おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
私のアルバムから〜B[

AGC版「私のアルバムから」より

赤塚 2020/02/03(Mon) 10:34 No.837 [返信]
Re: 私のアルバムから〜B[
TACCのTodaさんが直接横田広報部へ直接手紙を出して基地内撮影を許可されたときのショット。
日本人飛行機マニアが撮った写真とは思えないような作品で、当時の「タイム」誌に掲載されてもおかしくないTodaさんの傑作。 1958.4.2

<掲載本からの解説>
消火訓練で燃やされている機体は、垂直尾翼にレインボーカラーの斜めバンドがうっすら見えていることから、421ARSのKB−29であろう。
50年代後半はこうした訓練に使われている機体が、基地イーストエリアの片隅(現在のエアロクラブ・ハンガー)に数機横たわっていた。
赤塚 2020/02/03(Mon) 10:52 No.838
Re: 私のアルバムから〜B[
おお!1960年以降でもno769の右中段の位置で燃やしてたのを、遥か遠くで煙で知ったのを覚えてます。スクラップ屋でバイトすれば良かったな〜
のらひこ 2020/02/04(Tue) 07:03 No.839
Re: 私のアルバムから〜B[
>のらひこさん
極東で大仕事をしたB−29も用廃となって横たわり、最後は消化訓練で燃やされる。時代が変われば用済みってことなんですね。なぜか溜め息が----。



横田のイーストエリアに用廃機の集積所があったことは知りませんでした。
↓は1960年5月にMoriさんが撮影したRB−50の用廃機。
よくぞ撮っておいてくれたと感謝するとともに、その頃から目の付けどころの違いに脱帽です。

赤塚 2020/02/04(Tue) 15:29 No.840
Re: 私のアルバムから〜B[
横田のRB−50は退役後、KB−50やWB−50への“部品どり”とされ、一旦ここの廃用機集積所にて置かれたのちに消火訓練で
燃やされたのでしょう。

赤塚 2020/02/04(Tue) 15:51 No.842
60年目の真実
捨て置かれていた用廃RB−50のシリアルナンバーが読めましたので、念のため調べてみたところ1960年以前(57年頃?)にNAKASATOさんが撮られていたRB−50Gのシリアルと合致!。47-0161
横田で撮影された夜間塗装のRB−50は、私の知る限り本邦初公開で、驚いたマニアもいらっしゃると思いますが、気にも止めないマニアのほうが多いでしょうね。ホントは物凄い写真なんですけど・・・。

赤塚 2020/02/05(Wed) 17:09 No.843
60年目の真実
シリアルがわかるよう、尾翼を拡大してみました。

赤塚 2020/02/05(Wed) 17:12 No.844
60年目の真実
もう一機ありました。(用廃右47-0150に見える)
1950年代にRB−50をこれほどしっかりした写真を撮られていた方はNAKASATOさんをおいて他にいないでしょう。

843のRB−50Gと翼端の形態が異なりますね。この頃の電子偵察機は改造時期によって外観に違いがあったので、
マニアたちは自分が撮った写真を見せあい、アンテナの数やレドームの違いを指摘し合うのが楽しみのひとつでした。

赤塚 2020/02/05(Wed) 17:31 No.845
Re: 私のアルバムから〜B[
Anzaiさんが1960年5月3日に撮影されたRB−50Eです。
RB−50が横田で見られたのは1960年頃まで。私たち世代マニアは見られなかったのですが、KB−50やWB−50が現役でしたので、
“残念感”のようなものはなかったような気がします。でも夜間塗装機はひと目見たかったなあ。

↑のRB−50Gと↓のRB−50Eとくらべて見てください。

赤塚 2020/02/06(Thu) 14:51 No.846
Re: 私のアルバムから〜B[
こちらは同じころKumakiさんがRW36で撮影したRB−50Eですが、後部下のレドームが一か所のみで上部の機関砲も取り外されています。

赤塚 2020/02/06(Thu) 14:56 No.847
Re: 私のアルバムから〜B[
このタイプのRB−50Gが横田でもっとも遅くまで見られた機体と思われます。後部下のレドームやアンテナ類も無くスッキリしてますね。

赤塚 2020/02/06(Thu) 15:10 No.848
Re: 私のアルバムから〜B[
そしてRB−50の存在を忘れかけた頃、突如“立川”へ現れたのが初来日のRB−50F。
50年代からのマニアでも三軍記念日以外でB−50系が立川へ降りたことは記憶にないとのことで、
現地に居あわせていたマニアは大興奮だったそうです。1963.10.17 撮影:のらひこさん

赤塚 2020/02/06(Thu) 15:26 No.849
Re: 私のアルバムから〜B[
おお!!RB‐50ですね。立川南側が延長された姿もチョピッと写ってますね。確かに結構重鎮の皆さんが居た記憶は有りますが、平日に私を含めて何で、それも立川に?が思い出せません。アンテナがほとんど無いので、写真撮影に特化した機種なのかなとも思いましたが、尾翼にはAPCSの記載?こんな古い機種を引っ張り出すような事件あったかしら?いつも飛んでるC-47じゃ間に合わない高度を飛ぶ必要があったかしら?
のらひこ 2020/02/07(Fri) 13:42 No.850
Re: 私のアルバムから〜B[
B−50の型式についての写真とコメントはここで終了し、“私のアルバム話”に戻ります。

誰がどう見ても半世紀以上前、箱根ヶ崎の一目瞭然のショットです。1960年5月3日 撮影:Anzaiさん
滑走路工事を脇目にゆるゆると降りてくるRB−50スーパーフォートレス。世界は冷戦の緊張で一触即発の時代でしたが、
ここではトンネルの上で余暇を楽しむひと、祭日返上で働くひと、写真を撮るひと、何とも穏やかな「或る日の横田」です。
写真は時代の空気感を正直に伝えてくれますね。

バスや大型トラックのボンネットタイプはファンが全国に大勢いるようですが、もしこの写真のようなトラックが残されていましたら
ファンは大喜びでしょうね。
トラックは1950年代の中頃に造られたものと見ました。腕木式の方向指示器、独立した前照灯はそうとう古いものですよ。

赤塚 2020/02/08(Sat) 16:36 No.851
Re: 私のアルバムから〜B[
1959年の立川三軍記念日でTodaさんが撮影したKB-50J。
画面の中に日本人が写っていなければ、ここが在日米軍基地だとは思えません。50年代航空映画のワンシーンのようで
団塊世代マニアが少年のころ心に描いていた“憧れの図”です。
脚カバーに書かれているTHE GYPSYが何なのか気になりました。通常は数字だけを記す例が多いものですから。

赤塚 2020/02/10(Mon) 09:33 No.855
Re: 私のアルバムから〜B[
B−29、B−50スレッドの最後を締めるのはMoriさん撮影のWB−50Dのシルエット写真。
Moriさんは地の利もあって日没近くまで粘り、多くの美しい夕景写真を残しております。

これだけ個性的なスタイルを持つB−50系も、ふしぎと印象に強く残っていないのは横田の地元機であり、立川で言えばC−124のような存在で、いつでも撮れると気に止めなかったからでしょう。厚木で言えばVU/VC−5やVQ−1機と同じ、見られなくなってその存在価値の高さに気づくというわけですね。

赤塚 2020/02/10(Mon) 09:58 No.856
マルヨン展示会 終了

赤塚様よりご紹介いただいたマルヨン展示会が8日の昨日、無事終了しました。
お忙しい中おいでくださった皆様、誠にありがとうございました。

まさやん 2020/02/09(Sun) 08:58 No.852 [返信]
Re: マルヨン展示会 終了
空っぽになった会場を振り返り「次回も開催できるといいね」と言いつつ、それまで生きていられるか?の方が気になる4人でした^^;

改めてお礼申し上げます。

まさやん 2020/02/09(Sun) 09:00 No.853
Re: マルヨン展示会 終了
>まさやんさん
「ボクらのヒコーキ半世紀(え、ヒコーキ反省記?)」たいへん楽しい展覧会でした。それぞれ4人のテーマがはっきりしていたのが良かったですね。
まだまだ反省が足りないと仰ってるようなので、次回の反省記も期待してます。m(_ _)m

航空ジャーナル1975年写真コンテストの金賞作品、プリントで見るとやはりイイですよ。
そして、同じ航空ジャーナルのページにHamanoさんの入賞作も掲載されていたんですね。40年以上も経ち、再び当BBSで写真を貼りだすお仲間であることに不思議な縁を感じます。

赤塚 2020/02/09(Sun) 15:35 No.854
私のアルバムから〜BF

AGC刊「在日アメリカ空軍機写真集 1949〜1969」より

赤塚 2020/01/27(Mon) 15:12 No.824 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BF
西砂川での午後のショット。1961.2.20 撮影:Moriさん
WB−50は1965年まで日本で見られたので、望遠レンズ(135mm〜200mm)で撮影された離陸写真が多くあってもいいのですが余りみられません。理由として考えられるのは、あえて離陸を狙う人が少なかったのと、エンド地点から撮るには高度がやや高かったからかも知れませんね。
赤塚 2020/01/27(Mon) 15:56 No.825
Re: 私のアルバムから〜BF
こちらもMoriさんが正面から200mmで狙ったショット。撮影は1961年4月21日。
この時点での私は、横田どころか“カメラ以前”の状態でした。そんな頃、WB−50をこれほど余裕をもって写真を撮っていたとは・・・。
やはりMoriさんはスゴイ人だったんですねえ。

赤塚 2020/01/27(Mon) 16:03 No.826
Re: 私のアルバムから〜BF
1965年の横田三軍記念日 撮影:WATANABEさん

昭和30年代のサラリーマン家族と、スーパーフォートレスとのスナップショット。
偶然性もあったかも知れませんが、WATANABEさんの狙いは見事に決まってますね。
巨大な米軍機の下で親子揃っての楽しい休日。「その平和は我々が守っているからだよ」との声がどこからか聞こえてくるような気がしますが、
いかがなものでしょう。(当時のこととして)

赤塚 2020/01/28(Tue) 13:47 No.827
Re: 私のアルバムから〜BF
1960年横田三軍記念日でのスナップ。撮影:TAKADAさん
当時の格納庫が小さかったのか、B−50が大きすぎたのか、「・・尻隠さず」のこうした写真はけっこう残されています。
ただし“三役揃い踏み”というのは珍しいですね。手前からKB−50J、RB−50E、その陰にWB−50Dも写っています。

この日本人ガードの仕草にユーモアを感じませんか。
漫画でいうセリフの“ふきだし”を付けるとすると『キミの警備は向こうだろう』とか、何か叱っているようにも見えます。
三軍記念日はヒコーキだけでなく、見どころが豊富にあるのが、この写真に表れていますね。それは今でも通じることですので、
基地公開時にスナップ写真を撮っておくと、後になってイイ史料となります。

赤塚 2020/01/28(Tue) 14:33 No.828
Re: 私のアルバムから〜BF
手元にありますWB−50の写真の中でもっとも古い写真は、能村さんが1957年10月1日に羽田の西エリアで撮影されたこの49−0341。
尾翼の下に日航のDC−6Bが見えますが、この頃羽田はMATSが駐留しており管制も米軍にありました。そのせいか警備は厳しく、
カービン銃を持った兵士がWB−50を見張っています。撮影の能村さんは、これを撮るのに緊張したと語っておられました。

赤塚 2020/01/29(Wed) 00:34 No.829
Re: 私のアルバムから〜BF
関西航空史料研究会のIKARIさんが伊丹で撮られたWB−50D。
撮影年月日は不明ですが、塗装パターンから推察すると1963年頃ではないでしょうか。WB−50が伊丹にも来ていたのとは驚きです。
遠方に新明和伊丹工場の屋根が写ってますね。

赤塚 2020/01/29(Wed) 00:35 No.830
Re: 私のアルバムから〜BF
no824のb-50は有りそうであまり見ない写真ですね。脚をしまっての離陸、エンドでは仰ぐようなアングルになってしまいますもんね。こうやって見るとカッコ良い飛行機だったんだとあとから判りますね。
のらひこ 2020/01/30(Thu) 07:27 No.831
Re: 私のアルバムから〜BF
WB−50の写真を集めてみますと、様々な塗装が時期によって異なることが判りました。↓はWATANABEさんが1960年10月30日に撮影したWB−50。
尾翼の赤(あずき色に近い)は829と同じですが、機体上部は白く塗られており、主翼の下も塗装されています。

と、塗装に目がいきましたが、このショット凄い!。右翼がフェンスを越えているように見えます。45mmなので画面に収まっていますが、55mmなら画面から溢れたかも知れませんね。

赤塚 2020/01/30(Thu) 09:08 No.832
Re: 私のアルバムから〜BF
1963年3月21日でのWB−50。撮影:Ichijhoさん
私らがよく出会ったWB−50はこの無塗装に近いものでした。
光線の廻り具合からか、下部の薄いグレイの塗装がよく分かります。

赤塚 2020/01/30(Thu) 09:16 No.833
Re: 私のアルバムから〜BF
1960年“伝説”の横田三軍記念日でTAKADAさんが撮影されたWB−50D。
遠方のKB−50とRB−50も気になりますが、多くの人が気になるのは編隊で離陸する18TFWのF−100でしょう。この日撮影されたF−100、
F−102、RF−101の写真は数多く見てますがWB−50は初めてです。

当時はフィルムが貴重でしたので、マニアの皆さんは戦闘機系にフィルムを使い果たし、駐機中のWB−50は撮らなかったのではないでしょうか。こうした日常を切り取った写真が後になって史料として残るのです。

赤塚 2020/01/30(Thu) 19:32 No.834
Re: 私のアルバムから〜BF
Narisawaさんが1963年3月に撮られたWB−50D。
写真にタイトルが付いていました。・・『恐怖のトンネル』。

皆さんランウェイエンドで写真を長らく撮ってますと、えらく低い離着陸に出くわすことが何度かあろうかと思われます。
しかし、このWB−50は異常ですね。理由は当時箱根ヶ崎トンネルの上で撮影した経験のある方は多分お分かりでしょう。
高度が余りにも低くすぎたので、慌てて機首を持ちあげトンネルへの激突を免れた。
このときトンネルの上に居たマニアさん。思わず「危ない!」と叫んだに違いありません。インパクトのある写真は危険と背中合わせでもあります。

赤塚 2020/01/31(Fri) 18:32 No.835
Re: 私のアルバムから〜BF
八高線の線路を越えて撮影したWB−50の着陸。 1961.4.21
画面右の椀木式信号機は意図的に入れたのだと思いますが、当時200mmを所持していないと、こうした発想は生まれなかったでしょう。
写真感覚に優れていたMoriさんらしい作品です。

赤塚 2020/02/01(Sat) 19:42 No.836
私のアルバムから〜BY

AGC刊「在日アメリカ空軍機写真集1946〜1969」より

赤塚 2020/01/24(Fri) 10:44 No.810 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BY
横田でB−29に遭遇したマニアは私たち世代より上の人だけでした。後の発展型のB−50系にくらべると“吊りモノ”がない分スッキリした姿ですが、何と言ってもそこは“B−29”。上の写真に写っておられる先輩方も「まさか!」の出会い。衝撃を受けながら緊張感の中でシャッターを押していたことでしょう。

<在日アメリカ空軍機写真集でのT.Maさんの解説>
1960年3月28日、横田のRW18エンドで行われたTACC(TSPCの前身)撮影会でWATANABEさんが撮影した6023 REF(レーダー評価フライト)のRB−29。6023 REFは米空軍最後のB−29オペレーターとされる部隊で、当時那覇基地に駐留し、4機のRB−29を運用していた。この日はそのうちの3機が飛来したとてつもない幸運の日だったのだ。ところで、後ろ姿3人の右の人物はたぶん私です。
赤塚 2020/01/24(Fri) 11:19 No.811
Re: 私のアルバムから〜BY
この撮影会にはNarisawaさんも参加されており、続きのショットをご紹介。
機首に描かれた大きなマーキングが気になりますね。ご存知の方おられたらご教示ください。

赤塚 2020/01/24(Fri) 11:24 No.812
Re: 私のアルバムから〜BY
シリアルが判る送りのショットも。撮影:Narisawaさん

赤塚 2020/01/24(Fri) 11:30 No.813
Re: 私のアルバムから〜BY
RB−29が3機も降りてきたとてつもない日。この日は東京エアロカメラクラブの撮影会でしたから10数名の会員たちが、
箱根ヶ崎トンネルの上で僥倖にめぐりあいました。

↑は、その日KUMAKIさんが撮られた42−65234。
45mmでほとんどトリミングしていないので、いかにトンネルの上が絶好の撮影ポイントであることがよく分かります。
画質といい、ピントの良さといい、とても60年前の写真とは思えません。

赤塚 2020/01/25(Sat) 15:21 No.816
Re: 私のアルバムから〜BY
日付は不明ですが、KUMAKIさんはこの珍しいRB−29を36側でも36側でも撮ってらっしゃる。
写真を見比べると、上はオレンジフィルターを使用しているのが機首と尾部のデイグロウ塗装の諧調でわかります。

赤塚 2020/01/25(Sat) 15:30 No.817
Re: 私のアルバムから〜BY
“とてつもない幸運の日”の最初に着陸したのが夜間爆撃機スタイルのこの機体。
情報の無い時代、いきなりこのRB−29が降りてくればそれは吃驚するでしょう。天気もいいし、順光でいい写真を残せました。
 1960.3.28 撮影:WATANABEさん

赤塚 2020/01/26(Sun) 10:51 No.819
Re: 私のアルバムから〜BY
同日参加されていたTACC Anzaiさんのショット。
皆さん標準レンズですから、焦点距離が短いぶん立ち位置により機体のアングルも変わってきます。

赤塚 2020/01/26(Sun) 10:56 No.820
Re: 私のアルバムから〜BY
Anzaiさんの送りショット。白と黒との塗り分けラインが見てとれる貴重な写真ですね。

赤塚 2020/01/26(Sun) 10:59 No.821
Re: 私のアルバムから〜BY
↓は1958年以前に撮影されたRB−29(44−86347)機首に部隊マークが描かれています。
那覇の6023 REFは4機のRB−29を運用していたといいますが、上3機とは別の機体。従って6023 REFのRB−29は全て横田に飛来していたことになります。撮影:NAKASATOさん

赤塚 2020/01/26(Sun) 11:24 No.822
ご案内

当BBSへのご投稿でおなじみの“まさやん”さんらのグループ『マルヨンの会』の展示会が2月2日(日)12時より2月8日(土)まで
有楽町・交通会館B1「シルバーサロンA」にて開催されます。
写真、絵画、動画、モデル、航空コレクションと、賑やかな展覧会。
いつの日か個展や合同展示会などの開催をお考えの方、たいへん参考になると思われます。
私は初日(日)の午後と7日(金)の午後に拝見させていただきます。

赤塚 2020/01/23(Thu) 15:24 No.809 [返信]
Re: ご案内
赤塚様
掲載、ありがとうございます。

今回の内容は多くの展示会に見られる、特別な飛行機とか、懐かしい写真、写真的に優れているとかではなく、サブタイトルにあるように『ボクらのヒコーキ反省記』であり、4人各自の足跡をたどるもの。

ですから飛行機が好きになったきっかけの品物とか、初めて雑誌に掲載された写真というように、それぞれが心に残っている出来事を、写真や品物を通して振り返ろうというものです。

そして終活を兼ねて、それらの品々を販売する目的もあります。
『亭主のお宝、妻にとってはただのゴミ』と言われるコレクションがゴミとして捨てられる前に、次の世代に渡れば少なくても10年は残る、と考えたのです。

私が死んだあとは、間違いなく紙ゴミとなる三軍記念で配られたパンフと、東亜国内航空以降の歴代ゲロ袋。
しかし、欲しい人にとってはプライスレス?

まさやん 2020/01/24(Fri) 15:21 No.814
Re: ご案内
人生の大半、情熱をかけて写真撮ったり、モデル作ったり、コレクションしたその後、次へのステップを考えている方はけっこうおられるようです。
会場での展覧会は二次表現としての一つの手段であって、“終活”とはまた違うように思いますがいかがでしょう。
写真やモデルの展覧会を演劇にたとえれば個展は一人芝居。今回の“まさやん”さんら四人よる展覧会は“ミュージカル”ではないかと
勝手にたとえてみました。
映画やビデオは、作品としてフィルムなりVTRとして残り再び鑑賞することはできますが演劇は終われば全て消えてなくなるもの。
残るは感動と思い出だけ!。これがまたイイんですね。
「ボクらのヒコーキ半世紀」楽しみにしています。
赤塚 2020/01/24(Fri) 16:55 No.815
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -