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私のアルバムからF100W

航空情報1960年7月号より

あかつか 2020/03/26(Thu) 15:01 No.976 [返信]
Re私のアルバムからF100W
昭和30年代のヒコーキ写真マニアにとって“伝説の三軍記念日”と語り草になっている1960年の横田の公開時での航空情報の掲載写真と記事です。
何と言ってもその凄さは、ちょうど沖縄から18TFWのF−100D/F、16FISのF−102A、15TRSのRF−101Cが複数機ずつ飛来しており、基地公開中でありながら訓練飛行をマニアの目の前で展開するという願ってもない三軍記念日だったのです。

航空情報の記事では『例年もっとも人気の集まるのがこの横田基地だが、今年はジョンソンに押されてやや淋しい感じだった。』と書かれていますが、ジョンソンでは日本の航空初飛行のアンリファルマン機(複製)の返還式があり、操縦された徳川好敏翁が出席。また、ブルーインパルスの前身“空中機動研究班”(天竜チーム以前)が一般の前で初披露するなど、ジャーナル的な面では大変新鮮な出来事だったからです。
前スレッドでRF−101とF−102はご紹介しましたので、ここからはF−100の当日の模様を発表いたします。写真はすべて1960年5月21日撮影。
あかつか 2020/03/26(Thu) 15:30 No.977
Re私のアルバムからF100W
八高線の牛浜駅を降りて20分ほど歩き、基地のゲートを抜けると真っ先に目に飛び込んできたのがこの光景。
びっしりと敷きつめた芝生の向うにはアメ車、米軍施設。そして憧れの戦闘機群を遠目に見ながら足早に公開エプロンの入場口へと向かう。このときの期待と高揚感は、どなたも思い出として心に残ってるのではないでしょうか。
富田さん、すばらしい写真を残していただき感謝しております。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:32 No.978
Re私のアルバムからF100W
ENOMOTOさんが撮影した18TFWのF−100DとF。
同じ駐機中の機体を撮ってもどこかが違う。ENOMOTOさんらしさが画面から感じるのは二眼レフによるローアングルのせいかも知れません。
原版の画調は6×6判特有の35mm判に無いなめらかさがありました。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:50 No.979
Re私のアルバムからF100W
上の写真はAGC版「在日アメリカ空軍機写真集」にも掲載されていますが、写真解説の中に『F−100D(55−3551)は背部のアクセスパネルが開いているが、機首上部パネルを開けている写真も残っているので、この日、一日中トラブルシューティングをやってたようだ。』と書かれています。

その機首上部パネルを開けていたときの写真がこれ。60年ぶりに証拠写真を見ることができたわけです。撮影:Tomitaさん

あかつか 2020/03/27(Fri) 15:58 No.980
Re: 私のアルバムからF100W
飛行機写真は、1960年12月以前に活動を開始した方々と、1961年以降の方たちに大きく別れますね。良く言う何々以前派、以後派ですね。特にこの12ケ月が大きいですね。横田の空を舞った100の鳥達。それを見なかった人達。以前派の人達が今でも「大人」に感じられる遅れて来た子供です。
のらひこ 2020/03/28(Sat) 08:15 No.981
Re私のアルバムからF100W
>のらひこさん
ヒコーキ写真マニアそのものの考え方にも二つに分かれるように思います。
私らのように、ほんの数年の差で見られなかった(撮れなかった)ヒコーキに対する思いが強いマニアと、自分が見た(撮った)機体にしか興味を示さないマニアですね。たぶんこのBBSUを楽しんでおられる方は前者タイプのマニアではないでしょうか。
私は勿論バリバリの前者です。
あかつか 2020/03/28(Sat) 10:07 No.982
Re私のアルバムからF100W
ソリッドモデラーのTAKADAさんからのご投稿です。

<コメント>
私のアルバムから、毎日楽しみに見ております。
967のF-100D/FW-278を見て懐かしくついメールを書いております。
1960年5月の横田三軍で、田舎モンがいきなり100,101,102を見た感激は一生もので、その半世紀後に漸く作りたかった望みが叶いました。
F-100Dは目の前をタキシングして展示飛行に向かいましたが、FW-278はほんの目の前を通り過ぎた機体でした。100,101,102共この日に見た機体を作りましたが、塗装(部隊マーク)は共に気に入ったもので非常に幸運だったと思ってます。
今は昔ですが、あの頃の写真を見ると今でも血が騒ぎます。

あかつか 2020/03/28(Sat) 13:56 No.983
Re私のアルバムからF100W
TAKADAさんがつくられた想い出の3機。実物を何度か拝見しましたが、たいへん素晴らしいモデルでした。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:02 No.984
Re私のアルバムからF100W
983のF−100の写真見て、尾翼から松?の木が生えているようなシュールな感じを持ちましたが、下のNAKASATOさんが1957年の横田の三軍で撮られたFJ−4のバックにそれらしい木が写っていました。ヒコーキファンとしては少々気になる木ですね。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:16 No.985
Re: 私のアルバムからF100W
TAKADAさんのソリッドは、絶品ですね。プラモと違って世界にワンセットの、私が見たくて見られなかった「極彩色」での再現ですね。101のおしゃれな衣装と言い、102のツンと澄ました尾翼と言い、100の赤の鮮やかさと言い、机の上に飾りたいけど、ワンセットしかないんですからね〜〜〜。そして諸説あるでしょうが、ソリッドは見るからにその充実感を外から感じさせるのは何故でしょうか。正月の浜チャンの芸能人格付け番組で北原さんなら、見るだけで判るでしょうか?
のらひこ 2020/03/29(Sun) 10:39 No.986
私のアルバムからF100V

AGC版「在日アメリカ空軍機写真集1949〜1969」より

あかつか 2020/03/18(Wed) 16:14 No.958 [返信]
Re私のアルバムからF100V
T.maさんの解説にあるように前日は横田三軍記念日で、TSPCのメンバーにとって最も忘れがたい三軍記念日。その日のF−100の写真は追って紹介いたします。

↓は1960年5月3日、TanakaTuneoさんが撮られた箱根ヶ崎トンネル上からのショット。滑走路延長工事や当時の18ENDの状況が分かる貴重な史料写真です。
TSPCはフォトサークルでしたから、飛行機だけでなく写真に造詣の深い人たちの集まりでもありました。

あかつか 2020/03/18(Wed) 16:31 No.959
Re私のアルバムからF100V
1961年5月5日、RW18に滑り込む嘉手納18TFWのF−100F。撮影:Anzaiさん
60年代初期に日本のマニアが撮影したF−100の中でのピカ一の写真と言えば、Anzaiさんが撮られたこの18TFWのF−100Dでしょう。
角度、光の状態と、箱根ヶ崎側ならではの地上を入れ込んだ画面構成。F−100ファンとしては額縁モノ”の作品ですね。

あかつか 2020/03/19(Thu) 10:00 No.960
Re私のアルバムからF100V
同日Narisawaさんが撮影された三沢のF−100D。ということは、一日に三沢と嘉手納のF−100をキャッチできた運の良い日であったのですね。大昔の話にしても羨ましい限りです。

それだけでなく大変貴重なのは機体が“左向き”であることです。大方の外来機は午後に飛来することが多く、午前にめぐり合う機体は滅多にありません。よって左向きの写真は圧倒的に少ないのです。
拝島側での撮影にしても、超望遠を持てない時代は午後になってもRW36エンドのフェンス付近で撮るしかなく、こちらも左向きの写真が少ないということになります。

あかつか 2020/03/19(Thu) 10:14 No.961
Re: 私のアルバムからF100V
1960年1961年は100が良く横田に来ていたことが判りますね。中隊カラーも鮮やかにエエイ憎らしいです。1960年5月1日にはU-2ソ連上空で撃墜されてるんです。だから日本でも派手に動いて牽制してたんですかね。61年4月にはピッグス湾!!飛行機が好きなくせに、新聞読んでも余り危機感持てなかったです。no960のFは後席に乗せてないんですかね?トラベルポッドを付けて上官の忘れ物を届に来たのかも?撮影は961の次に960なんでしょう。お二人が午前中から粘ってた甲斐があった。
のらひこ 2020/03/19(Thu) 18:22 No.962
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
1961年「ピックス湾事件」から62年の「キューバ危機」、当時の日本人の中でどれだけの人が大戦争の危機を察知していたのでしょうか。私の周りには老若男女だれ一人いませんでした。

ときは高度経済成長真っ只中、都内は今の北京並みのスモッグに覆われながら「無責任時代」へ突入。
世界最大「日章丸」の進水、マーメイド号の“太平洋ひとりぼっち”に喝采を送り、コカコーラ飲みながら「ベンケーシー」「てなもんや三度笠」みて、明日はどこの飛行場へ行こうかと考えていた日々。それが私でした。

下の写真は62年10月のキューバ危機で世界中へ配信されたもの。この写真見て、オライオンが(VP44/LM4/150497)実戦に就いていたのかと驚き、来日を待ちわびる。が、関東の基地へ初飛来したのは1年以上も過ぎた1963年11月20日、VP−31のP−3A(RP34/150607)が厚木でなく立川へ飛来。以後VP46(RC)VP19(PE)VP9(PD)と続いて来日、その後も旧式化したP−2ネプチューンと戦略外となったP−5マーリンはオライオンと交代してゆく。従って3種のVP機が日本で見れた1963年から67年の間が、海軍機マニア(特にVPファン)にとって至福の5年間であったのです。
“ヒコーキマニア”とはしょうがないもんだという一例。

あかつか 2020/03/20(Fri) 17:10 No.963
Re私のアルバムからF100V
「モノクロ銀塩時代」の写真にはそれぞれ個性があり、本人のセンスが印画の中に表われていました。
次からの4カットは、60年代のマニアが見ればすぐWATANABEさんの作品であることが分かります。

撮影:1961年7月31日、箱根ヶ崎トンネル上にて

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:48 No.964
Re私のアルバムからF100V
標準レンズ(45mm)で遠近感を持たせた地上からの編隊写真など、今では撮りようがありません。

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:51 No.965
Re私のアルバムからF100V
空と雲のコントラストから想定しますと、オレンジフィルターを使用していたようですね。フィルムはネオパンFでしょうから、恐らくシャッターは1/500秒、絞りはF4〜F5.6と見ました。

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:59 No.966
Re: 私のアルバムからF100V
ほとんどネガのままですので、トリミングはしていません。
滅多に見られない壮大な巻雲を画面にとり込み、F−100をやや下目に置く。“写真派”とよばれたWATANABEさんらしいいつまでも印象に残る作品です。

あかつか 2020/03/21(Sat) 10:17 No.967
Re: 私のアルバムからF100V
このスレッドの100は、写真教室の教科書のような写真が沢山そろってます。
私の経験で言うと、まず最初はフレームに納めるのが難しかった。それが少し出来るようになると、流し撮りで止めるのに難渋しましたね。それから兎に角真ん中に機体を留める。そのあと、背景の水平を意識する。それが一人前になって初めて、背景や機体のバランスを考え出すということだったような気がします。前の2枚の写真など、そのすべてを取り入れた理想的構図ですね。
しかし、嘉手納の100は美しい。尾翼のマークがなんか欧州を感じさせ、三沢や板付よりインテリ風に見えて羨ましかったです。
のらひこ 2020/03/22(Sun) 08:31 No.968
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
今回のF−100のスレッドは確かに“写真教室”の手本のような写真が多いです。偶然性の高い写真もありますが、ほとんどは撮影者が意識して作品づくりに励んだ結果だと見ています。
下のTSPCのGabariさんが1962年に撮られた横田の18エンドでのショットですが、嘉手納のF−100をさて置いて、親子のピクニックを写し込んだ狙いが感じられます。(こどもの動きがじつにいい)今やこうした作品は航空専門誌で見られなくなりましたね。

あかつか 2020/03/22(Sun) 14:17 No.969
Re私のアルバムからF100V
こちらは、Anzaiさんが61年5月5日に撮影された18エンドの光景。
2ドア・ハードトップのアメ車が古きよきアメリカを感じさせてくれます。(車種ご存知の方ご教示ください)

上のピクニックの写真と合わせてみますと、1950年代から60年代にかけての日米文化の一端が読みとれますし、
基地を舞台に物語性まで写真の中に凝縮されており、観ていて飽きません。

あかつか 2020/03/22(Sun) 14:25 No.970
Re: 私のアルバムからF100V
確かシボレーインパラの60年型ですね。

のらひこ 2020/03/22(Sun) 18:16 No.971
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
60年型のシボレー・インパラでしたか。
インパラというと、59年型のイメージが強く残っていて60年型を知りませんでした。
しかしながら、当時このシボレーがChevyと愛称で呼ばれるアメリカの大衆車だというのですから、日米の格差は相当なものでしたね。
同時期の日本の高級車クラウンなんか達磨みたいな格好で、子供ながらダサイなあと思ってました。

あかつか 2020/03/22(Sun) 23:14 No.972
Re私のアルバムからF100V
箱根ヶ崎側ならではの陽の光を受けRW18へ降りる板付のF−100F。
機首のバンドと尾翼の塗装は青・赤・黒の順で、白い縁どりまで施されています。しかも肌はメタル。
一時期(1959−1962)を除くハイビジ海軍機の塗装も華やかでしたが、PACAFに統合される以前の空軍機はそれを凌ぐ魅力がありますね。
モノクロ写真礼賛派の私ですが、この時代の空軍機はカラーで見てみたかった。1962.5.22 Photo:T.Moriさん

あかつか 2020/03/23(Mon) 09:59 No.973
Re私のアルバムからF100V
箱根ヶ崎「F−100シリーズ」のトリはMoriさんの三沢の100で決めさせていただきます。
モノクロの色調から“赤”の方の531TFSだと推察しますが、これとてカラーだったらなあ、と思うのは私だけではないでしょう。

F−100は語り尽せないほど魅力あるヒコーキですが、その一つの理由に“スーパーセイバー”なるネーミング。P−51ムスタングからF−86セイバーに。そして真打として登場したのがF−100スーパーセイバーだったのです。そのスタイルは“ノースアメリカン”一族の代表のように見え、少年マニアにとって憧れの“スーパースター”でした。ですので1961年の横田三軍記念日で実機を初めてそばで見た感動は今だに脳裏に残っており、そのときの思いは生涯忘れることはないでしょう。

あかつか 2020/03/24(Tue) 09:50 No.974
私のアルバムからF100 U

航空情報 1957年1月号 掲載ニュースより

あかつか 2020/03/11(Wed) 19:12 No.939 [返信]
Re: 私のアルバムからF100 U
スーパーセイバーが板付に到着したのは1956年11月14日と書かれています。当然ながらF−100は当時世界の最新鋭機で、配備されるのはアメリカ本国と日本だけでした。
航空情報ではすぐに取材に出て57年2月号にF−100の写真と基地ルポを載せています。記事によりますと部隊司令(35FBSだと思う)はバーンズ大佐。1953年にF−86D世界速度記録を樹立した名パイロットでまだ36才の若さだったそうです。
あかつか 2020/03/11(Wed) 20:55 No.940
Re: 私のアルバムからF100 U
現在手元にあります最も古い写真は福岡のManabeさんが撮られた35TFSのこの写真。おそらく1958年か59年頃だと思うのですが、標準レンズでのこのショットは驚きを隠せません。恐るべし板付です。

あかつか 2020/03/11(Wed) 21:14 No.941
Re: 私のアルバムからF100 U
同時期に撮影したと思われる80TFSのF−100D。撮影:Manabeさん。
横田の外からではこのようなショットは撮れなかったから、よけい羨ましく思ってしまいます。

あかつか 2020/03/11(Wed) 21:17 No.942
Re: 私のアルバムからF100 U
皆さん、お早うございます。

銀色のF-100良いですね。残念ながら私は板付の8TFW、嘉手納の18TFW、それに三沢の21TFWのマーク付きF-100のいずれも撮る機会がありませんでした。唯一の機会は厚木の日飛で迷彩塗装をするために飛来した4本タンクのF-100だけでした。
1966年3月24日撮影の機体55-2901はその後南ベトナムTuy Hoaの309TFSに配属されます。

コ永 2020/03/12(Thu) 09:46 No.943
Re私のアルバムからF100U
>徳永さん
じつは私も横田でシルバーのF−100を撮ったことは1度しかなく(ノーマーク)日飛に飛来したTACの100が3回、あと2回は三軍記念日でした。写真は後ほどBBSに貼らせていただきます。

↓は1958年5月17日の三軍記念日で横田初公開となったF−100F。TSPC.Tanakaさん撮影。
無塗装のため所属部隊が分からないのが気になるところ。それとは別にこの写真、F−100だけでなく時代や社会が読みとれる優れたドキュメント写真となっています。
横田の40FISはまだF−86Dでしたから、子供の目からもF−100が新しい戦闘機と映ったことでしょう。姉さんかぶりの女性もそんなことを教えているように見えます。新鋭機ゆえか、観客を監視するエアーポリスも厳しい眼差しを送っていますね。
いま気付いたのですが、少年はアメリカ人のようです。だとすると、女性はベースで仕事をしているメイドさんで、ご自身のお子さんと仕事先の坊やを一緒に面倒をみていた・・・。考えすぎでしょうか?

あかつか 2020/03/12(Thu) 19:03 No.944
Re: 私のアルバムからF100 U
おお! 徳永さん。100の4本タンクは初めて見ました。嘉手納からなんでしょうかね。ついてますね。
86Dの正面の姿は兜の面頬に似てますね。凄みがありますよ。
のらひこ 2020/03/13(Fri) 17:10 No.945
Re: 私のアルバムからF100 U
>のらひこさん
私も“泥沼迷彩”を塗りに厚木へ飛来した4本タンクのF−100をよく見ました。
何か重そうで個人的にはノータンクのほうがFighterらしくていいですね。1965年12月6日、TACのF−100を初めてみた日です。

あかつか 2020/03/13(Fri) 23:43 No.946
Re: 私のアルバムからF100 U
1966年4月11日、離陸だったかゴー・アラウンドであったか記憶にありません。これも厚木にて。

あかつか 2020/03/13(Fri) 23:45 No.947
Re私のアルバムからF100U
横田のRW36横の樫の木に登って撮影するマニアのシルエット1962年1月15日 撮影:Watanabeさん
樫の木の“定員”が3〜4人のため、いつ行っても地元、またはそれに近いマニアに占有されており結局1度も“スペシャルポイント”で撮影することはできませんでした。

あかつか 2020/03/15(Sun) 00:25 No.948
Re私のアルバムからF100U
上の撮影ポイントから撮ると、標準レンズでもこのような素晴らしい写真が撮れたのです。本当に残念だった。
1963年3月 撮影は少年時代の朋友 T.Tamuraさん 同い年なのにイイ写真撮ってたなあ。

あかつか 2020/03/15(Sun) 00:37 No.949
Re: 私のアルバムからF100 U
no948!嘉手納の100が出てきましたか。さすがのWATANABEさんもそう嘉手納を撮る機会は無かったんじゃないでしょうか。だってこの次のコマは少し送りでしょう。ハヤル心を抑えられずに、早く押しちゃたのかもしれません。
no949、良いですね〜〜三沢の2中隊、この頃が一番100らしい。少し見下ろす感じで、真横より100倍カッコいい。
のらひこ 2020/03/15(Sun) 07:51 No.950
Re私のアルバムからF100U
36横の樫の木は登れる3本ぐらいあり、木によって画面が変わります。↓はTSPCのKUMAKIさん撮影の三沢のF−100D。水平をとるため2割ほどのカットしましたが45mmでもこうした真横からの写真が撮れたのですから、居心地が悪くても木の上で頑張っていたのですね。1961.3.24
これこそカラーで撮りたかったのではないでしょうか。モノクロでも上の機体と機首のバンドの色の違いが分かりますから。

あかつか 2020/03/15(Sun) 19:20 No.951
Re: 私のアルバムからF100 U
同時期、TSPCのKITADAさんが撮影された35TFSのF−100D。こちらは若干トリミングしてますが、これも45mmです。

あかつか 2020/03/15(Sun) 19:32 No.952
私のアルバムからF100 U
同じくKITADAさんが1960年3月に撮られた8TFWのF−100Dの編隊着陸。こちらの写真のほうが「準広角」としての
パースペクティブが画面から窺えます。
左右のトリミングはしてませんので、KITADAさんは木の上で撮るのに慣れていたのでしょう。
1度や2度ここの木に乗れたとしても、そう簡単には撮れないと思います。

あかつか 2020/03/16(Mon) 14:28 No.953
私のアルバムからF100 U
同時期に撮影された21TFWのF−100ですが、おそらく36エンドでローパスを撮ったのでしょう。
何やら物騒なモノが吊るされておりますが何? ご存知の方からのフォローを願うところであります。
KITADAさんは「100男さん」と呼ばれるぐらいF−100にツイてる方で、聞いたところによりますとKITADAさんが撮られた1本のスリーブの中
1〜36コマまで全てF−100が写っていたそうです。

あかつか 2020/03/16(Mon) 14:41 No.954
Re: 私のアルバムからF100 U
no953、KITADAさん富士山を入れて、きっと年賀状に使ったんじゃないでしょうか。幅広で、飾るのに丁度良いですね。
のらひこ 2020/03/17(Tue) 12:05 No.955
Re私のアルバムからF100
Yokota RWy36と言うより、横田の「拝島側」での写真の“締め”はMoriさんの作品にいたしましょう。
1961年4月16日撮影と記されていますから、200mmを使い出して間もない頃ですね。
F−100が最も美しく見えるのは斜め前からの角度であり、多分Moriさんもご存知だったと思います。
午後の拝島側での廻りこんだ光がベアメタルの肌を輝かせ、“F−100ファン”の心を揺さぶります。

あかつか 2020/03/17(Tue) 19:16 No.956
Re私のアルバムからF100U
>のらひこさん
953のKITADAさんの編隊着陸は、確かに年賀状にピッタリの作品。空に文字を入れれば素晴らしい賀状ができますね。

印画紙を葉書サイズに切断、暗室で『謹賀新年』の文字を二重焼付したことを思い出しましたよ。
今考えると大変な作業でしたが、時間を忘れてしまうほど夢中になってましたね。パソコンだとあの楽しさは味わえません。
あかつか 2020/03/17(Tue) 19:35 No.957
私のアルバムから F-100

航空情報1962年読者写真コンテスト入賞作品

あかつか 2020/03/06(Fri) 23:52 No.913 [返信]
Re私のアルバムからF-100
横田のRW36にて200mmで撮影したMoriさんならではの作品。
この写真が発表されたとき、全国の飛行機写真ファンは大絶賛したと思うのですが、コンテストの選者は意外にも高い評価を与えませんでした。
ここでも現場派と書斎派の見方の違いが表れていますね。
とにかく当時はF−100をこうしてシルエットで狙える人は居なかったし、F−100そのものが三沢や板付からの外来機なので中々撮れなかったのです。

当時コンテストの対象機として多かったのはF−102やB−57、輸送機ならC−124などいずれも毎日見られるような“地元機”で、
とてもF−100を芸術的視点で捉えようとするマニアはMoriさんしか居なかったわけです。
私ら団塊マニアが少年時に見たこの『スーパーセイバー』の作品からどれだけ夢を与えてくれたのか。
そんな思いもあってAGC版「在日アメリカ空軍機1946−1969」では扉の写真として飾らせてもらってます

あかつか 2020/03/06(Fri) 23:54 No.914
Re: 私のアルバムから F-100
私は航空情報コンテストに掲載される前後にキャビネの印画を西砂川で直接見せていただき、感激したものでした。評者は「いつも同じ手法」とおっしゃいますが、吉永小百合と壇蜜の和服姿を同じというのですか?特に流麗なFの撫肩、柳腰の美しさに感じ入らないのですか?我々団塊の横田族は、月に1回程度、それも確か木曜か金曜の午後に来る三沢、板付のFー100に巡り合えるのが楽しみでした。Dのやんちゃな男の子風、Fの17,8のおねーさん風な姿に見とれながらシャッターを押したものでした。勿論いつも2機で来るんですから、編隊着陸は何度も撮ってますが、ここまで引いて収める「勇気」は無かったですね。同じDとFでも5つ歳上の機体ではこうはいかないでしょう。これほどの写真は撮れなくても、100を撮った後の帰り道の満足感は素晴らしいものでした。
のらひこ 2020/03/07(Sat) 08:55 No.915
Re: 私のアルバムから F-100
大好きな100のスレッドに悪乗りして、私が撮ったF-100Dの写真をO画伯に描いてもらった油絵を張りますね。
もともとは三沢のDでしたが、画伯は色を考えて板付の隊長機にしています。画家はこれができるから羨ましいです。
毎日、居間の壁に飾ってあり、これを眺めながら朝ご飯を食べています。箱根が崎の背景も思い出深いですね。

のらひこ 2020/03/07(Sat) 09:31 No.916
Re私のアルバムからF-100
>のらひこさん
のらひこさんの“F100愛”が溢れているコメントありがとうございます。
F−100も「泥沼迷彩」を施すようになってから、別な飛行機になってしまった感じで100の魅力は半減してしまいましたね。
シルバー時代、特に給油棒が真っ直ぐな頃(1962年頃まで?)の100は最高でした。

↓は油彩画の8TFW/80TFSのマーキングです。

あかつか 2020/03/07(Sat) 10:23 No.917
Re私のアルバムからF-100
>のらひこさん
916の油彩画のF−100は、↓の1961年の横田三軍記念日に展示された機体を元に彩色したのですね。撮影:Watanabeさん

当時はまだカラーフィルムは国内の写真店でに余り流通してませんでした。よって部隊塗装に興味のあるマニアは、
自ら画いたイラストに絵の具で色付けしてました。
板付の8TFWでは絵画の80TFSがイエロー、36TFSがレッド、35TFSがブルーと空軍機がもっとも華やかだった時代でしたので
カラーフィルムが使えたら楽しみが何倍にもなったでしょう。

あかつか 2020/03/08(Sun) 14:16 No.918
Re私のアルバムからF-100
↓が916の下敷きとなったのらひこさん撮影のF−100D。
西砂川側の午後での写真としてベストに近いものですが、やはりノーマークですとそのまま絵画にするには物足りません。
世界的な航空画家で知られるロバート・テイラーにしても、絵の元になるのは写真に違いなく、いい写真イコールいい絵となるのですね。

あかつか 2020/03/08(Sun) 14:38 No.919
Re: 私のアルバムから F-100
おお!横田の北風の理想的な光の100ですね。これ以上陽が照ると機体がつぶれます。板付の光には叶う筈が無いです。105が何時来るのかしらと思っていた時期でしょうが、申し訳ない気もします。板付、三沢は3中隊居て色がそれぞれ3色、この機体はカラー塗装をはがしてPACAFマークを付ける前の機体でしょうが、カラー時代は愉しかったですね。105はそういう塗装を知らず可哀想でした。
のらひこ 2020/03/08(Sun) 18:13 No.920
Re私のアルバムからF-100
1958年、NAKASATOさんが捉えたF−100D。
当時は飛び切りの超最新鋭機。横田で飛行中の姿を撮影するマニアはNAKASATOさんしか居なかったでしょう。

あかつか 2020/03/09(Mon) 11:52 No.921
Re: 私のアルバムから F-100
>あかつかさん
横田に行っていてもなかなかお目にかからなかったのがF−100でした
ほぼ失敗写真ですが、父親から借りた「二眼レフ」75mmをぶら下げて箱根ヶ崎に出かけ、「上部ののぞき窓のファインダーは使わず、パタンと畳んだ窓越しのスポーツファインダー」(こう書いたものの理解するにはかなり難易度高い)で流し撮りしたF−100です
左下に写っているのは「学生シャツののらひこさん」
1962年7月14日の横田箱根ヶ崎
板付8TFWのF−100F編隊着陸
もう給油管は曲がっていますね

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:09 No.922
Re: 私のアルバムから F-100
私が二回目に遭遇したのはずっと後の横田36エンド西砂川にて
3機のF−100が着陸した時
遠くから見えたシルエットが3機「100だ!」
興奮しましたね
先ずは3機パス、タクマー55mmでした
1963年2月9日横田36エンド
F−100D×2と先頭はF−100F

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:27 No.923
Re: 私のアルバムから F-100
1963年2月9日横田36エンド
F−100F/56−3995

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:31 No.924
Re: 私のアルバムから F-100
二機目は1963年2月9日横田36エンド
F−100D/55−3653
No.919 のらひこさんのと同じ時です(のらひこさんの写真で網にへばりついている学生帽は私だと思います)

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:34 No.925
Re: 私のアルバムから F-100
3機目はリーダー機なのかギリギリ低く侵入したのでフェンスにかかってしまった・・タクマー55mm
F−100D/55−2856

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:37 No.926
Re私のアルバムからF-100
>村越さん
古い2眼レフであろうとも、家にカメラがあるだけでも有難いことです。ウチには無かったから“シャシンデビュー”が村越さんより少し遅れてしまいました。
922と同日に撮影されたのらひこさんの写真。「在日アメリカ空軍機写真集」に掲載されておりますが、標準レンズによる作品は当時の箱根ヶ崎側を偲ばせます。高度から推察しますとローパスのように見えますが、いかがでしょう。

あかつか 2020/03/10(Tue) 06:49 No.927
Re: 私のアルバムから F-100
いま手元にある1962年4月14日と記されているMoriさんのF−100の写真4枚を紹介します。
いずれも西砂川でのショットですが、何機飛来したのでしょう。これは『F−100ショウ』と言っていいほどの大展開のようです。

三沢のF−100F1機とF−100D2機に板付のF−100Fが混ってのフライパス。なぜか3機目のF−100Dに給油パイプが装備されてません。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:05 No.928
Re私のアルバムからF-100
RW18からRW36へ編隊で突っ込んでくる8TFWのF−100。有りそうでないF−100のアングルですね。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:10 No.929
Re: 私のアルバムから F-100
RW36へセクションでアプローチするも一機はギアアップしてブレイク。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:13 No.930
Re私のアルバムからF-100
機体のデータが確認できる写真はこれしかありませんのでネガを拝見したいものです。(三沢の100の着陸写真が無いこともあって)
何機のF−100が写っていたのでしょう。
F−100ファンにとっては物凄い一日だったようです。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:19 No.931
Re: 私のアルバムから F-100
no924のFはいいですね〜〜背景に冬の午後1時半ぐらいの陽光を受けて滑り込んでくるF。美しいです。もうちょっと引き付けたかったでしょうけど、36のエンドの切り欠きのところなんで、真横は勿論、もう一寸右にレンズが向けられないはずですね。でもクラッシュバリアの巨大な鎖が時代を思い出させてくれます。18からの着陸でこれを引っ張たら見ものだったでしょう。
62年から3年の間は100にとって激変の時代だったんですね。板付のマークは中隊の一色からウィングの3色に変わり、そのあとPACAF
,無塗装、そしてあろうことか64年ぐらいから迷彩になったんです。プローブも真っ直ぐから曲がっています。100はセンチュリーシリーズの中では一番素朴で田舎っぽく、エリアルールなんか知らないもんといったやんちゃっさが大好きです。
63年1月19日、36に突っ込むDを張ります。手前で私の芸術写真を邪魔しているのは千葉からトヨエースで飛行場に来ていたAさんだろうと思います。

のらひこ 2020/03/11(Wed) 08:16 No.934
Re私のアルバムからF-100
>村越さん
924の着陸、この100のショットはすばらしい。キリスト降臨の絵を見てるようです。
望遠をまだ持てないころ、フェンスの金網にレンズを突っ込んでよく撮りましたね。でも対象はF−102であったりB−57でした。レンズが短いから少しでも近づいて撮りたかったんでしょう。思えばC−54なりC−124も同様に撮ったら面白い画が撮れたのに、そこに気が付かなったのを今考えると惜しい気がします。

>のらひこさん
トヨエースの屋根に乗ってる方はAOKI先輩のようです。AOKIさんは面倒見のよい優しい方でしたね。当時我々高校生連中が下総基地へ見学を申し込んだ際、海自から「高校生だけではダメ」と断られ、ならばとAOKIさんが代表を引き受けてくれ無事見学できたことを思い出しました。(お役人の姿勢は半世紀前から変わってない)
そのとき撮ったTBMを貼っておきます。1963年3月20日

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:00 No.935
Re私のアルバムからF-100
お目当てだったアベンジャーは用廃機でありましたが、中には今にも飛べそうな機体も混ざっており、前年行かれた先輩マニアが撮影された写真の中にはエンジンを廻している機体も含まれていました。
AOKIさんにあらためて感謝申し上げる次第です。

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:06 No.936
Re: 私のアルバムから F-100
用廃アベンジャー群の中に、一機VR−23のTBM−3Rが含まれておりました。カラフルな塗装の海自機のほうへ目が行ってしまい、この貴重なアベンジャーの細部を撮っておかなかったのが残念。翼を畳んでエンジンにシートがかかっていたこともありますが、まだこの頃は海軍機に傾倒してなく、貴重性が分からなかったからでしょうね。

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:40 No.937
私のアルバムから〜B 11

航空情報 1961年9月号 国内ニュースより

あかつか 2020/02/24(Mon) 23:07 No.895 [返信]
Re私のアルバムから〜B 11
上の記事を航空情報の国内ニュース欄でみたときが飛行機写真を撮り始めたころで、横田やジョンソンのほかにこのような写真が撮れる
所が有るのだと、誌面を何回もみつめた記憶があります。
撮影はAGC版「私のアルバムから」の掲載写真をご協力下さったIwakawa Satoshiさん。Iwakawaさんは伝説のモデラーとして有名な
方ですが写真もお上手でした。

下は同じころに撮影されたと思われる板付に着陸するB−52D。大変な力作で、世界レベルの作品と言ってよいでしょう。
カメラはヤシカの一般カメラでレンズはヤシノン45mmと聞いています。ネガは拝見しておりませんが、おそらく35mmのコマ一杯に
写っていたのではないでしょうか。

板付には滅多に飛来しなかったB−52をこれだけキッチリ画面に納められる集中力は、さすが当時モデラー界で名人と呼ばれていたのも
頷けます。 1961.8.21 板付にて

あかつか 2020/02/24(Mon) 23:49 No.897
Re私のアルバムから〜B 11
Yoshinagaさんが1962年2月15日に撮影された板付一面を捉えた記録写真。B−52と艦載機の列線です。
62年2月12日に佐世保にコーラルシーが入港してますので、写っている艦載機はCVG15[NL]の機体でしょうね。
まるで1960年、厚木が滑走路を工事中のとき横田へ大量の艦載機を降ろしたときと同じ。60年代初期の在日空軍基地の凄さを表したお宝写真です。

あかつか 2020/02/25(Tue) 18:47 No.898
Re: 私のアルバムから〜B 11
Iwakawa SatoshiさんのB-52には舌を巻きますね。2枚とも樫の木にも登らずに、頭上スレスレの着陸を多分殆どノートリで捉えているんですもの。747の方が二回りほど大きいんでしょうが、貫禄が違います。それにしても板付の陽光はなんでこんなに美しいのでしょうか?同じ晴れでも横田は何か沈んだ感じがするんですよね。
のらひこ 2020/02/26(Wed) 00:26 No.899
Re私のアルバムから〜B 11
このようなシーンを見ることができるのは板付ならではですね。
横田で撮ったドラッグシュートを曳く写真を見たことがないのですが、いかがでしょうか。 1962年8月 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/02/26(Wed) 10:08 No.900
Re私のアルバムから〜B 11
B−52のベトナム迷彩機が現れたのは何年頃からなのでしょうか。私は“お休み中”だったので分からないのですが、初めて迷彩機を目の当たりにしたマニアは驚いたことでしょうね。

以下からのB−52Gはいずれも嘉手納でHamanoさんがキャッチしたものですが、何と初めての嘉手納訪問で30機のB−52の飛来に巡りあうという幸運を引き当てました。そのうちの一部をご紹介しましょう。bX01〜bX03まで1974年7月8日撮影。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:01 No.901
Re: 私のアルバムから〜B 11
前日の7月7日はKC−135が30機ほど離陸したそうです。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:04 No.902
Re私のアルバムから〜B 11
写真見ているだけで「暑さ」と「熱さ」が感じられますね。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:10 No.903
Re: 私のアルバムから〜B 11
翌7月9日にはカラーで撮影されています。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:16 No.904
R 私のアルバムから〜B 11
ハイビジのB−52ですと、モノクロでも頭の中で「色」を想像できますが迷彩機は無理ですね。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:20 No.905
Re私のアルバムから〜B 11
カラーフィルムは持って行かなかったので現地で調達したそうです。そのときのコメントを頂いておりますのでご紹介します。

<hamanoさんコメント>
このカラーフィルムはエクタで何と期限切れしてすでに2年経っているとんでもないフィルムでした。コザの商店で見つけて買ったものですが当時はまだドル立てで価格が分かりません。8ドルぐらいと言ってましたが、2000円で買いました。当然コントラストも色もよくなく色が何とか着いているようなものです。

イエイエ、そんなことありませんよ。貴重な画像です(あかつか)

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:31 No.906
Re: 私のアルバムから〜B 11
B-52とKC-135がそれぞれ30機!これは青春のとてつもない記憶でしょうね。それにしても、105や102の迷彩には違和感を感じていましたが、52の迷彩は異次元過ぎて納得しちゃうのは不思議です。塗料の重量は1トンぐらいあったんでしょうかね。
のらひこ 2020/02/28(Fri) 05:57 No.907
Re私のアルバムから〜B 11
B−52が初めて横田で公開されたのが1959年。以後30年間一度も日本で公開されませんでした。それが何の風の吹き廻しか1989年の横田のオープンハウスで突如としてB−52Gを公開。しかもノーズアートにマッカーサーの肖像画を描いて・・。 I shall returnの冗談で来日したのかと思いきや、翌年のオープンハウスでも別機が横田に飛来し、そして何と1991年には厚木のwings91に“H”型を飛ばして展示しました。

厚木にB−47は降りたことはありますがB−52は初めて。翌日(だったと思う)証拠写真としてRW01から離陸を撮りに行ったときのショットがこれです。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:12 No.908
Re私のアルバムから〜B 11
1970年からヒコーキ活動を休眠していたため、機材は友人から借りてコダカラー(ネガ)で撮ったものです。折角のチャンスに何故ポシフィルムを使わなかったのか?。気持ちの面でまだ本格復帰してなかったのですね。カメラはキャノンFX、レンズはキャノン200mmF3.5でした。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:22 No.909
Re私のアルバムから〜B 11
B−52の離陸は1965年4月12日に横田RW36エンドで撮って以来26年ぶりでしたが、塗装のせいなのか1965年のときより
感動が薄かったような気がします。年齢からくる興奮度の違いですかね。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:30 No.910
Re私のアルバムから〜B 11
7th BW 61−0016のB−52Hだそうです。スポッターの素養がないのでネットで知りました。便利な世の中になったものです。

あかつか 2020/02/28(Fri) 11:22 No.911
Re私のアルバムから〜B 11
海軍機に傾倒していた時期が長く、横田や立川で撮った空軍機のネガは保管を疎かにしていたため大半をビネガー・シンドロームに侵されてしまい(後悔と反省)、よって、皆さんの写真のご協力とコメントによりB−52スレが何とか成立いたしました。
次回は少々お休みを頂き、3月7日(土)より再開いたします。アルバムのテーマはF-100がらみの写真で構成したいと思ってます。

1963年〜64年頃のお話。飛行場へ行く回数が限られていた初心者マニアにあるベテランマニアが『100と105を撮りたければ横田、
ファントムとクルーセイダーを撮りたかったら厚木へ行きなさい』とアドバイスしてました。そこに何故か102とスカイレイが抜けているのが
面白いのですが、ともあれF−100は古いマニアにとって“スター戦闘機”だったんだなあ、とつくづく思う次第です。
あかつか 2020/02/28(Fri) 11:24 No.912
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