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私のアルバムから

航空情報1959年5月号 100号記念写真コンテスト 入選

K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 00:07 No.91 [返信]
Re: 私のアルバムから
立川基地に着陸するC−124グローブマスター

K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 00:22 No.93
Re: 私のアルバムから
上の作品は、1959年5月号に掲載された航空情報100号記念写真コンテストの入選作品で、AGC版「私のアルバムから」上巻の表紙写真でもあります。2012年に下巻を発行した際、上下巻を通した書評を横森先生にお願いし、2013年3月号航空情報誌上で再び入選作の『危険な竹竿』にふれて頂きました。


●ぼくと写真集「私のアルバムから」 横森周信 

秀作佳作目白押しの一連の写真の中での最高傑作を選べと言われれば、文句なしに上巻の表紙となった田中達雄氏の「立川基地に着陸するC−124グローブマスター」であろう。これは飛行機写真だけでなく、情景写真としても傑出した1枚である。もし後世の人に1958年に起きた砂川事件(現在の立川基地拡張に対する反対運動をめぐる事件)について尋ねられたら、黙ってこの写真を示せばよい。
この写真がセミ判(45o×60o)スプリングカメラであるパールUで撮影されたことにも注目したい。パールUはレンズもボディも優れたカメラであるが、蛇腹式セミ判カメラの性格上スナップ向きではなく、その優れた画質を利して風景・人物写真に適していた。
そこで撮影者はまず正対する光景の中から、この異様な雰囲気を表現するのに必要にして充分なフレーミングが得られる撮影位置に腰を据えて主役の登場を待っていたのであろう。そこに巨人機グローブマスターという絶好の被写体が近づいてきて彼はそれを絶妙の瞬間でとらえた。撮影日は大晦日の12月31日であり、人っ子ひとり居ないゴーストタウンのような不気味さが漂っている。撮影者がそこまで読んでいたとしたら、もはや脱帽のほかはない。

それにしても森氏や田中氏のような傑作に脱帽しながらも、その一方ほっとするような親近感を抱かせるのは、これらの作品が標準レンズで撮影されているからではないだろうか。
ここには解像力ばかりで味のないズームレンズを装着した、最新型一眼レフのファインダー内で思うように画面を構成する最近の飛行機写真にない「人間味」がある。ただ機材の高性能を誇示するだけの飛行機写真には「感嘆」はするが「感動」はしない。
そこにはただメカニックな美しさしかないからだ。
K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 00:24 No.94
Re: 私のアルバムから
↑の『危険な旗竿』から3年ほど経った1963年3月26日の砂川エンド。
基地で仕事をしている人たちは地上スレスレに“巨人機”が降りて来ても見向きもしてません。
今この写真に私が題名を付けるとすれば『日常』です。

K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 10:59 No.96
Re: 私のアルバムから
同じく砂川エンドで撮影したT.Moriさんの作品。
C−124がMACになってますから1966年頃に撮られたのでしょうか。
師匠の作品にタイトルを付ける失礼を許していただければ題名は『夢』。
報道は殆どされませんが、基地周辺で飛行機を見て育った少年少女たちが成人となり、多くの人たちが戦後日本の航空界を支えてきました。

K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 11:17 No.97
Re: 私のアルバムから
>K.akatsukaさん
グローブマスター始まりましたね
標準レンズで潜り込んだショットを一つ
1964年2月13日の砂川エンド
MATSのC−124A ノートリミングです

K.MURAKOSHI 2019/05/01(Wed) 18:37 No.98
Re: 私のアルバムから
お〜! プラット&ホイットニー R-4360の爆音が聞こえてきましたよ。
そんな気にさせてくれるようなショットですね。
積雪時以外、地面からの反射光を受けている写真を近頃お目にかかりませんが、昔は空気が今より澄んでいたので(立川は)
そのぶん光が強かったからですかね。

↓は1963年7月27日 MATS時代のC-124。
砂川側にて「標準レンズ」で撮った「標準ショット」です。

K.akatsuka 2019/05/01(Wed) 19:24 No.99
Re: 私のアルバムから
Murakoshi さん
何度見返して見てもなんとも不思議な写真です?
光はどこから?機首の反射は?
当時の天気を調べたところ当日は良い天気、4日前に雪が降ったようですが、立川ではまだ残っていたのでしょうか?
相変わらずのシャープさにアングルといい素晴らしい写真ですね。脱帽です(^。^)

ダブルタンゴ 2019/05/02(Thu) 00:01 No.100
Re: 私のアルバムから
皆さんの標準レンズ作品にはマイリマシタ。こんな写真を撮っておられたのですね。。
私の頭ではこのような発想は全くありませんでした。長玉レンズよりかえって迫力があります。それぞれの写真はエンジン音と通り過ぎた後の翼が風を切る音が聞こえてくるようです。特に田中さんの写真は飛行機の記録のみならず、当時の社会・世相を記録した色あせない写真だと思います。
私の場合は、ただ単純に標準レンズしかないからそれで撮った、でした。

H.I. 2019/05/02(Thu) 14:27 No.101
Re: 私のアルバムから
10代にエンドデヴューし、ずいぶん見てきたC−124ですが、ダブルタンゴさん、Hamanoが撮られたようなきちんとした写真が1枚もありません。いいですねえ、羨ましい限りです。
C−124の写真のストックが少ないのは、60年代の半ばから海軍機に傾倒しはじめ、活動拠点が厚木中心になったからでしょう。


↓は伊丹にてHamnaoさん撮影。

K.akatsuka 2019/05/02(Thu) 14:30 No.102
Re: 私のアルバムから
>H・Iさん
ライカが標準レンズを50oとしたのは、人間の目に映る遠近感が最も50oに近いことから“標準”としたそうです。
ですので、どんな条件下にあろうとも標準レンズで撮った写真は横森先生が仰ったように親近感がわくのですね。
101のI・HさんのC−124にしても、標準レンズだからこそ現場の雰囲気が伝わってくるのだと思います。
私もこの光景、横田でも立川でもよく見てましたね。

↓は1962年の暮れ、立川01エンドに降りる“グローブ”です。
オーバーランのフェンスは金網ではなく、木材にバラ線を繋いだだけの簡素なものでした。
少年時代、こんな感じで撮っていたんだなあ、と、想い出に浸っております。

K.akatsuka 2019/05/02(Thu) 19:21 No.103
Re: 私のアルバムから
砂川側から降りてくるグローブの写真を見返すとほぼ皆前のめりになっていましたね。
他の47、54、118、にはあまり見なかったような?
着地瞬間の写真は撮っていませんでしたが(今だから気付く、ああ!あの時に!)まさか前輪から?
出来るだけ手前に降りようとしていたのですかね?

ダブルタンゴ 2019/05/02(Thu) 22:27 No.104
Re: 私のアルバムから
>ダブルタンゴさん
No.98の機首の反射の件ですが、おそらくですけれど、木製の低い柵のそばで仰ぎ見たアングルなので滑走路端のターンエリアのコンクリート面のリフレクションと思います。低いので光の回り込みが得られたのと、オーバーめの露出だったのかも?

ダブルタンゴさんがNo.104で書かれた前のめり姿勢の件ですが、
たまたま狙った「このタイヤスモーク写真」では、しっかりフレアして前輪は浮いて見えますね・・・・1963年4月27日の砂川エンドに着陸するC−124A。

K.MURAKOSHI 2019/05/03(Fri) 00:42 No.105
Re: 私のアルバムから
連貼りでスミマセン
以前に出したものですが
1962年7月19日、横田RWY−36に着陸するC−124A
西砂川バス停広場には左下に写っている小屋と低い樹木がありました
この木によじ登ってカメラを構えるひがしの氏(左)とたかくわ氏(右)

K.MURAKOSHI 2019/05/03(Fri) 01:00 No.106
Re: 私のアルバムから
> K.MURAKOSHIさん
直ぐにタッチダウンの写真が出てくる!
恐れ入りました m(_ _)m
この発想が無かった未熟モンでした
そしてホントにギリギリ手前に降りていたのですね

ダブルタンゴ 2019/05/03(Fri) 11:42 No.107
Re: 私のアルバムから
>K.MURAKOSHIさん
1963年5月の撮影ですが、ひがしのさん、たかくわさんが登っている横田Rwy36の木は↓の写真の向う側の木でしょうか。
今の子供は木登りを好んでするのですかね。昔の少年は登れそうな木と見るや否や、速登りました。意味なんて大して無く
「そこに木があるから登るのだ」でしたね。

当時にしても珍しかったボンネットバス。左のバックミラーはとれて、廃車寸前といったところです。
何故かこのバスにマニアが乗った話は聞いたことがありません。調べてみますと昭島には1日3本、立川には5本しか出ておらず、
おそらく利用者は通学や買い物で利用する人だけだったんでしょう。

運転士さんも時間つぶしに“グローブ”の降りを見ているようです。採算はとれそうもないので、西武バスは路線だけでも
確保しておこうと言ったところでしょうか。写真はいろいろ想像させてくれて面白いですね。宣伝のカバン屋さんは今も立川の曙町にあるようです。

K.akatska 2019/05/03(Fri) 12:18 No.108
Re: 私のアルバムから
108の情景は涙が出るほど懐かしいです。撮影者が立っている所に家が在りましたが、取り壊した跡に立っての撮影です。早い者勝ちに登った樫の木は何とバスの後部から更に滑走路に寄った所に有りました。ですからKB‐50等は、翼端がほぼ頭上を通過する飛行機小僧には天国のような所でした。
のらひこ 2019/05/04(Sat) 07:32 No.109
Re: 私のアルバムから
>ダブルタンゴさん
107の機首アップは135oぐらいなのでしょうか。いいなあ。
WATANABEさんも同様の写真を撮られていて、私も望遠レンズを購入した際には是非とも写したかったのですが望遠レンズを手にしてからは「アツギの人」となってしまい立川へは足が遠のいてしまいました。今思うと残念でなりません。

↓は、1962年、横田のRwy36での着陸です。衝突防止灯?が当時の横田を物語っています。
自分としては“お気に入り”の写真なんですが、如何せんピントが甘いですね(ブレもあり)。カメラは「アイレスペンタ35」という廉価版の一眼レフだったのですが、レンズがF2.8のテッサータイプでこのタイプはどちらかと言うとポートレート向きのソフトタイプのレンズ。飛行機には余り向かなかったような気がします。ガウスタイプのF2もありましたので、無理してもこちらにしておけば良かったなあ、と50年経った今でも後悔しています。
K.MURAKOSHIさんのようにシャープなピントであればコンテストに入賞してましたね(ホントかな?)

K.akatsuka 2019/05/04(Sat) 09:31 No.110
Re: 私のアルバムから
>AkatsukaさんのNo.103は当時の立川の雰囲気そのままです。手前の人物はMoriさんの様なカメラの構えと後姿の様ですが。
No.108は一瞬、何処かの報道写真の紹介かな?と思いました。永遠に残すべき記録写真ですね。ボンネットバスと”グローブ”、1950年代〜1960年初めの雰囲気はサイコーです。

>ダブルタンゴさん、これですよ。”グローブ”特有の突っ込みは。かなり最後までこんな感じでしたよね。アノ太っちょな胴体が、最後にフワッとフレアーするのをいつも信じられない思いで見ていました。

>MURAKOSHIさん、私はこの頃を知らないのですが、良くぞ”グローブ”と飛行少年を一緒の絵に納められていましたね。雰囲気がイイデスネ〜。

それにしても皆さん、”グローブ”と人を旨く絡めて記録されています。完服です。さほど人気機種でも無かった機体が生きています。
もっとも珍しくもない機体だから、いろいろと傑作も生まれたのでしょうか。これが珍しい機体だったら、皆さんそれぞれが自信のアングルで撮影していたでしょうから。
グローブのメインは立川でしたが、1960年後半になるとグローブは横田では余り見かけていませんでした。珍しい外来機の飛来の時にしか立川には通わず、かろうじてその時についでに撮っていた程度でした。いつでも撮れる機体でしたが、静かに消えていたと言うのか、気付いたときには立川からいなくなっていました。もっと、いろいろ撮っておけば良かった。(いつもの後悔です。)
現像荒れの見苦しい画像ですがこれしかなかったです。1967年ある日の”いつもの立川”です。

H.I. 2019/05/04(Sat) 15:57 No.111
Re: 私のアルバムから
>H・Iさん
そう、この“グローブの列線”。これが立川の風景でしたね。
厚木と言えば海軍側西側格納庫とVQ−1、VC−5の面々。どこの飛行場もマニアの脳裏に貼り付いている定番の光景がありますね。

>のらひこさん
KB−50の話に出た横田36の樫の木の“スペシャルシート”は1962〜3年には国有地の整地に伴い切られたように記憶してます。

確かにこのT.Moriさんの写真を見ても、燃料タンクはMoriさんの頭の上あたりでしょう。
樫の木の上の定員は4〜5名でしたから撮影できるの人はほとんど地元か地元に近いマニアでした。ですので、私は1度も登ったことが
ありません。何でもいいから「樫の特等席」で撮りたかったものです。

K.akatsuka 2019/05/04(Sat) 17:08 No.112
Re: 私のアルバムから
A.Ichijohさんが1963年11月23日に撮影した横田36エンド風景です。もうこの頃には樫の木はありませんね。
立て看板は恐らく、ここが国有地であることが書いてあるのでしょう。まだ立ち入り禁止になってないので、標準レンズ1本でも
充分撮影できた横田の36。飛行機少年にはありがたいポイントでした。

K.akatsuka 2019/05/04(Sat) 17:54 No.113
Re: 私のアルバムから
KB-50JとC-124のツー・ショット写真はないかと探しましたら1959年、立川三軍記念日で賀張弘道さんが撮影されたいい写真がありました。
“グローブ”が居た時代の三軍統合記念日で観衆の人気を集めたのは戦闘機群よりC−124だったような気がします。
形がユニークな上、デカイ。その大きな口に呑み込まれたい気になるのでしょうね。大きさではC−133に負けましたが、人気では勝っていたと思います。

撮影者の賀張さんは写真のセンスの良さだけでなく、この時代から飛行隊、ナンバー等に詳しい方で、私たち後輩に撮影記録の大切さを教えてくれた良き「アニキ」でした。

K.akatsuka 2019/05/05(Sun) 10:23 No.114
Re: 私のアルバムから
no108が懐かしいので、国土地理院の写真サービスから1961年5月の航空写真を張ります。角の北の白い四角が家で、その北の黒い塊が樫の木です。no113の右の人が立っているところがズバリです。5〜6mの高さはあったように思います。滑走路幅60mとしてグローブ全幅53m!!少しブレれば頭上でしたね。

のらひこ 2019/05/05(Sun) 15:11 No.115
Re: 私のアルバムから
>のらひこさん
その「サブロクの木」を知るマニアは古希を過ぎてますので、だんだん少なくなっています。
しつこいようですが、1度登って撮りたかった。そのウップンは今後のBBSUで晴らせて(貼らせて)いただきます。

↓こんなシーンが展開していたんですよ。思い出しても悔しいではありませんか。(撮影はTSPC K.kumakiさん 45oで)

K.akatsuka 2019/05/06(Mon) 10:50 No.116
Re: 私のアルバムから
C-124は飛行機写真を始めたころ立川の主でした。
一日中補助エンジンをパタパタと動かしなかなか飛びませんでしたが飛び始めると一日中タッチアンドゴー。あまり写真撮っていません。
最初に砂川側の着陸
C-124A/51-0134/MATS/1962.00.00/立川

geta-o 2019/05/06(Mon) 20:12 No.117
Re: 私のアルバムから
次は砂川側の離陸。以外にスマートです。
C-124A/51-0120/MATS/1503ATW/1962.03.08/立川

geta-o 2019/05/06(Mon) 20:13 No.118
Re: 私のアルバムから
>geta-oさん
さすがgeta-oさん、素晴らしい写真を撮ってらっしゃいますね。
特に離陸の写真の角度はグラマナスな“グローブ”の美しさを引き出していますね。
「背中」をラインとともに白く塗られていた時代のグローブが最も魅力ある塗装だったのではないでしょうか。
K.akatsuka 2019/05/06(Mon) 23:48 No.119
Re: 私のアルバムから
>geta−oさん
今までも何回か先輩と同じ時、同じ場所でカメラを構えていた自分がいたことに改めて光栄であり、懐かしさがいっぱいです

getaーoさんのNo.117と同じ日のショットです
背景の雲の形と機番が一致していますのでタッチアンドゴーの何周目かでしょうか、砂川の風景です
1962年8月24日の砂川着陸/MATSのC−124A/51−0134

K.MURAKOSHI 2019/05/07(Tue) 00:06 No.120
Re: 私のアルバムから
geta-oさん、murakoshiさん、私のらひこと並んで撮っていたんですね。夏休みの最高の天気、ヒコージョーに行かないはずはないですよ。geta-oさんの次のショットは多分溢れ気味、murakoshiさんのは少し送りでしょうね。わたしのはリコー300の45mmを利して、前に出て、かつ引き付けたんでしょうが、次が撮れないですよね。立川の短い滑走路、多分コーパイの練習だったんでしょうが、我々には嬉しい1日だったはず。

のらひこ 2019/05/07(Tue) 11:32 No.121
Re: 私のアルバムから
geta-oさん、MURAKOSHIさん、のらひこさん、半世紀後にBBSで再会ですね。お三人さんの写真、いずれも涙が出るほど素晴らしいです。
geta-oさんは何oのレンズだったのでしょう。MURAKOSHIさんは55o、のらひこさんは45oですから10ミリの差が微妙に表れていますね。
若い頃は、焦点距離の短いレンズで、被写体に寄って撮るのが写真の基本と言われ育ちました。今そんなことを実行しようとする人は居ないでしょうね。自分は今だその基本とやらを信じておりますが・・・。

↓真夏から一転、冬の砂川へ。1963年2月17日の撮影です。
 なぜ冬場のこんな天気に砂川側に居たのか?思い出せません。

K.akatsuka 2019/05/07(Tue) 14:26 No.122
カーゴマスター作品集 4

航空情報1960年10月 読者写真コンテスト入選

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 10:05 No.68 [返信]
Re: カーゴマスター作品集4
カーゴマスター作品集(2)の扉写真の評で紹介があった榎本さんの1960年航空情報・読者写真コンテストの入選作品です。
残念ながら手許に印画がありませんが、評者の言葉から推察しますときれいな写真だったことでしょう。6×6判の威力ですね。

C−133の作品が送られてきましたので(4)を立てさせていただきました。4月いっぱいカーゴマスターで進めさせていただきますので、
引き続き皆さまのご投稿お待ちしております。
K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 10:17 No.69
Re:カーゴマスター作品集 4
1959年5月17日、立川三軍記念日にてENOMOTOさんが6×6判でガッチリ撮影したもの。
おそらく手前の展示機のタラップに上がって撮ったと思われますが、見学者の風情が昭和の時代を表してますね。
写真そのものに造詣が深かったENOMOTOさんらしい素晴らしい作品だと思います。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 18:19 No.70
Re:カーゴマスター作品集 4
同じく59年の立川三軍でのショットですが、撮影者は私が少年マニアの頃、大変お世話になりました富田肇さんです。
富田さんは戦後の飛行機写真マニアとして第一世代にあたる方で、1958年頃から米軍基地、民間飛行場にて頻繁に撮影活動を行っており
貴重な写真を数多く遺しておられます。

現代のマニアは↓のような写真は余り撮らないでしょうね。
当時はフィルムが高価でしたからこの一コマを撮るにあたって人物の動きを予測し、シャッターチャンスを狙っていたのではないかと
思われます。
ジェーム・ディーンを思わせるようなアメリカの青年、バルジのそばで遊ぶ日本の少年の姿が、50年代のアメリカと日本の社会を
表しているようで、優れたドキュメント写真と言えるのではないでしょうか。
ちなみに学帽の少年が、私と同年代のような気がします。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 18:47 No.71
Re: カーゴマスター作品集 4
改めてC-133のウインドーシールドを見ると、とてつもなくデカイですね。映画に出てくる宇宙船のコクピットみたいです。
レドームもユーモラスで、何となくピノキオの顔に見えませんか?

H.I. 2019/04/22(Mon) 18:48 No.72
Re:カーゴマスター作品集 4
Hamanoさん撮影の反対側画像です。
横田にノーズの長いRC−135が初めて姿を現したとき、横田マニアの人は「ピノキオ」と呼んでましたね。
ですが、あれでは鼻が太すぎてピノキオとは似ても似つかないですが、他のC−135系と分けるための会話語だったのでしょうか。

ピノキオ似はH・Tさんがおっしゃる通りカーゴマスターです。
ほかに似てるものを想像しますと、世界中の男性が連想する、言えない、書けない、アレでしょうね。

K.akatsuka 2019/04/22(Mon) 19:27 No.73
Re:カーゴマスター作品集 4
米軍のヘリコプターの修理を伊丹の新明和工場で行っていたのは皆さんの知るところですが、その運搬は主にC−124が担っていました。
C−124がMACから退役が近づくと、その任はC−133へ交代し、1969年から1971年に引退するまで頻繁に伊丹へ飛来しました。
もしかするとC−133は、この時期、関東の基地よりも多く見られたのかも知れません。

↓は1969年6月、Hamanoさんが撮影されたC−133Bです。横田や立川での写真とは異なり、何故か新鮮さを感じるのは私だけでしょうか。

K.akatsuka 2019/04/24(Wed) 16:26 No.74
Re:カーゴマスター作品集 4
同じくHamanoさんの作品ですが、こうしたショットが撮れたのも伊丹の魅力です。
「写真で一番力があるのが、人間が写った写真だ」とあの篠山紀信センセイはおっしゃってますが、
仕事中の兵隊が一緒に写ると、カーゴマスターそのものも締まって見えるような気がしますが如何なものでしょう。

K.akatsuka 2019/04/24(Wed) 16:44 No.75
Re: カーゴマスター作品集 4
伊丹の新明和で米軍機を修理していたのは聞き及んでいましたが、1960年代にはそれらの写真はあまり見た事がありませんでした。
ヘリコプター修理の為カーゴマスターが頻繁に伊丹に飛来していたそうですが、それはベトナムからだったのでしょうか?
先にダブルタンゴさんも記述されていますが、私も横田や立川ではカーゴマスター遭遇は意外に少なく、特に1968年にはほとんど撮っていませんでした。ところが私の撮影記録では1969年からは飛来は増えていました。akatsukaさんの説明で長年の疑問が解けた感じです。
HamanoさんのNo.75は絵になっていますね。ジュラルミン肌の飛行機はこうでなくっちゃイケマセン。残念ながら、横田や立川ではこんな場面は撮れませんでした。
出発前のクルーがらみの画像が僅か1枚だけありました。1969年、立川の青梅線側ですが、ここがカーゴマスターの定位置だったようで、時々整備をしていたのを横田に行く途中に見かけました。

H.I. 2019/04/25(Thu) 17:01 No.76
Re:カーゴマスター作品集 4
ベトナムからH−34を運んできたのでしょうか、暮れなずむ伊丹のエプロンで翼を休めるカーゴマスターの駐機風景。
今のデジタルカメラなら、こんな条件でもシャープな画像に仕上げることが可能ですが、フィルム時代では手ぶれを防ぐことが精いっぱい。
しかしながら、アンダーの露出により日没後の雰囲気がうまく醸し出されていますね。Hamanoさんの撮影です。

K.akatsuka 2019/04/25(Thu) 23:31 No.77
Re:カーゴマスター作品集 4
>H・Tさん
HamanoさんがUH−34DをC−133に運ぶ写真を送ってきて下さいました。
新明和工場の中に2機は入れず、入口をふさいで積み込んだそうです。両機共UH−34Dを引き取りにきたものだそうです。

変則2枚組み写真にしましたが、ズームレンズが普及してない当時としては、このように撮るしか方法がなかったんですね。

K.akatsuka 2019/04/27(Sat) 23:40 No.78
Re:カーゴマスター作品集 4
↓はTSPC(東京スカイフォトサークル)のN.Anzaiさんが横田の三軍統合記念日で撮影したカーゴマスターの正面からのショット。
バックに40FISのF−86Dが写っていることから、1960年の撮影と判りますね。

K.akatsuka 2019/04/29(Mon) 00:31 No.79
Re:カーゴマスター作品集 4
カーゴマスター作品集の最後は、ソリッドモデラーの名匠K.Takadaさんの写真にさせていただきました。
写真派マニアには発想できないアングルで、C−133を知る人でも、同機であることが分かるまで、幾らかの時間を要したでしょう。
こうしたアングルも写真表現の楽しみ方の一つだと思いました。
“グローブ”が居る“カーゴ”が居る、そして次世代を担うC−141が一枚の写真の中に納まっているのが時代を表してもいます。

K.akatsuka 2019/04/29(Mon) 01:23 No.80
Re: カーゴマスター作品集 4
>Hamanoさん、Akatsukaさん、新明和工場でのカーゴマスターの画像ありがとうございます。これこそ、歴史の1コマですよね。今の人達には伊丹に米軍機、ましてやベトナムからの修理機が搬入されていたなんて想像もできないと思います。
それにしても、アレも二つ並ぶとリアルで興奮度が更に増します。(笑)
H.I. 2019/04/29(Mon) 15:19 No.81
Re: カーゴマスター作品集 4
皆さん、こんばんは。
BBS-2,カーゴマスター作品集は初めての投稿となります。

厚木で空軍機を撮るなど以ての外!とAGC先輩から叩き込まれた自分は
永きに亘り空軍機を撮ることは出来ませんでした。
然し、言外には貧乏学生の懐具合を慮っての配慮の意図があったと推量はしていました。

その先輩方が厚木から去り始めた1969年頃から、やっと空軍機にレンズを向け撮影できた機体の中でも、
独特の甲高いP&W T-34ターボプロップエンジンの響きが印象的な銀色の巨体のカーゴマスターは厚木で異彩を放ち
海軍機にはない圧倒的存在感があり、写欲をそそりました。

改めて調べてみると、総生産機数は50機と意外と少ないことに驚きました。
手帳を見返すと1969年からC-133が退役した1971年にかけて、厚木に結構飛来していたことが分かりましたが
上記の理由でシャッターを押した機体は極わずかであり、今になって残念な気持ちが湧いてきました。

1969年3月17日(月曜日)高校からの下校時、駅から駆け通しで南の角へ急行し撮れたのがコレ。
残念ながら斜め前は間に合わず、機首アップのみでした。

M.WADA 2019/04/29(Mon) 17:39 No.83
Re: カーゴマスター作品集 4
ふと見ると、PR-23が離陸の為AW へタキシーしてくるではありませんか!
夕方ワン・ツー・ワンが上がるのは滅多にない事。オマケに富士山と大山がクッキリ。
よーし!と砂利道を桜ケ丘方面に猛ダッシュをかけ、現在のサイゼリア辺りのフェンスにしがみ付いて撮ったショットでしたが
肝心の富士山があっという間に雲隠れしてしまい、イメージ通りの画が撮れず悔やみました。

M.WADA 2019/04/29(Mon) 17:43 No.84
Re: カーゴマスター作品集 4
↑の続きショット。日没後にR/W-01に降りて来たVW-3はピンボケでアウト。
まあ、カーゴマスターとワン・ツー・ワンの睨めっこが撮れたのでしょうがないかと、自分を慰め帰途に就きました。

M.WADA 2019/04/29(Mon) 17:45 No.85
Re:カーゴマスター作品集 4
>H・Iさん
5月からC-124特集となりますので、よろしくお願いいたします。
あの愛嬌のある“顔”、タキシング時での“鳴き声”思い出しますね。誰もが愛した“グローブ”。長丁場になりそうな予感がいたします。

>M.WADAさん
これは素晴らしい写真ですね。しかもNAFアツギでのショット。海軍基地に空軍機というのがいいんです。
運動部の先輩によく見られるように、先輩の発言をまともに信じてはイケマセンデス(笑)
K.akatsuka 2019/04/29(Mon) 23:53 No.86
Re:カーゴマスター作品集 4
新企画の第一弾「カーゴマスター」は本日をもって終了しますが、如何でしたでしょうか。
二弾は明日より「グローブマスターU」の作品集となります。引き続き皆さんのご投稿をお待ちしています。

さて、私たちが撮る飛行機の写真を大別すると「記録」と「情景」に分けることができます。
「記録写真」は動植物の標本をつくるように飛行機を写し撮り、塗装やマーキングから機歴や背景を探ろうとするもの。
一方「情景写真」の方は、写真専門誌などで見られるような絵画風絵づくりを狙い、風景の中に飛行機を写し込んで
一般の人からも分かりやすい写真をつくろうというもの。このジャンルに二分されるのではないでしょうか。
私は一時写真クラブの運営から塗装やナンバーに傾倒したことがありますが、写真そのものに対するスタンスは後者なので
今回の企画を考えついた次第です。

それは、少年の頃、穴の開くほど見た青少年ファン向けのバイブル的雑誌、横森編集長が書いた「航空ファン読本」に掲載された
写真の記事に影響されたと自覚しています。
↓は、「航空ファン読本」全10冊ですが、第1号に「飛行機写真のうつし方」なる記事を読んだのが今に至る
“飛行機写真の道”への第一歩でした。

K.akatsuka 2019/04/30(Tue) 00:02 No.87
Re:カーゴマスター作品集 4
その「航空ファン読本」1号に載ってた記事が↓これです。
子供でも理解できるよう平仮名を多用して、飛行機写真の世界に導いています。

ただし、文中のフジ・ペットは1959年の時点では、子供がすぐ買える代物ではなく、写真の子供の身なりを見てわかるように
余裕のある家庭の子息しか持てなかったはずです。(1日5円〜10円が当時の子供の小遣いの相場だった)
従って私は、小遣いやお年玉を貯めに貯め、ようやく手にしたのがボルタ判の800円(ケースなし)のスタートカメラでした。
http://saburojii.blog.fc2.com/blog-entry-279.html

そのカメラを持って羽田に行き、初めて撮ったのが来日最後となったアエロ・フロートのTu−104。
あの今にも壊れそうなエンジン音は未だ耳元に残っています。(ワリと旧ソ連機が好きなのはこのせいかも)
DP屋から名刺版に上がってきた写真を見たときの感激は忘れることはなく、飛行機マニア人生の全てがここから始まったのです。

K.akatsuka 2019/04/30(Tue) 01:20 No.88
Re: カーゴマスター作品集 4
>Akatsukaさんの”博学な飛行機よもやま話”はChecker Tailの頃からいつも楽しく羨ましく読ませていただいています。初回は”カーゴマスター”でしたが、空軍機でありまたどちらかと言うとマイナーな機体、それを話題にされるとは、Akatsukaさんならではと思いました。私より数年先輩なので、”悔しいかな、知らなかった!”ことが多く、”あと年早く生まれていれば”と思うことも多く、そのたびに地団駄踏んでいます。
板付飛行場から少し南にある司令部・居住区の直ぐ近くで生まれ育ち、物心付いたころから板付を離着陸する飛行機を見ていました。厚木の近くで育った皆さんがNAVYファンになったのと同様、板付の近くで育ったのでUSAFファンになりました。中学生になったころアメリカ人の家に行く機会があり、そこで見たものはキレイに塗装された板付のF-100とF-102のプラモデルでした。その美しさに”電光のショック”を受けました。のちには大きな”アメ車”に乗って、当時の”三軍記念日”に飛行場に連れて行ってもらいました。飛行場の中の滑走路の脇で、4機編隊のF-100の離陸を見ましたが、アフターバーナーの閃光と音にドギモを抜かれ、写真を撮るのを忘れていました。あのときの感動と興奮度は今にいたる人生の中でも”超弩級”でした。
「航空ファン読本」を拝見したことはなく、航空雑誌なるものを始めて見たのは、中学校帰りの駅近くの本屋でした。掲載された写真を見て、そんな写真が撮りたいと思うようになりましたが、着陸は速すぎてどうにも旨く撮れませんでした。まだまだ警備が厳しかった当時のアメリカ軍基地のこと、また東京とは違って教えを請う様な師匠は何処にも見当たらずに数年を無駄にしたようです。
そのころ「航空ファン読本」を見ていれば、もっと貴重な画像を残せたのでは?と思ってしまいます。アア〜、グヤジイ〜。
H.I. 2019/04/30(Tue) 15:31 No.89
Re: カーゴマスター作品集 4
ではでは〜

ダブルタンゴ 2019/04/30(Tue) 23:52 No.90
カーゴマスター作品集 3

航空情報 1961年11月号

K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:11 No.52 [返信]
Re: カーゴマスター作品集 3
立川・砂川側でのC-133の低い着陸には驚かされましたが、離陸のこの低さにも驚きです。
説明には前景のライトの扱いに疑問が残ると評してますが、ライトの写し込みがあるからこそ離陸の低さが強調されるのだと思います。

K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:23 No.53
Re: カーゴマスター作品集 3
イヤハヤ、WATANABEさんの写真のセンスには何時も驚かされますが、これは凄い!!私だったらこの写真だけで、60年間ドヤ顔をし続けられたでしょう。しかし、WATANABEさんは照れて自慢顔一つしない人でしたね。評者は臨場感をあまり感じない書斎の人だったんでしょうね。いろいろ教えられ尊敬していますが、なんでもできる人というのはいませんね。勿論我々は画面下にある赤白の腰までの柵を今でも感じますし、飛び去って行くかすれたタービン音が耳の中に去来します。
のらひこ 2019/04/14(Sun) 08:44 No.55
Re:カーゴマスター作品 3
>のらひこさん
書斎と現場、制服と背広、いつの時代でも言われることですが、おっしゃる通り、何でもできる人は居りませんので、
両派あってのバランスで世の中成り立っているのでしょうね。

↓はT.Moriさんが64年2月12日に決めた離陸ショット。
WATANABEさんとの標準レンズによる“センスの対決”は感動の嵐で判定不能!!!。
もし現在にカーゴマスターがに日本へ飛んで来たとすれば、このような写真を撮ろうとする飛行機カメラマンは余りいないのではないでしょうか。

K.akatsuka 2019/04/14(Sun) 19:43 No.56
Reカーゴマスター作品集 3
1961年1月、立川のタキシーウェイを素肌を怪しく光らせ走るカーゴマスター。
T.Moriさんのしびれるような快作。おそらく当時では珍しかった200o(コムラーF3.5)を使用してるのでしょう。
離陸を55o、タキシングを200oと、当時のマニアの感覚では信じられないようなレンズの選択ですね。

ひとつ気になったのは周回道路を走るプリンス・スカイライン(初代)のタクシー。
この頃の立川の写真を見てますとよくスカイラインが飛行機の写真と共に写り込んでます。
私は当時川崎の街中に住んでましたが、タクシーは圧倒的にトヨペット・クラウンが多く、スカイラインのタクシーは見た記憶がないのです。
1961年にプリンス自動車の村山工場がつくられたことにより、地元企業を応援しようとスカイラインを多く使ったのではないか
と思うのですが、如何なものでしょう。
丸っこいデザインのクラウンより、当時のアメ車をそのまま小型化したようなスカイラインは、子供心にカッコイイ車だなあ、と憧れていました。

K.akatsuka 2019/04/16(Tue) 15:47 No.57
無題
皆さんの立川での着陸写真は雰囲気ありますね〜。

着陸時にタッチ・ダウンに近づくとグラウンド・エフェクトが働き、機体は浮揚し続けようとします。この現象、私はほぼ翼幅と同等位の高度と教わりました。通常PAPIの角度は3度ですが、それよりも急角度で着陸に入るとドスンと接地しますが、静止距離は短くなります。一方浅い角度だとスムーズに接地しますが着陸距離が伸びてしまいます。そしてタッチダウン前には機体を引き起こしますが、その角度とタイミングで着陸の良し悪しに違いが出ます。勿論ペイロードやアプローチで変わるでしょうが、立川基地のような短い滑走路ではパイロットは他所には無い緊張をしたでしょうね。
立川基地ではどちらかと言うとMURAKOSHIさんのNo.49の様な頭から突っ込んでくるようなアプローチをしてきて、タッチダウン寸前に引き起こして着陸する事が多かった様な。
一方、横田基地では滑走路も長く余り心配する事も無く、私の写真の様な浅い角度の長いアプローチでの着陸が多かった様に記憶しています。
知り合いに1960〜70年代にSecret Warのラオスで例の会社(組織)で働いていたパイロットがいました。ラオス山岳部のLima Siteに人員や物資を運んだそうですが、山の斜面にへばりつくように作られた着陸地は短いものでは700ft、中にはL字型に曲がっているものもあったそうです。着陸するときは低い方から近づいてトンボが葉っぱにとまる様に着陸し、離陸の時にはスキージャンプの様に高い方から落ちるように離陸するのだそうです。
その後、彼はFAAでのアドバイザーを務めたりしてサンタモニカ空港では知る人も多く、彼にはいろいろな着陸や離陸を教わりました。ある時サンタモニカ空港にアプローチ中のダウン・ウインドでちょど滑走路のナンバーの横に来た時に、タワーが”XXX,fast jet approaching,do you wish to land or extend down wind?"と聞いてきました。高度も高くまだ滑走路を過ぎていなかったので、Down Wind延長と答えようとしたら、彼が着陸しようと言い、”xxx wish to land"と答えて操縦を代わりました。”xxx,cleared to land"を聞くや否や、機体を90度左旋回してランウェーの"21"目掛けて急降下。目の前にランウェーの"21"の数字がどんどん迫ってきて自然と足に力が入り踏ん張っていました。”21”の真上で機体を更に90度近く左にひねって機首をグッと上げ、ストンと接地。接地の振動は感じ無い程で、10mも滑走せずに止りました。まさにチョウチョが木の葉にとまるようで、その技術にビックリでした。
"BRAVO! ○○○(彼の名前),Good show!"とタワーが言って来ました。機体はサンタモニカ所属で、彼の声には特徴もあり、あんな着陸が出来るのは彼しかいないと皆で双眼鏡で見ていたそうです。

長々と失礼しました。邪魔だったら削除して下さい。

H.I. 2019/04/17(Wed) 17:07 No.59
Re:カーゴマスター作品集 3
1963年のWATANABEさん作品ですが、写真を撮る前から画面を構成していたのでしょうね。
C-133との出会いが少なかった小生には、発想できないアングルです。

K.akatsuka 2019/04/17(Wed) 17:12 No.60
Re:カーゴマスター作品集 3
>H・Iさん
貴重なお話、ありがとうございます。今後もよろしく願います。
よくある孫引き記事でも、深いところで知識の薄い小生にとって有難いものですが、やはり体験されたり直に聞いた話に感銘を受けます。
両親は満州からの引揚者なのですが、母親というのが記憶力に長けていて、満州での生活から帰国、終戦直後の日本の状況までを
事細かく物語風に何時間も語っていたことを思い出します。今、思えばテープにでも録音しておけば良かったと後悔してます。
K.akatsuka 2019/04/17(Wed) 18:13 No.61
Re: カーゴマスター作品集 3
>H.I.さん
実践された体験による書き込みありがとうございます
貴重なお話これからも聞かせて頂きたいです
>K.akatsukaさん
私の手持ちはMATS所属機まででした
1964年3月28日の砂川ターン
C−133B/59−0534
後姿も美しく感じていたのでしょう

K.MURAKOSHI 2019/04/17(Wed) 22:37 No.62
Re: カーゴマスター作品集 3
私のラストカーゴは1964年夏。
やはり平凡なショットしかなかったですね
1964年8月1日の砂川19エンド
MATSのC−133B/59−0532
同じトウモロコシ畑越しですが別の日です
晴れ渡った青空に銀色のカーゴマスターは似合うかも

K.MURAKOSHI 2019/04/17(Wed) 23:11 No.63
Re: カーゴマスター作品集 3
>MURAKOSHIさん、以前のBBSの時からご無沙汰をしております。残念ながらお会いした事は無い様です。いつもながらの溜息が出るようなショット、沢山見せてください。

WATANABEさんとMORIさんの標準レンズでの離陸ショットには脱帽です。こんな撮り方もあったのですね、凡人の頭では考えた事すらありませんでした。。WATANABEさんはいつも物静かでニコニコ顔。私の様な凡人はみんな同じところで団子になって写真を撮っていましたが、WATANABEさんはこまめに場所を変えて撮影をされていました。まめだな〜、と思っていましたが、その結果がこのような写真だったのですね。No.60にはビックリです。こんな切り取り方、想像もしたことがありません。

私の標準レンズの使用は、当然写真を始めたばかりの頃はこのレンズしかなかった。望遠でグッと迫るような迫力ある写真が撮りたいな〜とばかり考えていました。
ようやく200mmを買ってもらい、念願の迫力に大満足。以来、標準レンズは三軍記念日で地上展示機を撮る時の使用だけになってしまい、自分の中では格下げ感覚でした。
古いネガに標準レンズでの離陸も残っていますが、、それは標準レンズしかなかった時の単なる結果でした。

H.I. 2019/04/18(Thu) 16:44 No.64
Re:カーゴマスター作品集 3
>K.MARAKOSHIさん
立川でのカーゴマスターのタキシングは1度青梅線側で撮ったことがありましたが、距離が離れているせいか砂川側とは違い、
おとなしいものでした。
茹だるような暑さの中、T34のタービン音とともに受ける熱風。
そんな中で“カーゴ”の離陸シーンに遭遇したかったなあ。


>H・Iさん
大型飛行艇の離水時の様な、いいアングルですね。あらためてカーゴマスターの魅力を感じました。

↓は伊丹で1970年にM.Higuchiさんが撮影された離陸写真ですが、伊丹特有の条件の中でのショットではないでしょうか。
立川・横田で撮られたC−133の“背中”を見せた写真は手にしたことがありません。
たいへん珍しく、且つ貴重な写真だと思います。

K.akatsuka 2019/04/20(Sat) 09:46 No.65
Re: カーゴマスター作品集 3
カーゴも終わりに近づいているようなのであまりない横田バージョンです。
1枚目、2枚目とも国有地からの撮影です。
最初はA型のデルタ転がり
C-133A/56-2001/436MAW/1970-2-14

geta-o 2019/04/20(Sat) 14:53 No.66
Re: カーゴマスター作品集 3
2枚目はB型も36降りです。
C-133B/56-0536/60MAW/1971-3-7

geta-o 2019/04/20(Sat) 14:54 No.67
カーゴマスター作品集(2)

1964年・航空情報読者写真コンテスト入選

K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:51 No.30 [返信]
Re: カーゴマスター作品集
「C-133 離陸」

K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:53 No.31
Re: カーゴマスター作品集
選評では「このアングルをとらえたいと考える人は多いだろう」と書かれていますが、
これはEnomotoさんならではのショットで、多くの人は300oを持っていても下がりに下がり、
斜め前から連写で撮ったに違いありません。
“シャシン”センスの良かったEnomotoさんの傑作でしょう。
K.akatsuka 2019/04/06(Sat) 13:59 No.32
Re: カーゴマスター作品集(2)
この写真、覚えていますよ!何年何月の航空情報でしたっけ?当時は不思議に思わなかったですが、これはENOMOTOさんらしい写真ですね。空荷のせいか少し早めのエアーボーンのようですが、滑走路の着陸標識の見え方といい、背景の多摩動物公園か長沼の山辺りの丘陵との関係から言って、多分167〜8cmだったENOIMOTOさんの視点からは写らない写真です。キット写点は3m程度の高さはあるはずで、金網によじ登ったか、あるいは私の頃にはなくなったビールか何かの看板に登って撮ったんでしょうね。我々に飛行機だけを撮ってたんじゃ面白くないよと教えてくれた写真ですね。選者は現地を知らないから、選評はそこまでは掘れないでしょうが。
のらひこ 2019/04/06(Sat) 15:04 No.33
Re: カーゴマスター作品集(2)
MACH3さん、皆さん、こんばんは

C-133は飛んでるところは何度か見ましたが、写真を撮ったことはないのでコメントのみ投稿させていただきます。

>K.akatsukaさん
能村さんのお写真、懐かしいですね。東京上空へ機銃掃射に飛来したP-51を屋根の上でカメラを構えて撮られた稀有な方でしたが、厚木で飛行機を待ちながら聞かせていただいた数々のお話は今も私にとっては財産です。
なかでも印象に残っているお話の一つは、戦争末期、B-29が頻繁に夜間空襲に飛来しましたが、翌朝になるとあちこちに不発の焼夷弾が転がっていて、その不発弾の六角形の容器からゼリー状の油脂を抜くとこれが燃料不足の当時、いい燃料となって「あれ一本で一週間風呂が沸かせたんですよ。」と言われたことです。「初めに器用なのが一人信管を外して抜くと皆真似して抜いた」そうで、庶民はたくましいですね。
Able Dog 2019/04/06(Sat) 21:53 No.34
Re: カーゴマスター作品集(2)
MACH3さん、K.akatsukaさん、ご無沙汰しております。

CHECKER TAILの新装開店おめでとうございます。
長らくの間参加できる画像も無く、ただただ皆さんの傑作を眺めては”へぇ〜、そうだったんだ”と感心ばかりしていました。
新しく”私のアルバムから”というBBSを立ち上げられた由、古い時代の画像を楽しみにしています。
私の飛行機写真の活動は冬眠状態で、だんだん昔の記憶も薄れています。しかし、たまに1960年代の写真を見ると、これが何故だか妙に日時まで覚えており、当時の事が鮮明に蘇って来ます。これを機にモスボール状態の記憶を再び呼び起こしてみたいと思います。ネガを引っ張り出して、スキャンして、ゴミ消し作業をするのは脳にも手先にも良いのではと、僅かですが参加させて下さい。

フォトコンテストの森さんと榎本さんの写真を最初に見たときは「こんなスゴイ写真を撮れる人がいるんだ。」と感心したものです。その後ご両人には親切にいろいろと教えていただきました。
お二人のカメラの扱いが今でも妙に記憶に残っています。森さんは大変キレイ好きで、いつもカメラのボディーやレンズをブロアーで”シュッ、シュッ”。一方、榎本さんはずっとコニカ+300mm一本槍で、カメラには全く気を使うことなく、いつも埃だらけでした。フィルターに余りにゴミがついていると、時々ズボンで擦る程度でしたが、良くアレですごい写真が撮れるもんだと感心していました。何度かそれを指摘した事がありますが、”おめえよ〜、カメラは動きゃイインダよ”がいつもの返事でした。横田常連の榎本さんも、高橋さんも既に黄泉の国に渡られてしまいましたが、akatsukaさんがこうやって昔の傑作を紹介されて、榎本さんも本望だと思います。

横田の箱崎側の国有地には1967年までは中にはいれいました。大型機が石播側から出てくれば、金網を気にすることなく撮れました。C-141と比べてもC-133は大きかったですね。

H.I. 2019/04/07(Sun) 15:25 No.35
Re: カーゴマスター作品集2
>able dogさん
私も能村さんご自身が見てきた終戦前後の飛行機がらみのお話をお聞きしたことがありますが、お元気な頃にじっくり聞きたかったです。
特に1945年から1950年頃までの国民が食うや食わずの時代に、飛行機から目を離さなかった能村さんは凄い人だったと思います。

>H・Iさん
MoriさんとEnomotoさんのくだり、とても懐かしく思わず一緒に聞いていたのではないかと錯覚しました。
私とも現場でお会いしてるようですね。当分このスタイルを続けますので今後もよろしくお願いいたします。
K.akatsuka 2019/04/07(Sun) 15:35 No.36
Re: カーゴマスター作品集2
1970年1月8日、Hamanoさん撮影のC-133A。
正直このショットにはドギモも抜かれました。伊丹で400oだそうですが望遠レンズの使い方のお手本のような作品ですね。
自分自身C-133に余り遭遇しなかったので判断しかねるのですが、立川や横田で撮ったこのような写真を見たことがありません。ナンデカナ〜。

K.akatsuka 2019/04/07(Sun) 16:17 No.37
Re: カーゴマスター作品集(2)
皆さんがいい写真を出していますが今日も平凡なMATSのC-133Aの着陸。撮影日不明ですが1963年立川砂川川での撮影です。

geta-o 2019/04/07(Sun) 17:24 No.38
Re: カーゴマスター作品集(2)
いつ見てもこの榎本さんの正面離陸はすごい写真ですね
「作品」にはなりませんが、時系列順に、わたくしが中学3年生の時に出会ったC−133Bから出させてください
1962年12月24日の立川01エンドにて、C−133B/59−0523/MATS
偶然にも垂直尾翼にリフレクション!

K.MURAKOSHI 2019/04/08(Mon) 22:45 No.39
Re: カーゴマスター作品集2
MURAKOSHIさんの中高時代からのお友達、Tamuraさん撮影のC-133B。
Tamuraさんはスマートなオシャレな方でしたね。写真のセンスも私たちとは少々違う目線で被写体を捉えていたようです。

1963年3月30日の立川・砂川側のエンドですが、OL風のふたりは散歩がてら飛行機を見にきていたのでしょう。マニアではないようです。
周回道路の信号機も当時の立川を偲ばせます。停止中のアメ車を見るのも少年マニアの楽しみのひとつでした。

K.akatsuka 2019/04/09(Tue) 16:45 No.40
Re: カーゴマスター作品集2
1960年。砂川にて。撮影:田中常雄さん。
光線と空の澄み様からすると8月ないしは9月初めのころに撮られたのではないでしょうか。
立川基地の砂川側で撮影された写真の中でも、穏やかさと美しさを併せ持つ作品は滅多にお目にかかりません。
大きく伸ばし、額縁に入れたい作品ですね。

K.akatsuka 2019/04/09(Tue) 18:52 No.41
Re: カーゴマスター作品集(2)
「私のアルバムから(下)」の再掲ですが
1963年7月30日の砂川エンドにて
MATS 1501ATWのC−133B/59−0526
トウモロコシが伸び、奥の桑の木が主輪タイヤを隠しているほど低い!
フル積載であろうこの重い機体を立川に降ろすのはスゴイ

K.MURAKOSHI 2019/04/10(Wed) 02:05 No.42
Re: カーゴマスター作品集(2)
おはようございます。

先輩方の写真を見ていると、飛行機が各々の情景に溶け込んでいます。スバラシイの一言です。飛行機写真と言うより、飛行機が映っているアート作品ですね。akatsukaさんがおっしゃる様に額に入れていつまで見ていても飽きない作品だと思います。当時は飛行場で先輩方の写真を見る機会は殆ど無かったのが残念です。あの頃見せていただいていたら、少しはマシなものが撮れていたのでは・・。

石播近くで午前の離陸を撮りましたが、エノさんの写真の様な迫力には及びませんでした。

H.I. 2019/04/10(Wed) 10:47 No.43
Re: カーゴマスター作品集2
>I・Hさん
左下に写っているF-102から想定しますと撮影は1969年前後でしょうか。横田の歴史を表す名ショットだと思います。
横森先生は航空情報誌上でよく地上の光景を入れ込んでの撮影を推奨してました。それはいずれ史料として後世に残るからなんですね。

>K.MURAKOSHIさん
AGC「私のアルバムから(下)」刊行の際、この写真を見せていただいたときの驚きは“スゴイ”どころか「驚愕」の一言。
使用レンズはおそらく135oだと思いますが、標準レンズで撮っていればT.Moriさんの『発進』の逆バージョンとなったでしょうね。
当時の航空情報写真コンテストに応募していれば、入賞間違いないと思います。
K.akatsuka 2019/04/10(Wed) 18:37 No.44
Re: カーゴマスター作品集(2)
>H.Iさん初めまして? 現場でお目にかかっていましたでしょうか
横田の午前は地元ならではの特権ですね

砂川エンドをターンするC−133Bも一枚
その長さでエンドターンをこなす場面も迫力がありました
1963年3月30日、1501ATWのC−133B/59−0535
銀ピカの機体には塗装が乗りにくいのか剥がれがありますね
酷使されたのでしょう

K.MURAKOSHI 2019/04/10(Wed) 21:00 No.45
Re: カーゴマスター作品集2
T.Tamuraさんが1963年3月に撮影された立川の青梅線側から進入するショットですが、下の芝がきれいに刈り取られていて
当時の01エンドの光景がよく表れています。
1960年頃の当地の写真記録では、まだ荒れ果てた畑のようでしたので、いつ頃変わったか知りたいところですね。

K.akatsuka 2019/04/11(Thu) 18:49 No.46
Re: カーゴマスター作品集2
↑のT.Tamuraさんと↓の能村実さんの撮り位置はほぼ同じですね。
Tamuraさんのカメラは、フジカ35で標準レンズが45oだったと記憶しています。
一方能村さんはブローニー判の2眼レフですから、標準は75o。同じ標準レンズですが、当時のライカ判の一般カメラは
ワイド気味のレンズが装着されていたことが写真から見てとれます。
K.akatsuka 2019/04/12(Fri) 13:45 No.47
Re: カーゴマスター作品集(2)
平凡なショットですがかろうじて地上のアドバルーン(昔懐かし)が写っていますので、カーゴマスターのツッコミ方が解ります
1963年12月17日の立川01エンド
MATSのC−133B/59−0526

K.MURAKOSHI 2019/04/13(Sat) 21:05 No.49
Re: カーゴマスター作品集(2)
同じ日の送りコマも連貼りで申し訳ありません
1963年12月17日立川01エンド桑の木の隙間にポジション取りして135mmで追っていたのです
C−133B/59−0526

K.MURAKOSHI 2019/04/13(Sat) 21:08 No.51
Re: カーゴマスター作品集2
>K.MURAKOSHIさん
2ショット時には機首をいくらか上げたように見えますがどうでしょう。
1900メートルしかない滑走路ですから、降りるにしろ、上がるにしろパイロットには“ヒヤヒヤモン”の飛行場だったでしょうね。

続いてカーゴマスター作品集(3)に入ります。皆さま方のご投稿お待ちしてます。
なお、(3)が最終章となり、次はC-124グローブマスターを予定しています。
K.akatsuka 2019/04/13(Sat) 21:32 No.54
カーゴマスター作品集

1959年航空情報100号記念読者写真コンテスト佳作作品

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:26 No.9 [返信]
Re: カーゴマスター作品集
1959年6月号「航空情報100号刊行記念・読者写真コンテスト」で入賞した能村実さんの作品。
立川基地・青梅線側から着陸するC−133Aカーゴマスター初来日時のショットです。C−133は当時世界最大の輸送機で、飛来日が予め新聞でアナウンスされ、その日が土曜の午後だったこともあって巨人機をひと目見ようとエンド周辺は数百人の見物人で膨れ上がりました。
その当時これだけ人が集まったのは砂川闘争以来だったのではないでしょうか。

カメラは“日本のローライ・フレックス”とよばれた二眼レフのミノルタ・オートコード。
能村さんの凄さは二眼レフでありながらC−133の着陸を2ショット撮っておられること。これはローライ・フレックス同様、フィルム巻き上げがクランク式で、シャッターがセルフコッキング(シャッターを手動でセットしなくてよい)であったのが功を奏したのでしょう。
ミノルタ・オートコードとはマミヤ・Cと並ぶ高級二眼レフで、レンズもプロからの評価が高かったロッコール。
当時のアマチュア写真家の間では憧れの機材でした。
価格は発売時3万円ほどで、同機が発売された1955年の大卒初任給(公務員)が8,700円ですから、月給の約3.5倍。如何にミノルタ・オートコードが高級品であったかわかります。

能村さんは、その年の「読者・写真コンテスト」のカラーの部でも入賞し、作品は表紙にも採用されています。選者の横森さんも書かれていますが、6×6判(ブローニー)では多少トリミングしてもビクともしないのが35oとの違い。
世の中の景気が良くなる頃になると35o一眼レフのほかに、マミヤ・C、マミヤ・プレス、ゼンザ・ブロニカ、ハッセルブラッド、ペンタックス・67など、中判フィルムのカメラをセカンドカメラとして一部のマニアも使いはじめました。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:28 No.10
Re: カーゴマスター作品集
2枚目のショットを拝見しますと正に「黒山の人だかり」。
黒の服装はほとんど学生服(小・中・高・大)でしょう。
法事や旅行、普段着、学生はどこへ行くにも学生服でした。大学生はちょっとおしゃれして上からコートを羽織っており、社会人は背広にネクタイ。
制服というものは見方によっては便利で良いものですね。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 15:49 No.11
Re: カーゴマスター作品集
航空情報100号記念写真コンテスト“カラーの部”入選作。能村さん撮影。

K.akatsuka 2019/04/02(Tue) 16:03 No.12
Re: カーゴマスター作品集
皆さん、今日は、

C-133と言うことでいろいろ探してみましたが、なかなか良い写真はありませんでした。1966年砂川側でRWY一杯にタキシングバックしてきた436MAWのC-133Aです。

toksans 2019/04/03(Wed) 17:26 No.13
Re: カーゴマスター作品集
>toksansさん
立川の砂川側で撮ってましたか。じつは立川・横田へ繰り出していたころ(MATSの時代)C−133には一度もめぐり逢うことが出来ませんでした。唯一がMACの時代になってから厚木の“ニッピ横”の木から撮ったのみで、私にとって縁薄い輸送機だったなあ。
C−133は何年頃まで日本で撮れたのでしょうか。新しいのか古いのか?スタイルがユニークで、きちんと写真に収めたかった空軍機です。
K.akatsuka 2019/04/03(Wed) 19:00 No.14
Re: カーゴマスター作品集
皆さん、今日は。
天気は良いのですが、浄水器の交換と最近弱ってきたビワの樹の剪定といろいろ作業があって飛行場にもいかれません。このまま再び休眠期に入ってしまうのかと最近ダブルタンゴ氏と懸念しあっています。
“私のアルバム”に載せるほど特徴のある写真ではありませんが、73年10月28日にロングビーチ空港で撮影した元56-2000のC-133A。このFoundation for Airborne Relief(FAR)と言う会社は、テストパイロットで有名だったRussell O’Quinnに米国務省が、当時内戦状態にあったナイジェリアのビアフラに食料を輸送するように依頼し、米空軍からC-97を借用して設立した会社。
その後このC-133を使って空飛ぶ病院を提供すると言う崇高な目的を持っていましたが、計画は挫折してしまいます。
ところがこの会社には裏があって、“In the Spirit of Crazy Horse“と言う本によるとこの会社はCIAの活動団体であったそうです。アメリカンインディアン運動(AIM)を扱ったこの本に一見関係のないFARが出てくるのは、FBIに内通していたアメリカ先住民のDouglas Durhamが、1974年台風被害を受けていたホンジョラスに対する災害援助にAIMを絡ませようとしたからです。ホンジョラスには多くの原住民がいましたが、そこにアメリカ先住民団体だったAIMが援助するという話でした(表向きは)。計画はFARの機体から援助物資を投下する予定でしたが、AIMはFARがCIAの組織である疑念を持ち、この計画はとん挫します。
DurhamがなぜAIMを絡ませようとしたかはこの本でも解明されていません。当時CIAは南米の独裁政権を支援していたので、そこにCIAに絡んだFARを使ってAIMが援助をすることで南米原住民からの信頼を失わせることを狙ったのかもしれません。何故ならDurhamはAIMの主導者Anna Mae Aquashに反目してAIMに対敵するFBIに寝返っていたからと思われます(私の推測)。

徳永進 2019/04/04(Thu) 13:40 No.15
Re: カーゴマスター作品集
皆さん こんにちは
新しいBBS、始まりましたね 出来るだけ参加できるよう頑張ります ?
初っ端から難しいお題ですね 65年の高1から始まった私の立川通い、一駅手前の高校に行くよりも立川に通学した日数の方が多かったような?
しかしカーゴマスターに遭遇した回数はあまりありませんでした
飛んでいるのは上がりが2回、降りが1回のたったの3回、あとは整備等で駐機している姿を3,4回撮っただけでした
最初は66年10月、Rwy01に夕方着陸する60MAWのC-133B 59-0532です
午後でしたが多分曇っていたので駅から近い東側から撮っていました


追記
下のクレジット45584の上に小っちゃく写っているのはゴミではなく横田Rwy36に降りるヒコーキです(笑)

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:53 No.16
Re: カーゴマスター作品集
その送りカット 当時は学生鞄に標準付(確か55mm/f1.8 ?)ペンタックスS3を常に左隅に入れていました

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:54 No.17
Re: カーゴマスター作品集
3枚目は着陸後西側を回って駐機位置に誘導されてきたところをタクマー200mm/f4で正面から

次回は偶然にも↑でToksans氏が載せた機体、56-2000の上り姿を ^^;;

ダブルタンゴ 2019/04/04(Thu) 14:56 No.18
Re: カーゴマスター作品集
>toksansさん
Foundation for Airborne ReliefのC-133はじめて見ました。ありがとうございます。左に機首だけ写っているのが同社のC-97でしょうか。
我々世代のAir Americaしかり、アメリカ国っていうのは“隠れ蓑”会社をつくるのがお得意ですね。それは今も昔も変わりないようです。

>ダブル・タンゴさん
一時“立川の鬼”と言わしめたダブル・タンゴさんが、離着陸写真をモノにしたのが3回とは意外です。
カーゴマスターは外来でしたので当時でも遭遇出来たマニアは、ラッキーだったということですね。私が撮れなかったのが頷けます。

200oの正面からのショット、いいですねえ。イイ写真というのはシリアル・ナンバーが見えない方が多く感じるのは私だけでしょうか。
(ナンバーマニアさんからお叱りを受けそうですが)
K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:29 No.19
Re: カーゴマスター作品集
能村さんが“レシプロ輸送機黄金時代”に撮影されたフェンスの無い時代の立川01(青梅線側)風景。
原版は6×6判でしたので上下をカットしました。立川市の史料画像としても大変貴重なものでしょう。1959年頃の撮影と思います。

K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:48 No.20
Re: カーゴマスター作品集
6×6判の強みで拡大してみました。MATSの時代のディグロウ塗装が目を引きます。
プラット&ホイットニー・T34の『ビ〜ン』という特有のエンジン音を思い出します。

K.akatsuka 2019/04/04(Thu) 18:54 No.21
Re: カーゴマスター作品集
リニューアルオープンですね。最近古いマニアが亡くなることがあり古い写真をどう整理しておくことがいいか迷っています。
今回はC-133 カーゴマスターから始まりましたので少し古い写真を整理しました。
最初はMATS時代の銀ピカ。衝突防止のデグローをはがした時です。
C-133A/57-1615/1501ATW/1964.02.29/立川

geta-o 2019/04/04(Thu) 20:29 No.22
Re: カーゴマスター作品集
次もA型ですが立川で時々見ることができた2機並びです。
C-133A/54-0141/436MAW/1967.11.12/立川

geta-o 2019/04/04(Thu) 20:30 No.23
Re: カーゴマスター作品集
私が目撃できたのは厚木のEC−121が撃墜された数日後の立川でした。
撃墜という非常時なら何かしらの動きがあるのではないか?と想像し、行ったときのものです。
1969年4月15日(撃墜日)以降の4月中に撮影

まさやん 2019/04/05(Fri) 11:51 No.24
Re: カーゴマスター作品集
こちらはいつものM氏が撮影したC−133。
横田ドライブインからの撮影だそうですが、初めて見せてもらった時はまるで空撮みたいだ!と思った記憶があります。

撮影日がハッキリしていませんが、F−4D(ノーレター)が36側から降りて途中(ブラボー?)から曲がったコマと、F−4C(GG)が16号線沿いに牽引されているのが写っています。
1970年1月31日の記述がありましたが、定かではありません。

まさやん 2019/04/05(Fri) 11:53 No.25
Re: カーゴマスター作品集
>geta-oさん
シルバーフィニッシュに大きく書かれたU.S.AIRFORCEの文字。アメリカ空軍機はコレでなければいけません!。
と、思っている人は還暦過ぎのマニアだけでしょうか。
本を何冊か出版して分かったのですが、まだまだ60年代〜70年代の飛行機写真マニアは日本中に大勢おられますので、
geta-oさんのコレクションをぜひご紹介ください。皆さん喜ばれると思います。

>まさやんさん
“いつものM氏”のC−133の離陸写真はイヤハヤ素晴らしいですね。当時に航空情報の写真コンテストのカラーの部がありましたら
『入選作』となるに違いありません。
それは、選考者の横森さんが選んできた作品を通してみますと、如何にも好みそうなショットと思えるからです。
K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 17:15 No.26
Re: カーゴマスター作品集
始まりのC−133を撮影されました故・能村実さんのスナップ画像を紹介いたします。
能村さんは飛行機写真マニアのパイオニアとして航空ファン2012年8月号「ヒコーキマニア的人間航空史」の
第1回目として紹介されています。
戦時中米軍の機銃掃射を受けながら、ムスタングの写真を撮っていたという筋金入りのヒコーキ好き。
戦後も飛行機写真を撮り続け、貴重な航空史料を私たちへ遺してくださいました。

K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 17:55 No.27
Re: カーゴマスター作品集
↑左は1962年11月18日、ジョンソン(入間)の公開日時でのスナップですが、
私も行ってたので能村さんと並んで写真を撮っていたかも知れません。
後ろは岩国に着いたばかりのVMA-224のA4D-2N(A-4C)。塗装の美しさが際立っており、
ラダーに塗られたライトグリーンの眩しさは未だ脳裏に残っています。
能村さんの6×6判の原版を拝見しましが、ピントも現像も素晴らしく、自分のネガを捨てたくなるほどでした。
囲みの画像はお持ちになってるミノルタ・オートコードL。

右は1960年5月21日、ジョンソンの三軍記念日でのスナップ。
バックのF-8は、VF-91のF8U-2(F-8C)で初来日初公開でした。
カメラはライカVFに見えますが、VFは戦後ライカの名機で、一眼レフが使われるまで
世界中のプロカメラマンが使っていた超高級機です。
K.akatsuka 2019/04/05(Fri) 19:25 No.28
Re: カーゴマスター作品集
カーゴマスターは1960年代後半から70年初めころまで、厚木でもよく見られました。
1969年5月2日に飛来した時の1コマです。

MACH3 2019/04/06(Sat) 09:22 No.29
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