が無く
ネガの発見にも至っていないので、あやふやなままです。
MACH3さんはしっかりスキャンし投稿までされ羨ましい限りです。
因みにKC-135/61-0317はKC-135Rとなり
1999年11月時点で嘉手納の909thARS/18th Wg(ZZ)で活動していました。
そして3機のF-4Cですが、これが唯のF-4Cではなく俗に”EF-4C"と言われていた
”Wild Weasel-iv(four)"機だったんですね。
機首上下に突起状のアンテナ各2個と左空気取り入れ口側面に1個の
計5個が見えEF-4Cと確認できます。
1968年にF-4Cより改造された36機の内の一部が横田の80TFS(GR)へ配属時に
厚木へ寄り道し、運よくMACH3さんが撮れたのですね。
1971年春、横田のF-4C達は嘉手納の18TFWに移動となり
EF-4Cは67TFS(ZG)に配属替えとなり後に”ZZ"のT/Cで活動しました。
厚木に降りた3機のEF-4Cの現役後の状況を追ってみました。
63-7478、MSN-471,1989年2月、”Flack Suppression Aircraft"として
Wright-Patterson AFBで戦闘時損傷機の修理訓練用(BDRT)機として使用。
63-7574、MSN-621、1986年2月に登録抹消。
サウスカロライナ州、SHAW AFBで68-708として展示後、
フロリダ州、Avon Park Rangeで標的として使用。
64-0791、1987年5月、テキサス州、Bergstorom AFBでBDRT機として使用後
テキサス州、Manchacaで保存されていたものを同州のAustinで展示。
>徳永さん
珍しい-47を撮られていますね。
大戦中の1944年10月3日にUSAAFからUSNに移管された古い機体ですし、
機歴も多岐に及んでおりますが、Nレジ以降、USNに戻ったか特定出来ませんでした。
「厚木で見た外来機」、空軍のハーキュリーズを続けます。
1969年3月18日(火曜日)厚木R/W-01エンドに雪が残る中、降りてきた
立川基地、815TAS(MA)所属のC-130A/57-0481.
此の日撮れた航空機はLN-10,VXN-8のRC-54R/90396,WH-14.
ニッピに駐機中のVE-2を撮影中に降りて来たところを撮ったのですが、
C-124から降ろしたバートルの胴体部分にMAの機首部分が重なってしまった失敗作。
VE-2のL/Dを撮れていれば起こらなかった失敗で、勿体無い事をしました。
又、前日の20日にはVQ-1に2機目のEP-3B/PR-32が到着しています。
此の日撮れた航空機はCF-5,USAFのC-54E,Arizona ANG のC-97G.
此の日撮れた航空機はCVA-31,USS BON HOMME RICHARD搭載、HC-1,DET-3のUH-2C/NF-006のみ。
撮影日は1970年9月5日(土曜日)厚木R/W-19から離陸の為、
お墓前の誘導路をタキシングする同機。
此の日撮れた航空機はRM-16/17/24,元MATSのC-124C/52-1086.
春めいて薄く霞んだ青空と共に明けた朝でしたが
次第に南風が強くなり始めた9時に海自のP-1がT/Oして行くのが見えました。
今日も昨日に引き続きまして米空軍のハーキュリーズをお届けいたします。
1970年4月9日(木曜日)厚木R/W-19へL/Dする那覇/817ATS(YU)所属のC-130A/56-0518.
此の日撮れた航空機はYB-10,ニッピのテストフライト機のA-4E,TA-4F,F-4BそしてCH-46.
此の日撮れた航空機はUE-5/8(A-4E),9/xx(F-8K),SZ-833(機首先端に2本の長いアンテナ装備)、
PE-12,RM-8,VA-144のA-4F/NF-504/514/515,SS-901,QE-10,RG-102.
海自、2空のP2V-7/4643と11空のS2F-1/4107.
1970年9月11日(金曜日)厚木R/W-19でT/Gを繰り返した空軍のハーキュリーズなのですが、
どういう訳か、機首アップショット1枚しかなく、S/Nが確認できません。
機首、風防ガラス内側に”マーメイド”のマークが飾られていました。
何方か、このハーキュリーズの詳細を御存知でしたらお知らせください。
同じ日にANAのF-27 #-33の着陸が写っていました。
徳永さんの貴重なF-4C 35TFS @ D-1を拝見して、今日の一枚は2004年12月30日、RWY01へ滑り込む35FSのF-16Dです。 この時はCVW-5とのDACTだったのか、80FSと混成でしばらく展開訓練していたようです。 厚木では珍しい空軍機の飛来だったのに、空中真横のカタログ写真ばかり、、、転がりのひとつも撮っておけば良かったと後悔しています。
>徳永さん
どうぞよろしくお願い致します
#1378はMiGキラーなのですね!解説有難うございます!
>M.WADAさん
EF-4C、知りませんでした、とても興味深いです
お膳立てされた公開当日よりも前日後日の到着/お帰り写真が見たい、、、は同感です、どこでどう撮るか、で個性が出ますものね! #1395のT-33、6x7の解像度と共に素晴らしい作品ですね、私にはこの視点がありませんでした。。。
>akatsukaさん
今も昔もRWY19の午前降りは引地川の「窪み」がポジション取りを難しくする分、皆さんの創意工夫が見られて楽しいです!
>FKENさん
2004年の年末にWPのF-16DがCVW-5機とDACTを実施ですか。決着は如何に?
”Wolf Head"がキャノピー後方から垂直尾翼に移った35FS時代の方がスマートに見えますね。
「転がりを撮る...」とありましたが、
2004年時点で、南の角や「お墓」前の誘導路の撮影は可能だったんでしょうか?
自分が厚木を去った1986年時点でも植栽された樹木が育って来ており、
撮影する際、かなりの支障が生じていました。
F-16繋がりで、1984年5月20日に厚木で開催された三軍記念日に展示する為
前日、11時9分に飛来した35TFS(1992年2月3日、FSに改称)のF-16A/81-0685,"SNIPER-02".
81−0685は1999年5月、Hill AFBで合成機用として使用されました。
1984年5月19日(土曜日)厚木に飛来した航空機はRD-2,SG-7,RG-425/426/712,CF-11,QD-812,WX-752,
空自のT-2,C-1,203空のF-15DJ,海自VP-1/4753,VP-2/4759/4775,VP-5/4769,VQ-81/9162,
米空軍のA-10A(SU)x2機。
残念ながら、かなり厚く雲が垂れ込み撮影には不向きな日でしたが
此の日が自分にとって最後の三軍となりました。
その時、垂直尾翼だけ撮影した13TFS(MJ)”PANTHERS"のF-16C/85-1500.
この機体も1999年9月には本国に戻りIN ANG/113FS(TH)に配属になっています。
一枚目は1971年2月5日(金曜日)厚木R/W-19へ着陸する横田/556RS(GT)のRC-130B/58-0711.
此の日撮れた航空機はRG-100/407,PR-0,EDのA-6A,SZ-08,QD-791,VE-5,YK-21,
そして海自13空のS-2F-1/4126でした。
遡れば1969年4月の”QW"や”QG"に始まり、多くのQxレター機を撮り逃し続け
やっと撮れたのが此の一枚でした。
実は前日にもQF-635は厚木に飛来(QB/29TASも飛来)しましたが
この時もジンクス通り撮り逃しで万事休すと思われましたが
幸運な事に翌日も飛来してくれ目出度く撮影の運びとなったのでした。
とは言うものの、此の日は朝から南風が強めに吹き通常ならばR/W-19運用の筈ですが
何故か01運用が続き仕方なく01エンドに赴くと、既に一人マニアが鎮座。
いつ19に変わってもおかしくない状況下での着陸機待ちは経験上”黄信号”と
百も承知の待機であり、何度となく苦汁を飲まされた記憶が2人の脳裏を駆け巡ります。
そんな中、降りてきたのがQF-635でした。
然も、着陸直後にR/W-19がタワーからコールされ、相棒を見やると安堵の表情で一杯でした。
当のQF-635は午後T/Oしましたが、タキシングも離陸も間に合わず、
結局撮影できたのは、アノ01から19へ変わる寸前のワンショットでしたので
自分にとっては貴重なQFのハーキュリーズ、という訳です。
マニアの皆さんは此の時期、植物、特に花や桜を絡めての撮影に勤しんでおられますが
自分の現役時代に、このような着想で写真を撮るマニアは皆無でした。
自分は精々基地内の桜を取り入れるのが関の山でインパクトに欠けた表現しかできませんでした。
”インスタ映え”の影響なのかは分かりませんが、より”見せる”方向へシフトした
撮影スタイルとなり、全自動カメラと相まって表現が多様化して来ていると感じられます。
第二次世界大戦中に作られたC-54E-15-DOスカイマスター#44-9106は
1950年(昭和25年)6月、北朝鮮軍が38度線を越え韓国内に侵攻し朝鮮戦争が勃発。
戦闘は激烈を極め、それに伴う傷病兵が続出した事を受け、1951年に患者輸送用に機体を改造。
#44-9106はMC-54Mという機内一杯にベットを引き詰めた仕様に変更されました。
44-9106を撮影した1970年8月14日(金曜日)の時点では、
多分、ベット等は取り外され通常の輸送任務に就いていたものと思われ
呼称も単にC-54Mであった公算が大です。
又、前輪脚カバーにチャーリーブラウンの家に逃げ込むスヌーピーが描かれています。
差し詰め、「家」がスカイマスターで「スヌーピー」が傷病兵というところでしょうか。
資料によりますと、1951年MC-54Mに改造後44-9106は台湾にMDAP供与され#5405として活動。
その後再び米空軍#44-9106に戻り、機体飛行耐用年度迄飛行を続け、
最後には台北のSung Shanで保存展示されたとありました。
この資料を信じるとすると、厚木飛来は44-9106の最晩年の姿だったようですが
当日(8月14日)はNY ANGのC-97が降りただけと奮わず、エプロンのJB/NC-121Kも動かずでした。
空軍機を撮る位なら海軍機を一枚でも多く撮るというのが大方のマニアの考え方でした。
従って、手帳にさえ空軍機の記載を省く傾向が有り、其ツケが今になってデータの確認という場面で
手痛い竹箆返しとなって反ってきています。
その馬鹿にしていた空軍機のひとつがT-33Aでしたが1969年6月21日(土曜日)は
どうした風の吹き回しかT-33を真後ろから撮ったショットが有りました。
赤色地に白抜きでThree-starが描かれていますが、これはひょっとしてLT GENの印なんでしょうかね?
後に56ー1728はフィリピン空軍機となっています。
撮影した1974年6月29日(土曜日)には、他にQE-1,YB-10,PR-00が撮れ常連9人がエンドに来ていました。
又、横田にWLのA-4Eが2機L/Dしています。
前回の投稿直後、突然、通信回線がダウン。必死で復旧作業を行うも功を奏せず就寝。
翌日、9時、サービス開始と同時に電話、チャット等、あらゆる手段で連絡を取り、
指示に従い復旧に努めましたが、通信会社が出した結論は意外なものでした。
此の回線ダウンは当社が原因ではなく接続業者の方に問題があるというものでした。
電話が使えず、通信回線の信号で動いているPCがダウンしているのだから
通信回線が原因なのは火を見るより明らかな筈と反論しても相手にして貰えませんでした。
此の押し問答は男女電話オペレーター延べ5人と延々3時間に及び繰り広げられ
最後に出てきたオペレーターが自社の最終端末器が故障していると認め
速達で代替品を送ることで決着し3時間半に及ぶ攻防に終止符がつきました。
ところが、数分もしないうちに再び通信会社から電話が入り
技術の方へ連絡を取ったところ、遠隔操作で調査したところ分配機が壊れていることが判明したので、
前言を取り消し、早速、通信本線からの分配器を交換しに今から行くとの連絡が入って来ました。
電話後の作業員の対応は素晴らしく敏速、丁寧、優しい笑顔が素晴らしい好青年でした。
とは言え、長時間に及ぶ電話と忍耐は筆舌に尽くし難い苦痛を伴い
出張料、技術料、実費等々、カネ、カネ、カネと迫るオペレーターの態度には憮然としました。
現場サイドの対応が早く、満足いく通信環境が戻って来たことは何より良かったと一安心。
今回の件で、自分が如何にインターネットに依存して生きているかも再認識させられた出来事でした。
トラブルで遅れた分も含め、一挙に8枚のVC-118Aのショットをアップ致します。
1972年7月25日(火曜日)ピカピカに磨き上げられた銀色の機体を輝かせ
厚木R/W-19へ着陸して来た第五空軍所属のVC-118A/53-3297.
此の日の収穫は、このVC-118Aが一番でした。
又、この二日後、CVA-34 USS ORISKANY搭載のCVW-19(NM)機、28機がフライ・インしましたが、
厚い雲が垂れ込める悪天候でマニアは3人に止まりました。
此の日は厚木へ飛来中のCVW-19(NM)機の内9機がフライトを実施。
外来機はQB-800,NF-404(A-7B),World AirwaysのB-727,WB-9/12,UE-03.マニアは32人が集結。
C-118AからVC-118Aへ改造され空軍で運用されていましたが1975年1月24日にMASDC入り。
ところが、直ぐにフロリダ州、マイアミのBELLOMY LAWSON INCに渡りN-3492Fを取得。
更にマイアミのOCTAVONICS社に移籍しN-96BLを取得後、同社が51-3827を台湾空軍に売却しました。
台湾空軍籍となった同機は4月30日、サイゴン陥落に伴い、タン・ソ・ニュット空港から
グエン・バン・チュー大統領と大量の金塊を載せベトナムを脱出。
この際、同大統領は4月17日、米議会から軍事援助を打ち切られと事により4月21日に
既に大統領職を辞任していたので、正確には元大統領と言うことになります。
タン・ソ・ニュット空港を飛び立った51-3827は在台湾米空軍基地へ着陸。
米軍の管理下に置かれた同氏は金塊と引き換えにアメリカへの亡命が認められたようで
2001年9月29日、78歳で病死するまでマサチューセッツ州ニュートンで暮らしました。
グエン・バン・チューの脱出劇はアメリカのメンツを保つため台湾を巻き込んで仕立てられた作戦と
見るのが妥当と思われ、2度も登録を変え変装し道具として使われたのが51-3827だったようですが
アノ金塊はどうなったんでしょうかね?
此の日、F-8J/150632、RF-8G/146856,A-4F,VA-212/164,NP-315/410,4機が8時20分T/O.
他にRZ-574,YD-7,UE-02/04,CF-01/17,WL-5/14,QD-688.
又、10月7日(日曜日)より入間で開催されていた第4回国際航空ショーに
厚木から多数のマニアが撮影に出向いていたにも関わらず
NP機狙いで33人のマニアが厚木を訪れていました。
自分が知る限り、厚木で国旗の描かれたportsideを撮れたのは此の時だけだったと思われるので
今回、不明瞭ではありますが、敢てトリミングしお見せ致します。
乗降口側のみの記載だったことが判ります。
この日の外来機はCF-17,RM-18,YF-19,SZ-242/270,そしてX1G-1Bのテストフライトをマニア13人が撮影。
翌13日(土曜日)、雨が降ったり、時折陽が射したりと不安定な空模様の中
11機のCVW-5機がL/Dするところを二人のマニアが撮影しています。
皆様、こんにちは。
>FKENさん
F-15Eが飛来していいたのは全く知りませんでした。
最も2001年頃はあまりエンドには通っていませんでしたが。
>M.WADAさん
厚木ではC-141は地上を入れてのショットが多いですね。
そういう私も1度だけ胴体の短いA型を撮った事がありますが、スライドが見つかりませんのでコメントだけとさせてください。
>あかつかさん
里芋畑シリーズ面白そうですね、しかし季節と北側の午後のショットと限定されてしまいそうですね。
>徳永さん
青春真っ盛り、友達と遊んでいる方が飛行機より楽しかった時代もありました。
米空軍機をもう少し。
1971年4月8日に撮影したC-47B。
海軍はC-117D、海自はR4D-6と老兵はこの頃まだ頑張っていました。


>MACH3さん
1971年4月8日にも空軍のC-47が厚木に降りていたんですね。
自分も2月20日にL/Dを撮っていますが、ほとんど同じ雰囲気のショットだったので
最初、同じ日と勘違いしてしまいました。
この43−16251は1955年8月27日、TACHIKAWA ABでJoe W.Donaldoson操縦時に事故を起こし損傷。
幸いにも修理(ニッピ?)により蘇り16年間も飛び続け任務を全う出来たとは立派でしたね。
その後、43−16251は認められた全ての飛行時間をフライト後、運用停止、除籍となりました。
「お墓」前の誘導路を転がるUKのF-4Dとは珍しい。
自分は”厚木”と判る空軍のファントムの転がりは撮れなかったので羨ましいです。
UKの後ろに見えるC-124は、日飛にベトナムからのバートルを降ろしているんでしょうか?
もっと真面目に空軍機を撮って置くべきだったのですが、
当時はNAVY/Marines機を撮るので精一杯で知、技、金、三拍子が有りませんでした。
1971年6月14日(月曜日)厚木R/W-19へL/Dする50TASのC-130E/64-17680.
此の日CVA-41が横須賀へ入港。5月半ばから6月半ばにかけ、相次いで空日が入港しましたが
CVS-14 USS TICONDEROGAはS-2とSH-3が数機、CVA-61 USS RAGERはEKA-3Bのみと奮わず、
フライ・インして来たのはCVW-5機だけで、肝心のCVW-2(NE)のVF/VA機は全機空母上に留め置き。
救いだったのは5月28日から6月5日までCVS-14が海自と合同演習を実施した関係で
HS-4/8のシーキングとタイコンデロガのC-1Aが厚木〜空母間のCOD任務で往復した事でした。
6月14日に撮れた航空機はNT-403/500,RTAFのC-123,UE-21,海自205ATSのR4D-6/9022.
機首に海難救助マーク17個、救命救急マーク4個そして遭難機救助マーク2機が書き込まれていました。
此の日撮れた航空機はWL-8,SG-1,MCAS IWAKUNiのUS-2A/136421.常連のマニア7人が来訪。
この日の外来機はMACのC-130Ex2機、SA-07,VE-1,YD-4,QE-10,RZ-604/805,CY-622/623.
CVW-5機8機がフライトを実施。 常連のマニア6人がエンドに来ていました。
この日の外来機はUE-30,SZのC-117D,VE-5,RZ-432(VC-118B),PR-0,RG-202,NAS AGANAのC-121J/131659.
厚木で撮った横田のF-4Cです。最初は35TFSのF-4C 64-0699。
例によって日付が特定できません。1968年の2月ですが、この日VA-165のA-6A NK504/506が上がり、VAH-4のKA-3B ZB11/13が降りていますが。
>徳永さん
お墓」前を転がるGG/GLのファントム。それもカラーで撮影されていたとは。。。
増タンのブルーとレッドを見てカラーで撮影する事の意義を改めて痛感させられました。
それは既に自分の頭の中から増タンに塗られていたカラーが消えていたからです。
リクエストにあった日にちの特定ですが、結論から言うと特定できませんでした。
先ず、徳永さんのコメントにあったVA-165のA-6A/NK-504,506の件ですが、
1968年2月時点のVA-165の所属はCVW-2(NE)であることと、
NK-504と506の所属部隊は此の時VA-196/CVA-64 USS CONSTELLATIONでした。
そして1968年2月時点でCVW-14(NK)はCVA-64と共に本国に居りました。
つまり徳永さんは”NK"ではなく”NE"のA-6Aを見られたのではないかと思われます。
VA-196のA-6Aは1968年5月から1969年1月にかけCVA-64とベトナム戦クルーズを行っています。
自分の手帳から徳永さんがお尋ねのZB-11/13を探してみたところ
1968年1月15日(月曜日)ZB-11/12 L/D
1968年3月14日(木曜日)ZB-12 L/D
1968年3月15日(金曜日)NE-504 T/O、VR-722 T/O, NL-404(最後のA-1H)T/O.
以上が自分の手帳から調べることが出来た全てです。
お役に立てられずに残念。日にちの特定が出来ず済みませんでした。
自分から出せる横田のファントムのカラーショットはありませんのでモノクロをアップ致します。
1970年8月24日(月曜日)厚木R/W-19へ編隊着陸して来た80thTFS(GR)と36thTFS(GL)のF-4C,
いつものローアプローチではなく珍しくタイトな編着ショットが撮れ嬉しかったのですが
徳永さんのようにカラーで撮影したかった。
此の日撮れた航空機はRG-300,空軍のHH-43B,NARTD(8C)のP-3A/148887,VR-66,QDのKC-130F,YR-33,
TC-1,PE-10,ANG(New Jersey)のC-121C.
日付の調査有難うございました。Wadaさんがご指摘のようにVA-165のT/LはNEでした。有難うございます。
今迄、厚木に飛来した空軍輸送機を中心にご紹介して来ましたが
今回は一休みして空軍のヘリコプターをアップ致します。
最もよく厚木に飛来して来たのはカマンHH-43B ハスキーが挙げられます。
交差双ローター式ライカミングT-53ターボシャフトエンジンから発せられる
”パサ”ッ”パサ”というローター回転音は独特で異色のヘリコプターでした。
1970年8月24日(水曜日)厚木R/W-19へローアプローチする41stARRWのHH-43B/62-4562.
ご覧のように、パイロットからの視界は抜群で捜索任務には最適だったのではないでしょうか。
此の日のトラフィックデータは昨日No-1380でご紹介済みなので省略致します。
飛来日は1971年3月8日(月曜日)。
此の日はVAP-61のRA-3Bx2機、GTのRC-130B,NAS AGANAのC-121J,UEのA-4E,VE-4.
私の今日の一枚は1995年6月2日、WINGSへの外来A-10Aです。 ヨーロピアンワン塗装が懐かしいRWY19降りの姿、塗装は変わっても25年後も飛んでいるなんて、この時は考えもしませんでした。 10年〜20年程度では機種が変わらない時代、でもそれこそが平和の証かも知れません。
> MACH3さん
>徳永さん
1968年F-4C/DのD-1転がりも貴重なショットですね! フィンチップのデザインに目が行きます。 私はこの年に生まれました(笑)
>M.WADAさん
夫々の作品に添えられるエピソードも含めて毎晩、興味深く見入ってしまいます
>akatsukaさん
里芋畑シリーズ楽しみです、C-141Bだとイモつながりですね☆ M.WADAさんの作品もそうですが、厚木の景色に141はとても新鮮に見えます


里芋畑シリーズは大型機でないとイケませんので、厚木ではなかなか撮影のチャンスがありません。
↓はA−10と同日、93年4月23日ですが、午後に飛来してくれればシリーズの対象機となったのですが、うまくいかないものです。


>FKENさん、>Akatsukaさん
公開日当日に展示された航空機の写真はよく見ますが
公開日前日や翌日に撮影されたショットは意外と少ないという印象が有ります。
正直言って、展示されて、”さあどうぞ”っていう状況での撮影には
へそ曲がりの自分は触手が動きません。
近頃は、OHマニアが花盛りで、展示する方も心得たもので”ショーバード”を作出。
集客やグッズ販売と商魂逞しいところを見せ自分らの時とは大きく様変わりしていますね。
撮影機材のデジタル化、膨大な情報の瞬時把握が可能になった現在ですが
何故かアナログ、貧困な情報下での撮影が懐かしくて仕方ありません。
今回は横田にあった6100th ABWの所属機のご紹介を致します。
1970年4月13日(月曜日)厚木R/W-01でT/G訓練を行う横田6100thABWのC-54E/44-9122.
前輪脚カバーにミッキーマウスの顔が描かれていました。
此の日撮れた航空機はCF-5,ARIZONA ANG のC-97G,RG-413,DEのC-130E.
又、11日に打ち上げられたアポロ13号内で酸素ボンベの爆発事故が起きています。
標準レンズで地上部を入れようと思いましたが着陸高度が高く目論見は失敗。
此の日撮れた航空機はHU-16D/137919,ex MIDWAY,WB-54,USMCのUH-34D,RG-202,NE-614,YV-01,
RZ-579,TE-1,SZ-08.
T-29は此の時期、連日で厚木にT/G訓練に飛来していましたが
元来T-33やC-54に比べ飛来回数は少なく、6x7版で撮ることが出来たのは幸運な事でした。
此の日撮れた航空機はPR-00,VE-18,RG-100/404,RZ-585/787,WB-54.
相鉄線のトンネル上から6x7標準レンズで撮影したショットです。
此の日、他に降りた航空機はQD-799と空自のYSとC-46だけと奮わず
一日中、真夏の炎天下粘った割に収穫は有りませんでした。