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あの年の6月、7月- #2

#4720でM.WADAさんからご紹介された夕暮れ寸前のKUショットです。
この時はASA(ISO)25での撮影は無理な光線状態だったと思われましが、何というか勢いというか精神集中ができたのかもしれません。
おかげで貴重なカラー写真が残せたと思っています。

200mmで撮影(トリミングしてあります)。

MACH3 2022/07/14(Thu) 17:40 No.4739 [返信]
Re: あの年の6月、7月- #2
このショットも何度かUPし海外のHPにも無断で使用されています。
RWYに乗ったところを通称オカルト400mmで撮影、シャッターを押すまでほとんど息を止めていたと思います。(トリミングしてあります)

MACH3 2022/07/14(Thu) 17:44 No.4740
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

安倍元首相が7月8日に暗殺され、早くも8日が過ぎました。

7月14日,夜,岸田総理が9月に,日本武道館に於いて安倍元総理の国葬を行う方針を表明しました。

「国葬」は吉田茂・元総理大臣に続いて二人目となり、
彼の死が如何に大きなものであったか、又、偉大な日本の指導者であったかの証だと思います。

自分も、これ程「他人」に対して長く涙した事は無く「国葬」とした判断は妥当だと思いました。

安倍氏暗殺の経緯に関しては現在、色々な憶測が飛んでいますが、
時間の経過と共に警察の手で真実が明らかになる事を願うばかりです。

まあ、いつまでも嘆き悲しんでいても、しょうがないので、CTBBSの投稿に戻る事に致します。

>MACH3さん
AJ-201の「流し撮り」、決まっていますね、流石です!

「一見」すると、普通のタキシングショットに見えてしまうほど”完璧”に止まっていますね。

ランウェイ上のショットも合わせ「トリミング」したとは判らないような画像で「K-II」の凄さを
見せつけてくれたMACH3さん”渾身”のショットに魅入ってしまいました。


それでは先ず最初、HAMANOさんが1973年7月8日(水曜日)NAF NAHAで撮影した
VMA-311”TOMCATS"のA-4E/151096,WL-18からです。

此の撮影場所は米軍のビーチから撮ったとの事ですが、
自分は其処迄行き着くのに長い距離、海岸線を歩くのが嫌で一度も行ったことがありませんでしたが、
写真を見ると、絶好の撮影ポイントだっとことが分かり、行くべきだったと後悔しています。

A-4E/151096はUE-05→UE-20→UE-05とVC-5に居続け、1992年3月に用途廃止となっています。

M.WADA 2022/07/16(Sat) 05:42 No.4741
あの年の6月、7月- #2
1974年6月3日(月曜日)11時40分、厚木R/W-01を離陸するVMCJ-1のRF-4B/153109,RM-604.

RF-4B/153109はRM-22(1972)→RM-604(1973〜1974)→RM-614(1975)→VMFP-3/RF-17(1977),
1987年10月19日、フィリピンで墜落。乗員2名は救助されています。

M.WADA 2022/07/16(Sat) 05:46 No.4742
あの年の6月、7月- #2
1974年7月21日(日曜日)早朝、厚木R/W-19へ着陸したVMCJ-1のRF-4B/153101,RM-600は
燃料補給後、直ちに離陸。

日曜日の早朝で、強い南風が吹き荒れる中、突然RMのEA-6AとRF-4Bが各3機づつ、計6機がL/Dするという
「虚をつかれる」飛来で全機撮り逃がすという失態を演じてしまい気が動転。

家からニッピ山へ向かう時間的余裕も無く19の離陸側へ移動するので精いっぱいという状況でした。
由って、この日の細かい離着陸時間等のトラフィックデータは記入する時間的余裕が無く無記載。

その精神的プレッシャーと強風に身体を持っていかれRM-600の斜め前ショットは「ブレブレ」。
加えて、強風の影響で離陸高度は高目で、良かったのはスッキリと晴れ渡った「青空」だけ。

この日、エンドに来たマニアは11人。
彼等がRMを何処で何機撮れたかは定かでありませんが、天気だけは「最高」でした。

RF-4B/153101の履歴。
VMCJ-1/RM-00(1971)→RM-15(1971)→RM-600(1973〜1976)→VMFP-3/RF-10(1976)→RF-16(1981),
→RF-15(1981)→1981年5月22日、ネバダ州ELYでアクロバット飛行中に墜落。クルー2名は死亡。

M.WADA 2022/07/16(Sat) 05:48 No.4743
あの年の6月、7月- #2
1975年7月31日(木曜日)午後、厚木R/W-19へL/DするVMCJ-1のRF-4B/153093,RM-611.
同機は燃料補給後、岩国へ向けT/O.

この日、エンドに居たのは西村さんと荒川兄弟の3人だけでした。

RF-4B/153093の履歴。
RM-15(1971〜1972)→RM-611(1972)→RM-15(1973)→RM-611(1974〜975)→RM-601(1975),
→NF-611(1976)"NF"レターのRF-4Bは自分は撮れず仕舞いで終わりましたが、
自分が最も撮りたかったVMCJ-1機が、この”NF-611”でしたので悔いが残っています。
→RF-12(1982)→1989年8月9日、AMARC入り。2008年11月19日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/07/16(Sat) 05:51 No.4744
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日に引き続きまして、RM/RF-4Bのショットをお届けいたします。

1974年7月8日(月曜日)15時15分,ローカルフライトに飛び立ったRM-605は16時,R/W-19へL/D.

M.WADA 2022/07/17(Sun) 04:57 No.4745
あの年の6月、7月- #2
↑の続き。17時10分、RM-605は岩国へ向け厚木R/W-19を離陸して行きました。
此方のショットはNo-4737でご紹介したショットの前のコマで「初登場」。

そしてNo-4737はフィルムスキャナーからのデジタル化の為、良く分らなかった細部でしたが、
今回、一眼レフカメラによるデジタイズで解読できなかったインテーク・ベーンに、
「斜め書き」されていた文字も鮮明に見ることが可能になりました。

その文字は”M E GLARY"と書かれており、色々資料を分析して調べたところ、
私見ではありますが、ある一つの推論を導いてみました。

先ず、頭の"M"と"E"ですが、"ME"=私、ではなく、"M"も"E"も、誰かの名前の頭文字なのではないか?
その下に続く"GLARY"="輝く"と合わせると、その人物を称える文言と推察したのです。

その人物は、軍の「慣例」からして「故人」と見るのが正しいのではと推理しました。
そして行き着いた人物は、1973年10月22日、VMCJ-1,DET-101のEA-6A/156980,RM-611の事故でした。

この事故でVMCJ-1所属のクルー2名が亡くなり、その氏名は1stLT DAVID MOODYと1stLT JOT EVE.
二人の名前の頭文字はMOODYの"M"、EVEは"E", RM-605に書かれていた文字と一致します。

つまり、あの文字は,この二人を偲び、称えた文字だったのではと自分は思うのですが
皆さんは、どのようにお考えでしょうか?

M.WADA 2022/07/17(Sun) 04:59 No.4746
あの年の6月、7月- #2
1974年7月21日(日曜日)早朝、RM-600と共にL/DしたRF-605は、給油後。直ちに離陸。

M.WADA 2022/07/17(Sun) 05:03 No.4747
あの年の6月、7月- #2
こちらは、その送りショット。

M.WADA 2022/07/17(Sun) 05:07 No.4748
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年7月21日(日曜日)早朝、3機のRM/RF-4Bと共に厚木へ飛来して来たのが3機のEA-6Aでした。

高い高度+逆捻り+一瞬、太陽が雲の陰に入るというトリプルパンチを食らったRM-614の上り。

EA-6A/156984の履歴。
RM-4(1973)→RM-614(1973〜1974)→RM-534→624(1975)→VMAQ-2/CY-13(1977)→VAQ-209/AF-702(1986),
→VAQ-33/GD-102として2002年10月、インディアナ州SIOUX CITY APに留め置き。
2008年になってSIOUX CITYにあるWANER MUSEUM OF AVIATION & TRANSPORTATIONに引き取られる。

M.WADA 2022/07/18(Mon) 04:54 No.4749
あの年の6月、7月- #2
同じく、RM-612も上がって来ましたが、こちらは幸運な事に低い離陸高度を維持してくれました。
残るRM-613は着陸後、マイナートラブルが発生し離陸できず居残りとなりハンガーへ。

此処まで手帳を確認しながら気づいたのは、
この早朝のRM機の飛来はCVA-41からのフライインであった事でした。

CVA-41 USS MIDWAYは7月22日(月曜日)の朝、横須賀へ帰港していました。
気が付くのが遅れ失礼いたしました。

RM-613は修理に手間取り離陸出来たのは着陸から3日後の7月24日(水曜日)9時でした。

M.WADA 2022/07/18(Mon) 04:57 No.4750
あの年の6月、7月- #2
「月」がCTBBSのテーマと異なりますがお許しを。
1975年4月1日(火曜日)、EA-6A/156989号機は塗装を一新して厚木に現れました。

7時25分、前日、横須賀を出港した空母ミッドウェイを目指しフライオフしたRM-612は
再び厚木に戻って来ました。

写真は着陸前に前方の着陸機がR/W上に居た為、ウェーブ・オフしたところを捉えたショットです。

それにしても「地味」な部隊の筆頭株だったVMCJ-1が部隊解散直前になって見せてくれた此の塗装は
我々マニアにとって大きなプレゼントとなり撮影にも”気合”が入りました。

EA-6A/156989の履歴。
RM-9(1970)→RM-2(1970〜1973)→RM-612(1973〜1975)→RM-532→622(1975),
1975年4月29日〜30日にかけてCVA-43 USS CORALSEAから発艦したRM-612は
サイゴン陥落に伴う米軍関係者の退去支援として深夜、北ベトナム軍への戦闘ミッションを実行。
これがRM-612の最後の実戦フライトとなりました。
→CY-622(1976〜1977)→VAQ-309/ND-612(1980〜Feb'89).

M.WADA 2022/07/18(Mon) 05:00 No.4751
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年5月30日(木曜日)16時5分,
厚木R/W-19へVMA(AW)-533のA-6A/155679,ED-1が着陸しニッピ入りしました。

それから23日後の7月22日(土曜日)、
日飛の整備工場から曳き出されたED-1は駐機場で11時40分から12時にかけてエンジンテストを実施。

この日は14時40分までR/W-01運用だったので、午後の定位置「御神木の丘」からED-1の動きを注視。
すると、12時46分、ACLが点滅し始めた為、急いで南のカドへと自転車を走らせました。

しかし、いくら待ってもED-1はタキシーアウトせず、ACLも消えてしまいました。
仕方なく、エンドに帰ろうとした其の時、ED-1が音も無く動き始めたのです!

慌てて眼鏡で確認すると牽引車に曳かれ、此方に向かってくるではありませんか!!
「エンジンテスト」だっ。 そして撮れたのがご覧のショットという訳です。

この日の外来機はRG-404が1機撮れただけでしたので
例えエンジンテストでも、海兵隊機が撮れた事は、とても「有難い」事でした。

その”美味しい思い”が出来たマニアはゲンちゃん,一朗太,ポチさん,長久保さん,若様の5人でした。

それにしても、一枚の写真を撮るまでに、これ程の労力と情熱を必要とする
「外撮り軍用機写真」というのは、かなり専門的で稀有な分野の写真と言えるのではないでしょうか?

又、その苦労が写真からは全く伝わってこない、という事でも
努力が報われない、アピール出来ない最たるものが「ヒコーキ写真」と言えましょう。

M.WADA 2022/07/19(Tue) 04:59 No.4752
あの年の6月、7月- #2
エンジンテストから4日後の7月26日(水曜日)ED-1は再びエンジンテストを実施後、
15時56分、テストフライトに向けてR/W-19を離陸。17時44分、着陸しています。

写真は「お墓」前の誘導路”DW"をタキシングしてテストフライトに向かうED-1です。

M.WADA 2022/07/19(Tue) 05:03 No.4753
あの年の6月、7月- #2
↑の続きショット。此の時は8人のマニアがED-1を撮影していました。

M.WADA 2022/07/19(Tue) 05:05 No.4754
あの年の6月、7月- #2
1979年6月17日(日曜日)空母ミッドウェイを飛び立ったRG-426は17時20分,YOKOTA アプローチにコンタクト。
17時36分、RG-426が厚木R/W-19へ着陸するところをマニア63人と撮影。

この日はCVW-5機のフライインがあり11機がL/D.

M.WADA 2022/07/19(Tue) 05:07 No.4755
あの年の6月、7月- #2
RG-426の垂直尾翼には"SERVICE LIFE EXTENSION PROGRAM, SLEP, C-2 GRAY HOUND"と書かれたワッペンが
張り付けられていたので、後日、再び撮影しようと考えていましたが、
翌日の7時15分に嘉手納に向け離陸し撮り逃がしてしまいました。

M.WADA 2022/07/19(Tue) 05:10 No.4756
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1979年7月23日(月曜日)シャークティースのOS/F-4Eが降りたとエンドで聞き,
時間的に間に合わないかもしれませんでしたが厚木の仲間と横田へ向かう事にしました。

すると、幸運な事にOSのF-4Eは未だ離陸準備中で、ギリギリ間に合い
タキシングショットを撮る事が出来たのです。

"BEN-31"FLIGHTは13時5分、OSANに向け横田R/W-36を離陸して行きました。

M.WADA 2022/07/20(Wed) 06:22 No.4757
あの年の6月、7月- #2
1980年6月13日(金曜日)10時30分、グアム、ANDERSEN AFBを飛び立った6機のF-4C”PELON-81”FLIGHTは
12時30分、横田に到着。

クルーの昼食中に給油と点検を済ませたファントム達は
横田R/W-18を離陸し彼らの最終目的地であるMISAWA ABへと向かいました。

この6機のファントムはハワイANG、199thTFS所属のF-4C達でした。

写真は1機だけ存在したグレー塗装のF-4C/64-0785,”IWA"。
"IWA"(アイバ)とはハワイの言葉で「カメハメハ5世」のこと。

M.WADA 2022/07/20(Wed) 06:26 No.4758
あの年の6月、7月- #2
1980年6月16日(月曜日)空自機とのDACTを終え三沢基地へ戻って来たハワイANGのF-4C/63-7647,"ALAE"ULA.
インテーク・ベーンには"MIG KILLER"を示す赤いスターマークが描かれていました。

これは1967年6月5日に、555thTFSのMAJ R.M.PASCOEとCAPT N.E.WELLSが北ベトナム上空の空中戦で
MIG-17を撃墜した事に由来したものでした。

"ALAE ULA"(アラエ・ウラ)とはハワイ語で「夜明けの陽光」の意味。

又、此の時、トランスパックして来たハワイANGのF-4がANGファントムの初来日ともなっています。

M.WADA 2022/07/20(Wed) 06:29 No.4759
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年6月27日(月曜日)、HAMANOさんが嘉手納で撮影したVMFA-232のF-4J/155783,WT-00.

F-4J/155783の履歴。
WT-01(1976)→WT-00(1977)→VMFA-333/DN-110(1981)→F-4S→VF-201/AF-101(198x)→VF-202/AFxxx,
1986年12月10日、テキサス州NAS DALLASからAMARC入り。
2008年10月3日、アリゾナ州HVF WEST社でスクラップ処理。

M.WADA 2022/07/21(Thu) 05:09 No.4760
あの年の6月、7月- #2
此処からは自分のショット。

1975年6月7日(土曜日)12時35分,嘉手納R/W-23R離陸に向けタキシングするVMA(AW)-533のA-6A/157024,ED-2.
パイロットネームはMAJ A.R.RIDEOUT.

A-6A/157024の履歴。
VA-52/NH-507(1972)→ED-2(1973)→ED-00(1974〜1975)→ED-2(1975)→A-6E→VA-115/NF-515(1991〜1994),
→1994年、バージニア州NAS NORFOLKで用途廃止。
2003年8月、バージニア州RICHMONDのDEFENCE SUPPLY CENTERで展示。

M.WADA 2022/07/21(Thu) 05:11 No.4761
あの年の6月、7月- #2
1974年6月1日(土曜日14時50分,ローカルフライトに向け厚木R/W-19へ向かうVA-115のA-6A/155711,NF-505.
パイロットネームはLCDR M.K.WONG.

A-6A/155711の履歴。
VA-52/NH-501(1971)→VA-145/NE-501(1972〜1973)→NE-503(1974)→NF-505(1974〜1977)→A-6E,
→VA-155/AA-502(1987〜1988)→VA-55/AK-555(1989)→VA-115/NF-502(1990〜1993),
→1993年NF-511としてワシントン州NAS WHIDBEY ISLANDからAMARC入り。
2014年10月15日、HVF WEST社でスクラップ処理。

M.WADA 2022/07/21(Thu) 05:13 No.4762
あの年の6月、7月- #2
1975年7月7日(月曜日)8時52分、訓練の為R/W-19を飛び立ったNF-511は10時55分、T/GHを1回行い、
11時丁度、L/D. パイロットネームはLT LARY MAXWELL.

A-6A/155718の履歴。
VA-52/NH-510(1970〜1971)→VA-145/NE-500(1972)→NF-511(1973〜1977)→A-6E→VMA(AW)-224/WK-505(1980),
VA-55/AK-505(1985〜1986)→VA-35/AJ-504(1989)→AJ-501(1990〜1991)→1994年4月、NAS NORFOIKで用廃。

M.WADA 2022/07/21(Thu) 05:14 No.4763
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1973年6月8日(金曜日)厚木R/W-19へVAW-111のE-1B/148124,NE-015がCVA-61よりフライイン。
他に飛来機は無く、空母所属のC-1Aが降りただけという、寂しいものでした。

翌6月9日,横須賀へ空母レインジャーが入港.3日後の6月12日に出港と慌ただしく去って行きました。
その空母を追いかけて、南のカドを回ってNE-015が1機だけの「フライオフ」。

但し、この話は手帳からの抜粋で、実際には自分はNE-015は撮り逃がしており、
今回アップした写真は西村さんから頂いたスライドを使ったものでした。

この頃の自分は「天気」が悪いと撮りに行かないという行動を繰り返していた為、「撮り逃がし」が多発。
随分と、勿体ない事をしてしまっていました。

M.WADA 2022/07/22(Fri) 04:47 No.4764
あの年の6月、7月- #2
此のショットも西村さんの撮影したVQ-1のEP-3B/149678,PR-31.
撮影日は1972年6月24日(土曜日)。

この日、3機のEKA-3B/NG-614/615/616が厚木からフライオフし、マニア4人が撮影していました。

M.WADA 2022/07/22(Fri) 04:50 No.4765
あの年の6月、7月- #2
此処からは自分のショット。
1977年6月13日(月曜日)12時5分、厚木R/W-19を離陸するPR-31.
エンジンスタートから離陸迄、何と2時間もかかるスローさで、呆れてしまいました。

手前の”小山”は、当時基地内で行われていた建設工事で出た残土や瓦礫等を
ゴルフ場周辺の窪地に運び込んで出来た”盛り土”の山でしたが、
ブルトーザーで整地され、アッという間に消えて行きました。

M.WADA 2022/07/22(Fri) 04:52 No.4766
あの年の6月、7月- #2
1974年6月7日(金曜日)8時57分、厚木R/W-19をミッションに飛び立つVQ-1のEC-121M/145940,PR-25を
ニッピ山の樹上から撮影。

此の時期、VQ-1ではEC-121とEP-3の2本柱で任務に就いており、新・旧の偵察機が一日で撮れる日もあり、
常連マニア、特に長久保さん、ゲンちゃん、若様は時間の許す限り連日のように姿を現していました。

皆が特に狙っていたのが新・旧機を一つの画面に写し込む事でしたが、
其のタイミング、確率は非常に低く自分は実現せずに終わっています。

M.WADA 2022/07/22(Fri) 04:56 No.4767
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1972年7月8日(土曜),此の時期,自分は単位取得に忙しく思うように撮影が出来ませんでしたが、
無理をして時間を作り、空母コーラルシーが入港中の横須賀へ駆けつけました。

ところが、不運な事にその日は「抜き打ちの艦内査察」が行われており部外者は”乗船禁止”。
仕方なく、桟橋から撮影する事にしましたが、それも認められず退散となりました。

結局、数枚撮影しただけで終わり、それ以降、時間が取れずCVA-43は7月12日(水曜日)に
横須賀を出港し本国へ帰ってしまいました。

厚木にはC-1Aさえ降りず、入港後に突然3機のEKA-3B/NL-610/611/612がキュービーから飛来し、
7月13日(木曜日)7時にフライオフしたため、L/D、T/O共に撮れずでしたので、
横須賀で撮った数枚のショットだけという情けなさでした。

写真は、乗船できず”放心状態”で撮ったCVA-43の「SAYONARA」ショット。

M.WADA 2022/07/23(Sat) 04:50 No.4768
あの年の6月、7月- #2
僅かに撮れたショットの一枚はVF-111"SUN DOWNERS"のCO機、NL-201.
このF-4B/153019は1972年3月6日、北ベトナム上空の空中戦でMig-17を撃墜した"MIG KILLER"でした。

又、同機は1966年12月20日にVF-213/NH-110号機として北ベトナム上空でAn-2を撃墜した”猛者”。

M.WADA 2022/07/23(Sat) 04:53 No.4769
あの年の6月、7月- #2
NL-201の左側に居たのがVF-51のCAG機、NL-100.

M.WADA 2022/07/23(Sat) 04:56 No.4770
あの年の6月、7月- #2
此のF-4B/150456号機も"MIG KILLER"で、1972年5月6日、THAN HOAの西、25マイルのBAI THUNG AIR FIELDで
2機のA-6A/VMA(AW)-224,NL-51x、51xをTARCAP中、迎撃に現れた北ベトナム軍のMIG-17と空中戦となりました。

パイロットのLCDR JERRY "DEVIL"HOUSTONはRIOのLT KEVIN MOOREと共にMIG-17の300フィート後方から
トリガーを押し"AIM-9G"を発射。サイドワインダーは敵機の後部に命中。

機体後部が吹き飛び爆発炎上しながら地上に落下。
その間に、ウイングマンのLCDR CHUCK SCHROEDERとRIOのLT RICK WEBBはA-6Aの護衛とNL-201を
UHFを介してサポートしました。

M.WADA 2022/07/23(Sat) 04:57 No.4771
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

今回は数少ないCVW-8(AJ)機のカラーショットを紹介します。

今から52年前の夏はCVW-8機(AJ)が連日、連夜、厚木上空を乱舞していました。
然し、天気には恵まれず、晴れたのは僅かで、悔しい思いをさせられ通し。

スカッと晴れたのは「フライ・オフ」当日の7月24日(金曜日)だけでしたが、
カラーフィルムを忘れて持って来ず、モノクロのTRI-Xだけという為体。

最後まで「ツイていない」CVW-8機との関りでした。

1970年7月21日(火曜日)ローカルフライトを終え厚木R/W-19へL/DするVA-172のA-4C/147673,AJ-304.

A-4C/147673は1975年11月13日、MASDC入り。1983年1月10日、マレーシアへFMSで供与されています。

M.WADA 2022/07/24(Sun) 05:09 No.4772
あの年の6月、7月- #2
AJ-304と同じ日、VA-12”FLYING UBANGIS"のCAG機、AJ-400もフライトを実施。

このA-4C/148536は一年後の1971年4月6日に早くもリタイアしMASDC入り。

1983年8月22日、アリゾナ州GILA BENDのGOLDWATER RANGEでターゲットとして使用とする一方、
A-4Sに改造されシンガポールAF#620となって運用されたという二つの記載があります。

M.WADA 2022/07/24(Sun) 05:13 No.4773
あの年の6月、7月- #2
7月24日にフライオフした機体とは別にNIPPIやペイントショップ・ハンガーに押し込められた
CVW-8(AJ)のF-8H,A-4C/Eも15機前後存在し、10月にかけて整備が終えた機体から順に
テストフライトを行い、戦闘中の空母シャングリラへと戻って行きました。

その中の1機が、此方のA-4E/151178,AJ-515.撮影は8月20日(木曜日)。
テストフライトを行い、厚木R/W19へ戻って来たところのL/Dショットです。

A-4E/151178号機はVC-5/UE-14だった1987年11月15日、エンジンから発火し墜落しています。

M.WADA 2022/07/24(Sun) 05:14 No.4774
あの年の6月、7月- #2
此方のAJ-010もマイナートラブルで厚木居残り組の1機であったことが功を奏し、
”薄晴れ”でしたが「陽」の当たったE-1を撮影することが出来たのは有難かったです。

M.WADA 2022/07/24(Sun) 05:16 No.4775
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1975年6月8日(日曜日)午後、厚木を離陸した2機のVA-212”RAMPANT RAIDERS"のA-4Fは
15時25分、嘉手納R/W-23RへL/D。 厚木ではMACH3さんが「お墓」からNP-307/314のタキシングを撮影。

NP-314として運用されたA-4F/154970号機は1993年8月26日、AMARC入り。
1997年4月、アルゼンチン海軍へスペア取り機用として売却されました。

M.WADA 2022/07/25(Mon) 05:48 No.4776
あの年の6月、7月- #2
↑と前後して厚木を飛び立ったVA-164"GHOST RIDERS"のA-4F/NP-406.414も
NP-307と同様、15時18分、嘉手納R/W-23RへL/D.

厚木で撮影していたMACH3さんのショットも気になりますが、
デジタイズ、終わっていますかね?

A-4F/155034号機は1994年3月29日、AMARC入り時、実機のMSN#は13806=154990でしたが
154990号機は1973年にイスラエル空軍となっているので、これ以上の究明は出来ない状態です。

M.WADA 2022/07/25(Mon) 05:52 No.4777
あの年の6月、7月- #2
此方は厚木からではなく空母ハンコックから14時10分、
嘉手納へ飛来したVA-55"WAR HORSES"のA-4F/154194,NP-514.

先頭を切って降りて来たNP-500は嘉手納での撮影が不慣れで頭上を通過され撮影は出来ませんでした。

A-4F/154194は1983年6月22日、VMA-133/ME-03機としてウィスコンシン州
HARTWOOD BOMBING & GUNNERY RANGEに於いて訓練中に墜落し機体は失われました。

M.WADA 2022/07/25(Mon) 05:54 No.4778
あの年の6月、7月- #2
着陸ショットでミスを犯してしまったNP-500でしたが15時40分過ぎ、
NP-500はエンジンスタートし空母帰投に向け誘導路に出て来てくれました。

M.WADA 2022/07/25(Mon) 05:57 No.4779
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショットでNP-514が後方に写り込みました。
15時55分、NP-500はNP-514と共に嘉手納R/W-23Rを離陸し空母に帰って行きました。

A-4F/154173号機は1997年4月A-4ARに改造されFAA #C-937としてアルゼンチン空軍機となっています。
近年、SAN LUIS郡、JUSTO DARACTのSANTA ROMANA INTERFORCES REGIONAL MUSEUMで保管中。

M.WADA 2022/07/25(Mon) 05:59 No.4780
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

今回は"NAS AGANA"のベースフライト機のご紹介と致しました。

1974年6月13日(木曜日)10時15分、厚木R/W-19へ降りるNAS AGANAのC-121J/131659.

M.WADA 2022/07/26(Tue) 05:38 No.4781
あの年の6月、7月- #2
着陸から1時間25分後の11時40分、R/W-19を離陸する"NAVY-31659".
同機は18時40分、再び厚木へ戻っています。

M.WADA 2022/07/26(Tue) 05:40 No.4782
あの年の6月、7月- #2
1974年5月26日(日曜日)6時30分、パイロットが到着。7時29分、エンジンスタート。

8時6分、NAS AGANAへ向け厚木R/W-01を離陸するHU-16D/137906。
"古参機"ゆえ、すべてがスローモーでした。

この日は日曜日で13人のマニアがエンドに集合。

M.WADA 2022/07/26(Tue) 05:46 No.4783
あの年の6月、7月- #2
此方はHAMANOさんが1975年6月27日、嘉手納で撮影したNAS AGANAのC-1A/146055.

M.WADA 2022/07/26(Tue) 05:48 No.4784
あの年の6月、7月- #2
同じくHAMANOさんが1981年7月13日(月曜日)、嘉手納で撮影したNAS AGANAのUC-12B/161309.

機首に何も書いていない「通常」の塗装なので、
敢て、マーキングのあるテール・ショットをご紹介致します。

""GATEWAY TO THE ORIENT"と書かれたNAS AGANAのエンブレムのデザインが目を惹きました。

M.WADA 2022/07/26(Tue) 05:50 No.4785
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年6月26日(水曜日)11時14分、ニッピからテストフライトに上がったNG-201は
11時52分、厚木R/W-19へ降りて来ました。

この日エンドに来たマニアは24人。

M.WADA 2022/07/27(Wed) 05:18 No.4787
あの年の6月、7月- #2
此方はNo-4685でご紹介したNF-200,午前中の姿で,9時39分、T/O〜11時2分,L/Dでした。

M.WADA 2022/07/27(Wed) 05:20 No.4788
あの年の6月、7月- #2
1984年6月30日(土曜日)9時49分,厚木R/W-01をT/Oした"ROCK-112"は10時52分〜57分にかけてT/Gを3回実施.

11時2分,L/D時にドラッグシュートが外れ,機首下の「RAT」を展開し、アレスティングL/Dするところを
マニア48人と撮影。

M.WADA 2022/07/27(Wed) 05:22 No.4789
あの年の6月、7月- #2
1984年7月25日(木曜日)14時、厚木R/W-19を離陸した"SWITCH BOX-201"はR-114で訓練後、
15時9分、厚木に戻りT/Gを実施したところでドラッグシュートが半開きで展開してしまい、
念のためアレスティング・フックを下ろしての着陸となりました。

今迄の経験上、ドラッグシュートを付けたファントムの着陸は
「間延び」したショットになってしまうのが分かっていたので、敢て、ほぼ正面から」狙う事にしました。

M.WADA 2022/07/27(Wed) 05:27 No.4790
あの年の6月、7月- #2
送りショットは正面からのショットより「ピント」が外れ易いので神経を集中しながらシャッターを押しました。

現在の若いマニアの方達には信じられないでしょうが、
当時は「人間」が手動で「ピント」を合わせながら撮っていた時代だったのです。

M.WADA 2022/07/27(Wed) 05:30 No.4791
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年6月1日(水曜日)9時20分、厚木R/W-01を運用中でしたが"CHECKER-01"FLIGHTは
R/W-19ディパーチャーをリクエスト。

南のカド回りを期待していたのに「あて」が外れてしまいガッカリ。
然も、悪い事は重なるもので”高~い”離陸でWでガッカリ。

4機のWP/A-4M狙いで厚木に来ていた25人のマニアはUE/A-4の離陸からタキシングへと撮影状況が変わり
慌てて「お墓」へ走った筈なので、そのショットを見て観たいものです。

自分の救いは、悪天候故、「編隊離陸」をしてくれた事位でしたが、天気が悪過ぎました。

因みに、UE-04だったA-4E/151162号機は1989年7月19日、マニラから50マイル北西、
NAS SUBIC BAYから西方の山中でフライト・トレーニング中に墜落し、
搭乗していたLT RICHARD AMBRUSTER(28歳)は死亡し機体は失われました。

M.WADA 2022/07/28(Thu) 04:46 No.4792
あの年の6月、7月- #2
1981年7月16日(木曜日)16時35分〜16時53分、厚木R/W-19へ8機のUE/A-4E,TA-4JがL/D.
翌17日は厚木AMDで一日かけて整備点検が行われました。

そして訪れた7月18日(土曜日)は稀に見る"CHECKER TAILS"デイとなり
”EVENT-THREE"、つまり、一日で3フライトするという空前絶後の"ラッキーデイ"となったのです!

惜しむらくは、一日を通して「曇り」基調で、時折、晴れ間が現れる程度で
撮影意欲を大分、削がれはしたものの、記憶に残る一日となりました。

因みに、横田でもWD/WP/VKの海兵隊機がT/O、PNのF-4が2機L/Dと盛況でしたが、
人間、身体は一つ、どうしようもありませんでした。

写真は厚木R/W-01離陸に向け「南のカド」を回るVC-5のTA-4J/155115,UE-03.
パイロットネームはCDR BILL ROBB.

M.WADA 2022/07/28(Thu) 04:50 No.4793
あの年の6月、7月- #2
UE-03、午後の着陸ショット。15時43分、晴れ間が広がった厚木R/W-19へL/D.

M.WADA 2022/07/28(Thu) 04:53 No.4794
あの年の6月、7月- #2
此方はUE-02,曇天の厚木R/W-01へ10時51分、着陸。

M.WADA 2022/07/28(Thu) 04:54 No.4795
あの年の6月、7月- #2
↑の離陸に向けてのタキシング・ショット。
パイロットネームはCDR JUAN PARON.

小さな事ですが主翼下に装着されている増槽タンクに小さく”VS-37”と書かれていました。

これは多分、キュービーでVS-37”SAWBUCKS"のS-3A/NE-7xxが帰国に際し
置いて行った「置き土産」ではないかと思われます。

M.WADA 2022/07/28(Thu) 04:56 No.4796
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日の続きです。

1981年7月18日(土曜日)南のカド回りをせず、R/W-01エンドまでタキシーバックしたUE-06.
スカイホークは機体が小さく500oでトリミングしてもこの程度の大きさが限度。

M.WADA 2022/07/29(Fri) 04:53 No.4797
あの年の6月、7月- #2
UE-06は離陸スタンバイ位置まで北進。遅れてUE-04もR/Wに進入。
此の2機のA-4E/UE-04,06は南のカドを回らず直接R/Wへ入った為、意に添わず残念でした。

M.WADA 2022/07/29(Fri) 04:55 No.4798
あの年の6月、7月- #2
2機揃ったところで、9時4分、厚木R/W-01を離陸して行きました。

M.WADA 2022/07/29(Fri) 04:56 No.4799
あの年の6月、7月- #2
此方はUE-04の"EVENT-Two"、午後のフライトの降り。時刻は15時23分、
パイロットネームはLCDR CHARLIE McDANIEL.

M.WADA 2022/07/29(Fri) 04:58 No.4800
あの年の6月、7月- #2
UE-04に続き降りて来たのがUE-06.
パイロットネームはLTJG JIM HAINWATER.

A-4E/151023はVC-5機だった1992年3月、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/07/29(Fri) 05:00 No.4801
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日に引き続きましてVC-5の話題です。

1981年7月18日(土曜日)"EVENT-Two"で14時30分,T/Oした(UE)-07は,15時33分、厚木R/W-19へL/D.

直前まで編隊を組んでいたUE-10はウエーブ・オフしてしまい"編隊着陸"は実現しませんでした。
A-4E/152001は1992年3月運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/07/30(Sat) 04:57 No.4802
あの年の6月、7月- #2
↑と同じ日の9時8分、南のカドを回り、厚木R/W-01を訓練にに向け9時15分に離陸したUE-10.

M.WADA 2022/07/30(Sat) 04:59 No.4803
あの年の6月、7月- #2
其のUE-10は10時33分、R/W-01へ着陸。A-4E/149658は1992年4月、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/07/30(Sat) 05:01 No.4804
あの年の6月、7月- #2
VC-5"CHECKER TAIL"のスカイホーク、最後はUE-14と共に9時42分T/OしたUE-15は10時55分、L/D. パイロットネームはLTJG JIM CASY.
A-4E/150056号機は1984年6月8日、ACM中にNAS CUBI POINT付近の海上に墜落。

パイロットは救助されましたが、機体は海中へ没し失われています。

M.WADA 2022/07/30(Sat) 05:02 No.4805
あの年の6月、7月- #2
今日のラスト・ショットは1972年7月17日(月曜日)、タイのNAM PNONG RTAFBからニッピ入りの為、
厚木に飛来したH&MS-15”ANGELS"のTA-4F/153489,YV-03.

機体のマーキングが荒っぽく消されているのは、ベトナム戦が激化し
隊員の疲労が激しい中での部隊移動の為で、如何に戦いが激烈かを象徴する”消し跡”でした。

TA-4F/153489は7月11日付で岩国のH&MS-12(WA)移動となり、厚木飛来時、外見的には”YV"ですが、
実際には既にH&MS-12(WA)の所属機であったと思われます。

TA-4F/153489の履歴。
VMT-103/SC-xx(1967)→H&MS-12/WA-xx(1967〜1969)→H&MS-11/TM-7(1969〜1970)→YV-03(1971〜1972),
→WA-01(1972〜1974)→WA-01(1975〜1977)→WA-167(1978〜1981)→H&MS-24/EW-xx(1981〜1989),
VF-126/NJ-615(1991〜1992)→1992年4月21日、AMARC入り。
2009年5月29日の時点でもAMARCに在籍はしていますが、機体はバラバラで無残です。

M.WADA 2022/07/30(Sat) 05:07 No.4806
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

毎日、暑い日が続き夜遅くなっても気温が下がらず熟睡できません。
1970年代は、こんなに暑くなかったような気がします。

皆さん、体調を崩さないように気をつけてお過ごし下さい。

HAMANさんが1970年6月に伊丹で撮影した5th AFのVC-118B.
大阪万博関連での飛来だそうです。

VC-118A/53-3297号機は1975年、MASDC入りし、その後ALASKA AIRLINESで運用され
1991年にアフリカへ移動。1994年7月,V-5 WACのレジで運用中,ナミビアでの着陸時に墜落。

M.WADA 2022/07/31(Sun) 04:45 No.4807
あの年の6月、7月- #2
1973年6月25日(月曜日),「爆弾槽」の扉を開けたまま南のカドをタキシングする"NAVY-33306".
トラッカーが角を回ること自体「稀」な事ですが、このようなシーンは予想外で驚きました。

US-2A/133306号機は1983年4月9日時点でAMARCに在籍中ですが、
エンジンや主翼が外され,ほぼ「廃物処理」一歩手前の状態でした。

M.WADA 2022/07/31(Sun) 04:49 No.4808
あの年の6月、7月- #2
1973年6月11日、2機のブロンコ(WB-00/07)が厚木R/W-01へL/Dし西側の外来機駐機場へ向かいました。

此の時期、WBのブロンコ(WB-00/01/12/13/14)が厚木をホームベースとしてCAMP FUJIで行われていた
米海兵隊の演習に参加し連日のようにフライトを繰り返していましたが、
厚木もNE/NG/NL/NP等の艦載機がチョコチョコ飛来していたので、
中々、CAMP FUJIまで足を延ばすのは躊躇われる状況となっていました。

写真は、珍しく南のカドまで来てくれた"SEAWORTHY-00".
P/CはSGT FAGSTAFF.
同機は後にモロッコ空軍機として運用されました。

M.WADA 2022/07/31(Sun) 04:51 No.4809
あの年の6月、7月- #2
1977年5月30日、5機のWP/A-4Mが15時32分〜17時にかけて厚木R/W-01へL/D.
翌6月1日(水曜日)9時40分〜10時10分にかけて三沢に向け順次T/Oして行きました。

写真は先頭を切って上がって来たA-4M/159483,WP-00,"MOTOR-01".
P/Cの名前はSSGT T.D.HALLADAY.

A-4M/159483は1994年3月9日,AMARC入り。
1995年11月15日、アルゼンチン空軍にA-4R,FAA/C-933として配属。
2015年9月29日、事故により損傷。

M.WADA 2022/07/31(Sun) 04:56 No.4810
あの年の6月、7月- #2
A-4M/160022,WP-2,”MOTOR-01'2"は離陸手順では方位を030°に向かうために「ライトターン」するのですが、
此の「ヒネリ」はどう見ても030°ではないですね。でも、マニアとしては勿論「大歓迎」ですが。
P/CはSGT J.P.LIPA.

この日エンドに来たマニアは23人、その内,数名はCAMP ZAMAで行われたNF-726のT/Gを撮りに
車を飛ばし座間へと向かっています。

M.WADA 2022/07/31(Sun) 04:59 No.4811
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年7月29日(月曜日),4機のVMA-211/A-4E,CF-3,12,15,16が厚木R/W-19から岩国へ向けT/O.
CF-3のパイロットネームはMAJ T.C.BYALL,"BRETT".

自分が一度に4機のスカイホークが滑走路上に勢揃いしたのを見たのは此の時の一度だけ。

もしや、と思い樹上撮影を敢行して撮ったのが此のショットです。

当然ながら、画像からは全く撮影時の”恐怖感”など伝わって来ませんが
木のテッペンで足を木に絡めつけ、両手はカメラとレンズを操作し、
強風に揺られながらの撮影は、端から見ると”正気の沙汰”ではなかったはずで、
よく、こんな事をして撮っていたもんだとスライドを見ながら思った次第です。

因みに、A-4E/149983号機は1976年12月10日、VC-2/JE-07号機時にノースカロライナ州、
沿岸上空でF-4Jファントムが誤って発射したサイドワインダーミサイルにより撃墜され
パイロットは緊急脱出し、辛くも難を逃れました。

M.WADA 2022/08/01(Mon) 04:57 No.4812
あの年の6月、7月- #2
1974年8月16日、岩国から本国へVMA-311/WLのA-4Eが帰還しましたが、
それに先立ち、5機のWL/A-4E,WL-2/11/15/16/17が7月24日(水曜日)に日飛入りして来ました。

その先頭を切って12時10分、厚木R/W-01へ降りて来たのがA-4E/152081,WL-17でしたが、
「肝心な時に限って曇る」という、厚木のジンクス通り、この日もヘイジーな曇り空の中、
仲間7人とL/Dショットを撮影。パイロットネームはLT DAVE RUNNER.

A-4E/152081はWL-17の後、1975〜1980年にVMA-131/QG-04として活動中、
1981年1月28日、アリゾナ州MCAS YUMAから離陸中、エンジンから発火、炎上しながら墜落。

M.WADA 2022/08/01(Mon) 05:02 No.4813
あの年の6月、7月- #2
次はNo-4810でご紹介致しましたWP-00ですが、portsideの映像が出てきましたのでアップ致します。
撮影日は1977年7月4日(月曜日)、アメリカ独立記念日当日の撮影です。

此の年、横田は7月2日〜4日の3日間公開され、厚木、横須賀、座間、CAMP FUJIは其々2日間公開。
同じ日に5カ所同時に公開されると、お手上げで、横田を選択した自分は他の基地はアウトでした。

ところで、とても細かい話ですがWP-00の機首には小さく「赤いカンガルー」マークが僅かに残っていました。
オーストラリア遠征時にでも描かれたものでしょうかね?
パイロットネームはMAG-12のCO, COL E.B.BUSSELL.

M.WADA 2022/08/01(Mon) 05:04 No.4814
あの年の6月、7月- #2
1970年7月18日(土曜日)、厚木R/W-19へ着陸するVA-152"MARVERICKS"のA-4E/150001,AJ-500,CAG機。
パイロットネームはCDR E.D.McKELLAR JR. CVW-8のCAGです。

A-4E/150001の履歴。
VC-5/UE-xx(1970〜1975)→VA-127/NJ-xxx(1975)→VMA-131/QG-xx(1975~1979)→QG-11(1980〜1988),
→VF-43/AD-xx(1988〜1990)→1990年10月25日、AMARC入り。
2020年12月2日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/01(Mon) 05:10 No.4815
あの年の6月、7月- #2
1980年7月7日(月曜日)、6時45分、グアム島、NAS AGANAを離陸したP-3A/152178,PG-9,"SE-746"は
17人のクルーと共に11時1分、厚木R/W-19へ着陸。

同機はカリフォルニア州NAS POINT MUGUを出発しハワイ→ミッドウェイ島→グアム島を経由して
厚木に到着したものでした。

ところが、運の悪い事にR/W-19へ着陸寸前に「機体」だけ陰ってしまいました。

本国出発から、連日、追いかけていたのに残念な結果に終わったPG-9の到着で、
手前に写る「樹木」に陽が当たっているのが、何ともショックな写真。

P-3A/152178号機は1984年4月5日、MASDC入り。
最後はアリゾナ州HVF WEST社でスクラップ処理されています。

M.WADA 2022/08/01(Mon) 05:12 No.4816
あの年の6月、7月- #2
此方のPG-6は嘉手納に部隊展開していた1981年7月18日(土曜日)11時54分,嘉手納に向けR/W-19をT/Oする、
"CJ-095"を捉えたショットです。

同機は14時40分、嘉手納にL/Dしています。
尚、P-3A/151375号機は、後にTP-3Aに改造され運用後、1995年5月16日、AMARC入り。

M.WADA 2022/08/01(Mon) 05:15 No.4817
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1973年8月17日(金曜日)厚木R/W-19へ着陸するVA-164”GHOST RIDERS"のA-4F/154193,NP-411.
パイロットネームはLT STEVE GLIBBER.

この日はNP-616(EKA-3B)がT/O,VA-55のA-4F/NP-511がL/Dし、常連マニア9人と撮影。

A-4F/154193の履歴。
VMA-134/MF-xx(1975〜1978)→MF-102(1979)→H&MS-46(1979)→VF-43/AD-0xx(1984〜1991),
→AD-21(1992〜1994)→1994年4月7日、AMARC入り。
2004年12月9日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/02(Tue) 04:53 No.4818
あの年の6月、7月- #2
1975年8月19日(火曜日)12時42分,嘉手納に向け厚木R/W-19を離陸するVA-164のA-4F/154971,NP-413.

A-4F/154971の履歴。
NP-413(1972〜1975)→VMA-142/MB-xx(1976〜1979)→MB-11(1980)→MB-xx(1981〜1988),
VC-12/JY-xx(1988)→VFC-12/AD-07(1988)→AD-7(1990)→1991年6月27日、フロリダ州NAS KEY WESTで
離陸の最中、エンジン故障が発生し墜落。

M.WADA 2022/08/02(Tue) 04:55 No.4819
あの年の6月、7月- #2
NP-413のフライトリーダーが此方のTA-4F/154622,NP-416.
パイロットネームはLT RAX BARBER / CW-5 RAN PROCTOR.

空母艦載機として厚木を訪れたTA-4FはNP-416号機が唯一でした。
その貴重なTA-4Fを撮影出来たのは常連マニア9人。

然し、これまでに発表された写真は「離陸ショット」ばかりで、
「お墓」で撮った「タキシングショット」は見たことが有りません。

振り返れば、「厚木」と分かるように「タキシングショット」を撮るべきだったのでは?
と、今は思ったりしても「過去」は取り返しがつく筈もなく、
この”一発勝負”が「ヒコーキ写真」の怖い所ですね。

TA-4F/154622のNP-416以降の動き。
VMAT0102/SC-xx(1979)→SC-32(1980)→SC-xx(1981〜1987)→VMA-322/QR-xx(1987〜1991),
1991年7月14日、マサチューセッツ州NAS SOUTH WEYMOUTHをT/OしたQR-xxは
CAPE COD BAYへ墜落。パイロットは漁船に救助されています。

M.WADA 2022/08/02(Tue) 04:58 No.4820
あの年の6月、7月- #2
1975年8月21日(木曜日)10時40分、厚木R/W-19を離陸した"CHRCKERTAIL-02"は
11時25分、着陸。常連マニア11人が撮影。

実はUE-02のフライトはUE-03と一緒に行う予定でしたが、UE-03は故障でフライトをキャンセル。
その為、UE-02は単機でのフライトを余儀なくされました。

M.WADA 2022/08/02(Tue) 05:02 No.4821
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月31日(水曜日)5時27分〜9時34分にかけてCVW-15(NL)機のフライインがありました。

虚をつかれた形の厚木飛来で最初のA-6は撮り逃がしてしまい、
最後のVA-22/A-7E、4機を、辛うじて撮影することが出来ました。

当然、早朝の時間帯ですから、マニアは自分一人だけ、
後から来た13人のマニアはエプロンを見て溜息を吐いていました。

然しこの日はCVW-15機だけではなく4機のWE/A-4Mも厚木に飛来しマニアを喜ばせました。

厚木R/W-01でローアプローチを1回実施した後、11時32分、L/Dして来たA-4M/160043,WE-2,"DIGMAN-04".
P/Cの名前はSGT JOHNNY SUMLIN.

A-4M/160043号機は1992年8月14日、AMARC入り。
1995年12月4日、A-4AR,FAA/C-931としてアルゼンチン空軍、GRUPO-5に所属し運用されました。

M.WADA 2022/08/03(Wed) 04:56 No.4822
あの年の6月、7月- #2
WE-2に続いて、11時33分に降りて来たのがA-4M/159778,WE-8. P/Cの名前はCPL KIRN PIEHLER.

A-4M/159778号機は1989年6月16日、AMARC入り。
1995年9月20日、A-4AR,FAA/C-913としてアルゼンチン空軍で運用。

M.WADA 2022/08/03(Wed) 04:59 No.4823
あの年の6月、7月- #2
11時55分、運用滑走路が01から19へ変更となり、13時40分に降りて来たのがWE-1と4でした。
この2機のスカイホークは仲間と「デニーズ」でランチを食べている最中にL/Dし「撮り逃がし」。

此の時期、昼食を仲間と大和の「デニーズ」で摂るのが恒常化していた為、
結構な数の外来機を「撮り逃がし」ていました。

その内の1機、WE-1が14時43分、厚木R/W-19を離陸するショットです。
P/Cの名前はSGT SOLOMON WRIGHT.

A-4M/160044号機は1982年10月15日、VMA-211/CF-xx機としてLT DAVID T.JONESが操縦中、
アリゾナ州PRESCOTTの西37マイルで、突然エンジン故障を起こし、爆発。

LT DAVIDは緊急脱出を試み成功。救助されましたが、機体は失われてしまいました。

M.WADA 2022/08/03(Wed) 05:01 No.4824
あの年の6月、7月- #2
12時39分、WE-2と8は"DIGMAN-04"のC/Sで厚木R/W-19を編隊離陸。

M.WADA 2022/08/03(Wed) 05:03 No.4825
あの年の6月、7月- #2
「送りショット」で何とか機体が上下で重なってくれましたが、撮影時間帯が今ひとつでした。

因みに,WEのA-4M達の「行き先」は全て浜松基地でしたので,浜松のマニアは大喜びした事でしょうね。

M.WADA 2022/08/03(Wed) 05:05 No.4826
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1975年8月15日(金曜日)終戦から30回を迎えたこの日、
横田のマニアから毎週末、岩国からクロスカントリーで横田を訪れる海兵隊機が
編隊着陸していると聞き込み,P-3や輸送機ばかりの厚木を見限り横田へ出かけました。

其の横田で朝から粘り、午後ヤットR/W-36エンドで撮れたのが此のCF/A-4Eの”編着”ショット。
目的が達成出来たので、撮影後、直ぐに厚木へ引き返す事にしました。

厚木に到着し基地内を見渡すと”NFのフライトラインに何もいない"...「空っぽ」!
その横の外来機ラインに駐機しているのはVA-164"GHOST RIDERS"のA-4FとTA-4F!!
”シマッタ〜", やっちまった〜。。。

其の光景を横からニヤニヤ笑いながら見ていた4人の常連マニアが言った言葉は、
"滅多に厚木を離れない和田さんが厚木を離れた時は何かある”
此の”ジンクス”御存じなかった? これ、マニア仲間の常識ですよ〜。

彼等が言ったことは、まんざら嘘ではなく、
この日24機のCVW-5機が厚木をフライオフ。
そしてNP/A-4F,TA-4FがL/Dと"大当たり"の一日だったのでした。

M.WADA 2022/08/04(Thu) 06:19 No.4827
あの年の6月、7月- #2
1974年7月27日(土曜日)8時30分〜16時30分の,ほぼ一日中、南側エンテス場で
エンジン調整を行ったVMCJ-1のEA-6A/151598,RM-617.

この日はPD3がL/D,RP-31がT/O,NF-312/314がL/Dしただけの「暇」な厚木でしたので、
R/W-19エンドから南のカドに撮影場所を移しRM-617につき合う事にしました。

そして撮影したのが「ハッチさん」から伝授された「秘密の撮影場所」からのショット。
此の場所は現在の仏具店(広栄堂)辺りにあった杉林の中の背の高い杉の木のことでした。

然し、此の杉の木に攀じ登るには相当な筋力と覚悟が必要でした。

何しろ、頭から杉の枯葉(針状)が大量に落ちて来て眼も開けていられない状況の中、
ささくれ立った樹を頂上まで登らなければならないので、怪我だらけになるのです。

頂上に辿り着くまでに気力・体力を使い果たし、
撮影時はヘトヘトになり、シャッターが上手く押せず"精神力"だけが頼りの過酷な撮影でした。

勿論、撮影後はR/W-19エンドに引き返す余力は無く、
家に直行し風呂に飛び込んだのは、言うまでもありません。

M.WADA 2022/08/04(Thu) 06:23 No.4828
あの年の6月、7月- #2
其のRM-617が8月5日(月曜日)15時40分,ニッピからテストフライトの為、厚木R/W-19を離陸するRM-617.

RM-617のレーダーコーンには”顔”がラフなタッチで描かれていて
右舷の方に「目鼻」が描かれていました。

M.WADA 2022/08/04(Thu) 06:31 No.4830
あの年の6月、7月- #2
其の「目鼻」が判り易いようにトリミングしてみました。
何とか、判別出来るかと思います。

M.WADA 2022/08/04(Thu) 06:33 No.4831
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1969年7月21日(月曜日)甲南のスリップ(水際の傾斜台)を降りてテストフライトへ向かう
米沿岸警備隊、US CGAS SANGLEYPOINT所属のUH-16E/1314. 撮影はHAMANOさん。

M.WADA 2022/08/05(Fri) 04:57 No.4832
あの年の6月、7月- #2
↑の続きで、テストフライトを終え甲南へ戻って来たアルバトロス。

海に浮かぶ飛行艇が撮れる甲南は以前から知っていましたが、
自分にとって1960年代,甲南は厚木から遠く、交通費も出せず「憧れ」のままで終わりました。

M.WADA 2022/08/05(Fri) 04:59 No.4833
あの年の6月、7月- #2
1970年8月6日(木曜日)厚木、東側エプロンにあったHC-7の格納庫裏から撮影したSH-3A/149696,#72.

HC-7,DET-116(South Korea)からDLG-23 USS HALSEYに搭載され横須賀に入港し、
厚木へ飛来した際のショット。

#72号機の胴体には白文字で"DET 116 NCO CLUB"と書かれていました。
因みに”NCO"とはNON-COMMISSIONED OFFICERS CLUB"の略で「非嘱託士官クラブ」を意味します。

M.WADA 2022/08/05(Fri) 05:01 No.4834
あの年の6月、7月- #2
1969年7月20日(日曜日)ニッピ裏の松林から撮影したHS-6”INDIANS"のSH-3A/1521xx,(NS)-300.

(NS)-300の置かれていた場所はニッピエプロン最南端で、
ハンガー入庫前にローターブレードを外す器具が設置された場所でした。

此の場所は外からは撮影不可能で「マニア泣かせ」の場所。

その為、色々と撮影地点を捜しましたが、辛うじて姿が確認出来たのが此の一地点だけであり、
加えて強烈な「陽炎」でBuNo等は確認出来ずお手上げでした。

このSH-3Aが出庫しテストフライトをした形跡が無く,今現在も「謎」のままです。

M.WADA 2022/08/05(Fri) 05:03 No.4835
あの年の6月、7月- #2
1984年8月14日(火曜日),厚木R/W-19へGCA アプローチするHSL-37のSH-2F/150157,TH-57,"EASY RIDER-57".

後部スライドドアー後方に描かれた「円」の中に
上下3段で"GRAY/SH-2F/THUNDER"と書かれたマーキングが確認できます。

M.WADA 2022/08/05(Fri) 05:06 No.4836
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年6月19日(水曜日)7時、スペシャルマーキングのPR-7号機にグランドクルーが乗り込みます。
7時16分、ACLが点灯。同32分、4名のクルーが車で到着。

7時42分エンジンスタート。 PR-7は7時56分、厚木R/W-01をミッションに向けT/O.
それから6時間40分後の14時49分、R/W-19へ帰って来ました。

この日は終日、暑い雲が空を覆って太陽は顔を出してくれませんでした。
それを逆手にとって、19午前中の定位置である「ニッピ山」から撮影する事にしました。

勿論、着陸時に地上部を画面に入れる事によって
「厚木」で撮影したと分かる写真が撮りたかったからでした。

その目論見は「半分」成功するという、悔いの残る結果で終わりました

それは、着陸高度がかなり高く「送りショット」で何とか地上部が入った程度。
自分がイメージしたショットとは程遠い出来でした。

それでも”スペシャルマーキング”の威力は絶大で
曇天のR/W-19エンドには常連マニア6人がPR-7にレンズを向け撮影していました。

M.WADA 2022/08/06(Sat) 05:03 No.4837
あの年の6月、7月- #2
1974年7月24日(水曜日)6時50分,VQ-1ハンガーからPR-04が曳きだされました。

9時55分、PR-04は非常に低い高度を維持しながら厚木R/W-01を離陸。
此の離陸は自分が見たA-3の離陸で三本の指に入るほどの低い離陸で、胸が高鳴りました。
↑のPR-7と比較しても、離陸なのにPR-04の方が低い事がお判りになると思います。

M.WADA 2022/08/06(Sat) 05:07 No.4838
あの年の6月、7月- #2
「送りショット」でもPR-04は低い高度を維持。

画面左下に写る芝生の張替え作業中の人が、余りの低さに思わず見上げている様子が分かります。

PR-04は3時間後の12時58分、マニア17人が待ち構えるR/W-01へ着陸。

又、此の時期、PR-04はフライトから帰ると、直ぐにVQ-1ハンガー内に移され
扉を閉め、外から見えないようにしていました。

何故、このように厳しい警備を敷いていたのかは、全く分かりません。

M.WADA 2022/08/06(Sat) 05:09 No.4839
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月30日(火曜日)空母コーラルシーが横須賀を出港。

翌31日、5時27分から9時34分にかけて
CVW-15機がマサカのフライインをした事はNo-4822でお話しました。

今回は其の時に撮影したショットのご紹介です。

7時15分と36分の2回ローアプローチを実施したVA-22のCAG機、NL-300は
最後にGCAに入り8時4分、厚木R/W-01へL/D. パイロット名はCDR BERT TERRY, CVW 15.

M.WADA 2022/08/07(Sun) 04:50 No.4840
あの年の6月、7月- #2
↑の翌日、9月1日(木曜日)、見上げるような高い離陸からVFRによりCV-43に向かったNL-300.

嫌な事は重なるもので、撮影可能な射程まで来た途端、日差しが途切れ、俄然撮影意欲は減衰。
お陰でコルセアの垂直尾翼上端が「切れ」てフレームアウト。

然し乍ら、天気の不安定さを除けば、
11時30分〜16時8分にかけて21機のCVW-5機がフライイン。
12時51分〜21時12分にかけて44機のCVW-15機がフライオフと「盛況」な厚木ではありました。

M.WADA 2022/08/07(Sun) 04:53 No.4841
あの年の6月、7月- #2
「暗い」厚木のショットばかりでは何なので、
「月」がテーマと外れるのは眼をつぶって頂き「明るい」横田でのNL-300(1979)をアップ致します。

1977年のNL-300とは別の機体であり、空母もコーラルシーからキティーホークに変わっていました。

1979年10月14日(日曜日)9時20分,横田R/W-36離陸に向け南の国有地前の誘導路をタキシングするNL-300.
パイロット名はFRED MEYERS COMCARAIRWING 15.

M.WADA 2022/08/07(Sun) 04:56 No.4842
あの年の6月、7月- #2
離陸待機中のNL-300. Mdx 300の後方に描かれた"CHECK SIX"(後方に注意)のマークが目を惹きます。
NL-300はNL-301/307/310と共に9時35分,VFRにより大島を抜け太平洋上のCV-41に向かっています。

又,この日,厚木では鳴かず飛ばずだったNL-720(SH-3G)がフライトを繰り返し、
木更津では基地が一般公開されWF-02/05(AV-8A)が展示後、横田へT/O.
横須賀ではCV-63 USS KITTY HAWKが一般公開。
小松基地では10月15・16両日に開催する”戦競'79"ACMミート参加機の飛来があり、
青天の午前中に空自全飛行隊の特別塗装機が撮影出来たと,後に長久保さんから聞きショックを受けました。

M.WADA 2022/08/07(Sun) 04:59 No.4843
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

今日も1977年8月に厚木に飛来したVA-22”FIGHTING REDCOCKS"/A-7Eのご紹介です。

8月16日(火曜日)一日中、曇り空で時折、雨が降ったり陽が出たりと生憎の天気でしたが、
CVW-15(NL)機が8機フライトしてくれ、NL狙いでエンドに来たマニア28人は”燃え”ていました。

僚機NL-303と共に"IFR"ではなく"VFR"ON TOP,EVENT-TWOで厚木R/W-01を12時17分,T/OしたNL-301.

M.WADA 2022/08/08(Mon) 06:12 No.4844
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット。
天気の悪い時に限って、結構「低い」離陸をするところが”厚木”なんです。

M.WADA 2022/08/08(Mon) 06:15 No.4845
あの年の6月、7月- #2
NL-301は其の後、雨の8月24日(水曜日)にフライトしただけで、
晴天下での撮影は出来ないまま時は過ぎ、8月30日、空母コーラルシーは横須賀を出港。

それから二日後の9月1日(木曜日)CVW-15機が厚木からCV-43に向けフライオフ。
その14番目にフライオフして来たのがNL-301でした。
パイロットネームはCDR LEE CARGILL "RED COCK ONE".

M.WADA 2022/08/08(Mon) 06:17 No.4846
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット

この日は朝、曇っていた空が6時から澄み切った空となり、9時36分、R/Wが01から19へチェンジ。
11時36分から始まったフライオフは15時43分まで青空の下で撮影することが出来ました。

惜しかったのは、最後に上がって来たNL-300 FLIGHT/300/312/314の3機は陽が陰った事でした。

M.WADA 2022/08/08(Mon) 06:22 No.4847
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

No-4770/NL-100の左端に写っていたNL-302のショットです。

パイロットネームはCDR LED GIULIANI."RED COCK 2".
名前からするとイタリア系アメリカ人のようですね。

A-7E/156822は1990年3月22日、AMARC入り.
2009年10月13日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/09(Tue) 05:55 No.4848
あの年の6月、7月- #2
↑の左側に写るVA-94"SHRIKES"のA-7E/157444,NL-403の尾翼に目が行きました。

よく見ると、左後方から機銃掃射を受けたと思われる弾痕が二発
被弾しているではありませんか!

これは投稿前のスライドに付着したゴミをクリーンアップしている最中に発見したもので、
危うく、ゴミと間違えて除去するところでした。

1971年〜1972年のベトナム航海でCVW-15は3名のPOW,9名のMIAを出しており、
VA-22からはLT GEOFF SHUMWAYがMIAの一人としてリストアップされています。

A-7E/157444号機は1987年9月15日、AMARC入り。
2005年10月5日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/09(Tue) 06:00 No.4849
あの年の6月、7月- #2
1977年8月24日(水曜日)終日,雨/曇りを繰り返す悪天候下でも8機のCVW-15機がフライト。

そんな厚木R/W-01の午後,NL-303がアレスティング・ランディングを実施し,マニア5人と撮影。
パイロットネームはLCDR BIG AL MILLER.

M.WADA 2022/08/09(Tue) 06:03 No.4850
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット。

A-7E/156821は1986年12月19日、
フロリダ州 NAS CECIL FIERLD からVA-174/AD-414号機としてAMARC入り。

2005年5月9日、ネバダ州 NAS FALLONでRANGE TARGETとして使用されています。

M.WADA 2022/08/09(Tue) 06:05 No.4851
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

昨日アップしたNL-303の続きです。

1977年8月16日(火曜日)、NL-301と共に厚木R/W-01をトレーニングに向け離陸するNL-303.
この後、No-4850のアレスティングL/Dへと繋がります。

M.WADA 2022/08/10(Wed) 04:51 No.4852
あの年の6月、7月- #2
↑の続きの送りショット。

CVW-15機が厚木に滞在した8月10から9月1日の23日間で日差しが出たのは僅か6日間,残りの17日間は雨が降り
フライオフの9月1日を除くとフライトした日に晴れ間が出たのは、たった5日。

1977年8月の夏が如何に”晴れ”のショットを撮るのが難しかったかが,お分かり頂けるかと思います。

M.WADA 2022/08/10(Wed) 04:53 No.4853
あの年の6月、7月- #2
待ちに待った”晴れのショット”が撮れたのは何と「フライオフ」当日。
然も、空母が日本近海に居た為、離陸はご覧のように高い高度で上がる機体が多数いました。

M.WADA 2022/08/10(Wed) 04:55 No.4854
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月27日(土曜日)15時37分、NL-412/306と共に厚木に飛来したA-7E/156844,NL-305.

この3機のコルセア達はフィリピンのNAS CUBI POINTを飛び立ち、嘉手納経由で厚木に到着したもの。

M.WADA 2022/08/11(Thu) 04:56 No.4855
あの年の6月、7月- #2
1977年9月1日(木曜日)15時33分、VFRでCV-43に向けてフライオフするA-7E/156844、NL-305.
パイロットネームはLT H.H.MYERS.

M.WADA 2022/08/11(Thu) 04:59 No.4856
あの年の6月、7月- #2
↑の続きショット。

A-7E/156844は1981年9月5日、VA-12/AG-406号機として
LT CLINTON LEE NICELYが搭乗し空母アイゼンハウアーに着艦時しようとして失敗。

AG-406は艦から転がり落ちてノルウェイー海に転落してしまいました。

この事故でLT CLINTONは緊急脱出する間もなく機と共に海中に没し、
現在も機と共に海底に眠ったままとなっています。

M.WADA 2022/08/11(Thu) 05:00 No.4857
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月27日(土曜日)15時35分、NL-305/412と共に厚木に飛来したNL-306.
パイロットネームはLT PAT BOYLE.

M.WADA 2022/08/12(Fri) 04:46 No.4858
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット。
NL-306は8月27日に降りたNL-30/412と同じく、9月1日まで1回もフライトせず
この日のL/Dショットを逃せばフライオフだけで終わるところでした。

M.WADA 2022/08/12(Fri) 04:51 No.4859
58227あの年の6月、7月- #2
9月1日にCV-43に向けVFRで厚木R/W-19をT/OするNL-306.

A-7E/158677号機はVA-146/NE-313(1984)で運用後の1988年11月、
運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/08/12(Fri) 04:54 No.4860
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月31日(水曜日)、7時15分、NL-314と共に厚木R/W-01上空に現れたNL-312は
ローアプローチの後、GCAに入り、7時36分、T/Gを実施。

そのまま横田に向かいR/W-36でT/G訓練を数回実施した後,再び厚木へ戻り8時7分,L/D.

M.WADA 2022/08/13(Sat) 04:45 No.4861
あの年の6月、7月- #2
NL-312は9月1日(木曜日),16時8分、R/W-19からCV-43へフライオフ。

A-7E/157466号機は1983年4月5日,VA-87/AE-4xxとして運用中,エンジン故障で墜落しています。

M.WADA 2022/08/13(Sat) 04:48 No.4862
あの年の6月、7月- #2
1977年9月1日(木曜日)16時8分、厚木R/W-19を離陸してCV-43へと向かうNL-314.
パイロットネームはLTJG BOB DAVIS.

M.WADA 2022/08/13(Sat) 04:49 No.4863
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット

A-7E/156811はVA-37/AE-311号機としてバージニア州、NAS OCEANAからAMARC入り。
2005年12月8日、アリゾナ州TUCSONのHVF WEST社でスクラップ。

結局、NL-312/314共に「晴れ」た状態での撮影は出来ずに終わっています。

さて、此処まででVA-22”FIGHTING RED CKCKS"のご紹介は終了し
次回からはVA-94”SHRIKES"/A-7Eのご紹介に移ります。

M.WADA 2022/08/13(Sat) 04:51 No.4864
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

今日からVA-94”SHRIKES"/A-7Eのご紹介です。

但しNL-400番は以前当BBSでご紹介済みである事と、
別ショットのスライドが未発見な為、今回アップはパス致します。

NL-400のスライドが発見された段階でデジタイズ/RAW現像して
発表しようと考えて居ります。

1977年8月26日(金曜日)9時30分、"NL-400 FLIGHT]”'2として厚木を飛び立ったNL-406は
11時1分、厚木R/W-01に戻りT/G後GCAに入り、11時7分、L/D.

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:02 No.4865
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット。パイロットネームはLT BJ GLASBY.

NL-400/406のコンビは午後も同じ内容でフライトをこなし、
常連マニア5人が撮影に来ていました。

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:05 No.4866
あの年の6月、7月- #2
↑の翌日、8月27日(土曜日)もNL-400/406は全く同じ内容でフライトをしました。

NL-406はNL-400と共に9時丁度、厚木R/W-19を"Maintain VFR on Top"で小田原を経由し甲府エリアの
VFR/低高度訓練エリアへと離陸し、10時55分、R/W-19へ戻りT/GHx2回実施後、L/D.

VA-22機では果たせなかった"ニッピ山"からのショットを曇り空でしたがVA-94機で叶えることが出来ました。

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:07 No.4867
あの年の6月、7月- #2
9時50分、三沢から飛来したVP-47/P-3C,RD-6は午前中T/G訓練を行い、
34人のマニアはNL/A-7EとRDのオライオンのT/G撮影に勤しみました。

このように地上部と背景を入れ込んで撮れるところが「ニッピ山」の魅力でしたが、
MP/ガード・ニッピの社員等、周りに注意を払いながらの撮影は、気が抜けず”しんどい”場所でした。

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:09 No.4868
あの年の6月、7月- #2
「送りショット」でR/Wに描かれた白線が太陽光線を反射し,機体の腹面が「浮き出る」のも好きでした。

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:11 No.4869
あの年の6月、7月- #2
1977年9月1日(木曜日)15時33分,CV-43に向け厚木R/W-19をフライオフするVA-94のA-7E/158011,NL-406.

A-7E/158011は1982年VA-37/AC-307として運用後、1991年2月27日、AMARC入り。
2011年10月18日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/14(Sun) 06:13 No.4870
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月27日(土曜日)15時30分、NL-305/306と共に厚木に飛来したNL-412.
パイロットネームはLTJG JOE TANNER.

M.WADA 2022/08/15(Mon) 05:45 No.4871
あの年の6月、7月- #2
↑の
セカンドショット。

因みに此の日、ニッピの整備工場から曳き出された2機のF-4J/153798/153881(元VF-191/NL-212と203)は
西側CVW-5のフライトラインに牽引されて行きました。

2機ともT/C,MDX等のマーキング類は全て落とされていましたが
F-4J/153798はフェイリス塗装が施されたままで、未だ「撮影価値」は十分に有していました。

但し、153798号機がVF-151/NF-200となった時には惜しい事にフェイリス迷彩塗装は落とされ
「標準塗装」に変わっていました。

M.WADA 2022/08/15(Mon) 05:48 No.4872
あの年の6月、7月- #2
1977年9月1日(木曜日)15時34分、厚木R/W-19をCV-43に向けフライオフするNL-412.

A-7E/157500は1984年7月11日,VA-27/NL-401としてカリフォルニア州NAS CHINA LAKEへ向けフライト中、
エンジン故障を起こし墜落。パイロットも死亡しています。

尚、現在、バージニア・エア パワーパークで展示中のA-7E/157500,VA-37/AC-300は”実機”ではなく、
157506番機を157500として塗装したものでしたが、
誤解を招きやすく、間違え易い展示方法で”頂けません”ね。

M.WADA 2022/08/15(Mon) 05:52 No.4873
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月24日(水曜日)13時5分、厚木R/W-01からNL-506と511がローカルフライトへ離陸。
パイロットネームはLT JIM DICKEY.

NL-511/151782はノーマークでしたが,9月11日にVA-115に移籍となりNF-510となっています。

M.WADA 2022/08/16(Tue) 04:49 No.4874
あの年の6月、7月- #2
1977年8月26日(金曜日)11時、NL-506は単機でローカルフライトに向け厚木R/WE-01を離陸。

僚機NL-511はマイナートラブルが発生しフライトラインに引き返し、
11時5分、フライトプランをキャンセル。

12時40分、R/W-01へ戻って来たNL-506はT/Gを2回実施し、12時50分、着陸。

M.WADA 2022/08/16(Tue) 04:52 No.4875
あの年の6月、7月- #2
↑のセカンドショット。パイロットネームはLT TERRY ANDERSON.

斜め前では薄日が差していましたが、真横ではご覧のように曇ってしまい
不本意なL/Dショットとなりました。

このような空模様が8月いっぱい続き、折角、飛来したCVW-15機でしたが、
満足のいく撮影結果は殆んど得られませんでした。

M.WADA 2022/08/16(Tue) 04:54 No.4876
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年8月30日(火曜日)横須賀から空母コーラルシーが出港。
これに伴い厚木からHC-1,DET-4のSH-3G,全4機/NL-720〜723がフライオフ。

その内NL-723は岩国へ向かったCV-43/C-1Aに代ってCOD役を務め,厚木と空母間を往復。
その後、CVW-15機のフライオフが有ると思いきや、全く動きなし。

8時57分に上がったNL-100は単機、岩国へ向かったきり、厚木に戻って来ず
この日、エンドに集まっていた43人のマニアを落胆させました。

このような状況下、ニッピから岩国へ帰るVMFA-251の/F-4J/153856,DW-6の離陸を撮ろうと
R/W-19午後へ移動、15時35分、"PORKY-06"の離陸を撮り、01エンドに戻りました。

そしてエンドに到着し、駐車スペースを捜していた、その時、突然、1機のA-6がL/D.
車の窓越しに見たイントルーダーは、何とNL-500,CAG機!

駐車場所探しに気を取られ、一瞬、エアバンから耳を外した僅かなミスが原因で、
これがNL-500撮り逃しの顛末です。

その「ケチ」のついたNL-500のフライオフは、ご覧のように高〜いR/W-19の離陸で、
撮影時刻も11時36分と”最悪”。最後まで「縁」の無いNL-500との出会いでした。

因みに”フライオフ”と紹介しましたが6機のA-6と2機のF-4の行き先は岩国で
空母ではありませんでした。

因みにA-6E/159574は1994年4月、バージニア州、NAS NORFOLKで用途廃止。

M.WADA 2022/08/17(Wed) 04:47 No.4877
あの年の6月、7月- #2
こちらのNL-506も光線状態は良くありませんが離陸高度は「普通」で、やれやれ。

A-6E/159317は1995年10月20日,VA-165/NG-515としてワシントン州NAS WHIDBEY ISLAND よりAMARC入り。
2000年7月25日、運用不可の裁定を受け退役。2016年4月18日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/08/17(Wed) 04:49 No.4878
あの年の6月、7月- #2
岩国組の最後に上がって来たのがNL-523.パイロットネームはLT BRAD LYTTON.

KA-6D/151823は1990年、CVN-72搭載、VA-95/NH-514として活動後、
1993年3月、カリフォルニア州NAS ALAMEDAに於いて運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/08/17(Wed) 04:51 No.4879
あの年の6月、7月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年、夏、厚木に飛来したVAW-114機は2機。
そのうちの1機、VAW-114のOIC機/NL-601のご紹介です。

32回目を迎えた1977年8月15日(月曜日)の終戦記念日にフライトしたNL-601.

10時20分、厚木R/W-01を離陸したNL-601は「陸上の空母のような空港」と評された、
青森空港(RJSA)に向かいローアプローチの後、三沢に降りています。

M.WADA 2022/08/18(Thu) 04:48 No.4880
あの年の6月、7月- #2
↑のセカンドショット。
三沢を飛び立ったNL-601はマニア20人が待ち受ける厚木R/W-01へ13時56分、L/D.

M.WADA 2022/08/18(Thu) 04:54 No.4881
あの年の6月、7月- #2
1977年8月26日(金曜日)9時15分、厚木R/W-01を離陸したNL-601は12時35分、L/D.

M.WADA 2022/08/18(Thu) 04:56 No.4882
あの年の6月、7月- #2
↑の送りショット。この日も悪天候の中、常連マニア5人と撮影。

M.WADA 2022/08/18(Thu) 04:57 No.4883
あの年の6月、7月- #2
1977年8月16日(火曜日)10時4分、兵庫県、峰山を目指し厚木R/W-01を離陸。
此の時は幸運な事に日差しが射し本来の「ガルグレー」色が現れました

M.WADA 2022/08/18(Thu) 04:59 No.4884
あの年の6月、7月- #2
↑のセカンドショットでは日差しは雲に隠れ、またもや、「ドブネズミ」色に逆戻り。

M.WADA 2022/08/18(Thu) 05:02 No.4885
あの年の6月、7月- #2
それでも、送りショットで再び太陽が顔を出してくれ一安心。
左主翼上面に描かれているスターマークも少し見える「捻り」も加わり、"Good T/O".

M.WADA 2022/08/18(Thu) 05:03 No.4886
あの年の6月、7月- #1

7月に入りましたのでタイトルを変更させていただきます。

>M.WADAさん
"AL's Pearl of the Orient"は両面に描かれていたんですね。
私は右側しか撮っていません。
143186の経歴の補足をさせていただきます。
1957年1月17日にアメリカ海軍が受領し、1月29日にBuNo.143186として海軍に納入されました。
同時にバーバス・ポイントのAEWMATRON-2に配属されSH-13となります。
1962年9月18日WV-2からEC-121Kに改称し、その後EC-121Pに改造されました。(日付は不明)
1965年3月11日デビスモンサン入りし保管されました。
1966年4月6日 デビス・モンサンからTucsonのAFASDGに移され改修後、11月9日にダラスのLTV/NASCでEC-121Mに改装されました。
1967年2月13日 飛行時間 11,079時間を記録
1968年6月25日 VQ-1へ配備
1974年4月4日に再びデビス・モンサン入りし
1974年9月26日 アメリカ海軍から除籍
1981年2月11日 国防省から売り出しましたが買い手付かず、1981年5月21日 スクラップ処理されました。

1974年5月23日撮影

MACH3 2022/07/02(Sat) 15:29 No.4716 [返信]
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

>MACH3さん
PR-27の補足説明、そして「タイトル」変更、ありがとうございました。

"AL's Pearl of the Orient"の”AL's"ですが"s"が"s"に見えず数字の"5"に見えてしまいます。

コメントの中で「再びデビス・モンサン入り」の"月"はタイプミスでは?と、思います。
PR-27は1974年4月3日(水曜日)8時50分、アガナに向けT/Oし、5月6日(月曜日)17時27分に
厚木R/W-19へ戻って来ています。

毎日記録破りの"高温"が続いて居りますので、どうぞお身体、ご自愛ください。


1979年5月3日(木曜日)14時、厚木R/W-01をローカルフライトに飛び立ったNF-103は
15時42分、T/Gを1回実施後に着陸。

同機はVF-161の前、VF-21/NE-107号機だった機体で、
新たにVF-161機として塗装する段階で後部胴体に書かれていた下4桁のBuNoを消さずに残したため、
背中に描かれた「黒いストライプ」にかかる部分を”反転”させるという”奇策”に出ました。

此処に、後部胴体にBuNoを書かないというVF-161の「暗黙のルール」が破られ、
VF-161史上、非常に稀な「掟破り」のチャージャーズ機が誕生したのです。

M.WADA 2022/07/03(Sun) 05:15 No.4717
あの年の6月、7月- #1
↑の翌日もNF-103はフライトし、starboardも撮影することが出来ました。
こんな”レア”な機体にも関わらず、同機のモデルを作ったという話は聞いたことがありません。

M.WADA 2022/07/03(Sun) 05:19 No.4718
あの年の6月、7月- #1
その"レア"なNF-103にも「ロービジ化」の波には勝てず,ご覧のような姿に変身させられてしまいました。

1981年2月18日(水曜日)10時28分、"PELON-51"FLIGHTは(NF)-116と共にアガナ経由で本国に帰還となり、
厚木R/W-01を離陸し、日本を離れました。

"PELON-51"FLIGHTは2月20日、アガナを出発、ウェーク島〜ヒッカムAFBのルートでフライトし、
本国へ向かっています。

F-4J/158372号機はVMFA-232/WT機として1988年11月21日、AMARC入り。
2008年11月19日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/07/03(Sun) 05:21 No.4719
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

1973年5月26日(土曜日)運用滑走路が01から19へ変わる寸前、1機のファントムが着陸し
ライトターンしてニッピのフライトラインに向かう姿を眼鏡を覗いていたマニアから悲鳴が上がりました。

それも其の筈、ただのマリンコのファントムではなく”マリンコの艦載機”! 
それもLANTの空母アメリカに搭載されていたVMFA-333”SHAMROCKS"/AJのCO機、AJ-201だったのです!!

通常、ニッピ入りすると修理や整備で数か月は出て来ませんし、
出てきても「ノーマーク」ですから、マニアの尺度で価値はほゞゼロ。

ところがAJ-201はハンガーへ曳き入れず、その場で修理に取り掛かりました。
と、いう事は。。。皆の頭に”淡い”期待が過りました。

しかし、期待とは裏腹に時刻は刻々と過ぎ、あっと言う間に「夕方」。
やっぱりダメか。。、と、その時、眼鏡を覗いていたゲンちゃんが"パイロットが来たぞ”と叫びました。

この日エンドに来ていた14人全員が一斉に「お墓」に殺到。
「車組」に「お墓の木」の指定席3人分はキープされてしまい、残り11人はフェンスに張り付きスタンバイ。

そうこうしている内にAJ-201がエンジンスタート。この時点で離陸はほぼ確実。

残る心配はニッピのフライトラインを出てR/Wをクロスして我々のスタンバイする目の前の誘導路”DW"に
入って来るかどうかです。

もしもR/Wクロスせず、直接、滑走路に入りR/Wバックされたら400mmでも小さく話になりません。
しかし、皆がAJ-201を凝視するなか、同機はスンナリR/Wクロスしてくれ、一安心。

最後の心配、それも最大の心配は「露光量」が絶対的に足りない事でした。
太陽は丹沢山系の陰に没する寸前で「感覚的」には”闇”が迫り「写真」が撮れる環境ではなくなっていたのです。

ですから、自分が選択したフィルムは当然「モノクロ」。

ですが、ここに一人だけASA-25のK-IIを選択した人物が居ました。

それは”MACH3”さん、それを見て全員「気は確か?」,本当に"ブレ"ずに止められる自信があるの?
と,不審そうな,怪訝そうな視線を彼に送り、
彼が不敵な笑みを浮かべ"大丈夫,"だいじょうぶ"と返して来たのには、一同"唖然".

後に、I・NのサイトにMACH3さんの撮影したAJ-201のカラーショットが掲載され、
アノ不敵な笑みは自信の無さを覆い隠すための笑みではなく
"絶対に止めてやるんだ"という決意と執念から出た笑みだという事が分かった瞬間でした。

デジタル時代の現在なら、何の不自由もなく撮れる場面でしたが、
アナログ時代の1973年は、このように"腕前"と"集中力"そして何より"情熱"がモノをいう世界でした。

そう思うと、現代のマニアは昔以上に切磋琢磨しないと、他者より抜きん出た作品、存在となり得ない
厳しい世界の中に生きていると言えるでしょう。

M.WADA 2022/07/04(Mon) 06:50 No.4720
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

1975年6月9日(月曜日)18時、嘉手納R/W-23Rから離陸するVMFA-232のF-4J/153833,WT-13.

F-4J/153833の履歴。
WT-13(1975〜1976)→WT-11(1977)→VMFA-321/MG-xxx(1977)→F-4S→1990年10月、
ノースカロライナ州MCAS CHERRY POINTで登録抹消→QF-4S,#-110/PMTC(1990),
2004年9月7日、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/07/05(Tue) 05:58 No.4721
あの年の6月、7月- #1
1977年7月21日(木曜),9時14分,館山沖を航行中の空母ミッドウェイに向け厚木R/W-19をT/OしたNF-116は、
僚機NF-112と共にCV-41でT/G訓練を実施後、厚木に戻り再びT/G後の11時10分、L/D.

1977年から1978年の時期、VF-161と151の両部隊には”黒鼻”のファントムが存在し
「写真映え」する"黒鼻"ファントムはマニア達の撮影意欲を"そそり"格好の被写体となっていました。

F-4J/153872の履歴。
VMFA-235/DB-41(1969〜1970)→VF-121/NJ-150(1971)→NF-116(1977〜1978)→NF-102(1979),
→F-4S→VF-103/AA-2xx(1982)→VMFA-251/DW-xx(1983)→1984年12月6日、MASDC
2009年7月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/07/05(Tue) 06:02 No.4722
あの年の6月、7月- #1
1978年5月14日(日曜日)、厚木三軍記念日に展示されたVF-161のF-4J/153873,NF-103.
パイロットネームはLCDR ROG BOENNINGHAUSEN / LTJG BILL CLLAUSEN.

F-4J/153873の履歴。
VMFAT-201/KB-17(1974)→VF-21/NK-204(1980)→F-4S→1984年12月13日、用途廃止。
その後、サウスカロライナ州、MCAS BEAUFORTからVMFA-122/DC機としてMASDC入り
2008年7月24日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/07/05(Tue) 06:04 No.4723
あの年の6月、7月- #1
1980年4月2日(水曜日)10時44分、誘導路AE経由でVFRトレーニングに離陸したNF-113は
11時54分、厚木R/W-01でT/G後、12時6分にL/D.

パイロットネームはLT STU BURFENING / LTJG PAZ HOENNINGER.

F-4J/155835の履歴。
VMFAT-101/SH-20(1974)→NF-113(1977〜1980)→VMFA-112/MA-05号機として1985年3月29日、MASDC入り。
2008年8月6日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/07/05(Tue) 06:06 No.4724
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

1972年7月8日(土曜日)台風避難のため、グアムのANDERRSEN AFBから嘉手納に飛来したB-52G/58-0189.
撮影はHAMANOさん。

この日,自分は,横須賀へ寄港中の空母コーラルシーを撮影しに出かけていました。
当時の厚木はNG,NP,NL,ND等の外来機の飛来が相次ぎ、他の基地へ撮影に行く余裕は有りませんでした。

M.WADA 2022/07/06(Wed) 06:29 No.4725
あの年の6月、7月- #1
こちらもHAMANOさんが2010年6月、嘉手納で撮影した5thRS/BBのU-2S/68-10329.
同機はU-2Rのプロトタイプ機でU-2Sに改造され韓国、OSAN ABから嘉手納に移動しミッション.

M.WADA 2022/07/06(Wed) 06:32 No.4726
あの年の6月、7月- #1
自分のショットも一枚。

1977年7月8日(金曜日)14時7分,NAS AGANAへ向け厚木R/W-19を離陸して行くVP-91のP-3A/151368,PM-4.

漸く撮れた"ピンクパンサー"のオライオンでしたが、生憎の空模様、然も高い離陸。
加えて、PM-4の離陸待ちの最中に別の"ピンクパンサー"/PM-9,150518が着陸してしまい「撮り逃し」。

VP-91は此の時期、アガナと嘉手納の二か所同時に部隊派遣させていたにも拘らず、
自分は、どういう訳か"ピンクパンサー"機に縁が無く殆んど撮れずに終わっています。

M.WADA 2022/07/06(Wed) 06:34 No.4727
あの年の6月、7月- #1
部隊名を"ピンクパンサー"から”STINGERS"に変わってからは、良く撮れるようになりましたが
尾翼から憧れの"PINK PANTHER"は姿を消し、撮影価値は激減してしまいました。

P-3A/151368号機は後にEP-3Aに改造され運用。
1991年12月26日、AMARC入りしますが再び改造されUP-3Aとして復活しています。

M.WADA 2022/07/06(Wed) 06:36 No.4728
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

昨日の投稿後、体調が思わしくなく病院へ向かいました。

医師の診断では、どうやら服用している薬の副作用らしいとの事で
検査に回り、各種検査となり一日潰れてしまいました。

という訳で、今日は以前準備して置いたHAMANOさんとNISHIHIRAさんの作品をアップし、
自分のショットは明日以降という事にします。

尚、追加検査と検査結果の発表があるので、少なくともあと2回(11日と20日を予定)程、
投稿の出来ない日が発生するかもしれませんが、その時はご容赦ください。

始めはNISHIHIRAさんの作品からご紹介致します。

1983年6月16日(木曜日)嘉手納に飛来したHM-14”VANGURD"のRH-53D/158746,BJ-534.

この日、厚木は雨で岩国のUC-12B/161518/5GがT/Oしただけでしたが、
嘉手納は目の前までタキシングしてくるので、
悪天候も逆に”凄み”が増す一助となり,NISHIHIRAさんは素晴らしいショットを生み出されています。

M.WADA 2022/07/07(Thu) 11:52 No.4729
あの年の6月、7月- #1
驚いたことに、BJ-534と同じ日にUSS NEWORLEANS(LPH-11)所属のUH-1Nも飛来し、
NISHIHIRAさんは”手堅く”此のレアな機体も,モノにされていました。

M.WADA 2022/07/07(Thu) 11:55 No.4730
あの年の6月、7月- #1
そのUH-1のドアに描かれていた艦のエンブレムをトリミングして見ました。

M.WADA 2022/07/07(Thu) 11:56 No.4731
あの年の6月、7月- #1
ここからはHAMANOさんの作品です。

1980年7月、嘉手納で訓練中のVMFA-333”SHAMROCKS"のF-4S(J)/15379,DN-110.

M.WADA 2022/07/07(Thu) 11:57 No.4732
あの年の6月、7月- #1
↑と同じ日に撮影されたVMFA-232”RED DEVILS"のF-4S(J)/155786,WT-00.

この時代、日本で”爆装”したファントムが撮れるのは嘉手納の特権でしたが
WT-00が装着したようなMrak-82/500Ibx6発装備を自分は見たことがありません。

M.WADA 2022/07/07(Thu) 11:59 No.4733
あの年の6月、7月- #1
皆さん、おはようございます.

1973年6月16日(土曜日)、NAF NAHAを飛び立ったNP-202は厚木へL/D後、ニッピ入りしましたが、
実習で抜けられず撮り逃がした為、翌々日、ニッピの裏から”激写”。

後に、A-330さんが那覇で素晴らしいショットを撮影されていてショックを受ける事となります。

F-8J/150323の履歴。
VMF(AW)-323/WS-1(1963〜1964)→VF-53/NF-200(1965〜1966)→F-8J→VF-24/NP-202(1973),
→VF-191/NM-104(1976)→1976年3月10日、MASDC入り。
1982年7月12日、ネバダ州 INDIAN SPRINGS RANGEでターゲットとして使用。

M.WADA 2022/07/08(Fri) 05:49 No.4734
あの年の6月、7月- #1
↑の翌日,1973年6月19日(火曜日)ニッピからテストフライトに上がったマリンコのF-4B/151011は
厚木R/W-19へL/D後、R/Wエンドまで転がり南のカドの誘導路AEへ入って来てくれました。

元、WS-3としてニッピ入りして全く出て来ませんでしたが、
突然出てきて、翌日もテストフライトを行い、本国へ帰って行きました。

F-4B/151011の履歴。
US NAVYからUSAFへ貸し出され4453rdCCTWで62-12191号機として運用→US NAVYへ返還、
→VMFA-323/WS-3→F-4N→VMFA-323/NK-103(1979〜1980)→VMFA-531/EC-06,
→VF-154/NK-113(1982〜1983)→1982年6月16日、運用不可の裁定を受け退役。
1986年、NAS ALAMEDAでグランド・トレーナーとなり、その後、ターゲットとして使用。

M.WADA 2022/07/08(Fri) 05:52 No.4735
あの年の6月、7月- #1
1974年6月17日(月曜日)横須賀にAES-4,USS WHITE PLAINESが入港。
同艦に搭載されていたHC-3"PACK RATS"の
CH-46D/154825/154031,SA-14/15が厚木にフライイン。

着陸後、直ぐに2機のバートルはローターヘッドとローターブレードを外し
AMDのハンガー内へ運び込んで整備を開始しました。

着陸から二日後の6月19日(水曜日)10時、整備を終えたローターを装着完了。

11時10分、2機はテストフライトに飛び立ち、厚木R/W-19でT/Gを繰り返し行い、
13時53分、ヘリとしては珍しくR/W-19へ着陸した事で、やっと「地上」入りのショットが撮れました。

M.WADA 2022/07/08(Fri) 05:55 No.4736
あの年の6月、7月- #1
1974年7月8日(月曜日)15時10分,ローカルフライトに向かうVMCJ-1のRF-4B/153111,RM-605.
RM-605は16時にL/D. 17時10分、岩国へ向け離陸して行きました。

因みに、此の日エンドに来たマニアは28人でしたが、撮影出来たRM-605は
4か月後の11月3日、空母ミッドウェイに着艦しようとして失敗し海上に墜落。

クルーは救助されましたが機体は海中へ没し失われました。

M.WADA 2022/07/08(Fri) 05:57 No.4737
あの年の5月、6月- #1

サボっていて大変ご迷惑をおかけしました。
やり残してあることをできるだけやってしまおうということで、今まで撮影したスライドのPC取り込みに集中していました。
プラモも放り投げてあるので、スキャン完了後となりそうです。

その中の1枚、
1973年6月9日に撮ったVP-19のP-3Bです。
コダクロームUでの撮影ですが、天気が悪いときやT&Gなどしているとよく標準レンズで撮影しました。

MACH3 2022/06/28(Tue) 21:57 No.4695 [返信]
あの年の5月、6月- #1
皆さん、おはようございます.

1976年4月26日(月曜日)はCVW-5機のフライインがあり、47機が飛来。

其の最中の14時50分に日飛入りの為L/Dして来た"BRAVE-05"は興味ある機体でした。

ノーマーク機であるものの、背中には大きな”HAWK"の消し跡があり、
何より注目されたのが尾翼方向舵下に書かれた”CUBI AIR GURD"の文字。

如何やら、この機体もキュービーポイントで永く「足止め」を食らった機体のようで、
それを揶揄してのジョークのようですね。

A-5A/155658の履歴。
1969年US NAVYに引き渡し→VA-85/NK-504(1980〜1970)→ED-5(1975)→VA-42/AD-532(1976〜1977),
→A-6E→VA-34/AB-504(1980〜1981)→VA-52/NL-511(1983〜1985)→NL-506(1986〜1987),
→VA-176/AE-507(1989〜1990)→VA-128/NJ-806(1991)→1991年10月17日、カリフォルニア州、
TWENTY PALM RANGESに於いて飛行中の火災により墜落。クルーは無事救助されています。

M.WADA 2022/06/29(Wed) 05:50 No.4696
あの年の5月、6月- #1
1984年4月27日(金曜日)9時48分,静岡,清水を経由しFUJIの訓練空域へ向かう(EA)-10,"ATTIC-78".

尾翼に書かれた"10"と「流れ星」のマーク、そしてパイロットのヘルメットから
辛うじてVMA(AW)−332 ”MOONLIGHTERS"、EA-10号機と認識出来るレベルで
青天、順光下、AEのタキシングで撮影しても判りずらい完璧なロービジ機と化していました。

アノ、素晴らしい頃の"MOONLIGHTERS"のフルカラー機を知っている身としては
耐えがたい塗装で、撮影意欲は激減して行きました。

A-6E TRAM/155581の履歴。
1968年US NAVYへ納入→VA-65/NH-501(1968〜1969)→VA-176/AE-501(1971)→A-6E→WK-10(1983),
→EA-10(1983〜1984)→WK-04(1984〜1985)→EA-12(1985)→EA-11(1986〜1987)→VA-42/AD-521(1994),
1994年5月25日、AMARC入り。2015年10月〜11月、AMARCを出る。

M.WADA 2022/06/29(Wed) 05:52 No.4697
あの年の5月、6月- #1
こちらのイントルーダーは外見上からは所属部隊の確認は困難な状態で、
唯一、C/Sの"BAT-11"からVMA(AW)-242,”BATS"のDT-11と辛うじて判る難しさでした。

今に至るまで「ロービジ化」の流れは続いていますが
この頃のような極端な「低視認性塗装」は運用上、問題があるようで
現在,少しはマシになっていますが、昔のような「ハイビジ」への回帰は残念ながらなさそうですね。

M.WADA 2022/06/29(Wed) 05:55 No.4698
あの年の5月、6月- #1
↑の送りショット。
胴体後部に"VMA AW"とまでは書かれているものの部隊を特定する「数字」が書かれていません。

同機は直前までVMA(AW)-332/EA-11だった機体でVMA(AW)-242/DT-11となったばかりで
未塗装状態で厚木に飛来したようでした。

A-6E TRAM/155615の履歴。
VA-165/NE-515(1968〜1969)→VA-196/NE-515(1969〜1970)→A-6E→VA-35/AJ-500(1980〜1981),
→WK-11(1983)→EA-11(1983〜1984)→DT-11(1984)→DT-6(1984〜1986)→EA-02(1986〜1987),
→WK-500(1987〜19889)→EA-500(1988)→WK-510(1989)→EA-510(1989〜1991),
1998年3月、フロリダ州NAS JACKSONVILLEで登録抹消。

M.WADA 2022/06/29(Wed) 05:57 No.4699
Re: あの年の5月、6月- #1
>MACH3さん >M.WADAさん
P−3BもA−6Aも懐かしいですね。
趣味的にはアンテナやレドームを増設した改造型より初期型の機体を好む傾向があります。
初期型A−6Aの厚木初飛来は1965年のインディペンデンス入港前に飛来した機体で、WADAさんが撮影したようなノーマーク機でした。
この記念碑的初飛来の撮影者はハッチさんお一人でした。

P−3の厚木初飛来は記録と情報がないので何とも言えませんが、1963年11月20日に立川へ飛来したP−3A(VP−31/RP34/150607)が、
マニアが撮影した初のオライオンと言われています。撮影者はT.moriさん。

あかつか 2022/06/29(Wed) 13:07 No.4700
Re: あの年の5月、6月- #1
長らくヒコーキ写真を撮っておられる人達の中(私も含め)から良く聞く“決まり文句”があります。それは、、
「もう少し早く生まれたていたら」とか「もう少し前に始めていたら」という後悔とも言えないマニア特有の“思い”です。

団塊マニアにとりまして、そんな記憶を思いださせるような本が来月イカロス出版から発売されます。T.Matsyzakiさん著の「今日は横田、明日は厚木」。
60年代前半の米軍機、自衛隊機を軸に各基地や空港へ飛来した軍用機への熱き想いが写真と文で再現されています。
本好きのヒコーキ写真マニアにとりまして珠玉の一冊だと思います。
西の人のお言葉を借りるとすれば「買って損はない」と言えるでしょう。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E6%A8%AA%E7%94%B0%E3%80%81%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AF%E5%8E%9A%E6%9C%A8-%E6%9D%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E4%B8%80/dp/4802211740

あかつか 2022/06/29(Wed) 13:44 No.4701
Re: あの年の5月、6月- #1
B5サイズの横判で、画像左が裏表紙、右が目次です。

あかつか 2022/06/29(Wed) 13:55 No.4702
Re: あの年の5月、6月- #1
内容の一部をご紹介します。
60年代前半、厚木で人気ナンバーワンの海軍機と言えばファントムでした(横田ではありません)
そのファントムの厚木初飛来を撮影されたのがT.Matsuzakiさん唯ひとり。詳しく本書参照といたしまして、初飛来の1962年と言えば艦載戦闘機はF−3にF−8、
海兵隊はF−6にF−8とアメリカの第二世代戦闘機が謳歌していた時代。
そんな中でのF−4はまるで別世界から飛んできた“怪物”のように思えたものでした。
フォレスタル級空母のキティーホークも初めての来日で、艦上に並ぶCVG−11機の写真はキティーホークのメディア公開時に撮られたようです。

あかつか 2022/06/29(Wed) 14:19 No.4703
あの年の5月、6月- #1
皆さん、おはようございます.

今日はパーソナルネームが書かれたRG/C-2Aのご紹介です。

1984年6月4日(月曜日)17時7分と11分にR/W-01へL/Dした2機のC-2Aは
翌朝,横須賀を出港し館山沖を航行中の空母ミッドウェイに向け6時51分に曇り空の厚木を離陸。

それから3時間半経過した10時24分,天候が急速に回復した厚木R/W-19へ”RG-425”がL/D.

M.WADA 2022/06/30(Thu) 04:57 No.4704
あの年の5月、6月- #1
RG-425はportsideのキャノピー後方だけに"SPIRIT OF MANILA"とパーソナルネームが書かれていました。
こんな小さな事ですが、VRC-50機としては”異例”な事で、マニア8人は挙って撮影。

M.WADA 2022/06/30(Thu) 05:00 No.4705
あの年の5月、6月- #1
RG-425が降りる2分前にはRG-426がL/D.

M.WADA 2022/06/30(Thu) 05:01 No.4706
あの年の5月、6月- #1
此方は"SPIRIT OF TOKYO"と書かれていました。
尚、C-2A/152795号機は現在、カリフォルニア州、NAS NORTH ISLANDのORION PARKに展示中です。

M.WADA 2022/06/30(Thu) 05:03 No.4707
あの年の5月、6月- #1
皆さん、おはようございます.

1972年5月21日(日曜日)、厚木三軍記念日当日、VQ-1のハンガー内で整備中のPR-24を
担当のメインテナンスから説明を受けるVQ-1の将校。

外見から見てVQ-1 DET ATSUGI,OICのCDR L.R.LAMBではないかと思われる人物。

M.WADA 2022/07/01(Fri) 05:01 No.4708
あの年の5月、6月- #1
此方もPR-24ですが、撮影した1972年4月当時、PR-24の機首には"JIM'S JEEPNEY"と書き込みが有りましたが、
現在、スライドが行方不明で捜索中のため、発見次第、映像をアップします。

因みにEC-121M/145936は1973年7月19日にエンジンランナップ中に火災が発生し修理不能な状態となり、
9月22日、運用不可の裁定を受け厚木で用途廃止。スクラップ処理され終わっています

M.WADA 2022/07/01(Fri) 05:04 No.4709
あの年の5月、6月- #1
1974年5月25日(土曜日)7時22分、いつものミッションに飛び立ったPR-27は
7時45分、マイナートラブルの為、厚木R/W-01へ緊急着陸。

VQ-1のメインテナンスが総出で修理を行い3時間半後に修理を完了。
11時20分、マニア13人がカメラを構える中、PR-27は再びミッションにT/O.

M.WADA 2022/07/01(Fri) 05:06 No.4710
あの年の5月、6月- #1
↑と同じPR-27ですが、撮影した1974年4月2日もミッション途中でトラブルに見舞われ
11時40分、厚木R/W-19へ緊急着陸して来ました。

この頃、PR-27号機は退役目前でしたが、北朝鮮への情報収集任務は苛烈を極め、
何と、同日の離陸時間は午前2時53分! 任務とは言え、大変な仕事で、
143186号機も満身創痍の活躍ぶりで任務に当たっていました。

M.WADA 2022/07/01(Fri) 05:09 No.4711
あの年の5月、6月- #1
其のPR-27の機首に描かれていたのが"AL5 Pearl of the Orient"のパーソナル・アート”。
中々、見事な筆致で「味」のある表情を見せていました。

143186の履歴。
EC-121P→EC-121M(1966)→AEWBARONPAC/SH-13(1966)→VQ-1/PR-24(1968),
1974年8月24日、10時52分、本国に向け厚木R/W-19を離陸→9月26日、用途廃止。
1983年5月21日、スクラップ処理。143186の総飛行時間は15,571時間を記録しています。

M.WADA 2022/07/01(Fri) 05:11 No.4712
あの年の5月、6月- #1
皆さん、おはようございます.

1975年6月4日(水曜日)11時30分、厚木R/W-19をローカルフライトに出発するVF-161のCO機、NF-101.
パイロットネームはCDR T.R.SWARTZ。

この機体のスプリッターベーンにはベトナム国旗が描かれていました。

これは1967年3月1日に北ベトナム上空でズーニーロケット弾でMig-17を撃墜した
VA-76”SPIRITS"のパイロット時代のLCDR SWARTZの功績を顕したものでした。

因みに、其の時の搭乗機はA-4C/148609/NP-685でCVA-31USS BON HOMME RICHARDから出撃しています。

F-4N/150635は1983年6月22日、ネバダ州INDIAN SPRINGS RANGEでターゲットに使用。

M.WADA 2022/07/02(Sat) 04:52 No.4713
あの年の5月、6月- #1
1980年4月2日(水曜日)10時44分、VFRでトレーニングに向かうNF-106.

この当時でも、フェンス内に植えられた「目隠し」用の樹木が相当はびこり始めて居り、
斜め前か真横のどちらか一方を一度しか撮影出来ず、此の時は「真横」を選択。

NF-106のパイロットネームはLT JOHN CONKEY / LTJG STEVE HISSEMと書かれており、
同機は11時55分、R/W-19でT/Gを1回実施後、12時5分、L/D.

F-4J/158374号機はVMFA-312/DR-12として活動中の1986年、ノースカロライナ州で
同じ部隊のF-4J/155833と空中衝突し墜落。

M.WADA 2022/07/02(Sat) 04:55 No.4714
あの年の5月、6月- #1
1984年5月30日(水曜日)10時12分、ローカルフライトに向かうNF-103.

斜め前の撮影に「一歩」間に合わず、「斜め後ろ」のショットとなってしまいました。
NF-103は11時38分、T/Gを実施後、同41分、R/W-01へL/D。

又、同機はVF-151機時代の1984年11月25日、CV-41から離艦直後に墜落し失われています。

M.WADA 2022/07/02(Sat) 04:59 No.4715
あの年の4月、5月- #2

M.WADAさんのNH-115(#4524)のテストフライトを撮っていました。
ネガはカビだらけで、カビ取りをした後再度スキャンしたいと思っています。

1969年6月16日撮影

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:07 No.4532 [返信]
Re: あの年の4月、5月- #2
WC-121Nがホールドしていたため、手前に来てくれました。

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:09 No.4533
Re: あの年の4月、5月- #2
テストフライト後、無事着陸。
以上、カビだらけの画像で失礼しました。

MACH3 2022/05/12(Thu) 09:12 No.4534
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。
雨が音を立てて降る朝で目が覚めてしまいました。

>MACH3さん、
やはりNH-115のテストフライトを撮っていましたか。
TE-7の左側も撮れたようで、一挙両得で、流石です!

綺麗になった時のNH-115の画像、是非また見せて下さいね。
お身体、御大事にして下さい。

昨日はF/A-18?が3機(午前1機、午後2機)上がって行くのが見えました。NFかな?

1975年5月14日(水曜日)10時、厚木R/W-01へVMFA-115のF-4B/152990,VE-2がL/D.

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:00 No.4535
あの年の4月、5月- #2
着陸から3時間20分後、VE-2は岩国へ向けR/W-19を飛び立って行きました。

其の時のタキシングで左側インテイクのスプリットベーンに漢字三文字が書かれていましたが
この画像はスキャナーを使った為、ピントが不鮮明で確認出来ませんでした。

今後、再びこのスライドが出てきた折には最近導入した「一眼レフカメラによるデジタイズ」で
再度デジタル画像を作り直しCTBBSにアップしようと考えています。

F-4B/152990の履歴。
VF-114/NH-2xx(1967)→VMFA-122/DC-9(1972)→VMFA-115/VE-2(1975)→F-4N→VF-21/NK-200(1981〜1982),
→1983年11月14日、MASDC入り。

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:01 No.4536
あの年の4月、5月- #2
1973年5月6日(日曜日)12時、タイのNAM-PHONG ABから厚木に飛来したVMFA-115のF-4B/153062,VE-3.

光線状態は最悪でしたが、マニア14人が撮影。
その内、サラリーマンのマニア8人の方達からは声が上がり興奮した面持ちでした。

同機は此の日、西側エプロンにあるUS NAVYのAMDハンガーに入りましたが
翌日になってニッピにトーイングされています。

F-4B/153062の履歴。
VMFA-122/DC-7(1972)→VE-3(1973〜1975)→ F-4N→VMFAT-101/SH-41(1977〜1978)→VMFA-531/EC-04(1981),
→1981年11月23日、アリゾナ州MCAS YUMAよりMASDC入り。
1985年1月22日、USAF(FP-005)となる→1985年4月23日、ユタ州HILL AFBでAGDR機となる。

M.WADA 2022/05/13(Fri) 05:04 No.4537
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

今朝は雨風強く嵐のようですから、お出掛けの際は、どうぞお気をつけ下さい。

1974年5月21日(火曜日)9時43分、厚木R/W-19へVMFA-115のF-4B/152327,VE-7が着陸。
其れを仲間6人と撮影。パイロットネームはCAPT CHEATHAM/RIO, LT WINDLE.

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:20 No.4538
あの年の4月、5月- #2
着陸から3時間後,VE-7は岩国へ戻る為「お墓」前の誘導路DWに出てきました。

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:22 No.4539
あの年の4月、5月- #2
12時38分、R/W-19から離陸。
いつもは離陸を撮る自分ですが、此の時は珍しくタキシング・ショットを撮影していました。

F-4B/152327の履歴。
VF-14/AB-101(1966〜1967)→VMFA-251/DW-3(1970)→VMFA-115/VE-7(1974~1975)→VMFA-351/MC-7(1975〜1976)→F-4N,
→VF-202/AF-2xx(1983)→1983年9月7日、テキサス州NAS DALLASで登録抹消。

M.WADA 2022/05/14(Sat) 05:24 No.4540
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年5月14日(火曜日)10時47分、厚木R/W-19へL/DするVMFA-115のF-4B/152263,VE-8.
パイロットネームはCAPT D.R.KNUTSON / CAPT M.A.NEWLIN.

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:51 No.4541
あの年の4月、5月- #2
バックに綺麗な雲が出ているのに着陸の時だけ曇るというジンクス通りの「厚木曇り」に襲われました。
VE-8は13時21分、岩国へ戻っています。 当日エンドに来たマニアは8人でした。

F-4B/152263の履歴。
VF-92/NG-204(1967)→VMFA-115/VE-2(1970)→VE-8→F-4N→VMFA-321/MG-7(1978〜1982),
1984年4月27日、テネシー州 NATTC MILLINGTONに於いて運用不可の裁定を受け退役。
アーカンザスのWEST メンフィスにあるVFW POST 5225で現在展示中。

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:53 No.4542
あの年の4月、5月- #2
1979年5月29日(火曜日)午前4時17分、前日から我が家に泊まっていた"BANDIT"さんと空自/百里へ出発。
途中、写友のSASAKIさん宅で彼をピックアップし向島〜取手と経由し8時35分に百里に到着。

片道約115qを4時間18分かけて、やっと辿り着き、この時点でかなりグロッキーな状態でした。
現在のマニアの方達は道路環境も整備され,このような苦労はせずに行けると思うので随分,楽だと思われます。

お目当ての空自機は、我々の到着前の8時から飛び始めて居り
F-4EJx8機、T-33Ax4機の離陸は間に合いませんでした。

この日は他に5人の厚木マニアが百里に来ていてビックリ仰天。
厚木は蛻の殻状態で、当日のトラフィックデータが抜け落ちたまま現在に至っています。

8時45分、百里R/W-03を編隊離陸する301空のF-4EJ/57-8357/87-8410,"ENJOY-01"FLIGHT.

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:55 No.4543
あの年の4月、5月- #2
F-4EJ/87-8410号機は仮想敵機塗装機で主翼の上下と胴体後方にレモンイエローの帯が入れられていました。

301空が百里から新田原基地へ移動した事で同機も日向灘のR-533でACM訓練中の1997年7月4日、
CAPT MIYAZAKI/CAPT KIRIKAWA TAROU WSO搭乗のF-4EJ/87-8410号機はレフトターン中にコントロールを失い、
日向灘に墜落。2名のクルーは新田原のSARヘリに救助されましたが、機体は海中に没し失われました。

M.WADA 2022/05/15(Sun) 04:58 No.4544
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

海軍機マニアの皆さんならVF-161機の一押しは、
何といってもバイセンF-4N/151433,NF-100ではないでしょうか?

このバイセンNF-100番は、そこそこ飛んではいるのですが、天気や飛行時間帯等、
なかなか良い撮影環境で撮影出来ず幾たびも苦い思いをさせられました。

そんな思いの中で、やっと巡って来た最高のチャンスが1976年5月11日(火曜日)に実現しました。

普段は絶対に登らないニッピ山で最も高い木の最上段まで攀じ登り撮影したのが此のショットです。
NF-100/110/113は10時丁度にT/Oし10時50分にL/D. 午後もペアを替えフライトしています。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 04:59 No.4545
あの年の4月、5月- #2
↑の4日前に撮影したNF-100のT/Oショット。

10時2分に厚木R/W-19を離陸し、11時30分に帰っています。
この日も午後フライトし、それを仲間二人と撮影。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 05:05 No.4546
あの年の4月、5月- #2
そして送りショットです。

F-4N/151433の履歴。
VF-32/AB-205(1970〜1971)→F-4N→VF-161/NF-100(1975〜1977)→1977年10月20日,厚木よりMASDC入り。
1990年4月、アリゾナ州TUCSONのAMCEP社で廃物処理。

M.WADA 2022/05/16(Mon) 05:06 No.4547
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

昨日に続きましてバイセンNF-100の登場です。

1976年
5月11日(火曜日)10時に離陸したバイセンNF-100は10時50分、厚木R/W-19へ戻って来ました。

ところが、着陸直前に雲が湧き出し不安定な気象状態に変わってしまった事に加え、
肝心のバイセンNF-100の着陸高度が通常より高く、思い描いていた構図で撮れませんでした。

結局、バイセンNf-100をニッピ山で撮れたのは此の時1回だけで終わり、
悔いの残ろ結果となりました。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 04:59 No.4548
あの年の4月、5月- #2
此の位置でやっと地上部が画面に写り込み「厚木で撮影」が証明出来たショット。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 05:00 No.4549
あの年の4月、5月- #2
R/Wの白線上で機体下面が浮き出たのでギリギリ合格。
19エンドで3人のマニアがバイセンNF-100を撮影しているのが見えました。

M.WADA 2022/05/17(Tue) 05:02 No.4550
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年5月24日(木曜日)12時46分、厚木R/W-01に降りたDC-251/252”NICKEL-21”は
16時24分、岩国へ向けR/W-19を離陸しましたが「厚木曇り」にやられてしまいました。

F-4J/153858の履歴。
VMFA-122/DC-252(1979)→F-4S→VF-121/NJ-161(1980)→VF-161/NF-103(1983)、
1984年11月25日、VF-151/NF-2xx機としてCV-41を離艦直後、太平洋上に墜落。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:33 No.4551
あの年の4月、5月- #2
1979年5月15日(火曜日)15時33分、厚木R/W-01へ着陸するVMFA-122のF-4J/153849,DC-253.

F-4J/153840の履歴。
VMFA-451/VM-2(19xx)→VMFA-122/DC-4(19xx)→VMFA-251/DW-7(1976)→VMFA-122/DC-253(1979),
→F-4S→VF-121/NJ-160(19xx)→VF-161/NF-102(1983)→1983年11月20日,NAS CUBI POINTから離陸後墜落。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:35 No.4552
あの年の4月、5月- #2
↑の二分後に着陸したDC-255。

F-4J/153856の履歴。
VF-33/AE-213(19xx)→VMFA-251/DW-6(1977)→VMFA-122/DC-255(1979)→F-4S→VF-301/ND-111(198x),
1988年11月、用途廃止。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:37 No.4553
あの年の4月、5月- #2
1979年5月31日(木曜日12時35分、厚木R/W-19にDC-256/153911と共に降りたDC-260は
14時28分、岩国へ向けR/W-19を離陸したところを仲間二人と撮影。 C/Sは”NICKEL-31”。

F-4J/153869の履歴。
VMFA-333/DN-136(1974)→VMFA-333/AJ-136(1975)→VMFA-122/DC-260(1979)→F-4S→VF-161/NF-104(1983),

1983年6月4日、新田原の西、90マイルで空母ミッドウェイへ着艦しようとしていたNF-104は
コントロールを崩して海上に落下。

クルー2名は着水寸前に緊急脱出したもののLTJG MARK MARTONEは行方不明となり,一人だけ救出。
その後、LTJG MARKは死亡者扱いとなっています。

M.WADA 2022/05/18(Wed) 04:38 No.4554
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年4月24日(水曜日)15時5分、厚木R/W-19へL/DするVMCJ-1のRF-4B/153093,RM-601.
同機は17時10分、岩国へ戻っています。 マニアは23人がエンドに集いました。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:41 No.4555
あの年の4月、5月- #2
同じRF-4B/153093号機ですが一年後には垂直尾翼のマーキングをガラリと変えて
ブラックテール+イエローT/Cとして厚木に姿を現し、マニアを驚かせました。

RF-4B/153093の履歴。
VMCJ-1/RM-15(1971〜1973)→RM-601(1974)→RM-611(1975)→VMFP-3/RF-611(1976)→RF-12(1982),
1989年8月9日、AMARC入り。2008年11月19日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:43 No.4556
あの年の4月、5月- #2
1974年5月8日(水曜日)14時40分、ニッピ入りの為、厚木R/W-19へ着陸したRM-602は
強い南風にも拘らず、R/Wエンドまで滑走しAE誘導路に入って来てくれました。

ただ残念だったのは、強風にドラッグシュートが煽られ撓んでしまった事でした。

RF-4B/153091の履歴。
VMCJ-1/RM-17(1970〜1974)→RM-602(1974)→VMFP-3/RF-10(1984)→1989年8月2日、AMARC入り。
2008年11月18日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/19(Thu) 06:46 No.4557
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年4月24日(水曜日)16時12分、高いアプローチから厚木R/W-19へ降りるRM-603.

M.WADA 2022/05/20(Fri) 04:53 No.4558
あの年の4月、5月- #2
一年後にブラックテールに変わり厚木から空母ミッドウェイへフライオフするRF-4B/3105,RM-603.
この日はCVW-5機のフライオフがあり28機がCVA-41へ向かうのをマニア15人と共に撮影。

RF-4B/153105の履歴。
VMCJ-1/RM-603(1974〜1976)→VMFP-3/RF-21(1979)→1989年7月19日、MCAS EL TOROよりAMARC入り。
2008年11月21日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/20(Fri) 04:56 No.4559
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1974年5月5日(日曜日)11時5分、厚木R/W-19へ降りるVMCJ-1のRF-4B/153109,RM-605.
外部増槽燃料タンク/ドロップタンク(マニア間では”増タン”と呼称)に描かれた
「RM」のマークが目を引きます。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 04:57 No.4560
あの年の4月、5月- #2
ブラックテールとなった1975年のRMはMdxも”604”から”614”に変わり厚木に登場。

RF-4B/153109の履歴。
VMCJ-1/RM-22(1972)→RM-604(1974)→RM-614(1975)→VMFP-3/RF-17(1977)→RF-25(1985~1987),
→RF-120(1987)→1987年10月19日,フィリピン,CROW VALLYでRF-4Bのフラッシュ・カートリッジが爆発.
二名のクルーは緊急脱出し無事救助されましたが機体は墜落し失われました。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 05:01 No.4561
あの年の4月、5月- #2
1979年の三軍記念日当日の5月20日(日曜日)早朝,VS-29”DRAGON FIRES"のCAG機・NE-700がL/D.
マニアは入場準備〜途中の飛来で”虚”を突かれた格好となり悔しい撮り逃しとなりました。

公開最中の15時15分、NE/S-3Aに動きが見られた為、
公開終了直後の”追い出しショット”撮影を諦め、エンドに走り、撮ったのが此のショットです。

機首Mdx上部に描かれた「スーパーマン」マークはVS-29が1978年度に獲得したSAFETY AWARDを表したもの。
NE-700は厚木から嘉手納に向け離陸しましたが、撮影者は多過ぎてカウント出来ずでした。

S-3A/160507の履歴(国内ネットのデータでは"160588"と表記されていますが厚木飛来時のNE-700は、
"160578"でしたので、こちらを優先とします。)

S-3A→S-3B→2006年2月14日、カリフォルニア州NAS NORTH ISLANDからAMARC入り。
当時の所属はVS-41/NJ-733でした。

M.WADA 2022/05/21(Sat) 05:03 No.4562
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

再びマリンコ・ホークのアップとなります。

なるべくSq/機種ごとに纏めてご紹介しようと努めているのですが上手く行きません。

1974年5月14日(火曜日)10時54分、厚木R/W-19へ着陸するVMA-311のA-4E/149989,WL-14.
WL-11も続けてL/Dしニッピのエプロンに駐機。エンドに集ったマニアは8人。

12時19分、2機のWLホークは岩国へと帰って行きました。

A-4E/149989の履歴。
VA-56/NF-4xx(1963〜1964)→VA-125/NJ-xxx(1964〜1965)→VA-155/NL-5xx(1965)→VA-86/AG-xx(1965),
→VA-56/NF-4xx(1965〜1966)→VA-192/NM-208(1966)→VMA-331/VL-xx(1967)→VMA-223/WP-xx(1967),
→VMA-121/VK-xx(1968)→VMA-223/WP-xx(1968〜1970)→VMA-211/CF-xx(1970)→VMA-311/WL-14(1972〜1975),
→VMA-131/QG-xx(1975)→QG-10(1976〜1979)→1979年8月26日、ペンシルベニア州HORSHAMの近くで
機体が突然爆発し墜落。パイロットは死亡し機体は失われました。

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:44 No.4563
あの年の4月、5月- #2
1974年5月26日(日曜日)15時、僚機CF-8と共にL/DしたCF-9を仲間16人と撮影。
この日は他にED-00/WB-03/VE-9,13,14/CF-4/5等、多くの海兵隊機が撮れた日でした。

A-4E/151023の履歴。
VMA-332/EA-xx(1965〜1966)→VA-212/NP-2xx(1966〜1967)→VA-153/NL-3xx(1967〜1968),
→VA-125/NJ-xxx(1968)→VA-106/AK-2xx(1968)→HAMRON-12(1968)→VMA-311/WL-8(1968〜1973),
→VMA-211/CF-9(1973〜1975)→VC-5/UE-06(1976〜1977)→UE-02(1978〜1982)→UE-06(1983〜1992),
1992年3月、運用不可の裁定を受け退役

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:46 No.4564
あの年の4月、5月- #2
1984年5月19日(日曜日)、厚木AFDを前日に控えたR/W-19エンドは
曇り空にも関わらずヒコーキ目当で600〜700人余りの観衆やマニアでごった返し
駐車スペースも無い状況で、写真撮影どころではない環境でした。

そんな最中の15時15分にショートカットでL/Dして来たのがVMA-211のA-4M/158429,CF-11,"WAKE-13"。
この厚木エンドの狂騒はCVW-5が岩国へ移駐するまで続き、マニア泣かせの時代となりました。

A-4M/158429の履歴。
VMA-214/WE-xx(1972〜1976)→VMA-211/CF-xx(1976)→VMA-311/WL-xx(1977〜1978),
→VMA-214/WE-xx(1978〜1979)→VMT-102/SC-22(1979〜1982)→VMA-311/WL-11(1982〜1983),
→VMA-211/CF-11(1983〜1984)→VMA-311/WL-xx(1984〜1986)→VMA-214/WE-xx(1986),
→VMA-311/WL-xx(1986〜1988)→1989年3月24日、MCAS YUMAよりAMARC入り。
1995年9月6日、A-4AR,FAA,#C-910号機としてアルゼンチン空軍GRUPO-5所属機となる。

M.WADA 2022/05/22(Sun) 04:49 No.4565
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年4月17日(火曜日)厚木R/W-19でT/Gトレーニングを行うNAF ATSUGIのベースフライト機 "NAVY-36436".
機首にはスマイルマークならぬ”口”が描かれており、下側の前歯が1本抜けているのが何ともご愛敬。

US-2B/136436の履歴。
NAS BARBERS POINT #436(1970)→NAF KADENA #436(1976)→NAF ATSUGI(1979),
1979年10月10日、厚木に於いて運用不可の裁定を受け退役。

尚、退役前後の厚木は施設工事のためR/Wクローズ中で
ラストフライト等のセレモニーは行えず、寂しい幕引きとなりました。

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:47 No.4566
あの年の4月、5月- #2
1979年5月20日(日曜日)は厚木の三軍記念日当日でHSL-35のSH-2Fがフライトディスプレイを実施。
但し、HSL-35のT/C”TG"が書き込まれていないのが残念でした。

SH-2F/150152の履歴。
HC-7/VH-1x(196x)→SH-2F→HSL-74/NW-xxx(197x)→HSL-35/TG-32(19799)→USMC SAR→US Navy,
1994年1月19日、AMARC入り。2009年2月9日、RNZAF機。GROUND TRAINING WING(GTW)#0232G.

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:50 No.4567
あの年の4月、5月- #2
1977年5月18日(水曜日)4時8分,自宅発→7時10分,百里着(154km)→11時54分,百里発→16時15分,厚木着。
以上が当日の動きですが、厚木から百里に行く事が如何に大変か分かると思います。

写真は百里R/W-21へL/D後,No-5誘導路のアーミングエリアで
ドラッグシュートの回収待ちをする"JINGO-01"FLIGHT.

M.WADA 2022/05/23(Mon) 04:52 No.4568
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

本日はHAMANOさんが今から56年前の1966年4月に伊丹で撮影した
VP-1”FLEET's FINEST"のSP-2H/135621,YB-12のショットをお届け致します。

着陸時のYB-12の垂直尾翼を良〜くご覧ください。
そうです。 無数の機銃掃射の弾痕が確認出来ると思います。

このSP-2H/135621,YB-12はベトナム戦争の激化に伴い1964年に続き2度目のベトナム派遣ミッションに
1966年2月13日、出発したうちの1機でした。

アメリカ,ワシントン州NAS WHIDBAY ISLANDから岩国へ派遣されていたVP-1は
更にDETとして南ベトナムNAF TAN SON NHUTに赴いた7機のネプチューンを派遣。

これらのネプチューンは1965年3月11日に始まったアメリカ軍と南ベトナム軍による軍事作戦、
"TASK FORCE-115",コードネーム「マーケットタイム作戦」に参加し
海上から北ベトナム軍への装備と弾薬の供給を阻止することを任務として
沿岸からパトロールを実施しました。

1966年4月13日,夜,ベトコンによる基地への攻撃が発生しVP-1の兵士一人が戦死,5人が負傷する損害を出し
7機のSP-2Hの内、5機がロケット弾や機銃掃射により被弾。

此のことで、VP-1はベトナム戦争で死傷者を出した最初の哨戒飛行隊となり
又、「マーケットタイム作戦」でSP-2Hネプチューンを運用した最後の部隊がVP-1でもありました。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:49 No.4569
あの年の4月、5月- #2
着陸後YB-12は新明和のハンガー前にトーイング。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:52 No.4570
あの年の4月、5月- #2
駐機位置に向きを変えているところ。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:53 No.4571
あの年の4月、5月- #2
そして70発以上が被弾した垂直尾翼を捉えた”衝撃的”なショット!

SP-2H/135621の履歴。
1955年9月28日、BURBABK工場でUS NAVYに引き渡し。
1955年10月〜11月、NARF ALAMEDA
1955年〜1958年、VP-9に所属
1959年10月〜1963年9月、NAS WHIDBAY ISLANDのVP-2に所属(1960年1月よりP2V-7)
1963年9月〜1965年5月、NAS WHIDBAY ISLANDのVP-17に所属
1965年5月〜8月、VP-42に所属
1965年8月〜1967年1月、VP-1に所属
1967年1月〜1968年5月、NAS SEATTLEに所属
1968年5月〜6月、NARF NORFOLKに所属
1968年6月〜1969年2月、NAS SEATTLEに所属
1969年2月〜1970年1月、NARTU NAS OLATHE(7K-206)に所属
1970年1月7日、MASDC入り。
1976年6月29日、運用不可の裁定を受け退役。
就役より21年間に亘る歴史に幕を降ろしました。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 04:55 No.4572
あの年の4月、5月- #2
自分が撮った写真も一枚アップしますが「ヒコーキ」ではありません。
ある意味、厚木R/W-19エンドでは滅多にお目に掛かれないい光景、「小学校全校児童の遠足」でした。

撮影は今から43年前の1979年5月22日(火曜日)ですから
写っている生徒さん達は、現在50歳代半ばの”中年”という事になります。

M.WADA 2022/05/24(Tue) 05:02 No.4573
あの年の4月、5月- #2
皆さん、お早うございます。

1979年5月4日(金曜日)14時5分、厚木R/W-01へ着陸するVMA-231のAV-8A/159248,CG-5.

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:14 No.4574
あの年の4月、5月- #2
”CG-05”は15時55分、岩国へ向け厚木R/W-19を離陸。それを仲間6人と共に撮影。

AV-8A159248は1975年〜1978年にCG-15、1979年はCG-5として運用後AV-8Cに改造されています。

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:16 No.4575
あの年の4月、5月- #2
CG-5に続いて上がって来たのが”CG-04”ことCG-1、CO機。

この機体には飛行隊名の下に”DET-B"の文字が書き込まれていたのでDETが判明しましたが、
カムフラ塗装に黒文字で小さく書かれている為、判別するのに一苦労させられました。

加えて、機体自体が小さい事と離陸スピードがえらく早く、
暗室作業で目を悪くした自分には手強い相手でした。

AV-8A/159258は後にAV-8Cに改造され運用。1985年9月19日、AMARC入りしています。

M.WADA 2022/05/25(Wed) 05:19 No.4576
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんにちは。

今朝は妻からベランダ掃除を頼まれ、投稿時間が遅れてしまいました。

今日はEA-3B/142671の1973年から1981年までの8年間の姿をご紹介致します。

1973年3月22日(木曜日)テストフライトに向け厚木R/W-19へ向かうPR-6.

垂直尾翼にミサイルに乗ったスヌーピーと"HAPPINESS IS A CEASEFIRE JAN 28 1973"と
赤い文字で書き込まれていました。

同機は3月20日(火曜日)に降りていたのですが、機体の調子が悪く整備を受けていて、
その見極めに飛んだのが22日のフライトでした。

ところがPR-6は調子が戻らず、翌23日の18時45分にはアガナへ戻ってしまい、
厚木でのミッションに就けず、「スヌーピー入りPR-6」を再び撮る事は叶いませんでした。

M.WADA 2022/05/26(Thu) 10:45 No.4577
あの年の4月、5月- #2
1975年4月28日(月曜日)11時30,北鮮への情報収集ミッションへ向かうVQ-1のEA-3B/142671,PR-06.
此の時のR/W-19離陸が自分の撮ったEA-3Bで最も低い離陸となりました。

同機は16時45分,常連マニア3人が待ち受けるR/W-19へ帰って来ました。

M.WADA 2022/05/26(Thu) 10:47 No.4578
あの年の4月、5月- #2
1981年5月18日(月曜日)11時17分、アガナに向け厚木R/W-19を離陸するPR-006.
最初のフライトプランではミクロネシアのYAP APでしたが、10時47分に行き先を変更しアガナとしました。

同機はVQ-1,DET-Bとして1980年9月10日から1981年5月5日まで空母レインジャー搭載/CVW-2所属機でした。

EA-3B/142671の履歴。
1958年10月、US NAVYに配属→NATC(1959)→VQ-1/PR-6(196x〜1973)→PR-06(1974〜197x),
→VQ-1/NK-xxx(1985)→VQ-1/PR-006(198x)→1989年4月28日、グアムのANDERSON AFBよりAMARC入り。
2005年1月11日、AMARCでスクラップ処理。

M.WADA 2022/05/26(Thu) 10:49 No.4579
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

こちらはHAMANOさんが55年前の厚木で撮影したVA-192”GOLDEN DRAGONS"のA-4E/151084,NM-213ですが、
機首前方の点検扉が2カ所、開いたままの状態になっているのが目を引きます。

A-4E/151084の履歴。
VA-164/Nx(1964〜1965)→VA-56/NF-4xx(1965)→VA-155/NL-507(1965〜1966)→VA-192/NM-213(1966〜1967),
→VA-212/NP-xxx(1967)→VA-94/NF-403(1967〜1969)→VA-144/NF-5xx(1969)→VA-94/NF-406(1970),
→VC-1/UA-xx(1970〜1972)→VA-45/AU-605(1972〜1973)→RVAH-3/GJ-340(1973),
1973年10月21日、バージニア州NARF NORFOLKで運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/05/27(Fri) 04:40 No.4580
あの年の4月、5月- #2
1975年5月2日(金曜日)16時10分,厚木R/W-19へ着陸するVA-212"RAMPANT RAIDERS"のA-4F/154207,NP-307.

同機は此の日、嘉手納でパンク事故を起こし修理後に厚木に飛来したものでした。
NP-307は5月4日、再び嘉手納へ戻っています。

A-4F/154207の履歴。
VA-23/NM-3xx(1967〜1968)→VA-125/NJ-xxx(1968)→VA-22/NF-3xx(1968)→VA-22/NF-302(1969〜1971),
→VMA-214/WE-xx(1971〜1972)→VA-127/NJ-xxx(1972〜1973)→VA-212/NP-307(1973〜1975),
→VMA-142/MB-15(1975〜1988)→1988年3月25日、フロリダ州NAS CECIL FIELDからAMARC入り。
2004年11月30日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/27(Fri) 04:42 No.4581
あの年の4月、5月- #2
1980年5月2日(金曜日)17時26分、厚木R/W-01に降りたNK-310/406/405の内、
NK-310と406は5月4日(日曜日)15時23分、厚木R/W-19を嘉手納に向け離陸して行きました。

NK-405はノーマークのA-7Eを引き連れ5月5日(月曜日)16時47分に同じく嘉手納に向けT/O.

A-7E/159648の履歴。
VA-146/NG-302(1977)→VA-27/NK-406(1979〜1980)→VA-93/NF-310(1980〜1982),
→VA-27/NL-401(1984〜1985)→NL-400(1986〜1987)→ギリシャ空軍に159648として採用。
然しマーキングは336Miraの160648と書かれ運用された。
2014年10月、用途廃止後、ARAOS ABで特別な塗装をされ展示中。

M.WADA 2022/05/27(Fri) 04:44 No.4582
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

本日はHC-3"MERLINS"のCH-46Dを3枚ご紹介致します。

1972年4月19日(水曜日)12時、西側ヘリパッドへL/Dアプローチ中のSA-13.

厚木ではヒコーキと違いヘリはL/Dアプローチが一定しないので「撮りずらさ」No-1.
此の時も、あらぬ方向からアプローチされ「証拠写真」を撮るのが精いっぱいでした。

スポンソンにアメリカ製TV アニメ「原子家族フリントストーン」の題名が入っていました。
何故、このような言葉を入れたかの経緯は不明です。

CH-46D/154016の履歴。
HMM-264/EH-xx(02Jan1968)→HMM-261/EM-xx(21Apr1969)→NAS NorthIsland A&T(02Sep1969),
→H&MS-56(24Oct1969)→HMM-265/EP-xx(29Apr1970)→HMM-161/YR-xx(13Nov1970),
→NARF NorthIsland(23mar1971)→NAS NorthIsland A&T(10Apr1971)→HC-3/SA-13(16Aug1971〜1972),
→HMM-268/YQ-xx(19xx)→CH-46E→HMM-164/YT-13(1992〜1993)→HMM-268/YQ-03(12Sep1994〜2013),

M.WADA 2022/05/28(Sat) 04:58 No.4583
あの年の4月、5月- #2
1974年4月12日(金曜日)厚木R/W-01にCVW-5機と共にフライインして来たSA-10/11は
早速、CAMP ZAMAでT/G訓練を実施。

4月17日(水曜日)はSA-11が再びCAMP ZAMAでT/G訓練をしましたが
2度ともCAMPZAMAへ向かっている途中で厚木に引き返されてしまい撮影出来ませんでした。

ご覧頂いているSA-11のショットは厚木R/W-19でT/G中のものですが、
機首正面にパーソナルマーキングが描かれていましたが詳細は不明。
CAMP ZAMAでならバッチリ撮れた筈で、残念な事をしました。

CH-46D/154832の履歴。
HMM-264/EH-xx(07Jun1968)→HMMT-302/UT-xx(02Feb1969)→HMM-161/YR-xx,COSA(22Sep1969),
→H&MS-16/WW-xx(07Nov1969)→NARF NorthIsland(11Apr1972)→HC-3/SA-11(13Dec1972〜1973),
→FAWPRA Atsugi(20Nov1974)→NAS CubiPoint-xx(24 Jan1975)→CH-46E(11Apr1985),
→HMM-165/YW-00(Apr2007)→HMM-161/YR-xx→HMM-364/PF-00,
"Partnership of the Americas 2010"によりC-17でチリのAguayoに供与される。

M.WADA 2022/05/28(Sat) 05:01 No.4584
あの年の4月、5月- #2
1974年4月22日(月曜日)珍しくR/W-19を使用して降りて来た
AE-35 USS KISKA搭載、HC-3,DET-111のCH-46D/153338,SA-17を常連マニア9人と撮影。

この日は退役で帰国真近のRF-8G(NF-604/601)狙いで連日通い詰めていた此の9人のメンバーでしたが、
お目当ての”エイト・ジー”は「お墓」のDWでUターンしてしまい、目論見は成就しませんでした。

CH-46D/153338の履歴。
H&MS-26,SubUnit-1(16Dec1966)→HMM-161/YR-xx(31Dec1966)→HMM-261/EM-xx(20Dec1967),
→HMM-264/EH-xx(12Mar1969)→HMMT-402/BR-xx(09Jan1970)→NAS NorthIsland A&T(15Oct1970),
→H&MS-36,COSA/WX-xx(31,Oct1970)→HMM-164/YT-xx(04Dec1970)→H&MS-36/WX-xx(02Mar1971),
→H&MS-56,COSA(23Apr1971)→H&MS-16,CRAA/WW-xx(16Jul1971)→HC-3/SA-13(04Aur1971)
→SA-17(1974)→2002年6月19日、AMARC入り。6月20日、運用不可の裁定を受け退役。
2008年7月1日、現在、AMARC在籍中。

M.WADA 2022/05/28(Sat) 05:03 No.4585
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年5月29日(水曜日)10時25分、厚木R/W-19へ着陸するVMA-211のCF-01.
パイロットネームはVMA-211のCO,LT COL F.C.REGAN JR.

M.WADA 2022/05/29(Sun) 04:52 No.4586
あの年の4月、5月- #2
↑の写真のクローズアップ。

機首先端に旗を持ったカンガルーのようなものが描かれていましたが
オーストラリア辺りに演習に出掛けた際のものでしょうか?

CF-01と続けて降りて来たCF-7はニッピのエプロンに駐機。

A-4E/151167の履歴。
VA-23/NE-335(1965〜1967)→VA-192/NM-2xx(1967)→VA-164/AH-4xx(1967〜1968),
→VMA-311/WL-14(1968〜1970)→VMA-211/CF-16(1970)→CF-01(1973〜1974)、
→VA-43/AD-326(1975)→AD-3xx(1977〜1978)→AD-322(1979〜1981)→AD-3xx(1982〜1983),
→AD-326(1984〜1988)→AD-3xx(1989〜1991)→AD-328(1992〜1993)→1993年10月4日、AMARC入り。
2002年3月20日、カリフォルニア州CHINOへ移動。

M.WADA 2022/05/29(Sun) 04:59 No.4587
あの年の4月、5月- #2
CF-01着陸の2分後に降りたCF-7.パイロットネームはCAPT R.L.LOYD”BLUE"。

M.WADA 2022/05/29(Sun) 05:01 No.4588
あの年の4月、5月- #2
続けてCF-7の送りショットで、やっと部隊名が見えました。
35oでは容易い「斜め前+送り」の合わせ技も6x7版では難しく苦労させられました。

ブロニーフィルムを巻き上げるには手指が相当頑丈でないと素早くは巻けず、
A-4のような小型機の場合「合わせ技」は端から諦め「一発勝負」に徹しました。

A-4E/151052の履歴。
VA-163/AH-353(1964〜1965)→VMA-311/WL-xx(1966)→VA-81/AJ-405(1966〜1967),
→VA-94/NF-4xx(1967〜1968)→VA-125/NJ-516(1968)→VA-106/AK-216(1968),
→H&MS-12/WA-xx(1969)→VMA-211/CF-7(1970〜1973)→CF-00(1973〜1974)→CF-7(1974),
1974年11月14日、NAS CUBI POINT 離陸後に墜落。

M.WADA 2022/05/29(Sun) 05:02 No.4589
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1974年4月12日(金曜日)9時7分,厚木R/W-01を離陸し岩国へ帰るVMA-311のA-4E/151078,WL-2.

同機は前日、4月11日の11時55分に僚機WL-16と共に降りていたものでした。

此の時は弱い南風が吹いていたものの、運用滑走路はR/W-01でしたが、
R/W-19に変わるのは時間の問題と予めに分かっていたマニア6人は、
全員19側にスタンバイ中01側から降りてしまったのがWL-2/16でした。

光線状態は最悪の時間帯に降りては来たものの、「撮り逃し」たという事実はショックでしたし、
何より、着陸直後にR/Wチェンジし19になったのも癪の種でした。

A-4E/151078の履歴。
A4D-5N/取り消される→A4D-5(A-4E)→VMA-223/WP-xx(1964)→VMA-121/VK-xx(1965),
→VMA-211/CF-xx(1966)→WL-xxとして岩国よりCHU LAIへ移動(Jan12.1967),
→VMA-223/WP-xx(Mar1.1967)→CF-xx(Dec.1967)→WL-xx(1969)→岩国から YUMAへ移動(Mar1972),
→YUMAからBIEN HOAへ派遣(May1972)→WL-xxとしてBIEN HOAから岩国へ移動(1973)→WL-2(1974(),
→VMA-131/QG-xx(1975)→H&MS-49/MAG-49(1979〜1984)→VC-5/UE-xx(1988),
1992年4月、厚木で運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/05/30(Mon) 05:13 No.4590
あの年の4月、5月- #2
WL-2と共に岩国へと向かうVMA-311のA-4E/151036,WL-16.
パイロットネームはLT DON MITCHELL.

A-4E/151036の履歴。
VMA-324/DX-xx(1964)→VMA-331/VL-xx(1964〜1966)→VA-93/Nx-xxx(1966〜1967),
VA-153/NL-311(1967〜1968)→VA-144/Nx-xxx(1968)→WL-22(1968〜1970)→CF-xx(1970),
→CF-01(1972)→WL-16(1973〜1974)→WL-xx(1975)→VMA-131/QG-xx(1975〜1977)→QG-07(1978),
→QG-xx(1979〜1980)→QG-09(1981)→VC-1/UA-xx(1987〜1992)→1992年運用不可の裁定を受ける。
NAS BARBERS POINTの"HAWAII MUSEUM OF FLYING"で展示機を経てLIHUEの
"KAUAI VETERAN's CENTERで展示中。

M.WADA 2022/05/30(Mon) 05:16 No.4591
あの年の4月、5月- #2
1974年5月3日(金曜日)11時27分、厚木R/W-19でローアプローチを行ったWL-7は
そのままT/Gを4回実施し、11時53分、45人のマニアと一緒に着陸を撮影。

パイロットネームはCAPT O'ROUNE R.Jという珍しい名前のパイロットでした。

此の時、多くの着陸ショットが撮れたA-4E/151059号機でしたが、
ご覧のように所属部隊名の最初の数字が消されており、
部隊移動が迫っていることを暗示する動きでした。

この予想は的中し,その後,151059号機が日本の土を踏むことはなく、
同機はアメリカ東海岸、ニューイングランドにあるマサチューセッツ州の
NAS SOUTH WAYMOUTH/VMA-322に移動して行きました。

A-4E/151059の履歴。
VMA-223/WP-1(1964〜1965)→VMA-121/VK-xx(1965〜1966)→VA-212/NP-2xx(1966),
→WL-xx(1966)→VA-192/NM-203(1967)→NARF PENSACOLA(Sep8,1972)→WL-7(1973〜1974),
→VMA-332/QR-59(1975〜1983)→VC-13/UX-22(1983〜1988)→VF-126/NJ-632(1988〜1992),
→VFA-127/NJ-732(1992)→1992年、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/05/30(Mon) 05:19 No.4592
あの年の4月、5月- #2
1974年5月14日(火曜日)10時56分、厚木R/W-19へL/DするVMA-311のA-4E/151038,WL-11.

以前、No-4563でご紹介しましたWL-14と共に厚木に飛来した時のショット。
パイロットネームはCAPT SANDBERG J.R.

A-4E/151038の履歴。
VMA-324/DX-xx(1964)→VMA-331/AJ-509(1964〜1966)→VMA-332/EA-3(1966〜1967),
→VA-93/NF-306(1967)→WL-11(1967〜1975)→VMA-131/QG-06(1975〜1987),
→VF-45/AD-616(1987〜1990)→AD-16,DET-KEY WEST(1991〜1994)→1994年6月22日、AMARC入り。
2001年7月17日、カリフォルニア州CHINOの"YANKS AIR MUSEUM"で展示中。

M.WADA 2022/05/30(Mon) 05:22 No.4593
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

今日は久しぶりに、当BBSの名称でもある"CHECKERTAILS"のご紹介です。

1981年4月10日(金曜日)18時、雨の厚木R/W-01に降りた3機のUEは
翌4月11日(土曜日)11時,UE-03を筆頭に韓国,KUNSAN ABに向けR/W-19を離陸して行きました。

最初に上がって来たのはVC-5のTA-4J/155115,UE-03."CHECKER-03".
パイロットネームはCDR "KILL"ROBB.

彼は3年後の1984年にVC-5の第16代COとなるCDR KILLDEER ROBB JR其の人でした。

TA-4J/155115の履歴。
VT-21/3E-xxx(1969〜1973)→VT-24/3K-xxx(1977〜1988)→VT-25/3J-xxx(1973〜1974),
→UE-01(1974〜1976)→UE-03(1977〜1988)→UE-16(1989〜1990)→UE-xx(1991〜1992),
→カリフォルニア州NAS MIRAMERのNWS,#-xx(1992〜1994)→1994年5月24日、AMARC入り。
2001年6月7日、US ARMY # XB-0003として登録。
2003年3月15日MCAS MIRAMERにおいて、国際基礎練習システム機として活用。
その後、アリゾナ州PHOENIX,WILLIAMS GATEWAY APで登録抹消。

M.WADA 2022/05/31(Tue) 04:45 No.4594
あの年の4月、5月- #2

続けて"CHECKER-03" 'twoことA-4E/151178/UE-14が同時刻に離陸。

A-4E/151178の履歴。
VA-86/AG-412(1964〜1966)→AG-406(1966)→VA-83/AJ-308(1966〜1967),
→VA-106/AK-xxx(1967〜1968)→HAMRON-12(1968)→VA-106/AK-210(1968〜1969),
→VMA-223/WP-xx(1969〜1970)→VMA-211/CF-xx(1970)→VA-152/AJ-515(1970),
→UE-xx(1970〜1974)→VA-127/NJ-xxx(1974〜1975)→VC-1/UA-xx(1975〜1978),
→UE-14(1978〜1987)→1987年11月15日、エンジンから出火し墜落。

M.WADA 2022/05/31(Tue) 04:48 No.4595
あの年の4月、5月- #2
3機目に上がって来た"CHECKER-04"も高〜い離陸でクンサンに向かいました。
パイロットネームはLCDR CHARLIE McDANIEL.

A-4E/151162の履歴。
VA-23/NE-3xx(1964〜1965)→VA-164/AH-4xx(1965)→VA-23/NE-336(1965〜1967),
→VA-94/NF-410(1967〜1970)→VC-1/UA-xx(1970〜1972)→UE-02(1972〜1975),
→UE-04(1976〜1977)→UE-01(1977)→UE-04(1978〜1989),
1989年7月19日、フィリピン、SUBIC BAY 近くの山に墜落し、パイロット死亡。

M.WADA 2022/05/31(Tue) 04:50 No.4596
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1975年4月15日(火曜日)14時30分に離陸したCF-5は15時50分、R/W-19へ着陸。
それを仲間3人で撮影。

A-4E/151095の履歴。
VA-81/AJ-4xx(1964)→AJ-410(1966〜1967)→VA-83/AJ-3xx(1967)→VA-106/AK-2xx(1967〜1968),
VMA-223/WP-xx(1968〜1970)→CF-xx(1970)→WL-7(1970〜1971)→WL-xx(1972〜1973),
CF-26(1973)→CF-5(1975)→WL-xx(1975)→VMA-131/QG-xx(1976)→VMA-322/QR-61(1977〜1979),
→QR-xx(1980〜1981)→FWS,#-55(1987〜1988)→UE-03(1990)→UE-xx(1991〜1992),
1992年に厚木で退役→2010年、徳島のPENIE MEDICAL CENTERでBLUE ANGELS,#-8の塗装を施され
屋外展示されていますが、同機は現役中、BAに在籍した事は有りませんでした。

M.WADA 2022/06/01(Wed) 05:54 No.4597
あの年の4月、5月- #2
1975年5月25日(日曜日)厚木三軍記念日?で撮影したVA-115のA-6B/155630,NF-504.
後方にはVQ-1のEP-3E/150501が見えます。

他にNAF ATSUGIのUS-2A/133306等をMACH3さんを含む仲間5人と撮りましたが、
正式にに展示された航空機は無く、現在に至るまでAFDだったのかも不明のままです。

A-6B/155630の履歴。
VA-85/NK-517(1969〜1970)→VA-165/NG-507(1970)→VA-52/NH-513(1971),
→VA-115/NF-504(1973〜1976)→NF-534(1977)→A-6E→VA-95/NH-505(1993〜1995),
→1995年10月30日、AMARC入り→2015年10月〜11月の間にAMARCを出て処理される。

M.WADA 2022/06/01(Wed) 05:57 No.4598
あの年の4月、5月- #2
1981年4月1日(水曜日)10時、雨の厚木R/W-01に降りたVP-16のP-3C/158913,LF-3は
二日後の4月3日(金曜日)日没直前の17時26分、ハワイ、NAS BARBERS POINTに向け
厚木R/W-19を離陸し10時間に及ぶフライトに旅立って行きました。

このLF-3号機の離陸が、自分のマニア人生で唯一度のVP-16機との出会いとなり、
再び、日本のマニアがVP-16,CO機と嘉手納で出会うまでには30年の月日を要すことになり
丹沢の山影へ太陽が没するかどうかを気にしながら撮った
LF-3の離陸ショット時の事が今も忘れられません。

P-3C/158913の履歴。
P-3C IIIR→VP-40/QE-913(1998)→2004年1月8日、AMARC入り。
2009年、ROC(REPUBLIC OF CHINA)NAVY,#331として移籍。
その後、ROC AF,439thCOMPOSITE AWで運用中。

M.WADA 2022/06/01(Wed) 06:00 No.4599
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1983年4月3日(日曜日)12時、韓国、OSAN ABに向かう為、南のカドを回るND-632.

当日はAbleDogさんを含むマニア49人がND/KA-3B狙いで厚木を訪れていて
南のカドは撮影の「場所取り」で押し合いへし合いの大混雑で大変な騒ぎでした。

其れというのも、フェンス内側に植えられた目隠し用の樹木が成長し
撮影出来る場所が限られ”どけ!”、”何〜!”と罵声が飛び交った為でした。

こういう時は、声の大きい者の勝ちで、小心者は蹴散らされるのが常でした。

M.WADA 2022/06/02(Thu) 04:55 No.4600
あの年の4月、5月- #2
↑の送りショット。
このように前後のショットを選択すると、「真横」のショットは樹木に邪魔され撮れず、
逆に「真横のショット」を選択すると其の前後は諦めざるを得ない状態でした。

KA-3B/142664の履歴。
1959年5月,US NAVYに配属→VAH-7/GL-404(1959)→VAH-9/AC-510(1960)→VAH-11/AB-602(1964),
→VAH-7(1965)→VAH-4/ZB-612(1967)→KA-3B(Jul,1967)→VAH-4/ZB-6(1967)→VAH-4/AH-612(1967),
→EKA-3B(Feb.1968)→VAQ-130/NF-616(1970)→VAQ-135/NH-6xx(1972)→VAQ-135/TR-52(1973),
→VAQ-130/TR-30(1974)→1974年5月3日、MASDC入り→1974年10月22日、NARF ALAMEDA入り、
VAK-308/ND-520号機として現役復帰→ND-632(1978〜1983)→VAK-208/AF-613(1983),
1983年、NAS ALAMEDAで廃物処理される。

M.WADA 2022/06/02(Thu) 04:58 No.4601
あの年の4月、5月- #2
1973年4月14日(土曜日)13時30分,厚木R/W-19でT/Gを実施後L/DしたVAQ-130のEKA-3B/142646,NE-614.
当日はマニア27人がエンドに来ていました。

NE-614は1週間後の4月21日、厚木を離れましたが、一度も訓練飛行せずでした。

EKA-3B/142646の履歴。
1958年9月,US NAVYに配属→VAH-2/NL-908(1961)→KA-3B→EKA-3B(Sep.1968)→VAQ-131/AB-613(1968),
→VAQ-135/NL-613(1971)→VAQ-135/AJ-61x(1971)→VAQ-130/NL-613(1973)→VAQ-130/NE-614(1973),
→1973年11月19日、カリフォルニア州NAS ALAMEDAからMASDC入り。
1994年11月22日、アリゾナ州TUCSONのNATIONAL AIRCRAFT社の所有機となる。

M.WADA 2022/06/02(Thu) 04:59 No.4602
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1975年4月20日(日曜日)7時45分,横田基地西側エプロンに駐機していたVQ-3のEC-130Q/156171,TC-171が
R/Wを横切って南側国有地前の誘導路に入って来ました。

M.WADA 2022/06/03(Fri) 04:45 No.4603
あの年の4月、5月- #2
そこでレフトターンし北に向かってホールディング。

M.WADA 2022/06/03(Fri) 04:47 No.4604
あの年の4月、5月- #2
離陸のため、横田R/W-36へとタキシングするTC-171.

この時点で航空機の両側面を一気に撮影。

厚木ではフライト・キャンセルでエプロンに引き返す以外は撮影不可能ですから、
「両側面一気撮り」の出来る横田は魅力的なところでした。

M.WADA 2022/06/03(Fri) 04:49 No.4605
あの年の4月、5月- #2
8時2分、横田R/W-36を離陸するTC-171.

M.WADA 2022/06/03(Fri) 04:51 No.4606
あの年の4月、5月- #2
最近始めた「一眼レフカメラによるデジタイズ」で
スキャナーを使っていた時には不鮮明で判らなかったものがクリアーに判別出来るようになり、
このTC-171の機首に描かれた「ブルーのネズミ」の発見も「デジタイズ」の賜物でした。

因みに、此の日は厚木のマニア5人とフェンスにへばり付いて撮影しましたが、
その他に4人の厚木マニアが基地のエプロンでF-4D/WPx2,AV−8A/WFx2等を撮影していました。

M.WADA 2022/06/03(Fri) 04:53 No.4607
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1967年5月21日の厚木三軍記念日で展示されたVA-196”MAIN BATTERY" のA-6A/152626,NK-401.

撮影は川崎のY.TAKAHASHIさん。既にトーイング・バーが取り付けられ
空母コンステレーションへのフライオフの準備がされ、移動寸前のショットです。

同機は其の後KA-6Dに改造されAG-521→AB-515→AG-517→NG-515と部隊移動し
ネバダ州NAS FALLONでグランド・トレーナーとなっています。

M.WADA 2022/06/04(Sat) 04:56 No.4608
あの年の4月、5月- #2
1973年3月17日(土曜日)1機のA-6Aがニッピ入りして来ました。

其れはVA-115”ARABS"のA-6A/155703号機でしたが、Mdxが尋常ではありませんでした。
”NF-508”,"8"??? 有り得ないMdxを付けたVA-115機だったのです!  

艦載機では通常は、末尾の数字に"8"と"9"は使用しない(出来ない)事になっているのは
皆さん、ご存知の事と思います。

ここのところの経緯は物知り上手のMACH3さんにお任せです。

NF-508の厚木飛来当時、VA-115は本国で厚木移駐準備の真っ最中で、
塗装も一新し”ブラックテール”でしたから、"旧塗装のNF-508”は
キュービーポイント辺りに永年打ち置かれていたのではないかと推測します。

そのため、態と"使う事の出来ない機体"を揶揄して"508"と付けたのではないかと思うのですが、
皆さんは、どのように思われるでしょう?

4月12日(木曜日)ニッピを出てテストフライトに飛び立ったNF-508は
厚木R/W-19に降りようとしましたが強い南風に煽られT/Gとなり、
再度L/Dを試みましたがウェーブ・オフ。

3度目に,やっと着陸することができ、それをMACH3さんを含む常連5人と撮影。
外来で来たMCAS IWAKUNIのC-117Dは強風で降りられず横田へダイバートする程の強風でした。

M.WADA 2022/06/04(Sat) 04:59 No.4609
あの年の4月、5月- #2
翌4月13日(金曜日)ニッピを出たNF-508は南のカドを回りR/W-01を離陸し本国へ帰国。
此の時は仲間4人との撮影でした。

A-6A/155703の履歴。
1969年、US NAVYに納入/配備→VMA(AW)-225/CE-03(1970)→VA-34/AB-503(1970〜1971),
→VA-115/NF-508(1973)→A-6E→VA-35/AJ-505(1980)→AJ-512(1980〜1981),
→VA-65/AG-505(1983〜1985)→VA-176/AE-502(1986)→VA-36/AJ-535(1990〜1991),
→VA-42/AD-501(1992)→AD-503(1992〜1993)→VA-205/AF-503(1993),
1993年11月16日、AMARC入り。
2015年5月21日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/06/04(Sat) 05:01 No.4610
Re: あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年5月12日(木曜日)11時5分、厚木R/W-19へVMA(AW)-332/EAのA-6E/159178がL/D.
この日は大変良い天気でしたが、ニッピ山から見える"ROYAL OAK-01"には陽が当たりませんでした。

相鉄線際に居られたダブルタンゴさんの場所では陽が当たっていたのでしょうか?
EAの隊長機、R/W-19午前中の降りは此の時だけでしたので、気になるところです。

L/Dで曇った為、何とか挽回しようとニッピ山で粘りましたが時間は刻々と過ぎ、
EA-01が出て来たのは11時30分近く、光線状態は既に最悪状態でしたが、我慢しながら撮影。

M.WADA 2022/06/05(Sun) 04:45 No.4611
あの年の4月、5月- #2
"ROYAL OAK-01"は11時42分、R/W-19を離陸し岩国へ戻って行きました。
CO名が書かれていない以外は、ほぼ完璧なマーキングでしたので残念な出会いでした。

A-6E/159178の履歴。
1974年,US NAVYへ配備→VA-128/NJ-xxx(1974)→VA-52/NH-501(1975)→VMA(AW)-224/WK-01(1975〜1976),
→VMA(AW)-332/EA-01(1976〜1977)→EA-351(1979〜1980)→VA-176/AE-500(1983〜1985),
→VA-34/AG-505(1994)→1995年12月21日、AMARC入り。
2016年1月13日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/06/05(Sun) 04:47 No.4612
あの年の4月、5月- #2
1977年4月29日(金曜日)厚木R/W-19に着陸したEA-05は,翌4月30日,9時12分,三沢に向けT/O.

M.WADA 2022/06/05(Sun) 04:52 No.4614
あの年の4月、5月- #2
この日の"ROYAL OAK-09"はEA-01と打って変わって素晴らしい天気の中での離陸となりました。

当日エンドに来たマニアは2人と少なかったのは横須賀入港中の空母コーラルシーの艦載機が
ヘリ以外居なかった事が影響していました。

CV-43は5月3日、横須賀を出港。2機のSH-3G/NL-722&723がフライオフして終わっています。

A-6E/155585の履歴。
1968年、US NAVYに配備→VA-65/NH-505(1968〜1969)→VA-115/NF-501(1971),
→VMA(AW)-533/ED-5(1973〜1974)→A-6E→VMA(AW)-332/EA-05(1976〜1977)
→VMA(AW)-224/WK-06(1981)→VA-128/NJ-816(1987)→VA-304/ND-4xx(1991〜1995),
1995年4月、フロリダ州SAINT AUGUSTINE のGRUMMAN社で廃物処理後、大西洋に漁礁として水没。

M.WADA 2022/06/05(Sun) 04:54 No.4615
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1980年月7日(水曜日)10時1分,厚木R/W-01に降りるVMA(AW)-533のA-6E/159904,ED-02.
01エンドにはマニア11人が来ていました。

着陸後ED-02は修理か整備の為か西側エプロンのAMDラインに駐機。
13時55分、"BRAVE-00"は岩国へ向けT/O.

A-6E/159904の履歴。
1976年、US NAVYに配備→ED-02(1980)→ED-04(1981〜1982)→VA-65/AJ-504(1992),
→VA-36/AJ-504(1993)→VA-95/NH-510(1993〜1994)→1994年4月、バージニア州の
NAS NORFOLKで事故により登録抹消。

M.WADA 2022/06/06(Mon) 04:52 No.4616
あの年の4月、5月- #2
1975年5月22日(木曜日)14時55分,厚木R/W-19を離陸し岩国へ向かうED-10を仲間4人と撮影。

A-6E/155707の履歴。
1969年、US NAVYに配備→VMA(AW)-225/CE-07(1969)→VA-85/AA-501(1971)→A-6E,
→VMA(AW)-533/ED-10(1972〜1975)→VA-34/AB-511(1977〜1981)→VA-165/NG-500(1981〜1982),
→VMA(AW)-224/WK-07(1984)→VA-145/NE-507(1992〜1993)→VA-115/NF-500(1994〜1995),
1995年4月、運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/06/06(Mon) 04:54 No.4617
あの年の4月、5月- #2
1969年4月6日(日曜日)横須賀で一般公開された空母コーラルシー甲板上のNL-404.
撮影は友人の松野隆司さん。

原版はフィルムではなく手札のカラー写真をスキャンしたものです。

経年劣化が激しく、殆んど色が抜け落ちたところからの復元なので、
本来の色は再現できませんでしたが、雰囲気はお分かり頂けると思います。

厚木の仲間(中島、松野、小島、澤野各氏)と自分を加えた5人で製作した会報「NAC」の
VOL-2の中にあったショットを今回”初公開”しました。

撮影者の松野さん、そして小島さんも所在不明で連絡が付きません。
このCTBBSを観ていてくれたなら、是非、連絡してほしいものです。

ところで。初めにCVA-43を「一般公開」したと書きましたが、
厳密には艦内格納庫のみで、写真撮影禁止となっていました。

空母コーラルシーはベトナム戦争の最中で”お祭りムード”は一切なく、
中島さんが当直将校と掛け合って、何とか15分だけ甲板上での撮影が許可されたものでした。

A-&A/154136の履歴。
1968年、US NAVYに配備→VA-52/NL-404(1968〜1969)→VA-95/NL-503(1970),
→VA-115/NF-507(1971)→VA-95/NL-503(1973)→VA-196/Nk-506(1974〜1975)→A-6E,
→VA-85/AA-504(1985〜1986)→VA-85/AC-554(1983)→VA-85/AA-504(1985〜1986),
→VMA(AW)-332/EA-503(1991)→VMA(AW)-224/WK-503(1991〜1992)→EA-510(1993),
1993年6月11日、AMARC入り。
2014年10月14日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/06/06(Mon) 04:56 No.4618
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1984年5月11日(金曜日)13時5分、"LUCIFER-11"が厚木R/W-19でT/G訓練中、
滑走路延長線上,相鉄線トンネ際,フェンスの内側から火の手が上がり黒煙が立ち昇りました。

いつもは常連マニアが早めに火事を見つけ消火するのですが、
此の時は火をつけた若いマニアは此方に助けを求めず逃げた為、対応が遅れ、
火がトンネルの土手のかなり広い面積を黒焦げとなる”大火事”に拡大。

緊急出動した513FS/VX-51のHSS-2B/8078,"MIGHTY-78"が上空から現場を確認。

”飛行場から北西300mのところで火災発生。消防車の出動を要請せよ”と
英語で管制塔に連絡を送り、間もなく海自ではなく市の消防車と警察車両が駆けつけ、
我々も警察に職務質問を受け経緯を説明。

この火事以降、トンネルフェンス内は「物理的」に人の立ち入りが出来ない構造となり、
永年慣れ親しんできたトンネル上での”外来機待ち&基地内観察”の特等席が消失したのです。

M.WADA 2022/06/07(Tue) 04:45 No.4619
あの年の4月、5月- #2
出動した市の消防車と見守るマニア達。この日、エンドに来たマニアは7人。

われわれの世代では絶対に起こさなかった”火事”を起こしてしまう次世代のマニア達に
男としての”劣化”を感じ、情けない気持ちになり、時代の移ろいを感じた事件でした。

警察には言いませんでしたが、実は火事の犯人が誰だったのかは判っていたのです。
自分の手に負えないと分かった時点で直ぐに我々に報告してほしかった。

江戸の昔、火事を出したら「磔獄門」の極刑でした。

逃げて済む問題ではないのです。

他人に大きな迷惑がかかる事を肝に銘じ、甘んじて罰を受けるのが一人前の男です。
皆そうして大人になって行くわけで、結果的に幸せになれるのです。

アノ君が、幸せな人生を送っていることを願うばかりです。

M.WADA 2022/06/07(Tue) 04:47 No.4620
あの年の4月、5月- #2
話題を変えて、6空繋がりで、1984年5月20日(日曜日)厚木三軍記念日で一般公開された
VP-6/P-3CとVP-3/P-2Jの新旧対潜機コンビを写したショット。

P-3C-III/161269,5003号機は2011年10月、運用不可となり、後に厚木で解体されています。

M.WADA 2022/06/07(Tue) 04:53 No.4621
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1972年4月2日(日曜日)横須賀で空母コンステレーションが一般公開されました。

天候に恵まれ多くの観客が押し寄せましたが、そつのない「ロープ張り」が功を奏し
マニア目線では「撮り易い」展示で助かりました。

撮影出来たNG-111は、横須賀公開から1ヵ月後の5月10日、
北ベトナム上空の空中戦でMig-17を撃墜し”Mig Killer”となっています。

M.WADA 2022/06/08(Wed) 04:45 No.4622
あの年の4月、5月- #2
此方はシスター・スコードロンであるVF-92のF-4J/155794,NG-204.
スプリッターベーンにミッションC/Sなのか"DEAMMA RAE"と文字が書かれていました。

F-4J/155794の履歴。
NG-206(1970)→NG-204(1972〜1973)→NG-214(1973〜1974)→VF-121/NJ-100(1975),
→F-4S→DB-06(1984)→1988年、8月28日、AMARC入り。
2008年6月13日HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/06/08(Wed) 04:47 No.4623
あの年の4月、5月- #2
1977年4月バージニア州のNAS OCEANAでJIM LESLIEさんが撮影したVF-101のF-4J/155869,AD-101.

前年のバイセン塗装が残っていたのか、元々、部隊の塗装であったのか良く分りませんが、
US NAVY機好きにはタマラナイ塗装ですね。

F-4J/155869の履歴。
VF-102/AG-102(1975)→VF-101/AD-101(1976〜1977)→AD-112(1977)→VF-154/NK-103(1983),
→F-4S→VMFA-321/MG-06(1987)→1989年4月22日,ノースカロライナ州MCAS CHERRY POINTで登録抹消。

M.WADA 2022/06/08(Wed) 04:49 No.4624
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

今回はVF-161のCAG機のスプリットベーンに書かれた「航空隊長」の特集です。

一般的にI.N等、メディアで紹介されている「航空隊長」の機体は
垂直尾翼ラダーが「稲妻」形の色分けがされたものが殆んどです。

その機体が初めて厚木で確認されたのは1977年2月28日(月曜日)に行われた
CVW-5機による厚木フライインが最初でした。

丁度、正午過ぎのR/W-01降りだったので、映像的には不満でしたが、
目敏いベテランマニアの一人が”スプリットベーンに”漢字”が書いてあったと叫んだのです。

それを聞いて一同ざわめき立ち、真偽のほどを確認したかったのですが
デジタル時代の今なら、画像を直ぐに見られますが、其の時はアナログ全盛期のため、
フィルムが現像から上がってくるまで暫く待たなければなりませんでした。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 04:49 No.4625
あの年の4月、5月- #2
2月28日撮影の画像をトリミングして見ました。
ちょっと”アメリカン”ですが、確かに「航空隊長」と書かれていました。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 04:51 No.4626
あの年の4月、5月- #2
↑から3か月近く経った5月17日(火曜日)10時30分、厚木R/W-01を訓練に向け離陸するNF-100を、
マニア5人と撮影。 1時間後の11時28分、R/W-01へ着陸。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 04:54 No.4627
あの年の4月、5月- #2
STARBOARD側の機首部分もトリミングしてみました。

NF-100/151433は3月〜5月の間、そこそこフライトしたものの、R/W-19運用時の離着陸ショットで
順光下での撮影には全く遭遇せず、自分が満足できるようなショットは撮れずに終わりました。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 04:56 No.4628
あの年の4月、5月- #2
そうこうしている間にNF-100は塗装を落としノーマーク機となり、
4月から厚木に飛来し始めたF-4Jへ順次機種改変が行われていきました。

画像は訓練から帰り、R/W-19へL/D後、南のカドの誘導路(AE)へ入って来た(NF)-100.

F-4N/151433号機は8月中に厚木を離れ本国に戻りましたが、
正確な日にちは、CVW-15/9機の撮影に追われメモる事が出来ず残念な事をしました。

F-4Nから新しくF-4JになったNF-100/153866を最初に確認したのは9月21日(水曜日)で
東側、NAVYのペイントショップ・ハンガーから曳き出され、西側のCVW-5フライトラインに
並んだ時が最初でした。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 04:59 No.4629
あの年の4月、5月- #2
此方のショットは「バイセン航空隊長機」としては,恐らく最初で最後の撮影チャンスと考えられる、
1977年1月12日(水曜日)12時25分、厚木R/W-01をCV-41に向けてフライオフするNF-100.

1976年のいつ頃から「バイセン航空隊長機」が存在したのかについては未だ調査していませんが
1976年後半から1977年初頭にかけてNF-100はレーダーを始めとする電子機器に問題が生じていたようで
NF-100は永らく「ハンガークイーン」状態が続いていました。

何れにせよ「バイセン航空隊長機」は通常の機体より低い稼働率であったことは確かですし、
最も撮って置きたかった機体が”ワンチャンス”で終わっのは残念無念な事でした。

今回のテーマの性格上「今月のテーマ」から逸脱する月が出てしまった事をお許し下さい。

F-4N/151433の履歴。
VF-32/AB-205(1970〜1971)→F-4N→VF-161/NF-100(1976〜1977)→1977年10月20日、MASDC入り。
1987年2月14日、NF-112としてMASDCで骨組み状態。
1990年AMCEP Incに移動後、廃物処理され終わる。

M.WADA 2022/06/09(Thu) 05:02 No.4630
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

こうして毎朝CTBBSにアップしている写真とコメントは
前日に用意して置き、当日の朝、最終チェックの後、投稿しています。

昨日の午後は病院へ定期通院の予約日だったのですが、
珍しく患者はガラガラで、「これなら早く診察も終わりそう」とニッコリ。

案の定、予約時間通りに診察を終え会計に行くと、ナ、何と”大混雑”!
病院のコンピューター・システムがダウンして会計が出来なくなっいていたのでした!

という訳で、疲労困憊で家に辿り着いた為、
今回の投稿写真のデータ等については省略させてください。

1976年5月12日(水曜日)15時0分にR/W-19へ降りた!MOTION-52"FLIGHT(WT-8/9)は
17時20分、R/W-19を岩国へ向けT/O.

その内のWT-8は塗装途中のようで「白色尾翼」で飛来。
昔飛来した”W.WT"を彷彿とさせましたが、結局、普通の塗装を施され運用されています。

M.WADA 2022/06/10(Fri) 04:57 No.4631
あの年の4月、5月- #2
1973年5月24日(木曜日)14時30分,厚木R/W-19へL/DするVF-51"SCREAMING EAGLES"のF-4B/151475,NL-114.

此の時がVF-51の”新塗装”機としての厚木初飛来だった為、何処の部隊か分からず、茫然。。
後にVF-51と判明し、皆が口にした言葉は一つ、”旧塗装の方を撮りたかった!!”でした。

M.WADA 2022/06/10(Fri) 04:59 No.4632
あの年の4月、5月- #2
1977年5月11日(水曜日)8時19分、百里R/W-21を編隊でスクランブル発進する"JUMBO-91"FLIGHT.
"JUMBO-91"は9時55分、帰投。

M.WADA 2022/06/10(Fri) 05:01 No.4633
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

厚木のマニアなら、皆、大好きなのが紅白のTA-4J/UEではないでしょうか?

アメリカ本国では何の変哲もないVT塗装のTA-4Jですが、
此処、日本に於いては”超”が付くほど珍しい塗装であり、J型/TA-4も同様でした。

但し、この塗装のままVC-5機としてフライトした期間は短く、
暫くすると2機とも”通常”塗装になってしまいました。

1975年5月27日(火曜日)午後に降りた2機のTA-4Jは
翌28日の10時18分、ミッションに向け厚木R/W-19を離陸。

此の時、離陸を撮るかタキシングを撮るか迷いましたが
「厚木」と分かるように撮るのが先決と思いニッピ山から撮影する事としました。

若干の「陽炎」が出ていましたが許容範囲内で済み、先ずは一安心。

M.WADA 2022/06/11(Sat) 04:45 No.4634
あの年の4月、5月- #2
後方に見えるUE-01は踏み台が低く脚が隠れ投稿はパス。

M.WADA 2022/06/11(Sat) 04:48 No.4635
あの年の4月、5月- #2
"CHECKER-01"FLIGHT,´Two/UE-02は13時55分、厚木R/\W-19へ着陸。

TA-4J/155117の履歴。
VT-21/3E-xxx(1969)→VT-7/2K-7xx(1973)→VC-5/UE-02(1974〜1981)→UE-03(1981〜1988),
→UE-14(1989〜1992)→1992年9月30日、VF-126/NJ-xxxとしてAMARC入り。

尚、他に3機のTA-4J/158454/158476/158518のUEが存在しますが
自分は今回アップした2機の他は通常塗装で”黒鼻”のTA-4J/158476,UE-14の1機があるだけです。

又、TA-4J/158476,UE-15は1985年5月24日、フィリピン、SUBIC BAYで墜落事故を起こし
パイロットも死亡し、機体は海中に没し失われています。

M.WADA 2022/06/11(Sat) 04:50 No.4636
あの年の4月、5月- #2
TA-4J/155115,UE-01は13時54分、厚木R/W-19へL/D.
同機の履歴データはNo-4594でご紹介済みですので省略致します。

M.WADA 2022/06/11(Sat) 04:52 No.4637
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんばんは。

昨日、妻から「草むしり」を頼まれ1時間15分ほど作業をしました。
その結果、腰痛が発症し動けなくなりCTBBS への投稿が出来なくなってしまいました。

今迄の経験上、腰痛の回復には少なくても1週間程度かかると思われます。

椅子に腰かける姿勢が腰には最も悪い為、
CTBBSのコメントは最小限になりますが、ご容赦ください。

以前アップしたNK-507の映像ですが違うコマでスキャンではなく「デジタイズ」です。

NK-507,厚木飛来の補足情報です。

1980年5月9日(金曜日)曇りの厚木R/W-01へKA-6D/149952,NK-521と共にL/D.
NK-521はVA-115への補充機で、後にNF-522となっています。

NK-507は5月12日(月曜日)NK-521のパイロットを乗せ嘉手納経由でCV=43へ戻って行きました。

M.WADA 2022/06/12(Sun) 16:29 No.4638
あの年の4月、5月- #2
此方のNE-500も、以前No-4467でアップした映像の前のコマで「デジタイズ」版です。

M.WADA 2022/06/12(Sun) 16:32 No.4639
あの年の4月、5月- #2
このNF-500は”初登場”ですが、ほぼ完璧なロービジ塗装機というのが残念でした。
但しパイロットネームは珍しくフルネームでCAG名が書かれていました。

CDR LOUIS ROBERT CANEPA CAGは1988年"TAILHOOKER OF THE YEAR AWARD"の受賞者でもある
優秀なパイロットでしたが、2007年7月25日に永眠しています。

M.WADA 2022/06/12(Sun) 16:33 No.4640
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんにちは。

1975年4月1日(火曜日)12時5分,僚機NF-210と共に空母ミッドウェイに向けフライオフするNF-200.
この日28機のCVW-5機が離陸し、それをマニア15人が撮影していました。

ご覧のように、厚木の正午前後は光線状態が悪く、
それなら地上部を入れて撮影しようと考えニッピ山で撮影してみました。

M.WADA 2022/06/13(Mon) 14:43 No.4641
あの年の4月、5月- #2
↑から2年後、塗装を若干変更し厚木R/W-19をCV-41に向け16機のCVW-5と共にフライオフしたNF-200.
尾翼の塗り分けの間に白線が無いだけでも随分と印象が違うのが分かります。

M.WADA 2022/06/13(Mon) 14:45 No.4642
あの年の4月、5月- #2
その一年後にはF-4NからF-4Jに変わり”黒鼻”となり「見栄え」が一段と良くなったNF-200.
撮影時だけ陽が陰ってしまったのには閉口しました。

NF-200は韓国OSAN ABへと10時17分T/O. この日は29機のCVW-5機がフライトしマニア8人が撮影。
因みにF-4J/153798号機は1982年10月8日、F-4S/DR-02で運用中、フィリピンで墜落し登録抹消。

M.WADA 2022/06/13(Mon) 14:46 No.4643
あの年の4月、5月- #2
昨日は自分のミスで投稿できませんでした。

投稿用コメントの下書きで「日にち」を間違って記入し
そのことに投稿直前で気が付き「日にち」の確認に手間取ったのが原因でした。

然も、投稿用写真も間違ったデータを打ち込んでいたため廃棄し、
また、最初から作り直すという為体でした。

事程左様に、「ヒコーキ写真」に於いてデータ、特に撮影年月日は重要で
下書きの数字「9」を「4」と読み間違えしたのが最大のミスであり、
自分が書いた数字を本人が見まちがえるほど乱筆なのは情けない話です。

では、一日遅れの話題をスタート、今日はP-3Bを3枚アップ致します。

1983年4月2日(土曜日)13時24分、厚木R/W-19に降りていたVP-90”LIONS"のP3B/153438,LX-3は
翌4月3日(日曜日)8時50分、イリノイ州NAS GLENVIEWから海外派遣されている
フィリピンのNAS CUBI POINTに向けR/W-01を離陸。

LX-3が降りた4月2日はNH-500とNDのKA-3B狙いでマニア60人が大挙エンドに詰めかけて居り、
翌日も49人が集まるなど「喧噪」の中での撮影でした。

M.WADA 2022/06/15(Wed) 11:41 No.4644
あの年の4月、5月- #2
1980年5月12日(月曜日)12時47分、厚木R/W-19を離陸するVP-65”TRIDENTS"のP-3B/152186,PG-5.
同機は二日前の5月10日、12時3分にR/W-01へL/Dしたところをマニア6人が撮影。

”PG-05”は派遣先となっていたグアム、NAS AGANAに戻って行きましたが、
この当時、VP-65は嘉手納にも派遣され、同時に二カ所で任務に就いていました。

M.WADA 2022/06/15(Wed) 11:43 No.4645
あの年の4月、5月- #2
1979年5月19日(土曜日)13時30分,部隊派遣されていたNAS CUBI POINTに向けR/W-19を離陸するZE-3.
この日,エンドに来たマニアは46人.又,CAMP FUJIでは基地が一般公開されCH-46D/YP-010が展示されました。

M.WADA 2022/06/15(Wed) 11:45 No.4646
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんにちは。

今日は自分が南のカドで撮った機体で最も”興奮”したショットをお届けします。

それは「固定翼機」ではなく「回転翼機」、そうヘリコプターでした。

1984年5月10日(木曜日)8時3分、51空のフライトラインを出た”MIGHTY-91”は
ホバリングせず、”タキシング”しながら誘導路”AE"へ入って来ました。

M.WADA 2022/06/16(Thu) 13:32 No.4647
あの年の4月、5月- #2
無論、AEでヘリのタキシングを撮るのは初めての事ですし、
況してや、そこでホバリング訓練を撮るのも初めての経験でした。

この日は厚木の常連5人がエンドに集まりましたが、
”MIGHTY-91”の撮影時は時間が早かったせいか、誰も居らず、自分一人だけでした。

M.WADA 2022/06/16(Thu) 13:34 No.4648
あの年の4月、5月- #2
1975年4月6日(日曜日),厚木のエンドでインドネシア政府のガルフが羽田に飛来するという情報を聴き、
YS君とパンダさんの3人で急遽、羽田に行く事になりました。

羽田に到着したのは14時30分、待つ事15分、羽田R/W-22へL/Dして来たのは
「PERTAMINA PETROLEM/ROBIN AIR」という100%インドネシア政府が出資す会社のガルフストリームでした。

撮影後、直ぐに厚木に戻りましたがRCのオライオンがL/Dしただけの撮り逃しで済み、
インドネシア政府機を撮れた収穫の方が大きかった一日でした。

GRUMMAN G-1159,GULFSTREAM IIの履歴。
1969年、就航→N-815GA(TEST REGI)→N-711R→N-771R→PK-PJG→N-152RG→N-215RL→VR-BHA,
→N-115GA→N-51741→N-245GA→N-711R→US ARMY/VC-11A,89-0266→N-245GA,
→N-250MS/MARTIN SPROCKET & GEAR Inc/GULFSTREAM II-SP(3 March.2014)

M.WADA 2022/06/16(Thu) 13:36 No.4649
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんにちは。

1980年5月18日の厚木三軍記念日は風雨の強い朝から始まりました。

天気は時間の経過と共に回復し穏やかな日和となりましたが
自分の撮影した開門直後は最も酷い天候下で人もカメラも「ずぶ濡れ状態」で大変でした。

そんな状況下でしたが大型の脚立に乗って撮影したVMA-542"FLYING TIGERS"のAV-8A/158711,WH-02.

M.WADA 2022/06/17(Fri) 10:40 No.4650
あの年の4月、5月- #2
もう1機はAV-8A/158951,WH-03.

此方は脚立を降りて地上からの撮影ですが、面白みに欠けて居り、
頑張って脚立の上から撮影するべきだったと後悔しています。

同機はAV-8Cに改造され運用後、1986年9月26日、AMARC入り。
全般的にハリアーの追跡資料は乏しく、アノ迷彩塗装が影響を与えているのか、原因は不明です。

M.WADA 2022/06/17(Fri) 10:43 No.4651
あの年の4月、5月- #2
1984年5月3日(木曜日)AREA-4に向け厚木R/W-19を飛び立った"MUSTANG-04"は14時6分、L/D.

"AREA-4"は静岡県、沼津から愛知県、四谷の千枚田付近にかけて広がる長方形の低高度訓練エリアで、
海兵隊機がCAMP FUJIで演習する際によく使う訓練エリアです。

M.WADA 2022/06/17(Fri) 10:44 No.4652
あの年の4月、5月- #2
↑と同じWX-753ですが、左舷(PORTSIDE)だけ、何やら消した跡が有る事に気付き、一計を案じました。

小型機のブロンコですが、太陽の光で最も機体が「光り輝く」写角を得る為、意識的に135oを選択。
後はモータードライブを打ちまくり、東洋現像所からスライドが出来上がって来るのを待ちました。

出来上がったコマを確認していくと2コマだけT/Cが浮き出ているコマが有りました。
そのT/Cはなんと”ER"!

未だに自分が撮った事のないVMO-1”YAZOO"の所属機だったことが判明した瞬間でした。

VMO-1の所在地はアメリカ東海岸、ノースカロライナ州、MCAS NEW RIVER.

VMO-1はVMO-2と共にMCAS FUTENMAのVMO-6(WB)やH&MS-36(WX)のOV-10を運用するパイロットを
派遣していたのは知っていましたが、その機体までは日本に飛来していませんでした。

但し、この”ER"のショットをもって"ER"の機体を撮った!と言えるかというと
それは多分Xでしょう。

それでも自分の気持ちとしては「半分」は撮れたと心密かに思っていたりするのです。

M.WADA 2022/06/17(Fri) 10:46 No.4653
あの年の4月、5月- #2
オマケにWX-753/ER-03のトリミング画像を置いておきます。
後席パイロットのヘルメットを注意してご覧ください赤い文字で"YAZOO"と書かれていました。

M.WADA 2022/06/17(Fri) 10:48 No.4654
あの年の4月、5月- #2
皆さん、こんにちは。

1977年4月18日(月曜日)9時42分、岩国へ向け厚木R/W-19を離陸するRG-422.

右舷(STARBOARD)にだけ,コックピット後方に小さく”THE TASMANIAN DEVIL"と書かれていました。
又、この日は素晴らしい天気でしたが風が強く、調布飛行場は11時から業務停止となっています。

RG-422は18時35分、厚木R/W-19に戻っています。

M.WADA 2022/06/18(Sat) 04:47 No.4655
あの年の4月、5月- #2
1976年5月20日(木曜日)9時10分、厚木R/W-01を離陸し空母ミッドウェイへと向かうRG-724.
RG-724のコックピット後方にPO CITY EXPRESS"とパーソナルネームが書き込まれていました。

当日はCVW-5機のフライオフが行われましたが、
その離陸を「ニッピ山」で撮ろうとする常連マニアが何と9人も登って来たのには驚きました。

何故なら、常連ですからニッピ山で撮影出来る人数(二人)は知っている筈なのに
それでも敢て登って来たのが、非常に不可解だったからです。

案の定、ニッピ山での撮影は混乱し、二人が限度の撮影台に無理やり二人が乗り込み(合計4人)、
転落の危険がある状態に一変し罵声が飛び交う険悪なムードとなり、
残り7人はフェンスの中を走り抜けるCVW-5機に悲鳴が沸き上がる始末でした。

結局、一人、二人とニッピ山を下山し始め、一時間ほどの内に一人を除いて皆引き揚げて行きました。
其の時の映像がI.Nの掲示板に「証拠写真」が掲載されているので確かめることが出来ます。

以降、ニッピ山へ登って来るマニアは殆んど居なくなった事が、この”事件”の唯一の救いでした。

M.WADA 2022/06/18(Sat) 04:49 No.4656
あの年の4月、5月- #2
"PO CITY EXPRESS"の文字が小さいのでトリミングしてみました。

因みにRG-724が撮れた1976年5月20日の話題で最も”衝撃的”だった外来機が1機ありました。
それは自分が最も撮りたいオライオン、VXN-8のRP-3A/149667,”EL COYOTE"の飛来でした。

機体全体を紅白に塗り込めた"PROJECT SEASCAN"機が厚木R/W-19へ降りたのは18時42分。
撮影出来る時間帯を既に大きく超えていて見ているだけという悲劇的状況での出迎えだったのです。

"NAVY-667"は4日後の5月24日(月曜日)10時53分、曇り空の厚木R/W-01を離陸、撮り逃しています。

M.WADA 2022/06/18(Sat) 04:52 No.4657
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1977年4月2日(土曜日)10時、厚木R/W-19に降りるVR-30のC-9Bをニッピ山から撮影。

M.WADA 2022/06/19(Sun) 09:40 No.4658
あの年の4月、5月- #2
同じRW-114が1977年4月11日(火曜日)TAIPEIに向け厚木R/W-19を離陸。

M.WADA 2022/06/19(Sun) 09:42 No.4659
あの年の4月、5月- #2
1980年5月3日(土曜日)6時50分,ウェーク島を飛び立ったRX-116/"NALCO-88"は11時25分、厚木へL/D.
翌5月4日(日曜日)早朝、三沢を往復したRX-116は12時3分、再び三沢に向けT/O.

機首には"CITY OF LONG BEACH"とパーソナルネームが書き込まれていました。

M.WADA 2022/06/19(Sun) 09:43 No.4660
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1976年5月7日(金曜日)9時28分、ローカルフライトに飛び立ったNF-310は11時に厚木R/W-19で
T/Gを4回実施し11時20分にL/D. パイロット名はLT RUE ROBERSON. R/Wエンドにマニア二名。

M.WADA 2022/06/20(Mon) 05:14 No.4661
あの年の4月、5月- #2
1977年4月4日(月曜日)10時58分、NF-304は空自、美保基地(米子空港)を目指しR/W-01を離陸。
パイロット名はLCDR DAVE FITCH, P/CはAN WILLY D. WILLIAMS. R/Wエンドにマニア11人あり。

因みに、午後もNF-406と412が美保基地に向かって離陸しています。

M.WADA 2022/06/20(Mon) 05:17 No.4662
あの年の4月、5月- #2
1984年5月30日(水曜日)11時30,ローカルフライトの離陸に向け着陸機(PR-33)を待つNF-305と300。
この日R/Wエンドに来たマニアは30人。NF-305/300は14時36分、R/W-01へL/Dしています。

M.WADA 2022/06/20(Mon) 05:20 No.4663
あの年の4月、5月- #2
1979年4月7日(土曜日)14時40分、厚木R/W-19へL/DしたNE-301と311は
3日後の4月10日(火曜日)10時52分、嘉手納に向けR/W-19を離陸。

この日の18時38〜42分、VA-147のA-7E/NG-400/404がL/Dしていますが
自分はNEの着陸は撮り逃がし、NGは着陸時刻が遅すぎて撮れずと「運」に見放されていました。

M.WADA 2022/06/20(Mon) 05:22 No.4664
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

今から54年前の1968年3月29日(金曜日)2機のVA-153"BLUE TAIL FLIES"の
A-4E/151124/151030,NL-310,314が厚木R/W-19へL/D.

翌々日の3月31日(日曜日)には11機のCVW-11(NH)機が厚木R/W-01へフライイン。
4月1日(月曜日)にNL-310がローカルフライトを実施。

4月2日(火曜日)横須賀に空母キティーホークが入港し、
厚木にVAH-4,DET-63のKA-3B/138971が単機フライイン。

その日、唯一フライトした艦載機がVA-153のA-4E/151030,NL-314で
10時15分、厚木R/W-01をローカルフライトにT/O,11時35分、L/Dでした。

M.WADA 2022/06/21(Tue) 04:56 No.4665
あの年の4月、5月- #2
斜め前で太陽の入射光で胴体に書かれた「USS CORAL SEA」の文字が飛んでしまった為、
送りショットも置いておきます。

M.WADA 2022/06/21(Tue) 04:59 No.4666
あの年の4月、5月- #2
此方は一年後に空母コーラルシー甲板j上で再会したVA-153のスカイホーク。
A-4EからA-4Fに機種改変しハンプバックが追加された事で印象が変わりました。

撮影者は松野隆司さん。
彼は自分より一年下ですが裕福な家庭のお坊ちゃまで「カラー」が使える身分でした。

M.WADA 2022/06/21(Tue) 05:01 No.4667
あの年の4月、5月- #2
↑から3年後の152026号機はVA-153からVA-164"GHOST RIDERS""のCAG機として
空母ハンコック艦上で再び会うことが出来ました。

M.WADA 2022/06/21(Tue) 05:03 No.4668
あの年の4月、5月- #2
但し、ベトナム戦争中という事もあってなのか、CAG機としては非常に地味で
垂直尾翼先端に小さく色分けされた碁盤割りのマークだけでした。

M.WADA 2022/06/21(Tue) 05:06 No.4669
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます。

1973年3月6日,イタリア NAS NAPLESから離陸するVR-24"LIFTING EAGLES"のC-130F/149794,JM-794.
撮影者はANGELO ROMANO氏。

VR-24は当時スペインのNS ROTAをホームベースにしてNAS NAPLESもサブとして数機が常駐。
1976年にはホームベースをシシリー島のNAS SIGONELLAに移しています。

C-130F/149794号機は1989年7月13日、NS ROTAに移動。
1992年8月27日、グアム島、NAF AGANAで台風”OMAR"の直撃を受け修理不能な被害を受け
登録抹消となっています。

M.WADA 2022/06/22(Wed) 04:49 No.4670
あの年の4月、5月- #2
1977年4月19日(火曜日)11時4分、厚木R/W-19へ降りるVRC-50のC-130F/149801,”RZ"-801.

そう、海軍機ファンの皆さんならお判りの事と思いますが
T/CがVRC-50のT/C"RG"ではなくVR-21のT/Cの"RZ"のままの飛来だったのです!

このようなミス?はVR部隊では殆ど例が無く、非常に珍しい出来事でした。

C-130F/149801号機は1985年、VR-24/JM-801としてNS ROTAで運用。
1995年、漁礁として海底に沈められ終わっています。

RZ-801が飛来した当日、CV-41が横須賀に帰港。
夕方、空母コーラルシーから其のCOD機であるC-1A/136766が飛来し、横須賀入港を予感させました。

M.WADA 2022/06/22(Wed) 04:52 No.4671
あの年の4月、5月- #2
1981年4月11日(土曜日)塗装を一新した"RG-787"は14時5分,厚木R/W-19を離陸、
7時間後にフィリピンのキュービーポイントに着陸しています。

M.WADA 2022/06/22(Wed) 04:55 No.4672
あの年の4月、5月- #2
同じく”RG-787”の南のカドのタキシング・ショット。

自分はVRC-50の塗装の中で此の時のマーキングは一番気に入っていましたが
何故か悪天候下での撮影が多く、此の時は珍しく晴れてくれ助かりました。

”RG-787”は8時55分、三沢に向け厚木R/W-01を離陸。マニアは4人がエンドに来ていました。

C-130F/149787号機は1994年8月10日、AMARC入り。
1997年1月8日、南アフリカ空軍機#410として運用開始。
然し、何故か1999年よりWATERKLOOF ABで保管状態に置かれています。

M.WADA 2022/06/22(Wed) 04:57 No.4673
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

今朝は自衛隊機のご紹介となります。

1977年4月20日(水曜日)空自、浜松基地の外来機駐機場で撮影した202空のB-65/6713.

M.WADA 2022/06/23(Thu) 05:07 No.4674
あの年の4月、5月- #2
給油を終え厚木に向けて離陸の為、エンジンスタートする"QUEEN-28".

M.WADA 2022/06/23(Thu) 05:10 No.4675
あの年の4月、5月- #2
浜松R/W-27離陸に向けタキシーアウトする"QUEEN-28"を標準レンズを用いて"腹這い"となり撮影。

撮影前日、4月19日の厚木はCVW-5機のフライオフがあり、翌日は暇であろうと予想し、
友人のYS君と新車のISUZU-117 COUPEに同乗させてもらい訪れたものでした。

早朝から基地外周道路から空自機を撮影していると、直ぐに警務隊が現れ注意を受け、
暫くするとパトカーも登場する騒ぎで撮影も儘ならない状態となりました。

最後には正門から年配の佐官クラスが現れ話しかけてきました。
其の話から航空機マニアと分かると思いもかけない話をしてきました。

「こんなところで写真を撮っても、大して良い写真は撮れないでしょうから、中で撮ったら?」
と、思いもかけないお誘いを受け、正門で手続きをして本当に中で撮る事となったのです。

基地内の撮影は航空機の動線に入らない限りは何処で撮っても良いという”破格”の扱い。
案内・監視役の隊員も居らず「撮影が終わったら声を掛けてね」といって隊舎へ戻ってしまいました。

結局、K-IIx13本、ブロニーフィルム7本を使い切り昼食時間直前にお礼を言って退散。
今でも信じられない「おおらか」な時代の体験で、本当に"昔は良かった"と心底思う一日でした。

因みに此のB-65/6728号機は航空自衛隊より海自に計器飛行訓練の為、貸し出された機体で
海自がB-65による計器飛行訓練を中止した事で1980年3月4日、空自に返還され
入間のHFG所属機/03-03095として運用。

用廃後は空自、那覇基地で展示機となっています。

M.WADA 2022/06/23(Thu) 05:13 No.4676
あの年の4月、5月- #2
生まれて初めての九州訪問。そして空自、築城基地での撮影となったのが1976年5月6日(木曜日)でした。

基地に着き、周囲を探索、撮影出来そうな場所を見つけました。

朝はR/W-07運用で目の前の誘導路をT-33/F-86が離陸に向けタキシングするのですが
その「撮影距離」が圧巻の近さである事に仰天させられました。

F-86Fが2機でタキシングして来ると手前の機体は標準レンズで”はみ出る”のです!!
何という”近さ”なんでしょう。興奮で身体が震え息をのみ
ました。

写真は午後、R/W-23にL/D後、
マニアが珍しいのか此方に手を振りながらタキシングする10空のF-86F/02-7982,"EIKAS-02".
確かに、一日中他のマニアの姿を見ることは一切有りませんでした。

築城訪問から46年が経ちましたが、アノ場所は今でも健在なんでしょうか?
もう、行く事はないと思うのですが、もしあの場所が有るのなら? と、一瞬、マニア魂が頭を擡げました。

M.WADA 2022/06/23(Thu) 05:18 No.4677
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

今朝は其の当時、皆から親しまれていたVRC-50のCT-39E/157353,RG-353のご紹介です。

1973年5月27日(日曜日)8時,厚木R/W-01を飛び立ったRG-02は10時30分,R/W-19へL/D.
それをニッピ山から撮影。マニア24人がエンドに来ていました。

M.WADA 2022/06/24(Fri) 05:58 No.4678
あの年の4月、5月- #2
↑から1年後の1974年5月12日(火曜日)もRG-02は8時に厚木R/W-01を飛び立ち、
14時30分、2star(少将)搭乗を示すプレートをキャノピー内に掲げショートカットでL/D.

このように”サンキュー”が主翼上面が見えるまで捻って着陸するのは稀な事で
その貴重なシーンに立ち会ったマニアは8人が居りました。

M.WADA 2022/06/24(Fri) 06:01 No.4679
あの年の4月、5月- #2
10年後の1984年5月22日(水曜日)にも157353号機は元気な姿を厚木に見せ,14時5分、R/W-01にL/D.

この"NALCO-46"にはCNOから授与されたSafety”S"がキャノピー後方に表示され、
その後方には"SPIRIT OF SEOUL"とパーソナルネームが記入されていましたが
"SPIRIT OF SEOUKL"とは何を指しているのでしょう?

「反日種族主義」を国是としている国の"SPIRIT"とは如何なるものなのか
文字を記入した人に問い質したい気持ちがしました。

そのことは別にして、VRC-50のCT-39Eには大変、お世話になりました。

一日中エンドで待っていても外来機が皆無の日、
”サンキュー”の機影を確認すると一同、胸を撫で下ろしたもんでした。

そんな時、普段は見向きもしないRGをマニア総出でレンズを向け
此の日,最初で最後のシャッターを心の中で"サンキュー"と呟きながらボタンを押し家路に就きました。

M.WADA 2022/06/24(Fri) 06:03 No.4680
あの年の4月、5月- #2
↑の写真をトリミング。

VRC-50機は基本的に部隊表記以外、何も書きませんが、時折、このような塗装がされると嬉しかったのですが、
殆んどのものが、ある程度すると消されてしまう運命にありました。

CT-39E/157353は1989年3月4日、VRC-30/RW-353となり、1990年11月14日にAMARC入りするまで運用。
同じ日、ND-0001のレジを与えられはしたものの、AMARCから出ることは無く保管状態に留め置かれたままでした。

それでも157353は最後となった1989年〜1990年の間に、860人の人員輸送と22,600kgの貨物を空輸。
長期間、無事故で”地味”な任務を全うした同機に”お疲れ様”と言いたい気分になりました。

M.WADA 2022/06/24(Fri) 06:06 No.4681
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

1984年4月6日(金曜日)16時過ぎ、横田R/W-36へWPのF-16A、2機がL/D.

この"DISCO-01"FLIGHTの内の1機は35TFSのCO機であった為、
翌4月7日(土曜日)早朝からWP/CO機狙いで横田に出かけました。

8時50分、悪天候の中、南側国有地前の誘導路で離陸の為、スタンバイするF-16A/80-0560,WP,"RUSTY-01'2".

F-16A/80-0569の履歴。
17TFS/SW(Feb'82)→63TFTS/MC(Mar'84)→465TFS/SH(May'89〜1992)→1994年4月1日、AMARC入り。
2017.7月12日も同地で保管中。

M.WADA 2022/06/25(Sat) 04:52 No.4682
あの年の4月、5月- #2
話が前後しますが、嘉手納に向けて離陸する為、タキシングして来た
35TFSのCO機、F-16A/81-0735,WP, "RUSTY-01".

同機のportsideの主脚扉に8thTFWのシンボルである"WOLF PAC"のアート画が描かれていました。
描かれていたのは左側だけで右側扉には何も描かれていませんでした。

因みの、1983年7月2日(土曜日)の独立記念日に先立って開かれた横田の一般公開に展示された
8TFWのCO機にも同じようなアートが描かれていましたが、アニメチックなものでした。

ところが,此方の35TFSの"WOLF PAC"は金色の眼に赤い口を開け牙をむいた精悍なスタイルで迫力十分。
出来れば晴天の下で撮影したかった機体でした。

M.WADA 2022/06/25(Sat) 04:55 No.4683
あの年の4月、5月- #2
分かり難いですが"WOLF PAC"をトリミングしてみました。何とか「雰囲気」位は分かると思います。

F-16A/81-0735の履歴。
347TFW/MY(Feb'88)→136FIS/-(Oct'90〜15May'92),1994年2月2日、AMARC入り。

M.WADA 2022/06/25(Sat) 04:58 No.4684
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

1978年6月1日(木曜日)13時18分,本庄地域上空のYOKOTA VFR TRAINING AREASに向かったNF-200は、
14時38分、厚木R/W-19へと戻って来ました。

パイロットネームはCVW-5のCAGであるCDR STU D.LANGDONとLT CHUCK FOGELMAN.

M.WADA 2022/06/26(Sun) 04:57 No.4685
あの年の4月、5月- #2
使用機種をF-4JからF-4Sに変えたVF-151/F-4S,153827,NF-200,"SWITCH BOX-23"は
濃い霧が立ち込める厚木基地、南側誘導路AEをR/W-01離陸に向けタキシング。

撮影日は1984年6月5日(火曜日)午前6時38分。
使用カメラはASAHI PENTAX LX.
レンズはSMC TAKUMAR 200o、F-2.8.
フィルムはコダック、コダクローム64プロ(PKR),K-14処理フィルムを使用し
絞り開放、シャッタースピード1/60で撮影。

湿度100%で霧の水分がレンズ表面とアイピースに纏わり付き、
ティッシュペーパーでレンズ表面を拭きふきしながらの撮影で、往生しました。

因みに此の時、NF-200のパイロットは前席にだけ"BOB"と記されていただけでしたが、
これはCAGのCDR T R.BREADのROBERTの愛称を付けたものと思われます。

又、6月5日はCV-41に向け早朝のフライオフとなったもので、18機のCVW-5機が離陸しています。

M.WADA 2022/06/26(Sun) 05:00 No.4686
あの年の4月、5月- #2
同じく、"SWITCH BOX-200"は1984年5月22日(火曜日)もローカルフライトしていました。
13時23分、T/O,14時30分、L/D.

F-4S/153827の履歴
VF-121/NJ-165(1969)→VMFA-235/DB-1(1970)→VF-92/NG-214(1973)→NG-201(1975),
→VF-151/NF-203(1979)→VF-154/NE-102(1979)→F-4S(Jan'81)→NF-214(1982)→NF-200(1984),
→NF-203(1985)→NF-200(1986)→1986年4月28日,AMARC入り→2008年7月28日,HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/06/26(Sun) 05:04 No.4687
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

1979年4月28日(土曜日)11時40分、普天間から厚木へ
4機のCH-46D/153358/153370/154004/154030,YP-010/011/013/016が飛来。

6月11日(月曜日)まで、1か月以上に亘り厚木を拠点としてCAMP FUJIで演習を行いました。

そこで5月4日(金曜日)6時15分、車で家を出て東名経由で7時43分にCAMP FUJI到着。

15分後に4機の"YP-010"FLIGHTが富士R/W-02に着陸し、ホバリングしながら
R/W-20エンド沿いに設けられているへり・スリップにL/D.

先頭のYO-010はCO'PILOTが右手を上げ,こちらに挨拶を送り乍らレフトターンするサービスぶり。
クルーも”何で此処に?”と興味ありげな視線を送っています。

M.WADA 2022/06/27(Mon) 05:50 No.4688
あの年の4月、5月- #2
先程の予感は当たり、着陸後、クルー達がゾロゾロと此方に近づいて話しかけてきました。

彼等は、自分達のヘリが撮りたくてCAMP FUJIまで遠征して来た事を知り大喜びし、
その中のSGT HAROLD E.HOLBERTが自分らの記念写真を撮ってほしいと頼まれ撮影したのがコレ。

写真が出来たら送ってくれと、手帳の住所欄に書き込み手渡されましたが、
今に至るまで送る事は有りませんでした。

不義理を恥じるばかりですが,今回,デジタイズした事でスキャンより数段「見栄え」が良くなった事もあり
郵便ではなくネットから直接、部隊に送り、彼らに渡してくれるように頼むつもりでいます。

M.WADA 2022/06/27(Mon) 05:53 No.4689
あの年の4月、5月- #2
記念写真撮影後、YP-010/153358は訓練にヘリ・スリップをT/O. 下のYP-016/154030も離陸準備中。

一通り撮影し、10時42分、CAMP FUJIを出発。12時過ぎに厚木R/W-19エンドに到着。
往復、233q、東名高速代、往復で1600円でした。

因みにCH-46D/153358は1989年ネバダ州 NAS FALLONでリザーブのHMM-764”WILD GOOSE"/MQ-xxxとして
活動中、他のMQ機の上空を横切ろうとした瞬間、ローターブレードが153358の尾部扉後方に接触、
後部座席に座っていた二人の女性兵士に当たり両名とも即死。
153358号機は修理不能な損傷を負い登録抹消。

不幸中の幸いは残り7人の搭乗員は無傷で救助されたことが唯一の救いでした。

又,154030号機は1980年12月19日、沖縄北部演習場で材木切り出し用ワイヤーに接触
飛んできたワイヤーが操縦席のパイロットCAPT ODENを直撃し、彼は死亡。

他のクルーに被害は無かったものの、機体は修理不能と判定され登録を抹消されています。

M.WADA 2022/06/27(Mon) 05:55 No.4690
あの年の4月、5月- #2
皆さん、おはようございます.

1977年4月18日(月曜日)グアム島、アガナを飛び立ったPR-00は飛行中にマイナートラブルが発生。

11時55分、地上から機体をグランドクルーに確認してもらう為、ローアプローチを1回実施後、
正午丁度、アレスティング・フックを出して緊急着陸したところを故荒川君と共にニッピ山から撮影。
又、19エンドでもマニア10人がPR-00を撮っていました。

因みに、PR-00は翌朝までに問題が解消せず、9時25分、アガナに引き返していきました。

M.WADA 2022/06/28(Tue) 06:26 No.4691
あの年の4月、5月- #2
1975年5月8日(木曜日)超低高度を維持しR/W-19をミッションに飛び立ったPR-03は
11時45分、厚木R/W-19に戻って来ました。

PR-03の前脚カバーには”潮吹きクジラ”のマークが書き込まれていたので
仲間二人と機首アップを撮影。

M.WADA 2022/06/28(Tue) 06:29 No.4692
あの年の4月、5月- #2
厚木三軍記念日展示の為、アガナから飛来したVQ-1のEA-3B/146452,PR-003は
豪快な白煙を出しながら厚木R/W-01へタッチダウン。

PR-003は公開翌日の5月21日(月曜日)10時56分、アガナへ戻って行きました。

M.WADA 2022/06/28(Tue) 06:32 No.4693
あの年の4月、5月- #2
1974年6月11日、午後一時、小雨が降る厚木R/W-19へ"スペシャル・マーキング"のEA-3B/144849,PR-7がL/D.
此の時、R/Wエンドに居たのは「ゲンちゃん」唯一人。

一時間遅れで西村さんが現れ、エプロンを覗いて”絶句”。。。
自分は夜になって彼から電話が入り、初めて其の存在を知る事となりました。

翌朝から、連日の厚木詣でとなったのは言うまでもありません。

6月19日(水曜日)5時からニッピ山でスタンバイ開始。
やっと7時16分、ハンガーからPR-7がエプロンに曳き出されてきました。

4人のクルーが現れたのは7時32分。10分後の7時42分にエンジンスタート。
PR-7が上がったのは7時56分でしたが、脚の引き上げが遅く”迫力”に欠ける映像で少々残念でした。

PR-7"SPASTIC SPINSTER"はマニア6人が待つR/W-19へ14時49分L/D.

以後、連日PR-7の離陸を撮り続けましたが、低い離陸は皆無。
”普通”の高さで晴天下に撮影出来たのは1回だけと厳しい結果に終わっています。

M.WADA 2022/06/28(Tue) 06:34 No.4694
あの年の4月、5月- #1

7年前の今日は厚木基地の一般公開日でした。
開門前の行列に並び、手荷物検査を受けフライトラインへ向かうとP-8AがT&Gをやっていました。

今は並んでまで一般公開へ行く元気は無くなったのが情けない。

MACH3 2022/05/02(Mon) 09:27 No.4496 [返信]
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1968年5月19日(日曜日)に開催された厚木三軍記念日は
終日に亘って雨が降り続く生憎の空模様でした。

そんな中でも観客は詰め掛け、展示機の周りは人が張り付き
人影が絶えた間隙を衝いて撮影するのは至難の業でした。

そこで、一計を案じたのがMACH3さん。

彼は航空機から人が居なくなる時が一つだけある事に気付いたのです。
それは暴風雨が吹いた時だけ観客はハンガーに避難しヒコーキから離れることを!

今回アップしたUE-00が、其時、彼と共に雨の中を飛び出して撮った時のショットです。
それでも左端に人物が入ってしまいましたが、ほぼ所期の目的達成。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:44 No.4497
あの年の4月、5月- #1
斜め前からの撮影で完全に人影は失せて「一般公開」らしからぬショットが撮れました。
但し、カメラ、レンズは無論、全身ずぶ濡れ状態となり、二人とも悪寒が止まりませんでしたが
MACH3さんの顔を見ると、満足そうな笑顔で、こちらも思わず笑ってしまいました。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:46 No.4498
あの年の4月、5月- #1
1974年4月13日(土曜日)、昼間は陽炎が酷くて全く撮れない西側エプロンですが
日没直前の一瞬だけ陽炎が消え撮影可能な時があり、
其の時を狙って、満開の桜とCVW-5機を重ねて撮影する事に挑戦したのが此のショットです。

ご存知のように桜の開花時期は短いので、このように天気、ヒコーキ、桜の三つが
上手く揃う事は中々無く、自分が撮れたのは此の時一回だけでした。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:48 No.4499
あの年の4月、5月- #1
1975年5月28日(水曜日)10時45分,厚木R/W-19へフライインして来たVA-115のA-6A/155704,NF-500,CAG機。
この日は10時3分から17時35分にかけて26機のCVW-5機がフライイン。それをマニア36人が撮影。

後方に見えるP-3B/152764,VP-46,RC-11は10時45分に離陸予定でしたが、CVW-5機の着陸待ちとなり、
15分遅れの11時に,やっと岩国へ帰って行きました。

M.WADA 2022/05/03(Tue) 07:50 No.4500
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1980年5月7日(水曜日)10時24分、VMA-211のA-4M/158177,CF-3/452"WAKE-19"/'1が厚木R/W-01へ着陸。
此の時期のCFはロービジ塗装へ移行する直前の塗装でした。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:13 No.4501
あの年の4月、5月- #1
同機は12時22分、韓国のKUNSAN ABに向けT/O.

A-4M/158177の履歴。
VL-xx(1971〜1972)→KD-xx(1972〜1974)→SC-xx(1974〜1976)→WE-xx(1976)→CF-1(1976〜1979),
→CF-3(1979〜1980)→WE-xx(1980〜1981)→CF-xx(1981)→WL-15(1982〜1983)→CF-xx(1983),
→WL-16(1987〜1988)→WE-xx(1988)→CF-xx(1988)→1990年1月10日、AMARC入り。
2003年9月25日、HVF WEST社に於いてスクラップ処理。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:14 No.4502
あの年の4月、5月- #1
CF-3に続いてA-4M/160027,CF-22/471も降りて来ました。 C/Sは"WAKE-19"/'2.

これら2機のハンプバックには白で小さくハンプ番号が記入されていましたが
何れも機首番号に"499"を加えた数字で、この"499"の意味するところが今も未解明のままです。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:16 No.4503
あの年の4月、5月- #1
CF-22/471もCF-3/452と共にクンサンに向け同時刻にT/Oしています。

因みに岩国を飛び立った6機のED/A-6Eは、この日、C-9の先導でアガナからウェーク島に向け飛行し
アメリカ本国を目指しました。

A-4M/160027の履歴。
WE-6(1976〜1978)→WL-465(1978)→CF-22(1979〜1980→WE-22(1980〜1987)→NAS DALLAS/7D-03(1987〜1991),
1992年、NADEP CHERRY POINT入り。

M.WADA 2022/05/04(Wed) 06:18 No.4504
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

前にお話しましたが、自分の最も好きなヒコーキはRA-5C”VIGILANTE"です。
ところが最も撮れなかったヒコーキもRA-5Cでした。

今回は、その最も撮れなかったRA-5Cのカラーショットをお届けします。
撮影者は川崎在住の先輩、高橋幸和さんです。

このスライドはカラーショットが撮れなかった自分を憐れんで
高橋さんがプレゼントしてくれたものでした。

RA-5C/149300の履歴。
A-5B→YA-5C(1962)→VAH-3/GJ-xx(1963〜1964)→RA-5C(1965)→RVAH-3/GJ-xx(1965),
→RVAH-12(1965)→RVAH-11(1965)→RVAH-12/NK-120(1967)→RVAH-3/GJ-xx(1968),
1975年」1月3日、NAS JACKSONVILLEで運用不可の裁定を受け退役。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:34 No.4505
あの年の4月、5月- #1
此方は冷たい雨が降り続く厚木R/W-01へF-8H/148696,VF-51,NF-106と共に降りて来た、
VFP-63,DET-31のCO機、RF-8G/146876,NF-601.

パイロットネームはLCDR JHON H."THE RED BARRON" SCHULZE,OIC.
胴体後部のベントラル・フィンにはVFP-63,DET-31"FLYING CIRCUS 68"のパッチが貼られていました。

画面手前に写る黒い影は写友である松野隆司さんで、当時彼は鎌倉高校の1年生でした。
今、健在ならば69歳の筈ですが、音信不通で連絡が取れません。

RF-8G/146876の履歴。
VFP-63/PP-910(1963)→RF-8G→NF-601(1968)→NF-600(1969) →PP-901(1971)→NP-611(1974),
→NL-651(1974〜1975)→NP-606(1975)→PP-910(1975)→PP-610(1976)、
1976年6月1日、NAS MIRAMARから離陸中エンジン故障で墜落し機体は失われました。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:36 No.4506
あの年の4月、5月- #1
1975年4月7日(月曜日)厚木の友人二人に誘われ滅多に行かない入間へ出かけて撮った501空のRF-86F.
非常に安定感のある編隊離陸で空自隊員の練度の高さを実感させられた離陸でした。

RF-86F/52-6401の履歴
USAF 531stFBS/21stFBG(1953)→JASDF/52-7401〜52-8401〜52-6401(1955)→RF-86F(1961),
→501stSQ/JASDF(1968)→1979年3月24日、用途廃止→US NAVY QF-86F/55-5082、
→RF-86F/USAF 55-5019/FU-019(2007).

RF-86F/62-6425の履歴。
391stFBS/366thFBG(1953)→JASDF/62-7425→RF-86F/62-8425〜62-6425(1962)→501stSQ(1976),
→1979年11月1日、用途廃止→韓国空軍機となる。

M.WADA 2022/05/05(Thu) 05:39 No.4507
あの年の4月、5月- #1
皆さん、こんにちは。

今日は家事多忙につきコメントなしでのアップとなります。
どうぞご容赦下さい。

1976年5月11日(火曜日)12時40分、L/DしたWT-9は15時48分、R/W-19を岩国へ向けT/O.
垂直尾翼の方向舵がUSAF機のものを流用したようでした。
パイロットネームは"CORNFLAKE"、RIOは”NAMU"と面白いパーソナルネームを使用していました。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:08 No.4508
あの年の4月、5月- #1
翌日もWT-9は飛来し、その離陸ショットを再び撮影。
夕方遅くの離陸が功を奏してA/Bの炎が良く見えました。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:10 No.4509
あの年の4月、5月- #1
花屋稼業が多忙となり、
マニア最終期の1985年5月18日(土曜日)に撮影した"SWITCH BOX-201"の緊急着陸ショット。

M.WADA 2022/05/06(Fri) 15:12 No.4510
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1974年5月27日(月曜日)19時30分、VMCJ-1のRF-4B/2機が厚木R/W-01へ着陸。

これは5月25日(土曜日)に横須賀を出港した空母ミッドウェイへDET派遣するにあたっての、
準備を兼ねた飛来で、翌28日の9時15分、RM-603/606は空母へ向かって厚木R/W-19をT/Oして行きました。

VMCJ-1は部隊改編後のVMFP-3も含め1975年8月25日から1984年までの9年間に亘り
空母ミッドウェイへDETをローテーション派遣し続け、
5人のパイロット、5人の士官、そして100人以上の海兵隊員が6か月間のTAD海外展開の任務に就きました。

撮影時点で既にMdxは600番台のCVW/DET仕様を使用して居りMdxひとつにもVMCJ-1の意気込みが感じられました。

RF-4B/153105の履歴。
RM-603(1974〜1976)→RF-613(1979〜1980)→RF-21(1983〜1988)→1989年7月19日、AMARC入り、
2008年11月20日、HVF WEST 社に於いてスクラップ処理。

RF-4B/153108の履歴。
RM-21(1972)→RM-606(1974)→TN-2(1975)→RF-24(1980)→RF-120(1981)→RF-24(1984)→1988年12月23日、AMARC入り。
2008年11月20日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:23 No.4511
Re: あの年の4月、5月- #1
1976年5月5日(水曜日)、バイセンのRF-4Bが撮りたくて生涯で一度の岩国行で撮ったRF-610.

しかし、目の前で見るバイセンRF-4Bに大した感慨は湧かず
やっぱり自分には「外撮り」が性に合っていると再認識した撮影旅行でした。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:26 No.4512
あの年の4月、5月- #1
↑から一年後の1977年5月23日(月曜日)RF-4B/153107号機はMdxを610から614に変え、
12時10分、単機で厚木に姿を見せました。

13時37分、御宿に向け離陸の為、厚木R/W-19へ向かう"RF-614"を「お墓」の木の最上階,特等席から撮影。

RF-4B/153107の履歴。
RM-20(1970)→RF-610(1976)→RF-614(1977)→RF-23(1979)→1989年5月25日、EL TOROからAMARC入り、
2008年11月28日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/07(Sat) 09:30 No.4513
Re: あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1974年5月4日(土曜日)15時36分、厚木R/W-19へ着陸するVMA(AW)-533のA-6A/155687,ED-3.
パイロットネームはCAPT L.D. EVANS,
着陸後ED-3はニッピではなく西側エプロン(海軍側)へ向かいエンジン修理の為AMDハンガーに入りました。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:39 No.4514
あの年の4月、5月- #1
NAVY/AMDで修理が出来ず5月11日(土曜日)ニッピへ持ち込まれたED-3は南のカドでエンジンテストを実施。
12日の早朝から最終的なエンジンテストをし復調を確認。10時57分、R/W-01をT/O,岩国へ戻って行きました。

A-6A/155687の履歴。
DT-3(1970)→ED-3(1971〜1975)→A-6E→NG-505(1980)→NL-512(1981)→AE-500(1985〜1987),
1987年9月、CVA-50 USS FORRESTALに搭載され英国ポーツマスを訪問→AA-510(1992〜1994)、
1994年8月23日、AMARC入り。2014年10月21日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:42 No.4515
あの年の4月、5月- #1
1979年4月1日、10時34分、日曜日にも拘らずR-116へ訓練の為R/W-01を離陸したCY-622/”WHALE-21”は
光線状態が最悪の12時4分にR/W-01へ大きくカットインしながらアプローチして着陸。

これが順光なら、最高のL/Dショットが撮れたのに残念な時間帯の降りとなってしまいました。

EA-6B/160705は1983年4月28日、ノースカロライナ州MCALF BOGUE FIELDで夜間FCLPを実施し
訓練終了後の着陸でスタビライザーが失速。4人のクルーは緊急脱出しましたが
パイロットの座席だけが事故の衝撃で機体から引き裂かれ落下、大怪我を負ってしまいました。

他のクルー,CAPT G.B.HABBESTED/CAPT J.F.SCHEINER/CAPT J.J.CUFFの3名は全員無事脱出に成功していますが、
EA-6B/160705号機は修理不可能な損傷となり登録抹消となってしまいました。

M.WADA 2022/05/08(Sun) 04:44 No.4516
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

昨日、No-4514で、ED-3の厚木飛来を「エンジン修理」とご紹介しましたが
手帳を見返したところ、1974年の4月から5月にかけてED-6号機を除くVMA(AW)-533の
全13機すべてが飛来していることが判明しました。

又,厚木飛来後の動きも押し並べてAMDハンガー〜ペイントショップ・ハンガー〜ニッピと移動していました。

これらの事から類推すると個別の「エンジン修理」での飛来ではなく
エンジンへの何らかの改修等で部隊単位で飛来したと見るとスッキリ理解できるのですが,どうでしょう?

1974年5月25日(土曜日)8時30分、ニッピから出て厚木R/W-01を離陸して岩国へ向かうED-00.

A-6A/157024の履歴。
NH-507(1972)→ED-2(1973)→ED-00(1974〜1975)→A-6E→NF-515(1991〜1994),
1994年、バージニア州NAS NORFOLKで退役。
2003年8月、バージニア州のRICHMONDにあるDEFENSE SUPPLY CENTERで展示。

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:52 No.4517
あの年の4月、5月- #1
1974年5月14日(火曜日)12時6分、厚木R/W-19へ大きくカットインしながらL/DするED-8.

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:56 No.4518
あの年の4月、5月- #1
↑の送りショットで背中が丸見えになり、9人のマニアから歓声が沸き上がりました。

着陸後、同機は一旦ニッピのエプロンに駐機しましたが
暫くするとペイントショップ・ハンガーへトーイングされハンガー・イン。

其の後、ED-8は5月22日、エンジンテストを実施。翌23日(木曜日)岩国へ戻っています。

A-6A/155708の履歴。
CE-08(1969)→ED-8(1973〜1975)→A-6E→NE-500(1980〜1981)→DT-5(1982〜1983)→AE-5xx(1991),
1991年7月21日、クレタ島の近くにあるAYGONISE島付近の地中海に墜落。

M.WADA 2022/05/09(Mon) 04:57 No.4519
あの年の4月、5月- #1
皆さん、おはようございます。

1980年5月7日(水曜日)10時1分、VMA(AW)-533のA-6E/159904,ED-02,”BRAVE-00”がR/W-01へL/D.

9時50分に高度9000ftへ降下しYOKOTAアプローチにコンタクトした時は”BRAVE-00”とコールしたので
当然、ED-00と思い込み、ED-02が降りて来たのでガッカリした記憶が有ります。
ED-02のパイロットネームはCAPT KARK CABARIA.

M.WADA 2022/05/10(Tue) 04:56 No.4520
あの年の4月、5月- #1
ED-02は13時55分、岩国へ向けてR/W-01を高い上がりで去って行きました。

A-6E/159904の履歴。
ED-02(1980)→ED-04(1981〜1982)→VA-65/AJ-504(1992)→VA-36/AJ-504(1993)、
1994年4月、バージニア州NAS NORFOLKで退役。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 04:58 No.4521
あの年の4月、5月- #1
1978年5月31日(水曜日)12時8分,この日VA-115機として4回目のフライトに臨んだNF-513はR/W-19をT/O.
有視界によるトレーニングフライトを実施後、厚木に戻りR/W-19でT/Gを実施後の14時12分、L/D.

この時のNF-513は相鉄線と平行にファイナル・アプローチして来た為、
4人のマニアは一斉に相模大塚駅方面へダッシュし、辛うじて送りショットで撮影出来たものです。

現在は当然,猛ダッシュなど不可能で,若かったからこそ掴めたショットで、「アノ時」は若かったな〜。。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 05:00 No.4522
あの年の4月、5月- #1
今から38年前の今日の19エンドの夕暮れ風景。
左にHさん、中央がKさん、そして右端は高校生のBIG MACさん。

この日はQD-688/ZE-17/そして海自のネプチューン(2/3/4/5空)が撮れた日で、
PR-33の「おかえりショット」を撮り終えて帰路に就くところのスナップです。

M.WADA 2022/05/10(Tue) 10:25 No.4523
あの年の4月、5月- #1
皆さん、お早うございます。

1969年5月28日,厚木に到着し中を覗くとニッピのフライトラインにVF-213のF-4Bが駐機していました。
自分は昔からCVW-11(NH)機には全く縁が無く、このNH-115号機も撮り逃し。

このままだと、間違いなくフライトや離陸も撮り逃すだろうと判断し、
せめて「記録写真」でも良いから撮って置こうとニッピ裏から撮影したのが此のショットです。

このF-4B/153068号機は1972年にVF-161/NF-110となり活動後、1973年にも続投。

1月14日,"ROCK RIVER-110"はコバレスキ中尉とRIOのプラウツ少尉コンビで空母ミッドウェイから
ベトナム人民空軍(VPAF;VIETNAM PEAPLE's AIR FORCE)に対する
"BARCAP"(BARRIER COMBAT AIR PATROL)ミッションに向かいました。

タンホアの南10マイル(16km)のところで"BLUE TREE RECONNAISSANCE ESCORT MISSION"の最中に
85mm対空砲火の攻撃により被弾。ファントムの航空燃料が大量に漏れ出します。

それでも"ROCK RIVER-110"はベトナム沿岸を目指し飛行,沖合に出た段階で両名は緊急脱出。
急を聞きつけて現場に駆け付けたHC-7のHH-3Aにより無事救助されCVA-41に戻る事が出来ました。

この墜落の二日前、1973年1月12日、LT VICTOR T.KOVALSKIとLTJG J.R.WISE(RIO)のコンビは
AIM-9サイドワインダーでVPAFのMIG-17を撃墜するという戦果を挙げています。

又、その前年の1972年5月18日にもF-4B/153068号機はLTJG H.A.BARTHOLMAYとLTJG ORAN R.BROWNで
MIG-19を撃墜している”凄腕”のMIG KILLERでした。

但し、1971年、CVW-5機の厚木飛来時にF-4B/153068,NF-110が来なかった事が残念でなりません。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:29 No.4524
あの年の4月、5月- #1
NH-115の飛来から10年が経った1979年5月3日(木曜日)あまり知られていないファントムの出来事が有りました。

当日の10時3分、訓練の為、本庄上空を目指して離陸し始めたVF-161のF-4J/155835,NF-113は
離陸の瞬間に何らかの原因でセンタータンクが落下し爆発炎上!

NF-113はR/W-01左側をローアプローチして、グランドクルー達が機体下面の状態を確認。
緊急着陸を考慮し、基地上空で残存燃料(1.5時間分)を空中投棄する事とし旋回。

10時47分、アレスティング・ギアとRATを展開しながら無事L/Dし事無きを得ました。

F-4J/155835の履歴。
VMFAT-101/SH-20(1974)→VF-161/NF-113(1977〜1980)→1985年3月29日,VMFA-112/MA-05よりMASDC入り。
2008年8月6日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:33 No.4525
あの年の4月、5月- #1
1981年5月1日(金曜日)午前に続き、15時、厚木R/W-19離陸したVF-151のF-4S/155745,NF-211は
16時11分、R/W-19へ緊急着陸。 それを仲間8人と撮影。

F-4S/155754の履歴。
VF-102/AG-103(1974〜1975)→AG-105(1976)→F-4S→VF-121/NJ-152(1980)→VF-151/NF-211(1981〜1983),
1985年3月墜落事故を起こし登録抹消。日本の業者により海中から回収。

M.WADA 2022/05/11(Wed) 05:35 No.4526
あの年の4月、5月- #1
皆さん、お早うございます。

本日はHAMANOさんの作品をご紹介致します。

1973年5月26日(土曜日),長崎県佐世保に空母コーラルシーが寄港。
その艦載機をHAMANOさんがシッカリ捉えていました。

厚木にはコーラルシー入港の前々日、5月24日(木曜日)に2機のVF-51/F-4B,NL-110/114がL/D.
翌25日に三沢に移動して行きましたので、厚木のエプロンにCVW-15機はゼロでした。

という訳で、此の時のCVW-15機のBuNo等は殆んど掴めて居らず
HAMANOさんのショットは貴重なものとなりました。

最初のショットはVF-51"SCREAMING EAGLES"のF-4B/151592,NL-103.

F-4B/151502の履歴。

VF-151/NL-102(1965)→VF-21/NE-108(1966〜1967)→NE-104(1967)→VF-51/NL-103(1972〜1973)、
→F-4N→1978年1月17日、VF-171/AD-xxx機としてMASDC入り。
2004年9月17日、HVF WEST社でスクラップ。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:10 No.4527
あの年の4月、5月- #1
次はVF-111”SUNDOWNERS"のF-4B/151464,NL-211.

F-4B/151464の履歴。

VMFA-323/WS-8(1966)→VMFA-115/VE-5(1967)→VE-00(1967)→VF-111/NL-211(1973),
→F-4N→VMFA-323/NK-105(1979〜1980)→1980年2月19日、CVA-43艦上の事故で登録抹消。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:13 No.4528
あの年の4月、5月- #1
そして、VFP-63 "EYES OF THE FLEET " DET-5のRF-8G/145641,NL-603.

RF-8G/145641の履歴。

VFP-63/NL-603(1969〜1973)→NL-601(1974)→VFP-63/PP-602(1975)→PP-642(1976)→AA-601(1978),
→VFP-63/NK-622(1979〜1981)→1981年7月19日、エンジン故障により海上に墜落。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:14 No.4529
あの年の4月、5月- #1
最後は自分のショットを一枚。

1970年4月15日(水曜日)9時30分、空母コーラルシーが横須賀に寄港。
其の前日の14日に単機で厚木へフライインして来たのがVF-161”CHARGERS"のF-4B/151462,NL-205でした。

そして空母所属のCOD機、C-1A/146039,#000が17時丁度に降り、CVW-15機飛来の夢は絶たれました。

F-4B/151462の履歴。
VMFA-531/EC-12(1965)→VF-161/NL-207(1966)→NL-205(1970)→VMFA-314/VW-xx(1973),
1973年4月10日、アリゾナ州MCAS YUMAで墜落事故を起こし登録抹消。

M.WADA 2022/05/12(Thu) 06:16 No.4530
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