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私のアルバムFJ−4C

雪の日の翌朝    撮影:中川安正 1959年

あかつか 2020/10/18(Sun) 23:26 No.1521 [返信]
Re: 私のアルバムFJ−4C
Nakagawaさんは、50年代後期から横田、立川、厚木で活躍されたTSPCの大先輩で、日本で数少ないF2H−3バンシーの着陸を撮っておられる第一世代のヒコーキ写真マニアです。
作品の傾向は記録より絵画派で、当時の航空情報「私のアルバムから」にも入選されています。カメラはタロンVR、レンズはタロナー45mm固定式。偶然ですが同じく絵画的作品を得意とするWatanabeさんの標準時代のカメラもタロンVRでした。
厚木基地拡張前のランウェイエンドのすぐ近くで撮影されたのでしょう。今の基地周辺では決して真似のできないカメラアングルですね。
この低さですからフューリー撮影後JP−4の排ガスを体いっぱいに受けたに違いありません。
あかつか 2020/10/19(Mon) 00:05 No.1522
Re: 私のアルバムFJ−4C
この光量から推察しますと、雪は相当残っているようです。少し露出オーバー気味ではありますが、フューリーの翼面積の大きさがよく分かる貴重なショットですね。  撮影:Nakagawaさん
私も何回か降雪の当日や翌日に体験してますが、思い通りの写真に仕上がったことがありません。大体がアンダーで、それを意識しすぎると今度はオーバーになってしまう。あの幻想的な美しい世界をモノクロのプリント焼き付けることはできませんでした。

あかつか 2020/10/19(Mon) 23:12 No.1523
Re: 私のアルバムFJ−4C
no1523本当にUコンのべニアの板で作った翼のようですね。86の翼面積の何パーセント増しなんでしょうか?
給油プローブにはびっくりしますね。これではヘルメット付けたパイロットはキャノピーに顔をどんなに近づけても、ドローグとの接合は見えないはずです。その時はヘルメットを脱ぐんでしょうか?
なんか少年の初めての時みたいですね。「はい、入ったわよ」
のらひこ 2020/10/20(Tue) 18:10 No.1524
Re: 私のアルバムFJ−4C
>のらひこさん
「入ったわよ」はベトナム戦争時KC−135からのF−105への給油シーンをKC側から写した写真が有名ですが、“注油”はどうしても人間の行為と重ね合わせてしまいますよね。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%20F%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%95%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%20%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=
あかつか 2020/10/20(Tue) 23:14 No.1525
Re: 私のアルバムFJ−4C
1958年12月29日、1485で紹介しましたVMF-212[WD]と共に写されたVMF−232のFJ−4。 撮影:Komiyaさん
手前に写る柵は着陸コースに当たる範囲のみ低く、そこ以外は通常の高さのフェンスでした。この柵の低さは滑走路が短かったことから安全性を考えてのことだったのでしょうね。写真を撮るには有難いことですが、基地内からは丸見えで逃げ場はなく、危ない撮影ポイントだったのは間違いありません。

あかつか 2020/10/20(Tue) 23:52 No.1526
Re: 私のアルバムFJ−4C
滑走路へ向かうFJ−4/WT18。
この写真でKomiyaさんの立ち位置がよく分かります。“エンド”で撮影というのは正にこの事ですね。
ここが厚木であるのが信じられない光景。例えカメラを持たなくとも1日中居ても飽きない夢のようなポイント。

あかつか 2020/10/21(Wed) 00:17 No.1527
私のアルバムFJ−4B

1960年8月5日 厚木基地北側にて  撮影:成澤一憲

あかつか 2020/10/08(Thu) 16:51 No.1494 [返信]
Re: 私のアルバムFJ−4B
日本の60年代マニア心を熱くさせた“アツギEND”の想い出。
360度パノラマの大空の中、一点を凝視、ヒコーキを追いかけ、数分後“主役”はファインダーの中に収まった。
今日の主役は「FJ−4フューリー」
果たしてフィルムに無事写っているだろうか?
DP店へフィルムを出し現像、ネガをチェックしてプリントを焼く。
一日の出来事を体験してから、半月は楽しめた。
ときの主役はフューリーからクルーセイダー、ファントムに変わっても・・・。
あかつか 2020/10/08(Thu) 17:54 No.1495
Re: 私のアルバムFJ−4B
トップ画像と同じく60年8月5日の撮影。
Narisawaさんの“標準時代”の愛機、パックス・ラビイで撮ったと思われる1960年の厚木基地大和側のロマンを感じさせる作品。
もちろんVA-146のFJ-4Bにも魅力がありますが、こうした風景画としての写真記録は標準レンズならではのもの。
超望遠レンズをいつでも使えるようになった現在、準広角の45mmで捉えた半世紀以上前の写真に感動してしまうのは、
飛行機がフューリーだからでしょうか?

あかつか 2020/10/09(Fri) 11:21 No.1496
Re: 私のアルバムFJ−4B
no1496!!!素晴らしいより悔しいが先に出てしまいますね。62年にはもうサトウキビだかトウモロコシでは無かった気がしますが、大和側の景色は何時も見てましたが,写す主役はF-8となってました。
素晴らしく高い垂直尾翼、伸び上がったキャノピー、喘ぐようなインテーク。私は片りんも見ていません。86のどっか田舎臭さを脱ぎ去った、ポニーテールとフレアスカートが似合う姿態ですね。
何処かの自動車メーカーのお偉いさんが86が好きらしいけど、フューリーを好きになってほしいもんです。あっ、86違いか!!
のらひこ 2020/10/10(Sat) 11:31 No.1497
Re: 私のアルバムFJ−4B
>のらひこさん
“ポニーテールにフレアスカート”。懐かしや「アメリカングラフィティ」の世界ですね。それとFJ−4をからめたのは、さすがのらひこさんです。
ご存知ない方に説明用の画像を探しましたが、写真や画像が見つからず、何とかあったのがこれでした。
http://sanzisannzi.blog83.fc2.com/blog-entry-269.html

50年代ファッションってイイですね。
あかつか 2020/10/10(Sat) 14:31 No.1498
Re: 私のアルバムFJ−4B
CVG−14の空母がオリスカニーから1961年11月にレキシントンへ変わっても、VA−146の塗装に変化はありませんでした。
下は1962年1月30日にMoriさんが撮影したFJ−4B。現在の見方からすれば普通の着陸写真に映りますが1962年に、
このようにフューリーを撮影できた人は当時200mmを用いていたMoriさんしか居なかったでしょう。
フューリーの角度、仕上げの諧調、申し分ない傑作だと思います。

あかつか 2020/10/10(Sat) 15:10 No.1499
Re: 私のアルバムFJ−4B
同日撮影されたNK311。RW01に進入後、ゴーアラウンドとなったのでしょうか。前脚を収納するときのカバーの大きさに目を奪われます。もう少し早く引っ込めてくれれば、スマートに写ったと思うのですが「これはこれでいいのだ」と仰るマニアも居るでしょうね。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/10/10(Sat) 15:54 No.1500
Re: 私のアルバムFJ−4B
1962年にVA-146[NK]のフューリーを見られる可能性はあったわけですが、いかんせん当時中学生の知識と行動力では厚木エンドまで辿り着けなかったのです。後悔にもなりません。
VA-146のCVG−14は、レキシントンから新空母コンステレーションに移ってA−4Cを受領。1963年に初来日しますが、そこでは出会えず初めての“ブルーダイヤモンズ”は1965年の1月4日でした。そのときの写真が下のNK603です。
テールレターが太く垂直にかかれている機体は余り見たことが無いので珍しいのかも知れません。

あかつか 2020/10/11(Sun) 22:59 No.1501
Re: 私のアルバムFJ−4B
同日に降りたNK608。こちらのレターは傾いています。
VA-146は翌年からレンジャーに移り、厚木へ飛来しましたが、ラダーにテールレターが被らないかき方で、字体も細くなっていました。

あかつか 2020/10/11(Sun) 23:02 No.1502
Re: 私のアルバムFJ−4B
上のVA−146のシスタースコードロンVA−144“ロードランナーズ”のFJ−4B/NK408。
こちらのフューリーも空母レキシントンを降りると、A4D−2にコンバートされ引退。60年の来日ではなかった雷光がキャノピーのうしろに恰好よく描かれています。

あかつか 2020/10/12(Mon) 22:46 No.1503
Re: 私のアルバムFJ−4B
陽が陰ったところで降りてきたバディポッドの装備のNK409。
ガルグレイとインンシグニア・ホワイトの海軍機は、陽が当たらなくても、こうして魅力的に写るところにあります。
“曇り”でも空が明るければ同様な効果がでて、太陽の光がトップなら下手に晴れてるより明るい曇りのほうが却っていいわけですね。
スバラシイ写真です。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/10/12(Mon) 23:15 No.1504
Re: 私のアルバムFJ−4B
VA−144のFJ−4BもVA−146と同様の道を歩み、レキシントンを降りてからAー4Cにコンバート。コンステレーションに載って1963年厚木へ飛来しました。
1963年は我々団塊マニアにとってエンドデビューして間もない頃だったため、“コンステ時代”CVG−14/VA−144のA−4Cを撮ってる人は余り居ないと思います。

135mmでこの写真!。相当低い離陸ですが、さすがWATANABEさん、完璧です。
A−4好きには堪らないショットですね。 1963年5月3日 

あかつか 2020/10/13(Tue) 22:23 No.1505
Re:私のアルバムFJ−4B
1963年8月7日 撮影:Moriさん
上のWATANABEさんの写真は画調から推察するとY2かO1フィルターを使用されているように見えます。
下は曇天なのでノーフィルター(UV)でしょう。よって、オレンジ色の雷光と、尾翼に描かれた赤いロードランナーが色濃く写っています。
モノクロ写真におけるフィルターの違いで、塗装の濃淡が変わるのは皆さんご存知でしょうが、塗装をはっきり写すためその都度フィルターを換えるような人はさすがに居なかったようです。

あかつか 2020/10/13(Tue) 22:35 No.1506
Re: 私のアルバムFJ−4B
1958年、空母ミッドウェイに搭載されていたF9F−8/8B クーガーから交代したばかりのVA−63のFJ−4B。
フューリーが新鋭機だったのですから古い話です。
VA−63は翌年からVA−22に改称しましたが、現在まで続くおなじみの飛行隊。ファイテイング・レッドコックスと言った方が通りが良さそうですね。

VA−63のFJ−4Bが初来日した際に撮られたKondohさんのNE301の写真は大変素晴らしい。世界のフューリー研究家に見せてあげたいほどです。netでググってもこれほどの写真は出てきません。国内で見る4本タンクのフューリーの写真は正に“レア”物。

あかつか 2020/10/14(Wed) 19:42 No.1507
Re: 私のアルバムFJ−4B
1959年、VA−22となっての来日時、海軍機の塗装は抑え気味でしたが、その事が判るのは数十年経ってから。塗装には目もくれず撮影者は貴重なフィルムを一コマ、一コマ大切に緊張感を持って撮影されていたことでしょう。
望遠レンズ(100〜135mm)で飛行機の写真を撮ること自体珍しい時代に135mmで記録を残して下さった方はTodaさん。

あかつか 2020/10/14(Wed) 22:57 No.1508
Re: 私のアルバムFJ−4B
Shimozatoさんが1960年1月4日に撮られたVA−22/143610/NE300。
一応ググッて調べてみたところ、NJ610としてニューヨークの博物館で展示されていました。
https://www.airliners.net/photo/USA-Navy/North-American-FJ-4B-Fury/848628

あかつか 2020/10/15(Thu) 19:00 No.1510
Re: 私のアルバムFJ−4B
Komiyaさんが撮られたNE300。1959.12.1
標準レンズでの写真ですが、個人的にはレストアされて美しく塗装されたカラー写真よりも、粒子は荒く、シャープさに欠けていても
現役時の写真に魅力を感じます。好みの問題でしょうが・・・。

あかつか 2020/10/15(Thu) 19:13 No.1511
Re: 私のアルバムFJ−4B
空母ミッドウェイに載っていたVA−22が1961年にフューリーからスカイホークに代わっても、毎年のように厚木へ飛来しましたので、
撮影できた人は多かったと思います。
ところが私は巡り合わせが悪く、ミッドウェイ時代に一度もVA−22のスカイホークには出会えず、ようやく撮影できたのがCVW−2[NE]が
コーラルシーに移ってからの1966年でした。
基本塗装はミッドウェイ時代と変わりありません。

あかつか 2020/10/15(Thu) 23:33 No.1512
Re: 私のアルバムFJ−4B
>あかつかさん
コーラルシーに載っていたA−4Cは撮っていたのですが
赤塚さんの撮られたNE226の機番違いもいました

1966年9月3日の厚木01エンドでの離陸
VA−22のA−4C(NE00/148488)と編隊離陸をしたウイングマンが(NE226/147718)であかつかさんの時とシリアルが替わっておりました

村越賢司 2020/10/16(Fri) 22:48 No.1513
Re: 私のアルバムFJ−4B
同じ日
1966年9月3日の厚木01カドでにタキシング
ゲキトリでザラザラですが
VA−22のA−4C(NE00/148488)です
この日はVA−23のA−4Cもたくさん飛んでいました

村越賢司 2020/10/16(Fri) 22:56 No.1514
Re: 私のアルバムFJ−4B
>村越さん
私の撮ったNE226は、66年9月1日ですから、ほんの数日後に機体交換をしたのですね。当時はベトナム戦争真っ只中で機体の入れ替えが激しく、珍しいことではありませんでした。


↓VA−22のシスタースコードロン、VA−23のFJ−4B。1959.10.15  撮影:Todaさん
フューリーの美しさは“背筋”のラインとハイヒールのような垂直尾翼の高さですね。「86」から野暮ったさを抜いた海軍機特有の柔らかさを感じます。(B−66とA3Dの違いように)特にこの写真では光線状態も相俟って、フューリーの“美人さ”がうまく表現されていますね。それは、飛行隊にちなんだ塗装が一切なく、ノーマークに近い姿だったからはないでしょうか。

あかつか 2020/10/16(Fri) 23:22 No.1515
Re: 私のアルバムFJ−4B
VA−23のFJ−4Bも1960年6月に退役。A4D−2と交代しますが就役以期間は短く1年8ケ月で新鋭A4D−5(A−4E)にバトンを渡します。
空母ミッドウェイで二航海しただけですので、日本での写真は多くは残されておりません。下のショットはMoriさんが1962年8月17日に撮影されたVA−23のA4D−2。青空の下でのコントラストが、ネオパンFの時代を思い浮かばせます。

あかつか 2020/10/17(Sat) 18:52 No.1516
Re: 私のアルバムFJ−4B
1964年、空母ミッドウェイの西太平洋航海で来日したA−4E。
VA−23のA−4・・・と言うより、E型そのものが厚木初飛来。今まで見慣れてきたB型、C型と比べると、余りにも洗練されたスタイリングに当時のマニアは驚いたはず。私も“ひとめぼれ”してしまい、今まで見てきた数多のスカイホークの中でも、この初来日時のVA-23 Black KnightsのA-4Eが「私の好きなA−4」 ベスト・ファイブに入っています。

1964年3月16日 撮影:Higashinoさん

あかつか 2020/10/17(Sat) 19:25 No.1517
Re: 私のアルバムFJ−4B
no1517を撮りましたな〜〜しかしMoriさんの美しい写真に並べられたら、師匠と駄目弟子の差が歴然!!ツライです。
スカイホークはRAV4のデザインの変遷を見るようですね。この後F型になるともういけません。私は―2と―2Nの可愛さに1票です。RAV4の初代の可愛さに通ずるものがあります。
それにしても、フューリーやスカイホークのノーズギアのキャサさには今更ながらビックリですね。発艦毎にブットいワイアを海に放り投げていた時代なんですね。潜水艇で潜って一本取ってきてくれないもんでしょうか?
こんな細い足で3点着陸したら、きっとノーズから突っ込みますね。でもそれがスカイホークの可愛さを引き立てているんですね。
のらひこ 2020/10/17(Sat) 23:17 No.1518
Re: 私のアルバムFJ−4B
>のらひこさん
のらひこさんの「お好みA−4」は−2と−2Nですか。ぼくは−2(B型)と−5(E型)ですね。−1(A型)のスッキリしたスタイルに好感を持ちますが、B型以降標準装備となった給油プローブと、ラダーにリブが無いところが、ややマイナス。
2Nは(C型)はまとまり過ぎていませんか?、成績も人当りも良い中高の生徒会長のようで、もの足りません。
上のVA−23[NE]のA−4Eを見てください。
これは、今での常識を破ったデザインですよ。たぶんE型そのものから発想した塗装でしょう。
機首のスマートさを強調するように国籍マークを胴体後部に移し、部隊名と空母名をブラックナイツのエンブレムを囲んだのも画期的。
そして騎士の長剣を左右のタンクに描く。これはもう男が惚れ込む洗練された“カッコ良さ”。俳優で謂うなら石原裕次郎ですね。
E型以降出現したA−4FやA−4Mは、背筋を伸ばさず斜に構え、個性を強調するばかりの松田優作や萩原健一のようで、ぼくは好きじゃないなあ。

下は1966年9月1日、伝説のコーラルシー入港(搭載機を殆ど厚木へ降ろした)の翌日、東側エプロンに駐機するVA−22とVA−23ですが、
両機を押さえる丁度よい登れる木が無く中途半端な絵になってしまいました。コダクロームKX使用。

あかつか 2020/10/18(Sun) 08:42 No.1519
Re: 私のアルバムFJ−4B
成績も人当りも良い中高の生徒会長???そんな奴は生徒会長になれません!!でも私は、パンドール、ミクロファイン、小田急線の電車賃の計算に没頭して、誰が生徒会長だったのか知りません。
−1は車で言えば昔のいわゆるオリジナル仕様って感じでしたよ。
実戦に出てきたのはー2でしょう。長槍を描いたドロップタンクは、センスを感じますね!!
のらひこ 2020/10/18(Sun) 21:53 No.1520
私のアルバムFJ−4A

1958年12月29日 厚木基地滑走路南端にて  撮影:小宮 宏

あかつか 2020/10/05(Mon) 22:54 No.1485 [返信]
Re: 私のアルバムFJ−4A
滑走路延長工事以前、1958年暮れのO1の光景。これが厚木であることが分かるマニアはごく少数でしょう。私もスリーブを見ていたから分かるので、写真だけなら外国で撮った写真と思ったでしょうね。
しかもカメラはペトリの45mm。フューリーまでの距離は200m〜300mぐらいに見えます。その日、Komiyaさんは厚木へ行き出して間もない頃だったので「怖いもの知らず」。1日中この場で撮影していたそうです。
当日は何事もなく帰られたそうですが、その後、何回目かの撮影行で「捕らわれの身」になった事を話されています。
カメラはその場で没収、後日返却されましたが、何と撮影済みのフィルムも現像して返してくれたそうです。(私のときはフィルムのみ没収だった)
あかつか 2020/10/05(Mon) 23:16 No.1486
Re: 私のアルバムFJ−4A
同日、ローカルフライトを終え帰還したVMA−212のFJ−4Bの着陸。若干トリミングしていますが、45mmでフューリーがこれだけ撮れたいう夢のような世界。1958年12月29日 撮影:Komiyaさん

インターネットが普及されてない“紙”の時代、[WD]と聞けば、ランサーズのF−8やF−4が思い浮び、フューリーの塗装はF−8、F−4と同様、青を基調とした塗装と長い間思っていました。胴体の帯や尾翼の塗装が赤と白星であることが分かったのが十数年前、雑誌に載っていたカラー写真を見てからです。
 
上、下の写真はたぶんノーフィルター(UV)のようで、胴体バンドと尾翼の赤が濃く写っているのが勘違いの原因でもありました。
思い込みというのは恐ろしいもので、WDのフューリーの塗装が赤と分かった後でも青のイメージが付きまとっていて、青のほうが良かったのにと勝手に想像しています。

あかつか 2020/10/05(Mon) 23:53 No.1487
Re: 私のアルバムFJ−4A
マリンコは撮影できませんでしたが遅ればせながらVA-216のFJ-4B
1963/2/28に#603と一緒に飛来しました。ハンコックの入港?

geta-o 2020/10/06(Tue) 13:20 No.1488
Re: 私のアルバムFJ−4A
続けてですがF8U-1に変わるまで1963年に厚木に行けばいつでも撮影出来たFJ-4

geta-o 2020/10/06(Tue) 13:29 No.1489
Re: 私のアルバムFJ−4A
>GETA−0さん
「厚木へ行けばいつでも撮影できた」と仰るVU−5(UE)のFJ−4、残念ながら私たち世代のほとんどの人は間に合いませんでした。
フューリーを撮れなかった悔しい思い出は、クルーセイダーに出会えなかった70年代にデビューしたマニアの気持ちと共通するものがあるのでしょうね。
ひと回り以上の大先輩マニアたちならどうでしょう。「もう少し早く始めていたら、ゼロ戦や雷電を見られたのに」と思うのかしら?。
写真を撮ることは無理だったにしても・・・。

下はTSPCのTodaさんが、航空ファン誌の取材で、岩国へ訪れた際撮影した垂涎モノのド迫力ショット。撮影時でのシチュエーションは分かりませんがエア・ツー・エアでないことは確かです。
使用レンズは135mmと思いますが、撮っておられたTodaさんも余りに近く過ぎてド肝を抜かれたことでしょう。 1960年11月23日撮影

1960年といえば、海軍・海兵隊機はカラフルな塗装を抑え、機体全体が素っ気なくなっていた頃。このローテーション配備時での
[WD]のマーキングは尾翼に辛うじてペイントを残しています。1958年に見られたような胴体の幅の広いバンドは外されました。

あかつか 2020/10/06(Tue) 23:14 No.1490
Re: 私のアルバムFJ−4A
マリンコ最後の在日フューリーは、VMA-212[WD]のFJ−4Bでした。
写真の撮影日は1961年4月4日でマーキングはなく無塗装状態。しかしながら、4月にこれだけ“抜け”のよい青空はめったになかったはず。そんな中、大和側で午前中のワリと早い時間に[WD]のFJ−4Bをキャッチできたとは・・・“幸運”以外何ものでもありませんね。素晴らしい写真が残りました。 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/10/06(Tue) 23:26 No.1491
Re: 私のアルバムFJ−4A
VMA−212[WD]のフューリーは61年5月まで岩国を基地としましたが帰国直後の61年8月、VMA−212にA4D−2が配属されFJ−4Bは11月に退役。そして63年7月にF−8Bを受領したことにより、VMA−212からVMF−212となって、ニックネームもデビルキャッツから、皆さんおなじみのランサーズに変更されました。

マリンコのフューリーが日本を去ってから、しばらくWDのレター機の来日はなかったのですが、1965年、オリスカニーのCVW−16から去ったVF−161のデモンの穴埋めにVMF(AW)−212のF−8Eがディプロイメント。65年7月“WD機”が厚木へ飛来、久々のWDに、ときの海軍機マニアは大喜び。CVWへのマリンコ機の配属は一定期間限定であることが多く、“限定”に弱い海軍機マニアにとっていわゆる“ワンチャンス”だったのです。 1965年8月2日 大和側で午後撮影

あかつか 2020/10/07(Wed) 23:29 No.1492
Re: 私のアルバムFJ−4A
1965年7月28日、Rwy19から訓練飛行に向かうVMF(AW)212のF−8E。3機しか撮れなかったけれど少なくとも5機は飛来していたのですね。私の好きな飛行隊機でしたから、もっと撮りたかったなあ(〜〜;) 撮影:Yokooさん

あかつか 2020/10/07(Wed) 23:59 No.1493
私のアルバム〜FJ−4

航空情報1959年3月号

あかつか 2020/09/30(Wed) 23:50 No.1469 [返信]
Re: 私のアルバム〜FJ−4
今まで見た最も心に残るフューリーの写真は、航空情報「私のアルバムから」で入賞されたShimozatoさんのこの写真です。
かつてCHECKER TAIL4に掲載したくShimozatoさんに写真提供をお願いしたところ、6×6判のネガを2カット送って下さいました。原版では周囲に余裕があり地面は傾いていましたが、そこは大判フィルムの強み。写真のようなトリミングから画面は絶妙な仕上がりとなっています。
カメラのスーパー・フジカシックスは6×6判スプリング式(蛇腹)後期のカメラで、小西六(後のコニカ)のセミ・パールとともに50年代のハイ・アマチュアが使用した最高級蛇腹機でした。
あかつか 2020/09/30(Wed) 23:53 No.1470
Re: 私のアルバム〜FJ−4
下は、2コマのネガのうちの別ショット(VMA-214/WE17)。
上の航空情報掲載機はWEの19号機なので、作品タイトルの「着陸訓練」が示すように2機でタッチ・アンド・ゴーを
何回も繰り返していたのでしょうね。「50年代の厚木はこうだったのか〜!」と、写真見るだけで時代に嫉妬してしまいます。

1959.1.10 撮影:Shimozatoさん

あかつか 2020/09/30(Wed) 23:59 No.1471
Re: 私のアルバム〜FJ−4
下は航空情報1959年10月号臨時増刊「航空ファン読本」に掲載された橋本喜久男画伯のフューリーのイラスト。
飛行機絵画もイラストも地上で写生する以外、写真を基に描くようですが、橋本画伯の挿絵もその例にもれず、
Shimozatoさんの写真を参考に秋らしくアレンジしています。昭和タッチがいいですね〜(^_^)
それだけN0.1469の写真が当時の専門誌の人たちに受け入れられていたということでしょう。

あかつか 2020/10/01(Thu) 19:11 No.1472
Re: 私のアルバム〜FJ−4
VMA−214(WE)のFJ−4Bは、台湾海峡で1958年8月に勃発した金門島砲撃事件に対応して、1958年10月、VMA−212(WD)とともに厚木へ展開しました。写真は1958年12月22日、Komiyaさんが01エンドで撮影されたWE18。
その頃Komiyaさんは望遠レンズを使用していないはずなので、たぶんペトリの標準カメラで撮ったと思われます。恐ろしや・・・。

あかつか 2020/10/01(Thu) 19:39 No.1473
Re: 私のアルバム〜FJ−4
デモン特集の終わりにお知らせしましたが、各飛行隊のフューリーが退役後(60年代)に受領した機体も可能な限りご紹介したいと思います。

VMA−214は1962年1月に後継機A4D−2を受領していますが、WEのスカイホーク初来日は、何と対潜空母ホーネットの防空部隊として派遣されたA−4B/DET.Nでした。
対潜空母への分遣隊機は4機しか搭載してなく、しかも航海毎に別の飛行隊が派遣されるので撮影のチャンスはじつに少ない。そんなわけで、当時の海軍機マニアは対潜空母のA−4を目の色を変えて追いかけていました
私は残念ながらホーネットのA−4Bは撮れなかったので、のらひこさんがA1タキシーウェイを滑る3機の[WE]を、まとめて貼らしてもらいます。撮影日は不明ですが、たぶん1964年の2月でしょう。こんなシーンに出会いたかったなあ。

あかつか 2020/10/02(Fri) 21:37 No.1474
Re: 私のアルバム〜FJ−4
Moriさんが捉えたA−4B/VMA−214/DET.Nの着陸。サイドワインダーランチャーが装着されてます。撮影日は1964年1月29日

あかつか 2020/10/02(Fri) 21:43 No.1475
Re: 私のアルバム〜FJ−4
>あかつかさん
FJ−4は目撃できませんでしたが
CVSG−57 HORNETの搭載機が出てきましたので
四機貼ります

No.1474、のらひこさんの01角の時に一緒にいました
ローカルフライトを終えて01エンドに滑り込むA−4Bを4コマ連貼りです

1964年2月3日の厚木01エンド
VMF−214 DET.NのA−4B(WE81/142948)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:18 No.1476
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同日
VMA−214 DET.NのA−4B(WE82/142921)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:21 No.1477
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同じく、厚木01エンドの着陸
VMA−214 DET.NのA−4B(WE83/142676)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:23 No.1478
Re: 私のアルバム〜FJ−4
ラスト4機目
1964年2月3日に厚木01エンドに着陸する
VMA−214 DET.NのA−4B(WE84/142879)
昼頃の撮影なので午後側に移動したあとですね
連貼り失礼しました

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:27 No.1479
Re: 私のアルバム〜FJ−4
>村越さん
USSホーネットに4機しか搭載されていない[WE]のA−4Bを全て撮ってらっしゃるとは・・・しかも昨日撮ったような素晴らしい写真。
“羨ましさ”を通り過ぎて締めたくなりますよ(笑)
82番は胴体にバンドが画かれていますが、隊長機だったのでしょうね。

VMA−214はA−4BからA−4Cへグレードアップされ、岩国へ配属されました。Yokooさんが1965年4月6日、厚木で撮られています。
当時は岩国のVMA機が厚木へ飛来することは少なかったから、このWE21は貴重な写真といってよいでしょう。

あかつか 2020/10/03(Sat) 21:49 No.1480
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同じくYokooさんが、翌年の10月4日に撮られたWE21。
この[WE]のA−4Cを初めて見たときの衝撃的かつ素晴らしい塗装に驚愕した覚えがあります。ある意味“ブラックシープ”A−4シリーズの「完成型」と言えるのではないでしょうか。
今も昔も海兵隊機は塗装をよく変えますが、そんな中VMA−214のA−4は、C型からE型にコンバートされても基本塗装は同じでしたから。

あかつか 2020/10/03(Sat) 22:04 No.1481
Re: 私のアルバム〜FJ−4
初めて“大人のカメラ”を使ってヒコーキ写真を撮り出したのは1961年8月中学2年生のときでした。そのとき厚木へ行かれさえすればフューリーを見られた可能性はあったのですが、情報ゼロの時代に中学生が一人でランウェイエンドへ行かれるはずがありません。
ようやく厚木エンドに立てたのが写真を撮り始めて1年後の1962年8月。時すでに遅し、FJ−4は日本の空から消えていました。
そんな訳で、ハンコック/CVG−21で最後の厚木飛来となった[NP]のFJ−4Bの雄姿を拝めることができなかったことは、“海軍機マニア”としての無念さが未だ心に残っているのであります。     1962年3月2日 撮影:WATANABEさん

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:02 No.1482
Re: 私のアルバム〜FJ−4
翌年1963年10月4日、新機受領後初来日した“ブラックダイヤモンズ”のA−4C。
空母名を垂直尾翼に書いてあるのが珍しいですね。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:18 No.1483
Re: 私のアルバム〜FJ−4
上と同日、A1タキシーウェイを走るNP610。
私も1964年11月にVA−216のA−4Cを撮っていますが、そのときは空母名と飛行隊名が胴体尾部に移っており、塗装のバランスは63年時のほうが良かったですね。塗装デザインはA−4の中でもかなり良い方だと思うのですが如何でしょう。

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:20 No.1484
私のアルバム〜F3HI

AGC版 私のアルバムから〜「最後のデモン」  K.Narisawa

あかつか 2020/09/13(Sun) 11:40 No.1452 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3HI
デモン特集、最終章のトップ画像はNarisawaさんが撮影されたVF−161/AH102。
これまで日本で撮影されたデモンの写真を数多く見てきましたが、光線状態、空のトーン、アクセントの雲、角度、ピント、申し分のない名作だと思っております。 1962年8月29日 厚木基地大和側にて
あかつか 2020/09/13(Sun) 12:01 No.1453
Re: 私のアルバム〜F3HI
おお!おお!美しいですなー。58年前とは思えないオシャレな塗装でした。臙脂のシェブロンにAレター。これがデモンの極め付きでしょう。8月29日。この当時は熱くなったって、気象庁発表は30度程度だったはず。でもヒコージョーの端は32度ぐらいはあったでしょうが、暑さを感じるヒマもないぐらいAHレターに興奮したものです。
でもいまだに、あの当時、どうやってフィルム現像や半間の押し入れの中の現像液を20度に保ったのか全く忘れています。あっ!!増感なら18度だった。水道の水は20度はあったんじゃないかなー?我が家は氷冷蔵庫は無く、2cm立方の小さな氷しか無かったので冷やせるはずは無かったです。
36度になんか負けるもんか!!!
のらひこ 2020/09/13(Sun) 13:09 No.1454
Re: 私のアルバム〜F3HI
オリスカニーがCVG−16(AH)を載せてるころは私は“標準時代”でしたのでお見せできるような写真を撮っていません(--;)
よって、のらひこんさんが撮られたVF−161/AH112の代貼りします。

>のらひこさん
この雰囲気、結構気に入ってます。高曇りの中、西から一瞬薄日が差してきたのでしょう。モノクロならではの優れた逸品と申しましょうか。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:03 No.1455
Re: 私のアルバム〜F3HI
これも、のらひこさんの代貼りです。
写真に撮影日が書かれていませんが、多分1963年12月2日だと思います(同じようなカットにVF−162のF−8Aがある)
燃料タンクを抱えスパローを吊るすと“細身”のデモンもグっと迫力が増しますね。撮らないまでもこんなタキシングを一度見たかったなあ。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:20 No.1456
Re: 私のアルバム〜F3HI
↑のデモンのタキシーを撮り、ランウェイへカメラを振ると、こんな光景が展開。
J71×4とR3350×6の“大演奏”はどんな音を奏でていたのでしょうか。この時ののらひこさんの心中、容易に察することができます。
半世紀以上前の出来事なのに羨ましく思ってしまう。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:45 No.1457
Re: 私のアルバム〜F3HI
あの日のカドでの興奮を思い出しましたよ!スカイレーダーが随分長くウエイティングした後、デモンがチョッとお先にと滑走路に進んだんですが、兎に角、レシプロのかすれたような、乾いた低音の上に、J‐71の轟音が重なって、交響曲の様でした。75mmか105mmだったらもっと臨場感を出せたでしょうが、あの時代は逆に長玉持ってたら一機一機撮って、情景写真にまで思いがいかなかったでしょうから、135mmで丁度良かったですね。
のらひこ 2020/09/14(Mon) 11:30 No.1458
Re: 私のアルバム〜F3HI
1963年来日時ではレドームの白い機体が数機確認されています。
ファントムほどではありませんが、“ノーズ”が黒か白かで機体全体のイメージは異なりますね。
海軍機マニアの多くは黒のレドームを好みますが、デモンの場合は白いほうがスマートに見え、白のファンも結構多かったのではないでしょうか。  1963.11.23 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/09/14(Mon) 22:55 No.1459
Re: 私のアルバム〜F3HI
上と同日に撮影されたAH110。 撮影:Narisawaさん
よく見るとテイルレターの位置とサイズの違いがありますね。こうしたことがあるのも60年代の海軍機ならではで「コダワリ派」のモデラーさんを悩ませるところ。
それにしても双方とも素晴らしい写真ではありませんか。

あかつか 2020/09/14(Mon) 23:07 No.1460
Re: 私のアルバム〜F3HI
トップ画像と同日、63年8月29日、大和側で捉えた“ベタ低い”AH107の着陸。
1965年頃までは現在の県道40号線を南へ200mぐらい先(今は基地内)まで入って撮ることができました。夏場は雑草が生い茂り居心地は余り良くありませんでしたが、少しでも滑走路の近くへ行きたがるのはマニアの性。Narisawaさんはその場所で撮ったのでしょう。レンズは多分135mm。セイダカアワダチ草が千載一遇のショットを邪魔してます。

あかつか 2020/09/14(Mon) 23:30 No.1461
Re: 私のアルバム〜F3HI
>あかつかさん、
AHデモンは探したら三機だけでした

地上も入らず、雲もないありふれた画像ですが記録写真レベルで
1963年8月2日の厚木19エンド
VF−161のF−3B(AH101/145264)

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:45 No.1462
Re: 私のアルバム〜F3HI
同日に撮影したデモンですがニッピ直後かマーキングがありません
1963年8月2日の厚木19エンド
VF−161のF−3Bと思われる(AH?/145267)

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:52 No.1463
Re: 私のアルバム〜F3HI
手持ちのラストは秋になってからのデモン
1963年11月4日の厚木01エンド
VF−161のF−3B(AH102/146738)
「ボッテリしたフォルム」に写ってしまいました

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:55 No.1464
Re: 私のアルバム〜F3HI
>村越さん
1963年8月2日、手帳の記録みたら厚木で一緒でした。
CVG14[NK]のF−4BやらF−8Eも飛んでましたので、横須賀にコンステレーションが入港中だったようですね。
感慨深いのは36枚1本のネガの中に、デモン(AH・NL)スカイレイ(WH・EK)クルーセイダー(NK・WS・PP・UE)ファントム(NK)と4種のファイターが写っている。当時は只ひたすらに降りてくるヒコーキを追いかけていただけでしたが、今思えば恵まれた時代環境の下に居たんだなあと思う次第です。

1463のノーマーク145267は、netで調べたところ、移動が激しい機体だったのですね。60年→VF−151/NL113,61年→VF−213/NP310,62年→VF−193/NM302,そして63年にVF−161/AHとなり、同年9月27日、オリスカニー上でクラッシュしています。
あかつか 2020/09/15(Tue) 19:39 No.1465
Re: 私のアルバム〜F3HI
これにてBBS「私のアルバムから〜F3Hデモン」を終了いたします。
当BBSへの写真、コメント等のご投稿ありがとうございました。以後もよろしくお願いいたします。

厚木で何回もデモンの離着陸に遭遇しましたが、余り記憶に残ってないのは空母艦載機であるが故、基地所属のスカイレイのように1年中飛んでいなかったからでしょうね。また、厚木へ通い出したとき最新鋭のファントムが日本に初登場した時期で、同じマクダネルの戦闘機とは言えデモンは線が細く見え、逞しさに勝る ファントムに心を奪われてしまったからだと思います。(それだけファントムの来日はショッキングでした)

↓はCHECKER TAIL1に掲載された写友SabuさんのF−4BファントムですがVF−161をデモンと比べて見ますと、塗装も機体もデモンのほうが良かったなあ、と感じるのは私だけでしょうか?
BBS2は、しばらくお休みをいただいて「フューリーと後継機たち(仮)」を10月1日から開始いたします。

あかつか 2020/09/16(Wed) 14:46 No.1466
Re: 私のアルバム〜F3HI
フューリーってFJ‐4ですよね。
のらひこ 2020/09/16(Wed) 21:16 No.1467
Re: 私のアルバム〜F3HI
>のらひこさん
巷ではFJ−1からFJ−4まで「フューリー」と呼んでいますが、我々世代マニアの中でのフューリーとはFJ−4のことを言います。
FJ−1は“ビヤダル”、FJ−2〜3は“ハチロク”ですものね〜(^_^)
まあ、BBSの展開次第でいろいろ紹介したいと思っています。
あかつか 2020/09/16(Wed) 21:30 No.1468
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