おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
私のアルバム〜F3H@

デモン初来日  撮影:近藤清光さん

あかつか 2020/07/09(Thu) 23:50 No.1270 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3H@
おそらく現在の大和市のアーカイブにも無いであろう1957年4月に撮影された大和市草柳周辺の貴重な写真。
大和町が市制施行し「市」となったのが1959年、撮影当時はまだ農村の面影を残す「町」でした。
造成中らしき道は県道40号線(横浜〜厚木線)でしょうか。この写真を見て目を見張ったのは右下に写る戦前風農家の佇まいと「つるべ井戸」。
私の少年時代(50年代)でも街なかに水の出る井戸はいくらかありましたが、ほとんどは鉄製の手押しポンプ式で、つるべ式は見たことがありません。絵本の中に出てくるような風景ですね。
あかつか 2020/07/09(Thu) 23:52 No.1271
Re: 私のアルバム〜F3H@
もう一つの驚きは、RW19へ滑り込むVF−124[D]のF3H−2N。
VF−124はPAC初のデモン・スコードロンで最新鋭機。もちろんデモンも初来日で“ワン・レター”の[D]を見られたのもこのときが最初で最後。
すべてにおいて語ることが多すぎるくらいの大変貴重な写真記録です。

よくぞ撮っておいて下さったと海軍機マニアとして心から感謝する次第です。
この西太平洋航海でのレキシントン/CVG−12ではデモンのほか、フューリー、クーガー、スカイレイダーなど各飛行隊機の垂直尾翼には同様なパターンでスコードロンカラーを塗り分けていました。

あかつか 2020/07/10(Fri) 05:28 No.1272
Re: 私のアルバム〜F3H@
私がデモンに初めて会ったのは1962.8.22でした。イヤハヤ、添付のデモンを始めスカイレイ、スカイウオーリアー、スカイホーク等々、マリンコ、ネイビーの厚木に居るのがほとんどすべて乱舞してくれました。その中でデモンは実にザ戦闘機という感じで、ひときわ大人っぽく見えましたね。なんと、金の無い中学生がこの日だけでフィルムを2本も使ったのですから、当時の興奮が判ります。
NO1270!!なんという歴史的史料でしょうか?引地川の周りは田園そのもので、水位が低いせいで跳ね釣瓶で水が取れたんですね。又、橋の前後に多分アスファルトで段差を埋めているなんぞ、マツダの三輪車しか通らない道路だったんでしょう。何はともあれ、景色の無い写真を我々は良く撮ったものです。

のらひこ 2020/07/10(Fri) 22:14 No.1273
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんの写真、懐かしく拝見しました。
工事中の橋の手前の道を手前に登っていくと途中の斜面には防空壕が幾つかありました。
登りきったところに小学校があり、同級生はここを通って通学していました。
先生は防空壕には絶対入ってはダメですよ、と学校では口を酸っぱくして生徒に言うが、男子生徒はそんな事なんか聞きません。
放課後、蝋燭を持って探検と称し幾つかの防空壕巡りをしました。
貧しくて懐中電動を持っていなかったわけではないと思いますが、子供のくせに「蝋燭の火が消えたらヤバい」という知恵はあったようで皆蝋燭持参での探検でした。
橋の向こう側のこんもりとした茂みの下は引地川があり、手前の田んぼは夏はザリガニをとり、冬には凍り竹スケートができる小学生には格好の遊び場でした。
MACH3 2020/07/11(Sat) 12:00 No.1274
Re: 私のアルバム〜F3H@
>MACH3さん
そうです。昭和の“男の子”の遊びは少々の危険がないと面白がらなかったですね。
それがイヤだった子は“女の子”と「ままごと」して「お父さん役」やってました。
そんな冒険好きの男の子が、少年期が終わるころ遊び場は“米軍基地”へと移っていきます。
“NAS ATSUGI”はそんな青年にとって最高の「秘密基地」でしたから。

>のらひこさん
のらひこさんの“初厚木”は62年の8月22日でしたか。
私は8月16日、ちょっと早いですね。Moriさんの手ほどきを受けながらの“初厚木”は衝撃と感動の連続で、忘れられない日となっています。
何しろ見るもの撮るもの初めてづくし。F8U,F4D,F3Hの戦闘機群にAD,A3D,A4Dなどの攻撃機系と、輸送機群が
1日中ひっきりなしに飛ぶものですから堪りません。私もフィルムを2本、大量消費してしまいました。(^-^)

↓は、私の「初デモン」。興奮しすぎたのかブラしてますね。^^;

あかつか 2020/07/11(Sat) 16:31 No.1275
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんの風景デモン 良いですねェ
デモンのシルエットは遠目にも際立つフォルムですね

以前にアップした私の遠景デモンも「民家の屋根越し」だったり「相模鉄道のレール越し」だったり「絵になる垂直尾翼が」好きでした

>あかつかさん、
>のらひこさん、
私の「初デモン」は少し遅く
1962年11月5日の厚木19エンドです
VF−193のF−3B NM305/145260です。
この日はボンホムリチャードの艦載機がたくさん飛んでくれました
まだ標準レンズしか持っていなかったので、それなりのショットですが

村越賢司 2020/07/11(Sat) 22:08 No.1276
Re: 私のアルバム〜F3H@
次にF−3Bを撮ったのは1963年4月5日の厚木19エンド。
VF−54(NF)部隊が展開中でした。
その日のF−3Bショットを5枚(連貼りスミマセン)アップします

がむしゃらにデモンを撮りました

VF−54のF−3B NF202/145271

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:36 No.1277
Re: 私のアルバム〜F3H@
同じく
VF−54のF−3B NF205/145232

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:38 No.1278
Re: 私のアルバム〜F3H@
同日
厚木19エンド
VF−54のF−3B NF209/145220

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:39 No.1279
Re: 私のアルバム〜F3H@
この日の大和への帰り道に
相鉄線の線路越しに着陸する たぶんVF−54のF−3B

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:41 No.1280
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんのNO.1270と同じ意図のショットもどきですが民家の屋根越しにアプローチする たぶんVF−54のF−3B

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:44 No.1281
Re: 私のアルバム〜F3H@
>村越さん
初撮りのデモンが“コレ”ですか!(驚嘆)とても中学生の写真とは思えませんね。
62年の12月は厚木へ2度(12/9、12/29)行ってますが、[NM]はVF−191のクルセイダーのみで、デモンは撮れませんでした。
VF−193はこのデモンを最後にVF−142と称号変更しファントムになってしまったので、このデモンは撮っておきたかったです。

[NM][NF]とも標準レンズであることがとにかく凄いです!。
No1273ののらひこさんの写真は確か45mmですから、村越さんの55mmとは画面のサイズが違いますね。
ちなみに私は50mmでした。いずれにしても標準レンズで「戦闘機」が撮れたなど、今のマニアから見れば信じられないことでしょう。
Watanabeさんが「昔は1mmでも長いレンズが欲しかったなあ」とエンドデビュー当時のことを語っていたことを思い出します。
特に45ミリと55ミリでは同じ標準でも画面の中の世界は若干違いますからね。

1280の線路上でのショット、私も撮りましたよ。
当時の相鉄線は大体が大和止まりでしたから、よく19エンドへの行き帰りは線路上を歩きました。ときどき電車に出くわしてしまったときは
“のり面”の草むらに降りて通過待ちをしてましたが、関係者からのお咎めはありませんでしたね。のどかな時代だったなあ。

1280、1281は、もし「大和と厚木基地」をテーマとした写真展が開催できたならぜひ展示したい作品ですね。
あかつか 2020/07/12(Sun) 10:55 No.1282
Re: 私のアルバム〜F3H@
村越さん、1962.11.5は一緒に行ったんですよね。あかつかさんのwatanabeさんの言葉の証拠のような写真を張ります。同じ305ですが、こんなに角度が違います。
しかし、般若をばかリ見てきた目には、ネイビーのマーキングの洗練されたオシャレさに魅了されました。
デモンの翼弦長の長さはには、ビックリですね。これじゃあ、スピードが出るわけない!よっぽど着艦速度を下げることとペイロードを増やしつつ空に揚げることに苦労したんだなと感じ入ります。だって胴体の3分の1以上の長さです。

のらひこ 2020/07/12(Sun) 14:28 No.1283
Re: 私のアルバム〜F3H@
>あかつかさん
私の書き方が曖昧でした
タクマー135mmを購入したのが1963年3月22日でした
ですからNO.1276の「NM」は55mmですが
NO.1277〜1279の「NF」は135mmを使っているはずです。それでも角度がいまいちです
村越賢司 2020/07/12(Sun) 16:59 No.1284
Re: 私のアルバム〜F3H@
勝手に資料本を紹介させていただきます。
2001年に発行された皆さんご存知の「世界の傑作機〜マクダネルF3Hデモン」。執筆のほとんどはTSPCのT.MATSUZAKIさんと、
K.FUJITAさんが担当されています。
ご両人ともデモンを飛行場で実機を数多く見ておられる筈ですから、記事内容に“デモン愛”のようなものを感じますね。
“深堀り”を望まなければ、この一冊あれば充分ではないでしょうか。“世傑”に載っていない写真も当BBSで紹介しますので、
合わせて“世傑”をご覧頂きますとより趣が深まると思います。

あかつか 2020/07/12(Sun) 18:15 No.1286
私のアルバム〜F6D

F4D-1/CVG14/VF-141/USS RANGER 

あかつか 2020/06/21(Sun) 21:41 No.1254 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6D
1960年5月17日、神戸港にてT.KAMINOUさんが撮影されたVF−141のスカイレイ。
KAMINOUさんは日本の艦船ファンの間では有名な方で、50年代から60年代初頭にかけて神戸港に入港した空母の写真も多数撮影されておられます。
いわゆる“フネ”の人なので、艦載機の写真は少ないのですが、いざ撮るとなると、撮影はじつに丁寧で、カメラアングル、露出、仕上げなど、撮影の基本をしっかり心得てらっしゃいます。
あかつか 2020/06/21(Sun) 21:56 No.1255
Re: 私のアルバム〜F6D
空母艦載機としてのF4D-1の厚木飛来は1960年が最期ですから、私たち団塊マニアの中で“NAVY”スカイレイを見た人は居ないと思います。
日本で撮られた写真も少なく、とにかく「あれば貴重品」と言ってよいでしょう。
上の神戸港で撮影されたVF-141のスカイレイにしても、空母は横須賀にも入港してるので、厚木に降りていると思いますが、マニアの少なさからか、厚木で撮影された写真は1枚も見たことがありませんね。

↓は航空情報1959年8月号の特集ページからの転載です。
その年の6月19日、大島沖で実施された空母レンジャーの機動演習を自衛隊関係者、報道記者など100人を招待して見学させていたのです。
この見開き頁を見てください!。夢のような公開シーンです。航空情報の編集人は、たくさん撮った写真をどう割り付けようか、悩みながら、楽しみながら構成したのでしょうね。今なら一冊のムック本がつくれそうです。

あかつか 2020/06/22(Mon) 15:27 No.1256
Re: 私のアルバム〜F6D
マニアが撮影した中で最も古いスカイレイの写真は、1957年9月に厚木で捉えたこのCVG5/VF−141のF4D−1でしょう。
撮影者は元祖アツギマニアのK.Kondohさん。このときのシスタースコードロンはVF−51のFJ−3Mフューリーでした。

Kondohさんは56年から58年にかけてエンドへ通われ、その後現れる自称海軍機(厚木)マニアたちが腰を抜かすようなスクープ写真を多く撮られていますが、Kondohさん曰く、エンドでカメラを持つマニアに一度も会ったことは無かったそうです。
確かにこの時代、カメラが有る“家”が少ない上、ヒコーキの写真を撮ろうとする人が居たこと自体が珍しかったのです。
師らしき人や仲間も居ない中、このような素晴らしいスカイレイの写真を撮られたことに驚きを隠せません。奇跡に近いことだと思っています。

あかつか 2020/06/22(Mon) 23:04 No.1257
Re: 私のアルバム〜F6D
VEとEKの尾翼はお洒落でしたね。それ以外は今で言うゴシックのキッチリした字体ですね。私はEKが好きでした。
のらひこ 2020/06/23(Tue) 12:34 No.1258
Re: 私のアルバム〜F6D
>のらひこさん
僕らが見たのは「WF」「WH」「EK」だけでしたが、色は付いてました。それ以前の「VW」「EC」「VE」は58年の初来日時を除けばノーマークと変わりなかったから恵まれていたかも知れませんね。
その中でも「EK」の塗装デザインは余りにも秀逸で、タミヤがスカイレイのプラモデルに「EK」のデカールを付けたのはよく分かります。スカイレイの時代で解隊されてしまったのが惜しい!。
あかつか 2020/06/23(Tue) 19:11 No.1259
Re: 私のアルバム〜F6D
VF−154ブラックナイツのF8U−1が、初めて厚木へ飛来したときのシスタースコードロンが、このVF−23フラッシャーズのF4D−1だったのですね。まさか日本のマニアが写真を撮っていたとは思いもよりませんでした。イエローとブラックに彩られたこのスカイレイも目を見張るような美しさだったでしょう。
1958年5月6日、撮影は50年代後半から厚木へ通っておられたH.Komiyaさん。

あかつか 2020/06/23(Tue) 23:44 No.1260
Re: 私のアルバム〜F6D
ご無沙汰しています。
スカイレイ
懐かしいですね。
厚木ではいつでも飛んでいたので「蛾」と言ってあまり撮りませんでした。
掟破りかもしれませんがカラーでWHを1枚。
それからYOU TUBEに8mmをデジ化したのをUPしました。
ttps://www.youtube.com/watch?v=km7NSOlTxxE

geta-o 2020/06/24(Wed) 18:15 No.1261
Re: 私のアルバム〜F6D
>geta-oさん
翼を左右に揺らしながらの着陸姿、映像拝見して思い出しました。
風の強い洋上で着艦するときパイロットは緊張したでしょうね。スカイレイが早々と空母(CVG)から外され、地上基地への配備が主となったのも分かるような気がします。


↓1959年8月にOhnoさんが撮影したVF−213のF4D−1/NP303。
厚木で撮られた写真はおそらく本邦初公開でしょう。とは言うものの1959年〜61年までカラーリングがご法度?の時代でしたから、機体に“色気”が無いのが少々残念。
VF−213のF4D−1が空母(レキシントン)に載っていた時期は1年半足らず。このときのシスターSq.はVF−211のタイガーでした。それが翌年にはVF−211はクルーセイダー、VF−213はデモンに機種転換し、すぐ厚木へ飛来しているのですからたまりません。もう少し早く厚木へ行っていれば・・。と言いいたいところですが、その頃は小学生なので一人で行けるわけがありませんね。^^;

あかつか 2020/06/24(Wed) 23:34 No.1262
Re: 私のアルバム〜F6D
陽が陰っていますが、上と同日(1959.8.7)に撮影されたNP310。
大和の森が写っているので厚木に降りていることが分かります。後に検証するとき、こうした写真が重要なんですね。

あかつか 2020/06/25(Thu) 00:18 No.1263
Re: 私のアルバム〜F6D
geta-oさん、良いカラーですね。下まで光がまわって、カラーならではですね。私は年に3本程度しかカラーは使えなかったです。ポストに投函してハワイから戻るのが待ち遠しかったな~
のらひこ 2020/06/25(Thu) 15:11 No.1264
Re: 私のアルバム〜F6D
さらに驚いたのがTomitaさんの1959年のネガから発見したRW19へ降りるチェックの塗装を施したVF−213のスカイレイ。
垂直尾翼の帯状のチェックは59年時の塗装ですが、その夏厚木へ飛来したスカイレイを含め、CVG21の戦闘機群はほとんどカラーマーキングがされてませんでした。これからマークを消すのか?マーク付きの機体が一部残っていたのか?。調べようにも話が古すぎてどうにもなりません。

あかつか 2020/06/25(Thu) 15:32 No.1265
Re: 私のアルバム〜F6D
厚木における“NAVY”最後のスカイレイは、1960年に飛来したCVG5/VF−51[NF]スクリーミング・イーグルスのF4D−1でした。
同時にこのときの空母タイコンデロガでのクルーズが、太平洋艦隊におけるCVGのスカイレイの最後になっています。
1960年7月15日 撮影:Narisawaさん

長らく続きましたF4D−1(F−6Aの新名称は未だに馴染みません)は、このスレッドをもって終了いたしまます。
当時のマニアが見たスカイレイは「ツクダニ」「貝殻」「蛾」などと呼ばれ、人気はなかったようですが、今回、多くの写真を整理して鑑賞しますと、なかなか魅力的なヒコーキであったことを再認識いたしました。
思えば1963年の厚木三軍記念日のデモ飛行でクルーセイダーを物ともしない上昇力を見せ「さすが世界記録保持機だ」と感動させたシーンは、駆け出しマニアだった小生の脳裏にしっかりと残っています。

しばらくお休みをいただいて、次のスレッドは7月10日から始めます。

あかつか 2020/06/26(Fri) 00:10 No.1266
Re: 私のアルバム〜F6D
あかつかさん、お疲れ様でした。1か月半近くスカイレイを追い続けた「愛」に感服しています。しかし凄いスカイレイのオンパレードです。海外のどこに駐留寄港したのか知りませんが、東南アジアは勿論、ヨーロッパでもこんなにバラエティがあり、迫力のあるF4Dの写真を撮っている人は居ない、乃至絶無かも知れませんね。どなたか海外にこの「私のアルバム」を紹介していただけませんかね。「WAO」の歓声が聞こえてきそうです。しかし、ハイネマンという人は凄いですね。A−4もほぼ同時期に手掛けているんでしょう!!戦闘機と攻撃機の違いは有るものの同じサイズの個性的機体を成功に導くなんて天才にしか出来ない芸当です。私はツクダニと言って頭も上げずに居た自分を恥じています。そして、1960年以前の写真の時代感に酔っています。
のらひこ 2020/06/27(Sat) 08:20 No.1267
Re: 私のアルバム〜F6D
>のらひこさん、ありがとうございます。スカイレイの写真を見て若き日の「ヒコーキ熱中時代」を思い出していただけたら幸いです。

駆け出しマニアのころ、先輩方から50年代から60年代にかけての飛行機と飛行場に関する話をよく聞きました。ですので、降りて来るスカイレイをエンドで撮りながら『数年前にはここをカットラスやバンシー、パンサー、タイガー、フューリーが目の前を通り過ぎたのか!』などと思ったものです。私を含めてそんな妄想を持っている人たちへ印刷物で再現したのがCHECKER TAIL4・在日アメリカ海軍機写真集でした。
それでもページ数が限られる本では語りきれないこともあって、WEBで補おうとしたのが今回の企画意図です。

機体性能や装備、部隊などを詳細に記した書物は出版社から多く出ていますし、ネットで検索すれば調べる手がかりはすぐつくでしょう。
ですので、ここではヒコーキ写真と飛行場をからめながら、“あのとき”何を見て、何を考えていたのか?そして今は・・・。
個人の体験や展望などを自由気ままに語り合う。こんなヒコーキマニアのサイトが一つぐらいあってもいいかなあ、と思っています。
あかつか 2020/06/27(Sat) 17:01 No.1268
Re: 私のアルバム〜F6D
>geta−oさん、
Youtubeにスカイレイも見ました
厚木エンドでの着陸スピード感が堪能できます
迎角の大きなスカイレイの貫禄、早い進入のF−8など
貴重な8ミリをありがとうございます
https://www.youtube.com/watch?v=km7NSOlTxxE
村越賢司 2020/06/29(Mon) 10:56 No.1269
私のアルバム〜F6C

ITAZUKE AIR BASE のスカイレイ

あかつか 2020/06/17(Wed) 21:35 No.1241 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6C
「応接間に飾りたくなる写真」と言われることがありますが、この1962年1月に撮られた作品は正に60年代のITAZUKEそのものを活写した傑作と言えましょう。 撮影:H.Yoshinagaさん

60年代前半の板付ほどマニア心(特に米軍機マニア)を揺さぶる飛行場はなかったのではないでしょうか。横田と板付とジョンソンを合わせて割ったようで、撮影できた機体は米空軍は元より、海軍・海兵隊機に時折訪れるフィリピン、タイ、韓国駐留の米軍機。そして国内の民間機、自衛隊機。話を聞いただけでもフィルムの使用量を心配してしまいます。60年代の板付は本当に夢の飛行場だったと思います。
あかつか 2020/06/17(Wed) 22:47 No.1242
Re: 私のアルバム〜F6C
おお!額縁に入れるのにふさわしい写真ですね。山並みのグラデーションも丁度良く、背負ってるレドームにも程よく光が回って、書斎に飾って、パイプを燻らせるのに最高の作品です。無い物ねだりですが、横田にはこういった撮影ポイントは余り無く、ドライブインは夕景は無理でした。私は書斎もなく、パイプもやりませんけど。
のらひこ 2020/06/18(Thu) 09:14 No.1243
Re: 私のアルバム〜F6C
>のらひこさん
特に手前のWF−2トレイサーのふっくらとしたレドームが効いてますね。これがホークアイでなくて良かった(^−^)
こうした偶然も普段から写真のことを考えていないと、いいシャッターチャンスは訪れないものです。

そう言えば、戦前からの写真誌「アサヒカメラ」がついに休刊となりましたね。デジタル化以来、表現方法や価値観まで変わってしまい、仕方なく思いますがちょっと寂しい(−−;)

↓はトップ画像のロマンチックムードの写真から一変、緊張感漂う板付のエプロン。画面手前に黒くうっすら写るのは有刺鉄線ですが、ここは堂々と撮れるような場所ではなかったのでしょうね。
厚木から飛来した「EC」のF4D−1、岩国から「EA]のA4D−2N、嘉手納からはF−100D/Fと、スゴイ光景としか言いようがありません。  1962.1.14 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/06/18(Thu) 14:07 No.1244
Re: 私のアルバム〜F6C
Yoshinagaさんが1962年5月6日に撮影された「EC」の“お帰り”(たぶん)シーンですが、自転車に乗ってきたと思われるマニアが居ますね。隠れながら撮っているように見えますが、実際はどうだったのでしょう。それにしてもスカイレイまでの距離がかなり近いです。背景には典型的な日本家屋が写っていますが、この位置から望遠で引きつけて撮れたとすれば、時代を表現した素晴らしい写真となったでしょう。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:33 No.1245
Re: 私のアルバム〜F6C
三沢の45TRSのヴードゥーを横目にタキシーする「EC」のスカイレイ。板付ならではのツーショット。 
スカイレイの全長が13.79m、ヴードゥーは21.11m。こうして並ぶとヴードゥーがいかに巨大な戦闘機だったのがよくわかります。
スカイレイの可愛いこと(^^) 1962年5月18日 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:36 No.1246
Re: 私のアルバム〜F6C
上と同様62年5月18日に撮影されたEC11とEC15。
目の前でこんなシーンに遭遇したら、誰もがフィルムの残量が気になってしかたないでしょうね。
バックに100と102が写っていますし、くどいようですが、本当に60年代の板付は凄かった。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:45 No.1247
Re: 私のアルバム〜F6C
No1244,No1245とは撮影日が別ですから、スカイレイは頻繁に飛来していたようです。
この頃の板付の状況をもっと知りたいのですが、九州にはマニア同志がつながるような会はなかったようで手掛かりが掴めません。
当時、東京では「東京スカイフォトサークル」、大阪では「関西エアロカメラクラブ」など、同好の士が集まるクラブがあり、
情報を整理していました。もし九州にも同様なクラブが創られていたなら、日本中のマニアから注目の的となったでしょう。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:47 No.1248
Re: 私のアルバム〜F6C
翼端を畳んだスカイレイが3機!モデラーで無くても机の上に置きたくなりますね。お尻のフィレットもメカニカルで、今の戦闘機より好きです。
のらひこ 2020/06/20(Sat) 09:16 No.1249
Re: 私のアルバム〜F6C
スカイレイが日本で最後に公開されたのは厚木でも横田でもなく、板付であったことをT.KADOKAMIさんが撮られた写真で知りました。
スカイレイの帰国が迫った1963年9月22日、第11回航空日を記念した行事「福岡空港祭り」にて[WH]のF−6Aと、[DB]のF−8Dが
展示されたのです。[DB]のF−8Dは関東の基地で一度も公開されてませんし、福岡のマニアにとって嬉しいサプライズでした。

あかつか 2020/06/20(Sat) 23:38 No.1250
Re: 私のアルバム〜F6C
同日展示された[DB]のF−8Dとのツーショット。
スカイレイのほうは早めに展示が終わり、クルーセイダーは少し遅れてきたのでしょうか。機体周辺から“息遣い”のようなものが感じられます。
バックの空に浮かぶC−46といい、観客 の位置といい、写真に造詣が深い方でないとこうした写真は撮れないでしょう。お見事です。
1963.9.22 撮影:KADOKAMIさん

あかつか 2020/06/21(Sun) 00:01 No.1251
Re: 私のアルバム〜F6C
no1251、良いですね〜少し引いて右の二人を入れて、腰を若干落として真ん中に172か150を入れる。そして46が来るのを待つ・・・常人じゃできませんね。真ん中は偶然かも?
しかし、1962〜1963年の2年間が、日本にいた飛行機の機種が一番多かったじゃないでしょうか?数え上げるのが大変な程です。海軍、空軍、海兵隊、エエい自衛隊のアベンジャーなんかも入れたら、20機種じゃきかないんじゃないでしょうか?皆さんこの2年間に日本に居た機種を投書してら面白いですね。悔しいけどタイガーは入らないですね。
のらひこ 2020/06/21(Sun) 19:12 No.1252
私のアルバム〜F6B

CHECKER TAIL4 在日アメリカ海軍機写真集より

あかつか 2020/06/07(Sun) 09:48 No.1209 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6B
[赤外フィルムで撮る]〜CHECKER TAIL4 解説より抜粋

フィルムは日本で唯一であった「さくら赤外」を使用しました。赤外線フィルムは晴天であれば季節に関係なく絞りF5.6、シャッター1/60秒の組み合わせでOKというのですが、動きの早い飛行機では1/60秒では遅いと思い、絞りをF4、シャッターを1/125秒にして撮りました。
コントラストが非常に強く、必ず赤のフィルターを使うなど、普通のフィルムとはずいぶん違った特性を持っていました。困ったのは、一眼レフでは赤のフィルターを付けて覗くと、まったくピントが合わせられず、また赤外線は波長が長いために何ミリかレンズに書かれている赤外マークまでピントの位置をずらさないといけないことでした。レンズを無限大にセットし、赤外マークに合わせて撮りましたが日差しを浴びた胴体の下は真っ黒と、コントラストが強すぎて余り良い結果は出ませんでした。
唯一全く予想をしなかった結果が出たのは上のスカイレイで、主翼下面に光が回ってパネルラインがはっきりわかる写真が撮れたことでした。 (戸田保紀)
あかつか 2020/06/07(Sun) 10:42 No.1210
Re: 私のアルバム〜F6B
新刊、旧刊本を読み漁っていた中学生のころ、Todaさんが撮られたこの写真を航空ファンで見て、何と幻想的な写真なんだろうと衝撃を受けました。
数年後“少年カメラマン”として写真を撮り始め1年ぐらい経った日の夏、赤外フィルムを購入し、いざ撮ってみますと一眼レフのファインダーの中は真っ赤々な世界で違和感そのもの。確かにレンズの距離計に赤いマークがあり、そこに合わせて覗いて見るとファインダー内の画像はボヤけて見え、これで写真が撮れるのだろうかと思いました。
撮影後、写真店からネガを引き取り確認すると、超アンダーでピントも最悪。一本実験したところで赤外フィルムの使用をすっかり諦めてしまった『負』の思い出があります。
あかつか 2020/06/07(Sun) 11:19 No.1211
Re: 私のアルバム〜F6B
1958年8月、RW19へセクションで向かうスカイレイ。テイルレターが見えませんが増槽に三本線が入ってないところを見ますと
VMF(AW)314[VW]の可能性が高いですね。
相鉄線の架線がずいぶん先に見えます。撮影ポイントは現在のランウェイ・エンド近くでしょうか。標準レンズでも海軍機が撮れたという
夢のような時代です。

スカイレイがMAG11の傘下に入ったのが1958年2月、VMF(AW)115[VE]が初めてでした。
以後、飛行隊は1963年まで1年ごとのローテーションで交代して行きますが、順を追ってその時期々々のスカイレイを紹介します。

あかつか 2020/06/08(Mon) 00:14 No.1212
Re: 私のアルバム〜F6B
赤外フィルム、買いましたよ!!確かうわさでナイロンの水着だと透けて見えるなんて言われて、ヨコシマな気持ちでいましたが、プールに写しに行く勇気はなかったですね。飛行機の写真はすべて失敗でしたよ。露出が指定どうりでもダメでしたね。ところが雨上がりの校庭にうっすら白い部分が見えることがあるんで、これは鎌倉街道が地面の下に通っていたせいではないかと先生に話して、赤外線フィルムならハッキリ写るんじゃないかと撮影したんですが、失敗!鎌倉街道説も笑いものにされました。todaさんの写真は実に見事に赤外線フィルムの性能を引き出していますよね。
のらひこ 2020/06/08(Mon) 08:20 No.1213
Re: 私のアルバム〜F6B
1958.2.11〜1959.5 VMF(AW)-115[VE]

MAG11への展開期間は、米海軍の発表や部隊史からMACH3さんがまとめたものです。
実際の運用日は若干ズレることはよくあるので「大方」ということでご理解ください。

↓撮影日が記入されている資料写真の中で、一番古いのが1958年5月18日にKomiyaさんが撮られたVE18。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:26 No.1214
Re: 私のアルバム〜F6B
TSPCのFukuiさんが撮影されたVE11。1958.7.7 
プラモデルのデカールでおなじみの赤・白・青の塗装も、初配備のときに見られただけで、2度目のローテーション時では“色気”は全くありませんでした。この美しい塗装のスカイレイを見たという日本のマニアは10人も居ないのではないでしょうか。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:40 No.1215
Re: 私のアルバム〜F6B
1957年から厚木で写真を撮り始めた“元祖・アツギマニア”のKondohさんも勿論撮られています。日付は無記入ですが、日差しの強さから梅雨が明けた7、8月頃ではないでしょうか。
ネガを拝見してますが画面の7割ぐらいスカイレイが写っていました。100mmもあれば「機首アップ」できるぐらい低い着陸ですね。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:50 No.1216
Re: 私のアルバム〜F6B
1958.7.1〜1959.9.8 VMF(AW)-314[VW]

VMF(AW)-115[VE]に5ケ月遅れて厚木へやってきたのがVMF(AW)-314[VW]。
[VE]は、F4D−1受領時に施されていた赤白青のカラーリングをまとっていましたが、
[VW]のほうは残念ながらカラーマーキングは除かれており、傾いたテイルコードのみとなっていました。

↓ネットからの画像

あかつか 2020/06/08(Mon) 23:53 No.1217
Re: 私のアルバム〜F6B
NAKAGAWAさんが1958年、大和側で撮影したVW18。というより、景色が余りにも素晴らしくありませんか。これが50年代の厚木基地エンドの光景です。この写真を写友のH氏に見せたとき「おいおい、ウソだろう!」と絶句したのを覚えています。
「VW」であろうと「VE」であろうと、ヒコーキは何でもいいと思わせるようなインパクトのある写真ですね。

あかつか 2020/06/08(Mon) 23:58 No.1218
Re: 私のアルバム〜F6B
50年代に撮られた現代風なショット。これにも驚きです。しかもこの時代に135mmで撮っておられるのが凄い。
画調も良く、まるで昨日撮ってきたような写真ですね。 1959.4.23 撮影:Todaさん

あかつか 2020/06/09(Tue) 00:00 No.1219
Re: 私のアルバム〜F6B
こちらもTodaさんが59年4月29日に撮影したスカイレイのタキシング。135mmでこの位置まで寄るのは、当時としてかなりの冒険ですね。
カメラを隠し、ただ見ているようなフリを装い、ガードやSPに注意を払いながら素早く撮った。と、ご本人からお聞きしたことがあります。
CIAのU−2が居たこともあって、厚木は関東の米軍基地の中でもっとも警備が厳しい飛行場でした。

あかつか 2020/06/09(Tue) 00:05 No.1220
Re: 私のアルバム〜F6B
no1215と1218の撮影場所は、今のマニアの方には判らないと思いますので航空写真で解説します。どうしてこんなに低いのかがこれで判ると思います。でも、基地の中からも丸見えですので、捕まる可能性はかなり高いです。マッマニアというのはそういうものです。1956年4月13日の航空写真です。エプロンの機体は何でしょうね?ちょっと粗すぎるので判別困難です。

のらひこ 2020/06/09(Tue) 18:50 No.1221
Re: 私のアルバム〜F6B
1959.4.21 〜 1960.7.5 VMF(AW)-531[EC]

[VE]が残していったF4D−1を使用して厚木初駐留となったVMF(AW)-531。
尾翼にコードが書かれているだけで全体的に素っ気ないです。1959年から1961年頃の極東における海軍・海兵隊機の多くは
“色付け禁止令”が出ていたのではないかと思わせるほど、カラーペイントを施していませんでした。理由は未だに分からないのですが、
当時のマニアは気にもかけてなかったと思います。
「スカイレイはスカイレイ、デモンはデモン」、そんな目で見ていたのではないでしょうか。 1959年5月29日 撮影:Todaさん

あかつか 2020/06/09(Tue) 23:46 No.1222
Re: 私のアルバム〜F6B
1960年5月20日、板付三軍記念日にて展示機をガッチリ決めたTodaさんの作品。
後にローテーション配備された(1961年7月〜)同部隊機の塗装と、ほとんど変わりありませんが、
1959年配備時に撮影された「EC」のスカイレイは、マニアが少なかったこともあって、大変珍しい記録写真となっています。 

あかつか 2020/06/09(Tue) 23:49 No.1223
Re: 私のアルバム〜F6B
1959.8.20 〜 1960.11.2 VMF(AW)-542 [WH]

今回のスカイレイ特集で、最も写真が少なかったのが「VW」から機体を引き継ぎ、厚木に初めて配備されたときの「WH」のF4D−1。
写真はこの写真と、同日、同位置で撮影された2カットしかありません。
次(1962年)のローテ時はマニアも若干増えて写真は多く残されましたが59年時は本当に少ないのです。

外観上の違いは左右の燃料タンク。62年時はタンクの前部を黒く塗っていましたが、59年時では塗装は無きに等しくシンプルそのもの。
もう一つは垂直尾翼に書かれたビューローナンバー。前スレ[EC]にも見られたように10万台の“1”が省略されており、
ナンバーは5桁で表記されています。  1960年9月28日 桜ヶ丘側にて。 撮影:Komiyaさん

※追記(20.6.13)
62年10月からの「WH」2度目のローテ時においてBu.Noが5桁のスカイレイが見つかりましたので、垂直尾翼に書かれたナンバー表記による駐留時期の判断はできなくなりました。撮影者の記録のみが頼りとなります。

あかつか 2020/06/10(Wed) 21:30 No.1224
Re: 私のアルバム〜F6B
↑と同日撮影のデルマーターゲットを曳く「WH」のF4D−1。
9月下旬とは言え、夏場の草いきれを感じさせる写真ですね。手前は灌漑用水用のコンクリートの土管で、桜ヶ丘側エンドと言えばこの土管。
バランスをとりながら上に登って撮影したマニアをよく見かけました。(私も)

あかつか 2020/06/10(Wed) 22:09 No.1225
Re: 私のアルバム〜F6B
1960.6 〜 1961.7 VMF(AW)-115 [VE] A

VMF(AW)531[EC]と交代し、MAG11へ2度目の派遣となった「VE」のF4D−1。
極東における米海軍機の“マーキング不毛”の時代、カラーペイントはまったくなし。おそらく日飛で「EC」のコードを消して「VE」に書き替えただけでしょう。次に出てくる同様の「VW」とのコンビで毎日飛んでいたのですから当時のマニアは、いささかの“飽き”を感じていたと察します。 
1961.2.27 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:18 No.1226
Re: 私のアルバム〜F6B
1961年5月20日の厚木三軍記念日で公開されたVE-00。CAG機でも“色気”ナシでした。
三軍記念日ですので展示機の写真は多く残されていますが、この角度からのスカイレイの写真は少ないですね。Moriさんは、やはり目の付けどころが違いますね

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:20 No.1227
Re: 私のアルバム〜F6B
こちらはWatanabeさんのショット。左に写し込まれているのはノーマークのF8U−2/145578の主翼です。
コックピットを観客に見せるための見学台か梯子でもかけてあったのでしょうか。少し高目の位置から撮影したWatanabeさんの好センスに脱帽。

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:22 No.1228
Re: 私のアルバム〜F6B
1960.10.14 〜 1961.11  VMF(AW)-314 [VW] A

1959年8月から1年4ヶ月務めたVMF(AW)542[WH]の使用機を引き継いで、二度目のローテーション入りした「VW」。
テイルレターと部隊コードだけの変わり映えしないスカイレイだけに、当時のマニアは「どう“シャシン”を撮ってやろうか?」とカメラを向けていたのではないでしょうか。美しい写真に仕上げています。
国籍マークの下に機体名とBu.Noが書かれていますが、厚木に駐留したMAG11のスカイレイにこのタイプの書き方をした機体は少なかった。 1961.2.8 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/06/13(Sat) 00:13 No.1229
Re: 私のアルバム〜F6B
1134のGabariさんの写真にも出てきたテールコードの書き替え跡がナマナマしいVW10。
これが“ブラック・ナイツ”だと言われても名称を表す部隊のマークや、因んだ塗装は何ひとつ機体に描かれていません。
これではマニアのテンションは上がらなかったでしょう。 1961.2.27 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/13(Sat) 00:16 No.1230
Re: 私のアルバム〜F6B
1961.4.1 〜 1962.7  VMF(AW)-531 [EC] A

VMF(AW)115「VE」と交代し、厚木2度目の登場となった「EC」のF4D−1。
VMF-531 “グレイ・ゴースト”は、後のF−4BやFA−18にしてもマニアから人気のあった飛行隊でしたが、
F4Dは当時のマニアからすれば「単なる」スカイレイとしか見てなかったと思います。
1962年1月30日、厚木01側にてショートカットで降りるスカイレイを、Moriさんが200mmでガッチリ決めたショット。
この角度の着陸写真も余り見ないですね。上部のパネルラインが判るモデラーさん御用達の写真。

このローテ時のスカイレイの蘊蓄を語るとすれば、Bu.Noの書き方、位置に統一性がないことでしょうか。
↓のEC22のBu.Noの位置がNAVY機によく見られた垂直尾翼の位置に4桁で書かれていますし、
国籍マークの下に記された小さなBu.Noは13492と下一桁の2が足りません。
この134922は元「EK」の機体で、1959年2月から9月まで,F・D・ルーズベルトのCVW−1に編入されていました。
ナンバーに関してはその時からの名残りかも知れませんね。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:15 No.1231
Re: 私のアルバム〜F6B
62年当時、標準レンズ1本だった私には、決して撮れない01側でのスカイレイの離陸写真。 1962.4.22 撮影:Moriさん
春先、風が北から南に変われば01から19まで1時間かけて歩き、(電車を利用してもさほど変わらない)
そして、19エンドに着いたとたん風はふたたび北風に。「そんなこともあったなあ」と思い出し・・涙。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:16 No.1232
Re: 私のアルバム〜F6B
1962年5月20日の横田三軍記念日で展示されたEC8。Bu.Noはしっかりと6桁で書かれています。撮影:Narisawaさん
横田や立川の三軍記念日に海軍機や海兵隊機が公開されると何故か嬉しく、同じように厚木に空軍機が展示されると
大いに喜んだものでした。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:17 No.1233
Re: 私のアルバム〜F6B
1961.10.16 〜 1962.11.1 VMF(AW)-513 [WF]

1958年、MAG11にスカイレイが初めて配備されたVMF−115「VE」以来、2年半ぶりにカラーペインントを施して登場したのが「WF」のF4D−1でした。
それにしても、この「WF」のスカイレイ。じつに“ほどの良い”塗り方だと思いませんか?。モデラーさんの中にはモデルが完成した後、部隊塗装は余り関心がない人が多いと聞いたことがありますが、もしスカイレイを作られたら、この濃紺と金の星の「WF」はいかがでしょう。とてもいい塗装だと思いますが・・。

↓は、62年4月27日、RW19にすべり込むWF24。とにかく“24”というモデックスに驚きます。VMF−314「VW」から機体を受け取ったことが写真から見てとれますね。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/15(Mon) 00:02 No.1234
Re: 私のアルバム〜F6B
↓はTSPCのAnzaiさんが1962年5月19日の厚木三軍記念日で撮影されたスナップショット。
TSPCが「フォト・サークル」であったことを表してる作品と言えましょう。

個人的に大変“お気に入り”の写真なのですが、その理由の一つとして、WF/スカイレイの左に停車中のフォルクスワーゲン/カルマンギア・クーペ。
街中が東京オリンピックで賑わっていた1964年のとある日、横浜の海岸通りに建つホテル・ニューグランドの前を通りがかったとき、
ホテルの正面にさりげなく駐車していたのがこのクーペでした。
見慣れてきたアメ車とはまったく異なるデザイン、実用を無視した戦闘機のようなコックピット、はじめてVW/カルマンギアをみて
アメリカとヨーロッパの文化の違いを感じました。

あかつか 2020/06/15(Mon) 00:20 No.1235
Re: 私のアルバム〜F6B
カルマンギアですか!たまに立川の青梅側で走ってましたね。誰か先輩が、あの手の車は将校が乗るんだよと言われて、丁度クラウン、グロリアの初代の頃で、なにか悔しい思いをしたもんです。
のらひこ 2020/06/15(Mon) 15:08 No.1236
Re: 私のアルバム〜F6B
1962.7 〜 1963.7.1  VMF(AW)-114 [EK]

一部のマニアから“ツクダニ”と呼ばれていたスカイレイも、スカイレイが好きでたまらないというファンも居たに違いありません。
そうしたマニアにとって1962年7月から11月までが至福のときだったと言えましょう。スカイレイが厚木に二個中隊体制で駐留してから、双方の飛行隊が海軍機(海兵隊機)らしいフルカラーの“衣装”をまとったは初めてだったのですから。
ネットでスカイレイの画像をググってみましても、VMF−114「デス・ディーラーズ」は相当な人気の飛行隊で、それを“ナマ”で見られた当時のマニアは幸せだったと思います。

↓は1963年5月12日の厚木三軍記念日にてデモ飛行を終えてエプロンへ戻るEK1。
当日の天気は良くありませんでしたが、開催中は雨も降らず視界も良好だったので、プログラムどおりのデモ飛行は行われました。
「EK」のスカイレイは「UE」のクルーセイダーと競うように飛びましたが、アフターバーナを吹かしての上昇力は圧倒的にスカイレイのほうが良かったと記憶しています。 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:24 No.1237
Re: 私のアルバム〜F6B
↓1962年7月24日、WATANABEさんが撮影したEK15/139187。
「EK」の使用機は、前任のVMF−531「EC」から引き継いだと思われますが、受領して間もなかったからか、
カラー塗装がなされてない機体も混ざっていたようです。当時の「EK」のスカイレイの写真としては珍しいのですが、
これに驚いた人は余程のマニアですね。

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:37 No.1238
Re: 私のアルバム〜F6B
タミヤのプラモデルの元になったのがEK3/139068ですが、現役時代のスカイレイの写真があります。 1962.2.5 撮影:Moriさん
尾翼のトランプマークといい、タンクの電光といい、じつにバランスがとれていてスカイレイに合わせたような素晴らしい塗装ですね。
たぶんデザインに心得がある人が隊に居たのでしょう。

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:48 No.1239
Re: 私のアルバム〜F6B
1962.10.30 〜1963.9 VMF(AW)-542 [WH] A

厚木のMAG11最後のスカイレイは“タイガース”の「WH」でした。と言ってもタイガースがVMF-542のスコードロンネームだなんて、当時はほんの一部のマニアしか知りませんでした。当然、私たち団塊マニアは知る由もなく、ただひたすらに写真を撮っていただけです。

“あれだけ”飛んでいたスカイレイが日本で見られなくなるということで、今なら「最後のスカイレイ!」とかで航空雑誌は特集などを組み「別れ」を惜しむのでしょうが、当時はメディアもマニアはスカイレイの離日に興味は無かったように思います。
スカイレイが初めて厚木のMAG11に配備されてから5年7ケ月。当時はずいぶん長く感じました。ところが実際の駐留期間はずいぶん短かかったのですね。ホーネットは初来日して何年たつのでしょう?まだ第一線で活躍中のところをみると、マニアは“飽きた”なんて言っていられませんね。

1962年12月20日、Narisawaさんが撮られたWH20/139175。
「WF」から機体を受領して時間が経ってないせいか「WH」の塗装にはなっていません。
テイルレターが主翼で隠れていますが、ヒコーキの写真は斜め前、垂直尾翼に主翼が少しかかるぐらいが一番カッコイイ角度だと勝手に思っています。
スポッターの皆さんからはお叱りをうけそうですが。m(..)m

あかつか 2020/06/17(Wed) 07:47 No.1240
私のアルバム〜F6 A

1957年8月2日

あかつか 2020/05/25(Mon) 09:17 No.1158 [返信]
私のアルバムから〜海軍機篇 A
CHECKER TAIL4の表2を飾ったKondohさんの素晴らしい絵画的作品。PC画面ですと印刷とは違う魅力を感じさせてくれます。
1957年8月ですとまだマリンコのF4D−1はMAG11に来てないのでボンノム・リチャード/VF−141[NF]の可能性が高いですね。
スカイレイが最新鋭機だった時代です。
あかつか 2020/05/25(Mon) 09:32 No.1159
私のアルバムから〜海軍機篇 A
1958年頃に撮影されたOhno Yoshikiさんの迫力満点のショット。
厚木基地拡張前のRW19エンドは、現在の基地内周回道路あたりでしたので、標準レンズでも、このような写真が撮れました。
本当の迫力というのは望遠レンズで引きつけるものではなく、焦点距離の短いレンズで対象により近づくことなのです。
もちろん、危険(人的含め)と背中合わせになりますが、撮りやすいところで普通に撮れば、写真はそれなりとなるわけですね。

あかつか 2020/05/25(Mon) 09:54 No.1160
私のアルバムから〜海軍機篇 A
おおっ「それを造れば奴は来る」フィールドオブドリームスそのものの映像ですね。トウモロコシ畑の向こうからシューレスジョーならぬスカイレイが現れる。少年の夢の情景ですね。
のらひこ 2020/05/25(Mon) 20:00 No.1161
私のアルバムから〜海軍機篇 A
>のらひこさん
とうもろこし畑にシューレス・ジョー、なるほどなるほど。
「フィールド・オブ・ドリームス」は名優バートランカスターの遺作(映画)だったのですね。
私が見た一番古い記憶は小学生のときにみた「ベラクルス」(1954)です。ゲーリー・クーパーの敵役で、最後に決闘となるのですが、
撃たれて“ニヤリ”と微笑んで倒れるシーンが忘れられせん。
バートランカスター出演の名作を挙げればキリがありませんが、飛行場通いの合間を縫ってみた全編ワクワクドキドキ映画「大列車作戦(The Train)」(1964)も強く印象に残っています。特に鉄道と絵画好きの人にオススメです。
あかつか 2020/05/26(Tue) 09:52 No.1162
私のアルバムから〜海軍機篇 A
1962年4月27日、大和側での「離陸三連発」。撮影:Moriさん
紙媒体、Web等、写真を見るだけは相当キャリアを積んできましたが、この[EC]のショットは凄い!!。
間違いなく国際的にも通用する写真と言えましょう。

60年代初期の“厚木名物”モーボ。
情報化の進んでいない当時、このボックスからLSOが居なくなればとランウェイ・チェンジだということを先輩マニアから教わりました。
ですので、風向きが怪しくなると皆さんモーボの様子をじっと見ていたものです。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:03 No.1163
私のアルバムから〜海軍機篇 A
世界記録を持つほどの上昇力に優れていたスカイレイの離陸。運動性もハンパないですね。
この写真を見た写友のO氏が「ナニこれ〜」と言って椅子から転げ落ちそうになったショッキングフォト。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:11 No.1164
私のアルバムから〜海軍機篇 A
Moriさんのセンスが光る幻想的ショット。現在でも立派に通用する芸術作品。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:18 No.1165
私のアルバムから〜海軍機篇 A
no1163の写真は凄いです。チータがインパラに躍りかかる瞬間を捉えたような凄さがありますね。次は急カーブを切って逃げようとするのを追いすがるチータ。そして仕留めた後の凱旋の姿。「どうだ、してやったぞ」
それにしてもハイネマンの美意識は凄いですね。彼の伝記って無いのかしら?しかし、作りにくい飛行機だったろうと思います。いわゆる一体構造でしょうから、いろんな工場で作ってきた部品を組み立てるという手法は取りにくいでしょうから。今みたいに主翼は日本、ギアはどこってわけにはいきそうに無いです。
のらひこ 2020/05/27(Wed) 06:07 No.1166
私のアルバムから〜F6 A
連コメント失礼いたします。
no1165を見入っていましたら、不思議な点を発見しました。エルロンのヒンジが折れ曲がり主翼の内翼に付いているんです。これじゃあ、翼を立てた時、ヒンジが歪むんじゃないのかしら。それを防ぐ工夫はどんなものでしょう?大阪のYさん辺りご存じかしら。それと当然でしょうが、ドロップタンク付けた状態じゃ翼内機銃を撃つと薬莢がタンクのフィンに当たちゃうことがわかります。やっちゃったパイロットいるかしら。
それと、下面のパネルの数!!。全部意味が有る訳で、凄いです。
WFの星が効いてますね。あの時代の塗装はそれとなくオシャレでした。
のらひこ 2020/05/27(Wed) 08:51 No.1167
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
思い起こせば青少年時代、ハイネマンのヒコーキは私たちのマニア心を満たしてくれましたね。
海軍機だけでも今回のF4Dはじめ、F3D,AD,A3D,A4D,JDと正にダグラスの黄金期。航空機メーカーもいくつもあって、
しのぎを削る時代でしたが、その世界を外野から眺める日々を過ごせたことは楽しく、ヒコーキマニアとして幸せでした。


↓は、Komiyaさんが撮影された、ありそうで無い珍しいショット。 
雑誌や専門誌でも余り見かけないスカイレイのギアアップ中の写真です。 1961.4.26

あかつか 2020/05/27(Wed) 09:54 No.1168
Re: 私のアルバム〜F6 A
CHECKER TAIL3誌に、見開きで掲載した写真ですが、出版時にページのつながり部分がよく分からないとご批判を受けました。
改めてスカイレイが左へバンクする迫力あるシーンをごらんください。おそらく大和の森近くから撮られたショットだと思いますが、
瞬時の事態に反応したMoriさんの集中力に脱帽。 撮影1963年8月7日

あかつか 2020/05/28(Thu) 09:51 No.1169
Re: 私のアルバム〜F6 A
厚木でスカイレイをこの角度から撮った人はMoriさんしか居ないと思います。毎日何機も飛んでいたので余裕がでてきたのでしょうね。
それでも狙ったところをしっかり抑えるのはMoriさんの成せる技だと思います。

あかつか 2020/05/28(Thu) 10:09 No.1170
私のアルバム〜F6 A
no1169、オートフォーカスなんて夢にも考えられなかった時代なんですよ!!距離多分100m前後でしょうから、無限の少し戻しじゃダメでしょう。キッチリ手動で(当たり前か)ヘリコイドを回して瞬時にピントを取ったんでしょう。自動スラットが作動してますから、ものすごい機動をしたはず。サイドワインダーも実弾ですがこんな当てにならないミサイルを一本付けじゃあ敵は落とせないんじゃないかな。
しかし、このフォルムは本当に海の中を疾走するエイそのものです。
のらひこ 2020/05/28(Thu) 18:41 No.1171
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
少年のころ、初めて羽田へ潮干狩りに行ったとき、大人から最初に言われたことは「エイに触ってはダメだぞ!」という警告でした。
確かに砂地の水溜りにそいつ(アカエイ)は居て、尾の付根の毒針に刺されないようビクビクしながらアサリを採っていたものです。
スカイレイの命名は、姿恰好が似ていることと共に、毒針からもきているのでしょうね。

私もサイドワインダーの実弾を付けたスカイレイは見たことはなく、あっても模擬弾でした。No1169では一発ですが、“実弾”を装着していることは、当時でも珍しかったのではありませんか。
F−8にしてもF−4にしても実弾付けて飛ぶのは、スクランブルか実戦に伴う演習でしかなく、フル装備のスカイレイも同様で、写真は先輩が撮ったものを何枚か見ただけでした。

↓はWATANABEさんが捉えた[EK]のスカイレイの完全武装。緊張しますね。

あかつか 2020/05/29(Fri) 09:50 No.1172
Re: 私のアルバム〜F6 A
今は撮れなくなった撮影地点、マニアがいう通称「カド」から撮ったA1タキシーウェイで着陸機を待つスカイレイ。1963.10.4 撮影:Moriさん
標準レンズしか持てなかった“駆け出しマニア”の頃、こんな光景を横目に見ながら、ランウェイ・エンドへ向かったのでした。

あかつか 2020/05/30(Sat) 09:59 No.1173
Re: 私のアルバム〜F6 A
上と同日1963年10月4日撮影。
MAG11の主力機の変わり目を見事に表したMoriさんならではのショット。
撮影時の厚木海兵隊の三飛行隊機は[WH]のF−6A,[DB]のF−8D,[WS]のF−8E(一部D型)でしたが、この10月に1958年から厚木の空を賑わしていたスカイレイが遂に消えてゆきます。在留期間5年と8ケ月。

そして3ケ月後、スカイレイに変わってやってきたのがVMFA−314“ブラックナイツ”のF−4B。これで空母が横須賀に入らなくても、毎日ファントムが見れるのだと喜んでいたものです。マニアは新鋭機の登場には弱いですから。

横田のマニア間で「ファントムブーム」が起きるのはF-4Cが駐留する1965年頃からで、厚木のファントムは1年ほど早い。それにしては注目度が低かったのは、すでにCVW機(NH/VF114・NG/VF96)が飛来していたのと、厚木を“根城”にするマニアが横田より少なかったせいでしょうね。

あかつか 2020/05/30(Sat) 10:48 No.1174
私のアルバム〜F6 A
F-6とは何のことかとロートルが言う!!何度も言うようですが、やっぱりスカイレイは背中の線とうなじですね。ゾクゾクってキマセンか?この2枚、素晴らしい写真ですよね。それに地面、モノクロの曇り空は何時も一緒ですが、地面が入れば物語となります。世代交代ですね!スカイレイのあとがファントム??なんと芦川いずみの後に天海祐希って感じじゃないですか?
のらひこ 2020/05/31(Sun) 10:12 No.1175
Re: F6 A異機種編隊
ランウェイエンドで張っていて、喜びの一つに「異機種編隊」があります。
三軍記念日やオープンハウスなどで観客向けに飛ぶことがあったりしますが、エンドで遭遇することは滅多になく、時たま機種の異なる編隊飛行を撮れたときは嬉しくなったものです。
↓は[WH]のF−6Aと[DB]のF−8Dですが[DB]のほうは[VM]から機体を譲り受けたばかりで、赤と白星の流星塗装はされてません。

あかつか 2020/05/31(Sun) 10:24 No.1176
Re: F6 A異機種編隊
年に1〜2度岩国からスカイナイトが飛来し、厚木へしばらく逗留することがありました。確かこの写真のときも横田か立川で「スカイナイトが厚木に来てるらしいよ」と耳にしてから数日後厚木へ行ったらまだ飛んでいた。情報化されてなかったときの微笑ましい行動ですが、“ワクワク感”のようなものは今よりあったような気がしますね。

↓スカイレイと合同訓練の帰りでしょうか。この[EK]のF4D−1と[RM]のF3D−2Qの編隊飛行はじつに珍しいし、写真もこの日撮影されたものしか見たことがありません。1962年2月5日 

あかつか 2020/05/31(Sun) 10:47 No.1177
Re: F6 A編隊飛行
Gabariさんが撮影された写真ですが、日付未記入なのでエンドで撮影されたのか、三軍記念日のデモ飛行かは不明です。
60年代の厚木と横田の公開の様子は判っているので、三軍記念日なら1962年以前の立川かジョンソンでしょう。
当時の空軍基地の公開では展示が無くても、年によっては厚木の駐留機がデモフライトを行なってました。ちなみに1961年の立川では
VQ−1[PR]のA3D−2Qが4機編隊でのデモ飛行を見せています。

あかつか 2020/06/01(Mon) 08:55 No.1178
Re: 私のアルバム〜F6 A
こちらは1961年9月25日、Narisawaさんがエンドでキャッチした遠征還りのVMF(AW)314[VW]の8機編隊。
MAG11の部隊機は年数回演習で厚木を離れるときがあり、ときには大編隊を組んで帰還することがありました。
情報過少のときの空母艦載機フライ・インに巡り会うぐらい珍しいことで、Narisawaさんはスカイレイの帰還に遭遇できたことは
じつに幸運だったと思います。

あかつか 2020/06/01(Mon) 09:21 No.1179
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
×芦川いずみ → ○芦川いづみ です。^^;
スカイレイと芦川いづみ。このイメージ、さすがのらひこさん。同意です。
昭和30年代の日活映画黄金時代を支えたスター女優ですね。浅丘ルリ子がバラの美しさと譬えるなら芦川いづみは、れんげの花のような楚々とした存在感で、じつは私もファンでありました。
芦川いづみがスクリーンデビューしたのが1953年。1968年結婚により引退。スカイレイ(F4D−1)の方は初飛行が1954年、退役したのが1964年ですから活躍期間もほぼ一緒ですね。
スカイレイを芦川いづみに譬えるなら、先輩格のスカイナイトは、轟夕起子といったところでしょうか。(古!)
あかつか 2020/06/02(Tue) 00:35 No.1180
Re: 私のアルバム〜F6 A
参りましたよ。Narisawaさん!こんなの撮ってるんですか。この後どうブレークするんですか。なんか映画を観ているようじゃなかったですか。中学3年生でしょうから、興奮して学校で隣の生徒に話しても、それなあにって感じでガッカリなんて事有りましたよね。縁無き衆生は度し難し。て言うか、我々の方が変わり者でした。
のらひこ 2020/06/02(Tue) 07:01 No.1181
Re: 私のアルバム〜F6 A
MAG11/VMF(AW)542[WH]のF−6Aが厚木から去ったのは1963年9月となっていますが、日にちははっきりしていません。今手元にある国内で撮影されたスカイレイの写真で最も遅い撮影記録が1963年9月24日。下のNOMURAさんの写真です。

私がスカイレイを厚木で見た(撮った)最後の日が63年9月19日で、次に厚木へ行った10月12日には、基地内に一機も見あたりません。
このときエンドで会ったA君は「先週も居なかったけど、また演習にでも出かけてるんじゃないの?」との言。No1179のNarisawaさんが撮られたシーンのようにそのうち帰ってきて西側エプロンへズラリと並べることだろうと、気にも止めませんでした。

あかつか 2020/06/02(Tue) 09:36 No.1182
Re: 私のアルバム〜F6 A
翌週はホーカーシドレー・トライデントのデモや、ベトナム空軍のC−47を撮りに羽田に出かけ、10月28日に厚木へ行ってみると、スカイレイは一機も見当たらないどころか[VW]のファントムが、MAG11のハンガー前に12機も並んでいるではありませんか。
スカイレイのことなどすっかり忘れて、一日中双眼鏡でエプロンに並んだファントムを覗き、マリンコ・ファントムの初撮りを期待しましたが動く気配は全くなく、たぶん前日あたりに厚木へ到着したのでしょう。基地内にVMGR−352のKC−130F[QB]が翼を休めていました。

毎日のように飛んでいたスカイレイも見られないと寂しくなるもので、エンドで写友と消えたスカイレイについて語り合ったり、給油パイプをタンクに取り付けたのは、トランスパックで本国帰還ためのものかと、しばらくの間エンドで話題になってました。

かの海軍機研究家の豊中のY氏によりますと「スカイレイがトランスパックした記録は無い」とおっしゃいます。それでは、退役間近スカイレイの燃料タンクに装着された空中給油プローブは何だったのでしょうかね。

↓師匠はしっかり美しい写真を撮られてます。 1963年7月29日 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/02(Tue) 18:58 No.1183
私のアルバム〜F6 A
6年弱の日本配備の後半2年半のスカイレイを堪能しましたね。可愛くてうるさくてヤンチャな素晴らしい飛行機です。ツクダニなんて呼んでたのを反省してます。
空中給油でグアム迄は行けるんでしょうね?
のらひこ 2020/06/03(Wed) 11:14 No.1184
Re: 私のアルバム〜F6 A
この時代、スカイレイの着陸時に機首アップを撮れた人はMoriさんしか居ないのではないでしょうか。
一概には言えませんが、今の600/F4より、この時代の200mm/F3.5のほうが価値観が高かったような気がします。

あかつか 2020/06/03(Wed) 12:50 No.1185
Re: 私のアルバム〜F6 A
CHECKER TAIL3を出版する際、表紙の写真を決めるのに悩みました。
専門誌の出版社でも、表紙は「顔」ですから幾つもの候補の中から選んでいるに違いありません。
CHECKER TAIL3では上の機首アップの写真と、フォーメーションの離陸写真のどちらを採るか?。
大いに悩んだ末、右のフォーメーション写真に決めたのですが、今でもこれで良かったのかと思っています。いかがなものでしょう。

あかつか 2020/06/03(Wed) 13:22 No.1186
Re: 私のアルバム〜F6 A
手元にありますスカイレイの写真を全て目を通してみて、珍しい写真を発見しましたので2点紹介いたします。

先ず“ノーマーク”のF4D−1。撮影は1958年、撮影者はOhnoさんです。
垂直尾翼の「4」が示すように恐らくVMF(AW)115[VE]の機体と思われますが、テイルレター、モデックス無しのスカイレイの写真は私の手元には1枚もありませんでした。
移動機や補充機の多かった60年代の海軍機(F−8やA−4など)においては、珍しいことではありませんが、厚木の海兵隊機の場合、
レターと部隊名を塗り変えてから、次の部隊へ引き渡していたようで、ノーマークの海兵隊機は少なかったように記憶してます。
「マニアックもここに極まれり」と言えなくもないですが・・・^^;

あかつか 2020/06/04(Thu) 09:12 No.1187
Re: 私のアルバム〜F6 A
こちらも今回発見したタンクを装備していないスカイレイの珍しい姿。撮影は同じくOhnoさん。
タンクの無いスカイレイの写真は、試作機やテスト機に多くみられますが、飛行隊へ配属されてからの写真は、
私だけかも知れませんが見たことがありません。

胴体下のナブパックなるポッドは60年代の初期まで見られたもので、私ら団塊マニアがスカイレイと出あったときには、搭載されてませんでした。
機器が発達して胴体中に収められるようになったのですかね。
それにしても翼下の燃料タンクが装着されていないと印象は変わるもので、まるでアブロ・バルカンを小型にしたように見えます。(^-^)

あかつか 2020/06/04(Thu) 09:50 No.1188
Re: 私のアルバム〜F6 A
>NARISAWAさん
No.1179のスカイレイ8機編隊はびっくりです
この場に遭遇したとはやはり「持っていますネ」

ここには出ていませんがNARISAWAさんも下記の写真と同じ日に撮られたスカイレイの離陸写真も拝見しています
同じ日に皆様と一緒だったことをうれしく思います

No.1137の MORIさん
No.1141の のらひこさん
No.1142の のらひこさん
No.1144の MORIさん
No.1156の WATANABEさんの一連の離陸写真の日
すべて1963年9月24日の厚木01エンドですね
探したら、私も同じ場面に撮っていました
ネガを検証して「撮影が01エンドだった」ことが解りましたので訂正させていただきました
1963年9月24日の厚木01エンドを離陸するスカイレイ3ショット後追いで貼ります
VMFaw542のF−6A WH9/139165

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:35 No.1189
Re: 私のアルバム〜F6 A
続けて同じ日
VMFaw542のF−6A WH11/139121

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:37 No.1190
Re: 私のアルバム〜F6 A
3枚目
同じく1963年9月24日の厚木01エンド
VMFaw542のF−6A WH15/139187
トリミングしました

日付訂正しました

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:44 No.1192
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
スカイレイのイメージが「芦川いづみ」同感です

1963年4月29日(当時は天皇誕生日・昭和天皇)
厚木の19エンドでたくさんのマニアと撮っていました
BB1の「失敗写真」に投稿したかもしれませんが
スカイレイの送りショットに仲間のシルエットが映り込んだお遊びショットを一枚、相鉄線の掘り割り際に陣取り、右端で座っているのが「のらひこさん」
スカイレイがツクダニなんて呼ばれていたっけ?
VMFaw542のF−6A WH19/139058

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:06 No.1193
Re: 私のアルバム〜F6 A
この前のショットですが
1963年4月29日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH17/139075

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:22 No.1194
Re: 私のアルバム〜F6 A
前のショットの直前
3機で帰ってきたショット
1963年4月29日の厚木19エンド
先頭機が WH17/139075 続くウイング機がWH19+WH18 ブレイク順は左端ウイング機からだったと思いますが覚えていません

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:30 No.1196
Re: 私のアルバム〜F6 A
>村越さん
「あのとき一緒だったのか」かと今回知ることが多いようです。
写真見ながらそのときのシーンがおぼろげながら思い出し、年配マニア特有の気分に浸れるのもBBSのいいところでしょうね。(^:^)

No1192の離陸ショット、これはイイですねえ。左翼が少し写っているところが泣かせます(感涙)。しかも機体データが見え“番号派”マニアもお喜び必至。
このアングル初めて見ました。我々世代の中では、ツクダニだのハマグリとか、戦闘機の姿から受ける感動を喚起するような存在ではありませんでしたが、今こうしてスカイレイをBBSでまとめてみると、魅力的なヒコーキだったんですねえ。
あかつか 2020/06/05(Fri) 11:52 No.1197
Re: 私のアルバム〜F6 A
1193の写真拝見して、ひと月ほど前、航空情報1956年9月号に掲載されたルポと写真について、村越さん、のらひこさんと実写か合成か議論したのを思い出しました。結果「褌少年とF−84G」の写真は合成と結論付けましたが、1193の写真と比較すると分かりますね

あかつか 2020/06/05(Fri) 12:04 No.1198
Re: 私のアルバム〜F6 A
>あかつかさん
確かに「あかふんの写真」は機体の大きさと人間の比率が不自然に感じますね。編集者さんがいない今は想像するしかありませんが合成プリントっぽいかな?

スカイレイのネガを探しました私の手持ちで古い順にまだ6ショットぐらいあります
1963年4月5日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH5/139092

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:14 No.1199
Re: 私のアルバム〜F6 A
No.1187でOhnoさんの無印が出ましたが
これは手がかりがまるで見当たらないのでニッピ塗装前なのでしょうか 同じ日、1963年4月5日の厚木19エンド
F−6A/?

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:18 No.1200
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
厚木に行けば「スカイレイがツクダニのように飛んでいる」
などと思っていませんでしたが、
夕暮れが迫る大和への帰り道で降りてきた逆光でも撮ってしまった「スカイレイ愛」かどうか?
1963年8月2日の厚木19エンド
ゴーアラウンドするF−6A

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:28 No.1201
Re: 私のアルバム〜F6 A
1963年8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH4/139147

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:30 No.1202
Re: 私のアルバム〜F6 A
2枚目は 同じく8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH5/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:33 No.1203
Re: 私のアルバム〜F6 A
3枚目 同じ日8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH12/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:37 No.1205
Re: 私のアルバム〜F6 A
最後ですが4枚目は 何やらIRシーカーらしきポッドをつるしているのですが詳細はわかりません どなたかご存じでしょうか?
1963年8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH15/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:43 No.1206
Re: 私のアルバム〜F6 A
>村越さん
いつもながら美しい仕上げ画像に脱帽!。
1201の「ゴーアラウンド」。朧げですが、こんなシーンを見たような気がします。

「佃煮にするほどの・・」の意味は、海外の人にとってうまく翻訳できない日本語に例えられています。ですので、外国のマニアが当サイトを見て自動翻訳で本文を知ろうとしても何の意味か分からないでしょう。
私が「厚木にスカイレイが佃煮にするほど居た」と初めて聞いたのは先輩のT.maさんからです。さすが先輩は比喩もうまいなあ、と思いましたね。
あかつか 2020/06/06(Sat) 15:48 No.1207
Re: 私のアルバム〜F6 A
BBSU「スカイレイ特集」をご覧になってる皆さまへ

日本国内で撮影されたスカイレイの写真を、これだけ多く紹介されているサイトは現在のところありません。
大変貴重な記録でヒコーキ写真好きだけでなく、モデラーさんにも大変役立つ“Web写真集”だと思います。
できましたら、このサイトをお仲間に伝えていただければ幸いです。
常に消えゆく宿命を持つのがインターネットですから・・・ (−−;)
あかつか 2020/06/06(Sat) 17:06 No.1208
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -