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私のアルバム〜F6 A

1957年8月2日

あかつか 2020/05/25(Mon) 09:17 No.1158 [返信]
私のアルバムから〜海軍機篇 A
CHECKER TAIL4の表2を飾ったKondohさんの素晴らしい絵画的作品。PC画面ですと印刷とは違う魅力を感じさせてくれます。
1957年8月ですとまだマリンコのF4D−1はMAG11に来てないのでボンノム・リチャード/VF−141[NF]の可能性が高いですね。
スカイレイが最新鋭機だった時代です。
あかつか 2020/05/25(Mon) 09:32 No.1159
私のアルバムから〜海軍機篇 A
1958年頃に撮影されたOhno Yoshikiさんの迫力満点のショット。
厚木基地拡張前のRW19エンドは、現在の基地内周回道路あたりでしたので、標準レンズでも、このような写真が撮れました。
本当の迫力というのは望遠レンズで引きつけるものではなく、焦点距離の短いレンズで対象により近づくことなのです。
もちろん、危険(人的含め)と背中合わせになりますが、撮りやすいところで普通に撮れば、写真はそれなりとなるわけですね。

あかつか 2020/05/25(Mon) 09:54 No.1160
私のアルバムから〜海軍機篇 A
おおっ「それを造れば奴は来る」フィールドオブドリームスそのものの映像ですね。トウモロコシ畑の向こうからシューレスジョーならぬスカイレイが現れる。少年の夢の情景ですね。
のらひこ 2020/05/25(Mon) 20:00 No.1161
私のアルバムから〜海軍機篇 A
>のらひこさん
とうもろこし畑にシューレス・ジョー、なるほどなるほど。
「フィールド・オブ・ドリームス」は名優バートランカスターの遺作(映画)だったのですね。
私が見た一番古い記憶は小学生のときにみた「ベラクルス」(1954)です。ゲーリー・クーパーの敵役で、最後に決闘となるのですが、
撃たれて“ニヤリ”と微笑んで倒れるシーンが忘れられせん。
バートランカスター出演の名作を挙げればキリがありませんが、飛行場通いの合間を縫ってみた全編ワクワクドキドキ映画「大列車作戦(The Train)」(1964)も強く印象に残っています。特に鉄道と絵画好きの人にオススメです。
あかつか 2020/05/26(Tue) 09:52 No.1162
私のアルバムから〜海軍機篇 A
1962年4月27日、大和側での「離陸三連発」。撮影:Moriさん
紙媒体、Web等、写真を見るだけは相当キャリアを積んできましたが、この[EC]のショットは凄い!!。
間違いなく国際的にも通用する写真と言えましょう。

60年代初期の“厚木名物”モーボ。
情報化の進んでいない当時、このボックスからLSOが居なくなればとランウェイ・チェンジだということを先輩マニアから教わりました。
ですので、風向きが怪しくなると皆さんモーボの様子をじっと見ていたものです。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:03 No.1163
私のアルバムから〜海軍機篇 A
世界記録を持つほどの上昇力に優れていたスカイレイの離陸。運動性もハンパないですね。
この写真を見た写友のO氏が「ナニこれ〜」と言って椅子から転げ落ちそうになったショッキングフォト。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:11 No.1164
私のアルバムから〜海軍機篇 A
Moriさんのセンスが光る幻想的ショット。現在でも立派に通用する芸術作品。

あかつか 2020/05/26(Tue) 11:18 No.1165
私のアルバムから〜海軍機篇 A
no1163の写真は凄いです。チータがインパラに躍りかかる瞬間を捉えたような凄さがありますね。次は急カーブを切って逃げようとするのを追いすがるチータ。そして仕留めた後の凱旋の姿。「どうだ、してやったぞ」
それにしてもハイネマンの美意識は凄いですね。彼の伝記って無いのかしら?しかし、作りにくい飛行機だったろうと思います。いわゆる一体構造でしょうから、いろんな工場で作ってきた部品を組み立てるという手法は取りにくいでしょうから。今みたいに主翼は日本、ギアはどこってわけにはいきそうに無いです。
のらひこ 2020/05/27(Wed) 06:07 No.1166
私のアルバムから〜F6 A
連コメント失礼いたします。
no1165を見入っていましたら、不思議な点を発見しました。エルロンのヒンジが折れ曲がり主翼の内翼に付いているんです。これじゃあ、翼を立てた時、ヒンジが歪むんじゃないのかしら。それを防ぐ工夫はどんなものでしょう?大阪のYさん辺りご存じかしら。それと当然でしょうが、ドロップタンク付けた状態じゃ翼内機銃を撃つと薬莢がタンクのフィンに当たちゃうことがわかります。やっちゃったパイロットいるかしら。
それと、下面のパネルの数!!。全部意味が有る訳で、凄いです。
WFの星が効いてますね。あの時代の塗装はそれとなくオシャレでした。
のらひこ 2020/05/27(Wed) 08:51 No.1167
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
思い起こせば青少年時代、ハイネマンのヒコーキは私たちのマニア心を満たしてくれましたね。
海軍機だけでも今回のF4Dはじめ、F3D,AD,A3D,A4D,JDと正にダグラスの黄金期。航空機メーカーもいくつもあって、
しのぎを削る時代でしたが、その世界を外野から眺める日々を過ごせたことは楽しく、ヒコーキマニアとして幸せでした。


↓は、Komiyaさんが撮影された、ありそうで無い珍しいショット。 
雑誌や専門誌でも余り見かけないスカイレイのギアアップ中の写真です。 1961.4.26

あかつか 2020/05/27(Wed) 09:54 No.1168
Re: 私のアルバム〜F6 A
CHECKER TAIL3誌に、見開きで掲載した写真ですが、出版時にページのつながり部分がよく分からないとご批判を受けました。
改めてスカイレイが左へバンクする迫力あるシーンをごらんください。おそらく大和の森近くから撮られたショットだと思いますが、
瞬時の事態に反応したMoriさんの集中力に脱帽。 撮影1963年8月7日

あかつか 2020/05/28(Thu) 09:51 No.1169
Re: 私のアルバム〜F6 A
厚木でスカイレイをこの角度から撮った人はMoriさんしか居ないと思います。毎日何機も飛んでいたので余裕がでてきたのでしょうね。
それでも狙ったところをしっかり抑えるのはMoriさんの成せる技だと思います。

あかつか 2020/05/28(Thu) 10:09 No.1170
私のアルバム〜F6 A
no1169、オートフォーカスなんて夢にも考えられなかった時代なんですよ!!距離多分100m前後でしょうから、無限の少し戻しじゃダメでしょう。キッチリ手動で(当たり前か)ヘリコイドを回して瞬時にピントを取ったんでしょう。自動スラットが作動してますから、ものすごい機動をしたはず。サイドワインダーも実弾ですがこんな当てにならないミサイルを一本付けじゃあ敵は落とせないんじゃないかな。
しかし、このフォルムは本当に海の中を疾走するエイそのものです。
のらひこ 2020/05/28(Thu) 18:41 No.1171
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
少年のころ、初めて羽田へ潮干狩りに行ったとき、大人から最初に言われたことは「エイに触ってはダメだぞ!」という警告でした。
確かに砂地の水溜りにそいつ(アカエイ)は居て、尾の付根の毒針に刺されないようビクビクしながらアサリを採っていたものです。
スカイレイの命名は、姿恰好が似ていることと共に、毒針からもきているのでしょうね。

私もサイドワインダーの実弾を付けたスカイレイは見たことはなく、あっても模擬弾でした。No1169では一発ですが、“実弾”を装着していることは、当時でも珍しかったのではありませんか。
F−8にしてもF−4にしても実弾付けて飛ぶのは、スクランブルか実戦に伴う演習でしかなく、フル装備のスカイレイも同様で、写真は先輩が撮ったものを何枚か見ただけでした。

↓はWATANABEさんが捉えた[EK]のスカイレイの完全武装。緊張しますね。

あかつか 2020/05/29(Fri) 09:50 No.1172
Re: 私のアルバム〜F6 A
今は撮れなくなった撮影地点、マニアがいう通称「カド」から撮ったA1タキシーウェイで着陸機を待つスカイレイ。1963.10.4 撮影:Moriさん
標準レンズしか持てなかった“駆け出しマニア”の頃、こんな光景を横目に見ながら、ランウェイ・エンドへ向かったのでした。

あかつか 2020/05/30(Sat) 09:59 No.1173
Re: 私のアルバム〜F6 A
上と同日1963年10月4日撮影。
MAG11の主力機の変わり目を見事に表したMoriさんならではのショット。
撮影時の厚木海兵隊の三飛行隊機は[WH]のF−6A,[DB]のF−8D,[WS]のF−8E(一部D型)でしたが、この10月に1958年から厚木の空を賑わしていたスカイレイが遂に消えてゆきます。在留期間5年と8ケ月。

そして3ケ月後、スカイレイに変わってやってきたのがVMFA−314“ブラックナイツ”のF−4B。これで空母が横須賀に入らなくても、毎日ファントムが見れるのだと喜んでいたものです。マニアは新鋭機の登場には弱いですから。

横田のマニア間で「ファントムブーム」が起きるのはF-4Cが駐留する1965年頃からで、厚木のファントムは1年ほど早い。それにしては注目度が低かったのは、すでにCVW機(NH/VF114・NG/VF96)が飛来していたのと、厚木を“根城”にするマニアが横田より少なかったせいでしょうね。

あかつか 2020/05/30(Sat) 10:48 No.1174
私のアルバム〜F6 A
F-6とは何のことかとロートルが言う!!何度も言うようですが、やっぱりスカイレイは背中の線とうなじですね。ゾクゾクってキマセンか?この2枚、素晴らしい写真ですよね。それに地面、モノクロの曇り空は何時も一緒ですが、地面が入れば物語となります。世代交代ですね!スカイレイのあとがファントム??なんと芦川いずみの後に天海祐希って感じじゃないですか?
のらひこ 2020/05/31(Sun) 10:12 No.1175
Re: F6 A異機種編隊
ランウェイエンドで張っていて、喜びの一つに「異機種編隊」があります。
三軍記念日やオープンハウスなどで観客向けに飛ぶことがあったりしますが、エンドで遭遇することは滅多になく、時たま機種の異なる編隊飛行を撮れたときは嬉しくなったものです。
↓は[WH]のF−6Aと[DB]のF−8Dですが[DB]のほうは[VM]から機体を譲り受けたばかりで、赤と白星の流星塗装はされてません。

あかつか 2020/05/31(Sun) 10:24 No.1176
Re: F6 A異機種編隊
年に1〜2度岩国からスカイナイトが飛来し、厚木へしばらく逗留することがありました。確かこの写真のときも横田か立川で「スカイナイトが厚木に来てるらしいよ」と耳にしてから数日後厚木へ行ったらまだ飛んでいた。情報化されてなかったときの微笑ましい行動ですが、“ワクワク感”のようなものは今よりあったような気がしますね。

↓スカイレイと合同訓練の帰りでしょうか。この[EK]のF4D−1と[RM]のF3D−2Qの編隊飛行はじつに珍しいし、写真もこの日撮影されたものしか見たことがありません。1962年2月5日 

あかつか 2020/05/31(Sun) 10:47 No.1177
Re: F6 A編隊飛行
Gabariさんが撮影された写真ですが、日付未記入なのでエンドで撮影されたのか、三軍記念日のデモ飛行かは不明です。
60年代の厚木と横田の公開の様子は判っているので、三軍記念日なら1962年以前の立川かジョンソンでしょう。
当時の空軍基地の公開では展示が無くても、年によっては厚木の駐留機がデモフライトを行なってました。ちなみに1961年の立川では
VQ−1[PR]のA3D−2Qが4機編隊でのデモ飛行を見せています。

あかつか 2020/06/01(Mon) 08:55 No.1178
Re: 私のアルバム〜F6 A
こちらは1961年9月25日、Narisawaさんがエンドでキャッチした遠征還りのVMF(AW)314[VW]の8機編隊。
MAG11の部隊機は年数回演習で厚木を離れるときがあり、ときには大編隊を組んで帰還することがありました。
情報過少のときの空母艦載機フライ・インに巡り会うぐらい珍しいことで、Narisawaさんはスカイレイの帰還に遭遇できたことは
じつに幸運だったと思います。

あかつか 2020/06/01(Mon) 09:21 No.1179
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
×芦川いずみ → ○芦川いづみ です。^^;
スカイレイと芦川いづみ。このイメージ、さすがのらひこさん。同意です。
昭和30年代の日活映画黄金時代を支えたスター女優ですね。浅丘ルリ子がバラの美しさと譬えるなら芦川いづみは、れんげの花のような楚々とした存在感で、じつは私もファンでありました。
芦川いづみがスクリーンデビューしたのが1953年。1968年結婚により引退。スカイレイ(F4D−1)の方は初飛行が1954年、退役したのが1964年ですから活躍期間もほぼ一緒ですね。
スカイレイを芦川いづみに譬えるなら、先輩格のスカイナイトは、轟夕起子といったところでしょうか。(古!)
あかつか 2020/06/02(Tue) 00:35 No.1180
Re: 私のアルバム〜F6 A
参りましたよ。Narisawaさん!こんなの撮ってるんですか。この後どうブレークするんですか。なんか映画を観ているようじゃなかったですか。中学3年生でしょうから、興奮して学校で隣の生徒に話しても、それなあにって感じでガッカリなんて事有りましたよね。縁無き衆生は度し難し。て言うか、我々の方が変わり者でした。
のらひこ 2020/06/02(Tue) 07:01 No.1181
Re: 私のアルバム〜F6 A
MAG11/VMF(AW)542[WH]のF−6Aが厚木から去ったのは1963年9月となっていますが、日にちははっきりしていません。今手元にある国内で撮影されたスカイレイの写真で最も遅い撮影記録が1963年9月24日。下のNOMURAさんの写真です。

私がスカイレイを厚木で見た(撮った)最後の日が63年9月19日で、次に厚木へ行った10月12日には、基地内に一機も見あたりません。
このときエンドで会ったA君は「先週も居なかったけど、また演習にでも出かけてるんじゃないの?」との言。No1179のNarisawaさんが撮られたシーンのようにそのうち帰ってきて西側エプロンへズラリと並べることだろうと、気にも止めませんでした。

あかつか 2020/06/02(Tue) 09:36 No.1182
Re: 私のアルバム〜F6 A
翌週はホーカーシドレー・トライデントのデモや、ベトナム空軍のC−47を撮りに羽田に出かけ、10月28日に厚木へ行ってみると、スカイレイは一機も見当たらないどころか[VW]のファントムが、MAG11のハンガー前に12機も並んでいるではありませんか。
スカイレイのことなどすっかり忘れて、一日中双眼鏡でエプロンに並んだファントムを覗き、マリンコ・ファントムの初撮りを期待しましたが動く気配は全くなく、たぶん前日あたりに厚木へ到着したのでしょう。基地内にVMGR−352のKC−130F[QB]が翼を休めていました。

毎日のように飛んでいたスカイレイも見られないと寂しくなるもので、エンドで写友と消えたスカイレイについて語り合ったり、給油パイプをタンクに取り付けたのは、トランスパックで本国帰還ためのものかと、しばらくの間エンドで話題になってました。

かの海軍機研究家の豊中のY氏によりますと「スカイレイがトランスパックした記録は無い」とおっしゃいます。それでは、退役間近スカイレイの燃料タンクに装着された空中給油プローブは何だったのでしょうかね。

↓師匠はしっかり美しい写真を撮られてます。 1963年7月29日 撮影:Moriさん

あかつか 2020/06/02(Tue) 18:58 No.1183
私のアルバム〜F6 A
6年弱の日本配備の後半2年半のスカイレイを堪能しましたね。可愛くてうるさくてヤンチャな素晴らしい飛行機です。ツクダニなんて呼んでたのを反省してます。
空中給油でグアム迄は行けるんでしょうね?
のらひこ 2020/06/03(Wed) 11:14 No.1184
Re: 私のアルバム〜F6 A
この時代、スカイレイの着陸時に機首アップを撮れた人はMoriさんしか居ないのではないでしょうか。
一概には言えませんが、今の600/F4より、この時代の200mm/F3.5のほうが価値観が高かったような気がします。

あかつか 2020/06/03(Wed) 12:50 No.1185
Re: 私のアルバム〜F6 A
CHECKER TAIL3を出版する際、表紙の写真を決めるのに悩みました。
専門誌の出版社でも、表紙は「顔」ですから幾つもの候補の中から選んでいるに違いありません。
CHECKER TAIL3では上の機首アップの写真と、フォーメーションの離陸写真のどちらを採るか?。
大いに悩んだ末、右のフォーメーション写真に決めたのですが、今でもこれで良かったのかと思っています。いかがなものでしょう。

あかつか 2020/06/03(Wed) 13:22 No.1186
Re: 私のアルバム〜F6 A
手元にありますスカイレイの写真を全て目を通してみて、珍しい写真を発見しましたので2点紹介いたします。

先ず“ノーマーク”のF4D−1。撮影は1958年、撮影者はOhnoさんです。
垂直尾翼の「4」が示すように恐らくVMF(AW)115[VE]の機体と思われますが、テイルレター、モデックス無しのスカイレイの写真は私の手元には1枚もありませんでした。
移動機や補充機の多かった60年代の海軍機(F−8やA−4など)においては、珍しいことではありませんが、厚木の海兵隊機の場合、
レターと部隊名を塗り変えてから、次の部隊へ引き渡していたようで、ノーマークの海兵隊機は少なかったように記憶してます。
「マニアックもここに極まれり」と言えなくもないですが・・・^^;

あかつか 2020/06/04(Thu) 09:12 No.1187
Re: 私のアルバム〜F6 A
こちらも今回発見したタンクを装備していないスカイレイの珍しい姿。撮影は同じくOhnoさん。
タンクの無いスカイレイの写真は、試作機やテスト機に多くみられますが、飛行隊へ配属されてからの写真は、
私だけかも知れませんが見たことがありません。

胴体下のナブパックなるポッドは60年代の初期まで見られたもので、私ら団塊マニアがスカイレイと出あったときには、搭載されてませんでした。
機器が発達して胴体中に収められるようになったのですかね。
それにしても翼下の燃料タンクが装着されていないと印象は変わるもので、まるでアブロ・バルカンを小型にしたように見えます。(^-^)

あかつか 2020/06/04(Thu) 09:50 No.1188
Re: 私のアルバム〜F6 A
>NARISAWAさん
No.1179のスカイレイ8機編隊はびっくりです
この場に遭遇したとはやはり「持っていますネ」

ここには出ていませんがNARISAWAさんも下記の写真と同じ日に撮られたスカイレイの離陸写真も拝見しています
同じ日に皆様と一緒だったことをうれしく思います

No.1137の MORIさん
No.1141の のらひこさん
No.1142の のらひこさん
No.1144の MORIさん
No.1156の WATANABEさんの一連の離陸写真の日
すべて1963年9月24日の厚木01エンドですね
探したら、私も同じ場面に撮っていました
ネガを検証して「撮影が01エンドだった」ことが解りましたので訂正させていただきました
1963年9月24日の厚木01エンドを離陸するスカイレイ3ショット後追いで貼ります
VMFaw542のF−6A WH9/139165

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:35 No.1189
Re: 私のアルバム〜F6 A
続けて同じ日
VMFaw542のF−6A WH11/139121

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:37 No.1190
Re: 私のアルバム〜F6 A
3枚目
同じく1963年9月24日の厚木01エンド
VMFaw542のF−6A WH15/139187
トリミングしました

日付訂正しました

村越賢司 2020/06/04(Thu) 13:44 No.1192
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
スカイレイのイメージが「芦川いづみ」同感です

1963年4月29日(当時は天皇誕生日・昭和天皇)
厚木の19エンドでたくさんのマニアと撮っていました
BB1の「失敗写真」に投稿したかもしれませんが
スカイレイの送りショットに仲間のシルエットが映り込んだお遊びショットを一枚、相鉄線の掘り割り際に陣取り、右端で座っているのが「のらひこさん」
スカイレイがツクダニなんて呼ばれていたっけ?
VMFaw542のF−6A WH19/139058

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:06 No.1193
Re: 私のアルバム〜F6 A
この前のショットですが
1963年4月29日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH17/139075

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:22 No.1194
Re: 私のアルバム〜F6 A
前のショットの直前
3機で帰ってきたショット
1963年4月29日の厚木19エンド
先頭機が WH17/139075 続くウイング機がWH19+WH18 ブレイク順は左端ウイング機からだったと思いますが覚えていません

村越賢司 2020/06/04(Thu) 17:30 No.1196
Re: 私のアルバム〜F6 A
>村越さん
「あのとき一緒だったのか」かと今回知ることが多いようです。
写真見ながらそのときのシーンがおぼろげながら思い出し、年配マニア特有の気分に浸れるのもBBSのいいところでしょうね。(^:^)

No1192の離陸ショット、これはイイですねえ。左翼が少し写っているところが泣かせます(感涙)。しかも機体データが見え“番号派”マニアもお喜び必至。
このアングル初めて見ました。我々世代の中では、ツクダニだのハマグリとか、戦闘機の姿から受ける感動を喚起するような存在ではありませんでしたが、今こうしてスカイレイをBBSでまとめてみると、魅力的なヒコーキだったんですねえ。
あかつか 2020/06/05(Fri) 11:52 No.1197
Re: 私のアルバム〜F6 A
1193の写真拝見して、ひと月ほど前、航空情報1956年9月号に掲載されたルポと写真について、村越さん、のらひこさんと実写か合成か議論したのを思い出しました。結果「褌少年とF−84G」の写真は合成と結論付けましたが、1193の写真と比較すると分かりますね

あかつか 2020/06/05(Fri) 12:04 No.1198
Re: 私のアルバム〜F6 A
>あかつかさん
確かに「あかふんの写真」は機体の大きさと人間の比率が不自然に感じますね。編集者さんがいない今は想像するしかありませんが合成プリントっぽいかな?

スカイレイのネガを探しました私の手持ちで古い順にまだ6ショットぐらいあります
1963年4月5日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH5/139092

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:14 No.1199
Re: 私のアルバム〜F6 A
No.1187でOhnoさんの無印が出ましたが
これは手がかりがまるで見当たらないのでニッピ塗装前なのでしょうか 同じ日、1963年4月5日の厚木19エンド
F−6A/?

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:18 No.1200
Re: 私のアルバム〜F6 A
>のらひこさん
厚木に行けば「スカイレイがツクダニのように飛んでいる」
などと思っていませんでしたが、
夕暮れが迫る大和への帰り道で降りてきた逆光でも撮ってしまった「スカイレイ愛」かどうか?
1963年8月2日の厚木19エンド
ゴーアラウンドするF−6A

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:28 No.1201
Re: 私のアルバム〜F6 A
1963年8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH4/139147

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:30 No.1202
Re: 私のアルバム〜F6 A
2枚目は 同じく8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH5/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:33 No.1203
Re: 私のアルバム〜F6 A
3枚目 同じ日8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH12/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:37 No.1205
Re: 私のアルバム〜F6 A
最後ですが4枚目は 何やらIRシーカーらしきポッドをつるしているのですが詳細はわかりません どなたかご存じでしょうか?
1963年8月2日の厚木19エンド
VMFaw542のF−6A WH15/

村越賢司 2020/06/06(Sat) 00:43 No.1206
Re: 私のアルバム〜F6 A
>村越さん
いつもながら美しい仕上げ画像に脱帽!。
1201の「ゴーアラウンド」。朧げですが、こんなシーンを見たような気がします。

「佃煮にするほどの・・」の意味は、海外の人にとってうまく翻訳できない日本語に例えられています。ですので、外国のマニアが当サイトを見て自動翻訳で本文を知ろうとしても何の意味か分からないでしょう。
私が「厚木にスカイレイが佃煮にするほど居た」と初めて聞いたのは先輩のT.maさんからです。さすが先輩は比喩もうまいなあ、と思いましたね。
あかつか 2020/06/06(Sat) 15:48 No.1207
Re: 私のアルバム〜F6 A
BBSU「スカイレイ特集」をご覧になってる皆さまへ

日本国内で撮影されたスカイレイの写真を、これだけ多く紹介されているサイトは現在のところありません。
大変貴重な記録でヒコーキ写真好きだけでなく、モデラーさんにも大変役立つ“Web写真集”だと思います。
できましたら、このサイトをお仲間に伝えていただければ幸いです。
常に消えゆく宿命を持つのがインターネットですから・・・ (−−;)
あかつか 2020/06/06(Sat) 17:06 No.1208
私のアルバムから〜海軍機篇

昨年4月から始まりましたweb版「私のアルバムから」は厚木・海軍機篇をもって終了といたします。
昔の記憶を辿りながらゆっくり進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

航空情報1959年8月号

あかつか 2020/05/16(Sat) 23:32 No.1132 [返信]
Re私のアルバムから〜海軍機篇
はじめは、TSPCのNakagawaさんの「F4Dスカイレイ」から。
航空情報1959年8月号 私のアルバムから の入選作です。今のマニアがこの写真を見て「これが入選?」と思われるかも知れませんが、
選者(たぶんYokomoriさん)の評文9行目から書かれていることが、その理由をあらわしています。

『たとえ見馴れたDC-4であっても、あなたの目とカメラで、いくらでも新しいアングルは発見できるはず・・・』のくだり、
その言葉は現在でも生きてますね。

確かにDC-4(C-54)は余り撮りませんでした。つい目先の新鋭機や外来機へ気が行ってしまい、退役した後にネガを調べますと如何に
少なかったことか・・。スカイレイを見てきた方々も同じような体験をお持ちではないでしょうか。

スカイレイも“見慣れた”ヒコーキでした。
ですが、厚木へ初めて行ったのが1961年8月から退役で厚木を去る1963年9月までわずか2年間ほどしか見ていないのですね。
当時「佃煮にするほど居る」と言われた海兵隊のスカイレイ。
常時2中隊、40機ほどが東側海兵隊のエプロンに並んでいて連日のフライト。私はその頃まだ標準レンズ1本の世界でしたから、着陸を撮る角度が大体決まってしまう。
大き目に撮るにはNakagawaさんのように仰ぎ見るか、斜め後ろしかありません。マンネリ化して降りてきても,ただ見送るだけのヒコーキとなってしまったのです。
ときどき先輩からお借りしたカメラとレンズ(135mm)で撮った“今風角度”のネガが数コマあり、今や私にとってスカイレイの
「お宝写真」となってます。

あかつか 2020/05/16(Sat) 23:39 No.1133
Re私のアルバムから〜海軍機篇
この作品は一時アツギ・マニアであった私の大好きな作品。
撮影されたのはTSPCの先輩Gabariさん。初めてお会いしたときからナンバーや飛行隊に詳しく、いつまでも私の先生でした。

1960年11月3日、厚木RW01から進入するVMF(AW)314のF4D−1ですが、左のマニアは写真を撮ってませんね。
いかにスカイレイが常に飛んでいたのか、この写真を見れば一目瞭然です。
当時の桜ヶ丘側の状況もよく分かりますし、正に「私のアルバムから〜厚木篇」を表す名作と言っていいでしょう。

あかつか 2020/05/17(Sun) 00:09 No.1134
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
おおっ、初っ端はやはりスカイレイですか。撮影月は今時分かな。良い空ですね。スカイレイは、下から撮ると結構難しいです。NO1133の写真も首輪が機体からはみ出していないからカッコ良いんですよ。なんかフライングオブジェクト見たいです。そうか・・・40機近く居たんなら4日に一度エンジン回すとしても1日に10機は飛ばすわけで、そりゃあ貴重なフィルムをそうそう使いません。後半はほとんど眺めるだけ!!人の写真見てたら頭も上げなかったりして!!
No1134、定番の大山と富士山、綺麗なVW!!それに土管!!春にはあそこで昼寝したこともありました。日当たりは良いし、風も来ないし!
のらひこ 2020/05/17(Sun) 17:03 No.1135
Re私のアルバムから〜海軍機篇
スカイレイ[WH]を厚木で最後に見たのが1963年9月、そして翌月、MAG−11にやってきたのがVMFA−314[VW]のF−4Bでした。
いよいよ海兵隊も長きにわたる“ファントム時代”へ移っていきます。

↓は1964年1月6日、初めて撮った“マリンコ・ファントム”。
Gabariさんが撮られた立ち位置より少し前に出て撮ってたようです。霞んでいて富士山も丹沢も写っていないのが残念^^;;
背景の森の形態はそれほど変わっていませんが、農家は消えていますね。

あかつか 2020/05/18(Mon) 10:24 No.1136
Re私のアルバムから〜海軍機篇
スカイレイだけは、標準レンズ1本の私には本機の魅力をどうしても表現できませんでした。
機首から垂直尾翼へ流れる緩やかな曲線、グラマナスながらキュートさを持つスカイレイのイメージを写真に焼き付けるには、
どうしても望遠レンズでないと無理だったのです。
それにしましても、このMoriさんの離陸ショットは凄い!。これで200mmですから、いかに当時の離陸が低かったのが分かりますね。
予測のつかないヒネリに対しても、まったくブレてませんし、胴体後方に書かれたビューローナンバー上のF−6Aの機名も
原版ではしっかりと読みとれてます。  1963.9.24

あかつか 2020/05/18(Mon) 15:07 No.1137
Re私のアルバムから〜海軍機篇
同じくMoriさんが1962年4月27日に撮影されたスカイレイの着陸。
現代風の着陸写真で、これが58年前に撮られたものとは思えないほど完成された写真です。少年の頃、こうした写真を見せられて、
望遠レンズを一日も早く持てるようになることを夢見てました。
そして、ようやく望遠を手に入れた頃“タッチの差”でスカイレイは退役。MAG11のエプロンには影も形もなかったのです。

あかつか 2020/05/18(Mon) 17:03 No.1138
Re私のアルバムから〜海軍機篇
1960年代初頭、高度経済成長真っ只中の東京・神奈川の空の汚れは京浜工業地帯周辺だけで、都心から離れた飛行場に行けば、
空の青さと自然の豊かさを十分に感じさせてくれました。

1958年5月6日「厚木の空とスカイレイ」  撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/05/19(Tue) 10:01 No.1139
Re私のアルバムから〜海軍機篇
↑からの連続写真ではありません。
1959年7月17日にAnzaiさんが撮影したスカイレイのブレイクシーン。
今では「何でもござれ」で、どんな状況も写真に収められますが、これが50年代に撮られたスカイレイであることが凄いのです。

あかつか 2020/05/19(Tue) 10:14 No.1140
Re私のアルバムから〜海軍機篇
イヤハヤ、ビックリしました。NO1137の写真を見た時、Moriさんと肩を並べて撮っていたことは判っているんですが、私は135mmで、まったく同じ角度なんです。多分、二人とも真横を撮ろうとして、目から指への反射の時間差、それにシャッターのタイムラグで、微妙に送りになって、全く同じ角度の写真になったんですね。師匠Moriさんと同じ写真を撮ってたんですから、私も捨てたもんじゃ無かったかも。それに画角の広さから雲も写ってますしね。しかし、これほど角度の同じ写真は撮れと言われても撮れませんよ。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 19:38 No.1141
Re私のアルバムから〜海軍機篇
しかし、スカイレイは撮りにくい飛行機でしたね。背中の線が写ってないとどうにも恰好が付かない。だから、良い写真が撮れないもんだからツクダニとか言ってあまり撮らなくなっちゃんです。こうやって並べてみると、綺麗で可愛くて凄味のある飛行機だったんですよ。ごめんなさい。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 19:50 No.1142
Re私のアルバムから〜海軍機篇
1962.11.5の背中の線が出てない写真を張りますね。マリンコ塗装も判らないし、どうにも様にならない、残念な写真ですね。そうなると送りで撮るようになったんですね。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 20:19 No.1143
R 私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
Moriさんと並んで撮っていたのですか。No1137の写真はいくらかトリミングしてますが、200mmと135mmの拡大率の差がよく分かりますね。Moriさんは標準から135mmに行かずに200mmを持ったことは大正解でした。特にスカイレイなんかは写真の世界がかなり異なります。
No1142のヒネリのショットも、その違いがよくでています。

あかつか 2020/05/20(Wed) 11:04 No.1144
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
私も背中の見えないスカイレイ写真を貼ります
地上展示は撮ったことがありましたが飛んでいるスカイレイはこの日が初めての出会いでした
1962年11月5日の厚木19エンド
135mmでしたができるだけ近づいて撮った着陸でしたので
ハラばっかりでした
VMFaw542のF−6A WH6/139092
同じデルタ翼でもF−102よりも迎角が大きくゆったり降りてきた気がしたのは錯覚でしょうか
ちょっと送り気味のすらっとした垂直尾翼が美しいフォルムでした

村越賢司 2020/05/20(Wed) 11:45 No.1145
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
連貼りですみません
同じ日の1962年11月5日の厚木19エンド
VMFaw114のF−6A EK22/
着陸は高かった

村越賢司 2020/05/20(Wed) 11:52 No.1146
Re私のアルバムから〜海軍機篇
>村越さん
62年の11月には135mmを使ってたのですね。うらやましい。
Moriさんからお借りしたペトリ・ペンタにのらひこさんのタクマー135mmで撮った[EK]のスカイレイ。
01側の着陸で画面に半分以上収め、尚かつテールコードを入れようとすれば、この角度しかないのです。1963.2.5

あかつか 2020/05/20(Wed) 22:57 No.1147
Re私のアルバムから〜海軍機篇
上と同日の63年2月5日、400mmなるものを初めて使わせていただきました。夕刻でしたのでF6.3開放、1/500秒でネガはスカスカ。
フィルムはネオパンF(ISO32)ですから、当然露出不足、しかも初めて手にする400mm。画面に入れるだけで精いっぱいで、
ピントもジャジャボケでした。しかし、こんな角度で撮れたスカイレイ見て、なかなか恰好のいいヒコーキなんだと思いましたね。

あかつか 2020/05/21(Thu) 11:58 No.1148
Re私のアルバムから〜海軍機篇
No1148で“お目汚し”の写真を披露してしまいましたので、WATANABEさんの、これぞ「スカイレイの編隊着陸」という素晴らしい作品をご紹介いたします。

私らが標準レンズ1本で撮っていた時代に先輩方はすでに一眼レフを使用しておりました。時のニコンやキャノン、トプコンは一ランク上の機材で、大学生でも入手しにくく多くはアサヒペンタックス(S2,S3)かミノルタSR−1を使ってました。交換レンズは純正が高目の値段に設定されていたことから、やや廉価なコムラーレンズを使っていた人が多かったように記憶しています。
WATANABEさんはミノルタ派で、交換レンズはコムラー135mmF3.5。この135mmがピント、コントラスト共申し分なく、ネガを拝見したときレンズのシャープさに驚嘆しました。
その頃「コムラーへは日本光学(ニッコール)の基準から外れたガラスが廻っているので、うまくするとニッコールと同等のレンズに当たる」と噂されてました。60年代初期に撮られた数多の写真を見てきた経験から、まんざら嘘ではなかったような気がします。
勿論、WATANABEさんの写真に対する真摯な姿勢と、並々ならぬ集中力が数々の名作を生んできたわけですが、レンズも大当たりでありました。

あかつか 2020/05/22(Fri) 10:00 No.1150
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
Narisawaさんが62年8月29日に撮影されたデルマー/アエロ38ターゲットを曳いたスカイレイ。
VU−5(UE)のF−8がターゲットを曳いてる写真はよく見ますが、スカイレイが曳く写真は少ないですね。しかもスカイレイそのものがキッチリ撮れていて、専門誌が欲しがるような素晴らしいショットだと思います。

あかつか 2020/05/23(Sat) 11:59 No.1151
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
同日、午前中にも撮られております。機器の構造が分かるよう、トリミングさせていただきました。
モデラーさんには役立ちそうな貴重な写真だと思うのですが、いかがでしょう。

あかつか 2020/05/23(Sat) 12:04 No.1152
Re私のアルバムから〜海軍機篇
デルマーターゲットですか!!懐かしいですね。55年前には、米軍はあんな小さい標的で射撃訓練をするんだ、凄いな〜と思ってましたが、今考えると高二ぐらいで習うフレミングの法則ですよね。20年も前に実用化していたVT信管と同じ原理で何十メートル以内に銃弾通過なら電磁的に感知するってわけですね。子供だったなと今更思います。しかし、中学、高校の6年間、世界の最前線の技術を目の当たりにしていたんですから、しあわせな日々でしたよ。
Watanabeさんの編隊着陸、性格が出てますね。几帳面でしかっり画面に納めて。羨ましいです。
私は一機がフライパスのマガイ物を張ります

のらひこ 2020/05/23(Sat) 15:15 No.1153
Re私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
マガイ物、とてもいいじゃありませんか(^^)
この頃はどこを飛ぼうと制約なんて無かったと思いますので、今では大変貴重なショットですよ。
近年のFA−18でこんな飛び方してるの見たことないです。

我らの師匠はこれまた視点が違いますね。200mmならではの狙い。 1961年3月  撮影:Moriさん

あかつか 2020/05/23(Sat) 23:52 No.1154
Re私のアルバムから〜海軍機篇
WATANABEさんが捉えたスカイレイ。たぶんRUTE4への離陸でしょう。
光線状態が今ひとつで尾部がブレてるのことから、ご本人はプリントしなかったのではないかと思います。
しかし、このスカイレイの角度の良さは最高ですね。写真を基に絵を描いていただけたら、購入して自分の部屋に飾ってみたい。

あかつか 2020/05/24(Sun) 13:27 No.1155
Re私のアルバムから〜海軍機篇
同じくWATANABEさんのショット。厚木で見られたスカイレイの終盤。63年9月24日撮影
おそらく01側で撮ったと思うのですがこの低さには驚愕。しかも135mmですから、どれだけ低かったのでしょう。
マリンコは今でもときどきエアーショー並の低い離陸を見せますね。

あかつか 2020/05/24(Sun) 13:36 No.1156
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
no1156低いですね〜。何やらミサイル付けてますから、南風での01使ってのスクランブルじゃないでしょうか?ノンビリしてたら轟音がしたんで、立ち上がったら上がってきたというところかも知れませんね。凄い上昇力でしょうから、川越辺りで3万ftは超えるのかもしれませんね。多分、この後、2時間強で戻ってくるんでしょう。ミサイル付けたままですけど。私はスクランブルに一度もであったことがないです。
のらひこ 2020/05/24(Sun) 15:37 No.1157
航空写真ファンの草創期

1952年、航空再開を見据えて前年1951年10月に「航空情報」が創刊。航空専門誌として軌道に乗り始めた1953年9月、初めて読者からの
投稿写真による月例の「私のアルバムから」のページがつくられ、「航空写真コンテスト」と共に飛行機写真ファンの発表の場となって行きました。

当時はまだ、日本人全体にとって写真を撮影するのは特別なことで、現像やプリントの技術を習得する環境も整っておらず、カメラは二眼レフか蛇腹式の
スプリングカメラがアマチュアの機材でした。
従って駐機中かタキシングの作品が主で、60年代以後の長焦点レンズによる飛行機写真とは趣が異なりますが、下の写真のように50年代初期に撮られた
“地上画”は、時代の風景に人やモノまで写し込まれていることから、飛行機の写真だけに留まらず、戦後の文化史料でもあるのです。

あかつか 2020/05/06(Wed) 19:27 No.1117 [返信]
Re: 航空写真ファンの草創期
右下の『小鳩と荒鷲』は、その後長きに亘り「私のアルバムから」「航空情報・写真コンテスト」の審査委員を務めておられた横森周信さんの
読者時代の作品。カメラアングル、タイトルともさすが横森先生です。
あかつか 2020/05/07(Thu) 00:14 No.1118
Re: 航空写真ファンの草創期
読者投稿のコーナーが好評だったようで、すぐに2回目の「私のアルバムから」が始まりました。(1953年11月号)

説明の中で「珍しい写真をいただきましたので・・云々」とありますが、日本戦後双発機の1号機(エアロコマンダー520の生産1号機)JA5001であるからですね。
飛行機も珍しければ、写真もスバラシイ。機体だけをカメラに納めたいという人は車も人も邪魔としか思えないでしょうが、巾広く写真を見つめるタイプの人には拍手をしたくなるような作品です。
ちなみに“エクザクタ”なるカメラはライカと並ぶ高級カメラで、一眼レフを初めて世に出したドイツ製。撮影者は飛行機写真だけでなく、写真そのものにもキャリアを積んでいた方だったのでしょうね。

あかつか 2020/05/07(Thu) 11:30 No.1121
Re: 航空写真ファンの草創期
「着陸」 横田にて

あかつか 2020/05/09(Sat) 15:28 No.1122
Re: 航空写真ファンの草創期
航空情報の「私のアルバムから」に200mmを使用した応募作品が載ったのは、MoriさんのこのT−33の写真が初めてでした。
1961年8月号に掲載されたものですが、マニアの機材がようやく標準カメラから一眼レフへ変わった頃で、望遠と言えば135mmがほとんど。
この頃に200mmを持つマニアはじつに少なかったのです。(2人しか記憶にない)
その上、標準カメラでも充分な写真を撮れたランウェイ・エンドの木の上からのショットですから、さすがの選考者もその迫力に驚嘆したことでしょう。
団塊マニアに大きな影響を与えた作品です。

あかつか 2020/05/09(Sat) 15:30 No.1123
Re: 航空写真ファンの草創期
エアロコマンダーの平らなエンジンナセルがモダンで好きな飛行機でした。調布に何機か常駐しており、我が家の上をたまに飛んでいました。今のように騒音回避のためのアプローチの必要がないためか、井之頭上空経由が多かった気がします。no1121の写真を見るとその整備性の良さが判りますね。
no1123、これは衝撃でしたね。買った航空情報の中にド迫力で載ってました。まだ45mmしかもっていない中学2年生にとっては別世界の写真!!銃口を塞いでいないのも凄味の一つです。
のらひこ 2020/05/10(Sun) 07:43 No.1124
Re: 航空写真ファンの草創期
>のらひこさん
ヒコーキマニアを自覚した少年のときからエアロコマンダーは我が家の上空を良く飛んでいて、
あのライカミングの甲高いエンジン音はどこに居てもすぐ分かりました。
姿形がB−26に似てると思ったら、設計兼社主のテッド・スミスはダグラスの設計技師だったんですね。
あかつか 2020/05/10(Sun) 13:29 No.1125
航空写真ファンの草創期
1953年9月号から始まった航空情報の「私のアルバムから」は、毎号載ってはいませんでした。それは写真が読者から余り送られてこなかったのではないかと思います。
「私のアルバムから」のコーナーが本格化し始めたのは、団塊マニアの一つ前の世代の飛行機ファンの同好会「東京エアロ・カメラ・クラブ」TACC(後のTSPC)の会員たちが活発に活動し始めた1959年頃からで、この年以降飛行機写真全体のレベルが上がり出し、以後、会員たちの作品を含め、読者の投稿写真が盛んに航空情報誌を賑わしていました。
ときには、編集部がテーマを決め、「スピード」「夜の飛行場」とか、ときにはハーフサイズカメラに限定したりと、編集部の熱の入れようも相当なものでした。が、一方、記念行事を背景に各界と協賛した「航空写真コンテスト」が毎年開催されるようになって、こちらは賞金や副賞も多く「私のアルバムから」は役目を終えたかのように1964年2月号をもって休載。
読者にとっての自信作はコンテストへ応募するようになったのです。

下は掲載最後となった「私のアルバムから」の最終回。
評文は世間の写真教室の講師によるアドバイスのようで、私の写真も二点(CV880、T−33)、素材として採り上げられています。写真は1年近く前に送ったもので、そのときは多分“ボツ”になっていたのでしょう。
今あらため見てみますと、ヒコーキに一途だった十代の頃を思い出し、昔を懐かしんでいます。

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:14 No.1126
Re: 航空写真ファンの草創期
CV880・KIKU

■選者の評
『これだけ十分に光のまわっているのはめずらしい。しかしバックの夜空が非常にさみしい。翼端灯の流れを二重焼きしてみるにもよいだろう。』

●夢RES
そうであったらいいのですが、撮影した1963年の時点では、まだ引き伸ばし機は持ってなく、現像・プリントは写真屋さん任せだったので二重焼きはできませんでした。
カメラを一度落としてからレンズが片ボケするようになり、絞り開放(F2.8)もあって、この写真でも機首まわりのピントが出ていませんね。^^;;

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:25 No.1128
Re: 航空写真ファンの草創期
夕陽と“サンサン”

■選者の評
『やわらかくブレた機影と雲が、いかにも初夏の日差しを感じさせる。しかし、近景になんとなく金網や木をとり入れるのは芸がなさすぎる。』

●夢RES
イヤハヤおっしゃる通りです。この頃にはすでに「金網」「草木」「雲」の“三点セット”では通用しなくなっていましたね。余りにも空と雲が美しかったので思わず縦位置で撮ったのでしょう。叶わぬことですが、今のカメラならT−33を画面に止められ静止画をつくることができます。そんな写真だったらもう少し褒めて頂けたかなあ(^^)

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:34 No.1129
Re: 航空写真ファンの草創期
no1128,”別のフィルム”で!!!!そりゃイケませんよ。確かに待っていれば多分Bランを降りてくる機体の航法灯あたりが、かするかも知れませんが、別のフィルムの二重焼きはイケません。しかし、本当に光が良く回ってますね。台の上にでもカメラを置いて1秒ぐらいで切ってるのかしら?J-79の細さも懐かしいですし、これがあんな轟音と大排煙を発していたんですね。顔も爆撃機らしく兎に角早くを感じさせます。
no1129,あの空、本当に撮りたくなる空ってありますよね。多分もう少し待てば機種の上辺りに彩雲が出るような気配ってありますよね。まず、空、雲が主題です。33でも102でも良かったんです。多分・・・金網でもセイタカアワダチソウでも良かったです。多分・・・山に行った時と違って飛行場で前景を入れるのは難しい!
行ったことがある人なら判ってくれるんだけどなあ。
のらひこ 2020/05/13(Wed) 09:03 No.1130
Re: 航空写真ファンの草創期
>のらひこさん
選者であったYokomoriさんは、写真の“新鮮さ”を選考基準にしていたようです。その点から言うと、上の二作品は表現の新しさには欠けていますね。
翌年の1964年から待望のペンタックスと望遠レンズを入手し、のらひこさんに負けないような作品づくりを目指しましたが、その頃から海軍機にハマり “つばさの無いヒコーキ写真” ばかりを狙うようになってしまいました。^^;
あかつか 2020/05/13(Wed) 13:43 No.1131
私のアルバムからF-100I

航空情報1960年4月号 日本上空を飛ぶ米軍機より

あかつか 2020/04/27(Mon) 09:43 No.1097 [返信]
私のアルバムからF-100I
上はNAKASATOさんが航空情報に投稿されたバーズの100ですが撮影日は不明。公開前に板付から横田へ飛来時に撮られたのでしょうか?。タンクを装備したバーズの100はこの写真しか見たことがありません。

航空情報の不定期連載(1959年9月〜1960年4月)「日本上空を飛ぶ米軍機」のコーナーは胸熱くさせてくれました。羽田しか知らない“飛行少年”にとって、飛んでる米軍機を側で見られるところが存在するというだけで、夢と希望をふくらませてくれたのです。

あかつか 2020/04/27(Mon) 10:36 No.1098
私のアルバムからF-100I
フライトを終えてエプロンへ戻るときの撮影でしょうか。余りに近くを滑ってきたので前の観客を避けることができなかたようですね。
インテイクがケラれなかったのでギリギリセーフ!?。撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/04/27(Mon) 10:56 No.1099
私のアルバムからF-100I
こちらは距離が離れていたのでガッチリ納めました。
↑も↓も背景が流れています。けっこうなスピードで滑ってきたのでしょうね。お見事です。

あかつか 2020/04/27(Mon) 11:12 No.1100
私のアルバムからF-100I
上を撮影されたKomiyaさんら、多くのマニアが観客の中にまぎれながらシャッターを押していたとき、Tanakaさんは対面の地点からエプロンへ帰るタキシングを狙っていました。

以下、ノーカットでの連続写真をごらんください。
あかつか 2020/04/28(Tue) 16:57 No.1101
私のアルバムからF-100I
(1) KC−97、C−124、C−130も展示されていたのが、この写真から分かります。

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:00 No.1102
私のアルバムからF-100I
(2)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:10 No.1103
私のアルバムからF-100I
(3)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:12 No.1104
私のアルバムからF-100I
(4)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:14 No.1105
私のアルバムからF-100I
(5)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:18 No.1106
私のアルバムからF-100I
(7)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:20 No.1107
Re: 私のアルバムからF-100I
(8)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:22 No.1108
私のアルバムからF-100I
50mmでの連続写真ですので、クルーの行動やタキシングの全体像がわかる貴重な記録写真となっています。
「せめて135mm位で撮っていれば・・」と思う方もいらっしゃるでしょうが、横田であることが大変重要なので、
私としましては標準レンズでの写真の価値観を優先します。
あかつか 2020/04/28(Tue) 17:50 No.1109
私のアルバムからF-100I
飛行を終えて一段落してからのカットだと思います。 撮影:Y.Todaさん

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:54 No.1110
私のアルバムからF-100I
こうして手元にあります写真を通して見ますと、サンダーバーズの演技が始まったころは観客は少なく、半ばか後半に人波がどっと押し寄せているのが分かります。
当日は“半ドン”だったので、地元住人や少年少女たちは学校の授業が終わってから駆け付けたのでしょう。飛んでるバーズを見ながら急ぎ足で基地内に走る少年の姿が目に浮かびます。
この賑やかさ、昨今の基地公開の光景とは“何か”が違う・・・。何だろう。考えてみます。

撮影:Tanaka Tuneoさん。素晴らしい写真をご提供下さりありがとうございました。

あかつか 2020/04/29(Wed) 11:37 No.1111
私のアルバムからF-100I
いよいよフィナーレ。サイン会です。
このTanakaさんの写真、写真専門誌のコンテストに入選するような作品ですね。
本国のサンダーバーズ・ミュージアムの資料担当の人が見たらアーカイブに残したいと思うのではないでしょうか。

あかつか 2020/04/29(Wed) 11:47 No.1112
Re: 私のアルバムからF-100I
センチュリーシリーズは全機種、横田に来ているんですよね。106は来ているのを連絡をもらってはいたんですが、なぜか見に行かなかったですが、100、101、102、105はノベツ飛んでいるのを見られた幸運な少年時代でした。その中でスーパーが付くのは100だけ!!戦闘機らしい戦闘機で、三沢、板付、嘉手納、クラークという外来で胸ときめかせる機体でした。般若も悪くはなかったですが、3基地の塗装は色鮮やかで、白黒フィルムのファインダーの中で綺麗に降りてきたものです。
サンダーバーズ、演技後の公開は凄いですね。搭乗ラダーに乗せてくれたんですね。興奮ものです。観客も演技に酔いしれて満足顔ですね。Tanaka Tuneoさんのno1112の写真は頭の上に手を伸ばして撮ったんですか。よくぞ尾翼の尖端をキッチリ納めてますね。飛行機好きはこの辺外しませんよね。たいしたものです。
それにしても、100は、上品過ぎず、重厚過ぎず、シャープ過ぎず、本当に戦闘機らしい戦闘機でした。スレッドが10まで来るのは当然ですね。
のらひこ 2020/04/29(Wed) 21:49 No.1113
私のアルバムからF-100I
>のらひこさん
あれ、センチュリー・シリーズの中での104が抜けていますね。1962年の横田三軍記念日で初公開されたF−104には興奮した思い出がありますが残念ながら“銀ピカ”に星のマークではなかった。
86F、86D,104にしても、U.S. AIR FORCE機に思いを馳せてしまうのは、 CIEの占領教育にすっかり洗脳されてしまったからでしょうか。
教育とはオソロシイものですね^^;;


これにて空軍機篇は終了し“NAS ATUSUGIと海軍機篇”を始めますが、しばらくお休みをいただき5月17日から再開させていただきます。
機種別の画像は過去スレや別スレで充分紹介されてますので、機種そのものにはこだわらず、↓のような様々な写真とともに
「60年代NAS ATUSUGI」の世界を再現してまいります。


1960年秋、大和側にトンネルはまだ無かった。     Photo:H.Gabari 

あかつか 2020/04/30(Thu) 15:51 No.1114
Re: 私のアルバムからF-100I
Akatsukaさん、皆さん,こんにちは。

BBS-2の方も毎日のように楽しませて頂いて居ります。

厚木の三軍記念日以外では出会えなかったセンチュリーシリーズ。

然もF-100のサンダーバーズは全くイメージ出来ずにいましたが
今回の特集で、恰も横田に行って見てきたような感覚になりトキメキました。

バーズが来日したのは1959年12月と言えば自分は未だ小二のハナたれ小僧。

その時既に、このような高度な撮影技術を持ったマニアの方々が居て
こんな素晴らしい写真を撮影していたことに驚きを禁じ得ませんでした。

こうなってくると、これら先達の他の作品も拝みたくなってきましたので、
Akatsukaさんが選らぶ次回「60年代NAS ATSUGI」編でも、
第一世代先輩諸氏の撮られた「傑作」の登場をお待ちして居ります。

本日投稿する写真のバーズ機は勿論自分が撮影したものではなく
アメリカ人のマニアW.E.JOHNSONさんが1979年6月23日にMOJAVEで撮影した二代目バーズのF-84F/52-6969です。

このF-84Fは民間レジ N-84JWが与えられエアショー等で飛んでいたようです。

初代バーズ機はF-84Gで1953年6月1日、ルークAFBでバーズが結成された時から使用され翌54年まで使用されました。
二代目バーズがF-84Fで1955年いっぱい運用後、1956年よりF-100Cの使用が始っています。

M.WADA 2020/05/03(Sun) 14:21 No.1115
私のアルバムからF-100I
>M.WADAさん
貴重なコレクションのご紹介ありがとうございます。
F−100と交代するまでF−84Fは大活躍していたようですね。50年代につくられたワーナー映画はじめ、Webでぐぐってみてもかなり数の動画が残されています。
それは、50年代の航空ファンの世界で、私たち60年代マニアはやはり“100”なんですね〜。(しつこく後悔)

F−16の次の使用機はT−7Aレッドホークに決まっているようです。F−35では経費がかかり過ぎるからですかね?。F−35は余り好みのヒコーキではないのですが(多分多くのマニアも思っているはず)バーズの使用機なら結構イケるんではないかと期待してました。見た目が“鳥”ですし、ペイントすれば文字通りサンダーバードになりそうだったのに^^;
「私のアルバムから」NAS ATSUGI篇もご感想よろしくお願いいたします。
あかつか 2020/05/03(Sun) 18:06 No.1116
私のアルバムからF-100H

あかつか 2020/04/24(Fri) 11:44 No.1081 [返信]
私のアルバムからF-100H
訪問国の国旗が貼られてますが、日本国旗のとなりに星条旗を組み込んだ旗には沖縄本島が画かれてます。そしてキューバも・・。 
   撮影:Tanakaさん   
あかつか 2020/04/24(Fri) 11:53 No.1082
私のアルバムからF-100H
フライト前のスモークテストでしょうか。一瞬の出来事を見事写し撮っています。
撮影のNAKASATOさんは午前にジョンソン、午後横田へ繰り出したというわけですね。当時のマニア事情を鑑みますと、その行動力は抜きんでてました。

あかつか 2020/04/24(Fri) 12:09 No.1083
私のアルバムからF-100H
昔サンダーバーズとともにスカイブレザーズと言うデモチームが在欧米空軍に居ましたね。空軍に二つのデモチームは必要ないとして1962年に解散しますが、サンダーバーズよりアメリカンな塗装が特徴でしたね。友人が1960年のWiesbadenで撮ったスカイブレザーズのF-100C。

コ永 2020/04/24(Fri) 14:23 No.1084
私のアルバムからF-100H
スカイブレザーズ、フィルムはコダクロームでしょうか?60年前の写真にもかかわらず、イイ色残していますね。
スカイブレザーズの歴史をググると、歴史はサンダーバーズより古いんですね。確かにいくら景気の良かった時代のアメリカでも空軍に二個のアクロバットチームは必要なかったでしょう。

↓この写真見て気付いたのですが、下面の鳥の絵に目が画かれていました。モデラーさん参考にしてください。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:31 No.1085
Re: 私のアルバムからF-100H
だいぶ以前、アクロバット飛行は観客の真上を飛ぶことが禁止されましたが、この頃はまだ規制はなかったから、こんなシーンもありました。
観客の正面から突っ込んできてブレイクする演技は何というのでしょうか。「空中開花(上方爆弾破裂)」より驚きますよね。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:41 No.1086
私のアルバムからF-100H
現場に行ってないので想像でしかありませんが、ショーが始まったときは曇っていて、演技途中から天気が良くなっていったようです。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:53 No.1087
Re: 私のアルバムからF-100H
演技後半でしょうか、陽が差してます。B−47とKC−97が望見できますね。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:58 No.1088
Re: 私のアルバムからF-100H
次いで背面ソロ

あかつか 2020/04/25(Sat) 16:24 No.1089
私のアルバムからF-100H
上空にサンダーバーズ、下に並ぶは50年代アメ車群。その中にサンダーバード(FORD)は居ないかな?

あかつか 2020/04/25(Sat) 16:37 No.1091
Re: 私のアルバムからF-100H
現在のバーズは、こんな近くで低いダイヤモンド編隊を見せるのでしょうか。

あかつか 2020/04/25(Sat) 17:41 No.1092
Re: 私のアルバムからF-100H
当時では写真心がないとこうしたシーンにシャッターを押しませんね。組写真においてはどうしても必要な写真です。 撮影:KUMAKIさん

あかつか 2020/04/25(Sat) 18:01 No.1093
Re: 私のアルバムからF-100H
暮れの土曜日の午後2時過ぎって感じですかね。まだ日本は中小企業は半ドンにもなってないところも多かったんでしょう。日本人の観客は子供がほとんどですね。
ハンガー15の上に撮影クルーらしき集団!公式ムービー残ってないかしら?隣のハンガーには登れないのに気が付きました。ジョンソンのハンガーには登ったことありますけど!!エヘン。
no1086の正面左隅の土の山はかなりの量です。この南に爆弾庫を掘ってたのかしら。
のらひこ 2020/04/25(Sat) 18:12 No.1094
私のアルバムからF-100H
高速交差も標準レンズならではの迫力。スバラシイ! 撮影:KUMAKIさん
現在のマニアがバーズを撮るとすれば、望遠で撮り飽きた人ぐらいし人ぐらいしか公開演技を45mmで撮る人は居ないのではないでしょうか。雑誌等でもこのような雰囲気のある瞬間写真を見たことがありません。何人かの観客が後ろを見ているので別機も飛んでるんでしようね。

あかつか 2020/04/26(Sun) 12:00 No.1095
私のアルバムからF-100H
ソロ飛行を仲睦まじく見るカップル。男性はスタジャンを着ていることから推察すると日本人ではないようですね。
日本の若者がスタジャン(スタジアム・ジャンバー=和製英語)を着るようになったのは1964〜5年ごろからで、一世を風靡したVANジャケットがアイビー・ファッションを流行らせた内のひとつにスタジャンも入っていました。
私自身はそんな流行りに惑わされず、常に“着た切りスズメ”。おカネはすべて写真代に注ぎこんでいました。

あかつか 2020/04/26(Sun) 13:59 No.1096
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