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私のアルバムからF-102 Y

1962年 航空情報読者写真コンテスト入選

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:07 No.432 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102の最終章の作品はENOMOTOさんの「ゆうやけとデルタダガー」。
この写真を撮るためENOMOTOさんは何日もここのポイントへ通われたそうです。
風邪熱を我慢して待つこと数回、ようやく夕日の中に“ヒャクニ”が納まったときは本当に嬉しかったと仰っていました。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:21 No.433
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私の大好きな写真です。ほとんどノートリだったんですね!撮影場所は多分、一本東の豚小屋南辺りでしょうが、あんな所は良い機体が降りてきたら写真にならない。この写真を撮る為だけに粘ったのがよく解ります。前と後ろの空間の取り方がノートリでも決まってるのは脱帽です。どう料理するかを考え続けての写真、素晴らしいです。
のらひこ 2019/08/05(Mon) 07:11 No.434
Re: 私のアルバムからF-102 Y
『すべての創造は模倣から始まる』と、あらゆる芸術を語るとき良く言われますが、現在航空写真界で活躍するプロカメラマンにおいても、
デビュー以前に目にした先達者の技法を無意識のうちに模してしまうこともあるでしょう。

ENOMOTOさんはじめ、50年代から60年代にかけてこの写真世界に入った人たちの凄いところは、国内では未開拓分野だったため手本が
無かったことです。ロケから撮影、仕上げに至るまで、全てが試行錯誤の連続だったはず。そんな中、専門誌の航空情報が主体となってコンテストを実施したり、クラブを発足させたり、飛行機ファンとともに「航空写真」というジャンルを構築して現在につなげたことに敬意を表します。
何事も前例のないところから創るのは大変なことなんですよね。
K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:09 No.435
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月10日の横田“拝島側”の風景。(撮影:Watanabeさん)
拝島の駅を降りて急ぎ足でエンドに向かっているときの光景は何一つ覚えていませんが、この砂利道の突き当りの角を曲がってからの
記憶はあります。
焦り、急ぎ、一刻も早くこの写真の撮影場所まで到達したかった気持ちが蘇ります。
私にとって大切な作品。Watanabeさん、良い写真残して頂きありがとうございます。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:46 No.436
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>k.赤塚さん
横道失礼します
この砂利道で並んでカメラを構えていた頃からもう50数年以上過ぎました
赤塚さん、のらひこさんと私とで再び訪れたのがこの36エンドのカドでして、
「F-22ラプター」の横田着陸を聞きつけて集まったエンドの様変わりにびっくりしました
No.436の渡邊さんの写真と比べてみるとフェンスの形式や高さは変わっていないようです
2016年1月21日、エルメンドルフから飛来したF−22(AK/06−4129)
ヒャクニより着陸スピードが遅く感じた今時の新鋭機らしさでした

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:34 No.437
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同じ時、2016年1月21日のカドにて。今時のマニアさんたち。後方右側の見慣れた「大岳山(通称腰掛け山)」の山容は変わりませんね

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:37 No.438
Re: 私のアルバムからF-102 Y
そう言えば横田へラプターが来るというのを前日に聞いて数十年ぶりに“サブロク・エンド”に行きましたねえ。
ラプターが降りてから遅れてKC−10も降りましたが、あれだけ集まっていたマニアは写真のように僅かな人数となっていました。
時代は変わっても人気の中心は戦闘機にあるのですね。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:12 No.439
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1962年、当時の八高線のトンネルの前景が分かる貴重な写真(撮影:Gabariさん)
夏休み、友達と待ち合わせの際の常套句は「トンネルの上で会おう」でした。このトンネルも柵ができて立ち入り禁止となったそうですが、
それはいつ頃なのか、ご存知の方お教えください。
トンネルの上は標準レンズしか持てなかったマニアにとって絶好の撮影ポイントでした。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:29 No.440
Re:私のアルバムからF102
Gabariさんの送りのショットも長閑な光景が広がっています。
「懐かしのワン・エイト」と言ったところでしょうか。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:38 No.441
Re 私のアルバムからF102
ソリッドモデラーのK.TAKADAさんが1963年8月に撮影されたトンネルの見える写真を送って下さいました。
bS40の写真が1962年(たぶん5月)ですから1年経つと草木もずいぶんと生い繁っていますね。トンネルの上には誰もおりません。もうこの頃に何らかの柵が打たれていた可能性があります。


【TAKADAさんからのコメント】
 1963年8月、信州旅行のついでに寄った横田です。
二度目の横田にドキドキで焦って撮った写真ですが、標準レンズのため風景写真になりました。オーバーランは工事中のようで、左にはトンネルの入口が映ってました。F-102も撮りましたがPACAFに替り残念でした。

 C-133、C-124、つづいてF-102と毎日楽しませて頂いてます。
貴重な写真とはいえ、興味のありそうな人は少ないようで、ソリモマニア、必ずしも飛行機マニアにあらずと感じことが多く残念な限りです。
1960年5月の横田三軍記念日でのF-100D、RF-101C、F-102Aは一生の宝物。
あの頃の飛行機万歳!!です。

K.赤塚 2019/08/06(Tue) 23:50 No.442
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同日に撮ったPACAFのF−102Aです。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 00:03 No.443
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月にWatanabeさんが撮られた「トンネルとF-102」ですが、もう数秒速くF-102が降りてきていれば狙いは“ドンピシャ!”。
本当に惜しかったですね。
八高線の客車は1日数本、その合間に何両かのSLが通ります。千載一遇のチャンスを画面に納められなかったWatanabeさんの
無念さに同情いたします。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 18:55 No.444
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私は鉄道マニアではないのですが、列車やSLへの興味は子供の頃からもってました。
箱根ケ崎に行く度にSLが走るのを見てましたが、フィルムを節約したかったこともあって、SLを撮ろうという気ににはならなかったですね。
ところが、Watanabeさんはしっかり歴史をおさえてらっしゃる。古くから瑞穂町にお住まいの人々には、飛行機の写真よりもSLの写真のほうが
興味があるのは瑞穂町で写真展を開催したときに良く分かりました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:11 No.445
Re: 私のアルバムからF-102 Y
Watanabeさんだけだと思っていましたら、KUMAKIさんも素晴らしいSLの写真を撮っていました。こちらは拝島側からの下りですね。
TSPCの先輩方は写真についての造詣が深いなあ、とつくづく思う次第であります。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:19 No.446
Re: 私のアルバムからF-102 Y
瑞穂町の郷土資料館「けやき館」で開館当時しばらく展示されていた1960年頃の箱根ケ崎の風景。(撮影:渡邊さん)
富士山、SL、KB−50、これぞ写真の魅力。瑞穂町の図書館長がこの写真見て大感激していました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:36 No.447
Re: 私のアルバムからF-102 Y
no447の写真には恐れ入りましたしかないですよね。あまり手前を入れず、天を広く取り、目線をkb-50、SL、富士山に引き付ける。余り道路を入れるとLa Stradaになっちゃいます。あの当時は写真は、アサヒカメラはじめ、多くの人に立ち読みされ、みんな目は肥えて居たように思います。個人的思い出を言わせていただければ、手前の桑の畑辺りで飛行機の先輩を置き去りにしてエアーポリスから生い茂る桑の中に逃げ隠れました。今更ながら反省してます。あっこの写真は午前中側ですね。それなら桑畑はずっと向こうにあるはずですね!
のらひこ 2019/08/07(Wed) 22:21 No.448
Re: 私のアルバムからF-102 Y
60年代はじめの頃に撮られた写真の中で、箱根ケ崎側の午前の写真が少ないのはなぜでしょうか。
↓は絶好のポイントで撮ったWatanabeさんの写真ですが、画角から推察しますと、おそらくレンズは45o。
横田での“エンドデビュー”に近い時期に撮った作品だと思います。
こんな良い撮影ポイントで135o程度のレンズで撮ったらさぞかし素晴らしいカットの画が撮れたと思うのですが、それがありません。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:07 No.449
Re: 私のアルバムからF-102 Y
その理由は↓の写真をご覧ください。
1960年5月3日にTSPCのT.Tanakaさんがトンネルの上から撮影したランウェイ18の光景ですが、左F-100の下にガードボックスが
写っています。
Watanabeさんは恐らく↑のF-102の着陸をこの辺りで撮っていたのでしょう。エンドデビューしたてで「怖いもの知らず」だったから撮れたのだと思います。
ですのでその後写真が出てこない。当時の事情を知る方いかがでしょうか。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:28 No.450
Re: 私のアルバムからF-102 Y
40th FISのF−86Dの実機を見ることができたのは団塊世代の上の方々で、私と同年代マニアにとっては例によって
「もう少し早く生まれてれば」と定番の言。
40th FISのF−86Dがいつ頃から横田に配備されていたかは、調べきれてないのですが、航空情報1955年7月号に
羽田で初公開されたときの記事と写真が掲載されていました。(タチヒRHMの飛行姿と共に・・・これも凄いけれど)

K.赤塚 2019/08/09(Fri) 23:51 No.451
Re: 私のアルバムからF-102 Y
「羽田航空ページェント」と銘打っていますが、5月15日の開催ですから羽田三軍記念日と兼ねていたかも知れませんね。
故・能村実先生も現地で撮影されてます。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 00:11 No.452
私のアルバムからF-102 Y
皆さま、ご無沙汰しております。

>赤塚さん、
ソリッドモデルは中学生のころまでやっておりましたが、どうしてもプラ板を熱湯で温め、型に押し付けて風防を造ることがうまく出来ずに挫折してしまいました。

40FISは現在試験飛行隊、40th FLTS、になっていますが昔の面影は全くありませんね。今年の12月に設立80周年ですから、般若塗装のレトロ機を出さないですかね。
写真のF-16CMは今年の5月、エルメンドルフで撮影したものです。

徳永 2019/08/10(Sat) 10:04 No.453
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>徳永さん
航空情報の取材記事拝見しています。マニア的には大変喜びそうな写真と記事だと思いましたが、編集者のセンスか、
こじんまりとした誌面づくりになっていて、勿体ないような気がしました。


↓はTSPCのY.TODAさんが1959年6月に撮影された40FIS/F−86Dの美しい編隊着陸。
ペンタックスS2と135oの使用と思われますが、59年に一眼レフと望遠レンズを使用しているマニアはほんの僅かで、
ほとんどの人は45o固定レンズ付きの35ミリカメラか、ブローニーフィルムの2眼レフか、蛇腹のスプリングカメラを使っていました。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 19:32 No.454
アルバムからF-102 Y
皆さん、毎日暑いですね〜。熱中症などにはならぬよう、十分気をつけて下さい。

>赤塚さん、F-102は最終章なのでしょうか?
着陸後のDrag chute(綴りは違うのですが、カタカナにするとヤバイ言葉と同じになってしまうので。)を引っ張っている画像が出てきませんでしたので1枚。

H.I. 2019/08/11(Sun) 15:20 No.455
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
F−102特集も長くなりましたのでこのスレッドで終了させていただきます。
それに致しましても、板付はマニアにとってこの上ない飛行場ですね。横田でDrag shuteを曳くこのようなF−102の写真を
見たことがありません。

1957年横田三軍記念日での画像です(撮影:TSPC H.Tomitaさん)

K.赤塚 2019/08/11(Sun) 16:56 No.456
Re: 私のアルバムからF-102 Y
TodaさんとTomitaさんは1950年代にこんなすばらしい写真を既に撮られていたのですね、驚くばかりです。。特にTodaさんの編隊着陸は構図もバッチリですが、銀ピカの質感が何ともいえぬほどスバラシイです。

>赤塚さん、村越さん、のらひこさん、先輩の方々、今回は貴重な”ヒャクニ”の画像を沢山見せていただき感動の連続でした。
MACH3さんと赤塚さんのこのサイトが無ければ見ることも無かったものばかりで、感謝感謝です。

このスレッドでヒャクニも終わりと言う事なので、先輩の皆様は休眠か撤退されていた頃のF-102の最終章の画像をいくつか紹介させて下さい。

1969年になるとSEAでもF-4の配備が進み、爆撃機迎撃を主目的(武装はファルコンとジニーのみ)に作られたF-102は不要となってきました。まずはクラークの64th FISが1969年末で閉隊し、所属のF-102は1970年初めより順次板付基地に飛来してスクラップ処理されました。Tail Codeは全て消されて飛来しました。
7月には509th FISも閉隊され、所属機は順次PKのTail Codeのまま板付に飛来し、スクラップ処理されました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:51 No.457
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1971年初め、82nd FISも閉隊され、所属機は那覇基地内でスクラップ処理されましたが、82nd FISが正規軍最後のF-102部隊となりました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:54 No.458
Re: 私のアルバムからF-102 Y
ANG部隊では1976年まで使用されました。
この画像はいくつかの刊行物でUSAFフォトとかクレジット無しで使用されていますが、れっきとした私の写真です。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:00 No.459
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102は最後にはFSAT(Full Scale Aerial Targe)計画により1973年より順次QF-102とPQM-102に改造され、最期はメキシコ湾上空とホワイトサンズ上空で撃墜される運命となりました。
これらの無人機テクノロジーが現在の無人機RPVへと進化しています。
上段は、初期に作られた完全無人機のQF-102A。下段はパイロットが登場可能なPQM-102B。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:51 No.460
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
数々のF−102のショット、休眠中の出来事ではありますが写真の貴重さはよく分かります。特に457の用廃シーンは、
悲哀を感じるとても気になった写真です。
ヒコーキファンを自認した少年時代から、ヒコーキそのものを生き物(哺乳類や鳥類)に譬えたりしてました。
時代の変化に見放されたヒコーキたちが、基地の片隅に積まれ、又は消火訓練で燃やされてしまう。悲しいではありませんか。

↓は1960年にMoriさんが横田の集積所(どの辺りにあったのでしょう)で撮ったという貴重な1枚。F−102の登場でお役御免となった
sabre dogが無造作に捨てられています。一度だけでも目にしたかった68th FIS、4th FIS そして何と509th FISのF−86Dまでもが・・・。
509th FISのF-86D、実際横田に降りていたのでしょうか。これも気になる証拠写真ですね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:11 No.461
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F−86Dも去り、すっかり横田の「顔」となった40th FISのF−102A。
地元の少年たちへのお披露目は、見放題、触り放題の大サービスぶりです。
“雷般若”絶頂時のこの作品は1961年9月24日にNomura先生がミノルタ・オートコードでガッチリ撮ったもの。
正に写真の中の写真と言ってよいでしょう。多くのマニアは、こうした展示機の周囲に人が入るのを嫌いますが、
半世紀も経てば、機体より人の風情の方に価値がでてきます。
若いマニアの方、ここを見てたら写真と共に年寄マニア(私)の話を記憶に留めておいて下さいね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:29 No.462
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1965年5月16日の横田三軍記念日が40th FIS、エアクラフトグレーのF−102が公開最後になるのを知るのはまだ先のことでした。(撮影:TSPC Nakagawaさん)
PACAFとなって所属基地特有の塗装はなくなりましたが、それでも AIR FORCE 機として堂々たる姿です。
「デルタ・ダガー」の名称は、迷彩塗装よりエアクラフトグレーのほうがF−102にマッチしているように思います。

K.赤塚 2019/08/13(Tue) 18:28 No.463
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>あかつかさん、MoriさんのNo.461の場面は初めて見ました。”ハチロクD”は自衛隊に供与された以外の機体は横田でスクラップされていたのですか、初めて知った事実です。
また真ん中に写る509th FIS塗装のSabre Dogは始めて見るものです。この部隊でF-86Dを運用したのは僅か1年ほどで、写真を見たことは無く、長い間探していました。

赤塚さんが仰ることに全く同感です。飛行機だけ写した物には時代を証明するものが何もありません。もしも同じ飛行機ならば1960年に撮った写真と2020年に撮った写真と比べると、2020年に撮ったものの方が画質やピントを含めて全てが勝っているでしょう。
が、しかし風景や人が写りこんだ写真には時代が写しこまれており、その時にしか撮れないものです。服装は、特に子供の服装、その時代の世相を一番反映しているものの一つです。
映画で言うと、昔の実写版と最近のデジタルCG版の違いですかね。最近の映画はCGが多くてガッカリする物が多いです。
大いに反省しているのは、もっと飛行機に関連した車や建物を撮っておけば良かったなぁ〜。
何事も後になってしか気付かない、これ人生の常ですかね。
H.I. 2019/08/14(Wed) 09:50 No.464
私のアルバムからF-102
7月20日から始まりました「私のアルバムから〜F−102」はこのスレッドを持ちまして終了させていただきます。
10日間ほどお休みをいただき8月25日から「私のアルバムから〜B−57」を開始します。

“ゴーナナ”は、初めて横田のエンドに立った1962年1月、F−102と共に、上がっては降り、降りては上がるの連続で、
持ち合わせたフィルムの残量が、瞬く間に無くなっていったのを思い出します。
B−57は横田に常駐していたので毎日のように飛んでおり、先輩諸兄の“私のアルバムから的”作品が多くのこされています。
1950年〜60年代の横田の光景を背に、軽快に飛んでいたB−57の傑作写真をお楽しみください。

F−102特集の最後はH.YOSHINAGAさんのこの写真を選ばせていただきました。
板付コンプレックスと申しましょうか、60年代の横田では決して撮れないアングルです。光線状態、空、雲、画質、仕上げ、
申し分なくノーマークであることも“ヒャクニ”の特徴を際立たせていますね。

K.赤塚 2019/08/14(Wed) 16:50 No.465
私のアルバムからF-102 X

1962年4月14日 板付にて 撮影:H.YOSHINAGA 

K.赤塚 2019/07/26(Fri) 18:48 No.412 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102 X
板付の空に那覇の102ですか!!贅沢ですね。横田人から見ると板付の光は南国のように白く輝いて見えてましたね。それに舗装材の違いなのかタキシング等のときの機体の浮き上がるような感じが羨ましかったです。そこに那覇ですか!処で未だ返還前の嘉手納はどう使われてたんですか。
のらひこ 2019/07/27(Sat) 08:57 No.413
Re: 私のアルバムからF-102 X
>のらひこさん
確かに60年代初期の『板付』は我々にとって神秘の飛行場でしたね。とにかく行った人の話を聞いたことがないのですから。

↓はMoriさんが1961年12月29日に横田で撮られた16th FISのF−102Aです。
関東のマニアが撮った飛んでる姿の写真はこの写真しか見たことがありません。

K.赤塚 2019/07/27(Sat) 19:50 No.414
Re: 私のアルバムからF-102 X
F−102Aが関東のマニアの前にはじめて姿を現したのが多分この日が初。横田の40th FISはまだF−86Dで、
F−102は配備されていませんでした。1959年5月16日、三軍記念日にて初公開(撮影:H.Komiyaさん)
隊長機でしょうか。赤・白・青のバンドが入り、ノーズアートの犬も可愛いらしいですね。

K.赤塚 2019/07/27(Sat) 23:43 No.415
Re: 私のアルバムからF-102 X
横田三軍記念日の当日は生憎の雨で飛行ショーは中止。それでも3AD師団司令官機のRB−47Eの展示や、新機C−130Aも公開されるなど見どころはあったようです。
そして注目のサプライズは↓の写真をご覧ください。米軍将校と何やら話しながら“ヒャクニ”のコクピットを見ているのは、源田実空将です。
航空自衛隊の第一次F−XがF−104に決定するのが1959年11月ですから、この時点ではF−102も候補機でした。
まあ、源田さんはF−104に決めていたでしょうがね。(写真:Y.Nakagawaさん)

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 00:06 No.416
Re: 私のアルバムからF-102 X
翌年、1961年5月21日の三軍記念日でも16th FISが展示されました。まだ横田の40th FISにF−102は配備されてなかったのですね。
(撮影:M.Nomuraさん)
ノーズにはプテラノドンが描かれていますが“RODANU”とわざわざ入れているところを見ると東宝映画の「ラドン」を意識したのか知れません。映画「ラドン」のアメリカ公開時のタイトルは「RODAN」でしたから。

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 23:22 No.417
Re: 私のアルバムからF-102 X
「RODANU」のアップ。中々の力作でサインまで書かれています。
反対側はどうだったのか写真を探しましたが、確認はできませんでした。

K.赤塚 2019/07/28(Sun) 23:33 No.418
Re: 私のアルバムからF-102 X
>赤塚さん、数々のお宝画像、溜息ばかりです。那覇のヒャクニの塗装は極東では一番垢抜けた塗装で気に入っていました。。
No.417の53-1793(RADON U)は量産4号機目のF-102A-5-COです。ちなみに量産3号機の53-1792は板付にいました。
那覇の16th FISがアメリカ本土に引き上げる時点では既にヴェトナムでの戦闘が拡大していました。クラークの509th FISはタイやヴェトナムでもアラート任務についており、16th FISの飛行時間の少ない機体や状態の良い数機が509thに移されたようです。509th FISは通常の定数より多くの機体を所有していました。画像の53-1793はその中の1機だったようで、最期は1970年に板付でスクラップにされました。

>のらひこさん、沖縄の基地について。
嘉手納基地は朝鮮戦争終了までは主に重爆撃機の基地で、朝鮮戦争中は横田と共にB-29が朝鮮半島の爆撃に参加していました。現在嘉手納に駐留している18th Wingはもともとはフィリピンの防衛に当っていましたが、朝鮮戦争が始まると44th TFSをフィリピンに残して、韓国に移動しました。動乱終了後の1954年になって嘉手納に移駐し、44th TFSも加わり現在に至っています。
1957年にF-86FからF-100に、1962年にF-105に機種更新していますが、F-100の時からNuclear Alartについていました。
那覇基地には51st FIWのF-80が駐留していましたが、朝鮮戦争勃発後まもなく板付そして韓国へと移動し、その後F-86Fに機種更新しています。。こちらも1954年に那覇に戻り、まもなく傘下の16th,25th,26th FISはF-86Dに機種更新しています。しかし、1959年からのF-102への機種更新は16th FISのみとなりました。16th FISは1964年末にアメリカ本土に撤退したのですが、地域情勢の変化により1966年からは82nd FISのF-102が再び那覇で任務につくことになりました。

H.I. 2019/07/29(Mon) 15:24 No.419
Re: 私のアルバム102 X
私にとってF−102は迷彩しか知らず、那覇、板付、横田、三沢のカラフルな尾翼が出るたびに毎日ため息をついています。

ところがH.I.さんから迷彩が出されたので、これ幸いとPEのマルニを貼らせていただきました。
見ての通りのドライブインからで、135o f4 1/250のメモがありました。

1969.10.10 F−102A 56−1338 PE 64FIS 405TFW

まさやん 2019/07/30(Tue) 19:28 No.420
Re: 私のアルバムからF-102 X
>H・Iさん
のらひこさん同様、私も那覇と嘉手納の棲み分けは以前から気になっており、今回のH・Iさんの丁寧なご説明でよく分かりました。
ありがとうございます。

>まさやんさん
お待ちしてました。しかしながら、飛行機の塗装というものは人の衣服と同様、ずいぶんイメージが変わるものですね。


↓は、TSPCのT.Tanakaさんが横田三軍記念日で撮影された16th FISのF−102Aです。
マニアが見た昭和時代の在日米軍基地でのオープンハウスの中で、5指に入るのが1960年の横田の三軍記念日。私はまだ子供でしたから、当日の写真と先輩方の話でしか知らないのですが、那覇からF−102A、嘉手納からF−100D/F、RF−101Cが基地公開時にもかかわらず訓練の展開中だったそうです。
この頃の基地公開は基本的にロープなどは張らなかったようなので、標準レンズでタキシングが画面からはみ出るぐらいの距離で撮れたという夢のようなお話。
当日の他の機体もいずれこのBBSUで紹介しますので今後にご期待ください。

K.赤塚 2019/08/01(Thu) 15:05 No.421
Re: 私のアルバムからF-102 X
同じくTanakaさんのショットですが、オールドマニアには「泣いて歓ぶ」ようなワクワクするような写真。
F−100・RF−101・F−102がひとつの画面に納まっており、アラートハンガーにはF−86までもが写り込んでいる。
こんなシーンの写真は見たことがありません。先輩Tanakaさんに感謝です。

K.赤塚 2019/08/01(Thu) 15:15 No.422
Re: 私のアルバムからF-102 X
60年代マニア(特にF−102好き)の中で、最も撮影する機会が最も少なかったのが当時クラークに居た509th FISのF−102でしょう。(1962.12.9 撮影)
ここでもYoshinagaさんが、しっかりと撮ってらっしゃる。「ITAZUKE恐るべし」ですね。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:05 No.423
Re: 私のアルバムからF-102 X
生写真が現在手許にないので、AGC「私のアルバムから(再販版)」からの転写で失礼します。
小牧でF−102のオーバーホールを行っていたのは、風の噂で聞いてはいましたが、まさか長い間の友人であるK.Minouraさんが撮っていたとは思いませんでした。当時としては、地元の人しか行かれないような場所からのショットのようです。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:15 No.424
Re: 私のアルバムからF-102 X
1963年9月、T.Moriさんと二人で夜行列車に揺られながら、初めて伊丹・小牧へ遠征しました。
この時点ではまだ標準レンズだけのカメラしか持ってなく、のらひこさんが購入したばかりのペンタックスとタクマー135oを貸して下さったことに今もって感謝してます。
おかげさまで甲南でUF−XSのテストフライト、小牧では偶然MU−2の初飛行を撮ることができました。
そのとき撮ったUF−XSの写真は新明和工業東京本部ビルに飾られています。

そんな遠征時に小牧で撮った509Th FISのF−102A。16才の駆け出しマニアにはノーズアート付、PACAFの“ヒャクニ”ぐらいしか知識はなく、単に喜んでいましたが、数十年経ち509Th FIS機であることを知り驚いた次第です。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:30 No.425
Re: 私のアルバムからF-102 X
まさか横田にエアクラフトグレーの509thFISのF−102が飛来していたとは横田のヌシ的マニアも吃驚。
撮影は1960年3月27日、TSPCのK.Kumakiさん。まだ横田にF−102が配属される以前のことですから撮ったKumakiさんも
さぞかし驚いたことでしょう。
方向舵の市松模様が後年撮られた写真とは異なっています。部隊マークが時期によって違うのも興味深いところですね。

K.赤塚 2019/08/02(Fri) 14:50 No.426
Re: 私のアルバムからF-102 X
1965年5月15日、三沢三軍記念日にてデモ飛行に向かう4th FISのF−102A。(写真:中井八郎さん)
私が凄いと思うのは、この写真を見るまで三沢の三軍記念日の様子が分かる写真らしい写真は見たことがなかったからです。
それは、基地公開日がほぼ全国同日だったため、関東のマニアは三沢をはじめ、岩国や板付へ余り目を向けていませんでした。(時間と費用的なこともあって)しかも中井さんは当時神戸にお住まい。横田(5月16日)を飛ばして三沢まで大遠征をした甲斐あって、このような迫力満点のF−102をモノにしました。中井さんの大英断に脱帽。

K.赤塚 2019/08/03(Sat) 17:12 No.427
Re: 私のアルバムからF-102 X
写真のF−102の4th FISは、この後すぐに解散したので貴重な記録なのですが、せめてどこかにあの赤と黒の市松模様が入っていれば・・と思うのは当時を知るマニアたちの思いでしょう。
F−102やRF−101がPACAFの統一塗装なったとき、ガルグレイ&ホワイト塗装の海軍機が、ロービジのグレイ一色になったときと同じような気持ちでした。
しかしながら、この作品はそんなノスタルジーを吹き飛ばすような迫力があります。レンズはおそらく50o〜55oでしょう。写真の基本である「短いレンズで被写体に寄って撮る」を、地で行ってるような傑作だと思っています。

K.赤塚 2019/08/03(Sat) 17:32 No.428
Re: 私のアルバムからF-102 X
>赤塚さん、1960年の横田の三軍記念日は夢の様な場面ですね。当時の新鋭機揃い踏みです。この場面は着陸後と見受けられますが、当然フライパスの様な画像も存在するのですか?
当時のUSAF機は個別塗装もそうですが、アメリカ国籍マークがアメリカの存在感を見せ付けるように描かれています。これ程さまになる国籍マークはそうは存在しません。日本機の赤丸はWWUには結構似合っていますが、現代のジェット機にはイマイチ・・・。

509thFISのヒャクニは日本への飛来は少なかった様ですが、それでもドクロの貴重な塗装をこれ程撮っておられたとは、驚くばかりです。オフィシャル写真でもとても少ないようで、1972年にClark ABに行った時も見せてもらった写真はノーマークばかりでした。アメリカの国立公文書館でも1枚も見つけられませんでした。これまで本などで目にした画像はアメリカの兵隊さんが撮った物が殆どの様で、日本人が撮ったこれ程鮮明な画像は大変貴重だと思います。

↓はブレブレの写真ですが、1965年11月に、私が始めて撮ったヒャクニの迷彩機です。恐らく現地クラークで塗装されたと思われます。64th FISや82nd FISはまだ極東には来ておらず、またCASE X(テン)の翼端なので509th FISと識別できます。恐らく三菱小牧に行くか帰りの途中に寄ったものだと思います。

H.I. 2019/08/03(Sat) 17:51 No.429
Re: 私のアルバムからF-102 X
>H・Iさん
1960年横田三軍記念日の編隊デモ飛行の写真を見た記憶がありません。それというのも、ジョンソンと横田が同日公開だったため、若かった先輩マニアたちは午前ジョンソン・午後横田の二股かけての撮影行で、横田の午前の情報が今もって不足してます。

↓添付は航空情報1960年7月号の写真と記事ですが、航空情報の記者も午前にジョンソン、午後横田を取材したのでしょう。滑走路工事中の厚木から海軍機が多く展示されたので、それとの比較記事のようです。ジョンソンでのF8U−2も本邦初公開でしたしね。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 08:00 No.430
Re: 私のアルバムからF-102 X
MPに追い立てながら撮ったらしい写真が出てきました。(撮影:富田肇さん)
展示機のノーズアート「RODANU」が右側に描かれてなかったことがこの写真で分かりました。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 08:14 No.431
私のアルバムからF-102W 

1962年 航空情報読者写真コンテスト入賞作品

K.赤塚 2019/07/17(Wed) 18:40 No.383 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102W 
まだ標準レンズ1本で羽田通いを主にしていた当時、航空情報のコンテスト欄を見て感動したH.Yoshinagaさんの作品。
これが200oの世界かと、この様な写真をいつか撮ってみたいと思わせてくれた写真でした。的確な評文もいいですね。
今のマニアがこの写真を見てまさか200oで撮ったとは思わないでしょう。

K.赤塚 2019/07/17(Wed) 19:00 No.384
Re私のアルバムからF102 
1960年9月18日の羽田航空ショーでのひとコマ。かなりのローアングルですが、どう撮ったのかご本人にお聞きしたいです。(H.Sugiuraさん撮影)
情報の少ない時代、羽田に訪れた写真マニアは当時の最新鋭戦闘機の公開に驚いたでしょう。航空関係者らしい人たちも興味深々で細部を見つめてます。右端に写っている人は「我関せず」と言ったところで、これも写真の面白いところですね。

K.赤塚 2019/07/19(Fri) 12:06 No.385
Re私のアルバムからF-102
フィルムが高価だったこの時代、こうした記録もしっかり押さえたSugiuraさんに感謝いたします。
冷戦時代の米軍パイロットの風情も、写真は正直に表現しますね。

K.赤塚 2019/07/19(Fri) 12:15 No.386
Re私のアルバムからF102 
H.Gabariさんが、公開終了時間まで粘って撮ったと思われるショット。

K.赤塚 2019/07/19(Fri) 12:23 No.388
Re: 私のアルバムからF-102W 
板付のひゃくにのオンパレードですね。私も撮ってはいます。F−100は三沢のがよく来てましたが、ひゃくには横田では見ませんでしたね。
那覇のひやくにもカッコいいチェッカーで見たかったです。

のらひこ 2019/07/19(Fri) 21:09 No.389
Re私のアルバムからF-102
↑「在日アメリカ空軍機写真集」に掲載された際のT.MATSUZAKIさんの解説。
『横田のRwy18に着陸する68FISのF-102A。横田へ飛来したF−102外来部隊のうち、68FISが最も飛来回数が少なかったと思うのだが、
(私は一度も遭遇しなかった)東野氏はチャンスに恵まれて羨ましい限りだ。
右の機体のノーズに描かれているのはレッドクロスを入れたホワイトのバナー』
K.赤塚 2019/07/20(Sat) 17:24 No.390
Re私のアルバムからF102 
のらひこさん、村越さんの少年時代のお仲間T.Tamuraさんが箱根ケ崎のトンネルの上から捉えた68FISのTF-102A。
横田への68FISのF-102Aの飛来より、もっとレアだったのがTF-102だったと言われています。
Tamuraさんの愛機フジカ35で撮ったと思われますが、45oの準広角レンズにより57年前の箱根ケ崎周辺の光景が見事に写し出されています。この写真も瑞穂町の史料として残しておきたい1枚ですね。

K.赤塚 2019/07/20(Sat) 18:04 No.391
Re: 私のアルバムからF-102W 
68FISのTF-102Aは凄いですね。背景から推して、よっぽど低い着陸だったんでしょう。排気が少し吹かしてるようです。練習生は着陸後、怒られたはず。木造の駅舎と言い、懐かしい情景に68FISのTF-102A。良い写真です。私も62.1.15、何度目かの横田で遭遇した珍しいF−102を。ウエポンベイを開けてとても低く降りてきた、般若の機体です。主翼の上面が見えますから、樫の木の効果は絶大でした。

のらひこ 2019/07/21(Sun) 05:34 No.392
Re: 私のアルバムからF-102W 
>のらひこさん
横田のマニアでもウエポンベイ開けているF−102を撮った人はそう多くはありません。地元ゆえ横田通いの回数は多かったでしょうけれど、
ツキも味方に付けていたようですね。

↓はYoshinagaさんが62年4月16日に撮影された68FISの同様機。小高い場所からのショットのようですが、板付は実にいいですね。
左に8TFW?のF−100が写り込んでるのも横田しか知らない私は羨ましく思います。

K.赤塚 2019/07/21(Sun) 11:38 No.393
Re: 私のアルバムからF-102W 
Yoshinagaさん撮影のTF-102A。1962.8.13
68FISのTF−102Aの飛行姿をきちんと撮っている人はYoshinagaさんしか居ないのではないでしょうか。
1960年代初期に関東から板付に行ったマニアの話は聞いたことがありません。雑誌社でも特集を組むときのみカメラマンを派遣しましたが、
多くは板付や岩国の情報は読者に頼っていたぐらいですから。

K.赤塚 2019/07/21(Sun) 11:56 No.394
Re: 私のアルバムから
>のらひこさん、横田に着陸する68th FISの F-102の写真で北側の国有地が写っている、これぞ横田の着陸シーンというのは初めて目にします。イイデスネ〜。
>赤塚さん、TAMURAさんのNo.391は珍しいTF-102というだけでなく箱根ヶ崎周辺も写りこんでいる、超貴重な1枚ですね。
お二人の画像には興奮しました。これらはオフィシャルの写真には絶対無い、マニアにしか撮れない逸品です。
見慣れた機体でも、所属基地ではない場所で撮影された写真は全く異なった雰囲気になるものですね。

YoshinagaさんのNo.393は当時板付基地の一角を間借りしていた日本航空の掘っ立て小屋程度の建物の2階から撮られたのではないかと思います。

TF-102A(56-2325)は最後となった1963年5月の三軍記念日に地上展示されました。この年にF-105が初めて展示されましが、主力はまだF-100でした。

H.I. 2019/07/22(Mon) 13:11 No.395
Re私のアルバムからF102 
>H・Iさん
50年代、60年代の板付基地は、ヒコーキマニアにとってこの上ない飛行場であったことがYoshinagaさんの写真を拝見し認識しました。
単純に比較はできませんが「マニア興奮度」は、関東の基地や飛行場を超えていたのではないでしょうか。
アメリカ空軍基地でありながら国内民間機も撮れ、米海軍機、海兵隊機、自衛隊機、韓国空軍機、そして時にはフィリピン、タイの基地からも“100”や“102”が飛来するなど、トンデモナイ飛行場だったのですね。
板付の写真集の出版を考えたこともありましたが、板付の地に立ったことがない私には、板付そのものを語ることが出来ず断念いたしました。

↓は、62年2月15日、Yoshinagaさん撮影の68FISのF−102Aのタキシングですが、逆光の雰囲気がいい素晴らしいショットですね。
それまで気付かなかった小さなライトの位置が分かりますし、遠くに見えるはB−52の聳え立つ垂直尾翼。正に“ITAZUKE おそるべし”ですね。

K.赤塚 2019/07/22(Mon) 17:33 No.396
Re私のアルバムからF-102
1961年頃、TSPCのH.Kitadaさんが撮影したF−102AとTF−102Aの編隊着陸。
ヒャクニの“F”と“TF”の編隊の写真は、ほかにあっても良さそうですけれど私はこの写真しか見たことがありません。
角度もよろしく、機首まわりの違いが分かりやすいですね。

K.赤塚 2019/07/23(Tue) 09:39 No.397
Re: 私のアルバムからF-102W 
>赤塚さん、Yoshinagaさんとおっしゃる方にはお会いした事がありません。1960年ごろから200mmを使用されていたようですが、ウラヤマシイ限りです。
当時は機種も多く、それぞれマーキングも魅力的でしたが、今思えばお宝ザクザクですね。私の知り合いだったYamaneさんも1960年以前よりキャノンに135mmを付けて撮っておられました。残念ながら引越しの時に全てのネガを紛失し、残ったのは一部の小さく焼いた写真のみだったそうです。当時を記録する貴重な写真を貰い受け、今でも時々見ては昔を懐かしんでいます。
キャビネを半分に切った写真なので小さいのですが、当時の雰囲気です。F-105の方はまだ配備になったばかりで、後方の列線はF-100です。

H.I. 2019/07/23(Tue) 16:52 No.398
Re: 私のアルバムからF-102W 
1962年3月、Watanabeさんが撮影した40FIS/F−102Aの3機編隊オーバーヘッド。
皆さんもエアショー以外で何回か遭遇したと思いますが、普段の日、エンドに居ていきなり展開したときの方が、興奮度が高いのは言うまでもありません。Watanabeさんの喜びが画面から伝わってくるようです。

K.赤塚 2019/07/23(Tue) 17:00 No.399
Re: 私のアルバムからF-102W 
般若の3機オーバーヘッド、多分箱根ヶ崎のトンネルの上ででしょうね。2機のオーバーヘッドは極普通でしたが、3機はあまり記憶にありません。4機のプライパスですが、PACAFなんで迫力が少し足りないかなあ。

のらひこ 2019/07/23(Tue) 19:10 No.400
Re: 私のアルバムからF-102W 
>H・Iさん
ご友人のH・YさんはYamaneさんというお方だったのですね。私はてっきりYoshinagaさんと思っていました。また、60年代前後の航空情報を見ますと野上辰也さんの写真とレポートがよく出てきます。写真も素晴らしく、ぜひお会いして当時の話を聞きたかったのですが、叶いませんでした。H・Iさんは野上さんをご存知でしょうか。

>のらひこさん
ずいぶんの数のF-102の写真を見てきましたが、3機はありますが、4機のフライパスも珍しいですよ。しかも低い!。


↓は1963年2月17日、最初で最後に見た“赤黒市松”4FISのF-102Aの3機オーバーヘッド。「ヤッター!」とつぶやいた記憶が残っています。

K.赤塚 2019/07/24(Wed) 07:53 No.401
Re: 私のアルバムからF-102W 
その着陸シーンのネガを見てみたら“ビネガー”にやられ、修復不可能の状態でガッカリ。よってここもT.Moriさんに助けていただきました。こちらは1960年11月14日の撮影。

K.赤塚 2019/07/24(Wed) 08:02 No.402
Re: 私のアルバムからF-102W 
Watanabeさんの4FISです。1962年4月15日撮影。

K.赤塚 2019/07/24(Wed) 19:37 No.403
Re: 私のアルバムからF-102W 
当時、こうした写真を見せていただくと、望遠レンズへの憧れが益々強くなりましたが、中学生の分際ではペンタックスやミノルタSRは、はるか先の機材でした。

K.赤塚 2019/07/24(Wed) 19:39 No.404
Re: 私のアルバムからF-102W 
三沢のF-102も良いもんです。三沢から来ていることは知っていましたが、当時は部隊名はもちろん、色使いも知らず、見てみたかったです。黒と赤の市松・・・オリンピックもこっちの方がよかったんじゃないかな?それにしてもT.Moriさんの写真はビクともしてませんね。初冬の午後12時半の反逆光!素晴らしい。
のらひこ 2019/07/24(Wed) 21:01 No.405
Re: 私のアルバムからF-102W 
>のらひこさん、航空ショー以外で4機編隊は珍しいですね。きっちりとしたフィンガー・ティップ、しかもかなり低いフライパスで、4機全てが写っているのがイイデスネ〜。

>赤塚さん、野上さんという方は存じていません。山根さんという方は私よりも20歳ほど年上の方で、以前聞いたところでは、板付で写真撮影している時にマニアらしき人に会ったことは無いと言っておられました。
よくある事ですが、貴重なネガや写真に限ってダメージを受けていたりしますよね。クヤシイ〜思いです。
USAFでもチェックのマーキングはいろいろありましたが、その中でも4th FISのチェックの色合いは少々地味に思います。
板付の外来機エプロンでYamaneさん撮影。

H.I. 2019/07/25(Thu) 13:05 No.406
Re: 私のアルバムからF-102W 
>H・Iさん
山根さんというお方のコレクションも相当なものだったでしょうね。
F-84G、RF-84F、F-90C、F-86D、等々。ひょっとするとF-82なんかも・・・・。ネガを拝見したかったですねえ。

1950年代後半から厚木で写真撮っていたマニアを4人ほど知っていますが、いずれの方もマニアどころか「農家の人以外見たことがない」と仰っていました。私たち団塊マニアでさえ一人しか居ないこともありましたので、マニアが誰も居ないときに“超珍機”が日本に飛来していた可能性は充分ありますね。


↓は、Yoshinagaさん撮影のF-102Aの着陸。1962年5月の撮影とはとても思えません。板付の良さの一つとして左向きで陽当たり良好という
写真が撮れたことですね。当時の横田と厚木では午前中の早い時間に降りてこなければ、このような写真は撮れませんでした。

K.赤塚 2019/07/25(Thu) 19:00 No.407
Re私のアルバムからF102
1962年12月16日撮影の4FIS/F-102A。先頭の機体は隊長機でしょうか。モデラーさんも目を見張るような良い塗装ですね。

K.赤塚 2019/07/25(Thu) 19:07 No.408
Re: 私のアルバムからF-102W 
同日の送りのショットですが、外来としてのF-102の飛来は、横田より板付のほうが多かったようです。

K.赤塚 2019/07/25(Thu) 19:10 No.409
Re: 私のアルバムからF-102W 
BBS「私のアルバムから」をご覧になられている方へお願い。

4月から始まりました「私のアルバムから」ですが、ここに掲載されている写真は当時のマニアが撮った写真として珍しいばかりではなく、
機体の資料、飛行場の史料として大変貴重な記録と思っています。ご覧頂いている皆さまの周囲で、こうした写真に興味があるご友人へ
当サイトを紹介いただければ幸いです。本と違いインターネットの画像はいずれ消えてしまうものですから。
K.赤塚 2019/07/26(Fri) 14:05 No.410
Re: 私のアルバムからF-102W 
>赤塚さん、Yoshinagaさん撮影の三沢のヒャクニはカッコイイです、シビレマス。こんな場面を撮りたかったです。着陸してランウェーを外れて直ぐの場面ですが、懐かしいエンジン音が聞こえてきそうです。隊長機はイラストやプラモのデカールでは見た事がありましたが、本物は初めてです。Yoshinagaさんはいろいろと撮っておられるのですね。感動です、もっと見せてください。

板付の外来機エプロンは道路沿いにあったので良く見えました。立川の青梅線側と同じバラ線のみなので簡単に撮影できましたが、F-105が横田に移動するまでは、他の基地同様に日本の警官が直ぐに現れていました。そんな中、Yoshinagaさんは望遠でよく撮影されていますね。

Yamaneさん撮影の16th FISのF-102です。

H.I. 2019/07/26(Fri) 14:34 No.411
私のアルバムから V

撮影 : K.KUMAKI

K.赤塚 2019/07/11(Thu) 19:15 No.365 [返信]
Re: 私のアルバムから V
↑トップの写真はAGC版「私のアルバムから」下巻の表4を飾った傑作。この作品も明らかに狙い込んだものですね。

↓は1961年3月21日に撮影されたF−102の編隊着陸。カメラはアイレス・バイカウントで45oF1.9の固定レンズ。
ネガも拝見しましたが、ほとんどトリムしておりません。
木の上の不安定な場所から、よくこのような写真を撮れたものです。KUMAKIさんの集中力に脱帽。たぶん私では無理でしょう。

K.赤塚 2019/07/12(Fri) 00:05 No.366
Re: 私のアルバムから V
当時のマニアから“コブラ”と呼ばれていた(機首の形態から)40FISのTF-102Aです。1960.12.20 撮影:Moriさん
F-102Aは横田に行けば毎日のように飛んでいましたが、TF-102は機数が少なかった関係かいつも飛んでるわけでなく、
撮れたときは結構嬉しかった記憶があります。

K.赤塚 2019/07/12(Fri) 13:41 No.367
Re: 私のアルバムから V
例によりまして木に登ってのTF-102Aのショットですが、↑の機の尾翼に描かれた「ラーフィング・デビル」のマークと違いますね。
それを最初に気付いた人はT.Moriさんでした。
その違いはTF-102だけではなくF-102Aも同様で、何か理由があったのか、手描きのため描いた人によって違うのか、
今となっては確認しようがありません。

K.赤塚 2019/07/12(Fri) 13:51 No.368
Re: 私のアルバムから V
モデラーさんの参考となるように、40FISのマークの種類を集めてみました。
オーダー・ルームの看板に描かれていたのが本来のマークと思われますが、F−102よりT−33とF−86Dのほうが看板の絵に近いですね。
それでも微妙に違いがあるのは全て手描きだったからではないでしょうか。

K.赤塚 2019/07/12(Fri) 14:05 No.369
Re: 私のアルバムから V
KUMAKIさんの写真にはシビレマシタ。単に飛行機を撮られているのではなく、写真を撮られていたのですね。
編隊着陸の場合は50mm、135mm、200mmとそれぞれ特徴が良く出るものですね。200mmを手に入れてからは何でも200mmでしたが、45mm〜50mmのレンズではスピード感と編隊の距離感に迫力を感じます。赤塚さんがおっしゃるように、奥の機体の位置を考えて撮られたものだと思います。ネガを探したら、KUMAKIさんのNo.366の様なショットは1枚もありませんでした。後になって、滑走路の直ぐ脇で撮影する機会が何度もありましたが、やはり200〜400mmばかりを使用していました。
下の写真を初めて見たときは、こんなのを撮りた〜いと思いましたが、No.366を見たときにすぐさまこれを思い出しました。
滑走路脇でThunder BirdsのF-4の離陸を撮る機会がありましたが、予測の離陸ポイントが外れて全機地上のみっともない姿でした。

H.I. 2019/07/12(Fri) 16:42 No.370
Re: 私のアルバムから V
H.I.さんのおっしゃること同感です。名作は画面構成上、レンズ、射角等と考えて撮ってますよね。レバー巻き上げの時代、レシプロで2枚が良いとこでしょう。ジェットの場合、欲をかいて2枚撮ると2枚ともダメでしたね。前を撮るときでもどう引き付けるか、後追いの時もどこまで我慢するか、でも反応遅延も考えてほんのチョット早く押すか・・・あああの時代の興奮がよみがえりますね。
また、moriさんの木の間の写真といい、 K.KUMAKIのno366といい、機体の影が画面構成を引き立たせていますね。クヤシイ。
のらひこ 2019/07/13(Sat) 08:11 No.371
Re: 私のアルバムから V
>のらひこさん、おっしゃるように着陸を前後の2枚撮ったのは両方中途半端でイケマセンでした。でも当時の雑誌で見ていたような斜め前のカッコイイところがどうしても撮りたかったのです。所詮、何とかの(今は禁句の言葉)跳び蹴りで、二兎を追う者は一兎をも得ずの結果でした。(笑)

>赤塚さん、devilの顔が少しずつ異なるのは聞いていましたが、こうして比べると少し以上に違いますね。私にはdevilというより、角のはえた笑う翁の面に見えてしまいます。迫力というより優しそうです。

横田基地の正門の前に瀬田(?)とか言うパッチ(ワッペン)屋さんがありましたが、ここの主人はF-105の横田への移駐に伴ってやはり板付から横田に移られた方でした。1967年春にエノさんに連れられて始めてこの店に行ったとき、壁に飾られた沢山の古いパッチに吸い寄せられました。朝鮮戦争時の物を含め沢山の戦闘機部隊のものを所蔵されていて、私にとってはヨダレ物でした。同じ出身地だという事で珍しい原画などの所蔵品を見せてもらいましたが、その中の1枚に68th FISのパッチがありました。売って欲しいとお願いすると、これは長い間つきあってきた部隊で最期の1枚だから譲れない、という返事でした。それから何度も足を運んで、毎回穴が開くように見つめていたら、遂に”貴重な1枚だけど譲ってあげよう”という事で頂いた1960年ごろの貴重なオリジナル品です。もう1軒のDUCK(?)という店のほうが横田では老舗でしたので、数年後には店をたたまれてしまいました。懐かしい思い出と共に、私にとっては今でもとても貴重な”お宝”です。それが私のパッチ収集の始まりでした。

右側は1968年の横田の3軍記念日で見た82nd FISのパッチです。当時は余り情報がないので3軍記念日ではパイロットの胸のパッチばかりを探索していました。そして目に留まったのがこちらでした。少佐(Major)の階級をつけた、当時としては珍しい黒人のパイロットでした。話しかけてみるととても紳士的な人物で、一緒に写真を撮ったり、沖縄に来た経緯や、当時は韓国に分遣隊を出している話などをしてくれました。
横道にそれて失礼しました。 今はジジイ、若き日の思い出、でした。

H.I. 2019/07/13(Sat) 17:08 No.373
Re: 私のアルバムから V
那覇に駐留していた16th FISとクラークに駐留していた509th FISの1980年代になってからのパッチです。
残念ながら三沢に駐留していた4th FISのパッチは未収集でした。

H.I. 2019/07/13(Sat) 17:27 No.374
Re: 私のアルバムから V
ひゃくにも尾翼マークがPACAFの小さなマークとなり面白い状態でなくなりましたがそれでも1963年の3軍の時は目の前を転がってくれました。

geta-o 2019/07/13(Sat) 21:46 No.375
Re: 私のアルバムから V
極東配置が終了すると日本でのアラート配置も空自が行うこととなり本国へ引き上げることになりました。
1965年7月に海自館山基地見学会の往路の車窓よりみた木更津基地のハンガー前に置かれたモスボールの機体を垂直尾翼上端が無いことからF-106が置いてあるとの早とちりで館山見学も早々に木更津で途中下車。みんなでタクシーに分乗し基地内が見えるところまで行きましたら任務終了しモスボールとなったF-102の集団でした。
作業途中の機体

geta-o 2019/07/13(Sat) 21:49 No.376
Re: 私のアルバムから V
作業完了後の機体-モスボールされた機体の群れ
本国へ戻った後でベトナム戦争が激しくない迷彩塗装をして再度アジアの空に戻ったのは1年後の1966年でした。

geta-o 2019/07/13(Sat) 21:51 No.377
Re: 私のアルバムから V
>のらひこさん
ヒコーキ写真マニアには大きく分けて二通りの表現があり、いわゆる一般的な写真を意識しながら、飛行機とどう向き合うか。一方は飛行機そのものを、メーカーのオフィシャル・フォトのようにシャープに捉えるか。60年代はじめの頃までは前者の表現が支配的でしたが、望遠レンズ(主に200o以上)を持てるようになってから、後者が主流となってきました。そこに書かれている文字や塗装から知る(識る)楽しみが広まって、多くのヒコーキ写真マニアはそこへ雪崩れ込んでいった。というのが私の推論です。
かくいう私も、標準50oから始まり、105o、200o、400oと段階的に使いだし、ファインダーの中の世界の変容に驚き、感動したものでした。が、長いこと飛行機写真の世界に漬かってきて、今このBBSで銀塩写真初期の時代を振り返るのは、デジタル化した現代の飛行機写真にも通ずる普遍的な表現があると思ったからです。機材やシステムがどう変わろうとシャッターを押すのは“ヒト”ですからね。

>H・Iさん
370のバーズのF-100の印刷写真、覚えてますよ。何で見たのか失念しましたが、私も目を点にして長く見つめていた記憶があります。
小さな印刷物でも、畳大のパネルでも「いいものはイイ!」ですね。
ちなみに60年代のNaval Aviation News には“イイ写真”が大変多く載ってますね。

>geta-oさん
遠目に見ればどうみてもF-106ですね。一緒に行かれた友人もパニックになり、そして少しガッカリしたのではないでしょうか。
しかし、その数年後、まさか横田と板付に実際F-106が来ようとは思いもしませんでした。


↓は、2010年新宿で「モデルとアート展」を開催したとき、会場に展示したマーチン・ベーカーの射出座席(本物)です。
展示後は、「少年時代からヒャクニを見ながら育った」とおっしゃる元日航のF.Sさんへお譲りしました。

K.赤塚 2019/07/14(Sun) 12:21 No.378
Re: 私のアルバムから V
>geta−oさん
↓の写真は先輩マニアが撮影されたF−102Aですが、1965年5月16日の横田三軍記念日で撮られたショットと思われます。私はこの日都合が悪かったらしく横田へ出動しておりません。(前日は行っていた)写真は相当露出アンダー気味で、天候も悪そうですが、geta−oさんが横田へ行っておられるようでしたら、その日の状況をお教えいただけませんでしょうか。
1965年7月にモスボールして本国へ帰ったとなりますと、PACAF(40FIS?)のエアクラフトグレーのF−102が見られたのは、このときが最後となった可能性がありますね。

K.赤塚 2019/07/14(Sun) 15:36 No.379
Re: 私のアルバムから V
1961年5月21日、横田三軍記念日での風景。(撮影:Watanabeさん)
今なら「冗談でしょう」との声が聞こえてくるようなショット。私も横田に行ってたはずですが(カメラは持ってなかった)、このようなシーンがあったことは記憶にありません。ほかの場所に居たのでしょうね。
真横の写真は手許にありませんが、おそらく撮っておられますから、375geta-oさんの写真のような、左向きのF−102の写真があるのでしょうね。見たかった。

K.赤塚 2019/07/15(Mon) 12:07 No.380
Re: 私のアルバムから V
>赤塚さん、No.378の画像を見てビックリしました。画面の中に写っている40th FISのT−シャツですが、どうしてそこに? ずっと以前、私と弟は68th FISをデザインしたT-シャツを作製して着ていました。それを見た知り合い(F.S.さん)が、昔飯能に住んでいてよくF-102を見ていたとのことでした。それではという事でデザインを変えて1枚だけ作製して差し上げた物です。もしかしたらF.S.さんとはその方でしょうか?
赤塚さんとお知り合いとは、世の中は狭いですね。

>geta-oさん、あれは遠目に見れば間違いなくF-106ですよね。板付や三沢の機体も木更津から積んで行ったのですかね。朝鮮戦争時にF-84やF-86を輸送艦に積み込むところや積んだ後の画像は見た事がありますが、F-102のは見た事がありません。

板付にはB-57E(後のEB−57E)がよく飛来し、F-102のターゲットになって訓練をしていました。目視できるところで訓練するわけでもなく、またそんな情報なんてない時代です、もちろん当時は知る由もありませんでした。、後に1967年になってF-102やEB-57Eのパイロットから聞いて理解した次第です。
板付基地の一番北側にあった68th FIS専用のランプに駐機中の両機。この一角の地下にADCCがあったそうです。H.Y.さん撮影。

H.I. 2019/07/15(Mon) 14:52 No.381
Re: 私のアルバムから V
>H・Iさん
そうです。F.SさんはH・Iさんのよくご存知の方です。F.Sさんの子供のからのご親友のSさん(元全日空)とともに、AGCの出版記念会や展覧会によく参加しておられます。Sさんも高見保市さん特製の40Th FISのF−102AとTF−102Aのソリッドモデルをお持ちになるほどの『雷般若』の大ファンです。


↓は1961年Moriさん撮影のF-102Aの正面からのショットですが、こうした狙いもMoriさんならではのものでした。
数年前、ヒコーキ写真仲間との話の中で「あれだけ飛んでたF-105の写真になぜ真横の同じような写真が多いのだろうか」との話題が出ました。その理由として、F-105が横田に居付いた1964年頃、マニアがようやく望遠レンズ(135o/200o)手に入れたことに起因してるのではないかとがその時の結論。
標準レンズでは戦闘機を真横で画面に大きく撮れなかったので、それを撮れるようになったことが嬉しかったのですね。ちょっと誰かが気付いて↓のMoriさんのようなアングルからF-105を撮れば、もっと“ヒャクゴ”らしい写真を多く残せたのにと残念に思っています。真下とか、後ろ目からとか機体自体はF-102より特徴もあり、表情も豊かですから、箱根ケ崎のトンネルの上で正面から突っ込んでくる“ヒャクゴ”を200oぐらいで撮れば迫力ある写真が撮れたでしょうね。

K.赤塚 2019/07/16(Tue) 15:52 No.382
私のアルバムからF-102U 

航空情報 1964年3月号 

K.赤塚 2019/07/08(Mon) 17:51 No.348 [返信]
私のアルバムからF-102U 
「こういう撮り方もあったのか!」と我々後輩マニアに衝撃を与えた作品。
実際の撮影日は1年前の1963年3月21日ですので、Watanabeさんはしばらく応募を逡巡しておられたのではないか?と推察いたします。
横森氏も画調について述べられてますが、今PCで画像調整しても金網と本機とのバランスをとるのが大変難しく、
金網を強く出せば、本機がツブれてしまい、逆なら金網が飛んでしまう。半世紀も経った印刷物から画調は見えてきませんが、
Watanabeさんは焼付の仕上げに納得できなかったから1年間も寝かしていたのではないでしょうか。
この写真に正解は中々見つからないような気がします。

K.赤塚 2019/07/08(Mon) 18:07 No.349
Re: 私のアルバムからF-102U 
どう撮ったのか考えさせる写真です。しかし、大きく伸ばして書斎の暖炉の上に飾りたい逸品ですね。多分、西砂川の道路の上に立って、そう長くない望遠で、少し流して撮ってるんでしょうが、どこで止めるかをはっきり意識してるはず。手前のアレスターの巨大鎖は計算に入っていたかは判りませんが、当時の状況をまざまざと思い出させてくれます。光の回り方といい、美しい写真ですが、紙一重で階調が崩れそうで、写真屋さん泣かせですね。
のらひこ 2019/07/08(Mon) 19:46 No.350
私のアルバムからF-102U 
当時この傑作を見て、購入して間もないペンタックスとタクマー105oで同様な写真に挑んでみました。
当然置きピンで狙ったのですが、F−102もF−105もここまで近寄ると、スピードが速く500分の1秒でも止まらず、高度も高かったり、
距離が合わなかったりで画面にうまく納まりません。あらためてWatanabeさんの凄さを認識したことを覚えています。
K.赤塚 2019/07/08(Mon) 22:49 No.351
私のアルバムからF-102U 
渡辺さんのこの写真は凄いですね。凡人は間に合わなくて金網が入った写真は撮りますが、このように狙って撮る発想はありませんでした。

>赤塚さん、
「日本の航空50周年」でしたか。思い出しました。恐らく赤塚さんが紹介してくれた航空情報を見て出かけたのでしょうね。
その後のらひこさんや村越さん、それにgeta-oさんのようにマークを大きく描いたF-102は撮る機会がなかったです。実はこの頃からソリッドモデルに凝りだし、飛行場通いをあまりしなかったからです。当時通っていた小学校から飯田橋の駅に向かう途中に厚生省の復員局(?)の事務所があり、そこに勤めていた小橋良夫さんに影響を受けて小橋さんが会長になっていた東京ソリッドモデルに入り、先輩方の真似をしてモデルづくりに精を出していました。
既に鬼籍に入られた小橋さんですが、高校2年の時に航空ファンに記事を書くように勧められたことを今でも懐かしく思い出します。

私が撮ったF-102はPACAFになった地味な機体と迷彩だけです。写真は1966年6月25日に那覇から飛来した82FISのF-102です。
この飛行隊は今でも現役ですが標的機飛行隊となってしまったのは、何か寂しいですね。

徳永 2019/07/09(Tue) 10:57 No.352
私のアルバムからF-102U 
標的飛行隊となってしまった82ATRSのQF-4E。2016年4月28日、ポイントマグーでの撮影です。

徳永 2019/07/09(Tue) 10:59 No.353
私のアルバムからF-102U 
>徳永さん
飛び飛びの長い付き合いですが、徳永さんがソリッドモデラーとは知りませんでした。
じつは、私も少年時代一時ソリッドモデルづくりに挑戦しましたが(木製キットのF9F−5とX−15)塗装の段階でうまく行かなくなり、
雑誌で彩雲会やTSMCの方々のつくったモデルの写真を見てあきらめ、写真一本になりました。

ですので小橋良夫さんの書いたものも良く読んでます。今、小橋さんの原稿を読み返しましたが、少年たちへの愛情のこもったいい文章ですね。
おそらく当時の少年モデラーはずいぶん勇気付けられたのではないでしょうか。


↓の写真はMoriさんが1960年11月5日に撮った横田への配備間もない40FIS(多分)のF−102Aです。
Moriさんがエンドデビューしてさほど月日が経ってない頃の作品ですが、感性の良さはピカイチ。コンテストには応募しなかったようですが、
誌面には紹介されています。当時応募していれば入選間違いなかったでしょう。

K.赤塚 2019/07/09(Tue) 17:23 No.354
私のアルバムからF-102U 
その頃を調べてみると、F−102が横田へ配備されても40FISのF−86Dはまだ撤退してなかったのです。通常は新機が配備されると一斉に交代することが多いのですが、↓の写真が撮られたのは1961年1月25日。↑の写真は60年11月5日ですからF−102とF−86Dが交互に飛んでいたというわけです。(T.Moriさん撮影)
マニアにとっての“至福”とはこういう状況を言うんですね。

K.赤塚 2019/07/09(Tue) 18:24 No.355
Re: 私のアルバムからF-102U 
先輩方の写真に魅入っています。その頃の私の写真はネガに着いたゴミ程にしか写っておらず、もちろんシリアルなんぞ読めるはずもありませんでした。
大きな国籍マークとU.S.AIR FORCEの文字、更には部隊毎のマーキング、アメリカ空軍機全盛時代です。当時は戦闘機でもいろんな機種が飛んでいましたが、そんな中でも”ヒャクニ”の三角翼は独特で、デビューした時も直ぐに識別できました。飛んでいる姿を下から見ても、いかにも速そうで、いや〜、カッコ良かったな〜。そして始めて着陸を見たときはその接地時の迎角に驚きました。迷彩塗装になってカッコ良さは半減してガッカリしたのを覚えています。垂直尾翼が大きい分、迷彩だとまことに不細工に見えました。
日本に始めて現れたのが板付でしたが、アジアでの終焉の地となったのも板付でした。

赤塚さん、アメリカ空軍での機種転換について説明させて下さい。
海軍部隊と異なり、平時には空軍部隊は従来の任務に付きながら徐々に機種転換を行なっていきます。(その間に、TDYで他部隊が補完する事もあります。)
機種変更が決定すると、各SQDRNから3〜4名のシニアのパイロット(経験ある少佐や大尉クラス)が半年ほど機種転換訓練部隊に出向いて先行訓練を受けます。そして最初の機体を受領して部隊に戻ります。その後はやはり数名ずつ順次、受領した機体を使用して転換訓練を行なっていきますが、同時にパイロットの入れ替えなどもあり、Wing全てのパイロットと機材が揃うまでには通常半年以上がかかります。その後、部隊としての実戦訓練を始めて、専門チームによるORI(Operational Readiness Inspection)をパスして始めて実戦部隊と認められます。そのため新機種でのORIにパスするまでは旧機種やTDYの部隊が任務につくことになります。
1963年春に板付でF-100からF-105に機種変更が開始されましたが、その穴を埋める為TACのF-100が3〜4ヶ月毎のローテイションで翌年3月頃まで任務についていました。
横田の40FISも機種変更開始から数ヶ月間はF-102はまだ転換訓練中で、実際にアラート任務についていたのはF-86Dだったと思います。
マニアにとってはまさに至福の時期ですが、何故かそういう時は新しい機種ばかりにカメラを向けてしまうのですよね。本当は消え去る機種のほうが貴重なのですが・・・。

写真が小さいのですが、知人のH.Y.さん撮影の板付でのF-102A,1960年頃。

H.I. 2019/07/10(Wed) 14:24 No.356
私のアルバムからF-102U 
>I・Hさん
空軍と海軍・海兵隊との機種転換の違いがよく分かりました。ありがとうございます。
AIR FORCEのF-86Dはひと目見たかったですね。航空自衛隊に供与されたF-86D、F-86Fは小牧や岩国でよく撮りましたが、86D、86Fとも
AIR FORCE機と比べるとマニア心に迫るものが今ひとつなのです。
何故でしょう同じ機体なのに・・・。よく考えてみます。

私も各基地の部隊マークの描かれたF-102は“標準時代”に撮っただけ。望遠レンズを入手したときは、すでにPACAF塗装に変わっていたので、
ここに紹介されるような魅力的な空軍機の写真はありません。
60年代初期マニアの1〜2年のキャリアの差は大きいですね。

↓は1961年3月11日のMoriさん作品ですが、こうした思い切ったアングルを狙える人は本当に少なかったです。

K.赤塚 2019/07/10(Wed) 18:33 No.357
私のアルバムからF-102U 
Watanabeさん撮影の思い切ったショット。1962.5.1
300〜400oで撮ったように見えますが135oです。それだけ撮影ポイントが機体から至近距離にあったということですね。

K.赤塚 2019/07/10(Wed) 19:08 No.358
Re: 私のアルバムからF-102U 
1963年になると、もう「ラーフィングデビルマーク」が消え、ちっぽけな「PACAF」になってしまいました。
横田36エンド網越しに135mm使用
1963年6月8日、PACAFのF−102A/55−3383

村越賢司 2019/07/11(Thu) 00:38 No.359
Re: 私のアルバムからF-102U 
同じくPACAFになってしまった横田18エンド
1964年5月6日、F−102A編隊着陸の重なりショット
ウイング機55−3380と55−3425

村越賢司 2019/07/11(Thu) 00:43 No.360
Re: 私のアルバムからF-102U 
1964年5月4日横田・箱根ヶ崎
PACAFのTF−102A/55−4046
戦闘機ベースを並列復座の練習機にしたのはユニークでしたね

村越賢司 2019/07/11(Thu) 01:56 No.361
私のアルバムからF-102U 
>村越さん
私が撮ったF-102やRF-101は、黄金期の「メタル・色付き」は間に合わず、ほとんどがエアクラフトグレイ塗装になってからでした。
確かにPACAFになって落胆しましたが、海軍機がロービジになったときよりもまだ良かったですね。
それは多分文字と米軍マークがしっかり残っていたからだと思います。

↓はWatanabeさんが1961年9月、“36エンド”の木の上から撮った40FIS/F−102Aの着陸。
これこそ、のらひこさんの言う、大きく伸ばして書斎の暖炉の上に飾りたい逸品です。
絵画にして額に入れたら素晴らしい絵となるでしょうね。

K.赤塚 2019/07/11(Thu) 15:42 No.362
Re: 私のアルバムからF-102U 
WatanabeさんのNo.358は400mm位で撮ったような迫力です。ヒャクニのこのアングルは大好きですが、標準レンズの頃は撮れませんでした。。
この写真と村越さんの次の写真も金網が写っていますが、これが横田の南側でしたね。当時は金網が邪魔極まりなく、また直ぐに逆光になってしまうので北風の時でも箱根ヶ崎側に行く事が多かったのですが、お陰で着陸を逃した外来機も沢山ありました。しかし今、こうやって見ると金網が”基地”の雰囲気をかもし出してイイ感じですね。

板付68FISの機体は初期の頃はエアー・インテイク前方に写真の様なデルタや鉄火面、カード、丸の中にデルタなどを各FLT毎に描いていました。前述のH.Y.さん撮影です。

H.I. 2019/07/11(Thu) 16:34 No.363
私のアルバムからF-102U 
>I・Hさん
68FISの塗装はF−102の形状によく合ったデザインで日本で見られたF−102の中で一番ではないでしょうか。
海軍機も同じで、私的にはただ派手な色を塗ればイイってものではありません(CVW−5機に見られるように)。
私的には、機体の形状に合わせた塗装に魅力を感じます。

友人所有の洋書(タイトル失念)に載っていた写真が↑のH・Yさんの機体と同じでした。印刷物でもスバラシイ。

K.赤塚 2019/07/11(Thu) 17:47 No.364
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