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Atsugiの想い出〜桜ヶ丘

ショートカットでRwy01へすべり込むVA−165(AH)のA−1H。次に着陸する機体も背後に迫っています。1962年10月1日 撮影:A.Ichijohさん。

O1側でのスカイレイダーの着陸には何回も遭遇しましたが、このようにショートカットで降りることが多く撮影ポジションをどこにとるかマニア泣かせでした。
あるときなど、中原街道に出てカメラを構えていたら、真上を通過され、泡食ったことがあります。

1962年10月の撮影とのことですが、大きな家が写っております。私が初めて01側に行ったのはNo1653の1963年2月5日で、この日農家の建物を見たかどうかの記憶はありません。以後撮影した写真には写っていませんので、何年頃まで建っていたのでしょう。気になるところです。
一軒の農家、灌漑用水引き込み土管、ガードボックス、史料好きの人には有難い写真ですね。

あかつか 2021/02/07(Sun) 23:27 No.1664
Atsugiの想い出〜桜ヶ丘
上と同日Ichijohさん撮影のVA−165/スカイレイダーのフライパス。
厚木基地における典型的なA−1の飛来姿で、このあと北側Rwy19エンドの上空あたりで編隊を解き、
上の写真で見られるようなショートカットで着陸するのがパターンでした。

この写真から先頭のAH500と4機目のAH507の間に遠近感があります。
カメラはセミ版のパール、レンズはヘキサー75mm。35mm換算ですと50mmぐらいでしょうか。標準ならではのショットですね。
当時はフライパスの高度がいかに低かったか。それだけエンジン音も近くで聴けるわけで、
こんなシーンに出くわすとマニアの興奮度は益々上がって行くのでした。
あかつか 2021/02/08(Mon) 18:01 No.1665
Re: Atsugiの想い出
上2枚のショットではスカイレイダーの塗装の全体像が分かりませんので、海軍機ファンには隔靴掻痒の感があるのではないかと、
NarisawaさんのコレクションからVA−165/AD−6/AH501/135340の素晴らしい着陸ショットをご紹介します。

スカイレイダーは時折キャノピーを開けて降りて来ることがあり、そんなパイロットの姿は荒馬を乗りこなすカウボーイのよう見えました。
あかつか 2021/02/09(Tue) 16:55 No.1666
Re: Atsugiの想い出〜桜ヶ丘
綾瀬スポーツ公園多目的広場目前の中原街道前の信号付近あたりにあった通称「ガードボックス」。
チャリンコで巡回している日本人ガードの休憩所or連絡所?
と言うか南西ゲートって呼ぶんでしょうか?
大東亜戦争時代にはこの付近に遊郭があったそうです。
当時は柵、金網等は無かったので、ゲート自体も存在していなかったかもしれません。
中原街道で写真を撮っていると時々「こら〜!撮るなッ!」と我々にとってはうるさい存在でした。
1970年1月の撮影でしたが、学生運動がまだ盛んな時期にしてはフェンスはしょぼいですね。
MACH3 2021/02/10(Wed) 15:29 No.1667
Atsugiの想い出

ひと月ほどお休みを頂きましたが、BBSUを本日より再開いたします。
今回は特に固定のテーマを設けず、あの頃マニアが何を思い、どんなことを楽しみながら飛行場へ通っていたのか?
「厚木黄金期」とよばれた“60年代”の出来事を写真と共に懐かしみます。言わば、厚木基地を巡る“よもやま話”ですね。皆さんお気楽にご参加ください。

写真は1963年3月25日、厚木基地南側の光景。灌漑用水用土管の盛り土の下は北風を防ぎ、基地を巡回するガードからも見つからないので、
01側でのマニアの溜まり場になっていました。写真に写っている人は当日一緒だった村越さん、のらひこさんが含まれているかも知れません。
エアバンドラジオも車も無い時代、この場所に腰を下ろし着陸コースの空を見つめながら飛行機談義にふける。これが60年代マニアの定番行動でした。

あかつか 2021/01/31(Sun) 14:52 No.1652
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
懐かしいですが、この土管にはお世話になりました
風よけにしたり撮影の足場にしたり、確か水は流れていなかったと思いますが

1963年2月5日の厚木01エンド
陽だまりで風をしのぎながら飛来機を待つ
左からのらひこさん、あかつかさん、T村くん、T中くん、Mori師匠
車も持っていないので飲み物と握り飯など携えて一日中粘っていた
当時はトイレもなく自販機もありませんから。最寄りの桜ヶ丘駅は無人駅でしたね
村越賢司 2021/02/01(Mon) 12:09 No.1653
Re: Atsugiの想い出
これまた懐かしい写真が出てきましたね。私のひたむきな姿勢が感じられます(笑)
かすかな記憶を辿ってみますと、確か前週あたりに「スカイナイトが厚木に来てるらしいぞ」と先輩から聞いてお仲間らと示し合わせて来たのでしょう。
こんな原始的な情報でもしっかりとスカイナイトは飛んでくれて、初めて見るRMのEF−10Bに狂喜したことを覚えています。
ほかにキティホーク/VAH−13のA−3B(GP)も撮れましたが、GPレターの珍しさが分かるのは、海軍機マニアとなった後年であり、そのときは単にA−3Bが撮れて嬉しかったぐらいの認識でしたね。

翌年2月、トップ画像の盛り土の溜まり場辺りから撮影したVF−24のF−8C(NE463/145566)。標準(50mm)ですとこんな感じに写りました。
時代の雰囲気はよく出ていますが、F−8ファンとしてはせめて135mmぐらいは欲しかったなあ。
あかつか 2021/02/02(Tue) 00:16 No.1654
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
私は厚木に行くのも2回目ぐらいで
スカイナイトがそんなに貴重かも解らなかった駆け出しさんでした

この日土管にたむろしながら撮った
1963年2月5日に厚木01エンド
マリンコのスカイナイト EF−10B RM5/125849
タクマー55mm激トリです
村越賢司 2021/02/02(Tue) 18:32 No.1655
Re: Atsugiの想い出
>村越さん
そのときのスカイナイトを見せていただき恐縮です。
さすが伝説のレンズと言われたオートタクマー55mmf2ですね。とても激トリには見えません。

写真見て気付いたのですが、レドームの下の汚れは硝煙の煤なのでしょうか。そうだとすれば電子偵察型(F3D−2Q)に改造された後も20mm機銃を備えていたことになりますね。
その辺りのことを詳しい人ご教授下さい。

1654と同じ日に降りて来たVF−111の“鮫口”付きのF−8D(NH111/148638)。厚木でススキを余り見なくなりましたが、当時は秋から冬にかけて01側も19側もススキの宝庫でした。
あかつか 2021/02/02(Tue) 23:38 No.1656
Re: Atsugiの想い出
おはようございます。
Atsugiの思い出ということで、1966年頃の画像です。
ニッピ横の未舗装の道路を南に向かい坂を上りきると視界が開け右側のフェンス越しに飛行機を見る事ができました。
中学生の頃はチャリンコのドライブコースで、このフェンス越しに飛行機を見るのが楽しみで日曜日に良く出かけましたが、車が通ると端に避け小石と砂ぼこりに悩まされた道路でした。
MACH3 2021/02/03(Wed) 07:00 No.1657
Re: Atsugiの想い出
>MACH3さん
この光景を見ますと徒歩での撮影の時代、01側に居て風が変わり19側まで歩いたときを思い出します。
正に「フェンスの向うのアメリカ」で、カメラを出すのを躊躇するほど怪し気な雰囲気があり、よほど珍しい機体が駐機してない限りフェンスを横目に大和側へ急ぎました。

ときには「超レア」機が駐機することがあって、このP−3もその一例です。
ホームベース名を書いた本邦初公開のP−3A、これは珍しいですよ。雑誌社でオライオンの本を出そうとすれば欠かせない写真でしょう。
1965年10月1日  撮影:N.Iguchiさん
あかつか 2021/02/03(Wed) 18:21 No.1658
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
冒頭のあかつかさんのNo.1652と同じ時の別角度ショットが見つかりました

1963年3月25日の厚木01エンドで、なぜか機体を追わずに仲間の撮影シーンを撮影していました
果たして何が降りていたのか?
土管の上で大胆に構えているのは多分のらひこさんでしょうか?
村越賢司 2021/02/03(Wed) 22:48 No.1659
Re: Atsugiの想い出
>村越さん
撮影日は違いますが、こんなフライパスを見上げていたのかも知れませんね。  1962.2.5 撮影:Moriさん

しばらく01側を舞台にした思い出話を続けますので、よろしくお願いいたします。
あかつか 2021/02/04(Thu) 16:19 No.1660
Re: Atsugiの想い出
60年代初期、マニアと01エンドの撮影ポイント周辺がよく分る写真が出てきました。
1652のトップ画像の“溜まり場”は、農家の人が中原街道から耕地(畑)へ降りるために造られた盛り土だったようで、
我々もここから上り下りしてました。
画面中央の木が伐採されたのは2〜3年前でしたね。記憶に残っておられるマニアも大勢いらっしゃるでしょう。
スカイホークはコーラルシーに派遣されていたVMA−324のA4D−2。 1960年12月1日 撮影:T.Tanakaさん
あかつか 2021/02/05(Fri) 15:37 No.1661
Re: Atsugiの想い出
上と同日Tanakaさんが撮影した土管とF8。
用水用土管を造って間もないころは、まだ雑草が茂ってないこともあって、中原街道から耕地への段差が分かります。その分工事は面倒だったと思われます。
クルーセイダーはVMF−251(DW)のF8U−1Eですが、エフハチの説明は置いといて、空と雲の状態がじつに良いことからTanakaさんは風景を意識してシャッターを切ったのでしょうね。
あかつか 2021/02/05(Fri) 16:05 No.1662
Re: Atsugiの想い出
着陸コースよりやや離れた東からのショット。1966年1月6日 撮影:Komiyaさん
KomiyaさんもTanakaさん同様、雪化粧した丹沢山塊の美しさを出すことを意識して撮られたのでしょうね。
画面下に土管の継続部らしきコンクリートの四角い構造物が写っています。
少しでも高い位置から撮りたいと思うのはマニアの気持ちですから、200mmを使い出してから時々ここに乗って撮影しました。(定員1名)
着陸機はVMA−311/WL12/152002ですね。海兵隊のA−4Eが初めて岩国に配備されたのが前年の1965年で、この時点ではまだ珍しく私的には撮りたかった飛行隊機でした。
あかつか 2021/02/06(Sat) 18:57 No.1663
厚木のフューリー 最終章

FJ-4/VU-5  Photo:K.Kumaki  1961.11.3

あかつか 2020/12/19(Sat) 11:48 No.1635
Re厚木のフューリー 最終章
300mmが要準レンズと言われるようになった現在、ランウェイエンドで着陸機を真下から狙うマニアはほとんど見かけません。
60年代初期では望遠レンズを中々持てなかったこともあって、上のようなアングルの写真を撮る人がけっこう居たようです。
かくいう私も何回か挑戦したものの、標準レンズで真下から撮ろうとすると、スピードが速すぎて画面に収めるのは難しく、
とても上のKumakiさんのフューリーのようにはいきませんでした。
引退した機体の下部の写真を撮ることは不可能に近いので、今飛んでる飛行機を真下から撮っておきましょう。将来きっと役に立つはずです。
あかつか 2020/12/20(Sun) 23:30 No.1636
Re厚木のフューリー 最終章
同じフューリーと名が付いても、4型と3型の違いが下の写真によって分かります。
「平面図で分かるよ」と言えばそれまでですが、実感が伴なう写真の方が断然イイですね。  1961年3月28日   撮影:Moriさん
あかつか 2020/12/20(Sun) 23:47 No.1637
Re: 厚木のフューリー 最終章
>あかつかさん、

サウスウェストのハートマークを撮りたくて下から撮ったことはありますが、確かに作例のように下から仰ぐ写真はなかなか撮りませんね。次はJALの”アマビエ”でも狙いますか。
徳永 2020/12/21(Mon) 16:18 No.1638
Re厚木のフューリー 最終章
>徳永さん
JALのアマビエ、来年の何月頃まで撮れるのでしょうか?なるべく早いうちに消してもらいたいものです。(願い)
おそらく将来語り草になろうマーキングですから早めに撮っておくべきですね。
あかつか 2020/12/21(Mon) 23:31 No.1639
Re厚木のフューリー 最終章
今手許にありますVU−5のフューリーの写真の中で、私が「ピカ一」のショットと思うのが下の着陸写真です。
午前10時〜11時頃、RW19へ進入するFJ−4を「大和の森」あたりで撮ったのではないでしょうか。
エンジングレイの胴体の上部に流れる光のライン、地上からの反射光が翼下を照らす姿は、5〜60年代の厚木の空がいかに澄んでいたかを物語っています。  1962年4月4日  撮影:Narisawaさん
あかつか 2020/12/21(Mon) 23:54 No.1640
Re厚木のフューリー 最終章
「この角度ではテールレターとビュー・ローナンバーが見えないではないか!」とおっしゃる方も多かろうかと思います。
が、航空機の持つカッコウの良さを写真に残そうとすれば、どうしても尾翼が隠れてしまう「斜め前」の角度となってしまうわけです。

下は厚木の01側にてショートカットで進入着陸するショットだと思いますが、「ナンバー好き」の人はこちらの写真を支持するでしょうね。
番号をとるか・・角度をとるか・・海軍機ファンにとって永遠のテーマかもしれません。
  1961年9月25日  撮影:Narisawaさん
あかつか 2020/12/22(Tue) 18:35 No.1641
Re: 厚木のフューリー 最終章
数字や文字の話になったので、手元の写真と記録から[UE−3]を追ってみました。
半世紀以上前の海軍機のビューローナンバーとモデックスに関心のある人はごく一部だと思われますが、マニア史料として捉えていただければ幸いです。

↓上のUE−3はNo.1611で紹介済みのShimozatoさんの写真から抜き出した1959年1月10日の139507。2年後1961年2月27日に撮影されたときにはガルグレイからエンジングレイに塗り替え、UE−7となっていました。 撮影:Moriさん
あかつか 2020/12/24(Thu) 01:12 No.1642
Re厚木のフューリー 最終章
No.1604で紹介しました横田へ降りるUE-3/139462の撮影日は1960年5月5日。
↓Ohnoさんが厚木で撮られた日が1960年8月31日。汚れが目に付くぐらいで外見上は変わっておりません。
あかつか 2020/12/24(Thu) 18:14 No.1643
Re厚木のフューリー 最終章
7ケ月後の1961年3月28日、UE-3はFJ-3D2/135842に代わっていたのです。 撮影:Moriさん
あかつか 2020/12/24(Thu) 18:38 No.1644
Re厚木のフューリー 最終章
ではガルグレイ塗装のFJ-4/UE-3/139462は、どうなったのでしょう。
Narisawaさんが1961年2月8日に139462を撮影されたときにはUE-8に変更されていました。元UE-3を示す“3”が胴体後部に残っていますね。
あかつか 2020/12/24(Thu) 18:53 No.1645
Re厚木のフューリー 最終章
UE-8の1年後、1962年1月30日にはエンジングレイになってました。と、いうことはVU−5のFJ−4のガルグレイ塗装が見られたのは1961年までと言ってよいでしょう。   撮影:Moriさん 羨ましくなるほどの素晴らしいショットです。
それにしても良く分からないのは、1960年〜61年当時、VU−5になぜガルグレイ機が一機混在していたのか?。
私ら世代のときのF8U−1では逆にガルグレイの中にエンジングレイ(UE−16)が一機だけで、そのUE−16も後にガルグレイに塗り変えています。そんなことを知る資料はおそらく無いでしょうね。
あかつか 2020/12/25(Fri) 19:01 No.1646
Re: 厚木のフューリー 最終章
VU−5のFJ−4が日本で唯一公開されたのは、1960年5月21日のジョンソン三軍記念日でした。この日は横田の公開が重なり、それを知る少数の先輩マニアは二か所の基地の掛け持ちとなったのです
午前はジョンソンに“開門ダッシュ”で展示機を拾い、急いでで横田へ駆け付けるという強行軍。そんなハードな撮影でもさすがTSPCの先輩方は、FJ−4をはじめ、展示機はしっかりと写真に収めていました。

下はKumakiさん撮影のFJ−4。背景の建物とパイロットの風情が50年代のジョンソン基地が活写されていて、在日米軍機マニアにとってはじつに有難い写真ですね。
あかつか 2020/12/27(Sun) 11:45 No.1648
Re厚木のフューリー 最終章
こちらは同日、Gabariさんが撮られたFJ−4。Gabariさんは当時オリンパス・ワイドという広角(35mm)専用カメラをよく使っておられたので、このショットはワイドカメラで撮られたようです。
右に写っているF−86Dは横田から飛来した40FISの司令機、後ろのWV−2はVW−1/TE、ほかにVF−92のF3H−2/NGや初公開のF8U−2/NGも展示されていますから、横田への掛け持ちするのにも後ろ髪ひかれるような状況だったでしょうね。
あかつか 2020/12/27(Sun) 11:46 No.1649
Re厚木のフューリー 最終章
Watanabeさん撮影の標準45mmでの写真。良く練られた画面構成で、基地公開時での手本になるショットですね。

三名の先輩方が撮られたジョンソンでの写真を紹介させて頂きました。こうして並べてみますとTSPCというクラブがフォトサークルであり、皆さん飛行機のみならず写真家としての目を持っていたことが分かりますね。
あかつか 2020/12/27(Sun) 11:53 No.1650
Re厚木のフューリー 最終章
今回のフューリー特集にて機種別スレッドを終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

機材整備のためしばらく休みをいただき来月下旬ごろから再開いたします。
現代の航空機には触れず、昭和時代のヒコーキたちと“寫眞”をテーマに進めて行こうと思っています。
引き続き皆さま方からのご投稿をお待ちしています。
あかつか 2020/12/27(Sun) 12:10 No.1651
厚木のフューリー・最終章

ありし日のVU-5の面々   Photo:T.Watanabe 1961.10.13

あかつか 2020/12/13(Sun) 10:56 No.1618
Re:厚木のフューリー・最終章
富士山バックに撮影するフォトミッションからのお帰りなのでしょうか。
私が厚木へ行き出してからのVU−5のジェットはF8Uだったのですが、レシプロ機(UB-26J・US-2C・RC-45J)と絡んだ異機種編隊には
一度も遭遇しませんでした。
滅多に見られないであろう編隊から奏でるR2800×6発とJ65×3発の混成音は、二度と聴けない感動的な音だったに違いありません。
大空に響き渡るFJ−4とJD−1の大音響、この感動は飛行機ファンにしか分からないでしょうね。
  
あかつか 2020/12/13(Sun) 11:56 No.1619
Re: 厚木のフューリー・最終章
>あかつかさん、
その1967年のオリスカニーの航海はベトナム戦争中における最悪の損害を出した事で有名ですね。“Bloody Sixteen”と言う本が出るくらいで、一線にあった122日間で航空団の半数近い39機を失い、20名の乗員が戦死または行方不明となり、7名が捕虜となっています。VA-163はVA-164と同じく10機(AH300/303/304/306/310/311/312/313/315-152028/315-150086/)が戦闘で失われ、2機が事故で失われています。
トンキン湾に派遣される前の67年7月21日に撮ったAH-301 149964は生き残りましたが、
徳永 2020/12/14(Mon) 16:14 No.1620
Re: 厚木のフューリー・最終章
67年12月22日の撮影では痛々しい姿になっていました。
徳永 2020/12/14(Mon) 16:16 No.1621
Re: 厚木のフューリー・最終章
皆様、VU-5の編隊に触発された参考写真を貼らせて頂きます。1956年5月21日MAG-11のCOCでイーストランプ上空を飛ぶMAG-11の編隊です。数えるとF3D×16機、F2H-2P×4機、FJ-2×8機、AD-6×8機の計36機となります。何故MAG-11にADスカイレーダーの疑問が残りますが。
BATMAN 2020/12/15(Tue) 16:39 No.1622
Re: 厚木のフューリー・最終章
続けてF3Dスカイナイトの後続のF2H-2P,FJ-2とAD-6の航過です。
BATMAN 2020/12/15(Tue) 16:44 No.1623
Re:厚木のフューリー・最終章
>徳永さん
VA−163のA−4Eをカラーで2度も撮っていたのですか!。67年12月22日の“痛々しいセインツ”の写真は当時AGCメンバー何人から見せてもらいましたが、7月21日の方は初めてです。ライトブルーのシェブロンが綺麗でいいですね〜。羨ましい限りです。

>BATMANさん
これまた驚きの大編隊!。式典のようですが何だったのでしょう?。気になります。
AD−6もMAG−11だけの式典だとすると不自然ですが、海兵隊のイベントなら当時岩国に配備されていたVMA−331『VL』のAD−6の可能性もありますね。
いずれにしても大変貴重な写真であることは間違いありません。ありがとうございました。
あかつか 2020/12/15(Tue) 17:30 No.1624
Re: 厚木のフューリー・最終章
1969年1月14日に厚木に飛来したVA-163のA-4Eです。
これが最後のVA-163だと思います。
VA-163は帰国後A-6Aに改編する予定でしたが解散してしまいました。
MACH3 2020/12/15(Tue) 17:46 No.1625
Re: 厚木のフューリー・最終章
MAG-11のAD-6の件ですが1956年2月の関東地区米軍電話帳のNAS Atsugi-MAG-11のページにVMA-251 Detの存在が載っていました。当時の航空情報の厚木探訪の写真にALのスカイレーダーが載っていましたね。
BATMAN 2020/12/15(Tue) 19:37 No.1626
Re:厚木のフューリー・最終章
>MACH3さん
VA−163の最後の姿は貴重な写真ですね。VA−163そのものの写真が、net、専門誌とも少ないのは、
飛行隊自体の活動期間が短かったからでしょう。
1962年から1969年迄たった7年間、しかも使用機はA−4BとA−4Eだけという、マニアにとっては“伝説”の範疇に入るような
飛行隊であったと言えるのではないでしょうか。

生写真が手許にないのでCHECKER TAIL3からの転載になりますが、Yasuhikoさんが撮られたA−4Bを張らせていただきます。
この写真が撮られた1963年11月のオリスカニー入港時では、F−8とデモンはよく飛びましたが、A−4は飛来数が少なかったのか、
厚木で撮影したVA−163、164のA−4Bの写真は余り残されておりません。個人的に非常に撮りたかった飛行隊機です。
あかつか 2020/12/16(Wed) 13:59 No.1627
Re:厚木のフューリー・最終章
>BATMANさん
スゴイ資料をお持ちなんですね。しかもアっと言う間に「一件落着」。
航空情報1956年7月号の厚木基地ルポの写真と記事は、かつて何回も読みましたが、VMA−251のAD−6の写真は
記憶からスッポリ抜けておりました。
あらためてそのルポ写真を見直しましたら、イイ写真が出ているではありませんか。
思い出せなかったのは『AL』のテールレターに馴じみなかったせいなのかも知れません。後のVMF−251の『DW』なら
バッチリ記憶に残ったと思います。(言訳笑)
写真左の『WU』も『DB』に変わってますし、ホントに1950年代マリンコのテールレターには毎度混乱いたします。
あかつか 2020/12/16(Wed) 14:33 No.1628
Re: 厚木のフューリー・最終章
BATMANさん提供の写真は凄いですね〜
異機種大編隊! 現代ではもう夢でも見られない世界です

VA-163を3枚ほど出させていただきます
撮影は徳永さんが撮られた7月と12月の間、11月27日でした
この時は横須賀に6日から15日(米時間?)入港しており、確かFly-Offだったと思います
以下はJF.B氏のH.Pから
AH300/152003はこの航海では生き残ったようですが1969.08.13 VA-144時に事故損失
AH313/150073は1991.10.02 VF-126時に損失
ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:01 No.1629
Re: 厚木のフューリー・最終章
AH306/151154は1967.06.10 VA-212でB.H.Rでダメージを受けたようですが無事となっていますが??
ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:02 No.1630
Re: 厚木のフューリー・最終章
ラストは
AH310/150061とAH312/150006は判りませんでした
徳永さん、失われたそれぞれのB/No.ってわかります?
ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:05 No.1631
Re:厚木のフューリー・最終章
>ダブルタングさん
オリスカニー時代のVA−163のA−4Eを撮る最後のチャンスだったのですね。しかも快晴。機体の汚れも無く“絶品”のあでやかさ!。
このときのフライオフ情報は私のところへは届きませんでした。
聞いてたら仮病を使ってまでも撮りに行ったのに・・・残念です。

>徳永さん
VA−163のパイロットの中で最も有名なのは大統領選挙でオバマと争った共和党のジョン・マケインですが、マケインがベトナムで落とされたときの機体は分かりますか?ひょっとしたら厚木に来てたかも知れないと思いまして。
あかつか 2020/12/17(Thu) 09:51 No.1632
Re: 厚木のフューリー・最終章
1963年12月に撮ったVA-163のA-4B 142917ですが、残念ながらテイルレターは描かれていませんでした。今見ると方向だのリブも青に塗られていたようですね。

>ダブルタンゴさん、
これまたきれいに撮られていますね。1967年の航海で失われたVA-163のA-4EのB/Nは;

AH300-149959 671026
AH303-150131 680105
AH304-149961 670725
AH306-150116 671022
AH310-149975 670831
AH311-149963 671024
AH-312-150097 670720
AH313-150052 670804
AH315-152028 670831
AH315-150086 671025

日付は各機の損失日です。

>あかつかさん、
マケインの撃墜された時の搭乗機はAH300-149959でした。余談ですが彼は1967年7月29日のフォレスタル火災の際、VF-11のF-4Bのズーニーロケットを受けたA-4の前に居たVA46のA-4E AA416(B/Nは不明)に搭乗していて間一髪で難を逃れています。
徳永 2020/12/17(Thu) 10:23 No.1633
Re: 厚木のフューリー・最終章
>徳永さん
なるほど、なるほど、 
この11月の横須賀入港時は、大激戦後の補充機で組まれていたのですね
納得
何も貼らないのもなんなので、同日のエフハチを
ダブルタンゴ 2020/12/17(Thu) 11:58 No.1634
私のアルバムFJ-4G

FJ-4 (VU-5/UE3/139462) Photo:T.Watanabe

あかつか 2020/12/06(Sun) 19:29 No.1604
Re: 私のアルバムFJ-4G
BBSUフューリーの最終章は“われらのUE”VU−5です。
1960年5月5日、横田の箱根ヶ崎トンネル上で撮影したWatanabeさんの傑作。
標準レンズ(45mm)でフューリーが撮れるという夢のような撮影ポイントでした。

この頃厚木は滑走路延長工事中でVU−5はジョンソンへ移動してますから、ジョンソンから飛んできたのでしょうね。
空母が横須賀に入港すれば、艦載機は横田で訓練し、本来なら厚木に飛来する海軍・海兵隊機も横田へ集結するという、1960年の横田はヒコーキ写真マニアにとって正に「ユートピア」でした。

私が最後にトンネルの上で撮ったのが1965年の夏でしたが、何年頃までトンネルに登れたのでしょうか?
マニアの間で望遠レンズが普及し出し、望遠では距離が近すぎ機体の全体像が写せなくなったので敬遠したのか?60年代後半にトンネル上で撮影された写真を余り見ませんね。
あかつか 2020/12/07(Mon) 19:09 No.1605
Re: 私のアルバムFJ-4G
1960年3月15日、ジョンソンで撮影されたフューリーの貴重なショット。 撮影:Narisawaさん

VU−5のFJ−4は1960年のジョンソン三軍記念日で公開展示されてますので、そのときの写真は多数残されていますが、
“外撮り”写真は大変珍しい。
と、言うのは当時ジョンソンへ行くマニアは少なく(B−57が主なので)、戦闘機系がガンガン飛ぶ横田の方が人気があったからです。
あかつか 2020/12/07(Mon) 19:39 No.1606
Re: 私のアルバムFJ-4G
あかつか様、素晴らしい企画と解説を何時も懐かしさ一杯、あの時代を切り取った皆さんの写真と共に胸に迫る思いで拝見しております。さて一月まえのNo.1562の10月8日のFJ-2 WU-1のコメントにここは厚木か追浜かと有りましたがこれが撮られたのは1955年12月新設された日本飛行機の厚木整備工場の初号機のロール・アウトの写真と思います。手元に日本飛行機が撮影した同じ機体の反対側からのショットが有りますので参考のために貼らせて頂きます。前年エルトロから輸送空母で横須賀に搬入されたWUは当時の常道でバージで木更津に運ばれコクーンを剥がされて厚木に配備されたと思われます。当時の追浜はNAF OPPAMAとして海軍の管轄でしたが滑走路は米陸軍の朝鮮からの軍用車両の置き場に転用され使用できずNAFと言いながら海軍は飛行艇とバージで搬入された航空機の保管が任務で広大なエプロン地区は海兵隊のMAG-16(H)のHRS-2(H-19)の2飛行中隊HMR-162と-163が阪神補助基地から移駐して使用していました。従ってFJ-2の離陸はまず不可能と思われます。1960年代に入って空中給油によるトランスパックが確立されるまでは横須賀或いは横浜経由バージでの木更津搬入が確立されていましたので。
BATMAN 2020/12/08(Tue) 21:39 No.1607
Re: 私のアルバムFJ-4G
続いての参考写真です。1955年ごろのイーストランプのMAG-11の列線です。WUだけでも25機ぐらい居たことがモデックスから推測されます。当時は事故も多く記憶に残っているのは1956年2月3日総武線新小岩駅付近に墜落したFJ-2の事です。私が学校からの帰路総武線に乗っていると駅北側上空をスリングを下げ飛ぶ海兵隊のHRS-2と現場と思われる付近の薄くたなびく煙が見えました。帰宅後米軍機墜落を知りましたが当時は東京・川崎・横浜の上空での海兵隊機の戦闘訓練は常態化しておりこの事故も問題となりましたがまだまだ進駐軍(占領軍)への遠慮が現在のようなデモを伴う大問題化しなかった様に思います。
BATMAN 2020/12/08(Tue) 22:14 No.1608
Re: 私のアルバムFJ-4G
>BATMANさん
『WU』のFJ−2の新情報と丁寧な補足説明、ありがとうございます。日本への配備は初めてのことですし、時代的にもフューリーは新鋭機。
それこそカメラを持っている人たちは皆さん記念撮影したのでしょうね。その雰囲気は写真からも伝わってきます。

そして、H&MS−11のF2H−2!。驚いて椅子から転げ落ちそうになりました(*_*;)BATMANさんのコレクションに脱帽です。
CHECKER TAIL4にも掲載したかったですね。今後もよろしくお願いいたします。
あかつか 2020/12/08(Tue) 23:54 No.1609
Re: 私のアルバムFJ-4G
オオ!ニッピの写真ですか?我々の世代にはニッピはマボロシの工場でした。洗い場からも見えないし、入って出てくるのを見るだけでしたよ!凄い写真が出てきたものです。もっと見たいです。
のらひこ 2020/12/09(Wed) 17:04 No.1610
Re: 私のアルバムFJ-4G
1959年1月10日、RW01へ進入するUE−3/139507とUE−8(後方) 撮影:Shimozatoさん
撮影ポイントは滑走路工事前の旧中原街道の路上。雑木林、畑、荒れた道路、これが60年前の厚木基地・桜ヶ丘側です。
建物(工場や民家)が写ってないと、どう撮っても飛行場らしさが出てイイ写真になるのです。
あかつか 2020/12/09(Wed) 23:40 No.1611
Re: 私のアルバムFJ-4G
上と同日午前中でのショット。UE−7/139522。こちらからの背景は私らでも良く見た記憶があります。

当時のVU−5のFJ−4のBu.Noを調べてみますと元H&MS−11[TM]から流れた機体が多いですね。
また、1959年以前に撮影されたVU−5のFJ−4にエンジングレー機の写真を見たことがないので、受領当初はすべて通常の海軍機塗装(ガルグレイ&ホワイト)だったのではないでしょうか。
テイルレターが斜めに書かれているのも、当時のVU−5/FJ−4の特徴です。
あかつか 2020/12/10(Thu) 00:03 No.1612
Re: 私のアルバムFJ-4G
1960年8月、Komiyaさんが捉えた珍しいガルグレイ機とエンジングレイ機の編隊離陸。
私が厚木へ行き出したときにはVU−5のFJ−4は全てF8U−1に転換されていたので、離陸どころか着陸をも見るができませんでした。
ヒコーキ写真マニアの中には、見たことのない飛行機に対し、全く興味を示さない人と、見られなかった飛行機(特にタッチの差で)に強いコダワリを持つ人と分かれるようです。(7:3ぐらい?)私は断然の後者ですから、FJ−4、F11F−1、F9F−5KDなどへの無念の思いが未だに消え去らないから始末におえません。

だいぶ以前、ワールドフォトプレスの西村さんが「厚木に頻繁に通っている頃、ダナンにはまだスカイナイトが居たのに厚木へは飛んで来なかったなあ」と寂し気な口調でおっしゃっていました。そのとき、西村さんも“寸での未見機”にコダワリを持つ方だったんだと思いました。
あかつか 2020/12/10(Thu) 19:39 No.1613
Re: 私のアルバムFJ-4G
1950年代に撮られた厚木のFJ-4,日本の風景や空と雲には明らかにアメリカで撮られたそれと違いなんとも言えない味が有りますね。ペンサコーラの国立米海軍航空博物館の保存機WT-1です。ここの保存機の塗装はオリジナルに近いので好感が持てますね。
BATMAN 2020/12/10(Thu) 21:06 No.1614
Re: 私のアルバムFJ-4G
>BATMANさん
ペンサコーラ航空博物館の他の展示機もNetで見ましたが、現役時代への塗装を忠実に再現しているようですね。
それに比べ、基地のゲートガードには中途半端な意味不明の塗装が多々見られ、
海軍機の塗装に興味を持つ者にとって何とも言えぬ淋しさを感じます。(写真はネットより)
あかつか 2020/12/11(Fri) 14:08 No.1615
Re: 私のアルバムFJ-4G
あかつかさん、ご無沙汰しています。
ゲートガードが出てきたので、ノースアイランドの正門、ストックデール・ゲートに飾られていたストックデール中佐(当時)のA-4E。といってもその機体、A-4E VA-163 AH352 151134は1965年9月9日、北ベトナム軍に撃墜され中佐は捕虜にあっていたため、別の機体148516が使われていました(ちゃんとB/Nを表記する海軍はまじめですね)。
徳永 2020/12/12(Sat) 10:29 No.1616
Re: 私のアルバムFJ-4G
>徳永さん
VA−163のA−4E、これなら納得です。それぞれ施設の責任者によって塗装に対する考え方が違うのでしょうね。
件のAH352/151134は厚木へは多分来てないと思います。1965年7月のオリスカニー入港の際、VA−164のA−4Eは厚木で数機目撃しましたが、VA−163の方は一機も確認できませんした。この年にマニアが撮影したVA−163の写真も見たことがありません。

VA−163のA−4Eは当時の厚木マニアの間で撮りたいA−4の内のひとつであったから1967年11月に初めて私たちの前に現れたときは本当に嬉しかったですね。(写真はCHECKER TAIL2より)
あかつか 2020/12/12(Sat) 19:04 No.1617
私のアルバムFJ-4F

FJ−4 フライパス    

あかつか 2020/11/17(Tue) 19:09 No.1581
Re: 私のアルバムFJ-4F
135mmで撮影されたと思われますが、地上からの高度が50年代のエンドの状況を表していますね。
機体はおそらくVMF−451。この絶好の光線状態に『VM』のフューリーの着陸写真は素晴らしいプリントに仕上がったことでしょう。 撮影:Todaさん

少年時代の1950年代に川崎の中心部で過ごしてましたが、スモッグによる灰色の空は臨海部の工業地帯だけで、真夏の晴れた日には山間部のような群青色の空に浮かぶ純白の雲が見られたものです。
私が本格的に飛行場へ行き始めた1960年代の中ごろから晴れていても霞がかった“抜け”の悪い空の日が多くなり、カラーで撮ると誰が見ても厚木で撮ったことが分かるような色具合に写りました。

少年の頃見ていた『紺碧の空』をイメージし、画像の空を染めてみましたが、近年こんな空を拝める日は滅多にありませんね。
あかつか 2020/11/17(Tue) 23:41 No.1582
Re: 私のアルバムFJ-4F
どこまでも澄みきった空をバックにH&MS−11のフューリーが滑り込む。
撮影:1958年7月17日、TSPC・Fukuiさんの作品。
あかつか 2020/11/18(Wed) 23:22 No.1583
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年5月、横田に着陸するH&MS−11/FJ−4の珍しい写真。
Nakasatoさんの撮影で日付は不明ですが、横田三軍記念日で展示するための飛来だとすると5月16日かも知れません。
あかつか 2020/11/29(Sun) 23:42 No.1590
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年5月18日、TSPCのFukuiさんが横田三軍記念日で撮影された上の写真と同機。写真をよく見ますとカメラアングルを低くとっており、画面構成へのこだわりを感じさせるショットですね。生写真が無かったのでCHECKER TAIL3から転載しました。
あかつか 2020/11/29(Sun) 23:52 No.1591
Re: 私のアルバムFJ-4F
同じく横田三軍記念日で撮影されたTSPC・Tanakaさんの後ろからのショット。右のフューリーはノーマークの303ですが、同年ジョンソン三軍記念日にホーネット/ATG−4/VF−94のFJ−3Mが展示されているので、おそらくシスタースコードロンであったVA−214のFJ−4Bと思われます。この部隊、3ケ月後に解隊されていてマニア的には貴重なのですが、ノーマークのせいか、写しにくいとろに展示されていたのか、ガッチリ撮った写真が余り残されていないようです。
あかつか 2020/11/29(Sun) 23:55 No.1592
Re: 私のアルバムFJ-4F
こちらは前年の1957年5月17日、厚木三軍記念日に展示された『TM』のFJ−4。
ホワイトベルトの中に画くクローバーの塗装で浮かぶのはVMF・VMFA−333[DN]“シャムロックス”ですが、『DN』のクローバーは緑で『TM』のほうは黒。モノクロではその違いがよく判りませんね。どちらにしてもマニア好みの塗装と言えます。

Kondohさんが撮られたこの写真、木製の低いピケットフェンスがいかにも当時のアメリカの基地らしく、団塊世代以上の方たちには懐かしさを感じさせてくれるでしょう。
スカイナイトから観客を見下ろす制服の兵士も、50年代三軍記念日の様相を著わしていますし、スナップ写真として秀逸な作品だと思います。
あかつか 2020/11/30(Mon) 23:12 No.1593
Re: 私のアルバムFJ-4F
当時、FJ−4と共に『TM』レターのTV−2(T−33B)も飛んでいましたが、こちらは複座ですので用途を使い分けていたと思います。
このTV−2の後継機がF9F−8T(TF−9J)で、私たち世代が厚木へ行き出した頃、いつも見ていたものの記憶が薄いのです。
それは多分標準レンズ1本では良い写真が撮れなかったせいでしょうね。
下の写真ように“カド”を廻るシーンを200mmで撮れたら“8Tクーガー”の印象も違っていたのかも知れません。
1963年10月4日 撮影:Moriさん
あかつか 2020/12/02(Wed) 00:01 No.1594
Re: 私のアルバムFJ-4F
尼崎市の写友、R.Nakajima氏が1964年5月30日、伊丹で撮影した新明和伊丹工場へ向かうTF−9J/TM3の素晴らしいショット。
右に写り込んでいる全日空のDC−3がこの写真の時代背景を表していますね。
“TF”とは言え、いわゆるFighter系の航空機が伊丹に飛来することは滅多になかったので、伊丹のマニアたちはTF−9Jに特別な思いがあったようです。
あかつか 2020/12/02(Wed) 23:44 No.1595
Re: 私のアルバムFJ-4F
TMクーガートレーナーの#2,3が出ていましたので#1を。撮影日はわかりません
geta-o 2020/12/03(Thu) 14:59 No.1596
Re: 私のアルバムFJ-4F
>geta-oさん
インシグニアホワイトの地に蛍光オレンジを纏った“8Tクーガー”は軍用機らしからぬ美しい塗装でしたね。
私がカラーフィルムを使い出した頃は、蛍光オレンジを外されたホワイト一色か、ガルグレイと下面ホワイトの通常の海軍機仕様で、
このようなカラフルなTFー9Jをカラーで撮れませんでした。
あかつか 2020/12/03(Thu) 19:06 No.1597
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年12月29日、厚木RW01へ進入するH&MS−13のFJ−4。 撮影:Komiyaさん
H&MS−13『YU』が、1958年10月から翌年2月まで、厚木へ展開していたのを知るのはCHECKER TAIL4で、MACH3さんがまとめた「厚木基地駐留の航空部隊」を見てからです。
『YU』の厚木展開は短期であったうえ、ランウェイエンドで写真を撮るようなマニアがほとんど居なかった時代ですから、この『YU』のフューリーの着陸写真は“超”レア写真と言えましょう。Komiyaさんのネガからこのコマを発見したときは本当に驚きました。
あかつか 2020/12/03(Thu) 23:24 No.1598
Re: 私のアルバムFJ-4F
no1598にはビックリしました。中原街道は何処なの??1956年の航空写真を見ると、なんと今の中原街道の多分100mは北側で撮影なさってたんですね!!接地直前の写真ですもんね!!よくぞショアポリスに捕まらずに済みましたね。
のらひこ 2020/12/04(Fri) 20:46 No.1599
Re: 私のアルバムFJ-4F
こちらも驚いたH&MS−17のFJ−4フューリー。
かつて同部隊のAD−6スカイレイダーの写真が出てきたときもビックリしましたが、FJ−4も使用していたとはこの写真を見るまで知りませんでした。バックにF2H−3バンシーが写っていますね。多分1957〜8年の岩国三軍記念日でのショットではないでしょうか。古いプリントのため画調がいまひとつの感がありますが原版は良さそうなので、ネガを拝見したいところです。それでも「時代」は十分表現されていますから岩国基地の史料として一級の写真だと思います。(Manabeさんのアルバムより)
あかつか 2020/12/05(Sat) 00:13 No.1600
Re: 私のアルバムFJ-4F
>のらひこさん
1598の撮影ポイントはランウェイ・エンドのすぐ近くの農道脇からのようですね。
撮影者のKomiyaさんはショアーポリスに捕まっています。カメラ(友人から借りたローライ・フレックス)は没収されましたが一週間後、現像したフィルムと共に返してくれたそうです。
私も一度「捕らわれの身」となり、01エンドの端にあった小さなガードの休憩所に連行され取り調べを受けた経験があります。カメラは没収されませんでしたが、フィルムは抜かれて返却されませんでした。(VMA−225/CEのA−4Cが写っていたのに〜;)
ショアーパトロールのフォードF100の助手席に乗ったマニアはたぶん私だけでしょうね。 

↓1962年厚木三軍記念日にてNarisawaさん撮影
あかつか 2020/12/05(Sat) 18:30 No.1601
Re: 私のアルバムFJ-4F
ハハハ!Narisawaさん、F‐100迄撮ってるんですか?私は発売したばっかりのエコノラインのワンボックスのNAVY BLUEが好きでしたね。兎に角基地の中の何でもが面白かった時代ですね。
のらひこ 2020/12/06(Sun) 14:45 No.1602
イベントのご案内

11月21日(土)より11月23日(月・祭)まで岩国市民文化会館にて「飛行艇の歴史とその活躍」と題した展示会が予定されてます。
今年は日本で飛行艇を運用してから100周年にあたり、航空専門誌では特集記事の連載が見られますが、一般向けの記念イベントは初めて。
岩国市は世界に冠たる新明和US−2の基地があり、国による飛行艇ミュージアムの実現を要望しております。

あかつか 2020/11/14(Sat) 23:48 No.1575
Re: イベントのご案内
運が良ければSP−5Bマーリンの水上タキシングが撮れるというので、初めて伊丹へ遠征した際、甲南へ行ってみたところ、SP−5B(SG)はエプロンでエンジンを回すのみで動く気配がなく、代わり?にUF−XSのテストフライトを撮影することができました。
UF−XSは甲南で何回かのテスト後、ベースを大村に移しましたので、この日(1963年9月16日)撮影できたことは僥倖としか言いようがありません。
あれから57年。生まれ変わったUS−2の関連イベントに参加することになり不思議な巡り合わせを感じています。
あかつか 2020/11/14(Sat) 23:52 No.1576
Re: イベントのご案内
この写真はオフィシャルでは有り得ない貴重なものですね。広い画角で、作業の方たちも動きが良く判り、公式写真のツマラナサの対極です。しかし高一位の時に、東京から来た少年がものにするとは凄いラッキーな事ですよね。
のらひこ 2020/11/16(Mon) 07:42 No.1577
Re: イベントのご案内
そんなわけでUF−XSに対する強い思いがあって、そのとき見た新明和甲南工場での出来事を写真とモデルで表現できないかと、三年前
下記の皆さまのご協力により再現してみました。

パネル写真の撮影は小生。レンズは、のらひこさんの135mm。ジオラマ製作はまさやんさん。
水を張ったプールづくりは村越さん。そしてUF−XSのモデルは浪速の名匠、高見保市先生。
あかつか 2020/11/16(Mon) 22:08 No.1578
Re: イベントのご案内
“水モノ”でしたので展示は1度きり。
発表後、パネル写真は新明和東京本部、モデルは甲南工場ゲストルームの入口に飾られています。
あかつか 2020/11/16(Mon) 22:30 No.1579
Re: イベントのご案内
ソリッドならではの1/50。素晴らしい出来ばえでした。
あかつか 2020/11/16(Mon) 22:35 No.1580
Re: イベントのご案内
海上自衛隊の協力による企画展「飛行艇の歴史とその活躍について」が、11月23日、無事終了いたしました。コロナ禍での開催でしたが、2日半で300人ほどの見学者が会場に見えましたので、平時でしたらそうとう混雑したのではないかと思われます。
個人的には海自の71空のパイロットよりUS−2に関する話を直接聞けたこと、岩国のエンドで写真を撮られている方々が大勢見えられたことが嬉しかったです。
あかつか 2020/11/25(Wed) 22:16 No.1585
Re: イベントのご案内
パイロットはまだ20代とお若い。久々にしっかりしている青年に会って頼もしく思いましたね。
あかつか 2020/11/25(Wed) 22:20 No.1586
Re: イベントのご案内
展示会が終了した翌日、数十年ぶりに岩国基地のエンドに行ってみました。周辺の環境は大きく変わっていたものの、周囲の山々や河川、海、そしてテイジンの工場など昔と変わらない光景が広がっており、若き日の自分を一瞬思い出してしまいました。
あかつか 2020/11/25(Wed) 22:23 No.1587
Re: イベントのご案内
私が初めて岩国へ遠征したのは1966年5月22日の岩国三軍記念日。
このときはランウェイサイドには柵もロープも張られてなく、自由なポジションで撮影できました。

アサヒペンタックスSV/タクマー200mmF3.5/コダクロームKX
あかつか 2020/11/25(Wed) 22:28 No.1588
私のアルバムFJ-4E

AGC版 私のアルバムから(上)より 〜 「フューリーの編隊着陸」 撮影:大野芳希  1959年8月7日

あかつか 2020/11/02(Mon) 19:28 No.1552
Re: 私のアルバムFJ-4E
【写真解説】
ランウェイ19に着陸するVA−212ランパントレイダーズのFJ−4B(NP202/201)。
画面右上に左側にブレークする別のFJ−4Bをしっかり写し込んでいて奥の深い作品だ。
NP202はこの頃まだ練習空母になる前のUSSレキシントンに載ってクルーズを行っていた。
2020/11/02(Mon) 20:27 No.1553
Re: 私のアルバムFJ-4E
↑トップ写真の次のショットだと思いますが、撮影年が1959年ということで海軍機らしい塗装が施されていません。
ですが、マニア的にはVA−212のフューリーが日本で撮影されたというだけで恐れ入ってしまうのです。  撮影:Ohnoさん
あかつか 2020/11/02(Mon) 21:02 No.1554
Re: 私のアルバムFJ-4E
VA−212[NP]のFJ−4Bは、F9F−8Bの後継として1958年にレキシントン/CVG−21で1961年6月まで展開しましたが日本で撮られた写真は少なく、厚木での写真も今回紹介しましたOhnoさんのものしか見たことがありません。

その後、VA−212はA4D−2と交代した後、厚木へも飛来していますが、私ら世代マニアは『NP』のA4D−2を撮っていないと思います。何人かの先輩マニアたちはRampant Raiders のインシグニアを描いたスカイホークをモノにしており、B型だけにちょっと悔しいですね。 ↓撮影:Moriさん 1963年10月4日
あかつか 2020/11/04(Wed) 18:38 No.1556
Re: 私のアルバムFJ-4E
ご無沙汰です。
ハンコックのA4D-2が出てきたので私も1枚
1963年の撮影ですが月日はわかりません。
geta-o 2020/11/04(Wed) 21:01 No.1557
Re: 私のアルバムFJ-4E
>geta-o さん
垂直尾翼の先端とエンブレムの下に画かれたリボンの色が分かるのもカラーならではですね。よくぞ撮っておいてくれました。ありがとうございます。

下は1962年6月11日、戦艦マニアの大御所Kaminouさんが撮影した神戸港に停泊中のハンコック。VA−212のA4D−2が撮りやすい場所に置かれています。
ここでの注目は、何とVAが3中隊(VA-212・A4D-2/VA-215・AD-6/VA-216・FJ-4B)で、しかも機種が異なるという構成。FA−18だけの現在とは大違いですね。このようなときに厚木のエンドへ通いたかったなあ。
あかつか 2020/11/05(Thu) 18:12 No.1558
Re: 私のアルバムFJ-4E
私がVA−212と初めて出会ったのは1965年5月4日、何の前触れもなく降りてきたA−4E/150083でした。ベトナムで戦火の中をくぐってきたのか、10回の出撃を示すマークが機首に描かれています。

VA−212のA−4Eはその後も何回か撮影する機会はありましたが、写真の機体はハンコック搭載時のもので多分『NP』のA−4Eとしては
厚木初飛来だったと思います。何事も“はじめて”というのは強く印象に残っているものですね。
あかつか 2020/11/06(Fri) 14:16 No.1559
Re: 私のアルバムFJ-4E
Kondohさんが撮られたVMF−334のFJ−4。1957年1月から厚木で首都圏の防空任務に就き、そのときのテールコードは『MX』。1957年6月に写真の『WV』に変わり、翌年F8U−1を受領してテールコードを『WU』とまたまた変更。F−8は日本に来なかったけれど、1970年頃、F−4Jで岩国に1年間駐留したので撮影されたマニアも多かろうと思います。
あかつか 2020/11/08(Sun) 00:08 No.1560
Re: 私のアルバムFJ-4E
1957年5月19日、羽田で開催された最後の三軍記念日に現れた『WV』のFJ−4。 撮影:T.TANAKAさん。
VMF−334/FJ−4の写真にも驚かされますが、撮影地が何と羽田ですよ。羽田空港の史料を見れば米軍機が居てもおかしくありませんが、
こうして実際の写真を見てビックリ仰天するのは私だけではないでしょう。スゴイ写真記録です。
あかつか 2020/11/08(Sun) 00:27 No.1561
Re: 私のアルバムFJ-4E
日本に初めて駐留したフューリーは1954年10月、航空機運搬艦で本国から追浜へ運ばれ、厚木のMAG−11に配属されたVMF−235『WU』のFJ−2でした。
下の写真はManabeさんのコレクションからの紹介ですが、ネットや専門誌等では胴体と尾翼に赤いバンドに白い星が画かれている完全塗装機の写真がよく出ています。
この“中撮り”の写真では、空軍同様ベアメタルの無塗装で、いかにも日本に到着して間もない雰囲気が漂っていますね。果たして場所は厚木か、追浜か?、気になるところです。
あかつか 2020/11/09(Mon) 00:15 No.1562
Re: 私のアルバムFJ-4E
1956年11月3日、Shimozatoさんが厚木で撮影したVMF−235のFJ−4。
CHECKER TAIL4にも掲載されてますが、あらためて調べてみますと、このFJ−4、大変貴重な写真であることが分かりました。

日本初登場の『WU』のFJ−2は1954年10月、追浜へ上陸。すぐ厚木へ配備され首都圏防衛にあたっていましたが、1956年8月、新潟基地(Niigata Air Base)へ移動。その2ケ月後10月に後継機のFJ−4が到着し、一カ月ほど新潟基地でFJ−2と機種転換訓練をしてFJ−2は日本を離れます。交替した『WU』のFJ−4は、そのまま新潟基地で防空任務を引き継ぎ、1957年1月、厚木に戻ってVMF−334[MX](後の『WV』)に機体を渡し部隊(人員)は帰国。このような動きから鑑みますと、『WU』のFJ−4が厚木で見られた期間はじつに短かったと思うのです。(Netで調べても写真らしい写真は見つからなかった)
あかつか 2020/11/09(Mon) 23:59 No.1563
Re: 私のアルバムFJ-4E
1963年2月、厚木に駐留していたVMF(aw)451[VM]のF8U−2Nを引継いでテイルレターを『DB』に書き替えたVMF(aw)235[DB] Death Angels がMAG−11の傘下に入りました。
『WU』のFJ−4が本国へ帰国して6年、この頃のヒコーキ写真マニアの知識はまだ薄く、VMF−235のテイルレターが『WU』から『DB』になったことを知る人は、ほとんど居なかったと思います。
ですので、塗り直したばかりの“DB”のテイルレターを遠方から見て、“ゼロハチ”と読み違えたという笑い話が残っています。

下は1964年1月6日、01側からの編隊着陸ですが、私はまだ“標準時代”でしたから、この程度の写真が精一杯。
あかつか 2020/11/11(Wed) 00:30 No.1564
Re: 私のアルバムFJ-4E
こちらは師匠のショット。  撮影:Moriさん 1963.10.8
私がこのような写真を撮れるようになったとき『DB』はF−8Eになっていました。
E型の塗装は尾翼やベントラルフィンの“星”の数が増え、双方を較べるとD型のほうがデザイン的には優れていると思います。
D型の『DB』を望遠レンズで撮りたかったなあ。
あかつか 2020/11/11(Wed) 00:43 No.1565
Re: 私のアルバムFJ-4E
DBのF-8Dが出てきたので北側からの#1の着陸
撮影日不明です。
geta-o 2020/11/11(Wed) 09:00 No.1566
Re: 私のアルバムFJ-4E
DBのクルーセイダーね〜〜〜
WSと一緒になって良く飛んでましたね。
クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!1963年9月24日。
この日はホントに良く飛んだ日でした。
誰と一緒だったかなんかは覚えてませんが、とにかくバラエティ良く飛んで満足感一杯で帰ったのを覚えています。
のらひこ 2020/11/11(Wed) 09:26 No.1567
Re: 私のアルバムFJ-4E
>geta-oさん
再びカラーですね。畏れ入りました。
これでDB−1のF−8Dの左右面が揃ったことになりますね。これからモデルを作ろうとする人には大変参考になると思います。

>のらひこさん
「クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!」・・そのお言葉、ごもっとも。ですが、僕のカメラは50mm。望遠レンズを使い出したのは1964年5月からなので『DB』の離陸を撮るのは間に合いませんでした(悔涙)

下のDB4/150317はMAG−11が厚木から居なくなってからのもので、いわば外来機。白いノーズ『DB』のF−8Eは大変珍しく、塗装もきれいなことから多分ニッピで塗装した後にダナンへ向かったと思われます。1966.1.11
写真は、当時からモノクロの仕上げ技術が高かったYokooさん。
露出が余りない夕刻に並んで撮ったのですが、仕上がりは私より断然良かった。よって、Yokooさんの写真を貼らせていただきました。
あかつか 2020/11/12(Thu) 00:39 No.1568
Re: 私のアルバムFJ-4E
あかつかさん
↑のDB4,150317の8か月後の姿です
戦地からの帰還ですかね すごい汚れ方です
鼻も黒くなっています
ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 15:54 No.1569
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
ベトナム帰りを撮っていたんですか。アングルもほぼ同じですし、時間経過した姿との比較が興味深いです。
垂直尾翼の“流星”の上にもナンバーが追加されていますね。
いずれにしても『DB』の塗装はF−4よりF−8のほうが良く似合い、未だ人気があるのが分かります。
あかつか 2020/11/12(Thu) 19:07 No.1570
Re: 私のアルバムFJ-4E
チョット脱線ですが、このB/N150317、前年の65年時はDR4でした
ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 22:31 No.1571
Re: 私のアルバムFJ-4E
またまた蛇足、できたない画像ですが70年にはJ型で飛来しましたね。
確かこの機体は最後まで寿命を全うしたかと。
ダブルタンゴ 2020/11/12(Thu) 22:52 No.1572
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
記憶に残るビュアーナンバーというのがありますよね、このゼロサンイチナナ(150317)も頭の中の片隅にインプットされてます。理由は、部隊は変われど厚木で見慣れた“おなじみ”のナンバーだったからでしょう。
個人的には、56511(ATSUGI/VC−54S)とか51129(UE/RC−45J)が忘れがたい番号なのですが、皆さま方にも幾つかの番号の記憶があるのではないでしょうか。

それにしましても「クルーセイダーはやっぱり離陸でしょう!!!」・・・(納得)
あかつか 2020/11/13(Fri) 18:33 No.1573
Re: 私のアルバムFJ-4E
>ダブルタンゴさん
おかげさまで50年ぶりにB/Nを確定できました!
徳永 2020/11/13(Fri) 20:46 No.1574
私のアルバムFJ-4D

RW19へ進入するFJ−4(WS)   撮影:大野芳希 1958年

あかつか 2020/10/27(Tue) 18:51 No.1539
Re:私のアルバムFJ−4D
フューリーは見たこともないし、1958年に19エンドへ行けるはずもなかったのですが、写真を見つめていると「懐かしさ」を感じてしまうのは、
若いころ厚木へ通い詰めていた60年代前半エンドの光景と記憶が重なるからでしょうね。
60年代も後半になると地上に民間の工場や団地が写るようになり、こうした情緒的な写真は撮りずらくなりました。
あかつか 2020/10/28(Wed) 19:10 No.1540
Re:私のアルバムFJ-4D
こちらも同様、どこか記憶にあるような錯覚を起こさせるのは、手前に電線が入っているからですね。私たち世代のマニアも電線が写り込む写真を何回か撮っているはず。
ですが、大きな違いはこのショットは45mmであること。今では情緒的な写真を狙うか、空撮のプロぐらいしか飛行中の写真を標準レンズで撮る人は居ないでしょう。初秋の流れる雲をバックに捉えたFJ−4の離陸。この遠近感が現代のヒコーキ写真に無い魅力となってます。
1957年9月 撮影:kondohさん
あかつか 2020/10/28(Wed) 22:50 No.1541
Re:私のアルバムFJ-4D
同じく1957年にKondohさんが撮影した大和側、午前中での着陸。トリミングはしてますがこれも45mm。
滑走路が短かったとは言え、いったい何処で撮ったのでしょうね。

VMF-323/VMF(AW)-323/VMFA-323と、『WS』は日本のマニアにとって身近な感じのするテールコードですが、FJ−4を撮っているマニアは少なく写真は貴重。しかしながら、基本塗装はいつの時代でも変わらないので、『WS』コードのフューリーに愛着が湧いてしまうのは私だけでしょうか。
モデックスの前に 毎度おなじみのDeath Rattlerが描かれていますね。
あかつか 2020/10/28(Wed) 23:19 No.1542
Re:私のアルバムFJ-4D
低い離陸を標準レンズで撮影。この時代、135mm一本あればどこの基地行っても充分だったことが良く分かります。
 1957年11月 撮影:Kondohさん
あかつか 2020/10/29(Thu) 23:41 No.1543
Re:私のアルバムFJ-4D
やや高目の着陸を標準レンズで撮影。 1958年7月18日 撮影:Fukuiさん
あかつか 2020/10/29(Thu) 23:43 No.1544
Re:私のアルバムFJ-4D
上と同日、そうとう低い着陸を標準レンズで近づいて撮ったフューリー。撮影:Fukuiさん
カメラは、6×6判二眼レフや6×9判プレスカメラで有名だったマミヤ光機の35mmカメラで、このカメラの特徴は標準レンズが48mmであること。レンズはマミヤセコールのF:2(または1.9)のじつにシャープなレンズでした。
かつてWatanabeさんが「標準時代に1mmでも余計に欲しかった」との談を耳にしたことがありますが、同じ着陸を45mmと48mmで撮ったとき、画面に写る機体のサイズに若干の差を見たからではないでしょうか。ここでの3ミリは大きかったのです。

生写真が見つからず、CHECKER TAIL3 78ページに掲載されたものをスキャンしました。フォトショップでモアレを除去しますと、
粒状はともかく、何とか写真らしく再現できるものですね。
あかつか 2020/10/31(Sat) 00:04 No.1545
Re 私のアルバムFJ-4D
VMF−323は1958年9月にはエルトロへ帰りF8U−1に機種転換してますので、『WS』のフューリーは厚木での駐留が最後だったのですね。
日本のマニアは『WS』の1型クルーセイダーを見ることはなく、1962年1月、レキシントン/CVG−14の第2スコードロンで来日したF8U−2でした。
私の“初厚木”は1962年の8月ですから、この大変貴重なCVGの“WS”クル−セイダーは残念ながら撮っておりません。
↓1962年1月23日 撮影:Moriさん
あかつか 2020/11/01(Sun) 00:06 No.1546
Re:私のアルバムFJ-4D
団塊世代マニアの『WS』のF−8と言えば、1963年6月から1964年6月まで厚木のMAG−11に配属されたときのF−8E。
CHECKER TAILシリーズ出版の際、数十枚のプリントを見ましたが、下の村越さんが撮影されたWS4はピカ一のショットですね。
135mm主流の時代、こうした写真はそう簡単に撮れませんでした。

上のF8U−2(F−8C)の垂直尾翼のダイヤが5個画かれてますがF−8Eは3個。ベントラルフィンには9個に対し5個と、F−8Eに機種変更してからバランスのとれたデザインとなりました。
あかつか 2020/11/01(Sun) 00:30 No.1547
Re:私のアルバムFJ-4D
下の『WS』の6機編隊は1964年の三軍記念日で村越さんが撮られた写真ですが「何か違うな?」と思われた人は、60年代での写真活動に相当熱心だった方ですね。
じつはこのショット、横田三軍記念日におけるデモ飛行なのです。一週間前の厚木三軍記念日での編隊デモは、正午ごろに行われたことから光線はトップ気味で、順光状態でのこのような美しい写真は撮れませんでした。

5月17日の横田三軍記念日当日は、横須賀で英空母ビクトリアスが公開される情報があり、それを知るマニアは午前中横田で展示機を撮影した後、早々に横須賀へ移動。よって午後のベスト時間帯に飛んだ『WS』のF−8Eのデモ飛行は撮れなかったのです。
あかつか 2020/11/01(Sun) 23:15 No.1548
Re: 私のアルバムFJ-4D
横田三軍記念日でMoriさんが横須賀へ出陣する前に撮られたカラー(さくら)を紹介しVMF−323『WS』を終了します。
あかつか 2020/11/01(Sun) 23:23 No.1549
Re: 私のアルバムFJ-4D
皆さん こんばんは
横田三軍2度目となる64年は大好きだったクルセーダーが2機も展示、その内一機は一番の2NE! あの頃は部隊なんて何も知らず、ただエフハチが撮れることに大興奮、Aardvarks"のファントムなんて一枚も写していませんでした
コダカラーですが何とか色が...
ダブルタンゴ 2020/11/02(Mon) 17:54 No.1550
Re: 私のアルバムFJ-4D
200mmでしたが一機は画面から切れてしまいました
ダブルタンゴ 2020/11/02(Mon) 17:56 No.1551
Re:私のアルバムFJ-4D
>ダブルタンゴさん
さすがコダック、半世紀以上過ぎても色が残っているではありませんか。というより、カラーで『WS』のF−8Eを撮ったダブルタンゴさんが羨ましい。
1964年の横田の三軍記念日はキティーホークのCVW−11[NH]のA−1H,A−3B,F−4B,F−8Dが展示され、ほかにF−100D,RF−101C,F−102A,空自のF−86D、F−104、T−1Aなどなど、マニアにとっては充実感のある公開日でしたね。

ぼくらは、展示機を撮ったあと移動の電車の中で、のらひこさんらとF−8Dの機首に描かれたシャークティースの話題になり「歯がインテイクというのはわかるけど、眼の位置がおかしいよなあ」なんてことを話したのを思い出しました。
あかつか 2020/11/03(Tue) 10:52 No.1555
私のアルバムFJ−4C

雪の日の翌朝    撮影:中川安正 1959年

あかつか 2020/10/18(Sun) 23:26 No.1521
Re: 私のアルバムFJ−4C
Nakagawaさんは、50年代後期から横田、立川、厚木で活躍されたTSPCの大先輩で、日本で数少ないF2H−3バンシーの着陸を撮っておられる第一世代のヒコーキ写真マニアです。
作品の傾向は記録より絵画派で、当時の航空情報「私のアルバムから」にも入選されています。カメラはタロンVR、レンズはタロナー45mm固定式。偶然ですが同じく絵画的作品を得意とするWatanabeさんの標準時代のカメラもタロンVRでした。
厚木基地拡張前のランウェイエンドのすぐ近くで撮影されたのでしょう。今の基地周辺では決して真似のできないカメラアングルですね。
この低さですからフューリー撮影後JP−4の排ガスを体いっぱいに受けたに違いありません。
あかつか 2020/10/19(Mon) 00:05 No.1522
Re: 私のアルバムFJ−4C
この光量から推察しますと、雪は相当残っているようです。少し露出オーバー気味ではありますが、フューリーの翼面積の大きさがよく分かる貴重なショットですね。  撮影:Nakagawaさん
私も何回か降雪の当日や翌日に体験してますが、思い通りの写真に仕上がったことがありません。大体がアンダーで、それを意識しすぎると今度はオーバーになってしまう。あの幻想的な美しい世界をモノクロのプリント焼き付けることはできませんでした。
あかつか 2020/10/19(Mon) 23:12 No.1523
Re: 私のアルバムFJ−4C
no1523本当にUコンのべニアの板で作った翼のようですね。86の翼面積の何パーセント増しなんでしょうか?
給油プローブにはびっくりしますね。これではヘルメット付けたパイロットはキャノピーに顔をどんなに近づけても、ドローグとの接合は見えないはずです。その時はヘルメットを脱ぐんでしょうか?
なんか少年の初めての時みたいですね。「はい、入ったわよ」
のらひこ 2020/10/20(Tue) 18:10 No.1524
Re: 私のアルバムFJ−4C
>のらひこさん
「入ったわよ」はベトナム戦争時KC−135からのF−105への給油シーンをKC側から写した写真が有名ですが、“注油”はどうしても人間の行為と重ね合わせてしまいますよね。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%20F%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%95%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%20%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=
あかつか 2020/10/20(Tue) 23:14 No.1525
Re: 私のアルバムFJ−4C
1958年12月29日、1485で紹介しましたVMF-212[WD]と共に写されたVMF−232のFJ−4。 撮影:Komiyaさん
手前に写る柵は着陸コースに当たる範囲のみ低く、そこ以外は通常の高さのフェンスでした。この柵の低さは滑走路が短かったことから安全性を考えてのことだったのでしょうね。写真を撮るには有難いことですが、基地内からは丸見えで逃げ場はなく、危ない撮影ポイントだったのは間違いありません。
あかつか 2020/10/20(Tue) 23:52 No.1526
Re: 私のアルバムFJ−4C
滑走路へ向かうFJ−4/WT18。
この写真でKomiyaさんの立ち位置がよく分かります。“エンド”で撮影というのは正にこの事ですね。
ここが厚木であるのが信じられない光景。例えカメラを持たなくとも1日中居ても飽きない夢のようなポイント。
あかつか 2020/10/21(Wed) 00:17 No.1527
Re: 私のアルバムFJ−4C
上の写真の12日後の1959年1月10日、Simozatoさんが桜ヶ丘側で撮影したVMF−232のFJ−4。
無風状態だったのか春霞のようなモヤが丹沢にかかっています。1月らしい風が強く吹いていれば真っ白な富士山と丹沢山塊が背景となり、それこそ「額縁モノ」の写真になったはずですがうまくいかないものです。

すでに剥がし終えたのか、上の写真に見られる垂直尾翼の赤い三角マークは画かれていませんね。部隊塗装を施さない海軍機化は、すでに始まっていたのかも知れません。
あかつか 2020/10/22(Thu) 22:33 No.1528
Re: 私のアルバムFJ−4C
VMF−232[WT]のフューリーは1959年3月に退役、F8U−1に機種転換しますが、日本のマニアが初めて[WT]のクルーセイダーを撮影したのは、1962年、オリスカニーに積んで厚木へ飛来したF8U−1E(F−8B)でした。
撮影された人たちは胴体中央に描かれたデビルの絵に大変興味を持ちましたが、当時、それがVMF−232のスコードロンマークであることを知る人は少なかったと思います。(私の周辺には居なかった)
ヒコーキ写真マニアが、海軍、海兵隊の飛行隊に関する歴史やマーキング、ニックネームなどを知り得るようになったのは、Naval Aviation Newsのほか、関連洋書を購読しはじめた1960年代の半ばぐらいからと記憶しています。

下は1962年10月2日、西の空に薄雲がかかる淡い光の夕刻、Rwy19へ向かうF8U−1Eを捉えたTSPCのSugiuraさんのショット。
ムードある良い写真ですね。こうした様々な表情を見せてくれるのが、ガルグレイ&ホワイトのいわゆるハイビジ海軍機だったのです。
あかつか 2020/10/23(Fri) 23:29 No.1529
Re: 私のアルバムFJ−4C
1962年に初来日した[WT]のF−8も、しばらくは日本のマニアとは縁うすく、4年後の1966年9月に岩国のMAG−12に配備されたF−8Eまで待たなければなりませんでした。
写真は「伝説の66年コーラルシー入港」翌日の9月1日、岩国への移動の際、厚木へ立ち寄ったときのショット。 コダクロームKX使用
あかつか 2020/10/23(Fri) 23:51 No.1530
Re: 私のアルバムFJ−4C
no1530!!いい写真ですね〜〜さすがに場屋のご主人としては、どうだとは言えないでしょうから、常連として、喝采を送ります。垂直尾翼にしっかり光が回ってるのが秀逸ですね。胴体への光も当たり方も、太さ感を良く出していますよ。素晴らしい。
しかし、翼を持ち上げる金棒の細いこと!!しかし、考えてみれば、後退翼なんで、揚力中心は翼本体のヒンジより後ろにあるのかも知れませんね。だから受ける力は持ち上げる力より押しつぶす力なのかも知れません。豊中の巨匠はどう考えますか??
それから、NO1523の写真を眺めていたら、右翼フルフラップ、左翼は少し上げ気味なのに気が付きました。つまりエルロンとして使ってる!!ということは当然両翼フルフラップで降りてきて、途中で、左翼フラップを少し上げたということなんでしょうが、これって左が前に出て、右が上がるということになりますね。滑走路センターに入る常套手段なのかしら?
のらひこ 2020/10/24(Sat) 11:36 No.1531
Re: 私のアルバムFJ−4C
>あかつかさん
私も大大大拍手です(^。^)
絶妙な日の当たり方、そしてクルーセイダーの最もカッコいい斜め後ろ!
コダクロームの発色も素晴らしいですね
とてもリアルです

追伸
このWTのエフハチにはまるでついてなく上りにいれば降りてくる!降りにいれば上がっていく!、で最後まで撮れませんでした(-_-;)
ダブルタンゴ 2020/10/24(Sat) 15:15 No.1532
Re: 私のアルバムFJ−4C
>のらひこさん
>ダブルタンゴさん
お褒めの言葉をありがとうございます。当日よほどコンデションが良かったのでしょう。カラー、モノクロとも結構イイ写真が撮れました。
あの頃「心」「技」「体」が揃うときなど1年に何日もなかったし、しかも相手が天気と時間、一発勝負の外来機とくれば、もはや『偶然』でしか
ありえません。うまく嵌ったなあというのが実感ですね。そこがプロとは違うところです。
あかつか 2020/10/24(Sat) 18:24 No.1533
Re: 私のアルバムFJ−4C
ヒコーキ写真界のパイオニアのShomozatoさんが1956年11月3日に厚木19エンドで捉えたVMF−451、テールコード“AM”のFJ−4。
[AM]のフューリーもたいへん貴重な写真なのですが驚くのは1956年に、お住まいの名古屋から厚木基地へ来られたということ。戦後まだ11年しか経っておらず庶民が生活圏から離れる余裕はなかった時代。そんな中、厚木のエンドでフューリーをはじめバンシー、スカイナイト、そして名作「カットラスの離陸」まで写真に納めるという、Shimozatoさんは正に日本のヒコーキ写真界のパイオニアと言えましょう。

1956年がどんな年だったか。日本が国連に加盟、フルシチョフがスターリン批判、国内の大人は「太陽の季節」を読みふけり、こどもたちは「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」に熱中。流行歌は「哀愁列車」「りんご村から」「愛ちゃんは(太郎の)お嫁に」などなど。
そんな時代に厚木でヒコーキの写真を撮るのは、相当世の中の先に行けてた人ですね。
あかつか 2020/10/24(Sat) 19:40 No.1534
Re: 私のアルバムFJ−4C
「世界の傑作機 FJフューリー」によるとVMF−451のテールコードが“AM”から“VM”に変更されたのは1957年6月と記されていますが、57年の横田三軍記念日にVM10が展示されてますので、史料と実際の違いでしょうね。
「塗りたてのほやほや」だったからか、わざわざ横田へ展示に来たのでしょう。モデラーさんがお喜びになるような綺麗な塗装ですね。  撮影:S.Nakasatoさん
あかつか 2020/10/25(Sun) 18:39 No.1535
Re: 私のアルバムFJ−4C
“VM”のフューリーも1959年には部隊塗装を塗らなくなってます。ですが、サイドワインダーを抱えた写真を見ると、かえって塗ってないほう迫力があるような気がします。
今回の特集で日本で撮影されたフューリーの写真をまとめて見たところ、サイドワインダー(実弾)を両側に装備した写真は↓この一枚だけでした。 1959年4月29日 撮影:Todaさん
あかつか 2020/10/25(Sun) 19:13 No.1536
Re: 私のアルバムFJ−4C
“VM”のフューリーが厚木で見られたのは1959年11月までですから、厚木で離着陸の写真を撮ることができたのはTodaさんはじめ、大先輩マニアだけで、私ら世代マニアは当然間に合いませんでした。

VMF-451(VM)はエルトロに移動した後、1962年1月23日にトランスパックで新鋭F8U−2N(F−8D)が厚木へ到着します。
下の写真は、配備間もない1月30日に撮影したMoriさんの“作品”。

CHECKER TAIL5にも掲載してますが、印刷はトーンが薄すぎ不本意でしたので、あらためて紹介いたします。いかにもネオパンFタッチの写真で、懐かしく思われる方も多かろうと思います。
あかつか 2020/10/26(Mon) 23:05 No.1537
Re: 私のアルバムFJ−4C
[VM]のF8U−2Nの厚木到着時では、後に見られる胴体や尾翼の帯は描かれてなく、テールコードのみの無塗装に近いものでした。下のような塗装となったのはいつ頃からでしょう。私が[VM]を初めて見た1962年8月には「完成形」となっていました。

私を含む団塊マニアたちはまだ中学生だったので、下のような写真を撮れた人は居ないはず。ヒコーキは何とか間に合いましたが、望遠レンズは間に合わなかった。という無念さが未だ心に残っております。

写真はNomuraさんが1962年10月に捉えた離陸ショットです。着陸写真では主翼先端の塗装が写らないことが多いので、レアな角度の写真だと思います。このようなVMのクルーセイダーを撮りたかったなあ。
あかつか 2020/10/26(Mon) 23:57 No.1538
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