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私のアルバムから〜BV

航空情報 1960年9月号

赤塚 2019/12/12(Thu) 14:47 No.696 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BV
横田から飛び立ったRB−47Hがソ連に撃墜されたのに国内ではU−2事件ほど騒がれなかった。現在なら大変なことです。
航空情報の説明が読みずらいと思いますのでうつします。


憂愁のジェット偵察機RB-47。過去10年間日陰にあって秘密裡に共産圏の偵察にあたって来たこのアメリカ偵察機も、7月1日ソビエト戦闘機によって撃墜され、第二のU-2事件として一躍クローズアップされた。フルシチョフ首相から“コン棒をもった海賊”とののしられたこのRB-47が日本にも居るかどうかが問題にされている。
@横田基地を離陸するRB-47H電子偵察機。レドームと胴体後部、両翼端のECMアンテナで容易に識別できる。ソビエトに撃墜されたのもこのH型といわれナゾの偵察機である。(写真・戸田保紀氏提供)
赤塚 2019/12/12(Thu) 14:53 No.697
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月5日、出撃を待つ“偵察コンビ”KC−97GとRB−47H。撮影:TSPC K.TANAKAさん。
横田で47と97が並んでいる写真は見たことがありますが、2機ずつというのは珍しい。16号線のフェンス沿いで撮ったのでしょうか。
今なら大変な人だかりになってしまい、こんな場所に駐機できないですね。

赤塚 2019/12/12(Thu) 15:01 No.698
Re: 私のアルバムから〜BV
私が10代の頃、らひこさんと文通(写真交換)を始めた時期にいただいた写真。
「う〜ん“同いどし”なのにやるなあ」と感嘆。後日、この写真について尋ねましたら「挨拶がわりに何枚か焼いた」との返事。
RW36の木の上からリコー300/45mmで撮ったのでしょうが、のらひこさんの初期の傑作ですね。

赤塚 2019/12/13(Fri) 12:01 No.699
Re: 私のアルバムから〜BV
おおッ、懐かしい写真です。樫の木に一番乗りして、しっかり腰をすえて撮った写真ですね。よっぽど早く行かないとこの特等席は取れないものでした。曇天の反逆光、300分の1しかないので、3.5位で撮って増感したはずです。当時は自慢の写真で皆さんに送った記憶があります。
のらひこ 2019/12/13(Fri) 15:13 No.700
私のアルバムから〜BV
皆さんこんにちは、

私はドラッグを引いたB-47には一度も遭遇しませんでした。
1966年2月28日に撮ったRB-47Hです。

徳永 2019/12/13(Fri) 15:41 No.701
Re: 私のアルバムから〜BV
↑の徳さんとご一緒させて頂きました^_^
この武蔵野交差点脇のRwy36 午後ポイントにはしばらく行っていません

ダブルタンゴ 2019/12/13(Fri) 18:17 No.702
Re: 私のアルバムから〜BV
徳永さん、そういえばそうですね。62〜64年頃はB−47もWB−47もみんなドラッグ引いてノンビリ、タッチャンしてましたよね。なんか理由があるんでしょうね。なんでだろう。ダブルタンゴさん、2月の積乱雲を背負っての着陸、凄い、素晴らしい。
のらひこ 2019/12/13(Fri) 21:44 No.703
Re: 私のアルバムから〜BV
1966年2月28日 Part2
>のらひこさん
そう、写真だけ見たら2月とは思えませんよね。
初めはデータの間違いだと思いました

ダブルタンゴ 2019/12/13(Fri) 23:30 No.704
Re: 私のアルバムから〜BV
その3
その4は徳さんと同じ、タクマー200mmで計4カット撮っていました

ダブルタンゴ 2019/12/14(Sat) 10:03 No.705
Re: 私のアルバムから〜BV
>徳永さん 
>ダブルタンゴさん
地の利でしょうか。けっこう横田でRB−47Hを撮っていますね。私は厚木のほうが近かったので1964年以後厚木へ行くことのほうが多くなり、余りRB−47を撮っていません。今となっては世界的には珍しい機体だったし写真も少ない。遠征?して撮っておくべきでした。

RB−47Hの離陸と言えば、このシーン。ENOMOTOさん撮影。
688の、のらひこさんのWB−47Eと同じような撮影ポイントから撮っています。画角からみるとレンズも同じく135mmのようですね。B−47の写真は多く見てきましたが、こうした写真は意外と少ないです。まだフィルムが大切な時代だったので、機体が画面の7割ぐらい占めるまでシャッターを押すのをためらったのでしょうね。さすが“写真家”のエノさんです。

赤塚 2019/12/14(Sat) 17:40 No.706
Re: 私のアルバムから〜BV
連続写真、ではなく1965年12月3日、Yokooさんが横田で捉えたRB−47Hの離陸。
仕上げたばかりのプリントを当時拝見しましたが、美しいプリントに感動した記憶があります。。PC画面では、紙焼きの素晴らしさは表現されませんね。

赤塚 2019/12/14(Sat) 17:51 No.707
Re: 私のアルバムから〜BV
No706の写真は良く見ると凄いですね。タワーの左右にKC-135が5,6機並んでいるその後ろに何かT-33ぐらいの機体が沢山居ますね。外来が一杯の感じですね。何か大規模のオペレーションがあったんでしょうか。ENOMOTOさんもらしくなく腰をおとしての撮影って様子です。
のらひこ 2019/12/15(Sun) 14:23 No.708
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月17日、Moriさんが撮られたRB−47Hのタキシー。時期的にはエンドデビュー間もない頃のショットと思われますので多分45mmでの撮影でしょう。“47”が出て来てもフェンスには近づけない雰囲気が漂っています。

赤塚 2019/12/15(Sun) 19:12 No.709
Re: 私のアルバムから〜BV
↑と同年の3月28日、TSPCのAnzaiさん撮影。
こちらもマニアの興奮度が写真から伝わってきますが、容易にフェンスまで近づけなかった状況が見てとれます。もう少し先に出ると画面左方向にあったガードボックスから丸見えになりますので、カメラを出すことなどできなかったでしょう。そんな時代でした。

赤塚 2019/12/15(Sun) 19:23 No.710
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月に箱根ヶ崎のトンネルの上から撮ったRB−47Hの着陸。撮影:TSPC Kitada Hisaoさん
カメラはフジカ35/45mm。準広角レンズの迫力で機首の丸みが強調されています。短いレンズで寄って撮るのが写真の基本ですが、近年、撮影できるポイントが遠くなり、このような写真は撮れなくなりました。

赤塚 2019/12/16(Mon) 19:13 No.711
Re: 私のアルバムから〜BV
その送りのショット。
これもトンネルから撮影された特有のアングルの写真ですね。
人が住む建物が見えず50年代の横田をあらわしています。私らにとって飛行場とは、正にこのイメージです。

赤塚 2019/12/16(Mon) 19:18 No.712
私のアルバムから〜BU

航空情報 1959年10月号掲載

赤塚 2019/11/29(Fri) 14:36 No.664 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BU
航空情報が1959年から60年まで6回連載したコーナー「日本上空を飛ぶ米軍機」に掲載された中里重雄さんのB−47Eの着陸ショット。
59年10月号に載ったもので同年の夏に箱根ヶ崎側で撮影されたと思われます。
初期のジェット爆撃機によく見られたように、胴体、翼下が白く塗られているのが60年代のB−47とは違うところですね。
赤塚 2019/11/29(Fri) 14:39 No.665
Re: 私のアルバムから〜BU
実際の写真です。
この頃から航空情報への読者投稿写真のレベルが上がってきて、編集者が特集を組むに至ったのでしょう。見開き2ページに展開する国内で撮られた数々の米軍機の写真は、少年マニアの私にとってメーカーや軍がリリースした写真より身近に感じ、いつの日にか自分もこのB−47のような写真を撮ってみたいと思ったものでした。

ところが、現実はそう甘くなく、実際カメラを手にしてみると思うように飛行機の写真は撮れないことが判り、だんだん深みに嵌り以後
“ヒコーキ写真漬け”の日々が延々と続くことになったのです。

赤塚 2019/11/29(Fri) 14:43 No.666
Re: 私のアルバムから〜BU
NAKASATOさんが撮られた横田のRwy18へ進入するB−47Eの素晴らしい着陸ショット。
増槽を装備しているので1950年代の撮影だと思われますが、私が記憶にある1962年以降の箱根ヶ崎側の午後の光景では
ないような気がします。どのあたりから撮られているのでしょうか。

赤塚 2019/11/29(Fri) 18:09 No.667
Re: 私のアルバムから〜BU
いよいよ、50年代横田の真打登場ですか!前のスレッドも含め、我々後輩にはなじみの薄い撮影場所からの写真が多いです。前のスレッドのデカ増槽の47など、もしかしたらかなり低いフライパスのようですよね。それを基地のフェンスからかなり離れたところから撮った感じです。我々と違い社会人になっていらしたNAKASATOさんにしてみたら公安に目を付けられることは一生の問題だったはず。「僕たち」中学生はそんなこと考えもせずにいました。

NO666は綺麗ですね。ここで妄想を一つ。若い女性とこの写真を間にして、飲んでいるとお思いください。「わあ綺麗な飛行機、下の方を白く塗っているのは、もしかしたらサバなんかが下から狙われないように白くしているのと同じ?」「いやいや、それもあるけど、この飛行機はモスクワまで飛んで行って爆弾を落とすんだよ。自分が放射線に被爆しないための塗装でもあるんだよ」「へー、綺麗な飛行機が可哀そうみたい」嗚呼。

NO667は多分、トンネルの北の方での撮影でしょう。今のアプローチランプが林立している辺りじゃないでしょうか。右のサトウキビかトウモロコシの畑の先に家作が見えますが、今の駅の西口辺りと思われます。その向こうの山は神社の山なんでしょう。画面下は麦畑かな。まだ蕎麦が流行りだす前ですものね。
のらひこ 2019/11/29(Fri) 19:10 No.668
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
667の撮影場所の説明ありがとうございます。ズバリでした。
↓はNarisawaさんが1960年3月に箱根ヶ崎のトンネルの上から撮影したKB−50Jの写真ですが、
画面に写っている丘や家並みが上と同様で、右端には箱根ヶ崎の駅も見えます。
たしかにトンネルの横から撮っていれば、基地内から見えないので身の安全は確保されますね。

赤塚 2019/11/30(Sat) 19:21 No.669
Re: 私のアルバムから〜BU
KB-50Jの影が真下にあるんですね。沢木耕太郎がキャパのウソを見抜いた手法で解析すると、KB−50Jの飛行経路は黄色の線と思われますので、NAKASATOさんは赤い線に立っていたんでしょうね。それにしてもほんの数年で田舎とはいえ景色が変わっているんですね。

のらひこ 2019/12/01(Sun) 10:10 No.670
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
NAKASATOさんのB−47EもNarisawaのKB−50Jも季節感があってとてもイイ写真ですね。
モノクロ写真は、暑さ、寒さ、暖かさ、涼しさ・・季節ごとに飛行場で過ごした日々を蘇らせてくれます。色が付いてるカラー写真では情報量に目を奪われ、人特有の“想像”という楽しみが奪われるような気がします。

643のコメントで唐突にジューン・アリスンが出てきましたが、航空ファンにとって名作中の名作「戦略空軍命令」の中の話ですね。
近頃はYouTubeの映像もかなりシャープですので、久々にB−47やB−36の映像を見てみました。映画の迫力というものが小さな画面からも感じましたが、それはフィルム撮影の力なんでしょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=WkQr2T83UJc
赤塚 2019/12/01(Sun) 19:13 No.671
Re: 私のアルバムから〜BU
1962年1月4日、Rwy36へ向かうB−47E。撮影:Watanabeさん。

私が初めて西砂川のエンドで写真を撮ったのはWatanabeさんが行かれた一日前の1月3日でした。まだ中学生の頃で、前年の三軍記念日で知り合えたT.Moriさんに案内してもらったのです。
それまでは、羽田のフィンガーや整備場裏で民間機を撮影していたものですから、フェンスギリギリに降りる米軍機の迫力に驚きを隠せませんでした。朝から日没まで撮れたのは横田のF−102、B−57、T−33ぐらいで外来機はなかったけれど、大満足で帰宅したのを何となく覚えています。(さすがに半世紀以上前だと“昨日のように”とは書けません)

赤塚 2019/12/02(Mon) 18:36 No.672
Re: 私のアルバムから〜BU
西砂川の情景、懐かしいですね。まだ砂利道で、自転車をこぐのが大変だったね。正月の午後のB-47E,多分ノンビリ、タッチャンしてたんじゃないでしょうか。左は麦畑だったんですね。麦踏みがしてあるみたいです。ゆっくり降りてくる音が聴こえそうな1枚です。
のらひこ 2019/12/03(Tue) 12:28 No.673
Re: 私のアルバムから〜BU
↑の写真の4年前の1958年3月5日、NAKASATOさんが自宅の庭の木に登って撮ったB−47E。
ここは、B−47というよりも、西砂川地区の史料としての意味あいが強いのではないでしょうか。
福生市の郷土資料室に展示する価値のある作品だと思います。

赤塚 2019/12/03(Tue) 16:22 No.674
Re: 私のアルバムから〜BU
同じく50年代にNAKASATOさんが捉えたB−47Eですが、一瞬塗装が“ロービジ”かエアクラフトグレイかと思いました。
が、天気が悪く、胴体と下面の白塗装が暗く写っただけ。こうして見ますとベアメタル機にない不気味さがありますね。

赤塚 2019/12/04(Wed) 19:17 No.675
Re: 私のアルバムから〜BU
no674の写真は恐れ入りますですね。多分これもタッチアンドゴーを繰り返していたのを、ご自宅の木に登って撮ったということでしょう。場所も判ってしまいますね。旧五日市街道の南側の、バス停から2〜3件目の豪農なんですね。画面も右下に多分別の農家の豚小屋が少し見えます。臭かったなー。本当に市の歴史的資料です。みんなに知って欲しいものです。
のらひこ 2019/12/05(Thu) 12:44 No.676
Re: 私のアルバムから〜BU
1965年3月、Narisawaさんが撮影したWB−47E。
西武バスにボンネットトラック、時代を物語る絶妙のショットですが、当時のマニア心としては余計なものが写り込んでしまった。
と思われたのではないでしょうか。
それが半世紀を過ぎると見方が変わり、すばらしい作品となるわけですから、写真というのは面白いものですね。

赤塚 2019/12/05(Thu) 19:25 No.677
Re: 私のアルバムから〜BU
1964年でしたよね。中国が原爆を成功したのは。63年ぐらいからいろんなWB.WCが飛んでました。先輩マニアから沿海州沖辺りの高空で、放射性物質を採集して、開発状況を探っているんだよと言われ、何処に沿海州があるんだろうと思ったものでした。しかしこのno677は凄い写真ですよね。世界中に米軍基地は100以上あったでしょうが、こんな写真が撮れる所があったんでしょうか。みんなで調べて見ましょうよ。
のらひこ 2019/12/06(Fri) 16:37 No.678
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
核実験のサンプリング、半島への偵察活動、緊張感漂うRBやWBのすぐ横で通勤、通学の乗合バスが平行して走る風景。
これが60年代の日本とアメリカの現実だったんですね。ある意味平和そのもの。

↓は1965年3月26日、ワタナベさん撮影。
何とも穏やかな仲春の西砂川。写真から“まったり”とした暖かさが感じられます。いいですねえ。
この地点から撮影された写真に白煙(水蒸気?)がよく写っています。何かの工場があったのでしょうか。ご存知の方、ご教示ください。

赤塚 2019/12/06(Fri) 17:09 No.679
Re: 私のアルバムから〜BU
「偵察機と立川バス」。1958年の西砂川の日常を捉えたNAKASATOさんの傑作。
当時の航空情報の写真コンテストに応募していたら入賞間違い無しでしょうが、この写真の評文は書きにくいでしょうね。
どう書こうと評者の思想が問われてしまいます。
ワタシなんぞは、ここでシルバーのRB−66Bを見たかった。撮りたかった。そしてここに住んでみたかった。と思うだけですが・・・。

赤塚 2019/12/07(Sat) 15:14 No.680
Re: 私のアルバムから〜BU
B−47のスタイルを最も美しく表している角度は斜め前からでしょう。映画「戦略空軍命令」の中でも“新鋭機”B−47が列線を組んでのタキシング映像はラストシーンに相応しいものでした。

↓はワタナベさんが1962年10月横田のRwy36で撮影された“E”型のタキシング。美しい。

赤塚 2019/12/08(Sun) 10:21 No.681
Re: 私のアルバムから〜BU
↑の「送り」のショット。
斜め前からの角度のほうが断然いいですね。

赤塚 2019/12/08(Sun) 10:26 No.682
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47はほんとに美しいですよね。B-49は別にして、44、45、46それに48は何であんなに不細工なんでしょうね。性能の良い飛行機はカッコいいと思ってましたが、117でガッカリしました。
のらひこ 2019/12/08(Sun) 15:46 No.683
Re: 私のアルバムから〜BU
NarisawaさんもWB-47Eをよく撮ってらっしゃいます。1965.7
これはフライパスでしょうか。離陸だとしますとおとなしい上がり方ですね。
オフィシャル・フォトにこのような角度の写真が多いような気がしますが、どうでしょうか。

赤塚 2019/12/09(Mon) 00:02 No.684
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
「性能の良い飛行機はカッコいい説」は、木村秀政先生世代の方がよくおっしゃっていました。F−22、F−35など高性能の戦闘機もカッコ良くは見えませんね。
「垂直尾翼2枚+ステルス性重視」となってから、ヒコーキがどんどんカッコ悪くなったなあ、と思うのは私だけではないような気がします。

↓ENOMOTOさんが狙いすまして撮ったと思われますB−47のアプローチシュートとドラッグシュートの満開シーン。
頭では分かっていても当時は基本「着陸側」で待つことが当たり前でしたので、狙わなければこのような写真を撮ることはできませんでした。
週一ぐらいの撮影行では無理だったようです。さすがENOMOTOさん、地元の利を充分活かしております。

赤塚 2019/12/09(Mon) 15:41 No.685
Re: 私のアルバムから〜BU
銀色のB−47Eまだありました
1962年7月19日の横田36エンド
B−47E/53−1845
No.654の前ショット二コマを
バスは後ろ姿で砂利道のホコリ巻き上げ
前景のボロ小屋はしばらくありましたね

村越賢司 2019/12/10(Tue) 02:05 No.686
Re: 私のアルバムから〜BU
その次のコマ
1962年7月19日の横田36エンド
B−47E/53−1845
同じくタクマー55mmほぼノートリミング

村越賢司 2019/12/10(Tue) 02:09 No.687
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47と言えばこれでしょう!1964年2月トンネルの手前西から撮ったWB-47Eのおなじみの水噴射離陸です。石播も見えますし、KC-135とB-50も外来に並んでいます。兎に角、凄い排煙で、画面一杯に押さえたかったんでしょう。B-52の離陸は、一気に高度を稼ぎますが、この47はそうでもなかったですね。262が離陸、着陸の時に楽に撃墜されたので、ダイブができるぐらいの高度を取りたかったんでしょうか?そんなことないか!

のらひこ 2019/12/10(Tue) 06:38 No.688
Re: 私のアルバムから〜BU
どなたでも経験されたシルエット写真。
B−47をからめたのは、さすがMoriさん。真冬の“横田36”の当時の雰囲気がよく出てます。
当時月数回の撮影行ではこうした写真は撮れなかったですね。横田に昼頃まで居て、逆光になる午後には立川へ移動することが多かったような気がします。

赤塚 2019/12/11(Wed) 09:58 No.689
Re: 私のアルバムから〜BU
皆さん こんにちは
今年のエンド通いは一度だけになりそうです>_<

横田エンド数回目、たった一度だけ巡り会ったB-47E-V、ピッカピカの胴体、拡大してみると36エンドの景色がきれいに写っています。
この頃はもう52に機種交代しているので多分連絡用で残っていたのでしょうね。

ダブルタンゴ 2019/12/11(Wed) 14:06 No.690
Re: 私のアルバムから〜BU
>ダブルタンゴさん
「36名場面シリーズ」その1ですね。スバラシイ〜。
“E型”“西武バス”“フジヤマ”と3拍子揃っています。史料好きの写真派には、こたえられない写真ですね。感動しました。

↓はワタナベさんが1965年3月26日(679と同日)に撮影されたWB−47E。ずいぶん高いところからのショットですね。私はこの時期横田には行っておらず、撮影場所がどこか分かりません。木の上のように思えますが、ご存知の方ご教授ください。

赤塚 2019/12/11(Wed) 15:36 No.691
Re: 私のアルバムから〜BU
ダブルタンゴさん、66年にもWBじゃないのが飛んで来てたんですか。ビックリです。B-52飛ばすのも金がかかるので、訓練用のB-47で来たんですかね。もしかして、与圧室にギッシリ赤坂に遊びに行く将校が乗ってたりして、ナウシカの海賊船みたいに。でも1月3日にデートもせずに横田に来てたんですか。違うな。助手席には誰かいたでしょう。no691の撮影場所は、壊した家の東の隅に確かイチョウの木がありました。結構高い木で、イチョウですから枝が沢山あるけど登るの大変だった気がします。
690、691とも懐かしい写真です。
のらひこ 2019/12/11(Wed) 19:41 No.692
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47Eと同じ66年1月に撮っていた、当時も貴重だった(らしいw)ERB-47H
これも大きく画面が傾いていますねえ、この頃の標準レンズで撮った流し撮りの多くが右肩上がり? この癖は半世紀以上たった今でも気をつけないと発生(^_^;)
>のらひこさん
高1冬休み、武蔵野の自宅から五日市街道チャリンコなので助手席はありません!(笑)

ダブルタンゴ 2019/12/12(Thu) 11:16 No.693
Re: 私のアルバムから〜BU
ダブルタンゴさん、そうでしたね。五日市街道の路肩のガタガタじゃ自転車の2人乗りは無理でしたでしょう。ERBは如何にもイボイボが多くて不気味でしたよね。右肩上がり、飛行機撮りの習性で機軸を先に考えて撮ってしまうからでしょうかね。あとでトリミングがしにくくて往生します。
のらひこ 2019/12/12(Thu) 13:19 No.694
私のアルバムから〜B

1962年 航空情報読者写真コンテスト入選作品

赤塚 2019/11/22(Fri) 17:49 No.639 [返信]
Re: 私のアルバムから〜B
入選者の東野さんはこの写真を撮ったとき10代の中頃。その若さでコンテストの常連の中に入っての入賞は、団塊世代の我々にとって当時大変な驚きでした。機材も最速シャッタースピードが1/300秒と、その頃の一般カメラとしては廉価な“リコー300”。
望遠レンズを持てなかった当時の少年マニア連に良い影響を与えてくれた記念碑的作品です。

印刷で掲載された写真の評には“下をカットした”とありますが、少し説明が足りないような気がします。↓は、原版から10%ほどトリミングした写真で、真夏の空に浮かぶB−47の特徴と魅力が表現されてたいへん美しい。カットする必要は無いように思われますがいかがでしょう。

赤塚 2019/11/22(Fri) 17:50 No.640
Re: 私のアルバムから〜B
おおっ!!懐かしい写真です。1962年7月16日、箱根ヶ崎のトンネルの上で、クリーンな47Eを、リコー300、4.5cmF2.8での撮影です。中学3年生の夏休み、ほぼ毎日自転車で、五日市街道を走り通ったものです。とにかく綺麗な飛行機で、印画紙にその通りに写っていたのが嬉しくて、応募したんでしょうね。あの当時から、機種の前のスペースと後ろのスペースの比率にはこだわっていたのですが、入選の写真は後ろも下もカットされていたんですね。下の雲も残して欲しかったな。それにしても、右エンジンと垂直尾翼の間に、45mmのお陰で、奥行き感が良く出ていますよね。
リコー300って名機でした。
,

のらひこ 2019/11/22(Fri) 19:55 No.641
Re: 私のアルバムから〜B
>のらひこさん
リコー300は廉価機とされていましたが、レンズが当時私が使っていたアイレスペンタのQコーラルF2.8レンズよりシャープで、
一度カメラをお借りしたことがありましたね。

のらひこさんの入選作のB−47にも見られるように、胴体のところどころに“皺”があって機体の古さを感じさせてくれましたが、
それがB−47の魅力のひとつでしたね。
その“皺”を「これでもか!」と表した写真がENOMOTOさんのこの作品。順光ではこうした乱反射を収めるのは難しいでしょうから
ひょっとしたら密かに狙っていたカットかも知れませんね。

赤塚 2019/11/24(Sun) 12:25 No.642
Re: 私のアルバムから〜B
no642のエノさんの写真は、狙っていた可能性が高いですね。多分、西砂川の午前中、お昼直前でしょうね。引いて撮れば全体が写るのに、道路の上辺りで狙ったんでしょう。後席の爆撃手が右に目一杯顔を近づけていますが、もしかしたら樫の木の枝を気をつけろと言っていたかも!!
兎に角、もうB-52が来ていましたが、47特に47Eは魅力的な飛行機でした。ジューンアリスンも可愛かったですけど。入選作の5日あとに、トンネルの上でなく、もっと柵に近いところで撮った47Eを貼ります。

のらひこ 2019/11/24(Sun) 14:57 No.643
私のアルバムから〜B
赤塚さん、のらひこさん、皆さん今晩は。

前回のRF-101、銀塗装時代の綺麗な写真に圧倒され、プエブロ事件で動員されたANGのRF-101Gを出すタイミングを失ってしまいました。

B-47の皴良い?ですね。私のB-47の印象は離陸の際の水噴射の黒煙です。最近でもB-52やE-8などで見られますが、いかにも頑張っている感じが好きですね。

徳永 2019/11/24(Sun) 18:24 No.644
Re: 私のアルバムから〜B
>のらひこさん
2回連続で“E”型を撮れたなんてラッキーボーイ以外の何者でもありません(羨笑)
643の写真を見ますとドラッグシュートが欠けてますが、理由は機体を画面中央に収めようとすると傘までが長いもので、
どうしても切れてしまう。多くの方の写真にもよく見られます。
しかしながら、そんなこと“E”型を目の前にして考える余裕なんてあるはずもないでしょう。

>徳永さん
“あの頃”(60年代中頃)横田へ行けばRB−47HやWB−47Eが良く撮れたと思うのですが、海軍機への傾倒期であり、
厚木へ10回に対して横田1回ぐらいの撮影行でした。今考えるとちょっと惜しい気がします。


↓は、富田肇さんが撮影された横田でのB−47初公開写真。(1957.5.18)
原版は縦位置ですが上下をトリミングしました。「写真心」が随所に感じられるイイ写真ですね。

赤塚 2019/11/25(Mon) 17:44 No.645
Re: 私のアルバムから〜B
別角度からのカットです。
影からみて12時前後の時間だと思いますが、好天気だというのに観客の数の少なさに隔世の感がありますね。

赤塚 2019/11/25(Mon) 17:57 No.646
Re: 私のアルバムから〜B
50年代の三軍記念日ルポの写真を見ますと、JATOでのデモ飛行がよく見られますが、57年の横田ではB−47がJATOデモ。
展示機の“おかえり”なのか、別の機体かは分かりませんが、観客の風情から、もの凄い轟音を発しているのが感じられます。

観客の数は午後になって増えているものの、日本人の姿はごくわずか。
当時は基地公開のPRは積極的ではなく、入場者は公開を知る地元の人たちと、中央線沿いの住人ぐらいだったのではないしょうか。

赤塚 2019/11/25(Mon) 18:20 No.647
Re: 私のアルバムから〜B
翌年(1958)の横田三軍記念日でもB−47Eは公開されました。TSPCTanakaさん撮影。
行かれた先輩の話を聞きますと、この日はいわゆる“猫の目天気”で大雨に襲われた後、汗が噴き出るほどの“どピーカン”となったそうです。

赤塚 2019/11/26(Tue) 18:17 No.648
Re: 私のアルバムから〜B
“猫の目の天気”の状況が分かる当日の写真を組んでみました。

赤塚 2019/11/26(Tue) 18:20 No.649
Re: 私のアルバムから〜B
晴れ上がった青空を背景に能村さんがミノルタ・オートコードでガッチリ撮ったB−47E。三軍記念日はやはり晴れた天気でないと観客がイキイキとしません。いかにも空軍基地のオープン・デイの雰囲気が出ていて写真見ているだけでもワクワクしてきます。

赤塚 2019/11/26(Tue) 18:27 No.650
Re: 私のアルバムから〜B
逆角度から押さえたENOMOTOさんの作品。たぶん6×6版のヤシカ・フレックスで撮影されたと思われますが、フィルムは12コマしか撮れませんので、シャッター押す前から構図を考えていたのでしょうね。
画面からENOMOTOさんの気持ちが伝わってくるような作品ですね。いつもながら先輩方の写真に対する真摯さには頭が下がる思いです。

赤塚 2019/11/26(Tue) 18:37 No.651
Re: 私のアルバムから〜B
公開日の47Eはド太いドロップタンクを付けてますね。ガムから空中給油せずに、飛んで来たんですかね?62年からの47Eには付けてなかったように思います。空中給油技術が確立したのかな?でもたまには事故も有りますわな。沖縄でもね。
のらひこ 2019/11/26(Tue) 19:24 No.652
Re: 私のアルバムから〜B
>のらひこさん
のらひこさんのNo.640と同じ時に撮ったB−47Eです

こちらは55mmですのでちょっと下がった位置取りだったと思います
う〜〜ん 45mmの方が細長い後退翼のスマートさが出ているね

1962年7月26日の横田箱根ヶ崎にて
B−47E/53−1845
ピカピカの金属肌が良いですね

村越賢司 2019/11/27(Wed) 00:25 No.653
Re: 私のアルバムから〜B
これも、のらひこさんとご一緒だったと思いますが
西砂川で撮ったB−47Eです
ドラッグシュートが見切れてしまった

1962年7月19日 横田36エンド
B−47E/53−1845
あ! ↑のNo.653と同じ機番だった

村越賢司 2019/11/27(Wed) 00:34 No.654
Re: 私のアルバムから〜B
連張り失礼します

1963年2月21日の横田36エンドをパスする
RB−47H/53−4284、電子装置ポッド付き
まだドラッグシュートは引いていない

村越賢司 2019/11/27(Wed) 01:04 No.655
Re: 私のアルバムから〜B
同じ機の着陸です
1963年2月21日の横田36エンド
RB−47H/53−4284

村越賢司 2019/11/27(Wed) 01:07 No.656
Re: 私のアルバムから〜B
送りショット
1963年2月21日の横田36エンド
RB−47H/53−4284
撮影ポジションのわかるショット、55mmです

村越賢司 2019/11/27(Wed) 01:09 No.657
Re: 私のアルバムから〜B
とりあえず今日はここまで

1963年6月22日の横田箱根ヶ崎
RB−47H/53−4291の着陸

村越賢司 2019/11/27(Wed) 01:23 No.658
Re: 私のアルバムから〜B
>村越さん
のらひこさんの640と村越さんの653のB−47Eは同じ日だったのですね。45mmvs55mmのレンズの特性が出ていて、
興味深いものがあります。村越さんの作品もコンテストに応募していれば選者はどちらを選ぶのか相当迷ったでしょうね。
654のB−47Eのアングルも有りそうで無い角度ですよ。
少し高ければキャノピーが胴体に隠れてしまいますし、正に絶妙のカット。スバラシイ。


1959年の横田三軍記念日もB−47が公開されています。しかもマニアにとって希少価値の3ADのRB−47Eの司令機が鎮座。
当時行かれた方はこれ見て驚いたことでしょうね。1959.5.16 撮影:能村さん  

赤塚 2019/11/27(Wed) 14:47 No.659
Re: 私のアルバムから〜B
当然ながらSACのエンブレム付きです。この余りにも有名なエンブレムも当時は手描きだったようで、様々な機体の絵はバラバラ。
どれが本当なのか未だによく分かりません。まあ、それが面白いところなのですが・・。

赤塚 2019/11/27(Wed) 15:12 No.660
Re: 私のアルバムから〜B
何十年も3AD司令機のRB−47Eの写真は、59年横田三軍記念日の雨中の写真しか見たことがありませんでしたが、TSPCのKUMAKIさんのアルバムを見てビックリ!。
何と2年後の1961年4月、晴天時に撮っているではないですか。このRB−47“E”の美しさ。時が時なら航空雑誌のアートページに掲載されたに違いありません。

赤塚 2019/11/27(Wed) 15:24 No.661
Re: 私のアルバムから〜B
増槽を装備したB−47の飛行中の姿を捉えたマニアは、おそらく50年代から活躍していたNAKASATOさんしか居ないでしょう。
確かに60年代に横田へ飛来したB−47には増槽を付けた機体は見られません。深く調べてみないと分かりませんが、給油機であるKC−97の配備と関連がありそうですね。

赤塚 2019/11/28(Thu) 17:35 No.662
Re: 私のアルバムから〜B
RB−47Eの増槽付きも来日しています。NAKASATOさんが捉えた貴重な写真。撮影年月は不明ですが1960年以前と思われます。

赤塚 2019/11/28(Thu) 17:43 No.663
私のアルバムからF101

1960年5月21日 H.Tomitaさん撮影

赤塚 2019/11/06(Wed) 14:48 No.618 [返信]
私のアルバムからF-101
600の45TRSのRF-101Cと共に横田へ飛来した15TRSのヴードゥー。
嘉手納のヴードゥーの横田飛来は三沢の45TRSより断然少なく、それを1日で両方撮影できたWatanabeさんのツキは相当のもの。
と、当時を知る先輩マニアが仰っていました。

赤塚 2019/11/06(Wed) 15:06 No.619
Re: 私のアルバムからF101
嘉手納の101は見たことないから、憧れますね。色使いが大西洋風に見えるのはひがみかしら?しかし、ドロップタンク無しで、沖縄から飛べるんですね。タンク付けたら西ドイツからモスクワ往復が出来たのかもしれません。しかし、1950年代から1970年半ばまでの、特にアメリカの核攻撃への恐怖は尋常じゃ無かったですね。中産階級はシェルターをほとんど持ってたらしいです。庶民の「異常な愛情」です。あと3日でベルリンの壁崩壊30年ですが、こちとらは或いは日本のサラリーマンはバブルで仕事が忙しくて、あまり感激は無かったですが、今の人はそもそもそれなーにって感じなんでしょうね。
のらひこ 2019/11/06(Wed) 20:05 No.620
Re私のアルバムからF101
嘉手納のヴードゥーが初めて横田で展示されたのが“サンダーバーズ”公開日の1959年12月12日のこと。RF−101の向うにチラッと写っているのが“バーズ”のF−100です。
陽も傾きけかけたころ、そろそろ観客がお帰りとなる時間にローアングルで15TRSの尾翼を引き寄せて撮るTanakaさんのセンスに脱帽。
シャシン心を感じさせる素晴らしい作品です。

赤塚 2019/11/07(Thu) 15:38 No.621
Re私のアルバムからF101
1960年の横田三軍記念日は、私ら団塊世代マニアは見ることができなかったせいか、あまりにも羨ましいオープンハウス。
たまたま沖縄から横田に展開していたF−100、F−102、RF−101が加わり実戦さながらのデモフライトを展開。
先輩方の当日の写真を拝見しますと、触り放題、見放題、目の前でタキシング撮り放題です。
写真はワタナベさんが捉えたものですが、これで45mmですよ。
この日を体験されたマニアの方は、一生忘れられない三軍記念日となったでしょうね。

赤塚 2019/11/08(Fri) 18:13 No.622
Re私のアルバムからF101
同日、TSPCのTomitaさんが撮影した15TRS。言われなければ、ここが横田であることがわかりませんね。

赤塚 2019/11/09(Sat) 00:10 No.623
Re: 私のアルバムからF101
ホホー!!!嘉手納と那覇の揃い踏みですか!!!両方ともオシャレなテールマークで、シャープな感じでしたね。でもこの時には、横田に般若が配属されていましたよね。60年安保を意識して総出演だったのかしら?
のらひこ 2019/11/09(Sat) 14:15 No.624
Re私のアルバムからF101
Tanakaさんが愛機「レオタックス・FV」で捉えたタキシング。
135mmでのショットだと思いますが、撮影された時点(1960年5月)で望遠レンズを使っていたマニアはごく少数でしたので、
この写真は非常に貴重。タワーが写っていなければ、横田で撮影されとは思えないでしょう。

赤塚 2019/11/09(Sat) 15:01 No.625
Re私のアルバムからF101
>のらひこさん
1960年5月の時点では横田の40FIS(雷般若)は、まだF−86Dでした。
ですから、F−102自体が関東のマニアにとっても最新鋭機であり、垂涎のヒコーキ。
それが目の前でガンガン飛ぶもんですから堪らなかったでしょう。

↓15TRS三機まとめてのショット。↑と同じくTanakaさん撮影。参りました。

赤塚 2019/11/09(Sat) 19:31 No.626
Re私のアルバムからF101
61年4月21日、T.Moriさんが着陸を200mmで捉えた15TRS。

赤塚 2019/11/10(Sun) 17:15 No.627
Re: 私のアルバムからF101
↑の送りのショット。
今ではさほど驚くようなアングルではありませんが、半世紀以上前でこのような写真を撮れる人はMoriさんしか居りませんでした。

赤塚 2019/11/10(Sun) 17:21 No.628
Re私のアルバムからF101
1961年12月13日、Iwakawaさんが撮影された板付ならではのCV880とのツーショット。
CV880は就航3か月目ぐらいで当時は日本航空の新鋭旅客機でした。
日航や全日空の定期便は飛んで来るは、沖縄、三沢、岩国、横田からは来るは、はたまた韓国、フィリピン、グアムからも時折飛来するはで、
本当にこの頃の板付マニアは気が休まらない日々が多かったことでしょう。

赤塚 2019/11/12(Tue) 15:53 No.629
Re: 私のアルバムからF101
no629にはビックリですね。880のあの騒音といい、排煙といい、凄いもんでしたからね。さすが最前線の板付だから、いろんな新鋭機と一緒の飛べたんですね。羽田でも轟音は評判悪かったはずですね。J-79を4発吹かすわけですから、アフターバーナー無しだって凄いですよね。そこに101や102が飛んでくるわけですか!
のらひこ 2019/11/12(Tue) 18:19 No.630
Re: 私のアルバムからF101
「これがITAZUKEだ!」と、どこからか聞こえてくるようなシーンですね。
1962年1月  撮影:Yoshinagaさん

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:32 No.631
Re: 私のアルバムからF101
さらに別角度。おなじみの古いタイプの鉄条網が緊張感を生み出しています。

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:35 No.632
Re私のアルバムからF101
うしろに廻ってもう1枚。横田から飛来したRB−57Aと板付の日常機であるF−100も写っていたり、60年代の板付は凄かったんだなあ、
とつくづく思う次第です。

赤塚 2019/11/13(Wed) 16:40 No.633
Re私のアルバムからF101
マニアの撮った国内でのRF−84の写真は、横田のNakasatoさんの45TRSのRF−84Kの写真が50年代の航空情報に掲載されたぐらいで、なかなか目にすることはありませんでした。
それ以外の写真がどなたかが文通にて入手したManabeさんが撮影されたこの15TRSのRF−84F。
私も少年マニア時代に先輩マニアからこの写真を見せて頂きましたが、そのときの衝撃は忘れがたく、何回も隅々まで見つめていた記憶があります。

トリミングはしているでしょうが、カメラのレンズはおそらく50o前後。こんなに寄って撮れた時代があったのですね。おそるべし板付です。

赤塚 2019/11/15(Fri) 14:31 No.634
Re: 私のアルバムからF101
1958年5月26日、横田で撮影された15TRSのRF−84F。撮影はNakasatoさん。

こうして見ますとRF−84FはF−105にボディラインが良く似てますねえ。リパブリックの設計デザインの流れがスタイルに表れています。
“マクダネル三兄弟”(デモン・ヴードゥー・ファントム)にしてもひと目でマクダネルと分かりますし、F−100やF−86はいかにもノースアメリカン。
設計者が人からコンピューターへ移ってしまった現在では、こんな見方もできなくなってしまいましたね。

赤塚 2019/11/15(Fri) 14:48 No.635
Re: 私のアルバムからF101
1962年というと、日本では安保騒動も終わり、冷戦下の平穏が感じられたのでしょうが、ケネディのキューバ禁輸がこの頃、早々に始まり、アメリカとしては。キューバが真珠湾的な攻撃を仕掛けてくれないかと思っている時期ですね。ルーズベルトの手法は政府部内では公然でしたでしょうから。
でも、結果として、軍部が狙ったようにミサイル搬入、それ戦争だと思ったところ、ケネディとフルシチョフの二人芝居で終わってしまい。アイゼンハワーが警告した軍産の思惑はならず。ケネディ暗殺に繋がる発端でしょうね。全世界的なアラームが米軍内に鳴り響いていたはずです。
RF−84Fのドロップタンクの付け方からして、巡航時は、機首を5度程度上げての巡航姿勢だったんですかね。
のらひこ 2019/11/16(Sat) 13:04 No.636
Re: 私のアルバムからF101
昔からの在日米軍機マニアの中で、もっとも驚いた写真と言えば板付で撮られたこの戦闘機型ヴードゥーではないでしょうか。  1958年 撮影:K.Manabeさん

説明をAGC版「在日アメリカ空軍機写真集」から転載します。

1958年、板付で撮影された27TFWのF−101A/C。航空情報に4機並んだ写真が出たときにはたまげたものだが、実際に10機も来ていたとは2度びっくりである。おそらくフェリーフライト中、何らかのトラブルで着陸したものだろう。この年の8月、中国軍による金門・馬祖島への猛攻撃が開始され、これに対応してTAC(戦術航空軍)は、CASF(混成航空攻撃軍)展開作戦「Operation X-Ray Tango」を発動。その一環としてバーグストロムAFBから27TFWのF−101A/C計13機を嘉手納基地に派遣した。戦闘機型ヴードゥー唯一の太平洋地域展開であった。

赤塚 2019/11/16(Sat) 18:43 No.637
Re私のアルバムからF101
10月20日から始まりました“ヴードゥー特集”は三沢の45TRSに戻り、T.Moriさんのこの作品をもって最終といたします。

ヴードゥーそのものが撮影の機会が少なかったとき、タテ位置・逆光で撮ろうとする発想はMoriさんならではですね。
雲の形態、光の回りよう、画面構成、飛行機写真の枠を越えた芸術写真として通用する作品だと思います。

BBSU「私のアルバムから」は5日ほどお休みをいただき、11月23日から再開いたします。テーマは“B”。
B−47、B−50、B−52などをからめた作品を紹介します。お楽しみに。

赤塚 2019/11/17(Sun) 14:25 No.638
私のアルバムからF-101(2)

1959年12月  K.Narisawaさん撮影

赤塚 2019/10/27(Sun) 14:45 No.598 [返信]
R私のアルバムからF-101
K.Narisawaさん!!クルーセイダー6機分の咆哮ですか!!!すごかったでしょうね。F-105ほどじゃなかったけど、結構大きな音のはず。いつも三歩先を行かれましたよ。
のらひこ 2019/10/28(Mon) 07:03 No.599
Re:私のアルバムからF-101
1960年1月4日、日没直後のまだ明るさが残るRW36に進入する三沢のヴードゥー。当時の写真事情から推察しますと、おそらく絞りはF2開放、シャッタースピードは1/250ぐらいではないでしょうか。粘り勝ちですね。
しかもこの日は嘉手納の15TRSのRF−101Cも同時に降りていて、もの凄いツキよう。撮影:Watanabeさん

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:12 No.600
Re:私のアルバムからF-101
1960年3月27日、TSPCの熊木さんが36の樫の木の上から撮ったヴードゥー。低い!

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:26 No.601
Re:私のアルバムからF101
上のショットとの前後は分かりませんが同じとき降りたRF−101C。地上とのバランスを見たとき、このくらいの高さがちょうどいいですね。このような写真が45mmで日常的に撮れたなんて本当に夢のようです。

赤塚 2019/10/28(Mon) 17:32 No.602
私のアルバムからF-101
no602で初めて気が付きました。バズナンバーが胴体の下に書いてあるんですね。当然と言えば当然ですが、地上から視認できるところに書くのが決まりなんでしょうから、ここしかないということでしょう。でもF-102のバズナンバーは地上から見えるかしら?形骸化していく過程なんですかね。
のらひこ 2019/10/28(Mon) 18:32 No.603
Re:私のアルバムからF-101
>のらひこさん
バズナンバーの件、この写真のほうが分かりやすいですね。
狙って撮れるものではないかも知れませんが、Kumakiさんのセンスに感謝です。このショット45mmですよ。
機首の水玉の帯の切れ目が分かる写真はモデラーさんにとっても有難いでしょうね。

赤塚 2019/10/28(Mon) 23:53 No.604
Re: 私のアルバムからF-101
オーストラリアへ遠征したのでしょうか。キャノピー下にカンガルー(たぶん赤)が画かれています。Kumakiさん撮影。

写真を貼りながら今気付いたのですが、脚カバーに書かれているのは数字のほかに、いろんなタイプの塗り方があったのですね。
次の56−0061もその一つです。

赤塚 2019/10/29(Tue) 15:06 No.605
Re私のアルバムからF-101
横田でのRF−101の写真を多くみてますが、大体がストレート・インンで降りていているようで、↓のようにヒネって着陸することは余りなかったようです。珍しいですね。 1961.3.13 撮影:Narisawaさん

赤塚 2019/10/29(Tue) 15:24 No.606
Re: 私のアルバムからF-101
1961年3月17日、T.Moriさんが200mmで撮影したヴードゥーの編隊着陸。
私がカメラを手にして羽田をウロつくようになったには1961年の夏からですから、後にこの写真を見せていただいたとき、5歩も10歩も先に行っていたんだなあ、とつくづく思ったものでした。

赤塚 2019/10/30(Wed) 07:55 No.607
Re: 私のアルバムからF-101
現代にも通ずるスゴイ写真ですが、水玉塗装にベアメタルであることに注目。45TRSの記念碑的作品だと思います。

赤塚 2019/10/30(Wed) 08:03 No.608
私のアルバムからF-101
空軍機ファンと海軍機ファンが“泣いて歓ぶ”ような60年代初期の板付ならではのショット。 1962年5月18日 Yoshinagaさん撮影
こうしてスカイレイと並びますと、ヴードゥーがいかに巨大な戦闘機だったのが良く分かりますね。いい写真です。
残念ながら私は「水玉ヴードゥー」も「ECのスカイレイ」も撮ったことがありません。

赤塚 2019/10/31(Thu) 19:44 No.609
Re: 私のアルバムからF-101
Moriさんが横田で撮った3ケ月後の同機(56−0084)
虎の絵も3ケ月経つと、くすんでしまうものなのですね。この虎、#423#425のF−102の機首に描かれていたものと同じように見えますがハテ?

赤塚 2019/11/02(Sat) 00:32 No.610
Re: 私のアルバムからF-101
1961年真夏の板付。板付の写真を見ていつも思うのですが、背景にさりげなくF−100やF−102が写り込んでいます。  撮影:Yoshinagaさん

その頃としては当たり前の事だったのだろうけれど、こんな時代に板付へ“タイムスリップ”することが出来たらなあ、と思うのは団塊世代マニアでしょう。

赤塚 2019/11/02(Sat) 11:21 No.611
Re: 私のアルバムからF-101
横田でもRF−101が飛来するときは、単機で来ることは少なく、ほとんどペアを組んでいました。
↑の機体と共に板付に飛来したYoshinagaさんのこの56−0061の写真を拝見しタマげました。機体の三ケ所に意味深げな文字やイラストが画かれているではありませんか。こうしたヴードゥーの写真を見たのは初めてです。反対側はどうなっていたのでしょうね。

赤塚 2019/11/02(Sat) 13:17 No.612
Re: 私のアルバムからF-101
○キャノピー下の「WIDOW MAKERU」・・・パイロットはエンジン不調で墜落事故の多かった初期のデモン(F3H-1N・J40搭載)に乗った経験があったからでしょうか?(同じマクダネルということで)
または武器を持たない偵察機で敵地に飛び込む危険な仕事を揶揄して書いたのか。自衛隊機には決して書けそうもないですね。

○キャノピーうしろの絵は、部隊名とRF−101のシルエットを合わせて描いたようで、この機しか見たことがありません。

○脚カバーの毒グモ?・・・地を這うように飛ぶことを指したとものと勝手に想像しました

赤塚 2019/11/02(Sat) 23:39 No.613
Re: 私のアルバムからF-101
「ヴードゥー」を語れば、前任機であるRF−84F「サンダーフラッシュ」を外すわけにはいきません。私らにとって夢のまた夢のヒコーキですが、恰好の良さから言えはヴードゥーを越えているかも知れませんね。


50年代の板付で貴重な写真を撮られていたK.Manabeさんのショッキングフォト。嘉手納の15TRSのRF−84Fのタキシー・ショットはすでに航空雑誌等で印刷されていますが、三沢の45TRSバージョンもあったとはこの写真を見るまで知りませんでした。写真的にはこちらの方に魅力を感じます。

赤塚 2019/11/03(Sun) 18:15 No.614
Re: 私のアルバムからF-101
RF−84Fが現役の頃、50年年代の三軍記念日には各基地でよく公開されてましたが、マニア人口が余りにも少なかったので、写真が僅かしか残されておりません。
そんな中、1958年5月17日ジョンソンで公開された際のなショット。神戸の中井さんの撮影。横田・立川へは行かず、ジョンソンに行ったので貴重な写真が残りました。

エアーポリスの向うには兵士と女性の後ろ姿。50年代の米軍基地周辺では“国際交流”がお盛んで、よく見られた光景です。

赤塚 2019/11/03(Sun) 18:26 No.615
Re: 私のアルバムからF-101
1958年、横田三軍記念日でもRF−84Fは公開されましたが、こちらは格納庫の中でした。
当時の主なフィルムはF(ISO32)かSS(ISO100)でしたから格納庫の中の天井灯だけでは光量がたりません。何人かの方の写真を拝見してますが露出不足かブレてました。

↓はTSPCのT.TANAKAさんが撮影した写真ですが、おそらく絞りはF2開放、シャッタースピードは1/4か1/8だったでしょう。息を殺し、静かに人さし指の腹でゆっくりシャッターを押した様子が浮かんできます。
公開最後のサンダーフラッシュ。貴重な1枚ですね。

赤塚 2019/11/05(Tue) 18:09 No.616
Re: 私のアルバムからF-101
1958年4月10日、横田のRW36に滑り込むサンダーフラッシュ。
日本のマニアが捉えたRF−84Fの飛行中の写真を撮ったことのある人はおそらくNAKASATOさんだけでしょう。50年代でこのレヴェルの高さ。素晴らしい写真を残して下さり本当にありがとうございました。

それにしても、RF−84Fの“器量”の良さにはホレボレしますね。F9F−8PクーガーにしろF2H−2Pバンシーにしろ、機首にカメラを搭載しますと“美人度”は益々上がり、偵察機特有の恰好良さにつながるわけです。。

赤塚 2019/11/05(Tue) 18:36 No.617
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