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私のアルバムからF-101(1)

1960年 航空読者写真コンテスト『特選』作品

赤塚 2019/10/20(Sun) 23:17 No.577 [返信]
Re: 私のアルバムからF-101(1)
写真は時代によって評価が変わるものなのですが、平凡な編隊着陸に見えるこのヴードゥーの写真も1960年の時点では、いわゆる“素人”が撮れるようなものではありませんでした。ヒコーキ写真マニアがまだ望遠レンズを中々持てなかった60年代はじめのマニアの写真としては群を抜いており、選者はそこを意識したのではないでしょうか。
「ペトリ35」という45o固定レンズの大衆向けカメラで撮影したRF−101Cのフォーメーション写真を見て「いつかはボクも・・」と夢や希望を与えてくれました。自分としてはBBSUのNo.3、C−133の『発進』と共に最も心に残る作品です。

写真が時代を映す鏡なら、評論も同様その時代でしか表現できないこともあります。この選評はたぶん横森周信さんがお書きになったと思われますが、撮影者のMoriさんは“白昼夢”を画き出そうとしたのかは疑問ですね。
それでも今読んで心躍るような楽しさを感じるのは、評文のセンスと写真のセンスが見事に合致しているからではないでしょうか。“評”も時代を表現する“作品”そのものなのです。
赤塚 2019/10/20(Sun) 23:18 No.578
Re: 私のアルバムからF-101(1)
この作品の評を読んだときはまだ中学1年生ですから、ファンキー・ジャズが何であるかは知りませんでした。数年経ち青年期に差し掛かった頃、当時多くの若者が体験する「音楽の“はしか”」のようなものに罹り、モダンジャズに興味が湧いてレコード聞いたりホールやライブハウスにも何度か行きました。が、一過性で終わり再び飛行場通い。
今回の評文を読んで当時のことを思い出し、あらためてYouTubeで当時のアート・ブレーキーやラムゼイ・ルイス、キャノンボール・アダレイなどのファンキー・ジャズと言われた曲を久々に聴いてみましたが、なるほど多くの人たちを夢中させた音楽であることが改めて分かりました。(横道話)


↓は、特選作のトリミング無しのカットですが、こちらも意見が対立しそうですね。私も大いに迷うところですが今なら下の写真、飛行機写真を始めた頃なら航空情報に印刷された方ですね。

赤塚 2019/10/20(Sun) 23:24 No.579
Re: 私のアルバムからF-101(1)
ああ、そうだったんですか!私はてっきり西砂川で撮影したもんだと思い込んでいましたが、箱根ヶ崎のトンネルの下で撮っていたんですね。さすがベテランです。2機編隊がパスして、大きく編隊着陸コースと分かったとき、いつもはトンネルの上で撮っていた45mmを利して、トンネルの下におりて撮ったということでしょうね。瞬時に判断ができるのはベテランならではです。F-100と違って、重量感、威圧感はF-101はけた違いでしたから、F-100への愛情とは違って畏敬の念を持ってました。オープンの時もその背の高さとポルカドット塗装で良く目立って好きでした。カラフルな嘉手納の機体も見たかったです。
のらひこ 2019/10/21(Mon) 18:05 No.580
Re私のアルバムからF-101
ヴードゥーは“私の好きな飛行機”のベスト5に入る飛行機ですが、巡り合うチャンスは少なく、この1964年の厚木三軍記念日と、同年の横田三軍記念日前日の2回だけでした。
横田への飛来もF−100より少なかったので、当時の横田マニアもヴードゥーの飛来をなかなかキャッチできなかったのではないでしょうか。

ヴードゥーに出会ったときはすでにエアクラフトグレー一色になっていました。三沢のポルカドッツや嘉手納のコットンピッカーズの魅力に溢れたマーキング機は撮ってませんので、先輩マニアの写真を貼らせていただきます。

赤塚 2019/10/21(Mon) 19:13 No.581
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1960年3月28日、箱根ケ崎トンネルの上から45TRSのRF−101Cを狙うTSPCの先輩たち。
先輩もこの時点ではまだ45mmの“標準カメラ”だったようですね。  撮影:ワタナベさん

赤塚 2019/10/22(Tue) 16:15 No.582
Re: 私のアルバムからF-101(1)
ワタナベさんは↑の5日前の3月23日にもヴードゥーを撮影。だいぶランウェイ・エンド近くに寄って撮っていますね。
今は当然基地内ですが、標準レンズでもこのように撮れたなんて本当に夢のよう。素晴らしい写真です。

赤塚 2019/10/22(Tue) 16:33 No.583
Re: 私のアルバムからF-101(1)
箱根ヶ崎の2枚の写真、真横は撮れてないでしょうね。真横より構図を優先する余裕があったんですね。先輩たちの「大人」を感じます。その2年後の1962年5月20日の三軍記念日のポルカドットを貼ります。今は全く見なくなったねんねこ負ぶいのお母さんと家族、おとーさんも子供二人も味を出しています。重量級のF-101も顔負けですね。しかし、空いていた!!!福生市民とごく一部の都内の人しか知らなかったんですかね。

のらひこ 2019/10/23(Wed) 07:31 No.584
Re: 私のアルバムからF-101(1)
>のらひこさん
私は、このNo.584の1962年5月20日の三軍記念日に甘いレンズの二眼レフで撮ったポルカドットしか残っていません

飛んでいるポルカドットもありませんでしたのでPACAFになってからの着陸写真を貼ります
1964年5月16日に箱根ヶ崎に降りる
RF−101C、56−0094 送りショットから

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:29 No.585
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じくエアクラフトグレーのPACAF
1964年2月15日の横田・箱根ヶ崎
RF−101C、56−0047

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:46 No.586
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じく、
1964年2月15日
56−0047 送りショット

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:48 No.587
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同じ日、1964年2月15日に箱根ヶ崎に着陸する
PACAFのRF−101C
56−0189

村越賢司 2019/10/23(Wed) 12:51 No.588
Re: 私のアルバムからF-101(1)
>村越さん
No585の着陸は、横田三軍の前日ですね。良いお天気でした。
私も行ってましたが、村越さんとお会いしていたことは全く覚えておりません。何故だろう?、別場所に居たのかなあ。
同じような角度の写真を撮ってますが残念ながら“ビネガー”にやられて再生不能。
↑No588のRF−101の着陸姿は、ヴードゥーの魅力を感じさせる絶妙の角度のショットですね。さすが村越さん。

↓は、1959年横田三軍記念日で初めて公開展示されたRF−101C。この日はF−102A(那覇)も初公開でしたが、1日中雨で飛行ショーも中止。先輩たちは新鋭機2機を目前にして悔しかったでしょうね。天気だけはどうしようもありません。 
それでも能村先生は大雨の中、ガッチリ撮っておられます。

赤塚 2019/10/23(Wed) 15:43 No.589
Re: 私のアルバムからF-101(1)
厚木でヴードーが初めて展示されたのが1961年5月20日の三軍記念日。ひょっとしたら厚木へ降りたのも初めてかもしれません。
この年前後の厚木公開はゲートを入ってロータリーを越えたところのグランドを展示場としておりフライトは無し。
調べましたら5月20日は横田と公開日がダブっていました。と言うことは厚木へ来たマニアは「はしご」をしたのか、または横田を「捨てた」のか?。
この日厚木に来られたマニアにお聞きしたいところです。   撮影:T.Moriさん

赤塚 2019/10/24(Thu) 18:55 No.590
Re: 私のアルバムからF-101(1)
同日、別ポジションからのNarisawaさんのショット。フォルクス・ワーゲンのデリバンが三軍記念日の長閑な雰囲気を醸しだしています。
それにしてもヴードーは大きいですね。データを見ますと全長が21.11m。ファントム(19.2m)やC−47(19.43m)より大きい。
J57を2基搭載し写真偵察だけが目的。余裕のあった時代のアメリカならではです。マニア的にはこうした飛行機に魅力を感じてしまいますね。

赤塚 2019/10/24(Thu) 19:10 No.591
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1961年5月21日の板付三軍記念日で公開された三沢のヴードゥー。Yoshinagaさん撮影
ヴードゥーはどこから見ても大変美しい飛行機ですね。中でもこの写真は絶好の角度。当時の飛行機少年が憧れたのがよく分かります。

赤塚 2019/10/25(Fri) 16:19 No.592
Re: 私のアルバムからF-101(1)
九州特有の陽光の強さと、コンクリートの反射で逆光にもかかわらずツブれている部分もなく、すばらしい写真に仕上がっています。板付ならではの写真ですね。 撮影:H.Yoshinagaさん

赤塚 2019/10/25(Fri) 16:31 No.593
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1965年5月15日の三沢三軍記念日に神戸の中井八郎さんが、関東を素通りし、三沢まで遠征して撮った45TRSのRF−101C。
飛行機写真マニアが三沢の三軍記念日を撮影したのは中井さんが初めてではないでしょうか。60年代では時間も費用もかかり、しかも地元の三軍記念日を捨てて三沢行を決断する関東のマニアは先ず居なかったはずですから。大変貴重な記録です。

赤塚 2019/10/26(Sat) 11:59 No.594
Re: 私のアルバムからF-101(1)
三沢には1971年11月にブルーエンジェルスのF−4を撮りに一度行ったきりで、当時の基地内の様子は何も覚えておりません。
この写真に写る格納庫は現在と同じなのでしょうか?。クルーや家族の風情、特殊なバン、コクピットに登る梯子など、写真は時代を切り取り歴史を残して行きます。

赤塚 2019/10/26(Sat) 13:41 No.595
Re: 私のアルバムからF-101(1)
1963年6月10日、TSPCのNarisawaさんが撮影した横田ランウェイ36に編隊で進入するPACAFのRF−101Cです。
編隊着陸を撮影するとき私は時々無意識の内に「向う側」の機体を追ってしまい手前をブラし失敗しましたが、Narisawaさんはキチっと手前に焦点を合わせており見事です。

赤塚 2019/10/26(Sat) 23:36 No.596
RB-57D“ロングスパン”

1957年8月23日 撮影:S.NAKASATO

赤塚 2019/10/10(Thu) 23:20 No.560 [返信]
Re: RB-57D“ロングスパン”
横田に着陸するRB−57D(53−3891)、中里氏の有名なシショット。
RB−57Dはロバート・C・ミケシュ氏によるとジョージア州ターナーAFB(1957年にテキサス州ローリンAFBに移動)の4080SRW,
4028SRS,Det.Yokotaとされているが、4025SRSだったという説もある。
横田に展開したのは1956年9月から1957年末までの短期間で、配備された機数はおそらく4機、写真撮影型のモデルであった。

AGC版「在日アメリカ空軍機集」より
赤塚 2019/10/10(Thu) 23:40 No.561
ReRB-57Dロングスパン
戦後日本に現れた米軍機の中でミステリアスな飛行機と言えば1960年「黒いジェット機」で日本中を騒然とさせたU−2が挙げられますが、
ヒコーキマニアの世界ではそのU−2の上を行く存在だったのがRB−57Dでした。

その驚き様を譬えるとすれば、A−11の存在を知ってすぐSR−71が日本上空に現れたようなもの。写真すら発表されてない翼の長い真っ黒な
RB−57Dが横田上空を頻繁に飛んでいたわけですから、それを目にした日本の航空ファンたちの騒然度は大変なものだったでしょう。
RB−57Dの存在は1955年には知られていましたが、写真は一切公表されておらず、正体不明機として謎に包まれたまま、米軍が正式に写真を発表したのは4年後の1959年でした。

カメラを持つ飛行機ファンがエンドで写真を撮るようになったのが1958年〜60年頃ですから、この頃すでにRB−57Dは横田を去っており、
写真を撮れた人はほんの一握りのマニアだけでした。1960年過ぎて写真を始めた人たちは(私も)いつの日か自分の目の前を“ロングスパン”が降りてくるのではないかと夢見ていたものです。

60年代マニアの伝説となったRB−57Dの目撃談を、航空情報の読者と編集部との記事と写真で構成してみました。

下は1957年6月号に掲載された新任・関川編集長の編集後記です。
すでにRB−57Dの目撃情報が編集部に数多く寄せられていたのが読みとれます。

赤塚 2019/10/11(Fri) 16:50 No.562
Re:RB-57Dロングスパン
翌月、早速読者から反論が。
専門誌より読者情報のほうが信憑性があるという、情報が余りに少なかった時代を象徴するような記事です。
こういう記事は大好きなんですが、情報過多となった現代ではもうあり得ない話ですね。

赤塚 2019/10/11(Fri) 17:29 No.563
Re:RB-57Dロングスパン
ついに読者が捉えたスクープ写真が掲載されます。
1950年代のソ連機の写真のようですが、雑誌メディアに掲載された初のRB−57Dの証拠写真。

赤塚 2019/10/11(Fri) 17:38 No.564
Re: RB-57D“ロングスパン”
まだまだ続く「ロングスパン顛末記」。
世界的なスクープなのに、この大らかさは何でしょう?。実際は極秘の使命を受けた新型偵察機が横田からのミッションで共産国へ飛んでいたのですから、大騒ぎとなってもおかしくありません。
この記事みて思わず「時代だなあ」と懐かしんでしまいました。

赤塚 2019/10/11(Fri) 18:07 No.565
Re:RB-57Dロングスパン
ふと思い出したのでしょうか。スクープ写真を発表して1年経った1959年8月、コラム欄でRB−57Dの件に触れています。

赤塚 2019/10/11(Fri) 18:15 No.566
ReRB-57Dロングスパン
1959年秋、ついにRB−57Dの公式写真が発表されます。そこには各地で目撃された「地獄の怪鳥」のイメージには遠く、B−57Bの翼を長くした実験機のようでした。(初飛行時の写真かも知れない)

この号で航空情報のRB−57Dの記事は一段落し、一方の注目機U−2が誌面をにぎわせることになります。
RB−57D、U−2A(当時の)と世界的にも写真が少なかったトンでもないヒコーキを撮影することができた人たちに激しく嫉妬してしまうのは
「マニアの性」というものなのでしょうか。その時代に肉眼で見てみたかったなあ。

赤塚 2019/10/11(Fri) 19:20 No.567
Re: RB-57D“ロングスパン”
1957年〜1959年!!私はドッジボールや、女の子の縄跳びをしゃがんで眺めていた時代ですね。この頃の飛行機少年、15〜6歳の人たちは、興奮したでしょうね。冷戦の一番前で、最新鋭の飛行機が頭の上を飛んでいるのを実感するんですから!しかし、あの当時カメラがある家は、3軒に一軒、それもリコーフレックスの2眼レフが主流だったんでしょう。そして、飛行場の周りの監視塔、60年以降はガードが上にいることはなかったですが、50年代には居たのかもしれません。金網に近づくのも憚られる時代と思います。その時代に上真っ白、下真っ黒のRB−57Dが降りてきたら、周囲を見回したんじゃないだろうか。しかし、長いエンジンナセルですね。前段のタービンを増やして、空気を掻っ込むようにしてあるんだろうか。アフターバーナーはついていないでしょうから。
のらひこ 2019/10/12(Sat) 11:37 No.568
Re: RB-57D“ロングスパン”
RB−57Dが横田から消えて4年。1961年9月14日の“真昼間”、突然降りてきたRB−57D“ロングスパン”。箱根ケ崎のトンネル上にて200mmで捉えたT.Moriさんの激撮。トンネルの上にはご当人お一人のみ。余りの衝撃と不安から撮影後急いで帰宅したと語っておりましたが、それは、この時代はエアーポリスの車が基地外まで出て来て捕えにきたりすることがあったからです。もちろんフィルムは没収されますので、その気持ちは私にもよく分かります。プリントはしばらくの間、門外不出でどなたにも差し上げなかったそうです。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:12 No.569
Re: RB-57D“ロングスパン”
続いてのショット。パイロットがこちらを見ています。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:21 No.572
Re: RB-57D“ロングスパン”
送りのショット。とにかくシャッターを押すことだけに集中した気持ちが写真から伝わってきます。

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:23 No.573
Re: RB-57D“ロングスパン”
着陸したRB−57D。エマージェンシーだったのか、消防車が待機しているように見えます。

1957年末に横田を離れたRB−57Dは、中国本土奥地へ偵察目的のため1958年1月台湾へ移り、台湾空軍へも供与されましたが、航続距離不足から1960年にはU−2と交代。交代後のRB−57Dの足取りはつかめておりません。
そんな中での横田への飛来、一体どこに居て、何があっての飛来だったのでしょうか?。謎は深まるばかりです。

昨年、台湾空軍・黒猫中隊のドキュメンタリー映画が製作されていますが、是非見たいものです。情報お持ちの方ご一報ください。
https://www.youtube.com/watch?v=EvEj7CHmZdk

赤塚 2019/10/14(Mon) 16:52 No.574
Re: RB-57D“ロングスパン”
RB−57Dをもって「ゴーナナ」特集を終わらせていただきます。
10月21日より60年代を代表する偵察機RF-101“voodoo”の作品集を紹介いたします。お楽しみに。
赤塚 2019/10/16(Wed) 14:41 No.575
私のアルバムからB-57(4)

航空情報 1965年7月号 掲載

赤塚 2019/09/27(Fri) 13:35 No.543 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57(4)
1965年7月号の航空情報に掲載されたRB−57Fの紹介記事。
この物々しいキャッチコピーが懐かしくトップ画像としました。今でも「○○現わる!」という見出しはときどき使われますが、この航空情報では、多分1956年に公開された大映映画「宇宙人東京に現わる」からヒントを得たのではないでしょうか。
じつはこの映画、少年のころ封切りで観ています。当時第一次UFOブーム。洋画・邦画とも宇宙モノ、SFモノが大流行していましたから、航空情報編集者の方もこの手の映画を何本も観たことでしょう。RB−57Fの記事を構成するとき、ふと、そのタイトルを思い出したのではないかと思います。
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-1726.html

RB−57Fの初飛来は1965年5月16日の三軍記念日に横田へ降りたと聞いていますが、私は当日現地に行ってないので詳細は分かりません。
この頃にしては、来日情報が早くから知らせされており、U−2やRB−57Dのような神秘性はなく、マニアの興奮度は余りなかったような気がします。とは言え個性的なスタイルゆえ、暫くの間はマニアから注目の的で、私も何回か横田通いをしております。
赤塚 2019/09/27(Fri) 13:37 No.544
Re私のアルバムからB-57
基地公開時で地上展示機を撮るのに、ちょうど35mmの広角レンズを入手したばかりでしたので、すぐにRB−57Fを箱根ケ崎のトンネルの上で撮影することを思い着いたのです。
初来日して約一か月半の7月2日、箱根ケ崎のトンネルの上でカメラを出すとすぐに降りてきました。仕上げた写真を見て、あと0.5秒ほど遅くシャッターを切れば尾翼のラインが出ましたが、ほとんどトリミングしてませんから、まあ、こんなところだろうと納得。翌週からいつものように厚木通いが始まりましたので、再びトンネルの上に立つことは無く、私にとって思い出のRB−57Fとなっています。

赤塚 2019/09/27(Fri) 14:10 No.545
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no545と足して2で割ると丁度良い写真を貼ります。ひと月後の8月の撮影です。地上を見るとガードボックスがあったんですね。多分オーバーランの工事のためのボックスだったようです。キャノピーが見えない写真ってなんか間が抜けてます。

のらひこ 2019/09/28(Sat) 21:08 No.546
Re: 私のアルバムからB-57(4)
>のらひこさん
確かに・・。RB−57Fの特徴を表現するには、Hamanoさんが撮られたこの角度の写真となるのでしょうか。
RB−57FはSNBと似てエンジン廻りが太いので、理想的角度となると斜め前からの俯瞰気味のショットだと思うのですが、RB−57FがSNBのようにショートカットで降りたことは無かったような気がします。
それにしても、こんなユニークなヒコーキが毎日のように飛んでいたのですから、もう少し横田へ通って思う存分撮っておくべきでした。

赤塚 2019/09/29(Sun) 17:50 No.547
Re: 私のアルバムからB-57(4)
地を這うようなRB−57Fのタキシー。 撮影:Hamanoさん
キャノピーまわりが“キャンベラ”の形状を残しますが、全く別物といっていいほどの改造です。
横から大風が吹いた際、タキシングやランディング時に主翼が地面に着くようなことは無かったのでしょうか。

赤塚 2019/09/30(Mon) 17:46 No.548
Re: 私のアルバムからB-57(4)
こんにちは
色々珍しいアングル、場所等で楽しく拝見しています
”今”のヒコーキ写真に無いアート性を強く感じるのはモノクロのせい?ノスタルジーのせい? 難しいですね

57Fに移っているようですが、ひとつ面白い事がわかりましたのでただの57Eですがいくつか
 今見返すと思ったほど撮っていなかった57ですが、なんと1964年の初57と72年嘉手納で最後に撮った機体が同じS/No.55-4281でした (笑)
多分一番よく飛んでいたのでしょうね
一枚目 1964年5月17日 横田三軍記念日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:05 No.549
Re: 私のアルバムからB-57(4)
二枚目 1965年7月16日

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:06 No.550
Re: 私のアルバムからB-57(4)
三枚目 ↑の後姿

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:08 No.551
Re: 私のアルバムからB-57(4)
四枚目 1966年1月3日 養鶏場そばの空き地

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:09 No.552
Re: 私のアルバムからB-57(4)
五枚目 1970年8月26日
のらひこさんNo546の57E版(笑)

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:13 No.553
Re: 私のアルバムからB-57(4)
6枚目 最後は1972年4月7日の嘉手納でした
この55-4281は無事お役目を終え、1979年7月24日MASDC入りしていました

ダブルタンゴ 2019/10/01(Tue) 16:14 No.554
Re: 私のアルバムからB-57(4)
ダブルタンゴさん、55−4281は1956年には配備されていたんでしょうから、79年までの23年間飛んでいたわけですね。それも、迷彩でベトナムを生き抜いた素晴らしく幸運な機体です。横田のゲートガードにしてくれないかな。別件、今日、電車のゲートガードの足を故意に踏みました。気持ちの良い一日でした。
のらひこ 2019/10/01(Tue) 18:52 No.555
Re: 私のアルバムからB-57(4)
「白昼夢」

赤塚 2019/10/06(Sun) 11:58 No.556
Re私のアルバムからB-57
横田のRwy18へ進入するRB−57F。撮影日は不明ですが、J60エンジンを外していることから1969年頃の撮影ではないでしょうか。

絵画や写真の世界では“美”の表現と対抗するかのようにアバンギャルドな作品が、ときに注目されますが飛行機写真では、
このような作品が飛行機ファンの目に触れることはありませんでした。
しかし、I.NAKANOさんが撮影されたこの作品、私たちの常識を超えていて、言わば飛行機写真でのアバンギャルド。
レンズの周辺光量不足なのか、何らかの原因で画面がケラれたのか、トライXのハイ・コントラスト現像も作為があったのかは想像の域を出ませんが、
それがかえって効果的となり、RB−57Fの不気味な存在感が画面から伝わってきます。私は凄い作品だと思います。
赤塚 2019/10/06(Sun) 11:59 No.557
Re: 私のアルバムからB-57(4)
no556...なんとも不思議な写真ですね。影がダンプの下にしか無い!季節は真夏ではなさそうですが、昼前後らしい。新青梅のトンネルの先に着陸灯を延伸する工事中なんでしょうが、ライトの支柱の影が全く見えない。南中に近い時刻にはこういう写真が撮れるんだという実例です。真夏ではないにしても明るいさ中、よっぽど開いた上、高速で切ったんですかね。
また、ダンプがいるのに音を感じさせない。RB-57Fを何回か撮ってますが、そんなに静かだったんでしょうか?この機体のミッションを暗示させる写真です。
のらひこ 2019/10/06(Sun) 12:30 No.558
私のアルバムからB-57 V

航空情報1964年1月号掲載

赤塚 2019/09/12(Thu) 18:03 No.517 [返信]
Re: 私のアルバムからB-57 V
“ゴーナナ”のエンジンスタート時における「決定的瞬間」と言える傑作。
ここでも航空情報の評と、現場を見てきたマニアの評価は分かれますね。特に後部座席の人物の動きの件の評は的はずれ感が否めません。
当時のマニアたちは、何回も見て聴いてきたB−57のエンジンスタートの瞬間をカメラに納めようとしたと思いますが、この作品のような決定的瞬間を捉えた写真を私は見たことがありません。
撮影者の吉田誠二さんは、200oを購入されたときからこの瞬間を納めようと構想を練っていたと思います。でもなければ、公開時の人波の中でこの撮影ポジションを確保してこの傑作をカメラに納めることは不可能だったでしょう。吉田さんは私と同年代のマニアで、青少年時に横田や厚木のエンドで時々お会いしましたが、マミヤの“標準時代”もセンスよいの作品を残しています。

“ゴーナナファン”を意識したと思われる音響集
http://b-57canberra.org/b-57sounds.htm
赤塚 2019/09/12(Thu) 18:08 No.518
Re: 私のアルバムから B-57 V
1964年9月、小牧航空祭でのエンジンスタートの瞬間。 撮影:TakahasiYutakaさん。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:35 No.519
Re: 私のアルバムから B-57 V
“ゴーナナファン”の私としては、このシーンを撮りたかったのですが撮影の機会は訪れませんでした。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:40 No.520
Re: 私のアルバムからB-57 V
中井八郎さんが1957年のジョンソン三軍記念日で撮影されたB−57Bのエンジンスタート。
無風に近い状態だったのか、黒煙が“襟巻”のように機体にまとわりついていますね。

赤塚 2019/09/13(Fri) 15:56 No.521
Re: 私のアルバムからB-57 V
1961年5月21日、板付三軍記念日でのスナップショット。
「写真は時代を映す鏡」とも譬えられますが、YOSHINAGAさんのこのショットは正に60年代の三軍記念日を表現しています。飛行機と共に、写真そのものにも興味が深くないと、こうした写真を撮ることができませんね。素晴らしい作品だと思います。

赤塚 2019/09/13(Fri) 16:09 No.522
Re: 私のアルバムからB-57 V
no522の写真は凄いですね。ケロシンではないでしょうが、潤滑油かその他の補給を、見学者のいるところでやってたんですね。如何にも前線に一番近い基地って感じです。また、スターターの理屈がこれで良く判りました。スピナーみたいなやつを開けてカートリッジを挿入、発火させるとその横の小さい排気口から火薬の硝煙が出るんですね。左右のエンジンとも、排気口は同じく向かって左なもんで、右側の胴体が汚れるんですね。あのホアンホアンという音は何なんでしょう。ハンターと違い、ナセルの反響が大きいんですかね。
のらひこ 2019/09/14(Sat) 08:52 No.523
Re: 私のアルバムからB-57 V
B−57Bがジョンソン基地に配備され、一般に初めて公開されたのは1956年5月17日の羽田三軍記念日であることが、同年7月号の航空情報に掲載されていました。
写真も見開きの誌面構成もじつに良くできていて、編集者の気合の入り方が誌面から伝わってきます。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:25 No.524
Re: 私のアルバムからB-57 V
↓はこのときの生写真です。さすがにこのとき羽田三軍記念日でB−57の写真を撮ってる人は、私が知る限り能村実さんしかおりません。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:28 No.525
Re: 私のアルバムからB-57 V
#524の誌面Cの「警備員とB−57を追う少年」のカットいいですね。少年の気持ちと警備員の風情が“昭和”の時代を感じさせてくれます。

↓は1961年の横田三軍記念日でTSPCのGabariさんが“ゴーナナ”に最接近して撮ったものですが、No.524記事上の少年のように警備の人から注意されなかったのでしょうかね。凄すぎませんかこの写真。

赤塚 2019/09/16(Mon) 00:41 No.526
私のアルバムからB-57 V
お早うございます。
Gabariさんのタキシング写真は凄いですね。
1963年の同じタキシングの写真ですが、標準ではこれが限度でした。ですからGabariさんの時はもっと近かったということですね。

徳永 2019/09/17(Tue) 10:15 No.527
Re: 私のアルバムからB-57 V
>徳永さん
J−65×2の特徴あるタキシー音が聞こえてくるようですね。

↓は1961年9月24日の横田公開日にて能村先生が6×6判ミノルタ・オートコードでガッチリ押さえたB−57の雄姿。

赤塚 2019/09/17(Tue) 17:32 No.528
Re私のアルバムからB-57V
私たち団塊マニアはほとんど見たことのない「ゴーナナ」に、標的曳航機としてのB−57Eがあります。
E型がジョンソンから横田へ移ったときにには、標的曳航の役目は解かれ、特徴であった胴体上部への塗装は赤く塗っていませんでした。

↓は中井八郎さんが1957年5月17日のジョンソン三軍基地で撮影した標的を収納されたままの「E型」。モノクロで分かりにくいですが機体上部が赤く塗られています。

赤塚 2019/09/18(Wed) 19:00 No.529
Re: 私のアルバムからB-57 V
1959年12月21日,Watanabeさんがジョンソンで捉えたB−57E。Watanabeさん世代のマニアでも米軍基地時代のジョンソンのエンドへ行った人は少ないですね。私は4名のマニアの写真しか見たことがありません。

赤塚 2019/09/18(Wed) 19:11 No.530
Re: 私のアルバムからB-57 V
1958年頃に撮影されたNAKASATOさん撮影のB−57E。
ジョンソンでのショットだと思われます。

赤塚 2019/09/19(Thu) 11:21 No.531
Re: 私のアルバムからB-57 V
B−57が初飛行した頃、ニックネームは確か nightIntruder と呼ばれていたように記憶してますが、ネームは定着しなかったようで、英空軍と同様 Canberra となりましたね。

いかにもnightIntruderなる名称が納得のブラック塗装。文字は赤。
50年代に活躍していたマニアでないと見られませんでした。
1958年1月20日、NAKASATOさん撮影。

赤塚 2019/09/19(Thu) 23:12 No.532
Re: 私のアルバムからB-57 V
言われなければ分からない厚木でのB−57Bの着陸(又はローパス)
1957年、元祖アツギマニア、K.KONDOHさん撮影。

赤塚 2019/09/20(Fri) 17:55 No.533
Re: 私のアルバムからB-57 V
no533のk.kondohさんの度肝の抜かれようは想像を超えますね。航空情報が唯一の情報源でしたから、黒ゴーナナを知ってはいたでしょうけれど、厚木に降りてこようとは思いもしなかったのではないでしょうか?我々団塊族は、こういった度肝抜かれはそうなかったです。RB-57Fにしたって存在を知っていましたし、K.Kondohさんの驚きに匹敵するのは何なんでしょうかね?
のらひこ 2019/09/20(Fri) 18:35 No.534
Re私のアルバムからB-57V
TSPCの賀張さんが1958年の立川三軍記念日で撮影した「ブラックなゴーナナ」のスナップショット。
当時のマニアは三軍記念日の前日に降りてくる展示機の着陸を狙ったり、“おかえり”の機体をエンドで撮るなど考えもしなかったでしょう。世の常識として若者が平日に休むことなどトンデモない事だったのです。
とは言え、この「ゴーナナ」が砂川側でターンする姿を想像するだけでゾクゾクしますが、残念ながら写真は見たことがありません。

赤塚 2019/09/21(Sat) 14:58 No.535
Re私のアルバムからB-57V
上と、この写真に写る“ひと”から50年代のアメリカと日本の文化の差を感じます。子どもや大人も長谷川町子の漫画に出てきくるような姿。一方、米軍関連の家族や子供は、当時のアメリカのテレビドラマの画面からそのまま出てきたようなファッションに身を包んでいます。(特に子どもたち)
年に1度の三軍記念日の楽しみは、ヒコーキだけでなく、アメリカの文化や生活にじかに触れることも三軍記念日での楽しみの一つだったのです。が、今やこうした話も伝説となってしまいましたね。

赤塚 2019/09/21(Sat) 17:24 No.536
Re: 私のアルバムからB-57 V
1958年11月のRB−57A。NAKASATOさん撮影。
ジョンソンの3BWのB−57B/Cより早くに日本に配備され、千歳からサハリンに偵察していたという見るからに怪しいキャンベラですが、1958年の横田三軍記念日でデモ飛行を行っています。
この「ブラックなキャンベラ」ひと目見たかったものです。

赤塚 2019/09/23(Mon) 17:34 No.537
Re私のアルバムからB-57V
我々世代のマニアがRB−57Aにはじめて出会ったときは、尾翼にWEATHERのバンドを引き、外見上はおとなしくなってました。とは言え、冷戦時代ですから、危ない仕事に就いていたことには違いないでしょう。

1963年3月21日、A.Ichijohさん撮影

赤塚 2019/09/23(Mon) 17:47 No.538
Re私のアルバムからB-57V
1962年1月、板付に飛来したRB−57A。YOSHINAGAさん撮影。
ロケ地が違うだけで、機体の雰囲気が変わるのはいつも通りです。無塗装のキャンベラもまた魅力的ですね。

赤塚 2019/09/25(Wed) 00:01 No.539
Re: 私のアルバムからB-57 V
1959年5月16日、横田三軍記念日でのRB−57A。
この日はF−102A、RB−47Eの初展示にマニアはそちらの方に目が行ったらしく、地元機であるRB−57Aの写真は少ないですね。
そこは能村先生、6×6のミノルタ・オートコードでガッチリ撮られています。しかしこの本降り、撮影は難儀したでしょうね。

赤塚 2019/09/25(Wed) 18:57 No.540
私のアルバムから B-57U

航空情報1960年3月号

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:23 No.487 [返信]
私のアルバムからB-57U
渡邊俊彦さんの航空専門誌掲載初作品。

飛行場にはまだ羽田しか行ったことがなかったころ、航空情報に載っていたこの写真を見、基地周辺はこの様になっているのか、
そして目前にB−57が降りて来る・・・。
見たい! 撮りたい! 少年時代の私にそんな思いを抱かせ、夢を与えてくれた作品です。

赤塚 2019/08/31(Sat) 23:44 No.488
Re: 私のアルバムから B-57U
南側のジョンソンは、西の道路の上からしか見たことがありませんが、この写真の感じが少し残ってました。情景と言い、57の姿と言い、実にシュールな感じの写真ですよね。真横少し下から見るとなんかトカゲのような飛行機だったんですね。まだ、横田に全面移籍前なんでしょうから、この写真の当時はジョンソンの主だったんでしょう。古い飛行機なんで特に着陸滑走距離が長いのか、低く降りてきたもんです。上からドスンは余り無かった気がします。前のスレッドのゴーナナを見渡すと、いろんな見え方のする機体です。
のらひこ 2019/09/01(Sun) 11:09 No.489
私のアルバム B-57U
のらひこさん、このシュールさはどこからきているのでしょうね。
AGC版「在日アメリカ空軍機写真集」でのT.MATSUZAKIさんの解説をみてみましょう。

『ジョンソン基地Rwy35にアプローチするB−57C(53−3854)を小川の岸まで下り、縦位置で狙ったもので、センスの良さが光るショット。
小川の情景などは今とほとんど変わってないのに、この写真からは静けさや、静寂感みたいなものが伝わってくるから不思議だ』

航空情報の評と合わせて読むと、この作品のシュールさが少し分かるような気がします。決め手となったのは一片の雲すらない空。
僕にはゴーナナがUFOのようにも感じます。
正に“白昼夢”。Yokomori先生、うまいこと言ってますね。
赤塚 2019/09/01(Sun) 12:15 No.490
私のアルバムから B-57U
B-57の好きなアングル。いろいろ開いて、カラーで撮りたかった写真です。シュールさはありませんが。

徳永 2019/09/01(Sun) 17:03 No.491
Re: 私のアルバムから B-57U
徳永さん、なるほど。迷彩機のドアの中の赤や黄色はアクセントとして効いてきますね。反則ですが、南米らしいカラーのキャンベラB(I).68を張ります。2012年6月23日、娘のおごりでマチュピチュに行ったとき、ガードの制止を振り切って撮ったペルー空軍の機体です。飛行場で正面から、キャノピーが左にオフセットしてあるゴーナナを見つけ、列から20mぐらい離れて、腰だめで撮りました。でも、この機体の爆撃手にはただでも乗りたくないですね。全く外が見えないんでしょ。

のらひこ 2019/09/01(Sun) 19:34 No.492
Re: 私のアルバムから B-57U
>東野さん
まさか現役のキャンベラに出会えるとは全く思ってもみなかったでしょう。マチピチュの絶景とどちらが印象に残っていますか?
画面右にも色違いのキャンベラが写ってますね。いやはや驚きました。

>徳永さん
カラーならば、というのは良く分かります。
こうした角度の写真は意外と少ないのですが、Watanabeさんも似た角度の写真を撮っていました。1963.3.14

赤塚 2019/09/03(Tue) 00:09 No.493
Re: 私のアルバムから B-57U
1962年夏、夕暮れの箱根ケ崎。
航空情報写真コンテストに出されたかどうかは不明ですが、もし応募されていれば入賞間違いなし!! Watanabeさんの傑作。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:07 No.494
Re: 私のアルバムから B-57U
1961年2月20日、T.Moriさん撮影。
「36の木の上」から200oで撮ったと思われますが、B−57の列線を入れ込んだ写真は珍しいだけでなく、ゴーナナが横田に駐留していたことが分かる史料写真でもあります。

赤塚 2019/09/03(Tue) 19:14 No.495
Re: 私のアルバムから B-57U
1963年8月、K.TAKADAさんが撮影された横田・ランウェイ18に進入するB−57B。
じつはこの写真大変貴重な記録写真。1963年当時18エンドで写真撮っていたマニアはお分かりでしょうが、エアポリスを恐れ、
この写真の撮影ポイントで撮る勇気ある人は少なかったのではないでしょうか。私もここで撮った写真は1枚もありません。
若かったんだから多少冒険しても良かったかなあ、とTAKADAさんの写真拝見して後悔しています。

赤塚 2019/09/04(Wed) 18:12 No.496
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜夏」 ワタナベさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:10 No.497
Re: 私のアルバムから B-57U
「トンネルとゴーナナ〜冬」 MORIさん(撮)

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:13 No.498
Re: 私のアルバムから B-57U
箱根ケ崎側の作品が続きましたので、拝島側へ戻ります。
1963年に撮影されたWatanabeさんの作品で。当時の拝島側エンドの状況と、マニアの心境を表した名作。
車の往来は現在ほどではありませんが、道路は未舗装ですから1日中居ると、シャンプーが効かないほど髪の毛が土ほこりに
まみれていたのを思い出します。

赤塚 2019/09/05(Thu) 14:24 No.499
私のアルバムから B-57U
B-57の列線は三軍記念日の公開の時に展示ランプから撮ることが出来ました。最初は1962年5月20日の三軍記念日。

>のらひこさん、
マチュピチュの娘さんは、例の娘さんですか?それにしても凄い機体を撮っていますね。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:19 No.500
私のアルバムから B-57U
続いて翌年5月19日の撮影です。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:22 No.501
私のアルバムから B-57U
最後は1964年5月17日の三軍記念日です。この時は望遠を持っていたようです。

徳永 2019/09/06(Fri) 11:25 No.502
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
1962年の横田三軍記念日は何故か行かれませんでした。標準レンズでこのような写真が撮れたのですね。う〜ん悔しい(苦笑)
1964年は、横須賀でのビクトリアス公開が分かっていたので、展示機だけ拾い横須賀へ急行。ここでもB−57は撮っていません。


↓は1962年9月22日、Yoshinagaさん撮影のB−57E。
「所変われば品変わる」と申しますが、当時見慣れていたゴーナナもロケ地が板付に変わるだけで、機体へのイメージがずいぶん変わりますね。画面に写る木造の家並みも歴史を物語っていて史料としても素晴らしい写真記録です。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:29 No.503
Re: 私のアルバムから B-57U
同じくYoshinagaさん作品。
こちらも板付ならではのゴーナナのショット。撮影された1962年は私はまだ中学生。横田や厚木へやっと一人で行かれるようになったころで、板付は夢のまた夢の世界でした。

赤塚 2019/09/06(Fri) 18:35 No.504
Re: 私のアルバムから B-57U
↓は1962年、TSPCのSugiuraさんが横田の36エンドの金網の隙間から135mmで捉えたB−57ですが、
この角度から見ると昔のカルテックスのマークを連想します。

↓ カルテックスの看板
https://ameblo.jp/sekiyumaniax/entry-11009084682.html

赤塚 2019/09/07(Sat) 19:33 No.505
Re: 私のアルバムから B-57U
多分どなたも見たことがないと思われますのが、1958、9年ごろに撮られた翼下にタンク(または集塵ポット)を4本装着したB−57B。
撮影は私がエンドデビューしたときにはすでに伝説的存在でしたNAKASATOさん。
“ゴーナナファン”には垂涎の写真でしょう。私も吃驚しました。

赤塚 2019/09/08(Sun) 11:18 No.506
Re: 私のアルバムから B-57U
TSPCのSugiuraさんが1964年4月2日に撮影されたB−57Bの大編隊。
一部はAGC版「私のアルバムから(下)」に掲載済ですが、スリーブに写っていた全ショットを紹介します。
掲載本の解説によりますと、これは韓国へアラート任務のため派遣されていたB−57の一飛行隊がF−105と交代して横田に戻ってきたときのものだそうです。
凄すぎる「ゴーナナ大編隊」をごらんください。

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:43 No.507
Re: 私のアルバムから B-57U
その2

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:48 No.508
Re: 私のアルバムから B-57U
その3

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:50 No.509
Re: 私のアルバムから B-57U
その4

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:51 No.510
Re: 私のアルバムから B-57U
その5

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:53 No.511
Re: 私のアルバムから B-57U
その6

赤塚 2019/09/09(Mon) 18:56 No.512
Re: 私のアルバムから B-57U
その7

これだけの「驚愕大編隊」なのにSugiuraさんのネガを拝見するまでは、この日のことを誰からも聞いたことがありませんでした。1964年ですとマニアの数も結構増えていたはずですが、エンドで写真を撮っていたマニアがひとりだけという日もあったのですね。

赤塚 2019/09/09(Mon) 19:01 No.513
私のアルバムから B-57U
Sugiuraさんの編隊飛行写真は凄いですね。規制がいろいろある今日では再び見ることはないでしょうね。
私が見た機数の多い編隊飛行は、2011年の米海軍創立100周年記念行事のフィナーレを飾ったCVW-9の35機編隊ですが、全体を捉えるのは難しかったです。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:14 No.514
私のアルバムから B-57U
35機全てを写せたのは編隊が上空を通り過ぎてしばらくたってから。
見ての通りの記録写真になってしまいました。

徳永 2019/09/10(Tue) 10:16 No.515
Re: 私のアルバムから B-57U
>徳永さん
確かにPCの画面では35機の迫力は伝わってきませんね。
映画館の大スクリーン+現地の音付きで見たいものです。

私は1966年秋、横浜の山下公園で見たCVW19機(NM)の16機編隊が未だ脳裏に残っています。F−8、A−4、A−3混ぜこぜの編隊で肉眼でNMであるのが確認できたくらいですから、相当低い高度で飛んでいたのですね。
今こんな飛び方したらA新聞の一面ですよ(笑)
赤塚 2019/09/10(Tue) 18:31 No.516
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