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私のアルバムから〜海軍機篇

昨年4月から始まりましたweb版「私のアルバムから」は厚木・海軍機篇をもって終了といたします。
昔の記憶を辿りながらゆっくり進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

航空情報1959年8月号

あかつか 2020/05/16(Sat) 23:32 No.1132 [返信]
Re私のアルバムから〜海軍機篇
はじめは、TSPCのNakagawaさんの「F4Dスカイレイ」から。
航空情報1959年8月号 私のアルバムから の入選作です。今のマニアがこの写真を見て「これが入選?」と思われるかも知れませんが、
選者(たぶんYokomoriさん)の評文9行目から書かれていることが、その理由をあらわしています。

『たとえ見馴れたDC-4であっても、あなたの目とカメラで、いくらでも新しいアングルは発見できるはず・・・』のくだり、
その言葉は現在でも生きてますね。

確かにDC-4(C-54)は余り撮りませんでした。つい目先の新鋭機や外来機へ気が行ってしまい、退役した後にネガを調べますと如何に
少なかったことか・・。スカイレイを見てきた方々も同じような体験をお持ちではないでしょうか。

スカイレイも“見慣れた”ヒコーキでした。
ですが、厚木へ初めて行ったのが1961年8月から退役で厚木を去る1963年9月までわずか2年間ほどしか見ていないのですね。
当時「佃煮にするほど居る」と言われた海兵隊のスカイレイ。
常時2中隊、40機ほどが東側海兵隊のエプロンに並んでいて連日のフライト。私はその頃まだ標準レンズ1本の世界でしたから、着陸を撮る角度が大体決まってしまう。
大き目に撮るにはNakagawaさんのように仰ぎ見るか、斜め後ろしかありません。マンネリ化して降りてきても,ただ見送るだけのヒコーキとなってしまったのです。
ときどき先輩からお借りしたカメラとレンズ(135mm)で撮った“今風角度”のネガが数コマあり、今や私にとってスカイレイの
「お宝写真」となってます。

あかつか 2020/05/16(Sat) 23:39 No.1133
Re私のアルバムから〜海軍機篇
この作品は一時アツギ・マニアであった私の大好きな作品。
撮影されたのはTSPCの先輩Gabariさん。初めてお会いしたときからナンバーや飛行隊に詳しく、いつまでも私の先生でした。

1960年11月3日、厚木RW01から進入するVMF(AW)314のF4D−1ですが、左のマニアは写真を撮ってませんね。
いかにスカイレイが常に飛んでいたのか、この写真を見れば一目瞭然です。
当時の桜ヶ丘側の状況もよく分かりますし、正に「私のアルバムから〜厚木篇」を表す名作と言っていいでしょう。

あかつか 2020/05/17(Sun) 00:09 No.1134
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
おおっ、初っ端はやはりスカイレイですか。撮影月は今時分かな。良い空ですね。スカイレイは、下から撮ると結構難しいです。NO1133の写真も首輪が機体からはみ出していないからカッコ良いんですよ。なんかフライングオブジェクト見たいです。そうか・・・40機近く居たんなら4日に一度エンジン回すとしても1日に10機は飛ばすわけで、そりゃあ貴重なフィルムをそうそう使いません。後半はほとんど眺めるだけ!!人の写真見てたら頭も上げなかったりして!!
No1134、定番の大山と富士山、綺麗なVW!!それに土管!!春にはあそこで昼寝したこともありました。日当たりは良いし、風も来ないし!
のらひこ 2020/05/17(Sun) 17:03 No.1135
Re私のアルバムから〜海軍機篇
スカイレイ[WH]を厚木で最後に見たのが1963年9月、そして翌月、MAG−11にやってきたのがVMFA−314[VW]のF−4Bでした。
いよいよ海兵隊も長きにわたる“ファントム時代”へ移っていきます。

↓は1964年1月6日、初めて撮った“マリンコ・ファントム”。
Gabariさんが撮られた立ち位置より少し前に出て撮ってたようです。霞んでいて富士山も丹沢も写っていないのが残念^^;;
背景の森の形態はそれほど変わっていませんが、農家は消えていますね。

あかつか 2020/05/18(Mon) 10:24 No.1136
Re私のアルバムから〜海軍機篇
スカイレイだけは、標準レンズ1本の私には本機の魅力をどうしても表現できませんでした。
機首から垂直尾翼へ流れる緩やかな曲線、グラマナスながらキュートさを持つスカイレイのイメージを写真に焼き付けるには、
どうしても望遠レンズでないと無理だったのです。
それにしましても、このMoriさんの離陸ショットは凄い!。これで200mmですから、いかに当時の離陸が低かったのが分かりますね。
予測のつかないヒネリに対しても、まったくブレてませんし、胴体後方に書かれたビューローナンバー上のF−6Aの機名も
原版ではしっかりと読みとれてます。  1963.9.24

あかつか 2020/05/18(Mon) 15:07 No.1137
Re私のアルバムから〜海軍機篇
同じくMoriさんが1962年4月27日に撮影されたスカイレイの着陸。
現代風の着陸写真で、これが58年前に撮られたものとは思えないほど完成された写真です。少年の頃、こうした写真を見せられて、
望遠レンズを一日も早く持てるようになることを夢見てました。
そして、ようやく望遠を手に入れた頃“タッチの差”でスカイレイは退役。MAG11のエプロンには影も形もなかったのです。

あかつか 2020/05/18(Mon) 17:03 No.1138
Re私のアルバムから〜海軍機篇
1960年代初頭、高度経済成長真っ只中の東京・神奈川の空の汚れは京浜工業地帯周辺だけで、都心から離れた飛行場に行けば、
空の青さと自然の豊かさを十分に感じさせてくれました。

1958年5月6日「厚木の空とスカイレイ」  撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/05/19(Tue) 10:01 No.1139
Re私のアルバムから〜海軍機篇
↑からの連続写真ではありません。
1959年7月17日にAnzaiさんが撮影したスカイレイのブレイクシーン。
今では「何でもござれ」で、どんな状況も写真に収められますが、これが50年代に撮られたスカイレイであることが凄いのです。

あかつか 2020/05/19(Tue) 10:14 No.1140
Re私のアルバムから〜海軍機篇
イヤハヤ、ビックリしました。NO1137の写真を見た時、Moriさんと肩を並べて撮っていたことは判っているんですが、私は135mmで、まったく同じ角度なんです。多分、二人とも真横を撮ろうとして、目から指への反射の時間差、それにシャッターのタイムラグで、微妙に送りになって、全く同じ角度の写真になったんですね。師匠Moriさんと同じ写真を撮ってたんですから、私も捨てたもんじゃ無かったかも。それに画角の広さから雲も写ってますしね。しかし、これほど角度の同じ写真は撮れと言われても撮れませんよ。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 19:38 No.1141
Re私のアルバムから〜海軍機篇
しかし、スカイレイは撮りにくい飛行機でしたね。背中の線が写ってないとどうにも恰好が付かない。だから、良い写真が撮れないもんだからツクダニとか言ってあまり撮らなくなっちゃんです。こうやって並べてみると、綺麗で可愛くて凄味のある飛行機だったんですよ。ごめんなさい。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 19:50 No.1142
Re私のアルバムから〜海軍機篇
1962.11.5の背中の線が出てない写真を張りますね。マリンコ塗装も判らないし、どうにも様にならない、残念な写真ですね。そうなると送りで撮るようになったんですね。

のらひこ 2020/05/19(Tue) 20:19 No.1143
R 私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
Moriさんと並んで撮っていたのですか。No1137の写真はいくらかトリミングしてますが、200mmと135mmの拡大率の差がよく分かりますね。Moriさんは標準から135mmに行かずに200mmを持ったことは大正解でした。特にスカイレイなんかは写真の世界がかなり異なります。
No1142のヒネリのショットも、その違いがよくでています。

あかつか 2020/05/20(Wed) 11:04 No.1144
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
私も背中の見えないスカイレイ写真を貼ります
地上展示は撮ったことがありましたが飛んでいるスカイレイはこの日が初めての出会いでした
1962年11月5日の厚木19エンド
135mmでしたができるだけ近づいて撮った着陸でしたので
ハラばっかりでした
VMFaw542のF−6A WH6/139092
同じデルタ翼でもF−102よりも迎角が大きくゆったり降りてきた気がしたのは錯覚でしょうか
ちょっと送り気味のすらっとした垂直尾翼が美しいフォルムでした

村越賢司 2020/05/20(Wed) 11:45 No.1145
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
連貼りですみません
同じ日の1962年11月5日の厚木19エンド
VMFaw114のF−6A EK22/
着陸は高かった

村越賢司 2020/05/20(Wed) 11:52 No.1146
Re私のアルバムから〜海軍機篇
>村越さん
62年の11月には135mmを使ってたのですね。うらやましい。
Moriさんからお借りしたペトリ・ペンタにのらひこさんのタクマー135mmで撮った[EK]のスカイレイ。
01側の着陸で画面に半分以上収め、尚かつテールコードを入れようとすれば、この角度しかないのです。1963.2.5

あかつか 2020/05/20(Wed) 22:57 No.1147
Re私のアルバムから〜海軍機篇
上と同日の63年2月5日、400mmなるものを初めて使わせていただきました。夕刻でしたのでF6.3開放、1/500秒でネガはスカスカ。
フィルムはネオパンF(ISO32)ですから、当然露出不足、しかも初めて手にする400mm。画面に入れるだけで精いっぱいで、
ピントもジャジャボケでした。しかし、こんな角度で撮れたスカイレイ見て、なかなか恰好のいいヒコーキなんだと思いましたね。

あかつか 2020/05/21(Thu) 11:58 No.1148
Re私のアルバムから〜海軍機篇
No1148で“お目汚し”の写真を披露してしまいましたので、WATANABEさんの、これぞ「スカイレイの編隊着陸」という素晴らしい作品をご紹介いたします。

私らが標準レンズ1本で撮っていた時代に先輩方はすでに一眼レフを使用しておりました。時のニコンやキャノン、トプコンは一ランク上の機材で、大学生でも入手しにくく多くはアサヒペンタックス(S2,S3)かミノルタSR−1を使ってました。交換レンズは純正が高目の値段に設定されていたことから、やや廉価なコムラーレンズを使っていた人が多かったように記憶しています。
WATANABEさんはミノルタ派で、交換レンズはコムラー135mmF3.5。この135mmがピント、コントラスト共申し分なく、ネガを拝見したときレンズのシャープさに驚嘆しました。
その頃「コムラーへは日本光学(ニッコール)の基準から外れたガラスが廻っているので、うまくするとニッコールと同等のレンズに当たる」と噂されてました。60年代初期に撮られた数多の写真を見てきた経験から、まんざら嘘ではなかったような気がします。
勿論、WATANABEさんの写真に対する真摯な姿勢と、並々ならぬ集中力が数々の名作を生んできたわけですが、レンズも大当たりでありました。

あかつか 2020/05/22(Fri) 10:00 No.1150
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
Narisawaさんが62年8月29日に撮影されたデルマー/アエロ38ターゲットを曳いたスカイレイ。
VU−5(UE)のF−8がターゲットを曳いてる写真はよく見ますが、スカイレイが曳く写真は少ないですね。しかもスカイレイそのものがキッチリ撮れていて、専門誌が欲しがるような素晴らしいショットだと思います。

あかつか 2020/05/23(Sat) 11:59 No.1151
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
同日、午前中にも撮られております。機器の構造が分かるよう、トリミングさせていただきました。
モデラーさんには役立ちそうな貴重な写真だと思うのですが、いかがでしょう。

あかつか 2020/05/23(Sat) 12:04 No.1152
Re私のアルバムから〜海軍機篇
デルマーターゲットですか!!懐かしいですね。55年前には、米軍はあんな小さい標的で射撃訓練をするんだ、凄いな〜と思ってましたが、今考えると高二ぐらいで習うフレミングの法則ですよね。20年も前に実用化していたVT信管と同じ原理で何十メートル以内に銃弾通過なら電磁的に感知するってわけですね。子供だったなと今更思います。しかし、中学、高校の6年間、世界の最前線の技術を目の当たりにしていたんですから、しあわせな日々でしたよ。
Watanabeさんの編隊着陸、性格が出てますね。几帳面でしかっり画面に納めて。羨ましいです。
私は一機がフライパスのマガイ物を張ります

のらひこ 2020/05/23(Sat) 15:15 No.1153
Re私のアルバムから〜海軍機篇
>のらひこさん
マガイ物、とてもいいじゃありませんか(^^)
この頃はどこを飛ぼうと制約なんて無かったと思いますので、今では大変貴重なショットですよ。
近年のFA−18でこんな飛び方してるの見たことないです。

我らの師匠はこれまた視点が違いますね。200mmならではの狙い。 1961年3月  撮影:Moriさん

あかつか 2020/05/23(Sat) 23:52 No.1154
Re私のアルバムから〜海軍機篇
WATANABEさんが捉えたスカイレイ。たぶんRUTE4への離陸でしょう。
光線状態が今ひとつで尾部がブレてるのことから、ご本人はプリントしなかったのではないかと思います。
しかし、このスカイレイの角度の良さは最高ですね。写真を基に絵を描いていただけたら、購入して自分の部屋に飾ってみたい。

あかつか 2020/05/24(Sun) 13:27 No.1155
Re私のアルバムから〜海軍機篇
同じくWATANABEさんのショット。厚木で見られたスカイレイの終盤。63年9月24日撮影
おそらく01側で撮ったと思うのですがこの低さには驚愕。しかも135mmですから、どれだけ低かったのでしょう。
マリンコは今でもときどきエアーショー並の低い離陸を見せますね。

あかつか 2020/05/24(Sun) 13:36 No.1156
Re: 私のアルバムから〜海軍機篇
no1156低いですね〜。何やらミサイル付けてますから、南風での01使ってのスクランブルじゃないでしょうか?ノンビリしてたら轟音がしたんで、立ち上がったら上がってきたというところかも知れませんね。凄い上昇力でしょうから、川越辺りで3万ftは超えるのかもしれませんね。多分、この後、2時間強で戻ってくるんでしょう。ミサイル付けたままですけど。私はスクランブルに一度もであったことがないです。
のらひこ 2020/05/24(Sun) 15:37 No.1157
航空写真ファンの草創期

1952年、航空再開を見据えて前年1951年10月に「航空情報」が創刊。航空専門誌として軌道に乗り始めた1953年9月、初めて読者からの
投稿写真による月例の「私のアルバムから」のページがつくられ、「航空写真コンテスト」と共に飛行機写真ファンの発表の場となって行きました。

当時はまだ、日本人全体にとって写真を撮影するのは特別なことで、現像やプリントの技術を習得する環境も整っておらず、カメラは二眼レフか蛇腹式の
スプリングカメラがアマチュアの機材でした。
従って駐機中かタキシングの作品が主で、60年代以後の長焦点レンズによる飛行機写真とは趣が異なりますが、下の写真のように50年代初期に撮られた
“地上画”は、時代の風景に人やモノまで写し込まれていることから、飛行機の写真だけに留まらず、戦後の文化史料でもあるのです。

あかつか 2020/05/06(Wed) 19:27 No.1117 [返信]
Re: 航空写真ファンの草創期
右下の『小鳩と荒鷲』は、その後長きに亘り「私のアルバムから」「航空情報・写真コンテスト」の審査委員を務めておられた横森周信さんの
読者時代の作品。カメラアングル、タイトルともさすが横森先生です。
あかつか 2020/05/07(Thu) 00:14 No.1118
Re: 航空写真ファンの草創期
読者投稿のコーナーが好評だったようで、すぐに2回目の「私のアルバムから」が始まりました。(1953年11月号)

説明の中で「珍しい写真をいただきましたので・・云々」とありますが、日本戦後双発機の1号機(エアロコマンダー520の生産1号機)JA5001であるからですね。
飛行機も珍しければ、写真もスバラシイ。機体だけをカメラに納めたいという人は車も人も邪魔としか思えないでしょうが、巾広く写真を見つめるタイプの人には拍手をしたくなるような作品です。
ちなみに“エクザクタ”なるカメラはライカと並ぶ高級カメラで、一眼レフを初めて世に出したドイツ製。撮影者は飛行機写真だけでなく、写真そのものにもキャリアを積んでいた方だったのでしょうね。

あかつか 2020/05/07(Thu) 11:30 No.1121
Re: 航空写真ファンの草創期
「着陸」 横田にて

あかつか 2020/05/09(Sat) 15:28 No.1122
Re: 航空写真ファンの草創期
航空情報の「私のアルバムから」に200mmを使用した応募作品が載ったのは、MoriさんのこのT−33の写真が初めてでした。
1961年8月号に掲載されたものですが、マニアの機材がようやく標準カメラから一眼レフへ変わった頃で、望遠と言えば135mmがほとんど。
この頃に200mmを持つマニアはじつに少なかったのです。(2人しか記憶にない)
その上、標準カメラでも充分な写真を撮れたランウェイ・エンドの木の上からのショットですから、さすがの選考者もその迫力に驚嘆したことでしょう。
団塊マニアに大きな影響を与えた作品です。

あかつか 2020/05/09(Sat) 15:30 No.1123
Re: 航空写真ファンの草創期
エアロコマンダーの平らなエンジンナセルがモダンで好きな飛行機でした。調布に何機か常駐しており、我が家の上をたまに飛んでいました。今のように騒音回避のためのアプローチの必要がないためか、井之頭上空経由が多かった気がします。no1121の写真を見るとその整備性の良さが判りますね。
no1123、これは衝撃でしたね。買った航空情報の中にド迫力で載ってました。まだ45mmしかもっていない中学2年生にとっては別世界の写真!!銃口を塞いでいないのも凄味の一つです。
のらひこ 2020/05/10(Sun) 07:43 No.1124
Re: 航空写真ファンの草創期
>のらひこさん
ヒコーキマニアを自覚した少年のときからエアロコマンダーは我が家の上空を良く飛んでいて、
あのライカミングの甲高いエンジン音はどこに居てもすぐ分かりました。
姿形がB−26に似てると思ったら、設計兼社主のテッド・スミスはダグラスの設計技師だったんですね。
あかつか 2020/05/10(Sun) 13:29 No.1125
航空写真ファンの草創期
1953年9月号から始まった航空情報の「私のアルバムから」は、毎号載ってはいませんでした。それは写真が読者から余り送られてこなかったのではないかと思います。
「私のアルバムから」のコーナーが本格化し始めたのは、団塊マニアの一つ前の世代の飛行機ファンの同好会「東京エアロ・カメラ・クラブ」TACC(後のTSPC)の会員たちが活発に活動し始めた1959年頃からで、この年以降飛行機写真全体のレベルが上がり出し、以後、会員たちの作品を含め、読者の投稿写真が盛んに航空情報誌を賑わしていました。
ときには、編集部がテーマを決め、「スピード」「夜の飛行場」とか、ときにはハーフサイズカメラに限定したりと、編集部の熱の入れようも相当なものでした。が、一方、記念行事を背景に各界と協賛した「航空写真コンテスト」が毎年開催されるようになって、こちらは賞金や副賞も多く「私のアルバムから」は役目を終えたかのように1964年2月号をもって休載。
読者にとっての自信作はコンテストへ応募するようになったのです。

下は掲載最後となった「私のアルバムから」の最終回。
評文は世間の写真教室の講師によるアドバイスのようで、私の写真も二点(CV880、T−33)、素材として採り上げられています。写真は1年近く前に送ったもので、そのときは多分“ボツ”になっていたのでしょう。
今あらため見てみますと、ヒコーキに一途だった十代の頃を思い出し、昔を懐かしんでいます。

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:14 No.1126
Re: 航空写真ファンの草創期
CV880・KIKU

■選者の評
『これだけ十分に光のまわっているのはめずらしい。しかしバックの夜空が非常にさみしい。翼端灯の流れを二重焼きしてみるにもよいだろう。』

●夢RES
そうであったらいいのですが、撮影した1963年の時点では、まだ引き伸ばし機は持ってなく、現像・プリントは写真屋さん任せだったので二重焼きはできませんでした。
カメラを一度落としてからレンズが片ボケするようになり、絞り開放(F2.8)もあって、この写真でも機首まわりのピントが出ていませんね。^^;;

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:25 No.1128
Re: 航空写真ファンの草創期
夕陽と“サンサン”

■選者の評
『やわらかくブレた機影と雲が、いかにも初夏の日差しを感じさせる。しかし、近景になんとなく金網や木をとり入れるのは芸がなさすぎる。』

●夢RES
イヤハヤおっしゃる通りです。この頃にはすでに「金網」「草木」「雲」の“三点セット”では通用しなくなっていましたね。余りにも空と雲が美しかったので思わず縦位置で撮ったのでしょう。叶わぬことですが、今のカメラならT−33を画面に止められ静止画をつくることができます。そんな写真だったらもう少し褒めて頂けたかなあ(^^)

あかつか 2020/05/12(Tue) 17:34 No.1129
Re: 航空写真ファンの草創期
no1128,”別のフィルム”で!!!!そりゃイケませんよ。確かに待っていれば多分Bランを降りてくる機体の航法灯あたりが、かするかも知れませんが、別のフィルムの二重焼きはイケません。しかし、本当に光が良く回ってますね。台の上にでもカメラを置いて1秒ぐらいで切ってるのかしら?J-79の細さも懐かしいですし、これがあんな轟音と大排煙を発していたんですね。顔も爆撃機らしく兎に角早くを感じさせます。
no1129,あの空、本当に撮りたくなる空ってありますよね。多分もう少し待てば機種の上辺りに彩雲が出るような気配ってありますよね。まず、空、雲が主題です。33でも102でも良かったんです。多分・・・金網でもセイタカアワダチソウでも良かったです。多分・・・山に行った時と違って飛行場で前景を入れるのは難しい!
行ったことがある人なら判ってくれるんだけどなあ。
のらひこ 2020/05/13(Wed) 09:03 No.1130
Re: 航空写真ファンの草創期
>のらひこさん
選者であったYokomoriさんは、写真の“新鮮さ”を選考基準にしていたようです。その点から言うと、上の二作品は表現の新しさには欠けていますね。
翌年の1964年から待望のペンタックスと望遠レンズを入手し、のらひこさんに負けないような作品づくりを目指しましたが、その頃から海軍機にハマり “つばさの無いヒコーキ写真” ばかりを狙うようになってしまいました。^^;
あかつか 2020/05/13(Wed) 13:43 No.1131
私のアルバムからF-100I

航空情報1960年4月号 日本上空を飛ぶ米軍機より

あかつか 2020/04/27(Mon) 09:43 No.1097 [返信]
私のアルバムからF-100I
上はNAKASATOさんが航空情報に投稿されたバーズの100ですが撮影日は不明。公開前に板付から横田へ飛来時に撮られたのでしょうか?。タンクを装備したバーズの100はこの写真しか見たことがありません。

航空情報の不定期連載(1959年9月〜1960年4月)「日本上空を飛ぶ米軍機」のコーナーは胸熱くさせてくれました。羽田しか知らない“飛行少年”にとって、飛んでる米軍機を側で見られるところが存在するというだけで、夢と希望をふくらませてくれたのです。

あかつか 2020/04/27(Mon) 10:36 No.1098
私のアルバムからF-100I
フライトを終えてエプロンへ戻るときの撮影でしょうか。余りに近くを滑ってきたので前の観客を避けることができなかたようですね。
インテイクがケラれなかったのでギリギリセーフ!?。撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/04/27(Mon) 10:56 No.1099
私のアルバムからF-100I
こちらは距離が離れていたのでガッチリ納めました。
↑も↓も背景が流れています。けっこうなスピードで滑ってきたのでしょうね。お見事です。

あかつか 2020/04/27(Mon) 11:12 No.1100
私のアルバムからF-100I
上を撮影されたKomiyaさんら、多くのマニアが観客の中にまぎれながらシャッターを押していたとき、Tanakaさんは対面の地点からエプロンへ帰るタキシングを狙っていました。

以下、ノーカットでの連続写真をごらんください。
あかつか 2020/04/28(Tue) 16:57 No.1101
私のアルバムからF-100I
(1) KC−97、C−124、C−130も展示されていたのが、この写真から分かります。

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:00 No.1102
私のアルバムからF-100I
(2)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:10 No.1103
私のアルバムからF-100I
(3)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:12 No.1104
私のアルバムからF-100I
(4)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:14 No.1105
私のアルバムからF-100I
(5)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:18 No.1106
私のアルバムからF-100I
(7)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:20 No.1107
Re: 私のアルバムからF-100I
(8)

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:22 No.1108
私のアルバムからF-100I
50mmでの連続写真ですので、クルーの行動やタキシングの全体像がわかる貴重な記録写真となっています。
「せめて135mm位で撮っていれば・・」と思う方もいらっしゃるでしょうが、横田であることが大変重要なので、
私としましては標準レンズでの写真の価値観を優先します。
あかつか 2020/04/28(Tue) 17:50 No.1109
私のアルバムからF-100I
飛行を終えて一段落してからのカットだと思います。 撮影:Y.Todaさん

あかつか 2020/04/28(Tue) 17:54 No.1110
私のアルバムからF-100I
こうして手元にあります写真を通して見ますと、サンダーバーズの演技が始まったころは観客は少なく、半ばか後半に人波がどっと押し寄せているのが分かります。
当日は“半ドン”だったので、地元住人や少年少女たちは学校の授業が終わってから駆け付けたのでしょう。飛んでるバーズを見ながら急ぎ足で基地内に走る少年の姿が目に浮かびます。
この賑やかさ、昨今の基地公開の光景とは“何か”が違う・・・。何だろう。考えてみます。

撮影:Tanaka Tuneoさん。素晴らしい写真をご提供下さりありがとうございました。

あかつか 2020/04/29(Wed) 11:37 No.1111
私のアルバムからF-100I
いよいよフィナーレ。サイン会です。
このTanakaさんの写真、写真専門誌のコンテストに入選するような作品ですね。
本国のサンダーバーズ・ミュージアムの資料担当の人が見たらアーカイブに残したいと思うのではないでしょうか。

あかつか 2020/04/29(Wed) 11:47 No.1112
Re: 私のアルバムからF-100I
センチュリーシリーズは全機種、横田に来ているんですよね。106は来ているのを連絡をもらってはいたんですが、なぜか見に行かなかったですが、100、101、102、105はノベツ飛んでいるのを見られた幸運な少年時代でした。その中でスーパーが付くのは100だけ!!戦闘機らしい戦闘機で、三沢、板付、嘉手納、クラークという外来で胸ときめかせる機体でした。般若も悪くはなかったですが、3基地の塗装は色鮮やかで、白黒フィルムのファインダーの中で綺麗に降りてきたものです。
サンダーバーズ、演技後の公開は凄いですね。搭乗ラダーに乗せてくれたんですね。興奮ものです。観客も演技に酔いしれて満足顔ですね。Tanaka Tuneoさんのno1112の写真は頭の上に手を伸ばして撮ったんですか。よくぞ尾翼の尖端をキッチリ納めてますね。飛行機好きはこの辺外しませんよね。たいしたものです。
それにしても、100は、上品過ぎず、重厚過ぎず、シャープ過ぎず、本当に戦闘機らしい戦闘機でした。スレッドが10まで来るのは当然ですね。
のらひこ 2020/04/29(Wed) 21:49 No.1113
私のアルバムからF-100I
>のらひこさん
あれ、センチュリー・シリーズの中での104が抜けていますね。1962年の横田三軍記念日で初公開されたF−104には興奮した思い出がありますが残念ながら“銀ピカ”に星のマークではなかった。
86F、86D,104にしても、U.S. AIR FORCE機に思いを馳せてしまうのは、 CIEの占領教育にすっかり洗脳されてしまったからでしょうか。
教育とはオソロシイものですね^^;;


これにて空軍機篇は終了し“NAS ATUSUGIと海軍機篇”を始めますが、しばらくお休みをいただき5月17日から再開させていただきます。
機種別の画像は過去スレや別スレで充分紹介されてますので、機種そのものにはこだわらず、↓のような様々な写真とともに
「60年代NAS ATUSUGI」の世界を再現してまいります。


1960年秋、大和側にトンネルはまだ無かった。     Photo:H.Gabari 

あかつか 2020/04/30(Thu) 15:51 No.1114
Re: 私のアルバムからF-100I
Akatsukaさん、皆さん,こんにちは。

BBS-2の方も毎日のように楽しませて頂いて居ります。

厚木の三軍記念日以外では出会えなかったセンチュリーシリーズ。

然もF-100のサンダーバーズは全くイメージ出来ずにいましたが
今回の特集で、恰も横田に行って見てきたような感覚になりトキメキました。

バーズが来日したのは1959年12月と言えば自分は未だ小二のハナたれ小僧。

その時既に、このような高度な撮影技術を持ったマニアの方々が居て
こんな素晴らしい写真を撮影していたことに驚きを禁じ得ませんでした。

こうなってくると、これら先達の他の作品も拝みたくなってきましたので、
Akatsukaさんが選らぶ次回「60年代NAS ATSUGI」編でも、
第一世代先輩諸氏の撮られた「傑作」の登場をお待ちして居ります。

本日投稿する写真のバーズ機は勿論自分が撮影したものではなく
アメリカ人のマニアW.E.JOHNSONさんが1979年6月23日にMOJAVEで撮影した二代目バーズのF-84F/52-6969です。

このF-84Fは民間レジ N-84JWが与えられエアショー等で飛んでいたようです。

初代バーズ機はF-84Gで1953年6月1日、ルークAFBでバーズが結成された時から使用され翌54年まで使用されました。
二代目バーズがF-84Fで1955年いっぱい運用後、1956年よりF-100Cの使用が始っています。

M.WADA 2020/05/03(Sun) 14:21 No.1115
私のアルバムからF-100I
>M.WADAさん
貴重なコレクションのご紹介ありがとうございます。
F−100と交代するまでF−84Fは大活躍していたようですね。50年代につくられたワーナー映画はじめ、Webでぐぐってみてもかなり数の動画が残されています。
それは、50年代の航空ファンの世界で、私たち60年代マニアはやはり“100”なんですね〜。(しつこく後悔)

F−16の次の使用機はT−7Aレッドホークに決まっているようです。F−35では経費がかかり過ぎるからですかね?。F−35は余り好みのヒコーキではないのですが(多分多くのマニアも思っているはず)バーズの使用機なら結構イケるんではないかと期待してました。見た目が“鳥”ですし、ペイントすれば文字通りサンダーバードになりそうだったのに^^;
「私のアルバムから」NAS ATSUGI篇もご感想よろしくお願いいたします。
あかつか 2020/05/03(Sun) 18:06 No.1116
私のアルバムからF-100H

あかつか 2020/04/24(Fri) 11:44 No.1081 [返信]
私のアルバムからF-100H
訪問国の国旗が貼られてますが、日本国旗のとなりに星条旗を組み込んだ旗には沖縄本島が画かれてます。そしてキューバも・・。 
   撮影:Tanakaさん   
あかつか 2020/04/24(Fri) 11:53 No.1082
私のアルバムからF-100H
フライト前のスモークテストでしょうか。一瞬の出来事を見事写し撮っています。
撮影のNAKASATOさんは午前にジョンソン、午後横田へ繰り出したというわけですね。当時のマニア事情を鑑みますと、その行動力は抜きんでてました。

あかつか 2020/04/24(Fri) 12:09 No.1083
私のアルバムからF-100H
昔サンダーバーズとともにスカイブレザーズと言うデモチームが在欧米空軍に居ましたね。空軍に二つのデモチームは必要ないとして1962年に解散しますが、サンダーバーズよりアメリカンな塗装が特徴でしたね。友人が1960年のWiesbadenで撮ったスカイブレザーズのF-100C。

コ永 2020/04/24(Fri) 14:23 No.1084
私のアルバムからF-100H
スカイブレザーズ、フィルムはコダクロームでしょうか?60年前の写真にもかかわらず、イイ色残していますね。
スカイブレザーズの歴史をググると、歴史はサンダーバーズより古いんですね。確かにいくら景気の良かった時代のアメリカでも空軍に二個のアクロバットチームは必要なかったでしょう。

↓この写真見て気付いたのですが、下面の鳥の絵に目が画かれていました。モデラーさん参考にしてください。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:31 No.1085
Re: 私のアルバムからF-100H
だいぶ以前、アクロバット飛行は観客の真上を飛ぶことが禁止されましたが、この頃はまだ規制はなかったから、こんなシーンもありました。
観客の正面から突っ込んできてブレイクする演技は何というのでしょうか。「空中開花(上方爆弾破裂)」より驚きますよね。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:41 No.1086
私のアルバムからF-100H
現場に行ってないので想像でしかありませんが、ショーが始まったときは曇っていて、演技途中から天気が良くなっていったようです。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:53 No.1087
Re: 私のアルバムからF-100H
演技後半でしょうか、陽が差してます。B−47とKC−97が望見できますね。

あかつか 2020/04/25(Sat) 09:58 No.1088
Re: 私のアルバムからF-100H
次いで背面ソロ

あかつか 2020/04/25(Sat) 16:24 No.1089
私のアルバムからF-100H
上空にサンダーバーズ、下に並ぶは50年代アメ車群。その中にサンダーバード(FORD)は居ないかな?

あかつか 2020/04/25(Sat) 16:37 No.1091
Re: 私のアルバムからF-100H
現在のバーズは、こんな近くで低いダイヤモンド編隊を見せるのでしょうか。

あかつか 2020/04/25(Sat) 17:41 No.1092
Re: 私のアルバムからF-100H
当時では写真心がないとこうしたシーンにシャッターを押しませんね。組写真においてはどうしても必要な写真です。 撮影:KUMAKIさん

あかつか 2020/04/25(Sat) 18:01 No.1093
Re: 私のアルバムからF-100H
暮れの土曜日の午後2時過ぎって感じですかね。まだ日本は中小企業は半ドンにもなってないところも多かったんでしょう。日本人の観客は子供がほとんどですね。
ハンガー15の上に撮影クルーらしき集団!公式ムービー残ってないかしら?隣のハンガーには登れないのに気が付きました。ジョンソンのハンガーには登ったことありますけど!!エヘン。
no1086の正面左隅の土の山はかなりの量です。この南に爆弾庫を掘ってたのかしら。
のらひこ 2020/04/25(Sat) 18:12 No.1094
私のアルバムからF-100H
高速交差も標準レンズならではの迫力。スバラシイ! 撮影:KUMAKIさん
現在のマニアがバーズを撮るとすれば、望遠で撮り飽きた人ぐらいし人ぐらいしか公開演技を45mmで撮る人は居ないのではないでしょうか。雑誌等でもこのような雰囲気のある瞬間写真を見たことがありません。何人かの観客が後ろを見ているので別機も飛んでるんでしようね。

あかつか 2020/04/26(Sun) 12:00 No.1095
私のアルバムからF-100H
ソロ飛行を仲睦まじく見るカップル。男性はスタジャンを着ていることから推察すると日本人ではないようですね。
日本の若者がスタジャン(スタジアム・ジャンバー=和製英語)を着るようになったのは1964〜5年ごろからで、一世を風靡したVANジャケットがアイビー・ファッションを流行らせた内のひとつにスタジャンも入っていました。
私自身はそんな流行りに惑わされず、常に“着た切りスズメ”。おカネはすべて写真代に注ぎこんでいました。

あかつか 2020/04/26(Sun) 13:59 No.1096
私のアルバムからF-100G

航空情報1960年2月号

あかつか 2020/04/19(Sun) 22:58 No.1057 [返信]
私のアルバムからF-100G
ヒコーキマニアが外国で飛行機の写真を撮ることなどほとんど不可能だった時代、バーズやエンジェルスは、本の中だけの存在でした。
実際のアクロバット飛行を見ることなど夢のまた夢の世界。その「サンダー・バーズ」が極東ツアーで横田にやってくるという。来日を知った当時のマニアたちは指折り数えてその日を待っていたことでしょう。記念すべき1959年12月12日、初来日の“F-100バーズ”の写真を紹介いたします。
ちなみに、団塊世代マニアは当時小学生、せいぜい父親に連れられて見た人が僅かに居る程度ですから、写真は全て私たち世代の先輩マニアが撮影されたものです。

トップ画像は私が新刊本を初めて買った航空情報2月号。この号を見てサンダー・バーズの来日を知り、悔しく思っていたのですが、今考えてみますと小学6年生の子供が川崎から横田まで独りで行くなど無理なことで、その悔しさはどうも“後付け”の思い込みだったような気がします。
あかつか 2020/04/19(Sun) 23:15 No.1058
Re: 私のアルバムからF-100G
航空情報1960年11月号「私のアルバムから」入選作品

あかつか 2020/04/20(Mon) 10:32 No.1060
私のアルバムからF-100G
上の入選写真は撮影から1年近く経っていますが、ジョンソンでの外撮りですね。当時どれだけのヒコーキ写真ファンがジョンソンでバーズの飛行があることを知っていたのでしょうか。たぶんNAKASATOさんお一人だったと思います。
興奮を抑えながらも「作品」づくりを意識していたかのようなこのショット。頭が下がります。

あかつか 2020/04/20(Mon) 10:43 No.1061
Re: 私のアルバムからF-100G
一見1061のファーストショットに見えますが、使用カメラ「パール」のフィルム巻き上げはノブ式ですので連写はおそらく無理だったでしょう。https://nikomat.org/priv/camera/pearl/index.html

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:01 No.1062
私のアルバムからF-100G
縦位置での素晴らしいショットですが、セミ版カメラは普通に構えれば縦のほうが撮りやすかったと思います。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:06 No.1063
私のアルバムからF-100G
スピード感溢れるローパス。さすがのNAKASATOさんも1/250秒では超高速のF−100を画面に止めることは出来なかったようですね。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:09 No.1064
私のアルバムからF-100G
ジョンソンでの展示飛行を終え、横田へ移動した際のショット。
横田での外撮りも地元マニアのENOMOTOさんの写真しか見たことがありません。

あかつか 2020/04/20(Mon) 11:16 No.1065
Re: 私のアルバムからF-100G
横田でのフライトは午後の何時頃から始まったのでしょう。曇り空も一変、良い天気の下で行われたようです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:08 No.1066
Re: 私のアルバムからF-100G
同様なポジションからNomuraさんはカラー(ネガ)で撮っておられます。半世紀以上前なので経年劣化による退色は仕方ありませんが、何と言ってもカラーです。よくぞ残してくださいました。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:18 No.1067
Re: 私のアルバムからF-100G
これからフライトに向かうのか、演技を終えてのおかえりか分かりませんが、撮影者の緊張感は相当なものだったに違いありません。

あかつか 2020/04/21(Tue) 11:25 No.1068
Re: 私のアルバムからF-100G
シャッタースは1/250秒ぐらいでしょうか。初めて撮る高速ローパスに“雷鳥”を止めることは出来なかったようですが、地面の流れが却って100のスピード感を表しています。

あかつか 2020/04/21(Tue) 14:05 No.1069
私のアルバムからF-100G
定番のダイヤモンド編隊。画面の印象から100〜135mmでのショットのように思います。Nomuraさんはこの頃キャノンWSbに外付けファインダーを使用されてたはずですので、バーズの編隊を画面に納めるのには苦労なさったでしょうね。
一眼レフカメラをマニアが使うようになったのが1960年前後からで、それ以前の高級カメラと言えばレンズ交換可能なレンジファインダーの35mmカメラだったのです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 14:30 No.1070
私のアルバムからF-100G
↓はKumakiさんが45mmで撮影された横田の光景ですが、↑のNomuraさんとほぼ同位置で撮っていたようですね。
45mmと言えば広角レンズに近い画角ですから「数ミリでも余計に欲しかった」とは先輩たちの弁。ですが逆に地上の状況が写り、開催地が横田であることが分かります。結果的にはそれが大変貴重な有りがたい記録となっている訳です。

あかつか 2020/04/21(Tue) 15:10 No.1071
Re: 私のアルバムからF-100G
参りますね。100の美しさが一番溢れる塗装で、59年12月のジョンソン、横田で乱舞したんですね。ブルーエンジェルスの塗装とは違って品良く澄ましたところはありませんが、軍用機アクロらしい塗装が少年の胸をときめかせますね。私は61年の春から横田等に行きだしたので、先輩から話を聞き、悔しくてなりませんでした。その後12年間、空軍も海軍も日本には来ませんでした。下面から見るイーグルの塗装なんか実にストレートに飛行機の素晴らしさを見せていますよ。私はその後40年以上経って浜松でサンダーバーズを見る機会があったんだけど、両方共雨で演技中止でした。しかし、比較するのもなんですが、F-16と比べたらやっぱり100ですよ。
no1071の観衆を見ると9割方軍関係者のようで、日本人、まして飛行機マニアは少なかったようです。先輩たちが羨ましいです。ましてジョンソンの外撮り!!興奮しただろうな。
ところで、no1065の写真、6×6で撮ったんじゃないだろうか?なんかアイレベルが低そうで、もしそうなら、ENOMOTOさんの名人芸ということになりますね。
のらひこ 2020/04/21(Tue) 20:51 No.1072
私のアルバムからF-100G
>のらひこさん
「バーズはF−100」と少年時代から頭の中にこびりついてるので、後年見たF−16バーズは何か別物のようでした。
F−105BもF−4Eも多分F−100より迫力はあったでしょうが、華麗さと言えばやはり100でしょう。しかも塗装とデザインがF−100に見事マッチしていて直しようが無いほど秀逸そのもの。
“海軍機ファン”を長年やってる私ですが、どちらかと言うとエンジェルスのタイガーより、バーズの100のほうに魅力を感じます。

↓は1066にも写っているクルーのジャケットの背中を撮ったものですね。昔から目ざとい人はいるものです。

あかつか 2020/04/21(Tue) 23:55 No.1073
私のアルバムからF-100G
ダイヤモンド編隊の下には、50年代の主力中距離輸送機、C−47、C−119が駐機してますね。

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:36 No.1074
Re: 私のアルバムからF-100G
45mmのノートリですから、だいぶ観客に近づいてます。撮影:Kumakiさん

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:39 No.1075
私のアルバムからF-100G
撮影者不明で確かめようがありませんが、レンズはたぶん100mmくらいですね。

下面の鳥の画は1958年は描かれてませんでした。ネットで調べますと、鳥のデザインは年度の使用機によって微妙に違うようです。特に横田のときのバーズの100は、板付のF−100Dを急遽使ったためペイントも塗りたてですから、抜群の美しさだったでしょうね。

あかつか 2020/04/22(Wed) 18:53 No.1076
Re: 私のアルバムからF-100G
凄い密集編隊ですね。6年前には86Dで朝鮮上空でMIGと渡り合って居たパイロットかも知れませんね。同じ会社とは言え、86Dと比べるとそのシャープさに惚れ惚れです。イヤ86Dも重厚感では負けてませんよ。86Dって朝鮮に間に合ったんでしたっけ?
のらひこ 2020/04/23(Thu) 06:56 No.1077
私のアルバムからF-100G
>のらひこさん
何たって“F−100バーズ”は「空の芸術家」ですから、密集編隊はお手の物ではないでしょうか。
86Dの初飛行は1949年12月、従って朝鮮戦争には行ってないと思います。“赤熊退治”のために開発した機体ですし。

何人かの先輩マニアから当日横田で撮影したスリーブやアルバムを拝見しましたが、バーズと初公開のB−52にフィルムをまわしてしまったのか、その他の展示機が余りも少ない。RB−66Bも影薄かったということでしょうか?・・いやはやじつに勿体ない。 撮影:Komiyaさん

あかつか 2020/04/23(Thu) 17:38 No.1078
私のアルバムからF-100G
そんな中、Komiyaさんは、ぐっと近づいて撮ってます。“銀の時代”のB−66のエンジンと機首廻りは本当に魅力ありますね。
キューイのステンシルが描かれているところから見るとニュージンランドへ訓練に行ってたのでしょうか。

あかつか 2020/04/23(Thu) 17:54 No.1079
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