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私のアルバムからF-100F

AGC版「私のアルバムから」上巻より

あかつか 2020/04/10(Fri) 14:24 No.1034 [返信]
私のアルバムからF-100F
1958年の板付基地周辺では、まだ占領下の状態が残っていたのですね。ですが、写真に写っている、オジサン、オバサン、建設作業員らしき人の風情にそんな緊張感はありません。
手前の自転車は、撮影者のManabeさんが乗り付けたものでしょうか。その向うの自転車の荷台に毛布のようなクッションが敷かれているので、二人乗りしてF−100の射撃訓練の様子を見にきたのかな?。
射撃という物騒な訓練の中に、何か長閑さが感じられます。こういう写真を新聞系の人たちはどう捉えるのでしょうね。
あかつか 2020/04/10(Fri) 14:54 No.1035
私のアルバムからF-100F
1962年519日、板付三軍記念日で公開された消音装置。撮影:Yoshinagaさん
これでどの程度爆音が軽減されたのでしょうかね。もうひとつ解せないのはその目的。周辺住民への配慮なんてあるわけないし、基地内で生活していた軍人と家族のためだったのでしょうか?。
60年代の横田や厚木でジェットのエンジンテスト風景をそばで何回も見ましたが、大声で怒鳴りあっても話なんかできませんでした。

あかつか 2020/04/11(Sat) 12:18 No.1036
Re: 私のアルバムからF-100F
朝鮮戦争終わって5年の九州はさっき戦争が終わった、乃至又あるだろうと言う感じが市民の実感だったんでしょうね!消音装置はポーズでしょう。だってJ75のIHI瑞穂工場のエンジンテストは夜中の10時頃、15km離れた所で受験勉強している私にもうるさく感じられたですよ。だから浪人したんです。J57の方が絶対静かでしたよ。一応気遣っていると言うポーズでしょう。有効ならIHIで使った筈です。でも予算が無かったのかもしれませんね。
のらひこ 2020/04/11(Sat) 12:46 No.1037
私のアルバムからF-100F
アレスティングフックを降ろして着陸するF−100Dですが、私はフックを降ろしている写真は、このYoshinagaさんのものしか見た記憶がありません。
手元にある写真を何枚か見ますと、フックを装備している機体と、無い機体がありますね。このあたりの事情をお分かりになる方、ご教授ください。徳永さんの平面図にも画かれていませんでした。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:22 No.1038
私のアルバムからF-100F
下からのアングルでもフックが確認できません。

若い頃、エンドで写真見せ合いながらこんな話をよくしてました。あの頃が懐かしい。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:39 No.1039
私のアルバムからF-100F
1960年12月19日、横田で撮られたフライバス。撮影:Moriさん
たぶん、同じ200mmでの撮影だと思いますが、ほんの少しの角度の違いで機体のイメージは異なるものですね。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:55 No.1040
Re: 私のアルバムからF-100F
アレスティングフックを下ろしてる100は見たことありませんね。空軍はエマージェンシーの際、オーバーランエリアの直前にクラッシュバリアを倒しておいて、いざというとき、波平さんの頭の毛みたいな隙間のある多分ナイロン製幅広布が両側のワイアの間に張ってあるバリアで制動してました。61〜62年頃、兵隊が来て立てて点検するのを目の前で見たことがあります。直後に、多分プローブが真っ直ぐから曲がる頃、空軍もフックとアレスティングワイアに換えたんじゃなかったかと思いますね。徳永さんが詳しそうです。
それから消音器の件ですが、瑞穂工場でも威勢良く白煙が揚がってましたから使っていたんでしょうね。でもJ75が凄かったと言うことかもです。
のらひこ 2020/04/12(Sun) 08:15 No.1041
Re: 私のアルバムからF-100F
アレスティングフックが確認できる62年8月に撮られたF−100Dです。 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/12(Sun) 14:44 No.1042
私のアルバムからF-100F
このショットでもフックが見えますね。
200(タクマー200mm5.6)で撮ったと思われますが、遠近感のせいなのか、胴体がやや詰まってみえます。いままで紹介してきた100の写真と比べると無骨な感じがしますね。62.5.18 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/12(Sun) 14:57 No.1043
Re: 私のアルバムからF-100F
1962年5月19日、板付三軍記念日でデモ飛行に向かうF−100Dの離陸。60年代の横田では100をこんなシーンをカメラに納めることはできませんでした。

あかつか 2020/04/13(Mon) 10:29 No.1044
私のアルバムからF-100F
優れた上昇力を披露するF−100D。
撮影者のYosinagaさんは、どのあたりに位置すればこのような写真を撮れるのかご存知だったのしょう。100の魅力をいかんなく見せてくれます。

あかつか 2020/04/13(Mon) 10:33 No.1045
Re: 私のアルバムからF-100F
100の離陸はカッコ良いですねーー。確かにギアを入れる所を横から撮れる場所は無かったです。奥の国有地角では未だ浮いて無い、IHIの北ではもう頭の上。
良く見るとトラベルポッドは右左どっちにも付けるんですかね?それとも左右のドロップタンクの空気抵抗で決めるんですかね?
それにしてもタンクのデカさ!零戦の増そうの可愛いこと。これを押して行く訳だからエンジンの力って凄いね。
のらひこ 2020/04/14(Tue) 07:05 No.1046
私のアルバムからF-100F
2011年にAGC版「私のアルバムから」の上巻発行の際、Yoshinagaさんよりネガを拝借して掲載作品の検討に入ったところ、ルーペの中に飛び込んできたのがこの510TFSのF−100Dでした。昔板付に飛来したという噂は聞いたことがありましたが、まさかYoshinagaさんがお撮りになっていたとは本当に驚きました。眼が点になるとはこのことでルーペを持つ手が震えましたね。60年代前半の板付は正に“100マニア天国”だったんだ。 1962年.2.15日撮影

あかつか 2020/04/14(Tue) 17:58 No.1047
私のアルバムからF-100F
webでググッてカラー写真を探しましたが、退色が進んでいたり、モノクロだったりで見つからず。側面図が出てたので写真の下に嵌めてみました。スコードロンカラーが紫というのは珍しいですね。

あかつか 2020/04/14(Tue) 18:02 No.1048
Re: 私のアルバムからF-100F
1962年12月の板付基地の空撮。
左に見える三本煙突や、米軍住宅らしき建物、100の列線、当時の板付を知る方にとっては大変貴重な且つ懐かしい写真でしょうね。

一時、F−100やF−102を中心に、ヒコーキ写真マニアの「垂涎地」だった60年代のITAZUKE写真集を作ろうと思ったことがありましたが、その地に立った経験が無いと構想がまとまらないのですね。どなたかつくって頂けないかなあ。

あかつか 2020/04/16(Thu) 10:51 No.1049
私のアルバムからF-100F
Yoshinagaさんは新田原でもF−100やRF−101を撮られています。
駐機中の複数機を一つの画面に納めるお手本のようなショット。飛行機だけでなく写真そのものに造詣が深いことが感じられます。1962年10月3日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 10:59 No.1050
Re: 私のアルバムからF-100F
F−100の給油口の位置がこの写真でわかりました。
どんな事情か知る由もありませんが、板付からは距離も近いこともあって新田原や築城には100や102が結構飛来していたようです。62年11月5日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:12 No.1051
私のアルバムからF-100F
この100のタキシング写真、フィルム感が出ていると思いません?。PCに上げれば全てデジタルの範疇に入ってしまうのでしょうが、元がフィルムですと、どこか違うように見えるのは私だけでしょうか。キャノピー開けてのタキシング、角度もイイですね。

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:18 No.1052
私のアルバムからF-100F
築城からの“おかえり”のシーン。この雰囲気、胸に伝わるものがあります。62年10月5日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:23 No.1053
私のアルバムからF-100F
築城でお世話になった空自の皆さんに感謝の「御礼飛行」ではないかと勝手に想像しました。62年11月5日 撮影:Yoshinagaさん

これにて「板付の100」の特集を終らせていただきます。F−100ファンの皆さま、いかがでしたでしょうか。A−5ビジランティも機体デザインはノースアメリカンテイストが感じられますが、私たちオールドマニアにとってノースアメリカン言えばやはり86と100なんですね。
ノースアメリカン・スーパーセイバー万歳\(^o^)/

次章は「私のアルバムから」空軍機篇最後として「サンダーバーズF−100」を紹介いたします。

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:43 No.1054
私のアルバムからF-100E

航空情報1958年12月号より

あかつか 2020/04/03(Fri) 11:05 No.1004 [返信]
Re私のアルバムからF100E
F−100というと三沢より板付がすぐ浮かぶのは、航空情報の現地取材記事や三軍記念日での情報が三沢より多かったせいもあります。
板付の写真マニアも1960年以前から少数ながら存在しており、東京のマニアと文通(写真交換)も盛んだったようで、当時撮影された驚くような珍しい写真を今でもときどき目にします。

私が駆け出しマニアの頃、航空情報に投稿されていたYoshinaga Hidenoriさんの写真をMoriさん宅で拝見し、板付で撮られた写真と関東で撮られた写真との違いを目の当たりにしました。
九州特有の陽の当りの強さ、撮影ポイントによる機体の角度、背景の山並み、そこには明らかに「横田の100」との違いが表れていたのです。

1962年4月16日、板付にて 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/03(Fri) 11:37 No.1005
Re: 私のアルバムからF-100E
No.1005は懐かしい写真です。MoriさんやEnomotoさんからF-100の写真をお借りして、航空情報1969年4月号の塗装図を描いたことを思い出しました。

コ永 2020/04/03(Fri) 13:04 No.1006
Re: 私のアルバムからF-100E
徳永さん、素晴らしいイラスト、美しい!!!またえこひいきになりますが、やはり100が綺麗ですね。同様な塗装をしたとしても、101、102、104、105、106をイメージして見てください。やっぱり100でしょう。それに機体の向き!!正式には(それがあったとして)横田人はいつも右向きしか見ていなかったので、どうも左向きが正しいような気がしてました。板付が羨ましかったです
のらひこ 2020/04/03(Fri) 18:09 No.1007
Re: 私のアルバムからF-100E
>徳永さん
徳永さんが若き日の脂の乗っていたころ描いたイラストは、多くのモデラーさんたちから大いに喜ばれたことでしょう。PACAF統合以前の各基地のF−100の写真は殆どモノクロでしたから。掲載誌面も懐かしいですね。

bP005の送りショットです。これらの着陸シーンも当時の関東の基地では撮れない角度でした。

あかつか 2020/04/03(Fri) 18:10 No.1008
Re私のアルバムからF100E
>のらひこさん
そうなんです。ヒコーキならずとも“見た目”というのは、すべて左向きが落ち着くのですね。人の横顔も左向、魚拓だって左。富士山をバックに走る新幹線は、写真でもイラストでもほとんど左に走っています。

TSPCの先輩Araiさんは「ヒコーキは無塗装がイイんだよ」とよく仰ってました。下のF−100Fの写真を見ますと、その説に納得させられます。  1962.11.5 撮影:Yoshinagaさん

bP005にしても、この写真にしても、とても58年前に撮られた写真とは思えません。私なんぞは今でもこのような写真は撮れないでしょう。

あかつか 2020/04/03(Fri) 18:22 No.1009
Re: 私のアルバムからF-100E
光のいたずらでしょうか?ソリッドモデルを宙に吊るして撮ったような幻想的な写真です。

あかつか 2020/04/04(Sat) 10:05 No.1010
Re私のアルバムからF100E
南国ならではの抜けた空、特有の雲、無塗装なんて関係なし。100ならではの余りある魅力。横田や厚木では先ず見られないショットです。
いいですねえ板付。62年9月24日、撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/04(Sat) 18:23 No.1011
私のアルバムからF-100E
有りそうで無いのがこうした真横に近い角度のF−100。
ノータンクというのも地元ならではのスタイルですね。62.5.6

あかつか 2020/04/04(Sat) 18:40 No.1012
Re: 私のアルバムからF-100E
>赤塚さん
板付のド素晴らしい写真の後で何ですが、未熟モンの横田カットを(汗)

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:44 No.1013
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:47 No.1014
Re: 私のアルバムからF-100E
お次は横田左向き、Rwy36の午後
徳永氏とご一緒でしたね

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:51 No.1015
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:54 No.1016
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き2

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:59 No.1017
Re: 私のアルバムからF-100E
横田ならではの?

多賀谷 2020/04/04(Sat) 23:03 No.1018
Re: 私のアルバムからF-100E
おそ松くんでした!

多賀谷 2020/04/04(Sat) 23:06 No.1019
Re: 私のアルバムからF-100E
多賀谷さんの100の写真は、横田のいつものスポットとは違うところもあるんだぞという気概を感じますね。長玉を持てるようになると、みなさん、ウロウロとスポットを探し回ったのを思い出します。飛行機少年はどんなところにも入り込みましたよね。石播瑞穂工場の敷地に間違って入って叱られたことを思い出します。回り込んで消火訓練用の鉄骨の飛行機まがいを発見したときは寂しい気分になったもんです。
のらひこ 2020/04/05(Sun) 09:06 No.1020
私のアルバムからF-100E
ネット、エアバン、スマホの無い時代、僕らはランウェイエンドに佇んで目を凝らし風下の空をじっと見つめていました。
大空の下、黒点を発見すると、それが鳥なのか、凧なのか、点が大きくならなければハズレ。点が次第に拡大されカタチずいてきたとき、923の村越さんのように「100だっ!」と叫んだり、呟いたりしたものです。多賀谷さんの1005のときも、そんな感じだったのではないでしょうか。
便利さを追求するのは人の常なのでしょうが、一つ便利になると失うものが必ずあるというのが分かるのは年齢を重ねた今になってからです。前述のようなヒコーキ写真の楽しみ方を知る人が少なくなりました。

↓Yoshinagaさんが62年2月15日に撮られた計ったような100の等間隔の編隊ですが、100は地元機なので「キター!」ということにはならないでしょう。むしろ、これが横田のB−57だったりしたら叫んだかも知れませんね。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:00 No.1021
私のアルバムからF-100E
こちらは、撮影日が62年5月19日となってますから、板付の三軍記念日ではないでしょうか。J57×16発の大音響、聴いてみたかった。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:05 No.1022
私のアルバムからF-100E
62年11月5日の板付エンドの風景。写真からしか想像できないのですが、撮りやすそうな飛行場だったのですね。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:11 No.1023
私のアルバムからF-100E
上の着陸コースの延長線上の光景なのでしょうか。62年2月15日、撮影:Yoshinagaさん
これだけ数々の要素が詰まっている写真も大変珍しいですね。同時期に撮影された969のGabariさん、970のAnzaiさんの写真と比べるのも面白いです。
35TFSのF−100はともかく、外来のWF−2はどこの所属だったのか?とか、こんなに近くまでエンドに近寄れたのか、とか。そして柵なんか無いに等しい。
素晴らしい状況写真です。

そして右端に写るはマツダが初めて世に出した四輪乗用車、「クーペ360」ですよ。このデザイン、今でも立派に通用すると思いませんか?後継のキャロルといい、このクーペといい、マツダのカーデザインはいつも斬新で進歩的です。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:40 No.1024
私のアルバムからF-100E
1960年前後の板付での撮影ポイントは全く分からないのですが、この右向きの写真は午前中の撮影なのでしょうか。横田の拝島側、午後時間帯の光線状態に似てますね。 62.4.14 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:26 No.1025
私のアルバムからF-100E
トップ画像の8TFWのF−100Dと同様な条件下で撮られた嘉手納18TFWのF−100F。撮影日は上の写真と同日の1962年4月14日。 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:33 No.1026
Re: 私のアルバムからF-100E
当然ながらD型も降りてます。
空軍機が華やかだったのは1962年までですね。50年代の海軍機にしても当時の塗装デザインは機体のシルエットに合わせた塗り方をし、マーキングもほどよく表していました。
戦後デザインの世界にも才能を持つ人たちが方々の分野に集まり、もっとも花開いた時期だったのでしょうね。
オジサンは現在の何でもアリの世界には連いてイケマセンデス。

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:47 No.1027
Re: 私のアルバムからF-100E
板付の尾翼のマークの上の部分の赤は、それぞれ使っているフィルターで発色が違いますね。又機首のバンドも色々と色使いが違っていそうですね?徳永さん、55年前の疑問を解いて下さい。家に籠ってると細かい事が気になります。どうぞよろしく。
のらひこ 2020/04/07(Tue) 07:00 No.1028
私のアルバムからF-100E
>のらひこさん
私も同じく籠っていますのでググってカラー写真を探してみました。
のらひこさんお持ちの80TFSの油彩画のカラー写真が見つからず、S.Noは違いますが側面図が出てました。

あかつか 2020/04/07(Tue) 15:36 No.1029
私のアルバムからF-100E
Manabeさんが撮影された板付の1958年頃の三軍記念日。この写真ですと、三色の色あいがモノクロからでも想像できます。
近年ではモノクロ写真をコンピューターで分析し、実際の色を再現できるんですってね。
空恐ろしい時代になったものです。

あかつか 2020/04/07(Tue) 15:48 No.1030
Re: 私のアルバムからF-100E
>のらひこさん、
ご指名により答えさせていただきます。ご質問は嘉手納にいた18TFWのF-100の事だと思いますが、彼らは垂直尾翼に共通の赤白青の矢じりを描き、各飛行隊は、
  12TFS:黄・黒・黄
  44TFS:青・白・青
  67TFS:赤・白・赤
の帯を機首に描いていました。その後空軍の指導書AFM66-1により機体整備の権限が航空団の責任となり、航空団で統一した整備が行われるように徹底されるようになったため、機体の共通化が図られ飛行隊ごとの塗装が1962年暮れまでに廃止されてしまいます。
55年間も悩まされていたのですか?中央線用廃機の飲み会の時にでも聞いていただければと。

>多賀谷さん、
No.1019の写真は素晴らしいですね。銀塗装と迷彩塗装が混在したこの時代をよく表していますね。
コ永 2020/04/08(Wed) 10:36 No.1031
Re: 私のアルバムからF-100E
徳永さん
ありがとうございます。そう嘉手納のことでした。実は三色の矢尻の一番上の色がモノクロの写真でそれぞれ違うので、不思議だったんです。私は見たことがないもんで!しかし何度も言いますが、この三角矢尻はおしゃれですよね。
no1019!!同感です。100マニアの机上に置くべき写真です。少しいたずらをして、一番手前の機の塗装をお好みの、つまり三沢か板付か嘉手納の塗装にモノクロで書き加えたら凄い写真になりますね。歴史の改ざんですけど、100の系譜図ということで・・・・
なお、中央線用廃機の会は、部品どり機の会と名称変更し、コロナが去ったら、是非やりたいです。その際はモーターショーの歌を歌いましょう。
のらひこ 2020/04/08(Wed) 14:51 No.1032
私のアルバムからF-100E
>のらひこさん
コロナが去ったら「部品どり機の会」を開催するようですが、その際は是非参加させてください。“部品どり機”は都内だけでもゴロゴロ転がっているようですから、いろいろお集めになったらいかがでしょうか。

モーターショーの歌というのは1964年リリース「自動車ショー歌」のことですか?。あの歌はスバラシイ!。60年代の代表歌のひとつと思ってます。近年は若いミュージシャンがよく歌っているのが名曲だということの表れですね。
歌や歌詞はYoutubeで多くアップされてますが、オススメはこれ。
街場のオジさんたちも負けていません。
https://www.youtube.com/watch?v=1fes5PyY4qk
あかつか 2020/04/09(Thu) 12:18 No.1033
私のアルバムからF-100D

航空情報 1957年7月号より

あかつか 2020/04/01(Wed) 10:05 No.997 [返信]
Re私のアルバムからF-100
上は1957年の横田三軍記念日での写真と記事ですが、当時の航空専門誌記者の知識の浅さがうかがえます。
まあ、1950年代の世界の航空状況は日進月歩で、航空情報でも「今月の新鋭機を斬る」なる対談があっても毎号連載していたくらいですから、細かいところまで目が届かなかったのでしょうね。編集者も読者も幸せな時代でした。

(5)の説明・・・・見飽きるどころかRF−86Fではないですか。当時にしてもレアな86ですよ。
(6)の説明・・・・右の写真がその86Dのアクロバットらしいのですが、スゴイ写真!カメラマンに脱帽。ナマ写真が見てみたい。
(7)の説明・・・・この記者は板付から飛んできたF−100Dと勘違いしている上、RF−100Aの存在をご存じない。でも大半の読者も「ヘンなF−100だなあ?」と思うだけでツッコミなど入れる人など居なかったでしょうね。
かくいう私も若い頃ENOMOTOさんから写真を見せていただくまで、F−100に偵察型があるなんて全く知りませんでした。
あかつか 2020/04/01(Wed) 10:39 No.998
Re: 私のアルバムからF-100D
Nomuraさんが撮られた三軍記念日でデモ飛行するRF−100A。
観客の多くはF−100自体初めてみたことでしょう。それにしても正体すら詳らかにしなかったRF−100をよく公開したものです。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:22 No.999
Re: 私のアルバムからF-100D
デモを終えエプロンへ戻るRF−100。撮影:NAKASATOさん。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:25 No.1000
Re: 私のアルバムからF-100D
さすがに観客の近くには駐機しなかったようで、Nomuraさんも残念に思われたことでしょう。それでも横田と分かるショットですから、充分価値ある写真です。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:41 No.1001
私のアルバムからF-100D
1956年10月22日撮影のRF−100A。撮影:NAKASATOさん
板付にF−100Dが到着したのが11月4日ですから、それより以前に横田でRFの100が見られたわけですね。
実際横田には何機のRFが居たのかは不明ですが、当時のマニアの話では2機は居たようです。北朝鮮や中国への偵察任務にあたっていたそうで、RB−57Dロングスパン”が横田に配備されると交代するかのように台湾へ移動、そのまま台湾空軍に供与されました。

冷戦とは正に『R』の時代だったんですね。
マニアが横田で撮影した5、60代の空軍の“R機”を並べてみてもRF−84F、RF−86F、RF−100A、RF−101C/G、RF−4C
RB−47E/H、RB−50D/G、RB−57A/D/F、などなど、こんなに居たんですね。ほかにRT−33Aの写真も見たことあります。

あかつか 2020/04/01(Wed) 18:24 No.1002
Re: 私のアルバムからF-100D
航空情報 1957年7月号,面白いですね。朝鮮戦争が終わってまだ4年、編集部も飛行機マニアも資料がなく、60年を過ぎるころにはアシュトレイだ、ヘイメーカーと騒ぎ出しましたが、57年には何が何だか判らなかったのが実情でしょうね。又、アメリカという国は、相手が判らないことに異常に恐怖を覚えるようで、スパイ合戦をはじめ、ものすごい精力を傾注してましたね。でもソ連やイギリスの方がヒューミントでは数段上だったようです。
のらひこ 2020/04/02(Thu) 18:21 No.1003
私のアルバムからF100W

航空情報1960年7月号より

あかつか 2020/03/26(Thu) 15:01 No.976 [返信]
Re私のアルバムからF100W
昭和30年代のヒコーキ写真マニアにとって“伝説の三軍記念日”と語り草になっている1960年の横田の公開時での航空情報の掲載写真と記事です。
何と言ってもその凄さは、ちょうど沖縄から18TFWのF−100D/F、16FISのF−102A、15TRSのRF−101Cが複数機ずつ飛来しており、基地公開中でありながら訓練飛行をマニアの目の前で展開するという願ってもない三軍記念日だったのです。

航空情報の記事では『例年もっとも人気の集まるのがこの横田基地だが、今年はジョンソンに押されてやや淋しい感じだった。』と書かれていますが、ジョンソンでは日本の航空初飛行のアンリファルマン機(複製)の返還式があり、操縦された徳川好敏翁が出席。また、ブルーインパルスの前身“空中機動研究班”(天竜チーム以前)が一般の前で初披露するなど、ジャーナル的な面では大変新鮮な出来事だったからです。
前スレッドでRF−101とF−102はご紹介しましたので、ここからはF−100の当日の模様を発表いたします。写真はすべて1960年5月21日撮影。
あかつか 2020/03/26(Thu) 15:30 No.977
Re私のアルバムからF100W
八高線の牛浜駅を降りて20分ほど歩き、基地のゲートを抜けると真っ先に目に飛び込んできたのがこの光景。
びっしりと敷きつめた芝生の向うにはアメ車、米軍施設。そして憧れの戦闘機群を遠目に見ながら足早に公開エプロンの入場口へと向かう。このときの期待と高揚感は、どなたも思い出として心に残ってるのではないでしょうか。
富田さん、すばらしい写真を残していただき感謝しております。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:32 No.978
Re私のアルバムからF100W
ENOMOTOさんが撮影した18TFWのF−100DとF。
同じ駐機中の機体を撮ってもどこかが違う。ENOMOTOさんらしさが画面から感じるのは二眼レフによるローアングルのせいかも知れません。
原版の画調は6×6判特有の35mm判に無いなめらかさがありました。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:50 No.979
Re私のアルバムからF100W
上の写真はAGC版「在日アメリカ空軍機写真集」にも掲載されていますが、写真解説の中に『F−100D(55−3551)は背部のアクセスパネルが開いているが、機首上部パネルを開けている写真も残っているので、この日、一日中トラブルシューティングをやってたようだ。』と書かれています。

その機首上部パネルを開けていたときの写真がこれ。60年ぶりに証拠写真を見ることができたわけです。撮影:Tomitaさん

あかつか 2020/03/27(Fri) 15:58 No.980
Re: 私のアルバムからF100W
飛行機写真は、1960年12月以前に活動を開始した方々と、1961年以降の方たちに大きく別れますね。良く言う何々以前派、以後派ですね。特にこの12ケ月が大きいですね。横田の空を舞った100の鳥達。それを見なかった人達。以前派の人達が今でも「大人」に感じられる遅れて来た子供です。
のらひこ 2020/03/28(Sat) 08:15 No.981
Re私のアルバムからF100W
>のらひこさん
ヒコーキ写真マニアそのものの考え方にも二つに分かれるように思います。
私らのように、ほんの数年の差で見られなかった(撮れなかった)ヒコーキに対する思いが強いマニアと、自分が見た(撮った)機体にしか興味を示さないマニアですね。たぶんこのBBSUを楽しんでおられる方は前者タイプのマニアではないでしょうか。
私は勿論バリバリの前者です。
あかつか 2020/03/28(Sat) 10:07 No.982
Re私のアルバムからF100W
ソリッドモデラーのTAKADAさんからのご投稿です。

<コメント>
私のアルバムから、毎日楽しみに見ております。
967のF-100D/FW-278を見て懐かしくついメールを書いております。
1960年5月の横田三軍で、田舎モンがいきなり100,101,102を見た感激は一生もので、その半世紀後に漸く作りたかった望みが叶いました。
F-100Dは目の前をタキシングして展示飛行に向かいましたが、FW-278はほんの目の前を通り過ぎた機体でした。100,101,102共この日に見た機体を作りましたが、塗装(部隊マーク)は共に気に入ったもので非常に幸運だったと思ってます。
今は昔ですが、あの頃の写真を見ると今でも血が騒ぎます。

あかつか 2020/03/28(Sat) 13:56 No.983
Re私のアルバムからF100W
TAKADAさんがつくられた想い出の3機。実物を何度か拝見しましたが、たいへん素晴らしいモデルでした。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:02 No.984
Re私のアルバムからF100W
983のF−100の写真見て、尾翼から松?の木が生えているようなシュールな感じを持ちましたが、下のNAKASATOさんが1957年の横田の三軍で撮られたFJ−4のバックにそれらしい木が写っていました。ヒコーキファンとしては少々気になる木ですね。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:16 No.985
Re: 私のアルバムからF100W
TAKADAさんのソリッドは、絶品ですね。プラモと違って世界にワンセットの、私が見たくて見られなかった「極彩色」での再現ですね。101のおしゃれな衣装と言い、102のツンと澄ました尾翼と言い、100の赤の鮮やかさと言い、机の上に飾りたいけど、ワンセットしかないんですからね〜〜〜。そして諸説あるでしょうが、ソリッドは見るからにその充実感を外から感じさせるのは何故でしょうか。正月の浜チャンの芸能人格付け番組で北原さんなら、見るだけで判るでしょうか?
のらひこ 2020/03/29(Sun) 10:39 No.986
Re私のアルバムからF100W
TAKADAさんの983は標準レンズ(45〜50mm)での撮影と思われますが、同時に撮られたGabariさんはTAKADAさんよりいくぶん前に出ていたようですね。立ち位置が違うのはロープが張ってなくどこからでも撮影ができたということなのでしょうか。今の基地公開での常識からすれば考えられないことです。

あかつか 2020/03/29(Sun) 12:03 No.987
Re私のアルバムからF100W
こちらはNomuraさんが6×6判のミノルタ・オートコードでガッチリ撮った18TFWのF−100D。
「データ派」も「シャシン派」も納得のショット。皆さん思い思いの場所で撮り放題。羨ましいかぎりです。

あかつか 2020/03/29(Sun) 13:05 No.988
Re私のアルバムからF100W
979のF−100Fと同機ですが、撮影者の位置はENOMOTOさんとは違うようです。フライト後のショットと見ました。
この時代では珍しかった望遠レンズを使っていますね。たぶん135mmだと思います。撮影:Tomitaさん

あかつか 2020/03/29(Sun) 23:45 No.989
Re私のアルバムからF100W
公開時間終了間際まで粘り、ガードから追い出しを受けながら、トーイングシーンを撮れるのも三軍記念日ならではのことでした。
Tomitaさんが撮影されたこのショットは、トーイング写真のベストと言ってもいいのではないでしょうか。
上手にはヴードー、下手にはフォローミー、遠くにKB−50が見え、1960年横田三軍記念日の1日の終わりを一枚の写真で見事に表現しています。このような写真を撮ってみたかった。

あかつか 2020/03/30(Mon) 14:46 No.990
Re私のアルバムからF100W
送りのショットには那覇の102が写ってます。
ここで記念すべき1960年5月21日の撮影行は終えるわけですが、たぶん先輩たちは帰りの電車の中で心地よい疲労感に浸り、夢心地で家路についたことでしょう。

この日はジョンソン基地と同日公開だったため、朝一にションソンに飛び込んで展示機を漁り(F8が初公開だった)、急ぎ足で横田へ向かっています。従って、空中機動研究班の86Fのデモ飛行の写真が余り残されていないのは、東京在住のマニアが飛行前に横田へ移動したからですね。

あかつか 2020/03/30(Mon) 15:14 No.991
Re私のアルバムからF100W
1966年5月15日。厚木三軍記念日でのF−100F。
前夜から降り続いた雨が上がり、朝一に入場して展示機の”拾い撮影”をしている最中、F−100Fが突如飛来、展示場に人除けしながら滑ってきます。驚いたなあ。

あかつか 2020/03/30(Mon) 23:52 No.992
Re私のアルバムからF100W
987のGabariさんのショットに似てますが、1960年のメタルの素肌にカラーマーク付きのF−100とは100のイメージがまったく異なります。
それでも良し”。という気には中々なれませんね。

あかつか 2020/03/31(Tue) 00:00 No.993
Re私のアルバムからF100W
なぜかカラーも撮っていました。
1961年横田三軍記念日で、初めて100のジュラルミンの素肌に触れて大感激したのですが、6年後の100は泥沼塗装に身を包み、そばに寄って触る気はありませんでした。偶然画面に入り込んだ青年の姿が、そのときの私の気持ちを代弁してるようにみえます。。

あかつか 2020/03/31(Tue) 00:11 No.994
私のアルバムからF100V

AGC版「在日アメリカ空軍機写真集1949〜1969」より

あかつか 2020/03/18(Wed) 16:14 No.958 [返信]
Re私のアルバムからF100V
T.maさんの解説にあるように前日は横田三軍記念日で、TSPCのメンバーにとって最も忘れがたい三軍記念日。その日のF−100の写真は追って紹介いたします。

↓は1960年5月3日、TanakaTuneoさんが撮られた箱根ヶ崎トンネル上からのショット。滑走路延長工事や当時の18ENDの状況が分かる貴重な史料写真です。
TSPCはフォトサークルでしたから、飛行機だけでなく写真に造詣の深い人たちの集まりでもありました。

あかつか 2020/03/18(Wed) 16:31 No.959
Re私のアルバムからF100V
1961年5月5日、RW18に滑り込む嘉手納18TFWのF−100F。撮影:Anzaiさん
60年代初期に日本のマニアが撮影したF−100の中でのピカ一の写真と言えば、Anzaiさんが撮られたこの18TFWのF−100Dでしょう。
角度、光の状態と、箱根ヶ崎側ならではの地上を入れ込んだ画面構成。F−100ファンとしては額縁モノ”の作品ですね。

あかつか 2020/03/19(Thu) 10:00 No.960
Re私のアルバムからF100V
同日Narisawaさんが撮影された三沢のF−100D。ということは、一日に三沢と嘉手納のF−100をキャッチできた運の良い日であったのですね。大昔の話にしても羨ましい限りです。

それだけでなく大変貴重なのは機体が“左向き”であることです。大方の外来機は午後に飛来することが多く、午前にめぐり合う機体は滅多にありません。よって左向きの写真は圧倒的に少ないのです。
拝島側での撮影にしても、超望遠を持てない時代は午後になってもRW36エンドのフェンス付近で撮るしかなく、こちらも左向きの写真が少ないということになります。

あかつか 2020/03/19(Thu) 10:14 No.961
Re: 私のアルバムからF100V
1960年1961年は100が良く横田に来ていたことが判りますね。中隊カラーも鮮やかにエエイ憎らしいです。1960年5月1日にはU-2ソ連上空で撃墜されてるんです。だから日本でも派手に動いて牽制してたんですかね。61年4月にはピッグス湾!!飛行機が好きなくせに、新聞読んでも余り危機感持てなかったです。no960のFは後席に乗せてないんですかね?トラベルポッドを付けて上官の忘れ物を届に来たのかも?撮影は961の次に960なんでしょう。お二人が午前中から粘ってた甲斐があった。
のらひこ 2020/03/19(Thu) 18:22 No.962
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
1961年「ピックス湾事件」から62年の「キューバ危機」、当時の日本人の中でどれだけの人が大戦争の危機を察知していたのでしょうか。私の周りには老若男女だれ一人いませんでした。

ときは高度経済成長真っ只中、都内は今の北京並みのスモッグに覆われながら「無責任時代」へ突入。
世界最大「日章丸」の進水、マーメイド号の“太平洋ひとりぼっち”に喝采を送り、コカコーラ飲みながら「ベンケーシー」「てなもんや三度笠」みて、明日はどこの飛行場へ行こうかと考えていた日々。それが私でした。

下の写真は62年10月のキューバ危機で世界中へ配信されたもの。この写真見て、オライオンが(VP44/LM4/150497)実戦に就いていたのかと驚き、来日を待ちわびる。が、関東の基地へ初飛来したのは1年以上も過ぎた1963年11月20日、VP−31のP−3A(RP34/150607)が厚木でなく立川へ飛来。以後VP46(RC)VP19(PE)VP9(PD)と続いて来日、その後も旧式化したP−2ネプチューンと戦略外となったP−5マーリンはオライオンと交代してゆく。従って3種のVP機が日本で見れた1963年から67年の間が、海軍機マニア(特にVPファン)にとって至福の5年間であったのです。
“ヒコーキマニア”とはしょうがないもんだという一例。

あかつか 2020/03/20(Fri) 17:10 No.963
Re私のアルバムからF100V
「モノクロ銀塩時代」の写真にはそれぞれ個性があり、本人のセンスが印画の中に表われていました。
次からの4カットは、60年代のマニアが見ればすぐWATANABEさんの作品であることが分かります。

撮影:1961年7月31日、箱根ヶ崎トンネル上にて

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:48 No.964
Re私のアルバムからF100V
標準レンズ(45mm)で遠近感を持たせた地上からの編隊写真など、今では撮りようがありません。

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:51 No.965
Re私のアルバムからF100V
空と雲のコントラストから想定しますと、オレンジフィルターを使用していたようですね。フィルムはネオパンFでしょうから、恐らくシャッターは1/500秒、絞りはF4〜F5.6と見ました。

あかつか 2020/03/21(Sat) 09:59 No.966
Re: 私のアルバムからF100V
ほとんどネガのままですので、トリミングはしていません。
滅多に見られない壮大な巻雲を画面にとり込み、F−100をやや下目に置く。“写真派”とよばれたWATANABEさんらしいいつまでも印象に残る作品です。

あかつか 2020/03/21(Sat) 10:17 No.967
Re: 私のアルバムからF100V
このスレッドの100は、写真教室の教科書のような写真が沢山そろってます。
私の経験で言うと、まず最初はフレームに納めるのが難しかった。それが少し出来るようになると、流し撮りで止めるのに難渋しましたね。それから兎に角真ん中に機体を留める。そのあと、背景の水平を意識する。それが一人前になって初めて、背景や機体のバランスを考え出すということだったような気がします。前の2枚の写真など、そのすべてを取り入れた理想的構図ですね。
しかし、嘉手納の100は美しい。尾翼のマークがなんか欧州を感じさせ、三沢や板付よりインテリ風に見えて羨ましかったです。
のらひこ 2020/03/22(Sun) 08:31 No.968
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
今回のF−100のスレッドは確かに“写真教室”の手本のような写真が多いです。偶然性の高い写真もありますが、ほとんどは撮影者が意識して作品づくりに励んだ結果だと見ています。
下のTSPCのGabariさんが1962年に撮られた横田の18エンドでのショットですが、嘉手納のF−100をさて置いて、親子のピクニックを写し込んだ狙いが感じられます。(こどもの動きがじつにいい)今やこうした作品は航空専門誌で見られなくなりましたね。

あかつか 2020/03/22(Sun) 14:17 No.969
Re私のアルバムからF100V
こちらは、Anzaiさんが61年5月5日に撮影された18エンドの光景。
2ドア・ハードトップのアメ車が古きよきアメリカを感じさせてくれます。(車種ご存知の方ご教示ください)

上のピクニックの写真と合わせてみますと、1950年代から60年代にかけての日米文化の一端が読みとれますし、
基地を舞台に物語性まで写真の中に凝縮されており、観ていて飽きません。

あかつか 2020/03/22(Sun) 14:25 No.970
Re: 私のアルバムからF100V
確かシボレーインパラの60年型ですね。

のらひこ 2020/03/22(Sun) 18:16 No.971
Re私のアルバムからF100V
>のらひこさん
60年型のシボレー・インパラでしたか。
インパラというと、59年型のイメージが強く残っていて60年型を知りませんでした。
しかしながら、当時このシボレーがChevyと愛称で呼ばれるアメリカの大衆車だというのですから、日米の格差は相当なものでしたね。
同時期の日本の高級車クラウンなんか達磨みたいな格好で、子供ながらダサイなあと思ってました。

あかつか 2020/03/22(Sun) 23:14 No.972
Re私のアルバムからF100V
箱根ヶ崎側ならではの陽の光を受けRW18へ降りる板付のF−100F。
機首のバンドと尾翼の塗装は青・赤・黒の順で、白い縁どりまで施されています。しかも肌はメタル。
一時期(1959−1962)を除くハイビジ海軍機の塗装も華やかでしたが、PACAFに統合される以前の空軍機はそれを凌ぐ魅力がありますね。
モノクロ写真礼賛派の私ですが、この時代の空軍機はカラーで見てみたかった。1962.5.22 Photo:T.Moriさん

あかつか 2020/03/23(Mon) 09:59 No.973
Re私のアルバムからF100V
箱根ヶ崎「F−100シリーズ」のトリはMoriさんの三沢の100で決めさせていただきます。
モノクロの色調から“赤”の方の531TFSだと推察しますが、これとてカラーだったらなあ、と思うのは私だけではないでしょう。

F−100は語り尽せないほど魅力あるヒコーキですが、その一つの理由に“スーパーセイバー”なるネーミング。P−51ムスタングからF−86セイバーに。そして真打として登場したのがF−100スーパーセイバーだったのです。そのスタイルは“ノースアメリカン”一族の代表のように見え、少年マニアにとって憧れの“スーパースター”でした。ですので1961年の横田三軍記念日で実機を初めてそばで見た感動は今だに脳裏に残っており、そのときの思いは生涯忘れることはないでしょう。

あかつか 2020/03/24(Tue) 09:50 No.974
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