おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
私のアルバムからB-57 V

航空情報1964年1月号掲載

赤塚 2019/09/12(Thu) 18:03 No.517 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57 V
“ゴーナナ”のエンジンスタート時における「決定的瞬間」と言える傑作。
ここでも航空情報の評と、現場を見てきたマニアの評価は分かれますね。特に後部座席の人物の動きの件の評は的はずれ感が否めません。
当時のマニアたちは、何回も見て聴いてきたB−57のエンジンスタートの瞬間をカメラに納めようとしたと思いますが、この作品のような決定的瞬間を捉えた写真を私は見たことがありません。
撮影者の吉田誠二さんは、200oを購入されたときからこの瞬間を納めようと構想を練っていたと思います。でもなければ、公開時の人波の中でこの撮影ポジションを確保してこの傑作をカメラに納めることは不可能だったでしょう。吉田さんは私と同年代のマニアで、青少年時に横田や厚木のエンドで時々お会いしましたが、マミヤの“標準時代”もセンスよいの作品を残しています。

“ゴーナナファン”を意識したと思われる音響集
http://b-57canberra.org/b-57sounds.htm
赤塚 2019/09/12(Thu) 18:08 No.518
Re: 私のアルバムから B-57 V
1964年9月、小牧航空祭でのエンジンスタートの瞬間。 撮影:TakahasiYutakaさん。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:35 No.519
Re: 私のアルバムから B-57 V
“ゴーナナファン”の私としては、このシーンを撮りたかったのですが撮影の機会は訪れませんでした。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:40 No.520
Re: 私のアルバムからB-57 V
中井八郎さんが1957年のジョンソン三軍記念日で撮影されたB−57Bのエンジンスタート。
無風に近い状態だったのか、黒煙が“襟巻”のように機体にまとわりついていますね。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:56 No.521
Re: 私のアルバムからB-57 V
1961年5月21日、板付三軍記念日でのスナップショット。
「写真は時代を映す鏡」とも譬えられますが、YOSHINAGAさんのこのショットは正に60年代の三軍記念日を表現しています。飛行機と共に、写真そのものにも興味が深くないと、こうした写真を撮ることができませんね。素晴らしい作品だと思います。

赤塚 2019/09/13(Fri) 16:09 No.522
Re: 私のアルバムからB-57 V
no522の写真は凄いですね。ケロシンではないでしょうが、潤滑油かその他の補給を、見学者のいるところでやってたんですね。如何にも前線に一番近い基地って感じです。また、スターターの理屈がこれで良く判りました。スピナーみたいなやつを開けてカートリッジを挿入、発火させるとその横の小さい排気口から火薬の硝煙が出るんですね。左右のエンジンとも、排気口は同じく向かって左なもんで、右側の胴体が汚れるんですね。あのホアンホアンという音は何なんでしょう。ハンターと違い、ナセルの反響が大きいんですかね。
のらひこ 2019/09/14(Sat) 08:52 No.523
私のアルバムから B-57U

航空情報1960年3月号

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:23 No.487 [返信]
私のアルバムからB-57U
渡邊俊彦さんの航空専門誌掲載初作品。

飛行場にはまだ羽田しか行ったことがなかったころ、航空情報に載っていたこの写真を見、基地周辺はこの様になっているのか、
そして目前にB−57が降りて来る・・・。
見たい! 撮りたい! 少年時代の私にそんな思いを抱かせ、夢を与えてくれた作品です。

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:44 No.488
Re: 私のアルバムから B-57U
南側のジョンソンは、西の道路の上からしか見たことがありませんが、この写真の感じが少し残ってました。情景と言い、57の姿と言い、実にシュールな感じの写真ですよね。真横少し下から見るとなんかトカゲのような飛行機だったんですね。まだ、横田に全面移籍前なんでしょうから、この写真の当時はジョンソンの主だったんでしょう。古い飛行機なんで特に着陸滑走距離が長いのか、低く降りてきたもんです。上からドスンは余り無かった気がします。前のスレッドのゴーナナを見渡すと、いろんな見え方のする機体です。
のらひこ 2019/09/01(Sun) 11:09 No.489
私のアルバム B-57U
のらひこさん、このシュールさはどこからきているのでしょうね。
AGC版「在日アメリカ空軍機写真集」でのT.MATSUZAKIさんの解説をみてみましょう。

『ジョンソン基地Rwy35にアプローチするB−57C(53−3854)を小川の岸まで下り、縦位置で狙ったもので、センスの良さが光るショット。
小川の情景などは今とほとんど変わってないのに、この写真からは静けさや、静寂感みたいなものが伝わってくるから不思議だ』

航空情報の評と合わせて読むと、この作品のシュールさが少し分かるような気がします。決め手となったのは一片の雲すらない空。
僕にはゴーナナがUFOのようにも感じます。
正に“白昼夢”。Yokomori先生、うまいこと言ってますね。
赤塚 2019/09/01(Sun) 12:15 No.490
私のアルバムから B-57U
B-57の好きなアングル。いろいろ開いて、カラーで撮りたかった写真です。シュールさはありませんが。

徳永 2019/09/01(Sun) 17:03 No.491
Re: 私のアルバムから B-57U
徳永さん、なるほど。迷彩機のドアの中の赤や黄色はアクセントとして効いてきますね。反則ですが、南米らしいカラーのキャンベラB(I).68を張ります。2012年6月23日、娘のおごりでマチュピチュに行ったとき、ガードの制止を振り切って撮ったペルー空軍の機体です。飛行場で正面から、キャノピーが左にオフセットしてあるゴーナナを見つけ、列から20mぐらい離れて、腰だめで撮りました。でも、この機体の爆撃手にはただでも乗りたくないですね。全く外が見えないんでしょ。

のらひこ 2019/09/01(Sun) 19:34 No.492
Re: 私のアルバムから B-57U
>東野さん
まさか現役のキャンベラに出会えるとは全く思ってもみなかったでしょう。マチピチュの絶景とどちらが印象に残っていますか?
画面右にも色違いのキャンベラが写ってますね。いやはや驚きました。

>徳永さん
カラーならば、というのは良く分かります。
こうした角度の写真は意外と少ないのですが、Watanabeさんも似た角度の写真を撮っていました。1963.3.14

赤塚 2019/09/03(Tue) 00:09 No.493
Re: 私のアルバムから B-57U
1962年夏、夕暮れの箱根ケ崎。
航空情報写真コンテストに出されたかどうかは不明ですが、もし応募されていれば入賞間違いなし!! Watanabeさんの傑作。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:07 No.494
Re: 私のアルバムから B-57U
1961年2月20日、T.Moriさん撮影。
「36の木の上」から200oで撮ったと思われますが、B−57の列線を入れ込んだ写真は珍しいだけでなく、ゴーナナが横田に駐留していたことが分かる史料写真でもあります。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:14 No.495
Re: 私のアルバムから B-57U
1963年8月、K.TAKADAさんが撮影された横田・ランウェイ18に進入するB−57B。
じつはこの写真大変貴重な記録写真。1963年当時18エンドで写真撮っていたマニアはお分かりでしょうが、エアポリスを恐れ、
この写真の撮影ポイントで撮る勇気ある人は少なかったのではないでしょうか。私もここで撮った写真は1枚もありません。
若かったんだから多少冒険しても良かったかなあ、とTAKADAさんの写真拝見して後悔しています。

赤塚 2019/09/04(Wed) 18:12 No.496
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜夏」 ワタナベさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:10 No.497
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜冬」 MORIさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:13 No.498
Re: 私のアルバムから B-57U
箱根ケ崎側の作品が続きましたので、拝島側へ戻ります。
1963年に撮影されたWatanabeさんの作品で。当時の拝島側エンドの状況と、マニアの心境を表した名作。
車の往来は現在ほどではありませんが、道路は未舗装ですから1日中居ると、シャンプーが効かないほど髪の毛が土ほこりに
まみれていたのを思い出します。

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:24 No.499
私のアルバムから B-57U
B-57の列線は三軍記念日の公開の時に展示ランプから撮ることが出来ました。最初は1962年5月20日の三軍記念日。

>のらひこさん、
マチュピチュの娘さんは、例の娘さんですか?それにしても凄い機体を撮っていますね。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:19 No.500
私のアルバムから B-57U
続いて翌年5月19日の撮影です。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:22 No.501
私のアルバムから B-57U
最後は1964年5月17日の三軍記念日です。この時は望遠を持っていたようです。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:25 No.502
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
1962年の横田三軍記念日は何故か行かれませんでした。標準レンズでこのような写真が撮れたのですね。う〜ん悔しい(苦笑)
1964年は、横須賀でのビクトリアス公開が分かっていたので、展示機だけ拾い横須賀へ急行。ここでもB−57は撮っていません。


↓は1962年9月22日、Yoshinagaさん撮影のB−57E。
「所変われば品変わる」と申しますが、当時見慣れていたゴーナナもロケ地が板付に変わるだけで、機体へのイメージがずいぶん変わりますね。画面に写る木造の家並みも歴史を物語っていて史料としても素晴らしい写真記録です。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:29 No.503
Re: 私のアルバムから B-57U
同じくYoshinagaさん作品。
こちらも板付ならではのゴーナナのショット。撮影された1962年は私はまだ中学生。横田や厚木へやっと一人で行かれるようになったころで、板付は夢のまた夢の世界でした。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:35 No.504
Re: 私のアルバムから B-57U
↓は1962年、TSPCのSugiuraさんが横田の36エンドの金網の隙間から135mmで捉えたB−57ですが、
この角度から見ると昔のカルテックスのマークを連想します。

↓ カルテックスの看板
https://ameblo.jp/sekiyumaniax/entry-11009084682.html

赤塚 2019/09/07(Sat) 19:33 No.505
Re: 私のアルバムから B-57U
多分どなたも見たことがないと思われますのが、1958、9年ごろに撮られた翼下にタンク(または集塵ポット)を4本装着したB−57B。
撮影は私がエンドデビューしたときにはすでに伝説的存在でしたNAKASATOさん。
“ゴーナナファン”には垂涎の写真でしょう。私も吃驚しました。

赤塚 2019/09/08(Sun) 11:18 No.506
Re: 私のアルバムから B-57U
TSPCのSugiuraさんが1964年4月2日に撮影されたB−57Bの大編隊。
一部はAGC版「私のアルバムから(下)」に掲載済ですが、スリーブに写っていた全ショットを紹介します。
掲載本の解説によりますと、これは韓国へアラート任務のため派遣されていたB−57の一飛行隊がF−105と交代して横田に戻ってきたときのものだそうです。
凄すぎる「ゴーナナ大編隊」をごらんください。

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:43 No.507
Re: 私のアルバムから B-57U
その2

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:48 No.508
Re: 私のアルバムから B-57U
その3

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:50 No.509
Re: 私のアルバムから B-57U
その4

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:51 No.510
Re: 私のアルバムから B-57U
その5

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:53 No.511
Re: 私のアルバムから B-57U
その6

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:56 No.512
Re: 私のアルバムから B-57U
その7

これだけの「驚愕大編隊」なのにSugiuraさんのネガを拝見するまでは、この日のことを誰からも聞いたことがありませんでした。1964年ですとマニアの数も結構増えていたはずですが、エンドで写真を撮っていたマニアがひとりだけという日もあったのですね。

赤塚 2019/09/09(Mon) 19:01 No.513
私のアルバムから B-57U
Sugiuraさんの編隊飛行写真は凄いですね。規制がいろいろある今日では再び見ることはないでしょうね。
私が見た機数の多い編隊飛行は、2011年の米海軍創立100周年記念行事のフィナーレを飾ったCVW-9の35機編隊ですが、全体を捉えるのは難しかったです。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:14 No.514
私のアルバムから B-57U
35機全てを写せたのは編隊が上空を通り過ぎてしばらくたってから。
見ての通りの記録写真になってしまいました。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:16 No.515
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
確かにPCの画面では35機の迫力は伝わってきませんね。
映画館の大スクリーン+現地の音付きで見たいものです。

私は1966年秋、横浜の山下公園で見たCVW19機(NM)の16機編隊が未だ脳裏に残っています。F−8、A−4、A−3混ぜこぜの編隊で肉眼でNMであるのが確認できたくらいですから、相当低い高度で飛んでいたのですね。
今こんな飛び方したらA新聞の一面ですよ(笑)
赤塚 2019/09/10(Tue) 18:31 No.516
私のアルバムから B-57

航空情報 1961年3月号 掲載作品

赤塚 2019/08/25(Sun) 06:52 No.468 [返信]
Re: 私のアルバムから B-57
横田RW36の樫の木に登って撮ったT.Moriさんの傑作。評文に「近ごろ珍しくなったB−57の近影・・」と書かれていますが
『珍しくなくなった』の校正ミスでしょうね。
この作品を見て、改めて感心するのは題名の「影」。Moriさんは写真の上手さだけでなく、タイトルの付け方においても
センスの良さを発揮しております。

赤塚 2019/08/25(Sun) 07:06 No.469
Re: 私のアルバムから B-57
B-57は横田の地主みたいな存在でしたね。多分60年の11月か12月、真冬の南中過ぎの日を背中に受けて、その影を滑走路にキッチリ映しての低い着陸です。確かに新鮮味に欠けるという評は年寄りには受けが良いでしょうね。だって額縁ショーに見入っていた世代の評言ですものね。でも我々若手には撮れない構図でした。下に向けたくなるレンズをキッチリ我慢して、上の枝を写し込む、出来ませんよ!私は多分同じ枝の上に乗っての135mmで撮ったRB-57A(62,12,28)を張ります。

のらひこ 2019/08/25(Sun) 09:33 No.470
Re: 私のアルバムから B-57
当BBS2では、飛行機写真を通じて60年代の米軍基地をとり囲んでいた環境、世相、文化を語ろうとするものですが、
マニアが撮る写真は飛行機の記録を重視するので(当前か)BBS企画に沿う様な作品が少ないのは事実です。
それでも、当時のTSPCの先輩マニアたちは“私のアルバム的作品”に挑戦し、数々の傑作を残して下さったので当企画が成立しました。
“マニア心”から、滅多に撮れない外来機は“アルバム的写真の主役”にならないケースが多く、対象はどうしても撮影の機会が多い
基地所属機が主となります。従って1964年ごろまで横田で毎日のように飛んでいたB−57は絶好の対象機であり、“ゴーナナ”をからめた
傑作写真をこれから順次紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。
赤塚 2019/08/25(Sun) 12:58 No.471
Re: 私のアルバムから B-57
のらひこさんと同じころに撮ったRB−57Aです。1963年1月2日撮影
のらひこさんは、もう135mmを使っていたのですね。羨ましく感じた当時を思い出しました。
木の上は地元マニアに占有されており、標準1本の私めはフェンス入れ込みの定番写真。それでも標準レンズでこれだけ撮れる
横田は魅力的な飛行場でした。

赤塚 2019/08/25(Sun) 13:27 No.472
Re: 私のアルバムから B-57
確かに、いつも飛んでいたゴーナナでしたが
その合理的なデザイン?はイギリスっぽい堅実さもありました

1963年3月31日の横田36エンドにて。離陸するB−57ですがシリアルNo.は不明
離陸でも三角形のスピードブレーキを使うんですね
或いは「フライパス」だったかな

村越賢司 2019/08/25(Sun) 18:49 No.473
Re: 私のアルバムから B-57
飛んでるゴーナナばかりですから、前ノメリのゴーナナを探しました。懐かしいアーミングエリアで、何を積んでいたのか、単なるピン抜きだったのか、終わってランウエイに向かう懐かしい姿のB-57です。かすれたようなエンジン音が聞こえてきそうです。そういえばカートリッジのスターターは、コクピットのすぐ後ろにあったんですか?硝煙のあとがはっきり見えますものね。入間での帰投の際にカートリッジを使ったときにいたのですが、てっきり片方のエンジンナセルでスタートするんだと思ってました。

のらひこ 2019/08/26(Mon) 22:06 No.474
Re: 私のアルバムから B-57
>村越さん
ジャーナリスティックな作品も撮っているのですね。こういう写真見るとグッときてしまいます。
例えばA新聞なら地元の親子に協力してもらいフェンスの横で「ゴーナナ」を見上げさせる。これで米軍基地の写真が出来上がり。なんてね。

>のらひこさん
そうです。「ゴーナナ」の特徴の一つに前のめりのタキシングがありましたね。フライパスから鋭角にブレイク、エンジンスタートの独特の音響などなど、たいへん魅力的なヒコーキだったのですが、語り合う人が少なくなりましてねえ。寂しくなりました。


↓は、TSPC・KUMAKIさんのRB−57Aの傑作。1962.2.1
135oでもこの迫力です。200oでも使おうならキャノピーアップですよ。それはまた追って紹介します。

赤塚 2019/08/27(Tue) 16:12 No.475
Re: 私のアルバムから B-57
赤塚氏に「銀だったらねえ」 と言われましたが66年にはもう無理だったかと (笑)

ダブルタンゴ 2019/08/28(Wed) 12:33 No.476
私のアルバムから B-57
B-57は異常なぐらい前のめりでしたが、意外とテイル・ヘビーだったのですかね?駐機しているどの機体も後部に尻もち防止の棒を立てていました。

徳永 2019/08/28(Wed) 13:27 No.477
Re: 私のアルバムから B-57
>ダブルタンゴさん
銀・迷彩はともかくとしまして、60年代の横田36エンド周辺の状況を伝える素晴らしいドキュメント写真ですね。
プリンス最後のスカイラインの新車の“慣らし運転”で飛行機見物にでも来たのでしょうか。家族の雰囲気が抜群にいいですね。
「平和」と「迷彩」のとり合わせが何とも考えさせられます。

>徳永さん
尻もち防止の棒(専門的には何と呼ぶのでしょう)をC−124が使用しているのは納得しましたが、前が重そうなB−57の使用は意外でした。
私にとっては大変貴重な写真です。


↓はT.Moriさんが36の木の上から200oで捉えたRB−57Aの機首アップ。Moriさんのテクニックが冴えわたる作品ですね。1961.4

赤塚 2019/08/28(Wed) 17:03 No.478
Re: 私のアルバムから B-57
1963年6月でのB−57B。撮影はTSPC・K.NARISAWAさん。
私が“標準”時代を経てペンタックスSVとS.タクマー105oを使い出したのが1964年4月からですので、
B−57Bのこのような写真は撮れませんでした。
当時「ゴーナナ」のファンだと言うマニアは居なかったようですが、こうして美しく仕上げた写真を拝見しますと、
なかなかどうして魅かれるヒコーキですね。

赤塚 2019/08/29(Thu) 17:35 No.479
Re: 私のアルバムから B-57
駐留後期のB−57は翼端のタンクを外す機体が多く見られました。運動性の良い“軽爆”らしく、主翼が薄いのが見てとれます。
当時のオフィシャル・フォトのようで、こうした写真もぜひ撮りたかったものです。撮影:NARISAWAさん。1963.6

赤塚 2019/08/29(Thu) 17:43 No.480
Re: 私のアルバムから B-57
no476.ダブルタンゴさん。参りましたね。我々の聖地の写真が出てきましたか!!西砂川ののバス停も真ん中に鎮座していますね。そして画面の右端辺り、コンクリート擁壁から3mぐらいに樫の木が立っていましたね。KB-50の翼端が頭上を通るの信じられますよね。
no480.ナリサワさん。またしてもやられましたよ。こんなに軽快にきれいなB-57は見たことがありません。なんか落とす爆弾全部当たりそう。
そういえば編隊の写真がないので張ります。一機お腹が黒いので慌てて撮ったのかもしれません。その着陸も続けて張ります。

のらひこ 2019/08/29(Thu) 18:29 No.481
Re: 私のアルバムから B-57
編隊の最初の機体だったんでしょう。かなり突っ込んで来て、左に修正しているところです。1963の夏の盛りの写真。

のらひこ 2019/08/29(Thu) 18:32 No.482
Re: 私のアルバムから B-57
>のらひこさん
時期は違いますがBU.No.が近いのでので
同類かも

1962年8月2日、横田箱根ヶ崎にて
黒い腹に突起が多数あるB−57E/55−4281です
腹が見えるように明るく処理しました

村越賢司 2019/08/30(Fri) 11:16 No.483
Re: 私のアルバムから B-57
その2年後
1964年7月31日横田・箱根ヶ崎に着陸する同機
B−57E/55−4281です
突起はありますがハラグロは無くなって、PACAFになっています

村越賢司 2019/08/30(Fri) 11:35 No.484
Re: 私のアルバムから B-57
>東野さん
「ゴーナナ」が編隊でパスし、滑走路通過後一機ずつブレイクする姿は直線翼特有のターンが印象的でしたね。
482の着陸写真は真夏の季節感が出ていて“額縁モノ”です。

>村越さん
そう言えば、483のB−57Eが飛び出した頃「いぼいぼ」のゴーナナ、なんて呼んでました。



↓は、60年代マニアなら誰もが撮影者はENOMOTOさんとわかる傑作。
子供が登っている姿は微笑ましいですが、カメラ持った大人ですと一般からは異常に見えるかも知れません。

赤塚 2019/08/30(Fri) 14:00 No.485
Re: 私のアルバムから B-57
子供たちは家路について、残るはヒコーキマニアだけ。
今日の成果に思いを寄せて、最後に「ゴーナナ」をパシャリ!・・・そろそろ帰りますか。  1961.11.20 撮影:T.Moriさん

赤塚 2019/08/30(Fri) 14:15 No.486
私のアルバムからF-102 Y

1962年 航空情報読者写真コンテスト入選

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:07 No.432 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102の最終章の作品はENOMOTOさんの「ゆうやけとデルタダガー」。
この写真を撮るためENOMOTOさんは何日もここのポイントへ通われたそうです。
風邪熱を我慢して待つこと数回、ようやく夕日の中に“ヒャクニ”が納まったときは本当に嬉しかったと仰っていました。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:21 No.433
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私の大好きな写真です。ほとんどノートリだったんですね!撮影場所は多分、一本東の豚小屋南辺りでしょうが、あんな所は良い機体が降りてきたら写真にならない。この写真を撮る為だけに粘ったのがよく解ります。前と後ろの空間の取り方がノートリでも決まってるのは脱帽です。どう料理するかを考え続けての写真、素晴らしいです。
のらひこ 2019/08/05(Mon) 07:11 No.434
Re: 私のアルバムからF-102 Y
『すべての創造は模倣から始まる』と、あらゆる芸術を語るとき良く言われますが、現在航空写真界で活躍するプロカメラマンにおいても、
デビュー以前に目にした先達者の技法を無意識のうちに模してしまうこともあるでしょう。

ENOMOTOさんはじめ、50年代から60年代にかけてこの写真世界に入った人たちの凄いところは、国内では未開拓分野だったため手本が
無かったことです。ロケから撮影、仕上げに至るまで、全てが試行錯誤の連続だったはず。そんな中、専門誌の航空情報が主体となってコンテストを実施したり、クラブを発足させたり、飛行機ファンとともに「航空写真」というジャンルを構築して現在につなげたことに敬意を表します。
何事も前例のないところから創るのは大変なことなんですよね。
K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:09 No.435
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月10日の横田“拝島側”の風景。(撮影:Watanabeさん)
拝島の駅を降りて急ぎ足でエンドに向かっているときの光景は何一つ覚えていませんが、この砂利道の突き当りの角を曲がってからの
記憶はあります。
焦り、急ぎ、一刻も早くこの写真の撮影場所まで到達したかった気持ちが蘇ります。
私にとって大切な作品。Watanabeさん、良い写真残して頂きありがとうございます。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:46 No.436
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>k.赤塚さん
横道失礼します
この砂利道で並んでカメラを構えていた頃からもう50数年以上過ぎました
赤塚さん、のらひこさんと私とで再び訪れたのがこの36エンドのカドでして、
「F-22ラプター」の横田着陸を聞きつけて集まったエンドの様変わりにびっくりしました
No.436の渡邊さんの写真と比べてみるとフェンスの形式や高さは変わっていないようです
2016年1月21日、エルメンドルフから飛来したF−22(AK/06−4129)
ヒャクニより着陸スピードが遅く感じた今時の新鋭機らしさでした

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:34 No.437
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同じ時、2016年1月21日のカドにて。今時のマニアさんたち。後方右側の見慣れた「大岳山(通称腰掛け山)」の山容は変わりませんね

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:37 No.438
Re: 私のアルバムからF-102 Y
そう言えば横田へラプターが来るというのを前日に聞いて数十年ぶりに“サブロク・エンド”に行きましたねえ。
ラプターが降りてから遅れてKC−10も降りましたが、あれだけ集まっていたマニアは写真のように僅かな人数となっていました。
時代は変わっても人気の中心は戦闘機にあるのですね。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:12 No.439
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1962年、当時の八高線のトンネルの前景が分かる貴重な写真(撮影:Gabariさん)
夏休み、友達と待ち合わせの際の常套句は「トンネルの上で会おう」でした。このトンネルも柵ができて立ち入り禁止となったそうですが、
それはいつ頃なのか、ご存知の方お教えください。
トンネルの上は標準レンズしか持てなかったマニアにとって絶好の撮影ポイントでした。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:29 No.440
Re:私のアルバムからF102
Gabariさんの送りのショットも長閑な光景が広がっています。
「懐かしのワン・エイト」と言ったところでしょうか。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:38 No.441
Re 私のアルバムからF102
ソリッドモデラーのK.TAKADAさんが1963年8月に撮影されたトンネルの見える写真を送って下さいました。
bS40の写真が1962年(たぶん5月)ですから1年経つと草木もずいぶんと生い繁っていますね。トンネルの上には誰もおりません。もうこの頃に何らかの柵が打たれていた可能性があります。


【TAKADAさんからのコメント】
 1963年8月、信州旅行のついでに寄った横田です。
二度目の横田にドキドキで焦って撮った写真ですが、標準レンズのため風景写真になりました。オーバーランは工事中のようで、左にはトンネルの入口が映ってました。F-102も撮りましたがPACAFに替り残念でした。

 C-133、C-124、つづいてF-102と毎日楽しませて頂いてます。
貴重な写真とはいえ、興味のありそうな人は少ないようで、ソリモマニア、必ずしも飛行機マニアにあらずと感じことが多く残念な限りです。
1960年5月の横田三軍記念日でのF-100D、RF-101C、F-102Aは一生の宝物。
あの頃の飛行機万歳!!です。

K.赤塚 2019/08/06(Tue) 23:50 No.442
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同日に撮ったPACAFのF−102Aです。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 00:03 No.443
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月にWatanabeさんが撮られた「トンネルとF-102」ですが、もう数秒速くF-102が降りてきていれば狙いは“ドンピシャ!”。
本当に惜しかったですね。
八高線の客車は1日数本、その合間に何両かのSLが通ります。千載一遇のチャンスを画面に納められなかったWatanabeさんの
無念さに同情いたします。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 18:55 No.444
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私は鉄道マニアではないのですが、列車やSLへの興味は子供の頃からもってました。
箱根ケ崎に行く度にSLが走るのを見てましたが、フィルムを節約したかったこともあって、SLを撮ろうという気ににはならなかったですね。
ところが、Watanabeさんはしっかり歴史をおさえてらっしゃる。古くから瑞穂町にお住まいの人々には、飛行機の写真よりもSLの写真のほうが
興味があるのは瑞穂町で写真展を開催したときに良く分かりました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:11 No.445
Re: 私のアルバムからF-102 Y
Watanabeさんだけだと思っていましたら、KUMAKIさんも素晴らしいSLの写真を撮っていました。こちらは拝島側からの下りですね。
TSPCの先輩方は写真についての造詣が深いなあ、とつくづく思う次第であります。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:19 No.446
Re: 私のアルバムからF-102 Y
瑞穂町の郷土資料館「けやき館」で開館当時しばらく展示されていた1960年頃の箱根ケ崎の風景。(撮影:渡邊さん)
富士山、SL、KB−50、これぞ写真の魅力。瑞穂町の図書館長がこの写真見て大感激していました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:36 No.447
Re: 私のアルバムからF-102 Y
no447の写真には恐れ入りましたしかないですよね。あまり手前を入れず、天を広く取り、目線をkb-50、SL、富士山に引き付ける。余り道路を入れるとLa Stradaになっちゃいます。あの当時は写真は、アサヒカメラはじめ、多くの人に立ち読みされ、みんな目は肥えて居たように思います。個人的思い出を言わせていただければ、手前の桑の畑辺りで飛行機の先輩を置き去りにしてエアーポリスから生い茂る桑の中に逃げ隠れました。今更ながら反省してます。あっこの写真は午前中側ですね。それなら桑畑はずっと向こうにあるはずですね!
のらひこ 2019/08/07(Wed) 22:21 No.448
Re: 私のアルバムからF-102 Y
60年代はじめの頃に撮られた写真の中で、箱根ケ崎側の午前の写真が少ないのはなぜでしょうか。
↓は絶好のポイントで撮ったWatanabeさんの写真ですが、画角から推察しますと、おそらくレンズは45o。
横田での“エンドデビュー”に近い時期に撮った作品だと思います。
こんな良い撮影ポイントで135o程度のレンズで撮ったらさぞかし素晴らしいカットの画が撮れたと思うのですが、それがありません。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:07 No.449
Re: 私のアルバムからF-102 Y
その理由は↓の写真をご覧ください。
1960年5月3日にTSPCのT.Tanakaさんがトンネルの上から撮影したランウェイ18の光景ですが、左F-100の下にガードボックスが
写っています。
Watanabeさんは恐らく↑のF-102の着陸をこの辺りで撮っていたのでしょう。エンドデビューしたてで「怖いもの知らず」だったから撮れたのだと思います。
ですのでその後写真が出てこない。当時の事情を知る方いかがでしょうか。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:28 No.450
Re: 私のアルバムからF-102 Y
40th FISのF−86Dの実機を見ることができたのは団塊世代の上の方々で、私と同年代マニアにとっては例によって
「もう少し早く生まれてれば」と定番の言。
40th FISのF−86Dがいつ頃から横田に配備されていたかは、調べきれてないのですが、航空情報1955年7月号に
羽田で初公開されたときの記事と写真が掲載されていました。(タチヒRHMの飛行姿と共に・・・これも凄いけれど)

K.赤塚 2019/08/09(Fri) 23:51 No.451
Re: 私のアルバムからF-102 Y
「羽田航空ページェント」と銘打っていますが、5月15日の開催ですから羽田三軍記念日と兼ねていたかも知れませんね。
故・能村実先生も現地で撮影されてます。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 00:11 No.452
私のアルバムからF-102 Y
皆さま、ご無沙汰しております。

>赤塚さん、
ソリッドモデルは中学生のころまでやっておりましたが、どうしてもプラ板を熱湯で温め、型に押し付けて風防を造ることがうまく出来ずに挫折してしまいました。

40FISは現在試験飛行隊、40th FLTS、になっていますが昔の面影は全くありませんね。今年の12月に設立80周年ですから、般若塗装のレトロ機を出さないですかね。
写真のF-16CMは今年の5月、エルメンドルフで撮影したものです。

徳永 2019/08/10(Sat) 10:04 No.453
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>徳永さん
航空情報の取材記事拝見しています。マニア的には大変喜びそうな写真と記事だと思いましたが、編集者のセンスか、
こじんまりとした誌面づくりになっていて、勿体ないような気がしました。


↓はTSPCのY.TODAさんが1959年6月に撮影された40FIS/F−86Dの美しい編隊着陸。
ペンタックスS2と135oの使用と思われますが、59年に一眼レフと望遠レンズを使用しているマニアはほんの僅かで、
ほとんどの人は45o固定レンズ付きの35ミリカメラか、ブローニーフィルムの2眼レフか、蛇腹のスプリングカメラを使っていました。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 19:32 No.454
アルバムからF-102 Y
皆さん、毎日暑いですね〜。熱中症などにはならぬよう、十分気をつけて下さい。

>赤塚さん、F-102は最終章なのでしょうか?
着陸後のDrag chute(綴りは違うのですが、カタカナにするとヤバイ言葉と同じになってしまうので。)を引っ張っている画像が出てきませんでしたので1枚。

H.I. 2019/08/11(Sun) 15:20 No.455
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
F−102特集も長くなりましたのでこのスレッドで終了させていただきます。
それに致しましても、板付はマニアにとってこの上ない飛行場ですね。横田でDrag shuteを曳くこのようなF−102の写真を
見たことがありません。

1957年横田三軍記念日での画像です(撮影:TSPC H.Tomitaさん)

K.赤塚 2019/08/11(Sun) 16:56 No.456
Re: 私のアルバムからF-102 Y
TodaさんとTomitaさんは1950年代にこんなすばらしい写真を既に撮られていたのですね、驚くばかりです。。特にTodaさんの編隊着陸は構図もバッチリですが、銀ピカの質感が何ともいえぬほどスバラシイです。

>赤塚さん、村越さん、のらひこさん、先輩の方々、今回は貴重な”ヒャクニ”の画像を沢山見せていただき感動の連続でした。
MACH3さんと赤塚さんのこのサイトが無ければ見ることも無かったものばかりで、感謝感謝です。

このスレッドでヒャクニも終わりと言う事なので、先輩の皆様は休眠か撤退されていた頃のF-102の最終章の画像をいくつか紹介させて下さい。

1969年になるとSEAでもF-4の配備が進み、爆撃機迎撃を主目的(武装はファルコンとジニーのみ)に作られたF-102は不要となってきました。まずはクラークの64th FISが1969年末で閉隊し、所属のF-102は1970年初めより順次板付基地に飛来してスクラップ処理されました。Tail Codeは全て消されて飛来しました。
7月には509th FISも閉隊され、所属機は順次PKのTail Codeのまま板付に飛来し、スクラップ処理されました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:51 No.457
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1971年初め、82nd FISも閉隊され、所属機は那覇基地内でスクラップ処理されましたが、82nd FISが正規軍最後のF-102部隊となりました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:54 No.458
Re: 私のアルバムからF-102 Y
ANG部隊では1976年まで使用されました。
この画像はいくつかの刊行物でUSAFフォトとかクレジット無しで使用されていますが、れっきとした私の写真です。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:00 No.459
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102は最後にはFSAT(Full Scale Aerial Targe)計画により1973年より順次QF-102とPQM-102に改造され、最期はメキシコ湾上空とホワイトサンズ上空で撃墜される運命となりました。
これらの無人機テクノロジーが現在の無人機RPVへと進化しています。
上段は、初期に作られた完全無人機のQF-102A。下段はパイロットが登場可能なPQM-102B。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:51 No.460
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
数々のF−102のショット、休眠中の出来事ではありますが写真の貴重さはよく分かります。特に457の用廃シーンは、
悲哀を感じるとても気になった写真です。
ヒコーキファンを自認した少年時代から、ヒコーキそのものを生き物(哺乳類や鳥類)に譬えたりしてました。
時代の変化に見放されたヒコーキたちが、基地の片隅に積まれ、又は消火訓練で燃やされてしまう。悲しいではありませんか。

↓は1960年にMoriさんが横田の集積所(どの辺りにあったのでしょう)で撮ったという貴重な1枚。F−102の登場でお役御免となった
sabre dogが無造作に捨てられています。一度だけでも目にしたかった68th FIS、4th FIS そして何と509th FISのF−86Dまでもが・・・。
509th FISのF-86D、実際横田に降りていたのでしょうか。これも気になる証拠写真ですね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:11 No.461
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F−86Dも去り、すっかり横田の「顔」となった40th FISのF−102A。
地元の少年たちへのお披露目は、見放題、触り放題の大サービスぶりです。
“雷般若”絶頂時のこの作品は1961年9月24日にNomura先生がミノルタ・オートコードでガッチリ撮ったもの。
正に写真の中の写真と言ってよいでしょう。多くのマニアは、こうした展示機の周囲に人が入るのを嫌いますが、
半世紀も経てば、機体より人の風情の方に価値がでてきます。
若いマニアの方、ここを見てたら写真と共に年寄マニア(私)の話を記憶に留めておいて下さいね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:29 No.462
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1965年5月16日の横田三軍記念日が40th FIS、エアクラフトグレーのF−102が公開最後になるのを知るのはまだ先のことでした。(撮影:TSPC Nakagawaさん)
PACAFとなって所属基地特有の塗装はなくなりましたが、それでも AIR FORCE 機として堂々たる姿です。
「デルタ・ダガー」の名称は、迷彩塗装よりエアクラフトグレーのほうがF−102にマッチしているように思います。

K.赤塚 2019/08/13(Tue) 18:28 No.463
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>あかつかさん、MoriさんのNo.461の場面は初めて見ました。”ハチロクD”は自衛隊に供与された以外の機体は横田でスクラップされていたのですか、初めて知った事実です。
また真ん中に写る509th FIS塗装のSabre Dogは始めて見るものです。この部隊でF-86Dを運用したのは僅か1年ほどで、写真を見たことは無く、長い間探していました。

赤塚さんが仰ることに全く同感です。飛行機だけ写した物には時代を証明するものが何もありません。もしも同じ飛行機ならば1960年に撮った写真と2020年に撮った写真と比べると、2020年に撮ったものの方が画質やピントを含めて全てが勝っているでしょう。
が、しかし風景や人が写りこんだ写真には時代が写しこまれており、その時にしか撮れないものです。服装は、特に子供の服装、その時代の世相を一番反映しているものの一つです。
映画で言うと、昔の実写版と最近のデジタルCG版の違いですかね。最近の映画はCGが多くてガッカリする物が多いです。
大いに反省しているのは、もっと飛行機に関連した車や建物を撮っておけば良かったなぁ〜。
何事も後になってしか気付かない、これ人生の常ですかね。
H.I. 2019/08/14(Wed) 09:50 No.464
私のアルバムからF-102
7月20日から始まりました「私のアルバムから〜F−102」はこのスレッドを持ちまして終了させていただきます。
10日間ほどお休みをいただき8月25日から「私のアルバムから〜B−57」を開始します。

“ゴーナナ”は、初めて横田のエンドに立った1962年1月、F−102と共に、上がっては降り、降りては上がるの連続で、
持ち合わせたフィルムの残量が、瞬く間に無くなっていったのを思い出します。
B−57は横田に常駐していたので毎日のように飛んでおり、先輩諸兄の“私のアルバムから的”作品が多くのこされています。
1950年〜60年代の横田の光景を背に、軽快に飛んでいたB−57の傑作写真をお楽しみください。

F−102特集の最後はH.YOSHINAGAさんのこの写真を選ばせていただきました。
板付コンプレックスと申しましょうか、60年代の横田では決して撮れないアングルです。光線状態、空、雲、画質、仕上げ、
申し分なくノーマークであることも“ヒャクニ”の特徴を際立たせていますね。

K.赤塚 2019/08/14(Wed) 16:50 No.465
Re: 私のアルバムからF-102 Y
航空情報 1961年3月号 掲載

赤塚 2019/08/25(Sun) 06:50 No.467
私のアルバムからF-102 X

1962年4月14日 板付にて 撮影:H.YOSHINAGA 

K.赤塚 2019/07/26(Fri) 18:48 No.412 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102 X
板付の空に那覇の102ですか!!贅沢ですね。横田人から見ると板付の光は南国のように白く輝いて見えてましたね。それに舗装材の違いなのかタキシング等のときの機体の浮き上がるような感じが羨ましかったです。そこに那覇ですか!処で未だ返還前の嘉手納はどう使われてたんですか。
のらひこ 2019/07/27(Sat) 08:57 No.413
Re: 私のアルバムからF-102 X
>のらひこさん
確かに60年代初期の『板付』は我々にとって神秘の飛行場でしたね。とにかく行った人の話を聞いたことがないのですから。

↓はMoriさんが1961年12月29日に横田で撮られた16th FISのF−102Aです。
関東のマニアが撮った飛んでる姿の写真はこの写真しか見たことがありません。

K.赤塚 2019/07/27(Sat) 19:50 No.414
Re: 私のアルバムからF-102 X
F−102Aが関東のマニアの前にはじめて姿を現したのが多分この日が初。横田の40th FISはまだF−86Dで、
F−102は配備されていませんでした。1959年5月16日、三軍記念日にて初公開(撮影:H.Komiyaさん)
隊長機でしょうか。赤・白・青のバンドが入り、ノーズアートの犬も可愛いらしいですね。

K.赤塚 2019/07/27(Sat) 23:43 No.415
Re: 私のアルバムからF-102 X
横田三軍記念日の当日は生憎の雨で飛行ショーは中止。それでも3AD師団司令官機のRB−47Eの展示や、新機C−130Aも公開されるなど見どころはあったようです。
そして注目のサプライズは↓の写真をご覧ください。米軍将校と何やら話しながら“ヒャクニ”のコクピットを見ているのは、源田実空将です。
航空自衛隊の第一次F−XがF−104に決定するのが1959年11月ですから、この時点ではF−102も候補機でした。
まあ、源田さんはF−104に決めていたでしょうがね。(写真:Y.Nakagawaさん)

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 00:06 No.416
Re: 私のアルバムからF-102 X
翌年、1961年5月21日の三軍記念日でも16th FISが展示されました。まだ横田の40th FISにF−102は配備されてなかったのですね。
(撮影:M.Nomuraさん)
ノーズにはプテラノドンが描かれていますが“RODANU”とわざわざ入れているところを見ると東宝映画の「ラドン」を意識したのか知れません。映画「ラドン」のアメリカ公開時のタイトルは「RODAN」でしたから。

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 23:22 No.417
Re: 私のアルバムからF-102 X
「RODANU」のアップ。中々の力作でサインまで書かれています。
反対側はどうだったのか写真を探しましたが、確認はできませんでした。

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 23:33 No.418
Re: 私のアルバムからF-102 X
>赤塚さん、数々のお宝画像、溜息ばかりです。那覇のヒャクニの塗装は極東では一番垢抜けた塗装で気に入っていました。。
No.417の53-1793(RADON U)は量産4号機目のF-102A-5-COです。ちなみに量産3号機の53-1792は板付にいました。
那覇の16th FISがアメリカ本土に引き上げる時点では既にヴェトナムでの戦闘が拡大していました。クラークの509th FISはタイやヴェトナムでもアラート任務についており、16th FISの飛行時間の少ない機体や状態の良い数機が509thに移されたようです。509th FISは通常の定数より多くの機体を所有していました。画像の53-1793はその中の1機だったようで、最期は1970年に板付でスクラップにされました。

>のらひこさん、沖縄の基地について。
嘉手納基地は朝鮮戦争終了までは主に重爆撃機の基地で、朝鮮戦争中は横田と共にB-29が朝鮮半島の爆撃に参加していました。現在嘉手納に駐留している18th Wingはもともとはフィリピンの防衛に当っていましたが、朝鮮戦争が始まると44th TFSをフィリピンに残して、韓国に移動しました。動乱終了後の1954年になって嘉手納に移駐し、44th TFSも加わり現在に至っています。
1957年にF-86FからF-100に、1962年にF-105に機種更新していますが、F-100の時からNuclear Alartについていました。
那覇基地には51st FIWのF-80が駐留していましたが、朝鮮戦争勃発後まもなく板付そして韓国へと移動し、その後F-86Fに機種更新しています。。こちらも1954年に那覇に戻り、まもなく傘下の16th,25th,26th FISはF-86Dに機種更新しています。しかし、1959年からのF-102への機種更新は16th FISのみとなりました。16th FISは1964年末にアメリカ本土に撤退したのですが、地域情勢の変化により1966年からは82nd FISのF-102が再び那覇で任務につくことになりました。

H.I. 2019/07/29(Mon) 15:24 No.419
Re: 私のアルバム102 X
私にとってF−102は迷彩しか知らず、那覇、板付、横田、三沢のカラフルな尾翼が出るたびに毎日ため息をついています。

ところがH.I.さんから迷彩が出されたので、これ幸いとPEのマルニを貼らせていただきました。
見ての通りのドライブインからで、135o f4 1/250のメモがありました。

1969.10.10 F−102A 56−1338 PE 64FIS 405TFW

まさやん 2019/07/30(Tue) 19:28 No.420
Re: 私のアルバムからF-102 X
>H・Iさん
のらひこさん同様、私も那覇と嘉手納の棲み分けは以前から気になっており、今回のH・Iさんの丁寧なご説明でよく分かりました。
ありがとうございます。

>まさやんさん
お待ちしてました。しかしながら、飛行機の塗装というものは人の衣服と同様、ずいぶんイメージが変わるものですね。


↓は、TSPCのT.Tanakaさんが横田三軍記念日で撮影された16th FISのF−102Aです。
マニアが見た昭和時代の在日米軍基地でのオープンハウスの中で、5指に入るのが1960年の横田の三軍記念日。私はまだ子供でしたから、当日の写真と先輩方の話でしか知らないのですが、那覇からF−102A、嘉手納からF−100D/F、RF−101Cが基地公開時にもかかわらず訓練の展開中だったそうです。
この頃の基地公開は基本的にロープなどは張らなかったようなので、標準レンズでタキシングが画面からはみ出るぐらいの距離で撮れたという夢のようなお話。
当日の他の機体もいずれこのBBSUで紹介しますので今後にご期待ください。

K.赤塚 2019/08/01(Thu) 15:05 No.421
Re: 私のアルバムからF-102 X
同じくTanakaさんのショットですが、オールドマニアには「泣いて歓ぶ」ようなワクワクするような写真。
F−100・RF−101・F−102がひとつの画面に納まっており、アラートハンガーにはF−86までもが写り込んでいる。
こんなシーンの写真は見たことがありません。先輩Tanakaさんに感謝です。

K.赤塚 2019/08/01(Thu) 15:15 No.422
Re: 私のアルバムからF-102 X
60年代マニア(特にF−102好き)の中で、最も撮影する機会が最も少なかったのが当時クラークに居た509th FISのF−102でしょう。(1962.12.9 撮影)
ここでもYoshinagaさんが、しっかりと撮ってらっしゃる。「ITAZUKE恐るべし」ですね。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:05 No.423
Re: 私のアルバムからF-102 X
生写真が現在手許にないので、AGC「私のアルバムから(再販版)」からの転写で失礼します。
小牧でF−102のオーバーホールを行っていたのは、風の噂で聞いてはいましたが、まさか長い間の友人であるK.Minouraさんが撮っていたとは思いませんでした。当時としては、地元の人しか行かれないような場所からのショットのようです。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:15 No.424
Re: 私のアルバムからF-102 X
1963年9月、T.Moriさんと二人で夜行列車に揺られながら、初めて伊丹・小牧へ遠征しました。
この時点ではまだ標準レンズだけのカメラしか持ってなく、のらひこさんが購入したばかりのペンタックスとタクマー135oを貸して下さったことに今もって感謝してます。
おかげさまで甲南でUF−XSのテストフライト、小牧では偶然MU−2の初飛行を撮ることができました。
そのとき撮ったUF−XSの写真は新明和工業東京本部ビルに飾られています。

そんな遠征時に小牧で撮った509Th FISのF−102A。16才の駆け出しマニアにはノーズアート付、PACAFの“ヒャクニ”ぐらいしか知識はなく、単に喜んでいましたが、数十年経ち509Th FIS機であることを知り驚いた次第です。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:30 No.425
Re: 私のアルバムからF-102 X
まさか横田にエアクラフトグレーの509thFISのF−102が飛来していたとは横田のヌシ的マニアも吃驚。
撮影は1960年3月27日、TSPCのK.Kumakiさん。まだ横田にF−102が配属される以前のことですから撮ったKumakiさんも
さぞかし驚いたことでしょう。
方向舵の市松模様が後年撮られた写真とは異なっています。部隊マークが時期によって違うのも興味深いところですね。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:50 No.426
Re: 私のアルバムからF-102 X
1965年5月15日、三沢三軍記念日にてデモ飛行に向かう4th FISのF−102A。(写真:中井八郎さん)
私が凄いと思うのは、この写真を見るまで三沢の三軍記念日の様子が分かる写真らしい写真は見たことがなかったからです。
それは、基地公開日がほぼ全国同日だったため、関東のマニアは三沢をはじめ、岩国や板付へ余り目を向けていませんでした。(時間と費用的なこともあって)しかも中井さんは当時神戸にお住まい。横田(5月16日)を飛ばして三沢まで大遠征をした甲斐あって、このような迫力満点のF−102をモノにしました。中井さんの大英断に脱帽。

K.赤塚 2019/08/03(Sat) 17:12 No.427
Re: 私のアルバムからF-102 X
写真のF−102の4th FISは、この後すぐに解散したので貴重な記録なのですが、せめてどこかにあの赤と黒の市松模様が入っていれば・・と思うのは当時を知るマニアたちの思いでしょう。
F−102やRF−101がPACAFの統一塗装なったとき、ガルグレイ&ホワイト塗装の海軍機が、ロービジのグレイ一色になったときと同じような気持ちでした。
しかしながら、この作品はそんなノスタルジーを吹き飛ばすような迫力があります。レンズはおそらく50o〜55oでしょう。写真の基本である「短いレンズで被写体に寄って撮る」を、地で行ってるような傑作だと思っています。

K.赤塚 2019/08/03(Sat) 17:32 No.428
Re: 私のアルバムからF-102 X
>赤塚さん、1960年の横田の三軍記念日は夢の様な場面ですね。当時の新鋭機揃い踏みです。この場面は着陸後と見受けられますが、当然フライパスの様な画像も存在するのですか?
当時のUSAF機は個別塗装もそうですが、アメリカ国籍マークがアメリカの存在感を見せ付けるように描かれています。これ程さまになる国籍マークはそうは存在しません。日本機の赤丸はWWUには結構似合っていますが、現代のジェット機にはイマイチ・・・。

509thFISのヒャクニは日本への飛来は少なかった様ですが、それでもドクロの貴重な塗装をこれ程撮っておられたとは、驚くばかりです。オフィシャル写真でもとても少ないようで、1972年にClark ABに行った時も見せてもらった写真はノーマークばかりでした。アメリカの国立公文書館でも1枚も見つけられませんでした。これまで本などで目にした画像はアメリカの兵隊さんが撮った物が殆どの様で、日本人が撮ったこれ程鮮明な画像は大変貴重だと思います。

↓はブレブレの写真ですが、1965年11月に、私が始めて撮ったヒャクニの迷彩機です。恐らく現地クラークで塗装されたと思われます。64th FISや82nd FISはまだ極東には来ておらず、またCASE X(テン)の翼端なので509th FISと識別できます。恐らく三菱小牧に行くか帰りの途中に寄ったものだと思います。

H.I. 2019/08/03(Sat) 17:51 No.429
Re: 私のアルバムからF-102 X
>H・Iさん
1960年横田三軍記念日の編隊デモ飛行の写真を見た記憶がありません。それというのも、ジョンソンと横田が同日公開だったため、若かった先輩マニアたちは午前ジョンソン・午後横田の二股かけての撮影行で、横田の午前の情報が今もって不足してます。

↓添付は航空情報1960年7月号の写真と記事ですが、航空情報の記者も午前にジョンソン、午後横田を取材したのでしょう。滑走路工事中の厚木から海軍機が多く展示されたので、それとの比較記事のようです。ジョンソンでのF8U−2も本邦初公開でしたしね。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 08:00 No.430
Re: 私のアルバムからF-102 X
MPに追い立てながら撮ったらしい写真が出てきました。(撮影:富田肇さん)
展示機のノーズアート「RODANU」が右側に描かれてなかったことがこの写真で分かりました。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 08:14 No.431
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -