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三軍記念日

航空情報 1964年7月号より

あかつか 2021/07/31(Sat) 13:08 No.2123 [返信]
Re: 三軍記念日
航空情報の取材も当日の賑やかさに触れています。
公開中A−3B(NH/ZB)飛来のサプライズもあり、誠に充実感のある厚木三軍記念日でした。
あかつか 2021/07/31(Sat) 13:14 No.2124
三軍記念日

航空情報1961年7月号より

あかつか 2021/07/25(Sun) 08:13 No.2104 [返信]
Re: 三軍記念日
私の「初めてのサングン」は1961年5月20日の横田で、航空情報(61年7月号)掲載コピーのように待ちに待った“ 三軍統合記念日 ”だったのです。

まだカメラを持てない中学生でしたが、授業が終わってすぐ川崎駅から独り電車を乗り継いでようやく辿り着いたのが「横田基地」。
牛浜駅から人の流れに連いてゆくとそこには広大なエプロンに展示された数々の米軍機たちが鎮座。
中でも航空雑誌でしか見たことがなかった「スーパーセイバー」に圧倒され、機体を撫でたり擦ったり残り少ない時間のほとんどを100の前で過ごしていました。

『三軍統合記念日』の想い出を写真とともに皆さんと語り合いましょう。
タイトルは日本のヒコーキファンに通りのよい“ 三軍記念日 "といたしました。
あかつか 2021/07/25(Sun) 08:19 No.2106
Re: 三軍記念日
【三軍統合記念日】
1950年までアメリカ各軍の記念日は、陸軍4月6日、空軍9月18日、海軍10月28日、海兵隊11月4日とそれぞれ別々に行なわれていました。
ところが、1949年4月に国防長官が大統領の承認を得て、従来別々に行ってきた四つの記念行事を三軍統合記念日(armed forces day)という一つの年次祝祭日統合すると発表しました。これは法令による三軍の統合及び国防総省創設の精神沿ってなされたもので、
三軍統合記念日は陸・海・空軍を象徴し軍務にたずさわる男女軍要員をたたえる日なのです。
この年次祝祭日の日時は天候その他の重要な事柄を充分考慮した上で選定されたものです。戦没将兵記念日前15日以内の日なら既存の諸行事とも重なることも少ないし、また国内の産業、商業、教育その他の諸活動に支障を与えることもないので、おそらく一般の人たちから最大の関心を集めることができるだろうという結論に達しました。かくして大統領は1950年5月の第三土曜日を最初の三軍統合記念日として宣言いたしました。


以上がざっと調べた限りですが、私が三軍記念日に各基地へ足を運んだのは70年頃までで、70年以後、5月の第三土曜日(あるいは日曜日)に『三軍統合記念日』として開催されていたのかは良く分かりません。
何年ごろまで同じようなカタチをもって基地公開があったのか?そして本国では毎年行われているのか?。そのあたりの事をご存じの方、ご教授いただけたら幸いです。
あかつか 2021/07/25(Sun) 12:09 No.2107
Re: 三軍記念日
前年(1963年5月12日)は、観客をはじめてエプロンまで入れ空軍基地に負けないようなプログラムを組んでいたようですが、雨は落ちなかったものの天候悪く、いくつかの飛行ショーが中止となってしまいました。

そして翌年、日本中が“ TOKYO 64 ”の話題一色に染まっていた1964年。その年の厚木三軍記念日はヒコーキファンにとって、天候、展示機とも恵まれ充実感に溢れた最良の一日でした。
まずは1964年の厚木三軍記念日からスタートいたしましょう。


下は当日観客に配布されたリーフレットです。(提供:村越さん)
今から見れば立派なものとは言えませんが、この手のビラとか伝単などは意外と残されておらず、長い年月が経つと貴重な印刷物になることは多くの歴史家も証明しております。

あかつか 2021/07/26(Mon) 23:05 No.2108
Re: 三軍記念日
上の裏面ですが、写真のVF-91のF8U-2とVFー92のF3H-2は1962年までの使用機ですから、前年も同じリーフレットを配布していた可能性は高いです。
聞くところによりますと翌年の1965年も同じもので、まあ、このあたりが空軍基地と公開姿勢が違うようですね。

あかつか 2021/07/26(Mon) 23:28 No.2109
Re: 三軍記念日
空軍機も賑やかで100に101、そして新鋭105までお披露目。
厚木のMAG−11からはVWのファントムが初公開されるなど、天気は良いし、展示機も飛行ショーも充実。申し分ない厚木三軍でした。

あかつか 2021/07/27(Tue) 23:03 No.2110
Re: 三軍記念日
>あかつかさん
三軍記念日始まりましたね

1964年5月10日の厚木三軍記念日から5枚連貼りで失礼します

VMFA−314のF−4B VW−8/149444 のヒネり離陸です
135mmでのトリミングで荒いのですが、初めて目の当たりにした離陸パフォーマンスにビックリしたことを覚えています

村越賢司 2021/07/28(Wed) 11:27 No.2111
Re: 三軍記念日
二枚目は
VMF(AW)−323 のF−8Eの6機編隊パス

村越賢司 2021/07/28(Wed) 11:30 No.2112
Re: 三軍記念日
3枚目は
我々が大変お世話になった
ENOMOTO先輩の厚木三軍撮影ショット

今気が付きましたが、右下で「つまみのさきいか?」をかじっているのは「のらひこ」さんですね

村越賢司 2021/07/28(Wed) 11:32 No.2113
Re: 三軍記念日
4枚目は
派手に炎を上げての消火訓練ショット
UH−2B/150153
迫力満点でした

村越賢司 2021/07/28(Wed) 11:35 No.2114
Re: 三軍記念日
5枚目は(1964年5月10日厚木三軍記念日)
に展示された
F−100D/55−3809
後に迷彩だらけになってしまう空軍機の素地塗装も新鮮でした

村越賢司 2021/07/28(Wed) 11:39 No.2115
Re: 三軍記念日
>村越さん
ENOMOTOさんには本当に面倒を見て頂き感謝しております。
カメラはコニカFSでレンズはマイネタール300mmのように見えますがどうでしょう。
2113の右下に写っているのは、のらひこさんに似てますが私のネガには眼鏡をかけてYシャツ姿で写ってますので違いますね。
のらひこサン似の近くのコドモでしょう(笑)


この日のハイライトの一つはシースプライトによる消火訓練。UH−43Cから機種転換したばかりで張り切ったのかどうかは分かりませんが、黒煙の量から見てもやり過ぎでしょう。最前列で写真撮っていて顔面がかなり熱かった記憶があります。105mmでこれですから。

あかつか 2021/07/29(Thu) 00:03 No.2117
Re: 三軍記念日
UH−34もUH−43も味わい深いヘリでしたが、初めて見たUH−2は垢抜けたスタイリングでタービン音も新鮮。
フィルムを1本近く使ってしまい、シ−スプライト登場時いかにマニア心を動かされたヘリであったことをネガ見て思いました。

あかつか 2021/07/29(Thu) 23:01 No.2118
Re: 三軍記念日
脚を引っ込めたUH−2Aの写真は、この日以外ほとんど撮ってないことに今気付きました。
そういう意味でも恵まれた日だったんですね。

あかつか 2021/07/29(Thu) 23:08 No.2119
Re: 三軍記念日
Moriさんはカラーで撮っておられました。
サクラカラー特有の色合いで、経年変化もあり赤色が濁って見えますが、実際はもっと美しかった。
色は調べれば判りますので、資料派にはカラー写真を見るというだけで有難いことでしょう。

あかつか 2021/07/29(Thu) 23:15 No.2120
Atsugiの想い出

1969年2月 撮影:M.井口さん

あかつか 2021/06/30(Wed) 23:32 No.2089 [返信]
Re: Atsugiの想い出
↑ M.井口さんが西側ポイントの木の上から撮影したグッドショット。
2063の画像とともに見ますと当時のRW19エンドの状態がよくわかります。

65年頃まではこの撮影ポイントへ行くマニアは誰も居なかったのではないでしょうか。
私がこの場所から撮った写真を見たのは1966年5月に撮影されたタキシーするVAH−4グリーン塗装のKA−3Bが最初でした。
それまでのマニアはなぜ当場所へ行かなかったのか?
タワーからの見晴らしもよく、SPの車や日本人ガードの往来が頻繁で落ちついて写真を撮る環境でないと判断したからでしょう。
そんな思いも木の上や草むらに隠れながら撮れば心配なかろうと、マニアが溜まり出し『みんなで渡れば怖くない』の譬えどおり、
60年代後半には定番の撮影ポイントとなりました。
あかつか 2021/07/01(Thu) 00:08 No.2090
Re: Atsugiの想い出
1967年2月17日、ボンノム・リチャード/CVW−21のフライオフ時のショットですが、このときの艦載機はほとんど東側に駐機しましたので、
DWタキシーウェイを通らず、こんな写真しか残せませんでした。
若干トリミングしても200mmではこれが精一杯。多くのマニアが西側フェンスの角に集まるようになったのは300mm、400mmを持てるようになったからでしょうね。

あかつか 2021/07/01(Thu) 23:32 No.2091
Re: Atsugiの想い出
下は立川のNakanoさんが1970年7月に撮られたシャングリラ/CVW8のF−8Hのタキシング。
70年にはマニアの数も増え初めていたので、多くの写真が残されていますが、不思議とDEタキシーウェイで撮られたショットは少なく
私は初めて見ました。
VF−111のF−8はこの航海が最後ということで、皆さん記録的な写真を着実に撮りたかったからでしょうね。
この写真、シャングリラ入港中曇天続きだったマニアの悔しさが、画面から滲み出ているような気がしました。

あかつか 2021/07/02(Fri) 12:15 No.2092
Re: Atsugiの想い出
VA−52の鉄仮面のリボンが各部隊色に塗り分けられた資料派のマニアが喜ぶようなA−6Eの写真。 1977〜8年頃、Iguchiさん撮影。

貴重なショットではありますが、ロケ地としては南側A1タキシーウェイでしたら尚も機体が引き立ちましたね。
70年代は“休眠中”でしたので、バックの煙突(何の工場でしょうか)がいつ頃から立っていたのかは分かりません。カメラの位置がやや俯瞰気味ですから、たぶん木の上に登って撮ったものと思われます。

当地で通常の目線で撮影した機体の背中に煙突が突き刺さったような写真をよく見かけます。
マニアとしてはそれは嫌いたいので、60年代の横田36の「樫の木ポイント」と同じように、当所の木の上も“ 争奪戦 ”のようなことが行われていたのでしょうね。その気持ちよく分かります。

あかつか 2021/07/03(Sat) 19:11 No.2093
Re: Atsugiの想い出
1977年、試験的に塗られたVF−151のフェリス迷彩機。 撮影:Iguchiさん
ロービジのグレイ塗装機には厚木のマニアを落胆させましたが、ならばフェリス迷彩なら良かったかと言えば、全機がこの塗装となったらなったで味気ないですね。おかげさまで短期の実験で不採用となりましたが、採用されなかったことでフェリス迷彩機の写真は貴重な記録となりました。

あかつか 2021/07/04(Sun) 14:07 No.2094
Re: Atsugiの想い出
半年ほど飛行場通いを休み、久々に大和トンネルの上から双眼鏡で基地内を覗いてみると遠く西側格納庫横に噂に聞く
ハンコック/VAQ−130のEKA−3Bが居るではありませんか。
飛来した3機のA−3は塗装の色が全て違うという、当時の厚木マニアの間では1、2を争うほどの人気で「センスの塊」のようなグッドデザイン。
当日は飛ぶ気配が無さそうだったので、何とか撮影できないだろうかとペンタックスとソリゴール400F8を肩からたすき掛けにし、
フェンス沿いを西へ西へと歩いて行くと撮れそうな場所に辿り着きました。
揺れる木の上の限界まで登り、太めの幹を左腕で抱え込み右手一本で撮影したのがこのショットです。

あかつか 2021/07/05(Mon) 23:42 No.2095
Re: Atsugiの想い出
おはようございます。
たいへんご無沙汰しております。

あかつかさんがアップされたVAQ-130の画像を見て、完成写真を撮っていた機体配置と同じだったので横道ではありますが、投稿させていただきます。

キットはハセガワ1/72。
赤はキットにセットされていたので、青と黄色の2機用にデカールをコピー後、型紙を作って塗装しました。
最初に発行されたチェッカーテイルをもとに、青はVAW-13、黄色はVAQ-130にしてあります。

まさやん 2021/07/06(Tue) 08:22 No.2096
Re: Atsugiの想い出
後ろのハンガーは厚木のハンガー写真をモデルに、プラ板とプラ棒で作りました。

ハンガーの扉に書かれたプロペラの文字ですが、『U』の文字を入れて『PUROPELLERS』 にしてしまったのに気づいた時は後の祭りでした^^;

まさやん 2021/07/06(Tue) 08:25 No.2097
Re: Atsugiの想い出
私が出会ったときはVAQ-130になっていて、赤(#016)が降りてきたときは電光に気づかず、3枚目の送りになってから目にも鮮やな塗装に衝撃を受けました。

その後赤以外にもいることを知り、いつかは3機並べてみたいと思いながら、退職してやっと陽の目を見たわけです。

1968.11.30 厚木にて

まさやん 2021/07/06(Tue) 08:26 No.2098
Re: Atsugiの想い出
>まさやんさん
正に『“電光三兄弟”の揃い踏み』。 私があの日見たVAQ−130の想い出が蘇りました。ありがとうございます。
ヒコーキ写真の世界にない魅力が詰まっており、モデラーさんだけでなく海軍機マニアも大いに喜ぶ表現手法と言えましょう。
ジオラマとEKA−3Bの組み合わせた写真も素晴らく良いものを見せて頂きました。
あかつか 2021/07/07(Wed) 12:40 No.2099
Re: Atsugiの想い出
厚木基地南、桜ヶ丘側からフェンスに沿って歩きはじめた「撮り歩きの旅」も2095の写真をもってゴールといたします。
残すは基地内のみとなりますが、それは別の機会にとしてこの項を終了させていただきます。

下は1993年4月25日のウィングスで、デモ飛行を終えて帰投したVF−21を相模大塚行きのバスの中から撮影したもの。
見物人が集まる19エンド周辺を、基地の中から撮影する機会など滅多にないので、自分としては貴重な写真と勝手に思っています。

あかつか 2021/07/08(Thu) 13:55 No.2100
Re: Atsugiの想い出
1月31日(No1652)から始まりました写真と語る「 atsugiの想い出 」を長期にわたってご覧いただき有難うございました。
個人々々によって、ヒコーキや飛行場に対する見方や考え方は異なるものと承知してますが、60年代(それ以前も)のアツギに思いを馳せる
先輩、同輩たち、またその頃の話に興味をお持ちのファンの人たちへ何かしらのメッセージが届いたようなら嬉しく思います。

atsugiの想い出 のラストを飾る写真は、90年代「大和の丘」と呼ばれていた盛り土からのショットにいたしました。
『 雀百まで踊り忘れず 』の譬えどおり、いかにもオールドマニアが撮りそうな写真ですね。
コダクロームに替わってフジのベルビア、プロビアが主流となった頃の撮影で、フジクローム特有の色合いがPC画面からも感じられます。
その後はデジタル全盛となってフィルムの時代は終焉。写真の世界は大転換期を迎えることになります。

※しばらくお休みを頂き7月25日から再開します。

あかつか 2021/07/08(Thu) 14:33 No.2101
Atsugiの想い出

相鉄線大和トンネルの上にて

あかつか 2021/06/22(Tue) 11:23 No.2075 [返信]
Re: Atsugiの想い出
1960年代中頃、電車で来ようと車で来ようと、真っ先に向かうところは相模鉄道の大和トンネルの上でした。
コンクリートで固めたトンネルは小高くなっており、基地内を一望できたからであります。

左は60年代厚木マニアのスタイル。“ マニア心”が全身に表れていて、プロの役者に演技させようとしても難しそう。一種のドキュメント写真と言えましょう。
目で見て、耳で確認する。というアナログ的行動を知る人もだんだん少なくなってきましたね。(写真はイメージです)
あかつか 2021/06/22(Tue) 11:45 No.2076
Re: Atsugiの想い出
トンネルが完成したのは1964年11月ですが、それまで離陸時のオーバーラン事故が多発しており相鉄線の架線や電線が切断され
社会問題となっていました。
A−4だけでも1961年、62年、65年と60年代だけで3回も起こしています。

下の新聞の切り抜きは1965年6月25日に起きたVMA−225(CE)のA−4Cのオーバラン事故。
トンネルが完成して7ケ月後ですから、関係者は胸を撫で下ろしていたでしょうね。 (提供:いつものMさん)

あかつか 2021/06/22(Tue) 12:09 No.2077
Re: Atsugiの想い出
新聞写真なのではっきりしませんが、事故を起こしたVMA−225のA−4Cの尾翼の数字は7773のように見えなくもありません。
もし147773だとすると事故から53日前の1965年5月4日に着陸を撮影していました。

事故の日に南北のエンドで写真を撮ってる人が居たとすればその時の様子が伝わってくる筈ですが、
未だに聞こえてこないのは当日マニアが一人も居なかったからかも知れません。

あかつか 2021/06/22(Tue) 23:59 No.2078
Re: Atsugiの想い出
60年代の厚木でのオーバーラン事故を調べてみますと、ほとんどが19側で起きています。理由があれば知りたいところですね。
その中でも3人のマニアが遭遇し“ 巻き添え ”の一歩手前で事なきを得た1963年9月3日のVMF(aw)235のF−8Dの事故が私ら世代の語り草となるほどマニアにとって危険な出来事でした。詳しくはCHECKER TAIL5に書かれていますが、とにかく3人とも無事で良かった。
写真は、撮影者のNarisawaさんが相鉄線を越したところに移動して撮ったショットです。そのときのモノモノしい状況が見てとれます。

あかつか 2021/06/24(Thu) 23:35 No.2079
Re: Atsugiの想い出
下は1965年1月に撮影したRW19エンドでのスナップですが、63年9月のF−8のオーバーラン事故に出会った3人の先輩マニアは
CV240を見送っている人(T.Maさん)のあたりで撮っていたのではないでしょうか。
当時のマニアが持てる望遠レンズは135mm位だったので、はじめから離陸を狙っていたのではなく、、
ランウェイチェンジとなってしまい、迷いながらもそのまま北側に居続けていたら事故に出遭った。と、想像しました。

あかつか 2021/06/26(Sat) 11:57 No.2080
Re: Atsugiの想い出
先ずはトンネルの上から基地内を覗いてから、上の撮影ポイントに移動というのが65年頃までのマニアの行動パターンでした。
相鉄線大和トンネルの工事はいつから始まり、いつ終わったのか?。覚えている人はほとんど居ないと思います。

下のスナップは1963年3月6日のスリーブに写っていたカットです。(F−4Bは初来日時のVF−21機)
撮影時期から推察しますと、トンネル工事が始まった頃で掘り起こした土砂をダンプカーに積んでるところですね。

その昔、TSPCの顧問でした航空情報の横森周信さんが 『 ヒコーキ写真を撮るときは地上の風景も入れておくように 』
と、仰っていた記事を少年時代に読んで“ 標準カメラ ”しか持てない頃は意識して撮るようにしていました。

まさか、半世紀以上も経ってここで発表するとは、夢にも思なかった!!
横森さんの「そう言うことなんです」との声が聞こえてくるようです。

あかつか 2021/06/26(Sat) 14:10 No.2081
Re: Atsugiの想い出
皆様、はじめまして、BBS1にお邪魔しているFKENです
1965年、CEのオーバーランの写真が大和市発行の「大和市史研究」に載っていましたのでご紹介します。 やはり7773ですね、皆様ご無事でホントに良かった。。。

FKEN 2021/06/26(Sat) 22:40 No.2082
Re: Atsugiの想い出
>FKENさん
大和史研究での貴重な掲載写真のご紹介ありがとうございます。
件のスカイホークの機歴を見ると、日本マニアに馴染み深い機体だったようですね。

Douglas A4D-2N (A-4C) Skyhawk/Bu. 147773
*1961: VMA-223.
*1961: VMA-211.
*1961-62: VMA-332.
*1963-64: VMA-242.
*1964-65: VMA-225 as CE-10.
*Assigned as a ground trainer to NAS Memphis, TN.

大和史研究の写真ですが、撮影者は「写真記録」の基本をしっかり押さえており、撮影テクニックに長けた方と思いました。
特に上段の写真。当時の相鉄線(単線)は大和から先の運行は1時間に数本しかなく、その車輌を人物(神奈川県警?)とともに
画面へ写し込んだのは報道写真家としての矜持が感じられます。
ワタシ的には、相鉄5000系の車輌が懐かしいですね。横浜からよく乗せてもらいました。
県道40号の交通量の少なさも驚き。車が1台しか走っていません。
今こんな事故あったなら道路は大渋滞、周囲はヤジ馬だらけで大和署のパトカー、警察官も総動員。
空にはマスコミのヘリコプターが飛び交い、大騒動となることでしょう。時代の移ろいを感じます。
あかつか 2021/06/27(Sun) 10:50 No.2083
Re: Atsugiの想い出
トンネルが造られる以前、1963年7月に撮影されたMoriさんの写真。
EC−121Kの機首が電柱にかかってしまったのが少し惜しいですが迫力満点のショットです。

121同様、相鉄2000系車輌の下部が切れたのも惜しかったですね。
「鉄チャン」と呼ばれるマニアが少なかった時代、旧国鉄の払い下げ電車にカメラを向ける人は少なかったらしくイイ写真が残されてないようです。
鉄道マニアさんは、いかにも古めかしいパンタグラフや『急』の丸いプレートなんか見てグっときてしまうんだろうな〜。

あかつか 2021/06/28(Mon) 19:10 No.2084
Re: Atsugiの想い出
梅雨の真っ只中の1966年7月1日。いつ降り出してもいいようなどんよりとした曇り空。
撮影には向かない天気でありましたが、初来日のイントレピッドが入港中だったことから、とりあえず厚木へ出かけました。
相鉄線のトンネルに着くと誰一人居りません。フライトもほとんどなくVA−165(AK)のA−1HとVA−95(AK)のA−4Bは
東側格納庫の前で静まりかえっております。

この日はビートルズの来日公演が放送されるので、早目に切り上げ自宅のテレビで彼らのステージを鑑賞しようと思いつつ、
トンネルの上に寝転んでラジオ(エアバンでなく只の携帯ラジオ)を聞いていました。
一時間ほどするとイヤホーンからの音楽に混ざってバラバラとエンジンのような音が聞こえます。
立ち上がり滑走路を見ると、何とVA−165のスカイレイダーが整列しているではありませんか。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:24 No.2085
Re: Atsugiの想い出
茫然としたところにEA−3Bが降りてきたのでA−1の入れ込み写真を撮ったあと、マニアの言う「お墓前」に移動しようとしたとき、
A−1はランウェイを横切り始めました。
全力で走っても間に合わないと判断し、西側への移動は諦めトンネル上から撮ることにしたのです。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:43 No.2086
Re: Atsugiの想い出
訓練飛行かも知れぬと都合よく希望を持ちましたが、VA−95のA−4Bまでもが出て来ると、
その思いはだんだん遠のいて行き、フライオフだと気づいた次第です。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:50 No.2087
Re: Atsugiの想い出
いかに当時は情報不足であったか。
この日の離陸を撮ったという話は聞いたことがなく、CVW−10(AK)機のフライオフを見ていた人は自分ひとりだった可能性が高いです。
果たして西側のフェンスのカドから撮影したらどんな写真となったでしょう。
いくらかの後悔はありますが、これだけの数のスカイレイダーを一コマの画面に収められたのもトンネルから撮っていたからだと言えますね。

フライオフ後、いそいそと自宅へ戻って日本武道館でのBeatlesの中継録画を14インチの白黒テレビで鑑賞しましたが、大した感動はなく昼間見た Green Lizards と Boomersのほうが良かった。  (比べるものではありませんが・・・)

あかつか 2021/06/29(Tue) 14:19 No.2088
Atsugiの想い出

1965年5月4日 厚木基地北側より着陸するC-121J 

あかつか 2021/06/03(Thu) 14:24 No.2054 [返信]
Re: Atsugiの想い出
相鉄線のトンネルはすでに完成済でしたが、県道40号は迂回されてなく、たぶん道路際の柵の側で撮ったのではないかと思います。
レンズは地上展示機を撮影するために購入したタクマー35mmF3.5で、空と雲の状況によりエンドでも時々使用していました。

前スレ1971のIchijyohさんの傑作には及びませんが、121の着陸を後から撮るという発想は、誰もが1度は考えることなのでしょうね。
あかつか 2021/06/03(Thu) 14:45 No.2055
Re: Atsugiの想い出
ヒコーキ写真に季節を感じさせるには地上、空、雲を入れるのは定番の手法。
しかしながら数十年前より都市部に近い飛行場周辺には工場やマンション等の人工物が続々と建てられ、四季の自然を画面にとり込もうとすれば限定された撮影ポイントを探さざるを得なくなりました。

1960年中頃までの基地周辺は空も地上も自然が豊かでしたから、ヒコーキと写真好きのマニアは、近景、遠景とも草木を意識し、画面にとりこんだ写真を撮っていたものです。(気持ちに余裕があるときだけでしたが)

TSPCのNakagawaさんのスリーブを拝借した際、そんな写真を意識されてシャッターを押したと思われるコマが多く見られ、「CHECKER TAIL」「私のアルバムから」のシリーズにも使わせていただいております。
中でもこのトウモロコシの葉を大胆に左右に入れ込んだWV−2(EC−121K)の着陸ショットには衝撃を受けました。これぞ「遠・近・短」。45mm準広角レンズの成せる技ですね。

あかつか 2021/06/05(Sat) 09:58 No.2056
Re: Atsugiの想い出
私も同じような発想から大和側でA−1Hを撮っています。
まだモノクロ主流の時代ではありましたが、機材的に若干余裕がでてボディを1台追加。一方にはカラーリバーサルを仕込み
モノクロとカラーを使い分けはじめた頃の写真です。
「色」が付くと想像力が奪われると言われますが、たとえモノクロだとしても上のNakgawaさんの写真と比べると大分おとなしい。
被写体とレンズの違いもあるでしょうね。

ペンタックスSV  タクマー105mm  コダクロームKX 1966.6.15

あかつか 2021/06/05(Sat) 10:22 No.2057
Re: Atsugiの想い出
上の3枚の写真は気象予報士の試験に良いんじゃないでしょうか?no2054は4~5月に典型的な湿度の低い場合の空ですね。右上の雲は羽衣の様で5月頃に良く出ます。no2057はそろそろ湿度が高くなった梅雨の走りの空ですよね。2056は7月なんでしょうか?台風の前の空って感じがします。あの当時は、本なんか持って行きませんでしたから、空しか見て居ませんでしたね。最近は空をじっくりは見ませんねえ。
のらひこ 2021/06/06(Sun) 12:58 No.2058
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
飛行場での想い出を振り返りますと冬場より夏場のほうが印象に強いよね。
まあ、夏休みもあったろうし、気分的に飛行場で過ごす時間が充実してたからだと思います。

CHECKER TAIL1の表4に小さく掲載しましたが、PC画面ですと趣が違うのではないかと張ってみました。
1966年8月20日 ペンタックスSV タクマー35mm コダクロームKX

KA−3Bは、コンステレーション/CVW15のVAH−8(NL)で、マニア的レア度は相当高いのですが、
この写真からすればA3なら何だって良かったのかも知れません。

あかつか 2021/06/06(Sun) 23:55 No.2059
Re: Atsugiの想い出
no2059!素晴らしいですね!この写真を畳1枚の大きさに焼き付けて、カウンターバーの後に置いたカフェバーで、ユックリ眺めながら、エスプレッソを飲みたいもんです。昔を思い出しながら!
どうです。そういうお店出しませんか?少しは出資しますよ。
のらひこ 2021/06/07(Mon) 13:05 No.2060
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
カフェバーは来客の見込みが薄そうなので出店は無理でしょう。

2057の撮影日と同日、こんなアングルも撮っていました。画角からレンズはたぶん200mmですね。
今、昔撮ったポシを引っぱりだして改めて見ますと、若い頃は写真に対して真摯な姿勢を持っていたなあ、とつくづく思う次第であります。
それが今はたまにエンドへ繰り出しても、車の周辺から余り動こうとはせず、収めた画像もカメラの小さいモニターで見るだけ。何だかねえ・・・。

あかつか 2021/06/07(Mon) 19:09 No.2061
Re: Atsugiの想い出
偶然でしょうが、ハイネマンの子供たちが美しく飛んでます。調べたらこんな本がありました。Ed Heinemann, Combat Aircraft Designer誰か翻訳して頂けないもんでしょうか?当方もう気力が続きそうにありません。それにしてA-1はデカイエンジン積んでますねえ。B-29の4分の1のパワーって訳ですか!凄い!
のらひこ 2021/06/08(Tue) 06:58 No.2062
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
エド・ハイネマン、ケリー・ジョンソン。このような伝説的航空関係者の名が聞かれなくなりましたが、昔の飛行機少年たちはヒコーキに憧れを持つとともに「人」へも憧れたものですね。
現代はどこまでが人がからんで、どこからがコンピューターの領域なのか?。そうしたことが分かりにくくなったから誰でも知る設計者の名前が表に出てこないのかも知れません。


下はBBS13465ダブルタンゴさんのRA−5C傑作ショットのバックに聳え立つバッチャープラントから撮影されたと思われるハッチさんのショッキングフォト。(CHECKER TAIL2 121頁より)

背景に森、地上には雨上がりの道路信号待ちするスポーツカー、スクールバス。121の背中の塗装が薄暗い風景の中に浮かび、画面全体を引き締めていますね。
時代性も表現れていますし、見事な作品だと思いました。

あかつか 2021/06/10(Thu) 13:54 No.2063
Re: Atsugiの想い出
CHECKER TAIL2の掲載写真は機種別にまとめたものですが、トップは“ 私のアルバムから ”的写真を意識して掲載しました。上のハッチさんのEC−121もそうした意図から選んだ作品です。
下はP−2の紹介で使わせて頂いたKubotaさんの名ショット。
1966年の撮影ですから県道40号は舗装され、現在と余り変わりありませんが道路を走る車とSP-2Hが半世紀前の記憶を蘇らせてくれます。
モノトーンの画面が、飛行機写真を越えたところの感動を呼びますね。VP−1のSP−2H(YB)は、VP−2(YC)ととも岩国駐留最後のネプチューン。ベトナムでのミッションに忙しかったせいか、厚木への飛来は少なかったように記憶しています。

あかつか 2021/06/12(Sat) 21:55 No.2064
Re: Atsugiの想い出
スカイレイダーは自分の写真を使いました。
昔のA1ファンからの支持が高い写真なのですが、その理由はアングル。300mm以上の「長玉」が珍しかった時代ですからこのような角度の写真を撮ろうとすれば相当低くないと無理だったと思います。

1964年10月撮影ですのでレンズはまだ105mm。相鉄線とエンドの間の空き地に1メートルほどの土砂が盛ってあり、そこに登って撮ったとものです。下に写る木々はおなじみ「大和の森」。
写真でプロペラがキャノピーにかからなかったのも幸いでした。

あかつか 2021/06/14(Mon) 14:38 No.2065
Re: Atsugiの想い出
A3の扉はハッチさんのこの驚愕ショットです。
トライXのザラついた粒状が迫力に輪をかけています。
A3は時折信じられないくらいの超低空の離陸を見せてくれましたが、こうして前から捉えた写真は大変珍しいです。
撮影者の撮り方が光るショッキングフォトと言えましょう。

あかつか 2021/06/15(Tue) 19:41 No.2066
Re: Atsugiの想い出
A4は同じくハッチさんのVA−72。これも低い!!
1966年10月、CVA−42/F.Dルーズベルト入港に伴っての厚木飛来ですが、シスタースコードロンのVA−12と共に初来日。このときのVA−72は常に「一本タンク」で、入港中に撮られた写真の中で「一本」以外見たことがないのです。こうしたことは何か理由があるのでしょうね。

あかつか 2021/06/16(Wed) 23:28 No.2068
Re: Atsugiの想い出
A5はK.Itohさんの“シルエットビジラン”です。
ビジランティを敢えて逆光で撮るということは、多分タッチ&ゴーを何回も繰り返していたのでしょう。
うっすらですがNE704と確認できますが、古い海軍機マニアにとってはご存知の東京湾に墜落したNE704/148926ですね。

あかつか 2021/06/17(Thu) 20:15 No.2069
Re: Atsugiの想い出
じつは上の写真、AGCが会員制倶楽部だったころの会報8号の表紙を飾るはずだったのですが8号発行の前に会の活動が途絶え幻の表紙となってしまったのです。。

倶楽部の会報の表紙写真は各会員が1回は担当することになってました。写真は何でもよく各自に任せるわけですからUC−45JでもO−1Bでも良いのです。(輪番制のようなもの)
16名の会員がそれぞぞれ何を表紙にするのか毎回楽しみでしたが、会が二年ほどで解散してしまい全員には廻りませんでした。

あかつか 2021/06/17(Thu) 20:27 No.2070
Re: Atsugiの想い出
日本で「空飛ぶファントム」が見られなくなり、出版、イベント、モデル界ではちょっとしたブームが起こっています。
1999年発行CHECKER TAIL2でのファントムの扉に使わせて頂いたのはKubotaさんが19側で捉えたVF−142のF−4Bの離陸。
編集時、数百枚のF−4の写真を見てましたが、F−4の持つ迫力と魅力、そしてB型の特徴をこれだけ表したショットは他にありませんでした。
現在に於いても立派に通用する写真で、もしこの写真を専門誌の編集者が見ていたら使いたがるでしょうね。

あかつか 2021/06/19(Sat) 10:11 No.2071
Re: Atsugiの想い出
次のショットがまた凄い!。こちらはCHECKER TAIL2の表4(裏表紙)です。
90年頃、厚木のエンドでF−4のファンらしき読者に声をかけられこの写真の魅力を聞かされました。そのファンによりますと
『F−4の写真を長いこと撮ってきたが、同じような角度でもこの写真は微妙に違う』とのことでした。
ヒコーキ写真は偶然の積み重ねのようなところがあり、その偶然を手元の引き寄せるのはカンと技術。
よって飛行場と機体の特徴を熟知し、何遍も飛行場へ通って千載一遇のチャンスをモノにする。
「傑作」を作り上げるにはキャリアと集中力なのですね。

しかしながら、何度みても魅入ってしまうのは、この角度で機体の情報が全て読み取れることではないでしょうか。
特にVF-142 Ghostriders の電光が狭い空間の中に少しも欠けることなく写し出されているのは偶然もKubotaさんに味方しました。
B型の特徴である赤外線スキャナーも目立つし、203のモデックスが読めるのも一本タンクであったことが幸いしましたね。
この写真が今から53年も前に撮影されたとはとても信じられません。

あかつか 2021/06/19(Sat) 10:55 No.2072
Re: Atsugiの想い出
2071,2072の感動ショットはKubotaさんの愛用レンズ “ カスペコ400mmF6.3 ”で撮影されたとお察ししますが、カスペコと聞いて懐かしく思われる方は相当なオールドマニアでしょうね。

1960年代の中頃、一万円前後(当時の若者初任給の半分位)で400mmレンズが流通外ルートで入手できるとの情報が流れ、マニアの間で購入者が一気に増えました。
それまで300mm以上のメーカー純正レンズは余りにも高価過ぎて手が出なかったものですから、この一万円レンズはちょっとしたブームになったのです。

正規の流通ルートに乗らない海外輸出専門メーカーのようで、カスペコのほか、ボカマ、ルビカ、カルト、マレップ、全て同じレンズ。
名称が意味不明なところが如何にも怪しい感じがします。

同時並行してマニアのモノクロ使用フィルムがISO32(64で使用)のネオパンFから、ISO400のトライXになったのでF値も11位まで絞れ、メーカーレンズと遜色ないピントが得られるようになったのです。
同じように当時流通していたレンズのメーカーにコムラー、トキナー、タムロン、コミナー、サン、マイネタール、ソリゴールなどがあり、廉価なレンズを作っていましたが、現在残っているの会社はタムロンぐらいでしょうか。
私は当時9000円でソリゴール400mmF8を購入しましたが、その頃フィルムはカラー中心となっていたため、絞り開放で撮らざるをえず、周辺光量不足とシャープさに欠け、これと言った作品を残せませんでした。

下がソリゴール400mmF8です。(netより)
レンズは1群2枚、屈折率など無縁の世界。鏡胴の先端部にレンズが付いているだけで単純明快、中はがらんどう。長所はと言えばとにかく軽かった。

あかつか 2021/06/21(Mon) 00:01 No.2073
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