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カーゴマスター作品集 4

航空情報1960年10月 読者写真コンテスト入選

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 10:05 No.68 [返信]
Re: カーゴマスター作品集4
カーゴマスター作品集(2)の扉写真の評で紹介があった榎本さんの1960年航空情報・読者写真コンテストの入選作品です。
残念ながら手許に印画がありませんが、評者の言葉から推察しますときれいな写真だったことでしょう。6×6判の威力ですね。

C−133の作品が送られてきましたので(4)を立てさせていただきました。4月いっぱいカーゴマスターで進めさせていただきますので、
引き続き皆さまのご投稿お待ちしております。
K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 10:17 No.69
Re:カーゴマスター作品集 4
1959年5月17日、立川三軍記念日にてENOMOTOさんが6×6判でガッチリ撮影したもの。
おそらく手前の展示機のタラップに上がって撮ったと思われますが、見学者の風情が昭和の時代を表してますね。
写真そのものに造詣が深かったENOMOTOさんらしい素晴らしい作品だと思います。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 18:19 No.70
Re:カーゴマスター作品集 4
同じく59年の立川三軍でのショットですが、撮影者は私が少年マニアの頃、大変お世話になりました富田肇さんです。
富田さんは戦後の飛行機写真マニアとして第一世代にあたる方で、1958年頃から米軍基地、民間飛行場にて頻繁に撮影活動を行っており
貴重な写真を数多く遺しておられます。

現代のマニアは↓のような写真は余り撮らないでしょうね。
当時はフィルムが高価でしたからこの一コマを撮るにあたって人物の動きを予測し、シャッターチャンスを狙っていたのではないかと
思われます。
ジェーム・ディーンを思わせるようなアメリカの青年、バルジのそばで遊ぶ日本の少年の姿が、50年代のアメリカと日本の社会を
表しているようで、優れたドキュメント写真と言えるのではないでしょうか。
ちなみに学帽の少年が、私と同年代のような気がします。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 18:47 No.71
Re: カーゴマスター作品集 4
改めてC-133のウインドーシールドを見ると、とてつもなくデカイですね。映画に出てくる宇宙船のコクピットみたいです。
レドームもユーモラスで、何となくピノキオの顔に見えませんか?

H.I. 2019/04/22(Mon) 18:48 No.72
Re:カーゴマスター作品集 4
Hamanoさん撮影の反対側画像です。
横田にノーズの長いRC−135が初めて姿を現したとき、横田マニアの人は「ピノキオ」と呼んでましたね。
ですが、あれでは鼻が太すぎてピノキオとは似ても似つかないですが、他のC−135系と分けるための会話語だったのでしょうか。

ピノキオ似はH・Tさんがおっしゃる通りカーゴマスターです。
ほかに似てるものを想像しますと、世界中の男性が連想する、言えない、書けない、アレでしょうね。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 19:27 No.73
Re:カーゴマスター作品集 4
米軍のヘリコプターの修理を伊丹の新明和工場で行っていたのは皆さんの知るところですが、その運搬は主にC−124が担っていました。
C−124がMACから退役が近づくと、その任はC−133へ交代し、1969年から1971年に引退するまで頻繁に伊丹へ飛来しました。
もしかするとC−133は、この時期、関東の基地よりも多く見られたのかも知れません。

↓は1969年6月、Hamanoさんが撮影されたC−133Bです。横田や立川での写真とは異なり、何故か新鮮さを感じるのは私だけでしょうか。

K.akatsuka 2019/04/24(Wed) 16:26 No.74
Re:カーゴマスター作品集 4
同じくHamanoさんの作品ですが、こうしたショットが撮れたのも伊丹の魅力です。
「写真で一番力があるのが、人間が写った写真だ」とあの篠山紀信センセイはおっしゃってますが、
仕事中の兵隊が一緒に写ると、カーゴマスターそのものも締まって見えるような気がしますが如何なものでしょう。

K.akatsuka 2019/04/24(Wed) 16:44 No.75
カーゴマスター作品集 3

航空情報 1961年11月号

K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:11 No.52 [返信]
Re: カーゴマスター作品集 3
立川・砂川側でのC-133の低い着陸には驚かされましたが、離陸のこの低さにも驚きです。
説明には前景のライトの扱いに疑問が残ると評してますが、ライトの写し込みがあるからこそ離陸の低さが強調されるのだと思います。

K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:23 No.53
Re: カーゴマスター作品集 3
イヤハヤ、WATANABEさんの写真のセンスには何時も驚かされますが、これは凄い!!私だったらこの写真だけで、60年間ドヤ顔をし続けられたでしょう。しかし、WATANABEさんは照れて自慢顔一つしない人でしたね。評者は臨場感をあまり感じない書斎の人だったんでしょうね。いろいろ教えられ尊敬していますが、なんでもできる人というのはいませんね。勿論我々は画面下にある赤白の腰までの柵を今でも感じますし、飛び去って行くかすれたタービン音が耳の中に去来します。
のらひこ 2019/04/14(Sun) 08:44 No.55
Re:カーゴマスター作品 3
>のらひこさん
書斎と現場、制服と背広、いつの時代でも言われることですが、おっしゃる通り、何でもできる人は居りませんので、
両派あってのバランスで世の中成り立っているのでしょうね。

↓はT.Moriさんが64年2月12日に決めた離陸ショット。
WATANABEさんとの標準レンズによる“センスの対決”は感動の嵐で判定不能!!!。
もし現在にカーゴマスターがに日本へ飛んで来たとすれば、このような写真を撮ろうとする飛行機カメラマンは余りいないのではないでしょうか。

K.akatsuka 2019/04/14(Sun) 19:43 No.56
Reカーゴマスター作品集 3
1961年1月、立川のタキシーウェイを素肌を怪しく光らせ走るカーゴマスター。
T.Moriさんのしびれるような快作。おそらく当時では珍しかった200o(コムラーF3.5)を使用してるのでしょう。
離陸を55o、タキシングを200oと、当時のマニアの感覚では信じられないようなレンズの選択ですね。

ひとつ気になったのは周回道路を走るプリンス・スカイライン(初代)のタクシー。
この頃の立川の写真を見てますとよくスカイラインが飛行機の写真と共に写り込んでます。
私は当時川崎の街中に住んでましたが、タクシーは圧倒的にトヨペット・クラウンが多く、スカイラインのタクシーは見た記憶がないのです。
1961年にプリンス自動車の村山工場がつくられたことにより、地元企業を応援しようとスカイラインを多く使ったのではないか
と思うのですが、如何なものでしょう。
丸っこいデザインのクラウンより、当時のアメ車をそのまま小型化したようなスカイラインは、子供心にカッコイイ車だなあ、と憧れていました。

K.akatsuka 2019/04/16(Tue) 15:47 No.57
無題
皆さんの立川での着陸写真は雰囲気ありますね〜。

着陸時にタッチ・ダウンに近づくとグラウンド・エフェクトが働き、機体は浮揚し続けようとします。この現象、私はほぼ翼幅と同等位の高度と教わりました。通常PAPIの角度は3度ですが、それよりも急角度で着陸に入るとドスンと接地しますが、静止距離は短くなります。一方浅い角度だとスムーズに接地しますが着陸距離が伸びてしまいます。そしてタッチダウン前には機体を引き起こしますが、その角度とタイミングで着陸の良し悪しに違いが出ます。勿論ペイロードやアプローチで変わるでしょうが、立川基地のような短い滑走路ではパイロットは他所には無い緊張をしたでしょうね。
立川基地ではどちらかと言うとMURAKOSHIさんのNo.49の様な頭から突っ込んでくるようなアプローチをしてきて、タッチダウン寸前に引き起こして着陸する事が多かった様な。
一方、横田基地では滑走路も長く余り心配する事も無く、私の写真の様な浅い角度の長いアプローチでの着陸が多かった様に記憶しています。
知り合いに1960〜70年代にSecret Warのラオスで例の会社(組織)で働いていたパイロットがいました。ラオス山岳部のLima Siteに人員や物資を運んだそうですが、山の斜面にへばりつくように作られた着陸地は短いものでは700ft、中にはL字型に曲がっているものもあったそうです。着陸するときは低い方から近づいてトンボが葉っぱにとまる様に着陸し、離陸の時にはスキージャンプの様に高い方から落ちるように離陸するのだそうです。
その後、彼はFAAでのアドバイザーを務めたりしてサンタモニカ空港では知る人も多く、彼にはいろいろな着陸や離陸を教わりました。ある時サンタモニカ空港にアプローチ中のダウン・ウインドでちょど滑走路のナンバーの横に来た時に、タワーが”XXX,fast jet approaching,do you wish to land or extend down wind?"と聞いてきました。高度も高くまだ滑走路を過ぎていなかったので、Down Wind延長と答えようとしたら、彼が着陸しようと言い、”xxx wish to land"と答えて操縦を代わりました。”xxx,cleared to land"を聞くや否や、機体を90度左旋回してランウェーの"21"目掛けて急降下。目の前にランウェーの"21"の数字がどんどん迫ってきて自然と足に力が入り踏ん張っていました。”21”の真上で機体を更に90度近く左にひねって機首をグッと上げ、ストンと接地。接地の振動は感じ無い程で、10mも滑走せずに止りました。まさにチョウチョが木の葉にとまるようで、その技術にビックリでした。
"BRAVO! ○○○(彼の名前),Good show!"とタワーが言って来ました。機体はサンタモニカ所属で、彼の声には特徴もあり、あんな着陸が出来るのは彼しかいないと皆で双眼鏡で見ていたそうです。

長々と失礼しました。邪魔だったら削除して下さい。

H.I. 2019/04/17(Wed) 17:07 No.59
Re:カーゴマスター作品集 3
1963年のWATANABEさん作品ですが、写真を撮る前から画面を構成していたのでしょうね。
C-133との出会いが少なかった小生には、発想できないアングルです。

K.akatsuka 2019/04/17(Wed) 17:12 No.60
Re:カーゴマスター作品集 3
>H・Iさん
貴重なお話、ありがとうございます。今後もよろしく願います。
よくある孫引き記事でも、深いところで知識の薄い小生にとって有難いものですが、やはり体験されたり直に聞いた話に感銘を受けます。
両親は満州からの引揚者なのですが、母親というのが記憶力に長けていて、満州での生活から帰国、終戦直後の日本の状況までを
事細かく物語風に何時間も語っていたことを思い出します。今、思えばテープにでも録音しておけば良かったと後悔してます。
K.akatsuka 2019/04/17(Wed) 18:13 No.61
Re: カーゴマスター作品集 3
>H.I.さん
実践された体験による書き込みありがとうございます
貴重なお話これからも聞かせて頂きたいです
>K.akatsukaさん
私の手持ちはMATS所属機まででした
1964年3月28日の砂川ターン
C−133B/59−0534
後姿も美しく感じていたのでしょう

K.MURAKOSHI 2019/04/17(Wed) 22:37 No.62
Re: カーゴマスター作品集 3
私のラストカーゴは1964年夏。
やはり平凡なショットしかなかったですね
1964年8月1日の砂川19エンド
MATSのC−133B/59−0532
同じトウモロコシ畑越しですが別の日です
晴れ渡った青空に銀色のカーゴマスターは似合うかも

K.MURAKOSHI 2019/04/17(Wed) 23:11 No.63
Re: カーゴマスター作品集 3
>MURAKOSHIさん、以前のBBSの時からご無沙汰をしております。残念ながらお会いした事は無い様です。いつもながらの溜息が出るようなショット、沢山見せてください。

WATANABEさんとMORIさんの標準レンズでの離陸ショットには脱帽です。こんな撮り方もあったのですね、凡人の頭では考えた事すらありませんでした。。WATANABEさんはいつも物静かでニコニコ顔。私の様な凡人はみんな同じところで団子になって写真を撮っていましたが、WATANABEさんはこまめに場所を変えて撮影をされていました。まめだな〜、と思っていましたが、その結果がこのような写真だったのですね。No.60にはビックリです。こんな切り取り方、想像もしたことがありません。

私の標準レンズの使用は、当然写真を始めたばかりの頃はこのレンズしかなかった。望遠でグッと迫るような迫力ある写真が撮りたいな〜とばかり考えていました。
ようやく200mmを買ってもらい、念願の迫力に大満足。以来、標準レンズは三軍記念日で地上展示機を撮る時の使用だけになってしまい、自分の中では格下げ感覚でした。
古いネガに標準レンズでの離陸も残っていますが、、それは標準レンズしかなかった時の単なる結果でした。

H.I. 2019/04/18(Thu) 16:44 No.64
Re:カーゴマスター作品集 3
>K.MARAKOSHIさん
立川でのカーゴマスターのタキシングは1度青梅線側で撮ったことがありましたが、距離が離れているせいか砂川側とは違い、
おとなしいものでした。
茹だるような暑さの中、T34のタービン音とともに受ける熱風。
そんな中で“カーゴ”の離陸シーンに遭遇したかったなあ。


>H・Iさん
大型飛行艇の離水時の様な、いいアングルですね。あらためてカーゴマスターの魅力を感じました。

↓は伊丹で1970年にM.Higuchiさんが撮影された離陸写真ですが、伊丹特有の条件の中でのショットではないでしょうか。
立川・横田で撮られたC−133の“背中”を見せた写真は手にしたことがありません。
たいへん珍しく、且つ貴重な写真だと思います。

K.akatsuka 2019/04/20(Sat) 09:46 No.65
Re: カーゴマスター作品集 3
カーゴも終わりに近づいているようなのであまりない横田バージョンです。
1枚目、2枚目とも国有地からの撮影です。
最初はA型のデルタ転がり
C-133A/56-2001/436MAW/1970-2-14

geta-o 2019/04/20(Sat) 14:53 No.66
Re: カーゴマスター作品集 3
2枚目はB型も36降りです。
C-133B/56-0536/60MAW/1971-3-7

geta-o 2019/04/20(Sat) 14:54 No.67
カーゴマスター作品集(2)

1964年・航空情報読者写真コンテスト入選

K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:51 No.30 [返信]
Re: カーゴマスター作品集
「C-133 離陸」

K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:53 No.31
Re: カーゴマスター作品集
選評では「このアングルをとらえたいと考える人は多いだろう」と書かれていますが、
これはEnomotoさんならではのショットで、多くの人は300oを持っていても下がりに下がり、
斜め前から連写で撮ったに違いありません。
“シャシン”センスの良かったEnomotoさんの傑作でしょう。
K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:59 No.32
Re: カーゴマスター作品集(2)
この写真、覚えていますよ!何年何月の航空情報でしたっけ?当時は不思議に思わなかったですが、これはENOMOTOさんらしい写真ですね。空荷のせいか少し早めのエアーボーンのようですが、滑走路の着陸標識の見え方といい、背景の多摩動物公園か長沼の山辺りの丘陵との関係から言って、多分167〜8cmだったENOIMOTOさんの視点からは写らない写真です。キット写点は3m程度の高さはあるはずで、金網によじ登ったか、あるいは私の頃にはなくなったビールか何かの看板に登って撮ったんでしょうね。我々に飛行機だけを撮ってたんじゃ面白くないよと教えてくれた写真ですね。選者は現地を知らないから、選評はそこまでは掘れないでしょうが。
のらひこ 2019/04/06(Sat) 15:04 No.33
Re: カーゴマスター作品集(2)
MACH3さん、皆さん、こんばんは

C-133は飛んでるところは何度か見ましたが、写真を撮ったことはないのでコメントのみ投稿させていただきます。

>K.akatsukaさん
能村さんのお写真、懐かしいですね。東京上空へ機銃掃射に飛来したP-51を屋根の上でカメラを構えて撮られた稀有な方でしたが、厚木で飛行機を待ちながら聞かせていただいた数々のお話は今も私にとっては財産です。
なかでも印象に残っているお話の一つは、戦争末期、B-29が頻繁に夜間空襲に飛来しましたが、翌朝になるとあちこちに不発の焼夷弾が転がっていて、その不発弾の六角形の容器からゼリー状の油脂を抜くとこれが燃料不足の当時、いい燃料となって「あれ一本で一週間風呂が沸かせたんですよ。」と言われたことです。「初めに器用なのが一人信管を外して抜くと皆真似して抜いた」そうで、庶民はたくましいですね。
Able Dog 2019/04/06(Sat) 21:53 No.34
Re: カーゴマスター作品集(2)
MACH3さん、K.akatsukaさん、ご無沙汰しております。

CHECKER TAILの新装開店おめでとうございます。
長らくの間参加できる画像も無く、ただただ皆さんの傑作を眺めては”へぇ〜、そうだったんだ”と感心ばかりしていました。
新しく”私のアルバムから”というBBSを立ち上げられた由、古い時代の画像を楽しみにしています。
私の飛行機写真の活動は冬眠状態で、だんだん昔の記憶も薄れています。しかし、たまに1960年代の写真を見ると、これが何故だか妙に日時まで覚えており、当時の事が鮮明に蘇って来ます。これを機にモスボール状態の記憶を再び呼び起こしてみたいと思います。ネガを引っ張り出して、スキャンして、ゴミ消し作業をするのは脳にも手先にも良いのではと、僅かですが参加させて下さい。

フォトコンテストの森さんと榎本さんの写真を最初に見たときは「こんなスゴイ写真を撮れる人がいるんだ。」と感心したものです。その後ご両人には親切にいろいろと教えていただきました。
お二人のカメラの扱いが今でも妙に記憶に残っています。森さんは大変キレイ好きで、いつもカメラのボディーやレンズをブロアーで”シュッ、シュッ”。一方、榎本さんはずっとコニカ+300mm一本槍で、カメラには全く気を使うことなく、いつも埃だらけでした。フィルターに余りにゴミがついていると、時々ズボンで擦る程度でしたが、良くアレですごい写真が撮れるもんだと感心していました。何度かそれを指摘した事がありますが、”おめえよ〜、カメラは動きゃイインダよ”がいつもの返事でした。横田常連の榎本さんも、高橋さんも既に黄泉の国に渡られてしまいましたが、akatsukaさんがこうやって昔の傑作を紹介されて、榎本さんも本望だと思います。

横田の箱崎側の国有地には1967年までは中にはいれいました。大型機が石播側から出てくれば、金網を気にすることなく撮れました。C-141と比べてもC-133は大きかったですね。

H.I. 2019/04/07(Sun) 15:25 No.35
Re: カーゴマスター作品集2
>able dogさん
私も能村さんご自身が見てきた終戦前後の飛行機がらみのお話をお聞きしたことがありますが、お元気な頃にじっくり聞きたかったです。
特に1945年から1950年頃までの国民が食うや食わずの時代に、飛行機から目を離さなかった能村さんは凄い人だったと思います。

>H・Iさん
MoriさんとEnomotoさんのくだり、とても懐かしく思わず一緒に聞いていたのではないかと錯覚しました。
私とも現場でお会いしてるようですね。当分このスタイルを続けますので今後もよろしくお願いいたします。
K.akatsuka 2019/04/07(Sun) 15:35 No.36
Re: カーゴマスター作品集2
1970年1月8日、Hamanoさん撮影のC-133A。
正直このショットにはドギモも抜かれました。伊丹で400oだそうですが望遠レンズの使い方のお手本のような作品ですね。
自分自身C-133に余り遭遇しなかったので判断しかねるのですが、立川や横田で撮ったこのような写真を見たことがありません。ナンデカナ〜。

K.akatsuka 2019/04/07(Sun) 16:17 No.37
Re: カーゴマスター作品集(2)
皆さんがいい写真を出していますが今日も平凡なMATSのC-133Aの着陸。撮影日不明ですが1963年立川砂川川での撮影です。

geta-o 2019/04/07(Sun) 17:24 No.38
Re: カーゴマスター作品集(2)
いつ見てもこの榎本さんの正面離陸はすごい写真ですね
「作品」にはなりませんが、時系列順に、わたくしが中学3年生の時に出会ったC−133Bから出させてください
1962年12月24日の立川01エンドにて、C−133B/59−0523/MATS
偶然にも垂直尾翼にリフレクション!

K.MURAKOSHI 2019/04/08(Mon) 22:45 No.39
Re: カーゴマスター作品集2
MURAKOSHIさんの中高時代からのお友達、Tamuraさん撮影のC-133B。
Tamuraさんはスマートなオシャレな方でしたね。写真のセンスも私たちとは少々違う目線で被写体を捉えていたようです。

1963年3月30日の立川・砂川側のエンドですが、OL風のふたりは散歩がてら飛行機を見にきていたのでしょう。マニアではないようです。
周回道路の信号機も当時の立川を偲ばせます。停止中のアメ車を見るのも少年マニアの楽しみのひとつでした。

K.akatsuka 2019/04/09(Tue) 16:45 No.40
Re: カーゴマスター作品集2
1960年。砂川にて。撮影:田中常雄さん。
光線と空の澄み様からすると8月ないしは9月初めのころに撮られたのではないでしょうか。
立川基地の砂川側で撮影された写真の中でも、穏やかさと美しさを併せ持つ作品は滅多にお目にかかりません。
大きく伸ばし、額縁に入れたい作品ですね。

K.akatsuka 2019/04/09(Tue) 18:52 No.41
Re: カーゴマスター作品集(2)
「私のアルバムから(下)」の再掲ですが
1963年7月30日の砂川エンドにて
MATS 1501ATWのC−133B/59−0526
トウモロコシが伸び、奥の桑の木が主輪タイヤを隠しているほど低い!
フル積載であろうこの重い機体を立川に降ろすのはスゴイ

K.MURAKOSHI 2019/04/10(Wed) 02:05 No.42
Re: カーゴマスター作品集(2)
おはようございます。

先輩方の写真を見ていると、飛行機が各々の情景に溶け込んでいます。スバラシイの一言です。飛行機写真と言うより、飛行機が映っているアート作品ですね。akatsukaさんがおっしゃる様に額に入れていつまで見ていても飽きない作品だと思います。当時は飛行場で先輩方の写真を見る機会は殆ど無かったのが残念です。あの頃見せていただいていたら、少しはマシなものが撮れていたのでは・・。

石播近くで午前の離陸を撮りましたが、エノさんの写真の様な迫力には及びませんでした。

H.I. 2019/04/10(Wed) 10:47 No.43
Re: カーゴマスター作品集2
>I・Hさん
左下に写っているF-102から想定しますと撮影は1969年前後でしょうか。横田の歴史を表す名ショットだと思います。
横森先生は航空情報誌上でよく地上の光景を入れ込んでの撮影を推奨してました。それはいずれ史料として後世に残るからなんですね。

>K.MURAKOSHIさん
AGC「私のアルバムから(下)」刊行の際、この写真を見せていただいたときの驚きは“スゴイ”どころか「驚愕」の一言。
使用レンズはおそらく135oだと思いますが、標準レンズで撮っていればT.Moriさんの『発進』の逆バージョンとなったでしょうね。
当時の航空情報写真コンテストに応募していれば、入賞間違いないと思います。
K.akatsuka 2019/04/10(Wed) 18:37 No.44
Re: カーゴマスター作品集(2)
>H.Iさん初めまして? 現場でお目にかかっていましたでしょうか
横田の午前は地元ならではの特権ですね

砂川エンドをターンするC−133Bも一枚
その長さでエンドターンをこなす場面も迫力がありました
1963年3月30日、1501ATWのC−133B/59−0535
銀ピカの機体には塗装が乗りにくいのか剥がれがありますね
酷使されたのでしょう

K.MURAKOSHI 2019/04/10(Wed) 21:00 No.45
Re: カーゴマスター作品集2
T.Tamuraさんが1963年3月に撮影された立川の青梅線側から進入するショットですが、下の芝がきれいに刈り取られていて
当時の01エンドの光景がよく表れています。
1960年頃の当地の写真記録では、まだ荒れ果てた畑のようでしたので、いつ頃変わったか知りたいところですね。

K.akatsuka 2019/04/11(Thu) 18:49 No.46
Re: カーゴマスター作品集2
↑のT.Tamuraさんと↓の能村実さんの撮り位置はほぼ同じですね。
Tamuraさんのカメラは、フジカ35で標準レンズが45oだったと記憶しています。
一方能村さんはブローニー判の2眼レフですから、標準は75o。同じ標準レンズですが、当時のライカ判の一般カメラは
ワイド気味のレンズが装着されていたことが写真から見てとれます。
K.akatsuka 2019/04/12(Fri) 13:45 No.47
Re: カーゴマスター作品集(2)
平凡なショットですがかろうじて地上のアドバルーン(昔懐かし)が写っていますので、カーゴマスターのツッコミ方が解ります
1963年12月17日の立川01エンド
MATSのC−133B/59−0526

K.MURAKOSHI 2019/04/13(Sat) 21:05 No.49
Re: カーゴマスター作品集(2)
同じ日の送りコマも連貼りで申し訳ありません
1963年12月17日立川01エンド桑の木の隙間にポジション取りして135mmで追っていたのです
C−133B/59−0526

K.MURAKOSHI 2019/04/13(Sat) 21:08 No.51
Re: カーゴマスター作品集2
>K.MURAKOSHIさん
2ショット時には機首をいくらか上げたように見えますがどうでしょう。
1900メートルしかない滑走路ですから、降りるにしろ、上がるにしろパイロットには“ヒヤヒヤモン”の飛行場だったでしょうね。

続いてカーゴマスター作品集(3)に入ります。皆さま方のご投稿お待ちしてます。
なお、(3)が最終章となり、次はC-124グローブマスターを予定しています。
K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:32 No.54
カーゴマスター作品集

1959年航空情報100号記念読者写真コンテスト佳作作品

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:26 No.9 [返信]
Re: カーゴマスター作品集
1959年6月号「航空情報100号刊行記念・読者写真コンテスト」で入賞した能村実さんの作品。
立川基地・青梅線側から着陸するC−133Aカーゴマスター初来日時のショットです。C−133は当時世界最大の輸送機で、飛来日が予め新聞でアナウンスされ、その日が土曜の午後だったこともあって巨人機をひと目見ようとエンド周辺は数百人の見物人で膨れ上がりました。
その当時これだけ人が集まったのは砂川闘争以来だったのではないでしょうか。

カメラは“日本のローライ・フレックス”とよばれた二眼レフのミノルタ・オートコード。
能村さんの凄さは二眼レフでありながらC−133の着陸を2ショット撮っておられること。これはローライ・フレックス同様、フィルム巻き上げがクランク式で、シャッターがセルフコッキング(シャッターを手動でセットしなくてよい)であったのが功を奏したのでしょう。
ミノルタ・オートコードとはマミヤ・Cと並ぶ高級二眼レフで、レンズもプロからの評価が高かったロッコール。
当時のアマチュア写真家の間では憧れの機材でした。
価格は発売時3万円ほどで、同機が発売された1955年の大卒初任給(公務員)が8,700円ですから、月給の約3.5倍。如何にミノルタ・オートコードが高級品であったかわかります。

能村さんは、その年の「読者・写真コンテスト」のカラーの部でも入賞し、作品は表紙にも採用されています。選者の横森さんも書かれていますが、6×6判(ブローニー)では多少トリミングしてもビクともしないのが35oとの違い。
世の中の景気が良くなる頃になると35o一眼レフのほかに、マミヤ・C、マミヤ・プレス、ゼンザ・ブロニカ、ハッセルブラッド、ペンタックス・67など、中判フィルムのカメラをセカンドカメラとして一部のマニアも使いはじめました。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:28 No.10
Re: カーゴマスター作品集
2枚目のショットを拝見しますと正に「黒山の人だかり」。
黒の服装はほとんど学生服(小・中・高・大)でしょう。
法事や旅行、普段着、学生はどこへ行くにも学生服でした。大学生はちょっとおしゃれして上からコートを羽織っており、社会人は背広にネクタイ。
制服というものは見方によっては便利で良いものですね。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:49 No.11
Re: カーゴマスター作品集
航空情報100号記念写真コンテスト“カラーの部”入選作。能村さん撮影。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 16:03 No.12
Re: カーゴマスター作品集
皆さん、今日は、

C-133と言うことでいろいろ探してみましたが、なかなか良い写真はありませんでした。1966年砂川側でRWY一杯にタキシングバックしてきた436MAWのC-133Aです。

toksans 2019/04/03(Wed) 17:26 No.13
Re: カーゴマスター作品集
>toksansさん
立川の砂川側で撮ってましたか。じつは立川・横田へ繰り出していたころ(MATSの時代)C−133には一度もめぐり逢うことが出来ませんでした。唯一がMACの時代になってから厚木の“ニッピ横”の木から撮ったのみで、私にとって縁薄い輸送機だったなあ。
C−133は何年頃まで日本で撮れたのでしょうか。新しいのか古いのか?スタイルがユニークで、きちんと写真に収めたかった空軍機です。
K.akatsuka 2019/04/03(Wed) 19:00 No.14
Re: カーゴマスター作品集
皆さん、今日は。
天気は良いのですが、浄水器の交換と最近弱ってきたビワの樹の剪定といろいろ作業があって飛行場にもいかれません。このまま再び休眠期に入ってしまうのかと最近ダブルタンゴ氏と懸念しあっています。
“私のアルバム”に載せるほど特徴のある写真ではありませんが、73年10月28日にロングビーチ空港で撮影した元56-2000のC-133A。このFoundation for Airborne Relief(FAR)と言う会社は、テストパイロットで有名だったRussell O’Quinnに米国務省が、当時内戦状態にあったナイジェリアのビアフラに食料を輸送するように依頼し、米空軍からC-97を借用して設立した会社。
その後このC-133を使って空飛ぶ病院を提供すると言う崇高な目的を持っていましたが、計画は挫折してしまいます。
ところがこの会社には裏があって、“In the Spirit of Crazy Horse“と言う本によるとこの会社はCIAの活動団体であったそうです。アメリカンインディアン運動(AIM)を扱ったこの本に一見関係のないFARが出てくるのは、FBIに内通していたアメリカ先住民のDouglas Durhamが、1974年台風被害を受けていたホンジョラスに対する災害援助にAIMを絡ませようとしたからです。ホンジョラスには多くの原住民がいましたが、そこにアメリカ先住民団体だったAIMが援助するという話でした(表向きは)。計画はFARの機体から援助物資を投下する予定でしたが、AIMはFARがCIAの組織である疑念を持ち、この計画はとん挫します。
DurhamがなぜAIMを絡ませようとしたかはこの本でも解明されていません。当時CIAは南米の独裁政権を支援していたので、そこにCIAに絡んだFARを使ってAIMが援助をすることで南米原住民からの信頼を失わせることを狙ったのかもしれません。何故ならDurhamはAIMの主導者Anna Mae Aquashに反目してAIMに対敵するFBIに寝返っていたからと思われます(私の推測)。

徳永進 2019/04/04(Thu) 13:40 No.15
Re: カーゴマスター作品集
皆さん こんにちは
新しいBBS、始まりましたね 出来るだけ参加できるよう頑張ります ?
初っ端から難しいお題ですね 65年の高1から始まった私の立川通い、一駅手前の高校に行くよりも立川に通学した日数の方が多かったような?
しかしカーゴマスターに遭遇した回数はあまりありませんでした
飛んでいるのは上がりが2回、降りが1回のたったの3回、あとは整備等で駐機している姿を3,4回撮っただけでした
最初は66年10月、Rwy01に夕方着陸する60MAWのC-133B 59-0532です
午後でしたが多分曇っていたので駅から近い東側から撮っていました


追記
下のクレジット45584の上に小っちゃく写っているのはゴミではなく横田Rwy36に降りるヒコーキです(笑)

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:53 No.16
Re: カーゴマスター作品集
その送りカット 当時は学生鞄に標準付(確か55mm/f1.8 ?)ペンタックスS3を常に左隅に入れていました

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:54 No.17
Re: カーゴマスター作品集
3枚目は着陸後西側を回って駐機位置に誘導されてきたところをタクマー200mm/f4で正面から

次回は偶然にも↑でToksans氏が載せた機体、56-2000の上り姿を ^^;;

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:56 No.18
Re: カーゴマスター作品集
>toksansさん
Foundation for Airborne ReliefのC-133はじめて見ました。ありがとうございます。左に機首だけ写っているのが同社のC-97でしょうか。
我々世代のAir Americaしかり、アメリカ国っていうのは“隠れ蓑”会社をつくるのがお得意ですね。それは今も昔も変わりないようです。

>ダブル・タンゴさん
一時“立川の鬼”と言わしめたダブル・タンゴさんが、離着陸写真をモノにしたのが3回とは意外です。
カーゴマスターは外来でしたので当時でも遭遇出来たマニアは、ラッキーだったということですね。私が撮れなかったのが頷けます。

200oの正面からのショット、いいですねえ。イイ写真というのはシリアル・ナンバーが見えない方が多く感じるのは私だけでしょうか。
(ナンバーマニアさんからお叱りを受けそうですが)
K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:29 No.19
Re: カーゴマスター作品集
能村さんが“レシプロ輸送機黄金時代”に撮影されたフェンスの無い時代の立川01(青梅線側)風景。
原版は6×6判でしたので上下をカットしました。立川市の史料画像としても大変貴重なものでしょう。1959年頃の撮影と思います。

K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:48 No.20
Re: カーゴマスター作品集
6×6判の強みで拡大してみました。MATSの時代のディグロウ塗装が目を引きます。
プラット&ホイットニー・T34の『ビ〜ン』という特有のエンジン音を思い出します。

K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:54 No.21
Re: カーゴマスター作品集
リニューアルオープンですね。最近古いマニアが亡くなることがあり古い写真をどう整理しておくことがいいか迷っています。
今回はC-133 カーゴマスターから始まりましたので少し古い写真を整理しました。
最初はMATS時代の銀ピカ。衝突防止のデグローをはがした時です。
C-133A/57-1615/1501ATW/1964.02.29/立川

geta-o 2019/04/04(Thu) 20:29 No.22
Re: カーゴマスター作品集
次もA型ですが立川で時々見ることができた2機並びです。
C-133A/54-0141/436MAW/1967.11.12/立川

geta-o 2019/04/04(Thu) 20:30 No.23
Re: カーゴマスター作品集
私が目撃できたのは厚木のEC−121が撃墜された数日後の立川でした。
撃墜という非常時なら何かしらの動きがあるのではないか?と想像し、行ったときのものです。
1969年4月15日(撃墜日)以降の4月中に撮影

まさやん 2019/04/05(Fri) 11:51 No.24
Re: カーゴマスター作品集
こちらはいつものM氏が撮影したC−133。
横田ドライブインからの撮影だそうですが、初めて見せてもらった時はまるで空撮みたいだ!と思った記憶があります。

撮影日がハッキリしていませんが、F−4D(ノーレター)が36側から降りて途中(ブラボー?)から曲がったコマと、F−4C(GG)が16号線沿いに牽引されているのが写っています。
1970年1月31日の記述がありましたが、定かではありません。

まさやん 2019/04/05(Fri) 11:53 No.25
Re: カーゴマスター作品集
>geta-oさん
シルバーフィニッシュに大きく書かれたU.S.AIRFORCEの文字。アメリカ空軍機はコレでなければいけません!。
と、思っている人は還暦過ぎのマニアだけでしょうか。
本を何冊か出版して分かったのですが、まだまだ60年代〜70年代の飛行機写真マニアは日本中に大勢おられますので、
geta-oさんのコレクションをぜひご紹介ください。皆さん喜ばれると思います。

>まさやんさん
“いつものM氏”のC−133の離陸写真はイヤハヤ素晴らしいですね。当時に航空情報の写真コンテストのカラーの部がありましたら
『入選作』となるに違いありません。
それは、選考者の横森さんが選んできた作品を通してみますと、如何にも好みそうなショットと思えるからです。
K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 17:15 No.26
Re: カーゴマスター作品集
始まりのC−133を撮影されました故・能村実さんのスナップ画像を紹介いたします。
能村さんは飛行機写真マニアのパイオニアとして航空ファン2012年8月号「ヒコーキマニア的人間航空史」の
第1回目として紹介されています。
戦時中米軍の機銃掃射を受けながら、ムスタングの写真を撮っていたという筋金入りのヒコーキ好き。
戦後も飛行機写真を撮り続け、貴重な航空史料を私たちへ遺してくださいました。

K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 17:55 No.27
Re: カーゴマスター作品集
↑左は1962年11月18日、ジョンソン(入間)の公開日時でのスナップですが、
私も行ってたので能村さんと並んで写真を撮っていたかも知れません。
後ろは岩国に着いたばかりのVMA-224のA4D-2N(A-4C)。塗装の美しさが際立っており、
ラダーに塗られたライトグリーンの眩しさは未だ脳裏に残っています。
能村さんの6×6判の原版を拝見しましが、ピントも現像も素晴らしく、自分のネガを捨てたくなるほどでした。
囲みの画像はお持ちになってるミノルタ・オートコードL。

右は1960年5月21日、ジョンソンの三軍記念日でのスナップ。
バックのF-8は、VF-91のF8U-2(F-8C)で初来日初公開でした。
カメラはライカVFに見えますが、VFは戦後ライカの名機で、一眼レフが使われるまで
世界中のプロカメラマンが使っていた超高級機です。
K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 19:25 No.28
Re: カーゴマスター作品集
カーゴマスターは1960年代後半から70年初めころまで、厚木でもよく見られました。
1969年5月2日に飛来した時の1コマです。

MACH3 2019/04/06(Sat) 09:22 No.29
私のアルバムから

皆さんこんにちは。
本日から「私のアルバムから」のコーナーを担当することになりましたK.akatsukaです。

平成時代が終わり、昭和が一段と遠くに感じられるようになりましたが、“飛行機写真の原点”である昭和時代の
「銀塩・モノクロ写真」を鑑賞しながら、戦後の日本上空を飛び交った数々の航空機と、その舞台となった昭和の飛行場の風景を
懐かしんでみようという企画です。

今ではデジタルカメラの発達で誰もが簡単に飛行機写真を撮れるようになり、プリンターの高性能さも相俟って、
多くのマニアが素晴らしいプリントをつくり上げています。
飛行機マニアが、空港や基地のランウェイ・エンドで写真を撮るようになった昭和30年代では、技術と知識(撮影・現像・焼付)なくして
“見られる写真“に仕上げるには容易なことではありませんでした。
そんな中、一部の航空ファンが、写真クラブ(東京・エアロカメラクラブ⇒東京・スカイフォトサークル)を結成し、全国の飛行機マニアと共に、
研究、試行を繰り返しながら現在の飛行機写真の「基礎」を築いていったのです。

当BBSの「私のアルバムから」のタイトルは、当時の月刊・航空情報の一コーナーからお借りしたものですが、
この「私のアルバムから」と、航空情報主催の「読者写真コンテスト」への入賞が飛行機写真マニアの
目指すところであり、前記のクラブ員たちも度々入賞し、アートページを飾ったことも度々ありました。
また、選考の横森周信さんの評文を今回あらためて読んでみますと、そこには時代の空気感が表現されていて
昭和そのものが透けて見えます。写真と共に選評も載せることにいたしました。

“写真文化の黄金時代”と言われた昭和30年代、40年代。航空情報誌上に掲載された作品を軸に、あの頃の飛行機写真について
語りあってみませんか。
皆さま方のご感想、想い出等の投稿をお待ちしております。
なお、当時の記事と写真の使用を快くご了解下さった航空情報編集部のN様に感謝申し上げます。

K.akatsuka 2019/04/01(Mon) 00:20 No.2 [返信]
Re: 私のアルバムから
はじめの写真は「在日アメリカ空軍機写真集1946-1969」の表紙の写真。私の師匠にあたるT.Moriさんが立川の砂川側で捉えたC-133の着陸です。
いままで9冊の写真集を出版するにあたり、数万の写真を目にしてきましたが、何と言ってもこの作品が私のベストワン。
前記空軍機写真集の表紙は企画段階からこの写真に決めていました。

航空情報1960年12月号「私のアルバムから」の入選作ですが、題名の『発進』とは撮影者のMoriさんが付けたのではなく編集部が変えたのだそうです。明らかに間違ったタイトルですね。それだけ航空情報編集部にインパクトを与えたのでしょう。「この写真を編集部が開封したときに起こった“オー!”というどよめきを昨日のように覚えている」と、選考した横森周信さんが生前私に語ってくれました。

データ欄に見られるようにカメラはペトリ35(F:2.8)レンズは固定式の45o。後に数多の傑作写真を残すMoriさんは“エンドデビュー”からまだ1年足らず。プロペラ輸送機のカーゴマスターと言えどもこの至近距離ですと相当なスピードのはずで、そこをブラさず、焦らず、画面にキッチリと納めた技量は才能以外の何ものでもありません。

こうした場面を写真で表現するには、バーチャル感の強い長焦点レンズではなく、50o前後で被写体に近づいて撮るのが基本だと改めて思いました。
その後この写真は大きく引き伸ばされ、ダグラス社の本社に飾られたそうです。

K.akatsuka 2019/04/01(Mon) 00:36 No.3
Re: 私のアルバムから
印刷とは違う味がありますね。

K.akatsuka 2019/04/01(Mon) 00:48 No.5
Re: 私のアルバムから
おーと息を呑む写真ですよね。薄く雲のかかった晴れ間の下、巨大なカーゴマスターのびっくりするような低い着陸!!機体全体に見事にピントが合ってます。これは新生「私のアルバム」の巻頭を飾るにふさわしい写真です。この写真は、しかし、偶然に出くわした場面の写真では決してないだろうと思います。撮影ポイントに歩いていく途中、あるいは撤収して振り返った時取り逃がして、撮りたいと思い続け、そして何度かの失敗のあと、Moriさんに女神が微笑んだに違いありません。
のらひこ 2019/04/01(Mon) 08:37 No.6
Re: 私のアルバムから
>K.akatsukaさん
「私のアルバムから」開始ですね
ところで、このスレッドのテーマは「C-133カーゴマスター」で続ければ良いのでしょうか?
K.MURAKOSHI 2019/04/01(Mon) 23:16 No.7
Re: 私のアルバムから
>Murakoshiさん
しばらくカーゴマスターを続けますので後ほどご投稿願います。
K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:21 No.8
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