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あの年の4月、5月- #2

M.WADAさんのNH-115(#4524)のテストフライトを撮っていました。
ネガはカビだらけで、カビ取りをした後再度スキャンしたいと思っています。

1969年6月16日撮影

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:07 No.4532 [返信]
Re: あの年の4月、5月- #2
WC-121Nがホールドしていたため、手前に来てくれました。

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:09 No.4533
Re: あの年の4月、5月- #2
テストフライト後、無事着陸。
以上、カビだらけの画像で失礼しました。

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:12 No.4534
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。
雨が音を立てて降る朝で目が覚めてしまいました。

>MACH3さん、
やはりNH-115のテストフライトを撮っていましたか。
TE-7の左側も撮れたようで、一挙両得で、流石です!

綺麗になった時のNH-115の画像、是非また見せて下さいね。
お身体、御大事にして下さい。

昨日はF/A-18?が3機(午前1機、午後2機)上がって行くのが見えました。NFかな?

1975年5月14日(水曜日)10時、厚木R/W-01へVMFA-115のF-4B/152990,VE-2がL/D.

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:00 No.4535
あの年の4月、5月- #2
着陸から3時間20分後、VE-2は岩国へ向けR/W-19を飛び立って行きました。

其の時のタキシングで左側インテイクのスプリットベーンに漢字三文字が書かれていましたが
この画像はスキャナーを使った為、ピントが不鮮明で確認出来ませんでした。

今後、再びこのスライドが出てきた折には最近導入した「一眼レフカメラによるデジタイズ」で
再度デジタル画像を作り直しCTBBSにアップしようと考えています。

F-4B/152990の履歴。
VF-114/NH-2xx(1967)→VMFA-122/DC-9(1972)→VMFA-115/VE-2(1975)→F-4N→VF-21/NK-200(1981〜1982),
→1983年11月14日、MASDC入り。

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:01 No.4536
あの年の4月、5月- #2
1973年5月6日(日曜日)12時、タイのNAM-PHONG ABから厚木に飛来したVMFA-115のF-4B/153062,VE-3.

光線状態は最悪でしたが、マニア14人が撮影。
その内、サラリーマンのマニア8人の方達からは声が上がり興奮した面持ちでした。

同機は此の日、西側エプロンにあるUS NAVYのAMDハンガーに入りましたが
翌日になってニッピにトーイングされています。

F-4B/153062の履歴。
VMFA-122/DC-7(1972)→VE-3(1973〜1975)→ F-4N→VMFAT-101/SH-41(1977〜1978)→VMFA-531/EC-04(1981),
→1981年11月23日、アリゾナ州MCAS YUMAよりMASDC入り。
1985年1月22日、USAF(FP-005)となる→1985年4月23日、ユタ州HILL AFBでAGDR機となる。

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:04 No.4537
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

今朝は雨風強く嵐のようですから、お出掛けの際は、どうぞお気をつけ下さい。

1974年5月21日(火曜日)9時43分、厚木R/W-19へVMFA-115のF-4B/152327,VE-7が着陸。
其れを仲間6人と撮影。パイロットネームはCAPT CHEATHAM/RIO, LT WINDLE.

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:20 No.4538
あの年の4月、5月- #2
着陸から3時間後,VE-7は岩国へ戻る為「お墓」前の誘導路DWに出てきました。

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:22 No.4539
あの年の4月、5月- #2
12時38分、R/W-19から離陸。
いつもは離陸を撮る自分ですが、此の時は珍しくタキシング・ショットを撮影していました。

F-4B/152327の履歴。
VF-14/AB-101(1966〜1967)→VMFA-251/DW-3(1970)→VMFA-115/VE-7(1974~1975)→VMFA-351/MC-7(1975〜1976)→F-4N,
→VF-202/AF-2xx(1983)→1983年9月7日、テキサス州NAS DALLASで登録抹消。

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:24 No.4540
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年5月14日(火曜日)10時47分、厚木R/W-19へL/DするVMFA-115のF-4B/152263,VE-8.
パイロットネームはCAPT D.R.KNUTSON / CAPT M.A.NEWLIN.

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:51 No.4541
あの年の4月、5月- #2
バックに綺麗な雲が出ているのに着陸の時だけ曇るというジンクス通りの「厚木曇り」に襲われました。
VE-8は13時21分、岩国へ戻っています。 当日エンドに来たマニアは8人でした。

F-4B/152263の履歴。
VF-92/NG-204(1967)→VMFA-115/VE-2(1970)→VE-8→F-4N→VMFA-321/MG-7(1978〜1982),
1984年4月27日、テネシー州 NATTC MILLINGTONに於いて運用不可の裁定を受け退役。
アーカンザスのWEST メンフィスにあるVFW POST 5225で現在展示中。

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:53 No.4542
あの年の4月、5月- #2
1979年5月29日(火曜日)午前4時17分、前日から我が家に泊まっていた"BANDIT"さんと空自/百里へ出発。
途中、写友のSASAKIさん宅で彼をピックアップし向島〜取手と経由し8時35分に百里に到着。

片道約115qを4時間18分かけて、やっと辿り着き、この時点でかなりグロッキーな状態でした。
現在のマニアの方達は道路環境も整備され,このような苦労はせずに行けると思うので随分,楽だと思われます。

お目当ての空自機は、我々の到着前の8時から飛び始めて居り
F-4EJx8機、T-33Ax4機の離陸は間に合いませんでした。

この日は他に5人の厚木マニアが百里に来ていてビックリ仰天。
厚木は蛻の殻状態で、当日のトラフィックデータが抜け落ちたまま現在に至っています。

8時45分、百里R/W-03を編隊離陸する301空のF-4EJ/57-8357/87-8410,"ENJOY-01"FLIGHT.

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:55 No.4543
あの年の4月、5月- #2
F-4EJ/87-8410号機は仮想敵機塗装機で主翼の上下と胴体後方にレモンイエローの帯が入れられていました。

301空が百里から新田原基地へ移動した事で同機も日向灘のR-533でACM訓練中の1997年7月4日、
CAPT MIYAZAKI/CAPT KIRIKAWA TAROU WSO搭乗のF-4EJ/87-8410号機はレフトターン中にコントロールを失い、
日向灘に墜落。2名のクルーは新田原のSARヘリに救助されましたが、機体は海中に没し失われました。

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:58 No.4544
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

海軍機マニアの皆さんならVF-161機の一押しは、
何といってもバイセンF-4N/151433,NF-100ではないでしょうか?

このバイセンNF-100番は、そこそこ飛んではいるのですが、天気や飛行時間帯等、
なかなか良い撮影環境で撮影出来ず幾たびも苦い思いをさせられました。

そんな思いの中で、やっと巡って来た最高のチャンスが1976年5月11日(火曜日)に実現しました。

普段は絶対に登らないニッピ山で最も高い木の最上段まで攀じ登り撮影したのが此のショットです。
NF-100/110/113は10時丁度にT/Oし10時50分にL/D. 午後もペアを替えフライトしています。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 04:59 No.4545
あの年の4月、5月- #2
↑の4日前に撮影したNF-100のT/Oショット。

10時2分に厚木R/W-19を離陸し、11時30分に帰っています。
この日も午後フライトし、それを仲間二人と撮影。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 05:05 No.4546
あの年の4月、5月- #2
そして送りショットです。

F-4N/151433の履歴。
VF-32/AB-205(1970〜1971)→F-4N→VF-161/NF-100(1975〜1977)→1977年10月20日,厚木よりMASDC入り。
1990年4月、アリゾナ州TUCSONのAMCEP社で廃物処理。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 05:06 No.4547
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

昨日に続きましてバイセンNF-100の登場です。

1976年
5月11日(火曜日)10時に離陸したバイセンNF-100は10時50分、厚木R/W-19へ戻って来ました。

ところが、着陸直前に雲が湧き出し不安定な気象状態に変わってしまった事に加え、
肝心のバイセンNF-100の着陸高度が通常より高く、思い描いていた構図で撮れませんでした。

結局、バイセンNf-100をニッピ山で撮れたのは此の時1回だけで終わり、
悔いの残ろ結果となりました。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 04:59 No.4548
あの年の4月、5月- #2
此の位置でやっと地上部が画面に写り込み「厚木で撮影」が証明出来たショット。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 05:00 No.4549
あの年の4月、5月- #2
R/Wの白線上で機体下面が浮き出たのでギリギリ合格。
19エンドで3人のマニアがバイセンNF-100を撮影しているのが見えました。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 05:02 No.4550
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年5月24日(木曜日)12時46分、厚木R/W-01に降りたDC-251/252”NICKEL-21”は
16時24分、岩国へ向けR/W-19を離陸しましたが「厚木曇り」にやられてしまいました。

F-4J/153858の履歴。
VMFA-122/DC-252(1979)→F-4S→VF-121/NJ-161(1980)→VF-161/NF-103(1983)、
1984年11月25日、VF-151/NF-2xx機としてCV-41を離艦直後、太平洋上に墜落。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:33 No.4551
あの年の4月、5月- #2
1979年5月15日(火曜日)15時33分、厚木R/W-01へ着陸するVMFA-122のF-4J/153849,DC-253.

F-4J/153840の履歴。
VMFA-451/VM-2(19xx)→VMFA-122/DC-4(19xx)→VMFA-251/DW-7(1976)→VMFA-122/DC-253(1979),
→F-4S→VF-121/NJ-160(19xx)→VF-161/NF-102(1983)→1983年11月20日,NAS CUBI POINTから離陸後墜落。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:35 No.4552
あの年の4月、5月- #2
↑の二分後に着陸したDC-255。

F-4J/153856の履歴。
VF-33/AE-213(19xx)→VMFA-251/DW-6(1977)→VMFA-122/DC-255(1979)→F-4S→VF-301/ND-111(198x),
1988年11月、用途廃止。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:37 No.4553
あの年の4月、5月- #2
1979年5月31日(木曜日12時35分、厚木R/W-19にDC-256/153911と共に降りたDC-260は
14時28分、岩国へ向けR/W-19を離陸したところを仲間二人と撮影。 C/Sは”NICKEL-31”。

F-4J/153869の履歴。
VMFA-333/DN-136(1974)→VMFA-333/AJ-136(1975)→VMFA-122/DC-260(1979)→F-4S→VF-161/NF-104(1983),

1983年6月4日、新田原の西、90マイルで空母ミッドウェイへ着艦しようとしていたNF-104は
コントロールを崩して海上に落下。

クルー2名は着水寸前に緊急脱出したもののLTJG MARK MARTONEは行方不明となり,一人だけ救出。
その後、LTJG MARKは死亡者扱いとなっています。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:38 No.4554
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年4月24日(水曜日)15時5分、厚木R/W-19へL/DするVMCJ-1のRF-4B/153093,RM-601.
同機は17時10分、岩国へ戻っています。 マニアは23人がエンドに集いました。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:41 No.4555
あの年の4月、5月- #2
同じRF-4B/153093号機ですが一年後には垂直尾翼のマーキングをガラリと変えて
ブラックテール+イエローT/Cとして厚木に姿を現し、マニアを驚かせました。

RF-4B/153093の履歴。
VMCJ-1/RM-15(1971〜1973)→RM-601(1974)→RM-611(1975)→VMFP-3/RF-611(1976)→RF-12(1982),
1989年8月9日、AMARC入り。2008年11月19日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:43 No.4556
あの年の4月、5月- #2
1974年5月8日(水曜日)14時40分、ニッピ入りの為、厚木R/W-19へ着陸したRM-602は
強い南風にも拘らず、R/Wエンドまで滑走しAE誘導路に入って来てくれました。

ただ残念だったのは、強風にドラッグシュートが煽られ撓んでしまった事でした。

RF-4B/153091の履歴。
VMCJ-1/RM-17(1970〜1974)→RM-602(1974)→VMFP-3/RF-10(1984)→1989年8月2日、AMARC入り。
2008年11月18日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:46 No.4557
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年4月24日(水曜日)16時12分、高いアプローチから厚木R/W-19へ降りるRM-603.

M.WADA 2022/05/20(Fri) 04:53 No.4558
あの年の4月、5月- #2
一年後にブラックテールに変わり厚木から空母ミッドウェイへフライオフするRF-4B/3105,RM-603.
この日はCVW-5機のフライオフがあり28機がCVA-41へ向かうのをマニア15人と共に撮影。

RF-4B/153105の履歴。
VMCJ-1/RM-603(1974〜1976)→VMFP-3/RF-21(1979)→1989年7月19日、MCAS EL TOROよりAMARC入り。
2008年11月21日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/20(Fri) 04:56 No.4559
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年5月5日(日曜日)11時5分、厚木R/W-19へ降りるVMCJ-1のRF-4B/153109,RM-605.
外部増槽燃料タンク/ドロップタンク(マニア間では”増タン”と呼称)に描かれた
「RM」のマークが目を引きます。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 04:57 No.4560
あの年の4月、5月- #2
ブラックテールとなった1975年のRMはMdxも”604”から”614”に変わり厚木に登場。

RF-4B/153109の履歴。
VMCJ-1/RM-22(1972)→RM-604(1974)→RM-614(1975)→VMFP-3/RF-17(1977)→RF-25(1985~1987),
→RF-120(1987)→1987年10月19日,フィリピン,CROW VALLYでRF-4Bのフラッシュ・カートリッジが爆発.
二名のクルーは緊急脱出し無事救助されましたが機体は墜落し失われました。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 05:01 No.4561
あの年の4月、5月- #2
1979年の三軍記念日当日の5月20日(日曜日)早朝,VS-29”DRAGON FIRES"のCAG機・NE-700がL/D.
マニアは入場準備〜途中の飛来で”虚”を突かれた格好となり悔しい撮り逃しとなりました。

公開最中の15時15分、NE/S-3Aに動きが見られた為、
公開終了直後の”追い出しショット”撮影を諦め、エンドに走り、撮ったのが此のショットです。

機首Mdx上部に描かれた「スーパーマン」マークはVS-29が1978年度に獲得したSAFETY AWARDを表したもの。
NE-700は厚木から嘉手納に向け離陸しましたが、撮影者は多過ぎてカウント出来ずでした。

S-3A/160507の履歴(国内ネットのデータでは"160588"と表記されていますが厚木飛来時のNE-700は、
"160578"でしたので、こちらを優先とします。)

S-3A→S-3B→2006年2月14日、カリフォルニア州NAS NORTH ISLANDからAMARC入り。
当時の所属はVS-41/NJ-733でした。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 05:03 No.4562
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

再びマリンコ・ホークのアップとなります。

なるべくSq/機種ごとに纏めてご紹介しようと努めているのですが上手く行きません。

1974年5月14日(火曜日)10時54分、厚木R/W-19へ着陸するVMA-311のA-4E/149989,WL-14.
WL-11も続けてL/Dしニッピのエプロンに駐機。エンドに集ったマニアは8人。

12時19分、2機のWLホークは岩国へと帰って行きました。

A-4E/149989の履歴。
VA-56/NF-4xx(1963〜1964)→VA-125/NJ-xxx(1964〜1965)→VA-155/NL-5xx(1965)→VA-86/AG-xx(1965),
→VA-56/NF-4xx(1965〜1966)→VA-192/NM-208(1966)→VMA-331/VL-xx(1967)→VMA-223/WP-xx(1967),
→VMA-121/VK-xx(1968)→VMA-223/WP-xx(1968〜1970)→VMA-211/CF-xx(1970)→VMA-311/WL-14(1972〜1975),
→VMA-131/QG-xx(1975)→QG-10(1976〜1979)→1979年8月26日、ペンシルベニア州HORSHAMの近くで
機体が突然爆発し墜落。パイロットは死亡し機体は失われました。

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:44 No.4563
あの年の4月、5月- #2
1974年5月26日(日曜日)15時、僚機CF-8と共にL/DしたCF-9を仲間16人と撮影。
この日は他にED-00/WB-03/VE-9,13,14/CF-4/5等、多くの海兵隊機が撮れた日でした。

A-4E/151023の履歴。
VMA-332/EA-xx(1965〜1966)→VA-212/NP-2xx(1966〜1967)→VA-153/NL-3xx(1967〜1968),
→VA-125/NJ-xxx(1968)→VA-106/AK-2xx(1968)→HAMRON-12(1968)→VMA-311/WL-8(1968〜1973),
→VMA-211/CF-9(1973〜1975)→VC-5/UE-06(1976〜1977)→UE-02(1978〜1982)→UE-06(1983〜1992),
1992年3月、運用不可の裁定を受け退役

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:46 No.4564
あの年の4月、5月- #2
1984年5月19日(日曜日)、厚木AFDを前日に控えたR/W-19エンドは
曇り空にも関わらずヒコーキ目当で600〜700人余りの観衆やマニアでごった返し
駐車スペースも無い状況で、写真撮影どころではない環境でした。

そんな最中の15時15分にショートカットでL/Dして来たのがVMA-211のA-4M/158429,CF-11,"WAKE-13"。
この厚木エンドの狂騒はCVW-5が岩国へ移駐するまで続き、マニア泣かせの時代となりました。

A-4M/158429の履歴。
VMA-214/WE-xx(1972〜1976)→VMA-211/CF-xx(1976)→VMA-311/WL-xx(1977〜1978),
→VMA-214/WE-xx(1978〜1979)→VMT-102/SC-22(1979〜1982)→VMA-311/WL-11(1982〜1983),
→VMA-211/CF-11(1983〜1984)→VMA-311/WL-xx(1984〜1986)→VMA-214/WE-xx(1986),
→VMA-311/WL-xx(1986〜1988)→1989年3月24日、MCAS YUMAよりAMARC入り。
1995年9月6日、A-4AR,FAA,#C-910号機としてアルゼンチン空軍GRUPO-5所属機となる。

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:49 No.4565
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年4月17日(火曜日)厚木R/W-19でT/Gトレーニングを行うNAF ATSUGIのベースフライト機 "NAVY-36436".
機首にはスマイルマークならぬ”口”が描かれており、下側の前歯が1本抜けているのが何ともご愛敬。

US-2B/136436の履歴。
NAS BARBERS POINT #436(1970)→NAF KADENA #436(1976)→NAF ATSUGI(1979),
1979年10月10日、厚木に於いて運用不可の裁定を受け退役。

尚、退役前後の厚木は施設工事のためR/Wクローズ中で
ラストフライト等のセレモニーは行えず、寂しい幕引きとなりました。

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:47 No.4566
あの年の4月、5月- #2
1979年5月20日(日曜日)は厚木の三軍記念日当日でHSL-35のSH-2Fがフライトディスプレイを実施。
但し、HSL-35のT/C”TG"が書き込まれていないのが残念でした。

SH-2F/150152の履歴。
HC-7/VH-1x(196x)→SH-2F→HSL-74/NW-xxx(197x)→HSL-35/TG-32(19799)→USMC SAR→US Navy,
1994年1月19日、AMARC入り。2009年2月9日、RNZAF機。GROUND TRAINING WING(GTW)#0232G.

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:50 No.4567
あの年の4月、5月- #2
1977年5月18日(水曜日)4時8分,自宅発→7時10分,百里着(154km)→11時54分,百里発→16時15分,厚木着。
以上が当日の動きですが、厚木から百里に行く事が如何に大変か分かると思います。

写真は百里R/W-21へL/D後,No-5誘導路のアーミングエリアで
ドラッグシュートの回収待ちをする"JINGO-01"FLIGHT.

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:52 No.4568
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

本日はHAMANOさんが今から56年前の1966年4月に伊丹で撮影した
VP-1”FLEET's FINEST"のSP-2H/135621,YB-12のショットをお届け致します。

着陸時のYB-12の垂直尾翼を良〜くご覧ください。
そうです。 無数の機銃掃射の弾痕が確認出来ると思います。

このSP-2H/135621,YB-12はベトナム戦争の激化に伴い1964年に続き2度目のベトナム派遣ミッションに
1966年2月13日、出発したうちの1機でした。

アメリカ,ワシントン州NAS WHIDBAY ISLANDから岩国へ派遣されていたVP-1は
更にDETとして南ベトナムNAF TAN SON NHUTに赴いた7機のネプチューンを派遣。

これらのネプチューンは1965年3月11日に始まったアメリカ軍と南ベトナム軍による軍事作戦、
"TASK FORCE-115",コードネーム「マーケットタイム作戦」に参加し
海上から北ベトナム軍への装備と弾薬の供給を阻止することを任務として
沿岸からパトロールを実施しました。

1966年4月13日,夜,ベトコンによる基地への攻撃が発生しVP-1の兵士一人が戦死,5人が負傷する損害を出し
7機のSP-2Hの内、5機がロケット弾や機銃掃射により被弾。

此のことで、VP-1はベトナム戦争で死傷者を出した最初の哨戒飛行隊となり
又、「マーケットタイム作戦」でSP-2Hネプチューンを運用した最後の部隊がVP-1でもありました。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:49 No.4569
あの年の4月、5月- #2
着陸後YB-12は新明和のハンガー前にトーイング。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:52 No.4570
あの年の4月、5月- #2
駐機位置に向きを変えているところ。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:53 No.4571
あの年の4月、5月- #2
そして70発以上が被弾した垂直尾翼を捉えた”衝撃的”なショット!

SP-2H/135621の履歴。
1955年9月28日、BURBABK工場でUS NAVYに引き渡し。
1955年10月〜11月、NARF ALAMEDA
1955年〜1958年、VP-9に所属
1959年10月〜1963年9月、NAS WHIDBAY ISLANDのVP-2に所属(1960年1月よりP2V-7)
1963年9月〜1965年5月、NAS WHIDBAY ISLANDのVP-17に所属
1965年5月〜8月、VP-42に所属
1965年8月〜1967年1月、VP-1に所属
1967年1月〜1968年5月、NAS SEATTLEに所属
1968年5月〜6月、NARF NORFOLKに所属
1968年6月〜1969年2月、NAS SEATTLEに所属
1969年2月〜1970年1月、NARTU NAS OLATHE(7K-206)に所属
1970年1月7日、MASDC入り。
1976年6月29日、運用不可の裁定を受け退役。
就役より21年間に亘る歴史に幕を降ろしました。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:55 No.4572
あの年の4月、5月- #2
自分が撮った写真も一枚アップしますが「ヒコーキ」ではありません。
ある意味、厚木R/W-19エンドでは滅多にお目に掛かれないい光景、「小学校全校児童の遠足」でした。

撮影は今から43年前の1979年5月22日(火曜日)ですから
写っている生徒さん達は、現在50歳代半ばの”中年”という事になります。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 05:02 No.4573
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年5月4日(金曜日)14時5分、厚木R/W-01へ着陸するVMA-231のAV-8A/159248,CG-5.

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:14 No.4574
あの年の4月、5月- #2
”CG-05”は15時55分、岩国へ向け厚木R/W-19を離陸。それを仲間6人と共に撮影。

AV-8A159248は1975年〜1978年にCG-15、1979年はCG-5として運用後AV-8Cに改造されています。

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:16 No.4575
あの年の4月、5月- #2
CG-5に続いて上がって来たのが”CG-04”ことCG-1、CO機。

この機体には飛行隊名の下に”DET-B"の文字が書き込まれていたのでDETが判明しましたが、
カムフラ塗装に黒文字で小さく書かれている為、判別するのに一苦労させられました。

加えて、機体自体が小さい事と離陸スピードがえらく早く、
暗室作業で目を悪くした自分には手強い相手でした。

AV-8A/159258は後にAV-8Cに改造され運用。1985年9月19日、AMARC入りしています。

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:19 No.4576
あの年の4月、5月- #1

7年前の今日は厚木基地の一般公開日でした。
開門前の行列に並び、手荷物検査を受けフライトラインへ向かうとP-8AがT&Gをやっていました。

今は並んでまで一般公開へ行く元気は無くなったのが情けない。

MACH3 2022/05/02(Mon) 09:27 No.4496 [返信]
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1968年5月19日(日曜日)に開催された厚木三軍記念日は
終日に亘って雨が降り続く生憎の空模様でした。

そんな中でも観客は詰め掛け、展示機の周りは人が張り付き
人影が絶えた間隙を衝いて撮影するのは至難の業でした。

そこで、一計を案じたのがMACH3さん。

彼は航空機から人が居なくなる時が一つだけある事に気付いたのです。
それは暴風雨が吹いた時だけ観客はハンガーに避難しヒコーキから離れることを!

今回アップしたUE-00が、其時、彼と共に雨の中を飛び出して撮った時のショットです。
それでも左端に人物が入ってしまいましたが、ほぼ所期の目的達成。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:44 No.4497
あの年の4月、5月- #1
斜め前からの撮影で完全に人影は失せて「一般公開」らしからぬショットが撮れました。
但し、カメラ、レンズは無論、全身ずぶ濡れ状態となり、二人とも悪寒が止まりませんでしたが
MACH3さんの顔を見ると、満足そうな笑顔で、こちらも思わず笑ってしまいました。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:46 No.4498
あの年の4月、5月- #1
1974年4月13日(土曜日)、昼間は陽炎が酷くて全く撮れない西側エプロンですが
日没直前の一瞬だけ陽炎が消え撮影可能な時があり、
其の時を狙って、満開の桜とCVW-5機を重ねて撮影する事に挑戦したのが此のショットです。

ご存知のように桜の開花時期は短いので、このように天気、ヒコーキ、桜の三つが
上手く揃う事は中々無く、自分が撮れたのは此の時一回だけでした。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:48 No.4499
あの年の4月、5月- #1
1975年5月28日(水曜日)10時45分,厚木R/W-19へフライインして来たVA-115のA-6A/155704,NF-500,CAG機。
この日は10時3分から17時35分にかけて26機のCVW-5機がフライイン。それをマニア36人が撮影。

後方に見えるP-3B/152764,VP-46,RC-11は10時45分に離陸予定でしたが、CVW-5機の着陸待ちとなり、
15分遅れの11時に,やっと岩国へ帰って行きました。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:50 No.4500
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1980年5月7日(水曜日)10時24分、VMA-211のA-4M/158177,CF-3/452"WAKE-19"/'1が厚木R/W-01へ着陸。
此の時期のCFはロービジ塗装へ移行する直前の塗装でした。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:13 No.4501
あの年の4月、5月- #1
同機は12時22分、韓国のKUNSAN ABに向けT/O.

A-4M/158177の履歴。
VL-xx(1971〜1972)→KD-xx(1972〜1974)→SC-xx(1974〜1976)→WE-xx(1976)→CF-1(1976〜1979),
→CF-3(1979〜1980)→WE-xx(1980〜1981)→CF-xx(1981)→WL-15(1982〜1983)→CF-xx(1983),
→WL-16(1987〜1988)→WE-xx(1988)→CF-xx(1988)→1990年1月10日、AMARC入り。
2003年9月25日、HVF WEST社に於いてスクラップ処理。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:14 No.4502
あの年の4月、5月- #1
CF-3に続いてA-4M/160027,CF-22/471も降りて来ました。 C/Sは"WAKE-19"/'2.

これら2機のハンプバックには白で小さくハンプ番号が記入されていましたが
何れも機首番号に"499"を加えた数字で、この"499"の意味するところが今も未解明のままです。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:16 No.4503
あの年の4月、5月- #1
CF-22/471もCF-3/452と共にクンサンに向け同時刻にT/Oしています。

因みに岩国を飛び立った6機のED/A-6Eは、この日、C-9の先導でアガナからウェーク島に向け飛行し
アメリカ本国を目指しました。

A-4M/160027の履歴。
WE-6(1976〜1978)→WL-465(1978)→CF-22(1979〜1980→WE-22(1980〜1987)→NAS DALLAS/7D-03(1987〜1991),
1992年、NADEP CHERRY POINT入り。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:18 No.4504
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

前にお話しましたが、自分の最も好きなヒコーキはRA-5C”VIGILANTE"です。
ところが最も撮れなかったヒコーキもRA-5Cでした。

今回は、その最も撮れなかったRA-5Cのカラーショットをお届けします。
撮影者は川崎在住の先輩、高橋幸和さんです。

このスライドはカラーショットが撮れなかった自分を憐れんで
高橋さんがプレゼントしてくれたものでした。

RA-5C/149300の履歴。
A-5B→YA-5C(1962)→VAH-3/GJ-xx(1963〜1964)→RA-5C(1965)→RVAH-3/GJ-xx(1965),
→RVAH-12(1965)→RVAH-11(1965)→RVAH-12/NK-120(1967)→RVAH-3/GJ-xx(1968),
1975年」1月3日、NAS JACKSONVILLEで運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:34 No.4505
あの年の4月、5月- #1
此方は冷たい雨が降り続く厚木R/W-01へF-8H/148696,VF-51,NF-106と共に降りて来た、
VFP-63,DET-31のCO機、RF-8G/146876,NF-601.

パイロットネームはLCDR JHON H."THE RED BARRON" SCHULZE,OIC.
胴体後部のベントラル・フィンにはVFP-63,DET-31"FLYING CIRCUS 68"のパッチが貼られていました。

画面手前に写る黒い影は写友である松野隆司さんで、当時彼は鎌倉高校の1年生でした。
今、健在ならば69歳の筈ですが、音信不通で連絡が取れません。

RF-8G/146876の履歴。
VFP-63/PP-910(1963)→RF-8G→NF-601(1968)→NF-600(1969) →PP-901(1971)→NP-611(1974),
→NL-651(1974〜1975)→NP-606(1975)→PP-910(1975)→PP-610(1976)、
1976年6月1日、NAS MIRAMARから離陸中エンジン故障で墜落し機体は失われました。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:36 No.4506
あの年の4月、5月- #1
1975年4月7日(月曜日)厚木の友人二人に誘われ滅多に行かない入間へ出かけて撮った501空のRF-86F.
非常に安定感のある編隊離陸で空自隊員の練度の高さを実感させられた離陸でした。

RF-86F/52-6401の履歴
USAF 531stFBS/21stFBG(1953)→JASDF/52-7401〜52-8401〜52-6401(1955)→RF-86F(1961),
→501stSQ/JASDF(1968)→1979年3月24日、用途廃止→US NAVY QF-86F/55-5082、
→RF-86F/USAF 55-5019/FU-019(2007).

RF-86F/62-6425の履歴。
391stFBS/366thFBG(1953)→JASDF/62-7425→RF-86F/62-8425〜62-6425(1962)→501stSQ(1976),
→1979年11月1日、用途廃止→韓国空軍機となる。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:39 No.4507
あの年の4月、5月- #1
皆さん、こんにちは。

今日は家事多忙につきコメントなしでのアップとなります。
どうぞご容赦下さい。

1976年5月11日(火曜日)12時40分、L/DしたWT-9は15時48分、R/W-19を岩国へ向けT/O.
垂直尾翼の方向舵がUSAF機のものを流用したようでした。
パイロットネームは"CORNFLAKE"、RIOは”NAMU"と面白いパーソナルネームを使用していました。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:08 No.4508
あの年の4月、5月- #1
翌日もWT-9は飛来し、その離陸ショットを再び撮影。
夕方遅くの離陸が功を奏してA/Bの炎が良く見えました。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:10 No.4509
あの年の4月、5月- #1
花屋稼業が多忙となり、
マニア最終期の1985年5月18日(土曜日)に撮影した"SWITCH BOX-201"の緊急着陸ショット。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:12 No.4510
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1974年5月27日(月曜日)19時30分、VMCJ-1のRF-4B/2機が厚木R/W-01へ着陸。

これは5月25日(土曜日)に横須賀を出港した空母ミッドウェイへDET派遣するにあたっての、
準備を兼ねた飛来で、翌28日の9時15分、RM-603/606は空母へ向かって厚木R/W-19をT/Oして行きました。

VMCJ-1は部隊改編後のVMFP-3も含め1975年8月25日から1984年までの9年間に亘り
空母ミッドウェイへDETをローテーション派遣し続け、
5人のパイロット、5人の士官、そして100人以上の海兵隊員が6か月間のTAD海外展開の任務に就きました。

撮影時点で既にMdxは600番台のCVW/DET仕様を使用して居りMdxひとつにもVMCJ-1の意気込みが感じられました。

RF-4B/153105の履歴。
RM-603(1974〜1976)→RF-613(1979〜1980)→RF-21(1983〜1988)→1989年7月19日、AMARC入り、
2008年11月20日、HVF WEST 社に於いてスクラップ処理。

RF-4B/153108の履歴。
RM-21(1972)→RM-606(1974)→TN-2(1975)→RF-24(1980)→RF-120(1981)→RF-24(1984)→1988年12月23日、AMARC入り。
2008年11月20日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:23 No.4511
Re: あの年の4月、5月- #1
1976年5月5日(水曜日)、バイセンのRF-4Bが撮りたくて生涯で一度の岩国行で撮ったRF-610.

しかし、目の前で見るバイセンRF-4Bに大した感慨は湧かず
やっぱり自分には「外撮り」が性に合っていると再認識した撮影旅行でした。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:26 No.4512
あの年の4月、5月- #1
↑から一年後の1977年5月23日(月曜日)RF-4B/153107号機はMdxを610から614に変え、
12時10分、単機で厚木に姿を見せました。

13時37分、御宿に向け離陸の為、厚木R/W-19へ向かう"RF-614"を「お墓」の木の最上階,特等席から撮影。

RF-4B/153107の履歴。
RM-20(1970)→RF-610(1976)→RF-614(1977)→RF-23(1979)→1989年5月25日、EL TOROからAMARC入り、
2008年11月28日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:30 No.4513
Re: あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1974年5月4日(土曜日)15時36分、厚木R/W-19へ着陸するVMA(AW)-533のA-6A/155687,ED-3.
パイロットネームはCAPT L.D. EVANS,
着陸後ED-3はニッピではなく西側エプロン(海軍側)へ向かいエンジン修理の為AMDハンガーに入りました。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:39 No.4514
あの年の4月、5月- #1
NAVY/AMDで修理が出来ず5月11日(土曜日)ニッピへ持ち込まれたED-3は南のカドでエンジンテストを実施。
12日の早朝から最終的なエンジンテストをし復調を確認。10時57分、R/W-01をT/O,岩国へ戻って行きました。

A-6A/155687の履歴。
DT-3(1970)→ED-3(1971〜1975)→A-6E→NG-505(1980)→NL-512(1981)→AE-500(1985〜1987),
1987年9月、CVA-50 USS FORRESTALに搭載され英国ポーツマスを訪問→AA-510(1992〜1994)、
1994年8月23日、AMARC入り。2014年10月21日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:42 No.4515
あの年の4月、5月- #1
1979年4月1日、10時34分、日曜日にも拘らずR-116へ訓練の為R/W-01を離陸したCY-622/”WHALE-21”は
光線状態が最悪の12時4分にR/W-01へ大きくカットインしながらアプローチして着陸。

これが順光なら、最高のL/Dショットが撮れたのに残念な時間帯の降りとなってしまいました。

EA-6B/160705は1983年4月28日、ノースカロライナ州MCALF BOGUE FIELDで夜間FCLPを実施し
訓練終了後の着陸でスタビライザーが失速。4人のクルーは緊急脱出しましたが
パイロットの座席だけが事故の衝撃で機体から引き裂かれ落下、大怪我を負ってしまいました。

他のクルー,CAPT G.B.HABBESTED/CAPT J.F.SCHEINER/CAPT J.J.CUFFの3名は全員無事脱出に成功していますが、
EA-6B/160705号機は修理不可能な損傷となり登録抹消となってしまいました。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:44 No.4516
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

昨日、No-4514で、ED-3の厚木飛来を「エンジン修理」とご紹介しましたが
手帳を見返したところ、1974年の4月から5月にかけてED-6号機を除くVMA(AW)-533の
全13機すべてが飛来していることが判明しました。

又,厚木飛来後の動きも押し並べてAMDハンガー〜ペイントショップ・ハンガー〜ニッピと移動していました。

これらの事から類推すると個別の「エンジン修理」での飛来ではなく
エンジンへの何らかの改修等で部隊単位で飛来したと見るとスッキリ理解できるのですが,どうでしょう?

1974年5月25日(土曜日)8時30分、ニッピから出て厚木R/W-01を離陸して岩国へ向かうED-00.

A-6A/157024の履歴。
NH-507(1972)→ED-2(1973)→ED-00(1974〜1975)→A-6E→NF-515(1991〜1994),
1994年、バージニア州NAS NORFOLKで退役。
2003年8月、バージニア州のRICHMONDにあるDEFENSE SUPPLY CENTERで展示。

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:52 No.4517
あの年の4月、5月- #1
1974年5月14日(火曜日)12時6分、厚木R/W-19へ大きくカットインしながらL/DするED-8.

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:56 No.4518
あの年の4月、5月- #1
↑の送りショットで背中が丸見えになり、9人のマニアから歓声が沸き上がりました。

着陸後、同機は一旦ニッピのエプロンに駐機しましたが
暫くするとペイントショップ・ハンガーへトーイングされハンガー・イン。

其の後、ED-8は5月22日、エンジンテストを実施。翌23日(木曜日)岩国へ戻っています。

A-6A/155708の履歴。
CE-08(1969)→ED-8(1973〜1975)→A-6E→NE-500(1980〜1981)→DT-5(1982〜1983)→AE-5xx(1991),
1991年7月21日、クレタ島の近くにあるAYGONISE島付近の地中海に墜落。

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:57 No.4519
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1980年5月7日(水曜日)10時1分、VMA(AW)-533のA-6E/159904,ED-02,”BRAVE-00”がR/W-01へL/D.

9時50分に高度9000ftへ降下しYOKOTAアプローチにコンタクトした時は”BRAVE-00”とコールしたので
当然、ED-00と思い込み、ED-02が降りて来たのでガッカリした記憶が有ります。
ED-02のパイロットネームはCAPT KARK CABARIA.

M.WADA 2022/05/10(Tue) 04:56 No.4520
あの年の4月、5月- #1
ED-02は13時55分、岩国へ向けてR/W-01を高い上がりで去って行きました。

A-6E/159904の履歴。
ED-02(1980)→ED-04(1981〜1982)→VA-65/AJ-504(1992)→VA-36/AJ-504(1993)、
1994年4月、バージニア州NAS NORFOLKで退役。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 04:58 No.4521
あの年の4月、5月- #1
1978年5月31日(水曜日)12時8分,この日VA-115機として4回目のフライトに臨んだNF-513はR/W-19をT/O.
有視界によるトレーニングフライトを実施後、厚木に戻りR/W-19でT/Gを実施後の14時12分、L/D.

この時のNF-513は相鉄線と平行にファイナル・アプローチして来た為、
4人のマニアは一斉に相模大塚駅方面へダッシュし、辛うじて送りショットで撮影出来たものです。

現在は当然,猛ダッシュなど不可能で,若かったからこそ掴めたショットで、「アノ時」は若かったな〜。。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 05:00 No.4522
あの年の4月、5月- #1
今から38年前の今日の19エンドの夕暮れ風景。
左にHさん、中央がKさん、そして右端は高校生のBIG MACさん。

この日はQD-688/ZE-17/そして海自のネプチューン(2/3/4/5空)が撮れた日で、
PR-33の「おかえりショット」を撮り終えて帰路に就くところのスナップです。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 10:25 No.4523
あの年の4月、5月- #1
皆さん、お早うございます。

1969年5月28日,厚木に到着し中を覗くとニッピのフライトラインにVF-213のF-4Bが駐機していました。
自分は昔からCVW-11(NH)機には全く縁が無く、このNH-115号機も撮り逃し。

このままだと、間違いなくフライトや離陸も撮り逃すだろうと判断し、
せめて「記録写真」でも良いから撮って置こうとニッピ裏から撮影したのが此のショットです。

このF-4B/153068号機は1972年にVF-161/NF-110となり活動後、1973年にも続投。

1月14日,"ROCK RIVER-110"はコバレスキ中尉とRIOのプラウツ少尉コンビで空母ミッドウェイから
ベトナム人民空軍(VPAF;VIETNAM PEAPLE's AIR FORCE)に対する
"BARCAP"(BARRIER COMBAT AIR PATROL)ミッションに向かいました。

タンホアの南10マイル(16km)のところで"BLUE TREE RECONNAISSANCE ESCORT MISSION"の最中に
85mm対空砲火の攻撃により被弾。ファントムの航空燃料が大量に漏れ出します。

それでも"ROCK RIVER-110"はベトナム沿岸を目指し飛行,沖合に出た段階で両名は緊急脱出。
急を聞きつけて現場に駆け付けたHC-7のHH-3Aにより無事救助されCVA-41に戻る事が出来ました。

この墜落の二日前、1973年1月12日、LT VICTOR T.KOVALSKIとLTJG J.R.WISE(RIO)のコンビは
AIM-9サイドワインダーでVPAFのMIG-17を撃墜するという戦果を挙げています。

又、その前年の1972年5月18日にもF-4B/153068号機はLTJG H.A.BARTHOLMAYとLTJG ORAN R.BROWNで
MIG-19を撃墜している”凄腕”のMIG KILLERでした。

但し、1971年、CVW-5機の厚木飛来時にF-4B/153068,NF-110が来なかった事が残念でなりません。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:29 No.4524
あの年の4月、5月- #1
NH-115の飛来から10年が経った1979年5月3日(木曜日)あまり知られていないファントムの出来事が有りました。

当日の10時3分、訓練の為、本庄上空を目指して離陸し始めたVF-161のF-4J/155835,NF-113は
離陸の瞬間に何らかの原因でセンタータンクが落下し爆発炎上!

NF-113はR/W-01左側をローアプローチして、グランドクルー達が機体下面の状態を確認。
緊急着陸を考慮し、基地上空で残存燃料(1.5時間分)を空中投棄する事とし旋回。

10時47分、アレスティング・ギアとRATを展開しながら無事L/Dし事無きを得ました。

F-4J/155835の履歴。
VMFAT-101/SH-20(1974)→VF-161/NF-113(1977〜1980)→1985年3月29日,VMFA-112/MA-05よりMASDC入り。
2008年8月6日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:33 No.4525
あの年の4月、5月- #1
1981年5月1日(金曜日)午前に続き、15時、厚木R/W-19離陸したVF-151のF-4S/155745,NF-211は
16時11分、R/W-19へ緊急着陸。 それを仲間8人と撮影。

F-4S/155754の履歴。
VF-102/AG-103(1974〜1975)→AG-105(1976)→F-4S→VF-121/NJ-152(1980)→VF-151/NF-211(1981〜1983),
1985年3月墜落事故を起こし登録抹消。日本の業者により海中から回収。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:35 No.4526
あの年の4月、5月- #1
皆さん、お早うございます。

本日はHAMANOさんの作品をご紹介致します。

1973年5月26日(土曜日),長崎県佐世保に空母コーラルシーが寄港。
その艦載機をHAMANOさんがシッカリ捉えていました。

厚木にはコーラルシー入港の前々日、5月24日(木曜日)に2機のVF-51/F-4B,NL-110/114がL/D.
翌25日に三沢に移動して行きましたので、厚木のエプロンにCVW-15機はゼロでした。

という訳で、此の時のCVW-15機のBuNo等は殆んど掴めて居らず
HAMANOさんのショットは貴重なものとなりました。

最初のショットはVF-51"SCREAMING EAGLES"のF-4B/151592,NL-103.

F-4B/151502の履歴。

VF-151/NL-102(1965)→VF-21/NE-108(1966〜1967)→NE-104(1967)→VF-51/NL-103(1972〜1973)、
→F-4N→1978年1月17日、VF-171/AD-xxx機としてMASDC入り。
2004年9月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:10 No.4527
あの年の4月、5月- #1
次はVF-111”SUNDOWNERS"のF-4B/151464,NL-211.

F-4B/151464の履歴。

VMFA-323/WS-8(1966)→VMFA-115/VE-5(1967)→VE-00(1967)→VF-111/NL-211(1973),
→F-4N→VMFA-323/NK-105(1979〜1980)→1980年2月19日、CVA-43艦上の事故で登録抹消。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:13 No.4528
あの年の4月、5月- #1
そして、VFP-63 "EYES OF THE FLEET " DET-5のRF-8G/145641,NL-603.

RF-8G/145641の履歴。

VFP-63/NL-603(1969〜1973)→NL-601(1974)→VFP-63/PP-602(1975)→PP-642(1976)→AA-601(1978),
→VFP-63/NK-622(1979〜1981)→1981年7月19日、エンジン故障により海上に墜落。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:14 No.4529
あの年の4月、5月- #1
最後は自分のショットを一枚。

1970年4月15日(水曜日)9時30分、空母コーラルシーが横須賀に寄港。
其の前日の14日に単機で厚木へフライインして来たのがVF-161”CHARGERS"のF-4B/151462,NL-205でした。

そして空母所属のCOD機、C-1A/146039,#000が17時丁度に降り、CVW-15機飛来の夢は絶たれました。

F-4B/151462の履歴。
VMFA-531/EC-12(1965)→VF-161/NL-207(1966)→NL-205(1970)→VMFA-314/VW-xx(1973),
1973年4月10日、アリゾナ州MCAS YUMAで墜落事故を起こし登録抹消。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:16 No.4530
あの年の3月、4月- #2

おはようございます。
引き籠って手を出したのが、約40年ぶりになるプラモ作成。
今回、仲人さんから断捨離で頂いた、HASEGAWAのA-7DをB型に改造しVA-215を作ってみました。
無くなった仲人さんの恩返しの作品です。

>M.WADAさん
もう1機A-7Eを作っていますが、これは72年4月に横須賀で公開されたコンステレーションに載っていたVA-147のNG-402のCAG機を目指しています。

MACH3 2022/04/20(Wed) 08:48 No.4465 [返信]
Re: あの年の3月、4月- #2
左側はこんな感じです。

MACH3 2022/04/20(Wed) 08:50 No.4466
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんばんは。

>MACH3さん
見事な出来のNM-400。

このNM-400は撮影条件の良い時に撮れず、泣かされ通しの思い出ばかりが残っています。

今、こうして拝見すると瞬時にアノ時に戻れるのが「モデル」作りの醍醐味ですね。
これからも、「あの時」に帰れる作品の発表を心待ちにしています。


今日は私事で投稿が遅れた為、一枚のみのアップとなります。

1979年4月5日、早朝、空母レインジャーは南シナ海で
原油を満載したタンカー「フォーチュン」と衝突。

その際に破損した船体の修理の為、4月25日に横須賀へ入港。
通常の入港と異なり船体修理という事で、例外的に厚木に艦載機を降ろす事となりました。

先ず、4月5日の事故直後の6日にNE-700/706がL/D.
4月8日はNE-301/311,そして4月13日にはNE-706/712がL/Dし、
合計5機のCVW-2機が飛来しました。

そして訪れた4月24日(火曜日)マニア12人が待ち構えるR/W-19エンドに
3機編隊でVA-145”SWORDSMEN"のA-6が姿を現し、
エンドは久し振りに”フライイン”の興奮に包み込まれて行きました。

14時15分、その先頭を切って降りて来たのが本日ご紹介した”NE-500”。

この日のフライインはNE-500/501/504/506/524のA-6が5機と、
HS-4”BLACK KNIGHTS"のSH-3H,NE-730/732/734の3機、合計8機がフライイン。

15時5分、最後に空母所属のCOD機、C-1A/146046,#−000が降りて終わりました。

又、4月25日のCV-61入港当日には3機のSH-3H/NE-731/733/735がフライイン。
トータルで17機の艦載機が厚木に飛来しましたが”戦闘機”が来なかったのが悔やまれました。

A-6E/155708の履歴。
CE-08(1969)→ED-8(1973〜1975)→A-6E→NE-500(1979〜1981)→DT-5(1982〜1983).

1991年7月21日、ギリシャ、クレタ島の北40マイルの地中海AYGONISE ISLAND近くに
空母フォレスタル(CV-59)を飛び立ったVA-176"THUNDERBOLTS"のA-6E/155708,AE-500が不時着水。

パイロットのLT STEVE JAY CULLENは緊急脱出するも行方不明となり、後日、死亡扱いとなり、
B/NのLT JOHN WARREN MUSAUSは左腕と足に負傷しましたが救助されています。

M.WADA 2022/04/20(Wed) 17:11 No.4467
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんにちは。

昨日に引き続きNE/A-6のご紹介です。

厚木に飛来した5機のA-6の内、唯一居たのが此のKA-6D/149952,NE-524.
パイロットネームはLTJG JOHN T.LORDELL.

KA-6D/149952の履歴。
VA-34/AB-533(1973)→VA-196/NK-521(1979〜1980)→VA-115/NF-522(1981),
→NF-514(1982〜1983)→VA-145/NE-524(1983)→NE-516(1984)→VA-115/NF-517(1984〜1985),
→VA-304/ND-422(1989)→VA-95/NH-514(1989)→1991年初頭、NAD NORFOLKでスクラップ処理。

M.WADA 2022/04/21(Thu) 14:07 No.4468
あの年の3月、4月- #2
此方は↑から2年後の149952の姿。
厚木R/W-01からフライオフしようとAEをタキシングしているところです。

M.WADA 2022/04/21(Thu) 14:09 No.4469
あの年の3月、4月- #2
ところがマイナートラブルの為、離陸を中止しフライトラインに引き返すところのショット。

NF-522にとっては不運でしたが、
我々マニアにとっては一度で機体両面が撮影出来た幸運な動きでした。

因みにNF-522は14時21分に厚木を飛び立つことが出来、
沖永良部島付近の海上を航行中の空母ミッドウェイを目指し
G-81のチェックポイント"COKLE"からIFRを離脱しCV-41に着艦。

M.WADA 2022/04/21(Thu) 14:10 No.4470
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんにちは。

3機飛来したNEのA-6のCO機、NE-501でしたが右舷のパイロットネームは
LT JACK SAMARと書いてあり、B/Nのようでした。

VA-145のCO名は多分、左舷に書かれていると思われます。
因みに、此の時のCOはCDR J.JUAN。

A-6E/155704の履歴はNF-500でご紹介済みなので省略致します。

M.WADA 2022/04/22(Fri) 15:18 No.4471
あの年の3月、4月- #2
ちょっと遅いのですが、満開の桜とP-3のショットが見つかりましたのでアップ致します。
厚木でフェンスの外から桜とヒコーキを絡めて撮るのは中々難しい事でした。

1974年4月13日(土曜日)15時15分にR/W-19に降りたQE-6は
エンジンを止めずにVIPを乗せて直ぐに離陸に向かった為、
常連マニア6人の内、此のショットを撮れたのは自分とあと二人だけでした。

QE-6は15時20分,岩国へR/W-19を離陸。厚木に居たのは正味5分間!全力ダッシュで疲れました。

M.WADA 2022/04/22(Fri) 15:21 No.4472
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんにちは。

昨日、CVN-72 USS ABRAHAM LINCOLNに搭載されているVRM-30,DET-2のCMV-22Bが3機L/D.
その内の1機が今日T/Oして行きました。

然し、厚木に飛来するのはCOD機のみで、VFA-41/14/151そしてF-35C運用のVMFA-314等、
マニアが撮りたいSQは全く音沙汰無し。

CVW-5も居ない現在、もういい加減近隣市と取り交わした覚書も撤廃しても良いのではと
思いますが、如何でしょう?

毎年、在日米軍に対し巨額の「思いやり予算」と称した我々の税金を投入しているのですから、
首都圏防衛という観点からも少しは「目に見える形」でアクションを示してくれても
罰は当たらないと思うのです。

1980年4月2日(水曜日)10時23分、厚木R/W-01をT/Oした”WAKE-08”は
10時23分、R/W-01へ帰って来ました。

A-4M/158170の履歴
XE-15(1971〜1974)→SC-6(1974〜1975)→XE-15(1975)→WE-9(1975〜1976),
→WL-xx(1977〜1978)→CF-2(1978〜1980)→WE-18/20(1980〜1986)→WL-xx(1986〜1987),
→QG-03(1987〜1990)→1990年12月5日、AMARC入り。
2008年1月27日、ネバダ州NAS FALLONでターゲットとして使用。

M.WADA 2022/04/23(Sat) 15:23 No.4473
あの年の3月、4月- #2
↑から2年経ちVMA-211もロービジ塗装となり厚木に姿を現した7機の”WAKE"達の中の一機”WAKE-11".
1984年4月27日(金曜日)12時57分、R/W-01への降り。

M.WADA 2022/04/23(Sat) 15:26 No.4474
あの年の3月、4月- #2
着陸から約3時間後の15時58分、CF-03はC/Sを”WAKE-04”に変更し嘉手納に向けR/W-01を離陸。

A-4M/158428の履歴。
WE-2(1972〜1975)→CF-16(1976)→WE-xx(1976〜1978)→WL-07/456(1978〜1979)→WL-07(1980〜1982),
→WL-03(1983)→CF-03(1983〜1984)→WE-xx(1987)→WL-01(1987〜1988)→WE-xx(1988〜1989),
→CF-13(1989)→CF-03(1989〜1990)→1990年2月27日、アリゾナ州MCAS YUMAで退役後、
MCAS ALAMEDA/VMA-133/ME-05として復活。
1994年4月15日、メリーランド州NAS PATUXENT RIVERから再度AMARC入り。
1995年10月3日、アルゼンチン空軍機(SD-97)として売却。


さて、ここでPACAF F-16 DEMONSTRATION TEAMのスケジュールが発表されたのでご紹介して置きます。

5月21日/22日 YOKOTA FRIENDSHIP FESTIVAL
6月5日    HOFU AIR SHOW
7月24日 SAPPORO AIR SHOW
7月30日 ARCTIC THUNDER AIR SHOW/JOINT BASE ELMENDORF-RICHRDSON,ALASKA 
8月13日/14日 KANEOHE BAY AIR SHOW
9月11日 MISAWA AIR SHOW

以上、さあ、皆さんは何方のエアショーに参加されるでしょうか?  楽しみですね。 

M.WADA 2022/04/23(Sat) 15:28 No.4475
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんにちは。

1984年4月27日(金曜日)13時4分,厚木R/W-01でローアプローチを行ったCF-05は13時14分,L/D.

M.WADA 2022/04/25(Mon) 13:18 No.4476
あの年の3月、4月- #2
CF-05は僚機CF-03と共に"WAKE-04"FLIGHTのC/Sで15時58分、嘉手納に向け離陸して行きました。

ご覧のようにCF-05の離陸は着陸時より飛行高度が低く脚も出て居らずスッキリしています。

離陸は着陸に比べスピードも速いし、低い時ばかりとは限らないなどリスクは有りますが、
各々ヒコーキが持つ特徴を表現し易いと思い、出来るだけ離陸ショットを撮るように心がけていました。

A-4M/159781の履歴。
SC-15(1976〜1979)→WE-xx(1979)→WE-18(1980)→CF-18(1980)→CF-23(1981)→WL-05(1982)、
→CF-05(1982)→WL-05(1983)→CF-05(1983〜1987)→WE-xx(1987)→WL-08(1987〜1989),
→CF-08(1989〜1990)→ME-09(1990)→ME-08(1991)→ME-09(1992)→QG-08(1992〜1994)、
1994年8月4日、AMARC入り。→2003年9月25日、DRMO入り〜HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/04/25(Mon) 13:20 No.4477
あの年の3月、4月- #2
皆さん、こんにちは。

このところ厚木は色々と動きがあり、マニアの方達は気が抜けませんね。
但し、天気があまり良くない時が有りますが「デジカメ」ですからOK?

自分が1984年に遭遇した7機のCF/A-4Mの時は撮影の時だけ曇ってしまい
銀塩写真の時代ですから、大変苦労した事を覚えています。

1984年4月27日、12時42分、厚木R/W-01でT/Gを実施したA-4M/159471,CF-06,"WAKE-16"は
12時47分に着陸。バックの空は晴れていましたが、A-4のところだけ曇ったため、
慌てて絞りを開けて撮影。CF-06はC/Sを"WAKE-30"に変え16時23分、嘉手納に向け」T/O.

A-4M/159471の履歴。
XE-15(1975〜1976)→WL-xx(1976)→XE-15(1976〜1982)→WL-06(1982〜1983)→WL-19(1983),
→CF-06(1983〜1984)→SC-xx(1984〜1986)→CF-xx(1986)→WL-05(1987〜1988)→WE-xx(1988〜1989),
CF-05(1989)→1990年2月1日、MCAS YUMAよりAMARC入り。
1995年9月20日、A-4ARに改造された159471はアルゼンチン空軍に納入され
FAA/C-911号機としてGRUPO-5で運用されました。

M.WADA 2022/04/26(Tue) 09:59 No.4478
あの年の3月、4月- #2
↑と同じ日の12時24分と32分にローアプローチを実施後、12時42分にL/Dして来たCF-09/"WAKE-30".
此方も背景に綺麗な雲が出ていたのにL/D直前に陽が陰り惜しくも願いは叶わず。

M.WADA 2022/04/26(Tue) 10:03 No.4479
あの年の3月、4月- #2
16時7分に離陸して来た時も日光はは当たらず、CF-09は離着陸共に全滅でした。
因みに、CF-09はCF-14と共に鹿児島空港に向かいました。

A-4M/159788の履歴。
SC-12(1976〜1982)→WL-21(1982〜1983)→CF-09(1983〜1986)→WE-xx(1987)→QG-00(1987〜1992),
→1994年3月18日、テキサス州NAS DALLASのOMD(OPERATIONS MAINTENANCE DET)よりAMARC入り。
2008年9月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/04/26(Tue) 10:04 No.4480
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

今朝は強い風の音で早く目が覚めてしまい,いつもより大分早い投稿となりました。

1984年4月27日(金曜日)12時48分、T/G,ローアプローチを行わず、
一発で厚木R/W-01へ着陸したVMA-211のA-4M/159473,CF-12,"WAKE-18".

CF-12は16時23分、CF-06と共に"WAKE-30"のC/Sで嘉手納に向け」T/O.

A-4M/159473の履歴。
WP-xx(1975〜1976)→WL-xx(1976)→CF-xx(1976→WL-xx(1977)→WL-11(1978)→WL-4601978〜1979),
→WL-xx(1979〜1980)→WL-11(1980〜1981)→WL-12(1982〜1983)→CF-12(1983〜1984),
SC-xx(1984〜1987)→QG-xx(1987〜1989)→QG-07(1990〜1992)→NFWS,#−57(1992〜1994)、
1994年5月24日、AMARC入り。同年10月3日、アルゼンチン空軍へA-4ARとして納入。

M.WADA 2022/04/27(Wed) 06:04 No.4481
あの年の3月、4月- #2
この日、最も良いコンディションで撮影出来たA-4M/158417,CF-14,"WAKE-26".
同機はCF-09と共に"WAKE-12"のC/Sを用いて16時7分、鹿児島空港に向け離陸。

A-4M/158417の履歴。
WE-xx(1972〜1973)→XE-14(1973〜1876)→CF-13(1976〜1980)→WE-13(1980)→WE-xx(1981〜1983),
→WL-09(1983)→CF-14(1983〜1984)→WE-xx(1987)→QG-xx(1987〜1992)→NFWS,#-54(1992〜1994),
1994年5月24日、AMARC入り。同年8月10日、A-4AR/C-906としてアルゼンチン空軍GRUPO-5に配属。
後年、コックピットのみがGRUPO-5のミュージアムに展示。

M.WADA 2022/04/27(Wed) 06:06 No.4482
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

No-4454で投稿したAGM-45shrike/INERT弾付きVL-000の前日の降りが出て来ましたのでアップします。
上りの日の事はよく覚えているのですが、L/Dは全く記憶から消えていました。

1981年4月27日(月曜日)13時49分、厚木R/W-19へ着陸するVMA-331/1stMAWのCO機,VLのトリプル・ゼロ。

M.WADA 2022/04/28(Thu) 05:25 No.4483
あの年の3月、4月- #2
↑の送りショット。 イナート弾付きVL-000の右舷ショットは撮れなかったと思い込んでいたので
このスライドが出てきた時は、信じられず、何度も何度も確認してしまいました。

M.WADA 2022/04/28(Thu) 05:27 No.4484
あの年の3月、4月- #2
此方は1981年4月14日に墜落事故で失われたA-4M/160250号機に替わり新たにVMA-331に配属された158185機。

撮影時点ではSQマーキングが未塗装でしたが、搭乗しているパイロットのヘルメットは
早大古茶応援旗のような色味にメタリックを加えた独特の色ですから、眞にVMA-331機。

此の時は13時42分にT/Oしましたがマイナートラブルで14時48分にアレスティング・フックを降ろし緊着。
機首右舷下のRAT(RAM-AIR TURBINE;風力原動機)も展開して緊張の一瞬。

A-4M/158185の履歴。
VL-10(1972〜1979)→WP-10(1979)→VL-10(1979〜1980)→VL-28(1981)→VL-10(1981)→WP-10(1981)、
→WE-16(1981〜1984)→SC-xx(1984〜1985)→CF-07(1987〜1989)→1989年2月17日、AMARC入り。

M.WADA 2022/04/28(Thu) 05:30 No.4485
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日、投稿したVL-000(No-4483)を見て、おやっと思った方は御眼が高いマニアだと思います。
其れは今迄の写真と比べピント、鮮鋭度、色再現等が格段に良くなっているからです。

試しにCF/A-4M達とVL-000の写真を見比べれば一目瞭然の筈です。
その原因は「フィルムスキャナー」と「デジタルコピー」の差が写真となって現れた結果でした。

この結果により,これからは順次,デジタルコピーによる「デジタイズ化」を進めて行こうと思っています。

2014年5月にPENTAX FILM DUPRICATORが発売されて以来、直ぐに購入したかったのですが、
当時は花屋の仕事の真っ最中で忙しく、病気で倒れ廃業してからは年金生活者で資金の余裕がなく、
発売から8年近くかかって、やっと手に入れることが出来た「夢」、自分にとって眞に「宝物」です。

何しろ「デジカメ」の「デ」も知らない全くゼロからのスタートでしたので
失敗の連続で無用な出費を繰り返した結果、総額で軽く¥500000を超える出費となり
写真の複製ごときで妻に大きな犠牲を強いたことを深く詫びる次第です。

妻だけでなく、K.TANABEさん、MACH3さん、ダブルタンゴさん、徳永さん等、
大変お世話になった事に感謝致します。 ありがとうございました。

これから数年間は「スキャン写真」と「デジタイズ写真」が混在して行きますが、
将来的には今迄スキャンしたネガ/ポジを新たにデジタイズ化し直し、
全ての写真をデジタイズ化する事が最終的な目標となります。

まあ,最後まで自分の身体が持つか分かりませんが,精々,健康に注意し気長にやって行こうと思います。

今回ご紹介する3枚は「デジタイズ化」したK-IIです。

1975年」4月15日(火曜日)厚木R/W-19を離陸するH&MS-12のTA-4F/154337,WA-02をマニア4人と撮影。

TA-4F/154337の履歴。
SC-xx(1967〜1969)→YV-02(1969〜1972)→WA-02/170(1972〜1974)→WA-02(1975〜1981)→SC-36(1981〜1986),
EX-xx(1986〜1989)→MW-18(1989〜1991)→MF-xx(1992)→1992年6月28日、AMARC入り。
2008年9月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/04/29(Fri) 05:24 No.4486
あの年の3月、4月- #2
1980年4月2日(水曜日)13時34分、厚木R/W-19へ着陸するH&MS-12のTA-4F/154339,WA-173.

TA-4F/154339の履歴。
SC-xx(1968〜1969)→TM-10(1969〜1971)→WA-00(1971〜1974)→WA-xx(1975)→WA-05(1976)→WA-173(1977〜1981),
→EW-03(1981)→WA-05(1983)→EW-xx(1989)→NJ-xxx(1989)→1989年10月5日(木曜日)NAS MIRAMARを離陸した
VF-126のTA-4F/154339,NJ-xxxはサンディエゴの南西70マイルの空域でACM訓練中、コントロールを失い、
北緯45度の北太平洋上に墜落。

パイロットのLT KEN WESSEELMANとLT TOM TWOMEYの二人は緊急脱出後、救助のヘリコプターにより無事救出。
機体は海中に没し失われました。

M.WADA 2022/04/29(Fri) 05:26 No.4487
あの年の3月、4月- #2
1981年4月22日(水曜日)8時40分,離陸の為AEをタキシングするH&MS-12のOA-4M/152874,(WA-01),"OUTLAW-04".

同機は前日の10時に飛来していたもので、H&MS-12に今迄のTA-4Fに替わって配属直後で
マーキングが塗装されていませんでしたが後にWA-01として運用されています。

OA-4M/152874の履歴。
VA-44(1966〜1969)→VA-127(1970〜1973)→NJ-715(1974〜1979)→OA-4M→YU-xx(1980)→WA-xx(1980),
→WA-01(1981〜1986)→WA-05(1986〜1990)→NATC/SD-305(1990)→1991年1月14日、AMARC入り。
2005年8月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/04/29(Fri) 05:29 No.4488
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

今日は横田で撮ったWPのF-4Dを3枚アップ致します。

1976年4月10日(土曜日)横須賀に空母ミッドウェイが帰還。
翌日は日曜日でもありCVW-5機のフライトは無いとみて、翌11日(日曜日)は横田に行きました。

幸運な事に週末のクロスカントリーで韓国のクンサンから横田を訪れた35TFSと80TFS(WP)のF-4Dが居り、
それらが10時20分、クンサンに向け帰って行くところを撮る事が出来ました。

最初に離陸した35thTFS(WP;Blue)のF-4D/66-8794の履歴。
1988年8月9日、アラバマ州,MONTGOMERY RAPの160TFS(AL)/187 TFW所属機としてAMARC入り。
1998年6月29日、FRITZ ENTERPRISES所有機となる。

M.WADA 2022/04/30(Sat) 06:57 No.4489
あの年の3月、4月- #2
次に離陸して行ったのが80TFSのF-4D/66-7722,WP(Yellow)。
因みにF-4D/66-7722は1997年4月AMARC入りし、同年5月12日、Washの121TFS/113TFW(DC ANG)より
ミシガン州TALORのFritz Enterprisesに入り、スクラップ処理。

M.WADA 2022/04/30(Sat) 06:59 No.4490
あの年の3月、4月- #2
最初にご紹介したF-4D/66-8794、WP(Blue)は撮影から14日後にWP(Yellow)に変わっていました。
この日は厚木から車に同乗させたマニア4人も撮影に参加していました。

M.WADA 2022/04/30(Sat) 07:01 No.4491
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

今から54年前の1968年3月14日(木曜日)は自分の高校の創立記念日で「半ドン」となり、
下校後、大急ぎでR/W-01のエンドに駆けつけました。

この日、厚木では1機のA-1Hがフライトを実施し其の着陸をMACH3さんらと撮影しましたが、
オーバーヘッドアプローチから大きくカットインしてアプローチされた為、
我々の頭上を通過して着陸されてしまいました。

此処からは自分のあやふやな記憶なのですが、確かこのスカイレーダーが
A-1H/単座型、厚木最後と分かっていたと記憶しており,とても悔しかったと記憶しているのですが、
MACH3さんの見解はどうなのか、是非とも聞いてみたいと思っています。

翌,3月15日,金曜日はCVW-2(NE)機のフライオフがあり,同機はCVW-2機と共に厚木を離陸して行きましたが、
これが単座型A-1Hが確認出来た厚木最後の姿となったのでした。

つまり、前日に撮ったアノ着陸が,A-1Hによる厚木最後の着陸だったのです!

今回は其のA-1Hによる頭上通過ショットをお届けいたします。

因みに、きちんとした形でこのショットを見るのは自分も初めてで、
それくらい悔しい気持ちを抱え続けて54年間過ごして来た訳なのです。

M.WADA 2022/05/01(Sun) 06:48 No.4492
あの年の3月、4月- #2
↑の送りショットですが,かなり小さくなってから全体像が見えた着陸なのが,お判りいただけると思います。

A-1H/139803の履歴。
VA-152/AH-511(1965)→VA-25/NE-578(1967〜1968)→VA-25/NL-404(1968)、
1968年5月1日、ロードアイランド州、NARF QUONSET POINTで運用不可の裁定を受け待機状態に入る。
1972年、海軍から空軍に移籍となり#52−139803のS/Nを与えられ1stSOS/USAF機として再スタート。
其の後、1stSOS/USAFから南ベトナム空軍機として供与され514SQ所属機となる。

1972年11月12日、僚機#52-139609と共に北ベトナム軍と交戦中、被弾し墜落。
此の時の詳細は1stSOSのHO DURINGの報告により克明に記録されています。

M.WADA 2022/05/01(Sun) 06:52 No.4493
あの年の3月、4月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日アップしましたNL-404の着陸の3日前,1968年4月11日(月曜日),
日没直前の厚木R/W-19に着陸するVA-195"DAMBUSTERS"のA-4C/148500,NM-506.

当時、高2だった自分は、学校から帰宅後、自転車を飛ばし19エンドに駆けつけ撮ったのですが、
到着直後で手が震え「ブレ」てしまいました。

古いマニアの皆さんならご存知だと思いますが、当時の厚木周辺の道路は未舗装の「ジャリ道」でした。

其処を全速力でペダルをこぎ続け、近道をして、林の小径や畑間、小川を渡ってエンドに向かうので、
此の時期でもシャツが汗ばむくらいの運動量でした。

道中、目にする建物は数件の農家だけで、すれ違う車も僅かで
現在とは隔世の感で、若いマニアの方には想像だに出来ない環境が広がっていました。

A-4C/148500の履歴。
VMA-121/VK-xx(1961〜1963)→H&MS-15/YV-(1963〜1964)→VMA-214/WE-xx(1964〜1965),
→VA-93/NG-00(1965〜1966)→VA-125/NJ-xx(1966〜1977)→VA-195/NM-506(1967〜1968),
→VA-112/NH-xx(1968)→VA-125/NJ-xx(1969)→VC-1/UA-00(1969〜1971)。

1971年2月9日、MASDC入り→マレーシアへFMSで送られる予定がキャンセルされWARBIRD HERITAGEで保管。
其の後、紆余曲折の末イリノイ州WAUKEGANのWARBIRD HERITAGE FOUNDATIONより
イリノイ州航空博物館に寄贈され2013年8月より修復作業が行われ、1965年〜1966年に所属していた
VA-93/NG-00、CAG機のマーキングが再現され2015年10月17日、完成。展示中です。

M.WADA 2022/05/02(Mon) 06:18 No.4494
あの年の3月、4月- #2
↑から9年後のVA-195は使用機種をA-7E コルセアに変え厚木に姿を現しました。

其の後、VA-195は部隊名をVFA-195と改称し運用機種もFA-18Aとし
新しく彼らのホームベースとなったNAF ATSUGIに1986年11月14日に到着。
以後の活躍は皆さん、ご存知の通り。

M.WADA 2022/05/02(Mon) 06:21 No.4495
あの年の3月、4月- #1

ご無沙汰してしまいました。
等々、抗がん剤治療へと進みました。
こんなにひどくなるとは思ってもいなかったので、引き籠りながらプラモ制作に励んでます。

>Able Dogさん
ありがとうございます。
再入院はない事を願っています。

さて、M.WADAさんVMFA-115は1970年8月24日付でChuLaiのMAG-13からDaNangのMAG-11に移動しています。
岩国のMAG-15に移動したのは1971年3月1日なのでM.WADAさんが撮ったVE-00はMAG-15でいいと思います。

1968年4月横須賀を出港した空母キティホークへT/OするRVAH-11のRA-5Cです。
テイルコードが垂直から斜体に変更された跡が残っています。

MACH3 2022/04/04(Mon) 15:38 No.4426 [返信]
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

家事多忙のためPCの前に座ることが出来ずブランクが生じスミマセンでした。

今回は2008年4月1日にHAMANOさんが嘉手納で撮影したVMA-513のハリアーをご紹介致します。
最初はCBU-87クラスター爆弾を抱えて離陸するVMA-513のCO機”WF-01”。

AV-8B(+)/165006は2017年2月から2020年1月迄はVMA-214/WEに所属していました。

M.WADA 2022/04/08(Fri) 11:40 No.4427
あの年の3月、4月- #1
此方はWF-21と編隊で離陸中の迫力満点なショット。
WF-21はWF-01のAV-8B(+)と異なりAV-8B(N/A)なのですが不勉強で外見上の違いが分かりません。

因みにAV-8B(N/A)/164142号機の履歴は以下の通り。
VMA-311/WL-xx(1992)→WL-15(2002)→WL-23(2004)→VMA-211/CF-21(2011)→VMA-214/WE-24(2013),
→VMA-311/WL-22(2017)。

M.WADA 2022/04/08(Fri) 11:45 No.4428
あの年の3月、4月- #1
ミッションを終え嘉手納に戻ってきた時はWF-01/21のコンビではなくWF-01/04に変わって居り、
クラスター爆弾は投下したようで付けていませんでした。

AV-8B+(R)HARRIER II PLUS/165573は2017年5月から2020年4月迄VMA-311/WL-02としてフライト。
2021年11月から12月はVMA-214/WE-02号機として活動していました。

M.WADA 2022/04/08(Fri) 11:47 No.4429
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

本日は1979年7月から8月にかけて17機のF-4JがVF-161/151とVF-21/154(CVW-2;NE)間で
機体交換されましたが、今回はそのうちの3機をご紹介致します。

1979年4月17日(土曜日)10時30分、館山沖の訓練空域RANGE-116へと向かう”NF-161”。

機体の外見上からは黄色く縁取りされたMdx-201以外は特に変哲もないノーマーク機ですが
C/Sの"NF-161"と「黄色い縁取りの”201”」の整合性が取れないのが謎でした。

其の後、これ等の機体BuNoの追跡から真相が明らかになり初期の謎は解消して行きました。
因みに158372号機が用いていた”NF-161”の”161”は多分、VF-161により暫定的に付与された
C/Sだったのではと想像されます。

実際に158372号機に与えられたMdxは”NF-103”だった事実からも、
”NF-161”はVF-161所属機を表すC/Sだった可能性が高いと推定されます。

F-4J/158372の履歴。
VMFA-451/VM-07(1969)→VF-21/NE-107(1971)→VF-21/NE-207(1972〜1974)→NE-201(1978〜1979),
→VF-161/NF-103(1979〜1980)→F-4S→VMFA-212/WD-13(1985〜1986)→1988年11月21日,AMARC入り。

M.WADA 2022/04/09(Sat) 10:55 No.4430
あの年の3月、4月- #1
↑と同じ日の午後フライトした"NF-151"ことF-4J/158373.
午前中フライトしたF-4J/158372と一番違いの機体でした。

F-4J/158373号機は元VF-21”FREELANCERS"/NE-205でしたが、
Mdx205以外の塗装は残念ながら全て落としての厚木飛来でした。

ところが同機の行動は謎で,Mdx205を残したことから推測して"NF-205"になると想像していたのですが
実際にF-4J/153862,NF-205の後釜に据えられたのはF-4J/155741であり,158373ではありませんでした。

結局、158373号機は本国へ戻りVF-154/NE-100として運用されましたので
結果としてF-4J/158373を厚木で撮れた期間というのは極めて短い期間となったのです。

因みに"NF-151"がフライトした4月17日の17時54分から18時21分にかけて嘉手納から4機のコルセアが飛来。
彼等はVA-147”ARGONAUTS"のA-7E/157532/157522/156803/158009,NG-400/402/404/405でしたが
マニア6人がどのようなL/Dショットを撮ったのかは今もって定かではありません。

F-4J/158373の履歴。
VF-154/NE-100(1972〜1980)→VMFA-212/WD-06(1981) →F-4S→VMFA-235/DB-04(1986)、
→1988年10月27日、AMARC入りの後HVF WEST社所有からカリフォルニア州ミラマーの
FLYING LEATHERNECK MUSEUMで屋外保管。

M.WADA 2022/04/09(Sat) 10:59 No.4431
あの年の3月、4月- #1
1980年4月2日(水曜日)14時8分、T/OしたNF-115は15時26分、厚木R/W-19でT/G実施時に
ドラッグシュートが展開した為、T/G訓練を中止して15時28分L/D.

この日はCVW-5機、33機がフライトを実施しマニア6人が撮影にエンドを訪れていました。

F-4J/158376の履歴。
VF-21/NE-201(1972〜1978)→VF-161/NF-115,121(1980〜1981)→F-4S→ VMFA-232/WT-12(1986),
→1988年11月23日、AMARC入り。2008年11月18日、アリゾナ州TUCSONのHVF WEST社でスクラップ。

以上のようにVF-161/151に配備された158300台のF-4J達でしたが、
その内の4機(NF-200/202/203/206)が1980年の1月から8月にかけて相次いで墜落。
残り13機も機体トラブルが多発し1981年度中にF-4Sに置き換えざるを得ませんでした。

遵って158300台のF-4Jの写真は他の機体に比べかなり撮影のチャンスは少なく貴重なものとなっています。

M.WADA 2022/04/09(Sat) 11:02 No.4432
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

昨日のコメントでご紹介しました4機のNG/A-7Eの離陸ショットをご紹介致します。

着陸から一夜明けた1979年4月18日(水曜日)10時過ぎからA-7各機のキャノピーが開き、
離陸準備を開始。

当日は、ほぼ無風に近い北風が吹いており運用滑走路は01でしたが
いつ19に変わってもおかしくない状況でNGの情報を聞きつけて集まった38人のマニアは
気の抜けない時間が過ぎて行きました。

11時15分、4人のパイロットがコルセアに乗り込んだその時、
運用滑走路が01から19へ変わるアナウンスが発せられ、マニアは一斉に離陸側へ移動。
車、バイク、自転車を持たないマニアは「お墓」のタキシング・ポイントへ急行。

車組の自分は運転しながらハッと気づいたのは、被写体がVA-147のA-7だという事。
海軍機マニアの皆さんならお察しの通り、VA-147機には一つの「お約束事」があったのです。

それはVA-147機の右舷機首側面には
パイロット各自のパーソナルネームが書き込まれているという事。

R/W-01午前中の離陸であれば右舷のショットが撮れますが
R/W-19午前中では左舷のショットになりパーソナルネームが見えないのです!

以上のような状況で自分が下した結論は「逆光覚悟で午後側から撮る」というものでした。

此処で胸を過ったのが「同じ逆光ならタキシングの方が良かったか?」。

然し、既に離陸側に向かっている最中であり、
引き返す猶予は無く離陸ショットに賭けるしかありませんでした。

11時21分、エンジンスタート。
11時34分、嘉手納へのクリアランス承認。
11時36分、離陸に向けR/W-19 へタキシング開始。
11時39分、”NG-405”FLIGHT,R/W-19,ATSUGI ROUTE-2 DEPARTURE.

期待に反して離陸高度はフライパスのような高〜い離陸で嘉手納に向かいました。

A-7E/158009の履歴。

VA-147/NG-405(1973〜1979)→VA-22/NL-304(1980)→VA-125/NJ-540(1981)→VA-97/NK-303(1983),
→1987年8月19日、ネバダ州NAS FALLONでRANGE TARGETとして使用。

M.WADA 2022/04/10(Sun) 14:14 No.4433
あの年の3月、4月- #1
"NG-405"'2のNG-402はNG-405より幾分低いものの高めの離陸。

A-7E/157522の履歴。

VA-195/NH-410(1970〜1971)→VA-37/AC-304(1978〜1979)→VA-147/NG-402(1979〜1980),
→1988年3月14日、フロリダ州NAS CECIL FIELDのVA-205/AF-5xxとしてAMARC入り。
2005年10月5日、HVF WEST社でスクラップ

M.WADA 2022/04/10(Sun) 14:18 No.4434
あの年の3月、4月- #1


11時50分、"NG-404"FLIGHTもNG-402同様の離陸でガックリ。

A-7E/156803の履歴。

VA-147/NG-400(1970)→NG-404(1975〜1979)→NG-413(1980〜1982)、
→1982年5月31日、アリゾナ州のWHITE RIVER近くに墜落。

M.WADA 2022/04/10(Sun) 14:20 No.4435
あの年の3月、4月- #1
最後に離陸して来た"NG-404"'2のNG-400でやっと「普通」の離陸をしたものの
何となんと、パーソナルネームが書き込まれて居らずで、
悔しさいっぱい、悔いの残る一日でした。因みにパーソナルネームは"CITY OF SACRAMENTO"
でした。

A-7E/157532,NG-400は1980年6月2日,フィリピンのNAS CUBI POINTで墜落し機体は失われました。

此処でVA-147/A-7Eのパーソナルネームを記して置きます。

NG-400 CITY OF SACRAMENTO
NG-401 CITY OF LEMOORE
NG-402 CITY OF HANFORD
NG-403 CITY OF CLOVIS→OLONGAPO
NG-404 CITY OF FRESNO
NG-405 CITY OF VISALIA
NG-406 CITY OF CORCORAN(1977)
NG-407 CITY OF COALINGA
NG-410 CITY OF CORCORAN(1975)
NG-411 CITY OF KINGSBURG
NG-412 CITY OF RIVERDALE
NG-413 CITY OF TEMPE

M.WADA 2022/04/10(Sun) 14:22 No.4436
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんばんは。

今日は定期診察でしたが、予約時間が大幅に遅れ投稿を逸してしまいました。
帰宅後、疲れてしまいましたが気力を振り絞り一枚だけアップして置きます。

一枚だけですが、自分にとっては「取って置きの一枚」です。

厚木で「富士山」,「桜」,「航空機」を一枚の写真に収めることが出来る場所は此の一カ所のみ。
回数は多くないものの、何度かチャンスは有ったのですが、富士山に雪がなかったり、
桜が咲いていなかったり、ヒコーキと重ならなかったりと不運ばかりでした。

今回ご紹介したVLのA-4Mも立ったままでは脚が隠れて写真にならず
脚立に乗ってフェンスの上部からバラ線にレンズの鏡胴を擦りながら撮った苦心作でした。

その為、自分にとっては真に思い出深いショットとなっているのです。

VL-5は其の後、14時30分、岩国へと厚木R/W-19を離陸して行きました。

M.WADA 2022/04/11(Mon) 19:39 No.4437
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

昨夜アップしたVL-5の離陸迄の動きをご紹介致します。

陽が昇り、光量が十分になったところで念願の「スカイホーク正面形」ショットを撮影。

このアングルを厚木で撮る事は此の場所以外不可能なので、
貴重なチャンスを活かすべく、神経を集中し気合を込めてシャッターを切りました。

M.WADA 2022/04/12(Tue) 10:36 No.4438
あの年の3月、4月- #1
グランドクルーがキャノピーや各部の点検扉を開け、離陸に向けてのチェック開始。
そのA-4後方を着陸しフライトラインへ戻る14空のS2F-1が画面に入り込みました。

M.WADA 2022/04/12(Tue) 10:39 No.4439
あの年の3月、4月- #1
パイロットが搭乗、エンジンスタート後、ライトターンしR/W-19へ向かうVL-5.

逆光で見え難いですが、このアングルも此の場所ならではですし、
逆光故、塗装の「テカリ」具合が強調され
それが,かえってA-4の迫力感が増したように感じられるショットとなりました。

M.WADA 2022/04/12(Tue) 10:41 No.4440
あの年の3月、4月- #1
"TAXI TO NORTH RUNWAY-19".
午後2時半過ぎでは完璧な逆光となり、お手上げ。
出来る事なら、早朝の出発であればと思いましたが、こればかりは、どうしようもありません。

A-4M/158161の履歴。
VMA-324/DX-8(1971)→DX-xx(1972〜1973)→NATC(1973)→VMA-324/DX-xx(1974),
→VMA-311/WL-46x(1974〜1979)→VMA-331/VL-8(1979)→VL-5(1980〜1981),
→VMA-223/WP-5(1981〜1982)→VMA-331/VL-8(1982〜1983)→VMA-322/QR-50(1983),
→H&MS-49/QZ-xx(1983〜1984)→QR-50(1985)→WL-18,03(1987〜1988)、
→VMA-131/QG-04(1989〜1990)→QG-104(1992)→199年8月6日、AMARC入り。
1995年9月29日、アルゼンチン空軍機(C-109)、
2005年7月6日、SAN LUIS PROVINCE,DAROCT,JUSTO近くに墜落。パイロットは死亡し
機体は失われました。

M.WADA 2022/04/12(Tue) 10:44 No.4441
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

今日も41年前の4月、厚木に飛来したVLのA-4M達のショットをご紹介致します。

1981年4月3日(金曜日)14時15分,岩国帰投に向け厚木R/W-19へ向けタキシーアウトする"STING-11".

VL-12を誘導するのはペイントショップ・ハンガーに詰めていたと思われる民間人。

此の時期、彼らはVMA-331が運用していた後期生産最終ブロックA-4Mに対して行われた
「SUPER MIKE」スカイホークのアップデートを担当していたようで
日飛社員も頻繁にペイントショップ・ハンガーに出入りしていたので、
日米が協力して作業を進めたと思われます。

「スーパーマイク」スカイホークとは垂直尾翼上部に設けられた「ホットドッグ」アンテナと
コックピット更新/変換セット、拡大されたメインインストロメンタルパネルとHUDの追加、
及び通常型A-4Mより高い総重量をサポートする為に強化された着陸装置の改訂であり、
その内訳は下翼と主輪開閉ドアの輪郭の変更等でした。

厚木に飛来したVL/A-4M SUPER MIKE SKYHAWK達は上記装備のアップデート作業を受ける為の
飛来と仮定すると、彼らの動きに合点がいくのですが、皆さんの見立ては、どうでしょうか?

A-4M/159478の履歴。
WP-11(1975〜1980)→VL-12(1980〜1981)→WP-12,8(1981〜1982)→WL-xx(1982〜1983),
→WL-06(1984〜1986)→VMAT-102/SC-xx(1986)→SC-00(1987),
アルゼンチン空軍/A-4AR#FAA C-932(1996)→GRUPO-5所属機(2013〜2014).

M.WADA 2022/04/13(Wed) 15:48 No.4442
あの年の3月、4月- #1
↑と同じ日の16時43分、厚木R/W-19に着陸したA-4M/160248,VL-8"STING-04"は
日飛入りの為かR/W-19エンドまで滑走し、AE誘導路に入って来てくれました。

既に太陽は丹沢の影に隠れていて写真的にはXですが、
VL/A-4M,最初で最後のR/W-19,L/D〜AE TAXIING ショットという事でアップ致しました。

M.WADA 2022/04/13(Wed) 15:51 No.4443
あの年の3月、4月- #1
上記撮影から5日後の4月8日(水曜日)8時50分,日飛からペイントショップ前に移動したVL-8.

キャノピーも開き、直ぐにも離陸しそうだったVL-8でしたが、
実際に"STING-04"が岩国へ向け厚木を離陸したのは17時29分。

その為、順光下でのタキシーアウトを撮影することは出来ずに終わっています。

A-4M/160248の履歴。
VL-8(1979〜1981)→WP-8(1981〜1987)→VMA-124/QP-xx(1987〜1988)→QP-05(1989),
→1992年9月4日、テネシー州NAS MEMPHISのVMA-124からAMARC入り。

M.WADA 2022/04/13(Wed) 15:53 No.4444
あの年の3月、4月- #1
1981年4月7日(火曜日)8時36分、厚木R/W-01でT/Gを実施したA-4M/160241,VL-1"STING-32"は
8時37分、着陸しペイントショップ前に駐機。

A-4M/160241はVMA-331から変わりVMA-223/WP-1となって活動中の1981年10月19日、
パイロトのTONY"PIZZA"DECANDIAは砲術訓練の”GUN PATTERN"中に自爆。

南シナ海上に墜落。連絡を受けたNAS CUBI POINTのVC-5/SH-3Gが救助に出動。
往復の燃料が不足するほど遠距離でしたが機長は救助を選び救出に成功したものの、
160241号機は南シナ海に没しました。

M.WADA 2022/04/13(Wed) 15:55 No.4445
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

台風1号(マラカス)が日本に近づいていますが、大事にならなければ良いですね。

1981年4月8日(水曜日)16時31分,VMA-331のA-4M/160260,VL-00"STING-11"がR/W-19へL/D.

M.WADA 2022/04/14(Thu) 14:48 No.4446
あの年の3月、4月- #1
↑の送りショット。

A-4M/160260の履歴。
VL-00(1979〜1981)→WP-21(1981~1982)→WP-1,01(1982〜1985)→WP-21(1986〜1987)、
→VMA-124/QP15(1987〜1989)→」QP-08(1990〜1992)→1994年4月20日、AMARC入り、
2004年12月9日、HVF WEST 社でスクラップ処理されています。

M.WADA 2022/04/14(Thu) 14:50 No.4447
あの年の3月、4月- #1
VL-00に続き16時32分L/Dして来たのがA-4M/160250/VL-10,"STING-11"'2.

A-4M/160250,VL-10は此の撮影の6日後の4月14日(丁度41年前の今日!)、
嘉手納を離陸後海上に墜落し機体は失われました。

以下はVL-10のパイロット、CAPT RODNE"PINK PANTHER"の話です。

ロドニー”ピンクパンサー”大尉は墜落当日の午前中、彼のセクションリーダーである
ボブ コンサー大尉と共に2機のA-4Mを率いて低レベル爆撃と組み合わせたLATTミッションを実施後、
燃料補給と昼食のため嘉手納に戻りました。

そこでコンサー大尉のガールフレンドであるレスリー ウイリアムスと会食。
彼等はフレンチ、私はホッとドックを食べたところで、コンサー大尉に今夜彼女とデートしたいので、
一人で岩国へ帰ってくれないかと相談されます。

ロドニー大尉は岩国の"BUMBLEBEE BASE"の承認が必要なため電話連絡をし認可が出ます。
そうこうしている間に午後のミッションの時間が迫りロドニー大尉は単機ミッションへ向かいました。

嘉手納R/W-05Lから離陸したロドニー大尉は高度1500フィートを通過した直後、
大きな爆発音が聞こえ、それはまるで大きなハンマーが吸気口の内側に当たったような音だったため、
電力維持のためRAT(ラム エア タービン)を引っ張った。

同時に私は嘉手納タワーに「エンジン故障」の緊急事態を宣言。
管制官は機体を降下・安定させるようリクエスト。

しかし、私は単発エンジン機のため機体制御は不可能と回答。
管制官の声が一オクターブ上り「了解」と返って来ました。

それでも私は何とかR/W-23Rに着陸させようと努め高度1500フィートで滑走路から25マイルの地点まで
機体を飛行させました。この時点で着陸は十分到達可能と思われました。

エンジン計器は低い回転数値を示し、高いEGTを示しましたが飛行限界点内にあると判断。

コックピット内に発煙もなく私は何度かエンジンの再始動を試みましたが
それでも機体は急降下をし始めて行きました。

私はR/W-23Rに戻る途中で右側の海岸線と平行に飛行する中で最終的な選択肢を考えていました。

急激な速度と高度の低下で、このままでは安全に嘉手納に着陸出来ない事が明らかになりつつあり、
200ktsと2000フィートでAGLが射出エンベロープの中心付近で有る事を知った私はこの時点でL/Dを放棄。

A-4Mより緊急脱出し海上に着水。嘉手納の33ARRSのHH-3Eに救助されましたが、
機体は海中に没し失われてしまいました。

以上、ロドニー大尉の証言を要約しご紹介しましたが
これは証言のごく一部で、興味深い話が長文で綴られて居りますので、
いつの日にかご紹介出来ればと考えて居ります。

M.WADA 2022/04/14(Thu) 14:51 No.4448
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

1981年4月14日(火曜日)7時50分,牽引車でプッシュバックしながらペイントショップ・ハンガーへ
移動するVMA-331のA-4M/160254,VL-4. パイロットネームはMAJ JUSTICE.

画面下に写る水溜まりは前日の午後から降った雨で出来たもので、
水面にVL-4の機体の一部が反射しています。

A-4M/160254の履歴。
VL-4(1980〜1981)→VL-14(1981)→WP-4(1981〜1987)→QP-14(1987〜1992)→QP-02(1993),
→1994年6月22日、テネシー州NAS MEMPHISよりAMARC入り。
2008年9月16日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/04/15(Fri) 12:30 No.4449
あの年の3月、4月- #1
↑と同じ日の9時31分、厚木R/W-19へ着陸するVMA-331のA-4M/160261,VL-15,"STING-04".
同機は燃料補給後の9時55分、岩国へ戻って行きました。

A-4M/160261の履歴。
WP-15(1981〜1987)→QP-xx(1987〜1988)→QP-17(1989)→1989年12月18日、AMARC入り。

M.WADA 2022/04/15(Fri) 12:32 No.4450
あの年の3月、4月- #1
VL-15より6分早く降りて来たのが"STING-21"/VL-16.パイロットネームはLT CAMPO.

M.WADA 2022/04/15(Fri) 12:34 No.4451
あの年の3月、4月- #1
こちらも同じVL-16ですが4月27日(月曜日)8時5分,岩国へ向け厚木R/W-19をT/Oした"STING-11".
同機はVL-000と共に4月25日にL/Dしていたものでした。

A-4M/160257の履歴。
WP-16(1981〜1984)→WP-17(1985)→1985年4月14日、アリゾナ州MCAS YUMAで
エンジンから発火後、操縦不能に陥り墜落。

MAW&TAC SQ-1のパイロットMAJ E.W.POWERSは緊急脱出し救助されましたが機体は失われました。

M.WADA 2022/04/15(Fri) 12:35 No.4452
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

今朝、9時11分、厚木R/W-01からジェットが上がる音がしていましたがF/A-18?F-35?

1981年4月28日(火曜日)13時30分,岩国へ向け離陸の為AEをタキシングするVL-000/"STING-11".
パイロットネームはLT NEWですが、背中に書かれた"1st MARINE AIR WING"が示す人物は
ウイリアムH.フィッチ海兵隊少将。

彼はベトナム戦中はVMA(AW)-533"HAWKS"(ED)のCOだった人で、
1967年に殊勲飛行十字章(DFC;DISTINGUSHED FLYING CROSS)を、
1968年にはシルバースター勲章(SSM;SILVER STAR MEDAL)を受勲した英雄。

M.WADA 2022/04/16(Sat) 11:57 No.4453
あの年の3月、4月- #1
↑の続きでR/W-01に載り、やっと右側主翼下に搭載されたAGM-45シュライクの
訓練用不活性弾(イナート弾)が見えましたが、陽炎が酷く残念でした。

M.WADA 2022/04/16(Sat) 11:59 No.4454
あの年の3月、4月- #1
こちらの離陸ショットもR/W-19の午前中だった為,イナート弾が半分隠れてしまいました。
当日、撮影にエンドを訪れていたマニアは10人。

A-4M/160262の履歴。
VL-000(1979〜1981)→WP-20(1981)→QP-06(1987〜1992)、
1993年6月29日、AMARC入り。

2016年86歳で亡くなったフィッチ氏はバージニア州クアンティコ国立墓地に埋葬されています。

M.WADA 2022/04/16(Sat) 12:01 No.4455
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

昨日までのVL/A-4Mから「3月、4月」のアラカルトに戻ります。

1975年4月1日(火曜日)7時23分、空母ミッドウェイに向け厚木R/W-01を離陸する”NF-110”。
当日はVMCJ-1機を含む28機がフライオフし、それをマニア15人が撮影。

パイロットネームはLT PAT A.R.WOOD / LTJG MIKE WILCOXと書かれていました。

F-4N/151015の履歴。
WS-10(1967)→VE-9(1968)→SB-16(1969)→F-4N→NF-110(1975〜1976)、
→1977年10月26日、MASDC入り→1981年1月12日、運用不可の裁定を受け退役。
1983年6月22日、ネバダ州INDIAN SPRINGS RANGEでターゲットとして使用。

M.WADA 2022/04/17(Sun) 10:52 No.4456
あの年の3月、4月- #1
1974年4月6日(土曜日)14時50分,突然厚木に飛来しニッピ入りしたVF-92のF-4J/155753,NG-201.
真横のショットは清掃車に邪魔をされ撮影出来ずガッカリでしたが、
偶然、南のカドに居たことでNG-201のタキシング・ショットが撮れ幸運でした。

資料を調べたところ、F-4J/155753がVF-92のNG-201として在籍した期間は1971年から1972年で、
厚木撮影時の1974年とは2年間のギャップがあり、
故障等でキュービーポイント辺りに居た可能性が高いです。

因みに1972年当時のVF-92,COはCDR PHILIP J.SCOTTでした。

この黄色い尾翼のVF-92機が厚木に飛来しなかったら
ハイビジ全盛期のSILVERKINGSは撮れなかった訳で、貴重な厚木飛来となりました。

F-4J/155753の履歴。
NG-201(1971〜1972)→NG-204(1975)→VE-5(1975〜1977)→F-4S→1984年6月5日、MASDC入り。
2008年8月5日、HVF WEST 社でスクラップ処理。

M.WADA 2022/04/17(Sun) 10:55 No.4457
あの年の3月、4月- #1
1975年4月22日(金曜日)13時35分,厚木R/W-19に唯一機.フライインして来たVF-191 のF-4J/153781,NL-100.
他に空母コーラルシーから飛来したのは空母所属COD機のC-1A/136760,NL-600だけという寂しさ。

そのNL-100も15時46分、空母に帰ってしまい、結局、厚木のフライトラインにCVW-15機はゼロ。
そんな寂しいフライインに立ち会ったマニアは12人で、しょんぼりと帰路に就いたのでした。

F-4J/153781の履歴。
NJ-15x(197x)→NL-100(1977)→NJ-xxx(1978),
1978年2月8日、真夜中過ぎ、カリフォルニア沖を航行中の空母コーラルシーに着艦しようとしたVF-121の
パイロットLT T.E.DEWALDは着艦に失敗し機体は海上へ落下。彼は機と運命を共にし死亡。

M.WADA 2022/04/17(Sun) 10:57 No.4458
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

今から50年前の1972年4月2日(日曜日),横須賀で空母コンステレーションが一般公開されました。

ところが前日の4月1日,17時30分,空母キティーホークからVA-52"NIGHTRIDERS"のA-6A/NH-5xxが飛来。
二日の午前中は厚木に行きNH/A-6の離陸を待っていましたが待ちきれず時間切れとなり横須賀へ急行。

その結果、空母での撮影が遅れ光線状態が悪化、ご覧のようなショットとなってしまいました。
このように「二股」をかけて成功した例は少なく、此の時も判断ミスを犯し失敗。

M.WADA 2022/04/18(Mon) 15:55 No.4459
あの年の3月、4月- #1
艦上撮影の定番ショットが垂直尾翼のアップ。
"BOOMERS"のマーキングの中でもNG-500番は如何にもCAG機らしいしセンスも良く好きでした。

A-6A/155644の履歴。
NJ-800(1968〜1969)→NG-501(1969〜1970)→NG-500(1971〜1975)→NE-506(1975)→NJ-xxx(1976),
→A-6E→DT-8(1981〜1984)→VK-11(1984〜1988)→NK-5xx(1991)→NF-512(1991〜1995),
→NASNORTH ISLANDで保管。→2015年4月、カリフォルニア州CHINOにある
YANKS AIR MUSEUMの修復ハンガーに移動。

M.WADA 2022/04/18(Mon) 15:57 No.4460
あの年の3月、4月- #1
それに引き換え、此方のVA-185のA-6E TRAM/NF-400,CAG機は目を覆わんばかりの酷い塗装。

DESERT STORM作戦から帰還した時で機首に敵艦艇の撃破を示すマークが4個と
空調取り入れ口側面に授与された勲章の略綬マークが描かれていました。
パイロットネームはCAPT J.M.BURIN CAG.


花屋営業中でしたが、写友に強く催されて行った最後のR/W-01エンドでの撮影で、
懐かしい友人達にも会えたりしましたがロービジ機との対面は決定的で、
以後、厚木エンドに顔を出すことは無くなりました。

A-6E TRAM/155685の履歴。
DT-1(1969)→ED-4(1970〜1971)→NF-501(1973〜1976)→A-6E→AE-501(1981〜1982)、
→AJ-510(1982〜1983)→NK-501(1986〜1987)→NF-400(1987〜1991)→1994年7月7日、AMARC入り。

M.WADA 2022/04/18(Mon) 15:58 No.4461
あの年の3月、4月- #1
皆さん、こんにちは。

今日は自分の現役時代、最も馴染み深いファントムSQだったVF-161のCO機のご紹介です。

その中でもF-4N/150491,NF-100はマニア時代の関りが長く、愛着のあるCAG機でした。

今思うと、このように素晴らしい部隊が厚木にホームベースを構え
毎日のように其の姿を撮影出来たのは実に幸運な事でした。

1975年4月1日(火曜日)10時30分,厚木R/W-19を空母ミッドウェイに向けフライオフしたNF-100は
マイナートラブルの為、10時54分に引き返して来ました。

このトラブルが発生しなかったら,このような好条件の中,ニッピ山での撮影は実現しなかった訳で、
数少ないチャンスをものに出来て良かったです。

M.WADA 2022/04/19(Tue) 11:29 No.4462
あの年の3月、4月- #1
↑の送りショットでは豪快なタッチダウンを撮れ、二度も美味しい思いを味わいました。

M.WADA 2022/04/19(Tue) 11:31 No.4463
あの年の3月、4月- #1
二度目のフライオフでCVA-41へ向かうNF-100.R/W-01,8時5分,単機でのT/O。
この日は無事に空母に辿り着いたようで、厚木には戻って来ませんでした。

F-4N/150491の履歴。
1977年6月10日、MASDC入り→1983年1月12日、運用不可の裁定を受け退役、
同年、6月23日、ネバダ州INDIAN SPRINGS RANGEに於いてターゲットとして使用。

此処で、此の時のCAG であったJOHN"JACK"LAWRENCE FINLEYについて述べて置きます。

ジャック・ローレンス・フィンリーは1957年、海軍兵学校を卒業しVT-203で飛行訓練を終え
1958年8月、F-8クルセイダーのパイロットとして空母タイコンデロガ搭載、VF-51に勤務。

4年間の任務の後、彼はCVW-5の上級LSO(着陸信号士官)として勤務。
1964年、エドワーズAFBの航空宇宙研究パイロットスクール(クラス64−A)に通い卒業後、
エドワーズで教官として勤務。

1965年11月12日、ジェミニ計画で飛行予定の宇宙飛行士だったが
計画が遅延し計画自体が終了となり宇宙飛行士の夢は実現しませんでした。

その為、彼は海軍に復帰。VF-111〜VX-4のプロジェクトオフィサーを経て
VF-51の執行役員からCOへ昇格しました。

1974年から1975年にかけてワシントンの海軍省人事局勤務の後、厚木のCVW-5のCOとして
1975年から1976にかけ在職。

1976年から1977年、海軍学校の監督官として勤務の後、1977年4月16日、USSカウィシウィ(AO-146)の
艦長を務め退役。

3000時間以上の飛行時間、1000回以上の空母着艦を記録。
1980年からは民間航空機関連企業のCEOなどを歴任。

2006年9月19日、テネシー州メンフィスで糖尿病と癌との長期間にわたる戦いの末70歳で永眠。

自分はパイロットネームと写真でしかフィンリー氏を知りませんが
米海軍機好きでは同じでしょうから、何がしらかの「縁」を感じ、
今回、彼のご紹介を致しました。ご冥福をお祈り致します。

M.WADA 2022/04/19(Tue) 11:33 No.4464
あの年の2月、3月- #1

ご無沙汰してしまいました。
最近はプラモに熱中していて、今HASEGAWAの1/48を2機同時作成しています。
1機はA-7EからA-7Bにダウングレイド、もう1機はそのままA-7Eにします。
今月中に完成を目指しましたが、無理なようです。

懐かしい人の写真が出てきて思わず微笑んでしまいました。

厚木にはとうとうF-35が飛来し、現在はオスプレイが飛んでいますので、すこしは活気がでてきたかな?

3月の話題です、1968年1月に発生したプエブロ号事件で日本海に入った空母コーラルシーから飛来したEA-1Fです。
この年にEA-1Fは日本から姿を消すことになりましたが、最後のA-1部隊もこのコーラルシーに乗っていました。

MACH3 2022/03/13(Sun) 11:44 No.4361 [返信]
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

今日、午前中降りた2機のF-35?は13時37分、R/W-19を離陸して行きました。
離陸高度はかなり高く、マニアの方達には残念な結果でした。

>MACH3さん
VR/EA-1Fの編隊離陸、良いですね!
MACH3さんの横で自分も撮っていたのですが、ネガが行方不明のままです。

1968年〜1970年に撮影したネガの多くが移転の際のドサクサに紛れて出て来ません。
多分、手伝ってくれた多くの人の誰かが間違えて廃棄したのではないかと推測しています。

今、残っているのは必至で持ち出した焼き付けた少数の写真と手帳だけです。

その手帳を見たところ、VR/EA-1Fの編隊離陸は1968年3月23日(土曜日)12時30分、
EA-1F/133758/135140/132581,VAW-13,DET-43,VR-771/775/779の3機の離陸で
VR-771とVR-775が編隊離陸し、VR-779が単機でT/Oしたと書いてありました。

VR-771/EA-1F,133758号機は1969年5月、MASDC入り。
VR-775/EA-1F,135140号機は1968年8月22日、MASDCで運用不可の裁定を受け退役。
VR-779/EA-1F,132581号機は1968年8月21日、MASDCで運用不可の裁定を受け退役。

自分もAGCの皆さんと同年代だったら,もう少し大好きなスカイレーダーが撮れていたのではないかと、
思うと残念無念でなりません。


1984年3月11日(日曜日)厚木R/W-01を離陸しNAS CUBI POINTへ向かうVP-9のP-3C/159885,PD-5.
この日、エンドに来たマニアは9人。

このマーキングは1982年8月頃から採用されたマーキングで
以前に比べると"GOLDEN EAGLE"が判らないくらい小さくスケールダウンしたものとなり、
VP機にもロービジ化の波が押し寄せて来ていました。

結局、このマーキングが「ハイビジ」塗装の最後となり
以後、隊長機以外ノーマーク機という流れが定着していく事になって行きました。

キュービーポイントへ向かったPD-5の最終目的地がインド洋のNSA DIEGO GARCIAで
当時、VP-9の本隊は此のディエゴ・ガルシアを根城としてDETを嘉手納に派遣。

更に、オマーンのMASHIRAHとソマリアのBERBERAにも小隊を派遣していました。

このような部隊の展開方法を取ったのは此の時のVP-9が最初で
VP配備に関する新しい前例を確立しました。

M.WADA 2022/03/14(Mon) 14:39 No.4362
Re: あの年の2月、3月- #1
3月のホットな話題。
先週に続き、今日もF-35が降りフライトを行いました。
ハリアーよりウルサイですね。

MACH3 2022/03/14(Mon) 16:14 No.4363
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

MACH3さんは厚木に行きVKのF-35Bの降りを撮れたんですね。

FBにAble DogさんがVKの上りショットをアップされていましたが
VK-11は降りより上りの方が寧ろ低かったのは驚きでした。

又、家から見ていたF-35Bの離陸はF/A-18より離陸音が静かに感じられました。

この話題に乗りVKのA-4Cをアップしようと捜しましたが見つからず、
どうやら廃棄されたネガの中に入っていたようでガッカリでした。

MACH3さんはVKのA-4は撮っているのでしょうかね?
スキャン済みの中にあれば見たいです。

2月中に投稿出来なかったDBのF-4Sをアップ致します。
1984年2月10日(金曜日)10時20分,ローカルフライトの為,厚木R/W-01離陸に向かう"ANGEL-33".

M.WADA 2022/03/15(Tue) 11:39 No.4364
あの年の2月、3月- #1
↑と同じ日の11時50分、富士山を掠めL/Dして来た"ANGEL-33"。

F-4S/155883号機は1987年11月5日、AMARC入り。
2009年、アリゾナ州TUCSONのHVF West社でスクラップ処理されています。

M.WADA 2022/03/15(Tue) 11:41 No.4365
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

↑の翌月、3月29日(木曜日)にもDB-03が12時40分、飛来。15時44分、岩国へ向けT/O.
どうせ飛来するなら違う機体が良いのですが、上手く行きません。マニアは54人集結。

昨日、厚木では2機のVK/F-35Bがローカルフライトに14時4分T/O〜15時37分L/Dしています。
これからもコンスタントに撮り慣れた厚木に飛来してくれると有難いですね。
但し、着陸音はMACH3 さんが仰る通り大きいような気がします。

M.WADA 2022/03/16(Wed) 11:30 No.4366
あの年の2月、3月- #1
此方は1983年3月31日(木曜日)14時52分、厚木R/W-01へL/Dする米沿岸警備隊のHC-130H/1453.
カリフォルニア州北部、SACRAMENTOからの飛来。16時29分、横田に向けT/O.

同じ3月10日には永らく使用していたHU-16Eが現役引退して居り、
出来る事ならHC-130より撮影出来なかったHU-16の方が撮りたかったです。

HC-130/1453は翌年、1984年3月29日の午前中にも飛来して居り、
燃料給油後、韓国、金浦に向けT/Oしています。

M.WADA 2022/03/16(Wed) 11:32 No.4367
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

本日はHAMANOさんが2010年2月25日(木曜日)に嘉手納で撮影したA-10をご紹介致します。

カデナR/W-23へ4機編隊でオーバーヘッドアプローチして来た25FSの"ASSAM DRAGONS"のA-10A.

M.WADA 2022/03/17(Thu) 11:40 No.4368
あの年の2月、3月- #1
ご覧のように重装備の出立で”サンダーボルトII”らしさに溢れたショットですね。

M.WADA 2022/03/17(Thu) 11:42 No.4369
あの年の2月、3月- #1
「本土」の基地では先ずお目に掛かれないカデナならではのシーンで羨ましい限りです。

M.WADA 2022/03/17(Thu) 11:43 No.4370
あの年の2月、3月- #1
此方は自分が厚木で撮影したVMFA-312のF-4S/158354,DR-12/”CHECK-12”の降りをマニア10人と撮影。
”CHECK-12”は17時58分、岩国へ向けT/O.

F-4S/158354号機は1987年3月30日,サウスカロライナ州MCAS BEAUFORTのVMFA-333/DN-06機として
AMARC入りし、2008年11月20日、アリゾナ州TUCSONのHVF WEST社でスクラップにされています。

M.WADA 2022/03/17(Thu) 11:45 No.4371
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

投稿が前後しましたが、No-4355/WT-8のタッチダウン・ショットの
前のコマが、やっと完成しましたのでアップ致します。

M.WADA 2022/03/18(Fri) 13:47 No.4372
あの年の2月、3月- #1
此のWT-8撮影時は曇っていたので然程分かりませんが、
厚木では冬から春先にかけてフェンス内外の芝生が赤茶色に「冬枯れ」ていて
その色が翼下面に反射し「見栄え」が著しく悪くなります。

此の事に気付き始めたのは1972年頃にモノクロからカラーへ本格的に移行してからで、
01側は国有地の牧草、19側は芝生畑が広がっていたので逃げようが有りませんでした。

この状況下で唯一「赤茶色」の反射光から逃れられたのがニッピ山からの撮影。

但し,それは滑走路上に描かれた白線上を通過する一瞬のチャンスだけと厳しいものでした。

01側に関しては滑走路迄の距離が遠く、午前中は地勢的に撮影出来ず
午後側のみとなり、然も大型機以外は不適で19側以上に厳しい状況でした。

現在、01側の牧草地は公園に、19側も整備が進み芝生畑も縮小しているようなので、
昔のような「赤茶色」の反射光からは解放されているのかもしれませんね。


M.WADA 2022/03/18(Fri) 13:49 No.4373
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1975年3月20日(木曜日)ニッピから西側エプロンに移動していたWT-4は
3月22日(土曜日)、再びニッピの駐機場へトーイングされて来ました。

撮影当日は終日晴天が続き、9時4分、ランウェイが01から19へと変わり
待ちに待った「赤い尾翼」のWT/F-4をニッピ山から順光で撮れる予感に胸が弾みました。

10時丁度、WT-4はVFRローカルフライトの為、R/W-19へタキシングを開始。10時26分T/O.

然し、いつものように1時間前後飛行されると光線状態が悪化するので気を揉んでいましたが
幸運な事に30分で帰って来てくれ、事無きを得ました。

M.WADA 2022/03/19(Sat) 13:47 No.4374
あの年の2月、3月- #1
セカンドショットはお決りの「白線」上での送りショットでしたが
具合が良い事に後方に3空のネプチューンが写り込んでくれました。

垂直尾翼に描かれた「イーグル」マーク?の意味が分かりません。

M.WADA 2022/03/19(Sat) 13:54 No.4375
あの年の2月、3月- #1
WT-4は16時40分、再び運用滑走路が01に変わった事で南のカドを回り岩国へ帰投。
折角、WT/F-4JをAEタキシーウェイで撮れたのに、光線状態は最悪。

厚木では午後のタキシーショットはR/W-19運用時の「お墓」/DWが一番ですね。

F-4J/155806号機はF-4Sにアップグレードされ運用後、
1987年8月バージニア州NAS FORFOLKで用途廃止となっています。

M.WADA 2022/03/19(Sat) 13:56 No.4376
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1975年2月20(木曜日)は晴れ時々曇り、一時雪の変わりやすい天気の中、
2機のF-4B(VE-000/6)がニッピ入り。

VE-000は2月24日(月曜日)岩国へ戻ろうとエンジンを始動させましたが
マイナートラブルでフライトプランがキャンセル。

それから一週間後の3月3日(月曜日)は朝から良い天気で絶好の撮影日和でした。

そんな好条件の中15時8分、ニッピからテストフライトに上がったVE-000は
丁度一時間後の16時8分、厚木R/W-01へ着陸して来ました。

ところが、何とその着陸の瞬間だけ陰ってしまい愕然。

結局、此の時の降りがVE-000の着陸が撮れたワンチャンスとなった為
「悪夢」の記憶として後々まで尾を引く事となってしまいました。

M.WADA 2022/03/20(Sun) 14:29 No.4377
あの年の2月、3月- #1
送りショットでも雲は取れずでマニア11人はガッカリ。

F-4B/153064の履歴。
NJ-143→WS-2→VE-00/000(1973〜1975)→MG-2(1976)→F-4Nへアップグレード。
EC-00(1981)→EC-15→1982年11月24日、カリフォルニア州NAF CHAINA LAKEで登録抹消。

VE-000のパイロットネームはMAJ GEN N.W.GOURLEY.
ノーマン・ウインストン・ガーリー少将は1stMAWのCOでVE-000のインテーク・ベーンには
2個のマーク(赤字に黄色の星)が描かれおり、
これは戦中、戦後で授与された各2回の「殊勲飛行十字章」を表したものでした。

彼は1921年5月9日、マサチューセッツ州SALEMで生まれ海兵隊初のジェット戦闘機隊の教官を
務めた人で、VMF(AW)-323/WS(1953〜1962)→VMA(AW)-242/DT(1962〜1970)のCO、
そして974年から1978年にかけて1stMAWのCOとして在籍しました。

此処でピンと来た人は、かなりの厚木通。
そうです、彼は1957年から1958年にかけてVMF-323(WS)のCOとして厚木(MAG-11)に居たのです!
此の時運用していた機体はFJ-4フューリー。


1999年2月17日、77歳で死去。現在はアーリントン墓地に眠っています。

M.WADA 2022/03/20(Sun) 14:48 No.4378
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1973年3月14日(水曜日)10時、厚木R/W-01へ着陸するVMA-211のA-4E/151167,CF-16.
マニアは10人がエンドに来ていました。

A-4E/151167号機の履歴。
VA-23/NE-335(1965〜1967)→VA-192/NM-2xx(1967)→VA-164/AH-4xx(1967〜1968)、
→VMA-311/WL-14,(1968〜1970)→VMA-211/CF-01(1970)→CF-16/13(1973〜1974)、
→VF-43/AD-326(1976)→AD-322(1979〜1981)→AD-326(1984〜1988)、
→AD-328(1992〜1993)→1993年10月4日、AMARC入り。
2002年3月20日,カリフォルニア州CHINOに於いて用廃。

M.WADA 2022/03/21(Mon) 15:08 No.4379
あの年の2月、3月- #1
1978年3月23日(木曜日)7時5分、自宅をISUZU GEMINI PF-50ZHD/1584tで出発。
東名経由、片道82qを走行して8時35分、CAMP FUJI に到着.

そこに居たのはAH-1J/UH-1N/CH-46F/CH-53Dなど総勢15機のET/へり達で
同乗させた仲間3名と寒さも忘れ撮りまくりました。

このショットはSMC TAKUMAR 55mm/F-1.8を使用しフェンス外からET-3を撮影したものですが
誇張ではなく、それこそ「手を伸ばせば」届くようなところに駐機していて
正直、もっと早くCAMP FUJI へ来るべきだったと思いました。

CH-46F/156463号機は1991年2月20日、「DESERT STORM」作戦3日前、サウジアラビア北方で
僚機と作戦中、地上からの砲撃を受け被弾し墜落。当時の所属部隊はHMM-165/YW-03でした。

M.WADA 2022/03/21(Mon) 15:16 No.4380
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

手元の寒暖計は3℃、冷たい雨が降り続く、生憎の火曜日となっていますが
皆さん、体調を崩さないよう、気をつけてお過ごし下さい。

今から41年前の3月は岩国からVMA-331”BUMBLEBEES"のA-4Mがほぼ全機厚木に飛来し
移動訓練をしていました。

然も、駐機場がいつもの西側エプロンではなく「NIPPI LINE」へ駐機。
「NIPPI LINE」と言っても、実際は昔の「洗い場」の南側でした。

ですから、R/W-01運用時は必然的に南のカドをタキシングする訳で
マニアとしては、最高の撮影状況が生まれたのです。

ところが、R/W-19運用時となると話が違います。
タキシングショットを撮るとなると、午前中は「ニッピ山」、午後は「お墓」となり
撮影のチャンスは01に比べ格段に劣る結果となりました。

今回、ご紹介のショットも19運用時における午後の離陸ショットで
結果的には「お墓」」でのタキシング狙いの方が正解でしたが、後の祭り。

4機で出て来たVL/A-4Mのトップバッター”STING-06”/A-4M,160248/VL-8の離陸は
余りに高すぎ、指をくわえて見ているだけで撮影出来ませんでした。

2番機の”STING-06”’2 /A-4M.158161/VL-5もT/Cが見えないくらいの高い離陸で
岩国へ戻って行きました。

因みに、このA-4M/158161号機は其の後、DX-8→NATC→DX-xx→WL-xx→VL-8/5,
→WP-5→1992年8月9日、AMARC入り。→1995年9月29日、アルゼンチン空軍へ移籍。
→2005年7月6日,GRUPO-5の#C-905として運用中,SAN LUIS PROVINCEのJUSTRO DARACT近郊で
墜落事故を起こし、パイロットは死亡し機体も失われました。

M.WADA 2022/03/22(Tue) 15:21 No.4381
あの年の2月、3月- #1
3番機の"STING-19"/A-4M/160250/VL-10で、やっとT/Cが確認できる高さ。

同機の撮影から17日後の4月14日(火曜日)、VL-10/160250は嘉手納を離陸直後、
エンジン故障で墜落してしまいました。

M.WADA 2022/03/22(Tue) 15:24 No.4382
あの年の2月、3月- #1
4番機の"STING-19" '2で、やっと真面な離陸ショットにありつけました。
此方の2機は"STING-06"FLIGHTとは目的地が異なり小松基地へと向かいました。

VL-2/A-4M,160251号機は其の後、WP-2(1982〜1987)→QP-04(1988〜1989)と部隊移動し、
1989年5月19日、アーカンソー州HEBER SPRING近郊のBREWER MOUNTAINの山中に
コントロールが効かなくなり墜落しています。

つまり、今日アップしました3機のA-4Mすべてが墜落していた訳で
何とも、気の重い話で終わり、残念です。

因みに、高い離陸で撮れなかったA-4M/160248号機だけは
1992年9月4日、VMA-124(QP)機として、無事にAMARC入りしています。

M.WADA 2022/03/22(Tue) 15:25 No.4383
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

本日、11時52分、SWから2機のF-35BがVFRで厚木R/W-01へL/Dして行くのが見えました。
時間帯は良くありませんが、やわらかい日差しが射していましたが、結果は如何に?

1977年3月8日(火曜日)8時44分,岩国へ向け厚木R/W-01を離陸するH&MS-36のOV-10A/155418,WX-17.

海兵隊機では最小・最軽量の部類に入るOV-10ですので
厚木での撮影,特に離陸を撮るのは難しいのですが,此の時は低目の離陸で助かりました。

OV-10A/155418号機は1993年4月22日、AMARC入り。
1997年2月5日、N-87612のレジを取得するも8月20日にキャンセルされ、
其の後,様々なところを回りまわって、再びN-87612を取得。

そしてカリフォルニア州CHINOのAEROFAB社で復元され"BLUE AIR TRAINING"のOV-10SQへ
売却され、現在に至っています。

M.WADA 2022/03/23(Wed) 14:44 No.4384
あの年の2月、3月- #1
1974年3月15日(土曜日)厚木R/W-19を離陸し,普天間へ向かうVMGR-152のKC-130F/150688,QD-688.

垂直尾翼に描かれた蛍光オレンジ色のカンガルーはオーストラリアへ演習に行った際のもの。
又、分かり難いですが、このQD-0688にはT/CやMdxに黄色の縁取りが施されていました。

KC-130F/150688号機は2002年4月23日、AMARC入り。同年7月11日、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/03/23(Wed) 14:46 No.4385
あの年の2月、3月- #1
1978年3月23日(木曜日)CAMP FUJI から編隊離陸し厚木へ向かうHMM-262のCH-53D/157163,157135.

CH-53D/157163,ET-30は1988年6月25日、四国の山中に墜落し乗員7名全員が死亡しています。
CH-53D/157135,ET-32は2012年8月10日、アフガニスタン、KHOST CITYの"SARABAGH MILITARY"内に墜落。

M.WADA 2022/03/23(Wed) 14:48 No.4386
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

本日、7時57分、昨日降りて居た2機のF-35Bが厚木R/W-01を離陸して行きました。
ローカルフライトで帰って来てくれれば良いのですが、どうでしょうか?

1981年3月6日(金曜日)9時6分、厚木R/W-19へL/Dする51空のP2V-7 VSA/4655,”PEACOCK-55 ”。

此の時は好天で19の着陸なので、地上を入れた情景ショットをニッピ山から撮るか、
VSA機の特徴を表現する為、ショートレンズで撮るか迷いに迷いましたが
後者に決め、105oでの撮影としました。

ところが、VSA機の19午前中の降りは、此の時が最初で最後となり、
「次はニッピ山で」の夢は潰えました。

M.WADA 2022/03/24(Thu) 10:14 No.4387
あの年の2月、3月- #1
"PEACOCK-55 "は着陸から1時間半後の10時36分、ローカルフライトに離陸。
11時30分,着陸しましたがトラフィックの関係でニッピ山へ登る時間が無く「お墓」から撮影。

P2V-7/4655号機は1963年2月11日、VP-2に配備。
1977年12月23日、7億円をかけてVSA機に改造された4655は初飛行に成功。
1978年3月13日、VX−51に配属。VSA研究終了後はVX-51のテストパイロット養成に使用されました。
1983年2月9日、用途廃止となり、下総基地で解体処理されています。




M.WADA 2022/03/24(Thu) 10:17 No.4388
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

昨日、8時前に上がった2機のF-35B(VK)は岩国へ帰り
6機のMV-22B(EP-01/03/07/08/11/14)も岩国へ向かいました。

EPと言えば、自分はベトナムからニッピに運び込まれたCH-46の尾部を撮っただけで、
飛行中のEP/バートルは撮れず仕舞いに終わっているので、
EPのオスプレイを撮れる現在のマニアの皆さんが羨ましいです。

1974年3月9日(土曜日)10時50分、T/Gを行ったED-10は10時52分、L/D.
マニアは16人がエンドに来ていました。

A-6A/155707の履歴。
VMA(AW)-225/CE-07(1969)→VA-85/AA-501(1971)→VMA(AW)-533/ED-10(1972〜1975)、
→A-6E→VA-34/AB-511(1977〜1981)→VA-165/NG-511(1981〜1982)→VA-145/NE-507(1992〜1993)、
→VA-115/NF-500(1994〜1995)→1995年4月、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/03/25(Fri) 15:07 No.4389
あの年の2月、3月- #1
1977年3月11日(金曜日)前日までNF-524機として飛んでいたKA-6D/152896号機は
T/Cを消し「VA-196」と尾部に書き込み、13時10分、厚木R/W-19を嘉手納に向けT/O.

同機は、CVN-65 USS ENTERPRISE搭載,VA-196"MAIN BATTERY"に配属替えの為、
厚木を飛び立ったものでしたが、5本タンクの旅装束で、この高さは頂けませんでした。

KA-6D/152896の履歴。
VA-65/AA-506(1967)→VA-35/NK-507(1969〜1970)→KA-6D→VA-145/NE-524(1972〜1974),
→VA-115/NF-525(1975)→NF-524(1975〜1977)→VA-196/NK-524(1977)、
→VA-134/NE-517(1982)→NE-515(1984)→NE-514(1984〜1986)→VA-35/AA-521(1990〜1991),
→VA-85/AB-520(1992)→2003年6月、ネバダ州NAS FALLONで運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/03/25(Fri) 15:09 No.4390
あの年の2月、3月- #1
1976年3月24日(水曜日)8時,羽田A滑走路/R/W-34Lを離陸し右に舵を切る全日空のトライスター。

当時、フィリピンから羽田へカラベル/CARAVELL-12が来ており、
民間機でしたが厚木でも、そのことが話題になっていたので、
撮影場所を探し探し辿り着いた現在の「京浜島、つばさ公園」のある空き地で撮影したショットです。

初めて民間機の離陸を撮った印象は「何と簡単に離陸ショットが撮れるんだろう」でした。

それから数回、羽田に通いましたが、余りに手軽に撮れてしまう「イージー」さに嫌気が射して、
以後、羽田に行くことはなくなり、いつもの「手強い」軍用機へ戻って行く事になりました。

余談ですが、自分は沖縄へ行く時は必ず「全日空」のトライスターと決めて愛用していました。

何故なら,それは1974年3月3日にフランスで起こったトルコ航空のMD DC-10の墜落事故があったからでした。

このDC-10には346人の乗客乗員が乗って居ましたが全員死亡する大事故で
そのうち48人は日本人乗客で大手銀行・生保の内定者が欧州視察の為に乗り合わせていたものでした。

又、1964年東京オリンピック、400oハードル、400oリレー銀メダリストの
米国人、ジョン・クーパーも犠牲となっていました。

そんなわけで、自分は台風でANAが欠航で飛べずJAL/DC-10やB-747しか利用できないとき以外は
原則、全日空を利用していました。

M.WADA 2022/03/25(Fri) 15:11 No.4391
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

ウクライナ戦争から目が離せません。

アメリカおよびNATO軍機がウクライナ周辺をウロウロしていますが
国連を始め世界の平和維持機能が全く役に立たないことが今回の戦争で露呈しました。

ウクライナの次は台湾・尖閣ですから、
我が国の平和・安全を担保する実効性のある対応を早急に実行することを願うばかりです。

1973年3月2日(金曜日)厚木R/W-01へ着陸するVMA-311”TOMCATS"のA-4E/151078,WL-2.
パイロットネームはMAJ CLIME.VMA-311のXO機です。 この日のマニアは一人。

A-4E/151078号機は1975年にペンシルベニア州NAS JRB WILLOW GROVE/VMA-131(QG)に移動。
1988年にVC-5(UE)に配属となり1992年4月、運用不可の裁定を受け退役。  

M.WADA 2022/03/26(Sat) 15:19 No.4392
あの年の2月、3月- #1
1973年3月22日(木曜日)ニッピから出てテストフライトにT/OしたWL-19は
厚木R/W-01へL/D. マニアは21人がエンドに来ており、その内の15人は横田組でした。

彼等は3月16日から20日にかけて降りたNG/NK/NE機の情報を聞きつけて集まったものでしたが
これ等の機体のフライトやフライインはなく、空振りに終わりました。

因みにWL-19の付けていた増タンは右側が」CF-20,左側がCF-16と書かれており、
VMA-211(CF)からの流用というのが分かります。

M.WADA 2022/03/26(Sat) 15:22 No.4393
あの年の2月、3月- #1
↑の送りショット。

この角度でやっとVMA-311の文字が確認できますがTOMCATのマーキングは主翼で隠れてしまい
余程低い離着陸かタキシングショットでない限り全貌が把握できないのが
A-4を撮る上で厄介なところでした。

A-4E/152081号機は1975年から1980年までVMA-131/QG-01でしたが
1980年1月20日、アリゾナ州MCAS YUMAからの離陸時にエンジンから出火し墜落、炎上。

M.WADA 2022/03/26(Sat) 15:23 No.4394
あの年の2月、3月- #1
↑と同じ日の午後、運用滑走路が01から19に変わりニッピからテストフライトに上がったWL-4は
15時にR/W-19へ降りて来ました。パイロットネームはCAPT TONY BORN , P/E CPL KOFFMAN.

A-4E/152070の履歴。
VMA-131/QG-01(1975〜1986)→VF-45/AD-613(1986〜1991)→AD-13(1992〜1994)、
1994年7月12日、AMARC入り。
2001年7月17日、オレゴン州 McMinnvilleのEVERGREEN AVIATION MUSEUMでJOHN McCAINの手により、
修復作業が行われました。

M.WADA 2022/03/26(Sat) 15:25 No.4395
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1971年3月7日(日曜日)12時10分、厚木R/W-01へ着陸するH&MS-12のTA-4F/153508,WA-00.
同機は14時5分、岩国へ向け離陸しています。

TA-4F/153508,WA-00は1972年5月20日、南ベトナムDa Nang南東10マイルで
北ベトナム軍の戦車を機銃掃射中、SA-7ミサイルの攻撃を受け被弾、
基地まであと僅かの地点まで飛行しましたが力尽き
クルー2名はベイルアウトし無事救助されましたが、機体は墜落炎上し失われました。

M.WADA 2022/03/27(Sun) 09:21 No.4396
あの年の2月、3月- #1
1976年3月13日(土曜日)8時、雨の厚木R/W-01をフライオフする”LIBERTY-604”。
前日、横須賀を出港した空母ミッドウェイを目指し35機のCVW-5機の先頭を切ってのT/Oでした。

M.WADA 2022/03/27(Sun) 09:24 No.4397
あの年の2月、3月- #1
1981年3月28日(土曜日)11時15分、L/Dした”PLAYBOY-21”/CY-14は
14時7分、小牧基地へ向け厚木R/W-19をT/O.

小牧基地のマニアはCY-14が撮れたのでしょうか? 気になります。

M.WADA 2022/03/27(Sun) 09:26 No.4398
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1977年3月22日(火曜日)15時45分,"WHALE-21"/CY-621は空母ミッドウェイを目指しR/W-19をT/O.

当日は8時50分から17時にかけて55機のCVW-5機がフライオフし、それをマニア6人が撮影。

EA-6A/148618号機はA2F-1Qのプロトタイプの一号機として1962年にロールアウト。
1963年4月26日、初飛行。

其の後の履歴はNATC #-1E(1964〜1966)→VMCJ-3/CY-15(1973)→VMAQ-2/CY-614(1974)、
→CY-621(1976〜1977)→CY-02(1978)→1980年3月20日,ノースカロライナ州、MCAS CHERRY PTから、
MASDC入り。→1981年5月21日,NARF ALAMEDA入り→VMAQ-4/RM-01 (1983)、
→VAQ-209/AF-604(1984)→VAQ-33/GD-116(1991〜1993)→1994年、フロリダ州NAS KEY WESTで
台座固定の展示機となる。

M.WADA 2022/03/28(Mon) 10:33 No.4399
あの年の2月、3月- #1
1978年3月3日(金曜日)厚木R/W-01を離陸しCV-41へ向かうVMAQ-2のEA-6A/151596,CY-621.
パイロットネームはVMAQ-2,DET-BのOIC,MAJ R. BRUNELL.

151596はA-6Aとして生産され1964年EA-6Aに改造.1965年,NAS PATUXENT RIVERで実験機として使用。
其の後、NATC,#596(1971)→VMCJ-2/CY-24(1972)→CY-06(1975)→CY-621(1977〜1978)、
→VAQ-309/ND-614(1981)→ND-613(1986)→VAQ-209/AF(1988),
1990年バージニア州NAS NORFOLKでスペアー機として使用。

M.WADA 2022/03/28(Mon) 10:36 No.4400
あの年の2月、3月- #1
1984年3月25日(日曜日)12時20分、日飛入りのため厚木R/W-01へ着陸するKA-6D/152910.

同機は元VA-165”BOOMERS"のNG-515だった機体で、T/C,Mdx,マーキング等は全て消されての飛来。

但し、資料からBuNo/152910はVA-165機と判明。

加えて、パイロットのヘルメットに描かれたVA-165のブーメランと国籍マーク横に描かれた緑のバンド、
そして青い増タンに黒色で小さく書かれた「VA-165」の文字からNG-515号機と断定できました。

ところで、この見慣れない青い増タンは通常使用していたものなのでしょうか?
1968年にVA-52機が付けていた以外は記憶になく、気になるところでは有ります。

152910の履歴。
VA-95/NL-520(1973)→VA-115/NF-523(1973〜1974)→VA-165/NG-520(1975〜1980)→NG-515(1980〜1982),
→NG-516(1991〜1992)→1995年、NAS ALAMEDAで廃物利用対象となるも、カリフォルニア州OAKLANDの
WESTERN AEROSPACE MUSEUMが展示機として登録しVA-95/NL-520機として修復再現。

M.WADA 2022/03/28(Mon) 10:39 No.4401
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1975年3月19日(水曜日)12時40分、厚木R/W-19へ着陸するVMCJ-1のRF-4B/153107,RM-610.

RF-4B/153107号機は其の後、VMFP-3/RF-610(1976)→RF-614(1977)→RF-23(1979)、
→1989年5月25日、AMARC入り。2008年11月28日、HVF WEST 社でスクラップ処理されています。

M.WADA 2022/03/29(Tue) 11:09 No.4402
あの年の2月、3月- #1
1975年3月27日(木曜日)14時20分,ローカルフライトの為「お墓」前のDWをタキシングするRM-622.
14時22分にT/OしたRM-622は16時15分、マニア10人が待ち受けるR/W-19へ帰って来ました。

RF-4B/153106の履歴。
VMCJ-1/RM-19(1972)→RM-610(1975)→VMFP-3/RF-22,612(1975〜1977),
1989年4月18日、カリフォルニア州MCAS EL TORO からAMARC入り。
2008年11月20日、HVF WEST社でスクラップ

M.WADA 2022/03/29(Tue) 11:11 No.4403
あの年の2月、3月- #1
1981年3月28日(土曜日)5時13分、GEMINIで自宅を出発し6時35分、横田着。

お目当ての「OS」のCO機は既にキャノピーを開け離陸前点検に入っていました。
F-4E/67-0351”NITA-71”は”NITA-72”と共にR/W-18を7時20分、ローカルフライトにT/O.

離陸から10分後には横田に舞い戻り、ローアプローチを2回実施後の7時45分に着陸。
南側国有地前の誘導路に入って来てくれました。

天気は残念ながら悪かったのですが、お目当てのシャークティース付きOS/CO機は撮れたので
10時58分には横田を出て厚木へ帰る事にしました。片道43qを走行し13時に19エンド到着。

F-4E/67−0351号機は1989年1月に韓国空軍機となり#70−351として運用されています。


M.WADA 2022/03/29(Tue) 11:14 No.4404
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1981年3月11日(水曜日)14時、アガナに向け厚木R/W-19を離陸するVP-4のP-3B/153458,YD-1.

同機は前日3月10日、6時40分、厚木を飛び立ちフィリピンのクラーク基地へ向かい、
7時間後の13時30分、クラーク到着。

給油・昼食、休息の後、14時10分、再び厚木へ向けクラークをT/O. 
7時間飛行し21時20分、厚木へL/Dしていたものでした。

VP-4では1979年11月にP-3B(MOD)”SUPER BEE"いうB型のアップデート・モデルを導入しており、
このP-3B/153458も”SUPER BEE"でしたが、その具体的性能迄は把握していません。

VP-4のホームベースはハワイのNAS BARBERS POINTですが1978年7月よりGUAM のDETを皮切りに
CUBI POINT/BARBERS POINT/MOFFETT FIELD/BRUNSWICKそしてSIGONELLAと全世界規模に
DETを展開する形をとるようになり、VP部隊の重要度が増している事がわかります。

P-3B/153458号機は1994年10月20日、AMARC入り。2003年1月8日、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/03/30(Wed) 11:05 No.4405
あの年の2月、3月- #1
1975年3月18日(火曜日)10時12分、三沢に向け厚木R/W-01を離陸するVP-31のP3B/154585,RP-25.
この日、8人のマニアがエンドに来ていました。

P-3B/154585号機は1994年6月、フロリダ州NAS JACKSONVILLEに於いて用途廃止。

M.WADA 2022/03/30(Wed) 11:08 No.4406
あの年の2月、3月- #1
1984年3月27日(火曜日)13時19分、厚木R/W-19に着陸したPM-11は13時41分、嘉手納に向けT/O.

同機はカリフォルニア州NAS MOFFETTFIELDから飛来したもので、
反時計回りに太平洋を飛行しモフェットへ帰って行きました。

P-3B/152756号機は1991年8月13日、AMARC入りしています。

M.WADA 2022/03/30(Wed) 11:10 No.4407
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

今日は春めいて桜も花盛りですが、ウクライナ戦争の停戦協議は進展が無く
世界中を巻き込んだ経済破壊を止める為にも、早期の解決を願うばかりです。

本日、ご紹介するVMFA-115"FIGHTING EAGLES"のF-4B/153036,VE-1は
泥沼のベトナム戦の末期、同隊が駐留していたタイ/NAM-PHONG AFBから
厚木のニッピへ修理のため飛来した際に仲間5人と撮影したショットです。

M.WADA 2022/03/31(Thu) 11:32 No.4408
あの年の2月、3月- #1
↑の続き。
厚木に不慣れな外来機故か,かなり高い着陸でしたが,何とか送りショットで全体像が撮れました。

当時、VMFA-115はMAG-15隷下の飛行隊としてベトナム戦に参加。

MAG-15はCOL AUBREY W.TALBERR JRが指揮を執っていましたが、
その上部組織は通常1stMAWですが、
此の時は戦時特別体制の「TF-D;タスクフォース・デルタ」が総指揮を執って居り、
TFDのCOはBGEN ROBERT W. TAYLOR。

因みにVMFA-115のCOは丁度、前任者(LT COL HENRY C.IVY JR))と後任者(LTCOL CHARLES V.SMILLIE JR))の
引継ぎ最中の為、XOのMAJ JAY N.BIBLERが臨時COとなり指揮を執っていました。

F-4B/153036の履歴。
VF-121/NJ(1966〜1967)→VF-96/NG-602(1967〜1968)→1968年5月9日、空軍からの交換パイロットとして
VF-96に編入していたCAPT JOHN HEFFERMANとRIOの1/LT J.G.FRANK SCHUMACHERは北ベトナム軍のMIG-21に対し、
AIM-7”SPARROW"ミサイルを発射し撃墜。153036はMIG KILLER機となりました。

→VMFA-323/WS(1968)→VMFA-115/VE(1968〜1971)→VE-00(1971)→VE-000(1973)、
→VE-1(1973〜1975)→F-4N→VMFA-321/MG-10(1977〜1980)→1981年1月21日、アリゾナ州MCAS YUMAで
着陸事故を起こし用途廃止。

M.WADA 2022/03/31(Thu) 11:34 No.4409
あの年の2月、3月- #1
1980年3月12日(水曜日)13時20分、厚木R/W-01へ着陸するVA-1の#41??
ではなく、VA-115のNF-506機であり、塗装途中の姿でした。

同機は以前VA-128"GOLDEN INTRUDERS"の所属機(NJ)-841番機で、2月29日に厚木へ飛来していたもの。

自衛隊機では、先ず有り得ないジョークを本気でやってしまう米海軍機の真骨頂、此処に有りですね!
因みに、此の時のC/Sは”NF-505”でしたが、実際はNF-506に落ちついています。

A-6E/161089の履歴。
VMA(AW)-242/DT-03(1979)→VA-128/NJ-841(1979〜1980)→VA-115/NF-506(1980〜1981)、
→NF-502(1981〜1983)→NF-513(1983)→VA-52/NL-507(1984〜1985Z)→VA-115/NF-504(1986)、
→VA-115/NG-502(1996;NAS WHIDBAY ISLAND,WA)→1996年11月12日、AMARC入り。
1999年3月16日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/03/31(Thu) 11:37 No.4410
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

1975年4月1日(火曜日)11時47分、空母ミッドウェイを目指し厚木R/W-19を離陸する”RM-610”。
この日はCVW-5機28機がCVA-41へフライオフ。それをマニア15人が撮影していました。

因みにVMCJ-1は3か月後の7月1日に新編されたVMFP-3に機材を移行し翌9月2日に解散しています。

M.WADA 2022/04/01(Fri) 11:46 No.4413
あの年の2月、3月- #1
↑の2年前の1973年4月28日(土曜日)ローカルフライトに飛び立ったRM-23は
厚木R/W-19でT/G後、13時30分L/D. マニアは10人がエンドに来ていました。

RF-4B/153111号機は1974年11月3日、空母ミッドウェイへの着艦に失敗し海上へ墜落。
この事故で海兵隊パイロット、1/LT PAUL V.DUNCANが死亡し”RM-605”は失われました。

M.WADA 2022/04/01(Fri) 11:51 No.4414
あの年の2月、3月- #1
1973年4月22日(月曜日)10時42分、厚木R/W-01をローカルフライトにT/Oした”NF-200”は
12時23分、T/G後、12時25分にL/D. パイロットネームはCDR JOHN B.STREIT,CAG.

この日エンドに来ていたマニアは9人でした。

M.WADA 2022/04/01(Fri) 11:53 No.4415
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

今から51年前の1971年4月23日(金曜日)ニッピから出たF-4B/152992/VE-00は
テストフライトに飛び立ち、11時45分、厚木R/W-19へ着陸。

ところが通常よりかなり低い高度でファイナルアプローチに入り大きく外側へ膨らんだ為、
内側へ切れ込みながらの着陸となりました。

その影響で斜め前のアングルが木立に遮られ撮れず、
辛うじて撮影出来た時は、機体がかなり小さくなっての送りショットの一枚のみ。

アプローチの失敗と低すぎる着陸高度、そして19側に生える木立という三つの要因が絡み合い
思ったようなショットが撮れなかったVE-00のL/Dでした。

何より悔やまれるのは「黒鼻のVE・ファントム」それも「00」だったという事。
自分は「黒鼻VE」機を撮ったのは此の1機だけですからショックは大きかったのです。

VEのファントムで黒鼻だったのはベトナム戦中のVE-7/152259くらいしか思い当たらないのですが、
何方か他に「黒鼻のVE」を撮った方は居られるのか、気にかかるところです。

また一つ厄介な問題は、此のVE-00の所属部隊確定という問題が有ります。

これはニッピ入りした機体に常に付きまとう問題で、VE-00に関して言うと、
2月25日(木曜日)にニッピ入り時点のVMFA-115の所属は南ベトナムCHU-LAI/MAG-13でしたが、
ニッピを出てテストフライト時点でVMFA-115は岩国へ移動しMAG-15に所属していました。

今回VE-00を投稿するにあたり、写真のデータは「日にち」を基にMAG-15としましたが、
VE-00の機体自体は、MAG-13時代のままと見えます。

このような時、皆さんはどのように判断・対処されていたのでしょう?
何か良い解決法が御座いましたら、ご教授下さい。

M.WADA 2022/04/02(Sat) 13:58 No.4416
あの年の2月、3月- #1
↑から3年後にVE-11となって厚木に飛来した152992。
F-4B/152992の履歴を以下に記して置きます。

VF-96/NG-604(1964〜1967)→VMFA-115/VE-00,2,11(1971〜1974)→VMFA-351/MC-5(1976)、
→VMFA-531/EC-02(1982)→F-4N→1983年10月13日、カリフォルニア州NARF NORTH ISLANDで退役。
現在はカリフォルニア州NAS ALAMEDAで保存中です。

M.WADA 2022/04/02(Sat) 14:02 No.4417
あの年の2月、3月- #1
1974年4月3日(土曜日)16時9分、厚木R/W-19を離陸するVMFA-115のF-4B/152327,VE-7.
同機はマイナートラブルの為、10分後に緊急着陸。

この日はCVW-5機22機がフライインし、それをマニア8人が撮影。


VF-14/AB-101(1966〜1967)→VMFA-251/DW-3(1970)→VMFA-351/MC-7(1975〜1976)→F-4N,
→VF-202/AF-2xx(1983)→1983年9月7日、テキサス州NAS DALLASで運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/04/02(Sat) 14:04 No.4418
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

昨日ご紹介したVE-00同様、今日ご紹介するVE-14も1971年3月に南ベトナムCHU-LAIのMAG-13から、
岩国のMAG-15にVMFA-115が移った時期に厚木で撮影したショットです。

F-4B/151498,VE-14の厚木での動きです。
1970年12月17日、南ベトナムCHU-LAIより修理の為に厚木のニッピへ飛来。
1971年3月11日、日飛修理工場より曳き出されニッピ・エプロンへ駐機。
同,3月15日にテストフライト実施。 3月17,18日の両日、南のカドのエンテス場でエンジン調整。
3月24日と29日に再びテストフライト実施。 4月5日、岩国へ帰投。

この頃、日飛へ飛来したMAG-13のVEのファントム達は殆どが胴体にパーソナル・ネームを書き込んでおり、
俄然、撮影意欲は高まりましたが、VE-00の例の通り、思うようには撮影が出来ず
何度も悔しい思いをさせられました。

F-4B/151498号機の履歴。
VMFA-115/VE-14(1970〜1971)→F-4N→VMFA-314/VW-11(1977)、
→1977年10月20日、カリフォルニア州NAS POINT MUGUをT/OしたVW-11は海上に墜落し水没。

M.WADA 2022/04/03(Sun) 15:20 No.4419
あの年の2月、3月- #1
1974年4月28日(日曜日)厚木R/W-19へ着陸するVMFA-115のF-4B/153006,VE-4.

M.WADA 2022/04/03(Sun) 15:22 No.4420
あの年の2月、3月- #1
↑の送りショット
F-4B/153006の履歴。
VMFA-314/VW-3(1968)→VF-154/NE-401(1968)→VMFAT-101/SH-14(1969)→VMFA-115/VE-4(1972〜1974)、
→VMFA-351/MC-4(1976)→VMFAT-101/SH-24(1979)→F-4N→VMFA-531/EC-xx(1980)、
→1981年11月5日、MASDC入り→1985年1月22日、USAF #FP-004としてユタ州HILL AFBでABDR機。

M.WADA 2022/04/03(Sun) 15:24 No.4421
あの年の2月、3月- #1
↑と同じ日、厚木R/W-19を離陸し岩国へと向かうVMFA-115のF-4B/153057,VE-13.
F-4B/153057号機の履歴。

VF-114/NH-210(1968)→VMFA-115/VE-13(1974〜1975)→F-4N,
→1982年3月11日、カリフォルニア州NAS NORTH ISLANDで運用不可の裁定を受け退役後スクラップ処理。

M.WADA 2022/04/03(Sun) 15:26 No.4422
あの年の2月、3月- #1
皆さん、こんにちは。

今日は横田で撮影した8TFW/F-4Dのショットを3枚ご紹介致します。

1976年4月11日(日曜日)10時20分、横田R/W-36を離陸する80TFSのF-4D/66-7722,WP#722を
厚木から来たマニア4人と共に撮影。

F-4D/66-7722号機の履歴。
9TFS/49 TFW(1970〜1971)→8TFS/49TFW(1973)→80TFS/8TFW(1976 )、
→DC ANG,121T TFS/113 TFW(1983〜1988)→1990年1月11日、AMARC入り、
→1997年5月12日、ミシガン州TALORにあるFRITZ ENTERPRISE社でスクラップ処理。

M.WADA 2022/04/04(Mon) 13:57 No.4423
あの年の2月、3月- #1
↑と同じく10時20分に離陸した35TFSのF-4D/66-8794,WP#794。
同機の履歴
457TFS/301 TFG(1973)→80TFS/8TFW(1976)→160TFS/187 TFW(1988〜1989)、
→1998年6月29日、FITZ ENTERPRISE社入りの後、スクラップ。

M.WADA 2022/04/04(Mon) 14:02 No.4424
あの年の2月、3月- #1
↑と同じ機体ですが、2週間後に所属が35TFSから80TFSに変わっていました。

M.WADA 2022/04/04(Mon) 14:05 No.4425
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