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私のアルバムからF101

1960年5月21日 H.Tomitaさん撮影

赤塚 2019/11/06(Wed) 14:48 No.618 [返信]
私のアルバムからF-101
600の45TRSのRF-101Cと共に横田へ飛来した15TRSのヴードゥー。
嘉手納のヴードゥーの横田飛来は三沢の45TRSより断然少なく、それを1日で両方撮影できたWatanabeさんのツキは相当のもの。
と、当時を知る先輩マニアが仰っていました。

赤塚 2019/11/06(Wed) 15:06 No.619
Re: 私のアルバムからF101
嘉手納の101は見たことないから、憧れますね。色使いが大西洋風に見えるのはひがみかしら?しかし、ドロップタンク無しで、沖縄から飛べるんですね。タンク付けたら西ドイツからモスクワ往復が出来たのかもしれません。しかし、1950年代から1970年半ばまでの、特にアメリカの核攻撃への恐怖は尋常じゃ無かったですね。中産階級はシェルターをほとんど持ってたらしいです。庶民の「異常な愛情」です。あと3日でベルリンの壁崩壊30年ですが、こちとらは或いは日本のサラリーマンはバブルで仕事が忙しくて、あまり感激は無かったですが、今の人はそもそもそれなーにって感じなんでしょうね。
のらひこ 2019/11/06(Wed) 20:05 No.620
Re私のアルバムからF101
嘉手納のヴードゥーが初めて横田で展示されたのが“サンダーバーズ”公開日の1959年12月12日のこと。RF−101の向うにチラッと写っているのが“バーズ”のF−100です。
陽も傾きけかけたころ、そろそろ観客がお帰りとなる時間にローアングルで15TRSの尾翼を引き寄せて撮るTanakaさんのセンスに脱帽。
シャシン心を感じさせる素晴らしい作品です。

赤塚 2019/11/07(Thu) 15:38 No.621
Re私のアルバムからF101
1960年の横田三軍記念日は、私ら団塊世代マニアは見ることができなかったせいか、あまりにも羨ましいオープンハウス。
たまたま沖縄から横田に展開していたF−100、F−102、RF−101が加わり実戦さながらのデモフライトを展開。
先輩方の当日の写真を拝見しますと、触り放題、見放題、目の前でタキシング撮り放題です。
写真はワタナベさんが捉えたものですが、これで45mmですよ。
この日を体験されたマニアの方は、一生忘れられない三軍記念日となったでしょうね。

赤塚 2019/11/08(Fri) 18:13 No.622
Re私のアルバムからF101
同日、TSPCのTomitaさんが撮影した15TRS。言われなければ、ここが横田であることがわかりませんね。

赤塚 2019/11/09(Sat) 00:10 No.623
Re: 私のアルバムからF101
ホホー!!!嘉手納と那覇の揃い踏みですか!!!両方ともオシャレなテールマークで、シャープな感じでしたね。でもこの時には、横田に般若が配属されていましたよね。60年安保を意識して総出演だったのかしら?
のらひこ 2019/11/09(Sat) 14:15 No.624
Re私のアルバムからF101
Tanakaさんが愛機「レオタックス・FV」で捉えたタキシング。
135mmでのショットだと思いますが、撮影された時点(1960年5月)で望遠レンズを使っていたマニアはごく少数でしたので、
この写真は非常に貴重。タワーが写っていなければ、横田で撮影されとは思えないでしょう。

赤塚 2019/11/09(Sat) 15:01 No.625
Re私のアルバムからF101
>のらひこさん
1960年5月の時点では横田の40FIS(雷般若)は、まだF−86Dでした。
ですから、F−102自体が関東のマニアにとっても最新鋭機であり、垂涎のヒコーキ。
それが目の前でガンガン飛ぶもんですから堪らなかったでしょう。

↓15TRS三機まとめてのショット。↑と同じくTanakaさん撮影。参りました。

赤塚 2019/11/09(Sat) 19:31 No.626
Re私のアルバムからF101
61年4月21日、T.Moriさんが着陸を200mmで捉えた15TRS。

赤塚 2019/11/10(Sun) 17:15 No.627
Re: 私のアルバムからF101
↑の送りのショット。
今ではさほど驚くようなアングルではありませんが、半世紀以上前でこのような写真を撮れる人はMoriさんしか居りませんでした。

赤塚 2019/11/10(Sun) 17:21 No.628
Re私のアルバムからF101
1961年12月13日、Iwakawaさんが撮影された板付ならではのCV880とのツーショット。
CV880は就航3か月目ぐらいで当時は日本航空の新鋭旅客機でした。
日航や全日空の定期便は飛んで来るは、沖縄、三沢、岩国、横田からは来るは、はたまた韓国、フィリピン、グアムからも時折飛来するはで、
本当にこの頃の板付マニアは気が休まらない日々が多かったことでしょう。

赤塚 2019/11/12(Tue) 15:53 No.629
Re: 私のアルバムからF101
no629にはビックリですね。880のあの騒音といい、排煙といい、凄いもんでしたからね。さすが最前線の板付だから、いろんな新鋭機と一緒の飛べたんですね。羽田でも轟音は評判悪かったはずですね。J-79を4発吹かすわけですから、アフターバーナー無しだって凄いですよね。そこに101や102が飛んでくるわけですか!
のらひこ 2019/11/12(Tue) 18:19 No.630
Re: 私のアルバムからF101
「これがITAZUKEだ!」と、どこからか聞こえてくるようなシーンですね。
1962年1月  撮影:Yoshinagaさん

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:32 No.631
Re: 私のアルバムからF101
さらに別角度。おなじみの古いタイプの鉄条網が緊張感を生み出しています。

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:35 No.632
Re私のアルバムからF101
うしろに廻ってもう1枚。横田から飛来したRB−57Aと板付の日常機であるF−100も写っていたり、60年代の板付は凄かったんだなあ、
とつくづく思う次第です。

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:40 No.633
私のアルバムからF-101(2)

1959年12月  K.Narisawaさん撮影

赤塚 2019/10/27(Sun) 14:45 No.598 [返信]
R私のアルバムからF-101
K.Narisawaさん!!クルーセイダー6機分の咆哮ですか!!!すごかったでしょうね。F-105ほどじゃなかったけど、結構大きな音のはず。いつも三歩先を行かれましたよ。
のらひこ 2019/10/28(Mon) 07:03 No.599
Re:私のアルバムからF-101
1960年1月4日、日没直後のまだ明るさが残るRW36に進入する三沢のヴードゥー。当時の写真事情から推察しますと、おそらく絞りはF2開放、シャッタースピードは1/250ぐらいではないでしょうか。粘り勝ちですね。
しかもこの日は嘉手納の15TRSのRF−101Cも同時に降りていて、もの凄いツキよう。撮影:Watanabeさん

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:12 No.600
Re:私のアルバムからF-101
1960年3月27日、TSPCの熊木さんが36の樫の木の上から撮ったヴードゥー。低い!

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:26 No.601
Re:私のアルバムからF101
上のショットとの前後は分かりませんが同じとき降りたRF−101C。地上とのバランスを見たとき、このくらいの高さがちょうどいいですね。このような写真が45mmで日常的に撮れたなんて本当に夢のようです。

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:32 No.602
私のアルバムからF-101
no602で初めて気が付きました。バズナンバーが胴体の下に書いてあるんですね。当然と言えば当然ですが、地上から視認できるところに書くのが決まりなんでしょうから、ここしかないということでしょう。でもF-102のバズナンバーは地上から見えるかしら?形骸化していく過程なんですかね。
のらひこ 2019/10/28(Mon) 18:32 No.603
Re:私のアルバムからF-101
>のらひこさん
バズナンバーの件、この写真のほうが分かりやすいですね。
狙って撮れるものではないかも知れませんが、Kumakiさんのセンスに感謝です。このショット45mmですよ。
機首の水玉の帯の切れ目が分かる写真はモデラーさんにとっても有難いでしょうね。

赤塚 2019/10/28(Mon) 23:53 No.604
Re: 私のアルバムからF-101
オーストラリアへ遠征したのでしょうか。キャノピー下にカンガルー(たぶん赤)が画かれています。Kumakiさん撮影。

写真を貼りながら今気付いたのですが、脚カバーに書かれているのは数字のほかに、いろんなタイプの塗り方があったのですね。
次の56−0061もその一つです。

赤塚 2019/10/29(Tue) 15:06 No.605
Re私のアルバムからF-101
横田でのRF−101の写真を多くみてますが、大体がストレート・インンで降りていているようで、↓のようにヒネって着陸することは余りなかったようです。珍しいですね。 1961.3.13 撮影:Narisawaさん

赤塚 2019/10/29(Tue) 15:24 No.606
Re: 私のアルバムからF-101
1961年3月17日、T.Moriさんが200mmで撮影したヴードゥーの編隊着陸。
私がカメラを手にして羽田をウロつくようになったには1961年の夏からですから、後にこの写真を見せていただいたとき、5歩も10歩も先に行っていたんだなあ、とつくづく思ったものでした。

赤塚 2019/10/30(Wed) 07:55 No.607
Re: 私のアルバムからF-101
現代にも通ずるスゴイ写真ですが、水玉塗装にベアメタルであることに注目。45TRSの記念碑的作品だと思います。

赤塚 2019/10/30(Wed) 08:03 No.608
私のアルバムからF-101
空軍機ファンと海軍機ファンが“泣いて歓ぶ”ような60年代初期の板付ならではのショット。 1962年5月18日 Yoshinagaさん撮影
こうしてスカイレイと並びますと、ヴードゥーがいかに巨大な戦闘機だったのが良く分かりますね。いい写真です。
残念ながら私は「水玉ヴードゥー」も「ECのスカイレイ」も撮ったことがありません。

赤塚 2019/10/31(Thu) 19:44 No.609
Re: 私のアルバムからF-101
Moriさんが横田で撮った3ケ月後の同機(56−0084)
虎の絵も3ケ月経つと、くすんでしまうものなのですね。この虎、#423#425のF−102の機首に描かれていたものと同じように見えますがハテ?

赤塚 2019/11/02(Sat) 00:32 No.610
Re: 私のアルバムからF-101
1961年真夏の板付。板付の写真を見ていつも思うのですが、背景にさりげなくF−100やF−102が写り込んでいます。  撮影:Yoshinagaさん

その頃としては当たり前の事だったのだろうけれど、こんな時代に板付へ“タイムスリップ”することが出来たらなあ、と思うのは団塊世代マニアでしょう。

赤塚 2019/11/02(Sat) 11:21 No.611
Re: 私のアルバムからF-101
横田でもRF−101が飛来するときは、単機で来ることは少なく、ほとんどペアを組んでいました。
↑の機体と共に板付に飛来したYoshinagaさんのこの56−0061の写真を拝見しタマげました。機体の三ケ所に意味深げな文字やイラストが画かれているではありませんか。こうしたヴードゥーの写真を見たのは初めてです。反対側はどうなっていたのでしょうね。

赤塚 2019/11/02(Sat) 13:17 No.612
Re: 私のアルバムからF-101
○キャノピー下の「WIDOW MAKERU」・・・パイロットはエンジン不調で墜落事故の多かった初期のデモン(F3H-1N・J40搭載)に乗った経験があったからでしょうか?(同じマクダネルということで)
または武器を持たない偵察機で敵地に飛び込む危険な仕事を揶揄して書いたのか。自衛隊機には決して書けそうもないですね。

○キャノピーうしろの絵は、部隊名とRF−101のシルエットを合わせて描いたようで、この機しか見たことがありません。

○脚カバーの毒グモ?・・・地を這うように飛ぶことを指したとものと勝手に想像しました

赤塚 2019/11/02(Sat) 23:39 No.613
Re: 私のアルバムからF-101
「ヴードゥー」を語れば、前任機であるRF−84F「サンダーフラッシュ」を外すわけにはいきません。私らにとって夢のまた夢のヒコーキですが、恰好の良さから言えはヴードゥーを越えているかも知れませんね。


50年代の板付で貴重な写真を撮られていたK.Manabeさんのショッキングフォト。嘉手納の15TRSのRF−84Fのタキシー・ショットはすでに航空雑誌等で印刷されていますが、三沢の45TRSバージョンもあったとはこの写真を見るまで知りませんでした。写真的にはこちらの方に魅力を感じます。

赤塚 2019/11/03(Sun) 18:15 No.614
Re: 私のアルバムからF-101
RF−84Fが現役の頃、50年年代の三軍記念日には各基地でよく公開されてましたが、マニア人口が余りにも少なかったので、写真が僅かしか残されておりません。
そんな中、1958年5月17日ジョンソンで公開された際のなショット。神戸の中井さんの撮影。横田・立川へは行かず、ジョンソンに行ったので貴重な写真が残りました。

エアーポリスの向うには兵士と女性の後ろ姿。50年代の米軍基地周辺では“国際交流”がお盛んで、よく見られた光景です。

赤塚 2019/11/03(Sun) 18:26 No.615
Re: 私のアルバムからF-101
1958年、横田三軍記念日でもRF−84Fは公開されましたが、こちらは格納庫の中でした。
当時の主なフィルムはF(ISO32)かSS(ISO100)でしたから格納庫の中の天井灯だけでは光量がたりません。何人かの方の写真を拝見してますが露出不足かブレてました。

↓はTSPCのT.TANAKAさんが撮影した写真ですが、おそらく絞りはF2開放、シャッタースピードは1/4か1/8だったでしょう。息を殺し、静かに人さし指の腹でゆっくりシャッターを押した様子が浮かんできます。
公開最後のサンダーフラッシュ。貴重な1枚ですね。

赤塚 2019/11/05(Tue) 18:09 No.616
Re: 私のアルバムからF-101
1958年4月10日、横田のRW36に滑り込むサンダーフラッシュ。
日本のマニアが捉えたRF−84Fの飛行中の写真を撮ったことのある人はおそらくNAKASATOさんだけでしょう。50年代でこのレヴェルの高さ。素晴らしい写真を残して下さり本当にありがとうございました。

それにしても、RF−84Fの“器量”の良さにはホレボレしますね。F9F−8PクーガーにしろF2H−2Pバンシーにしろ、機首にカメラを搭載しますと“美人度”は益々上がり、偵察機特有の恰好良さにつながるわけです。。

赤塚 2019/11/05(Tue) 18:36 No.617
私のアルバムからF-101(1)

1960年 航空読者写真コンテスト『特選』作品

赤塚 2019/10/20(Sun) 23:17 No.577 [返信]
Re: 私のアルバムからF-101(1)
写真は時代によって評価が変わるものなのですが、平凡な編隊着陸に見えるこのヴードゥーの写真も1960年の時点では、いわゆる“素人”が撮れるようなものではありませんでした。ヒコーキ写真マニアがまだ望遠レンズを中々持てなかった60年代はじめのマニアの写真としては群を抜いており、選者はそこを意識したのではないでしょうか。
「ペトリ35」という45o固定レンズの大衆向けカメラで撮影したRF−101Cのフォーメーション写真を見て「いつかはボクも・・」と夢や希望を与えてくれました。自分としてはBBSUのNo.3、C−133の『発進』と共に最も心に残る作品です。

写真が時代を映す鏡なら、評論も同様その時代でしか表現できないこともあります。この選評はたぶん横森周信さんがお書きになったと思われますが、撮影者のMoriさんは“白昼夢”を画き出そうとしたのかは疑問ですね。
それでも今読んで心躍るような楽しさを感じるのは、評文のセンスと写真のセンスが見事に合致しているからではないでしょうか。“評”も時代を表現する“作品”そのものなのです。
赤塚 2019/10/20(Sun) 23:18 No.578
Re: 私のアルバムからF-101(1)
この作品の評を読んだときはまだ中学1年生ですから、ファンキー・ジャズが何であるかは知りませんでした。数年経ち青年期に差し掛かった頃、当時多くの若者が体験する「音楽の“はしか”」のようなものに罹り、モダンジャズに興味が湧いてレコード聞いたりホールやライブハウスにも何度か行きました。が、一過性で終わり再び飛行場通い。
今回の評文を読んで当時のことを思い出し、あらためてYouTubeで当時のアート・ブレーキーやラムゼイ・ルイス、キャノンボール・アダレイなどのファンキー・ジャズと言われた曲を久々に聴いてみましたが、なるほど多くの人たちを夢中させた音楽であることが改めて分かりました。(横道話)


↓は、特選作のトリミング無しのカットですが、こちらも意見が対立しそうですね。私も大いに迷うところですが今なら下の写真、飛行機写真を始めた頃なら航空情報に印刷された方ですね。

赤塚 2019/10/20(Sun) 23:24 No.579
Re: 私のアルバムからF-101(1)
ああ、そうだったんですか!私はてっきり西砂川で撮影したもんだと思い込んでいましたが、箱根ヶ崎のトンネルの下で撮っていたんですね。さすがベテランです。2機編隊がパスして、大きく編隊着陸コースと分かったとき、いつもはトンネルの上で撮っていた45mmを利して、トンネルの下におりて撮ったということでしょうね。瞬時に判断ができるのはベテランならではです。F-100と違って、重量感、威圧感はF-101はけた違いでしたから、F-100への愛情とは違って畏敬の念を持ってました。オープンの時もその背の高さとポルカドット塗装で良く目立って好きでした。カラフルな嘉手納の機体も見たかったです。
のらひこ 2019/10/21(Mon) 18:05 No.580
Re私のアルバムからF-101
ヴードゥーは“私の好きな飛行機”のベスト5に入る飛行機ですが、巡り合うチャンスは少なく、この1964年の厚木三軍記念日と、同年の横田三軍記念日前日の2回だけでした。
横田への飛来もF−100より少なかったので、当時の横田マニアもヴードゥーの飛来をなかなかキャッチできなかったのではないでしょうか。

ヴードゥーに出会ったときはすでにエアクラフトグレー一色になっていました。三沢のポルカドッツや嘉手納のコットンピッカーズの魅力に溢れたマーキング機は撮ってませんので、先輩マニアの写真を貼らせていただきます。

赤塚 2019/10/21(Mon) 19:13 No.581
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1960年3月28日、箱根ケ崎トンネルの上から45TRSのRF−101Cを狙うTSPCの先輩たち。
先輩もこの時点ではまだ45mmの“標準カメラ”だったようですね。  撮影:ワタナベさん

赤塚 2019/10/22(Tue) 16:15 No.582
Re: 私のアルバムからF-101(1)
ワタナベさんは↑の5日前の3月23日にもヴードゥーを撮影。だいぶランウェイ・エンド近くに寄って撮っていますね。
今は当然基地内ですが、標準レンズでもこのように撮れたなんて本当に夢のよう。素晴らしい写真です。

赤塚 2019/10/22(Tue) 16:33 No.583
Re: 私のアルバムからF-101(1)
箱根ヶ崎の2枚の写真、真横は撮れてないでしょうね。真横より構図を優先する余裕があったんですね。先輩たちの「大人」を感じます。その2年後の1962年5月20日の三軍記念日のポルカドットを貼ります。今は全く見なくなったねんねこ負ぶいのお母さんと家族、おとーさんも子供二人も味を出しています。重量級のF-101も顔負けですね。しかし、空いていた!!!福生市民とごく一部の都内の人しか知らなかったんですかね。

のらひこ 2019/10/23(Wed) 07:31 No.584
Re: 私のアルバムからF-101(1)
>のらひこさん
私は、このNo.584の1962年5月20日の三軍記念日に甘いレンズの二眼レフで撮ったポルカドットしか残っていません

飛んでいるポルカドットもありませんでしたのでPACAFになってからの着陸写真を貼ります
1964年5月16日に箱根ヶ崎に降りる
RF−101C、56−0094 送りショットから

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:29 No.585
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じくエアクラフトグレーのPACAF
1964年2月15日の横田・箱根ヶ崎
RF−101C、56−0047

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:46 No.586
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じく、
1964年2月15日
56−0047 送りショット

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:48 No.587
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じ日、1964年2月15日に箱根ヶ崎に着陸する
PACAFのRF−101C
56−0189

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:51 No.588
Re: 私のアルバムからF-101(1)
>村越さん
No585の着陸は、横田三軍の前日ですね。良いお天気でした。
私も行ってましたが、村越さんとお会いしていたことは全く覚えておりません。何故だろう?、別場所に居たのかなあ。
同じような角度の写真を撮ってますが残念ながら“ビネガー”にやられて再生不能。
↑No588のRF−101の着陸姿は、ヴードゥーの魅力を感じさせる絶妙の角度のショットですね。さすが村越さん。

↓は、1959年横田三軍記念日で初めて公開展示されたRF−101C。この日はF−102A(那覇)も初公開でしたが、1日中雨で飛行ショーも中止。先輩たちは新鋭機2機を目前にして悔しかったでしょうね。天気だけはどうしようもありません。 
それでも能村先生は大雨の中、ガッチリ撮っておられます。

赤塚 2019/10/23(Wed) 15:43 No.589
Re: 私のアルバムからF-101(1)
厚木でヴードーが初めて展示されたのが1961年5月20日の三軍記念日。ひょっとしたら厚木へ降りたのも初めてかもしれません。
この年前後の厚木公開はゲートを入ってロータリーを越えたところのグランドを展示場としておりフライトは無し。
調べましたら5月20日は横田と公開日がダブっていました。と言うことは厚木へ来たマニアは「はしご」をしたのか、または横田を「捨てた」のか?。
この日厚木に来られたマニアにお聞きしたいところです。   撮影:T.Moriさん

赤塚 2019/10/24(Thu) 18:55 No.590
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同日、別ポジションからのNarisawaさんのショット。フォルクス・ワーゲンのデリバンが三軍記念日の長閑な雰囲気を醸しだしています。
それにしてもヴードーは大きいですね。データを見ますと全長が21.11m。ファントム(19.2m)やC−47(19.43m)より大きい。
J57を2基搭載し写真偵察だけが目的。余裕のあった時代のアメリカならではです。マニア的にはこうした飛行機に魅力を感じてしまいますね。

赤塚 2019/10/24(Thu) 19:10 No.591
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1961年5月21日の板付三軍記念日で公開された三沢のヴードゥー。Yoshinagaさん撮影
ヴードゥーはどこから見ても大変美しい飛行機ですね。中でもこの写真は絶好の角度。当時の飛行機少年が憧れたのがよく分かります。

赤塚 2019/10/25(Fri) 16:19 No.592
Re: 私のアルバムからF-101(1)
九州特有の陽光の強さと、コンクリートの反射で逆光にもかかわらずツブれている部分もなく、すばらしい写真に仕上がっています。板付ならではの写真ですね。 撮影:H.Yoshinagaさん

赤塚 2019/10/25(Fri) 16:31 No.593
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1965年5月15日の三沢三軍記念日に神戸の中井八郎さんが、関東を素通りし、三沢まで遠征して撮った45TRSのRF−101C。
飛行機写真マニアが三沢の三軍記念日を撮影したのは中井さんが初めてではないでしょうか。60年代では時間も費用もかかり、しかも地元の三軍記念日を捨てて三沢行を決断する関東のマニアは先ず居なかったはずですから。大変貴重な記録です。

赤塚 2019/10/26(Sat) 11:59 No.594
Re: 私のアルバムからF-101(1)
三沢には1971年11月にブルーエンジェルスのF−4を撮りに一度行ったきりで、当時の基地内の様子は何も覚えておりません。
この写真に写る格納庫は現在と同じなのでしょうか?。クルーや家族の風情、特殊なバン、コクピットに登る梯子など、写真は時代を切り取り歴史を残して行きます。

赤塚 2019/10/26(Sat) 13:41 No.595
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1963年6月10日、TSPCのNarisawaさんが撮影した横田ランウェイ36に編隊で進入するPACAFのRF−101Cです。
編隊着陸を撮影するとき私は時々無意識の内に「向う側」の機体を追ってしまい手前をブラし失敗しましたが、Narisawaさんはキチっと手前に焦点を合わせており見事です。

赤塚 2019/10/26(Sat) 23:36 No.596
RB-57D“ロングスパン”

1957年8月23日 撮影:S.NAKASATO

赤塚 2019/10/10(Thu) 23:20 No.560 [返信]
Re: RB-57D“ロングスパン”
横田に着陸するRB−57D(53−3891)、中里氏の有名なシショット。
RB−57Dはロバート・C・ミケシュ氏によるとジョージア州ターナーAFB(1957年にテキサス州ローリンAFBに移動)の4080SRW,
4028SRS,Det.Yokotaとされているが、4025SRSだったという説もある。
横田に展開したのは1956年9月から1957年末までの短期間で、配備された機数はおそらく4機、写真撮影型のモデルであった。

AGC版「在日アメリカ空軍機集」より
赤塚 2019/10/10(Thu) 23:40 No.561
ReRB-57Dロングスパン
戦後日本に現れた米軍機の中でミステリアスな飛行機と言えば1960年「黒いジェット機」で日本中を騒然とさせたU−2が挙げられますが、
ヒコーキマニアの世界ではそのU−2の上を行く存在だったのがRB−57Dでした。

その驚き様を譬えるとすれば、A−11の存在を知ってすぐSR−71が日本上空に現れたようなもの。写真すら発表されてない翼の長い真っ黒な
RB−57Dが横田上空を頻繁に飛んでいたわけですから、それを目にした日本の航空ファンたちの騒然度は大変なものだったでしょう。
RB−57Dの存在は1955年には知られていましたが、写真は一切公表されておらず、正体不明機として謎に包まれたまま、米軍が正式に写真を発表したのは4年後の1959年でした。

カメラを持つ飛行機ファンがエンドで写真を撮るようになったのが1958年〜60年頃ですから、この頃すでにRB−57Dは横田を去っており、
写真を撮れた人はほんの一握りのマニアだけでした。1960年過ぎて写真を始めた人たちは(私も)いつの日か自分の目の前を“ロングスパン”が降りてくるのではないかと夢見ていたものです。

60年代マニアの伝説となったRB−57Dの目撃談を、航空情報の読者と編集部との記事と写真で構成してみました。

下は1957年6月号に掲載された新任・関川編集長の編集後記です。
すでにRB−57Dの目撃情報が編集部に数多く寄せられていたのが読みとれます。

赤塚 2019/10/11(Fri) 16:50 No.562
Re:RB-57Dロングスパン
翌月、早速読者から反論が。
専門誌より読者情報のほうが信憑性があるという、情報が余りに少なかった時代を象徴するような記事です。
こういう記事は大好きなんですが、情報過多となった現代ではもうあり得ない話ですね。

赤塚 2019/10/11(Fri) 17:29 No.563
Re:RB-57Dロングスパン
ついに読者が捉えたスクープ写真が掲載されます。
1950年代のソ連機の写真のようですが、雑誌メディアに掲載された初のRB−57Dの証拠写真。

赤塚 2019/10/11(Fri) 17:38 No.564
Re: RB-57D“ロングスパン”
まだまだ続く「ロングスパン顛末記」。
世界的なスクープなのに、この大らかさは何でしょう?。実際は極秘の使命を受けた新型偵察機が横田からのミッションで共産国へ飛んでいたのですから、大騒ぎとなってもおかしくありません。
この記事みて思わず「時代だなあ」と懐かしんでしまいました。

赤塚 2019/10/11(Fri) 18:07 No.565
Re:RB-57Dロングスパン
ふと思い出したのでしょうか。スクープ写真を発表して1年経った1959年8月、コラム欄でRB−57Dの件に触れています。

赤塚 2019/10/11(Fri) 18:15 No.566
ReRB-57Dロングスパン
1959年秋、ついにRB−57Dの公式写真が発表されます。そこには各地で目撃された「地獄の怪鳥」のイメージには遠く、B−57Bの翼を長くした実験機のようでした。(初飛行時の写真かも知れない)

この号で航空情報のRB−57Dの記事は一段落し、一方の注目機U−2が誌面をにぎわせることになります。
RB−57D、U−2A(当時の)と世界的にも写真が少なかったトンでもないヒコーキを撮影することができた人たちに激しく嫉妬してしまうのは
「マニアの性」というものなのでしょうか。その時代に肉眼で見てみたかったなあ。

赤塚 2019/10/11(Fri) 19:20 No.567
Re: RB-57D“ロングスパン”
1957年〜1959年!!私はドッジボールや、女の子の縄跳びをしゃがんで眺めていた時代ですね。この頃の飛行機少年、15〜6歳の人たちは、興奮したでしょうね。冷戦の一番前で、最新鋭の飛行機が頭の上を飛んでいるのを実感するんですから!しかし、あの当時カメラがある家は、3軒に一軒、それもリコーフレックスの2眼レフが主流だったんでしょう。そして、飛行場の周りの監視塔、60年以降はガードが上にいることはなかったですが、50年代には居たのかもしれません。金網に近づくのも憚られる時代と思います。その時代に上真っ白、下真っ黒のRB−57Dが降りてきたら、周囲を見回したんじゃないだろうか。しかし、長いエンジンナセルですね。前段のタービンを増やして、空気を掻っ込むようにしてあるんだろうか。アフターバーナーはついていないでしょうから。
のらひこ 2019/10/12(Sat) 11:37 No.568
Re: RB-57D“ロングスパン”
RB−57Dが横田から消えて4年。1961年9月14日の“真昼間”、突然降りてきたRB−57D“ロングスパン”。箱根ケ崎のトンネル上にて200mmで捉えたT.Moriさんの激撮。トンネルの上にはご当人お一人のみ。余りの衝撃と不安から撮影後急いで帰宅したと語っておりましたが、それは、この時代はエアーポリスの車が基地外まで出て来て捕えにきたりすることがあったからです。もちろんフィルムは没収されますので、その気持ちは私にもよく分かります。プリントはしばらくの間、門外不出でどなたにも差し上げなかったそうです。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:12 No.569
Re: RB-57D“ロングスパン”
続いてのショット。パイロットがこちらを見ています。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:21 No.572
Re: RB-57D“ロングスパン”
送りのショット。とにかくシャッターを押すことだけに集中した気持ちが写真から伝わってきます。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:23 No.573
Re: RB-57D“ロングスパン”
着陸したRB−57D。エマージェンシーだったのか、消防車が待機しているように見えます。

1957年末に横田を離れたRB−57Dは、中国本土奥地へ偵察目的のため1958年1月台湾へ移り、台湾空軍へも供与されましたが、航続距離不足から1960年にはU−2と交代。交代後のRB−57Dの足取りはつかめておりません。
そんな中での横田への飛来、一体どこに居て、何があっての飛来だったのでしょうか?。謎は深まるばかりです。

昨年、台湾空軍・黒猫中隊のドキュメンタリー映画が製作されていますが、是非見たいものです。情報お持ちの方ご一報ください。
https://www.youtube.com/watch?v=EvEj7CHmZdk

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:52 No.574
Re: RB-57D“ロングスパン”
RB−57Dをもって「ゴーナナ」特集を終わらせていただきます。
10月21日より60年代を代表する偵察機RF-101“voodoo”の作品集を紹介いたします。お楽しみに。
赤塚 2019/10/16(Wed) 14:41 No.575
私のアルバムからB-57(4)

航空情報 1965年7月号 掲載

赤塚 2019/09/27(Fri) 13:35 No.543 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57(4)
1965年7月号の航空情報に掲載されたRB−57Fの紹介記事。
この物々しいキャッチコピーが懐かしくトップ画像としました。今でも「○○現わる!」という見出しはときどき使われますが、この航空情報では、多分1956年に公開された大映映画「宇宙人東京に現わる」からヒントを得たのではないでしょうか。
じつはこの映画、少年のころ封切りで観ています。当時第一次UFOブーム。洋画・邦画とも宇宙モノ、SFモノが大流行していましたから、航空情報編集者の方もこの手の映画を何本も観たことでしょう。RB−57Fの記事を構成するとき、ふと、そのタイトルを思い出したのではないかと思います。
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-1726.html

RB−57Fの初飛来は1965年5月16日の三軍記念日に横田へ降りたと聞いていますが、私は当日現地に行ってないので詳細は分かりません。
この頃にしては、来日情報が早くから知らせされており、U−2やRB−57Dのような神秘性はなく、マニアの興奮度は余りなかったような気がします。とは言え個性的なスタイルゆえ、暫くの間はマニアから注目の的で、私も何回か横田通いをしております。
赤塚 2019/09/27(Fri) 13:37 No.544
Re私のアルバムからB-57
基地公開時で地上展示機を撮るのに、ちょうど35mmの広角レンズを入手したばかりでしたので、すぐにRB−57Fを箱根ケ崎のトンネルの上で撮影することを思い着いたのです。
初来日して約一か月半の7月2日、箱根ケ崎のトンネルの上でカメラを出すとすぐに降りてきました。仕上げた写真を見て、あと0.5秒ほど遅くシャッターを切れば尾翼のラインが出ましたが、ほとんどトリミングしてませんから、まあ、こんなところだろうと納得。翌週からいつものように厚木通いが始まりましたので、再びトンネルの上に立つことは無く、私にとって思い出のRB−57Fとなっています。

赤塚 2019/09/27(Fri) 14:10 No.545
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no545と足して2で割ると丁度良い写真を貼ります。ひと月後の8月の撮影です。地上を見るとガードボックスがあったんですね。多分オーバーランの工事のためのボックスだったようです。キャノピーが見えない写真ってなんか間が抜けてます。

のらひこ 2019/09/28(Sat) 21:08 No.546
Re: 私のアルバムからB-57(4)
>のらひこさん
確かに・・。RB−57Fの特徴を表現するには、Hamanoさんが撮られたこの角度の写真となるのでしょうか。
RB−57FはSNBと似てエンジン廻りが太いので、理想的角度となると斜め前からの俯瞰気味のショットだと思うのですが、RB−57FがSNBのようにショートカットで降りたことは無かったような気がします。
それにしても、こんなユニークなヒコーキが毎日のように飛んでいたのですから、もう少し横田へ通って思う存分撮っておくべきでした。

赤塚 2019/09/29(Sun) 17:50 No.547
Re: 私のアルバムからB-57(4)
地を這うようなRB−57Fのタキシー。 撮影:Hamanoさん
キャノピーまわりが“キャンベラ”の形状を残しますが、全く別物といっていいほどの改造です。
横から大風が吹いた際、タキシングやランディング時に主翼が地面に着くようなことは無かったのでしょうか。

赤塚 2019/09/30(Mon) 17:46 No.548
Re: 私のアルバムからB-57(4)
こんにちは
色々珍しいアングル、場所等で楽しく拝見しています
”今”のヒコーキ写真に無いアート性を強く感じるのはモノクロのせい?ノスタルジーのせい? 難しいですね

57Fに移っているようですが、ひとつ面白い事がわかりましたのでただの57Eですがいくつか
 今見返すと思ったほど撮っていなかった57ですが、なんと1964年の初57と72年嘉手納で最後に撮った機体が同じS/No.55-4281でした (笑)
多分一番よく飛んでいたのでしょうね
一枚目 1964年5月17日 横田三軍記念日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:05 No.549
Re: 私のアルバムからB-57(4)
二枚目 1965年7月16日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:06 No.550
Re: 私のアルバムからB-57(4)
三枚目 ↑の後姿

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:08 No.551
Re: 私のアルバムからB-57(4)
四枚目 1966年1月3日 養鶏場そばの空き地

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:09 No.552
Re: 私のアルバムからB-57(4)
五枚目 1970年8月26日
のらひこさんNo546の57E版(笑)

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:13 No.553
Re: 私のアルバムからB-57(4)
6枚目 最後は1972年4月7日の嘉手納でした
この55-4281は無事お役目を終え、1979年7月24日MASDC入りしていました

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:14 No.554
Re: 私のアルバムからB-57(4)
ダブルタンゴさん、55−4281は1956年には配備されていたんでしょうから、79年までの23年間飛んでいたわけですね。それも、迷彩でベトナムを生き抜いた素晴らしく幸運な機体です。横田のゲートガードにしてくれないかな。別件、今日、電車のゲートガードの足を故意に踏みました。気持ちの良い一日でした。
のらひこ 2019/10/01(Tue) 18:52 No.555
Re: 私のアルバムからB-57(4)
「白昼夢」

赤塚 2019/10/06(Sun) 11:58 No.556
Re私のアルバムからB-57
横田のRwy18へ進入するRB−57F。撮影日は不明ですが、J60エンジンを外していることから1969年頃の撮影ではないでしょうか。

絵画や写真の世界では“美”の表現と対抗するかのようにアバンギャルドな作品が、ときに注目されますが飛行機写真では、
このような作品が飛行機ファンの目に触れることはありませんでした。
しかし、I.NAKANOさんが撮影されたこの作品、私たちの常識を超えていて、言わば飛行機写真でのアバンギャルド。
レンズの周辺光量不足なのか、何らかの原因で画面がケラれたのか、トライXのハイ・コントラスト現像も作為があったのかは想像の域を出ませんが、
それがかえって効果的となり、RB−57Fの不気味な存在感が画面から伝わってきます。私は凄い作品だと思います。
赤塚 2019/10/06(Sun) 11:59 No.557
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no556...なんとも不思議な写真ですね。影がダンプの下にしか無い!季節は真夏ではなさそうですが、昼前後らしい。新青梅のトンネルの先に着陸灯を延伸する工事中なんでしょうが、ライトの支柱の影が全く見えない。南中に近い時刻にはこういう写真が撮れるんだという実例です。真夏ではないにしても明るいさ中、よっぽど開いた上、高速で切ったんですかね。
また、ダンプがいるのに音を感じさせない。RB-57Fを何回か撮ってますが、そんなに静かだったんでしょうか?この機体のミッションを暗示させる写真です。
のらひこ 2019/10/06(Sun) 12:30 No.558
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