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ご案内

当BBSへのご投稿でおなじみの“まさやん”さんらのグループ『マルヨンの会』の展示会が2月2日(日)12時より2月8日(土)まで
有楽町・交通会館B1「シルバーサロンA」にて開催されます。
写真、絵画、動画、モデル、航空コレクションと、賑やかな展覧会。
いつの日か個展や合同展示会などの開催をお考えの方、たいへん参考になると思われます。
私は初日(日)の午後と7日(金)の午後に拝見させていただきます。

赤塚 2020/01/23(Thu) 15:24 No.809 [返信]
Re: ご案内
赤塚様
掲載、ありがとうございます。

今回の内容は多くの展示会に見られる、特別な飛行機とか、懐かしい写真、写真的に優れているとかではなく、サブタイトルにあるように『ボクらのヒコーキ反省記』であり、4人各自の足跡をたどるもの。

ですから飛行機が好きになったきっかけの品物とか、初めて雑誌に掲載された写真というように、それぞれが心に残っている出来事を、写真や品物を通して振り返ろうというものです。

そして終活を兼ねて、それらの品々を販売する目的もあります。
『亭主のお宝、妻にとってはただのゴミ』と言われるコレクションがゴミとして捨てられる前に、次の世代に渡れば少なくても10年は残る、と考えたのです。

私が死んだあとは、間違いなく紙ゴミとなる三軍記念で配られたパンフと、東亜国内航空以降の歴代ゲロ袋。
しかし、欲しい人にとってはプライスレス?

まさやん 2020/01/24(Fri) 15:21 No.814
Re: ご案内
人生の大半、情熱をかけて写真撮ったり、モデル作ったり、コレクションしたその後、次へのステップを考えている方はけっこうおられるようです。
会場での展覧会は二次表現としての一つの手段であって、“終活”とはまた違うように思いますがいかがでしょう。
写真やモデルの展覧会を演劇にたとえれば個展は一人芝居。今回の“まさやん”さんら四人よる展覧会は“ミュージカル”ではないかと
勝手にたとえてみました。
映画やビデオは、作品としてフィルムなりVTRとして残り再び鑑賞することはできますが演劇は終われば全て消えてなくなるもの。
残るは感動と思い出だけ!。これがまたイイんですね。
「ボクらのヒコーキ半世紀」楽しみにしています。
赤塚 2020/01/24(Fri) 16:55 No.815
私のアルバムから〜BC

航空情報1960年5月号掲載作品

赤塚 2020/01/13(Mon) 11:12 No.781 [返信]
Re:私のアルバムから〜BC
カメラを持てなかった中学生の頃、航空情報に掲載された「私のアルバムから」「読者写真コンテスト」の写真頁を穴の開くほど見詰め、
米軍機への思いを膨らましてくれた1枚がこのENOMOTOさんの作品。
このシーンを頭に描き1962年夏、初めて行った箱根ヶ崎側ランウェイエンドは上の写真のような光景ではありませんでした。
地面の様子も年によって変化することを確認できるのは標準レンズでの写真があるからですね。
赤塚 2020/01/13(Mon) 11:27 No.782
Re:私のアルバムから〜BC
こうしてKB−50Jという給油機をあらためて見てみますと、じつに魅力的なヒコーキであることを認識しました。
“吊りモノ”の多さや尾部の形態がマニア心をふるわせ、日本で見られたRB−29やRB−50などよりも惹かれます。
調べてみると横田の421ARSのKB−50JがRB−29Mと交代して任に就いたのは1958年3月。ちょうど日本にマニアらしき人物がエンドに出現しはじめた頃ですね。

↓は、航空情報1957年8月号に出ていた記事ですが、つながりから考察すると改造された新機が初めて横田へ配備されたことになります。
その後横田で見られたのはたった6年間。同じ給油機であるGV−1(KC−130F)は、初来日した1962年から58年経っても第一線で活躍してます。KB−50の活動期間はずいぶん短かったんだなあ、と、つくづく思う次第です。

赤塚 2020/01/13(Mon) 12:59 No.783
Re:私のアルバムから〜BC
ありそうで無いのがKB−50を真下から撮った写真。
フライパスから着陸するシーンは見たことがないので、エンドで離陸を狙わない限りこうした写真は撮れなかったでしょうね。雲もいいなあ。
1962年7月8日 撮影:WATANABEさん

赤塚 2020/01/13(Mon) 17:37 No.784
Re:私のアルバムから〜BC
Narisawaさんが箱根ヶ崎のトンネルの上から、やや正面から狙ったKB−50Jの着陸。1960.5.5
望遠ですと(135mmでも)地上はうつらないから、標準レンズで撮ったことが史料としても貴重な写真になっています。

赤塚 2020/01/14(Tue) 14:58 No.785
Re:私のアルバムから〜BC
同じくNarisawaさんが撮影したKB−50の離陸。1963.12.20
レストア機と見紛うほど現代的なショット。B−29系のスタイリングは決してイイとは言い難いのですが、この写真に関しては違いますね。
これ以上のベストアングルがあれば見てみたいものです。スバラシイ!

赤塚 2020/01/14(Tue) 15:22 No.786
Re: 私のアルバムから〜BC
NarisawaさんのNO786の写真は何処で撮ったんですかね?ドライブインかしら?まだラブホは出来てない時代ですものね。KB-50は離陸時にJ-47を使ってましたかね?離昇力がこんなに無いということは、下降時もあまり角度を下げられないのですかね。だから、36で低空の進入になるということかしら。でも、3万ftまで20分ぐらいでは上がれたんでしょうね。B-29が40分近いと聞いてました。飛燕もそのぐらいかかったのかしら。
光の当たり方が絶妙です。
のらひこ 2020/01/14(Tue) 22:05 No.787
Re:私のアルバムから〜BC
>のらひこさん
1963年ですと、横田ドライブインはまだ開店してませんね。ラブホもまだ温泉マーク(逆さクラゲ)のネオンを妖しく光らせていた
「旅館」「旅荘」の時代ですから、人通りの多い国道筋には建ってなかったでしょう。

↓は1962年8月29日にWATANABEさんが撮影したKB−50の離陸。J47全開と言ったところでしょうか。
私たちがまだ、エンドの片隅でウロウロしていたころ、このような素晴らしい写真を撮っていたとは・・・。
WATANABEさんもNarisawaさんも、さすが“東京飛行機寫眞倶楽部”(TSPC)の会員ですね。

赤塚 2020/01/15(Wed) 08:16 No.788
Re:私のアルバムから〜BC
これから演習のサポートに行かれるのでしょうか。KB−50がゾロゾロ出てきます。
R4360×12基が奏でる“大演奏”。こんなシーンに出くわしたら頭の中は真っ白になってしまいますね。
それにしましても撮影のWATANABEさんは、冒険家の一面があったのだなあ、と、写真みて思いました。
この場所で写真を撮るには相当勇気が必要ですから。1962.5.22

赤塚 2020/01/16(Thu) 09:35 No.789
Re: 私のアルバムから〜BC
no786の写真の撮影場所判明しました。no789の場所よりもっと16号に近くで南にいった所とのことです。ということはこのB-50は、滑走路エンド位でこの高度!B-52に随伴のミッションで(私もこの時居ました)ケロシンを使わずに揚がってたんですね。
ところで、no789、WATANABEさんはご性格通り、慎重ですよ。多分、画面手前下のボヤッとした所は、腰の高さのお茶の木で、そこに腰を屈めて撮ってるんだと思います。
のらひこ 2020/01/17(Fri) 12:54 No.790
Re:私のアルバムから〜BC
>のらひこさん
bV90の手前の“ボケ”は確かにお茶の木の可能性が高いですね。
ビスタビジョンのサイズに広げてカットしましたが、35ミリサイズの原版では下はそのまま、上は不自然に空が広がっています。
やはり、お茶の木に隠れながらドキドキしながら撮ったのでしょう。


↓1962年8月、Yoshinagaさんが板付で撮ったKB−50のアップ。
明らかに関東とは空の透明度が違いますね。この写真を当時の航空情報の写真コンテストに応募されたら、
入賞していたのではないでしょうか。

赤塚 2020/01/17(Fri) 17:46 No.791
Re:私のアルバムから〜BC
↓は1960年の10月発行の航空情報編集・航空ファン読本5集に掲載された5ぺージにわたる記事です。
こうした議論が掲載されるのも、飛行機写真マニア世界の黎明期であったことが分かります。
しかしながら当時の初心者マニアにとっては、ブローニーフィルムで12枚しか撮れない二眼レフより、35mm一眼のほうがイイに決まってるわけで、よくぞ記事にしたと思っていました。

ところが写真を撮り始めてから数年経つと三軍記念日などで6×6判にて撮影された写真と、35mmの写真とは情報量の差が歴然!。
何人かの写友はマミヤCクラスをサブカメラとして持つようになります。その流れはカタチを変え1969年に発売されたペンタックス67に
継続されていきました。

赤塚 2020/01/18(Sat) 17:47 No.792
Re:私のアルバムから〜BC
↓は大分のKADOKAMIさんが1961年5月の板付三軍記念日にて二眼レフ(機種不明)で撮影したKB−50Jの芸術的ショット。
写真表現の基本と言われる遠近法を巧みにとりいれるだけでなく、尾部の給油プローブの収納口やドローグバスケットの形状を、
6×6判ならではのシャープさでガッチリ表現しています。

赤塚 2020/01/18(Sat) 18:26 No.793
Re: 私のアルバムから〜BC
No.793、主翼下に写る人物の群像。まさに植田正治!
まいりました。
ダブルタンゴ 2020/01/18(Sat) 20:35 No.794
Re:私のアルバムから〜BC
岐阜のTAKADAさんが1963年8月に横田RW18で撮ったKB−50。曇天でのKBー50も独特の雰囲気があり、
晴天時とはまた一味違いますね。
背景が墨絵のような無風状態。日本の夏特有の蒸し暑さが画面から感じられイイ写真です。

赤塚 2020/01/19(Sun) 11:41 No.795
Re:私のアルバムから〜BC
伊丹ではほとんど撮られてなかったKB−50Jの写真を西宮のHamanoさんが送って下さいました。

<Hamanoさんコメント>
50数年前からKB−50Jのネガはあったのですが、どこで撮ったものか全く分かりませんでした。
昨年12月に友人と伊丹でのB−50の話をしているとき、急に思い出したのです。
カメラに興味が無かった1963年頃、伊丹へはよくバイクで(CB−72)出かけていました。このとき、たまたま友人がキャノンFXという一眼レフを貸してくれたのでRW14に行き、そこで撮ったのがこのKB−50Jです。
写真にそれほど興味がないときに撮ったのでヒドイ写真ですが、先日スキャンしたところ何とか写真になったので送ります。そのときはまだ横田や厚木、岩国など聞いたこともなかったのですが2年後には飛行機写真にハマり、飛行場通いが始まりました。


今回のスレッドではじめて気が付いたのは、KB−50は全身ベアメタルではなく下面は薄いグレーに塗られていたんですね。
Hamanoさんのこの写真からもそれが見てとれます。(赤塚)

赤塚 2020/01/19(Sun) 11:55 No.796
Re: 私のアルバムから〜BC
no793へのダブルタンゴさんのコメントに全面賛成です。すぐ目が下一面の人の姿に行き、そしてそのバラエティに感服しました。右のスカイレイの手前の人物をはじめ、それぞれの人のポーズに見入っています。全体の画面構成はプロそのものですよね。
のらひこ 2020/01/19(Sun) 12:49 No.797
Re: 私のアルバムから〜BC
>ダブルタンゴさん
植田正治風納得です
流石にヒコーキだけに留まらず、
コマーシャルフォト分野の作風に敏感ですね

>赤塚さん
ホンマヤ〜
KB−50Jの下面の明度を上げてみたら
後部胴体の標識マーク下部や前部レインボウの中間付近から翼にかけて斜めのラインと主翼前縁を避けてグレー塗装がありますね
1962年7月19日の西砂川にて

村越賢司 2020/01/20(Mon) 14:41 No.798
Re:私のアルバムから〜BC
>ダブル・タンゴさん
>のらひこさん
“三軍記念日の群像”は私の興味あるところで、写真は時代を映す鏡であることが分かる一例ですね。
793の1961年板付三軍と、↓799の1958年横田三軍と比べてみるとどこか違う。
それは3年という歳月の差なのか、多摩市民と福岡市民の違いなのか?。興味は尽きません。

横田三軍記念日を切りとった写真見て、瞬間的に50年代をイメージしたことを勝手に申します。
日米安保・Yankee・ご婦人・マスオとワカメ・ベビーカー・うちのママは世界一・シェリーフェブレー・・・。

赤塚 2020/01/20(Mon) 15:31 No.799
Re: 私のアルバムから〜BC
NO793をじっくり眺めてみると、真ん中のJ47に手を挙げている日本人にしても、ほとんどすべての人が”出来過ぎ”で、ライフの表紙の写真用に撮ったんじゃないかと疑いたくなります。6×6の画面のすばらしさ。ほんとにダブルタンゴさんのコメントで気が付きました。昔の人は凄かったんだなーと感心する一枚です。もしかしたら、福岡の都会と東京のド田舎(失礼)の差が、あの当時にはあったのかもしれません。私はドの付かない田舎人でしたが。
のらひこ 2020/01/20(Mon) 20:08 No.800
Re: 私のアルバムから〜BC
>のらひこさん
ですよねえ〜、ロウアングルなので空をバックに浮き上がり人物の動作をはっきりさせていますよね。
それぞれの人がまるでポーズをとって静止しているかのよう、そして図ったかのようにグループになっている!
大傑作です m(_ _)m
ダブルタンゴ 2020/01/21(Tue) 14:32 No.801
Re: 私のアルバムから〜BC
来日から離日まで、KB−50の外観上の相違点をまとめてみました。

初めて横田に駐留した機体と思われる三軍記念日でのJKB−50D/49−0344。撮影:Nomuraさん 1958.5.17

赤塚 2020/01/21(Tue) 14:51 No.802
Re:私のアルバムから〜BC
翌年の横田三軍記念日での展示機も前年と同じ49−0344でしたが、増槽はJ47に換装されてます。1959.5.16
カンガルーマークが付けられているところから、すでにKB−50Jとしてのミッションを行っていたようですね。 撮影:Nomuraさん 

赤塚 2020/01/21(Tue) 15:01 No.803
Re:私のアルバムから〜BC
1960年に撮影されたKB−50J。421ARS初期の塗装機。垂直尾翼に三角のマーク、増槽とJ47にも塗装が施されています。
撮影:Kumakiさん

赤塚 2020/01/21(Tue) 15:03 No.804
Re:私のアルバムから〜BC
1962年8月、のらひこさんが撮影したKB−50J。お得意?のフェザリングにも注目。
我々世代マニアにはもっとも馴染み深い塗装。尾翼のマークはライン状のレインボーに変更されていますが、
いつ頃から変わったのかは不明です。

赤塚 2020/01/21(Tue) 15:07 No.805
Re:私のアルバムから〜BC
1963年11月撮影のKB−50J。機首と尾翼のレインボーマークがありませんが、1963年に421ARSもPACAFに統合されたので
マークを消していた最中かも知れません。撮影:Ichijohさん

赤塚 2020/01/21(Tue) 15:09 No.806
Re:私のアルバムから〜BC
PACAFのマークが入ったKB−50J。 撮影:のらひこさん (注: 原版も尾部は切れてました)

1964年をもってこの個性溢れるタンカーも横田で見られなくなりましたが、当時マニア間でその姿を惜しむ声は聞かなかった。
「KC−135よりKB−50を真面目に撮っておけば良かったナア」と思っても時すでに遅し!。“老兵”はいつの間にか消え去ったのです。

赤塚 2020/01/21(Tue) 15:15 No.807
Re:私のアルバムから〜BC
KB−50JスレッドのラストはENOMOTOさんの作品で締めさせていただきます。
KB−50Jらしさを表すのはやはり“ミディアムショット”でしょう。そのあたりはENOMOTOさんもよく分かってらっしゃるようで、
しっかりとカメラに収めております。
これからのスレッドでもここで撮られた写真をご紹介しますが、RW36横の樫の木は当時のマニアにとって本当にありがたいものでした。

赤塚 2020/01/23(Thu) 14:45 No.808
私のアルバムから〜B V

航空情報 1964年3月号 「私のアルバムから」より

赤塚 2020/01/05(Sun) 21:20 No.753 [返信]
Re: 私のアルバムから〜B V
実際の写真です。

赤塚 2020/01/05(Sun) 21:22 No.754
Re:私のアルバムからB V
KB−50Jを初めて見たのは1962年8月14日で、以後3回しか撮っていないことが分かりました。ビネガーシンドロームにより写真は再生できないものの、記憶においてもしっかりとした写真は撮ってなかったように思います。
KB−50Jが横田から姿を消したのが1964年頃ですので、撮ろうと思えば撮れないことはなかったのですが、その頃から「厚木通い」が始まり横田へ余り行かなくなったからでしょうね。
今じっくりKB−50Jの写真をみると、じつに味わい深くJ47を装備しているせいか、B−50やWD−50にない魅力があり、もう少し横田へ行っておけば良かったと後悔してます。
4発レシプロに補助ジェットエンジン付き。マニアの懐古趣味にはピッタリの機体ではありませんか。
赤塚 2020/01/07(Tue) 15:29 No.755
Re私のアルバムから〜B V
上のWATANABEさんの作品は3月に撮られたもので、いかにも春の雪らしく日差しから陽春の暖かさが感じられます。
下はMoriさんが1961年2月に36エンドの樫の木から標準レンズで撮影したKB−50の着陸ですが、WATANABEさんの写真とは対照的に、こちらは真冬の肌寒さが画面から出ています。双方ともモノクロ写真ならではのもので、カラーですと訴える力が弱くなるように思いますが、いかがなものでしょう。

赤塚 2020/01/07(Tue) 16:20 No.756
Re: 私のアルバムから〜B V
イヤハヤ、ぺったんこの機体ですね。幅43mとのことですので、滑走路幅が60mとして、端から7mのところ、つまり樫の木の枝先から7mのところの上空多分3m位のところを翼端が通過していたんですよ。5mぐらいは左右にぶれるでしょうからほぼ真上ということもあったかも。厚木のスカイレイが佃煮ならこれは横田の沢庵と思っていましたが、大変失礼なことをしたものです。
のらひこ 2020/01/08(Wed) 09:04 No.757
私のアルバムから〜B V
渡辺さんや森さんの写真を見ると、のらひこさんが言われるように胴体に比べて長大な主翼を持ったKB-50ですが、私の印象はその巨大な垂直尾翼でした。
1964年の三軍記念日で空中給油演技飛行をするKB-50です。

徳永 2020/01/08(Wed) 10:14 No.758
Re私のアルバムから〜B V
>徳永さん
私も「何であんなに大きな垂直尾翼が必要なんだろう」と少年時代から思っていましたが、そのことを説明できる友人は周りにおりません。どなたかお分かりでしたらご教授願います。またB−32も異常なくらい大きいですよね。

↓はIchijohさんが63年11月23日に撮影された横田“36”でのKB−50J。
道路は舗装されてなかったので1日36に居ると、髪に櫛が通らないほど埃だらけになりました。雨が降れば当然ぬかるみとなるわけですから、撮影時は足元に注意したものです。そんな思い出を蘇らせてくれたのがこの写真。シャシン心のあるIchijohさんの見事なショットに脱帽。

赤塚 2020/01/08(Wed) 14:24 No.759
Re私のアルバムから〜B V
>のらひこさん
ご説明の36での着陸高度について分かりやすいのがKumakiさんが撮られたこの写真。
45mmレンズでも、ここまで下がらなければ全体像を撮れなかったわけです。1962.2.1 撮影:Kumakiさん

それにしても音を頼りに木立からヌッと出てくるKB−50を尾部まで入れて真横で撮るには相当な集中力がないと難しい。
「先輩マニアはやはりスゴかったなあ」とつくづく思うのであります。

赤塚 2020/01/08(Wed) 14:41 No.760
Re: 私のアルバムから〜B V
no758良いですね〜〜。時代感がでていますね。100と101の大きさの違いがよく判ります。垂直尾翼のデカさ!何でですかね。B−29より何割か大きいんですよね。高空での遠く離れたJ47の片肺の際の直進性を確保するためかもしれません。B-32は背が高いだけで、面積はそれほどでもないと思いますが、兎に角、高空での原爆投下後、片肺時のためにB-29以上の面積が求められたんじゃないかと思います。no759,760の写真はビックリです。この当時でも3000mはあったはず。こんなに低く降りる必要があるのは、よっぽど油を残して降りてきたのかも?
のらひこ 2020/01/08(Wed) 20:33 No.761
Re私のアルバムから〜B V
徳永さんのKB−50の空中給油給油演技飛行を見て、私もこの日は横田へ行ってたはずだが記憶にないなあ、と、考えていたら、午前に横田を切り上げMoriさん、のらひこさんらとビクトリアスのバッカニアやシービクセンを撮りに横須賀へ行ったことを思い出しました。

KB−50の横田での公開飛行は1958年5月17日の三軍記念日が初めて。
↓はNomuraさんが撮られた当日の写真ですが、B−66というのが古きよき50年代を感じさせてくれます。F−100は板付に配備されたばかりで、こちらは最新鋭機。マニアは少なかったと思いますが、居あわせた人はさぞかし興奮したでしょうね。

第一エンジンが停止してますが、これは演技ではないでしょう。
R4300がよほど複雑だったのか、フェザリングでの写真はたいへん多いですね。

赤塚 2020/01/09(Thu) 16:16 No.762
Re私のアルバムから〜B V
横田三軍記念日でのKB−50+空中給油の飛行展示を調べてみました。

●1958年  初公開
●1959年  雨天ですべての飛行演技は中止
●1960年  嘉手納からF−100、RF101、那覇からF−102の訓練飛行が目前展開。伝説の三軍記念日として知られてますが、
         KB−50の飛行はあったのかどうか?写真は見たことないです
●1961年  私はカメラを持たず(持てず)に横田へ行ってますが、KB−50が飛んでいた記憶がなく、写真も見たことないのでこの年も不明。
●1962年  シルバーメタルにベースペイント最後の年。ひと目でいいから見たかったですね。↓5月20日 撮影:Gabariさん
●1963年  手元に写真がないので航空情報誌より転載
●1964年  758の徳永さんの写真が最後となりました。

赤塚 2020/01/09(Thu) 17:09 No.763
Re私のアルバムから〜B V
1963年の展示飛行。(航空情報1963年7月号より)
RF−101の都合がつかなかったのか、1機ですと少々さみしいですね。(どこから撮ったのか?いいショット)
私はこの日どうしても抜けられない用があり横田へ行けませんでした。F−89スコーピオンが公開されるのは分かっていたので本当に残念だった。

赤塚 2020/01/09(Thu) 17:27 No.764
私のアルバムから〜B V
皆さんお早うございます。

スコーピオンが展示された1963年の横田の三軍記念日には私も行っていますが、KB-50の飛行演技の写真はなぜか残っていません。飛行高度が高くて短いレンズではどうしようもなくて眺めていただけだったのでしょうか?

徳永 2020/01/10(Fri) 09:52 No.765
Re私のアルバムから〜B V
↓この写真を1964年5月号の航空情報で見たときは驚きました。何とインパクトのある写真なんだろう、と。
撮影者は慌てて何とかカメラに納めたのが画面が傾斜していることから分かりますね。
航空情報には1964年3月7日撮影と記されていました。

赤塚 2020/01/10(Fri) 11:50 No.766
Re私のアルバムから〜B V
↓こちらはNarisawaさんが同じく1964年の4月7日に撮ったもの。上の記事の僅かひと月後です。
KB−50も運用末期ですから整備士も少なくなったり、機体の古さも相まって、こうした小さな事故が多発していたのでしょうね。
今のCH−53は大丈夫かいな?と、つい考えてしまいます。

赤塚 2020/01/10(Fri) 12:03 No.767
Re: 私のアルバムから〜B V
私も63.5.19の横田の三軍に行きましたので、ネガを見てみたら、スコーピオンがワンスリーブ中20枚、空中展示を撮ってません!なんで
ですかね。
B−50の整備士は一機当たり何人いたんでしょう。エンジン1基につき3人として、その他艤装を考えたら、1機当たり20人?でもそのぐらい居ないと中2日のミッションなんかできませんよね。もっと少ない人員でこなせたんでしょうかね。でも横田に10機以上いた時がありましたから、整備士だけで200人以上!!福生のおねーさん達はアメ車ぐらい買えたのかしら。
徳永さん、横田へのB−50の配備は最高何機ぐらいだったんですかね?
のらひこ 2020/01/11(Sat) 10:03 No.768
Re: 私のアルバムから〜B V
連張り失礼します。1961.9.5の横田の全体図です。一体何機のB-50がいるんでしょう?また色んな機体が沢山いますね。私も数えてはいませんが、正解者にはブログ管理者から「私のアルバムゆかた」が賞品としてでるかもしれません。

のらひこ 2020/01/11(Sat) 10:40 No.769
私のアルバムから〜B V
>のらひこさん、
貴重な俯瞰写真ですね。横田のKB-50飛行隊は、"Flying Rainbow Squadron"と呼ばれていた421ARSで、約20機のKB-50が所属していたようです。写真はまだベトナム戦争が本格化する前で、嘉手納やタクリ、あるいは南ベトナムのタンソンニュットに分遣隊を送る前でほぼ全数がそろっていたと思います。
421ARSはPACAFの空中給油機として活躍していましたが、1964年8月13日に南ベトナムで墜落事故を起こし、これがきっかけとなって急速にKC-135に置き換えられたと言われています。

話は変わってかつB-50ではありませんが、アラスカ州アイエルソン空軍基地の”沼の貴婦人”と呼ばれているWB-29A 44-62214です。この機体は第二次世界大戦終了後にボーイング、レントン工場で製造されたもので、1948年7月にRB-29Aとなり3年後にはWB-29Aとなってアイエルソンの58SRWSに配属されます。その後1954年9月16日までアル‐シャンや北極圏の戦略偵察を行った後に1954年退役します。その機体を基地内の池に運んで洋上不時着陸脱出の訓練機としましたが、冬の雪解け水で機体が水没、わずか半年で放棄されることになってしまいました。
Google Mapで”The lady of the Lake”と検索すればその場所が表示されます。

徳永 2020/01/11(Sat) 16:26 No.770
Re: 私のアルバムから〜B V
>1963年の三軍は私も行きましたが、スコーピオンは撮っていても空中給油のKB−50Jは撮っていませんでした
なぜでしょうね?
フライングレインボウの機首ストライプはきれいでしたね
モノクロしかありませんが
1962年7月26日の箱根ヶ崎
ありふれた写真ですがKB−50J着陸ショット

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:04 No.771
Re: 私のアルバムから〜B V
1964年5月19日の三軍なら空中給油ショットありました
135mmトリミング

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:07 No.772
Re: 私のアルバムから〜B V
同じく、送りショットも

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:08 No.773
Re: 私のアルバムから〜B V
>760の西砂川着陸写真は低いですね
1963年5月19日機首アップで撮った
西砂川着陸のKB−50Jです
1年前のNo.771と同じ「357−17」ですが
レインボウストライプは消えていました

村越賢司 2020/01/11(Sat) 19:12 No.774
Re私のアルバムから〜B V
1963年の横田三軍記念日にてKB−50のフライトにつきまして、K.TAKADAさんより、写真と証言が届きました。
TAKADAさんによりますと当日KB−50は4回航過したそうです。三軍記念日での航空ショーは12時前後ぐらいの時間帯に行われることが多かったので、のらひこさん、村越さんはスコーピオンだけを撮りに、午後から行ったのかも知れませんね。
↓TAKADAさん撮影

赤塚 2020/01/12(Sun) 10:41 No.775
Re私のアルバムから〜B V
↑時代の空気感を思い起こさせるには、やはりこうした地上の光景が写し込んでいるほうが効果的ですね。

↓は同日の単機フライト。R4360とJ47をフルスロットルでローパス。戦闘機系にない迫力があります。このあとRW18エンドのあたりでひねって急上昇でもしたのでしょうか。

赤塚 2020/01/12(Sun) 10:59 No.776
Re私のアルバムから〜B V
>のらひこさん
769の正解者に「飛行機ゆかた」を贈呈する件ですが、残念ながらご用意できません(笑)
おっしゃっているのは、↓このことですね。1965年8月に酣燈社から発売され41機種のシルエットを染めたマニア垂涎の浴衣。
55年前の物価と、現在の物価を単純比較すると約10倍ですから、仕立て料込み1万5千円ぐらい。ちょっとお高い。
まあ、持っていたとしても、これ着て外出するには勇気がいるようです。アロハにすれば今でも結構売れるのではないでしょうか。私は買います。

赤塚 2020/01/12(Sun) 17:13 No.777
Re: 私のアルバムから〜B V
63年横田三軍で参加です
真っ黒で何も写っていないと思っていたネガを見返したところ、ありました!
小っちゃくKB-50が(笑) この他にも少し見上げる角度でもっとちっちゃなKB-50が写っていたのでTAKADAさんが仰るように何度か航過していたみたいですね
オソマツ!
PS. 私のネガにはスコーピオンが一枚も写っていませんでした!?

ダブルタンゴ 2020/01/12(Sun) 18:59 No.778
Re: 私のアルバムから〜B V
no778!そうでしょうね。これだけ空が写ってれば、真っ黒ネガと思ってしまいますよね。よくぞ証拠写真をつきとめましたね。立ち位置からするとエプロンの一番南にいたわけですね。ハンガー15より南の広いところで撮った感じです。45mmですか。
それにしてもスコーピオンを撮らずに帰ったんですか?もしかしたらスコーピオンの周りには怖いオタクおじさんが沢山居たんで近づけなかったのかも知れませんね。
のらひこ 2020/01/12(Sun) 20:04 No.779
Re私のアルバムから〜B V
>ダブルタンゴさん
私も初めて行った横田のネガのヒトコマ目に同じようなカットがあります。少年時代、ヒコーキが写っていれば満足してた頃を思い出しました。

↓は63年横田三軍にてTAKADAさんの別の航過カット。45mmで撮ったにしても高すぎます。観客に見せようという意図とは別に通過したような気がしますが如何でしょう。

赤塚 2020/01/13(Mon) 10:39 No.780
BBSU

4月から始まりましたBBSU「私のアルバムから」も明日から新年を迎えます。
皆さまのご投稿もあって見応えのあるサイトになりましたが、引き続き2020年もよろしくお願いいたします。

BBSU開始時に当サイトのテーマについて記しましたが、あらためて申し上げます。
タイトルの「私のアルバムから」にありますように、本BBSは1950年代から60年代にかけて航空情報誌上において発表された
読者の写真をベースに構成されております。

私たち世代のマニアが少年期から青年期にかかる頃、父親や親戚などからカメラ(主に45mm)を借りてランウェイ・エンドで写真を
撮れるようになったとき、すでに先輩方は一眼レフと望遠レンズ(主に135mm)で撮った素晴らしい写真が、航空情報誌上に毎月のように載っていました。
当時、航空情報は日本の航空誌として権威ある専門誌で、飛行機写真を撮り始めた者にとっては航空情報に自分の写真が掲載されることを目標の
一つにしてましたが、如何せん知識と技術が未熟であり先達に学ぶことが多かったのです。
言わば、このコーナーはTSPCの先輩方をはじめ、すでに飛行場で活躍されていた先達の方々の写真と、私たちの「想い出写真」を
鑑賞しながら往時を語ろうというのがテーマです。

その頃に写された飛行機は“超”が付くほど珍しかったり、航空史的に重要である機体も多々ありますが、ここでは機体の詳しい背景などは
専門書やウェブでご覧いただくとして、アップされた写真を見ながら“時代の空気感”のようなものを思い出し“あの頃”を懐かしんでいただければ幸いです。

B−47は本日で終了し、次回は1月6日からB−50系の写真とともに語り合いたいと思います。皆さま方のコメントをお待ちしています。

赤塚 2019/12/31(Tue) 08:31 No.752 [返信]
私のアルバムから〜BW

航空情報 1959年12月号

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:02 No.721 [返信]
Re: 私のアルバムから〜BW
私がRB−47Hの存在を知ったのが、TODAさんが撮影され航空情報の1959年12月号に掲載された写真からです。
↓はその原版の写真ですが、おそらくペンタックスS2とコムラー135mmで撮られたものと思われます。50年代で望遠レンズを使い基地のエンドで撮影していた人はごく一部であり、当時のマニアさんたちは羨望の眼差しをもってTODAさんに接していたことでしょう。

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:14 No.722
Re:私のアルバムから〜BW
↑のTODAさんの写真は、おそらく1959年の夏頃に撮られたものと思われますが、下のMoriさんが1962年4月に撮影されたRB−47Hにはアンテナや突起物が増設されてます。
ここでは詳しくは説明しませんが、B-47研究家にとりましては、たいへん有りがたい写真でしょうね。

赤塚 2019/12/21(Sat) 14:26 No.723
Re:私のアルバムから〜BW
「RB」だから“眼”のノーズアートは納得しますが、よくよく見ますと不思議な描き方ですね。
眼が超リアルでありながら、口は簡略化されています。このシュールな表現は意図したものなのか、あとから口の部分を描き込んだのか?
1962.1.4 撮影:Moriさん

赤塚 2019/12/22(Sun) 12:07 No.724
Re: 私のアルバムから〜BW
no724のノーズアート?は多分横田のメンテナンスの日本の漫画好きの下士官辺りが書いたんじゃなかろうか?でもまだ巨人の星は出てないし、なんの漫画からとったんだろうか。絶対アメリカンコミックでは無い筈。でももしかしたら、インドネシア辺りのお祭りの仮面ある目の書き方にも思えますね。
のらひこ 2019/12/22(Sun) 15:27 No.725
Re:私のアルバムから〜BW
>のらひこさん
たしかにノーズアートの眼はインドネシア風に見えなくもないですね。
想像ですが、この写真が撮影された当時“白っパナ”のRB−47Hは出現したばかりで、それを見て絵心のある兵隊が描いたのでしょうね。これが黒いレドームですと何かおかしい。
先輩T.Maさんの話によりますと、RB−47Hのノーズアートにはフランケン・シュタインと、わんぱくデニスがあったらしいです。“歌は世につれ”ではないですけど、描かれたものを見てみたいですね。懐かしすぎて・・・。http://timvp.com/tv/dennisthemenace/

↓は1962年4月24日,WATANABEさん撮影のRB−47Hですが、珍しく部隊章のようなものが描かれています。ご存知の方おられましたらご教授ください。

赤塚 2019/12/23(Mon) 09:43 No.726
Re: 私のアルバムから〜BW
皆さん こんにちは

モノクロ世界にNarisawa氏カラー画像はAkatsuka氏仰るように、急に現実に引き戻されたような何か変な感じを覚えます

1967年4月6日木曜日、まだ春休みだったのか、それとも高3一学期が始まっていたのか? ネガを見ると午後からの撮影なので始業式後に行ったのかも?
Rwy18離陸後すぐに戻ってきたようで、離陸の黒煙もくもくも撮っていなかったのでFCFだったのかな
この日のネガには空自のマルヨンも写っていました あの頃は時々飛来していましたね

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:45 No.727
Re: 私のアルバムから〜BW
その2

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:47 No.728
Re: 私のアルバムから〜BW
その3

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:48 No.729
Re: 私のアルバムから〜BW
着陸その1

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:49 No.730
Re: 私のアルバムから〜BW
着陸その2 おしまい

ダブルタンゴ 2019/12/23(Mon) 16:51 No.731
Re: 私のアルバムから〜BW
ダブルタンゴさん、no729の爆撃手は何してるんですかね。離陸時にそんなに仕事あるのかなー。昨日飲み過ぎて紙袋に出してるんじゃないかと思ってしまいますね。帰投の時はちゃんと頭出してるから、吐き気も治ったようですね。
のらひこ 2019/12/24(Tue) 09:15 No.732
Re: 私のアルバムから〜BW
ハハハ、のらひこさん、細かいところまでよく見ていますね〜
スマホでもいじっていたんじゃないですか?
まだ無いか^_^;
ダブルタンゴ 2019/12/24(Tue) 10:20 No.733
Re: 私のアルバムから〜BW
多分アグネスラムのグラビア見てるんじゃなかろうか?
のらひこ 2019/12/24(Tue) 10:44 No.734
Re:私のアルバムから〜BW
>のらひこさん
アグネス・ラムは1967年ではまだ11才なのでデビュー前でしょう。時代的にはジェーン・マンスフィールドあたりかな。

その頃よく見ていたカメラ月刊誌に掲載されていた数多の作品の中でよく見たタイトルが「若い二人」とか「老人」。
そして、必ずあったのが「無題」でした。
↓はMoriさんが横田の36で撮影されたRB−47ですが、もし、私がタイトルを付けることが許されるなら「無題」です。

赤塚 2019/12/24(Tue) 14:47 No.735
Re: 私のアルバムから〜BW
no735は標準ですかね。Moriさんが短いのを使ってた記憶がありますが、35mmかしら。垂直尾翼の歪みがきつい感じですが、どうなのかしら。私は立ち位置の違いがよく判る写真を一枚!短い期間でしたが、36エンドは空き地のお陰で、どんなレンズでも自由に撮れた時期がありました。爆撃手もちゃんと前を見て座ってますね。ジェーン・マンスフィールドはアグネス・ラムとは別種の巨乳ですね。私は遠慮しますがダブルタンゴさんのご趣味は?。写真の着陸姿勢はこのまま少し鼻を持ち上げて、前後輪を同時に着地させる訳でしょうね。

のらひこ 2019/12/25(Wed) 08:07 No.736
Re: 私のアルバムから〜BW
ジェーン・マンスフィールド、懐かしい響きですね〜
確か痛ましい事故で亡くなられたのですよね。チョットググってみたらNo.727〜を撮った直後の67年6月でした。ですので赤塚氏おっしゃるのが当たっているかも(笑)
アグネス・ラム、「激写」本がまだ本棚の片隅にあったような?

ダブルタンゴ 2019/12/25(Wed) 12:32 No.737
Re: 私のアルバムから〜BW
NO737の写真は凄いですね。MAX8にすごいです。カウリングというのかエンジンカバーというのか知りませんが、外したらすぐ横にある偵察ポッドが熱くならないのかしら?あの当時は部品の半分位は真空管なんだろうと思いますが、だから元々強烈に熱くなるからヘイチャラかな。それに前進力を重量物運搬車みたいな重機で押さえてるのかしら?
のらひこ 2019/12/26(Thu) 11:52 No.738
Re:私のアルバムから〜BW
12月も末、いよいよ本格的な冬がやってきますね。
氷点下の真冬であろうと、30度を越す真夏であろうと、鼻水をすすり、迸る汗をぬぐいながらランウェイ・エンドに過ごした日々。
ラジオも無い、クルマも無い・・・だから面白かった。
便利になるとその分失うものがある。なんて、当時は分かるはずもありません。


↓はNAKASATOさんが1959年3月に撮影されたRB−47Hですが、早春とは言え冬の名残りが画面一杯に溢れて出ています。
50年代の西砂川を写し撮った素晴らしい作品ですね。
偶然にもNo736の機体と同じでした。

赤塚 2019/12/26(Thu) 17:37 No.739
Re: 私のアルバムから〜BW
同じくNAKASATOさんが1958年6月23日に撮影された離陸ですが、現在私の手元にありますRB−47Hの写真の中で最も古い写真記録です。
おそらく、配備されてすぐの写真ではないでしょうか。米軍の兵士も珍しいものを見ているような感じがいたします。
NAKASATOさんも初物をもう少し寄って撮りたかったのでしょうが、目の前に兵士がいたため、離れた場所から身を潜めてキャッチした・・・。
これは私の想像です。
左の竹林は1967年頃まであったそうですが、記憶にありません。

赤塚 2019/12/27(Fri) 11:04 No.740
Re: 私のアルバムから〜BW
B−47シリーズも終盤なのでしょうか
今のうちに手持ちを出しておきます
1964年7月31日の横田18エンドのトウモロコシ畑
RBとWBが2機降りてきた夏の日、暑かった

1964年7月31日のRB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:27 No.741
Re: 私のアルバムから〜BW
1964年7月31日の横ショット
RB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:29 No.742
Re: 私のアルバムから〜BW
3コマ目送りショット
RB−47H/53−4291

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:31 No.743
Re: 私のアルバムから〜BW
同じ日、1964年7月31日に箱根ヶ崎にて
今度はWB−47E/51−2413 が降りてきました
このWBは遅い時期まで飛んでいましたよね
私はこれ以降撮っていませんが・・・

村越賢司 2019/12/27(Fri) 23:38 No.744
Re: 私のアルバムから〜BW
NO740の写真はその当時の、基地のそばでの撮影の怖さを良く表していますね。兎に角基地から見えないところで撮っていたんですね。添付の航空写真は1961年の9月5日のものですが、まだ林もそしてその東側の竹やぶらしきものもありますね。赤い線が撮影方向でしょう。竹やぶの影に隠れてハンガー15があるんでしょうが、見えませんね。また、この写真では停止信号がありません。58年から61年の間に撤去されて南側の我が樫の木の傍に移っています。

のらひこ 2019/12/28(Sat) 14:16 No.745
Re:私のアルバムから〜BW
>村越さん
たしかに暑そうなショットですね。
でも、1日で“RB”と“WB”が同時に撮れるなんて“幸せ者”だと思いますよ。

>のらひこさん
撮影ポイントの解説、ありがとうございます。
今は300mmが標準レンズの時代、どこからでも苦もなく撮れますが、楽になるとエピソードが少なくなりますね。果たしてどちらがいいのでしょう。


↓は、古くからの関西の友人、R.Nakajima君が1966年3月16日に36エンドで撮影したRB−47H。レンズに当たってシャープなピントを出していましたが、撮影の“腕”は私より良かったような気がします。AGC版「アメリカ空軍機写真集」に解説されたT.Maさんの文をそのまま載せますが、その通りだと思いました。

『大阪のマニア中島氏が、ペンタックスとタクマー135mmで撮影したRB−47Hの見事な離陸ショット。横田初訪問でこの写真をモノにしたというから、幸運と手腕の見事な融合としか言いようがない』(以下略)

赤塚 2019/12/28(Sat) 15:07 No.746
Re:私のアルバムから〜BW
下は航空情報1962年3月号のアートページに載ったT.Maさん撮影のRB−47H。

当時、航空情報のアートページは世界の雑誌の中でもレベルが高いと言われており(編集部談)、一読者の写真が航空情報に掲載されるのは、日本のマニアの写真技術の高さが世界から認められたようなものでした。

赤塚 2019/12/29(Sun) 13:35 No.747
Re:私のアルバムから〜BW
実際の写真です。1961年11月撮影。
AGC版「私のアルバムから」下巻にも掲載させていただきましたが、本書の印刷では、この写真の良さがでませんでした。

南中時の横田36で撮影したモノクロ写真の仕上げは非常に難しく、陰影をつけようと“押す”と機体全体が黒くつぶれ、
それを避けようとするとフラットな締まりのない写真になってしまう。当時モノクロプリントを焼いた経験のある人はお分かりだと思います。
そこはT.Maさん一流の仕上げにより、単なる着陸写真ではなく芸術作品にまでに昇華させた技術はさすがですね。本当に素晴らしい。

赤塚 2019/12/29(Sun) 14:01 No.748
Re: 私のアルバムから〜BW
関東近辺には、横田、厚木、入間等と米軍機を撮影する基地はいろいろありました。撮りやすい場所としては、横田の西砂川、箱根ヶ崎、厚木の桜ケ丘側、大和側、入間の南側と言ったところですが、B-47のスレッドを見ていると、横田の西砂川が、写真を撮るのに一番凝れるところだったと感じ入っています。遠景の奥多摩山系、富士山はもちろん、中景、近景を上手に入れれば素晴らしい写真になったものです。厚木の大和側も、東側の杉林があったころは、風情を上手く表現できたのですが、その後は南北とも、飛行機だけを被写体とせざるをえず、青空、あるいは曇天に飛行機という写真しか撮れなくなったのは寂しい限りです。T.Maさんの写真は、そういった意味で、実にうまく状況、天候を取り入れた素晴らしい写真ですね。
のらひこ 2019/12/30(Mon) 13:08 No.749
Re:私のアルバムから〜BW
1991年にソニー・マガジンズから出版された「TIMELESS BLUE フェンスの向うのアメリカ」は。写真良し、解説良し、ダブルトーンで印刷も良し、素晴らしい内容の写真集です。
そのラストページの写真を飾ったのがWATANABEさんのRB−47Hの離陸写真でした。

赤塚 2019/12/31(Tue) 00:23 No.750
Re:私のアルバムから〜BW
Bー47スレッドの最後は、上の掲載写真と同じWATANABEさんのトリミングなしの作品にしました。
撮影日が1960年2月29日ですので、カメラはミノルタSR−1ではなくキャリア初期の愛機、タロンVR/タロナー45mmでしょう。

枯れ落ちる寸前の桑の葉、水メタノール噴射の盛大な煙を吐き出すストラトジェット、60年前の横田エアーベースです。

赤塚 2019/12/31(Tue) 00:41 No.751
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