私のアルバム〜FJ−4
航空情報1959年3月号
Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/09/30(Wed) 23:53 No.1470
今まで見た最も心に残るフューリーの写真は、航空情報「私のアルバムから」で入賞されたShimozatoさんのこの写真です。
かつてCHECKER TAIL4に掲載したくShimozatoさんに写真提供をお願いしたところ、6×6判のネガを2カット送って下さいました。原版では周囲に余裕があり地面は傾いていましたが、そこは大判フィルムの強み。写真のようなトリミングから画面は絶妙な仕上がりとなっています。
カメラのスーパー・フジカシックスは6×6判スプリング式(蛇腹)後期のカメラで、小西六(後のコニカ)のセミ・パールとともに50年代のハイ・アマチュアが使用した最高級蛇腹機でした。
かつてCHECKER TAIL4に掲載したくShimozatoさんに写真提供をお願いしたところ、6×6判のネガを2カット送って下さいました。原版では周囲に余裕があり地面は傾いていましたが、そこは大判フィルムの強み。写真のようなトリミングから画面は絶妙な仕上がりとなっています。
カメラのスーパー・フジカシックスは6×6判スプリング式(蛇腹)後期のカメラで、小西六(後のコニカ)のセミ・パールとともに50年代のハイ・アマチュアが使用した最高級蛇腹機でした。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/09/30(Wed) 23:59 No.1471
下は、2コマのネガのうちの別ショット(VMA-214/WE17)。
上の航空情報掲載機はWEの19号機なので、作品タイトルの「着陸訓練」が示すように2機でタッチ・アンド・ゴーを
何回も繰り返していたのでしょうね。「50年代の厚木はこうだったのか〜!」と、写真見るだけで時代に嫉妬してしまいます。
1959.1.10 撮影:Shimozatoさん
上の航空情報掲載機はWEの19号機なので、作品タイトルの「着陸訓練」が示すように2機でタッチ・アンド・ゴーを
何回も繰り返していたのでしょうね。「50年代の厚木はこうだったのか〜!」と、写真見るだけで時代に嫉妬してしまいます。
1959.1.10 撮影:Shimozatoさん


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/01(Thu) 19:11 No.1472
下は航空情報1959年10月号臨時増刊「航空ファン読本」に掲載された橋本喜久男画伯のフューリーのイラスト。
飛行機絵画もイラストも地上で写生する以外、写真を基に描くようですが、橋本画伯の挿絵もその例にもれず、
Shimozatoさんの写真を参考に秋らしくアレンジしています。昭和タッチがいいですね〜(^_^)
それだけN0.1469の写真が当時の専門誌の人たちに受け入れられていたということでしょう。
飛行機絵画もイラストも地上で写生する以外、写真を基に描くようですが、橋本画伯の挿絵もその例にもれず、
Shimozatoさんの写真を参考に秋らしくアレンジしています。昭和タッチがいいですね〜(^_^)
それだけN0.1469の写真が当時の専門誌の人たちに受け入れられていたということでしょう。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/01(Thu) 19:39 No.1473
VMA−214(WE)のFJ−4Bは、台湾海峡で1958年8月に勃発した金門島砲撃事件に対応して、1958年10月、VMA−212(WD)とともに厚木へ展開しました。写真は1958年12月22日、Komiyaさんが01エンドで撮影されたWE18。
その頃Komiyaさんは望遠レンズを使用していないはずなので、たぶんペトリの標準カメラで撮ったと思われます。恐ろしや・・・。
その頃Komiyaさんは望遠レンズを使用していないはずなので、たぶんペトリの標準カメラで撮ったと思われます。恐ろしや・・・。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/02(Fri) 21:37 No.1474
デモン特集の終わりにお知らせしましたが、各飛行隊のフューリーが退役後(60年代)に受領した機体も可能な限りご紹介したいと思います。
VMA−214は1962年1月に後継機A4D−2を受領していますが、WEのスカイホーク初来日は、何と対潜空母ホーネットの防空部隊として派遣されたA−4B/DET.Nでした。
対潜空母への分遣隊機は4機しか搭載してなく、しかも航海毎に別の飛行隊が派遣されるので撮影のチャンスはじつに少ない。そんなわけで、当時の海軍機マニアは対潜空母のA−4を目の色を変えて追いかけていました
私は残念ながらホーネットのA−4Bは撮れなかったので、のらひこさんがA1タキシーウェイを滑る3機の[WE]を、まとめて貼らしてもらいます。撮影日は不明ですが、たぶん1964年の2月でしょう。こんなシーンに出会いたかったなあ。
VMA−214は1962年1月に後継機A4D−2を受領していますが、WEのスカイホーク初来日は、何と対潜空母ホーネットの防空部隊として派遣されたA−4B/DET.Nでした。
対潜空母への分遣隊機は4機しか搭載してなく、しかも航海毎に別の飛行隊が派遣されるので撮影のチャンスはじつに少ない。そんなわけで、当時の海軍機マニアは対潜空母のA−4を目の色を変えて追いかけていました
私は残念ながらホーネットのA−4Bは撮れなかったので、のらひこさんがA1タキシーウェイを滑る3機の[WE]を、まとめて貼らしてもらいます。撮影日は不明ですが、たぶん1964年の2月でしょう。こんなシーンに出会いたかったなあ。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/02(Fri) 21:43 No.1475


Re: 私のアルバム〜FJ−4
村越賢司
2020/10/03(Sat) 11:18 No.1476
>あかつかさん
FJ−4は目撃できませんでしたが
CVSG−57 HORNETの搭載機が出てきましたので
四機貼ります
No.1474、のらひこさんの01角の時に一緒にいました
ローカルフライトを終えて01エンドに滑り込むA−4Bを4コマ連貼りです
1964年2月3日の厚木01エンド
VMF−214 DET.NのA−4B(WE81/142948)
FJ−4は目撃できませんでしたが
CVSG−57 HORNETの搭載機が出てきましたので
四機貼ります
No.1474、のらひこさんの01角の時に一緒にいました
ローカルフライトを終えて01エンドに滑り込むA−4Bを4コマ連貼りです
1964年2月3日の厚木01エンド
VMF−214 DET.NのA−4B(WE81/142948)


Re: 私のアルバム〜FJ−4
村越賢司
2020/10/03(Sat) 11:27 No.1479


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/03(Sat) 21:49 No.1480
>村越さん
USSホーネットに4機しか搭載されていない[WE]のA−4Bを全て撮ってらっしゃるとは・・・しかも昨日撮ったような素晴らしい写真。
“羨ましさ”を通り過ぎて締めたくなりますよ(笑)
82番は胴体にバンドが画かれていますが、隊長機だったのでしょうね。
VMA−214はA−4BからA−4Cへグレードアップされ、岩国へ配属されました。Yokooさんが1965年4月6日、厚木で撮られています。
当時は岩国のVMA機が厚木へ飛来することは少なかったから、このWE21は貴重な写真といってよいでしょう。
USSホーネットに4機しか搭載されていない[WE]のA−4Bを全て撮ってらっしゃるとは・・・しかも昨日撮ったような素晴らしい写真。
“羨ましさ”を通り過ぎて締めたくなりますよ(笑)
82番は胴体にバンドが画かれていますが、隊長機だったのでしょうね。
VMA−214はA−4BからA−4Cへグレードアップされ、岩国へ配属されました。Yokooさんが1965年4月6日、厚木で撮られています。
当時は岩国のVMA機が厚木へ飛来することは少なかったから、このWE21は貴重な写真といってよいでしょう。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/03(Sat) 22:04 No.1481
同じくYokooさんが、翌年の10月4日に撮られたWE21。
この[WE]のA−4Cを初めて見たときの衝撃的かつ素晴らしい塗装に驚愕した覚えがあります。ある意味“ブラックシープ”A−4シリーズの「完成型」と言えるのではないでしょうか。
今も昔も海兵隊機は塗装をよく変えますが、そんな中VMA−214のA−4は、C型からE型にコンバートされても基本塗装は同じでしたから。
この[WE]のA−4Cを初めて見たときの衝撃的かつ素晴らしい塗装に驚愕した覚えがあります。ある意味“ブラックシープ”A−4シリーズの「完成型」と言えるのではないでしょうか。
今も昔も海兵隊機は塗装をよく変えますが、そんな中VMA−214のA−4は、C型からE型にコンバートされても基本塗装は同じでしたから。


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/05(Mon) 00:02 No.1482
初めて“大人のカメラ”を使ってヒコーキ写真を撮り出したのは1961年8月中学2年生のときでした。そのとき厚木へ行かれさえすればフューリーを見られた可能性はあったのですが、情報ゼロの時代に中学生が一人でランウェイエンドへ行かれるはずがありません。
ようやく厚木エンドに立てたのが写真を撮り始めて1年後の1962年8月。時すでに遅し、FJ−4は日本の空から消えていました。
そんな訳で、ハンコック/CVG−21で最後の厚木飛来となった[NP]のFJ−4Bの雄姿を拝めることができなかったことは、“海軍機マニア”としての無念さが未だ心に残っているのであります。 1962年3月2日 撮影:WATANABEさん
ようやく厚木エンドに立てたのが写真を撮り始めて1年後の1962年8月。時すでに遅し、FJ−4は日本の空から消えていました。
そんな訳で、ハンコック/CVG−21で最後の厚木飛来となった[NP]のFJ−4Bの雄姿を拝めることができなかったことは、“海軍機マニア”としての無念さが未だ心に残っているのであります。 1962年3月2日 撮影:WATANABEさん


Re: 私のアルバム〜FJ−4
あかつか
2020/10/05(Mon) 00:18 No.1483


私のアルバム〜F3HI
AGC版 私のアルバムから〜「最後のデモン」 K.Narisawa
Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/13(Sun) 12:01 No.1453
デモン特集、最終章のトップ画像はNarisawaさんが撮影されたVF−161/AH102。
これまで日本で撮影されたデモンの写真を数多く見てきましたが、光線状態、空のトーン、アクセントの雲、角度、ピント、申し分のない名作だと思っております。 1962年8月29日 厚木基地大和側にて
これまで日本で撮影されたデモンの写真を数多く見てきましたが、光線状態、空のトーン、アクセントの雲、角度、ピント、申し分のない名作だと思っております。 1962年8月29日 厚木基地大和側にて


Re: 私のアルバム〜F3HI
のらひこ
2020/09/13(Sun) 13:09 No.1454
おお!おお!美しいですなー。58年前とは思えないオシャレな塗装でした。臙脂のシェブロンにAレター。これがデモンの極め付きでしょう。8月29日。この当時は熱くなったって、気象庁発表は30度程度だったはず。でもヒコージョーの端は32度ぐらいはあったでしょうが、暑さを感じるヒマもないぐらいAHレターに興奮したものです。
でもいまだに、あの当時、どうやってフィルム現像や半間の押し入れの中の現像液を20度に保ったのか全く忘れています。あっ!!増感なら18度だった。水道の水は20度はあったんじゃないかなー?我が家は氷冷蔵庫は無く、2cm立方の小さな氷しか無かったので冷やせるはずは無かったです。
36度になんか負けるもんか!!!
でもいまだに、あの当時、どうやってフィルム現像や半間の押し入れの中の現像液を20度に保ったのか全く忘れています。あっ!!増感なら18度だった。水道の水は20度はあったんじゃないかなー?我が家は氷冷蔵庫は無く、2cm立方の小さな氷しか無かったので冷やせるはずは無かったです。
36度になんか負けるもんか!!!


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/13(Sun) 17:03 No.1455
オリスカニーがCVG−16(AH)を載せてるころは私は“標準時代”でしたのでお見せできるような写真を撮っていません(--;)
よって、のらひこんさんが撮られたVF−161/AH112の代貼りします。
>のらひこさん
この雰囲気、結構気に入ってます。高曇りの中、西から一瞬薄日が差してきたのでしょう。モノクロならではの優れた逸品と申しましょうか。
よって、のらひこんさんが撮られたVF−161/AH112の代貼りします。
>のらひこさん
この雰囲気、結構気に入ってます。高曇りの中、西から一瞬薄日が差してきたのでしょう。モノクロならではの優れた逸品と申しましょうか。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/13(Sun) 17:20 No.1456
これも、のらひこさんの代貼りです。
写真に撮影日が書かれていませんが、多分1963年12月2日だと思います(同じようなカットにVF−162のF−8Aがある)
燃料タンクを抱えスパローを吊るすと“細身”のデモンもグっと迫力が増しますね。撮らないまでもこんなタキシングを一度見たかったなあ。
写真に撮影日が書かれていませんが、多分1963年12月2日だと思います(同じようなカットにVF−162のF−8Aがある)
燃料タンクを抱えスパローを吊るすと“細身”のデモンもグっと迫力が増しますね。撮らないまでもこんなタキシングを一度見たかったなあ。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/13(Sun) 17:45 No.1457
↑のデモンのタキシーを撮り、ランウェイへカメラを振ると、こんな光景が展開。
J71×4とR3350×6の“大演奏”はどんな音を奏でていたのでしょうか。この時ののらひこさんの心中、容易に察することができます。
半世紀以上前の出来事なのに羨ましく思ってしまう。
J71×4とR3350×6の“大演奏”はどんな音を奏でていたのでしょうか。この時ののらひこさんの心中、容易に察することができます。
半世紀以上前の出来事なのに羨ましく思ってしまう。


Re: 私のアルバム〜F3HI
のらひこ
2020/09/14(Mon) 11:30 No.1458
あの日のカドでの興奮を思い出しましたよ!スカイレーダーが随分長くウエイティングした後、デモンがチョッとお先にと滑走路に進んだんですが、兎に角、レシプロのかすれたような、乾いた低音の上に、J‐71の轟音が重なって、交響曲の様でした。75mmか105mmだったらもっと臨場感を出せたでしょうが、あの時代は逆に長玉持ってたら一機一機撮って、情景写真にまで思いがいかなかったでしょうから、135mmで丁度良かったですね。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/14(Mon) 22:55 No.1459
1963年来日時ではレドームの白い機体が数機確認されています。
ファントムほどではありませんが、“ノーズ”が黒か白かで機体全体のイメージは異なりますね。
海軍機マニアの多くは黒のレドームを好みますが、デモンの場合は白いほうがスマートに見え、白のファンも結構多かったのではないでしょうか。 1963.11.23 撮影:Narisawaさん
ファントムほどではありませんが、“ノーズ”が黒か白かで機体全体のイメージは異なりますね。
海軍機マニアの多くは黒のレドームを好みますが、デモンの場合は白いほうがスマートに見え、白のファンも結構多かったのではないでしょうか。 1963.11.23 撮影:Narisawaさん


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/14(Mon) 23:07 No.1460
上と同日に撮影されたAH110。 撮影:Narisawaさん
よく見るとテイルレターの位置とサイズの違いがありますね。こうしたことがあるのも60年代の海軍機ならではで「コダワリ派」のモデラーさんを悩ませるところ。
それにしても双方とも素晴らしい写真ではありませんか。
よく見るとテイルレターの位置とサイズの違いがありますね。こうしたことがあるのも60年代の海軍機ならではで「コダワリ派」のモデラーさんを悩ませるところ。
それにしても双方とも素晴らしい写真ではありませんか。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/14(Mon) 23:30 No.1461
トップ画像と同日、63年8月29日、大和側で捉えた“ベタ低い”AH107の着陸。
1965年頃までは現在の県道40号線を南へ200mぐらい先(今は基地内)まで入って撮ることができました。夏場は雑草が生い茂り居心地は余り良くありませんでしたが、少しでも滑走路の近くへ行きたがるのはマニアの性。Narisawaさんはその場所で撮ったのでしょう。レンズは多分135mm。セイダカアワダチ草が千載一遇のショットを邪魔してます。
1965年頃までは現在の県道40号線を南へ200mぐらい先(今は基地内)まで入って撮ることができました。夏場は雑草が生い茂り居心地は余り良くありませんでしたが、少しでも滑走路の近くへ行きたがるのはマニアの性。Narisawaさんはその場所で撮ったのでしょう。レンズは多分135mm。セイダカアワダチ草が千載一遇のショットを邪魔してます。


Re: 私のアルバム〜F3HI
村越賢司
2020/09/15(Tue) 11:45 No.1462


Re: 私のアルバム〜F3HI
村越賢司
2020/09/15(Tue) 11:52 No.1463


Re: 私のアルバム〜F3HI
村越賢司
2020/09/15(Tue) 11:55 No.1464


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/15(Tue) 19:39 No.1465
>村越さん
1963年8月2日、手帳の記録みたら厚木で一緒でした。
CVG14[NK]のF−4BやらF−8Eも飛んでましたので、横須賀にコンステレーションが入港中だったようですね。
感慨深いのは36枚1本のネガの中に、デモン(AH・NL)スカイレイ(WH・EK)クルーセイダー(NK・WS・PP・UE)ファントム(NK)と4種のファイターが写っている。当時は只ひたすらに降りてくるヒコーキを追いかけていただけでしたが、今思えば恵まれた時代環境の下に居たんだなあと思う次第です。
1463のノーマーク145267は、netで調べたところ、移動が激しい機体だったのですね。60年→VF−151/NL113,61年→VF−213/NP310,62年→VF−193/NM302,そして63年にVF−161/AHとなり、同年9月27日、オリスカニー上でクラッシュしています。
1963年8月2日、手帳の記録みたら厚木で一緒でした。
CVG14[NK]のF−4BやらF−8Eも飛んでましたので、横須賀にコンステレーションが入港中だったようですね。
感慨深いのは36枚1本のネガの中に、デモン(AH・NL)スカイレイ(WH・EK)クルーセイダー(NK・WS・PP・UE)ファントム(NK)と4種のファイターが写っている。当時は只ひたすらに降りてくるヒコーキを追いかけていただけでしたが、今思えば恵まれた時代環境の下に居たんだなあと思う次第です。
1463のノーマーク145267は、netで調べたところ、移動が激しい機体だったのですね。60年→VF−151/NL113,61年→VF−213/NP310,62年→VF−193/NM302,そして63年にVF−161/AHとなり、同年9月27日、オリスカニー上でクラッシュしています。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/16(Wed) 14:46 No.1466
これにてBBS「私のアルバムから〜F3Hデモン」を終了いたします。
当BBSへの写真、コメント等のご投稿ありがとうございました。以後もよろしくお願いいたします。
厚木で何回もデモンの離着陸に遭遇しましたが、余り記憶に残ってないのは空母艦載機であるが故、基地所属のスカイレイのように1年中飛んでいなかったからでしょうね。また、厚木へ通い出したとき最新鋭のファントムが日本に初登場した時期で、同じマクダネルの戦闘機とは言えデモンは線が細く見え、逞しさに勝る ファントムに心を奪われてしまったからだと思います。(それだけファントムの来日はショッキングでした)
↓はCHECKER TAIL1に掲載された写友SabuさんのF−4BファントムですがVF−161をデモンと比べて見ますと、塗装も機体もデモンのほうが良かったなあ、と感じるのは私だけでしょうか?
BBS2は、しばらくお休みをいただいて「フューリーと後継機たち(仮)」を10月1日から開始いたします。
当BBSへの写真、コメント等のご投稿ありがとうございました。以後もよろしくお願いいたします。
厚木で何回もデモンの離着陸に遭遇しましたが、余り記憶に残ってないのは空母艦載機であるが故、基地所属のスカイレイのように1年中飛んでいなかったからでしょうね。また、厚木へ通い出したとき最新鋭のファントムが日本に初登場した時期で、同じマクダネルの戦闘機とは言えデモンは線が細く見え、逞しさに勝る ファントムに心を奪われてしまったからだと思います。(それだけファントムの来日はショッキングでした)
↓はCHECKER TAIL1に掲載された写友SabuさんのF−4BファントムですがVF−161をデモンと比べて見ますと、塗装も機体もデモンのほうが良かったなあ、と感じるのは私だけでしょうか?
BBS2は、しばらくお休みをいただいて「フューリーと後継機たち(仮)」を10月1日から開始いたします。


Re: 私のアルバム〜F3HI
のらひこ
2020/09/16(Wed) 21:16 No.1467
フューリーってFJ‐4ですよね。


Re: 私のアルバム〜F3HI
あかつか
2020/09/16(Wed) 21:30 No.1468
>のらひこさん
巷ではFJ−1からFJ−4まで「フューリー」と呼んでいますが、我々世代マニアの中でのフューリーとはFJ−4のことを言います。
FJ−1は“ビヤダル”、FJ−2〜3は“ハチロク”ですものね〜(^_^)
まあ、BBSの展開次第でいろいろ紹介したいと思っています。
巷ではFJ−1からFJ−4まで「フューリー」と呼んでいますが、我々世代マニアの中でのフューリーとはFJ−4のことを言います。
FJ−1は“ビヤダル”、FJ−2〜3は“ハチロク”ですものね〜(^_^)
まあ、BBSの展開次第でいろいろ紹介したいと思っています。


私のアルバム〜F3HH
1963年9月16日 撮影:赤塚 薫
Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/08(Tue) 19:34 No.1439
早朝、大和の森の脇から写したVF−213の離陸ショット。これで135mmですから如何にデモンの離陸が低かったのかが分かります。
運よく昼前には風が変わり、1428のNP301着陸写真につながることになります。午後から本降りの雨になり撤収しましたが、CVW−15[NL]のF−3B、A−4C、CVSG−53[NS]のA−4Bなどが撮れましたので、横須賀にはハンコック、コーラルシー、ケアサージの3隻の空母が入っていたようですね。
運よく昼前には風が変わり、1428のNP301着陸写真につながることになります。午後から本降りの雨になり撤収しましたが、CVW−15[NL]のF−3B、A−4C、CVSG−53[NS]のA−4Bなどが撮れましたので、横須賀にはハンコック、コーラルシー、ケアサージの3隻の空母が入っていたようですね。


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/08(Tue) 23:57 No.1441


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/09(Wed) 09:55 No.1443


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/09(Wed) 23:32 No.1444
↓1963年9月3日にNarisawaさんが撮られたNP310の感動的ショット。
ここで注目したいのは、撮影日が9月3日であること。上のMoriさんが撮られたNP310は10月4日。以前Moriさんの10月4日のネガを拝見した記憶では、デモンのほかにCVG−21[NP]の所属機が数多く写っていました。と言うことはハンコックはひと月以上も横須賀に居たことが考えられます。
“ベトナム以前”の60年代、米空母が横須賀へ入港すると1〜2ケ月停泊することはさほど珍しいことではなく、その間兵士は、鎌倉をはじめ東京の観光地へ行き鋭気を養っていたのでしょうね。
こうした空母の長逗留は現在のように連日飛行場へ行かれなかった日本のマニアにとって大変有難いことでした。
ここで注目したいのは、撮影日が9月3日であること。上のMoriさんが撮られたNP310は10月4日。以前Moriさんの10月4日のネガを拝見した記憶では、デモンのほかにCVG−21[NP]の所属機が数多く写っていました。と言うことはハンコックはひと月以上も横須賀に居たことが考えられます。
“ベトナム以前”の60年代、米空母が横須賀へ入港すると1〜2ケ月停泊することはさほど珍しいことではなく、その間兵士は、鎌倉をはじめ東京の観光地へ行き鋭気を養っていたのでしょうね。
こうした空母の長逗留は現在のように連日飛行場へ行かれなかった日本のマニアにとって大変有難いことでした。


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/09(Wed) 23:55 No.1445


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/10(Thu) 18:34 No.1446


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/10(Thu) 18:45 No.1447


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/10(Thu) 23:27 No.1448
1438トップ画像の“送りのショット”ではなく、同日並んで撮っておられたMoriさんの作品。 1963.9.16/RW19
これにて手元にありましたVF−213[NP]デモンの写真は、すべて張らせていただきました。発表された以外のモデックスを持つVF-213のデモンの写真がございましたら、よろしくお願いいたします。
これにて手元にありましたVF−213[NP]デモンの写真は、すべて張らせていただきました。発表された以外のモデックスを持つVF-213のデモンの写真がございましたら、よろしくお願いいたします。


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/12(Sat) 12:10 No.1449
VF−213のデモンが日本の空で見られたのは1960年から4年ほどだったので、当時のマニア人口から見れば撮影できたマニアは多くはありません。それでも結構な数の写真が残されているのは、厚木へ飛来した機数やフライトの回数が多かったからでしょうね。
私がその後VF−213に出会ったとき(1965年12月27日)には、すでにF−3BからF−4Gに機種変換されていました。
私がその後VF−213に出会ったとき(1965年12月27日)には、すでにF−3BからF−4Gに機種変換されていました。


Re: 私のアルバム〜F3HH
あかつか
2020/09/12(Sat) 12:25 No.1450
ビネガーシンドロームで酷いダメージを受けたネガからの再生なのでお見苦しい写真ですが、私が撮った唯一の右向きのVF−213/F−4Gです。
100番台にも関わらず塗装色は、スコードロンカラーの赤を使わず、フィールドグリーンを暗くしたようなくすんだ緑でした。ネット上で何枚かカラー写真を見つけましたが、色の決め手になるような写真はありませんでした。
オールドマニアとしては、こうしたオーソドックスな塗装がお気に入りなんですがね。
100番台にも関わらず塗装色は、スコードロンカラーの赤を使わず、フィールドグリーンを暗くしたようなくすんだ緑でした。ネット上で何枚かカラー写真を見つけましたが、色の決め手になるような写真はありませんでした。
オールドマニアとしては、こうしたオーソドックスな塗装がお気に入りなんですがね。


私のアルバム〜F3HG
1060.9.28 emergency!
Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/02(Wed) 23:19 No.1424
ヒコーキ写真マニアならひと目見て分かるデモンの緊急着陸ショット。 撮影:Komiyaさん
誰もが何回ともなく見てきたエマージェンシー・シーンですが、大方は着艦フックを降ろしている機体だけを写真に収めるだけに留まります。
このショットの凄さはF8U−1Pが、いかにも事故機を見守っているかのような飛び方をして両機を一つの画面に捉えたことではないでしょうか。
これこそドキュメント写真そのものと言えます。
誰もが何回ともなく見てきたエマージェンシー・シーンですが、大方は着艦フックを降ろしている機体だけを写真に収めるだけに留まります。
このショットの凄さはF8U−1Pが、いかにも事故機を見守っているかのような飛び方をして両機を一つの画面に捉えたことではないでしょうか。
これこそドキュメント写真そのものと言えます。


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/02(Wed) 23:40 No.1425
“デモン特集”も余すところVF-213[NP]とVF-161[AH]のみとなりました。
VF−213は1959年12月にスカイレイからデモンにコンバートされ、以後60年11月にレキシントン、62年2月と63年6月からはハンコックに載って来日。来日した数々のデモンの中では比較的多くの写真が残されている人気の飛行隊機でした。 撮影:Moriさん
VF−213は1959年12月にスカイレイからデモンにコンバートされ、以後60年11月にレキシントン、62年2月と63年6月からはハンコックに載って来日。来日した数々のデモンの中では比較的多くの写真が残されている人気の飛行隊機でした。 撮影:Moriさん


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/03(Thu) 23:34 No.1426
↓geta-oさんが#1368で紹介された1963年撮影のNP301の再掲です。
文林堂「世界の傑作機」F3H Bu.Noリストの中ではF3H−2/145292〜145306 cancelled(14)と書かれていますが、
145292から145306の計は15機ですので下の145301のみが造られたことになるわけですね。
文林堂「世界の傑作機」F3H Bu.Noリストの中ではF3H−2/145292〜145306 cancelled(14)と書かれていますが、
145292から145306の計は15機ですので下の145301のみが造られたことになるわけですね。


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/03(Thu) 23:47 No.1427


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/04(Fri) 00:26 No.1428


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつかさん、ご無沙汰しています。
F3Hの特集楽しませてもらっています。1426で145292から145306までキャンセルとの事ですが、それは無いと思います。ちょっと調べてみたのですが145303 VF-53 NF-208や145302 VF-121 NJ-139などの写真を見つけました。本当は全部探せればよいのですが。
文章だけでは何なのでF3Hの写真を探しましたがお見せできるようなものはありませんでした。と言うわけで最近のVFA-213を、と言っても7年前ですが。
F3Hの特集楽しませてもらっています。1426で145292から145306までキャンセルとの事ですが、それは無いと思います。ちょっと調べてみたのですが145303 VF-53 NF-208や145302 VF-121 NJ-139などの写真を見つけました。本当は全部探せればよいのですが。
文章だけでは何なのでF3Hの写真を探しましたがお見せできるようなものはありませんでした。と言うわけで最近のVFA-213を、と言っても7年前ですが。
Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/04(Fri) 19:20 No.1430
>徳永さん
確かにネットでググッてみますと、キャンセルされてないようですね。「世界の傑作機〜デモン」の再構成版が出版されるようでしたら文林堂の編集人に注意しましょう。紙媒体をすぐ信じてしまう自分に“喝!”です(~~;)
↓は1963年10月4日、Moriさんが撮影されたNP303/145270。垂直尾翼の帯の塗り方が中途半端ですね。この年飛来したVF−213のデモンの塗装はいくつものパターンがあったのは何故だったのでしょうか。マニアにとっては大変喜ばしいことですけど・・・。
確かにネットでググッてみますと、キャンセルされてないようですね。「世界の傑作機〜デモン」の再構成版が出版されるようでしたら文林堂の編集人に注意しましょう。紙媒体をすぐ信じてしまう自分に“喝!”です(~~;)
↓は1963年10月4日、Moriさんが撮影されたNP303/145270。垂直尾翼の帯の塗り方が中途半端ですね。この年飛来したVF−213のデモンの塗装はいくつものパターンがあったのは何故だったのでしょうか。マニアにとっては大変喜ばしいことですけど・・・。


Re: 私のアルバム〜F3HG
村越賢司
2020/09/04(Fri) 23:26 No.1431
No.1430のMoriさんのデモンと同じ機体の約1ヶ月後.
胴体国籍マーク後方のBlack Lionマークも無くなりつまらない塗装になっていました
1963年11月4日の厚木01エンド
VF−213のF−3B(NP303/145270)
135mmだとぼってりしたフォルムに見えてしまう
胴体国籍マーク後方のBlack Lionマークも無くなりつまらない塗装になっていました
1963年11月4日の厚木01エンド
VF−213のF−3B(NP303/145270)
135mmだとぼってりしたフォルムに見えてしまう


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/05(Sat) 23:22 No.1432
>村越さん
確かに135mmでの定番アングルですね。それでもデモンを望遠レンズで撮った人は団塊マニアの中では何人も居ませんので、私としては羨ましい限りです。
Moriさんが01の“カド”から400mmで捉えたNP306。
1963年の撮影ですが、この時代に400mmを駆使してデモンを撮ったマニアは、Moriさんしか居なかったと思います。
確かに135mmでの定番アングルですね。それでもデモンを望遠レンズで撮った人は団塊マニアの中では何人も居ませんので、私としては羨ましい限りです。
Moriさんが01の“カド”から400mmで捉えたNP306。
1963年の撮影ですが、この時代に400mmを駆使してデモンを撮ったマニアは、Moriさんしか居なかったと思います。


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/06(Sun) 15:08 No.1433
↑と同日撮影されたNP307。
“ライオン”なし、ブルーラインは尾翼の先端部に引かれています。
左にC−135の尾翼が写っていますが、1963年当時C−135Bはまだ新鋭機だったので、もし当日に降りていたらこの日は結構ツイていたということになりますね。
“ライオン”なし、ブルーラインは尾翼の先端部に引かれています。
左にC−135の尾翼が写っていますが、1963年当時C−135Bはまだ新鋭機だったので、もし当日に降りていたらこの日は結構ツイていたということになりますね。


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/06(Sun) 15:51 No.1434
想像ですが、上のNP307のタキシングを200mmで抑えた後、[WS]のF−8Eが来るのを待ち、400mmで撮ったMoriさんならではの作品。“ファントム以前”、60年代初期の厚木を表す記憶に残る名ショットですね。
標準レンズしか持てなかった“駆け出し組”の私は、01エンドの土管の上から、このような光景を指をくわえて見ているだけでした。
標準レンズしか持てなかった“駆け出し組”の私は、01エンドの土管の上から、このような光景を指をくわえて見ているだけでした。


Re: 私のアルバム〜F3HG
geta-o
2020/09/06(Sun) 21:54 No.1435


Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつか
2020/09/07(Mon) 18:57 No.1436
>geta-oさん
初めて厚木三軍記念日へ行ったのは1963年5月12日。この日は残念ながらデモンの展示はありませんでした。触れるぐらいの距離でデモンをじっくり見たかったですね。たとえノーマークであろうともガッチリ撮ったレストア機より、現役機の写真ほうが良いと思うのは私だけでしょうか。
↓は私の数少ない望遠レンズでのデモンの着陸写真。古くからの写友T君からお借りしたヘクトール135mmF:6.3で撮ったものでが、ヘクトールと言っても余程のカメラマニアでないと判らないでしょうね。ライカの交換レンズです。 1963年8月 RW19側にて
初めて厚木三軍記念日へ行ったのは1963年5月12日。この日は残念ながらデモンの展示はありませんでした。触れるぐらいの距離でデモンをじっくり見たかったですね。たとえノーマークであろうともガッチリ撮ったレストア機より、現役機の写真ほうが良いと思うのは私だけでしょうか。
↓は私の数少ない望遠レンズでのデモンの着陸写真。古くからの写友T君からお借りしたヘクトール135mmF:6.3で撮ったものでが、ヘクトールと言っても余程のカメラマニアでないと判らないでしょうね。ライカの交換レンズです。 1963年8月 RW19側にて


私のアルバム〜F3HF
『秋の風物詩』 1963年9月16日 撮影:赤塚 薫
Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/26(Wed) 23:35 No.1408
撮影時の状況はまったく覚えておりません。
記憶にあるのは固定50mmレンズの一眼レフにモノクロフィルムとカラーフィルムをダークバッグの中で、その都度入れ替え交互に撮っていたことです。苦労しました(*-*;)
フィルムはISO50のサクラカラー・リバーサル。この頃ではコダックのフィルムは高価すぎて夢のまた夢。
フジのリバーサルが発売されたのは1967年頃ですから、当時マニアのほとんどはサクラを使っていました。フジは年月とともに「色」が抜けてしまいましたが、サクラは粒子は荒いものの何とか「色」だけは残っています。
記憶にあるのは固定50mmレンズの一眼レフにモノクロフィルムとカラーフィルムをダークバッグの中で、その都度入れ替え交互に撮っていたことです。苦労しました(*-*;)
フィルムはISO50のサクラカラー・リバーサル。この頃ではコダックのフィルムは高価すぎて夢のまた夢。
フジのリバーサルが発売されたのは1967年頃ですから、当時マニアのほとんどはサクラを使っていました。フジは年月とともに「色」が抜けてしまいましたが、サクラは粒子は荒いものの何とか「色」だけは残っています。


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/27(Thu) 23:08 No.1409


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/27(Thu) 23:21 No.1410
↑と同日、同所で撮ったNL103。こちらはやや前に出て135mmでの仰ぎのショットとなりました。
ペンタックス+タクマー135mmF:3.5は、写友のHさんからそっくりお借りしたもの。Hさん、その節はありがとうございました。
ペンタックス+タクマー135mmF:3.5は、写友のHさんからそっくりお借りしたもの。Hさん、その節はありがとうございました。


Re: 私のアルバム〜F3HF
村越賢司
2020/08/28(Fri) 21:44 No.1411
あかつかさん、
No.1407「秋の風物詩」いいですね
VF−151のデモンは1963年8月2日にコンステレーションのF−4Bに混じって撮っていました。
厚木19エンドの着陸ですがF−3B(NL102/146709)
これはラダーに3本線がありませんでした
No.1407「秋の風物詩」いいですね
VF−151のデモンは1963年8月2日にコンステレーションのF−4Bに混じって撮っていました。
厚木19エンドの着陸ですがF−3B(NL102/146709)
これはラダーに3本線がありませんでした


Re: 私のアルバム〜F3HF
村越賢司
2020/08/28(Fri) 21:47 No.1412


Re: 私のアルバム〜F3HF
村越賢司
2020/08/28(Fri) 21:53 No.1413


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/30(Sun) 09:43 No.1414
>村越さん
60年代の厚木基地の周りは、自然が豊かでした。9月になるとエンドへの道筋にはススキの穂が辺り一杯輝いて「秋」の到来を感じさせてくれましたね。
1963年8月2日撮影1411のNL102/146709ですが、翌月の9月2日に新塗装となった同機をShimosatoさんが撮られてます。
1959年から始まったと思われる“色なし”海軍機から、“色付き”が復活したのはこの頃からのようですね。
60年代の厚木基地の周りは、自然が豊かでした。9月になるとエンドへの道筋にはススキの穂が辺り一杯輝いて「秋」の到来を感じさせてくれましたね。
1963年8月2日撮影1411のNL102/146709ですが、翌月の9月2日に新塗装となった同機をShimosatoさんが撮られてます。
1959年から始まったと思われる“色なし”海軍機から、“色付き”が復活したのはこの頃からのようですね。


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/31(Mon) 00:02 No.1415
1963年10月23日、浜松航空祭でVF−154のF−8Dと共に公開されたVF−151のF−3B。
この日、浜松で航空祭が開催されていたのを知ったのは2000年を過ぎてからです。60年代の初めの頃までは国内情報も一部のマニアが知るぐらいでしたから、写真見て驚いたことが度々ありました。
ですが、事前に関東のマニアが浜松航空祭を知ったとしても経済的な事情もあって撮りに行く人は居なかったのではないかなあ。
この日、浜松で航空祭が開催されていたのを知ったのは2000年を過ぎてからです。60年代の初めの頃までは国内情報も一部のマニアが知るぐらいでしたから、写真見て驚いたことが度々ありました。
ですが、事前に関東のマニアが浜松航空祭を知ったとしても経済的な事情もあって撮りに行く人は居なかったのではないかなあ。


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/31(Mon) 00:13 No.1416


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/31(Mon) 00:23 No.1417


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/08/31(Mon) 21:49 No.1418
1963年11月をもってVF−151のデモンは退役。翌年からF−4Bにコンバートされました。
下の画像は CHECKER TAIL 1 に掲載された貴重な歴史的ショットですが、何ともファントムには似合わない塗装と思うのは私だけではないでしょう。デモンだから違和感のない塗装だったのですね。
下の画像は CHECKER TAIL 1 に掲載された貴重な歴史的ショットですが、何ともファントムには似合わない塗装と思うのは私だけではないでしょう。デモンだから違和感のない塗装だったのですね。


Re: 私のアルバム〜F3HF
あかつか
2020/09/01(Tue) 23:09 No.1419

