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私のアルバムからB-57(4)

航空情報 1965年7月号 掲載

赤塚 2019/09/27(Fri) 13:35 No.543 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57(4)
1965年7月号の航空情報に掲載されたRB−57Fの紹介記事。
この物々しいキャッチコピーが懐かしくトップ画像としました。今でも「○○現わる!」という見出しはときどき使われますが、この航空情報では、多分1956年に公開された大映映画「宇宙人東京に現わる」からヒントを得たのではないでしょうか。
じつはこの映画、少年のころ封切りで観ています。当時第一次UFOブーム。洋画・邦画とも宇宙モノ、SFモノが大流行していましたから、航空情報編集者の方もこの手の映画を何本も観たことでしょう。RB−57Fの記事を構成するとき、ふと、そのタイトルを思い出したのではないかと思います。
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-1726.html

RB−57Fの初飛来は1965年5月16日の三軍記念日に横田へ降りたと聞いていますが、私は当日現地に行ってないので詳細は分かりません。
この頃にしては、来日情報が早くから知らせされており、U−2やRB−57Dのような神秘性はなく、マニアの興奮度は余りなかったような気がします。とは言え個性的なスタイルゆえ、暫くの間はマニアから注目の的で、私も何回か横田通いをしております。
赤塚 2019/09/27(Fri) 13:37 No.544
Re私のアルバムからB-57
基地公開時で地上展示機を撮るのに、ちょうど35mmの広角レンズを入手したばかりでしたので、すぐにRB−57Fを箱根ケ崎のトンネルの上で撮影することを思い着いたのです。
初来日して約一か月半の7月2日、箱根ケ崎のトンネルの上でカメラを出すとすぐに降りてきました。仕上げた写真を見て、あと0.5秒ほど遅くシャッターを切れば尾翼のラインが出ましたが、ほとんどトリミングしてませんから、まあ、こんなところだろうと納得。翌週からいつものように厚木通いが始まりましたので、再びトンネルの上に立つことは無く、私にとって思い出のRB−57Fとなっています。

赤塚 2019/09/27(Fri) 14:10 No.545
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no545と足して2で割ると丁度良い写真を貼ります。ひと月後の8月の撮影です。地上を見るとガードボックスがあったんですね。多分オーバーランの工事のためのボックスだったようです。キャノピーが見えない写真ってなんか間が抜けてます。

のらひこ 2019/09/28(Sat) 21:08 No.546
Re: 私のアルバムからB-57(4)
>のらひこさん
確かに・・。RB−57Fの特徴を表現するには、Hamanoさんが撮られたこの角度の写真となるのでしょうか。
RB−57FはSNBと似てエンジン廻りが太いので、理想的角度となると斜め前からの俯瞰気味のショットだと思うのですが、RB−57FがSNBのようにショートカットで降りたことは無かったような気がします。
それにしても、こんなユニークなヒコーキが毎日のように飛んでいたのですから、もう少し横田へ通って思う存分撮っておくべきでした。

赤塚 2019/09/29(Sun) 17:50 No.547
Re: 私のアルバムからB-57(4)
地を這うようなRB−57Fのタキシー。 撮影:Hamanoさん
キャノピーまわりが“キャンベラ”の形状を残しますが、全く別物といっていいほどの改造です。
横から大風が吹いた際、タキシングやランディング時に主翼が地面に着くようなことは無かったのでしょうか。

赤塚 2019/09/30(Mon) 17:46 No.548
Re: 私のアルバムからB-57(4)
こんにちは
色々珍しいアングル、場所等で楽しく拝見しています
”今”のヒコーキ写真に無いアート性を強く感じるのはモノクロのせい?ノスタルジーのせい? 難しいですね

57Fに移っているようですが、ひとつ面白い事がわかりましたのでただの57Eですがいくつか
 今見返すと思ったほど撮っていなかった57ですが、なんと1964年の初57と72年嘉手納で最後に撮った機体が同じS/No.55-4281でした (笑)
多分一番よく飛んでいたのでしょうね
一枚目 1964年5月17日 横田三軍記念日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:05 No.549
Re: 私のアルバムからB-57(4)
二枚目 1965年7月16日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:06 No.550
Re: 私のアルバムからB-57(4)
三枚目 ↑の後姿

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:08 No.551
Re: 私のアルバムからB-57(4)
四枚目 1966年1月3日 養鶏場そばの空き地

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:09 No.552
Re: 私のアルバムからB-57(4)
五枚目 1970年8月26日
のらひこさんNo546の57E版(笑)

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:13 No.553
Re: 私のアルバムからB-57(4)
6枚目 最後は1972年4月7日の嘉手納でした
この55-4281は無事お役目を終え、1979年7月24日MASDC入りしていました

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:14 No.554
Re: 私のアルバムからB-57(4)
ダブルタンゴさん、55−4281は1956年には配備されていたんでしょうから、79年までの23年間飛んでいたわけですね。それも、迷彩でベトナムを生き抜いた素晴らしく幸運な機体です。横田のゲートガードにしてくれないかな。別件、今日、電車のゲートガードの足を故意に踏みました。気持ちの良い一日でした。
のらひこ 2019/10/01(Tue) 18:52 No.555
Re: 私のアルバムからB-57(4)
「白昼夢」

赤塚 2019/10/06(Sun) 11:58 No.556
Re私のアルバムからB-57
横田のRwy18へ進入するRB−57F。撮影日は不明ですが、J60エンジンを外していることから1969年頃の撮影ではないでしょうか。

絵画や写真の世界では“美”の表現と対抗するかのようにアバンギャルドな作品が、ときに注目されますが飛行機写真では、
このような作品が飛行機ファンの目に触れることはありませんでした。
しかし、I.NAKANOさんが撮影されたこの作品、私たちの常識を超えていて、言わば飛行機写真でのアバンギャルド。
レンズの周辺光量不足なのか、何らかの原因で画面がケラれたのか、トライXのハイ・コントラスト現像も作為があったのかは想像の域を出ませんが、
それがかえって効果的となり、RB−57Fの不気味な存在感が画面から伝わってきます。私は凄い作品だと思います。
赤塚 2019/10/06(Sun) 11:59 No.557
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no556...なんとも不思議な写真ですね。影がダンプの下にしか無い!季節は真夏ではなさそうですが、昼前後らしい。新青梅のトンネルの先に着陸灯を延伸する工事中なんでしょうが、ライトの支柱の影が全く見えない。南中に近い時刻にはこういう写真が撮れるんだという実例です。真夏ではないにしても明るいさ中、よっぽど開いた上、高速で切ったんですかね。
また、ダンプがいるのに音を感じさせない。RB-57Fを何回か撮ってますが、そんなに静かだったんでしょうか?この機体のミッションを暗示させる写真です。
のらひこ 2019/10/06(Sun) 12:30 No.558
私のアルバムからB-57 V

航空情報1964年1月号掲載

赤塚 2019/09/12(Thu) 18:03 No.517 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57 V
“ゴーナナ”のエンジンスタート時における「決定的瞬間」と言える傑作。
ここでも航空情報の評と、現場を見てきたマニアの評価は分かれますね。特に後部座席の人物の動きの件の評は的はずれ感が否めません。
当時のマニアたちは、何回も見て聴いてきたB−57のエンジンスタートの瞬間をカメラに納めようとしたと思いますが、この作品のような決定的瞬間を捉えた写真を私は見たことがありません。
撮影者の吉田誠二さんは、200oを購入されたときからこの瞬間を納めようと構想を練っていたと思います。でもなければ、公開時の人波の中でこの撮影ポジションを確保してこの傑作をカメラに納めることは不可能だったでしょう。吉田さんは私と同年代のマニアで、青少年時に横田や厚木のエンドで時々お会いしましたが、マミヤの“標準時代”もセンスよいの作品を残しています。

“ゴーナナファン”を意識したと思われる音響集
http://b-57canberra.org/b-57sounds.htm
赤塚 2019/09/12(Thu) 18:08 No.518
Re: 私のアルバムから B-57 V
1964年9月、小牧航空祭でのエンジンスタートの瞬間。 撮影:TakahasiYutakaさん。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:35 No.519
Re: 私のアルバムから B-57 V
“ゴーナナファン”の私としては、このシーンを撮りたかったのですが撮影の機会は訪れませんでした。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:40 No.520
Re: 私のアルバムからB-57 V
中井八郎さんが1957年のジョンソン三軍記念日で撮影されたB−57Bのエンジンスタート。
無風に近い状態だったのか、黒煙が“襟巻”のように機体にまとわりついていますね。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:56 No.521
Re: 私のアルバムからB-57 V
1961年5月21日、板付三軍記念日でのスナップショット。
「写真は時代を映す鏡」とも譬えられますが、YOSHINAGAさんのこのショットは正に60年代の三軍記念日を表現しています。飛行機と共に、写真そのものにも興味が深くないと、こうした写真を撮ることができませんね。素晴らしい作品だと思います。

赤塚 2019/09/13(Fri) 16:09 No.522
Re: 私のアルバムからB-57 V
no522の写真は凄いですね。ケロシンではないでしょうが、潤滑油かその他の補給を、見学者のいるところでやってたんですね。如何にも前線に一番近い基地って感じです。また、スターターの理屈がこれで良く判りました。スピナーみたいなやつを開けてカートリッジを挿入、発火させるとその横の小さい排気口から火薬の硝煙が出るんですね。左右のエンジンとも、排気口は同じく向かって左なもんで、右側の胴体が汚れるんですね。あのホアンホアンという音は何なんでしょう。ハンターと違い、ナセルの反響が大きいんですかね。
のらひこ 2019/09/14(Sat) 08:52 No.523
Re: 私のアルバムからB-57 V
B−57Bがジョンソン基地に配備され、一般に初めて公開されたのは1956年5月17日の羽田三軍記念日であることが、同年7月号の航空情報に掲載されていました。
写真も見開きの誌面構成もじつに良くできていて、編集者の気合の入り方が誌面から伝わってきます。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:25 No.524
Re: 私のアルバムからB-57 V
↓はこのときの生写真です。さすがにこのとき羽田三軍記念日でB−57の写真を撮ってる人は、私が知る限り能村実さんしかおりません。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:28 No.525
Re: 私のアルバムからB-57 V
#524の誌面Cの「警備員とB−57を追う少年」のカットいいですね。少年の気持ちと警備員の風情が“昭和”の時代を感じさせてくれます。

↓は1961年の横田三軍記念日でTSPCのGabariさんが“ゴーナナ”に最接近して撮ったものですが、No.524記事上の少年のように警備の人から注意されなかったのでしょうかね。凄すぎませんかこの写真。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:41 No.526
私のアルバムからB-57 V
お早うございます。
Gabariさんのタキシング写真は凄いですね。
1963年の同じタキシングの写真ですが、標準ではこれが限度でした。ですからGabariさんの時はもっと近かったということですね。

徳永 2019/09/17(Tue) 10:15 No.527
Re: 私のアルバムからB-57 V
>徳永さん
J−65×2の特徴あるタキシー音が聞こえてくるようですね。

↓は1961年9月24日の横田公開日にて能村先生が6×6判ミノルタ・オートコードでガッチリ押さえたB−57の雄姿。

赤塚 2019/09/17(Tue) 17:32 No.528
Re私のアルバムからB-57V
私たち団塊マニアはほとんど見たことのない「ゴーナナ」に、標的曳航機としてのB−57Eがあります。
E型がジョンソンから横田へ移ったときにには、標的曳航の役目は解かれ、特徴であった胴体上部への塗装は赤く塗っていませんでした。

↓は中井八郎さんが1957年5月17日のジョンソン三軍基地で撮影した標的を収納されたままの「E型」。モノクロで分かりにくいですが機体上部が赤く塗られています。

赤塚 2019/09/18(Wed) 19:00 No.529
Re: 私のアルバムからB-57 V
1959年12月21日,Watanabeさんがジョンソンで捉えたB−57E。Watanabeさん世代のマニアでも米軍基地時代のジョンソンのエンドへ行った人は少ないですね。私は4名のマニアの写真しか見たことがありません。

赤塚 2019/09/18(Wed) 19:11 No.530
Re: 私のアルバムからB-57 V
1958年頃に撮影されたNAKASATOさん撮影のB−57E。
ジョンソンでのショットだと思われます。

赤塚 2019/09/19(Thu) 11:21 No.531
Re: 私のアルバムからB-57 V
B−57が初飛行した頃、ニックネームは確か nightIntruder と呼ばれていたように記憶してますが、ネームは定着しなかったようで、英空軍と同様 Canberra となりましたね。

いかにもnightIntruderなる名称が納得のブラック塗装。文字は赤。
50年代に活躍していたマニアでないと見られませんでした。
1958年1月20日、NAKASATOさん撮影。

赤塚 2019/09/19(Thu) 23:12 No.532
Re: 私のアルバムからB-57 V
言われなければ分からない厚木でのB−57Bの着陸(又はローパス)
1957年、元祖アツギマニア、K.KONDOHさん撮影。

赤塚 2019/09/20(Fri) 17:55 No.533
Re: 私のアルバムからB-57 V
no533のk.kondohさんの度肝の抜かれようは想像を超えますね。航空情報が唯一の情報源でしたから、黒ゴーナナを知ってはいたでしょうけれど、厚木に降りてこようとは思いもしなかったのではないでしょうか?我々団塊族は、こういった度肝抜かれはそうなかったです。RB-57Fにしたって存在を知っていましたし、K.Kondohさんの驚きに匹敵するのは何なんでしょうかね?
のらひこ 2019/09/20(Fri) 18:35 No.534
Re私のアルバムからB-57V
TSPCの賀張さんが1958年の立川三軍記念日で撮影した「ブラックなゴーナナ」のスナップショット。
当時のマニアは三軍記念日の前日に降りてくる展示機の着陸を狙ったり、“おかえり”の機体をエンドで撮るなど考えもしなかったでしょう。世の常識として若者が平日に休むことなどトンデモない事だったのです。
とは言え、この「ゴーナナ」が砂川側でターンする姿を想像するだけでゾクゾクしますが、残念ながら写真は見たことがありません。

赤塚 2019/09/21(Sat) 14:58 No.535
Re私のアルバムからB-57V
上と、この写真に写る“ひと”から50年代のアメリカと日本の文化の差を感じます。子どもや大人も長谷川町子の漫画に出てきくるような姿。一方、米軍関連の家族や子供は、当時のアメリカのテレビドラマの画面からそのまま出てきたようなファッションに身を包んでいます。(特に子どもたち)
年に1度の三軍記念日の楽しみは、ヒコーキだけでなく、アメリカの文化や生活にじかに触れることも三軍記念日での楽しみの一つだったのです。が、今やこうした話も伝説となってしまいましたね。

赤塚 2019/09/21(Sat) 17:24 No.536
Re: 私のアルバムからB-57 V
1958年11月のRB−57A。NAKASATOさん撮影。
ジョンソンの3BWのB−57B/Cより早くに日本に配備され、千歳からサハリンに偵察していたという見るからに怪しいキャンベラですが、1958年の横田三軍記念日でデモ飛行を行っています。
この「ブラックなキャンベラ」ひと目見たかったものです。

赤塚 2019/09/23(Mon) 17:34 No.537
Re私のアルバムからB-57V
我々世代のマニアがRB−57Aにはじめて出会ったときは、尾翼にWEATHERのバンドを引き、外見上はおとなしくなってました。とは言え、冷戦時代ですから、危ない仕事に就いていたことには違いないでしょう。

1963年3月21日、A.Ichijohさん撮影

赤塚 2019/09/23(Mon) 17:47 No.538
Re私のアルバムからB-57V
1962年1月、板付に飛来したRB−57A。YOSHINAGAさん撮影。
ロケ地が違うだけで、機体の雰囲気が変わるのはいつも通りです。無塗装のキャンベラもまた魅力的ですね。

赤塚 2019/09/25(Wed) 00:01 No.539
Re: 私のアルバムからB-57 V
1959年5月16日、横田三軍記念日でのRB−57A。
この日はF−102A、RB−47Eの初展示にマニアはそちらの方に目が行ったらしく、地元機であるRB−57Aの写真は少ないですね。
そこは能村先生、6×6のミノルタ・オートコードでガッチリ撮られています。しかしこの本降り、撮影は難儀したでしょうね。

赤塚 2019/09/25(Wed) 18:57 No.540
私のアルバムから B-57U

航空情報1960年3月号

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:23 No.487 [返信]
私のアルバムからB-57U
渡邊俊彦さんの航空専門誌掲載初作品。

飛行場にはまだ羽田しか行ったことがなかったころ、航空情報に載っていたこの写真を見、基地周辺はこの様になっているのか、
そして目前にB−57が降りて来る・・・。
見たい! 撮りたい! 少年時代の私にそんな思いを抱かせ、夢を与えてくれた作品です。

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:44 No.488
Re: 私のアルバムから B-57U
南側のジョンソンは、西の道路の上からしか見たことがありませんが、この写真の感じが少し残ってました。情景と言い、57の姿と言い、実にシュールな感じの写真ですよね。真横少し下から見るとなんかトカゲのような飛行機だったんですね。まだ、横田に全面移籍前なんでしょうから、この写真の当時はジョンソンの主だったんでしょう。古い飛行機なんで特に着陸滑走距離が長いのか、低く降りてきたもんです。上からドスンは余り無かった気がします。前のスレッドのゴーナナを見渡すと、いろんな見え方のする機体です。
のらひこ 2019/09/01(Sun) 11:09 No.489
私のアルバム B-57U
のらひこさん、このシュールさはどこからきているのでしょうね。
AGC版「在日アメリカ空軍機写真集」でのT.MATSUZAKIさんの解説をみてみましょう。

『ジョンソン基地Rwy35にアプローチするB−57C(53−3854)を小川の岸まで下り、縦位置で狙ったもので、センスの良さが光るショット。
小川の情景などは今とほとんど変わってないのに、この写真からは静けさや、静寂感みたいなものが伝わってくるから不思議だ』

航空情報の評と合わせて読むと、この作品のシュールさが少し分かるような気がします。決め手となったのは一片の雲すらない空。
僕にはゴーナナがUFOのようにも感じます。
正に“白昼夢”。Yokomori先生、うまいこと言ってますね。
赤塚 2019/09/01(Sun) 12:15 No.490
私のアルバムから B-57U
B-57の好きなアングル。いろいろ開いて、カラーで撮りたかった写真です。シュールさはありませんが。

徳永 2019/09/01(Sun) 17:03 No.491
Re: 私のアルバムから B-57U
徳永さん、なるほど。迷彩機のドアの中の赤や黄色はアクセントとして効いてきますね。反則ですが、南米らしいカラーのキャンベラB(I).68を張ります。2012年6月23日、娘のおごりでマチュピチュに行ったとき、ガードの制止を振り切って撮ったペルー空軍の機体です。飛行場で正面から、キャノピーが左にオフセットしてあるゴーナナを見つけ、列から20mぐらい離れて、腰だめで撮りました。でも、この機体の爆撃手にはただでも乗りたくないですね。全く外が見えないんでしょ。

のらひこ 2019/09/01(Sun) 19:34 No.492
Re: 私のアルバムから B-57U
>東野さん
まさか現役のキャンベラに出会えるとは全く思ってもみなかったでしょう。マチピチュの絶景とどちらが印象に残っていますか?
画面右にも色違いのキャンベラが写ってますね。いやはや驚きました。

>徳永さん
カラーならば、というのは良く分かります。
こうした角度の写真は意外と少ないのですが、Watanabeさんも似た角度の写真を撮っていました。1963.3.14

赤塚 2019/09/03(Tue) 00:09 No.493
Re: 私のアルバムから B-57U
1962年夏、夕暮れの箱根ケ崎。
航空情報写真コンテストに出されたかどうかは不明ですが、もし応募されていれば入賞間違いなし!! Watanabeさんの傑作。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:07 No.494
Re: 私のアルバムから B-57U
1961年2月20日、T.Moriさん撮影。
「36の木の上」から200oで撮ったと思われますが、B−57の列線を入れ込んだ写真は珍しいだけでなく、ゴーナナが横田に駐留していたことが分かる史料写真でもあります。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:14 No.495
Re: 私のアルバムから B-57U
1963年8月、K.TAKADAさんが撮影された横田・ランウェイ18に進入するB−57B。
じつはこの写真大変貴重な記録写真。1963年当時18エンドで写真撮っていたマニアはお分かりでしょうが、エアポリスを恐れ、
この写真の撮影ポイントで撮る勇気ある人は少なかったのではないでしょうか。私もここで撮った写真は1枚もありません。
若かったんだから多少冒険しても良かったかなあ、とTAKADAさんの写真拝見して後悔しています。

赤塚 2019/09/04(Wed) 18:12 No.496
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜夏」 ワタナベさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:10 No.497
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜冬」 MORIさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:13 No.498
Re: 私のアルバムから B-57U
箱根ケ崎側の作品が続きましたので、拝島側へ戻ります。
1963年に撮影されたWatanabeさんの作品で。当時の拝島側エンドの状況と、マニアの心境を表した名作。
車の往来は現在ほどではありませんが、道路は未舗装ですから1日中居ると、シャンプーが効かないほど髪の毛が土ほこりに
まみれていたのを思い出します。

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:24 No.499
私のアルバムから B-57U
B-57の列線は三軍記念日の公開の時に展示ランプから撮ることが出来ました。最初は1962年5月20日の三軍記念日。

>のらひこさん、
マチュピチュの娘さんは、例の娘さんですか?それにしても凄い機体を撮っていますね。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:19 No.500
私のアルバムから B-57U
続いて翌年5月19日の撮影です。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:22 No.501
私のアルバムから B-57U
最後は1964年5月17日の三軍記念日です。この時は望遠を持っていたようです。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:25 No.502
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
1962年の横田三軍記念日は何故か行かれませんでした。標準レンズでこのような写真が撮れたのですね。う〜ん悔しい(苦笑)
1964年は、横須賀でのビクトリアス公開が分かっていたので、展示機だけ拾い横須賀へ急行。ここでもB−57は撮っていません。


↓は1962年9月22日、Yoshinagaさん撮影のB−57E。
「所変われば品変わる」と申しますが、当時見慣れていたゴーナナもロケ地が板付に変わるだけで、機体へのイメージがずいぶん変わりますね。画面に写る木造の家並みも歴史を物語っていて史料としても素晴らしい写真記録です。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:29 No.503
Re: 私のアルバムから B-57U
同じくYoshinagaさん作品。
こちらも板付ならではのゴーナナのショット。撮影された1962年は私はまだ中学生。横田や厚木へやっと一人で行かれるようになったころで、板付は夢のまた夢の世界でした。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:35 No.504
Re: 私のアルバムから B-57U
↓は1962年、TSPCのSugiuraさんが横田の36エンドの金網の隙間から135mmで捉えたB−57ですが、
この角度から見ると昔のカルテックスのマークを連想します。

↓ カルテックスの看板
https://ameblo.jp/sekiyumaniax/entry-11009084682.html

赤塚 2019/09/07(Sat) 19:33 No.505
Re: 私のアルバムから B-57U
多分どなたも見たことがないと思われますのが、1958、9年ごろに撮られた翼下にタンク(または集塵ポット)を4本装着したB−57B。
撮影は私がエンドデビューしたときにはすでに伝説的存在でしたNAKASATOさん。
“ゴーナナファン”には垂涎の写真でしょう。私も吃驚しました。

赤塚 2019/09/08(Sun) 11:18 No.506
Re: 私のアルバムから B-57U
TSPCのSugiuraさんが1964年4月2日に撮影されたB−57Bの大編隊。
一部はAGC版「私のアルバムから(下)」に掲載済ですが、スリーブに写っていた全ショットを紹介します。
掲載本の解説によりますと、これは韓国へアラート任務のため派遣されていたB−57の一飛行隊がF−105と交代して横田に戻ってきたときのものだそうです。
凄すぎる「ゴーナナ大編隊」をごらんください。

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:43 No.507
Re: 私のアルバムから B-57U
その2

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:48 No.508
Re: 私のアルバムから B-57U
その3

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:50 No.509
Re: 私のアルバムから B-57U
その4

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:51 No.510
Re: 私のアルバムから B-57U
その5

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:53 No.511
Re: 私のアルバムから B-57U
その6

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:56 No.512
Re: 私のアルバムから B-57U
その7

これだけの「驚愕大編隊」なのにSugiuraさんのネガを拝見するまでは、この日のことを誰からも聞いたことがありませんでした。1964年ですとマニアの数も結構増えていたはずですが、エンドで写真を撮っていたマニアがひとりだけという日もあったのですね。

赤塚 2019/09/09(Mon) 19:01 No.513
私のアルバムから B-57U
Sugiuraさんの編隊飛行写真は凄いですね。規制がいろいろある今日では再び見ることはないでしょうね。
私が見た機数の多い編隊飛行は、2011年の米海軍創立100周年記念行事のフィナーレを飾ったCVW-9の35機編隊ですが、全体を捉えるのは難しかったです。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:14 No.514
私のアルバムから B-57U
35機全てを写せたのは編隊が上空を通り過ぎてしばらくたってから。
見ての通りの記録写真になってしまいました。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:16 No.515
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
確かにPCの画面では35機の迫力は伝わってきませんね。
映画館の大スクリーン+現地の音付きで見たいものです。

私は1966年秋、横浜の山下公園で見たCVW19機(NM)の16機編隊が未だ脳裏に残っています。F−8、A−4、A−3混ぜこぜの編隊で肉眼でNMであるのが確認できたくらいですから、相当低い高度で飛んでいたのですね。
今こんな飛び方したらA新聞の一面ですよ(笑)
赤塚 2019/09/10(Tue) 18:31 No.516
私のアルバムから B-57

航空情報 1961年3月号 掲載作品

赤塚 2019/08/25(Sun) 06:52 No.468 [返信]
Re: 私のアルバムから B-57
横田RW36の樫の木に登って撮ったT.Moriさんの傑作。評文に「近ごろ珍しくなったB−57の近影・・」と書かれていますが
『珍しくなくなった』の校正ミスでしょうね。
この作品を見て、改めて感心するのは題名の「影」。Moriさんは写真の上手さだけでなく、タイトルの付け方においても
センスの良さを発揮しております。

赤塚 2019/08/25(Sun) 07:06 No.469
Re: 私のアルバムから B-57
B-57は横田の地主みたいな存在でしたね。多分60年の11月か12月、真冬の南中過ぎの日を背中に受けて、その影を滑走路にキッチリ映しての低い着陸です。確かに新鮮味に欠けるという評は年寄りには受けが良いでしょうね。だって額縁ショーに見入っていた世代の評言ですものね。でも我々若手には撮れない構図でした。下に向けたくなるレンズをキッチリ我慢して、上の枝を写し込む、出来ませんよ!私は多分同じ枝の上に乗っての135mmで撮ったRB-57A(62,12,28)を張ります。

のらひこ 2019/08/25(Sun) 09:33 No.470
Re: 私のアルバムから B-57
当BBS2では、飛行機写真を通じて60年代の米軍基地をとり囲んでいた環境、世相、文化を語ろうとするものですが、
マニアが撮る写真は飛行機の記録を重視するので(当前か)BBS企画に沿う様な作品が少ないのは事実です。
それでも、当時のTSPCの先輩マニアたちは“私のアルバム的作品”に挑戦し、数々の傑作を残して下さったので当企画が成立しました。
“マニア心”から、滅多に撮れない外来機は“アルバム的写真の主役”にならないケースが多く、対象はどうしても撮影の機会が多い
基地所属機が主となります。従って1964年ごろまで横田で毎日のように飛んでいたB−57は絶好の対象機であり、“ゴーナナ”をからめた
傑作写真をこれから順次紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。
赤塚 2019/08/25(Sun) 12:58 No.471
Re: 私のアルバムから B-57
のらひこさんと同じころに撮ったRB−57Aです。1963年1月2日撮影
のらひこさんは、もう135mmを使っていたのですね。羨ましく感じた当時を思い出しました。
木の上は地元マニアに占有されており、標準1本の私めはフェンス入れ込みの定番写真。それでも標準レンズでこれだけ撮れる
横田は魅力的な飛行場でした。

赤塚 2019/08/25(Sun) 13:27 No.472
Re: 私のアルバムから B-57
確かに、いつも飛んでいたゴーナナでしたが
その合理的なデザイン?はイギリスっぽい堅実さもありました

1963年3月31日の横田36エンドにて。離陸するB−57ですがシリアルNo.は不明
離陸でも三角形のスピードブレーキを使うんですね
或いは「フライパス」だったかな

村越賢司 2019/08/25(Sun) 18:49 No.473
Re: 私のアルバムから B-57
飛んでるゴーナナばかりですから、前ノメリのゴーナナを探しました。懐かしいアーミングエリアで、何を積んでいたのか、単なるピン抜きだったのか、終わってランウエイに向かう懐かしい姿のB-57です。かすれたようなエンジン音が聞こえてきそうです。そういえばカートリッジのスターターは、コクピットのすぐ後ろにあったんですか?硝煙のあとがはっきり見えますものね。入間での帰投の際にカートリッジを使ったときにいたのですが、てっきり片方のエンジンナセルでスタートするんだと思ってました。

のらひこ 2019/08/26(Mon) 22:06 No.474
Re: 私のアルバムから B-57
>村越さん
ジャーナリスティックな作品も撮っているのですね。こういう写真見るとグッときてしまいます。
例えばA新聞なら地元の親子に協力してもらいフェンスの横で「ゴーナナ」を見上げさせる。これで米軍基地の写真が出来上がり。なんてね。

>のらひこさん
そうです。「ゴーナナ」の特徴の一つに前のめりのタキシングがありましたね。フライパスから鋭角にブレイク、エンジンスタートの独特の音響などなど、たいへん魅力的なヒコーキだったのですが、語り合う人が少なくなりましてねえ。寂しくなりました。


↓は、TSPC・KUMAKIさんのRB−57Aの傑作。1962.2.1
135oでもこの迫力です。200oでも使おうならキャノピーアップですよ。それはまた追って紹介します。

赤塚 2019/08/27(Tue) 16:12 No.475
Re: 私のアルバムから B-57
赤塚氏に「銀だったらねえ」 と言われましたが66年にはもう無理だったかと (笑)

ダブルタンゴ 2019/08/28(Wed) 12:33 No.476
私のアルバムから B-57
B-57は異常なぐらい前のめりでしたが、意外とテイル・ヘビーだったのですかね?駐機しているどの機体も後部に尻もち防止の棒を立てていました。

徳永 2019/08/28(Wed) 13:27 No.477
Re: 私のアルバムから B-57
>ダブルタンゴさん
銀・迷彩はともかくとしまして、60年代の横田36エンド周辺の状況を伝える素晴らしいドキュメント写真ですね。
プリンス最後のスカイラインの新車の“慣らし運転”で飛行機見物にでも来たのでしょうか。家族の雰囲気が抜群にいいですね。
「平和」と「迷彩」のとり合わせが何とも考えさせられます。

>徳永さん
尻もち防止の棒(専門的には何と呼ぶのでしょう)をC−124が使用しているのは納得しましたが、前が重そうなB−57の使用は意外でした。
私にとっては大変貴重な写真です。


↓はT.Moriさんが36の木の上から200oで捉えたRB−57Aの機首アップ。Moriさんのテクニックが冴えわたる作品ですね。1961.4

赤塚 2019/08/28(Wed) 17:03 No.478
Re: 私のアルバムから B-57
1963年6月でのB−57B。撮影はTSPC・K.NARISAWAさん。
私が“標準”時代を経てペンタックスSVとS.タクマー105oを使い出したのが1964年4月からですので、
B−57Bのこのような写真は撮れませんでした。
当時「ゴーナナ」のファンだと言うマニアは居なかったようですが、こうして美しく仕上げた写真を拝見しますと、
なかなかどうして魅かれるヒコーキですね。

赤塚 2019/08/29(Thu) 17:35 No.479
Re: 私のアルバムから B-57
駐留後期のB−57は翼端のタンクを外す機体が多く見られました。運動性の良い“軽爆”らしく、主翼が薄いのが見てとれます。
当時のオフィシャル・フォトのようで、こうした写真もぜひ撮りたかったものです。撮影:NARISAWAさん。1963.6

赤塚 2019/08/29(Thu) 17:43 No.480
Re: 私のアルバムから B-57
no476.ダブルタンゴさん。参りましたね。我々の聖地の写真が出てきましたか!!西砂川ののバス停も真ん中に鎮座していますね。そして画面の右端辺り、コンクリート擁壁から3mぐらいに樫の木が立っていましたね。KB-50の翼端が頭上を通るの信じられますよね。
no480.ナリサワさん。またしてもやられましたよ。こんなに軽快にきれいなB-57は見たことがありません。なんか落とす爆弾全部当たりそう。
そういえば編隊の写真がないので張ります。一機お腹が黒いので慌てて撮ったのかもしれません。その着陸も続けて張ります。

のらひこ 2019/08/29(Thu) 18:29 No.481
Re: 私のアルバムから B-57
編隊の最初の機体だったんでしょう。かなり突っ込んで来て、左に修正しているところです。1963の夏の盛りの写真。

のらひこ 2019/08/29(Thu) 18:32 No.482
Re: 私のアルバムから B-57
>のらひこさん
時期は違いますがBU.No.が近いのでので
同類かも

1962年8月2日、横田箱根ヶ崎にて
黒い腹に突起が多数あるB−57E/55−4281です
腹が見えるように明るく処理しました

村越賢司 2019/08/30(Fri) 11:16 No.483
Re: 私のアルバムから B-57
その2年後
1964年7月31日横田・箱根ヶ崎に着陸する同機
B−57E/55−4281です
突起はありますがハラグロは無くなって、PACAFになっています

村越賢司 2019/08/30(Fri) 11:35 No.484
Re: 私のアルバムから B-57
>東野さん
「ゴーナナ」が編隊でパスし、滑走路通過後一機ずつブレイクする姿は直線翼特有のターンが印象的でしたね。
482の着陸写真は真夏の季節感が出ていて“額縁モノ”です。

>村越さん
そう言えば、483のB−57Eが飛び出した頃「いぼいぼ」のゴーナナ、なんて呼んでました。



↓は、60年代マニアなら誰もが撮影者はENOMOTOさんとわかる傑作。
子供が登っている姿は微笑ましいですが、カメラ持った大人ですと一般からは異常に見えるかも知れません。

赤塚 2019/08/30(Fri) 14:00 No.485
Re: 私のアルバムから B-57
子供たちは家路について、残るはヒコーキマニアだけ。
今日の成果に思いを寄せて、最後に「ゴーナナ」をパシャリ!・・・そろそろ帰りますか。  1961.11.20 撮影:T.Moriさん

赤塚 2019/08/30(Fri) 14:15 No.486
私のアルバムからF-102 Y

1962年 航空情報読者写真コンテスト入選

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:07 No.432 [返信]
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102の最終章の作品はENOMOTOさんの「ゆうやけとデルタダガー」。
この写真を撮るためENOMOTOさんは何日もここのポイントへ通われたそうです。
風邪熱を我慢して待つこと数回、ようやく夕日の中に“ヒャクニ”が納まったときは本当に嬉しかったと仰っていました。

K.赤塚 2019/08/04(Sun) 23:21 No.433
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私の大好きな写真です。ほとんどノートリだったんですね!撮影場所は多分、一本東の豚小屋南辺りでしょうが、あんな所は良い機体が降りてきたら写真にならない。この写真を撮る為だけに粘ったのがよく解ります。前と後ろの空間の取り方がノートリでも決まってるのは脱帽です。どう料理するかを考え続けての写真、素晴らしいです。
のらひこ 2019/08/05(Mon) 07:11 No.434
Re: 私のアルバムからF-102 Y
『すべての創造は模倣から始まる』と、あらゆる芸術を語るとき良く言われますが、現在航空写真界で活躍するプロカメラマンにおいても、
デビュー以前に目にした先達者の技法を無意識のうちに模してしまうこともあるでしょう。

ENOMOTOさんはじめ、50年代から60年代にかけてこの写真世界に入った人たちの凄いところは、国内では未開拓分野だったため手本が
無かったことです。ロケから撮影、仕上げに至るまで、全てが試行錯誤の連続だったはず。そんな中、専門誌の航空情報が主体となってコンテストを実施したり、クラブを発足させたり、飛行機ファンとともに「航空写真」というジャンルを構築して現在につなげたことに敬意を表します。
何事も前例のないところから創るのは大変なことなんですよね。
K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:09 No.435
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月10日の横田“拝島側”の風景。(撮影:Watanabeさん)
拝島の駅を降りて急ぎ足でエンドに向かっているときの光景は何一つ覚えていませんが、この砂利道の突き当りの角を曲がってからの
記憶はあります。
焦り、急ぎ、一刻も早くこの写真の撮影場所まで到達したかった気持ちが蘇ります。
私にとって大切な作品。Watanabeさん、良い写真残して頂きありがとうございます。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 11:46 No.436
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>k.赤塚さん
横道失礼します
この砂利道で並んでカメラを構えていた頃からもう50数年以上過ぎました
赤塚さん、のらひこさんと私とで再び訪れたのがこの36エンドのカドでして、
「F-22ラプター」の横田着陸を聞きつけて集まったエンドの様変わりにびっくりしました
No.436の渡邊さんの写真と比べてみるとフェンスの形式や高さは変わっていないようです
2016年1月21日、エルメンドルフから飛来したF−22(AK/06−4129)
ヒャクニより着陸スピードが遅く感じた今時の新鋭機らしさでした

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:34 No.437
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同じ時、2016年1月21日のカドにて。今時のマニアさんたち。後方右側の見慣れた「大岳山(通称腰掛け山)」の山容は変わりませんね

村越賢司 2019/08/05(Mon) 13:37 No.438
Re: 私のアルバムからF-102 Y
そう言えば横田へラプターが来るというのを前日に聞いて数十年ぶりに“サブロク・エンド”に行きましたねえ。
ラプターが降りてから遅れてKC−10も降りましたが、あれだけ集まっていたマニアは写真のように僅かな人数となっていました。
時代は変わっても人気の中心は戦闘機にあるのですね。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:12 No.439
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1962年、当時の八高線のトンネルの前景が分かる貴重な写真(撮影:Gabariさん)
夏休み、友達と待ち合わせの際の常套句は「トンネルの上で会おう」でした。このトンネルも柵ができて立ち入り禁止となったそうですが、
それはいつ頃なのか、ご存知の方お教えください。
トンネルの上は標準レンズしか持てなかったマニアにとって絶好の撮影ポイントでした。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:29 No.440
Re:私のアルバムからF102
Gabariさんの送りのショットも長閑な光景が広がっています。
「懐かしのワン・エイト」と言ったところでしょうか。

K.赤塚 2019/08/05(Mon) 23:38 No.441
Re 私のアルバムからF102
ソリッドモデラーのK.TAKADAさんが1963年8月に撮影されたトンネルの見える写真を送って下さいました。
bS40の写真が1962年(たぶん5月)ですから1年経つと草木もずいぶんと生い繁っていますね。トンネルの上には誰もおりません。もうこの頃に何らかの柵が打たれていた可能性があります。


【TAKADAさんからのコメント】
 1963年8月、信州旅行のついでに寄った横田です。
二度目の横田にドキドキで焦って撮った写真ですが、標準レンズのため風景写真になりました。オーバーランは工事中のようで、左にはトンネルの入口が映ってました。F-102も撮りましたがPACAFに替り残念でした。

 C-133、C-124、つづいてF-102と毎日楽しませて頂いてます。
貴重な写真とはいえ、興味のありそうな人は少ないようで、ソリモマニア、必ずしも飛行機マニアにあらずと感じことが多く残念な限りです。
1960年5月の横田三軍記念日でのF-100D、RF-101C、F-102Aは一生の宝物。
あの頃の飛行機万歳!!です。

K.赤塚 2019/08/06(Tue) 23:50 No.442
Re: 私のアルバムからF-102 Y
同日に撮ったPACAFのF−102Aです。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 00:03 No.443
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1961年3月にWatanabeさんが撮られた「トンネルとF-102」ですが、もう数秒速くF-102が降りてきていれば狙いは“ドンピシャ!”。
本当に惜しかったですね。
八高線の客車は1日数本、その合間に何両かのSLが通ります。千載一遇のチャンスを画面に納められなかったWatanabeさんの
無念さに同情いたします。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 18:55 No.444
Re: 私のアルバムからF-102 Y
私は鉄道マニアではないのですが、列車やSLへの興味は子供の頃からもってました。
箱根ケ崎に行く度にSLが走るのを見てましたが、フィルムを節約したかったこともあって、SLを撮ろうという気ににはならなかったですね。
ところが、Watanabeさんはしっかり歴史をおさえてらっしゃる。古くから瑞穂町にお住まいの人々には、飛行機の写真よりもSLの写真のほうが
興味があるのは瑞穂町で写真展を開催したときに良く分かりました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:11 No.445
Re: 私のアルバムからF-102 Y
Watanabeさんだけだと思っていましたら、KUMAKIさんも素晴らしいSLの写真を撮っていました。こちらは拝島側からの下りですね。
TSPCの先輩方は写真についての造詣が深いなあ、とつくづく思う次第であります。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:19 No.446
Re: 私のアルバムからF-102 Y
瑞穂町の郷土資料館「けやき館」で開館当時しばらく展示されていた1960年頃の箱根ケ崎の風景。(撮影:渡邊さん)
富士山、SL、KB−50、これぞ写真の魅力。瑞穂町の図書館長がこの写真見て大感激していました。

K.赤塚 2019/08/07(Wed) 19:36 No.447
Re: 私のアルバムからF-102 Y
no447の写真には恐れ入りましたしかないですよね。あまり手前を入れず、天を広く取り、目線をkb-50、SL、富士山に引き付ける。余り道路を入れるとLa Stradaになっちゃいます。あの当時は写真は、アサヒカメラはじめ、多くの人に立ち読みされ、みんな目は肥えて居たように思います。個人的思い出を言わせていただければ、手前の桑の畑辺りで飛行機の先輩を置き去りにしてエアーポリスから生い茂る桑の中に逃げ隠れました。今更ながら反省してます。あっこの写真は午前中側ですね。それなら桑畑はずっと向こうにあるはずですね!
のらひこ 2019/08/07(Wed) 22:21 No.448
Re: 私のアルバムからF-102 Y
60年代はじめの頃に撮られた写真の中で、箱根ケ崎側の午前の写真が少ないのはなぜでしょうか。
↓は絶好のポイントで撮ったWatanabeさんの写真ですが、画角から推察しますと、おそらくレンズは45o。
横田での“エンドデビュー”に近い時期に撮った作品だと思います。
こんな良い撮影ポイントで135o程度のレンズで撮ったらさぞかし素晴らしいカットの画が撮れたと思うのですが、それがありません。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:07 No.449
Re: 私のアルバムからF-102 Y
その理由は↓の写真をご覧ください。
1960年5月3日にTSPCのT.Tanakaさんがトンネルの上から撮影したランウェイ18の光景ですが、左F-100の下にガードボックスが
写っています。
Watanabeさんは恐らく↑のF-102の着陸をこの辺りで撮っていたのでしょう。エンドデビューしたてで「怖いもの知らず」だったから撮れたのだと思います。
ですのでその後写真が出てこない。当時の事情を知る方いかがでしょうか。

K.赤塚 2019/08/08(Thu) 19:28 No.450
Re: 私のアルバムからF-102 Y
40th FISのF−86Dの実機を見ることができたのは団塊世代の上の方々で、私と同年代マニアにとっては例によって
「もう少し早く生まれてれば」と定番の言。
40th FISのF−86Dがいつ頃から横田に配備されていたかは、調べきれてないのですが、航空情報1955年7月号に
羽田で初公開されたときの記事と写真が掲載されていました。(タチヒRHMの飛行姿と共に・・・これも凄いけれど)

K.赤塚 2019/08/09(Fri) 23:51 No.451
Re: 私のアルバムからF-102 Y
「羽田航空ページェント」と銘打っていますが、5月15日の開催ですから羽田三軍記念日と兼ねていたかも知れませんね。
故・能村実先生も現地で撮影されてます。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 00:11 No.452
私のアルバムからF-102 Y
皆さま、ご無沙汰しております。

>赤塚さん、
ソリッドモデルは中学生のころまでやっておりましたが、どうしてもプラ板を熱湯で温め、型に押し付けて風防を造ることがうまく出来ずに挫折してしまいました。

40FISは現在試験飛行隊、40th FLTS、になっていますが昔の面影は全くありませんね。今年の12月に設立80周年ですから、般若塗装のレトロ機を出さないですかね。
写真のF-16CMは今年の5月、エルメンドルフで撮影したものです。

徳永 2019/08/10(Sat) 10:04 No.453
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>徳永さん
航空情報の取材記事拝見しています。マニア的には大変喜びそうな写真と記事だと思いましたが、編集者のセンスか、
こじんまりとした誌面づくりになっていて、勿体ないような気がしました。


↓はTSPCのY.TODAさんが1959年6月に撮影された40FIS/F−86Dの美しい編隊着陸。
ペンタックスS2と135oの使用と思われますが、59年に一眼レフと望遠レンズを使用しているマニアはほんの僅かで、
ほとんどの人は45o固定レンズ付きの35ミリカメラか、ブローニーフィルムの2眼レフか、蛇腹のスプリングカメラを使っていました。

K.赤塚 2019/08/10(Sat) 19:32 No.454
アルバムからF-102 Y
皆さん、毎日暑いですね〜。熱中症などにはならぬよう、十分気をつけて下さい。

>赤塚さん、F-102は最終章なのでしょうか?
着陸後のDrag chute(綴りは違うのですが、カタカナにするとヤバイ言葉と同じになってしまうので。)を引っ張っている画像が出てきませんでしたので1枚。

H.I. 2019/08/11(Sun) 15:20 No.455
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
F−102特集も長くなりましたのでこのスレッドで終了させていただきます。
それに致しましても、板付はマニアにとってこの上ない飛行場ですね。横田でDrag shuteを曳くこのようなF−102の写真を
見たことがありません。

1957年横田三軍記念日での画像です(撮影:TSPC H.Tomitaさん)

K.赤塚 2019/08/11(Sun) 16:56 No.456
Re: 私のアルバムからF-102 Y
TodaさんとTomitaさんは1950年代にこんなすばらしい写真を既に撮られていたのですね、驚くばかりです。。特にTodaさんの編隊着陸は構図もバッチリですが、銀ピカの質感が何ともいえぬほどスバラシイです。

>赤塚さん、村越さん、のらひこさん、先輩の方々、今回は貴重な”ヒャクニ”の画像を沢山見せていただき感動の連続でした。
MACH3さんと赤塚さんのこのサイトが無ければ見ることも無かったものばかりで、感謝感謝です。

このスレッドでヒャクニも終わりと言う事なので、先輩の皆様は休眠か撤退されていた頃のF-102の最終章の画像をいくつか紹介させて下さい。

1969年になるとSEAでもF-4の配備が進み、爆撃機迎撃を主目的(武装はファルコンとジニーのみ)に作られたF-102は不要となってきました。まずはクラークの64th FISが1969年末で閉隊し、所属のF-102は1970年初めより順次板付基地に飛来してスクラップ処理されました。Tail Codeは全て消されて飛来しました。
7月には509th FISも閉隊され、所属機は順次PKのTail Codeのまま板付に飛来し、スクラップ処理されました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:51 No.457
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1971年初め、82nd FISも閉隊され、所属機は那覇基地内でスクラップ処理されましたが、82nd FISが正規軍最後のF-102部隊となりました。

H.I. 2019/08/12(Mon) 13:54 No.458
Re: 私のアルバムからF-102 Y
ANG部隊では1976年まで使用されました。
この画像はいくつかの刊行物でUSAFフォトとかクレジット無しで使用されていますが、れっきとした私の写真です。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:00 No.459
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F-102は最後にはFSAT(Full Scale Aerial Targe)計画により1973年より順次QF-102とPQM-102に改造され、最期はメキシコ湾上空とホワイトサンズ上空で撃墜される運命となりました。
これらの無人機テクノロジーが現在の無人機RPVへと進化しています。
上段は、初期に作られた完全無人機のQF-102A。下段はパイロットが登場可能なPQM-102B。

H.I. 2019/08/12(Mon) 14:51 No.460
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>H・Iさん
数々のF−102のショット、休眠中の出来事ではありますが写真の貴重さはよく分かります。特に457の用廃シーンは、
悲哀を感じるとても気になった写真です。
ヒコーキファンを自認した少年時代から、ヒコーキそのものを生き物(哺乳類や鳥類)に譬えたりしてました。
時代の変化に見放されたヒコーキたちが、基地の片隅に積まれ、又は消火訓練で燃やされてしまう。悲しいではありませんか。

↓は1960年にMoriさんが横田の集積所(どの辺りにあったのでしょう)で撮ったという貴重な1枚。F−102の登場でお役御免となった
sabre dogが無造作に捨てられています。一度だけでも目にしたかった68th FIS、4th FIS そして何と509th FISのF−86Dまでもが・・・。
509th FISのF-86D、実際横田に降りていたのでしょうか。これも気になる証拠写真ですね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:11 No.461
Re: 私のアルバムからF-102 Y
F−86Dも去り、すっかり横田の「顔」となった40th FISのF−102A。
地元の少年たちへのお披露目は、見放題、触り放題の大サービスぶりです。
“雷般若”絶頂時のこの作品は1961年9月24日にNomura先生がミノルタ・オートコードでガッチリ撮ったもの。
正に写真の中の写真と言ってよいでしょう。多くのマニアは、こうした展示機の周囲に人が入るのを嫌いますが、
半世紀も経てば、機体より人の風情の方に価値がでてきます。
若いマニアの方、ここを見てたら写真と共に年寄マニア(私)の話を記憶に留めておいて下さいね。

K.赤塚 2019/08/12(Mon) 23:29 No.462
Re: 私のアルバムからF-102 Y
1965年5月16日の横田三軍記念日が40th FIS、エアクラフトグレーのF−102が公開最後になるのを知るのはまだ先のことでした。(撮影:TSPC Nakagawaさん)
PACAFとなって所属基地特有の塗装はなくなりましたが、それでも AIR FORCE 機として堂々たる姿です。
「デルタ・ダガー」の名称は、迷彩塗装よりエアクラフトグレーのほうがF−102にマッチしているように思います。

K.赤塚 2019/08/13(Tue) 18:28 No.463
Re: 私のアルバムからF-102 Y
>あかつかさん、MoriさんのNo.461の場面は初めて見ました。”ハチロクD”は自衛隊に供与された以外の機体は横田でスクラップされていたのですか、初めて知った事実です。
また真ん中に写る509th FIS塗装のSabre Dogは始めて見るものです。この部隊でF-86Dを運用したのは僅か1年ほどで、写真を見たことは無く、長い間探していました。

赤塚さんが仰ることに全く同感です。飛行機だけ写した物には時代を証明するものが何もありません。もしも同じ飛行機ならば1960年に撮った写真と2020年に撮った写真と比べると、2020年に撮ったものの方が画質やピントを含めて全てが勝っているでしょう。
が、しかし風景や人が写りこんだ写真には時代が写しこまれており、その時にしか撮れないものです。服装は、特に子供の服装、その時代の世相を一番反映しているものの一つです。
映画で言うと、昔の実写版と最近のデジタルCG版の違いですかね。最近の映画はCGが多くてガッカリする物が多いです。
大いに反省しているのは、もっと飛行機に関連した車や建物を撮っておけば良かったなぁ〜。
何事も後になってしか気付かない、これ人生の常ですかね。
H.I. 2019/08/14(Wed) 09:50 No.464
私のアルバムからF-102
7月20日から始まりました「私のアルバムから〜F−102」はこのスレッドを持ちまして終了させていただきます。
10日間ほどお休みをいただき8月25日から「私のアルバムから〜B−57」を開始します。

“ゴーナナ”は、初めて横田のエンドに立った1962年1月、F−102と共に、上がっては降り、降りては上がるの連続で、
持ち合わせたフィルムの残量が、瞬く間に無くなっていったのを思い出します。
B−57は横田に常駐していたので毎日のように飛んでおり、先輩諸兄の“私のアルバムから的”作品が多くのこされています。
1950年〜60年代の横田の光景を背に、軽快に飛んでいたB−57の傑作写真をお楽しみください。

F−102特集の最後はH.YOSHINAGAさんのこの写真を選ばせていただきました。
板付コンプレックスと申しましょうか、60年代の横田では決して撮れないアングルです。光線状態、空、雲、画質、仕上げ、
申し分なくノーマークであることも“ヒャクニ”の特徴を際立たせていますね。

K.赤塚 2019/08/14(Wed) 16:50 No.465
Re: 私のアルバムからF-102 Y
航空情報 1961年3月号 掲載

赤塚 2019/08/25(Sun) 06:50 No.467
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