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Tachikawa Air Base

2015年11月7日〜23日 昭和記念公園内の花みどり文化センター内で開催されたイベント『写真と絵画で見る昭和の時代展〜 
“なつかしの立川風景展”』の入口に飾られた大幕の原画です。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 17:29 No.258 [返信]
Re: Tachikawa Air Base
入口に飾られたタテ1.2メートル・ヨコ3.2メートルの大幕。
左が原画を描いていただいた故・下田信夫さんです。下田さんは「飛行機の絵で、絵の中にこれほど多くの人を描いたのは初めて」
とおっしゃっていました。たいへんなお願いを聞いていただき本当に感謝しております。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 17:47 No.259
Re: Tachikawa Air Base
「なつかしの立川風景展」を開催前、会場の下見をした際に「第一デパート懐古展」なる展覧会を行っており、その入口に置かれていたのが
このジオラマ。模型作りは素人の私でもその出来の良さはひと目で分かるほど素晴らしいものでした。
立川の第一デパートは1966年にオープンし、2012年に閉店したそうですが、地元の人々にとって心に残るデパートだったようですね。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 18:20 No.260
Re: Tachikawa Air Base
1960年頃の再現でしょうか。グローブのつくりも、扱い方も言うことないですね。画面左上のグローブは飛行中ということでプロペラが無いのかな。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 18:33 No.261
Re: Tachikawa Air Base
夢のある話から、現実に戻ってみましょう。
Y.Nakagawaさんが1958年に撮られたこの写真は取り扱いが難しいでしょうけれど立川市の史料として残したい作品ですね。
立川駅から基地南側へ走る道路の向うに、患者輸送用のC-54Mが降りてきます。道路右の電柱には「立川文化ミュージック」のビラが貼られ、
その上には質屋の広告。そして左側の建物。私が地元の年配の方に聞いたところによると、知る人ぞ知る“あいまい宿”だったそうです。
時代そのものを1枚の写真で語るような写真は滅多にお目にかかれません。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 19:08 No.262
Re: Tachikawa Air Base
Nakagawaさんが旧伊勢丹の屋上から撮影した1959年の青梅線側の風景。
レシプロ全盛期の立川がマニアにとって最もタチカワらしかった。

写真を見てますと260のジオラマへ戻りたくなります。

K.赤塚 2019/06/12(Wed) 17:33 No.263
Re: Tachikawa Air Base
no262,立川文化ミュージック、懐かしいです。なんと電柱に張り紙広告があったんですね。学生服で入れる楽しいストリップでしたけどね。私も1回だけ見学に行きました。ジオラマ懐かしいです。バスのすれ違っている辺りの左側から手前が、タンク車暴走で全焼した地帯ですね。昭和39年1月4日の早朝でした。初出勤は晴れ着での出勤がBGの常識、確か一人の方が焼け死んだの覚えています。しかし、私はナント翌日辺りにはカメラを持って行ってるはずです。まあなんというか・・・オレンジ車両が中央線を走っていますが、これは昭和54年以降でしょうから、時代考証上は無理がありますが、もうオレンジライン車両になってからも長いので、懐かしくなってしまいます。
のらひこ 2019/06/12(Wed) 19:23 No.264
Re: Tachikawa Air Base
NakagawaさんのC-130A。C-119が写っていることから1960年前後の撮影だと思われます。01側にまだフェンスがありませんね。
お母さんは子供をあやすのに懸命のようですが、子供たちは新鋭機の姿とタービン音に敏感に反応している様子。
私の少年時代も左の子のようにランニングシャツ1枚で遊んでいました。子供用自転車はこの時代けっこう贅沢品でしたから、
豊かな家庭の子供かも知れません。

K.赤塚 2019/06/13(Thu) 15:41 No.265
Re: Tachikawa Air Base
下田さんの立川三軍記念の絵を見たときは、あまりに多様な人々が描かれていることに衝撃を受けました。
飛行機もさることながら、下田さんが描かれる人物に強く惹かれていたからです。
それだけに、この絵が嫁入りしたのを知った時は驚き、残念に思ったものです。

その後、がっかりしていた私を見かねた下田さんが「今ぼくが持っている中で一番人が多いのをあげるよ」とおっしゃってくださいました。
その絵は今も大切に飾ってあります。
まさやん 2019/06/14(Fri) 12:50 No.266
Re: Tachikawa Air Base
>まさやんさん
絵画やイラストは基本「原画」一点ですから、写真と違い入手を逃すと後々まで尾を引きますね。
下田さんの「立川三軍記念日」は、ラフを見せていただいた後、C−133の後方に立川と分かる給水塔を描き込んでいただきました。
プロへの注文にためらいはありましたが下田さんも納得。冷や汗かきながらの話でしたが、結果的にはよかったと思ってます。
K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:14 No.267
Re: Tachikawa Air Base
私たち団塊世代のマニアでも立川に戦闘・爆撃機系の機体の着陸を見た人は居ないと思います。
前スレで、のらひこさんも仰っていましたが、横田でなく立川で“ジェット”を見たかったですね。
唯一チャンスがあったのは1963年8月に日本初登場となったAFCSのC−140でした。それは後程に。

↓は所属は分かりませんが、USAFのF−86Fに違いありません。1958年11月23日、Sugiuraさん撮影です。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:44 No.268
Re: Tachikawa Air Base
↓は1959年1月撮影のF−86D。同じくSugiuraさん撮影。このような写真の存在自体がスゴイですね。
写真見て「望遠レンズで撮れてれば」と言う人もいると思いますが、当時、望遠レンズは一般人が持てるはずもなく、
高価すぎて高嶺の花どころか夢のまた夢の世界の機材だったのです。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:57 No.269
Re: Tachikawa Air Base
Tanaka Tatsuoさんが立川の砂川側で撮影したF−86D。
カメラがセミ・パールなので標準レンズは75o。35o換算だとやや望遠気味となり、砂川側の着陸ならこのように撮れたという、
団塊マニアが涙する作品。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 15:18 No.270
Re: Tachikawa Air Base
立川に降りるジェット機を撮っていました
1963年5月18日の砂川
横田にいたT−39A/61−0674
たぶんボーっとしていてジェット音に気がついてから振り向きざまの送りショットが一枚だけ撮れたようです
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそう

村越賢司 2019/06/14(Fri) 21:51 No.271
Re: Tachikawa Air Base
立川に降りるジェット機、撮りたかったなー。k.murakoshiさんも撮ってますか!悔しいです。尤も横田の南側の樫の木の方が近くて低かったでしょうが、やはり背景の広々さが羨ましい。多分2千無かったころのエアストリップみたいなところに降ろすのは朝鮮戦争時代から当たり前だったんでしょうね。団塊の世代はジェット戦闘機の着陸を撮った人はいないんじゃないでしょうか?3、4年先輩のt.moriさんやt.matsuzakiさんも撮ってらっしゃらないんじゃないかな。実験的飛行機写真にいつも挑戦したt.moriさん、飛行機の美しさを印画紙に焼き付けたt.matsuzakiさんはご健在ですが、飛行機を風景の中に溶け込ませる榎本さんの社会派的写真が懐かしい。そして飛行機を風景として描いた渡辺俊彦さんは、3月末、羽田への行きか帰りに突然亡くなってしまいました。偲ぶ会が再来週27日に四谷の「スクワール麹町」で行われますが、立川でのジェット機写真が見つかるかもしれないですね。
のらひこ 2019/06/15(Sat) 09:04 No.272
Re: Tachikawa Air Base
>村越さん
ボーとしててもガッチリ撮っておられる。さすが村越さん、いい写真じゃありませんか。T−39Aもまだ来日してまもないデイグロウ塗装ですね。
K.赤塚 2019/06/15(Sat) 14:52 No.273
Re: Tachikawa Air Base
伝説の大先輩Nakasatoさんが1959年に立川で捉えたRB−66C。
この写真が航空情報に載っているのを見て、立川というのは凄い飛行場なんだと思いましたが、私が飛行場へ通い出した1961年には
B−66は日本から撤収しており“夢のヒコーキ”となったのです。

それから6年後の1967年1月、横田にB−66が現れたと聞いて、憧れのヒコーキ見たさに一番電車に乗って早朝より横田の36で待っていると、
エンジン音を響かせながら出てきました。
しかしそこに現れたのは、憧れていたシルバーメタルの“66”ではなく、ベトナム迷彩の泥色にまみれたEB−66であり、
早々に横田を切り上げ厚木へ向かったのでした。“十年の恋”がいっぺんに醒めたという感じでした。

K.赤塚 2019/06/15(Sat) 15:58 No.274
Re: Tachikawa Air Base
B-66が降りてるんですねというか、駐留してたんですよね。いかにもコンバットスーツという出で立ちは、A-3のタキシードとは全く違う印象です。エド・ハイネマンの原設計が空軍と海軍でこうも違う印象を与えるんですかね。
のらひこ 2019/06/16(Sun) 08:08 No.275
Re: Tachikawa Air Base
立川へは、2〜3か月に1回くらいしか行けなかった横田遠征時の行きがけ、帰りがけに立ち寄るくらいでした。
なので、駅からさほど遠くない青梅線側にしか行ったことはありません。
唯一の砂川体験は、横田でお会いした方が車で連れて行ってくださったのですが、運が悪いことに全く動きがなく、飛行機との距離を実感することはできませんでした。
1機でも降りるか、上がるかしていれば、立川への関心も随分違ったものになっていたかもしれません。

ビックリする写真の連続でどうしようかと思ったのですが、このような機会でもないと今回の写真は出番がないと考え、図々しく出てきてしまいました。
写真は上の話とは別の日で、横田を引き上げた帰りに立ち寄った時のものです。
次のコマは逆光の中、盛大にブレた130が写っていました^ ^;

1967年12月26日 立川青梅線側

まさやん 2019/06/16(Sun) 08:41 No.276
Re: Tachikawa Air Base
>のらひこさん
B−66とA−3は「双子の姉弟」と言うところでしょうか。姉がA−3で弟がB−66。スタイリングから受けるイメージもB−66の方は筋肉質の男子で、A−3はラインがなめらかで女性っぽく見えます。
自称海軍機マニアでありますが、どちらかと言うとA−3よりB−66の方に魅力を感じます。

>まさやんさん
立川の砂川側は写真も撮りやすかったし、いい撮影ポイントでしたが、何回も通うマニアは少なかったようです。
理由は、足(車・バイク・自転車)が無い限り、一旦砂川へ行くと、ほぼ1日中立川に居ることになり、そんなとき横田へ外来機が降りるのを目撃してしまうと、どうにも後悔が残るのです。とくに初心者の頃は“先の尖っている”ヒコーキの方が好きでしたからね。
K.赤塚 2019/06/16(Sun) 15:03 No.277
Re: Tachikawa Air Base
諸先輩方がこんなにスゴイ写真を残されていたとは、驚くばかりです。
当時の日本各地のアメリカ軍基地の周りは何処も畑だったのですね。
1960年以前はいろんなアメリカ軍機が飛んでいるのを見てはいましたが、、航空雑誌を見たこともなく機種名以外は何も知らない状態でした。その頃にこんな写真を撮っていた方々がいらっしゃったとは知りませんでした。10年、いや5年早く生まれていたかった。
F-86もRB-66Cも機体だけではただのノーマークで、廃棄される運命の写真だったでしょうが、、風景が写りこんでいる事でグッと生きています。貴重なお宝写真ですね。何度見ても、構図の上手さに溜息が出ます。
>赤塚さん、No.274のRB-66Cは1968年に北ベトナムでMIG-21に撃墜されていました。

>村越さん、No.271のショットが、突然の1枚とは信じられません。T-39の位置といい、地上の機体、人物など、切り取ったアングルは何度も考えた末としか思えません。

>まさやんさん、懐かしい場所です。私も特別な機体でも居ない限り立川には短時間の滞在でした。
H.I. 2019/06/16(Sun) 15:14 No.278
Re: Tachikawa Air Base
渡邊俊彦さんが立川三軍記念日へ初めて行った際のショット。(1959.5.17)
見せるところは全部見せての公開はたいへん珍しいですね。最近流行りの凝ったモデルのようです。

K.赤塚 2019/06/16(Sun) 17:04 No.279
Re: Tachikawa Air Base
その左面。このF−86Dは航空自衛隊に供与され04−8183になったと言われています。

K.赤塚 2019/06/16(Sun) 17:17 No.280
Re: Tachikawa Air Base
渡辺俊彦さんの撮影したF-86Dは凄いですね。所謂ケツの毛まで見せてくれていますね。えっと思って世界の傑作機を見てみようと思ったら、なんと如何に当時がアメリカ軍機狂いか判りますが買ってありません。マイティマウスの弾架は格納式とばっかり思ってましたが、剥き出しで飛ぶんですか?
本当かしら?発射する前から、ノーズダウンになっちゃいますよね。兎に角、なんだか得体のしれない共産主義に対する恐怖がいろんな物を作らせたんですね。アフターバーナーなんてこの抵抗増加でチャラになりそう。他にも偲ぶ会で新発見でもあればうれしいです。
のらひこ 2019/06/17(Mon) 12:45 No.281
Re: Tachikawa Air Base
F−84Gの飛んでる姿を写したマニアはH.NakaiさんとShimosatoさんしか知りません。
このShimosatoさんの写真は横田でなく立川だというのが特に珍しいですね。少し高いのでフライパスでしょうか。
1959年7月16日の撮影と書かれてますが、ひと月後は用廃になっているのが、次の写真でわかります。

K.赤塚 2019/06/17(Mon) 23:55 No.284
Re: Tachikawa Air Base
1959年8月24日、東京エアロカメラクラブの「立川基地見学会」で撮影されたF−84G。H.Gabariさん撮影。
用廃になったばかりのF−86F、B/RB−26も並べられており、撮り放題、さわり放題とたいへん恵まれた撮影会だったようですね。
後ろにB−66が見えますが、B−66は撮影禁止だったそうです。それでも、コッソリ撮った方がおりまして、何枚か写真を見たことがあります。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 00:11 No.286
Re: Tachikawa Air Base
日本の基地とは思えないような光景。ここが「立川のどこ」とすぐ答えられる方は、よほど基地内に精通していた人でしょう。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 17:36 No.287
Re: Tachikawa Air Base
1959年立川三記念日でGabariさんが撮影された現役B−66群。立ち入り禁止区域だったそうですが、
せめて100oぐらいのレンズがあれば、また違った写真が撮れていたかも・・・。
この手の話はキリがないから止めときましょう。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 18:14 No.289
Re: Tachikawa Air Base
航空情報1963年10月号「日本を訪れたアメリカ新鋭機」に掲載されたAFCSのC-140A。
正面写真はT.Moriさん、着陸のショットは、のらひこさん、村越さんの同級生、Tanaka yutakaさん。
立川に着陸するC-140Aの写真を「在日アメリカ空軍機写真集」編纂の際、載せたかったのですが、最後まで本人に連絡がとれずついに断念せざるを得ませんでした。

この日(8月13日)の着陸写真はほかに見たことがないので、おそらく撮ったのはTanakaさん一人だったようです。
マニアの総数が少なかった上、砂川側であったのがこうしたスクープ写真が生まれることとなったのでしょう。
情報の無い時代、予兆なく見たことの無い機体が目の前を通り過ぎて行く・・・。
若者がこの喜びを一旦味わってしまうと、だんだん深みに嵌ってしまうのです。

同誌C-140の紹介の左ページには、1963年8月10日に岩国に降りるP-3A VP-31/RP33/150520 が載っていますが、
オライオンが初来日から今年で56年にもなるのですね。(凄驚)

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 19:28 No.290
Re: Tachikawa Air Base
2日後の8月15日、T.Moriさん撮影。
今なら離陸側で頑張る人も居るでしょうが、この来日時では離陸側に誰も居なかったようです。

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 20:29 No.291
Re: Tachikawa Air Base
2機飛来したうちの1機。
シルバーフィニッシュにデイグロウ。AFCS機はこれでなくてはいけません。AC-47、AC-54、T-33、いつでも見たい撮りたいと
思わせてくれるのがAFCS機でした。
この魅力に満ちた塗装のC-140は初飛来時だけで、その後はベトナム迷彩やヨーロピアン・ワン迷彩となってしまい残念に思います。
いかにも“模型屋さん”が喜びそうな塗装ですが、完成モデルがあればぜひ拝見したいものです。

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 20:45 No.292
グローブマスター作品集5

1959年 立川基地へ着陸するC−124グローブマスターU

K.赤塚 2019/06/01(Sat) 23:10 No.231 [返信]
Re:グローブマスター作品集5
航空情報の写真コンテストへ応募すれば入賞間違いなし、と言われたENOMOTOさんの傑作。自転車、若者、地元住人と思われる男性、
演技を付けたのではないかと思うほど人物の配置、動作が画面の中にバランスよく納まっています。
K.赤塚 2019/06/01(Sat) 23:21 No.232
Re: グローブマスター作品集5
空山さんにこの写真の感想を伺いたいくらい、スプレーガンイラストとしか思えないエノさん渾身の作品です。ウエストレベルの視点、尾翼端、主翼端、自転車の車輪、自転車の影、右の人物がキッチリあるべきところに収まっていること、空の雲の位置、滑走路が写り込んでいないこと、真横からのわずかな半逆光。エノさんの頭の中には、いつもこの構図があったんだろうなと思えてきます。これみよがしでない照れたエノさんに会いたいです。
のらひこ 2019/06/02(Sun) 02:28 No.233
Re:グローブマスター作品集5
当時の我々マニアは“タチカワの主”がENOMOTOさん、“ヨコタの主”がMoriさんと呼んでいましたが、じつはご両人とも立川、横田での傑作を多数残しております。次回からの横田篇を楽しみにしていてください。

↓はMoriさんの「在日アメリカ空軍機写真集」からの再掲ですが、バック全面、暗雲が垂れ込めた夢の中のような世界は“紙”よりモニター画面のほうが異様さが伝わるような気がしました。

K.赤塚 2019/06/02(Sun) 12:05 No.234
Re:グローブマスター作品集5
昭和のマニアの御用達フィルム、ネオパンF(ISO32)で撮影したMoriさんの作品。
羽田空港以外、当時ランウェイエンドで夜景を撮る人は居なかったのではないでしょうか。
シャッタースピードは恐らく15分の1以下でしょうね。
自分もこの場所で日没後にスリックのCL−44Dを1/8秒で撮った記憶があります。
息を止めて、1・2・3と数えながらシャッターを押しましたが、Moriさんの写真のような訳にはならなかったのは言うまでもありません。

K.赤塚 2019/06/03(Mon) 10:11 No.235
Re: グローブマスター作品集5
no231は見れば見るほど、凄い写真ですよね。東宝の映画ポスターで、有楽町辺りに掛かっていたんですよと言っても、50過ぎの人は信じますよ、キット。僕の記憶では、ジーパンはえらく高くて、当時の何千円かはしていたようです。でも、その金持ちっぽい彼らがカメラを持って居ないというのが象徴的です。
no234のmoriさんの写真も感服します。235とも、当時のカメラの限界を探っている感じがします。兎に角、好きな飛行機をカメラに取り込みたくて、なんでもやってやろう精神でしょうね。印画紙の黒は反射した色の黒ですが、モニターの黒は、中から出てくる黒ということなんですかね。60年経って、さらに凄味が出てきたということですよ。増感したにしろ、ASA64ぐらいで撮って、キッチリ止めてる。執念でしょうね。
のらひこ 2019/06/03(Mon) 19:23 No.236
Re:グローブマスター作品集5
>のらひこさん
トップ画像のENOMOTOさん作品に写っている若者三人組の存在は気になりますよね。ジーンズは1956年、ジェームス・ディーンの映画の中から流行りだし世界中に広がったのですが、日本では都心在住の若者が高価な輸入品を購入したのがいわゆる“Gパン”のハシリではないでしょうか。
エドウィンやビッグジョンが国産品を販売し始めたのは1960年代ですから、この若者三人組が穿いてるGパンは舶来物。流行の最先端行ってます。そして、全員がスポーツ車(当時はこう呼んでいた)で来ているのも注目。当時はbP82の写真を見て分かるとおり、自転車と言えば実用自転車が世の主流で、私の子供時代はサドルまで足が届かないのでバーの間から足突っ込んで“三角乗り”して遊んでました。
自転車だけでなくチェックのシャツもセンスの先どり。とにかく私の1950年代の記憶の中では、こんな若者見たことありません。(川崎育ちだったからかも知れない)
勝手に想像させてもらうと、この三人に兄弟が居るとすれば長兄はたぶん太陽族。

K赤塚 2019/06/04(Tue) 18:25 No.237
Re:グローブマスター作品集5
日本で見られたC−124の中でもH.Sugiuraさんが1959年3月に立川で撮影したこの“グローブ”は「激レア」と言えるのではないでしょうか。
部隊等はよく分かりませんが、翼端と尾部はインシグニア・レッドで、デイグロオレンジではありません。ペリカンのマークも左右で色使いが異なっています。胴体上部を白く塗っているときで、C−124の塗装の中ではトップクラスだと思います。

K赤塚 2019/06/04(Tue) 18:46 No.238
Re:グローブマスター作品集5
同機の着陸。

K赤塚 2019/06/04(Tue) 18:51 No.239
Re: グローブマスター作品集5
>K.赤塚さん
いやあ、どれもこれも素晴らしい写真ばかりでとてもでは無いですが参加出来る駒がありませ〜ん ^_^;
そこでNo.238,9の部隊を調べてみました。これだけ大きくペリカンを描かれているのでEmbもペリカンではないかと検索したところ3Sqn見つかりました。
9th、14th、そして68th Troop Carrier Sqn、その内68thは61年〜なのでとりあえず除外
そして9thと14th は当時の63rd T.C.G、その後のお馴染み63rd MAW所属でしたのでほぼ間違いなくどちらか、または両方ではないかと推測してみました。
以上私の俄か検索でした

ダブルタンゴ 2019/06/04(Tue) 23:01 No.240
Re: グローブマスター作品集5
>ダブルタンゴさん、ありがとうございます。
少しは良く見える切り取り画像を貼っておきます。

K.赤塚 2019/06/04(Tue) 23:45 No.241
Re: グローブマスター作品集5
>K.赤塚さん
UP画像ありがとうございます
50年代の旧Emb.を貼っておきます ほぼ間違いなく9th Troop Carrier Sqn だと思います

ダブルタンゴ 2019/06/05(Wed) 11:33 No.242
Re: グローブマスター作品集5
ダブルタンゴさん、また可愛らしいEmb.を探して来てくれましたね。しかし、グローブは忘れられた戦争、朝鮮戦争に大活躍した筈で、ペリカンの笑顔がなんとも考えさせます。
のらひこ 2019/06/05(Wed) 15:30 No.243
Re グローブマスター作品集5
大先輩のT.Maさんにお聞きしましたとろNo238の“ペリカン・グローブ”は、9TCSで1959年当時はサウスカロライナ州ドナルドソンAFBの63TCWに所属していたそうです。

この機だけではないのですが古いEmb.はどこか“ほのぼの感”がありますね。そんな思いを持つのは自分だけでしょうか。ディズニーやハンナ・バーバラをはじめ、1940年代〜50年代のアメリカのアニメキャラクターもいいですよね。
CGから生まれたキャラクター(例えばダースベーダーなど)に感情移入できないのは自分が歳とったせいなんですかねえ。
K.赤塚 2019/06/06(Thu) 09:43 No.244
Re:グローブマスター作品集5
珍しい“グローブ”のノーズアート機。1963.10.2 T.Moriさん撮影。
フル写真がありませんので“ペリカン”同様、T.Maさんにお尋ねすると、すぐにご返事があり、この機の詳細が分かりました。
それにしても機体が大きいと絵もデカイ。


アパッチ・チーフテンのノーズアートは、オペレーショナルな機体と
して1950年7月に最初に空軍に引き渡されたC-124A(49-0235、6号機、
写真の機体そのもの)に描かれていたものだそうです。配属された部
隊はSACの2SSS(戦略支援飛行隊)ですが、この写真は63年に撮ら
れていますので、当然SACではなく、MATSの部隊ですね。
ノーズアートは13年間維持されていたことになります。


さすがT.Maさんです。ありがとうございました。

K.赤塚 2019/06/06(Thu) 19:51 No.245
Re:グローブマスター作品集5
そのノーズアートを拡大。絵のセンスからすると著名な画家のデザインかも知れません。

K.赤塚 2019/06/06(Thu) 19:56 No.246
Re: グローブマスター作品集5
グローブのノーズアートが話題になっているようなので
1972/6/17 横田に駐機していたTENNESSEE ANG 164MAGの52-1034
機首にMEMPHISの文字と漫画(この方面は疎いので何か有名なキャラらしいのですが分かりません)が描いてありました。

geta-o 2019/06/07(Fri) 15:51 No.247
Re: グローブマスター作品集5
厚木のグローブも話題になっているようなので皆さんもご存じ1966年の3軍の時グローブ
51-0179が離陸していきました。

geta-o 2019/06/07(Fri) 15:52 No.248
Re:グローブマスター作品集5
>geta-oさん
1965年の厚木三軍記念日の自分のネガの中にはC−124が写っていないと思ってたら、早めに厚木を切り上げレンジャー(CVW14)を撮りに横須賀へ行ったからですね。
ところがレンジャーは雨天のため公開は午前中の数時間のみで中止。午後横須賀へ行った人たちはCVW14機を埠頭から見上げただけでした。ガックリとして再び厚木へ戻る元気はなく帰途についたのですが、厚木へ戻っていれば、私もgeta-oさんが撮られたような絶妙なポジションで“グローブ”の写真を撮れていたかも知れません。しかもVA−145のスカイレイダー入れ込みで・・・。

247のグローブのノーズアートですが、すぐ思いついたのは1973年〜74年頃のRF-8Gに描かれていたもの。絵のタッチが似ているような気がするけど私も双方の絵のことはよく分かりません。70年代マニアの方がご存知かもしれませんね。

K.赤塚 2019/06/08(Sat) 10:01 No.249
Re: グローブマスター作品集5
>K.赤塚さん
これですね。1950年代のイギリスコミック、アンディ キャップ
詳しくはwikiで見てください^_^

ダブルタンゴ 2019/06/08(Sat) 11:28 No.250
Re: グローブマスター作品集5
>ダブルタンゴさん
ありがとうございます。さっそくググってみますと確かにイギリスでは結構な人気マンガだったようですね。
K.赤塚 2019/06/08(Sat) 15:14 No.251
Re: グローブマスター作品集5
>K.赤塚さん
NO.249のUSS.レンジャーで横道失礼
先ず、日付ですがgeta−oさんが書かれているように
1966年5月15日の厚木三軍記念日は雨にたたられたために
一部の人たち(私も含めて)は横須賀に移動しました
この写真はタカクワリョウジ氏のカメラに納められた
「レンジャーを背景にした集合写真」です
(以前のBBSで掲載済みですが)
エノさんもタカクワ兄弟も赤塚氏もワタクシも写っています

村越賢司 2019/06/08(Sat) 22:45 No.252
Re: グローブマスター作品集5
グローブに戻りますが
>K.赤塚さんのNo.173
及びH.I.さんのNo.174
にて考察されていたくさび形の黒塗装分がグローブの尾部にもありますね
1963年3月30日の砂川着陸
C−124A/50−0086です
ダグラスのマニュアルでもあれば解明できるのでしょうが
何の排出口?なのでしょうか

村越賢司 2019/06/09(Sun) 00:51 No.253
Re:グローブマスター作品集5
>村越さん
レンジャー前の集合写真ありがとうございます。
皆さんガッカリしたはずなのに、けっこう楽しそうな表情してますね。近くで空母を見られただけでも良しという気分に変わったのでしょうか。

“グローブ”のクサビの「黒塗り」については宿題としましょう。判明したところであらためて発表します。
K.赤塚 2019/06/09(Sun) 11:12 No.254
Re:グローブマスター作品集5
1962年2月20日T.Moriさんがキャッチした「歴史的ノーズアート」。
米ソ宇宙開発競争真っ只中。1961年4月、ガガーリンの『地球は青かった』のルナに先を越され、1962年2月にアメリカが初めて
有人地球周回飛行を成功させたのがジョン・グレンが乗る『フレンドシップ7』でした。
その後のアポロ11号のイメージが余りにも強すぎるため「そういえばそんなこと、あったなあ」と写真をアップしながら思い出した次第です。
あの“ソロバン玉”のような宇宙船を世界にデモするのに“グローブ”が運んでいたんですね。
当時を調べてみますと62年7月26日から29日まで日本橋高島屋で一般公開されています。これもうっすらと記憶に残る程度で、やはり
“2番ではダメなんです”と言ったところでしょうか。

K.赤塚 2019/06/09(Sun) 17:36 No.255
Re: グローブマスター作品集5
Around THE World
久しぶりにビクター・ヤングを聴いてみました。https://www.youtube.com/watch?v=vxc1__ltZEs

K.赤塚 2019/06/09(Sun) 18:02 No.256
グローブマスター作品集4

1967年 航空情報 読者写真コンテスト 入選

K.Akatsuka 2019/05/26(Sun) 21:05 No.202 [返信]
Re:グローブマスター作品集4
60年代中期から後期になると300o、400oがマニアにとって特殊なレンズではなくなり、飛行機写真の表現も豊かになってきました。
読者写真コンテストの応募数、入賞作とも増え、作品のレべルもプロ並となり審査も大変だったと思います。

講評も改めて読んでみますと審査員の熱量がやや落ちてきた感じがします。とくに〈14〉の評は意味深ですね。
K.Akatsuka 2019/05/26(Sun) 21:18 No.203
Re:グローブマスター作品集4
海軍機の“ノーマーク”機は珍しくはありませんが、国内で撮影された“グローブ”のノーマークはこの写真のほか見たことがありません。
皆さんいかがでしょう。文字が書かれてないだけで雰囲気そうとう変わりますね。

K.Akatsuka 2019/05/26(Sun) 21:38 No.204
Re: グローブマスター作品集4
>K.Akatsukaさん
これもノーマークのグローブですか。
1970年12月10日 厚木にて。

MACH3 2019/05/27(Mon) 06:09 No.205
Re: グローブマスター作品集4
no204を見ていて、立川はカリブ海のマホビーチなんかより低い着陸だったはずですが、ビックリしていなかったことにビックリです。腰高フェンスからすると、車輪は地上7m!2階の屋根位です。ジェット機の時はもっと低かった筈ですよね。57が這うように降りてくるのを見たかったなー。
のらひこ 2019/05/27(Mon) 07:04 No.206
Re: グローブマスター作品集4
>YoshinagaさんのNo.193はまるで三軍記念日のポスターを見ているようです。
Akatsukaさんがおっしゃるようにマニアの写真の撮り方は随分変わってきましたね。
標準レンズのみの頃は撮り様によっては歪んだ写りになってしまい、、歪が無いオフィシャルの様な写真が撮りたくてたまりませんでした。そして望遠レンズを手に入れると、前後がつまった迫力ある写真にばかり興味を覚え、さらには動かずに撮影する不精を覚え、標準レンズは使わなくなってしまいました。後悔しきりです。
最近は超望遠レンズで機体のみをアップして連写するのが一般的な様で、どれも同じ様に”キレイ”ですが、個人差が無くなったような・・・。(スミマセン)
この場に登場される先輩方の写真には時代、社会、芸術性などの”写真の魅力”がつまっています。1枚に沢山の情報が詰まっている宝石箱です。今回、改めて写真の魅力を再認識しています。半世紀たって感動できる写真なんて、スゴイです。

>Akatsukaさん、No.204は1960年前半でしょうか?その頃は恐らく珍しかったと思います。Akatsukaさんがグッスリお休みの1970年頃には、MACを除籍となったグローブがAFRESやANGに移管された期間で、時々ノーマークが飛来していました。

板付が出てきましたので、私も夏の暑い日の離陸を。当時でも夏の板付では35度を越えることもしばしばありましたが、レシプロ機の離陸は見ていても解るほど苦しそうでした。特にグローブは地面を離れても機首を上げずに水平のまま増速していくのが常で、その離陸は大好きな一場面でした。

H.I. 2019/05/27(Mon) 13:11 No.207
Re:グローブマスター作品集4
>MACH3さん
尾翼に星条旗が描かれていますから“準”ノーマークと言っていいでしょうか。
それにしましても“グローブ”を厚木で結構撮っていますね。私は1度しか遭遇しませんでした。

>H・Iさん
204の撮影日は1963年5月24日です。確かに機体の所属先が変更になるとき「ノー・マーク」となる確率が高いので、
MACから移籍するとき多く見られたのは納得です。
板付を離陸する“グローブ”、南国ムードが漂っていていいですね。板付ならではの作品だと思います。
その昔H・Iさんから同じようなUSAFのRC-121D?の離陸写真を見せて頂いたことを思い出しました。
板付は関東にない魅力的なロケ地だとそのとき知った次第です。
K.Akatsuka 2019/05/27(Mon) 18:30 No.208
Re:グローブマスター作品集4
>のらひこさん
「在日アメリカ空軍機写真集」からの再掲ですが、砂川側からの着陸の低さを表した写真はこれを置いてほかにないでしょう。 
 1963年4月3日 撮影:R.Takakuwaさん。 ※CGではありません。

「写真は真実を写すから写真なのか」。と、昔からよく議論されますが、説明によってはどうにでもとれるのが写真ですね。
例えば、この“グローブ”の写真を見せてそれぞれの思いを想像すると

・マスコミA  「米軍基地は地元市民最大の悩み。軍用機の駐留反対の輪は子どもたちにまで広がっている」
・マスコミB  「航空機への投石は大事故に繋がり大変危険だ。子どもたちの保護者はこのような遊びを二度としないよう叱責せよ」
・マニア C  「こんな低い着陸見たことない。ワイドレンズで撮ってみたい」 ・ ・ ・ ・ ・横道失礼しました。

K.Akatsuka 2019/05/27(Mon) 18:39 No.209
Re: グローブマスター作品集4
これを襖位の大きさに伸ばして展示したら、一般の人達は、イヤ多少飛行機を知っている人でも、ハリボテの切り取りグローブに子供が玉入れの玉を投げていると思うのじゃなかろうか?
のらひこ 2019/05/27(Mon) 21:00 No.210
グローブマスター作品集4
ここ2週間ばかり出かけていましたが、いや〜皆さん力作が多いですね。それに昔の立川を彷彿させる写真には、あの頃の思い出がよみがえって感激しております。
1960年代の初めごろから岩国に通うようになりましたが、その行き帰りに新明和の甲南工場と伊丹工場を除くのが常でした。
1966年4月5日、新明和伊丹工場で海兵隊のCH-34を吐き出すC-124C 51-7282です。それにしても結構な人数で運び出していますね。

徳永進 2019/05/28(Tue) 14:13 No.211
Re:グローブマスター作品集4
>徳永進さん
伊丹でグローブからの“吐き出し”撮ってましたか。我々にとって少ないチャンスをモノにできて良かったですね。このような正面からの写真は関東の基地では中々撮れませんもん。

↓はMoriさんが1962年5月に当時の広告看板によじ登って撮ったもの。自分も1度だけ看板に登ったことがありますが、登ったがいいが、体のバランスをとるのに難儀した記憶があります。看板は何年頃まであったのでしょうかね

K.Akatsuka 2019/05/28(Tue) 21:03 No.212
Re:グローブマスター作品集4
1958年11月23日、H.Sugiuraさん撮影の看板入りショット。
こうして見ますとずいぶん高く、若かったからできた行為ですね。
C−124は AIR MA・・・まで読めますがいわゆる外来機のようです。お分かりの方ご教授ください。

1960年以前はエンドの南側まで桑を育てていたことが分かります。僕らが立川へ行き出したころにはありませんでした。

K.赤塚 2019/05/29(Wed) 09:22 No.213
Re: グローブマスター作品集4
1961,9,5.13時42分の航空写真です。もう日の落ちるのが早く、付近の飛行機の影から推して、鉛筆で矢印を書いた先の細い影が看板と思われます。残念ながら、その後1965年まで航空写真はなく、看板の無くなっていく経過は追えません。

のらひこ 2019/05/29(Wed) 09:58 No.214
Re: グローブマスター作品集4
↓は、のらひこさんが1962年1月15日に撮影したチャイニーズ・レストランの大看板。けっこう手間ヒマとかけた傑作ですね。

着陸時に周回道路で信号待ちしている軍人さんを対象にしたものでしょうから、いかに立川の街が基地で潤っていたかを知る史料として
立川市のアーカイブに残したい作品ですね。

K.赤塚 2019/05/29(Wed) 09:58 No.215
Re:グローブマスター作品集4
1958年11月23日の立川側のエンド風景。H.Sugiuraさん撮影。
「バスと畠とサンサンで♪」どこかで聞いたようなフレーズですが、この様なのどかな飛行場で一日過ごしたいものです。

木製看板も言ってみれば羽田空港のBラン沿いに輝いていたSONYやYASHICAのネオンの看板と見る人が違うだけで実質は
同じようなものですね。

K.赤塚 2019/05/29(Wed) 18:50 No.216
Re: グローブマスター作品集4
No177の青梅線側から降りる“グローブ”を正面から撮った写真のC-46版です。撮影:Sugiuraさん。
“グローブ”は59年3月の撮影ですが、C-46の方は約半年後の8月下旬。四季が読みとれるいいシャシンです。自転車のお二人もいいですね。

No177では判らなかった「井上理髪店」の隣りの看板がこの写真でわかりました。『立川外国語学校』と読めます。
ここでは何ケ国語を教えていたのでしょうかね。

K.赤塚 2019/05/29(Wed) 19:23 No.217
Re: グローブマスター作品集4
No.153 のらひこさんの作品「電線」の片割れが写る立川・青梅線踏切際にそびえ立つビルと大きな看板がありました
下の方に青梅線の信号機が写っています
この程度の高さは制限がなかったのか、
1963年12月18日、踏切越しに着陸してくるラジエーター無しのC−124A

K.MURAKOSHI 2019/05/29(Wed) 23:21 No.218
Re: グローブマスター作品集4
>MURAKOSHIさん
このビルですが、滑走路の側に建ててよく建築認可がでたものですね。というより、これでは従業員が落ち着いて仕事が出来ないじゃありませんか。
このビル建築中の写真はMoriさんも撮っておられました。

↓はA1956年8月に当時の航空ファン誌が主催した立川基地見学会ですがマニアらしい人は全く見当たりません。
撮影者のY.Ohnoさんはたぶん高校生だったと思いますが、その若さでこの着想力。飛行機写真の範疇を越えた作品でお見事と言うしかありません。
webで拝見したのですが、現在まで多数の学術書を執筆されておりますね。その資質は若い頃から持たれていたようです。
https://www.kyoritsu-pub.co.jp/author/detail/941

K.赤塚 2019/05/31(Fri) 10:46 No.219
Re:グローブマスター作品集4
同日の別写真です。8月の暑さが画面から伝わってきますが、近年の猛暑とは違い日陰にさえ入れば心地よい涼しさを得られたことが感じられます。こちらもイイ写真ですねえ。

K.赤塚 2019/05/31(Fri) 10:55 No.220
Re: グローブマスター作品集4
>赤塚さん、数々の立川で撮られた写真は、日本人が撮った写真として貴重ですね。
青梅線側の家々はすこしづつ変わっていったと思いますが、立川駅から一番近かった南東側駐機場付近は、基地が閉鎖するまで昔のままだった様です。

No.213の機体の文字は AIR MATERIAL COMMAND だと思います。

No.217は子供の頃からの懐かしい日本の戦後の家並みです。C-46は昔のオリーブドラブの塗装の様に見えますが、1959年でもまだ存在していたのですね。
随分古い画像が出ていますので、私もわき道にそれてさらに古い立川です。板付に駐留していた知人のF-51のパイロットが1950年にクロスカントリーで訪れた立川で撮ったC-46です。

H.I. 2019/05/31(Fri) 13:20 No.221
Re: グローブマスター作品集4
続きのコマだと思います。

H.I. 2019/05/31(Fri) 13:22 No.222
Re:グローブマスター作品集4
>I.Hさん
これまた凄い写真がでてきましたね。しかもカラーで色もしっかっりしている。モデラーさんは大喜びではないでしょうか。
217のC−46は機首の塗装から推察しますと空自のC−46Dの可能性が高いです。立川にはよく飛来しており私も何回か撮りました。

↓、は1954年、Ohnoさん撮影のC−46。羽田での米軍機の写真は何見てもシビれてしまいますね。(私だけかも知れませんが)
日本で見られたオリーブドラブのC−46は終戦直後から数年の一時期ではなかったのではないでしょうか。

K.赤塚 2019/06/01(Sat) 09:53 No.224
Re: グローブマスター作品集4
>赤塚さん
看板の上から撮ったグローブが出てきたので追加です
名前も「漢字」にします

1963年10月19日の立川01エンドに降りる
C−124A/50−1259 奥多摩奥秩父の山並みは特徴的ですね

村越賢司 2019/06/01(Sat) 10:16 No.226
Re: グローブマスター作品集
遅くなりましたが、やっと立川のデーターを見つけられたので参加します。

↑の村越様と同じ場所で撮ったグローブです。
撮影は4年後の1967年12月26日。
カメラはコニカEEで、レンズは40ミリ(A4サイズで上側だけをトリミング)。
いくら近いとはいえ、横位置で撮ると画面のグローブ前後に広い隙間ができるので縦位置で撮影しました。
おかげで看板の文字も横位置より多く取り込むことができました。

当然大きな看板とやらは既になく、平屋のお宅と小さな畑があったと記憶しています。

まさやん 2019/06/01(Sat) 10:35 No.228
Re:グローブマスター作品集4
>村越さん
1963年10月まで看板はあったのですね。自分が最後に撮ったのは1962年3月31日の↓でしたから
こうした細かな情報から、見逃していた過去あった事実があぶり出されることがあります。大変ありがたい情報でした。

>まさやんさん
『WARNING』が出ましたね。
今になって悔やまれるのは、このボードをしっかり撮っていなかったことです。
文言は基地によって違いますし、時代によって表現も変わってきています。こうした看板とかボードは意味が深いもので
1960年前後までの立川エンドに出ていた立て札など「ここから見てください」とじつに親切な表示となってました。
でも、あの頃の我々にとってはフェンスの近寄るのも怖かったし、大切なフィルムを看板に使うことなど考えもしませんでした。

K.赤塚 2019/06/01(Sat) 10:40 No.229
Re:グローブマスター作品集4
すでに印刷されてますので、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、これはENOMOTOさんの傑作です。
明らかに視点は看板へ向いてます。立川の戦後史を語るときの使われるべき写真でしょうね。
看板の向う側にはNo212で紹介したビールの看板が見えます。


看板、車シリーズで展開したのを機に、しばらくは飛行機、飛行場がらみで「立川」そのものを写真とともに語り合いましょう。

K.赤塚 2019/06/01(Sat) 12:52 No.230
グローブマスター作品集3

航空情報1958年11月号 私のアルバムから 入選

K.Akatsuka 2019/05/22(Wed) 16:49 No.180 [返信]
Re:グローブマスター作品集3
原版は手許にありませんが、講評に書かれているように入選作にふさわしいきれいな作品であったと印刷からでも分かります。
光の廻り具合からカーゴドアが凹んで見えますが、掲載誌の新刊発行時はまだ小学生だったので、しばらくは写真の通りと思ってました。
K.Akatsuka 2019/05/22(Wed) 17:01 No.181
Re:グローブマスター作品集3
N.Anzaiさんの1959年立川三軍記念日でのスナップショットです。
1960年前後の三軍記念日は、どの写真を見ても和やかな雰囲気があって、心豊かにさせてくれます。
自転車の親子(だと思いますが)がいいですね。遠い過去のかすかな記憶が蘇りました。

K.Akatsuka 2019/05/22(Wed) 18:04 No.182
Re: グローブマスター作品集3
講評者に全面的に賛成です。素晴らしいの一言。ダグラス社のオフィシャルフォトと言っても通ります。しかし、画面を右から見て行くと、プレーンのCー47、Cー97。それにズーッと左に振るとジェット機が沢山!!!立川で57,33,86Dを撮りたかったなー!!
のらひこ 2019/05/22(Wed) 18:50 No.183
Re:グローブマスター作品集3
>のらひこさん
立川で撮った“ジェット”機の写真はじつに魅力的なのですが、その数は少なく、多少のピンボケ写真であっても見ただけでドキっとします。
1960年以前の話ですから写真マニアもほとんど居ないし、エンドで写真を撮ること自体危ない時代でしたから、より貴重なんですね。

↓は1962年、H.Sugiuraさん撮影の“グローブ”とともに写り込む“アメ車”たち。
私が育ったのは第一京浜(今の国道15号線)のそばでしたから、大型のアメ車の往来も多く、少年時代はよく国道で行き来する車を見ては喜んでいました。
飛行機に興味が移り、車のことはしばらく忘れてましたが、立川に行くようになり、周回道路で数珠つなぎで信号待ちをしているアメ車のラッシュにビックリ。カメラを向けたことも数回ありましたが、シャッターを押すところまでは行かなかったのは、フィルムが高価だったからでしょうね。

K.Akatsuka 2019/05/23(Thu) 09:37 No.184
Re グローブマスター作品集3
AGC版「アメリカ空軍機写真集」で印刷済みではありますが、Moriさんならではの素晴らしいショット。多分200oでの撮影だと思いますが、1961年当時、200oを使って写真を撮るマニアはMoriさんしか居なかったと記憶してます。
クルマは国産車らしからぬスタイルを持つ初代プリンス・スカイライン。今見てもホレボレしますね(私だけか?)

K.Akatsuka 2019/05/23(Thu) 09:43 No.185
Re: グローブマスター作品集3
先の64年10月10日の同スリーブの写真です。う〇こ型の雲からみて、少し経ってから、樫の木の無くなった奥の角に移って、135mmで撮ってるようです。日本中、ホントに暇だったんでしょう。滑走路の信号待ちの車もノンビリとしてます。誰かに会った事は無かったでしょうね。左にシボレーインパラの特徴的なフィンが写ってます。パパは何でも知っているやうちのママは世界一では、フォードのステーションワゴンとシボレーの2台持ちが当たり前。飛行機の先輩に、シボレーは労働者の車と聞き、ほんとかしらと感じましたが、立川でたまに見たカルマンギアクーペを、あれは将校が乗ってるんだよと聞いて納得してました。ムスタングを見出したのは翌年位です。コルベアもいたなー。ノスタルジーに浸ってます。

のらひこ 2019/05/23(Thu) 12:54 No.186
Re: グローブマスター作品集3
>K.akatsukaさん
スカイラインタクシーは解りますが
この時代のアメ車は車種が豊富すぎて解りませんね

1964年9月5日立川01エンドにて、
C−124A/51−0128
信号待ちのアメ車は名前がわかりません
よく見ると、4灯式丸形テールライトとフェンダーからテールエンドまで「ひさし」がある特徴的なフォルムは「フォード?」
どなたかご存じの方はご教示ください

K.MURAKOSHI 2019/05/23(Thu) 14:02 No.187
Re: グローブマスター作品集3
おお!murakoshiさん、no187の堂々たるフルサイズカーにはアメリカのバカでかさが感じられすね。回り込んだフロントガラス、三角窓でなく四角窓、乃至窓無しはクライスラーが良く作ってた気がします。うしろもパノラミックグラスなんですね。グレートキャニオンをはしるための車かしら?しかし、トランクは4人の死体は優に運べます。処で右のしゃがんでる人はt.moriさんじゃないでしょうか?グローブにレンズを向けていそうにありませんが、 何か遠方のものとのコラボ狙いをしているのかも知れないですよね。
のらひこ 2019/05/23(Thu) 18:13 No.188
Re:グローブマスター作品集3
立川基地へ行き始めた頃、エンドで飛行機にカメラを向けず、車ばかりを撮っている人とよく出会いました。
それから数十年経ち、すっかり忘れていたところに、けやき出版から「戦後の立川・カーウォッチング」なる写真集が出て、
あゝ、あのとき方だったんだと思った次第です。
写真集は評判を呼び、シリーズ化されてますが、なかなか入手困難のようですね。
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/669357.html

↓は、いかにもEnomotoさんらしい作品です。横田や厚木でも良くお会いしましたが、Enomotoさんは本当に立川が好きだったんですね。

K.Akatsuka 2019/05/23(Thu) 20:07 No.189
Re: グローブマスター作品集3
グローブじゃなくて失礼します。
古い車が写っていましたので・・
YナンバーとEナンバーなんて基地がある町でしか見かけないナンバーでした。
F-4のMRINESの文字も何となく右上がりのように見えます。

MACH3 2019/05/25(Sat) 05:42 No.191
Re: グローブマスター作品集3
私が駆け出しマニアの頃、先輩たちから「板付にこの人あり」と称賛されていた方がH.Yoshinagaさんでした。
1960年代はじめの頃は、関東のマニアにとって板付は余りにも遠すぎ、状況は航空雑誌の三軍記念日特集で垣間見る程度で未知なる世界でした。エンドで撮影された写真もじつに少なく、関東のマニアが板付に遠征して写真を撮るようになったのはF−105が配備された1964年が初だったと思います。

Yoshinagaさんとは、60年代前半に写真を含み情報交換をさせていただきましたが、数十年の空白期を経て2011年、AGC版「私のアルバムから」の出版で再びご協力をいただいてます。

↓は、1962年9月22日、板付でのYoshinagaさんの素晴らしいショット。ロケ地が異なると“グローブ”そのものまで感じ方が変わります。
板付は空の“抜け”が横田や立川とは違いますね。

K.Akatsuka 2019/05/25(Sat) 08:04 No.192
Re:グローブマスター作品集3
>MACH3さん
川崎、横浜に住み、かつ飛行場通いも長かったので英字ナンバーの車は日常的に見てました。が、飛行機のナンバーほど興味は進まず、
いい印象は持てませんでした。それは今でもちょっと・・・。

Y(日本国内で調達された個人所有車)
E(非課税車両)
T(本国から持ち込んだ個人所有車)
A(オートバイ・軽自動車)      となっているそうです。


↓は、板付にF−100、F−102が配備されていた頃の基地公開日で撮影されたYoshinagaさんの「作品」。
現在では、こうした写真を撮るマニアは先ず居ないと思います。この様なシーンは滅多にないので、今なら長いレンズでF−100、
F−102を狙うはず。時代とともに表現方法は変わっていきます。
この写真を初めて見たとき、すぐ思い出したのは[TIME]と[LIFE]でした。

「君たちを支えているのは我々なんだよ」という声が聞こえてくるようで、当時のMATS関係者がこの写真を見ていれば、
オフィシャル・フォトとして使われていたかも知れません。

K.Akatsuka 2019/05/25(Sat) 08:28 No.193
Re: グローブマスター作品集
団塊世代の50年代60年代アメリカへの憧れは、今の人には想像できないでしょうね。
基地に入ってアメリカを体感できるのは年に1度だけ。普段はフェンスの内側を通るアメ車に”アメリカ”を感じていました。あの金網フェンスの内側と外側にはそれこそ雲泥の差がありました。
Suriuraさん、Moriさん、のらひこさん、MURAKOSHIさん、エノさんの写真はズバリ”基地の中のアメリカ”です。私は自動車が止ると邪魔にしか思っていませんでしたが、先輩方はそれを”パチリ”。やっぱり違いますね。

>MURAKOSHIさん、No.187の車は当時の米軍基地や70年代のアメリカでも良く見ていました。私は車名について詳しくないのですが、弟からの情報で車名が絞られました。
PONTIACの1960年モデルの様で、リアーウインドー上部が庇になっている型はVistaと呼ばれていました。4車種ありますが、特に1960年型は1959年と1961年とはフォルムが全く異なります。
1960 Pontiac Star Chief Vista、 Bonneville Vista , Catalina Vista, Ventura Vistaのどれかの様です。それぞれ横に張り出しているクローム部分の後方の模様が異なります。右側前方の車名がハッキリしませんが文字の長さと形からBonnevilleでしょうか?この部分を拡大すれば確定できます。
H.I. 2019/05/25(Sat) 15:27 No.194
Re: グローブマスター作品集3
>H.I.さん
車種の解析・解説ありがとうございます
PONTIACはアメ車の中でも格上のグレードですかね
ネガを再スキャンして拡大窓を作りましたが「ピントの限界」でした
弟さんにもよろしくお伝えください

K.MURAKOSHI 2019/05/25(Sat) 23:18 No.195
Re: グローブマスター作品集3
>H・Iさん
アメ車は、あの無駄に大きいのが“ビンボー人”のぼくらにとって憧れであり、大きな魅力だったんですね。
コルベアやファルコンが出てきたあたりから、アメリカそのものの思いやイメージが少しづつ崩れ始めたような気がします。

「クルマ絡み」をもう一枚。撮影者はもちろんMoriさんです。1963.10.23
そう言えば、最近は縦位置の写真を撮る人は余り見かけませんね。

K.Akatsuka 2019/05/25(Sat) 23:56 No.196
Re: グローブマスター作品集3
グローブとくるまシリーズ
1963年3月23日 立川01エンド
C−124A(51−0086)とエアポリスのピックアップトラック
グローブに合わせたので、トラックはぶれています

K.MURAKOSHI 2019/05/26(Sun) 10:51 No.197
Re: グローブマスター作品集3
グローブではないのですが
フライングタイガーのCL−44Dとクルマ

1962年9月15日の立川01エンド
クルマの方が大きく写っていますので
DODGE CORONET ですね

K.MURAKOSHI 2019/05/26(Sun) 11:04 No.198
Re:グローブマスター作品集3
のらひこさんのスリーブから見つけた不思議な写真。
撮影日が1963年8月30日なので夏休み最後の撮影行の記念として友人に
撮らせたのではないかと想定します。(人物が本人だから)
もし、当時の航空情報写真コンテストに応募したとしても、余りにもシュール過ぎて入賞は難しかったでしょうね。

K.Akatsuka 2019/05/26(Sun) 18:34 No.199
Re: グローブマスター作品集3
イヤハヤ、エライ写真を探してきました。まだ立川砂川側が腰までのフェンス時代で、裕次郎風にポーズを取っている僕ちゃんです。しかし、まだ、ケネディ大統領暗殺前で、ベトナムも軍事顧問団の、キナ臭さの少ない時代。のんびりとタッチアンドゴーをしていた夏の日も傾いたころ、誰だったか、友人に撮ってもらったんですね。実にシャッターチャンスは的確で、もし、首輪が写っていたら、そう面白くなかったはずです。怪物が迫っているのに気が付かないで食べられてしまう映画の端役の様ですね。
のらひこ 2019/05/26(Sun) 19:12 No.200
Re:グローブマスター作品集3
この写真、昔どこかで見たような情景に似てるなあ、と思い出したのが、戦後の成金さんとかの応接室。
豪華なソファと壁から突き出た動物のはく製の頭部。最近は動物愛護の精神からそんな趣味は廃れたようですね。横道発言で失礼しました。
K.Akatsuka 2019/05/26(Sun) 19:53 No.201
グローブマスター作品集2

航空情報1963年3月号 私のアルバムから 〜 特集・米軍機をうつす

K.akatsuka 2019/05/14(Tue) 10:04 No.153 [返信]
Re:グローブマスター作品集2
選者は冒険的な表現を重視する傾向があり、この「電線」もそのうちのひとつ。撮影者の東野さんはその時の状況を余りよく覚えてない
と言うので、プリントにしてからタイトルを考えたのでしょう。絵画も写真もタイトルが作品の評価を決めることがよくあり、この「電線」という
タイトルが選者の心を打ったのだと思います。
評に「電線をもう少し省略できる場所で写せばさらに成功したであろう」と書かれていますが、そういう訳にはいかない現場の状況は↓のY.Nakagawaさんの写真を見れば分かりますね。

K.akatsuka 2019/05/14(Tue) 10:48 No.154
Re: グローブマスター作品集2
何とお恥ずかしい写真をあげてきましたね。ネガを探していますが、この写真からすると、S駒か37、38の可能性が強いですよ。もうしばらく探してみます。しかし、こんな駄作をよくぞ投稿したものです。飛行機だけの写真では面白くないのを榎本さん、森さん等から聞いていたので、恥もわきまえずの投稿だったんでしょうが、何で入選したんでしょうか。
のらひこ 2019/05/14(Tue) 14:06 No.155
Re: グローブマスター作品集2
デカイ胴体に比較的小さな翼、大きくパックリ開く口、”グローブ”と言う飛行機は見れば見るほど愛嬌があり、”絵”になりますね。皆さんの写真からはレシプロエンジンの音が聞こえてきます。
しかし、残念ながらいつも立川にゴロゴロいたので、当時は珍しくも無くあまり撮っていませんでした。先輩方の新たな写真が出されるたびに、なるほど”、なるほど”と見入っています。
>Akatsukaさん、No.134には歴史がいっぱいですね。H-34とSHELLのトラックが最高です。
アドバルンはまるで第一次世界大戦時の阻塞気球の様で、♪空にゃ今日もアドバルン~♪なんて歌もありましたっけ。
>ダブルタンゴさん、羽田のカラーにはビックリです。

当時の各地の情景には懐かしさが詰まっています。
No.154は青梅線の電線でしょうか。当時の私には邪魔な物でしかなく、凡人は絶対に撮らなかったショットです。電線も歴史、大変貴重な記録写真ですね。

機種部分の天窓から体を出しているのは、Loadmasterだったのではないでしょうか。当時の機体で搭乗していたFlight EnginerやNavigaterは座席に座っているはずで、飛行機が動き出して特に仕事がないのはロードマスターだけだったと思います。C-130には何度か搭乗しましたが、ドアを閉めた後離陸寸前まで機内で動き回っているのはロードマスターでした。出発前や着陸後に真っ先に機外に出てインターコムを繋いでパイロットと話しているのもロードマスターです。
KC-135では空中給油時を除きBoom Operatorが雑用をこなしていました。

我々マニアが当時”グローブ”と呼んだC-124は、当事者達にはその乗り心地から”Boneshaker"とか"Old Shaky"と呼ばれていました。もちろん当時はそんなことは知る由もありませんでしたが。

H.I. 2019/05/14(Tue) 17:17 No.156
Re:グローブマスター作品集2
>H・Iさん
ロードマスターのご説明ありがとうございます。
写真のほうもそのものズバリで、望遠レンズ使用のお手本になるようなショットですね。久々にグっときました。


↓は、Hamanoさん撮影の“グローブ”。
伊丹へ初めて来たのかどうか分かりませんが、ロードマスターはほかのクルーが働いているのをよそに、空港周辺を見渡しています。

K.akatsuka 2019/05/15(Wed) 14:58 No.157
Re:グローブマスター作品集2
こちらは、1970年の大阪万博に荷を運んできたC-124C。ジオラマのような写真です。
「万博」と「米軍機」(しかもグローブ)・・・何となく意外な関連。

2025年の大阪万博も、伊丹は外来機で忙しくなるのでしょうね。万博会場で火星からの中継映像を流す計画があるそうですが、
70年の「月の石」大フィーバーには到底かなわないでしょう。

K.akatsuka 2019/05/15(Wed) 15:10 No.158
Re:グローブマスター作品集2
同じくHamanoさんの伊丹の“グローブ”。

70年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でしたね。
いろいろあっても何でも運ぶのが輸送機の役目です。

K.akatsuka 2019/05/16(Thu) 18:56 No.159
Re: グローブマスター作品集2
人力で工場へ。

K.akatsuka 2019/05/16(Thu) 19:01 No.160
Re:グローブマスター作品集2
“グローブ”の姿を何度となく見てきたマニアでも、こうしたグローブのアングルはほとんど撮ってないのではないでしょうか。
T.Moriさんならではの芸術的ショット。

“太っちょ”のイメージが固まってましたが、下から見ると主翼が細長く、意外にスマートな飛行機なんだと改めて思いました。
1962年12月3日、横田にて。

K.akatsuka 2019/05/17(Fri) 13:42 No.161
Re: グローブマスター作品集2
no161のmoriさんの写真にビックリです。あんなソアラーのような主翼にブットイ胴体が乗っていたんですね。当時下から何回も見ていたんでしょうが、感激していないんのが逆に凄いです。もの見るにも経験が要るんだということが判ります。しかし、この写真、標準ではないようないような気がしません??フライパスでなくかなりな高度を飛んでいるのを長いレンズで撮ったような!!
のらひこ 2019/05/18(Sat) 09:49 No.162
Re: グローブマスター作品集2
グローブは我々団塊の飛行機少年の乳母みたいなものです。geta-oさん、murakoshiさん、私たちみんながいつも立川でタッチアンドゴーを眺めて居たわけです。そしてこの写真は1964年10月10日の午後の横田でのタッチアンドゴーです。日本国民のほとんどがテレビにかじりついているころ、少年は立川に行き、ほとんどめぼしいものも撮れず、横田の南側迄多分バスで移動、ここでも、マッタリとグローブのタッチアンドゴーを眺めて居たわけです。丁度ムクドリが集まり出す季節、遠くをノンビリとグローブが飛んでいるのを、少し絵心の付きだした少年が1枚撮ったと言うわけです。この歳になっても好きな写真の一枚です。

のらひこ 2019/05/18(Sat) 13:24 No.163
Re:グローブマスター作品集2
>のらひこさん
'64年の東京オリンピック開会式を見ず、横田へ行っていたとは・・・ マニアたる者、こうでなければいけません。
電線が五線譜、留まっているムクドリが音符のように見えます。ロマンを感じさせる傑作だと思ってますがデジタル時代の今、
このような写真を撮ろうとする人は居ないでしょうね。


↓は、1963年3月26日の砂川でのショット。左側の家はすでに取り壊されて別の建物が建っていると思われますが、
かつて砂川でも養蚕を行っていたことがこの写真で分かります。

K.akatsuka 2019/05/19(Sun) 10:29 No.164
Re: グローブマスター作品集2
>Hamanoさんの伊丹の風景はどれも見た事が無く、とても新鮮です。パックリ開いた口から出てくるヘリはグローブならではの光景ですね。

>のらひこさん、No.163をみて、直ぐに思い出したのはヒチコックの「鳥」でした。この映画の日本封切りは1963年7月でしたが、のらひこさんはヒチコックにチャレンジしたのかな、と勝手に想像しちゃいました。

>Akatsukaさん、砂川の延長上にはこんな大きな家があったのですか。戦後20年も経っていない頃、戦前戦中のままの風景でしょうか。グローブは風景との写真が様になりますね。

1968年冬の立川です。

H.I. 2019/05/19(Sun) 17:17 No.165
Re: グローブマスター作品集2
>のらひこさん
あの東京オリンピックの開会式の日に
横田にいるマニア魂に脱帽です
確か我が家では「モノクロテレビ」でブルーインパルスの5輪スモークを見ていた記憶があります

>H.Iさん
富士山は画になりますね
私は横田ではC−141も見ることが出来ませんでした
1966年冬にはもう休眠していた次第です

砂川に着陸するグローブを標準で撮ったショット
1964年8月2日の砂川
C−124A/51−0176
標準の方がホッペタの膨らみが強調されてグローブらしさが出ますね

K.MURAKOSHI 2019/05/19(Sun) 18:36 No.166
Re: グローブマスター作品集2
皆さん、こんにちは。

1970年当時、厚木も伊丹同様、グローブやカーゴがヘリを載せてベトナムから飛来していました。

日飛エリアでヘリの積み下ろし作業を眼鏡で覗きBuNoを確認するのが日課になっていましたが
その模様を写真に収める為にわざわざニッピの裏まで足を運ぶマニアは居ませんでした。

何故なら、ご存知のように厚木では一日中待っていても外来機が一機来るか来ないかの状況でしたから
それを捨ててまでヘリを撮りに行くマニアは殆んどいなかったからです。

事実、このショットを撮りに行った為、EDのA-6の着陸を逃しています。

こうしたニッピ搬入のヘリたちは伊丹経由で自力で飛来する機体は少なく空軍の輸送機で運ばれてくる機体が多くを占め
BuNoの確認は困難を極め、未だにその全容は杳として掴めて居りません。
ここのところはMACH3さんがかなりのデータを収集できているのではと思われます。

M.WADA 2019/05/20(Mon) 09:03 No.167
Re: グローブマスター作品集2
ご覧のように、機体を分割して2〜3機運ばれて来る為エンドからBuNo/Mdxを確認するのは機体に隠れ大変でした。

M.WADA 2019/05/20(Mon) 09:06 No.168
Re グローブマスター作品集2
>H・Iさん
日本から退く日が迫るC−124。その向うには“後任”のC−141がアプローチ。MAC史を表す素晴らしい作品です。

>K.MURAKOSHIさん
モノクロならではの半逆光。イイですねえ。私ももう少し冒険すれば良かった。
毎日“グローブ漬け”になってますと、発見や疑問が湧いてきます。(それが楽しみでもあるのですが)
そのひとつに、多くのC−124に見られるキャノピー下の黒いクサビ型の塗装は何なのでしょうか。ご存知の方ご教授ください。
大きさもそれぞれで、黒かったり、白かったり、はたまた何も塗って無かったりとマチマチです。

>M.WADAさん
C-124と運搬されたヘリの写真は、伊丹と厚木とでは写真から感じとるものが違います。それは民間空港と米軍基地だからでしょうか。
いずれにしても史料として重要な写真記録だと思います。

↓は、Hamanoさんが1970年12月に撮影されたANGのC-124C。
 この時代の“グローブ”についてはよく分からないのですが、MACから退役された後、どこの“グローブ”が飛来してたのでしょうか。

KAkatsuka 2019/05/20(Mon) 09:32 No.169
Re: グローブマスター作品集2
同じくHamanoさん撮影。ジョージアの“グローブ”です。1970年頃、横田にて。

KAkatsuka 2019/05/20(Mon) 09:38 No.170
Re:グローブマスター作品集2
Moriさんがエンドデビューして間もない頃の作品。
今回の「私のアルバムから」のトップページ、C-133の「発進」に勝るとも劣らない傑作。
ここも、機首下には大きなクサビ形の塗装が目を引きます。

K.Akatsuka 2019/05/20(Mon) 14:13 No.173
Re: グローブマスター作品集2
>MURAKOSHIさん、これも綺麗ですね。私もこのアングルがいちばん好きです。左翼端が切れているのでさらに近さを感じます。翼端は頭の上を通過したのですかね。

>WADAさんの厚木のグローブはHamanoさんの伊丹とは違った迫力です。かなり痛んだCH-46はベトナム直送を感じさせます。当時のマニアはみんな外来待ちが定位置、そこをを離れるのには勇気が要りましたよね。行動力と記録を残し続けたWADAさんに敬服です。

>Akatsukaさんの疑問の参考になれば。
1990年代まではUSAFの機体はメジャー・コマンドから退き始めると、まずはAFRESに配属されて、次にANGにまわされるのが普通でした。(最近は新鋭機でもANGに配属されています。)
C-124はSACとMATSの一部の機体が1966年頃からAFRESに配備され始め、1971,72年まで使用されました。
C-141のMACへの本格配属が始まると、古くなったC-124は1967年からANGに配属が始まり、1972,1974年まで使用されました。
1969年までは日本へのANGやAFRESのグローブの飛来は貴重機種だったと記憶しています。(その頃飛来していたANGの輸送機はC-97でした。)1969年夏にグローブの立川からの撤退は同時にMACからの撤退でもありました。その後飛来するのはAFRESとANGの機体で、1969年後半から1974年までは比較的頻繁に飛来していたと思います。
AFRESで14コSQ、ANGで8コSQで使用されました。

もう一件の例の黒いクサビ形の塗装については、私もグローブが退役したずっと後になって発見しました。いろいろ調べたのですが、今ではT.O.も無く、詳細は解らずのままです。
再度画像を拡大して見ましたが、やはり???でした。(スミマセン)
突起物があり、後方に何らかの熱排出孔があるように推測され、排気スス(?)の様な汚れが付いています。しかし、No.96やNO.170では汚れは直線的です。この突起はレドーム無しの初期型でも付いています。
黒い部分はステンレスなどの別の金属を使っているようにも見えません。さらに塗装の場所や形もまちまちです。初期型では塗装は無く、また1970年頃からのAFRESやANGの機体では白い塗装や塗っていない機体が多いようです。
Akatsukaさん、ますます眠れなくなっちゃいました。(笑)

H.I. 2019/05/21(Tue) 09:40 No.174
Re グローブマスター作品集2
>H・Iさん
早速のご返事ありがとうございます。
“クサビ”の塗装についてですが、素人目(私)からすれば、排気孔から出る煤や油を保護するものと考えますが、
ならば、塗るのか、塗らないのか?。あいまいさが気になりますね。

↓は1959年8月24日、TACC(TSPCの前身)主催の立川基地見学会においてN.Anzaiさんが撮影されたC-124の塗装作業風景。
ともすれば、見逃してしまうような貴重な写真を残していただいたAnzaiさんに感謝いたします。

K.Akatsuka 2019/05/21(Tue) 11:18 No.175
Re グローブマスター作品集2
↑と同じくAnzaiさん撮影のハンガー内で整備中の“グローブ”。
当時からマニアは余程撮りたい機体でない限り、ハンガー内での撮影はしませんでした。
フィルムが低感度であったことも理由の一つですが、今考えてみますと、ハンガー内で撮影できるチャンスなど滅多にありません。
エプロンで撮った写真と比べると「別世界」のようで、もっと撮っておくべきだったと後悔しています。

↓薄暗い中、露出、ピント、申し分ないですね。

K.Akatsuka 2019/05/21(Tue) 11:35 No.176
Re: グローブマスター作品集2
立川と言えば“グローブマスター”。飛行機の名称はよく分からない住民でも、グローブマスターだけは子どもから大人まで誰もが知る飛行機でした。それだけ“グローブ”の存在は生活の中の一部と化していたのです。

立川基地のエンドの風景は北と南では全く異なる様相で、砂川側は畑、立川側は住宅地が広がっていました。
この1枚も史料として大変価値あるもので、青梅線の踏切り沿いには「昭和のジオラマ」で作られるような木造家屋が線路際までビッシリ建てられており、昭和時代によく作られた木製看板まで見てとれます。
多摩中央信用金庫、井上理髪店、ほねつぎ、DOG SHOP、BAR LILY、看板だけを見ても「昭和の立川」を表していますね。
1959年3月9日 H.Sugiuraさん撮影。

K.Akatsuka 2019/05/22(Wed) 00:01 No.177
Re: グローブマスター作品集2
立川は世相を感じさせる街でしたね。横田や厚木は原っぱで、ヒバリの降りる処を見詰めながら1日過ごしたものです。先日、昭和は遠くなりにけりの衝撃的体験をしました。自転車に乗って昼頃、通りかかった簡易唐揚げ屋に並んでいたら、前の人が店員の質問に「リュウデン」と答えているんです。彼の指先を見ると品目のプレートに「竜田」の記載が!店員も「はい リュウデンですね」これから皆さんも居酒屋等でリュウデンと言って見てください。女子店員に見直されますよ!
のらひこ 2019/05/22(Wed) 08:40 No.178
Re:グローブマスター作品集2
>のらひこさん
いやはや笑ってしまいましたが、ひと呼吸おいて考えてみますと、今は空前のから揚げブームですので若者の間では「リュウデン」で通っているのかも知れませんよ。またはある地方から生まれた造語なのか?調べてみる価値ありそう。
私も初めて北海道行ったとき「ザンギ」というのが解らなく、お店の人に聞いて「鳥唐」だということを知りました。
K.Akatsuka 2019/05/22(Wed) 09:47 No.179
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