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私のアルバムからF-102U 

航空情報 1964年3月号 

K.赤塚 2019/07/08(Mon) 17:51 No.348 [返信]
私のアルバムからF-102U 
「こういう撮り方もあったのか!」と我々後輩マニアに衝撃を与えた作品。
実際の撮影日は1年前の1963年3月21日ですので、Watanabeさんはしばらく応募を逡巡しておられたのではないか?と推察いたします。
横森氏も画調について述べられてますが、今PCで画像調整しても金網と本機とのバランスをとるのが大変難しく、
金網を強く出せば、本機がツブれてしまい、逆なら金網が飛んでしまう。半世紀も経った印刷物から画調は見えてきませんが、
Watanabeさんは焼付の仕上げに納得できなかったから1年間も寝かしていたのではないでしょうか。
この写真に正解は中々見つからないような気がします。

K.赤塚 2019/07/08(Mon) 18:07 No.349
Re: 私のアルバムからF-102U 
どう撮ったのか考えさせる写真です。しかし、大きく伸ばして書斎の暖炉の上に飾りたい逸品ですね。多分、西砂川の道路の上に立って、そう長くない望遠で、少し流して撮ってるんでしょうが、どこで止めるかをはっきり意識してるはず。手前のアレスターの巨大鎖は計算に入っていたかは判りませんが、当時の状況をまざまざと思い出させてくれます。光の回り方といい、美しい写真ですが、紙一重で階調が崩れそうで、写真屋さん泣かせですね。
のらひこ 2019/07/08(Mon) 19:46 No.350
私のアルバムからF-102U 
当時この傑作を見て、購入して間もないペンタックスとタクマー105oで同様な写真に挑んでみました。
当然置きピンで狙ったのですが、F−102もF−105もここまで近寄ると、スピードが速く500分の1秒でも止まらず、高度も高かったり、
距離が合わなかったりで画面にうまく納まりません。あらためてWatanabeさんの凄さを認識したことを覚えています。
K.赤塚 2019/07/08(Mon) 22:49 No.351
私のアルバムからF-102U 
渡辺さんのこの写真は凄いですね。凡人は間に合わなくて金網が入った写真は撮りますが、このように狙って撮る発想はありませんでした。

>赤塚さん、
「日本の航空50周年」でしたか。思い出しました。恐らく赤塚さんが紹介してくれた航空情報を見て出かけたのでしょうね。
その後のらひこさんや村越さん、それにgeta-oさんのようにマークを大きく描いたF-102は撮る機会がなかったです。実はこの頃からソリッドモデルに凝りだし、飛行場通いをあまりしなかったからです。当時通っていた小学校から飯田橋の駅に向かう途中に厚生省の復員局(?)の事務所があり、そこに勤めていた小橋良夫さんに影響を受けて小橋さんが会長になっていた東京ソリッドモデルに入り、先輩方の真似をしてモデルづくりに精を出していました。
既に鬼籍に入られた小橋さんですが、高校2年の時に航空ファンに記事を書くように勧められたことを今でも懐かしく思い出します。

私が撮ったF-102はPACAFになった地味な機体と迷彩だけです。写真は1966年6月25日に那覇から飛来した82FISのF-102です。
この飛行隊は今でも現役ですが標的機飛行隊となってしまったのは、何か寂しいですね。

徳永 2019/07/09(Tue) 10:57 No.352
私のアルバムからF-102U 
標的飛行隊となってしまった82ATRSのQF-4E。2016年4月28日、ポイントマグーでの撮影です。

徳永 2019/07/09(Tue) 10:59 No.353
私のアルバムからF-102U 
>徳永さん
飛び飛びの長い付き合いですが、徳永さんがソリッドモデラーとは知りませんでした。
じつは、私も少年時代一時ソリッドモデルづくりに挑戦しましたが(木製キットのF9F−5とX−15)塗装の段階でうまく行かなくなり、
雑誌で彩雲会やTSMCの方々のつくったモデルの写真を見てあきらめ、写真一本になりました。

ですので小橋良夫さんの書いたものも良く読んでます。今、小橋さんの原稿を読み返しましたが、少年たちへの愛情のこもったいい文章ですね。
おそらく当時の少年モデラーはずいぶん勇気付けられたのではないでしょうか。


↓の写真はMoriさんが1960年11月5日に撮った横田への配備間もない40FIS(多分)のF−102Aです。
Moriさんがエンドデビューしてさほど月日が経ってない頃の作品ですが、感性の良さはピカイチ。コンテストには応募しなかったようですが、
誌面には紹介されています。当時応募していれば入選間違いなかったでしょう。

K.赤塚 2019/07/09(Tue) 17:23 No.354
私のアルバムからF-102U 
その頃を調べてみると、F−102が横田へ配備されても40FISのF−86Dはまだ撤退してなかったのです。通常は新機が配備されると一斉に交代することが多いのですが、↓の写真が撮られたのは1961年1月25日。↑の写真は60年11月5日ですからF−102とF−86Dが交互に飛んでいたというわけです。(T.Moriさん撮影)
マニアにとっての“至福”とはこういう状況を言うんですね。

K.赤塚 2019/07/09(Tue) 18:24 No.355
Re: 私のアルバムからF-102U 
先輩方の写真に魅入っています。その頃の私の写真はネガに着いたゴミ程にしか写っておらず、もちろんシリアルなんぞ読めるはずもありませんでした。
大きな国籍マークとU.S.AIR FORCEの文字、更には部隊毎のマーキング、アメリカ空軍機全盛時代です。当時は戦闘機でもいろんな機種が飛んでいましたが、そんな中でも”ヒャクニ”の三角翼は独特で、デビューした時も直ぐに識別できました。飛んでいる姿を下から見ても、いかにも速そうで、いや〜、カッコ良かったな〜。そして始めて着陸を見たときはその接地時の迎角に驚きました。迷彩塗装になってカッコ良さは半減してガッカリしたのを覚えています。垂直尾翼が大きい分、迷彩だとまことに不細工に見えました。
日本に始めて現れたのが板付でしたが、アジアでの終焉の地となったのも板付でした。

赤塚さん、アメリカ空軍での機種転換について説明させて下さい。
海軍部隊と異なり、平時には空軍部隊は従来の任務に付きながら徐々に機種転換を行なっていきます。(その間に、TDYで他部隊が補完する事もあります。)
機種変更が決定すると、各SQDRNから3〜4名のシニアのパイロット(経験ある少佐や大尉クラス)が半年ほど機種転換訓練部隊に出向いて先行訓練を受けます。そして最初の機体を受領して部隊に戻ります。その後はやはり数名ずつ順次、受領した機体を使用して転換訓練を行なっていきますが、同時にパイロットの入れ替えなどもあり、Wing全てのパイロットと機材が揃うまでには通常半年以上がかかります。その後、部隊としての実戦訓練を始めて、専門チームによるORI(Operational Readiness Inspection)をパスして始めて実戦部隊と認められます。そのため新機種でのORIにパスするまでは旧機種やTDYの部隊が任務につくことになります。
1963年春に板付でF-100からF-105に機種変更が開始されましたが、その穴を埋める為TACのF-100が3〜4ヶ月毎のローテイションで翌年3月頃まで任務についていました。
横田の40FISも機種変更開始から数ヶ月間はF-102はまだ転換訓練中で、実際にアラート任務についていたのはF-86Dだったと思います。
マニアにとってはまさに至福の時期ですが、何故かそういう時は新しい機種ばかりにカメラを向けてしまうのですよね。本当は消え去る機種のほうが貴重なのですが・・・。

写真が小さいのですが、知人のH.Y.さん撮影の板付でのF-102A,1960年頃。

H.I. 2019/07/10(Wed) 14:24 No.356
私のアルバムからF-102U 
>I・Hさん
空軍と海軍・海兵隊との機種転換の違いがよく分かりました。ありがとうございます。
AIR FORCEのF-86Dはひと目見たかったですね。航空自衛隊に供与されたF-86D、F-86Fは小牧や岩国でよく撮りましたが、86D、86Fとも
AIR FORCE機と比べるとマニア心に迫るものが今ひとつなのです。
何故でしょう同じ機体なのに・・・。よく考えてみます。

私も各基地の部隊マークの描かれたF-102は“標準時代”に撮っただけ。望遠レンズを入手したときは、すでにPACAF塗装に変わっていたので、
ここに紹介されるような魅力的な空軍機の写真はありません。
60年代初期マニアの1〜2年のキャリアの差は大きいですね。

↓は1961年3月11日のMoriさん作品ですが、こうした思い切ったアングルを狙える人は本当に少なかったです。

K.赤塚 2019/07/10(Wed) 18:33 No.357
私のアルバムからF-102U 
Watanabeさん撮影の思い切ったショット。1962.5.1
300〜400oで撮ったように見えますが135oです。それだけ撮影ポイントが機体から至近距離にあったということですね。

K.赤塚 2019/07/10(Wed) 19:08 No.358
Re: 私のアルバムからF-102U 
1963年になると、もう「ラーフィングデビルマーク」が消え、ちっぽけな「PACAF」になってしまいました。
横田36エンド網越しに135mm使用
1963年6月8日、PACAFのF−102A/55−3383

村越賢司 2019/07/11(Thu) 00:38 No.359
Re: 私のアルバムからF-102U 
同じくPACAFになってしまった横田18エンド
1964年5月6日、F−102A編隊着陸の重なりショット
ウイング機55−3380と55−3425

村越賢司 2019/07/11(Thu) 00:43 No.360
Re: 私のアルバムからF-102U 
1964年5月4日横田・箱根ヶ崎
PACAFのTF−102A/55−4046
戦闘機ベースを並列復座の練習機にしたのはユニークでしたね

村越賢司 2019/07/11(Thu) 01:56 No.361
私のアルバムからF-102U 
>村越さん
私が撮ったF-102やRF-101は、黄金期の「メタル・色付き」は間に合わず、ほとんどがエアクラフトグレイ塗装になってからでした。
確かにPACAFになって落胆しましたが、海軍機がロービジになったときよりもまだ良かったですね。
それは多分文字と米軍マークがしっかり残っていたからだと思います。

↓はWatanabeさんが1961年9月、“36エンド”の木の上から撮った40FIS/F−102Aの着陸。
これこそ、のらひこさんの言う、大きく伸ばして書斎の暖炉の上に飾りたい逸品です。
絵画にして額に入れたら素晴らしい絵となるでしょうね。

K.赤塚 2019/07/11(Thu) 15:42 No.362
Re: 私のアルバムからF-102U 
WatanabeさんのNo.358は400mm位で撮ったような迫力です。ヒャクニのこのアングルは大好きですが、標準レンズの頃は撮れませんでした。。
この写真と村越さんの次の写真も金網が写っていますが、これが横田の南側でしたね。当時は金網が邪魔極まりなく、また直ぐに逆光になってしまうので北風の時でも箱根ヶ崎側に行く事が多かったのですが、お陰で着陸を逃した外来機も沢山ありました。しかし今、こうやって見ると金網が”基地”の雰囲気をかもし出してイイ感じですね。

板付68FISの機体は初期の頃はエアー・インテイク前方に写真の様なデルタや鉄火面、カード、丸の中にデルタなどを各FLT毎に描いていました。前述のH.Y.さん撮影です。

H.I. 2019/07/11(Thu) 16:34 No.363
私のアルバムからF-102U 
>I・Hさん
68FISの塗装はF−102の形状によく合ったデザインで日本で見られたF−102の中で一番ではないでしょうか。
海軍機も同じで、私的にはただ派手な色を塗ればイイってものではありません(CVW−5機に見られるように)。
私的には、機体の形状に合わせた塗装に魅力を感じます。

友人所有の洋書(タイトル失念)に載っていた写真が↑のH・Yさんの機体と同じでした。印刷物でもスバラシイ。

K.赤塚 2019/07/11(Thu) 17:47 No.364
私のアルバムからF-102

1961年 航空情報読者写真コンテス ト入選作品

K.赤塚 2019/07/05(Fri) 00:02 No.321 [返信]
Re私のアルバムからF-102
渡邊俊彦さんが前年3月、ジョンソンに着陸するB-57の作品で、航空情報“私のアルバムから”で誌上デビューを果たし、
選者の横森周信氏から「この新人作者の新鮮な感覚は新しい航空機写真への試みとして高く買われる」と高く評価されました。
翌年、横森氏の期待どおり1961年航空情報写真コンテストで見事入選。以後、軍民問わず、数々の名作を残し、2019年3月27日、
亡くなられる直前まで撮影活動を続けておられました。
渡邊さんは、画面をつくると現場では数カット撮っておられたようで、入選作とは別カットの写真が残されています。
個人的には、こちらの方が渡邊さんの世界が色濃く出ているように思います。

1961年7月31日 横田・箱根ケア側にて

K.赤塚 2019/07/05(Fri) 00:04 No.322
Re: 私のアルバムから F-102
東京には空が無いと誰かが言っていたようですが、今時分は日本人全体が空を見なくなったような気がします。7月末の正しい時期に一桁番号の台風が過ぎた翌日辺り、北に通り過ぎた台風を追うように強い南風の中を降りてくる我等般若のF-102。何度も言うようですが、書斎派と言うものは場の空気を感じる事ができないんでしょうね。「ものたりない」???圧倒的力が画面に溢れているじゃないですか!!でもどちらかと言うと、no322の方が全体のバランスが良いですね。F-102は雑誌紙面でF-106の本国配備等を見ているため、なんか二流な感じがしないでも無かったですが、10年後に横田に現れたF-106の写真を見ると、106は所詮書斎派で、F-102こそ現場派の頼りになる飛行機だったんですね。今当時の天気を調べてみたら、この日の前ズーッと東京は天気が良かったとの事!何と言う秋色の空なんでしょうか。
のらひこ 2019/07/05(Fri) 09:13 No.323
Re私のアルバムからF-102
>のらひこさん
「紺碧の空」なんてしばらく見てないですね。昭和30年代、高度経済成長時でありましたが、今より空はきれいだったような気がします。
学校が夏休みに入る頃には梅雨が明け、連日の如く真っ青な空と入道雲。夕刻にはお決まりの夕立、気温は下がり涼風が心地よかった。
そんな気候が二百十日まで続いたもので、毎年この繰り返しでした。

赤塚少年は飛行場に行くとき水筒におにぎりを持っていきましたが、同年代の多くのマニアは、水と食事はどうしてたのか?
記憶が無い人が結構おります。あの炎天下でも熱中症にならなかったのは、若くて体力があったことと、
気温上がっても30度をちょっと超す程度だったからでしょうね。


下は、横森氏のいう“森君”の作品です。生写真が手許にないのが残念ですが、入選作に相応しいすばらしい作品ではありませんか。
でも、ここでアフタバーナを吹かした写真を撮るのは不可能です。

K.赤塚 2019/07/05(Fri) 19:11 No.324
Re私のアルバムからF-102
Moriさんが1961年4月17日撮影した40FISのF-102A。
初代ペトリ・ペンタにコムラー200oF3.5で撮影されたと思いますが、この頃マニアで200oを使っている人はほとんど居なかったので、
“雷般若”のマークを付けた今風のこの角度の写真は貴重ですね。

K.赤塚 2019/07/05(Fri) 19:49 No.325
Re私のアルバムからF-102
Watanabeさんが1962年7月31日にRW18で捉えたF-102A。
当時の写真で意外と少ないのが、横田のRW18の午前中に撮影された写真。
どういう訳か飛行機の写真も魚拓も“座り”のいいのは、やはり機首が左に向いていること。Watanabeさんは意識して撮ったのでしょうね。

K.赤塚 2019/07/05(Fri) 20:38 No.326
Re: 私のアルバムからF-102
F−102始まりましたね
No.321 ナベさんの青空はO56オレンジフィルターで青空を落としているにもかかわらず、下面のシャドウがつぶれていませんね
きれいな写真です

No.324 MORIさんのシルエットに触発されたか?
私も1962年12月20日の横田36エンドで逆光狙いしていました
55mm標準レンズです
尾翼はノーマークのF−102A/55−3408 ほぼトリム無しでした

村越賢司 2019/07/05(Fri) 21:45 No.327
Re: 私のアルバムからF-102
同じく シルエット山並み付き
1963年5月25日の横田36エンド
もうマークは「PACAF」になっていますが
F−102A/55−3400
網にへばりついているマニアが三人います

村越賢司 2019/07/05(Fri) 21:55 No.328
Re: 私のアルバムからF-102
no324の森正さんの写真は凄い。先ずこんな薄暮迄飛行場に居たら昼飯抜きで早く帰らないと夕飯にありつけない身としては撮れない写真です。それにもし居たとしてもノホホンと例の樹の上に居て、わざわざ自転車の荷台迄降りてこの角度を予想するのは、よっぽど沢山失敗したあとの撮影でしょうね。太陽は左手30度程度、かなり強く光っているのは後方のタンクの明るい部分を見れば判ります。ノーマークのようなのが少し残念。アフターバーナー?もし万一炊いていたら滑走路面も遠方のタンクも明るくなって夕景の写真にはならなかったでしょう。それにゴーストが機首にかかってなんとも残念な写真になっていたんじゃないかな!
のらひこ 2019/07/05(Fri) 21:58 No.329
Re: 私のアルバムからF-102
135mmを使いだして慣れた頃1962.12.28の写真です。横田の南、西砂川の角の道路の上から、樫の木の横から飛び出して来るF-102の2機編隊着陸です。まだ般若マークを付けてますから迫力はあります。多分1/500でF3.5しょうから当然置きピンですね。距離40m程度なので無限は使えないですがピントは結構合ってます。空軍機は厚木と違って真っすぐ降りてくることが多いですが、スピードが200〜250km/hと早いから流し撮りの腕は厚木より上がった気がします。しかし、ネオパンFで良く撮ってたもんです。

のらひこ 2019/07/06(Sat) 12:34 No.330
Re私のアルバムからF-102
アフターバーナーで思い出したので、横田に通いだした当初に近い1962.1.15の写真を張ります。ここは所謂国有地の角、昔は単に畑があり、雑木林もそこここにあった辺りです。F-102が2機で着陸しているのをリコー300、45mmで撮ったものです。右手にハンガーNO15がドッシリと見えますが、今年で築70年以上でしょうから施設局も予算を取ったらどうですかね。閑話休題、この何日か何か月か後、ズバリ、この場所に日暮れまで粘っていたら、薄闇の中、三沢のF-100DとFがタキシングしてきたんです。そしてこの写真の前の機体辺りに2機が並びました。ソシテ、前の機体がエンジンの音を大きくして、それから、アフターバーナーを炊いたんです。その時、世界が変わったような気がしました。左後続の多分Fがギラギラ輝きだし、ハンガー15もフラッドランプで照らされたようにハッキリ浮かび上がるのです。滑走路面は真っ白に見え、滑走路手前向う側の枯れ草が明るく揺れ動くのです。ほぼ同時に左のF-100もアフターバーナーを炊き、それから数秒の後、数秒遅れで2機が北に向かって揚がって行ったんです。写真は撮っていません。撮る気にさえなれなかったし、シャッターを押したにしても、真っ暗なネガに真っ白の光点だけだったでしょう。夜のアフターバーナーの離陸を子供たちに見せるイベントをしたらどうでしょう。航空少年がものすごく増えるような気がします。

のらひこ 2019/07/06(Sat) 13:17 No.331
Re私のアルバムからF-102
1960年12月20日、Moriさん撮影のF-102A。
横森氏はNo324の評文で「--- F−102Aのプロフィルを夕空に浮かばせた手腕はみごとなものでベテランらしい作品といえる。 ---」
と書いてます。
「ベテラン」とは何をもって言うのかよく分かりませんが、Moriさんは当時二十歳そこそこだったはずで、選者が撮影者の年齢を知ったら、
文章も変わっていたでしょうね。

K.赤塚 2019/07/06(Sat) 15:44 No.332
Re私のアルバムからF-102
>村越さん
327は横田のRW36でのシルエット写真の手本になるような作品ですね。
垂直尾翼のハレーション、衝突防止灯の画面上の位置、完璧です。あの着陸速度の早いF-102をよく画面に納めたものです。

次の328で右の人物のいでたちが私の若い頃のに似ていると思い、古い手帖を調べてみたら、やはり私でした。
村越さんと一緒に行ってたんですね。
この1963年5月25日は飛来機に恵まれ、F-100D/Fと[DB]のF-8D、SZのTF-9Jが飛来。残念ながら私のネガは“ビネガー”にやられ
トロトロとなり再生不能となっています。

>のらひこさん
331の標準レンズでのショットに感動!!。
この写真はおそらく横田のエンドに初めてか2度目ぐらいのときではないでしょうか?。45o付のカメラを持って何処で撮ったらいいか、
ウロウロしているときに轟音を伴って2機のF-102が降りてきた。興奮度は極限に達し、シャッターを押すだけが精いっぱい。
DP屋さんから現像が上がり「写っていた〜」。そんな少年マニアの世界が写真から伝わってきました。
これ、自分のことだったかな(笑)


↓のF-102Aは1965年厚木三軍記念日でタクマー35o使用。
意識して撮ったわけではありませんが、子供が入るとやわらかなムードになりますね。

K.赤塚 2019/07/07(Sun) 13:49 No.333
私のアルバムからF-102
1960年9月18日現在の羽田空港B滑走路上で行われた航空祭(名前は忘れました)に展示された68FISのF-102A。この飛行隊はその後F-4になりましたがその後解散してしまいましたね。
小学生だった私が今みたいにインターネットの情報もない時代に、どうやってこの展示を知ったのか今や思い出せません。

徳永 2019/07/07(Sun) 15:42 No.334
Re: 私のアルバムからF-102
徳永さん、no334良いですねーーー。未だ横田に配属前なんで、板付から飛ばしてきたんですかね!!多分直後に横田の40FISが配属になってるんでしょう。三沢はそのあとかな?マーキングは悔しいけど、板付の68FIS、三沢の4FIS、それに那覇の16FISのチョット欧米的なのがオシャレでした。勿論私は般若贔屓ですがね。1962.5.20の美しい般若の2機を張ります。箱根ヶ崎の五月晴れの高い空を、ユッタリと降りてくる40FISのF-102 です。でもエンジン吹かしてそうですから、復航フライパスだったかも?

のらひこ 2019/07/07(Sun) 18:35 No.335
Re:私のアルバムからF-102
>のらひこさん
正に「標準レンズの威力」。
この時代に横田で過ごしたヒコーキファンは、涙が出るほど懐かしい画像でしょうね。

>徳永さん
私もこの日羽田に行ってましたが、雨が降ってきて早々に引き揚げてしまいました。F-102が展示されていた記憶もなく、
せいぜいアメリカから返還された複葉機、アンリ・ファルマンを見たのを覚えているぐらいです。
夕方まで頑張っていれば「天竜チーム」も見れていたのに残念です。
それにしても写真を撮っていた徳永さんには脱帽です。

このページェントを知ったのは、航空情報の案内ではないでしょうか。
日本の航空50年ということで、航空情報の誌面でも月を跨いで盛り上げていましたから。
また、記念行事なので新聞でも大きく報道されていたでしょうね。航空情報1960年10月号の記事なんかは「日本の航空50周年」一色です。

予定されたほどの展示はありませんでしたが、F−102Aは板付に配備されたばかりの新鋭機だったので、当時のマニアの注目の的だった筈。
たぶん、この時点では横田の40FISにF−102はまだ配備されてなかったと思います。

K.赤塚 2019/07/07(Sun) 21:56 No.336
Re: 私のアルバムからF-102
>徳永さん
No.334の駐c航空ページェントとはレアですね
この板付68FISのF−102Aを私が撮ったのは
1962年になってからです

当時はまだカメラを持っていませんでしたので、父親の二眼レフ
「ビューティーフレックス」という無名のカメラを借りて、
なけなしのお小遣いでネオパンSSのブローニー12枚撮りを買っていざ横田へ。
上部のファインダーにある折りたたみ式のスポーツファインダー(ただののぞき窓)越しに
流し撮りしたつもりですが二機編隊の奥に合ってしまったショット(たぶん1/100・F8)
このブローニーフィルムのネガはベース厚が厚いせいか未だにビネガーシンドローム被害は受けていません
1962年7月14日の横田・箱根ヶ崎
68FISのF−102A/55−3430

村越賢司 2019/07/08(Mon) 00:08 No.337
Re: 私のアルバムからF-102
同じ日のブローニーフィルムの次のコマに写っていたF−102A二機編隊。タッチアンドゴーをしていたのでしょうNo.337と同じ機体だと思います
1962年7月14日箱根ヶ崎

村越賢司 2019/07/08(Mon) 00:13 No.338
Re: 私のアルバムからF-102
連貼りでスミマセン
No.335の「のらひこさんのラーフィングデビル二機編隊」美しい

三ヶ月後に私も撮ることが出来ました
1962年8月2日の箱根ヶ崎(曇り空が恨めしい)
F−102A/55−3412+55−3409編隊着陸
ペンタックスS2/55mm、ネオパンFを使用し、地元の「SKカメラ店」に現像を頼んでいました

村越賢司 2019/07/08(Mon) 01:41 No.339
Re: 私のアルバムからF-102
同じ日の単機着陸別コマです。
1962年8月2日の横田・箱根ヶ崎
F−102A/55−3421

村越賢司 2019/07/08(Mon) 01:46 No.341
Re: 私のアルバムからF-102
ひゃくにですか。
横田に行くとよく飛んでいましたが余り写真は撮りませんでした。
最初は皆さんと同じ編隊着陸。
55-3425 40FIS 1962年RJTY 18 L/D

geta-o 2019/07/08(Mon) 14:49 No.342
Re: 私のアルバムからF-102
40FISのアラート待機
1965/5/16の3軍公開時 まだアラート待機に102がついていました。

geta-o 2019/07/08(Mon) 14:50 No.343
Re: 私のアルバムからF-102
16FISのTF-102Aの着陸
嘉手納駐留時の飛来ですが余り見かけませんでした。1962年RJTY 18 L/D

geta-o 2019/07/08(Mon) 14:53 No.344
Re: 私のアルバムからF-102
68FISのF-102Aの着陸
板付駐留時に度々横田に飛来していましたがサンデーマニアは巡り合う機会があまりありませんでした。

geta-o 2019/07/08(Mon) 14:55 No.345
Re: 私のアルバムからF-102
68FIS“ライトニングランサーズ”は徳永さんの#334にありますようにF-4Dに改変されベトナム戦争中はクンサンに派遣されていましたので横田への飛来は多くありました。
65-0701  1968年 国有地

geta-o 2019/07/08(Mon) 14:57 No.346
Re私のアルバムからF-102
横田の40FISのF−102は、いい塗装だったと思いますが、地元ですから撮る機会も多く、私にとっては板付の68FISのほうに魅力を感じます。
その68FISのF−102を村越さんもgeta−oさんも横田で撮っておられる。ほんとうに羨ましい限りです。

横田へは、ほかに三沢の4FIS、那覇の16FISのF−102がときどき飛んで来てましたが、板付には横田の40FISのF−102は
飛来したのでしょうか。板付で撮ったという写真を見たことがありません。
K.赤塚 2019/07/08(Mon) 17:10 No.347
Tachikawa Air Base2

4月から始まりました立川基地とC-133・C-124はこの章をもって最終といたします。

写真は榎本行男さんが砂川側で撮影したC-124の離陸ですが、エノさんは余り撮影日に頓着する方でなく、この写真の撮影日が判りませんでした。
そこで今回No91の田中達雄さんの「私のアルバムから」の入選作「危険な竹竿」と見比べていましたら、1958年12月31日に撮影された田中さんの写真には団結小屋の隣りに木がありません。
エノさんの離陸写真には立派な木が生い茂っています。ということは、それ以前、画調から類推すると同年夏から秋にかけての撮影の可能性が高いですね。
いずれにしても両作品とも立川・砂川での飛行機写真の傑作であり、駆け出し時代の自分におおいに参考となった写真でした。

K.赤塚 2019/06/20(Thu) 19:33 No.293 [返信]
Re: 立川 Air Base2
皆さん、こんにちは。

K.赤塚さんよりC-133とC-124が最終章とのアナウンスがありましたので、
自分が厚木で出会った機体をご紹介致します。

先ず最初は、1968年1月21日(日曜日)午後、厚木R/W-19へ着陸するCACのC-124A/50−00094

この日、佐世保にはCVAN-65エンタープライズが入港中でしたが、1月23日に起こったプエブロ号拿捕事件を受け、
急遽、日本海に向け出港.

厚木にもVW-1のEC-130G/151891と同じくVW-1のC-121Jも飛来し24日にはエンタープライズから艦載機がL/D〜T/Oと
動きが活発になり緊張が高まっていきました。

M.WADA 2019/06/22(Sat) 10:44 No.295
Re: 立川Air Base2
1968年8月12日(月曜日)、この日はR/W-19運用でしたが何故かR/W-01からL/D、然もCWに入ってしまい
米粒のような記録写真しか撮れなかったハワイ、ヒッカム基地駐留、61thMAW 所属のC-124C /51−5207.

外来機はUS-2B/136480、SAIGON,WH-15,DB-1/7,TE-7,LP-4.

M.WADA 2019/06/22(Sat) 10:46 No.296
Re: 立川Air Base2
1968年11月24日(日曜日)午後、厚木R/W-01へ着陸するC-124A/0-30024,MAC.他にNASU IWAKUNIのUC-45J/53555とYD-4がL/D.

特筆すべきは、R/W-01運用が19に変わりマニアが19側へ到着すると同時に01側からL/Dしてしまった1機のKC-135Aです。
このKCはただのKCではなく全身真っ白で濃紺の電光が胴体中央に走るそれは美しい機体でした。

機体の正式名称はKC-135A ABNCP,S/Nは61−0316.USSTRICOM所属でした。
これら詳細が判明したのはL/Dからかなり経ってからで、
当初はJKC-135AとかVKC-135Aとか情報が錯綜し、杳として真相が判りませんでした。

然し、未だにこの機体の運用形態等詳しい事が判りませんが、どなたかご教授頂けないでしょうか?

M.WADA 2019/06/22(Sat) 10:49 No.297
Re: 立川 Air Base2
1969年4月5日(土曜日)午後、R/W-01へ着陸するMACのC-124C/51−7283.

古いマニアの方ならお分かりと思いますが、撮影データのバックに灌漑用水用の土管が写っていますが、
よくこの中に入って友人と話し込んだり基地内を窺っていたことを覚えています。

M.WADA 2019/06/22(Sat) 10:51 No.298
Re: 立川 Air Base2
↑のセカンドショット。下に見えるのは当時の中原街道。現在の終日渋滞道路とは隔世の感ありですね。
この日、横須賀に空母コーラルシーが入港。翌日には一般公開されています。
然しながら、厚木も当日はVF-53のF-8J/NF-200とVF-114のF-4B/NH-207が着陸し忘れられない桜祭りとなっています。

M.WADA 2019/06/22(Sat) 10:53 No.299
Re: 立川 Air Base2
立川のネガをスキャンしようとしたら、新しいパソコンにはまだスキャナーをインストールしていなかったので、以前取り込んでいた画像を貼り付けます。

1967年の三軍以来、2回目のネガカラーで撮ったグローブと看板。
今なら空を切って看板側を大きく写し込むのでしょうが、写したいものは画面の真ん中に、という気持ちが優先したのでしょうね。

1968年1月2日  コニカEE 40o

まさやん 2019/06/22(Sat) 12:45 No.300
Re: 立川 Air Base2
その後一眼レフと135oを購入。
初めて八高線トンネルに行った時のグローブ。
空が現像ムラのように見えるのは、蒸気機関車(D51?)が通ったときの煙です。

1968年8月19日 ペトリV6 135o

まさやん 2019/06/22(Sat) 12:46 No.301
Re: 立川 Air Base2
no293!詩情のある良い写真ですね。二眼レフを地面に置いて伏せて撮っているんでしょう。微風の逆風の中を多分低く飛んでいくグローブを、的確な位置に収めてるのは、予め石碑の重さを考えての構図のはず。「危険な旗竿」は社会性を前面に出していますが、エノさんの写真は風情を感じさせて好きでした。スクロールして地面を消したら様になりません。一枚一枚、丁寧な作図が出来たのは銀塩のフィルムのお陰ですよ。今のはバシャバシャという音のあとの結果オーライのような気がしますがいかがなもんでしょうか。
のらひこ 2019/06/22(Sat) 13:31 No.302
Re:Tachikawa Air Base2
立川19エンド砂川側で遭遇したグローブ3機並びの離陸訓練
チョット狭いだろう立川の滑走路幅に並ぶのが大変
1.2番機が先ずエンドのターンサークルで転回
2.3番機が後についてターンサークルで転回
3.先頭で離陸する1番機は誘導路から入って離陸体制を取る
この写真で奥の方に車輪だけ見えるのが誘導路から進入する先頭機です
3機で離陸出力のプロペラ後流がハンパ無いのです
小石や砂利が吹っ飛んでくるので撮影もフィルター破損も覚悟です
さすがに同時にスタートしませんが、貴重な立川風景です

1963年3月18日

村越賢司 2019/06/22(Sat) 13:42 No.303
Re:Tachikawa Air Base2
>M.WADAさん
昔から厚木の01の農業用水を流す土管の中で休んだりする人は居たようですね。1960年にT.Moriさんが写真を撮ってました。
一度だけ、土管にしぶきを上げながら勢いよく水を流していたのを見たことがありますが、何年頃まで使っていたのでしょうか。

K.赤塚 2019/06/22(Sat) 22:00 No.304
Re: Tachikawa Air Base2
>村越さん
3機続けてのタキシーはさぞ迫力あったでしょうね。
R-4360×12基の大音響、受ける熱風。当時はこのようにゾロゾロと出て来るシーンは月に何回かあったでしょうが、
残念ながら自分は遭遇できませんでした。
地元であるT.Moriさんも当然撮っておられます。1964.1.7

K.赤塚 2019/06/23(Sun) 22:42 No.305
Re: 立川 Air Base2
皆さん、こんにちは。

>K.akatsukaさん
土管の中で勉強とは、昔の学生さんは勤勉でしたね。

自分は土管の中に新聞紙を敷いて駅前の不二家(コンビニ、パン屋さん無し)で買った
ヤマザキのロールケーキと牛乳を昼食として食べていました。

今と違って付近に商店など皆無。当然トイレ無しですから女子のマニアも存在せず。
水は窪地の湧水を手ですくって飲んでいましたが下痢はしませんでしたね。
大体、自宅でも井戸水を使い水洗便所も設置できない生活環境(下水施設敷設は1967年から)でした。

何故こんな生活環境の整備が遅れたかというと、この当時市や県の考えの主軸は住民サービスではなく
公共事業メインの財政支出政策でした。

とりわけ、農業振興政策は公共事業の最優先政策と位置付けられ、
中でも県内の田畑に農業用水を安定供給する基幹事業として「相模原畑地灌漑用水」という名称で計画がスタート。
相模原から藤沢、綾瀬まで敷設工事が行われ、厚木基地周辺の「土管」は本流から分流された枝管でした。

この計画の立案は遠く1940年(昭和15年)迄遡り、
計画の最大の目的は横浜、川崎地域への飲料水、工業用水の安定的供給と電力供給。
そして、もう一つの大きな目的が相模原台地上での大規模畑地灌漑用水事業というものでした。

戦後1948年(昭和23年)から、この「相模原台地上での大規模畑地灌漑用水事業」が本格的に進められ
1963年(昭和38年)まで足かけ16年かかり用水路が完成。本格運用が開始されました。

ところが竣工からほぼ同時期に県内の都市化・工業化が一気に進み用水路の利用はされなくなってしまいました。
K.赤塚さんがご覧になった用水路の放流は、以上の事から推してとても貴重な体験であったと思われます。

この用水路の件に関しては、長年に亘って地道に調査研究されている方も居られ、
立派な「昭和史研究」の一つであるとの認識を深くしました。

何れにしましても、昭和の時代の「モノ」、「こと」等、あらゆるものが急速に消えて行っている現在、
昭和の時代に生きた者が、その記録を後世に遺す意義は大きいと思います。
その点では「土管」も「飛行機」も根は一緒に思えてしまいました。

1971年5月になると、厚木では頻繁にC-124Cの飛来が相次ぎました。
これらの機体はノーマーク状態の機体ばかりで所属が判りませんがAFRESかANGに間違いないものと思われます。

厚木R/W-19午後に着陸するC-124C/52-1078.

M.WADA 2019/06/24(Mon) 12:28 No.306
Re: 立川 Air Base2
1971年9月13日(月曜日)厚木R/W-19午前中に着陸するC-124C/52-1041.

M.WADA 2019/06/24(Mon) 12:32 No.307
Re: 立川Air Base2
↑の送りショット。
この日の外来機はPR-55(WC-121N),QE-2,CF-23/24,SZ-08,YF-8/10,WA-01,TD-1.
CVW-5機16機がフライトを実施。

M.WADA 2019/06/24(Mon) 12:34 No.308
Re: 立川 Air Base2
↑と同じ日に降りてきたC-124C/52-1082.

M.WADA 2019/06/24(Mon) 12:36 No.309
Re: 立川 Air Base2
同じく52-1082の斜め前ショット。

M.WADA 2019/06/24(Mon) 12:38 No.310
Re:Tachikawa Air Base2
>M.WADAさん
昭和30年代の綾瀬、藤沢のインフラの遅れ事情がよく分かりました。
今後も飛行機、飛行場からつなげて各種話題に展開するのを歓迎します。
『ATSUGIまるごと物語』のような特集も面白いかも知れませんね。

さて、立川に戻りましてT.Moriさんの“縦位置2題”をご紹介。
はじめは1962年8月24日、砂川での夕景がらみ。夏とは言え、この時間まで粘って撮るマニアは当時
T.Moriさんぐらいしか居りませんでした。

K.赤塚 2019/06/24(Mon) 19:21 No.311
Re:Tachikawa Air Base2
1963年10月2日、青梅線側。
電線、電柱入れ込み写真は前に紹介しましたが、マニアの中で踏切近くまで行ったのはMoriさんだけでしょう。
写真そのものも、これしか見たことがありません。立川基地を語るには欠かせない作品だと思います。

K.赤塚 2019/06/24(Mon) 19:37 No.312
Re:Tachikawa Air Base2
no311は凄いですね。ネオパンFのASA32,増感していても64程度でしょう。背景の夕雲を見ればいわゆるタソガレ時、少し離れれば誰か判らないという頃合いに、よくぞ撮ったものです。フラッドランプでも照らせないでしょうから、東の空に雄大な光るような積乱雲があったのかもしれませんね。もしカラーだったら、どんな色合いにとれたんでしょうか?あの当時のカラーですと、コダックのカラーのどれでもそう上品な色は出ないかな?しかし、カーゴドアのヒンジの傍にランプがあるんですね。他のグローブにはその痕跡がないけど、retractableでも蓋は見えそうですが、ないですよね。ローディングの際には上に向いちゃうから着陸用のはず。それにしてもt.moriさんは挑戦者ですね。
のらひこ 2019/06/26(Wed) 08:46 No.314
Re:Tachikawa Air Base2
“グローブと立川”の特集は、No.91の「危険な竹竿」から始まりました。
1958年暮れの撮影でしたが、おおよそ10年後に“立川のナカノさん”が砂川で撮られた写真では“危険”から“妨害”へと
エスカレートした様子が見てとれます。

K.赤塚 2019/06/28(Fri) 11:56 No.315
Re:Tachikawa Air Base2
同日、ある団体の集会風景。ふだんエンドで見かけなかった人々が大勢集っています。

K.赤塚 2019/06/28(Fri) 12:04 No.316
Tachikawa Air Base2
滑走路エンドにカメラを向けると、そこには一家団欒、お弁当持参のピクニックです。
「ヒコーキでも見に行かない?」と人が集まる。どこの飛行場でもよく見られた光景で、そこには基地反対運動とは別の世界がありました。

K.赤塚 2019/06/28(Fri) 23:35 No.317
Re:Tachikawa AB
飛行場周辺には広大な空き地があり、特に青梅線側の立川滑走路周辺は、街中から近く、青少年達には恰好の遊び場でした。
現在の飛行場周辺の国有地には、きれいに整備されたサッカー場や、野球場があったりしますが、どう環境が良くなろうと
「原っぱ」にまさるものはありません。
と、考えてしまうのは、単に昔を懐かしがってるだけなんですかねえ。

左 “グローブ” は、エノさん。
右 “コニー” は、Moriさんの作品です。

K.赤塚 2019/06/29(Sat) 00:09 No.318
Re:Tachikawa Air Base2
少年の頃から大変お世話になりました“ヒコーキ写真”の先輩、渡邊俊彦さんの作品をもって「私のアルバムから〜C-124」の
スレッドを終了させていただきます。

次は7月5日より「私のアルバムから〜F-102」を開始します。皆さま方の思い出に残るF-102の作品をお待ちしております。

K.赤塚 2019/06/29(Sat) 00:50 No.319
イベントのお知らせ

6月23日(日)より29日(日)まで有楽町の交通会館にて主に飛行機マニアを対象としたイベントが開催されます。
ソリモ、プラモ、絵画、イラスト、洋書、邦書、グッズ等、レア物も多数あって、毎回たいへん賑わっております。
“銀ブラ”を兼ねていかがでしょうか。

K.赤塚 2019/06/21(Fri) 22:13 No.294 [返信]
Tachikawa Air Base

2015年11月7日〜23日 昭和記念公園内の花みどり文化センター内で開催されたイベント『写真と絵画で見る昭和の時代展〜 
“なつかしの立川風景展”』の入口に飾られた大幕の原画です。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 17:29 No.258 [返信]
Re: Tachikawa Air Base
入口に飾られたタテ1.2メートル・ヨコ3.2メートルの大幕。
左が原画を描いていただいた故・下田信夫さんです。下田さんは「飛行機の絵で、絵の中にこれほど多くの人を描いたのは初めて」
とおっしゃっていました。たいへんなお願いを聞いていただき本当に感謝しております。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 17:47 No.259
Re: Tachikawa Air Base
「なつかしの立川風景展」を開催前、会場の下見をした際に「第一デパート懐古展」なる展覧会を行っており、その入口に置かれていたのが
このジオラマ。模型作りは素人の私でもその出来の良さはひと目で分かるほど素晴らしいものでした。
立川の第一デパートは1966年にオープンし、2012年に閉店したそうですが、地元の人々にとって心に残るデパートだったようですね。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 18:20 No.260
Re: Tachikawa Air Base
1960年頃の再現でしょうか。グローブのつくりも、扱い方も言うことないですね。画面左上のグローブは飛行中ということでプロペラが無いのかな。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 18:33 No.261
Re: Tachikawa Air Base
夢のある話から、現実に戻ってみましょう。
Y.Nakagawaさんが1958年に撮られたこの写真は取り扱いが難しいでしょうけれど立川市の史料として残したい作品ですね。
立川駅から基地南側へ走る道路の向うに、患者輸送用のC-54Mが降りてきます。道路右の電柱には「立川文化ミュージック」のビラが貼られ、
その上には質屋の広告。そして左側の建物。私が地元の年配の方に聞いたところによると、知る人ぞ知る“あいまい宿”だったそうです。
時代そのものを1枚の写真で語るような写真は滅多にお目にかかれません。

K.赤塚 2019/06/11(Tue) 19:08 No.262
Re: Tachikawa Air Base
Nakagawaさんが旧伊勢丹の屋上から撮影した1959年の青梅線側の風景。
レシプロ全盛期の立川がマニアにとって最もタチカワらしかった。

写真を見てますと260のジオラマへ戻りたくなります。

K.赤塚 2019/06/12(Wed) 17:33 No.263
Re: Tachikawa Air Base
no262,立川文化ミュージック、懐かしいです。なんと電柱に張り紙広告があったんですね。学生服で入れる楽しいストリップでしたけどね。私も1回だけ見学に行きました。ジオラマ懐かしいです。バスのすれ違っている辺りの左側から手前が、タンク車暴走で全焼した地帯ですね。昭和39年1月4日の早朝でした。初出勤は晴れ着での出勤がBGの常識、確か一人の方が焼け死んだの覚えています。しかし、私はナント翌日辺りにはカメラを持って行ってるはずです。まあなんというか・・・オレンジ車両が中央線を走っていますが、これは昭和54年以降でしょうから、時代考証上は無理がありますが、もうオレンジライン車両になってからも長いので、懐かしくなってしまいます。
のらひこ 2019/06/12(Wed) 19:23 No.264
Re: Tachikawa Air Base
NakagawaさんのC-130A。C-119が写っていることから1960年前後の撮影だと思われます。01側にまだフェンスがありませんね。
お母さんは子供をあやすのに懸命のようですが、子供たちは新鋭機の姿とタービン音に敏感に反応している様子。
私の少年時代も左の子のようにランニングシャツ1枚で遊んでいました。子供用自転車はこの時代けっこう贅沢品でしたから、
豊かな家庭の子供かも知れません。

K.赤塚 2019/06/13(Thu) 15:41 No.265
Re: Tachikawa Air Base
下田さんの立川三軍記念の絵を見たときは、あまりに多様な人々が描かれていることに衝撃を受けました。
飛行機もさることながら、下田さんが描かれる人物に強く惹かれていたからです。
それだけに、この絵が嫁入りしたのを知った時は驚き、残念に思ったものです。

その後、がっかりしていた私を見かねた下田さんが「今ぼくが持っている中で一番人が多いのをあげるよ」とおっしゃってくださいました。
その絵は今も大切に飾ってあります。
まさやん 2019/06/14(Fri) 12:50 No.266
Re: Tachikawa Air Base
>まさやんさん
絵画やイラストは基本「原画」一点ですから、写真と違い入手を逃すと後々まで尾を引きますね。
下田さんの「立川三軍記念日」は、ラフを見せていただいた後、C−133の後方に立川と分かる給水塔を描き込んでいただきました。
プロへの注文にためらいはありましたが下田さんも納得。冷や汗かきながらの話でしたが、結果的にはよかったと思ってます。
K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:14 No.267
Re: Tachikawa Air Base
私たち団塊世代のマニアでも立川に戦闘・爆撃機系の機体の着陸を見た人は居ないと思います。
前スレで、のらひこさんも仰っていましたが、横田でなく立川で“ジェット”を見たかったですね。
唯一チャンスがあったのは1963年8月に日本初登場となったAFCSのC−140でした。それは後程に。

↓は所属は分かりませんが、USAFのF−86Fに違いありません。1958年11月23日、Sugiuraさん撮影です。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:44 No.268
Re: Tachikawa Air Base
↓は1959年1月撮影のF−86D。同じくSugiuraさん撮影。このような写真の存在自体がスゴイですね。
写真見て「望遠レンズで撮れてれば」と言う人もいると思いますが、当時、望遠レンズは一般人が持てるはずもなく、
高価すぎて高嶺の花どころか夢のまた夢の世界の機材だったのです。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 14:57 No.269
Re: Tachikawa Air Base
Tanaka Tatsuoさんが立川の砂川側で撮影したF−86D。
カメラがセミ・パールなので標準レンズは75o。35o換算だとやや望遠気味となり、砂川側の着陸ならこのように撮れたという、
団塊マニアが涙する作品。

K.赤塚 2019/06/14(Fri) 15:18 No.270
Re: Tachikawa Air Base
立川に降りるジェット機を撮っていました
1963年5月18日の砂川
横田にいたT−39A/61−0674
たぶんボーっとしていてジェット音に気がついてから振り向きざまの送りショットが一枚だけ撮れたようです
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそう

村越賢司 2019/06/14(Fri) 21:51 No.271
Re: Tachikawa Air Base
立川に降りるジェット機、撮りたかったなー。k.murakoshiさんも撮ってますか!悔しいです。尤も横田の南側の樫の木の方が近くて低かったでしょうが、やはり背景の広々さが羨ましい。多分2千無かったころのエアストリップみたいなところに降ろすのは朝鮮戦争時代から当たり前だったんでしょうね。団塊の世代はジェット戦闘機の着陸を撮った人はいないんじゃないでしょうか?3、4年先輩のt.moriさんやt.matsuzakiさんも撮ってらっしゃらないんじゃないかな。実験的飛行機写真にいつも挑戦したt.moriさん、飛行機の美しさを印画紙に焼き付けたt.matsuzakiさんはご健在ですが、飛行機を風景の中に溶け込ませる榎本さんの社会派的写真が懐かしい。そして飛行機を風景として描いた渡辺俊彦さんは、3月末、羽田への行きか帰りに突然亡くなってしまいました。偲ぶ会が再来週27日に四谷の「スクワール麹町」で行われますが、立川でのジェット機写真が見つかるかもしれないですね。
のらひこ 2019/06/15(Sat) 09:04 No.272
Re: Tachikawa Air Base
>村越さん
ボーとしててもガッチリ撮っておられる。さすが村越さん、いい写真じゃありませんか。T−39Aもまだ来日してまもないデイグロウ塗装ですね。
K.赤塚 2019/06/15(Sat) 14:52 No.273
Re: Tachikawa Air Base
伝説の大先輩Nakasatoさんが1959年に立川で捉えたRB−66C。
この写真が航空情報に載っているのを見て、立川というのは凄い飛行場なんだと思いましたが、私が飛行場へ通い出した1961年には
B−66は日本から撤収しており“夢のヒコーキ”となったのです。

それから6年後の1967年1月、横田にB−66が現れたと聞いて、憧れのヒコーキ見たさに一番電車に乗って早朝より横田の36で待っていると、
エンジン音を響かせながら出てきました。
しかしそこに現れたのは、憧れていたシルバーメタルの“66”ではなく、ベトナム迷彩の泥色にまみれたEB−66であり、
早々に横田を切り上げ厚木へ向かったのでした。“十年の恋”がいっぺんに醒めたという感じでした。

K.赤塚 2019/06/15(Sat) 15:58 No.274
Re: Tachikawa Air Base
B-66が降りてるんですねというか、駐留してたんですよね。いかにもコンバットスーツという出で立ちは、A-3のタキシードとは全く違う印象です。エド・ハイネマンの原設計が空軍と海軍でこうも違う印象を与えるんですかね。
のらひこ 2019/06/16(Sun) 08:08 No.275
Re: Tachikawa Air Base
立川へは、2〜3か月に1回くらいしか行けなかった横田遠征時の行きがけ、帰りがけに立ち寄るくらいでした。
なので、駅からさほど遠くない青梅線側にしか行ったことはありません。
唯一の砂川体験は、横田でお会いした方が車で連れて行ってくださったのですが、運が悪いことに全く動きがなく、飛行機との距離を実感することはできませんでした。
1機でも降りるか、上がるかしていれば、立川への関心も随分違ったものになっていたかもしれません。

ビックリする写真の連続でどうしようかと思ったのですが、このような機会でもないと今回の写真は出番がないと考え、図々しく出てきてしまいました。
写真は上の話とは別の日で、横田を引き上げた帰りに立ち寄った時のものです。
次のコマは逆光の中、盛大にブレた130が写っていました^ ^;

1967年12月26日 立川青梅線側

まさやん 2019/06/16(Sun) 08:41 No.276
Re: Tachikawa Air Base
>のらひこさん
B−66とA−3は「双子の姉弟」と言うところでしょうか。姉がA−3で弟がB−66。スタイリングから受けるイメージもB−66の方は筋肉質の男子で、A−3はラインがなめらかで女性っぽく見えます。
自称海軍機マニアでありますが、どちらかと言うとA−3よりB−66の方に魅力を感じます。

>まさやんさん
立川の砂川側は写真も撮りやすかったし、いい撮影ポイントでしたが、何回も通うマニアは少なかったようです。
理由は、足(車・バイク・自転車)が無い限り、一旦砂川へ行くと、ほぼ1日中立川に居ることになり、そんなとき横田へ外来機が降りるのを目撃してしまうと、どうにも後悔が残るのです。とくに初心者の頃は“先の尖っている”ヒコーキの方が好きでしたからね。
K.赤塚 2019/06/16(Sun) 15:03 No.277
Re: Tachikawa Air Base
諸先輩方がこんなにスゴイ写真を残されていたとは、驚くばかりです。
当時の日本各地のアメリカ軍基地の周りは何処も畑だったのですね。
1960年以前はいろんなアメリカ軍機が飛んでいるのを見てはいましたが、、航空雑誌を見たこともなく機種名以外は何も知らない状態でした。その頃にこんな写真を撮っていた方々がいらっしゃったとは知りませんでした。10年、いや5年早く生まれていたかった。
F-86もRB-66Cも機体だけではただのノーマークで、廃棄される運命の写真だったでしょうが、、風景が写りこんでいる事でグッと生きています。貴重なお宝写真ですね。何度見ても、構図の上手さに溜息が出ます。
>赤塚さん、No.274のRB-66Cは1968年に北ベトナムでMIG-21に撃墜されていました。

>村越さん、No.271のショットが、突然の1枚とは信じられません。T-39の位置といい、地上の機体、人物など、切り取ったアングルは何度も考えた末としか思えません。

>まさやんさん、懐かしい場所です。私も特別な機体でも居ない限り立川には短時間の滞在でした。
H.I. 2019/06/16(Sun) 15:14 No.278
Re: Tachikawa Air Base
渡邊俊彦さんが立川三軍記念日へ初めて行った際のショット。(1959.5.17)
見せるところは全部見せての公開はたいへん珍しいですね。最近流行りの凝ったモデルのようです。

K.赤塚 2019/06/16(Sun) 17:04 No.279
Re: Tachikawa Air Base
その左面。このF−86Dは航空自衛隊に供与され04−8183になったと言われています。

K.赤塚 2019/06/16(Sun) 17:17 No.280
Re: Tachikawa Air Base
渡辺俊彦さんの撮影したF-86Dは凄いですね。所謂ケツの毛まで見せてくれていますね。えっと思って世界の傑作機を見てみようと思ったら、なんと如何に当時がアメリカ軍機狂いか判りますが買ってありません。マイティマウスの弾架は格納式とばっかり思ってましたが、剥き出しで飛ぶんですか?
本当かしら?発射する前から、ノーズダウンになっちゃいますよね。兎に角、なんだか得体のしれない共産主義に対する恐怖がいろんな物を作らせたんですね。アフターバーナーなんてこの抵抗増加でチャラになりそう。他にも偲ぶ会で新発見でもあればうれしいです。
のらひこ 2019/06/17(Mon) 12:45 No.281
Re: Tachikawa Air Base
F−84Gの飛んでる姿を写したマニアはH.NakaiさんとShimosatoさんしか知りません。
このShimosatoさんの写真は横田でなく立川だというのが特に珍しいですね。少し高いのでフライパスでしょうか。
1959年7月16日の撮影と書かれてますが、ひと月後は用廃になっているのが、次の写真でわかります。

K.赤塚 2019/06/17(Mon) 23:55 No.284
Re: Tachikawa Air Base
1959年8月24日、東京エアロカメラクラブの「立川基地見学会」で撮影されたF−84G。H.Gabariさん撮影。
用廃になったばかりのF−86F、B/RB−26も並べられており、撮り放題、さわり放題とたいへん恵まれた撮影会だったようですね。
後ろにB−66が見えますが、B−66は撮影禁止だったそうです。それでも、コッソリ撮った方がおりまして、何枚か写真を見たことがあります。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 00:11 No.286
Re: Tachikawa Air Base
日本の基地とは思えないような光景。ここが「立川のどこ」とすぐ答えられる方は、よほど基地内に精通していた人でしょう。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 17:36 No.287
Re: Tachikawa Air Base
1959年立川三記念日でGabariさんが撮影された現役B−66群。立ち入り禁止区域だったそうですが、
せめて100oぐらいのレンズがあれば、また違った写真が撮れていたかも・・・。
この手の話はキリがないから止めときましょう。

K.赤塚 2019/06/18(Tue) 18:14 No.289
Re: Tachikawa Air Base
航空情報1963年10月号「日本を訪れたアメリカ新鋭機」に掲載されたAFCSのC-140A。
正面写真はT.Moriさん、着陸のショットは、のらひこさん、村越さんの同級生、Tanaka yutakaさん。
立川に着陸するC-140Aの写真を「在日アメリカ空軍機写真集」編纂の際、載せたかったのですが、最後まで本人に連絡がとれずついに断念せざるを得ませんでした。

この日(8月13日)の着陸写真はほかに見たことがないので、おそらく撮ったのはTanakaさん一人だったようです。
マニアの総数が少なかった上、砂川側であったのがこうしたスクープ写真が生まれることとなったのでしょう。
情報の無い時代、予兆なく見たことの無い機体が目の前を通り過ぎて行く・・・。
若者がこの喜びを一旦味わってしまうと、だんだん深みに嵌ってしまうのです。

同誌C-140の紹介の左ページには、1963年8月10日に岩国に降りるP-3A VP-31/RP33/150520 が載っていますが、
オライオンが初来日から今年で56年にもなるのですね。(凄驚)

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 19:28 No.290
Re: Tachikawa Air Base
2日後の8月15日、T.Moriさん撮影。
今なら離陸側で頑張る人も居るでしょうが、この来日時では離陸側に誰も居なかったようです。

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 20:29 No.291
Re: Tachikawa Air Base
2機飛来したうちの1機。
シルバーフィニッシュにデイグロウ。AFCS機はこれでなくてはいけません。AC-47、AC-54、T-33、いつでも見たい撮りたいと
思わせてくれるのがAFCS機でした。
この魅力に満ちた塗装のC-140は初飛来時だけで、その後はベトナム迷彩やヨーロピアン・ワン迷彩となってしまい残念に思います。
いかにも“模型屋さん”が喜びそうな塗装ですが、完成モデルがあればぜひ拝見したいものです。

K.赤塚 2019/06/19(Wed) 20:45 No.292
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