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私のアルバム〜F3H@

デモン初来日  撮影:近藤清光さん 1957年4月

あかつか 2020/07/09(Thu) 23:50 No.1270 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3H@
おそらく現在の大和市のアーカイブにも無いであろう1957年4月に撮影された大和市草柳周辺の貴重な写真。
大和町が市制施行し「市」となったのが1959年、撮影当時はまだ農村の面影を残す「町」でした。
造成中らしき道は県道40号線(横浜〜厚木線)でしょうか。この写真を見て目を見張ったのは右下に写る戦前風農家の佇まいと「つるべ井戸」。
私の少年時代(50年代)でも街なかに水の出る井戸はいくらかありましたが、ほとんどは鉄製の手押しポンプ式で、つるべ式は見たことがありません。絵本の中に出てくるような風景ですね。
あかつか 2020/07/09(Thu) 23:52 No.1271
Re: 私のアルバム〜F3H@
もう一つの驚きは、RW19へ滑り込むVF−124[D]のF3H−2N。
VF−124はPAC初のデモン・スコードロンで最新鋭機。もちろんデモンも初来日で“ワン・レター”の[D]を見られたのもこのときが最初で最後。
すべてにおいて語ることが多すぎるくらいの大変貴重な写真記録です。

よくぞ撮っておいて下さったと海軍機マニアとして心から感謝する次第です。
この西太平洋航海でのレキシントン/CVG−12ではデモンのほか、フューリー、クーガー、スカイレイダーなど各飛行隊機の垂直尾翼には同様なパターンでスコードロンカラーを塗り分けていました。

あかつか 2020/07/10(Fri) 05:28 No.1272
Re: 私のアルバム〜F3H@
私がデモンに初めて会ったのは1962.8.22でした。イヤハヤ、添付のデモンを始めスカイレイ、スカイウオーリアー、スカイホーク等々、マリンコ、ネイビーの厚木に居るのがほとんどすべて乱舞してくれました。その中でデモンは実にザ戦闘機という感じで、ひときわ大人っぽく見えましたね。なんと、金の無い中学生がこの日だけでフィルムを2本も使ったのですから、当時の興奮が判ります。
NO1270!!なんという歴史的史料でしょうか?引地川の周りは田園そのもので、水位が低いせいで跳ね釣瓶で水が取れたんですね。又、橋の前後に多分アスファルトで段差を埋めているなんぞ、マツダの三輪車しか通らない道路だったんでしょう。何はともあれ、景色の無い写真を我々は良く撮ったものです。

のらひこ 2020/07/10(Fri) 22:14 No.1273
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんの写真、懐かしく拝見しました。
工事中の橋の手前の道を手前に登っていくと途中の斜面には防空壕が幾つかありました。
登りきったところに小学校があり、同級生はここを通って通学していました。
先生は防空壕には絶対入ってはダメですよ、と学校では口を酸っぱくして生徒に言うが、男子生徒はそんな事なんか聞きません。
放課後、蝋燭を持って探検と称し幾つかの防空壕巡りをしました。
貧しくて懐中電動を持っていなかったわけではないと思いますが、子供のくせに「蝋燭の火が消えたらヤバい」という知恵はあったようで皆蝋燭持参での探検でした。
橋の向こう側のこんもりとした茂みの下は引地川があり、手前の田んぼは夏はザリガニをとり、冬には凍り竹スケートができる小学生には格好の遊び場でした。
MACH3 2020/07/11(Sat) 12:00 No.1274
Re: 私のアルバム〜F3H@
>MACH3さん
そうです。昭和の“男の子”の遊びは少々の危険がないと面白がらなかったですね。
それがイヤだった子は“女の子”と「ままごと」して「お父さん役」やってました。
そんな冒険好きの男の子が、少年期が終わるころ遊び場は“米軍基地”へと移っていきます。
“NAS ATSUGI”はそんな青年にとって最高の「秘密基地」でしたから。

>のらひこさん
のらひこさんの“初厚木”は62年の8月22日でしたか。
私は8月16日、ちょっと早いですね。Moriさんの手ほどきを受けながらの“初厚木”は衝撃と感動の連続で、忘れられない日となっています。
何しろ見るもの撮るもの初めてづくし。F8U,F4D,F3Hの戦闘機群にAD,A3D,A4Dなどの攻撃機系と、輸送機群が
1日中ひっきりなしに飛ぶものですから堪りません。私もフィルムを2本、大量消費してしまいました。(^-^)

↓は、私の「初デモン」。興奮しすぎたのかブラしてますね。^^;

あかつか 2020/07/11(Sat) 16:31 No.1275
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんの風景デモン 良いですねェ
デモンのシルエットは遠目にも際立つフォルムですね

以前にアップした私の遠景デモンも「民家の屋根越し」だったり「相模鉄道のレール越し」だったり「絵になる垂直尾翼が」好きでした

>あかつかさん、
>のらひこさん、
私の「初デモン」は少し遅く
1962年11月5日の厚木19エンドです
VF−193のF−3B NM305/145260です。
この日はボンホムリチャードの艦載機がたくさん飛んでくれました
まだ標準レンズしか持っていなかったので、それなりのショットですが

村越賢司 2020/07/11(Sat) 22:08 No.1276
Re: 私のアルバム〜F3H@
次にF−3Bを撮ったのは1963年4月5日の厚木19エンド。
VF−54(NF)部隊が展開中でした。
その日のF−3Bショットを5枚(連貼りスミマセン)アップします

がむしゃらにデモンを撮りました

VF−54のF−3B NF202/145271

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:36 No.1277
Re: 私のアルバム〜F3H@
同じく
VF−54のF−3B NF205/145232

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:38 No.1278
Re: 私のアルバム〜F3H@
同日
厚木19エンド
VF−54のF−3B NF209/145220

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:39 No.1279
Re: 私のアルバム〜F3H@
この日の大和への帰り道に
相鉄線の線路越しに着陸する たぶんVF−54のF−3B

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:41 No.1280
Re: 私のアルバム〜F3H@
近藤さんのNO.1270と同じ意図のショットもどきですが民家の屋根越しにアプローチする たぶんVF−54のF−3B

村越賢司 2020/07/12(Sun) 10:44 No.1281
Re: 私のアルバム〜F3H@
>村越さん
初撮りのデモンが“コレ”ですか!(驚嘆)とても中学生の写真とは思えませんね。
62年の12月は厚木へ2度(12/9、12/29)行ってますが、[NM]はVF−191のクルセイダーのみで、デモンは撮れませんでした。
VF−193はこのデモンを最後にVF−142と称号変更しファントムになってしまったので、このデモンは撮っておきたかったです。

[NM][NF]とも標準レンズであることがとにかく凄いです!。
No1273ののらひこさんの写真は確か45mmですから、村越さんの55mmとは画面のサイズが違いますね。
ちなみに私は50mmでした。いずれにしても標準レンズで「戦闘機」が撮れたなど、今のマニアから見れば信じられないことでしょう。
Watanabeさんが「昔は1mmでも長いレンズが欲しかったなあ」とエンドデビュー当時のことを語っていたことを思い出します。
特に45ミリと55ミリでは同じ標準レンズでも画面の中の世界はずいぶん違いますからね。

1280の線路上でのショット、私も撮りましたよ。
当時の相鉄線は大体が大和止まりでしたから、よく19エンドへの行き帰りは線路上を歩きました。ときどき電車に出くわしてしまったときは
“のり面”の草むらに降りて通過待ちをしてましたが、関係者からのお咎めはありませんでしたね。のどかな時代だったなあ。

1280、1281は、もし「大和と厚木基地」をテーマとした写真展が開催できたならぜひ展示したい作品ですね。
あかつか 2020/07/12(Sun) 10:55 No.1282
Re: 私のアルバム〜F3H@
村越さん、1962.11.5は一緒に行ったんですよね。あかつかさんのwatanabeさんの言葉の証拠のような写真を張ります。同じ305ですが、こんなに角度が違います。
しかし、般若をばかリ見てきた目には、ネイビーのマーキングの洗練されたオシャレさに魅了されました。
デモンの翼弦長の長さはには、ビックリですね。これじゃあ、スピードが出るわけない!よっぽど着艦速度を下げることとペイロードを増やしつつ空に揚げることに苦労したんだなと感じ入ります。だって胴体の3分の1以上の長さです。

のらひこ 2020/07/12(Sun) 14:28 No.1283
Re: 私のアルバム〜F3H@
>あかつかさん
私の書き方が曖昧でした
タクマー135mmを購入したのが1963年3月22日でした
ですからNO.1276の「NM」は55mmですが
NO.1277〜1279の「NF」は135mmを使っているはずです。それでも角度がいまいちです
村越賢司 2020/07/12(Sun) 16:59 No.1284
Re: 私のアルバム〜F3H@
勝手に資料本を紹介させていただきます。
2001年に発行された皆さんご存知の「世界の傑作機〜マクダネルF3Hデモン」。執筆のほとんどはTSPCのT.MATSUZAKIさんと、
K.FUJITAさんが担当されています。
ご両人ともデモンを飛行場で実機を数多く見ておられる筈ですから、記事内容に“デモン愛”のようなものを感じますね。
“深堀り”を望まなければ、この一冊あれば充分ではないでしょうか。“世傑”に載っていない写真も当BBSで紹介しますので、
合わせて“世傑”をご覧頂きますとより趣が深まると思います。

あかつか 2020/07/12(Sun) 18:15 No.1286
Re: 私のアルバム〜F3H@
はじめましていつもうらやましく見てます。
この写真は現代だとどの辺にあたりますか?草柳1丁目交差点付近でしょうか?それとも草柳コミュニティーセンター付近ですか?
滑走路延長工事で草柳交差点付近は土盛りされて随分と変わったのですか? 以前先輩マニアの方々から昔の厚木はの今と違ってどかだった。とお聞きしましたが今でも当時の名残とかありますか?他にも当時を知る写真とかあったら是非見せて下さい。
 ken 2020/07/25(Sat) 23:18 No.1327
Re: 私のアルバム〜F3H@
>kenさん
デモンの撮影場所はだいたいこの辺だと思います。
#1270はこの道路の工事中の時ですね。
#1280は地図の場所あたりだと思いますが当時は道があったかな?
エンドに行くには#1270の道は舗装されていない割に、車がよく通り埃をかぶるので地図の旧道(現在の泉の森)の小道を使用しました。

MACH3 2020/07/27(Mon) 01:05 No.1328
Re: 私のアルバム〜F3H@
>kenさん
先の企画になりますが、マニアが見た「厚木基地・むかし話」のようなスレッドを考えています。
よくある「○○の今昔」のようなものとなります。しばらくお待ちください。
あかつか 2020/07/27(Mon) 18:22 No.1329
私のアルバム〜F3HA

AGC版 私のアルバムから(上)より  撮影:大野芳希さん 1960年8月31日

あかつか 2020/07/13(Mon) 09:14 No.1287 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3HA
夏も終わり、忍び寄る秋。真夏には見られなかった台風前後を感じさせるちぎれ雲が流れます。
今よりずっと四季の周期がはっきりしていた1960年代。Ohnoさんのこの写真は、時代の空気と季節感を見事に表現されています。
(ヒコーキがデモンだからまたいい)
あかつか 2020/07/13(Mon) 09:54 No.1288
Re: 私のアルバム〜F3HA
VF-124[D]の次に厚木へやってきたのはVF-122[NG]のF3H-2Nでした。
タイコンデロガ/CVG9の所属機で、インターナショナル・オレンジに彩られたデモンは、マニアにとって正に「これぞ海軍機」。
写真はカラーではないけれど、モノクロでも魅力的な塗装であることがわかります。
1957年10月  撮影:Kondohさん

あかつか 2020/07/13(Mon) 16:58 No.1289
Re: 私のアルバム〜F3HA
100番台のFJ−3、300番台のA4D−1、500番台のAD−6など、前スレCVG12[D]と同じく、それぞれの飛行隊は同様形式での色違いで
まとめています。スポーツチームのユニホームのようですね。
我々が遭遇した60年代中期の海軍機も華やかでしたが、50年代のほうがデザインの統一性があって、たいへん分かりやすいです。
1957年10月 撮影:Kondohさん。
ちなみにスカイホーク(VA-93/A4D-1)の来日は、このときが初めてなんですね。何と言うスゴイ日だったのでしょう。

あかつか 2020/07/13(Mon) 17:04 No.1290
Re: 私のアルバム〜F3HA
no1287、素晴らしいです。展示飛行で航過飛行がありますが、この写真は単機の航過って感じですね。デモンの位置がピッタリです。
のらひこ 2020/07/14(Tue) 14:31 No.1291
Re: 私のアルバム〜F3HA
Kondohさんが撮られた1289と同機ですが、増槽を2本吊るしてあるのが良く分かるショット。じつは増槽を2本装着できることをこの写真を見て初めて知りました。
“世界の傑作機〜マクダネルF3Hデモン”のK.FUJITAさんの説明によりますと、

『デモンは増槽を2本携行できるようになっていたものの、ほとんど1本しか付けなかった。2本だと狭い間隔で並ぶことになるので空気抵抗が
増え、増槽なしの場合より航続距離と滞空時間も減少してしまうからだった。1本ならば航続距離は伸びないものの5〜10分程度滞空時間を
増やせたわけだが、それではしょうがないと増槽を使わずにいた飛行隊もあったようだ』と書かれています。

FUJITAさんの説明にあるように、これから発表する当BBSUの写真でも増槽を吊るしてない機体のほうが、2対1ぐらいの割合で多いですね。
増槽2本の写真はこのVF−122[NG]だけでした。

あかつか 2020/07/14(Tue) 19:34 No.1292
Re: 私のアルバム〜F3HA
専門誌等で[NH]のデモンが部隊塗装を施していた頃の写真は見ていましたが、厚木で撮影されていたとはKomiyaさんのネガを
拝見するまで知りませんでした。
1958年5月18日の撮影ですから、シャングリラのWest Pacクルーズでの来日でF2H−3バンシーから交代したばかりの新鋭機。
初めて撮られたKomiyaさんは垂直尾翼と胴体に流れるインターナショナル・オレンジの色に目が眩んだことでしょうね。

あかつか 2020/07/15(Wed) 23:15 No.1293
Re: 私のアルバム〜F3HA
同じく1958年、板付に飛来したVF−114のデモンを福岡のマニアMANABEさんがキャッチしています。機首周辺に光が被ってしまい少々残念ですが(昔はよくあった)調べてみたところ、137020はNH401であることが分かりました。ネットはこんなとき便利なものですね。
デモンのとなりにA4D-1(VA-113/NH303/142229)が並んでいます。ネット画像によりますとこのA4D−1の塗装は単なるライトブルーではなくメタリックがかっていて、スカイホークの塗装としてのデザインと美しさはピカ一。モデラーさん御用達のA4Dです。

あかつか 2020/07/15(Wed) 23:19 No.1294
Re: 私のアルバム〜F3HA
更に貴重なのは、このVA−113のA4D−1は米海軍のアクロバット・チーム「アルビノ・エンジェルス」の使用機だったのです。ヒコーキファンの多くはA−4のアクロと言えば1974年から1986年まで使用されたブルー・エンジェルスのA−4Fを思い浮かべるでしょうが、それよりも16年も前にスカイホークを使用したアクロバット・チームがあったとは・・。
「アルビノ・エンジェルス」、意味ありげな名称ですね。詳しいことは分かりませんが^^;
あかつか 2020/07/15(Wed) 23:20 No.1295
Re: 私のアルバム〜F3HA
翌年(1959年3月〜10月)のシャングリラのクルーズでは、カラーペイントは落とされ“色気”はすっかり無くなってしまいました。これはVF−114に限ったことではなく、あらゆる海軍・海兵隊機に見られたもので、今のような熱心なマニアが居たらずいぶん落胆したことでしょう。まあ、当時のマニアはそんなことは気にしてなかったと思いますが・・・。

↓は、1959年7月、Nakagawaさんが撮影された厚木基地周辺の歴史を感じさせる素晴らしいショット。これで45mmですから、当時はいかに着陸が低く、被写体に寄って撮れたのがよく分かる写真でもあります。

あかつか 2020/07/16(Thu) 22:37 No.1296
Re: 私のアルバム〜F3HA
標準レンズでもソコソコ撮れたのですから、望遠(200mm)ならファインダーの世界はこれだけの違いがありました。
1959.7.16 撮影:Anzaiさん

あかつか 2020/07/16(Thu) 22:50 No.1297
Re: 私のアルバム〜F3HA
1296と同日撮影のVF−114のデモン。
白地のレドームの先端だけ黒く塗っているのが珍しいのですが、そんなことを珍しがるマニアも少なくなってしまいました(ーー;)

あかつか 2020/07/17(Fri) 11:53 No.1298
Re: 私のアルバム〜F3HA
VF−114のF3H−2の離陸直前のシーン。1959年4月29日 撮影:Todaさん
この後にJ71の轟音が滑走路周辺に響き渡らせ、ゆっくりと走り出しアフターバーナを焚いて上がっていくのでしょう。
「デモンの離陸時のエンジン音の大きさは並大抵のものではなかった」と、先輩マニアから良く聞きましたが、
私も何回かその場にいたものの、なぜかJ71の爆音の記憶がないのです。
たぶん、他のシェット音と比較ができるほどマニアとしてのキャリアが足りなかったのでしょうね。

あかつか 2020/07/18(Sat) 00:17 No.1299
Re: 私のアルバム〜F3HA
no1297を見ていると、インテークの幅が細いですね。良くインテークから兵隊が体を入れてタービンの清掃をしている写真がありますが、これは頭も入らないんじゃないかね。これじゃ、急カーブ切ったら、曲がる方は強烈な加圧、反対は境界層の下側になって、右と左の吸入量が大きく違い、ファンブレード軸に負担がかからないのでしょうか?ファントムのインテークが幅広になったのも判る気がしますね。
2本タンクの件だって、干渉抵抗って高校でも習いそうな話で、過渡期だったことが良くわかりますね。
のらひこ 2020/07/18(Sat) 14:09 No.1300
Re: 私のアルバム〜F3HA
1959年4月26日、小牧の航空ショーで展示後トーイングされるF3H−2N。撮影:Shimosatoさん
国内において初めての公開で、同時にVF−111のF11F−1も初展示。地元のファンは大喜びだったでしょうね。
たとえば関東のファンが公開日を知っていたとしても、50年代では時間と交通費がかかり過ぎて行かれなかったと思います。そんな時代でした。

あかつか 2020/07/18(Sat) 15:24 No.1301
Re: 私のアルバム〜F3HA
>のらひこさん
1297と同日にAnnzaiさんがやや正面から撮っておられます。
この写真ですとインテイクの形態がより分かりやすいですね。有りそうで無い貴重なショットです。

あかつか 2020/07/18(Sat) 23:48 No.1302
Re: 私のアルバム〜F3HA
アルビノ・エンジェルスについて・・・

Cdr. R. L. "Zeke" Cormierは、第4代目(1954−56)のBlue AngelsのCOでした。
1957年3月にVF-113から改称したVA-113は最新鋭のA4D-1を受領し、そのCOに就任します。
VA-113の任務は特殊兵器の運用でした。
そのCOにはBlue Angelsからのリーダーは適任だったのでしょう、彼は最新鋭機の慣熟飛行を重ね、昔取った杵柄でA4D-1 4機でVA-113内でデモンストレーションチームを発足しました。
このチームはミラマー海軍基地で2度のデモンストレーションしましたが、本番のBlue Angelsと変わらぬ見事な編隊飛行を目撃した海軍のお偉いさんが「これはイカン」とクレームを出しました。
そして直ちに解散命令が出されVA-113の"Albino Angels"は2度のデモ飛行で終了となりました。
昔の海軍は飛行隊でデモチームを作るなど結構融通が利いたんですね。
Albinoとは先天的に色素が欠乏した白い動植物のことを言います。
彼が青い飛行機でデモ飛行したBlue Angels時代から、新天地のVA-113のライトガルグレイとインシグニアホワイトのA4D-1は色素が欠乏したAlbino飛行機だと感じたのだと思います。
彼は1960年に日本でもテレビ放映された"Blue Angels"のアドバイザーとして参加しています。
MACH3 2020/07/19(Sun) 09:04 No.1303
Re: 私のアルバム〜F3HA
>MACH3さん
「アルビノ・エンジェルス」の説明ありがとうございます。
ググッてアルビノ・エンジェルスの映像を探してみましたが、不鮮明な4機編隊の写真が一枚あっただけで、鮮明な写真は見つかりませんでした。
でも、どこかにあるのでしょう。ぜひ見たいものですね。
“アルビノ”と聞きますと白鷹とか白鯨を想像しますが、シーブルーの海軍機に搭乗することが日常だった隊長から見れば、確かにガルグレイ&インシグニアホワイトのA−4を“アルビノ”と呼んだのも頷けます。エピソード、大変楽しく読ませていただきました。

↓はTSPCのFukuiさんが1958年7月6日に撮影された“激レア”写真です。標準レンズ(48mm)ですので、かなりトリミングしてますが、それでもこれだけ撮れたのですから100mmもあればマニア史に残る物凄い写真となったでしょうね。

あかつか 2020/07/19(Sun) 10:53 No.1304
Re: 私のアルバム〜F3HA
n01302,こんな贅沢なショットは無いですね。デモンですよ!絶対走って、悔しいけど、仰ぎ気味の横写真を撮りますよね。でもこの写真、なんかベニヤ板のUコン機の翼を思い出させませんか?この位のアスペクトでエンヤの09で全く浮かなかったのを思い出します。
別件です。アルビノはアラビア語なんですよ。albはアルビヨン、アルブミンなんか全部白を思い出させます。
のらひこ 2020/07/19(Sun) 15:11 No.1305
Re: 私のアルバム〜F3HA
里芋畑を眼下に滑走路へ進入するデモンを捉えた1シーンですが、この静寂感を何と表現したらいいのでしょうか。
ランウェイ・エンドの辺りから誰かが凧を上げているのような感じがいたします。
現実はあり得ないことですが、写真は時として人の想像力を混乱させます。  1959年7月 撮影:Nakagawaさん

あかつか 2020/07/19(Sun) 23:51 No.1306
Re: 私のアルバム〜F3HA
対照的に同日、同地点でとられたこの写真からは、ゴー・アラウンドの爆音が聞こえてくるようです。
これこそモノクロ写真の成せるもので、カラーですとこうした想像力は働きませんね。

あかつか 2020/07/19(Sun) 23:58 No.1307
Re: 私のアルバム〜F3HA
1961年4月26日、RW19へ進入するノーマークのF3H−2N。ネットによりますとこのデモンはVF−114/NH403らしいです。
それよりも気になるのは、この写真の撮影ポイント。たぶん135mmで撮られたと思いますが、モーボを画面に入れ込んで、
機体を真横から写したのはKomiyaさんの写真しか見たことがありません。
手前に鉄条網を張った柵が写ってますので、人が行かれる環境にはあったと思われますが、危険な雰囲気が漂っています。
たとえ当時のマニアがこの場所を知ったとしても側に近寄れなかったのではないでしょうか。モーボの中のLSOがタワーへ連絡すれば
SP(シュアーパトロール)のフォードF100がすぐやって来て助手席に乗せられてしまいますから(*-*;)

あかつか 2020/07/20(Mon) 13:45 No.1310
Re: 私のアルバム〜F3HA
NO1310を見てビックリです。座っているLSOから判断してモーボの大きさは2階建ての家屋より大きくて高かったんですね。滑走路の延長上からしか見ていなかったので、意外な発見です。それに当たり前ですが、クーラーが付いていたんでしょうね。我々は高三になってから学校にクーラーが付いた時代です。自宅には窓を30cm開けて差し込むタイプが付いたのがやはり高三の頃でしょう。
真横のデモン!!こう見ると、クリーンなせいかファントムの栄養失調な兄貴って感じですね。でも音は薄い記憶ですが、かすれた低音の轟音だったような気がします。
のらひこ 2020/07/21(Tue) 08:51 No.1311
Re: 私のアルバム〜F3HA
>のらひこさん
移動式のモーボの周辺に電源設備が見当たらないので冷房機はなく、せいぜい扇風機といったところではないでしょうか。
厚木へ行きはじめた頃、ただ降りてきたヒコーキをひたすら撮るだけでしたが、そのうちモーボにピックアップトラックがやってきてLSOを連れていくと、ランウェイ・チェンジになることを先輩から聞いて知りました。ですので、ヒマで無風状態になるとモーボを常に見張ってましたよね。こんなアナログ的な飛行場の世界が楽しかった。
あかつか 2020/07/21(Tue) 12:08 No.1312
Re: 私のアルバム〜F3HA
デモン
懐かしい響きですね。
添付の写真はジョンソン(現 入間)最後の三軍1960/5/21に展示されたレンジャー搭載のVF-92のF3H-2(F-3B) NG-203。まだ機関砲は4門ついています。
厚木が工事中のため横須賀入港時艦載機はジョンソン等他の米軍基地に来ていました。

geta-o 2020/07/21(Tue) 19:45 No.1313
Re: 私のアルバム〜F3HA
>geta-oさん
1960年のジョンソン三軍記念日ですか。
私を含め、60年代から始めたマニアにとってはスタートが1〜2年遅れただけで「マニア的世界」がずいぶん違うものです。
60年のジョンソン三軍記念日にしてもデモンは関東初公開でしたし、F8U−2も初めての展示でした。おまけに、ブルーインパルスの前身、空中機動研究班(後の天竜チーム)のF−86Fの編隊演技の初披露などが
あり伝説の日と語り継がれました。 ↓撮影:Y.OKAJIMAさん
そんな、現場にリアルタイムで立ち会えたgeta−oさんが羨ましいです。

あかつか 2020/07/22(Wed) 00:01 No.1314
Re: 私のアルバム〜F3HA
初めてスモークを曳いて演技した「空中機動研究班」のF−86F。
この日から『ブルーインパルス』の物語が始まったと言ってよいでしょう。撮影:OKAJIMAさん

あかつか 2020/07/22(Wed) 00:06 No.1315
Re: 私のアルバム〜F3HA
今日も3軍のデモン
1962/5/19厚木の3軍です。
昔厚木の3軍はエプロンでの公開は無く指令部近くの体育館横の道路に数機が展示されるだけでした。
1962年の3軍もノーマークのF8U-1E,AD-6,F3H-2N,WFのF4D-1と海自のS2F-1の5機が展示してあり午前中に前のグランドでヘリが飛んだだけでした。
終了時間が近付くと展示機は順次飛行場地区へトーイングされて行きました。
このトーイングを土手の上から撮るのが一番いいアングルで撮影出来ました。
ノーマーク機ですがF3H-2仕様に改修されていますが元はF3H-2N(F-3B)です。

geta-o 2020/07/22(Wed) 21:22 No.1316
Re: 私のアルバム〜F3HA
>geta-oさん
前年の三軍記念日(1961.5.20)も同様な公開の後ノーマークのデモンが同じようにトーイングされたのですね。厚木三軍記念日の歴史を物語る大変貴重な写真です。 撮影:WATANABEさん

geta−oさんの136974はVF−93/NM306で、WATANABEさんの136987はVF−92/NG201だそうです。(元か先かは不明)
61年、62年の三軍記念日展示機の写真を拝見しますと汚れの無いノーマーク機が多いのは、きれいな機体を展示しようとする米軍の計らいだったのですかね。(〜〜;)

あかつか 2020/07/22(Wed) 23:57 No.1317
Re: 私のアルバム〜F3HA
私たち団塊の世代は、60年61年にもデビュー出来る可能性が有ったんですが、さすがに中一じゃあ無理ですよね。でもこの2年が物凄い濃い年だったんですよ!geta-oさんがうらやましいです。
のらひこ 2020/07/23(Thu) 11:47 No.1318
私のアルバム〜F6D

F4D-1/CVG14/VF-141/USS RANGER 

あかつか 2020/06/21(Sun) 21:41 No.1254 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6D
1960年5月17日、神戸港にてT.KAMINOUさんが撮影されたVF−141のスカイレイ。
KAMINOUさんは日本の艦船ファンの間では有名な方で、50年代から60年代初頭にかけて神戸港に入港した空母の写真も多数撮影されておられます。
いわゆる“フネ”の人なので、艦載機の写真は少ないのですが、いざ撮るとなると、撮影はじつに丁寧で、カメラアングル、露出、仕上げなど、撮影の基本をしっかり心得てらっしゃいます。
あかつか 2020/06/21(Sun) 21:56 No.1255
Re: 私のアルバム〜F6D
空母艦載機としてのF4D-1の厚木飛来は1960年が最期ですから、私たち団塊マニアの中で“NAVY”スカイレイを見た人は居ないと思います。
日本で撮られた写真も少なく、とにかく「あれば貴重品」と言ってよいでしょう。
上の神戸港で撮影されたVF-141のスカイレイにしても、空母は横須賀にも入港してるので、厚木に降りていると思いますが、マニアの少なさからか、厚木で撮影された写真は1枚も見たことがありませんね。

↓は航空情報1959年8月号の特集ページからの転載です。
その年の6月19日、大島沖で実施された空母レンジャーの機動演習を自衛隊関係者、報道記者など100人を招待して見学させていたのです。
この見開き頁を見てください!。夢のような公開シーンです。航空情報の編集人は、たくさん撮った写真をどう割り付けようか、悩みながら、楽しみながら構成したのでしょうね。今なら一冊のムック本がつくれそうです。

あかつか 2020/06/22(Mon) 15:27 No.1256
Re: 私のアルバム〜F6D
マニアが撮影した中で最も古いスカイレイの写真は、1957年9月に厚木で捉えたこのCVG5/VF−141のF4D−1でしょう。
撮影者は元祖アツギマニアのK.Kondohさん。このときのシスタースコードロンはVF−51のFJ−3Mフューリーでした。

Kondohさんは56年から58年にかけてエンドへ通われ、その後現れる自称海軍機(厚木)マニアたちが腰を抜かすようなスクープ写真を多く撮られていますが、Kondohさん曰く、エンドでカメラを持つマニアに一度も会ったことは無かったそうです。
確かにこの時代、カメラが有る“家”が少ない上、ヒコーキの写真を撮ろうとする人が居たこと自体が珍しかったのです。
師らしき人や仲間も居ない中、このような素晴らしいスカイレイの写真を撮られたことに驚きを隠せません。奇跡に近いことだと思っています。

あかつか 2020/06/22(Mon) 23:04 No.1257
Re: 私のアルバム〜F6D
VEとEKの尾翼はお洒落でしたね。それ以外は今で言うゴシックのキッチリした字体ですね。私はEKが好きでした。
のらひこ 2020/06/23(Tue) 12:34 No.1258
Re: 私のアルバム〜F6D
>のらひこさん
僕らが見たのは「WF」「WH」「EK」だけでしたが、色は付いてました。それ以前の「VW」「EC」「VE」は58年の初来日時を除けばノーマークと変わりなかったから恵まれていたかも知れませんね。
その中でも「EK」の塗装デザインは余りにも秀逸で、タミヤがスカイレイのプラモデルに「EK」のデカールを付けたのはよく分かります。スカイレイの時代で解隊されてしまったのが惜しい!。
あかつか 2020/06/23(Tue) 19:11 No.1259
Re: 私のアルバム〜F6D
VF−154ブラックナイツのF8U−1が、初めて厚木へ飛来したときのシスタースコードロンが、このVF−23フラッシャーズのF4D−1だったのですね。まさか日本のマニアが写真を撮っていたとは思いもよりませんでした。イエローとブラックに彩られたこのスカイレイも目を見張るような美しさだったでしょう。
1958年5月6日、撮影は50年代後半から厚木へ通っておられたH.Komiyaさん。

あかつか 2020/06/23(Tue) 23:44 No.1260
Re: 私のアルバム〜F6D
ご無沙汰しています。
スカイレイ
懐かしいですね。
厚木ではいつでも飛んでいたので「蛾」と言ってあまり撮りませんでした。
掟破りかもしれませんがカラーでWHを1枚。
それからYOU TUBEに8mmをデジ化したのをUPしました。
ttps://www.youtube.com/watch?v=km7NSOlTxxE

geta-o 2020/06/24(Wed) 18:15 No.1261
Re: 私のアルバム〜F6D
>geta-oさん
翼を左右に揺らしながらの着陸姿、映像拝見して思い出しました。
風の強い洋上で着艦するときパイロットは緊張したでしょうね。スカイレイが早々と空母(CVG)から外され、地上基地への配備が主となったのも分かるような気がします。


↓1959年8月にOhnoさんが撮影したVF−213のF4D−1/NP303。
厚木で撮られた写真はおそらく本邦初公開でしょう。とは言うものの1959年〜61年までカラーリングがご法度?の時代でしたから、機体に“色気”が無いのが少々残念。
VF−213のF4D−1が空母(レキシントン)に載っていた時期は1年半足らず。このときのシスターSq.はVF−211のタイガーでした。それが翌年にはVF−211はクルーセイダー、VF−213はデモンに機種転換し、すぐ厚木へ飛来しているのですからたまりません。もう少し早く厚木へ行っていれば・・。と言いいたいところですが、その頃は小学生なので一人で行けるわけがありませんね。^^;

あかつか 2020/06/24(Wed) 23:34 No.1262
Re: 私のアルバム〜F6D
陽が陰っていますが、上と同日(1959.8.7)に撮影されたNP310。
大和の森が写っているので厚木に降りていることが分かります。後に検証するとき、こうした写真が重要なんですね。

あかつか 2020/06/25(Thu) 00:18 No.1263
Re: 私のアルバム〜F6D
geta-oさん、良いカラーですね。下まで光がまわって、カラーならではですね。私は年に3本程度しかカラーは使えなかったです。ポストに投函してハワイから戻るのが待ち遠しかったな~
のらひこ 2020/06/25(Thu) 15:11 No.1264
Re: 私のアルバム〜F6D
さらに驚いたのがTomitaさんの1959年のネガから発見したRW19へ降りるチェックの塗装を施したVF−213のスカイレイ。
垂直尾翼の帯状のチェックは59年時の塗装ですが、その夏厚木へ飛来したスカイレイを含め、CVG21の戦闘機群はほとんどカラーマーキングがされてませんでした。これからマークを消すのか?マーク付きの機体が一部残っていたのか?。調べようにも話が古すぎてどうにもなりません。

あかつか 2020/06/25(Thu) 15:32 No.1265
Re: 私のアルバム〜F6D
厚木における“NAVY”最後のスカイレイは、1960年に飛来したCVG5/VF−51[NF]スクリーミング・イーグルスのF4D−1でした。
同時にこのときの空母タイコンデロガでのクルーズが、太平洋艦隊におけるCVGのスカイレイの最後になっています。
1960年7月15日 撮影:Narisawaさん

長らく続きましたF4D−1(F−6Aの新名称は未だに馴染みません)は、このスレッドをもって終了いたしまます。
当時のマニアが見たスカイレイは「ツクダニ」「貝殻」「蛾」などと呼ばれ、人気はなかったようですが、今回、多くの写真を整理して鑑賞しますと、なかなか魅力的なヒコーキであったことを再認識いたしました。
思えば1963年の厚木三軍記念日のデモ飛行でクルーセイダーを物ともしない上昇力を見せ「さすが世界記録保持機だ」と感動させたシーンは、駆け出しマニアだった小生の脳裏にしっかりと残っています。

しばらくお休みをいただいて、次のスレッドは7月10日から始めます。

あかつか 2020/06/26(Fri) 00:10 No.1266
Re: 私のアルバム〜F6D
あかつかさん、お疲れ様でした。1か月半近くスカイレイを追い続けた「愛」に感服しています。しかし凄いスカイレイのオンパレードです。海外のどこに駐留寄港したのか知りませんが、東南アジアは勿論、ヨーロッパでもこんなにバラエティがあり、迫力のあるF4Dの写真を撮っている人は居ない、乃至絶無かも知れませんね。どなたか海外にこの「私のアルバム」を紹介していただけませんかね。「WAO」の歓声が聞こえてきそうです。しかし、ハイネマンという人は凄いですね。A−4もほぼ同時期に手掛けているんでしょう!!戦闘機と攻撃機の違いは有るものの同じサイズの個性的機体を成功に導くなんて天才にしか出来ない芸当です。私はツクダニと言って頭も上げずに居た自分を恥じています。そして、1960年以前の写真の時代感に酔っています。
のらひこ 2020/06/27(Sat) 08:20 No.1267
Re: 私のアルバム〜F6D
>のらひこさん、ありがとうございます。スカイレイの写真を見て若き日の「ヒコーキ熱中時代」を思い出していただけたら幸いです。

駆け出しマニアのころ、先輩方から50年代から60年代にかけての飛行機と飛行場に関する話をよく聞きました。ですので、降りて来るスカイレイをエンドで撮りながら『数年前にはここをカットラスやバンシー、パンサー、タイガー、フューリーが目の前を通り過ぎたのか!』などと思ったものです。私を含めてそんな妄想を持っている人たちへ印刷物で再現したのがCHECKER TAIL4・在日アメリカ海軍機写真集でした。
それでもページ数が限られる本では語りきれないこともあって、WEBで補おうとしたのが今回の企画意図です。

機体性能や装備、部隊などを詳細に記した書物は出版社から多く出ていますし、ネットで検索すれば調べる手がかりはすぐつくでしょう。
ですので、ここではヒコーキ写真と飛行場をからめながら、“あのとき”何を見て、何を考えていたのか?そして今は・・・。
個人の体験や展望などを自由気ままに語り合う。こんなヒコーキマニアのサイトが一つぐらいあってもいいかなあ、と思っています。
あかつか 2020/06/27(Sat) 17:01 No.1268
Re: 私のアルバム〜F6D
>geta−oさん、
Youtubeにスカイレイも見ました
厚木エンドでの着陸スピード感が堪能できます
迎角の大きなスカイレイの貫禄、早い進入のF−8など
貴重な8ミリをありがとうございます
https://www.youtube.com/watch?v=km7NSOlTxxE
村越賢司 2020/06/29(Mon) 10:56 No.1269
私のアルバム〜F6C

ITAZUKE AIR BASE のスカイレイ

あかつか 2020/06/17(Wed) 21:35 No.1241 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6C
「応接間に飾りたくなる写真」と言われることがありますが、この1962年1月に撮られた作品は正に60年代のITAZUKEそのものを活写した傑作と言えましょう。 撮影:H.Yoshinagaさん

60年代前半の板付ほどマニア心(特に米軍機マニア)を揺さぶる飛行場はなかったのではないでしょうか。横田と板付とジョンソンを合わせて割ったようで、撮影できた機体は米空軍は元より、海軍・海兵隊機に時折訪れるフィリピン、タイ、韓国駐留の米軍機。そして国内の民間機、自衛隊機。話を聞いただけでもフィルムの使用量を心配してしまいます。60年代の板付は本当に夢の飛行場だったと思います。
あかつか 2020/06/17(Wed) 22:47 No.1242
Re: 私のアルバム〜F6C
おお!額縁に入れるのにふさわしい写真ですね。山並みのグラデーションも丁度良く、背負ってるレドームにも程よく光が回って、書斎に飾って、パイプを燻らせるのに最高の作品です。無い物ねだりですが、横田にはこういった撮影ポイントは余り無く、ドライブインは夕景は無理でした。私は書斎もなく、パイプもやりませんけど。
のらひこ 2020/06/18(Thu) 09:14 No.1243
Re: 私のアルバム〜F6C
>のらひこさん
特に手前のWF−2トレイサーのふっくらとしたレドームが効いてますね。これがホークアイでなくて良かった(^−^)
こうした偶然も普段から写真のことを考えていないと、いいシャッターチャンスは訪れないものです。

そう言えば、戦前からの写真誌「アサヒカメラ」がついに休刊となりましたね。デジタル化以来、表現方法や価値観まで変わってしまい、仕方なく思いますがちょっと寂しい(−−;)

↓はトップ画像のロマンチックムードの写真から一変、緊張感漂う板付のエプロン。画面手前に黒くうっすら写るのは有刺鉄線ですが、ここは堂々と撮れるような場所ではなかったのでしょうね。
厚木から飛来した「EC」のF4D−1、岩国から「EA]のA4D−2N、嘉手納からはF−100D/Fと、スゴイ光景としか言いようがありません。  1962.1.14 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/06/18(Thu) 14:07 No.1244
Re: 私のアルバム〜F6C
Yoshinagaさんが1962年5月6日に撮影された「EC」の“お帰り”(たぶん)シーンですが、自転車に乗ってきたと思われるマニアが居ますね。隠れながら撮っているように見えますが、実際はどうだったのでしょう。それにしてもスカイレイまでの距離がかなり近いです。背景には典型的な日本家屋が写っていますが、この位置から望遠で引きつけて撮れたとすれば、時代を表現した素晴らしい写真となったでしょう。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:33 No.1245
Re: 私のアルバム〜F6C
三沢の45TRSのヴードゥーを横目にタキシーする「EC」のスカイレイ。板付ならではのツーショット。 
スカイレイの全長が13.79m、ヴードゥーは21.11m。こうして並ぶとヴードゥーがいかに巨大な戦闘機だったのがよくわかります。
スカイレイの可愛いこと(^^) 1962年5月18日 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:36 No.1246
Re: 私のアルバム〜F6C
上と同様62年5月18日に撮影されたEC11とEC15。
目の前でこんなシーンに遭遇したら、誰もがフィルムの残量が気になってしかたないでしょうね。
バックに100と102が写っていますし、くどいようですが、本当に60年代の板付は凄かった。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:45 No.1247
Re: 私のアルバム〜F6C
No1244,No1245とは撮影日が別ですから、スカイレイは頻繁に飛来していたようです。
この頃の板付の状況をもっと知りたいのですが、九州にはマニア同志がつながるような会はなかったようで手掛かりが掴めません。
当時、東京では「東京スカイフォトサークル」、大阪では「関西エアロカメラクラブ」など、同好の士が集まるクラブがあり、
情報を整理していました。もし九州にも同様なクラブが創られていたなら、日本中のマニアから注目の的となったでしょう。

あかつか 2020/06/19(Fri) 18:47 No.1248
Re: 私のアルバム〜F6C
翼端を畳んだスカイレイが3機!モデラーで無くても机の上に置きたくなりますね。お尻のフィレットもメカニカルで、今の戦闘機より好きです。
のらひこ 2020/06/20(Sat) 09:16 No.1249
Re: 私のアルバム〜F6C
スカイレイが日本で最後に公開されたのは厚木でも横田でもなく、板付であったことをT.KADOKAMIさんが撮られた写真で知りました。
スカイレイの帰国が迫った1963年9月22日、第11回航空日を記念した行事「福岡空港祭り」にて[WH]のF−6Aと、[DB]のF−8Dが
展示されたのです。[DB]のF−8Dは関東の基地で一度も公開されてませんし、福岡のマニアにとって嬉しいサプライズでした。

あかつか 2020/06/20(Sat) 23:38 No.1250
Re: 私のアルバム〜F6C
同日展示された[DB]のF−8Dとのツーショット。
スカイレイのほうは早めに展示が終わり、クルーセイダーは少し遅れてきたのでしょうか。機体周辺から“息遣い”のようなものが感じられます。
バックの空に浮かぶC−46といい、観客 の位置といい、写真に造詣が深い方でないとこうした写真は撮れないでしょう。お見事です。
1963.9.22 撮影:KADOKAMIさん

あかつか 2020/06/21(Sun) 00:01 No.1251
Re: 私のアルバム〜F6C
no1251、良いですね〜少し引いて右の二人を入れて、腰を若干落として真ん中に172か150を入れる。そして46が来るのを待つ・・・常人じゃできませんね。真ん中は偶然かも?
しかし、1962〜1963年の2年間が、日本にいた飛行機の機種が一番多かったじゃないでしょうか?数え上げるのが大変な程です。海軍、空軍、海兵隊、エエい自衛隊のアベンジャーなんかも入れたら、20機種じゃきかないんじゃないでしょうか?皆さんこの2年間に日本に居た機種を投書してら面白いですね。悔しいけどタイガーは入らないですね。
のらひこ 2020/06/21(Sun) 19:12 No.1252
私のアルバム〜F6B

CHECKER TAIL4 在日アメリカ海軍機写真集より

あかつか 2020/06/07(Sun) 09:48 No.1209 [返信]
Re: 私のアルバム〜F6B
[赤外フィルムで撮る]〜CHECKER TAIL4 解説より抜粋

フィルムは日本で唯一であった「さくら赤外」を使用しました。赤外線フィルムは晴天であれば季節に関係なく絞りF5.6、シャッター1/60秒の組み合わせでOKというのですが、動きの早い飛行機では1/60秒では遅いと思い、絞りをF4、シャッターを1/125秒にして撮りました。
コントラストが非常に強く、必ず赤のフィルターを使うなど、普通のフィルムとはずいぶん違った特性を持っていました。困ったのは、一眼レフでは赤のフィルターを付けて覗くと、まったくピントが合わせられず、また赤外線は波長が長いために何ミリかレンズに書かれている赤外マークまでピントの位置をずらさないといけないことでした。レンズを無限大にセットし、赤外マークに合わせて撮りましたが日差しを浴びた胴体の下は真っ黒と、コントラストが強すぎて余り良い結果は出ませんでした。
唯一全く予想をしなかった結果が出たのは上のスカイレイで、主翼下面に光が回ってパネルラインがはっきりわかる写真が撮れたことでした。 (戸田保紀)
あかつか 2020/06/07(Sun) 10:42 No.1210
Re: 私のアルバム〜F6B
新刊、旧刊本を読み漁っていた中学生のころ、Todaさんが撮られたこの写真を航空ファンで見て、何と幻想的な写真なんだろうと衝撃を受けました。
数年後“少年カメラマン”として写真を撮り始め1年ぐらい経った日の夏、赤外フィルムを購入し、いざ撮ってみますと一眼レフのファインダーの中は真っ赤々な世界で違和感そのもの。確かにレンズの距離計に赤いマークがあり、そこに合わせて覗いて見るとファインダー内の画像はボヤけて見え、これで写真が撮れるのだろうかと思いました。
撮影後、写真店からネガを引き取り確認すると、超アンダーでピントも最悪。一本実験したところで赤外フィルムの使用をすっかり諦めてしまった『負』の思い出があります。
あかつか 2020/06/07(Sun) 11:19 No.1211
Re: 私のアルバム〜F6B
1958年8月、RW19へセクションで向かうスカイレイ。テイルレターが見えませんが増槽に三本線が入ってないところを見ますと
VMF(AW)314[VW]の可能性が高いですね。
相鉄線の架線がずいぶん先に見えます。撮影ポイントは現在のランウェイ・エンド近くでしょうか。標準レンズでも海軍機が撮れたという
夢のような時代です。

スカイレイがMAG11の傘下に入ったのが1958年2月、VMF(AW)115[VE]が初めてでした。
以後、飛行隊は1963年まで1年ごとのローテーションで交代して行きますが、順を追ってその時期々々のスカイレイを紹介します。

あかつか 2020/06/08(Mon) 00:14 No.1212
Re: 私のアルバム〜F6B
赤外フィルム、買いましたよ!!確かうわさでナイロンの水着だと透けて見えるなんて言われて、ヨコシマな気持ちでいましたが、プールに写しに行く勇気はなかったですね。飛行機の写真はすべて失敗でしたよ。露出が指定どうりでもダメでしたね。ところが雨上がりの校庭にうっすら白い部分が見えることがあるんで、これは鎌倉街道が地面の下に通っていたせいではないかと先生に話して、赤外線フィルムならハッキリ写るんじゃないかと撮影したんですが、失敗!鎌倉街道説も笑いものにされました。todaさんの写真は実に見事に赤外線フィルムの性能を引き出していますよね。
のらひこ 2020/06/08(Mon) 08:20 No.1213
Re: 私のアルバム〜F6B
1958.2.11〜1959.5 VMF(AW)-115[VE]

MAG11への展開期間は、米海軍の発表や部隊史からMACH3さんがまとめたものです。
実際の運用日は若干ズレることはよくあるので「大方」ということでご理解ください。

↓撮影日が記入されている資料写真の中で、一番古いのが1958年5月18日にKomiyaさんが撮られたVE18。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:26 No.1214
Re: 私のアルバム〜F6B
TSPCのFukuiさんが撮影されたVE11。1958.7.7 
プラモデルのデカールでおなじみの赤・白・青の塗装も、初配備のときに見られただけで、2度目のローテーション時では“色気”は全くありませんでした。この美しい塗装のスカイレイを見たという日本のマニアは10人も居ないのではないでしょうか。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:40 No.1215
Re: 私のアルバム〜F6B
1957年から厚木で写真を撮り始めた“元祖・アツギマニア”のKondohさんも勿論撮られています。日付は無記入ですが、日差しの強さから梅雨が明けた7、8月頃ではないでしょうか。
ネガを拝見してますが画面の7割ぐらいスカイレイが写っていました。100mmもあれば「機首アップ」できるぐらい低い着陸ですね。

あかつか 2020/06/08(Mon) 09:50 No.1216
Re: 私のアルバム〜F6B
1958.7.1〜1959.9.8 VMF(AW)-314[VW]

VMF(AW)-115[VE]に5ケ月遅れて厚木へやってきたのがVMF(AW)-314[VW]。
[VE]は、F4D−1受領時に施されていた赤白青のカラーリングをまとっていましたが、
[VW]のほうは残念ながらカラーマーキングは除かれており、傾いたテイルコードのみとなっていました。

↓ネットからの画像

あかつか 2020/06/08(Mon) 23:53 No.1217
Re: 私のアルバム〜F6B
NAKAGAWAさんが1958年、大和側で撮影したVW18。というより、景色が余りにも素晴らしくありませんか。これが50年代の厚木基地エンドの光景です。この写真を写友のH氏に見せたとき「おいおい、ウソだろう!」と絶句したのを覚えています。
「VW」であろうと「VE」であろうと、ヒコーキは何でもいいと思わせるようなインパクトのある写真ですね。

あかつか 2020/06/08(Mon) 23:58 No.1218
Re: 私のアルバム〜F6B
50年代に撮られた現代風なショット。これにも驚きです。しかもこの時代に135mmで撮っておられるのが凄い。
画調も良く、まるで昨日撮ってきたような写真ですね。 1959.4.23 撮影:Todaさん

あかつか 2020/06/09(Tue) 00:00 No.1219
Re: 私のアルバム〜F6B
こちらもTodaさんが59年4月29日に撮影したスカイレイのタキシング。135mmでこの位置まで寄るのは、当時としてかなりの冒険ですね。
カメラを隠し、ただ見ているようなフリを装い、ガードやSPに注意を払いながら素早く撮った。と、ご本人からお聞きしたことがあります。
CIAのU−2が居たこともあって、厚木は関東の米軍基地の中でもっとも警備が厳しい飛行場でした。

あかつか 2020/06/09(Tue) 00:05 No.1220
Re: 私のアルバム〜F6B
no1215と1218の撮影場所は、今のマニアの方には判らないと思いますので航空写真で解説します。どうしてこんなに低いのかがこれで判ると思います。でも、基地の中からも丸見えですので、捕まる可能性はかなり高いです。マッマニアというのはそういうものです。1956年4月13日の航空写真です。エプロンの機体は何でしょうね?ちょっと粗すぎるので判別困難です。

のらひこ 2020/06/09(Tue) 18:50 No.1221
Re: 私のアルバム〜F6B
1959.4.21 〜 1960.7.5 VMF(AW)-531[EC]

[VE]が残していったF4D−1を使用して厚木初駐留となったVMF(AW)-531。
尾翼にコードが書かれているだけで全体的に素っ気ないです。1959年から1961年頃の極東における海軍・海兵隊機の多くは
“色付け禁止令”が出ていたのではないかと思わせるほど、カラーペイントを施していませんでした。理由は未だに分からないのですが、
当時のマニアは気にもかけてなかったと思います。
「スカイレイはスカイレイ、デモンはデモン」、そんな目で見ていたのではないでしょうか。 1959年5月29日 撮影:Todaさん

あかつか 2020/06/09(Tue) 23:46 No.1222
Re: 私のアルバム〜F6B
1960年5月20日、板付三軍記念日にて展示機をガッチリ決めたTodaさんの作品。
後にローテーション配備された(1961年7月〜)同部隊機の塗装と、ほとんど変わりありませんが、
1959年配備時に撮影された「EC」のスカイレイは、マニアが少なかったこともあって、大変珍しい記録写真となっています。 

あかつか 2020/06/09(Tue) 23:49 No.1223
Re: 私のアルバム〜F6B
1959.8.20 〜 1960.11.2 VMF(AW)-542 [WH]

今回のスカイレイ特集で、最も写真が少なかったのが「VW」から機体を引き継ぎ、厚木に初めて配備されたときの「WH」のF4D−1。
写真はこの写真と、同日、同位置で撮影された2カットしかありません。
次(1962年)のローテ時はマニアも若干増えて写真は多く残されましたが59年時は本当に少ないのです。

外観上の違いは左右の燃料タンク。62年時はタンクの前部を黒く塗っていましたが、59年時では塗装は無きに等しくシンプルそのもの。
もう一つは垂直尾翼に書かれたビューローナンバー。前スレ[EC]にも見られたように10万台の“1”が省略されており、
ナンバーは5桁で表記されています。  1960年9月28日 桜ヶ丘側にて。 撮影:Komiyaさん

※追記(20.6.13)
62年10月からの「WH」2度目のローテ時においてBu.Noが5桁のスカイレイが見つかりましたので、垂直尾翼に書かれたナンバー表記による駐留時期の判断はできなくなりました。撮影者の記録のみが頼りとなります。

あかつか 2020/06/10(Wed) 21:30 No.1224
Re: 私のアルバム〜F6B
↑と同日撮影のデルマーターゲットを曳く「WH」のF4D−1。
9月下旬とは言え、夏場の草いきれを感じさせる写真ですね。手前は灌漑用水用のコンクリートの土管で、桜ヶ丘側エンドと言えばこの土管。
バランスをとりながら上に登って撮影したマニアをよく見かけました。(私も)

あかつか 2020/06/10(Wed) 22:09 No.1225
Re: 私のアルバム〜F6B
1960.6 〜 1961.7 VMF(AW)-115 [VE] A

VMF(AW)531[EC]と交代し、MAG11へ2度目の派遣となった「VE」のF4D−1。
極東における米海軍機の“マーキング不毛”の時代、カラーペイントはまったくなし。おそらく日飛で「EC」のコードを消して「VE」に書き替えただけでしょう。次に出てくる同様の「VW」とのコンビで毎日飛んでいたのですから当時のマニアは、いささかの“飽き”を感じていたと察します。 
1961.2.27 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:18 No.1226
Re: 私のアルバム〜F6B
1961年5月20日の厚木三軍記念日で公開されたVE-00。CAG機でも“色気”ナシでした。
三軍記念日ですので展示機の写真は多く残されていますが、この角度からのスカイレイの写真は少ないですね。Moriさんは、やはり目の付けどころが違いますね

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:20 No.1227
Re: 私のアルバム〜F6B
こちらはWatanabeさんのショット。左に写し込まれているのはノーマークのF8U−2/145578の主翼です。
コックピットを観客に見せるための見学台か梯子でもかけてあったのでしょうか。少し高目の位置から撮影したWatanabeさんの好センスに脱帽。

あかつか 2020/06/12(Fri) 05:22 No.1228
Re: 私のアルバム〜F6B
1960.10.14 〜 1961.11  VMF(AW)-314 [VW] A

1959年8月から1年4ヶ月務めたVMF(AW)542[WH]の使用機を引き継いで、二度目のローテーション入りした「VW」。
テイルレターと部隊コードだけの変わり映えしないスカイレイだけに、当時のマニアは「どう“シャシン”を撮ってやろうか?」とカメラを向けていたのではないでしょうか。美しい写真に仕上げています。
国籍マークの下に機体名とBu.Noが書かれていますが、厚木に駐留したMAG11のスカイレイにこのタイプの書き方をした機体は少なかった。 1961.2.8 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/06/13(Sat) 00:13 No.1229
Re: 私のアルバム〜F6B
1134のGabariさんの写真にも出てきたテールコードの書き替え跡がナマナマしいVW10。
これが“ブラック・ナイツ”だと言われても名称を表す部隊のマークや、因んだ塗装は何ひとつ機体に描かれていません。
これではマニアのテンションは上がらなかったでしょう。 1961.2.27 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/13(Sat) 00:16 No.1230
Re: 私のアルバム〜F6B
1961.4.1 〜 1962.7  VMF(AW)-531 [EC] A

VMF(AW)115「VE」と交代し、厚木2度目の登場となった「EC」のF4D−1。
VMF-531 “グレイ・ゴースト”は、後のF−4BやFA−18にしてもマニアから人気のあった飛行隊でしたが、
F4Dは当時のマニアからすれば「単なる」スカイレイとしか見てなかったと思います。
1962年1月30日、厚木01側にてショートカットで降りるスカイレイを、Moriさんが200mmでガッチリ決めたショット。
この角度の着陸写真も余り見ないですね。上部のパネルラインが判るモデラーさん御用達の写真。

このローテ時のスカイレイの蘊蓄を語るとすれば、Bu.Noの書き方、位置に統一性がないことでしょうか。
↓のEC22のBu.Noの位置がNAVY機によく見られた垂直尾翼の位置に4桁で書かれていますし、
国籍マークの下に記された小さなBu.Noは13492と下一桁の2が足りません。
この134922は元「EK」の機体で、1959年2月から9月まで,F・D・ルーズベルトのCVW−1に編入されていました。
ナンバーに関してはその時からの名残りかも知れませんね。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:15 No.1231
Re: 私のアルバム〜F6B
62年当時、標準レンズ1本だった私には、決して撮れない01側でのスカイレイの離陸写真。 1962.4.22 撮影:Moriさん
春先、風が北から南に変われば01から19まで1時間かけて歩き、(電車を利用してもさほど変わらない)
そして、19エンドに着いたとたん風はふたたび北風に。「そんなこともあったなあ」と思い出し・・涙。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:16 No.1232
Re: 私のアルバム〜F6B
1962年5月20日の横田三軍記念日で展示されたEC8。Bu.Noはしっかりと6桁で書かれています。撮影:Narisawaさん
横田や立川の三軍記念日に海軍機や海兵隊機が公開されると何故か嬉しく、同じように厚木に空軍機が展示されると
大いに喜んだものでした。

あかつか 2020/06/14(Sun) 00:17 No.1233
Re: 私のアルバム〜F6B
1961.10.16 〜 1962.11.1 VMF(AW)-513 [WF]

1958年、MAG11にスカイレイが初めて配備されたVMF−115「VE」以来、2年半ぶりにカラーペインントを施して登場したのが「WF」のF4D−1でした。
それにしても、この「WF」のスカイレイ。じつに“ほどの良い”塗り方だと思いませんか?。モデラーさんの中にはモデルが完成した後、部隊塗装は余り関心がない人が多いと聞いたことがありますが、もしスカイレイを作られたら、この濃紺と金の星の「WF」はいかがでしょう。とてもいい塗装だと思いますが・・。

↓は、62年4月27日、RW19にすべり込むWF24。とにかく“24”というモデックスに驚きます。VMF−314「VW」から機体を受け取ったことが写真から見てとれますね。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/15(Mon) 00:02 No.1234
Re: 私のアルバム〜F6B
↓はTSPCのAnzaiさんが1962年5月19日の厚木三軍記念日で撮影されたスナップショット。
TSPCが「フォト・サークル」であったことを表してる作品と言えましょう。

個人的に大変“お気に入り”の写真なのですが、その理由の一つとして、WF/スカイレイの左に停車中のフォルクスワーゲン/カルマンギア・クーペ。
街中が東京オリンピックで賑わっていた1964年のとある日、横浜の海岸通りに建つホテル・ニューグランドの前を通りがかったとき、
ホテルの正面にさりげなく駐車していたのがこのクーペでした。
見慣れてきたアメ車とはまったく異なるデザイン、実用を無視した戦闘機のようなコックピット、はじめてVW/カルマンギアをみて
アメリカとヨーロッパの文化の違いを感じました。

あかつか 2020/06/15(Mon) 00:20 No.1235
Re: 私のアルバム〜F6B
カルマンギアですか!たまに立川の青梅側で走ってましたね。誰か先輩が、あの手の車は将校が乗るんだよと言われて、丁度クラウン、グロリアの初代の頃で、なにか悔しい思いをしたもんです。
のらひこ 2020/06/15(Mon) 15:08 No.1236
Re: 私のアルバム〜F6B
1962.7 〜 1963.7.1  VMF(AW)-114 [EK]

一部のマニアから“ツクダニ”と呼ばれていたスカイレイも、スカイレイが好きでたまらないというファンも居たに違いありません。
そうしたマニアにとって1962年7月から11月までが至福のときだったと言えましょう。スカイレイが厚木に二個中隊体制で駐留してから、双方の飛行隊が海軍機(海兵隊機)らしいフルカラーの“衣装”をまとったは初めてだったのですから。
ネットでスカイレイの画像をググってみましても、VMF−114「デス・ディーラーズ」は相当な人気の飛行隊で、それを“ナマ”で見られた当時のマニアは幸せだったと思います。

↓は1963年5月12日の厚木三軍記念日にてデモ飛行を終えてエプロンへ戻るEK1。
当日の天気は良くありませんでしたが、開催中は雨も降らず視界も良好だったので、プログラムどおりのデモ飛行は行われました。
「EK」のスカイレイは「UE」のクルーセイダーと競うように飛びましたが、アフターバーナを吹かしての上昇力は圧倒的にスカイレイのほうが良かったと記憶しています。 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:24 No.1237
Re: 私のアルバム〜F6B
↓1962年7月24日、WATANABEさんが撮影したEK15/139187。
「EK」の使用機は、前任のVMF−531「EC」から引き継いだと思われますが、受領して間もなかったからか、
カラー塗装がなされてない機体も混ざっていたようです。当時の「EK」のスカイレイの写真としては珍しいのですが、
これに驚いた人は余程のマニアですね。

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:37 No.1238
Re: 私のアルバム〜F6B
タミヤのプラモデルの元になったのがEK3/139068ですが、現役時代のスカイレイの写真があります。 1962.2.5 撮影:Moriさん
尾翼のトランプマークといい、タンクの電光といい、じつにバランスがとれていてスカイレイに合わせたような素晴らしい塗装ですね。
たぶんデザインに心得がある人が隊に居たのでしょう。

あかつか 2020/06/15(Mon) 21:48 No.1239
Re: 私のアルバム〜F6B
1962.10.30 〜1963.9 VMF(AW)-542 [WH] A

厚木のMAG11最後のスカイレイは“タイガース”の「WH」でした。と言ってもタイガースがVMF-542のスコードロンネームだなんて、当時はほんの一部のマニアしか知りませんでした。当然、私たち団塊マニアは知る由もなく、ただひたすらに写真を撮っていただけです。

“あれだけ”飛んでいたスカイレイが日本で見られなくなるということで、今なら「最後のスカイレイ!」とかで航空雑誌は特集などを組み「別れ」を惜しむのでしょうが、当時はメディアもマニアはスカイレイの離日に興味は無かったように思います。
スカイレイが初めて厚木のMAG11に配備されてから5年7ケ月。当時はずいぶん長く感じました。ところが実際の駐留期間はずいぶん短かかったのですね。ホーネットは初来日して何年たつのでしょう?まだ第一線で活躍中のところをみると、マニアは“飽きた”なんて言っていられませんね。

1962年12月20日、Narisawaさんが撮られたWH20/139175。
「WF」から機体を受領して時間が経ってないせいか「WH」の塗装にはなっていません。
テイルレターが主翼で隠れていますが、ヒコーキの写真は斜め前、垂直尾翼に主翼が少しかかるぐらいが一番カッコイイ角度だと勝手に思っています。
スポッターの皆さんからはお叱りをうけそうですが。m(..)m

あかつか 2020/06/17(Wed) 07:47 No.1240
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