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あの年の6, 7月- #2

おはようございます。

月曜日は化学療法の注射1本で1万円でした、この影響でしょうか体調がイマイチ。
来月は2本打ちます、ってことは2万円!体調も悪くなります。
皆さん「がん保険」に入りましょう、私は入っていないのでお金は戻りません。

>M.WADAさん
VW-1の各飛行機にはニックネームが付けられていましたが、このTE-3だけは不明です。 そして私は撮っていない。

>FKENさん
VF-21は好きなスコードロンでしたが、帰国後に解散してしまい残念でした。
VFA-27も伝統の塗装で来日しましたね。

>Burnettさん
何となく記憶にある大和駅前です。
撮影は木造の小田急の駅舎からと思います、この駅舎は米兵の放火により焼失しています。
当時の大和の名物は火事で、放火も多かったのですが米兵相手の木造のお店にべったりと塗られていたペンキも要因の一つらしいです。

1970年7月10日は、スクリューシャフト破損の交換で横須賀に入港した空母シャングリラのFly-inの日でした。
RF-8Gを除く艦載機が厚木に飛来しました。
マジメ?だった学生は授業が終わり帰宅したら何機も降りてくる飛行機に慌ててカメラを持ってエンドへ。
北風だったので着陸側には行かず、お墓でたった一人の撮影でした。
写真はVA-12のA-4Cです。

MACH3 2021/07/07(Wed) 05:33 No.3576 [返信]
あの年の6, 7月- #2
皆さん、こんにちは。

>Burnettさん
大和駅で最も懐かしいのがNo-3575でBurnettさんがアップされたアノ映像です。

画面正面「銀座通り」の左にある「八百直」さんへ母に連れられ一緒に買い物に行ったことを、
今でも良く覚えています。アーケード下に写る「母と子供」のように。

いくら近代的になり綺麗な街になっても、駅近くで生まれた自分にとって最も輝いていたのが、
Burnettさんがアップしてくれた、この時代の”大和”なのです。

まさかまさかの、お宝映像をありがとうございました。


>MACH3さん
体調がイマイチなのにスレッドを更新して頂き、ありがとうございます。

しかし、1本1万円の注射とは「痛い」ですね。それじゃあ確かに体調も悪くなりますわ。 
くれぐれも、お体ご自愛下さい。

MACH3さんがTE-3を撮っていないとは意外でした。

と、なると、VW-1機を押さえている方はかなり限られたマニアの人となりますが、
差し詰め、toksansさんか、ダブルタンゴTAGAYAさん辺りが最有力な方達ということになりますね。

TE-3,"City of Hong Kong"のノーズアートが書かれていたと思われる左舷側が気になるところです。

1970年7月10日(金曜日)はR/W-01エンドでCVW-8機のフライ・インを撮っていましたが、
右も左も、回り中すべてF-8,A-4の編隊による轟音が鳴り響き”異常”な雰囲気に包まれたエンドでした。

アノ時、もし青天ならば厚木上空をAJの編隊が輪になって飛んでいるのが見えたのに、残念でした。
MACH3さんは唯一人「お墓」でタキシングとは豪華でしたね。

それらの映像がスキャン出来ていたら、是非見て観たいので、どうぞ宜しくお願いします。

本日の「日付ネタ」は1975年7月7日(月曜日)8時52分、訓練のため厚木R/W-19を離陸したNF-511は、
11時丁度、再びR/W-19へ戻って来ました。

当日は素晴らしい天気で、丹沢連峰の奥の山並み迄見えるほど視界が良く、絶好の撮影日和でした。
NF-511のパイロットネームはLTJG TOM DANIELS.

M.WADA 2021/07/07(Wed) 15:37 No.3577
あの年の6, 7月- #2
一年後の1976年7月7日(水曜日)T/Gを一度実施後L/Dして来たH&MS-12のTA-4F/154339,WA-05.
ASAHI PENTAX 6x7/300mmで撮影。フィルムはEXP-120.

M.WADA 2021/07/07(Wed) 15:41 No.3578
あの年の6, 7月- #2
最後は1979年7月7日(土曜日)横田基地の公開で撮影した80thTFS/8thTFWのF-4D/66-7765.

機体の右内翼下に取り付けられていた8thTFWのエンブレム付きバッケージポッドが綺麗だったので
逆光でしたが、敢て右舷側の撮影に挑戦したのがこのショットでした。

M.WADA 2021/07/07(Wed) 15:43 No.3579
あの年の6, 7月- #2
皆さん、こんばんは。

本日の「日付ネタ」は1974年7月8日(月曜日)16時,厚木R/W-19離陸の為DW誘導路をタキシングするRZ-787.

手前、「池」か「沼」のように見えるのは6月28日〜7月3日の6日間と7月5日〜7日の3日間の
合計9日間に亘って雨が連続して降り続いた結果生まれた”特大の水溜まり”だったのです。

M.WADA 2021/07/08(Thu) 19:43 No.3580
あの年の6, 7月- #2
1975年7月8日(火曜日)10時15分、空母ミッドウェイ所属のC-1A/146035,#−600が見守る中、
厚木R/W-19へL/Dして来たH&MA-17のC-117D/50838,SZ-838,"Teri-II"。

M.WADA 2021/07/08(Thu) 19:45 No.3581
あの年の6, 7月- #2
終わりは、1977年7月8日(金曜日)10時23分、訓練飛行に飛び立ったNG-502は
11時20分、R/W-01でT/Gを2回繰り返した後、11時28分L/D.

当日は時々陽は射すものの概ね曇りベースで推移していたので、
未だ撮っていなかった左舷のショットを撮る為に午後側に回り撮影しました。

実は前日の12時49分に降りた”ピンクパンサー”入りのP-3A/151368,PM-4を撮り逃がしており、
それを撮るのが此の日の最重要課題でしたが、PM-4が上がったのは夜の19時7分でXでした。

M.WADA 2021/07/08(Thu) 19:47 No.3582
あの年の6, 7月- #2
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1972年7月9日(日曜日)午後L/DしたVQ-1,DET-DANANGのRA-3B/144860,#-43です。
着陸のショットは以前ご紹介しましたので,今回はR/W-19T/Oに向けてのタキシングをお届け致します。

此処で訂正をひとつ。

以前ご紹介した時に、垂直尾翼に描かれていたパイナップルの中の文字を「HAWAII」とご紹介しましたが、
正しくは「DANANG」でした。 

「パイナップル」=「ハワイ」との連想から、よく観察しないでコメントしたのが原因で、
今回の調査で#43号機がハワイに行った形跡が無く、不審に思い精査した事で判明したものでした。

訂正し、お詫び申し上げます。

M.WADA 2021/07/09(Fri) 15:10 No.3583
あの年の6, 7月- #2
1974年7月9日(火曜日)15時30分、僚機WT-7とL/DしたWT-6は18時近くにやっと動き出し、
「お墓」前のDW誘導路に姿を現しましたが、時既に遅く、感度ASA-25のK-IIの限界を遥かに超えた暗さ。

此の時期には自分もMACH3さんの影響を受けK-IIが撮影のメインフィルムとなっていましたので、
ダメ元で1/30secを選択し転がりに挑戦したのが此方のショットですが、案の定"ブレブレ"でした。

M.WADA 2021/07/09(Fri) 15:13 No.3584
あの年の6, 7月- #2
本日最後は、1979年7月9日(金曜日)午後、EA-06と共にL/DしたEA-00が13時50分、岩国へ向けT/O。
此の日は7時15分から17時30分にかけて41機のCVW-5機がフライオフ。

常連マニア7人が離陸側で撮影に臨んでいました。

M.WADA 2021/07/09(Fri) 15:16 No.3585
あの年の6, 7月- #2
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1974年7月10日(水曜日)12時、CF-01と厚木R/W-19へL/DしたCF-9は
15時12分、岩国へ向けT/Oしました。

写真は「お墓」前で撮影したCF-9のショット。パイロット名はCAPT G.C.CARPENTER.

右後方に見えるRF-4Bは日飛からテストフライトの為駐機場から出てきたものです。
RF-4BのBuNoは153110(元RM-24)。マニア8人がエンドに来ていました。

M.WADA 2021/07/10(Sat) 13:30 No.3586
あの年の6, 7月- #2
CF-9から10年後の1984年7月10日(水曜日)9時、AE誘導路をタキシングするNF-400.
パイロット名はCVW-5のCAG,CDR T.R.BEARD.

NF-400は9時4分T/O,10時丁度にR/W-01でT/Gを1回実施後、10時4分にL/D.
こんな塗装になっていましたが、それでも01エンドにはマニア25人が撮影に訪れていました。

M.WADA 2021/07/10(Sat) 13:32 No.3587
あの年の6, 7月- #2
最後は1977年7月、嘉手納でHAMANOさんが撮影したKC-135R/63-7998.

HAMANOさんのコメント。「不具合があったようで私達の目の前で停止しました」ということですが、
その機体が376thSW(Strategic Wing)OMS RECON SR-71/U-2の機体だったとは。。
然も"Missouri Marge"のアートが描かれていたのも「超」が付くラッキーさですね。素晴らしい!

M.WADA 2021/07/10(Sat) 13:35 No.3588
Re: あの年の6, 7月- #2
皆さん、こんばんは!

>MACH3さん
シャングリラの FLY-IN、これもまたお一人の北側でしたか!
D-1転がりがあったのならば、うっしっし、、、でしたか?

>Burnettさん
No.3575、すごい写真ですね、しかも画質も特A級!
本当に、何でも撮っておくべきでした。。 気が付くと相模大塚の厚木基地引き込み線路が消えたようですし、現在の中原街道の桜ヶ丘付近も撮っておかないと景色が変わりそうですね。。

>M.WADAさん
ザラザラ写真をかばって下さってありがとうございます! しかし皆さんがK-IIやテクパンにこだわって撮られた「写真」は、やはり格別です。 84年の夏シリーズ、私が高1の頃です、どれも懐かしい! 高1なんて撮りに行く時間もあったはずなのに、当時はバンドと部活に没頭して84年は公開日の写真しか残っていません。。(悔)

今日の一枚は2003年7月11日(金曜)、VF-154厚木最後の夏、RWY19降りのF-14です。
大好きなF-14がいよいよ終わるということで有給休暇を取りまくり、9月のTRANS-PACまで名残惜しんだ夏でした。。

FKEN 2021/07/10(Sat) 23:07 No.3589
あの年の6, 7月- #1

サボっている間に7月になってしまいました。
申し訳ありません。

>M.WADAさん
沢山の投稿、その時の様子までありがとうございます。
それによって忘れていたことも思い出したこともあります。
年寄りには昔話が一番の薬です。

>Burnettさん
私も同感です、VF-161は旧マーク(Chargers時代)の方がカッコいいですよね。
神道も鳥居はアメリカ人になぜうけるんでしょうか?不思議です。

>ダブルタンゴさん
#3525の上りは岩国みたいですね。
VF-161はVF-21のパクリだと言った人がいましたが、F-4にはあった塗装だと思います。
私は電光よりこちら派です。

>FKENさん
今では考えられないけど、あの頃はたった1人と言う事が多かったです。
そしてカラブリも多かった。

そんな悪夢の1969年7月アポロ11号が月面着陸した日、テレビでは生中継していましたがカメラを持って厚木へ行きました。
エンドは誰かいたかなぁ?アメリカ人もテレビ中継を見ている人が多かったのではないでしょうか?
そして降りてきたのはVP-17のP-3Aが立て続けに2機。
基地内でテレビ中継でも身にきたのかしら???

MACH3 2021/07/02(Fri) 14:34 No.3558 [返信]
Re: あの年の6, 7月- #1
もう1機はこれ。

MACH3 2021/07/02(Fri) 14:36 No.3559
あの年の6, 7月- #1
皆さん、こんばんは。

>MACH3さん
「昔話が一番の薬」、真に結構な事です。
自分には「昔話」をするしか能が無いので、毎日「お薬」をお出しする事に致しましょう。

ZEのP-3Aが続けて2機L/Dですか。厚木に毎日のように飛来していたP-3ですが、
同じ部隊の機体が連続2機L/Dは、そうあるもんじゃないし、然もBuNoが連番というのは先ずない話です。

又、1969年7月でも米海軍のSP-2HネプチューンがP-3に混じって飛来していたのが嬉しかったですね。

毎年この時期頃から厚木に飛来していたのがNAS AGANAに居たVW-1”Typhoon Trackers"のWC-121Nでした。
部隊のニックネーム通り,彼らは台風を追いかけ飛来して来るので台風直撃は御免ですが彼等はウェルカムでした。

今回ご紹介のTE-3も台風3号(ルーシー;935hap、関東の南海上に接近〜通過)の観測を終えての飛来で、
19L/D後にAE誘導路にゆっくりと入って来てくれた時のショットです。

又、此の日はTE-2も厚木から台風3号観測のフライトを行い、
一つの台風を2機のワン・ツー・ワンで観測する徹底ぶりで台風観測機を持てない(持たない?)日本との
力の差を見せつけられた気がしました。

M.WADA 2021/07/03(Sat) 20:31 No.3560
あの年の6, 7月- #1
1977年7月3日(日曜日)アメリカ独立記念日を翌日に控えた此の日、
前年同様、NAF ATSUGIが一般公開され、
グランド場脇の道路にNF-112/413/516/727そしてWX-Iの計5機が展示されましたが、自分は不参加でした。

それは今回アップしましたPR-01の姿をニッピ山から撮りたかったことと、
4機のVA-147/A-7E(NG-401/402/405/410)の離陸を押さえて置きたかったからに他なりません。

確かに展示機を撮れなくても良かったか,と問われれば嘘になりますが
ノーマーク同然のA-3を撮ってそんなに嬉しいのか?と問われれば、確かに「一般受け」jはしません。

しませんが、皆さんがF-8やF-4を好きなように、自分はA-3が好きなのです。こよなく。
然も,このPR-01は1982年8月4日,空母レインジャーを離艦しディエゴ・ガルシアへ向かう途中で墜落しているのです。

墜落原因はパイロットの操縦ミスの疑いが濃厚ですが、ハッキリしません。
この事故でFrank,Michael,Davidの3名のLTと3名の士官、計6名が死亡していますので、尚更146450は貴重なのです。

1977年当時のPR-01は機体の調子が良く複数の空母のDETとVQ-1,DET-ATSUGIを掛け持ちでこなしており、
とても忙しいA-3でしたので、その時々の所属を特定するのに苦労した記憶があります。

M.WADA 2021/07/03(Sat) 20:33 No.3561
あの年の6, 7月- #1
本日、最後のご紹介はH&MS-12(WA)のOA-4Mです。

1984年7月3日(水曜日)T/Gを行った後の16時30分、厚木R/W-19へ着陸する"OUTLAW-37"をマニア10人と撮影。
同機は18時6分、岩国へ向けT/Oしています。

M.WADA 2021/07/03(Sat) 20:37 No.3562
Re: あの年の6, 7月- #1
皆さん、こんにちは!

>MACH3さん
何よりの薬とのことで、近代史担当もがんばります!
しかしアポロの月面着陸中継も見ないでエンドへ出勤なさったとは、、、私など暑いから寒いから用事があるからと、中途半端な歳月を送り、撮り逃がしてばかりです(苦笑)

>Burnettさん
魚群ショットに乗って頂き、ありがとうございます! 16機編隊、スゴイのは分かるがどう撮るか迷いましたよね! 記録として全景も撮りたいが、バンクしてくれるならアップで切り取ろうか、でもその場合真横ではどう撮るか、あぁ、、、行っちゃった、、、という感じでしたよね(笑) 私もほぼ同じようなカットが残っています。 でも、何れにしても、90年代のWINGSは厚木近代史の中では間違いなく黄金期だったと思うのです。。

>M.WADAさん
魚群ショットにコメント頂き、ありがとうございます! こちらのBBSにアップさせて頂く写真は諸先輩方に敬意を表して全てフイルム時代のモノにしています。 と言っても安くプリントしたいがためにネガ、しかも400mm f5.6 だったので晴れてもASA400を使っていたため、ザラザラの写真ばかりですが(苦笑) PR-01、一般公開に行かずに撮られたのですね! マニアの先輩から「海軍機ならA-3とP-3、空軍機ならC-135系が最もコアなマニア道だ、先の尖ったヒコーキばかり撮るんじゃないぞ」と教えられたことがあります(笑)

今日の一枚は少し遅刻、1996年7月2日(火曜)、VFA-27がCVW-5に配備された直後のRWY19降りのカットです。 VF-21が帰国して意気消沈、入れ替わりのVFA-27でしたので伝統の「MACE」に期待したものです。 その後ブラックテールのCAG機が出たりして楽しませてくれた。

FKEN 2021/07/04(Sun) 15:23 No.3563
あの年の6, 7月- #1
皆さん、こんばんは。

>FKENさん
ザラザラの写真はダメで粒状の細かい写真が良い。
では、粒状の細かい写真より粒状の無いデジタル写真が良いのでしょうか?

それは当然「否」です。

より「キメ」の細かい写真を目指して行き着いたのが「デジタル写真」でしたが
写真は粒子が有って「写真」なのであって、粒子ない「デジタル写真」は「写真」ではないと思っています。

今のところ、「デジタル写真」には「銀塩写真」のような画像保持能力は存在せず、
将来的に現世界の画像データが未来に受け継がれていくか非常に危惧されるところです。

話が横道に逸れましたが、要はFKENさんが写真として今も保持されていることに意義があると思うのです。
デジタル写真に画像保持能力がない以上、銀塩写真の地位は揺らぎません。アナログ強し!ですよ。

VFA-27のホーネットですか。。

自分の時代はVA-27でしたからA-7Aコルセアが頭に浮かびます。
マニアの間ではVA-27機の事は尾翼のマーキングからの連想で{新選組」と称して居りましたが、
そのVA-27が厚木の住人になるとは夢にも思いませんでしたよ。

本日の「日付ネタ」は1975年7月4日、G.R.MARKGRAFさんがNAS MIRAMARの公開で撮影したSNJ-5C/N-6438D.
見てお分かりのように「映画、トラ・トラ・トラ」に出演した97型艦上攻撃爆撃機(米軍名KATE)の模造機。

一時期、カリフォルニア州San Jose在住のHiroshi Takai氏が所有していた事でも知られています。

M.WADA 2021/07/04(Sun) 18:02 No.3564
あの年の6, 7月- #1
翌1976年7月4日(日曜日)アメリカ建国200周年の独立記念日に展示されたバイセンNF-201.

当日は各米軍基地が一般公開となりましたが、全ての基地を回りバイセン機を撮るのは不可能でしたが、
皆さんの中で厚木以外の基地情報をお持ちでしたら、是非投稿いただければ嬉しいです。

M.WADA 2021/07/04(Sun) 18:05 No.3565
あの年の6, 7月- #1
FKENさんのお話にも出てきた、一般公開を蹴ってPR-01とNGのコルセアを撮った時のショットが出て来たので、
一枚アップして置きます。

VA-147のA-7E/156838,NG-410が厚木R/W-19を12時丁度に離陸し嘉手納に向かう姿です。
NG-401/402/405と離陸してきて最後にT/Oしたのが此のNG-410でした。

此の日の一般公開機を撮り、尚且つPR-01そしてNG機を撮ることはマニアの皆さんならお分かりかと思いますが
先ず殆んど不可能と理解できるでしょう。

一般公開機を撮るか、外来機を撮るか、自分は後者を選びましたが、
前者を選ばれたAbledogさんはどうだったんでしょう? お気持ちが聞きたいもんですね。

M.WADA 2021/07/04(Sun) 18:07 No.3566
あの年の6, 7月- #1
NGのコルセアが上がった7月3日に続き7月4日(月曜日)も横田は一般公開されたので
厚木を離れ横田に出向きWP-00を撮影。

M.WADA 2021/07/04(Sun) 18:09 No.3567
あの年の6, 7月- #1
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1984年7月3日,11時4分にVADMJ.R.HOGGを乗せて厚木へ飛来したVA-3Bが
二日後の7月5日(木曜日)9時8分、任務を終了しNAS CUBI POINTへ戻る時のショットです。

厚木からキュービーへ直行で飛ぶため,燃料が満タンだった事と気温/湿度が高く無風状態たった事が
功を奏したようで,今まで見たことのない低高度離陸を見せてくれました。

ところが,あまりに高度が低い為,斜め前ではVA-3Bの姿が全く見えず植樹林の中を通過するジェット音のみ。
姿が見えた時には、ほぼ真横でファインダーに飛び込んで来たのです。

その為「東現」からポジが上がってくるまで,全く結果が分からず不安でしたが、
ミスなく無難に撮影されていたのでホッとしましたが,一番撮りたかった斜め前のショットが無いのが残念。

M.WADA 2021/07/05(Mon) 14:54 No.3568
あの年の6, 7月- #1
その7時間後の15時51分、VA-3Bと入れ違いにキュービーから厚木を訪れたのがRGのUS-3Aでした。

M.WADA 2021/07/05(Mon) 14:57 No.3569
あの年の6, 7月- #1
こちらは1976年7月,JOHN M.TAYLORさんがカリフォルニア州NAS North Islandで撮影したC-1A/146024,#-000.
空母エンタープライズ所属のCOD機で艦長はCAPT C.C.SMITH.

Mdx#000が赤白青のバイセンカラーに塗り分けされた”バイセン機”でした。
146024号機は1969年〜1970年にはVRC-50所属のRG-300番でしたので、古いマニアならお馴染みの機体ですね。

この146024は1986年6月5日、一旦MASDC入りしたものの、2010年2月23日、ブラジル海軍へFMS供与され
S-2T Turbo Tracker、#−2994として蘇ります。

然しながら、現役復帰も2年半で幕を閉じ、再びアリゾナ州TUCSONに戻され、
United Aero Corporation Yardで其の姿を見られたのが最後となっています。

M.WADA 2021/07/05(Mon) 14:59 No.3570
あの年の6, 7月- #1
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1979年7月6日(金曜日)13時39分、厚木R/W-19を離陸したNF-414は
訓練途中でエンジン出力が上手く調整出来ずローパワーのままになり、横田アプローチに緊急着陸を要請。

僚機 NF-411に見守られながらのアレスティングL/Dとなりましたが「セーフ」!

又、エスコート役のNF-411が全身ジュラルミン肌のままフライトしたのには驚かされました。

M.WADA 2021/07/06(Tue) 16:03 No.3571
あの年の6, 7月- #1
このNF-414/159272号機は不調が度重なり”ハンガー・クイーン”となってしまうかと危惧されましたが、
ドッコイ,1982年〜1986年までVA-93のCAG機,NF-300番として5月2日,本国帰国まで立派に勤めを果たし切りました。

こちらのショットは1984年7月22日(日曜日)「ちびヤン」で展示された時のNF-300/159272号機の姿です。

M.WADA 2021/07/06(Tue) 16:05 No.3572
あの年の6, 7月- #1
こちらか1976年7月、HAMANOさんが嘉手納で撮影したオライオンの”バイセン塗装エンジン”。
HAMANOさんによるとVP-46(RC)のエンジンだそうです。

このエンジンを実際に装着した姿を見たいですが、ペラが回ったら良く分らないのでは?
そしてフライトしたら塗装が取れちゃうんじゃないでしょうか?
何れにせよ、とても珍しい事は確かですね。

M.WADA 2021/07/06(Tue) 16:08 No.3573
: あの年の6, 7月- #1
最後もHAMANOさんのショット。
1982年7月、爆装して嘉手納R/W-23R離陸へと向かうVMFA-235のF-4S/159272,DB-04.

HAMANOさんによると、この出立で良く飛んでいたそうで、良い時期に行かれたもんです。
自分も幾度となく嘉手納に行きましたが、こんなシーンには一度もお目に掛かれませんでした。

それもクラスター爆弾(CBU-87/B)x4発ととサイドワインダー(AIM-9L)の実弾とはタマゲました!

M.WADA 2021/07/06(Tue) 16:10 No.3574
Re: あの年の6, 7月- #1
みなさん、こんばんわ。
今年のIndependence Day、厚木の花火は中止になったようですね。

>MACH3さん
”年寄りには昔話が一番の薬です”
私には無理なようですのでM.WADAさんに”ちょっと強目の”を調合してもらいましょう(笑)
私も何かと免疫力がUpします。

>M.WADAさん
「とりあえず撮って置く」
そうでした。マニアとって基本中の基本のお約束ごとでしたね。
もうコロナ過と仕事でカメラを2年も使っておらず教訓を忘れていました(笑)
7月14日、楽しみにしております!

>FKENさん
VFA-27がCVW-5に配備された時「Chargers」でスコードロンカラーが「黄/黒」で、落胆しました(笑)
数年後「Royal Maces」に戻りましたが「緑」は未だに(涙)今なら使えそうな気がしますが・・・けど岩国なんですよね(笑)


本日は私のコレクションから1956年6月某日の大和駅。
正面が銀座通りで、その左側の「ふじや商店」辺りが現在の三菱UFJ銀行ですね。
1956年、昭和31年。調べたら、この年の5月に日活映画『太陽の季節』が公開したみたいです。

Burnett 2021/07/06(Tue) 20:38 No.3575
あの年の5, 6月- #4

皆様、こんにちは
梅雨も一休みでしょうか、晴れ間が見えますネ。
日曜日のこんな天候でも昔はカメラを持ってエンドに出かけました。
現在と違って、日曜日でも何が飛来するか分からない時でしたので、ただ行ってひたすら外来機を待っていました。

1969年6月16日は南風でエンドに行くと誰もいません。
1969年にはよくあったことです。
そんな中、GCAが回りだし降りてきたのがこのWL-00でニッピに入りました。
この日はニッピからVF-213のF-4B(NH-115)がテストフライトし、WC-121N(TE-7)とEKA-3B(NH-612)が離陸しました。
今じゃあ200人は集まったでしょうか、そんな中1人ぽっちの私でした。

>M.WADAさん
画質はパイロットネームが解読できるくらいもっといいはずですよね。
もしよければ、NIKONのフィルムスキャナーお貸ししますよ。
Windows10でも使えると思うんですが?

>FKENさん
この記念塗装撮りたかったのですが、行くと上がりませんでした。

MACH3 2021/06/20(Sun) 09:51 No.3502 [返信]
Re: あの年の5, 6月- #4
みなさん、こんにちわ。
ご無沙汰しております。仕事が過密すぎてどうも参加できません。もっとも6月の撮影が少ないのも影響しております。
TVの報道が正しければこのご時世、まだ仕事ができればマシな方なんでしょう。感謝して床に就くようにしております(笑)
こちらのBBSは仕事の合間、通勤時に拝見して仕事への糧と。


>MACH3さん
F4D-1!イイですね。フリーハンドのマーキングも決まっています。
F-4BのVF-151と並べるのも模型ならではですよね。完成したら並べて是非拝見させてください。
私はここ最近全くイジられていません(涙)

>徳永さん
VFA-151の補足、遅くなりましたがありがとうございます。
どうもVF/A-151のマーキングはやはりスイッチボックス。ホーネットならばスカルへッドのイメージで、尚且つテイルレターは私は「NF」と(笑)

>M.WADAさん
いつもいつも素晴らしい写真と逸話で楽しみにしております。
撮影ポイント「ニッピ山」私もココで撮影してみたかったです。あっ、マネになっちゃって本末転倒ですね(笑)

>FKENさん
”私も残業80時間越え”ええっ!いざとなると会社は冷たいもの・・・お身体を大事にしてください。
No.3476のダイアモンド編隊、決まってますね〜こんなフライインもあったのですね。
私は遭遇した記憶はありません。残念です・・・。


と、いうことで6月撮影が少ないので5月撮影がOKすので、しつこいですが2003年の子供の日の岩国です。
FKENさんのNo.3449、25FSに無理矢理こじつけで、25FSのパイロットの襟裏のちょっと過激な刺繍”F%&K TERRORISM”
当時、このフライトスーツは25FSで彼1人でスペシャルオーダーだと自慢げに話しておりました・・・(笑)

Burnett 2021/06/20(Sun) 10:27 No.3503
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん

自分の使っているフラッドヘッドスキャナーの解像度ではあれが限界でした。
デジカメコピーと違いEPSONのスキャナーは曇天下や露出がアンダー気味のポジの再現能力が低いです。

MACH3さんのご好意には大変感謝致しますが、元来粗忽者の自分ですから
もしお借りしたら大事なスキャナーを壊すともしれず,取り返しのつかない事態に陥る恐れがあります。

由って、ここはMACH3さんのご好意だけお受け取り致したいと存じます。

お見苦しいショットを出したことを恥じお詫び致す次第です。 申し訳ありませんでした。

WL-00が降りた6月16日は月曜日で高校生だった自分は撮ることが出来ませんでした。

152070は1967年から1969年2月迄空母イントレピッド搭載、CVW-10(AK)隷下VA-106"GLADIATORS"所属機で、
その時のマーキングの名残が”消し跡”からも分かり興味深いですね。


>Burnettさん

コロナの最中でもお仕事多忙との事、どうぞお身体大切になさって下さい。
通勤やお仕事の合間にご覧いただきありがとうございます。

稚拙なショットやコメントですが、これが今の自分にできる精一杯のレベルです。
これらが少しでも皆さんの貴重なな余暇時間に貢献できれば嬉しく思います。

「ニッピ山」で撮影してみたいと思われる程、興味を持ってもらい作品をアップした甲斐がありました。

自分がアップした地上部が写り込んだ場所は現在殆んど存在せず写真の中だけになったように、
撮影場所というのは日々変化し消えていくものと自覚し撮影に臨んでいけば
年月が経てばたつ程、それらのショットは「価値」が増してくると思います。

加えてBurnettさんが撮影された「背面ショット」なども同じように
年月と共に「人」,「モノ」に拘った別角度からの飛行機写真として認知度も上がっていくことでしょう。

「本日の日付ネタ」は1978年6月20日(火曜日)10時29分,嘉手納に向け厚木R/W-19を離陸するCUBIのC-117D.

同機は最後にフィリピンで射撃訓練の標的として使用され終わっています。

M.WADA 2021/06/20(Sun) 15:25 No.3504
あの年の5, 6月- #4
1979年6月20日(水曜日)14時6分、厚木R/W-19を離陸し
館山沖、太平洋上の米軍訓練空域RANGE-116(RJ(R)-116)で訓練後、14時45分帰投したNF-200,CAG機。

NF-200のパイロットネームはCDR STEVEN R.BRIGGS, CAG.

尚、158346号機はF-4Sにグレードアップ後の1982年9月14日、
CV-59 USS FORRESTAL搭載CVW-17(AA)所属機として活動中、A-7Eと衝突、爆発事故を起こし紅海に墜落、
機体は失われ搭乗員一名が死亡しています。

M.WADA 2021/06/20(Sun) 15:40 No.3506
あの年の5, 6月- #4
こちらはHAMANOさんが2010年6月、嘉手納で撮影した5thRS / 9thRW所属のU-2S/68-10329.

このU-2Sは韓国、OSAN ABからKADENA ABに展開しミッション後R/W-23Rに降りて来た時のショットです。

同機は1967年8月28日、N-803Xとして初飛行。、台湾空軍で#3925として活動、
1981年、9th SRWに配属替えとなり1995年5月U-2Sに認証変更となりました。

M.WADA 2021/06/20(Sun) 15:42 No.3507
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」。

1969年6月21日(土曜日)南ベトナムCHU-LAIからVE-2が日飛入りの為厚木へ飛来。

学校は半ドンでしたが、VE-2の降りは例によって撮り逃がし。
仕方なく自転車を飛ばしニッピ裏まで行き撮影したのが此のショットです。此の152992は元NG-604号機で、そのマーキングの消し跡が機体に残っていました。

F-4B/152992はF-4Nにアップグレード後、VMFA-531(EC-02)などで活動後、
USDCP(US DAMAGE CONTROL PRACTICES)機を経て1983年10月13日に運用停止。
現在はカリフォルニア州 NAS ALAMEDAで保管状態となっています。

M.WADA 2021/06/21(Mon) 14:55 No.3508
あの年の5, 6月- #4
1972年6月21日(水曜日)横須賀寄港中のCVA-64 USS CONSTELLATION艦上で撮影したNG-604.

此の日はコンステ前で偶然西村さんと鉢合わせ。

二人一緒に艦内に入ったものの、お互い興味のあるものが異なり別れ別れになった後
終日顔を合わせることはありませんでした。

M.WADA 2021/06/21(Mon) 15:05 No.3509
あの年の5, 6月- #4
そのコンステ艦上の隅っこに繋がれていたのが空母コーラルシーに搭載されていたHC-1のSH-3G/NL-004.
横転事故を起こしたようで、左舷がメチャメチャで痛々しい状態でした。

ところが此のSH-3G/148996は本国で修理後活動再開。SH-3Hにアップグレードされ、
22年後の1994年3月24日にAMARC入りするまで働いた”強運”の持ち主でした。

2011年9月2日、148996号機はオレゴン州GRANTS PASSのCARSON HELICOPTER INCに移籍となり
N-454WGの民間レジを付け2011年1月4日まで飛行し、最後までラッキーなヘリで終わっています。

M.WADA 2021/06/21(Mon) 15:07 No.3510
あの年の5, 6月- #4
1976年6月21日(月曜日)9時58分から始まったCVW-5機の入港は18時20分にL/DしたNF-604で終わりました。
フライ・インしたCVW-5機は36機。エンドに詰め掛けたマニアは10人。

M.WADA 2021/06/21(Mon) 15:09 No.3511
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の日付ネタ」。

1969年6月22日(日曜日)曇天の厚木R/W-01へショートカットでL/Dして来た横田556thRSのRC-130B.
此の日は前日21日に墜落した岩国のメンターをVH-61が吊り下げ飛来した以外は外来機は無しでした。

M.WADA 2021/06/22(Tue) 11:48 No.3512
あの年の5, 6月- #4
2011年6月、HAMANOさんがNAF KADENAで撮影したVAW-115"LIBERTY BELLS"のE-2C/165817,NF-600.
パイロットネームはCVW-5のCAG、CAPT DANIEL CAVE.

M.WADA 2021/06/22(Tue) 11:50 No.3513
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の日付ネタ」。
1970年6月23日(火曜日)当時、基地南端にあったエンジンテスト場ですれ違うVE-13とWU-18.

今と違いエンジンテストを屋外で、然も朝から夕方遅くまで一日中行っていて、
A-4/J-52,F-8/J-57そしてF-4はJ-79x2基が轟音を立て続け会話も満足に出来ない状態でしたが、
都市化前で市民からの苦情は無く「日常の一部」として生活に溶け込んでいました。

因みにF-4B/151472号機は1972年4月27日,南ベトナムDa-Nang近くでベトナム軍のO-1偵察機と衝突し
2機とも墜落.ファントムのパイロットは死亡,RIOは救出されています。

又,F-4J/153818号機の方はベトナム戦後F-4Sにグレードアップされ運用中の1980年1月2日、
サウスカロライナ州、MCAS Cherry Pointから飛び立ったVMFA-333のF-4S/153853と空中衝突し海上へ墜落。
153818と153853の両機とも失われてしまいました。

M.WADA 2021/06/23(Wed) 10:40 No.3514
あの年の5, 6月- #4
上記から一年後の1971年6月23日(水曜日),ベトナムクルーズ中の空母ミッドウェイが横須賀へ寄港。
その搭載機の一部25機が厚木に降ろされテストフライトや訓練飛行を連日行いました。

VF-161のF-4Bはテストフライトが主でしたがフライトしてくれ、
今回アップしたショットはフライトから厚木R/W-19へ戻って来た時のものです。

此の時のCVW-5機は母港化以前でしたので、F-4NではなくF-4B,コルセアもA型ではなくB型でした。
又、チャージャースの塗装も”旧”塗装であったのも結果的に良かったと思っています。

何故なら自分ら世代にはVF-161"Chargers"と言えば,こちらの塗装を思い浮かべてしまうからです。

母港化後、永らく親しんできたチャージャーズの黒尾翼+赤い稲妻の”新”塗装でしたが,
やはり自分は"旧"がVF-161のマーキングとして頭に「定着」していますが,皆さんは"新"派,"旧"派?

M.WADA 2021/06/23(Wed) 10:44 No.3515
あの年の5, 6月- #4
1975年6月23日(月曜日)正午過ぎ、厚木R/W-19へL/DするH&MS-12のTA-4F/153488,WA-00.
同機は1992年9月15日、AMARC入りしています。

M.WADA 2021/06/23(Wed) 10:47 No.3516
あの年の5, 6月- #4
本日最後にご紹介するのは西ドイツ(旧)在住のALEX STARUSZKIEWICZさんが
フランスCAMBRAIで撮影したフランス海軍所属のF-8E(FN)/151751,”20。

因みにこれらフランス海軍向けに生産されたF-8E(FN)クルセイダーが
LTV社F-8生産ラインの最終組み立て分となったそうです。

M.WADA 2021/06/24(Thu) 08:34 No.3518
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

「本日の日付ネタ」は1977年6月24日、BALDUR SVEINSSONさんがアイスランド、NAS KEFLAVIKで
撮影したVP-23 "SEAHAWKS"のP-3B/152724,LJ-3です。

P-3B/152724号機は撮影から一年後の1978年4月26日、部隊展開していたスペインNS ROTAから
アゾレス諸島、LAJES AIR FIELDへ向かい、そのファイナルアプローチ中に墜落し
LJ-4の搭乗員7人全員死亡という痛ましい事故を起こし、機体は大西洋に没しました。

M.WADA 2021/06/24(Thu) 11:59 No.3519
あの年の5, 6月- #4
こちらは1978年6月24日、マサチューセッツ州SPRINGFIELD近郊、WESTOVER AFBで
RON McNEILさんが撮影したVX-4のEB-47E.

同機はUSAFからUS.NAVYへ移籍した機体で、海軍BuNoは24100を与えられていました.

24100号機は前年1977年までVX-4所属機でしたが、1978年に入りMD 社の「74−75 PROJECT」に
参加していた事を示す文字とマークが機首に小さく描かれています。

その後同機はニューハンプシャー州PEASE AFBに基地が閉鎖された1991年まで展示された後、
サウスダコタ州のELLSWORTH AFBにあるSOUTH DAKOTA AIR & SPACE MUSEUMに展示となりました。

2002年に入り機体改修保存プログラムが進行中に、オハイオ州DAYTONで行われていた
52-4299号機の保存プログラム用に24100号機の機首部分とエンジン部分を流用することになり、
24100号機に対するプログラムは中止となってしまいました。

現在24100号機の胴体部分はオハイオ州在住の個人所有物となっています。

M.WADA 2021/06/24(Thu) 12:00 No.3520
Re: あの年の5, 6月- #4
みなさん、こんばんわ。

>M.WADAさん
私のVF-161はF-4Sからでしたので”稲妻世代”でした。けど、スコードロンマークの”鳥居に稲妻”は「なんだかなぁ〜」で、
スコードロンマーク"旧"派です(笑)
その”新”塗装の稲妻はNFLのサンディエゴ・チャージャーズから拝借したと聞いて以来、VF/A-161が解散してもサンディエゴ・チャージャーズを応援しています。ですが数年前に本拠地を移し、現在ではロサンゼルス・チャージャーズに・・・ちょっと複雑な心境です。しかもラムズもロサンゼルスが本拠地でホーム・スタジアムも一緒という・・・
たらればですがVF-161が現在でも残っていればどんなマーキングになっていたんでしょうね。


今日も5月5日の岩国。2010年のVFA-94。そして襟裏。
“Shit Hot World Famous Orange Tailed Shrikes”の略だそうです

Burnett 2021/06/24(Thu) 19:40 No.3521
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

>Burnettさん
ご多忙中にも関わらずいつもBBSへアップして頂き、ありがとうございます。

BurnettさんはF-4S世代でしたか。
その方が”新”ではなく”旧”派というのが面白いですね。

チャージャーズ繋がりでNFLのサンディエゴ・チャージャーズファンというのもお若い。

自分らの時代は「巨人・長嶋・ジャイアンツ」でしたが、
それには目もくれず只管「航空雑誌」を読みふけって居りました。

襟裏の”SHWFOTS"を目敏く見つけ、其の意味を探り出したBurnettさんは”ただ者”ではない!

自分にもUSNの"人","モノ"への興味は多少ありますがBurnettさんのそれは、
アタマに「B?K?」がつくレベルでとても敵いません。


本日の日付ネタ」は1969年6月25日(水曜日)ニッピ入りの為、厚木R/W-19へ着陸したTM-7です。

写真は着陸後、南の角まで来てAE誘導路に入らずUターンし滑走路を戻りニッピへ向かう場面です。
何故AEに入らずR/Wに戻ったのか?

それは遠く南ベトナム、ダナンから来た外来機だからではなく,全く思いもよらない原因からでした。
あまりの悪夢のような出来事に意気消沈し、辺りを見回し怒声が口をついて自然に出ていました。

視線の先が再びTA-4Fに向いたその瞬間、管制塔が”キラっ”と光るのが見えました。
おやっ、と思いカバンから眼鏡を取り出し見て観ると、
なんと管制官の一人がこちらを見張っているではありませんか!

アッそうか、タワーからこちらの動きを観察し、AE誘導路に入るか否かの指示をを決めていたのか。。

それからは常にタワーから身を隠し、航空機がAEに入る事を確認してから出ていくように改めました。

ガード、MP,SPに加えタワーの視線迄気にしながら撮影していたなんて今のマニアには理解不能な世界、
それが当時のNAS ATSUGIだったのです。

写真を見てお分かりのようにTM-7の胴体にはH&MS-11のエンブレムがついており
シッカリ撮っておきたい1機だったのに残念なことをしました。

M.WADA 2021/06/25(Fri) 10:52 No.3522
あの年の5, 6月- #4
それから2年後の1971年6月25日(金曜日)は27機のCVW-5機が厚木からフライオフした日でした。

惜しむらくはその天気で、ヘイズがかった暗い無風の曇天の撮影環境は最悪。

その状況を端的に表しているのがK.TANABEさんが撮っていたこちらのショット。
中央サングラスの男が自分で、手前,土管の中で背中を向けているのが地元の吉村さんです。

こんな状況でもMACH3さんは一人 K-IIで撮影に臨んでいたのを今でも良く覚えています。

M.WADA 2021/06/25(Fri) 10:57 No.3523
あの年の5, 6月- #4
その中で最も目を引いたのがVF-161"CHARGERS"のF-4B/152259,NF-114の"超”が付く低い離陸でした。
信じられないでしょうが、此のショットは6x7版、300o(35mm換算で150mm)で撮った映像です。

その為,原版ではクルーの細かい動きまで読み取れ,RIOはこちらを凝視、
パイロットもこちらに視線を送っているのが分かります。

このことからして、推測ですが一瞬こちらに機体を傾けたように感じられ
それが功を奏して、より低い感じの機体姿勢になったと思われるのです。

因みにキャノピーフレームに書かれていた名前はLT BART BARTHOLOMAY,後席はLTJG GERRY HULL.
整備員はADJ-3 T.CARSKADONと書き込まれていました。

M.WADA 2021/06/25(Fri) 11:00 No.3524
Re: あの年の5, 6月- #4
MACH3さん 皆さん こんにちは

>M.WADAさん
あの日はきょうから丁度半世紀前でしたか シッカリひねりのタイミングを6x7で見事に納めていますね
私も無謀にもKUで撮影していた一人です
見事にぶれています (^ ^;

ダブルタンゴ TAGAYA 2021/06/25(Fri) 12:19 No.3525
Re: あの年の5, 6月- #4
このセクション上りはいかがでしたか?

ダブルタンゴ TAGAYA 2021/06/25(Fri) 12:21 No.3526
あの年の5, 6月- #4
ダブルタンゴ TAGAYAさん、こんばんは。

自分の投稿に透かさず反応して頂き、ありがとうございます。

いやいや素晴らしいショット、それもカラーで撮影なさってドンピシャのショット。
何処がブレているんでしょうか? K-IIですって、信じられません!

アノ天気でこれだけシャープな映像と見事な色再現力を見せられると、
これから先の投稿が躊躇われます。

NF-104/110のセクション上がりも仰ぎ見ての撮影の為、こんな感じのショットになってしまいました。
No-3526の下に入れるのも恥ずかしいのですがダブルタンゴ TAGAYAさんのリクエストなのでアップ致します。

これからも折に触れ、ダブルタンゴ TAGAYAさんが登場されることを期待しています。

M.WADA 2021/06/25(Fri) 20:40 No.3527
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の日付ネタ」は1974年6月26日(水曜日)10時7分、北鮮に対するELINT任務に向け
燃料満タンで厚木R/W-01を離陸するVQ-1のEA-3B/146459,PR-04.

此の時の離陸が自分が撮影したEA-3Bの中で最も低い離陸となりました。
同機は離陸から4時間半後の14時30分、厚木R/W-19へL/D.

M.WADA 2021/06/26(Sat) 12:04 No.3528
あの年の5, 6月- #4
PR-04が上がって3分後の10時10分、今度は部隊派遣中の岩国より飛来したQE-11が離陸。
こちらもPR-04とまでは行かないまでも、オライオンとしてはかなり低い上がりをしてくれました。

M.WADA 2021/06/26(Sat) 12:06 No.3529
あの年の5, 6月- #4
11時35分にランチェンで19運用となりニッピからテストフライト中のNG-201をどこで撮るか迷いましたが、
「ニッピ山」を下りエンドで撮影する事にし大急ぎで撮影場所へ移動し撮影したのがこのショットです。

NG-201番は4月6日に日飛入りしてから2か月半近く厚木に逗留してくれ、
黄色い尾翼のシルバーキングスのファントムが撮れたのはラッキーな事でした。

M.WADA 2021/06/26(Sat) 12:07 No.3530
あの年の5, 6月- #4
又、此の日はCVW-5機のフライ・イン当日でもありマニア31人がエンドに詰め掛け賑わっていました。

写真は「お墓」のフェンスでニッピから岩国へ帰るED-1のタキシングを撮った直後の映像で
右端の人物はMACH3さんのようですね。

M.WADA 2021/06/26(Sat) 12:09 No.3531
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の日付ネタ」は1970年6月27日(土曜日)、
BE誘導路脇のエンテス場でエンジン調整を行う鹿屋基地,11空のS2F-1/4101.

以前No-3379でご紹介したブロンコのエンテス場と同じ場所でした。

此の場所で然も海自のトラッカー#4101が行うのは非常に珍しい事なのでアップしましたが
画像の酷さは上記の理由に免じてご容赦下さい。

M.WADA 2021/06/27(Sun) 14:46 No.3532
あの年の5, 6月- #4
こちらは1975年6月27日(金曜日)嘉手納R/W-23Lに着陸する元MAAG ITALYのEC-47Q/43-4957.
HAMANOさんのお話によると、此れが日本に飛来した最後のC-47ではないか?との事でした。

M.WADA 2021/06/27(Sun) 14:48 No.3533
あの年の5, 6月- #4
上記と同じ6月27日午後、R/W-23R離陸に向けタキシングするNAS AGANAのC-1A/146055,#055。

146055は1969年にCVS-14 USS TICONDEROGA所属機〜1977年はNAF MISAWAのベースフライト機でしたが、
その間にNAS AGANA機となっていたのは知りませんでした。

自分の記憶では厚木に飛来していないと思うのですが、何方か厚木で撮られているでしょうか?

M.WADA 2021/06/27(Sun) 14:50 No.3534
あの年の5, 6月- #4
本日最後の「日付ネタ」はイギリス、ロンドンにお住いのJOHN J.WYNNEさんがYEOVILTONで撮影した、
イギリス海軍892SQDN所属のファントムFG-1/XV-568,R,#002のL/Dショットです。

米軍、空自ファントムと違い独自の塗装、雰囲気があり、
こちらのROYAL NAVY機も一度は撮ってみたかったF-4でした。

M.WADA 2021/06/27(Sun) 14:52 No.3535
Re: あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんばんは!

>MACH3さん
1969年、一人ぼっちの19エンド、WL00とNHの降りを撮られた「世界でただ一人」ですか! マニア冥利と言いますか、「うっしっし」ですね!

>Burnettさん
お気遣い頂きありがとうございます、本当にこのBBSはタイムトリップする感があり、良い気分転換(現実逃避?)になりますよね! 25FSネタに乗って頂き、こちらもありがとうございます、しかし襟裏に刺しゅうとは、、、機体もエアブレーキ裏に隠し絵をしたり、、、いやはや気が抜けません(笑)

>M.WADAさん
相変わらずどの作品にコメントするか迷う名作揃いですが、VF-161シリーズとベタ底のPR-04、特にシビレました! 飛んでいるヒコーキに 6x7 を使う方は少なかったのではないでしょうか? TAGAYA さんのK-II も「ド根性!」という露出だったに違いありません、それに比べて最近の私は1/1000 secでブレ防止機能を入れてもブラす時があります(涙)

今日の一枚もフライング、1997年6月29日(日曜)、台風一過のWINGS本番、Diamond of Diamond FLY-BY のヒトコマです。 16機でバンクを取りながら2回パスするので、1度は400mmで先頭集団だけを切り取ることにしました。 結果、ライト側のF18も絡んで「魚群」のようなカットになりましたが、当時も今も私のお気に入りの一枚です。

FKEN 2021/06/27(Sun) 22:16 No.3536
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

>FKENさん
1/1000 sec+手振れ防止機能付き」カメラですか。。
自分の現役時代には夢にも現れなかった、それこそ本当に”夢の機能”ですね!

どれだけ"ブレ","ピンボケ"で悔しい思いをして来た事か分かりません。

まあ、失敗が激減した分、「作品」自体の「質」が問われる時代になったわけで
これはこれで大変な事ではありますが、撮影により集中して取り組めるのは大助かりですね。

では、FKENさんがNo-3536でアップされた密集編隊ショットもデジカメでの撮影なのでしょうか?
FKENさんお気に入りの一枚との事ですが、滅多にないチャンスを見事にモノにされていますね。

本日の日付ネタは1970年6月28日(日曜日)午後,厚木R/W-19へL/Dする436MAW所属のC-133A/56−2008。

カメラはPENTAX 6x7,105mm. フィルムはTRi-Xでした。

M.WADA 2021/06/28(Mon) 11:05 No.3537
あの年の5, 6月- #4
こちらはDUANE A. KASULKAさんが1974年6月28日,フロリダ州NAS CECIL FIELDで撮影した"HELLRAZOR-1”。
パイロット名はVA-174のCO, CDR JOHN McCAIN.

A-7E/158842はVA-46→174→37→VA-72と湾岸戦争を挟んで移動を繰り返した後、
1995年5月、イリノイ州Sugar GroveのAirclassics of Aviation の展示機となっています。

M.WADA 2021/06/28(Mon) 11:07 No.3538
あの年の5, 6月- #4
1975年6月28日にはPETER MANCUSさんがNAS LEMOOREでVA-145のA-6A/155683,NE-500を撮影していました。
同機は1996年8月16日にAMARC入り。2002年6月14日、運用不可と裁定され別途利用扱いとなっています。

M.WADA 2021/06/28(Mon) 11:09 No.3539
あの年の5, 6月- #4
最後は1984年6月28日(木曜日)18時27分,日没後の厚木R/W-19へ着陸して来たVP-67のP-3A/151367,PL-00.

6x7,300mmを使用しシャッタースピードは1/60sec. フィルはC-120ブロニー版です。

M.WADA 2021/06/28(Mon) 11:11 No.3540
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1974年6月29日(土曜日)15時,当時,部隊展開中だったNAF NAHAへの離陸に向け
「お墓」前の誘導路”DW"をタキシングするVP-1”Screaming Eagles”のP-3B/153421,YB-10.


同機は前日の11時45分、雨の中R/W-01へL/Dしていたもので、
YB-10と入れ替えにYB-6が那覇に帰って行きました。

又、YB-10のタキシング時は、マニア9人がズラリとフェンスに張り付き一緒に撮影。

此れは6月26日、厚木にフライ・インして来たCVW-5機の訓練飛行を撮ろうと目論んで
厚木に足を運んだものの、意に反しCVW-5機は1機も飛ばずオライオンに足を向けた為でした。

M.WADA 2021/06/29(Tue) 14:43 No.3541
あの年の5, 6月- #4
1984年6月29日(金曜日)7時36分、SF-1が雨の厚木R/W-19へL/D. 8時22分ランチェンで19→01.

SF-1は着陸後Coral Deck(Quarter deck)へ駐機。ターミナルと連絡を取りVIPの到着を待ちました。
12時39分、漸くVIPが到着〜搭乗しましたがタキシー・アウト迄に30分もかかりゲンナリ。

14時15分,三沢に向け出発する頃でも天気は曇り空で1/125sec,絞り開放と冴えないショットでした。

M.WADA 2021/06/29(Tue) 14:45 No.3542
あの年の5, 6月- #4
次に出てきたVA-3Bの時も天気は回復せず1/125secのまま。

このVA-3B/142672は1985年1月23日(水曜日)9時9分,厚木R/W-01を離陸しグアム,NAS AGANAへ向かいました。

此の時PR-111にはVQ-1の司令官CDR Mitchellと其の随行員6名,そしてクルー3名の計9名が乗り組んでいました。

VA-3Bはフライトプラン通り大島を通過後B-86に入りFL-330で一路アガナを目指し飛行を続けていた9時29分、
クルーからDET-ATSUGIへ「ATM(Air Tubine Motor)」が故障したとの連絡が入ります。

それから17分後の9時46分,"JT-725"はFLを330から200に降下することをTOKYO ACCにリクエスト。
その4分後の午前9時50分、突然"JT-725"の機影がレーダースクリーンから消えてしまいました。

VA-3B消息不明の報を受けUS NAVYは直ちに空と海からの大規模な捜索活動を実施。
ところが全力で捜索するもVA-3Bの搭乗員と乗客の痕跡は杳として掴めぬまま捜索活動は中止されました。

このため、CDR MitchellはVQ-1史上初の職務中死亡した現職のVQ-1司令官となりました。

VADM James E.Service太平洋軍司令官による事故調査では事故の正確な原因は入手可能な情報からは
特定できず,結果として生じた飛行制御の問題を伴う二度にわたるATM復旧の失敗がその状況証拠によって
最も妥当と判断できる結論と言えると結んでいます。

ATMは油圧ポンプに動力を与える飛行に重要な装置で、
この故障が墜落の最も大きな原因になったのでないかと推論されてリポートは終わっています。

M.WADA 2021/06/29(Tue) 14:47 No.3543
あの年の5, 6月- #4
前日の着陸から一晩が明けたPL-00は7時31分、高官輸送の為,厚木エアターミナル前への移動をリクエスト。
ところが其の高官の搭乗手続きが遅れに遅れの15時過ぎ。

どうやら厚木→三沢→アガナと各基地を視まわる為の調整に手間取ったのが原因のようでした。

其のおかげでこちらの撮影時間も大幅に遅くなり、三沢へ向けてPL-00が上がった時は15時52分。
前日夕方L/D時と同じ1/60sec,絞り開放で撮るとは。。"00"なのにガッカリでした。

M.WADA 2021/06/29(Tue) 14:50 No.3544
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1971年6月30日(水曜日)朝方ELINTミッションに上がったPR-4は
任務途中でマイナートラブルに見舞われ厚木R/W-19へ帰って来ました。

EA-3Bが午前中に厚木で着陸を撮れるとしたら、このような時しかなかったので
スカイウォーリアの機影が見えた時は嬉しかった。

又、此の時は事前に何か機首にマークが有る事が分かっていたので
クローズアップショットと決めて掛かりました。

其のマークはVQ-1の黒コウモリと"CDR CONNELEY"と書かれた文字でした。

此の時は無事厚木に帰って来られましたが、VQ-2に配属替え(VQ-2,DET-2,CVW-8,JQ-12)となった,
1987年1月25日は不運で、空母ニミッツを飛び立ったJQ-12はインド洋に墜落。
クルー7人全員が死亡する事故となり、機体は海に没し失われました。

因みに、PR-4を撮った1971年6月30日は”NAS"ATSUGI最後の日で、
翌7月1日からは”NAF”ATSUGIとなり、永く慣れ親しんだ”NAS"とのお別れの日となりました。

M.WADA 2021/06/30(Wed) 11:42 No.3545
あの年の5, 6月- #4
こちらはJAMES A.SHEETSさんがニューメキシコ州 KARTLAND AFBで撮影したVF-142のF-14A/159440,AE-206.
この159440号機は1992年3月4日にAMARC入りしています。

M.WADA 2021/06/30(Wed) 11:45 No.3546
あの年の5, 6月- #4
こちらは撮影場所が判らないのですが、同じ1978年6月に撮影したVF-14のF-14A/159011,AB-100,CAG機。
パイロット名はCVW-1のCAG,CDR G.F.WHEATLEY "TOP HATTERS". 撮影者はDON SPERINGさん。

F-14A/159011号機は1982年2月6日,CV-67 USS John F. Kennedy搭載,CVW-3/VF-11のAC-1xxとして、
ACM訓練中,コントロールを失い紅海へ墜落し,機体は失われてしまいました。

M.WADA 2021/06/30(Wed) 11:46 No.3547
あの年の5, 6月- #4
1984年6月30日(土曜日)9時49分、訓練のため厚木R/W-19を飛び立ったNF-112は
10時52分と53分に其々T/Gを行った後L/Dしようとしたところ右側主脚を損傷〜ゴーアラウンド。

NF-112はタワーに緊急着陸を要請。アレスティング・フックを用いたL/Dとなり、
機首下のRAT(Ram-Air-Turbine);風力原動機も展開して緊迫感のあるL/Dでしたが、無事着陸でき一安心。

このL/Dシーンを撮ったマニアは総勢48人にも及び、まるでフライ・イン時のような人出でした。

M.WADA 2021/06/30(Wed) 11:47 No.3548
あの年の5, 6月- #4
155880号機がF-4Sになる前の1975年には155880はCV-63 USS Kitty Hawk搭載、CVW-11/VF-213所属機でした。
MdxはNH-201のCO機。

この姿をTHOMAS HILDRETHさんが8月15日にマサチューセッツ州 Westover AFBの公開で撮影したショットを
お届け致します。 全体映像も有るのですが今のところ行方不明の状態です。

M.WADA 2021/06/30(Wed) 11:49 No.3549
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

今から51年前の1970年7月1日も今日と同じように雨が降り続き、午後3時過ぎに曇り空となりました。
そこで,01エンドに自転車を飛ばし外来機を待ち構えましたが収穫無し。

このまま帰るのも癪なので,いつもだったらレンズを向けない「クレー射撃場」のスナップを撮り帰宅。

思うに、いくら軍事基地と言えども”銃声”が鳴り響いている場所はここ以外になく、
フライング・クラブのセスナ同様、一日中テッポウの音が続くR/W-01エンドでありました。

M.WADA 2021/07/01(Thu) 13:22 No.3550
あの年の5, 6月- #4
1974年7月1日、DON LOGANさんがテキサス州SHEPPARD AFBで撮影したRVHA-3のTA-3B/144858,GJ-331.

この144858号機は後にカリフォルニア州Van NuysにあるRaytheon Systems Co所有機となり、
”RAYCO 79”の機名で民間レジN-579HAを与えられ運用、その後N-879RSに登録変更となっています。

M.WADA 2021/07/01(Thu) 13:26 No.3551
あの年の5, 6月- #4
1978年7月1日、DON SPERINGさんが撮ったVMA(AW)-332”Moonlighters”のA-6E/152902,EA-12.

残念ながら撮影場所が分かりませんが管制塔上から撮ったと思われるショットは逆光ですが
バックに広がる風景が綺麗ですね。

M.WADA 2021/07/01(Thu) 13:28 No.3552
Re: あの年の5, 6月- #4
みなさん、こんばんわ。
今日から7月ですね。最近仕事が立て込んでいるせいか時間が経つのが早いです。

>M.WADAさん
No.3528、PR04はエラい低い離陸ですね。
私が厚木で低い離陸を真っ先に思い浮かべるのが86年帰国するF-4S(NF101)。*私は見て無いですが(涙)
PR04は機体が大きいから迫力満点です。
こじつけですが、そのVF-161の帰国模様やインターセプトなど色々な動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=V86npgpcB7A&t=805s


>FKENさん
”いやはや気が抜けません(笑)”フライトジャケットも面白いですよ、パッチを隠して縫い付けていたりします。
No.3536は決まってますね〜私は惨敗でした・・・(涙)


今日は私もFKENさんに便乗して「魚群」を(笑)
こんな大編隊に遭遇したことがなく、どう撮影していいわからず貴重な時間を無駄にしてしまいました。

Burnett 2021/07/01(Thu) 21:08 No.3553
あの年の5, 6月- #4
皆さん、こんにちは。

>Burnettさん
No-3528,PR-04が今迄遭遇したEA-3Bの上りの中で最も”低い”と書きましたが、間違えでした。
正しくは1977年7月14日に上がったPR-01の方がもっと低いです。

但し、ギア・アップの最中で車輪が胴体に収まりきっていない事と、
PR-04の時より天気が悪かったのが残念な事として挙げられます。

PR-01の離陸ショットは7月14日の「日付ネタ」のコーナーでご紹介しようと思っています。

NF-101の離陸は花屋で接客中に離陸の音だけを聞いて終わっています。

Burnettさんの仰る通り、A-3の魅力は何といっても”低い離陸”、これに尽きます。
この100に一つの”低い離陸”に懸け毎朝、離陸側で待ち続けていたのです。

VF-161の動画、拝見致しました。興味深いシーンが続き見入ってしまいました。

FKENさん同様、Burnettさんも「魚群」を撮られていたのですね。

「貴重な時間を無駄」になどしては居ませんよ。 良くぞ撮って置いてくれましたです。

Burnettさんが撮っていなかったら、今こうして見ることも叶わなかったのですから、
撮影した価値は十二分にあったのですよ。

「小さいけれど記念に、とりあえず撮って置く」,これが航空機写真マニアの鉄則.

こういう「記録写真」「情景写真」の類は,時が経つにつれ価値が増してくるのが面白いところですね。


さて、本日の「日付ネタ」は1974年7月2日、DUANE A. KASULKAさんが
フロリダ州 NAS Cecil Fieldで撮影したVA-87 ”Golden Warriors”のA-7B/154471,AE-401です。

パイロット名はVA-87のCOであるCDR E.RICEですが、機首に描かれた「斧の柄」に書き込む凝りようで、
LANTの部隊はPACと違いデザインや色使いも洒落たものが多く魅力的でした。

因みに、154471号機は後年TA-7Cに改造され運用後、1990年8月22日にAMARC入りしています。

M.WADA 2021/07/02(Fri) 14:05 No.3554
あの年の5, 6月- #4

1984年7月2日(月曜日)9時58分、第7艦隊司令官 VICE ADMIRAL JAMES R.HOGGSを載せ韓国OSAN ABを目指し、
厚木R/W-19を離陸するVQ-1のVA-3B/142672,PR-111,"FL-020".

キャノピー内にVADM搭乗を示す”3star”のエンブレムが掲げられていました。

282機製造されたA-3スカイウォーリアの中で唯1機存在したVA-3B(EA-3Bより改造)が
VQ-1に所属し真近で見られたことは幸運な事でした。

このVA-3Bの使命は胴体後部「NAVY」の上に書かれた「COMMANDER UNITED STATES SEVENTH FLEET」の
文字が示す通り、第7艦隊司令官の移動をサポートする事でしたが、
No-3543の項でご紹介したように142672号機は墜落事故でVQ-1 CO死亡の惨事を起こしており、
一歩間違えば第7艦隊司令官が事故に巻き込まれていたとも限らず、事故は本当に恐ろしいものですね。

因みに、ベトナム戦争中の第7艦隊司令官のC/Sは"Tonkin Gulf Yacht Club"でした。

M.WADA 2021/07/02(Fri) 14:10 No.3555
あの年の5, 6月- #4
PR-111が上がった1時間20分後、三沢に向け厚木R/W-19を離陸して来たのがVP-67のP-3A/151356,PL-6でした。
同機はその後、イリノイ州NAS GLENVIEWのVP-60機として活動後1986年1月9日、AMARC入り。

保管中の151356に、ブラジル空軍からお呼びがかかったのは2000年3月。
ところが其れは哀れな事に運用中のP-3機に対するスペアー取りの材料としての役割でしかありませんでした。

又、此の日、ハワイ、バーバース・ポイントから厚木に向け海自のP-2Jが2派に分かれ厚木を目指し離陸。
このネプチューン達はハワイ海域で行われていたリムパック84を終えての帰投でした。

M.WADA 2021/07/02(Fri) 14:13 No.3556
あの年の5, 6月- #4
同日,11時34分,3機編隊でCAMP FUJIへ演習に向かったHMM-268"Red Dragons"のCH-46Eが15時20分,R/W-19へL/D.
折角、R/W-19へ編隊着陸して来たのに此の高さ。BuNoが1機しか確認できずガッカリでした。

因みに156449号機は2011年12月11日、N-449WUの民間レジを与えられアメリカ政府所有機となっています。

M.WADA 2021/07/02(Fri) 14:15 No.3557
あの年の5, 6月- #3

皆様、こんにちは、
じめじめとした日が続きますね。
外出は控えているのでコツコツとプラモ作りに勤しんでいます。
老眼には細かい作業はシンドイですが、やりかけると時間を忘れてしまいます。
今回は買ってから押入に積んであったTAMIYAのF4D-1(1/48)を組み立てましたが、INTAKEのデカールを左右反対に貼ってしまい気が付いた時にはDANGERが逆さまという落ちがつきました。
剥がしてHASEGAWAのA-4Eの物を転用しようと思っています。

>M.WADAさん
低い離陸のショットいつも楽しみに拝見しています。
私は離陸は苦手でいいショットがないのでM.WADAさんの写真を見てうらやましく思います。

>徳永さん
アラメダのGrey Eagle Airlinesは来日した時とマーキングの色等若干の違いがありますね。

>FKENさん
F-14A時代のFly-inは遭遇したかどうか思い出せません。
こんな編隊がオーバーヘッドしたら、忘れられないですよね。

さて今月の作品(99%完成)のF4D-1です。
VF-23はVF-151に改称し日本ではすっかりお馴染みになった部隊です。
TAMIYAのF-4B(1/48)も予約し、VF-151にする予定です。

MACH3 2021/06/16(Wed) 17:36 No.3487 [返信]
Re: あの年の5, 6月- #3
数字以外のマーキングはマスキングで描きましたが、イマイチですね。
主翼の折りたたみ翼を支える支柱は作成しました。

MACH3 2021/06/16(Wed) 17:39 No.3488
Re: あの年の5, 6月- #3
ダナンから岩国へ移動したVMF(AW)-235はF-8EからB型へ転換しての移動でした。
グレイドダウンというのか、ある意味貴重なクルセーダーでした。
そして、毎週のように金曜日の午後3時に定期便のように厚木に飛来していました。

1968年6月8日 厚木

MACH3 2021/06/17(Thu) 06:00 No.3489
あの年の5, 6月- #3
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん

何を仰います。いつも自分はMACH3さんがアップされるショットを楽しみにしているんですよ。

たった一年早く生まれただけなのに、何と獲得機数の違う事か!
先輩諸氏が常日頃仰っている常套句ではありますが、近頃富にその重みを感じます。

F4D-1はなじみが全く無いのですが、MACH3さんのNL-201を拝見していると、
まるで実機を見てきたような感覚になり、「モデル」の持つ訴求力に驚かされました。

1968年6月8日(土曜日)午後3時、DB-4号機が厚木R/W-19への着陸をMACH3さんが撮っている時、
自分は引地川を渡り上り坂の途中でした。

大和駅から走り通しで、2機のF-8Bが見えたので走りながらカメラにレンズを装着し
最初のDB-8を撮影。息せき切ってシャッターを切ったので無論ショットはX.

M.WADA 2021/06/17(Thu) 15:00 No.3490
あの年の5, 6月- #3
2機目のDB-4も手が震えピントが間に合わず送りショットとなり、相鉄線の送電線にグサり。

こんな調子でR/W-19側は01側と違い、タッチの差で見逃す確率が高いので
19降りでも低確率ですが南の角でタキシング機を待つ事が多い高校生となっていました。

M.WADA 2021/06/17(Thu) 15:05 No.3491
あの年の5, 6月- #3
本日の「日付ネタ」はフランス人のPHILLIPE COLINさんがGARONS近郊のNIMES(ニーム空港)で
1978年6月17日に撮影したフランス海軍のF-8E(FN)#34です。

NIMES(LFTW)は当時、フランス海軍部隊の基地でしたが、数年前に撤退しています。

M.WADA 2021/06/17(Thu) 15:07 No.3492
あの年の5, 6月- #3
こちらは同じ1978年6月17日(土曜日)14時10分,厚木R/W-19を離陸するVMAQ-2のEA-6A/158986,CY-624.

M.WADA 2021/06/17(Thu) 15:08 No.3493
あの年の5, 6月- #3
CY-624の離陸から一年後の1979年6月17日(日曜日)11機のCVW-5機のフライ・イン最後に降りて来たRG-426.
L/Dタイムは17時36分。常連マニア12人がエンドで撮影して居ました。

此のC-2Aで目を引いたのが垂直尾翼に付けられていたエンブレム。

以前VRC-50の特集の時MACH3さんがアップされていたと記憶しているのですが
自分は未発表ですのでアップ致します。

投稿に際し此のエンブレムの正体を知りたく、写真を拡大して確認してみましたところ
赤色の背景の中央少し上にC-2が左向き側面形が描かれ、直ぐ下に灰色で細身の犬(グレイハウンド?)、
その下にブルーの地球儀に黒字で「C-2」と書き込まれていました。

又、C-2の側面図の上に「SLEP」の文字が入っています。
エンブレム外側上部に「SERVICE LIFE EXTENSION PROGRAM」、外側下部に「GREY HOUND」と記されていました。

どうやら、此のエンブレムはグラマン社のC-2の「耐用年数延長プログラム」のステッカーのようでしたが
RG-426は撮影の翌日6月18日(月曜日)7時15分、嘉手納に向かい離陸したのを撮り逃がした為、
このステッカー付RG-426は6月17日夕方のL/Dショットが唯一のものとなりました。

M.WADA 2021/06/17(Thu) 15:09 No.3494
あの年の5, 6月- #3
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」。

1973年6月18日(月曜日)ニッピの駐機場で整備を受けるVF-24のF-8J/150329,NP-202.
同機は6月16日(土曜日))L/Dしたのですが撮り逃がした為、ニッピ裏の国有地から撮影したものです。

NP-202は厚木飛来時、NAF NAHAを経由し到着。
その那覇での姿をA-330さんが撮影して居り、以前当BBS上でアップされた素晴らしいショットを
覚えて居られる事と思いますが、それに比べ今回のショットは酷いですがご勘弁を。。

M.WADA 2021/06/18(Fri) 15:00 No.3495
あの年の5, 6月- #3
NP-202厚木飛来から一年後の1974年6月、カリフォルニア州 NAS MIRAMARでPETER MANCUSさんが
6x6版で撮影したVF-211”Chackmates”のF-8J/150674,NP-103.

M.WADA 2021/06/18(Fri) 15:02 No.3496
あの年の5, 6月- #3
1984年6月18日(月曜日)11時10分に北鮮へのミッションフライトに向かったPR-34は
17時15分、厚木R/W-19へL/D.

通常は毎朝7時前後に離陸するのですが,此の日は機体のマイナートラブルで離陸時間が
4時間以上遅れ,事の顛末をCOに報告するようVQ-1,DET-ATSUGIのOICがパイロットへ釘を刺していました。

M.WADA 2021/06/18(Fri) 15:04 No.3497
あの年の5, 6月- #3

12時54分,T/Gを一回実施後L/Dして来たNF-113はタッチダウンをニッピ山の目前で決め、
豪快なスモークが立ち上がり、思わず”よし!”と叫んでしまいました。

当時の厚木でも離着陸機は高度が高く、なかなかこのようなシーンには出くわさず
「ニッピ山」でさえも目前でのタッチダウンは稀有な事でした。

M.WADA 2021/06/19(Sat) 15:39 No.3499
あの年の5, 6月- #3
今回最後のショットは7時36分、北鮮の情報収集ミッションに飛び立ったPR-7番は
13時10分、厚木R/W-19へとL/Dして来ました。

47年前の今日も本日同様愚図ついた空模様でしたので、
その天気を利用して、午後もそのまま動かず「ニッピ山」で撮影を続行。

自分のイメージ通り,「送りショット」でPR-7番のバックにCVW-5機を写し込むことに成功しました。

もしも此の時晴れていれば完璧な逆光となるので、強ち曇り空が悪いとばかりは言えませんね。

M.WADA 2021/06/19(Sat) 15:41 No.3500
Re: あの年の5, 6月- #3
皆さん、こんばんは!

>MACH3さん
スカイレイのプラモ、イイですね、私も友人から1/48のF-4Sを譲ってもらったのですがナカナカ着手に至らず、、、DBのF-8B、当時も金曜午後は「外来に要注意」だったのですね

>M.WADAさん
DB8のエピソード、息を切らして駆け付けたがブレブレとは実に「マニアあるある」ですね!(笑) それもそうですが No.3500 のコメント、曇天ならでは、、、は最近の私も意識するようになりました。 地上を背景に狙う場合は特に、ですね。

今日の一枚はフライングして2000年6月30日、WINGS2000の前日、SOLO DISPLAY のリハーサルを終えてRWY19降りのNF301です。 やや雑とも言えるミレニアム記念塗装ですが、兎に角撮っとけ!でした(苦笑)

FKEN 2021/06/19(Sat) 20:16 No.3501
あの年の5, 6月- #2

皆様、こんにちは
いつものことながらサボってしまいました。
体調がイマイチ思わしくないからと自分的に変な言い訳をしています。

>徳永さん
VFA-151のマーキングは、今作成中のプラモVF-23のF4D-1は改称しVF-151となりましたが、塗装は通じるところがあります。

>M.WADAさん
HAMANOさんの写真の紹介ありがとうございます。
嘉手納、佐世保とよく飛びまわっていたんですね。

>FKENさん
この塗装のA-10撮った気がしますがスライドは何処に?

>ダブルタンゴさん
いつの間にかビジランに飛びましたね。
こんなカッコいい飛行機はもう現れないでしょうね。

1973年6月8日の曇った夕方だったか思い出せませんが、KUでタキシングを撮るにも露光不足でスローシャッター。
ピントを合わせシャッターを切るまで無呼吸が続きました。

MACH3 2021/06/11(Fri) 15:47 No.3473 [返信]
あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんにちは。

>MACH3さん

うん?1973年のレインジャーのC-1?

手帳を引っ張り出して1973年6月8日(金曜日)の項を見返してみると、
早朝,空母レインジャーからC-1Aが厚木へL/Dし夕方遅く空母に戻ったと書いてありました。

有りましたが、このC-1を自分は撮っていません。

つまりMACH3さんのように「お墓」でC-1のタキシングを撮らない限り
136786号機は「撮り逃し」となったのです。

これ以後、空母レインジャー付きCOD機はVRC-50のC-2AやUS-3Aに置き換わった為、
この「お墓」のタキシングがC-1/COD機の最後の姿となったのでした。

それなのに自分はCVW-2機の「入港」があるかもしれない等の理由付けをし,
他の3人のマニアとMACH3さんがNISHIMURAさんと二人でグリーンのカローラでダッシュする後ろ姿を
半ば嘲笑するような態度で見送っていた事が鮮やかに蘇って来ました。

今こうしてMACH3さんが撮られた"GREY GOHST AIR LINES"の文字入りトレーダーを改めて見た時、、
機首に黄色のシャドー付き”トリプルナッツ”,その左上にCVA-61の艦長名CAPT A.E.HILLと書き込まれC-1の
ショットの貴重さを、お話できるのも自分一人と気が付き、解説してみた次第です。

空母レインジャー横須賀入港を明日に控えた6月8日、
厚木R/W-01→19エンドでCVW-2機「入港」を夢見て待ち続けた自分を含たマニア6人の期待とは裏腹に、
降りて来たのはVAW-121のE-1Bが一機だけで、頼みのC-1AさえもL/D〜T/Oされ夢砕け散った6月8日でした。

因みに136786号機は1986年6月5日、MASDC入り。その後N-32619のレジを取得し、
1994年2月23日から2002年1月16日まで海軍ミュージアムに在籍していました。

本日の「日付ネタ」は1973年6月12日(火曜日)厚木R/W-01離陸に向け南の角を回るRZ-604.

自分の現役時代、大型のC-118Bでさえ、南の角を回ることは稀で撮影出来て嬉しかったことを覚えています。
尚、131604号機は海軍退役後、N-810CSのレジを取得しSLICK AIRWAYSに移動しレジをN-11812として再登録。

1976年10月26日、MASDC入り。2001年初頭、AMARC近くでスクラップとなっているところを確認されています。

M.WADA 2021/06/12(Sat) 14:22 No.3474
あの年の5, 6月- #2
↑の一年後、1974年6月12日(水曜日)9時15分,厚木R/W-01を超低空で離陸するVF-151のF-4N/150445,NF-203.

NF-203は10時7分R/W--01へ僚機NF-202と共にL/D.直後の10時8分R/W-19へチェンジとなった為、
ニッピ山で彼らのL/Dショットを撮ることが出来ず悔しかったです。

NF-203撮影当日はPR-7番のVQ-1スペシャルマーキング狙いで常連マニア9人がエンドに詰め掛けて居り、
望み通り、11時32分、R/W-19のL/Dを撮る事に成功しています。

M.WADA 2021/06/12(Sat) 14:27 No.3475
Re: あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんばんは!

>MACH3さん
夕刻、KU、無呼吸のトリプルナッツ、M.WADAさんの解説付きで拝見すると尚更貴重な一枚に感じます

>ダブルタンゴさん
1968年生まれの私にはどうにも間に合わなかったビジランティ、、、本当に美しく羨ましいです。。

>M.WADAさん
NF203の超低空!度肝を抜かれるショットですね! 私は「現在のお墓ポイント」でハリアーの上りを撮ろうとしたら低すぎて基地内の植樹から機影が出て来なかった、、、という苦い経験があります。 73年6月8日のエピソードもそうですが、その場の咄嗟の判断での悲喜こもごも、立ち位置一つで結果が変わる、実に不確実な所がこの趣味にハマる理由の一つかもしれませんね。。

今日の一枚は1997年6月某日、RWY 19オーバーヘッドのF-14A flt of 4です。
曇天ながらダイアモンド編隊でのFLY-IN、地元機とは言え、気分は大いに盛り上がったものです

FKEN 2021/06/12(Sat) 22:21 No.3476
Re: あの年の5, 6月- #2
MACH3さん、皆さんこんにちは
Grey Eagle AirlinesのC-1A、1973年11月3日CVA-61の母港であったアラメダで撮っていました。

徳永 2021/06/13(Sun) 13:24 No.3477
あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんにちは。

>FKENさん

ハリアーの離陸が植樹で邪魔され撮れなかったとは辛いですね。

FKENさんが仰る通り、その場のとっさの判断で成否が分かれるのが世の常ですが、
事,飛行機写真に関しては眞に「一発勝負」の世界ですし,「次」が無いのも厳しいところですね。

No-3475,NF-203の離陸ショットも、一瞥すればお分かりの通り、
画面に対して機体の大きさが小さ過ぎるのがお判りと思います。

厚木の離陸は昔と比べ離陸高度が高く、地上部が画面に写り込むような低い離陸は想定していません。
由って、マニアは押し並べて「長玉」を駆使し撮影に当たっていますよね。

このNF-203の離陸の時も、セオリー通りなら「長玉」使いが正解なのですが、
自分は敢て「短いレンズ」を選択。

これには訳があり、それは
@夏場の高温A無風又は追い風B曇り乃至は煙霧で視界不良CR/W-01運用時の早朝〜午前中。
この四つの条件が満たされた時、離陸機の高度が低い事が間々ある事を経験上分かっていました。

とは言え、その確率は高いとは言えず、十中八九は通常の離陸高度でしたが、
稀に「低高度離陸機」に出会った時の体験は強烈で忘れ難いものとなっていました。

逆に撮影に失敗した時の体験は、成功した時の体験の比ではなく
その失敗体験が「短いレンズ」を選択する言動力となっていたのです。

とは言え「短いレンズ」を選択したことによるマイナスは大きく、
通常〜高い離陸機は撮影を諦め見送るだけとなり,結果として全機見送り,収穫ゼロという事も多々有りました。

そんな状況を忍従してまで待ち受け撮影したのがNo-3475のショットでした。
無論、その他の機体は捨てた為、映像無し。

こうして書かない限りNF-203のショットは「ただの低い上がり」と思われるだけで終わったでしょうから、
誰もが見て素晴らしい作品ではないことだけは重々承知していますが、
自分自身は「思い入れ」が強いショットとして大事に仕舞い込んでいた作品であったのは確かです。

F-14A flt of 4,見事なダイアモンド編隊ショットですね。
それも公開でのデモではなくFLY-INでのオーバーヘッドというのが価値ありですね。

RA-5CにしろF-14Aにしろ、自分の現役時代に殆んど遭遇出来なかったのが今でも残念でなりません。

本日の「日付ネタ」はHAMANOさんが1971年6月13日(日曜日)伊丹で撮影したNT-403と500番のT/Oショットです。

彼等は厚木へ向かう途中、伊丹に立ち寄ったもので2機のシーキングは13時30分、厚木へ無事到着しています。
又、同日、厚木では23機のCVW-5機がフライ・イン。16時30分、CVA-41のCOD機/146035が降り入港終了。

M.WADA 2021/06/13(Sun) 14:14 No.3478
あの年の5, 6月- #2
1974年6月13日(木曜日)9時10分、厚木R/W-19を離陸しミッションへ赴くPR-7"SPASTIC SPINSTER".
同機は13時36分、任務を終え厚木に帰投しています。

此の日、PR-7狙いで常連マニア11人がエンドに集合。
朝、曇っていた天気もPR-7が降りる頃には青空が広がり、珍しく好条件の下、PR-7のL/Dが撮れました。

M.WADA 2021/06/13(Sun) 14:19 No.3479
あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1978年6月14日(水曜日)8時11分、グアム島、NAS AGANAに向け離陸するPR-00.

機首と垂直尾翼に「デイ・グロー」でカンガルーが描かれているのは1976年オーストラリアで行われた
多国間演習""KANGAROO II"でPR-00が参加した事を記念して描かれたようで
RAAF のF-111やMIRAGE戦闘機が参加した大規模な演習でした。

M.WADA 2021/06/14(Mon) 10:28 No.3480
あの年の5, 6月- #2
こちらは1980年6月14日,PHILLIP HUSTONさんがNAS MIRAMARで撮影したVMFA-531のF-4N/152323,NK-200.
VMFA-531"GREY GHOSTS"が空母コーラルシーに搭載され1979年11月13日から1980年6月11日まで行った
西太平洋〜インド洋航海を終えた直後の姿です。

NK-200番はこの出立でNAF KADENAに姿を現しマニアを狂喜させました。

M.WADA 2021/06/14(Mon) 10:30 No.3481
あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」は1974年6月15日(土曜日)9時40分、
前日、横須賀を出港した空母ミッドウェイに向け厚木R/W-01を離陸するNF-210.

此の日は6時44分から10時42分にかけてCVW-5機7機がフライ・オフ。
その中で最も低い離陸をしたのがご紹介したNF-210でした。

因みにNF-210のパイロットネームはLT BILL BOWERSとLTJG"FEARLESS"TOM FOSTER.
RIOのニックネーム通り素晴らしい離陸を披露してくれました。

当時の写真を見て観るとLT BILLは映画「アンタッチャブル」のアンディーガルシア風、
LTJG TOMは映画「明日に向かって撃て」に出演していた当時の口ひげを生やした
ロバート・レッドフォード似の男前でした。

因みに150460号機は1977年10月20日にMASDC入り。
1990年6月にBOB's AIR PARKに引き取られ廃物利用され終っています。

M.WADA 2021/06/15(Tue) 10:09 No.3482
あの年の5, 6月- #2
NF-210の離陸から5年後の1979年6月15日(金曜日)16時51分、厚木R/W-19へ着陸するNF-100,CAG機。
空母ミッドウェイはNF-100のフライ・インの3日後、9時30分過ぎ横須賀へ戻り12号ドック入り。

その後ミッドウェイは2か月間に及ぶ大規模な改修作業に入った為、艦載機はすべて厚木に降ろし
艦内には一機も搭載されていませんでした。

因みに153797号機はVF-161から本国へ移動後VF-191所属機として活動。
1983年10月20日、アリゾナ州 MCAS YUMAに於いて運用不可の裁定を受け別途利用扱いとなっています。

M.WADA 2021/06/15(Tue) 10:11 No.3483
あの年の5, 6月- #2
皆さん、こんにちは。

本日の「日付ネタ」。

1974年6月16日(日曜日)9時27分、厚木R/W-19をNF-110と共に離陸するNF-100.
撮影場所はR/W-19午前中の定番「ニッピ山」に生えている木の上です。

後方にスペシャルマーキングのPR-7、その右にEC-121M/PR-25が見えますが、
此の日は日曜日で両機とも動きは無くCVW-5機(NF-100/110/211/212)もT/O後帰らずと奮わずでしたが
L/D機はRG-404,TD-1,PR-42(RA-3B),QE-1,NF-506,SZ-801とまずまずの成果で、
28人の「サンデーマニア」達は満足げな顔つきで帰途に就いていました。

又、横田ではWLのA-4E(#-2/9/17/xx)がT/Oしています。

M.WADA 2021/06/16(Wed) 11:17 No.3484
あの年の5, 6月- #2
1976年6月16日(水曜日)8時10分T/OしたRG-725は14時32分、厚木R/W-01へL/D.

此の日はPR-31/10のフライト以外はRD-4がL/D〜T/Oしただけで6人の常連マニアは手持ちぶさたでした。
RG-725は沖縄近海に展開中の空母ミッドウェイに向け連日厚木からCOD任務を実施。

M.WADA 2021/06/16(Wed) 11:20 No.3485
あの年の5, 6月- #2
1979年6月16日(土曜日)12時33分から17時40分にかけて22機のCVW-5機が厚木R/W-19へフライ・イン。
その中の一機(NF)-105は空中給油プローブが収納できなくなり緊急着陸。

何故かMdx以外マーキングが消されており
折角「入港」狙いでエンドに来ていたマニア98人には残念な事でした。

M.WADA 2021/06/16(Wed) 11:23 No.3486
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