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私のアルバムからF-100G

航空情報1960年2月号

あかつか 2020/04/19(Sun) 22:58 No.1057 [返信]
私のアルバムからF-100G
ヒコーキマニアが外国で飛行機の写真を撮ることなどほとんど不可能だった時代、バーズやエンジェルスは、本の中だけの存在でした。
実際のアクロバット飛行を見ることなど夢のまた夢の世界。その「サンダー・バーズ」が極東ツアーで横田にやってくるという。来日を知った当時のマニアたちは指折り数えてその日を待っていたことでしょう。記念すべき1959年12月12日、初来日の“F-100バーズ”の写真を紹介いたします。
ちなみに、団塊世代マニアは当時小学生、せいぜい父親に連れられて見た人が僅かに居る程度ですから、写真は全て私たち世代の先輩マニアが撮影されたものです。

トップ画像は私が新刊本を初めて買った航空情報2月号。この号を見てサンダー・バーズの来日を知り、悔しく思っていたのですが、今考えてみますと小学6年生の子供が川崎から横田まで独りで行くなど無理なことで、その悔しさはどうも“後付け”の思い込みだったような気がします。
あかつか 2020/04/19(Sun) 23:15 No.1058
Re: 私のアルバムからF-100G
航空情報1960年11月号「私のアルバムから」入選作品

あかつか 2020/04/20(Mon) 10:32 No.1060
私のアルバムからF-100G
上の入選写真は撮影から1年近く経っていますが、ジョンソンでの外撮りですね。当時どれだけのヒコーキ写真ファンがジョンソンでバーズの飛行があることを知っていたのでしょうか。たぶんNAKASATOさんお一人だったと思います。
興奮を抑えながらも「作品」づくりを意識していたかのようなこのショット。頭が下がります。

あかつか 2020/04/20(Mon) 10:43 No.1061
Re: 私のアルバムからF-100G
一見1061のファーストショットに見えますが、使用カメラ「パール」のフィルム巻き上げはノブ式ですので連写はおそらく無理だったでしょう。https://nikomat.org/priv/camera/pearl/index.html

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:01 No.1062
私のアルバムからF-100G
縦位置での素晴らしいショットですが、セミ版カメラは普通に構えれば縦のほうが撮りやすかったと思います。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:06 No.1063
私のアルバムからF-100G
スピード感溢れるローパス。さすがのNAKASATOさんも1/250秒では超高速のF−100を画面に止めることは出来なかったようですね。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:09 No.1064
私のアルバムからF-100G
ジョンソンでの展示飛行を終え、横田へ移動した際のショット。
横田での外撮りも地元マニアのENOMOTOさんの写真しか見たことがありません。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:16 No.1065
Re: 私のアルバムからF-100G
横田でのフライトは午後の何時頃から始まったのでしょう。曇り空も一変、良い天気の下で行われたようです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:08 No.1066
Re: 私のアルバムからF-100G
同様なポジションからNomuraさんはカラー(ネガ)で撮っておられます。半世紀以上前なので経年劣化による退色は仕方ありませんが、何と言ってもカラーです。よくぞ残してくださいました。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:18 No.1067
Re: 私のアルバムからF-100G
これからフライトに向かうのか、演技を終えてのおかえりか分かりませんが、撮影者の緊張感は相当なものだったに違いありません。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:25 No.1068
Re: 私のアルバムからF-100G
シャッタースは1/250秒ぐらいでしょうか。初めて撮る高速ローパスに“雷鳥”を止めることは出来なかったようですが、地面の流れが却って100のスピード感を表しています。

あかつか 2020/04/21(Tue) 14:05 No.1069
私のアルバムからF-100G
定番のダイヤモンド編隊。画面の印象から100〜135mmでのショットのように思います。Nomuraさんはこの頃キャノンWSbに外付けファインダーを使用されてたはずですので、バーズの編隊を画面に納めるのには苦労なさったでしょうね。
一眼レフカメラをマニアが使うようになったのが1960年前後からで、それ以前の高級カメラと言えばレンズ交換可能なレンジファインダーの35mmカメラだったのです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 14:30 No.1070
私のアルバムからF-100G
↓はKumakiさんが45mmで撮影された横田の光景ですが、↑のNomuraさんとほぼ同位置で撮っていたようですね。
45mmと言えば広角レンズに近い画角ですから「数ミリでも余計に欲しかった」とは先輩たちの弁。ですが逆に地上の状況が写り、開催地が横田であることが分かります。結果的にはそれが大変貴重な有りがたい記録となっている訳です。

あかつか 2020/04/21(Tue) 15:10 No.1071
Re: 私のアルバムからF-100G
参りますね。100の美しさが一番溢れる塗装で、59年12月のジョンソン、横田で乱舞したんですね。ブルーエンジェルスの塗装とは違って品良く澄ましたところはありませんが、軍用機アクロらしい塗装が少年の胸をときめかせますね。私は61年の春から横田等に行きだしたので、先輩から話を聞き、悔しくてなりませんでした。その後12年間、空軍も海軍も日本には来ませんでした。下面から見るイーグルの塗装なんか実にストレートに飛行機の素晴らしさを見せていますよ。私はその後40年以上経って浜松でサンダーバーズを見る機会があったんだけど、両方共雨で演技中止でした。しかし、比較するのもなんですが、F-16と比べたらやっぱり100ですよ。
no1071の観衆を見ると9割方軍関係者のようで、日本人、まして飛行機マニアは少なかったようです。先輩たちが羨ましいです。ましてジョンソンの外撮り!!興奮しただろうな。
ところで、no1065の写真、6×6で撮ったんじゃないだろうか?なんかアイレベルが低そうで、もしそうなら、ENOMOTOさんの名人芸ということになりますね。
のらひこ 2020/04/21(Tue) 20:51 No.1072
私のアルバムからF-100G
>のらひこさん
「バーズはF−100」と少年時代から頭の中にこびりついてるので、後年見たF−16バーズは何か別物のようでした。
F−105BもF−4Eも多分F−100より迫力はあったでしょうが、華麗さと言えばやはり100でしょう。しかも塗装とデザインがF−100に見事マッチしていて直しようが無いほど秀逸そのもの。
“海軍機ファン”を長年やってる私ですが、どちらかと言うとエンジェルスのタイガーより、バーズの100のほうに魅力を感じます。

↓は1066にも写っているクルーのジャケットの背中を撮ったものですね。昔から目ざとい人はいるものです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 23:55 No.1073
私のアルバムからF-100G
ダイヤモンド編隊の下には、50年代の主力中距離輸送機、C−47、C−119が駐機してますね。

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:36 No.1074
Re: 私のアルバムからF-100G
45mmのノートリですから、だいぶ観客に近づいてます。撮影:Kumakiさん

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:39 No.1075
私のアルバムからF-100G
撮影者不明で確かめようがありませんが、レンズはたぶん100mmくらいですね。

下面の鳥の画は1958年は描かれてませんでした。ネットで調べますと、鳥のデザインは年度の使用機によって微妙に違うようです。特に横田のときのバーズの100は、板付のF−100Dを急遽使ったためペイントも塗りたてですから、抜群の美しさだったでしょうね。

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:53 No.1076
Re: 私のアルバムからF-100G
凄い密集編隊ですね。6年前には86Dで朝鮮上空でMIGと渡り合って居たパイロットかも知れませんね。同じ会社とは言え、86Dと比べるとそのシャープさに惚れ惚れです。イヤ86Dも重厚感では負けてませんよ。86Dって朝鮮に間に合ったんでしたっけ?
のらひこ 2020/04/23(Thu) 06:56 No.1077
私のアルバムからF-100G
>のらひこさん
何たって“F−100バーズ”は「空の芸術家」ですから、密集編隊はお手の物ではないでしょうか。
86Dの初飛行は1949年12月、従って朝鮮戦争には行ってないと思います。“赤熊退治”のために開発した機体ですし。

何人かの先輩マニアから当日横田で撮影したスリーブやアルバムを拝見しましたが、バーズと初公開のB−52にフィルムをまわしてしまったのか、その他の展示機が余りも少ない。RB−66Bも影薄かったということでしょうか?・・いやはやじつに勿体ない。 撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/04/23(Thu) 17:38 No.1078
私のアルバムからF-100G
そんな中、Komiyaさんは、ぐっと近づいて撮ってます。“銀の時代”のB−66のエンジンと機首廻りは本当に魅力ありますね。
キューイのステンシルが描かれているところから見るとニュージンランドへ訓練に行ってたのでしょうか。

あかつか 2020/04/23(Thu) 17:54 No.1079
私のアルバムからF-100F

AGC版「私のアルバムから」上巻より

あかつか 2020/04/10(Fri) 14:24 No.1034 [返信]
私のアルバムからF-100F
1958年の板付基地周辺では、まだ占領下の状態が残っていたのですね。ですが、写真に写っている、オジサン、オバサン、建設作業員らしき人の風情にそんな緊張感はありません。
手前の自転車は、撮影者のManabeさんが乗り付けたものでしょうか。その向うの自転車の荷台に毛布のようなクッションが敷かれているので、二人乗りしてF−100の射撃訓練の様子を見にきたのかな?。
射撃という物騒な訓練の中に、何か長閑さが感じられます。こういう写真を新聞系の人たちはどう捉えるのでしょうね。
あかつか 2020/04/10(Fri) 14:54 No.1035
私のアルバムからF-100F
1962年519日、板付三軍記念日で公開された消音装置。撮影:Yoshinagaさん
これでどの程度爆音が軽減されたのでしょうかね。もうひとつ解せないのはその目的。周辺住民への配慮なんてあるわけないし、基地内で生活していた軍人と家族のためだったのでしょうか?。
60年代の横田や厚木でジェットのエンジンテスト風景をそばで何回も見ましたが、大声で怒鳴りあっても話なんかできませんでした。

あかつか 2020/04/11(Sat) 12:18 No.1036
Re: 私のアルバムからF-100F
朝鮮戦争終わって5年の九州はさっき戦争が終わった、乃至又あるだろうと言う感じが市民の実感だったんでしょうね!消音装置はポーズでしょう。だってJ75のIHI瑞穂工場のエンジンテストは夜中の10時頃、15km離れた所で受験勉強している私にもうるさく感じられたですよ。だから浪人したんです。J57の方が絶対静かでしたよ。一応気遣っていると言うポーズでしょう。有効ならIHIで使った筈です。でも予算が無かったのかもしれませんね。
のらひこ 2020/04/11(Sat) 12:46 No.1037
私のアルバムからF-100F
アレスティングフックを降ろして着陸するF−100Dですが、私はフックを降ろしている写真は、このYoshinagaさんのものしか見た記憶がありません。
手元にある写真を何枚か見ますと、フックを装備している機体と、無い機体がありますね。このあたりの事情をお分かりになる方、ご教授ください。徳永さんの平面図にも画かれていませんでした。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:22 No.1038
私のアルバムからF-100F
下からのアングルでもフックが確認できません。

若い頃、エンドで写真見せ合いながらこんな話をよくしてました。あの頃が懐かしい。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:39 No.1039
私のアルバムからF-100F
1960年12月19日、横田で撮られたフライバス。撮影:Moriさん
たぶん、同じ200mmでの撮影だと思いますが、ほんの少しの角度の違いで機体のイメージは異なるものですね。

あかつか 2020/04/11(Sat) 17:55 No.1040
Re: 私のアルバムからF-100F
アレスティングフックを下ろしてる100は見たことありませんね。空軍はエマージェンシーの際、オーバーランエリアの直前にクラッシュバリアを倒しておいて、いざというとき、波平さんの頭の毛みたいな隙間のある多分ナイロン製幅広布が両側のワイアの間に張ってあるバリアで制動してました。61〜62年頃、兵隊が来て立てて点検するのを目の前で見たことがあります。直後に、多分プローブが真っ直ぐから曲がる頃、空軍もフックとアレスティングワイアに換えたんじゃなかったかと思いますね。徳永さんが詳しそうです。
それから消音器の件ですが、瑞穂工場でも威勢良く白煙が揚がってましたから使っていたんでしょうね。でもJ75が凄かったと言うことかもです。
のらひこ 2020/04/12(Sun) 08:15 No.1041
Re: 私のアルバムからF-100F
アレスティングフックが確認できる62年8月に撮られたF−100Dです。 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/12(Sun) 14:44 No.1042
私のアルバムからF-100F
このショットでもフックが見えますね。
200(タクマー200mm5.6)で撮ったと思われますが、遠近感のせいなのか、胴体がやや詰まってみえます。いままで紹介してきた100の写真と比べると無骨な感じがしますね。62.5.18 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/12(Sun) 14:57 No.1043
Re: 私のアルバムからF-100F
1962年5月19日、板付三軍記念日でデモ飛行に向かうF−100Dの離陸。60年代の横田では100をこんなシーンをカメラに納めることはできませんでした。

あかつか 2020/04/13(Mon) 10:29 No.1044
私のアルバムからF-100F
優れた上昇力を披露するF−100D。
撮影者のYosinagaさんは、どのあたりに位置すればこのような写真を撮れるのかご存知だったのしょう。100の魅力をいかんなく見せてくれます。

あかつか 2020/04/13(Mon) 10:33 No.1045
Re: 私のアルバムからF-100F
100の離陸はカッコ良いですねーー。確かにギアを入れる所を横から撮れる場所は無かったです。奥の国有地角では未だ浮いて無い、IHIの北ではもう頭の上。
良く見るとトラベルポッドは右左どっちにも付けるんですかね?それとも左右のドロップタンクの空気抵抗で決めるんですかね?
それにしてもタンクのデカさ!零戦の増そうの可愛いこと。これを押して行く訳だからエンジンの力って凄いね。
のらひこ 2020/04/14(Tue) 07:05 No.1046
私のアルバムからF-100F
2011年にAGC版「私のアルバムから」の上巻発行の際、Yoshinagaさんよりネガを拝借して掲載作品の検討に入ったところ、ルーペの中に飛び込んできたのがこの510TFSのF−100Dでした。昔板付に飛来したという噂は聞いたことがありましたが、まさかYoshinagaさんがお撮りになっていたとは本当に驚きました。眼が点になるとはこのことでルーペを持つ手が震えましたね。60年代前半の板付は正に“100マニア天国”だったんだ。 1962年.2.15日撮影

あかつか 2020/04/14(Tue) 17:58 No.1047
私のアルバムからF-100F
webでググッてカラー写真を探しましたが、退色が進んでいたり、モノクロだったりで見つからず。側面図が出てたので写真の下に嵌めてみました。スコードロンカラーが紫というのは珍しいですね。

あかつか 2020/04/14(Tue) 18:02 No.1048
Re: 私のアルバムからF-100F
1962年12月の板付基地の空撮。
左に見える三本煙突や、米軍住宅らしき建物、100の列線、当時の板付を知る方にとっては大変貴重な且つ懐かしい写真でしょうね。

一時、F−100やF−102を中心に、ヒコーキ写真マニアの「垂涎地」だった60年代のITAZUKE写真集を作ろうと思ったことがありましたが、その地に立った経験が無いと構想がまとまらないのですね。どなたかつくって頂けないかなあ。

あかつか 2020/04/16(Thu) 10:51 No.1049
私のアルバムからF-100F
Yoshinagaさんは新田原でもF−100やRF−101を撮られています。
駐機中の複数機を一つの画面に納めるお手本のようなショット。飛行機だけでなく写真そのものに造詣が深いことが感じられます。1962年10月3日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 10:59 No.1050
Re: 私のアルバムからF-100F
F−100の給油口の位置がこの写真でわかりました。
どんな事情か知る由もありませんが、板付からは距離も近いこともあって新田原や築城には100や102が結構飛来していたようです。62年11月5日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:12 No.1051
私のアルバムからF-100F
この100のタキシング写真、フィルム感が出ていると思いません?。PCに上げれば全てデジタルの範疇に入ってしまうのでしょうが、元がフィルムですと、どこか違うように見えるのは私だけでしょうか。キャノピー開けてのタキシング、角度もイイですね。

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:18 No.1052
私のアルバムからF-100F
築城からの“おかえり”のシーン。この雰囲気、胸に伝わるものがあります。62年10月5日撮影

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:23 No.1053
私のアルバムからF-100F
築城でお世話になった空自の皆さんに感謝の「御礼飛行」ではないかと勝手に想像しました。62年11月5日 撮影:Yoshinagaさん

これにて「板付の100」の特集を終らせていただきます。F−100ファンの皆さま、いかがでしたでしょうか。A−5ビジランティも機体デザインはノースアメリカンテイストが感じられますが、私たちオールドマニアにとってノースアメリカン言えばやはり86と100なんですね。
ノースアメリカン・スーパーセイバー万歳\(^o^)/

次章は「私のアルバムから」空軍機篇最後として「サンダーバーズF−100」を紹介いたします。

あかつか 2020/04/16(Thu) 11:43 No.1054
私のアルバムからF-100E

航空情報1958年12月号より

あかつか 2020/04/03(Fri) 11:05 No.1004 [返信]
Re私のアルバムからF100E
F−100というと三沢より板付がすぐ浮かぶのは、航空情報の現地取材記事や三軍記念日での情報が三沢より多かったせいもあります。
板付の写真マニアも1960年以前から少数ながら存在しており、東京のマニアと文通(写真交換)も盛んだったようで、当時撮影された驚くような珍しい写真を今でもときどき目にします。

私が駆け出しマニアの頃、航空情報に投稿されていたYoshinaga Hidenoriさんの写真をMoriさん宅で拝見し、板付で撮られた写真と関東で撮られた写真との違いを目の当たりにしました。
九州特有の陽の当りの強さ、撮影ポイントによる機体の角度、背景の山並み、そこには明らかに「横田の100」との違いが表れていたのです。

1962年4月16日、板付にて 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/03(Fri) 11:37 No.1005
Re: 私のアルバムからF-100E
No.1005は懐かしい写真です。MoriさんやEnomotoさんからF-100の写真をお借りして、航空情報1969年4月号の塗装図を描いたことを思い出しました。

コ永 2020/04/03(Fri) 13:04 No.1006
Re: 私のアルバムからF-100E
徳永さん、素晴らしいイラスト、美しい!!!またえこひいきになりますが、やはり100が綺麗ですね。同様な塗装をしたとしても、101、102、104、105、106をイメージして見てください。やっぱり100でしょう。それに機体の向き!!正式には(それがあったとして)横田人はいつも右向きしか見ていなかったので、どうも左向きが正しいような気がしてました。板付が羨ましかったです
のらひこ 2020/04/03(Fri) 18:09 No.1007
Re: 私のアルバムからF-100E
>徳永さん
徳永さんが若き日の脂の乗っていたころ描いたイラストは、多くのモデラーさんたちから大いに喜ばれたことでしょう。PACAF統合以前の各基地のF−100の写真は殆どモノクロでしたから。掲載誌面も懐かしいですね。

bP005の送りショットです。これらの着陸シーンも当時の関東の基地では撮れない角度でした。

あかつか 2020/04/03(Fri) 18:10 No.1008
Re私のアルバムからF100E
>のらひこさん
そうなんです。ヒコーキならずとも“見た目”というのは、すべて左向きが落ち着くのですね。人の横顔も左向、魚拓だって左。富士山をバックに走る新幹線は、写真でもイラストでもほとんど左に走っています。

TSPCの先輩Araiさんは「ヒコーキは無塗装がイイんだよ」とよく仰ってました。下のF−100Fの写真を見ますと、その説に納得させられます。  1962.11.5 撮影:Yoshinagaさん

bP005にしても、この写真にしても、とても58年前に撮られた写真とは思えません。私なんぞは今でもこのような写真は撮れないでしょう。

あかつか 2020/04/03(Fri) 18:22 No.1009
Re: 私のアルバムからF-100E
光のいたずらでしょうか?ソリッドモデルを宙に吊るして撮ったような幻想的な写真です。

あかつか 2020/04/04(Sat) 10:05 No.1010
Re私のアルバムからF100E
南国ならではの抜けた空、特有の雲、無塗装なんて関係なし。100ならではの余りある魅力。横田や厚木では先ず見られないショットです。
いいですねえ板付。62年9月24日、撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/04(Sat) 18:23 No.1011
私のアルバムからF-100E
有りそうで無いのがこうした真横に近い角度のF−100。
ノータンクというのも地元ならではのスタイルですね。62.5.6

あかつか 2020/04/04(Sat) 18:40 No.1012
Re: 私のアルバムからF-100E
>赤塚さん
板付のド素晴らしい写真の後で何ですが、未熟モンの横田カットを(汗)

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:44 No.1013
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:47 No.1014
Re: 私のアルバムからF-100E
お次は横田左向き、Rwy36の午後
徳永氏とご一緒でしたね

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:51 No.1015
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:54 No.1016
Re: 私のアルバムからF-100E
↑の続き2

多賀谷 2020/04/04(Sat) 22:59 No.1017
Re: 私のアルバムからF-100E
横田ならではの?

多賀谷 2020/04/04(Sat) 23:03 No.1018
Re: 私のアルバムからF-100E
おそ松くんでした!

多賀谷 2020/04/04(Sat) 23:06 No.1019
Re: 私のアルバムからF-100E
多賀谷さんの100の写真は、横田のいつものスポットとは違うところもあるんだぞという気概を感じますね。長玉を持てるようになると、みなさん、ウロウロとスポットを探し回ったのを思い出します。飛行機少年はどんなところにも入り込みましたよね。石播瑞穂工場の敷地に間違って入って叱られたことを思い出します。回り込んで消火訓練用の鉄骨の飛行機まがいを発見したときは寂しい気分になったもんです。
のらひこ 2020/04/05(Sun) 09:06 No.1020
私のアルバムからF-100E
ネット、エアバン、スマホの無い時代、僕らはランウェイエンドに佇んで目を凝らし風下の空をじっと見つめていました。
大空の下、黒点を発見すると、それが鳥なのか、凧なのか、点が大きくならなければハズレ。点が次第に拡大されカタチずいてきたとき、923の村越さんのように「100だっ!」と叫んだり、呟いたりしたものです。多賀谷さんの1005のときも、そんな感じだったのではないでしょうか。
便利さを追求するのは人の常なのでしょうが、一つ便利になると失うものが必ずあるというのが分かるのは年齢を重ねた今になってからです。前述のようなヒコーキ写真の楽しみ方を知る人が少なくなりました。

↓Yoshinagaさんが62年2月15日に撮られた計ったような100の等間隔の編隊ですが、100は地元機なので「キター!」ということにはならないでしょう。むしろ、これが横田のB−57だったりしたら叫んだかも知れませんね。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:00 No.1021
私のアルバムからF-100E
こちらは、撮影日が62年5月19日となってますから、板付の三軍記念日ではないでしょうか。J57×16発の大音響、聴いてみたかった。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:05 No.1022
私のアルバムからF-100E
62年11月5日の板付エンドの風景。写真からしか想像できないのですが、撮りやすそうな飛行場だったのですね。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:11 No.1023
私のアルバムからF-100E
上の着陸コースの延長線上の光景なのでしょうか。62年2月15日、撮影:Yoshinagaさん
これだけ数々の要素が詰まっている写真も大変珍しいですね。同時期に撮影された969のGabariさん、970のAnzaiさんの写真と比べるのも面白いです。
35TFSのF−100はともかく、外来のWF−2はどこの所属だったのか?とか、こんなに近くまでエンドに近寄れたのか、とか。そして柵なんか無いに等しい。
素晴らしい状況写真です。

そして右端に写るはマツダが初めて世に出した四輪乗用車、「クーペ360」ですよ。このデザイン、今でも立派に通用すると思いませんか?後継のキャロルといい、このクーペといい、マツダのカーデザインはいつも斬新で進歩的です。

あかつか 2020/04/05(Sun) 10:40 No.1024
私のアルバムからF-100E
1960年前後の板付での撮影ポイントは全く分からないのですが、この右向きの写真は午前中の撮影なのでしょうか。横田の拝島側、午後時間帯の光線状態に似てますね。 62.4.14 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:26 No.1025
私のアルバムからF-100E
トップ画像の8TFWのF−100Dと同様な条件下で撮られた嘉手納18TFWのF−100F。撮影日は上の写真と同日の1962年4月14日。 撮影:Yoshinagaさん

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:33 No.1026
Re: 私のアルバムからF-100E
当然ながらD型も降りてます。
空軍機が華やかだったのは1962年までですね。50年代の海軍機にしても当時の塗装デザインは機体のシルエットに合わせた塗り方をし、マーキングもほどよく表していました。
戦後デザインの世界にも才能を持つ人たちが方々の分野に集まり、もっとも花開いた時期だったのでしょうね。
オジサンは現在の何でもアリの世界には連いてイケマセンデス。

あかつか 2020/04/06(Mon) 09:47 No.1027
Re: 私のアルバムからF-100E
板付の尾翼のマークの上の部分の赤は、それぞれ使っているフィルターで発色が違いますね。又機首のバンドも色々と色使いが違っていそうですね?徳永さん、55年前の疑問を解いて下さい。家に籠ってると細かい事が気になります。どうぞよろしく。
のらひこ 2020/04/07(Tue) 07:00 No.1028
私のアルバムからF-100E
>のらひこさん
私も同じく籠っていますのでググってカラー写真を探してみました。
のらひこさんお持ちの80TFSの油彩画のカラー写真が見つからず、S.Noは違いますが側面図が出てました。

あかつか 2020/04/07(Tue) 15:36 No.1029
私のアルバムからF-100E
Manabeさんが撮影された板付の1958年頃の三軍記念日。この写真ですと、三色の色あいがモノクロからでも想像できます。
近年ではモノクロ写真をコンピューターで分析し、実際の色を再現できるんですってね。
空恐ろしい時代になったものです。

あかつか 2020/04/07(Tue) 15:48 No.1030
Re: 私のアルバムからF-100E
>のらひこさん、
ご指名により答えさせていただきます。ご質問は嘉手納にいた18TFWのF-100の事だと思いますが、彼らは垂直尾翼に共通の赤白青の矢じりを描き、各飛行隊は、
  12TFS:黄・黒・黄
  44TFS:青・白・青
  67TFS:赤・白・赤
の帯を機首に描いていました。その後空軍の指導書AFM66-1により機体整備の権限が航空団の責任となり、航空団で統一した整備が行われるように徹底されるようになったため、機体の共通化が図られ飛行隊ごとの塗装が1962年暮れまでに廃止されてしまいます。
55年間も悩まされていたのですか?中央線用廃機の飲み会の時にでも聞いていただければと。

>多賀谷さん、
No.1019の写真は素晴らしいですね。銀塗装と迷彩塗装が混在したこの時代をよく表していますね。
コ永 2020/04/08(Wed) 10:36 No.1031
Re: 私のアルバムからF-100E
徳永さん
ありがとうございます。そう嘉手納のことでした。実は三色の矢尻の一番上の色がモノクロの写真でそれぞれ違うので、不思議だったんです。私は見たことがないもんで!しかし何度も言いますが、この三角矢尻はおしゃれですよね。
no1019!!同感です。100マニアの机上に置くべき写真です。少しいたずらをして、一番手前の機の塗装をお好みの、つまり三沢か板付か嘉手納の塗装にモノクロで書き加えたら凄い写真になりますね。歴史の改ざんですけど、100の系譜図ということで・・・・
なお、中央線用廃機の会は、部品どり機の会と名称変更し、コロナが去ったら、是非やりたいです。その際はモーターショーの歌を歌いましょう。
のらひこ 2020/04/08(Wed) 14:51 No.1032
私のアルバムからF-100E
>のらひこさん
コロナが去ったら「部品どり機の会」を開催するようですが、その際は是非参加させてください。“部品どり機”は都内だけでもゴロゴロ転がっているようですから、いろいろお集めになったらいかがでしょうか。

モーターショーの歌というのは1964年リリース「自動車ショー歌」のことですか?。あの歌はスバラシイ!。60年代の代表歌のひとつと思ってます。近年は若いミュージシャンがよく歌っているのが名曲だということの表れですね。
歌や歌詞はYoutubeで多くアップされてますが、オススメはこれ。
街場のオジさんたちも負けていません。
https://www.youtube.com/watch?v=1fes5PyY4qk
あかつか 2020/04/09(Thu) 12:18 No.1033
私のアルバムからF-100D

航空情報 1957年7月号より

あかつか 2020/04/01(Wed) 10:05 No.997 [返信]
Re私のアルバムからF-100
上は1957年の横田三軍記念日での写真と記事ですが、当時の航空専門誌記者の知識の浅さがうかがえます。
まあ、1950年代の世界の航空状況は日進月歩で、航空情報でも「今月の新鋭機を斬る」なる対談があっても毎号連載していたくらいですから、細かいところまで目が届かなかったのでしょうね。編集者も読者も幸せな時代でした。

(5)の説明・・・・見飽きるどころかRF−86Fではないですか。当時にしてもレアな86ですよ。
(6)の説明・・・・右の写真がその86Dのアクロバットらしいのですが、スゴイ写真!カメラマンに脱帽。ナマ写真が見てみたい。
(7)の説明・・・・この記者は板付から飛んできたF−100Dと勘違いしている上、RF−100Aの存在をご存じない。でも大半の読者も「ヘンなF−100だなあ?」と思うだけでツッコミなど入れる人など居なかったでしょうね。
かくいう私も若い頃ENOMOTOさんから写真を見せていただくまで、F−100に偵察型があるなんて全く知りませんでした。
あかつか 2020/04/01(Wed) 10:39 No.998
Re: 私のアルバムからF-100D
Nomuraさんが撮られた三軍記念日でデモ飛行するRF−100A。
観客の多くはF−100自体初めてみたことでしょう。それにしても正体すら詳らかにしなかったRF−100をよく公開したものです。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:22 No.999
Re: 私のアルバムからF-100D
デモを終えエプロンへ戻るRF−100。撮影:NAKASATOさん。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:25 No.1000
Re: 私のアルバムからF-100D
さすがに観客の近くには駐機しなかったようで、Nomuraさんも残念に思われたことでしょう。それでも横田と分かるショットですから、充分価値ある写真です。

あかつか 2020/04/01(Wed) 17:41 No.1001
私のアルバムからF-100D
1956年10月22日撮影のRF−100A。撮影:NAKASATOさん
板付にF−100Dが到着したのが11月4日ですから、それより以前に横田でRFの100が見られたわけですね。
実際横田には何機のRFが居たのかは不明ですが、当時のマニアの話では2機は居たようです。北朝鮮や中国への偵察任務にあたっていたそうで、RB−57Dロングスパン”が横田に配備されると交代するかのように台湾へ移動、そのまま台湾空軍に供与されました。

冷戦とは正に『R』の時代だったんですね。
マニアが横田で撮影した5、60代の空軍の“R機”を並べてみてもRF−84F、RF−86F、RF−100A、RF−101C/G、RF−4C
RB−47E/H、RB−50D/G、RB−57A/D/F、などなど、こんなに居たんですね。ほかにRT−33Aの写真も見たことあります。

あかつか 2020/04/01(Wed) 18:24 No.1002
Re: 私のアルバムからF-100D
航空情報 1957年7月号,面白いですね。朝鮮戦争が終わってまだ4年、編集部も飛行機マニアも資料がなく、60年を過ぎるころにはアシュトレイだ、ヘイメーカーと騒ぎ出しましたが、57年には何が何だか判らなかったのが実情でしょうね。又、アメリカという国は、相手が判らないことに異常に恐怖を覚えるようで、スパイ合戦をはじめ、ものすごい精力を傾注してましたね。でもソ連やイギリスの方がヒューミントでは数段上だったようです。
のらひこ 2020/04/02(Thu) 18:21 No.1003
私のアルバムからF100W

航空情報1960年7月号より

あかつか 2020/03/26(Thu) 15:01 No.976 [返信]
Re私のアルバムからF100W
昭和30年代のヒコーキ写真マニアにとって“伝説の三軍記念日”と語り草になっている1960年の横田の公開時での航空情報の掲載写真と記事です。
何と言ってもその凄さは、ちょうど沖縄から18TFWのF−100D/F、16FISのF−102A、15TRSのRF−101Cが複数機ずつ飛来しており、基地公開中でありながら訓練飛行をマニアの目の前で展開するという願ってもない三軍記念日だったのです。

航空情報の記事では『例年もっとも人気の集まるのがこの横田基地だが、今年はジョンソンに押されてやや淋しい感じだった。』と書かれていますが、ジョンソンでは日本の航空初飛行のアンリファルマン機(複製)の返還式があり、操縦された徳川好敏翁が出席。また、ブルーインパルスの前身“空中機動研究班”(天竜チーム以前)が一般の前で初披露するなど、ジャーナル的な面では大変新鮮な出来事だったからです。
前スレッドでRF−101とF−102はご紹介しましたので、ここからはF−100の当日の模様を発表いたします。写真はすべて1960年5月21日撮影。
あかつか 2020/03/26(Thu) 15:30 No.977
Re私のアルバムからF100W
八高線の牛浜駅を降りて20分ほど歩き、基地のゲートを抜けると真っ先に目に飛び込んできたのがこの光景。
びっしりと敷きつめた芝生の向うにはアメ車、米軍施設。そして憧れの戦闘機群を遠目に見ながら足早に公開エプロンの入場口へと向かう。このときの期待と高揚感は、どなたも思い出として心に残ってるのではないでしょうか。
富田さん、すばらしい写真を残していただき感謝しております。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:32 No.978
Re私のアルバムからF100W
ENOMOTOさんが撮影した18TFWのF−100DとF。
同じ駐機中の機体を撮ってもどこかが違う。ENOMOTOさんらしさが画面から感じるのは二眼レフによるローアングルのせいかも知れません。
原版の画調は6×6判特有の35mm判に無いなめらかさがありました。

あかつか 2020/03/27(Fri) 00:50 No.979
Re私のアルバムからF100W
上の写真はAGC版「在日アメリカ空軍機写真集」にも掲載されていますが、写真解説の中に『F−100D(55−3551)は背部のアクセスパネルが開いているが、機首上部パネルを開けている写真も残っているので、この日、一日中トラブルシューティングをやってたようだ。』と書かれています。

その機首上部パネルを開けていたときの写真がこれ。60年ぶりに証拠写真を見ることができたわけです。撮影:Tomitaさん

あかつか 2020/03/27(Fri) 15:58 No.980
Re: 私のアルバムからF100W
飛行機写真は、1960年12月以前に活動を開始した方々と、1961年以降の方たちに大きく別れますね。良く言う何々以前派、以後派ですね。特にこの12ケ月が大きいですね。横田の空を舞った100の鳥達。それを見なかった人達。以前派の人達が今でも「大人」に感じられる遅れて来た子供です。
のらひこ 2020/03/28(Sat) 08:15 No.981
Re私のアルバムからF100W
>のらひこさん
ヒコーキ写真マニアそのものの考え方にも二つに分かれるように思います。
私らのように、ほんの数年の差で見られなかった(撮れなかった)ヒコーキに対する思いが強いマニアと、自分が見た(撮った)機体にしか興味を示さないマニアですね。たぶんこのBBSUを楽しんでおられる方は前者タイプのマニアではないでしょうか。
私は勿論バリバリの前者です。
あかつか 2020/03/28(Sat) 10:07 No.982
Re私のアルバムからF100W
ソリッドモデラーのTAKADAさんからのご投稿です。

<コメント>
私のアルバムから、毎日楽しみに見ております。
967のF-100D/FW-278を見て懐かしくついメールを書いております。
1960年5月の横田三軍で、田舎モンがいきなり100,101,102を見た感激は一生もので、その半世紀後に漸く作りたかった望みが叶いました。
F-100Dは目の前をタキシングして展示飛行に向かいましたが、FW-278はほんの目の前を通り過ぎた機体でした。100,101,102共この日に見た機体を作りましたが、塗装(部隊マーク)は共に気に入ったもので非常に幸運だったと思ってます。
今は昔ですが、あの頃の写真を見ると今でも血が騒ぎます。

あかつか 2020/03/28(Sat) 13:56 No.983
Re私のアルバムからF100W
TAKADAさんがつくられた想い出の3機。実物を何度か拝見しましたが、たいへん素晴らしいモデルでした。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:02 No.984
Re私のアルバムからF100W
983のF−100の写真見て、尾翼から松?の木が生えているようなシュールな感じを持ちましたが、下のNAKASATOさんが1957年の横田の三軍で撮られたFJ−4のバックにそれらしい木が写っていました。ヒコーキファンとしては少々気になる木ですね。

あかつか 2020/03/28(Sat) 14:16 No.985
Re: 私のアルバムからF100W
TAKADAさんのソリッドは、絶品ですね。プラモと違って世界にワンセットの、私が見たくて見られなかった「極彩色」での再現ですね。101のおしゃれな衣装と言い、102のツンと澄ました尾翼と言い、100の赤の鮮やかさと言い、机の上に飾りたいけど、ワンセットしかないんですからね〜〜〜。そして諸説あるでしょうが、ソリッドは見るからにその充実感を外から感じさせるのは何故でしょうか。正月の浜チャンの芸能人格付け番組で北原さんなら、見るだけで判るでしょうか?
のらひこ 2020/03/29(Sun) 10:39 No.986
Re私のアルバムからF100W
TAKADAさんの983は標準レンズ(45〜50mm)での撮影と思われますが、同時に撮られたGabariさんはTAKADAさんよりいくぶん前に出ていたようですね。立ち位置が違うのはロープが張ってなくどこからでも撮影ができたということなのでしょうか。今の基地公開での常識からすれば考えられないことです。

あかつか 2020/03/29(Sun) 12:03 No.987
Re私のアルバムからF100W
こちらはNomuraさんが6×6判のミノルタ・オートコードでガッチリ撮った18TFWのF−100D。
「データ派」も「シャシン派」も納得のショット。皆さん思い思いの場所で撮り放題。羨ましいかぎりです。

あかつか 2020/03/29(Sun) 13:05 No.988
Re私のアルバムからF100W
979のF−100Fと同機ですが、撮影者の位置はENOMOTOさんとは違うようです。フライト後のショットと見ました。
この時代では珍しかった望遠レンズを使っていますね。たぶん135mmだと思います。撮影:Tomitaさん

あかつか 2020/03/29(Sun) 23:45 No.989
Re私のアルバムからF100W
公開時間終了間際まで粘り、ガードから追い出しを受けながら、トーイングシーンを撮れるのも三軍記念日ならではのことでした。
Tomitaさんが撮影されたこのショットは、トーイング写真のベストと言ってもいいのではないでしょうか。
上手にはヴードー、下手にはフォローミー、遠くにKB−50が見え、1960年横田三軍記念日の1日の終わりを一枚の写真で見事に表現しています。このような写真を撮ってみたかった。

あかつか 2020/03/30(Mon) 14:46 No.990
Re私のアルバムからF100W
送りのショットには那覇の102が写ってます。
ここで記念すべき1960年5月21日の撮影行は終えるわけですが、たぶん先輩たちは帰りの電車の中で心地よい疲労感に浸り、夢心地で家路についたことでしょう。

この日はジョンソン基地と同日公開だったため、朝一にションソンに飛び込んで展示機を漁り(F8が初公開だった)、急ぎ足で横田へ向かっています。従って、空中機動研究班の86Fのデモ飛行の写真が余り残されていないのは、東京在住のマニアが飛行前に横田へ移動したからですね。

あかつか 2020/03/30(Mon) 15:14 No.991
Re私のアルバムからF100W
1966年5月15日。厚木三軍記念日でのF−100F。
前夜から降り続いた雨が上がり、朝一に入場して展示機の”拾い撮影”をしている最中、F−100Fが突如飛来、展示場に人除けしながら滑ってきます。驚いたなあ。

あかつか 2020/03/30(Mon) 23:52 No.992
Re私のアルバムからF100W
987のGabariさんのショットに似てますが、1960年のメタルの素肌にカラーマーク付きのF−100とは100のイメージがまったく異なります。
それでも良し”。という気には中々なれませんね。

あかつか 2020/03/31(Tue) 00:00 No.993
Re私のアルバムからF100W
なぜかカラーも撮っていました。
1961年横田三軍記念日で、初めて100のジュラルミンの素肌に触れて大感激したのですが、6年後の100は泥沼塗装に身を包み、そばに寄って触る気はありませんでした。偶然画面に入り込んだ青年の姿が、そのときの私の気持ちを代弁してるようにみえます。。

あかつか 2020/03/31(Tue) 00:11 No.994
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