おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
三軍記念日 63

1963年5月6日 「横田にスコーピオン!」  撮影:TAMURA Toshio 

あかつか 2021/09/29(Wed) 00:44 No.2257 [返信]
Re: 三軍記念日 63
60年代のマニアが驚愕した来日米軍機の中にF-89があります。
F-4、F-105、A-5、A-6などの新鋭機の登場に身も心も奪われていた60年代にまさかスコーピオンが日本へ来ることなど想像すらしていませんでした。
いくら情報が少なかった当時でもF-89はソ連からアメリカ本土へ襲来するベアやバイソンを迎え打つためアラスカに配備された迎撃機であることぐらいの知識はありました。
よって、まさかスコーピオンが日本に飛来することなど夢にも思ってなかったのです。
しかも1948年初飛行の直線翼の第一世代のジェット戦闘機。とっくに引退していると誰もが思ったことでしょう。

上のショットは少年時代からの写友TAMURA君が撮影したものですが、標準レンズでは無理と知っていても証拠写真だけでも撮っておきたいと思ったのでしょうね。TAMURA君の緊張感が画面から伝わってきます。
あかつか 2021/09/29(Wed) 10:55 No.2258
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん
流石に地元のTAMURAくんはしっかり捉えていますね
フェンスから近くの東エプロンに2機は駐機していたのですね

この後、5月19日の横田三軍記念日に1機がエプロン展示されマニアさんはビックリしたことを思い出します
村越賢司 2021/09/29(Wed) 11:00 No.2259
Re: 三軍記念日 63
1963年5月7日、Moriさんが撮られたDF-89J(52-1831/53-2541)。
以下は「アメリカ空軍機写真集1949−1969」に書かれたT.Maさんのキャプションですが、その頃のマニアの写真事情、活動状況が良くわかる文ですので転載させていただきました。

『 横田のイーストサイドのディスパーサルに置かれた2機のスコーピオン。このショットは森氏がコムラーの400mmで撮ったものだが、前日に彼から電話を貰ってこの場に居合わせたという懐かしい写真。残堀のバス停から延々30分以上も歩いたと記憶している。当時、森氏のカメラはアサヒ・ペンタックスで私はミノルタSR-1だったが、アダプターリングなどない頃だったので、彼の400ミリmmを借りてミノルタのボディーに押し付け撮った写真が私のストックに残っている。 』

あかつか 2021/09/29(Wed) 11:52 No.2260
Re: 三軍記念日 63
1963年5月19日(日)
横田の三軍記念日には多くの先輩方に混じって少しだけ撮った写真を載せます
何といっても目玉は DF−89J スコーピオン(52−1831)
「在日アメリカ空軍機写真集」にある追い出し間際の三軍フォトはWATANABEさんの写真をご覧下さい
私は近くのタラップ上から?観衆入りで三軍風景を

村越賢司 2021/09/30(Thu) 18:30 No.2261
Re: 三軍記念日 63
同じく人気のコクピット見学風景

村越賢司 2021/09/30(Thu) 18:32 No.2262
Re: 三軍記念日 63
興奮したのか、同機のクローズアップもネガに残っていました

村越賢司 2021/09/30(Thu) 18:34 No.2263
Re: 三軍記念日 63
更に機体プレートも

村越賢司 2021/09/30(Thu) 18:36 No.2264
Re: 三軍記念日 63
当日は F−102Aの飛行デモもあったと思いますが
タキシング場面しか撮っていませんでした

(この日は立川三軍記念日に寄ってから横田に着いたので飛行シーンは逃したのかもです)

村越賢司 2021/09/30(Thu) 18:40 No.2265
Re: 三軍記念日 63
>村越さん
WATANABEさんがエアポリスに追われながら撮影されたカットです。

あかつか 2021/09/30(Thu) 23:28 No.2266
Re: 三軍記念日 63
Moriさんのショットは、WATANABEさん写真より幾らか俯瞰気味ですね。
当時は脚立とかアルミケースなどありませんから、ファインダーを覗かずカメラを持ち上げて撮ったのではないかと思われます。

あかつか 2021/09/30(Thu) 23:42 No.2267
Re: 三軍記念日 63
展示されたスコーピオンの左向きの全体写真は見たことがありません。
F−102がF−89の近くに並んでいたのでカメラの引き場がなかったのでしょうね。
この写真を見ますと撮影は窮屈な状態であったと感じられます。 撮影:WATANABEさん

あかつか 2021/09/30(Thu) 23:49 No.2268
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん
斜め前の三軍写真ありがとうございます
確かに当日スコーピオンの後部から撮影した画像はあまり見ませんね

WATANABEさんと同じ高さですが、グローブマスターの尾翼が重なってしまったので没にした私の写真です
枯れ木も山の・・・で
載せておきます

村越賢司 2021/10/01(Fri) 21:54 No.2269
Re: 三軍記念日 63
航空情報の国内ニュース欄に写真が掲載されたのは1963年2月号。そのとき噂のスコーピオンの来日が本当であったことを知らされます。情報の少なかった時代ですので何で板付なのか分からなかったのですが、後にドローン母機として地対空ミサイル、ナイキの発射訓練の支援のためハワイから東アジア、東南アジアを巡回していたことが判明しました。

当時航空情報に掲載された読者の写真は撮影者を最終ページに名前を載せていました。ところが板付のスコーピオンの写真だけは見当たりません。じつは掲載写真の撮影者はYoshinagaさんだったのです。
Yoshinagaさんは航空自衛官でしたので、立場上氏名を伏せて編集部に送られたことを数十年後にお聞きしました。
板付での撮影日は1962年11月18日。横田への飛来が確認されたのが1963年5月6日。任務に就いて約半年経っていますから本国への帰還途中に横田へ立ち寄ったのかも知れませんね。
ちなみに飛行中のDF−89Jの写真は地元マニアのSakaniwaさんが横田36で撮られた反逆光のショットしか見たことがありません。
現在では考えられませんが、マニアの少なった時代には良くあることでした。当時の基地や飛行場の世界は「神秘の塊」のようなもので、それがマニア心を掻き立てる要素の一つとなっていたのです。

あかつか 2021/10/02(Sat) 14:00 No.2270
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん、ご無沙汰しております。
>村越さん、のらひこさん、貴重な記録を羨ましく思いながら毎回画面の隅々まで見入っています。
最近の新鋭機を見ても全くと言っていい程感動はありませんが、小生よりも数年先輩方の写真を見ると”クヤシイ”と思うばかりです。(笑)

スコーピオンが出てきましたが、もう60年近く昔の事なんですね。
中学に上がったばかりの頃、近所のアメリカ軍人からF-106とF-89の写真を見せてもらったのですが、両機とも一度は見てみたいと思っていました。後年、横田でのF-89の写真を見た時には、No.2258であかつかさんが記述されている通りでした。
横田での話はMoriさんやエノさんから聞いていましたが、同じ機体が板付にも飛来していたとは初耳でした。
横田展示の時の左側機種部分の各種マーキングの画像をお持ちでしたら、是非見せて下さい。

時は移って、それから4年後の6月。F-89が再び板付に現れました。
当時東亜国内航空に勤めておられた橘高さんという方が運よく撮られていました。福岡空港勤務であった氏は仕事の合間合間に空港ターミナルから飛来する米軍機を撮影されていました。当時の粗末な2階建ての空港施設からは北側からアプローチする飛行機が良く見えていました。氏の話によるとT-33の様な機体がアプローチしてきたがT-33とは違うと思ってカメラ構えたのだそうです。シャッターを押すときになって、こんな旧式機が何で今頃?と思ったそうです。
モヤがかかった非常に悪い天気の中での着陸だったのと、貰ったプリントをコンパクトデジカメで撮った画像で見ずらいですが、記録として投稿しました。
よく見るとミサイルと電光をあしらったマークは斜めになっていますが、よく似ている様です。
お題の三軍記念日63からは横道となりましたが、昔を思い出しましたのでお邪魔させていただきました。

H.I. 2021/10/02(Sat) 21:57 No.2271
Re: 三軍記念日 63
2機目です。

H.I. 2021/10/02(Sat) 22:01 No.2272
Re: 三軍記念日 63
YoshinagaさんのNo.2270は基地の東側の外来エプロンですが、1967年の時は基地西側のエプロンに駐機したそうです。飛来した後日の撮影とのこと。

H.I. 2021/10/02(Sat) 22:12 No.2273
Re: 三軍記念日 63
>I・Hさん
板付に再びスコーピオンが飛来していたとは初めて聞きました。驚きの極致です。
1967年の撮影と言えば私は“ 飛行場通い”が絶好調のときでしたから、こうしたニュースを聞き逃す筈は無いのですが、今日の今日まで知りませんでした。BBSを立ち上げておいて本当良かった思います。ありがとうございます。

60年代も後期になりますと関東の基地情報(飛行機に関しての)は漏れなく耳に入るようになりましたが、板付だけは情報網がなく、飛来機の状況は良く分かりませんでした。
きっと私たち関東のマニアが腰を抜かさんばかりの飛行機の写真が今でも沢山眠っているのでしょうね。

横田三軍記念日でのF−89の機首部分に描かれていたマーキングはGETA−O先輩がガッチリ撮られていますので、ホームページをご覧ください。
http://geta-o.jp/USMIL/F/F-89/F-89.htm
あかつか 2021/10/03(Sun) 15:14 No.2274
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん、機種部分のマーキングの情報ありがとうございます。
一番風防に近い部分にある鉄の腕が電光を掴んでいるパッチは38th Air Defense Artillery Brigadeです。当時は在韓米軍の指揮下にあった防空・ミサイルシステム担当の陸軍部隊です。
陸軍の防空ミサイル関連の任務をこなしていたのは間違いない様です。

同時期にHickam AFBで撮られた同じ様なF-89の画像を見たことがあります。
67年に板付に飛来した2機のシリアルを加えると、少なくとも5〜6機はいた様です。これらのF-89が所属するのはなんという部隊で何処が本拠地だったのかは気になるところですが、いまだに謎のままです。
数年前まではSNSでも古い写真が随分出回っていましたが、最近は少なくなった様です。更に50s、60sの情報はオフィシャルでもだんだん省略されることが増えている様です。もう60年,70年前の事ですから当然と言えば当然なのかもしれません。

話は1967年に戻ります。
スコーピオン飛来の頃は小生はまだ東京にいて、全く知りませんでした。
やがて7月、夏休みとなり福岡に戻り”板付通い”が始まりましたが、当時は板付には常駐機は無く、いつやって来るかもわからない外来待ちの日々でした。
ある日、ハンガーの扉が開いていたので双眼鏡で中を覗くと真っ暗い中にT-33の垂直尾翼の様なものがボンヤリ見えました。
それから数日後、チャリンコで飛行場に着いていつもの様に基地内を覗くと、なんとランプに”スコーピオン”が駐機しているではありませんか。飛び上がらんばかりに驚きました。一番よく見えるところに移動して観察すると、キャノピーが開き、ラダーが付けられており、期待が広がりました。
しかし、それから連日観察を続けても一向に動く気配はありませんでした。
この時の”目の前にいるのに撮れない”モヤモヤ、イライラ”。夕方になって家に帰る時のあの”明日の朝居なくなっていたらという不安”。夜中でも、エンジン音や離陸音がすると心配で心配で。そんな日々が続きました。

H.I. 2021/10/04(Mon) 16:54 No.2275
Re: 三軍記念日 63
>H・Iさん
板付に於かれるスコーピオンのお話、H・Iさんの興奮度がよく伝わり、私も若い頃の体験を思い出してしまいました。
“極超レア”機のスコーピオンですが、その割には現在も含めて世間(マニア)的に大きな話題になってないのは、『T−33に似ているような・・・』の文にありますよう地味な形状からくるインパクトのせいでしょうか?。
これがB−58でしたら、今でも語り継がれるような伝説的な話題になるのでしょうけれど・・。

それにしましても、米軍基地時代の板付は関東マニアの憧れの地でした。私は今でもレシプロ機が大好きなのですが、下のような写真の時代の板付に本当に行きたかったです。

1962年12月27日のYoshinahgaさんの写真、素晴らしいですね。C−123も空軍のB型というのにも惹かれます。

あかつか 2021/10/05(Tue) 11:33 No.2276
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん、毎度ながらYoshinagaさんの写真はスバラシイです。手前の自衛隊員らしき人物も50s、60sの雰囲気を良く表していますね。当時の私だったら、人が通り過ぎるまで待ったでしょうが、この写真は生きています。

スコーピオンは1週間ほど後、テストフライトを行った1機だけが撮れました。離陸して飛行場上空を往復して、僅か10分ほどで着陸しました。1か月半ほど前の飛来時とは塗装やマーキングが異なり、バズナンバーも消されていました。整備目的の飛来だった様です。
見苦しいですが、これもプリントをiPHONEで撮ったものです。

H.I. 2021/10/05(Tue) 12:08 No.2277
Re: 三軍記念日 63
>I・Hさん
2277 驚きました。iPHONEでの複写でこれだけシャープなんですからプリントはもっと美しいのではないでしょうか。
私は航空絵画も興味があるのですが、もし、このショットをそのまま絵にしたら・・と勝手に想像してみました。
航空絵画のほとんどは飛行機の写真から描きます。このスコーピオンの写真を絵にする場合、機体を幾分浮かせ山並みを目立たせ
、手前のドラム缶と立て看板を無くすと、素晴らしいスコーピオンの絵画となるでしょうね。

下はYoshinagaさんが1962年1月14日に撮られた当時の板付の日常風景(たぶん)。
“ 102に3型 ”と申しましょうか。史料としても一級で、私もこのような写真を撮ってみたかった。

あかつか 2021/10/06(Wed) 00:19 No.2278
Re: 三軍記念日 63
>あかつかさん、自分が行った事が無い場所での写真は、何となく新鮮に見えますが、赤塚さんの板付の感じも多分にそれがあると思います。
長年の飛行機写真撮影の中で、印象深く詳細に覚えている事が何度かありますが、この時の事も50年以上経っても忘れえぬ一場面です。
あの日は梅雨の末期で、九州特有の部分的に日が照ったり低い雲があったり雨が降ったりといった天候でした。後方は晴れているのに滑走路の付近は曇って、ネオパンFでは不安でした。一番イイ場面で曇って日陰になり、正直ガッカリでしたが、何とか写っていました。
あのポイントで長年邪魔だったのはご指摘の立て看板でした。ドラム缶は反対側に20cm程の穴が開いており、、警備員が拳銃に弾を込める時に銃口を中に入れていました。
H.I. 2021/10/07(Thu) 15:22 No.2279
Re: 三軍記念日 63
>I・Hさん
確かに初めて見たロケ地での印象は忘れがたいものがありますね。
私の場合、いわゆる“ 羽田育ち ”ですから、「初羽田」についての記憶はおぼろげなのですが、横田、立川、厚木、それに調布まで、初めて訪れたときの飛行場の光景は今だに憶えております。
それが「遠征」なら尚更ですね。
新幹線が開通してなかった頃の伊丹、寝台急行を乗り継いで行った岩国と思い出は尽きませんが、板付には行ってないのです。
関東のマニアが初めて板付に遠征したのはF-105が初めて配備された1964年が最初ではないでしょうか。
1966年に岩国まで行ってたのですから、なぜもう少し足を延ばし板付まで行かなかったのかと後悔しております。

下は1962年にYoshinagaさんが撮られた68FISののアラートハンガー。こんな光景をフェンスの外から眺めていたら、時の経つのを忘れてしまうでしょうね。

※しばらくお休みを頂き10月18日より再開します。

あかつか 2021/10/08(Fri) 11:04 No.2280
三軍記念日 63

スカイレイのスクランブルデモ

あかつか 2021/09/23(Thu) 19:14 No.2248 [返信]
Re: 三軍記念日 63
デモフライトを終えて観客の前を走るVMF(AW)114のF−6A。 撮影:Moriさん
もし天気が良ければどんなプログラムをこなしたのでしょうか。J57を吹かしたローパスなんかを見たかったですね。

あかつか 2021/09/23(Thu) 19:27 No.2249
Re: 三軍記念日 63
こうしたシーンを目の前で撮れたのも望遠レンズを持ってた人には楽しみの一つだったでしょうね(羨涙;)  撮影:Moriさん

あかつか 2021/09/24(Fri) 23:14 No.2250
Re: 三軍記念日 63
デモ飛行に向かうVU5のF−8A。 撮影:のらひこさん

このクルーセイダーも鋭い上昇力を見せましたが、上昇時間の世界記録を打ち立てたスカイレイにはかないませんでした。

あかつか 2021/09/24(Fri) 23:23 No.2251
Re: 三軍記念日 63
NariSawaさん撮影のVU−5の定置場。
当時の使用機はF−8A、UB−26J、RC−45Jに時折det.NAHAからDP−2E。
UB−26Jはこの年の夏から順次US−2Cに機種転換が進み、64年の秋には全て退役しています。
私が望遠を使い出して1度しか撮れなかった悔しさを今だに抱いております。この気持ち、皆さんお分かりでしょう。  

あかつか 2021/09/26(Sun) 00:15 No.2252
Re: 三軍記念日 63
F−8ファンのNarisawaさんらしく角度を変えてのF−8Aのショット。E型に比べるとずいぶんスマートですね。
「クルーセイダーはやはり1型だねえ」と仰るファンを何人か知っています。

あかつか 2021/09/26(Sun) 00:40 No.2253
Re: 三軍記念日 63
厚木では毎日のように飛び、三軍記念日でも展示の常連だったTC−45J“ スナブ "。
スナブとは先輩マニアが旧名称のSNBの頭文字から語呂合わせで言っていた造語です。(実際は Navigator)
形と呼び名の感じが妙に合っていてUC−45、RC−45と新名称に変わっても皆さんスナブと呼んでました。

あかつか 2021/09/26(Sun) 23:33 No.2254
Re: 三軍記念日 63
VU−5のハンガー裏に展示?してあったグローブ KD6G‐2 ホタル 。
地上のカタパルトシステムから打ち上げられラジコンで操縦する100馬力のエンジンを持つ標的ドローン。
プロペラを含め木製のようで、なかなか味のあるスタイルをしてますね。
ピマ航空ミュージアムで見られるようです。

あかつか 2021/09/27(Mon) 23:28 No.2255
Re: 三軍記念日 63
そういえば、私ら小中学生の頃、校庭や河原で良くみられた「Uコン」を思い出しました。
飛ばした体験は無いのですが、そばで見ていてエンジンを回したとき(手動)に漂うケロシン油の香りはよく覚えています。
当時専門誌の航空ファンは毎月数ページものUコンの記事を写真入りで紹介し、さながら模型雑誌のようでした。
それだけ「Uコン」マニアが多かったということでしょう。

↓の00のモデックスは多分冗談で書いたのでしょうね。

あかつか 2021/09/27(Mon) 23:44 No.2256
三軍記念日 63

航空情報1963年7月号より

あかつか 2021/09/19(Sun) 18:31 No.2237 [返信]
Re: 三軍記念日 63
本日より「60年代三軍統合記念日」再開いたします。
前スレでお知らせしましたが、展示機や飛行ショー、全ては網羅できませんので皆さま方のご協力をいただけたらと思っています。
構成上、他サイトで貼られた画像や、すでに印刷物で紹介済みの写真も再掲しますが、どうかご容赦のほどよろしくお願いいたします。

先ずは1963年5月12日の厚木から。
トップ画像は航空情報1963年7月号での記事ですが、何と見開き2ページしかありません。写真は全て読者の投稿写真ですから、
編集部から誰も取材に行かなったようです。それだけ三軍記念日のほかに紹介するたくさんの記事があったのでしょう。いい時代でした。

マニア的には、厚木が他会場(横田や立川)並みに三軍記念日で初めてエプロンまで一般客を入場させるという記念すべき公開日だったのです。
展示機も例年より増加。当時の手帳から拾ってみますと飛行を含む展示機は次の通りとなっています。

C-54Q(ATSUGI/SZ),TC-45J(ATSUGI),H-13(ARMY),H-19(陸自).UH-1A(ARMY),UB-26J(UE),C-117D(CNFJ),F-8A(UE),
UH-43C(ATSUGI),B-57B,L-23D(ARMY),F-6A(EK),V44(陸自),F-86F(空自)
あかつか 2021/09/19(Sun) 18:33 No.2238
Re: 三軍記念日 63
せっかくの初のエプロンへの入場だったのですが、一日中雨が降り出しそうな天気で、フライトはF−6AとF−8Aの急上昇デモのみでした。
そんな中、観客の目を引いていたのがATSUGIのカマンUH−43C。4機編隊で華麗な舞を披露。
まだ標準レンズしか持ってなかった私には、飛行中のカマンを撮れたてうれしかった記憶があります。

あかつか 2021/09/20(Mon) 23:24 No.2239
Re: 三軍記念日 63
標準レンズならではの四機まとめてのショット。
P&W/R1340の軽やかなエンジン音も四機になるとそれなりの迫力があります。

あかつか 2021/09/20(Mon) 23:42 No.2240
Re: 三軍記念日 63
真上に近づくと標準レンズでも四機をまともに収めるのは無理だったようです。

あかつか 2021/09/20(Mon) 23:46 No.2241
Re: 三軍記念日 63
一機足りませんが、こんな近くで演技をしてくれました。

あかつか 2021/09/20(Mon) 23:52 No.2242
Re: 三軍記念日 63
当時の伊丹新明和前でしか撮れなかったようなアングル。
この頃はフォーカルプレーンシャッターでのプロペラが歪曲する写真に憧れましたが、今この写真を見るとレンズシャッターで良かったような気がします。

あかつか 2021/09/21(Tue) 00:01 No.2243
Re: 三軍記念日 63
Moriさんは200ミリですから、ローターがはみ出すほど画面一杯。

あかつか 2021/09/21(Tue) 19:07 No.2244
Re: 三軍記念日 63
さまざまな形で“カマンダンス ”を披露。

あかつか 2021/09/21(Tue) 19:09 No.2245
Re: 三軍記念日 63
観客の前で演技を終えて定置場へ戻るUH−43C。

あかつか 2021/09/22(Wed) 23:54 No.2246
Re: 三軍記念日 63
これにてカマンUH−43Cのデモフライトを終了します。
下に写るVU−5群も気になるところですね。

あかつか 2021/09/22(Wed) 23:59 No.2247
64.5.17 横須賀

英空母ヴィクトリアス公開

あかつか 2021/08/29(Sun) 11:15 No.2225 [返信]
Re: 64.5.17 横須賀
12時開場の横田で展示機を拾い撮りした後、急いでゲートを出たとしても牛浜から横須賀まで2時間半はかかったでしょう。
よってヴィクトリアス艦上に着いた頃には公開時間が迫る4時少し前、まだ観客は多く残っていてごらんの通り。

和服のお母さん、お父さんとその家族、昭和の時代記録として興味深いものがありますが、
撮影当時は機体だけをガッチリと撮りたかったなあ、と、つくづく思ったものでした。

あかつか 2021/08/29(Sun) 13:24 No.2226
Re: 64.5.17 横須賀
人が掃けたタイミングでパシャリ!。
航空雑誌のアートページでしか見ることの無かったシービクセンFAW.2がここに居るのです。
個性的なフォルムとツートンのイギリス海軍機塗装。空母に乗艦するのも初めてなら、イギリス海軍機を見るのも初めて。
もう少し観察する時間が欲しかったですね。

あかつか 2021/08/29(Sun) 18:19 No.2227
Re: 64.5.17 横須賀
ウエストランド・ウェセックスHAS.1。ご存知シコルスキーとのライセンス生産機。
H−34とは別機のように見えてしまうのは、いかにもイギリスって感じですね。

あかつか 2021/08/30(Mon) 23:35 No.2228
Re: 64.5.17 横須賀
見られて良かったフェアリー・ガネットAEW.3。
ある解説者が“いかにも 醜い飛行機 ”と書いてますが、私は全然そうは思いません。
西宮に有名なホビーショップの店長はガネットの大ファンで店名も「ガネット」としているほどです。
カッコの悪さなら同時期のライバル機であったショート・シーミューの方が余程上だと思いますが如何でしょう。
でも、このBBSでは“横道扱い”の話題ですかね。

あかつか 2021/08/30(Mon) 23:50 No.2229
Re: 64.5.17 横須賀
こちらのガネットは対潜型なのかC−2のような連絡型なのか知識はありません。
ペイントカラーも記憶がなくご存知の方おられましたらぜひご教授ください。

いつの時代にも信憑性に欠けるマニアの話を耳にしますが、当時、ガネットが羽田に降りたという噂が出てました。
可能性は無きにしも非ずですが、現在までその写真を見たという人に出会ったことがないので、やはりヨタ話だったのかな。

あかつか 2021/08/31(Tue) 00:10 No.2230
Re: 64.5.17 横須賀
横須賀にカールビンソンが18年ぶりに入港したとのことで、メディアやマニアから注目されていますが、次に控えるクイーンエリザベスが横須賀に訪れますと、イギリス空母が来るのはヴィクトリアス以来57年ぶりとなります。
カールビンソンよりこちらの方が政治的にもマニア的にも大ごとだと思うのですが予想に反して大きな盛り上がりはまだ見せていません。
それでもクイーンエリザベス入港時には観音崎の撮影ポイントにそれなりのマニアが大挙して押し寄せ“ 密状態 ”となることでしょう。

下は、シービクセンと共に実機を見られただけでも有難かったバッカニアS2。
イギリスの航空産業改編の流れで、ブラックバーンはホーカーシドレーに買収されてしまい、撮影時の1964年ではメーカー名はホーカーシドレーでした。
アメリカの航空機メーカーも同じような道を辿りましたが、子供の頃から馴れ親しんだメーカーが次々と消えていく寂しさを知るマニアは相当なベテランマニアと言えるでしょうね。

あかつか 2021/08/31(Tue) 23:49 No.2231
Re: 64.5.17 横須賀
バッカニアの全体像が撮影できた唯一のショット。
写真をよく見ると公開された隣りの艦船から135mmぐらいで撮れたみたいですね。だとしても、時間的に無理でしたが・・。

手前の赤ん坊を抱いた親子らしき二人はバッカニアを見ているのではなく国際親善のカップルに目が行ってますね。
基地や艦船の公開日にいつも見られた光景でした。

ここまで紹介しました写真は“のらひこさん”が撮影されたものです。私も同じようなカットを撮りましたが、
ネガは修正不可能なほどビネガーシンドロームでドロドロになっておりました。
まさかフィルム(特にネオパンF)が半世紀経って化学変化を起こすなんて誰も思わなかったでしょう。
印刷物(CHECKER TAIL)にしておいて本当に良かった。
AGCアートの写真集は全て国立国会図書館の蔵書となっていますので、国が潰れない限り何年経っても閲覧することができます。

あかつか 2021/09/01(Wed) 16:40 No.2232
Re: 64.5.17 横須賀
横田には3〜40分しかいなかったんでしょうかね?しかし、それなりの枚数撮ってから、ダッシュで向かったはずです。甲板に上がってビックリしました。横田の「アメリカ軍」とは色使いと言い、恰好と言い、全く違う世界ですもんね。シービクセンのコクピットの右オフセットを知ってはいましたけど、目の前で見ると、イギリス人って変わってるなあと感じ入りました。それにガネット!!アメリカ人は空母を大きくすればいいじゃないかと思うんでしょうが、イギリス人は翼を三つ折りにすれば良いだろうと思うんですね。凄い民族性の違いを感じました。それとバッカニアの凄さは目の前で見なきゃ解りません。多分、潜水艦に苛め抜かれた経験から、超低空を高速で飛んで、潜水艦の司令塔をだけは破壊したいという欲望の表れのような、面構えでした。クイーンエリザベス、来そうですが、空母はやっぱり積んでいる飛行機次第なんですかね?35がたとえ35機積んでいたって、ちょっと興味半減かな。えっもっと少ないの?
のらひこ 2021/09/02(Thu) 12:08 No.2233
Re: 64.5.17 横須賀
>のらひこさん
バッカニアは燃料満載で兵装を装備すると重すぎて発艦できず燃料を半分にして給油機の世話にならなければ空母での運用はできなかったそうですね。
そんなわけでバッカニアと交替したはずのシミターは、給油機として1966年まで使われてましたが、残念ながらビクトリアスには積んでませんでした。
できればシミターも見たいイギリス機でしたね。
あかつか 2021/09/02(Thu) 21:07 No.2234
Re: 64.5.17 横須賀
航空情報の横森周信さん(P.黒木雄二)が青少年ヒコーキマニア向けに編集していた季刊誌「航空ファン読本」の連載企画に読者による
「航空マンガサロン」なるコーナーがありました。
1961年秋の号のお題はバッカニアで、選者は“世界の橋本喜久雄”。橋本先生の選考はけっこう厳しくて入選作ナシの号も幾度かありました。
このバッカニアは入選作作品。バッカニアの特徴が表れていてデフォルメもイヤ味がなく見事ですね。

当時の航空情報はこのように読者と一体感があり日本の航空文化の発展に一役買っていたと思います。
横森さんは晩年「昔は読者と一緒になって本つくりをして楽しかった」と懐かしんでおられました。

あかつか 2021/09/03(Fri) 22:11 No.2235
Re: 64.5.17 横須賀
1964年の「三軍記念日特集」いかがでしたでしょうか。
個人的にも前月から標準レンズ付きのカメラからペンタックスと望遠レンズを持ちはじめ撮影活動に巾が出てきた年でした。
社会も替わり目の年でありましたが、ヒコーキの方も同様で多種多様な軍用機、民間機が日本上空を飛び交い、
時間はいくらあっても足りないほど身も心も多忙な日々送っていたのが1964年でした。

これにて1964年の三軍記念日特集を終了いたします。
次回からは年毎の写真は揃えられそうにありませんので、60年代の三軍記念日の枠の中で印象に残る写真を載せ往時を懐かしんでみようと思います。
しばらく休んで9月20日ごろから再開いたします。

最後にご紹介するのは2度と見られないであろうF105の42機の列線。
5月17日の横田三軍記念日の前日、基地公開に備えて展示スペースを空けるため、駐留していた105を石播前のタキシーウェイに
移動させたもの。全機を入れて撮るのに苦労しました。

あかつか 2021/09/05(Sun) 12:13 No.2236
三軍記念日 64

立川三軍記念日 1964年5月17日

あかつか 2021/08/21(Sat) 23:51 No.2206 [返信]
Re: 三軍記念日 64
↑ 横田とは別な印刷物を発行しており、立川三軍記念日当日観客に配られていた関東空軍新聞 (村越さん提供)
あかつか 2021/08/22(Sun) 00:09 No.2207
Re: 三軍記念日 64
B4版見開き4ページの新聞には、当時の立川基地と立川市民との交流が書かれていて非常に興味深いものがあります。
司令官の挨拶はもとより、市長もこの「祭り」にエールを送っています。一部の人達を除き多くの市民にとって米軍と良き関係を築いていたと思うのですが如何でしょう。

話は戻りまして、マニアが撮った1964年の立川三軍記念日での写真は余り見たことがありません。
理由は横田と同日開催でしたから、どうしても横田優先になったからでしょうね。

あかつか 2021/08/22(Sun) 00:30 No.2208
Re: 三軍記念日 64
1964年5月17日(日)立川でも横田と同日に三軍記念日の基地公開がありました
横田のOPEN時刻も12時でしたので、先ず立川に寄り、立川の展示機を撮影していました

前年(1963年)も立川三軍記念日には訪れており、やはり立川・横田とハシゴしていました
横田三軍ではF−89 スコーピオン(52−1831)が展示された話題の年でした

横田とは別の機体で内部も開放されて展示された
HH−43B 62−4563
飛行ショーこそありませんが、展示エプロンは立川駅からも近い事もあって、
「飛行機に触れる楽しみ」を知っている親子連れの見学者が多いよう思えて好きな展示風景でした

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:37 No.2209
Re: 三軍記念日 64
同じく 尾翼側の賑わい 後方ドアからのアクセスに当時から注目する人が居たのかも
そのままでもストレッチャー格納可のドクターヘリになりそうですが、
排気の直撃とサイドアプローチが危険なローター構造は制約ありすぎですね

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:38 No.2210
Re: 三軍記念日 64
陸自の UH−1B 41503 も見学者が多く、人気者でした
立川基地の特徴ある給水タンクで滑走路東側エプロンと解ります

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:40 No.2211
Re: 三軍記念日 64
同じく UH−1B 別角度の賑わいですが、キャビンの中を覗く人が多いですね

後方に空自のC−46D 71−1132

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:44 No.2212
Re: 三軍記念日 64
気楽に入れる輸送機の室内見学も人気がありました
空自の C−46D 71−1132 列が途切れません

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:48 No.2213
Re: 三軍記念日 64
エプロンの離れた場所に駐機された 
USAF の H−19B 53−4410 

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:49 No.2214
Re: 三軍記念日 64
同じくエプロンに駐機していた タイ空軍の
C−47 (0−51021) 2機並んでいました

村越賢司 2021/08/22(Sun) 11:51 No.2215
Re: 三軍記念日 64
>村越さん
たいへん貴重な立川三軍記念日でのスナップショット、ありがとうございます。
特に2209の写真がじつにイイですね。
50年代から60年代前半までの各地三軍記念日のスナップ写真を見てみると、各基地によって観客の風情の違いがよく分かります。
特に立川の観客の服装は、東京都内から最も近かったせいか、大人も子供も当時の平均的な都会風の衣類を身にまとってます。
ファッションは時代に敏感ですからね。
まあ、我々含めて中学生、高校生はお決まりの学生服でありましたが・・・。

↓ は1963年立川三軍記念日のリーフレット。
2色印刷でデザインセンスもいいですね。軍人さんの顔も“ 50年代のイケメン ”と言ったところでしょうか。
若いころのグレン・ミラーとかフランク・シナトラを思い出します。

あかつか 2021/08/22(Sun) 23:34 No.2216
Re: 三軍記念日 64
>あかつかさん
1964年の立川三軍つながりで、地味ですが
1963年5月19日(日)の立川三軍記念日の展示機を5枚ほどご紹介します

1963年の横田三軍と同時開催で、横田は突然のスコーピオン展示で大騒ぎになった年でした
その写真は 既刊「在日アメリカ空軍機写真集」P16・P17の詳細な記事をご覧下さい

さて、冒頭のパンフを受け取り、老若男女が物珍しげに基地を訪れる文化も立川市民には日常の風景だったのかもしれません
私はこの年が初めての立川三軍で短時間で切り上げて横田に向かってしまったようです
立川の方が人出は多く、グローブマスターの大きなカーゴドア内部の見学も大人気でした
C−124A 51−0117 

村越賢司 2021/08/23(Mon) 11:36 No.2217
Re: 三軍記念日 64
2枚目は
U.S.ARMYの UH−1B 59−1677 ロープで囲われて内部は見られませんでした

村越賢司 2021/08/23(Mon) 11:37 No.2218
Re: 三軍記念日 64
3枚目は
U.S.ARMYの H−13H 59−4964 と 空自のC−46D 子供連れが多いスナップショット

村越賢司 2021/08/23(Mon) 11:38 No.2219
Re: 三軍記念日 64
4枚目 エプロンの離れた場所に駐機されていた U.S.AirForceの H−19B 52−7480

村越賢司 2021/08/23(Mon) 11:40 No.2220
Re: 三軍記念日 64
5枚目は 空自のH−19C 91−4709 ですが 自衛隊としては初の救難ヘリとして発足した機種ですね

村越賢司 2021/08/23(Mon) 11:42 No.2221
Re: 三軍記念日 64
>村越さん
「63年立川三軍」の写真記録ありがとうございます。
三軍記念日同日開催で立川から横田にハシゴできるのは地元マニアの特権みたいなものですね。
私はせいぜい横田の帰りがけに立川(南側エンド)に寄ってお帰りというのが精いっぱいでした。

しばらく三軍記念日特集を続けますので、ご協力よろしくお願いいたします。
あかつか 2021/08/24(Tue) 00:15 No.2222
Re: 三軍記念日 64
TACHIKAWA BASE THEATRE
1952年に撮影された基地内の900席の劇場 (提供:SUZUKI takeshiさん)
廃墟写真がブームだったとき、崩れかけた立川基地の施設や設備の写真集をよく見ましたが、返還以前の基地内施設の写真は少なく、
実際に使われていた当時の建物の写真も、貴重な写真記録と言えましょう。

あかつか 2021/08/25(Wed) 23:40 No.2223
Re: 三軍記念日 64
立川基地は極東一の輸送基地でしたので住人の数も多く、整備、施設も最大級。
特に60年代はベトナム戦争の後方支援基地でありましたから本国から訪問者も多く、フロアショーや慰問で有名人が訪れていました。
以下、エンタメ系の主だった人だけを選んでざっと列記してみます。懐かしく思われる方もいらっしゃるでしょう。

【1967年】   
ダニー・ケイ (俳優、TVで冠番組を持つほどの有名人、ユニセフ親善大使も務める)
ブレンダ・リー (「愛の讃歌」「この世の果てまで」日本でも人気の歌姫)
ジョージ・ゴベル (50年代米TV界の人気スター、女優、ミュージカル映画で主役も)
トリニ・ロペス (「天使のハンマー」「レモン・トゥリー」一世を風靡したラテンのボーカリスト)

【1968年】
スティービー・ワンダー (現在でも活躍中の盲目のカリスマ歌手)
マーサ&ザ・ヴァンデラス (ロック殿堂入りした女性コーラスグループ)
デブラ・デーン・バーンズ (1968年度ミス・アメリカ)
フランキー・アバロン (59年〜60年代のティーン・アイドル)
ジプシー・ローズ・リー (ショービジネスのベテラン)

【1969年】
サム&デイブ (ソウル/R&Bデュオ「ホールド・オン」)
オズモンズ (少年コーラスグル−プ「ワン・バンド・アップル」)
アン・マーグレット (女優、歌手、ダンサー、「バイ・バイ・バーディー)

【1970年】
ルー・ロウルズ (俳優、声優、グラミー賞最優秀R&Bボーカル賞)

【1971年】
B・Bキング (歌手、ギタリスト、ブルース界の巨人)

公演時期を調べてみると、日本公演のついでに訪れただけでなく、立川基地の単独企画も多々あったようです。
そんな中、将兵とコネのある日本人関係者とか、商売上の出入り業者、オンリーさんなども世界のエンターテナーを見ていたのでしょうね。
あかつか 2021/08/27(Fri) 18:38 No.2224
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -