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私のアルバムFJ-4F

FJ−4 フライパス    

あかつか 2020/11/17(Tue) 19:09 No.1581 [返信]
Re: 私のアルバムFJ-4F
135mmで撮影されたと思われますが、地上からの高度が50年代のエンドの状況を表していますね。
機体はおそらくVMF−451。この絶好の光線状態に『VM』のフューリーの着陸写真は素晴らしいプリントに仕上がったことでしょう。 撮影:Todaさん

少年時代の1950年代に川崎の中心部で過ごしてましたが、スモッグによる灰色の空は臨海部の工業地帯だけで、真夏の晴れた日には山間部のような群青色の空に浮かぶ純白の雲が見られたものです。
私が本格的に飛行場へ行き始めた1960年代の中ごろから晴れていても霞がかった“抜け”の悪い空の日が多くなり、カラーで撮ると誰が見ても厚木で撮ったことが分かるような色具合に写りました。

少年の頃見ていた『紺碧の空』をイメージし、画像の空を染めてみましたが、近年こんな空を拝める日は滅多にありませんね。
あかつか 2020/11/17(Tue) 23:41 No.1582
Re: 私のアルバムFJ-4F
どこまでも澄みきった空をバックにH&MS−11のフューリーが滑り込む。
撮影:1958年7月17日、TSPC・Fukuiさんの作品。

あかつか 2020/11/18(Wed) 23:22 No.1583
Re: 私のアルバムFJ-4F
岩国での展示会出席のため24日まで休みます。
あかつか 2020/11/19(Thu) 12:36 No.1584
イベントのご案内

11月21日(土)より11月23日(月・祭)まで岩国市民文化会館にて「飛行艇の歴史とその活躍」と題した展示会が予定されてます。
今年は日本で飛行艇を運用してから100周年にあたり、航空専門誌では特集記事の連載が見られますが、一般向けの記念イベントは初めて。
岩国市は世界に冠たる新明和US−2の基地があり、国による飛行艇ミュージアムの実現を要望しております。

あかつか 2020/11/14(Sat) 23:48 No.1575 [返信]
Re: イベントのご案内
運が良ければSP−5Bマーリンの水上タキシングが撮れるというので、初めて伊丹へ遠征した際、甲南へ行ってみたところ、SP−5B(SG)はエプロンでエンジンを回すのみで動く気配がなく、代わり?にUF−XSのテストフライトを撮影することができました。
UF−XSは甲南で何回かのテスト後、ベースを大村に移しましたので、この日(1963年9月16日)撮影できたことは僥倖としか言いようがありません。
あれから57年。生まれ変わったUS−2の関連イベントに参加することになり不思議な巡り合わせを感じています。

あかつか 2020/11/14(Sat) 23:52 No.1576
Re: イベントのご案内
この写真はオフィシャルでは有り得ない貴重なものですね。広い画角で、作業の方たちも動きが良く判り、公式写真のツマラナサの対極です。しかし高一位の時に、東京から来た少年がものにするとは凄いラッキーな事ですよね。
のらひこ 2020/11/16(Mon) 07:42 No.1577
Re: イベントのご案内
そんなわけでUF−XSに対する強い思いがあって、そのとき見た新明和甲南工場での出来事を写真とモデルで表現できないかと、三年前
下記の皆さまのご協力により再現してみました。

パネル写真の撮影は小生。レンズは、のらひこさんの135mm。ジオラマ製作はまさやんさん。
水を張ったプールづくりは村越さん。そしてUF−XSのモデルは浪速の名匠、高見保市先生。

あかつか 2020/11/16(Mon) 22:08 No.1578
Re: イベントのご案内
“水モノ”でしたので展示は1度きり。
発表後、パネル写真は新明和東京本部、モデルは甲南工場ゲストルームの入口に飾られています。

あかつか 2020/11/16(Mon) 22:30 No.1579
Re: イベントのご案内
ソリッドならではの1/50。素晴らしい出来ばえでした。

あかつか 2020/11/16(Mon) 22:35 No.1580
私のアルバムFJ-4E

AGC版 私のアルバムから(上)より 〜 「フューリーの編隊着陸」 撮影:大野芳希  1959年8月7日

あかつか 2020/11/02(Mon) 19:28 No.1552 [返信]
Re: 私のアルバムFJ-4E
【写真解説】
ランウェイ19に着陸するVA−212ランパントレイダーズのFJ−4B(NP202/201)。
画面右上に左側にブレークする別のFJ−4Bをしっかり写し込んでいて奥の深い作品だ。
NP202はこの頃まだ練習空母になる前のUSSレキシントンに載ってクルーズを行っていた。
2020/11/02(Mon) 20:27 No.1553
Re: 私のアルバムFJ-4E
↑トップ写真の次のショットだと思いますが、撮影年が1959年ということで海軍機らしい塗装が施されていません。
ですが、マニア的にはVA−212のフューリーが日本で撮影されたというだけで恐れ入ってしまうのです。  撮影:Ohnoさん

あかつか 2020/11/02(Mon) 21:02 No.1554
Re: 私のアルバムFJ-4E
VA−212[NP]のFJ−4Bは、F9F−8Bの後継として1958年にレキシントン/CVG−21で1961年6月まで展開しましたが日本で撮られた写真は少なく、厚木での写真も今回紹介しましたOhnoさんのものしか見たことがありません。

その後、VA−212はA4D−2と交代した後、厚木へも飛来していますが、私ら世代マニアは『NP』のA4D−2を撮っていないと思います。何人かの先輩マニアたちはRampant Raiders のインシグニアを描いたスカイホークをモノにしており、B型だけにちょっと悔しいですね。 ↓撮影:Moriさん 1963年10月4日

あかつか 2020/11/04(Wed) 18:38 No.1556
Re: 私のアルバムFJ-4E
ご無沙汰です。
ハンコックのA4D-2が出てきたので私も1枚
1963年の撮影ですが月日はわかりません。

geta-o 2020/11/04(Wed) 21:01 No.1557
Re: 私のアルバムFJ-4E
>geta-o さん
垂直尾翼の先端とエンブレムの下に画かれたリボンの色が分かるのもカラーならではですね。よくぞ撮っておいてくれました。ありがとうございます。

下は1962年6月11日、戦艦マニアの大御所Kaminouさんが撮影した神戸港に停泊中のハンコック。VA−212のA4D−2が撮りやすい場所に置かれています。
ここでの注目は、何とVAが3中隊(VA-212・A4D-2/VA-215・AD-6/VA-216・FJ-4B)で、しかも機種が異なるという構成。FA−18だけの現在とは大違いですね。このようなときに厚木のエンドへ通いたかったなあ。

あかつか 2020/11/05(Thu) 18:12 No.1558
Re: 私のアルバムFJ-4E
私がVA−212と初めて出会ったのは1965年5月4日、何の前触れもなく降りてきたA−4E/150083でした。ベトナムで戦火の中をくぐってきたのか、10回の出撃を示すマークが機首に描かれています。

VA−212のA−4Eはその後も何回か撮影する機会はありましたが、写真の機体はハンコック搭載時のもので多分『NP』のA−4Eとしては
厚木初飛来だったと思います。何事も“はじめて”というのは強く印象に残っているものですね。

あかつか 2020/11/06(Fri) 14:16 No.1559
Re: 私のアルバムFJ-4E
Kondohさんが撮られたVMF−334のFJ−4。1957年1月から厚木で首都圏の防空任務に就き、そのときのテールコードは『MX』。1957年6月に写真の『WV』に変わり、翌年F8U−1を受領してテールコードを『WU』とまたまた変更。F−8は日本に来なかったけれど、1970年頃、F−4Jで岩国に1年間駐留したので撮影されたマニアも多かろうと思います。

あかつか 2020/11/08(Sun) 00:08 No.1560
Re: 私のアルバムFJ-4E
1957年5月19日、羽田で開催された最後の三軍記念日に現れた『WV』のFJ−4。 撮影:T.TANAKAさん。
VMF−334/FJ−4の写真にも驚かされますが、撮影地が何と羽田ですよ。羽田空港の史料を見れば米軍機が居てもおかしくありませんが、
こうして実際の写真を見てビックリ仰天するのは私だけではないでしょう。スゴイ写真記録です。

あかつか 2020/11/08(Sun) 00:27 No.1561
Re: 私のアルバムFJ-4E
日本に初めて駐留したフューリーは1954年10月、航空機運搬艦で本国から追浜へ運ばれ、厚木のMAG−11に配属されたVMF−235『WU』のFJ−2でした。
下の写真はManabeさんのコレクションからの紹介ですが、ネットや専門誌等では胴体と尾翼に赤いバンドに白い星が画かれている完全塗装機の写真がよく出ています。
この“中撮り”の写真では、空軍同様ベアメタルの無塗装で、いかにも日本に到着して間もない雰囲気が漂っていますね。果たして場所は厚木か、追浜か?、気になるところです。

あかつか 2020/11/09(Mon) 00:15 No.1562
Re: 私のアルバムFJ-4E
1956年11月3日、Shimozatoさんが厚木で撮影したVMF−235のFJ−4。
CHECKER TAIL4にも掲載されてますが、あらためて調べてみますと、このFJ−4、大変貴重な写真であることが分かりました。

日本初登場の『WU』のFJ−2は1954年10月、追浜へ上陸。すぐ厚木へ配備され首都圏防衛にあたっていましたが、1956年8月、新潟基地(Niigata Air Base)へ移動。その2ケ月後10月に後継機のFJ−4が到着し、一カ月ほど新潟基地でFJ−2と機種転換訓練をしてFJ−2は日本を離れます。交替した『WU』のFJ−4は、そのまま新潟基地で防空任務を引き継ぎ、1957年1月、厚木に戻ってVMF−334[MX](後の『WV』)に機体を渡し部隊(人員)は帰国。このような動きから鑑みますと、『WU』のFJ−4が厚木で見られた期間はじつに短かったと思うのです。(Netで調べても写真らしい写真は見つからなかった)

あかつか 2020/11/09(Mon) 23:59 No.1563
Re: 私のアルバムFJ-4E
1963年2月、厚木に駐留していたVMF(aw)451[VM]のF8U−2Nを引継いでテイルレターを『DB』に書き替えたVMF(aw)235[DB] Death Angels がMAG−11の傘下に入りました。
『WU』のFJ−4が本国へ帰国して6年、この頃のヒコーキ写真マニアの知識はまだ薄く、VMF−235のテイルレターが『WU』から『DB』になったことを知る人は、ほとんど居なかったと思います。
ですので、塗り直したばかりの“DB”のテイルレターを遠方から見て、“ゼロハチ”と読み違えたという笑い話が残っています。

下は1964年1月6日、01側からの編隊着陸ですが、私はまだ“標準時代”でしたから、この程度の写真が精一杯。

あかつか 2020/11/11(Wed) 00:30 No.1564
Re: 私のアルバムFJ-4E
こちらは師匠のショット。  撮影:Moriさん 1963.10.8
私がこのような写真を撮れるようになったとき『DB』はF−8Eになっていました。
E型の塗装は尾翼やベントラルフィンの“星”の数が増え、双方を較べるとD型のほうがデザイン的には優れていると思います。
D型の『DB』を望遠レンズで撮りたかったなあ。

あかつか 2020/11/11(Wed) 00:43 No.1565
Re: 私のアルバムFJ-4E
DBのF-8Dが出てきたので北側からの#1の着陸
撮影日不明です。

geta-o 2020/11/11(Wed) 09:00 No.1566
Re: 私のアルバムFJ-4E
DBのクルーセイダーね〜〜〜
WSと一緒になって良く飛んでましたね。
クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!1963年9月24日。
この日はホントに良く飛んだ日でした。
誰と一緒だったかなんかは覚えてませんが、とにかくバラエティ良く飛んで満足感一杯で帰ったのを覚えています。

のらひこ 2020/11/11(Wed) 09:26 No.1567
Re: 私のアルバムFJ-4E
>geta-oさん
再びカラーですね。畏れ入りました。
これでDB−1のF−8Dの左右面が揃ったことになりますね。これからモデルを作ろうとする人には大変参考になると思います。

>のらひこさん
「クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!」・・そのお言葉、ごもっとも。ですが、僕のカメラは50mm。望遠レンズを使い出したのは1964年5月からなので『DB』の離陸を撮るのは間に合いませんでした(悔涙)

下のDB4/150317はMAG−11が厚木から居なくなってからのもので、いわば外来機。白いノーズ『DB』のF−8Eは大変珍しく、塗装もきれいなことから多分ニッピで塗装した後にダナンへ向かったと思われます。1966.1.11
写真は、当時からモノクロの仕上げ技術が高かったYokooさん。
露出が余りない夕刻に並んで撮ったのですが、仕上がりは私より断然良かった。よって、Yokooさんの写真を貼らせていただきました。

あかつか 2020/11/12(Thu) 00:39 No.1568
Re: 私のアルバムFJ-4E
あかつかさん
↑のDB4,150317の8か月後の姿です
戦地からの帰還ですかね すごい汚れ方です
鼻も黒くなっています

ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 15:54 No.1569
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
ベトナム帰りを撮っていたんですか。アングルもほぼ同じですし、時間経過した姿との比較が興味深いです。
垂直尾翼の“流星”の上にもナンバーが追加されていますね。
いずれにしても『DB』の塗装はF−4よりF−8のほうが良く似合い、未だ人気があるのが分かります。
あかつか 2020/11/12(Thu) 19:07 No.1570
Re: 私のアルバムFJ-4E
チョット脱線ですが、このB/N150317、前年の65年時はDR4でした

ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 22:31 No.1571
Re: 私のアルバムFJ-4E
またまた蛇足、できたない画像ですが70年にはJ型で飛来しましたね。
確かこの機体は最後まで寿命を全うしたかと。

ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 22:52 No.1572
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
記憶に残るビュアーナンバーというのがありますよね、このゼロサンイチナナ(150317)も頭の中の片隅にインプットされてます。理由は、部隊は変われど厚木で見慣れた“おなじみ”のナンバーだったからでしょう。
個人的には、56511(ATSUGI/VC−54S)とか51129(UE/RC−45J)が忘れがたい番号なのですが、皆さま方にも幾つかの番号の記憶があるのではないでしょうか。

それにしましても「クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!」・・・(納得)
あかつか 2020/11/13(Fri) 18:33 No.1573
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
おかげさまで50年ぶりにB/Nを確定できました!

徳永 2020/11/13(Fri) 20:46 No.1574
私のアルバムFJ-4D

RW19へ進入するFJ−4(WS)   撮影:大野芳希 1958年

あかつか 2020/10/27(Tue) 18:51 No.1539 [返信]
Re:私のアルバムFJ−4D
フューリーは見たこともないし、1958年に19エンドへ行けるはずもなかったのですが、写真を見つめていると「懐かしさ」を感じてしまうのは、
若いころ厚木へ通い詰めていた60年代前半エンドの光景と記憶が重なるからでしょうね。
60年代も後半になると地上に民間の工場や団地が写るようになり、こうした情緒的な写真は撮りずらくなりました。
あかつか 2020/10/28(Wed) 19:10 No.1540
Re:私のアルバムFJ-4D
こちらも同様、どこか記憶にあるような錯覚を起こさせるのは、手前に電線が入っているからですね。私たち世代のマニアも電線が写り込む写真を何回か撮っているはず。
ですが、大きな違いはこのショットは45mmであること。今では情緒的な写真を狙うか、空撮のプロぐらいしか飛行中の写真を標準レンズで撮る人は居ないでしょう。初秋の流れる雲をバックに捉えたFJ−4の離陸。この遠近感が現代のヒコーキ写真に無い魅力となってます。
1957年9月 撮影:kondohさん

あかつか 2020/10/28(Wed) 22:50 No.1541
Re:私のアルバムFJ-4D
同じく1957年にKondohさんが撮影した大和側、午前中での着陸。トリミングはしてますがこれも45mm。
滑走路が短かったとは言え、いったい何処で撮ったのでしょうね。

VMF-323/VMF(AW)-323/VMFA-323と、『WS』は日本のマニアにとって身近な感じのするテールコードですが、FJ−4を撮っているマニアは少なく写真は貴重。しかしながら、基本塗装はいつの時代でも変わらないので、『WS』コードのフューリーに愛着が湧いてしまうのは私だけでしょうか。
モデックスの前に 毎度おなじみのDeath Rattlerが描かれていますね。

あかつか 2020/10/28(Wed) 23:19 No.1542
Re:私のアルバムFJ-4D
低い離陸を標準レンズで撮影。この時代、135mm一本あればどこの基地行っても充分だったことが良く分かります。
 1957年11月 撮影:Kondohさん

あかつか 2020/10/29(Thu) 23:41 No.1543
Re:私のアルバムFJ-4D
やや高目の着陸を標準レンズで撮影。 1958年7月18日 撮影:Fukuiさん

あかつか 2020/10/29(Thu) 23:43 No.1544
Re:私のアルバムFJ-4D
上と同日、そうとう低い着陸を標準レンズで近づいて撮ったフューリー。撮影:Fukuiさん
カメラは、6×6判二眼レフや6×9判プレスカメラで有名だったマミヤ光機の35mmカメラで、このカメラの特徴は標準レンズが48mmであること。レンズはマミヤセコールのF:2(または1.9)のじつにシャープなレンズでした。
かつてWatanabeさんが「標準時代に1mmでも余計に欲しかった」との談を耳にしたことがありますが、同じ着陸を45mmと48mmで撮ったとき、画面に写る機体のサイズに若干の差を見たからではないでしょうか。ここでの3ミリは大きかったのです。

生写真が見つからず、CHECKER TAIL3 78ページに掲載されたものをスキャンしました。フォトショップでモアレを除去しますと、
粒状はともかく、何とか写真らしく再現できるものですね。

あかつか 2020/10/31(Sat) 00:04 No.1545
Re 私のアルバムFJ-4D
VMF−323は1958年9月にはエルトロへ帰りF8U−1に機種転換してますので、『WS』のフューリーは厚木での駐留が最後だったのですね。
日本のマニアは『WS』の1型クルーセイダーを見ることはなく、1962年1月、レキシントン/CVG−14の第2スコードロンで来日したF8U−2でした。
私の“初厚木”は1962年の8月ですから、この大変貴重なCVGの“WS”クル−セイダーは残念ながら撮っておりません。
↓1962年1月23日 撮影:Moriさん

あかつか 2020/11/01(Sun) 00:06 No.1546
Re:私のアルバムFJ-4D
団塊世代マニアの『WS』のF−8と言えば、1963年6月から1964年6月まで厚木のMAG−11に配属されたときのF−8E。
CHECKER TAILシリーズ出版の際、数十枚のプリントを見ましたが、下の村越さんが撮影されたWS4はピカ一のショットですね。
135mm主流の時代、こうした写真はそう簡単に撮れませんでした。

上のF8U−2(F−8C)の垂直尾翼のダイヤが5個画かれてますがF−8Eは3個。ベントラルフィンには9個に対し5個と、F−8Eに機種変更してからバランスのとれたデザインとなりました。

あかつか 2020/11/01(Sun) 00:30 No.1547
Re:私のアルバムFJ-4D
下の『WS』の6機編隊は1964年の三軍記念日で村越さんが撮られた写真ですが「何か違うな?」と思われた人は、60年代での写真活動に相当熱心だった方ですね。
じつはこのショット、横田三軍記念日におけるデモ飛行なのです。一週間前の厚木三軍記念日での編隊デモは、正午ごろに行われたことから光線はトップ気味で、順光状態でのこのような美しい写真は撮れませんでした。

5月17日の横田三軍記念日当日は、横須賀で英空母ビクトリアスが公開される情報があり、それを知るマニアは午前中横田で展示機を撮影した後、早々に横須賀へ移動。よって午後のベスト時間帯に飛んだ『WS』のF−8Eのデモ飛行は撮れなかったのです。

あかつか 2020/11/01(Sun) 23:15 No.1548
Re: 私のアルバムFJ-4D
横田三軍記念日でMoriさんが横須賀へ出陣する前に撮られたカラー(さくら)を紹介しVMF−323『WS』を終了します。

あかつか 2020/11/01(Sun) 23:23 No.1549
Re: 私のアルバムFJ-4D
皆さん こんばんは
横田三軍2度目となる64年は大好きだったクルセーダーが2機も展示、その内一機は一番の2NE! あの頃は部隊なんて何も知らず、ただエフハチが撮れることに大興奮、Aardvarks"のファントムなんて一枚も写していませんでした
コダカラーですが何とか色が...

ダブルタンゴ 2020/11/02(Mon) 17:54 No.1550
Re: 私のアルバムFJ-4D
200mmでしたが一機は画面から切れてしまいました

ダブルタンゴ 2020/11/02(Mon) 17:56 No.1551
Re:私のアルバムFJ-4D
>ダブルタンゴさん
さすがコダック、半世紀以上過ぎても色が残っているではありませんか。というより、カラーで『WS』のF−8Eを撮ったダブルタンゴさんが羨ましい。
1964年の横田の三軍記念日はキティーホークのCVW−11[NH]のA−1H,A−3B,F−4B,F−8Dが展示され、ほかにF−100D,RF−101C,F−102A,空自のF−86D、F−104、T−1Aなどなど、マニアにとっては充実感のある公開日でしたね。

ぼくらは、展示機を撮ったあと移動の電車の中で、のらひこさんらとF−8Dの機首に描かれたシャークティースの話題になり「歯がインテイクというのはわかるけど、眼の位置がおかしいよなあ」なんてことを話したのを思い出しました。

あかつか 2020/11/03(Tue) 10:52 No.1555
私のアルバムFJ−4C

雪の日の翌朝    撮影:中川安正 1959年

あかつか 2020/10/18(Sun) 23:26 No.1521 [返信]
Re: 私のアルバムFJ−4C
Nakagawaさんは、50年代後期から横田、立川、厚木で活躍されたTSPCの大先輩で、日本で数少ないF2H−3バンシーの着陸を撮っておられる第一世代のヒコーキ写真マニアです。
作品の傾向は記録より絵画派で、当時の航空情報「私のアルバムから」にも入選されています。カメラはタロンVR、レンズはタロナー45mm固定式。偶然ですが同じく絵画的作品を得意とするWatanabeさんの標準時代のカメラもタロンVRでした。
厚木基地拡張前のランウェイエンドのすぐ近くで撮影されたのでしょう。今の基地周辺では決して真似のできないカメラアングルですね。
この低さですからフューリー撮影後JP−4の排ガスを体いっぱいに受けたに違いありません。
あかつか 2020/10/19(Mon) 00:05 No.1522
Re: 私のアルバムFJ−4C
この光量から推察しますと、雪は相当残っているようです。少し露出オーバー気味ではありますが、フューリーの翼面積の大きさがよく分かる貴重なショットですね。  撮影:Nakagawaさん
私も何回か降雪の当日や翌日に体験してますが、思い通りの写真に仕上がったことがありません。大体がアンダーで、それを意識しすぎると今度はオーバーになってしまう。あの幻想的な美しい世界をモノクロのプリント焼き付けることはできませんでした。

あかつか 2020/10/19(Mon) 23:12 No.1523
Re: 私のアルバムFJ−4C
no1523本当にUコンのべニアの板で作った翼のようですね。86の翼面積の何パーセント増しなんでしょうか?
給油プローブにはびっくりしますね。これではヘルメット付けたパイロットはキャノピーに顔をどんなに近づけても、ドローグとの接合は見えないはずです。その時はヘルメットを脱ぐんでしょうか?
なんか少年の初めての時みたいですね。「はい、入ったわよ」
のらひこ 2020/10/20(Tue) 18:10 No.1524
Re: 私のアルバムFJ−4C
>のらひこさん
「入ったわよ」はベトナム戦争時KC−135からのF−105への給油シーンをKC側から写した写真が有名ですが、“注油”はどうしても人間の行為と重ね合わせてしまいますよね。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%20F%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%95%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%20%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=
あかつか 2020/10/20(Tue) 23:14 No.1525
Re: 私のアルバムFJ−4C
1958年12月29日、1485で紹介しましたVMF-212[WD]と共に写されたVMF−232のFJ−4。 撮影:Komiyaさん
手前に写る柵は着陸コースに当たる範囲のみ低く、そこ以外は通常の高さのフェンスでした。この柵の低さは滑走路が短かったことから安全性を考えてのことだったのでしょうね。写真を撮るには有難いことですが、基地内からは丸見えで逃げ場はなく、危ない撮影ポイントだったのは間違いありません。

あかつか 2020/10/20(Tue) 23:52 No.1526
Re: 私のアルバムFJ−4C
滑走路へ向かうFJ−4/WT18。
この写真でKomiyaさんの立ち位置がよく分かります。“エンド”で撮影というのは正にこの事ですね。
ここが厚木であるのが信じられない光景。例えカメラを持たなくとも1日中居ても飽きない夢のようなポイント。

あかつか 2020/10/21(Wed) 00:17 No.1527
Re: 私のアルバムFJ−4C
上の写真の12日後の1959年1月10日、Simozatoさんが桜ヶ丘側で撮影したVMF−232のFJ−4。
無風状態だったのか春霞のようなモヤが丹沢にかかっています。1月らしい風が強く吹いていれば真っ白な富士山と丹沢山塊が背景となり、それこそ「額縁モノ」の写真になったはずですがうまくいかないものです。

すでに剥がし終えたのか、上の写真に見られる垂直尾翼の赤い三角マークは画かれていませんね。部隊塗装を施さない海軍機化は、すでに始まっていたのかも知れません。

あかつか 2020/10/22(Thu) 22:33 No.1528
Re: 私のアルバムFJ−4C
VMF−232[WT]のフューリーは1959年3月に退役、F8U−1に機種転換しますが、日本のマニアが初めて[WT]のクルーセイダーを撮影したのは、1962年、オリスカニーに積んで厚木へ飛来したF8U−1E(F−8B)でした。
撮影された人たちは胴体中央に描かれたデビルの絵に大変興味を持ちましたが、当時、それがVMF−232のスコードロンマークであることを知る人は少なかったと思います。(私の周辺には居なかった)
ヒコーキ写真マニアが、海軍、海兵隊の飛行隊に関する歴史やマーキング、ニックネームなどを知り得るようになったのは、Naval Aviation Newsのほか、関連洋書を購読しはじめた1960年代の半ばぐらいからと記憶しています。

下は1962年10月2日、西の空に薄雲がかかる淡い光の夕刻、Rwy19へ向かうF8U−1Eを捉えたTSPCのSugiuraさんのショット。
ムードある良い写真ですね。こうした様々な表情を見せてくれるのが、ガルグレイ&ホワイトのいわゆるハイビジ海軍機だったのです。

あかつか 2020/10/23(Fri) 23:29 No.1529
Re: 私のアルバムFJ−4C
1962年に初来日した[WT]のF−8も、しばらくは日本のマニアとは縁うすく、4年後の1966年9月に岩国のMAG−12に配備されたF−8Eまで待たなければなりませんでした。
写真は「伝説の66年コーラルシー入港」翌日の9月1日、岩国への移動の際、厚木へ立ち寄ったときのショット。 コダクロームKX使用

あかつか 2020/10/23(Fri) 23:51 No.1530
Re: 私のアルバムFJ−4C
no1530!!いい写真ですね〜〜さすがに場屋のご主人としては、どうだとは言えないでしょうから、常連として、喝采を送ります。垂直尾翼にしっかり光が回ってるのが秀逸ですね。胴体への光も当たり方も、太さ感を良く出していますよ。素晴らしい。
しかし、翼を持ち上げる金棒の細いこと!!しかし、考えてみれば、後退翼なんで、揚力中心は翼本体のヒンジより後ろにあるのかも知れませんね。だから受ける力は持ち上げる力より押しつぶす力なのかも知れません。豊中の巨匠はどう考えますか??
それから、NO1523の写真を眺めていたら、右翼フルフラップ、左翼は少し上げ気味なのに気が付きました。つまりエルロンとして使ってる!!ということは当然両翼フルフラップで降りてきて、途中で、左翼フラップを少し上げたということなんでしょうが、これって左が前に出て、右が上がるということになりますね。滑走路センターに入る常套手段なのかしら?
のらひこ 2020/10/24(Sat) 11:36 No.1531
Re: 私のアルバムFJ−4C
>あかつかさん
私も大大大拍手です(^。^)
絶妙な日の当たり方、そしてクルーセイダーの最もカッコいい斜め後ろ!
コダクロームの発色も素晴らしいですね
とてもリアルです

追伸
このWTのエフハチにはまるでついてなく上りにいれば降りてくる!降りにいれば上がっていく!、で最後まで撮れませんでした(-_-;)
ダブルタンゴ 2020/10/24(Sat) 15:15 No.1532
Re: 私のアルバムFJ−4C
>のらひこさん
>ダブルタンゴさん
お褒めの言葉をありがとうございます。当日よほどコンデションが良かったのでしょう。カラー、モノクロとも結構イイ写真が撮れました。
あの頃「心」「技」「体」が揃うときなど1年に何日もなかったし、しかも相手が天気と時間、一発勝負の外来機とくれば、もはや『偶然』でしか
ありえません。うまく嵌ったなあというのが実感ですね。そこがプロとは違うところです。
あかつか 2020/10/24(Sat) 18:24 No.1533
Re: 私のアルバムFJ−4C
ヒコーキ写真界のパイオニアのShomozatoさんが1956年11月3日に厚木19エンドで捉えたVMF−451、テールコード“AM”のFJ−4。
[AM]のフューリーもたいへん貴重な写真なのですが驚くのは1956年に、お住まいの名古屋から厚木基地へ来られたということ。戦後まだ11年しか経っておらず庶民が生活圏から離れる余裕はなかった時代。そんな中、厚木のエンドでフューリーをはじめバンシー、スカイナイト、そして名作「カットラスの離陸」まで写真に納めるという、Shimozatoさんは正に日本のヒコーキ写真界のパイオニアと言えましょう。

1956年がどんな年だったか。日本が国連に加盟、フルシチョフがスターリン批判、国内の大人は「太陽の季節」を読みふけり、こどもたちは「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」に熱中。流行歌は「哀愁列車」「りんご村から」「愛ちゃんは(太郎の)お嫁に」などなど。
そんな時代に厚木でヒコーキの写真を撮るのは、相当世の中の先に行けてた人ですね。

あかつか 2020/10/24(Sat) 19:40 No.1534
Re: 私のアルバムFJ−4C
「世界の傑作機 FJフューリー」によるとVMF−451のテールコードが“AM”から“VM”に変更されたのは1957年6月と記されていますが、57年の横田三軍記念日にVM10が展示されてますので、史料と実際の違いでしょうね。
「塗りたてのほやほや」だったからか、わざわざ横田へ展示に来たのでしょう。モデラーさんがお喜びになるような綺麗な塗装ですね。  撮影:S.Nakasatoさん

あかつか 2020/10/25(Sun) 18:39 No.1535
Re: 私のアルバムFJ−4C
“VM”のフューリーも1959年には部隊塗装を塗らなくなってます。ですが、サイドワインダーを抱えた写真を見ると、かえって塗ってないほう迫力があるような気がします。
今回の特集で日本で撮影されたフューリーの写真をまとめて見たところ、サイドワインダー(実弾)を両側に装備した写真は↓この一枚だけでした。 1959年4月29日 撮影:Todaさん

あかつか 2020/10/25(Sun) 19:13 No.1536
Re: 私のアルバムFJ−4C
“VM”のフューリーが厚木で見られたのは1959年11月までですから、厚木で離着陸の写真を撮ることができたのはTodaさんはじめ、大先輩マニアだけで、私ら世代マニアは当然間に合いませんでした。

VMF-451(VM)はエルトロに移動した後、1962年1月23日にトランスパックで新鋭F8U−2N(F−8D)が厚木へ到着します。
下の写真は、配備間もない1月30日に撮影したMoriさんの“作品”。

CHECKER TAIL5にも掲載してますが、印刷はトーンが薄すぎ不本意でしたので、あらためて紹介いたします。いかにもネオパンFタッチの写真で、懐かしく思われる方も多かろうと思います。

あかつか 2020/10/26(Mon) 23:05 No.1537
Re: 私のアルバムFJ−4C
[VM]のF8U−2Nの厚木到着時では、後に見られる胴体や尾翼の帯は描かれてなく、テールコードのみの無塗装に近いものでした。下のような塗装となったのはいつ頃からでしょう。私が[VM]を初めて見た1962年8月には「完成形」となっていました。

私を含む団塊マニアたちはまだ中学生だったので、下のような写真を撮れた人は居ないはず。ヒコーキは何とか間に合いましたが、望遠レンズは間に合わなかった。という無念さが未だ心に残っております。

写真はNomuraさんが1962年10月に捉えた離陸ショットです。着陸写真では主翼先端の塗装が写らないことが多いので、レアな角度の写真だと思います。このようなVMのクルーセイダーを撮りたかったなあ。

あかつか 2020/10/26(Mon) 23:57 No.1538
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