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私のアルバムからF100 U

航空情報 1957年1月号 掲載ニュースより

あかつか 2020/03/11(Wed) 19:12 No.939 [返信]
Re: 私のアルバムからF100 U
スーパーセイバーが板付に到着したのは1956年11月14日と書かれています。当然ながらF−100は当時世界の最新鋭機で、配備されるのはアメリカ本国と日本だけでした。
航空情報ではすぐに取材に出て57年2月号にF−100の写真と基地ルポを載せています。記事によりますと部隊司令(35FBSだと思う)はバーンズ大佐。1953年にF−86D世界速度記録を樹立した名パイロットでまだ36才の若さだったそうです。
あかつか 2020/03/11(Wed) 20:55 No.940
Re: 私のアルバムからF100 U
現在手元にあります最も古い写真は福岡のManabeさんが撮られた35TFSのこの写真。おそらく1958年か59年頃だと思うのですが、標準レンズでのこのショットは驚きを隠せません。恐るべし板付です。

あかつか 2020/03/11(Wed) 21:14 No.941
Re: 私のアルバムからF100 U
同時期に撮影したと思われる80TFSのF−100D。撮影:Manabeさん。
横田の外からではこのようなショットは撮れなかったから、よけい羨ましく思ってしまいます。

あかつか 2020/03/11(Wed) 21:17 No.942
Re: 私のアルバムからF100 U
皆さん、お早うございます。

銀色のF-100良いですね。残念ながら私は板付の8TFW、嘉手納の18TFW、それに三沢の21TFWのマーク付きF-100のいずれも撮る機会がありませんでした。唯一の機会は厚木の日飛で迷彩塗装をするために飛来した4本タンクのF-100だけでした。
1966年3月24日撮影の機体55-2901はその後南ベトナムTuy Hoaの309TFSに配属されます。

コ永 2020/03/12(Thu) 09:46 No.943
Re私のアルバムからF100U
>徳永さん
じつは私も横田でシルバーのF−100を撮ったことは1度しかなく(ノーマーク)日飛に飛来したTACの100が3回、あと2回は三軍記念日でした。写真は後ほどBBSに貼らせていただきます。

↓は1958年5月17日の三軍記念日で横田初公開となったF−100F。TSPC.Tanakaさん撮影。
無塗装のため所属部隊が分からないのが気になるところ。それとは別にこの写真、F−100だけでなく時代や社会が読みとれる優れたドキュメント写真となっています。
横田の40FISはまだF−86Dでしたから、子供の目からもF−100が新しい戦闘機と映ったことでしょう。姉さんかぶりの女性もそんなことを教えているように見えます。新鋭機ゆえか、観客を監視するエアーポリスも厳しい眼差しを送っていますね。
いま気付いたのですが、少年はアメリカ人のようです。だとすると、女性はベースで仕事をしているメイドさんで、ご自身のお子さんと仕事先の坊やを一緒に面倒をみていた・・・。考えすぎでしょうか?

あかつか 2020/03/12(Thu) 19:03 No.944
Re: 私のアルバムからF100 U
おお! 徳永さん。100の4本タンクは初めて見ました。嘉手納からなんでしょうかね。ついてますね。
86Dの正面の姿は兜の面頬に似てますね。凄みがありますよ。
のらひこ 2020/03/13(Fri) 17:10 No.945
Re: 私のアルバムからF100 U
>のらひこさん
私も“泥沼迷彩”を塗りに厚木へ飛来した4本タンクのF−100をよく見ました。
何か重そうで個人的にはノータンクのほうがFighterらしくていいですね。1965年12月6日、TACのF−100を初めてみた日です。

あかつか 2020/03/13(Fri) 23:43 No.946
Re: 私のアルバムからF100 U
1966年4月11日、離陸だったかゴー・アラウンドであったか記憶にありません。これも厚木にて。

あかつか 2020/03/13(Fri) 23:45 No.947
Re私のアルバムからF100U
横田のRW36横の樫の木に登って撮影するマニアのシルエット1962年1月15日 撮影:Watanabeさん
樫の木の“定員”が3〜4人のため、いつ行っても地元、またはそれに近いマニアに占有されており結局1度も“スペシャルポイント”で撮影することはできませんでした。

あかつか 2020/03/15(Sun) 00:25 No.948
Re私のアルバムからF100U
上の撮影ポイントから撮ると、標準レンズでもこのような素晴らしい写真が撮れたのです。本当に残念だった。
1963年3月 撮影は少年時代の朋友 T.Tamuraさん 同い年なのにイイ写真撮ってたなあ。

あかつか 2020/03/15(Sun) 00:37 No.949
Re: 私のアルバムからF100 U
no948!嘉手納の100が出てきましたか。さすがのWATANABEさんもそう嘉手納を撮る機会は無かったんじゃないでしょうか。だってこの次のコマは少し送りでしょう。ハヤル心を抑えられずに、早く押しちゃたのかもしれません。
no949、良いですね〜〜三沢の2中隊、この頃が一番100らしい。少し見下ろす感じで、真横より100倍カッコいい。
のらひこ 2020/03/15(Sun) 07:51 No.950
Re私のアルバムからF100U
36横の樫の木は登れる3本ぐらいあり、木によって画面が変わります。↓はTSPCのKUMAKIさん撮影の三沢のF−100D。水平をとるため2割ほどのカットしましたが45mmでもこうした真横からの写真が撮れたのですから、居心地が悪くても木の上で頑張っていたのですね。1961.3.24
これこそカラーで撮りたかったのではないでしょうか。モノクロでも上の機体と機首のバンドの色の違いが分かりますから。

あかつか 2020/03/15(Sun) 19:20 No.951
Re: 私のアルバムからF100 U
同時期、TSPCのKITADAさんが撮影された35TFSのF−100D。こちらは若干トリミングしてますが、これも45mmです。

あかつか 2020/03/15(Sun) 19:32 No.952
私のアルバムからF100 U
同じくKITADAさんが1960年3月に撮られた8TFWのF−100Dの編隊着陸。こちらの写真のほうが「準広角」としての
パースペクティブが画面から窺えます。
左右のトリミングはしてませんので、KITADAさんは木の上で撮るのに慣れていたのでしょう。
1度や2度ここの木に乗れたとしても、そう簡単には撮れないと思います。

あかつか 2020/03/16(Mon) 14:28 No.953
私のアルバムからF100 U
同時期に撮影された21TFWのF−100ですが、おそらく36エンドでローパスを撮ったのでしょう。
何やら物騒なモノが吊るされておりますが何? ご存知の方からのフォローを願うところであります。
KITADAさんは「100男さん」と呼ばれるぐらいF−100にツイてる方で、聞いたところによりますとKITADAさんが撮られた1本のスリーブの中
1〜36コマまで全てF−100が写っていたそうです。

あかつか 2020/03/16(Mon) 14:41 No.954
Re: 私のアルバムからF100 U
no953、KITADAさん富士山を入れて、きっと年賀状に使ったんじゃないでしょうか。幅広で、飾るのに丁度良いですね。
のらひこ 2020/03/17(Tue) 12:05 No.955
Re私のアルバムからF100
Yokota RWy36と言うより、横田の「拝島側」での写真の“締め”はMoriさんの作品にいたしましょう。
1961年4月16日撮影と記されていますから、200mmを使い出して間もない頃ですね。
F−100が最も美しく見えるのは斜め前からの角度であり、多分Moriさんもご存知だったと思います。
午後の拝島側での廻りこんだ光がベアメタルの肌を輝かせ、“F−100ファン”の心を揺さぶります。

あかつか 2020/03/17(Tue) 19:16 No.956
Re私のアルバムからF100U
>のらひこさん
953のKITADAさんの編隊着陸は、確かに年賀状にピッタリの作品。空に文字を入れれば素晴らしい賀状ができますね。

印画紙を葉書サイズに切断、暗室で『謹賀新年』の文字を二重焼付したことを思い出しましたよ。
今考えると大変な作業でしたが、時間を忘れてしまうほど夢中になってましたね。パソコンだとあの楽しさは味わえません。
あかつか 2020/03/17(Tue) 19:35 No.957
私のアルバムから F-100

航空情報1962年読者写真コンテスト入賞作品

あかつか 2020/03/06(Fri) 23:52 No.913 [返信]
Re私のアルバムからF-100
横田のRW36にて200mmで撮影したMoriさんならではの作品。
この写真が発表されたとき、全国の飛行機写真ファンは大絶賛したと思うのですが、コンテストの選者は意外にも高い評価を与えませんでした。
ここでも現場派と書斎派の見方の違いが表れていますね。
とにかく当時はF−100をこうしてシルエットで狙える人は居なかったし、F−100そのものが三沢や板付からの外来機なので中々撮れなかったのです。

当時コンテストの対象機として多かったのはF−102やB−57、輸送機ならC−124などいずれも毎日見られるような“地元機”で、
とてもF−100を芸術的視点で捉えようとするマニアはMoriさんしか居なかったわけです。
私ら団塊マニアが少年時に見たこの『スーパーセイバー』の作品からどれだけ夢を与えてくれたのか。
そんな思いもあってAGC版「在日アメリカ空軍機1946−1969」では扉の写真として飾らせてもらってます

あかつか 2020/03/06(Fri) 23:54 No.914
Re: 私のアルバムから F-100
私は航空情報コンテストに掲載される前後にキャビネの印画を西砂川で直接見せていただき、感激したものでした。評者は「いつも同じ手法」とおっしゃいますが、吉永小百合と壇蜜の和服姿を同じというのですか?特に流麗なFの撫肩、柳腰の美しさに感じ入らないのですか?我々団塊の横田族は、月に1回程度、それも確か木曜か金曜の午後に来る三沢、板付のFー100に巡り合えるのが楽しみでした。Dのやんちゃな男の子風、Fの17,8のおねーさん風な姿に見とれながらシャッターを押したものでした。勿論いつも2機で来るんですから、編隊着陸は何度も撮ってますが、ここまで引いて収める「勇気」は無かったですね。同じDとFでも5つ歳上の機体ではこうはいかないでしょう。これほどの写真は撮れなくても、100を撮った後の帰り道の満足感は素晴らしいものでした。
のらひこ 2020/03/07(Sat) 08:55 No.915
Re: 私のアルバムから F-100
大好きな100のスレッドに悪乗りして、私が撮ったF-100Dの写真をO画伯に描いてもらった油絵を張りますね。
もともとは三沢のDでしたが、画伯は色を考えて板付の隊長機にしています。画家はこれができるから羨ましいです。
毎日、居間の壁に飾ってあり、これを眺めながら朝ご飯を食べています。箱根が崎の背景も思い出深いですね。

のらひこ 2020/03/07(Sat) 09:31 No.916
Re私のアルバムからF-100
>のらひこさん
のらひこさんの“F100愛”が溢れているコメントありがとうございます。
F−100も「泥沼迷彩」を施すようになってから、別な飛行機になってしまった感じで100の魅力は半減してしまいましたね。
シルバー時代、特に給油棒が真っ直ぐな頃(1962年頃まで?)の100は最高でした。

↓は油彩画の8TFW/80TFSのマーキングです。

あかつか 2020/03/07(Sat) 10:23 No.917
Re私のアルバムからF-100
>のらひこさん
916の油彩画のF−100は、↓の1961年の横田三軍記念日に展示された機体を元に彩色したのですね。撮影:Watanabeさん

当時はまだカラーフィルムは国内の写真店でに余り流通してませんでした。よって部隊塗装に興味のあるマニアは、
自ら画いたイラストに絵の具で色付けしてました。
板付の8TFWでは絵画の80TFSがイエロー、36TFSがレッド、35TFSがブルーと空軍機がもっとも華やかだった時代でしたので
カラーフィルムが使えたら楽しみが何倍にもなったでしょう。

あかつか 2020/03/08(Sun) 14:16 No.918
Re私のアルバムからF-100
↓が916の下敷きとなったのらひこさん撮影のF−100D。
西砂川側の午後での写真としてベストに近いものですが、やはりノーマークですとそのまま絵画にするには物足りません。
世界的な航空画家で知られるロバート・テイラーにしても、絵の元になるのは写真に違いなく、いい写真イコールいい絵となるのですね。

あかつか 2020/03/08(Sun) 14:38 No.919
Re: 私のアルバムから F-100
おお!横田の北風の理想的な光の100ですね。これ以上陽が照ると機体がつぶれます。板付の光には叶う筈が無いです。105が何時来るのかしらと思っていた時期でしょうが、申し訳ない気もします。板付、三沢は3中隊居て色がそれぞれ3色、この機体はカラー塗装をはがしてPACAFマークを付ける前の機体でしょうが、カラー時代は愉しかったですね。105はそういう塗装を知らず可哀想でした。
のらひこ 2020/03/08(Sun) 18:13 No.920
Re私のアルバムからF-100
1958年、NAKASATOさんが捉えたF−100D。
当時は飛び切りの超最新鋭機。横田で飛行中の姿を撮影するマニアはNAKASATOさんしか居なかったでしょう。

あかつか 2020/03/09(Mon) 11:52 No.921
Re: 私のアルバムから F-100
>あかつかさん
横田に行っていてもなかなかお目にかからなかったのがF−100でした
ほぼ失敗写真ですが、父親から借りた「二眼レフ」75mmをぶら下げて箱根ヶ崎に出かけ、「上部ののぞき窓のファインダーは使わず、パタンと畳んだ窓越しのスポーツファインダー」(こう書いたものの理解するにはかなり難易度高い)で流し撮りしたF−100です
左下に写っているのは「学生シャツののらひこさん」
1962年7月14日の横田箱根ヶ崎
板付8TFWのF−100F編隊着陸
もう給油管は曲がっていますね

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:09 No.922
Re: 私のアルバムから F-100
私が二回目に遭遇したのはずっと後の横田36エンド西砂川にて
3機のF−100が着陸した時
遠くから見えたシルエットが3機「100だ!」
興奮しましたね
先ずは3機パス、タクマー55mmでした
1963年2月9日横田36エンド
F−100D×2と先頭はF−100F

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:27 No.923
Re: 私のアルバムから F-100
1963年2月9日横田36エンド
F−100F/56−3995

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:31 No.924
Re: 私のアルバムから F-100
二機目は1963年2月9日横田36エンド
F−100D/55−3653
No.919 のらひこさんのと同じ時です(のらひこさんの写真で網にへばりついている学生帽は私だと思います)

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:34 No.925
Re: 私のアルバムから F-100
3機目はリーダー機なのかギリギリ低く侵入したのでフェンスにかかってしまった・・タクマー55mm
F−100D/55−2856

村越賢司 2020/03/09(Mon) 12:37 No.926
Re私のアルバムからF-100
>村越さん
古い2眼レフであろうとも、家にカメラがあるだけでも有難いことです。ウチには無かったから“シャシンデビュー”が村越さんより少し遅れてしまいました。
922と同日に撮影されたのらひこさんの写真。「在日アメリカ空軍機写真集」に掲載されておりますが、標準レンズによる作品は当時の箱根ヶ崎側を偲ばせます。高度から推察しますとローパスのように見えますが、いかがでしょう。

あかつか 2020/03/10(Tue) 06:49 No.927
Re: 私のアルバムから F-100
いま手元にある1962年4月14日と記されているMoriさんのF−100の写真4枚を紹介します。
いずれも西砂川でのショットですが、何機飛来したのでしょう。これは『F−100ショウ』と言っていいほどの大展開のようです。

三沢のF−100F1機とF−100D2機に板付のF−100Fが混ってのフライパス。なぜか3機目のF−100Dに給油パイプが装備されてません。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:05 No.928
Re私のアルバムからF-100
RW18からRW36へ編隊で突っ込んでくる8TFWのF−100。有りそうでないF−100のアングルですね。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:10 No.929
Re: 私のアルバムから F-100
RW36へセクションでアプローチするも一機はギアアップしてブレイク。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:13 No.930
Re私のアルバムからF-100
機体のデータが確認できる写真はこれしかありませんのでネガを拝見したいものです。(三沢の100の着陸写真が無いこともあって)
何機のF−100が写っていたのでしょう。
F−100ファンにとっては物凄い一日だったようです。

あかつか 2020/03/10(Tue) 17:19 No.931
Re: 私のアルバムから F-100
no924のFはいいですね〜〜背景に冬の午後1時半ぐらいの陽光を受けて滑り込んでくるF。美しいです。もうちょっと引き付けたかったでしょうけど、36のエンドの切り欠きのところなんで、真横は勿論、もう一寸右にレンズが向けられないはずですね。でもクラッシュバリアの巨大な鎖が時代を思い出させてくれます。18からの着陸でこれを引っ張たら見ものだったでしょう。
62年から3年の間は100にとって激変の時代だったんですね。板付のマークは中隊の一色からウィングの3色に変わり、そのあとPACAF
,無塗装、そしてあろうことか64年ぐらいから迷彩になったんです。プローブも真っ直ぐから曲がっています。100はセンチュリーシリーズの中では一番素朴で田舎っぽく、エリアルールなんか知らないもんといったやんちゃっさが大好きです。
63年1月19日、36に突っ込むDを張ります。手前で私の芸術写真を邪魔しているのは千葉からトヨエースで飛行場に来ていたAさんだろうと思います。

のらひこ 2020/03/11(Wed) 08:16 No.934
Re私のアルバムからF-100
>村越さん
924の着陸、この100のショットはすばらしい。キリスト降臨の絵を見てるようです。
望遠をまだ持てないころ、フェンスの金網にレンズを突っ込んでよく撮りましたね。でも対象はF−102であったりB−57でした。レンズが短いから少しでも近づいて撮りたかったんでしょう。思えばC−54なりC−124も同様に撮ったら面白い画が撮れたのに、そこに気が付かなったのを今考えると惜しい気がします。

>のらひこさん
トヨエースの屋根に乗ってる方はAOKI先輩のようです。AOKIさんは面倒見のよい優しい方でしたね。当時我々高校生連中が下総基地へ見学を申し込んだ際、海自から「高校生だけではダメ」と断られ、ならばとAOKIさんが代表を引き受けてくれ無事見学できたことを思い出しました。(お役人の姿勢は半世紀前から変わってない)
そのとき撮ったTBMを貼っておきます。1963年3月20日

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:00 No.935
Re私のアルバムからF-100
お目当てだったアベンジャーは用廃機でありましたが、中には今にも飛べそうな機体も混ざっており、前年行かれた先輩マニアが撮影された写真の中にはエンジンを廻している機体も含まれていました。
AOKIさんにあらためて感謝申し上げる次第です。

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:06 No.936
Re: 私のアルバムから F-100
用廃アベンジャー群の中に、一機VR−23のTBM−3Rが含まれておりました。カラフルな塗装の海自機のほうへ目が行ってしまい、この貴重なアベンジャーの細部を撮っておかなかったのが残念。翼を畳んでエンジンにシートがかかっていたこともありますが、まだこの頃は海軍機に傾倒してなく、貴重性が分からなかったからでしょうね。

あかつか 2020/03/11(Wed) 11:40 No.937
私のアルバムから〜B 11

航空情報 1961年9月号 国内ニュースより

あかつか 2020/02/24(Mon) 23:07 No.895 [返信]
Re私のアルバムから〜B 11
上の記事を航空情報の国内ニュース欄でみたときが飛行機写真を撮り始めたころで、横田やジョンソンのほかにこのような写真が撮れる
所が有るのだと、誌面を何回もみつめた記憶があります。
撮影はAGC版「私のアルバムから」の掲載写真をご協力下さったIwakawa Satoshiさん。Iwakawaさんは伝説のモデラーとして有名な
方ですが写真もお上手でした。

下は同じころに撮影されたと思われる板付に着陸するB−52D。大変な力作で、世界レベルの作品と言ってよいでしょう。
カメラはヤシカの一般カメラでレンズはヤシノン45mmと聞いています。ネガは拝見しておりませんが、おそらく35mmのコマ一杯に
写っていたのではないでしょうか。

板付には滅多に飛来しなかったB−52をこれだけキッチリ画面に納められる集中力は、さすが当時モデラー界で名人と呼ばれていたのも
頷けます。 1961.8.21 板付にて

あかつか 2020/02/24(Mon) 23:49 No.897
Re私のアルバムから〜B 11
Yoshinagaさんが1962年2月15日に撮影された板付一面を捉えた記録写真。B−52と艦載機の列線です。
62年2月12日に佐世保にコーラルシーが入港してますので、写っている艦載機はCVG15[NL]の機体でしょうね。
まるで1960年、厚木が滑走路を工事中のとき横田へ大量の艦載機を降ろしたときと同じ。60年代初期の在日空軍基地の凄さを表したお宝写真です。

あかつか 2020/02/25(Tue) 18:47 No.898
Re: 私のアルバムから〜B 11
Iwakawa SatoshiさんのB-52には舌を巻きますね。2枚とも樫の木にも登らずに、頭上スレスレの着陸を多分殆どノートリで捉えているんですもの。747の方が二回りほど大きいんでしょうが、貫禄が違います。それにしても板付の陽光はなんでこんなに美しいのでしょうか?同じ晴れでも横田は何か沈んだ感じがするんですよね。
のらひこ 2020/02/26(Wed) 00:26 No.899
Re私のアルバムから〜B 11
このようなシーンを見ることができるのは板付ならではですね。
横田で撮ったドラッグシュートを曳く写真を見たことがないのですが、いかがでしょうか。 1962年8月 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/02/26(Wed) 10:08 No.900
Re私のアルバムから〜B 11
B−52のベトナム迷彩機が現れたのは何年頃からなのでしょうか。私は“お休み中”だったので分からないのですが、初めて迷彩機を目の当たりにしたマニアは驚いたことでしょうね。

以下からのB−52Gはいずれも嘉手納でHamanoさんがキャッチしたものですが、何と初めての嘉手納訪問で30機のB−52の飛来に巡りあうという幸運を引き当てました。そのうちの一部をご紹介しましょう。bX01〜bX03まで1974年7月8日撮影。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:01 No.901
Re: 私のアルバムから〜B 11
前日の7月7日はKC−135が30機ほど離陸したそうです。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:04 No.902
Re私のアルバムから〜B 11
写真見ているだけで「暑さ」と「熱さ」が感じられますね。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:10 No.903
Re: 私のアルバムから〜B 11
翌7月9日にはカラーで撮影されています。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:16 No.904
R 私のアルバムから〜B 11
ハイビジのB−52ですと、モノクロでも頭の中で「色」を想像できますが迷彩機は無理ですね。

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:20 No.905
Re私のアルバムから〜B 11
カラーフィルムは持って行かなかったので現地で調達したそうです。そのときのコメントを頂いておりますのでご紹介します。

<hamanoさんコメント>
このカラーフィルムはエクタで何と期限切れしてすでに2年経っているとんでもないフィルムでした。コザの商店で見つけて買ったものですが当時はまだドル立てで価格が分かりません。8ドルぐらいと言ってましたが、2000円で買いました。当然コントラストも色もよくなく色が何とか着いているようなものです。

イエイエ、そんなことありませんよ。貴重な画像です(あかつか)

あかつか 2020/02/26(Wed) 19:31 No.906
Re: 私のアルバムから〜B 11
B-52とKC-135がそれぞれ30機!これは青春のとてつもない記憶でしょうね。それにしても、105や102の迷彩には違和感を感じていましたが、52の迷彩は異次元過ぎて納得しちゃうのは不思議です。塗料の重量は1トンぐらいあったんでしょうかね。
のらひこ 2020/02/28(Fri) 05:57 No.907
Re私のアルバムから〜B 11
B−52が初めて横田で公開されたのが1959年。以後30年間一度も日本で公開されませんでした。それが何の風の吹き廻しか1989年の横田のオープンハウスで突如としてB−52Gを公開。しかもノーズアートにマッカーサーの肖像画を描いて・・。 I shall returnの冗談で来日したのかと思いきや、翌年のオープンハウスでも別機が横田に飛来し、そして何と1991年には厚木のwings91に“H”型を飛ばして展示しました。

厚木にB−47は降りたことはありますがB−52は初めて。翌日(だったと思う)証拠写真としてRW01から離陸を撮りに行ったときのショットがこれです。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:12 No.908
Re私のアルバムから〜B 11
1970年からヒコーキ活動を休眠していたため、機材は友人から借りてコダカラー(ネガ)で撮ったものです。折角のチャンスに何故ポシフィルムを使わなかったのか?。気持ちの面でまだ本格復帰してなかったのですね。カメラはキャノンFX、レンズはキャノン200mmF3.5でした。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:22 No.909
Re私のアルバムから〜B 11
B−52の離陸は1965年4月12日に横田RW36エンドで撮って以来26年ぶりでしたが、塗装のせいなのか1965年のときより
感動が薄かったような気がします。年齢からくる興奮度の違いですかね。

あかつか 2020/02/28(Fri) 10:30 No.910
Re私のアルバムから〜B 11
7th BW 61−0016のB−52Hだそうです。スポッターの素養がないのでネットで知りました。便利な世の中になったものです。

あかつか 2020/02/28(Fri) 11:22 No.911
Re私のアルバムから〜B 11
海軍機に傾倒していた時期が長く、横田や立川で撮った空軍機のネガは保管を疎かにしていたため大半をビネガー・シンドロームに侵されてしまい(後悔と反省)、よって、皆さんの写真のご協力とコメントによりB−52スレが何とか成立いたしました。
次回は少々お休みを頂き、3月7日(土)より再開いたします。アルバムのテーマはF-100がらみの写真で構成したいと思ってます。

1963年〜64年頃のお話。飛行場へ行く回数が限られていた初心者マニアにあるベテランマニアが『100と105を撮りたければ横田、
ファントムとクルーセイダーを撮りたかったら厚木へ行きなさい』とアドバイスしてました。そこに何故か102とスカイレイが抜けているのが
面白いのですが、ともあれF−100は古いマニアにとって“スター戦闘機”だったんだなあ、とつくづく思う次第です。
あかつか 2020/02/28(Fri) 11:24 No.912
私のアルバムから〜BI

公開されたストラトフォートレス    撮影:小宮 宏さん

あかつか 2020/02/20(Thu) 17:06 No.881 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BI
50-60年代のヒコーキマニアにとって記念すべき最大の航空ショーと言えば1959年12月12日のサンダーバーズの横田でのデモ飛行でした。
後に指導を受けた先輩マニアからその模様を聞いたりして羨ましく思ったものです。そしてもう一件が、このB−52の日本初公開。
当時はB−52そのものが新鋭機で、遠くから見ただけでもマニアにとって大興奮モノの飛行機だったのです。それがサンダーバーズを
見にきたら予告なく目の前に展示されていたのですから堪りません。
フィルムが高価だった50年代、「バーズも撮りたい、52も撮りたい」と思いながら先輩マニアたちは一コマ、一コマを胸ときめかせながら
カメラのシャッターを押していたのでしょうね。
あかつか 2020/02/20(Thu) 19:14 No.882
Re: 私のアルバムから〜BI
イヤハヤ、我々「団塊マニア」は遅れてきた「少年」であった訳ですね。大江健三郎の本みたいに政治臭も持たず、タッチの差で最高のページェントに間に合わなかった訳ですね。12年後の1971年、名古屋で少しは取り返したんでしょうが、やはり100にあの塗装は絶品でしょうね。
のらひこ 2020/02/20(Thu) 20:59 No.883
Re: 私のアルバムから〜BI
ワールド・フォトプレス社がいかにも好みそうなTSPC TanakaTsuneoさんの作品。 1959年12月12日 横田にて

戦後GHQによる教育(洗脳か)ですっかりアメリカナイズされてしまった日本の“団塊少年”がこの写真を見て喜ばないはずがありません。
機体に表す限界かと思われるほどデカデカと画かれたU.S.AIR FORCEの文字。機体全体、国籍マークまでもが“ロービジ”となった現在の米軍機とは比較にならないほど堂々としています。そして手前に写るはウィリス・ジープ。ジープもすべての団塊少年たちが物心ついて真っ先に覚えるほどの四輪車。当時の少年たちがこんなシーンを目の前で見せられたら、何ら疑問を持たずアメリカそのものに憧れてしまうのも無理からぬことでしょう。

あかつか 2020/02/21(Fri) 12:03 No.884
Re: 私のアルバムから〜BI
上の写真に興奮した若者も、年齢を重ねてきますと下の写真のほうへ興味が移っていきます。(私だけかかも知れませんが)
三軍記念日や基地公開での古い写真の良いところは、主な被写体である飛行機とともに写り込んでいる様々な情景の趣の深さです。

このTanakaさんのショットもそれを見事に表しています。先ず右手前の親子と思われるコドモの姿は当時米軍基地内ぐらいでしか見られなかったですね。髪型や(すでにマシュルームカット)ファッションなんか当時の日本人ではあり得ないまるで別世界の少年。
その向うには日本人女性(オシャレです)に声掛けする中年男性、左はエアーポリスと自衛隊の士官らしい人との意外な立ち振る舞い、などなど。Tanakaさん、貴重な写真を残して下さりありがとうございます。

あかつか 2020/02/21(Fri) 17:23 No.885
Re: 私のアルバムから〜BI
no884のコメント、ワールド・フォトプレスの名人に叱られますよ。手前の2台、年式も多分製造メーカーもヒト蘊蓄あるんでしょうね。我々も人から見たら変わり者、ジープのマニアも同様に変わり者だったんですね。
のらひこ 2020/02/21(Fri) 17:45 No.886
Re: 私のアルバムから〜BI
この記念すべきB−52の日本初公開の様子の一部を写真で再現してみましょう。
とにかく細長く巨大な機体ですから、真横を画面に納めるのに苦労されたと思われます。
観客が少ないところから見ますとサンダーバーズのフライト前の撮影でしょうね。 撮影:NOMURAさん

あかつか 2020/02/22(Sat) 10:22 No.887
Re: 私のアルバムから〜BI
B−52を前にして、この静かな雰囲気は何と言ったらいいのでしょう。バックにKB−50が見えますが、ほかにRB−66や嘉手納のRF−101も展示されており、加えてサンダーバーズのデモが午後から始まります。マニアの興奮度は最高潮に達することでしょう。
嵐の前の静けさですね。 撮影:TSPC・Gabariさん

あかつか 2020/02/22(Sat) 10:37 No.888
Re: 私のアルバムから〜BI
午後になると続々と観衆が集まってきます。 撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/02/23(Sun) 08:04 No.889
Re: 私のアルバムから〜BI
サンダーバーズのデモ飛行の時間が近づいてきたころのショット。
観客が空を見上げていますが、バーズの前に何か飛んでいたのでしょうか。   撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/02/23(Sun) 08:28 No.890
Re: 私のアルバムから〜BI
こちらもGabariさんのグッドショット。
初めて見るB−52を前にして、その特徴である垂直尾翼(F型まで)を強調しながら人物まで意識して撮る。
写真に造詣の深かったGabariさんらしい作品ですね。

あかつか 2020/02/23(Sun) 08:37 No.891
Re: 私のアルバムから〜BI
尾部の銃座に目が行った方もいらっしゃるでしょう。そんなひとへ貴重な写真を残してくれたのはKomiyaさん。

あかつか 2020/02/23(Sun) 15:31 No.892
Re: 私のアルバムから〜BI
前スレでも触れましたが、50〜60年代のSACのマークは一機一機が微妙に違います。
下写真の左は1959年横田で公開展示されたRB−47E、右がB−52Eのもの。
リアリズムにこだわるモデラーさんには参考になる写真ではないでしょうか。 撮影:Gabariさん

あかつか 2020/02/24(Mon) 09:59 No.893
私のアルバムから〜B\

航空情報1960年4月号「私のアルバムから」 入選作品

あかつか 2020/02/11(Tue) 11:31 No.857 [返信]
Re: 私のアルバムから〜B\
まだカメラを持てない少年時代、横田へは行ったこともなく、ランウェイ・エンドの実際の状況などは想像するしかありませんでした。そんな中、購読していた航空情報1960年4月号に載ったこのNAKASATOさんのB−52の写真に衝撃を受け、横田にどうしても行きたいという「夢」が果てしなく膨らんでいったのです。
評文末尾に「B-52E.D.F.およびRB-52Bなどちょいちょい姿を見せる」と書かれているので横田へ行ければ見られると思っていたのですが、“標準カメラ”を持つようになった1961年以後、何回通ってもB-52の着陸には出会うことができませんでした。
あかつか 2020/02/11(Tue) 14:33 No.858
Re: 私のアルバムから〜B\
写真は1959年3月11日に撮影したもので、航空情報に掲載されたのは1年後となってます。
AGC刊「私のアルバムから(上)」への掲載に際しプリント(デジタルではなく)は5枚焼きました。全体のトーンのバランスがとりずらく、空をリアルに出せば桑畑が黒くつぶれ、畑を明るくすると空が白く飛んでしまう。プリントを焼いてくれましたTakahashiさんはずいぶん苦労なさったと思います。

あかつか 2020/02/11(Tue) 15:01 No.859
Re: 私のアルバムから〜B\
NAKASATOさんのB-52の写真は、実にB-52の着陸をよく表現していますよね。離れて撮った写真はそう多くなく、そもそも着陸写真自体そう無いんじゃないでしょうか?結構撮ったのが離陸で、横田の外来に並んで居るのを遠くで眺め、今日は飛びそうにないなとか待ってたのを思い出しました。学校の気象図の時間で南鳥島位までの気象概況での作図の時、グアム島に台風来ないかなと思ってたりしてました。横田にはちょくちょく来てましたけど何時来るかはこちとらにはわからない台風次第。
まるで本土の戦略空軍基地で撮ったようなB-52Dを張ります。1964年1月、確か3機来てましたが、これは台風避難ではなく、作戦でしょうね。

のらひこ 2020/02/12(Wed) 07:54 No.860
Re: 私のアルバムから〜B\
>のらひこさん
No.860のB−52Dは東側の金網に沿って大分歩いたのですか?ネ
後部銃座席がはっきり写っていますね

1963年12月20日に水噴射最後のJ−57ターボジェットのG型を貼ります。のらひこさんの有名な写真と同じ日です
横田箱根ヶ崎を離陸するB−52G/59−2602

村越賢司 2020/02/12(Wed) 15:54 No.861
Re: 私のアルバムから〜B\
同じ日、1963年12月20日の
横田箱根ヶ崎を離陸するB−52G/59−2602
F型と比べて増槽が小型化され、垂直尾翼の幅を増やし高さを低くして、後部銃座員席が廃止され与圧エリアを縮小、テレビリモート銃座になったのでしたね

村越賢司 2020/02/12(Wed) 16:02 No.862
Re: 私のアルバムから〜B\
連張り失礼します
続きのショットです、ほぼノートリ

村越賢司 2020/02/12(Wed) 16:03 No.863
Re: 私のアルバムから〜B\
>のらひこさん
確かに横田で撮ったB−52の写真は離陸のほうが圧倒的に多いですね。「降りたものは上がる」というマニアの格言の通り、皆さん情報を電話で得たりして離陸を狙ってましたね。大きな機体ですから135mmでも充分でしたし、大方は木曜日に降りれば翌週の月曜日に離陸、金曜日なら火曜日というパターンがあったと記憶しています。

>村越さん
写真のG型が離陸した1963年12月20日、この日の昼頃にF型も上がったそうですが、写真ございましたら宜しく願います。

↓は1961年2月20日、Moriさん撮影のB−52D。増槽の大きさと垂直尾翼の高さが違いが見較べるとよく分かります。

あかつか 2020/02/12(Wed) 23:22 No.864
Re: 私のアルバムから〜B\
>あかつかさん
この日は着いたときにはもう11時頃にF型が上がった後で、私は撮れませんでした。このG型の離陸6コマだけです。

私の現場ノートにはたくさんの方が居たようで
MORIさん、松崎さん、WATANABEさん、NARISAWAさん、ゴルフさん兄弟、のらひこさん、TAMURAさん、KOMACHIさん、TAKAHASHIさん、MIZUNOさんと書かれています
村越賢司 2020/02/13(Thu) 02:25 No.865
Re: 私のアルバムから〜B\
>村越さん
F型の離陸が間に合わなくて残念でしたね。午前中は学校の終業式でもあったのでしょうか。
顔見知りのマニアが12人も集まったとはスゴイことですね。

↓は、同じく63年12月20日、のらひこさんのショットです。
「在日アメリカ空軍機写真集」にも掲載されてますので憶えてらっしゃると思いますが、T.Maさんの解説と共に、この日を懐かしんでください。


<解説>
盛大な黒煙を吐いて横田を離陸するB-52G(59-2602)。この日は昼頃にB−52F(57−0154/93BW)も離陸しており、
当時としては珍しいほど大勢のマニアが詰めかけていた。
晴れているが結構寒い日で、皆で焚き火をした記憶がある。この時の離陸写真は何点か見ているが、当時若手だったにもかかわらず、
東野氏のこの写真はなかなかいい線を行っている。

あかつか 2020/02/13(Thu) 17:02 No.866
Re: 私のアルバムから〜B\
1959年6月16日、NAKASATOさんが自宅の木の上から捉えたB−52の離陸。

674のB−47Eの着陸写真同様、福生市郷土資料館が史料として所蔵すべき作品だと思います。。
B−52の横田からの離陸写真は数見てきましたが、B−47と比べて軒並みどれも高かったですね。(特にこれは高い)
J57が8基も付いているのですから当然と言えば当然ですが。

あかつか 2020/02/14(Fri) 23:14 No.867
Re: 私のアルバムから〜B\
RW36に向かうB−52F。1961年3月15日、Moriさん撮影。
画面から想像すると200mmで撮った可能性が高いですね。下に写っている資材置き場のような建物は2006年の時点では健在だったようですが、現在もあるのでしょうか。

あかつか 2020/02/14(Fri) 23:24 No.868
Re: 私のアルバムから〜B\
こちらはRW18へ着陸するB−52F。1965年5月、Narisawaさん撮影。
雲ひとつ無い五月晴れ。箱根ヶ崎の風景が何とも長閑で懐かしい。トンネルの上には人影が見当たらないのは、立ち入り禁止になっていたのかも知れませんね。

あかつか 2020/02/14(Fri) 23:32 No.869
Re: 私のアルバムから〜B\
少年マニアだったころの“お仲間”、TAMURAさんが1962年4月5日に箱根ヶ崎で撮影したB−52F。
45ミリの標準レンズにより、地上も入って横田で撮られたのが分かる素晴らしい作品となってます。
それにしても、昔の少年の撮影レベルは随分高かったんだなあと感嘆。

あかつか 2020/02/14(Fri) 23:52 No.870
Re: 私のアルバムから〜B\
1965年4月2日にNarisawaさんが撮られたBー52のカラー。
もしや、と思いスレッドを遡ってみましたら718のRB−47Hと同じ日でした。ツイてる人はどこまでツイているのでしょう。

この頃は情報が無きに等しい時代でしたから、この「ツキ」というのがどうにもならない重要な要素で、エンドに着いたら外来機が数分前に降りていたり、厚木で言えば空母入港に伴うフライ・インに偶然遭遇したりと、様々なドラマがありましたね。
このオモシロさは仔細にわたり情報を得られるようになってから、だんだんと失われていきました。

あかつか 2020/02/16(Sun) 12:19 No.871
Re: 私のアルバムから〜B\
NO718の写真のときから撮影場所が若干判り難かったのですが、NO871で、もう一つ自信がなくなりました。ここはご撮影者がご説明いただきたいものです。
36の午後の撮影場所でこんなに奥行きのある写真が撮れるものでしょうか?NO871など55mmでの撮影と言われても納得です。しかし、よくぞカラーでザ横田の写真を撮って頂きました。又再度B-52の着陸見たいものです。
のらひこ 2020/02/16(Sun) 21:19 No.872
Re: 私のアルバムから〜B\
1964年11月17日、日没直後に横田36へ滑り込むB−52D。
これがカラーならどのような色あいになったのしょうか。いや、モノクロだから想像しながら感動できるのです。
WATANABEさんらしい絵画的ショット。

あかつか 2020/02/17(Mon) 17:34 No.873
Re: 私のアルバムから〜B\
余裕で2カット目。

あかつか 2020/02/17(Mon) 17:37 No.874
Re: 私のアルバムから〜B\
そしてラストカット。
1964年11月17日、お気づきになられた方もいらっしゃるでしょう。そうです、この日は入間の公開日だったのです。
前年の1963年入間航空祭は「超曇天」で展示飛行は中止。この年の入間航空祭は絶好の晴天。
初の青空の下でのブルーインパルスのデモ飛行にマニアは大満足の一日。

WATANABEさんの凄いところは、入間でブルーインパルスの帰投を撮ったあと横田へ寄り、見事B−52をキャッチしたのです。
誰もが考えつかなかったことでした。

あかつか 2020/02/17(Mon) 17:49 No.875
Re: 私のアルバムから〜B\
1961年3月15日、横田36へ進入するB−52F。Moriさん撮影

今見ればB−52の着陸写真としては、珍しいアングルではありませんが、何しろ撮影年が1961年ですから、
このような写真が撮れるマニアは200mmを持つMoriさんしか居りませんでした。

あかつか 2020/02/18(Tue) 19:04 No.876
Re: 私のアルバムから〜B\
「36でB52を」Moriさん篇です。 撮影:1964年1月8日

あかつか 2020/02/18(Tue) 23:43 No.877
Re: 私のアルバムから〜B\
同じく64年1月8日
RW36でのB−52の着陸のメインショットは、やや送り気味が多いですね。
写真の多くは標準レンズ(45mm〜55mm)を使用しているようで、撮影位置の関係からか真横ですとファインダーから
溢れ出てしまったからではないでしょうか。
送りの写真もB−52らしくて好きですが、真横から仰ぎ見るような写真も見たかったですね。

あかつか 2020/02/18(Tue) 23:54 No.878
Re: 私のアルバムから〜B\
そしてMoriさんのスリーショット目。一度ぐらい36で着陸に遭遇したかったなあ。
今回のB−52スレで手元にある写真を数十枚見直してみたのですが、52はなぜか着陸写真に魅力を感じました。
巾も長さも細い機体なので脚とタイヤがアクセントとなり、写真で見たときバランスがとれてるように思うのです。

飛行機は脚が出てないほうが美しい(かの木村秀政先生の言)と、マニア間でも良く言われてますが機種にもよりますね。
ならばビバリーやフレイターはどうなんでしょう。まあ、元々スタイルとは縁遠いヒコーキではありましたが・・・。

あかつか 2020/02/19(Wed) 00:24 No.879
Re: 私のアルバムから〜B\
イヤハヤ、このシリーズは見応えがありますね。すべての写真の、機体のフレーム内での置き方!!そうピッタリ置いているようなポジションは凄いですね。兎に角どでかい飛行機を両サイド、上下にピッタリ収めていますよね。背景がある写真もあるべき所に機体と背景がある。機首の前の空間と機尾の空間がみんな丁度良いんですよ。標準ででも、これほど迫力を出せる機体はB-52をおいてないでしょうね。747を写してもこうはいかないでしょう。千両役者!!!
のらひこ 2020/02/19(Wed) 20:47 No.880
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