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私のアルバムから〜B V

航空情報 1964年3月号 「私のアルバムから」より

赤塚 2020/01/05(Sun) 21:20 No.753 [返信]
Re: 私のアルバムから〜B V
実際の写真です。

赤塚 2020/01/05(Sun) 21:22 No.754
Re:私のアルバムからB V
KB−50Jを初めて見たのは1962年8月14日で、以後3回しか撮っていないことが分かりました。ビネガーシンドロームにより写真は再生できないものの、記憶においてもしっかりとした写真は撮ってなかったように思います。
KB−50Jが横田から姿を消したのが1964年頃ですので、撮ろうと思えば撮れないことはなかったのですが、その頃から「厚木通い」が始まり横田へ余り行かなくなったからでしょうね。
今じっくりKB−50Jの写真をみると、じつに味わい深くJ47を装備しているせいか、B−50やWD−50にない魅力があり、もう少し横田へ行っておけば良かったと後悔してます。
4発レシプロに補助ジェットエンジン付き。マニアの懐古趣味にはピッタリの機体ではありませんか。
赤塚 2020/01/07(Tue) 15:29 No.755
Re私のアルバムから〜B V
上のWATANABEさんの作品は3月に撮られたもので、いかにも春の雪らしく日差しから陽春の暖かさが感じられます。
下はMoriさんが1961年2月に36エンドの樫の木から標準レンズで撮影したKB−50の着陸ですが、WATANABEさんの写真とは対照的に、こちらは真冬の肌寒さが画面から出ています。双方ともモノクロ写真ならではのもので、カラーですと訴える力が弱くなるように思いますが、いかがなものでしょう。

赤塚 2020/01/07(Tue) 16:20 No.756
Re: 私のアルバムから〜B V
イヤハヤ、ぺったんこの機体ですね。幅43mとのことですので、滑走路幅が60mとして、端から7mのところ、つまり樫の木の枝先から7mのところの上空多分3m位のところを翼端が通過していたんですよ。5mぐらいは左右にぶれるでしょうからほぼ真上ということもあったかも。厚木のスカイレイが佃煮ならこれは横田の沢庵と思っていましたが、大変失礼なことをしたものです。
のらひこ 2020/01/08(Wed) 09:04 No.757
私のアルバムから〜B V
渡辺さんや森さんの写真を見ると、のらひこさんが言われるように胴体に比べて長大な主翼を持ったKB-50ですが、私の印象はその巨大な垂直尾翼でした。
1964年の三軍記念日で空中給油演技飛行をするKB-50です。

徳永 2020/01/08(Wed) 10:14 No.758
Re私のアルバムから〜B V
>徳永さん
私も「何であんなに大きな垂直尾翼が必要なんだろう」と少年時代から思っていましたが、そのことを説明できる友人は周りにおりません。どなたかお分かりでしたらご教授願います。またB−32も異常なくらい大きいですよね。

↓はIchijohさんが63年11月23日に撮影された横田“36”でのKB−50J。
道路は舗装されてなかったので1日36に居ると、髪に櫛が通らないほど埃だらけになりました。雨が降れば当然ぬかるみとなるわけですから、撮影時は足元に注意したものです。そんな思い出を蘇らせてくれたのがこの写真。シャシン心のあるIchijohさんの見事なショットに脱帽。

赤塚 2020/01/08(Wed) 14:24 No.759
Re私のアルバムから〜B V
>のらひこさん
ご説明の36での着陸高度について分かりやすいのがKumakiさんが撮られたこの写真。
45mmレンズでも、ここまで下がらなければ全体像を撮れなかったわけです。1962.2.1 撮影:Kumakiさん

それにしても音を頼りに木立からヌッと出てくるKB−50を尾部まで入れて真横で撮るには相当な集中力がないと難しい。
「先輩マニアはやはりスゴかったなあ」とつくづく思うのであります。

赤塚 2020/01/08(Wed) 14:41 No.760
Re: 私のアルバムから〜B V
no758良いですね〜〜。時代感がでていますね。100と101の大きさの違いがよく判ります。垂直尾翼のデカさ!何でですかね。B−29より何割か大きいんですよね。高空での遠く離れたJ47の片肺の際の直進性を確保するためかもしれません。B-32は背が高いだけで、面積はそれほどでもないと思いますが、兎に角、高空での原爆投下後、片肺時のためにB-29以上の面積が求められたんじゃないかと思います。no759,760の写真はビックリです。この当時でも3000mはあったはず。こんなに低く降りる必要があるのは、よっぽど油を残して降りてきたのかも?
のらひこ 2020/01/08(Wed) 20:33 No.761
Re私のアルバムから〜B V
徳永さんのKB−50の空中給油給油演技飛行を見て、私もこの日は横田へ行ってたはずだが記憶にないなあ、と、考えていたら、午前に横田を切り上げMoriさん、のらひこさんらとビクトリアスのバッカニアやシービクセンを撮りに横須賀へ行ったことを思い出しました。

KB−50の横田での公開飛行は1958年5月17日の三軍記念日が初めて。
↓はNomuraさんが撮られた当日の写真ですが、B−66というのが古きよき50年代を感じさせてくれます。F−100は板付に配備されたばかりで、こちらは最新鋭機。マニアは少なかったと思いますが、居あわせた人はさぞかし興奮したでしょうね。

第一エンジンが停止してますが、これは演技ではないでしょう。
R4300がよほど複雑だったのか、フェザリングでの写真はたいへん多いですね。

赤塚 2020/01/09(Thu) 16:16 No.762
Re私のアルバムから〜B V
横田三軍記念日でのKB−50+空中給油の飛行展示を調べてみました。

●1958年  初公開
●1959年  雨天ですべての飛行演技は中止
●1960年  嘉手納からF−100、RF101、那覇からF−102の訓練飛行が目前展開。伝説の三軍記念日として知られてますが、
         KB−50の飛行はあったのかどうか?写真は見たことないです
●1961年  私はカメラを持たず(持てず)に横田へ行ってますが、KB−50が飛んでいた記憶がなく、写真も見たことないのでこの年も不明。
●1962年  シルバーメタルにベースペイント最後の年。ひと目でいいから見たかったですね。↓5月20日 撮影:Gabariさん
●1963年  手元に写真がないので航空情報誌より転載
●1964年  758の徳永さんの写真が最後となりました。

赤塚 2020/01/09(Thu) 17:09 No.763
Re私のアルバムから〜B V
1963年の展示飛行。(航空情報1963年7月号より)
RF−101の都合がつかなかったのか、1機ですと少々さみしいですね。(どこから撮ったのか?いいショット)
私はこの日どうしても抜けられない用があり横田へ行けませんでした。F−89スコーピオンが公開されるのは分かっていたので本当に残念だった。

赤塚 2020/01/09(Thu) 17:27 No.764
私のアルバムから〜B V
皆さんお早うございます。

スコーピオンが展示された1963年の横田の三軍記念日には私も行っていますが、KB-50の飛行演技の写真はなぜか残っていません。飛行高度が高くて短いレンズではどうしようもなくて眺めていただけだったのでしょうか?

徳永 2020/01/10(Fri) 09:52 No.765
Re私のアルバムから〜B V
↓この写真を1964年5月号の航空情報で見たときは驚きました。何とインパクトのある写真なんだろう、と。
撮影者は慌てて何とかカメラに納めたのが画面が傾斜していることから分かりますね。
航空情報には1964年3月7日撮影と記されていました。

赤塚 2020/01/10(Fri) 11:50 No.766
Re私のアルバムから〜B V
↓こちらはNarisawaさんが同じく1964年の4月7日に撮ったもの。上の記事の僅かひと月後です。
KB−50も運用末期ですから整備士も少なくなったり、機体の古さも相まって、こうした小さな事故が多発していたのでしょうね。
今のCH−53は大丈夫かいな?と、つい考えてしまいます。

赤塚 2020/01/10(Fri) 12:03 No.767
Re: 私のアルバムから〜B V
私も63.5.19の横田の三軍に行きましたので、ネガを見てみたら、スコーピオンがワンスリーブ中20枚、空中展示を撮ってません!なんで
ですかね。
B−50の整備士は一機当たり何人いたんでしょう。エンジン1基につき3人として、その他艤装を考えたら、1機当たり20人?でもそのぐらい居ないと中2日のミッションなんかできませんよね。もっと少ない人員でこなせたんでしょうかね。でも横田に10機以上いた時がありましたから、整備士だけで200人以上!!福生のおねーさん達はアメ車ぐらい買えたのかしら。
徳永さん、横田へのB−50の配備は最高何機ぐらいだったんですかね?
のらひこ 2020/01/11(Sat) 10:03 No.768
Re: 私のアルバムから〜B V
連張り失礼します。1961.9.5の横田の全体図です。一体何機のB-50がいるんでしょう?また色んな機体が沢山いますね。私も数えてはいませんが、正解者にはブログ管理者から「私のアルバムゆかた」が賞品としてでるかもしれません。

のらひこ 2020/01/11(Sat) 10:40 No.769
私のアルバムから〜B V
>のらひこさん、
貴重な俯瞰写真ですね。横田のKB-50飛行隊は、"Flying Rainbow Squadron"と呼ばれていた421ARSで、約20機のKB-50が所属していたようです。写真はまだベトナム戦争が本格化する前で、嘉手納やタクリ、あるいは南ベトナムのタンソンニュットに分遣隊を送る前でほぼ全数がそろっていたと思います。
421ARSはPACAFの空中給油機として活躍していましたが、1964年8月13日に南ベトナムで墜落事故を起こし、これがきっかけとなって急速にKC-135に置き換えられたと言われています。

話は変わってかつB-50ではありませんが、アラスカ州アイエルソン空軍基地の”沼の貴婦人”と呼ばれているWB-29A 44-62214です。この機体は第二次世界大戦終了後にボーイング、レントン工場で製造されたもので、1948年7月にRB-29Aとなり3年後にはWB-29Aとなってアイエルソンの58SRWSに配属されます。その後1954年9月16日までアル‐シャンや北極圏の戦略偵察を行った後に1954年退役します。その機体を基地内の池に運んで洋上不時着陸脱出の訓練機としましたが、冬の雪解け水で機体が水没、わずか半年で放棄されることになってしまいました。
Google Mapで”The lady of the Lake”と検索すればその場所が表示されます。

徳永 2020/01/11(Sat) 16:26 No.770
Re: 私のアルバムから〜B V
>1963年の三軍は私も行きましたが、スコーピオンは撮っていても空中給油のKB−50Jは撮っていませんでした
なぜでしょうね?
フライングレインボウの機首ストライプはきれいでしたね
モノクロしかありませんが
1962年7月26日の箱根ヶ崎
ありふれた写真ですがKB−50J着陸ショット

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:04 No.771
Re: 私のアルバムから〜B V
1964年5月19日の三軍なら空中給油ショットありました
135mmトリミング

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:07 No.772
Re: 私のアルバムから〜B V
同じく、送りショットも

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:08 No.773
Re: 私のアルバムから〜B V
>760の西砂川着陸写真は低いですね
1963年5月19日機首アップで撮った
西砂川着陸のKB−50Jです
1年前のNo.771と同じ「357−17」ですが
レインボウストライプは消えていました

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:12 No.774
Re私のアルバムから〜B V
1963年の横田三軍記念日にてKB−50のフライトにつきまして、K.TAKADAさんより、写真と証言が届きました。
TAKADAさんによりますと当日KB−50は4回航過したそうです。三軍記念日での航空ショーは12時前後ぐらいの時間帯に行われることが多かったので、のらひこさん、村越さんはスコーピオンだけを撮りに、午後から行ったのかも知れませんね。
↓TAKADAさん撮影

赤塚 2020/01/12(Sun) 10:41 No.775
Re私のアルバムから〜B V
↑時代の空気感を思い起こさせるには、やはりこうした地上の光景が写し込んでいるほうが効果的ですね。

↓は同日の単機フライト。R4360とJ47をフルスロットルでローパス。戦闘機系にない迫力があります。このあとRW18エンドのあたりでひねって急上昇でもしたのでしょうか。

赤塚 2020/01/12(Sun) 10:59 No.776
Re私のアルバムから〜B V
>のらひこさん
769の正解者に「飛行機ゆかた」を贈呈する件ですが、残念ながらご用意できません(笑)
おっしゃっているのは、↓このことですね。1965年8月に酣燈社から発売され41機種のシルエットを染めたマニア垂涎の浴衣。
55年前の物価と、現在の物価を単純比較すると約10倍ですから、仕立て料込み1万5千円ぐらい。ちょっとお高い。
まあ、持っていたとしても、これ着て外出するには勇気がいるようです。アロハにすれば今でも結構売れるのではないでしょうか。私は買います。

赤塚 2020/01/12(Sun) 17:13 No.777
Re: 私のアルバムから〜B V
63年横田三軍で参加です
真っ黒で何も写っていないと思っていたネガを見返したところ、ありました!
小っちゃくKB-50が(笑) この他にも少し見上げる角度でもっとちっちゃなKB-50が写っていたのでTAKADAさんが仰るように何度か航過していたみたいですね
オソマツ!
PS. 私のネガにはスコーピオンが一枚も写っていませんでした!?

ダブルタンゴ 2020/01/12(Sun) 18:59 No.778
Re: 私のアルバムから〜B V
no778!そうでしょうね。これだけ空が写ってれば、真っ黒ネガと思ってしまいますよね。よくぞ証拠写真をつきとめましたね。立ち位置からするとエプロンの一番南にいたわけですね。ハンガー15より南の広いところで撮った感じです。45mmですか。
それにしてもスコーピオンを撮らずに帰ったんですか?もしかしたらスコーピオンの周りには怖いオタクおじさんが沢山居たんで近づけなかったのかも知れませんね。
のらひこ 2020/01/12(Sun) 20:04 No.779
Re私のアルバムから〜B V
>ダブルタンゴさん
私も初めて行った横田のネガのヒトコマ目に同じようなカットがあります。少年時代、ヒコーキが写っていれば満足してた頃を思い出しました。

↓は63年横田三軍にてTAKADAさんの別の航過カット。45mmで撮ったにしても高すぎます。観客に見せようという意図とは別に通過したような気がしますが如何でしょう。

赤塚 2020/01/13(Mon) 10:39 No.780
BBSU

4月から始まりましたBBSU「私のアルバムから」も明日から新年を迎えます。
皆さまのご投稿もあって見応えのあるサイトになりましたが、引き続き2020年もよろしくお願いいたします。

BBSU開始時に当サイトのテーマについて記しましたが、あらためて申し上げます。
タイトルの「私のアルバムから」にありますように、本BBSは1950年代から60年代にかけて航空情報誌上において発表された
読者の写真をベースに構成されております。

私たち世代のマニアが少年期から青年期にかかる頃、父親や親戚などからカメラ(主に45mm)を借りてランウェイ・エンドで写真を
撮れるようになったとき、すでに先輩方は一眼レフと望遠レンズ(主に135mm)で撮った素晴らしい写真が、航空情報誌上に毎月のように載っていました。
当時、航空情報は日本の航空誌として権威ある専門誌で、飛行機写真を撮り始めた者にとっては航空情報に自分の写真が掲載されることを目標の
一つにしてましたが、如何せん知識と技術が未熟であり先達に学ぶことが多かったのです。
言わば、このコーナーはTSPCの先輩方をはじめ、すでに飛行場で活躍されていた先達の方々の写真と、私たちの「想い出写真」を
鑑賞しながら往時を語ろうというのがテーマです。

その頃に写された飛行機は“超”が付くほど珍しかったり、航空史的に重要である機体も多々ありますが、ここでは機体の詳しい背景などは
専門書やウェブでご覧いただくとして、アップされた写真を見ながら“時代の空気感”のようなものを思い出し“あの頃”を懐かしんでいただければ幸いです。

B−47は本日で終了し、次回は1月6日からB−50系の写真とともに語り合いたいと思います。皆さま方のコメントをお待ちしています。

赤塚 2019/12/31(Tue) 08:31 No.752 [返信]
私のアルバムから〜BW

航空情報 1959年12月号

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:02 No.721 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BW
私がRB−47Hの存在を知ったのが、TODAさんが撮影され航空情報の1959年12月号に掲載された写真からです。
↓はその原版の写真ですが、おそらくペンタックスS2とコムラー135mmで撮られたものと思われます。50年代で望遠レンズを使い基地のエンドで撮影していた人はごく一部であり、当時のマニアさんたちは羨望の眼差しをもってTODAさんに接していたことでしょう。

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:14 No.722
Re:私のアルバムから〜BW
↑のTODAさんの写真は、おそらく1959年の夏頃に撮られたものと思われますが、下のMoriさんが1962年4月に撮影されたRB−47Hにはアンテナや突起物が増設されてます。
ここでは詳しくは説明しませんが、B-47研究家にとりましては、たいへん有りがたい写真でしょうね。

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:26 No.723
Re:私のアルバムから〜BW
「RB」だから“眼”のノーズアートは納得しますが、よくよく見ますと不思議な描き方ですね。
眼が超リアルでありながら、口は簡略化されています。このシュールな表現は意図したものなのか、あとから口の部分を描き込んだのか?
1962.1.4 撮影:Moriさん

赤塚 2019/12/22(Sun) 12:07 No.724
Re: 私のアルバムから〜BW
no724のノーズアート?は多分横田のメンテナンスの日本の漫画好きの下士官辺りが書いたんじゃなかろうか?でもまだ巨人の星は出てないし、なんの漫画からとったんだろうか。絶対アメリカンコミックでは無い筈。でももしかしたら、インドネシア辺りのお祭りの仮面ある目の書き方にも思えますね。
のらひこ 2019/12/22(Sun) 15:27 No.725
Re:私のアルバムから〜BW
>のらひこさん
たしかにノーズアートの眼はインドネシア風に見えなくもないですね。
想像ですが、この写真が撮影された当時“白っパナ”のRB−47Hは出現したばかりで、それを見て絵心のある兵隊が描いたのでしょうね。これが黒いレドームですと何かおかしい。
先輩T.Maさんの話によりますと、RB−47Hのノーズアートにはフランケン・シュタインと、わんぱくデニスがあったらしいです。“歌は世につれ”ではないですけど、描かれたものを見てみたいですね。懐かしすぎて・・・。http://timvp.com/tv/dennisthemenace/

↓は1962年4月24日,WATANABEさん撮影のRB−47Hですが、珍しく部隊章のようなものが描かれています。ご存知の方おられましたらご教授ください。

赤塚 2019/12/23(Mon) 09:43 No.726
Re: 私のアルバムから〜BW
皆さん こんにちは

モノクロ世界にNarisawa氏カラー画像はAkatsuka氏仰るように、急に現実に引き戻されたような何か変な感じを覚えます

1967年4月6日木曜日、まだ春休みだったのか、それとも高3一学期が始まっていたのか? ネガを見ると午後からの撮影なので始業式後に行ったのかも?
Rwy18離陸後すぐに戻ってきたようで、離陸の黒煙もくもくも撮っていなかったのでFCFだったのかな
この日のネガには空自のマルヨンも写っていました あの頃は時々飛来していましたね

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:45 No.727
Re: 私のアルバムから〜BW
その2

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:47 No.728
Re: 私のアルバムから〜BW
その3

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:48 No.729
Re: 私のアルバムから〜BW
着陸その1

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:49 No.730
Re: 私のアルバムから〜BW
着陸その2 おしまい

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:51 No.731
Re: 私のアルバムから〜BW
ダブルタンゴさん、no729の爆撃手は何してるんですかね。離陸時にそんなに仕事あるのかなー。昨日飲み過ぎて紙袋に出してるんじゃないかと思ってしまいますね。帰投の時はちゃんと頭出してるから、吐き気も治ったようですね。
のらひこ 2019/12/24(Tue) 09:15 No.732
Re: 私のアルバムから〜BW
ハハハ、のらひこさん、細かいところまでよく見ていますね〜
スマホでもいじっていたんじゃないですか?
まだ無いか^_^;
ダブルタンゴ 2019/12/24(Tue) 10:20 No.733
Re: 私のアルバムから〜BW
多分アグネスラムのグラビア見てるんじゃなかろうか?
のらひこ 2019/12/24(Tue) 10:44 No.734
Re:私のアルバムから〜BW
>のらひこさん
アグネス・ラムは1967年ではまだ11才なのでデビュー前でしょう。時代的にはジェーン・マンスフィールドあたりかな。

その頃よく見ていたカメラ月刊誌に掲載されていた数多の作品の中でよく見たタイトルが「若い二人」とか「老人」。
そして、必ずあったのが「無題」でした。
↓はMoriさんが横田の36で撮影されたRB−47ですが、もし、私がタイトルを付けることが許されるなら「無題」です。

赤塚 2019/12/24(Tue) 14:47 No.735
Re: 私のアルバムから〜BW
no735は標準ですかね。Moriさんが短いのを使ってた記憶がありますが、35mmかしら。垂直尾翼の歪みがきつい感じですが、どうなのかしら。私は立ち位置の違いがよく判る写真を一枚!短い期間でしたが、36エンドは空き地のお陰で、どんなレンズでも自由に撮れた時期がありました。爆撃手もちゃんと前を見て座ってますね。ジェーン・マンスフィールドはアグネス・ラムとは別種の巨乳ですね。私は遠慮しますがダブルタンゴさんのご趣味は?。写真の着陸姿勢はこのまま少し鼻を持ち上げて、前後輪を同時に着地させる訳でしょうね。

のらひこ 2019/12/25(Wed) 08:07 No.736
Re: 私のアルバムから〜BW
ジェーン・マンスフィールド、懐かしい響きですね〜
確か痛ましい事故で亡くなられたのですよね。チョットググってみたらNo.727〜を撮った直後の67年6月でした。ですので赤塚氏おっしゃるのが当たっているかも(笑)
アグネス・ラム、「激写」本がまだ本棚の片隅にあったような?

ダブルタンゴ 2019/12/25(Wed) 12:32 No.737
Re: 私のアルバムから〜BW
NO737の写真は凄いですね。MAX8にすごいです。カウリングというのかエンジンカバーというのか知りませんが、外したらすぐ横にある偵察ポッドが熱くならないのかしら?あの当時は部品の半分位は真空管なんだろうと思いますが、だから元々強烈に熱くなるからヘイチャラかな。それに前進力を重量物運搬車みたいな重機で押さえてるのかしら?
のらひこ 2019/12/26(Thu) 11:52 No.738
Re:私のアルバムから〜BW
12月も末、いよいよ本格的な冬がやってきますね。
氷点下の真冬であろうと、30度を越す真夏であろうと、鼻水をすすり、迸る汗をぬぐいながらランウェイ・エンドに過ごした日々。
ラジオも無い、クルマも無い・・・だから面白かった。
便利になるとその分失うものがある。なんて、当時は分かるはずもありません。


↓はNAKASATOさんが1959年3月に撮影されたRB−47Hですが、早春とは言え冬の名残りが画面一杯に溢れて出ています。
50年代の西砂川を写し撮った素晴らしい作品ですね。
偶然にもNo736の機体と同じでした。

赤塚 2019/12/26(Thu) 17:37 No.739
Re: 私のアルバムから〜BW
同じくNAKASATOさんが1958年6月23日に撮影された離陸ですが、現在私の手元にありますRB−47Hの写真の中で最も古い写真記録です。
おそらく、配備されてすぐの写真ではないでしょうか。米軍の兵士も珍しいものを見ているような感じがいたします。
NAKASATOさんも初物をもう少し寄って撮りたかったのでしょうが、目の前に兵士がいたため、離れた場所から身を潜めてキャッチした・・・。
これは私の想像です。
左の竹林は1967年頃まであったそうですが、記憶にありません。

赤塚 2019/12/27(Fri) 11:04 No.740
Re: 私のアルバムから〜BW
B−47シリーズも終盤なのでしょうか
今のうちに手持ちを出しておきます
1964年7月31日の横田18エンドのトウモロコシ畑
RBとWBが2機降りてきた夏の日、暑かった

1964年7月31日のRB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:27 No.741
Re: 私のアルバムから〜BW
1964年7月31日の横ショット
RB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:29 No.742
Re: 私のアルバムから〜BW
3コマ目送りショット
RB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:31 No.743
Re: 私のアルバムから〜BW
同じ日、1964年7月31日に箱根ヶ崎にて
今度はWB−47E/51−2413 が降りてきました
このWBは遅い時期まで飛んでいましたよね
私はこれ以降撮っていませんが・・・

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:38 No.744
Re: 私のアルバムから〜BW
NO740の写真はその当時の、基地のそばでの撮影の怖さを良く表していますね。兎に角基地から見えないところで撮っていたんですね。添付の航空写真は1961年の9月5日のものですが、まだ林もそしてその東側の竹やぶらしきものもありますね。赤い線が撮影方向でしょう。竹やぶの影に隠れてハンガー15があるんでしょうが、見えませんね。また、この写真では停止信号がありません。58年から61年の間に撤去されて南側の我が樫の木の傍に移っています。

のらひこ 2019/12/28(Sat) 14:16 No.745
Re:私のアルバムから〜BW
>村越さん
たしかに暑そうなショットですね。
でも、1日で“RB”と“WB”が同時に撮れるなんて“幸せ者”だと思いますよ。

>のらひこさん
撮影ポイントの解説、ありがとうございます。
今は300mmが標準レンズの時代、どこからでも苦もなく撮れますが、楽になるとエピソードが少なくなりますね。果たしてどちらがいいのでしょう。


↓は、古くからの関西の友人、R.Nakajima君が1966年3月16日に36エンドで撮影したRB−47H。レンズに当たってシャープなピントを出していましたが、撮影の“腕”は私より良かったような気がします。AGC版「アメリカ空軍機写真集」に解説されたT.Maさんの文をそのまま載せますが、その通りだと思いました。

『大阪のマニア中島氏が、ペンタックスとタクマー135mmで撮影したRB−47Hの見事な離陸ショット。横田初訪問でこの写真をモノにしたというから、幸運と手腕の見事な融合としか言いようがない』(以下略)

赤塚 2019/12/28(Sat) 15:07 No.746
Re:私のアルバムから〜BW
下は航空情報1962年3月号のアートページに載ったT.Maさん撮影のRB−47H。

当時、航空情報のアートページは世界の雑誌の中でもレベルが高いと言われており(編集部談)、一読者の写真が航空情報に掲載されるのは、日本のマニアの写真技術の高さが世界から認められたようなものでした。

赤塚 2019/12/29(Sun) 13:35 No.747
Re:私のアルバムから〜BW
実際の写真です。1961年11月撮影。
AGC版「私のアルバムから」下巻にも掲載させていただきましたが、本書の印刷では、この写真の良さがでませんでした。

南中時の横田36で撮影したモノクロ写真の仕上げは非常に難しく、陰影をつけようと“押す”と機体全体が黒くつぶれ、
それを避けようとするとフラットな締まりのない写真になってしまう。当時モノクロプリントを焼いた経験のある人はお分かりだと思います。
そこはT.Maさん一流の仕上げにより、単なる着陸写真ではなく芸術作品にまでに昇華させた技術はさすがですね。本当に素晴らしい。

赤塚 2019/12/29(Sun) 14:01 No.748
Re: 私のアルバムから〜BW
関東近辺には、横田、厚木、入間等と米軍機を撮影する基地はいろいろありました。撮りやすい場所としては、横田の西砂川、箱根ヶ崎、厚木の桜ケ丘側、大和側、入間の南側と言ったところですが、B-47のスレッドを見ていると、横田の西砂川が、写真を撮るのに一番凝れるところだったと感じ入っています。遠景の奥多摩山系、富士山はもちろん、中景、近景を上手に入れれば素晴らしい写真になったものです。厚木の大和側も、東側の杉林があったころは、風情を上手く表現できたのですが、その後は南北とも、飛行機だけを被写体とせざるをえず、青空、あるいは曇天に飛行機という写真しか撮れなくなったのは寂しい限りです。T.Maさんの写真は、そういった意味で、実にうまく状況、天候を取り入れた素晴らしい写真ですね。
のらひこ 2019/12/30(Mon) 13:08 No.749
Re:私のアルバムから〜BW
1991年にソニー・マガジンズから出版された「TIMELESS BLUE フェンスの向うのアメリカ」は。写真良し、解説良し、ダブルトーンで印刷も良し、素晴らしい内容の写真集です。
そのラストページの写真を飾ったのがWATANABEさんのRB−47Hの離陸写真でした。

赤塚 2019/12/31(Tue) 00:23 No.750
Re:私のアルバムから〜BW
Bー47スレッドの最後は、上の掲載写真と同じWATANABEさんのトリミングなしの作品にしました。
撮影日が1960年2月29日ですので、カメラはミノルタSR−1ではなくキャリア初期の愛機、タロンVR/タロナー45mmでしょう。

枯れ落ちる寸前の桑の葉、水メタノール噴射の盛大な煙を吐き出すストラトジェット、60年前の横田エアーベースです。

赤塚 2019/12/31(Tue) 00:41 No.751
私のアルバムから〜BV

航空情報 1960年9月号

赤塚 2019/12/12(Thu) 14:47 No.696 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BV
横田から飛び立ったRB−47Hがソ連に撃墜されたのに国内ではU−2事件ほど騒がれなかった。現在なら大変なことです。
航空情報の説明が読みずらいと思いますのでうつします。


憂愁のジェット偵察機RB-47。過去10年間日陰にあって秘密裡に共産圏の偵察にあたって来たこのアメリカ偵察機も、7月1日ソビエト戦闘機によって撃墜され、第二のU-2事件として一躍クローズアップされた。フルシチョフ首相から“コン棒をもった海賊”とののしられたこのRB-47が日本にも居るかどうかが問題にされている。
@横田基地を離陸するRB-47H電子偵察機。レドームと胴体後部、両翼端のECMアンテナで容易に識別できる。ソビエトに撃墜されたのもこのH型といわれナゾの偵察機である。(写真・戸田保紀氏提供)
赤塚 2019/12/12(Thu) 14:53 No.697
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月5日、出撃を待つ“偵察コンビ”KC−97GとRB−47H。撮影:TSPC K.TANAKAさん。
横田で47と97が並んでいる写真は見たことがありますが、2機ずつというのは珍しい。16号線のフェンス沿いで撮ったのでしょうか。
今なら大変な人だかりになってしまい、こんな場所に駐機できないですね。

赤塚 2019/12/12(Thu) 15:01 No.698
Re: 私のアルバムから〜BV
私が10代の頃、らひこさんと文通(写真交換)を始めた時期にいただいた写真。
「う〜ん“同いどし”なのにやるなあ」と感嘆。後日、この写真について尋ねましたら「挨拶がわりに何枚か焼いた」との返事。
RW36の木の上からリコー300/45mmで撮ったのでしょうが、のらひこさんの初期の傑作ですね。

赤塚 2019/12/13(Fri) 12:01 No.699
Re: 私のアルバムから〜BV
おおッ、懐かしい写真です。樫の木に一番乗りして、しっかり腰をすえて撮った写真ですね。よっぽど早く行かないとこの特等席は取れないものでした。曇天の反逆光、300分の1しかないので、3.5位で撮って増感したはずです。当時は自慢の写真で皆さんに送った記憶があります。
のらひこ 2019/12/13(Fri) 15:13 No.700
私のアルバムから〜BV
皆さんこんにちは、

私はドラッグを引いたB-47には一度も遭遇しませんでした。
1966年2月28日に撮ったRB-47Hです。

徳永 2019/12/13(Fri) 15:41 No.701
Re: 私のアルバムから〜BV
↑の徳さんとご一緒させて頂きました^_^
この武蔵野交差点脇のRwy36 午後ポイントにはしばらく行っていません

ダブルタンゴ 2019/12/13(Fri) 18:17 No.702
Re: 私のアルバムから〜BV
徳永さん、そういえばそうですね。62〜64年頃はB−47もWB−47もみんなドラッグ引いてノンビリ、タッチャンしてましたよね。なんか理由があるんでしょうね。なんでだろう。ダブルタンゴさん、2月の積乱雲を背負っての着陸、凄い、素晴らしい。
のらひこ 2019/12/13(Fri) 21:44 No.703
Re: 私のアルバムから〜BV
1966年2月28日 Part2
>のらひこさん
そう、写真だけ見たら2月とは思えませんよね。
初めはデータの間違いだと思いました

ダブルタンゴ 2019/12/13(Fri) 23:30 No.704
Re: 私のアルバムから〜BV
その3
その4は徳さんと同じ、タクマー200mmで計4カット撮っていました

ダブルタンゴ 2019/12/14(Sat) 10:03 No.705
Re: 私のアルバムから〜BV
>徳永さん 
>ダブルタンゴさん
地の利でしょうか。けっこう横田でRB−47Hを撮っていますね。私は厚木のほうが近かったので1964年以後厚木へ行くことのほうが多くなり、余りRB−47を撮っていません。今となっては世界的には珍しい機体だったし写真も少ない。遠征?して撮っておくべきでした。

RB−47Hの離陸と言えば、このシーン。ENOMOTOさん撮影。
688の、のらひこさんのWB−47Eと同じような撮影ポイントから撮っています。画角からみるとレンズも同じく135mmのようですね。B−47の写真は多く見てきましたが、こうした写真は意外と少ないです。まだフィルムが大切な時代だったので、機体が画面の7割ぐらい占めるまでシャッターを押すのをためらったのでしょうね。さすが“写真家”のエノさんです。

赤塚 2019/12/14(Sat) 17:40 No.706
Re: 私のアルバムから〜BV
連続写真、ではなく1965年12月3日、Yokooさんが横田で捉えたRB−47Hの離陸。
仕上げたばかりのプリントを当時拝見しましたが、美しいプリントに感動した記憶があります。。PC画面では、紙焼きの素晴らしさは表現されませんね。

赤塚 2019/12/14(Sat) 17:51 No.707
Re: 私のアルバムから〜BV
No706の写真は良く見ると凄いですね。タワーの左右にKC-135が5,6機並んでいるその後ろに何かT-33ぐらいの機体が沢山居ますね。外来が一杯の感じですね。何か大規模のオペレーションがあったんでしょうか。ENOMOTOさんもらしくなく腰をおとしての撮影って様子です。
のらひこ 2019/12/15(Sun) 14:23 No.708
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月17日、Moriさんが撮られたRB−47Hのタキシー。時期的にはエンドデビュー間もない頃のショットと思われますので多分45mmでの撮影でしょう。“47”が出て来てもフェンスには近づけない雰囲気が漂っています。

赤塚 2019/12/15(Sun) 19:12 No.709
Re: 私のアルバムから〜BV
↑と同年の3月28日、TSPCのAnzaiさん撮影。
こちらもマニアの興奮度が写真から伝わってきますが、容易にフェンスまで近づけなかった状況が見てとれます。もう少し先に出ると画面左方向にあったガードボックスから丸見えになりますので、カメラを出すことなどできなかったでしょう。そんな時代でした。

赤塚 2019/12/15(Sun) 19:23 No.710
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年5月に箱根ヶ崎のトンネルの上から撮ったRB−47Hの着陸。撮影:TSPC Kitada Hisaoさん
カメラはフジカ35/45mm。準広角レンズの迫力で機首の丸みが強調されています。短いレンズで寄って撮るのが写真の基本ですが、近年、撮影できるポイントが遠くなり、このような写真は撮れなくなりました。

赤塚 2019/12/16(Mon) 19:13 No.711
Re: 私のアルバムから〜BV
その送りのショット。
これもトンネルから撮影された特有のアングルの写真ですね。
人が住む建物が見えず50年代の横田をあらわしています。私らにとって飛行場とは、正にこのイメージです。

赤塚 2019/12/16(Mon) 19:18 No.712
Re: 私のアルバムから〜BV
1960年の写真には驚きますね。U-2が落とされた年ですよ。デフコン2か3だったんじゃないんですか?そこをまだ中学2年生ぐらいの多分Nさんが走っているとは!私はまだ航空情報を買えませんでしたから、多分新聞で撃墜を知ったんでしょが、チョット興奮したはずです。雑談ですが、くにたちの南側の大学通りを地図で真っすぐ南に15kmほど延ばして見てください。なんと厚木の滑走路の真上になります。中一の日に南の方にグライダーのような飛行機がうっすら見えていたのは白日夢だったんだろうか?悔しいけど63年のRB-47Hを貼ります。

のらひこ 2019/12/18(Wed) 07:03 No.713
Re: 私のアルバムから〜BV
>のらひこさん
我々がカメラを持ち始めたときには、すでにU−2は日本から去ったあとでした。その頃もっとも撮りたかった(見たかった)ヒコーキはU−2A/CとRB−57Dでしたね。マニアは“秘密機”に弱いんです。
U−2は、90年代に再び厚木に飛来して公開もされ、何回か撮影の機会はありましたが、大きな感動はなかったですね。すでに長寿機となっており、写真も豊富に出回って特段珍しいヒコーキではなくなってたからでしょうね。


↓はMoriさんが、1962年4月14日に西砂川で撮ったRBです。その頃の私は50mmの標準レンズだけで、あっちウロウロ、こっちウロウロしているだけの初心者マニアでした。
そんなとき、Moriさんは“撮り飽きた”かのように、200mmで下がりに下がって撮影していました。正に説明不要『日本上空のRB−47H』。

赤塚 2019/12/18(Wed) 19:09 No.714
Re: 私のアルバムから〜BV
no710の撮影者より、前方を歩いている学生服を着ている人たちは、TACCのメンバーであるとのご連絡をいただきました。また手前を歩いている中学生はnarisawaさんで間違いないとのことです。イヤハヤ、中学生の低学年で、こんな緊張感のある時代に立ち会っていたんですね。我々もそう違わないのかな?では、36のエンドで凄味を効かせたターンをするRB-47H
をご覧ください。

のらひこ 2019/12/19(Thu) 18:16 No.715
Re: 私のアルバムから〜BV
>のらひこさん
ご自身がおっしゃる通り“凄み”が画面からあふれ出ています。これで135mmなんですから昔の横田の“サブロク”はマニアにとって大変恵まれていましたね。


RB−47Hが横田に配属されたのはいつからなんでしょうか。手元の写真で確認できるのは1958年6月から1966年2月までです。私は厚木へ行き出してから撮影する機会は少なかったのですが、みなさん良く撮られておられます。
↓は下部が分かるショット。1962年8月9日、撮影:ワタナベさん

赤塚 2019/12/19(Thu) 18:35 No.716
Re: 私のアルバムから〜BV
連続写真のようですが、そうではなく撮影はMoriさん。6日後の8月15日。

赤塚 2019/12/19(Thu) 18:45 No.717
Re: 私のアルバムから〜BV
Narisawaさんが撮影されたカラーをご紹介。
1965年4月2日の撮影ですが、カラーとなりますと“古い”イメージが無くなり、昨日見たような錯覚に陥るのは私だけでしょうか。
それにしましても、まだモノクロフィルム中心だった時代にRB−47Hのカラー写真を残してくれNarisawaさんに感謝いたします。

赤塚 2019/12/20(Fri) 13:11 No.718
私のアルバムから〜BU

航空情報 1959年10月号掲載

赤塚 2019/11/29(Fri) 14:36 No.664 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BU
航空情報が1959年から60年まで6回連載したコーナー「日本上空を飛ぶ米軍機」に掲載された中里重雄さんのB−47Eの着陸ショット。
59年10月号に載ったもので同年の夏に箱根ヶ崎側で撮影されたと思われます。
初期のジェット爆撃機によく見られたように、胴体、翼下が白く塗られているのが60年代のB−47とは違うところですね。
赤塚 2019/11/29(Fri) 14:39 No.665
Re: 私のアルバムから〜BU
実際の写真です。
この頃から航空情報への読者投稿写真のレベルが上がってきて、編集者が特集を組むに至ったのでしょう。見開き2ページに展開する国内で撮られた数々の米軍機の写真は、少年マニアの私にとってメーカーや軍がリリースした写真より身近に感じ、いつの日にか自分もこのB−47のような写真を撮ってみたいと思ったものでした。

ところが、現実はそう甘くなく、実際カメラを手にしてみると思うように飛行機の写真は撮れないことが判り、だんだん深みに嵌り以後
“ヒコーキ写真漬け”の日々が延々と続くことになったのです。

赤塚 2019/11/29(Fri) 14:43 No.666
Re: 私のアルバムから〜BU
NAKASATOさんが撮られた横田のRwy18へ進入するB−47Eの素晴らしい着陸ショット。
増槽を装備しているので1950年代の撮影だと思われますが、私が記憶にある1962年以降の箱根ヶ崎側の午後の光景では
ないような気がします。どのあたりから撮られているのでしょうか。

赤塚 2019/11/29(Fri) 18:09 No.667
Re: 私のアルバムから〜BU
いよいよ、50年代横田の真打登場ですか!前のスレッドも含め、我々後輩にはなじみの薄い撮影場所からの写真が多いです。前のスレッドのデカ増槽の47など、もしかしたらかなり低いフライパスのようですよね。それを基地のフェンスからかなり離れたところから撮った感じです。我々と違い社会人になっていらしたNAKASATOさんにしてみたら公安に目を付けられることは一生の問題だったはず。「僕たち」中学生はそんなこと考えもせずにいました。

NO666は綺麗ですね。ここで妄想を一つ。若い女性とこの写真を間にして、飲んでいるとお思いください。「わあ綺麗な飛行機、下の方を白く塗っているのは、もしかしたらサバなんかが下から狙われないように白くしているのと同じ?」「いやいや、それもあるけど、この飛行機はモスクワまで飛んで行って爆弾を落とすんだよ。自分が放射線に被爆しないための塗装でもあるんだよ」「へー、綺麗な飛行機が可哀そうみたい」嗚呼。

NO667は多分、トンネルの北の方での撮影でしょう。今のアプローチランプが林立している辺りじゃないでしょうか。右のサトウキビかトウモロコシの畑の先に家作が見えますが、今の駅の西口辺りと思われます。その向こうの山は神社の山なんでしょう。画面下は麦畑かな。まだ蕎麦が流行りだす前ですものね。
のらひこ 2019/11/29(Fri) 19:10 No.668
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
667の撮影場所の説明ありがとうございます。ズバリでした。
↓はNarisawaさんが1960年3月に箱根ヶ崎のトンネルの上から撮影したKB−50Jの写真ですが、
画面に写っている丘や家並みが上と同様で、右端には箱根ヶ崎の駅も見えます。
たしかにトンネルの横から撮っていれば、基地内から見えないので身の安全は確保されますね。

赤塚 2019/11/30(Sat) 19:21 No.669
Re: 私のアルバムから〜BU
KB-50Jの影が真下にあるんですね。沢木耕太郎がキャパのウソを見抜いた手法で解析すると、KB−50Jの飛行経路は黄色の線と思われますので、NAKASATOさんは赤い線に立っていたんでしょうね。それにしてもほんの数年で田舎とはいえ景色が変わっているんですね。

のらひこ 2019/12/01(Sun) 10:10 No.670
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
NAKASATOさんのB−47EもNarisawaのKB−50Jも季節感があってとてもイイ写真ですね。
モノクロ写真は、暑さ、寒さ、暖かさ、涼しさ・・季節ごとに飛行場で過ごした日々を蘇らせてくれます。色が付いてるカラー写真では情報量に目を奪われ、人特有の“想像”という楽しみが奪われるような気がします。

643のコメントで唐突にジューン・アリスンが出てきましたが、航空ファンにとって名作中の名作「戦略空軍命令」の中の話ですね。
近頃はYouTubeの映像もかなりシャープですので、久々にB−47やB−36の映像を見てみました。映画の迫力というものが小さな画面からも感じましたが、それはフィルム撮影の力なんでしょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=WkQr2T83UJc
赤塚 2019/12/01(Sun) 19:13 No.671
Re: 私のアルバムから〜BU
1962年1月4日、Rwy36へ向かうB−47E。撮影:Watanabeさん。

私が初めて西砂川のエンドで写真を撮ったのはWatanabeさんが行かれた一日前の1月3日でした。まだ中学生の頃で、前年の三軍記念日で知り合えたT.Moriさんに案内してもらったのです。
それまでは、羽田のフィンガーや整備場裏で民間機を撮影していたものですから、フェンスギリギリに降りる米軍機の迫力に驚きを隠せませんでした。朝から日没まで撮れたのは横田のF−102、B−57、T−33ぐらいで外来機はなかったけれど、大満足で帰宅したのを何となく覚えています。(さすがに半世紀以上前だと“昨日のように”とは書けません)

赤塚 2019/12/02(Mon) 18:36 No.672
Re: 私のアルバムから〜BU
西砂川の情景、懐かしいですね。まだ砂利道で、自転車をこぐのが大変だったね。正月の午後のB-47E,多分ノンビリ、タッチャンしてたんじゃないでしょうか。左は麦畑だったんですね。麦踏みがしてあるみたいです。ゆっくり降りてくる音が聴こえそうな1枚です。
のらひこ 2019/12/03(Tue) 12:28 No.673
Re: 私のアルバムから〜BU
↑の写真の4年前の1958年3月5日、NAKASATOさんが自宅の庭の木に登って撮ったB−47E。
ここは、B−47というよりも、西砂川地区の史料としての意味あいが強いのではないでしょうか。
福生市の郷土資料室に展示する価値のある作品だと思います。

赤塚 2019/12/03(Tue) 16:22 No.674
Re: 私のアルバムから〜BU
同じく50年代にNAKASATOさんが捉えたB−47Eですが、一瞬塗装が“ロービジ”かエアクラフトグレイかと思いました。
が、天気が悪く、胴体と下面の白塗装が暗く写っただけ。こうして見ますとベアメタル機にない不気味さがありますね。

赤塚 2019/12/04(Wed) 19:17 No.675
Re: 私のアルバムから〜BU
no674の写真は恐れ入りますですね。多分これもタッチアンドゴーを繰り返していたのを、ご自宅の木に登って撮ったということでしょう。場所も判ってしまいますね。旧五日市街道の南側の、バス停から2〜3件目の豪農なんですね。画面も右下に多分別の農家の豚小屋が少し見えます。臭かったなー。本当に市の歴史的資料です。みんなに知って欲しいものです。
のらひこ 2019/12/05(Thu) 12:44 No.676
Re: 私のアルバムから〜BU
1965年3月、Narisawaさんが撮影したWB−47E。
西武バスにボンネットトラック、時代を物語る絶妙のショットですが、当時のマニア心としては余計なものが写り込んでしまった。
と思われたのではないでしょうか。
それが半世紀を過ぎると見方が変わり、すばらしい作品となるわけですから、写真というのは面白いものですね。

赤塚 2019/12/05(Thu) 19:25 No.677
Re: 私のアルバムから〜BU
1964年でしたよね。中国が原爆を成功したのは。63年ぐらいからいろんなWB.WCが飛んでました。先輩マニアから沿海州沖辺りの高空で、放射性物質を採集して、開発状況を探っているんだよと言われ、何処に沿海州があるんだろうと思ったものでした。しかしこのno677は凄い写真ですよね。世界中に米軍基地は100以上あったでしょうが、こんな写真が撮れる所があったんでしょうか。みんなで調べて見ましょうよ。
のらひこ 2019/12/06(Fri) 16:37 No.678
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
核実験のサンプリング、半島への偵察活動、緊張感漂うRBやWBのすぐ横で通勤、通学の乗合バスが平行して走る風景。
これが60年代の日本とアメリカの現実だったんですね。ある意味平和そのもの。

↓は1965年3月26日、ワタナベさん撮影。
何とも穏やかな仲春の西砂川。写真から“まったり”とした暖かさが感じられます。いいですねえ。
この地点から撮影された写真に白煙(水蒸気?)がよく写っています。何かの工場があったのでしょうか。ご存知の方、ご教示ください。

赤塚 2019/12/06(Fri) 17:09 No.679
Re: 私のアルバムから〜BU
「偵察機と立川バス」。1958年の西砂川の日常を捉えたNAKASATOさんの傑作。
当時の航空情報の写真コンテストに応募していたら入賞間違い無しでしょうが、この写真の評文は書きにくいでしょうね。
どう書こうと評者の思想が問われてしまいます。
ワタシなんぞは、ここでシルバーのRB−66Bを見たかった。撮りたかった。そしてここに住んでみたかった。と思うだけですが・・・。

赤塚 2019/12/07(Sat) 15:14 No.680
Re: 私のアルバムから〜BU
B−47のスタイルを最も美しく表している角度は斜め前からでしょう。映画「戦略空軍命令」の中でも“新鋭機”B−47が列線を組んでのタキシング映像はラストシーンに相応しいものでした。

↓はワタナベさんが1962年10月横田のRwy36で撮影された“E”型のタキシング。美しい。

赤塚 2019/12/08(Sun) 10:21 No.681
Re: 私のアルバムから〜BU
↑の「送り」のショット。
斜め前からの角度のほうが断然いいですね。

赤塚 2019/12/08(Sun) 10:26 No.682
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47はほんとに美しいですよね。B-49は別にして、44、45、46それに48は何であんなに不細工なんでしょうね。性能の良い飛行機はカッコいいと思ってましたが、117でガッカリしました。
のらひこ 2019/12/08(Sun) 15:46 No.683
Re: 私のアルバムから〜BU
NarisawaさんもWB-47Eをよく撮ってらっしゃいます。1965.7
これはフライパスでしょうか。離陸だとしますとおとなしい上がり方ですね。
オフィシャル・フォトにこのような角度の写真が多いような気がしますが、どうでしょうか。

赤塚 2019/12/09(Mon) 00:02 No.684
Re: 私のアルバムから〜BU
>のらひこさん
「性能の良い飛行機はカッコいい説」は、木村秀政先生世代の方がよくおっしゃっていました。F−22、F−35など高性能の戦闘機もカッコ良くは見えませんね。
「垂直尾翼2枚+ステルス性重視」となってから、ヒコーキがどんどんカッコ悪くなったなあ、と思うのは私だけではないような気がします。

↓ENOMOTOさんが狙いすまして撮ったと思われますB−47のアプローチシュートとドラッグシュートの満開シーン。
頭では分かっていても当時は基本「着陸側」で待つことが当たり前でしたので、狙わなければこのような写真を撮ることはできませんでした。
週一ぐらいの撮影行では無理だったようです。さすがENOMOTOさん、地元の利を充分活かしております。

赤塚 2019/12/09(Mon) 15:41 No.685
Re: 私のアルバムから〜BU
銀色のB−47Eまだありました
1962年7月19日の横田36エンド
B−47E/53−1845
No.654の前ショット二コマを
バスは後ろ姿で砂利道のホコリ巻き上げ
前景のボロ小屋はしばらくありましたね

村越賢司 2019/12/10(Tue) 02:05 No.686
Re: 私のアルバムから〜BU
その次のコマ
1962年7月19日の横田36エンド
B−47E/53−1845
同じくタクマー55mmほぼノートリミング

村越賢司 2019/12/10(Tue) 02:09 No.687
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47と言えばこれでしょう!1964年2月トンネルの手前西から撮ったWB-47Eのおなじみの水噴射離陸です。石播も見えますし、KC-135とB-50も外来に並んでいます。兎に角、凄い排煙で、画面一杯に押さえたかったんでしょう。B-52の離陸は、一気に高度を稼ぎますが、この47はそうでもなかったですね。262が離陸、着陸の時に楽に撃墜されたので、ダイブができるぐらいの高度を取りたかったんでしょうか?そんなことないか!

のらひこ 2019/12/10(Tue) 06:38 No.688
Re: 私のアルバムから〜BU
どなたでも経験されたシルエット写真。
B−47をからめたのは、さすがMoriさん。真冬の“横田36”の当時の雰囲気がよく出てます。
当時月数回の撮影行ではこうした写真は撮れなかったですね。横田に昼頃まで居て、逆光になる午後には立川へ移動することが多かったような気がします。

赤塚 2019/12/11(Wed) 09:58 No.689
Re: 私のアルバムから〜BU
皆さん こんにちは
今年のエンド通いは一度だけになりそうです>_<

横田エンド数回目、たった一度だけ巡り会ったB-47E-V、ピッカピカの胴体、拡大してみると36エンドの景色がきれいに写っています。
この頃はもう52に機種交代しているので多分連絡用で残っていたのでしょうね。

ダブルタンゴ 2019/12/11(Wed) 14:06 No.690
Re: 私のアルバムから〜BU
>ダブルタンゴさん
「36名場面シリーズ」その1ですね。スバラシイ〜。
“E型”“西武バス”“フジヤマ”と3拍子揃っています。史料好きの写真派には、こたえられない写真ですね。感動しました。

↓はワタナベさんが1965年3月26日(679と同日)に撮影されたWB−47E。ずいぶん高いところからのショットですね。私はこの時期横田には行っておらず、撮影場所がどこか分かりません。木の上のように思えますが、ご存知の方ご教授ください。

赤塚 2019/12/11(Wed) 15:36 No.691
Re: 私のアルバムから〜BU
ダブルタンゴさん、66年にもWBじゃないのが飛んで来てたんですか。ビックリです。B-52飛ばすのも金がかかるので、訓練用のB-47で来たんですかね。もしかして、与圧室にギッシリ赤坂に遊びに行く将校が乗ってたりして、ナウシカの海賊船みたいに。でも1月3日にデートもせずに横田に来てたんですか。違うな。助手席には誰かいたでしょう。no691の撮影場所は、壊した家の東の隅に確かイチョウの木がありました。結構高い木で、イチョウですから枝が沢山あるけど登るの大変だった気がします。
690、691とも懐かしい写真です。
のらひこ 2019/12/11(Wed) 19:41 No.692
Re: 私のアルバムから〜BU
B-47Eと同じ66年1月に撮っていた、当時も貴重だった(らしいw)ERB-47H
これも大きく画面が傾いていますねえ、この頃の標準レンズで撮った流し撮りの多くが右肩上がり? この癖は半世紀以上たった今でも気をつけないと発生(^_^;)
>のらひこさん
高1冬休み、武蔵野の自宅から五日市街道チャリンコなので助手席はありません!(笑)

ダブルタンゴ 2019/12/12(Thu) 11:16 No.693
Re: 私のアルバムから〜BU
ダブルタンゴさん、そうでしたね。五日市街道の路肩のガタガタじゃ自転車の2人乗りは無理でしたでしょう。ERBは如何にもイボイボが多くて不気味でしたよね。右肩上がり、飛行機撮りの習性で機軸を先に考えて撮ってしまうからでしょうかね。あとでトリミングがしにくくて往生します。
のらひこ 2019/12/12(Thu) 13:19 No.694
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