三軍記念日 65
65年厚木三軍記念日【外撮り】
Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/26(Tue) 17:28 No.2330
前出のT野さん、Y彦さんと「外撮りをしてみよう」との提案に乗り、展示機を一通り押さえた後01エンドへ移動しました。
離陸は押しなべて低かったものの、手持ちの望遠レンズが105mmでしたので、この程度の写真しか撮れませんでした。
村越さんの基地内“激トリシリーズ”にもみられるように、200mmもあれば見える世界もずいぶん違うものになた筈ですが、
まあ、それを言ったらキリがありませんね。
それでも日常では見られないような画が撮れたことに「中」くらいの喜びはありました。
離陸は押しなべて低かったものの、手持ちの望遠レンズが105mmでしたので、この程度の写真しか撮れませんでした。
村越さんの基地内“激トリシリーズ”にもみられるように、200mmもあれば見える世界もずいぶん違うものになた筈ですが、
まあ、それを言ったらキリがありませんね。
それでも日常では見られないような画が撮れたことに「中」くらいの喜びはありました。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/26(Tue) 17:47 No.2331
こちらも105mmで、ほとんどトリミングなしですから、会場内のエプロンから撮影する距離より近付けたたことは確かです。
ファントム2中隊、クルーセイダー1中隊を擁したMAG11が厚木に常駐していたことを知る人も少なくなりました。
1965年の三軍記念日は、この3中隊が揃ってデモ飛行した最後の年だったのですね。いま思えば花火大会の最後の「打ち上げ」のようなもので、
サービス満点!キッチリ撮っておきたかった。
ファントム2中隊、クルーセイダー1中隊を擁したMAG11が厚木に常駐していたことを知る人も少なくなりました。
1965年の三軍記念日は、この3中隊が揃ってデモ飛行した最後の年だったのですね。いま思えば花火大会の最後の「打ち上げ」のようなもので、
サービス満点!キッチリ撮っておきたかった。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/26(Tue) 18:25 No.2332
01エンドに行く前にエプロンで撮っていたVU−5のDF−8F。
F−8AがDF−8Fに改造されたのはいつ頃かははっきり分かりませんが、1965年中にはVU−5のF−8Aは、改造されたDF−8Fと交代しました。
F−8AがDF−8Fに改造されたのはいつ頃かははっきり分かりませんが、1965年中にはVU−5のF−8Aは、改造されたDF−8Fと交代しました。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/26(Tue) 19:05 No.2333
01エンドで[WF]のデモ飛行を撮って基地内へ再び戻ったら、これ以上望めないほどの好天気。
NJのレターを消した跡がうっすら残るノーマークのF−8D。
後方に見えるのは2機展示されたファントムの内の1機、WFの17。とても良い光線状態なのに1枚も撮らなかったのは、WFはいつでも撮れたからかも知れません。
NJのレターを消した跡がうっすら残るノーマークのF−8D。
後方に見えるのは2機展示されたファントムの内の1機、WFの17。とても良い光線状態なのに1枚も撮らなかったのは、WFはいつでも撮れたからかも知れません。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/26(Tue) 19:37 No.2334
ワイドレンズを持つと、ついこうしたアングルの写真を撮りたくなりますが、カメラの引き場があるときは、わざわざワイドを使うことはないですね。
35ミリでもこれだけのデフォルメ感があるのですから地上で写すヒコーキに適したレンズは、せいぜい40ミリぐらいまででしょう。それより焦点距離が短くなると、どうしても画面に不自然さが残ります。
特に超ワイドレンズで撮った写真を何枚も見せられると、頭の中の感覚がおかしくなりますね。
35ミリでもこれだけのデフォルメ感があるのですから地上で写すヒコーキに適したレンズは、せいぜい40ミリぐらいまででしょう。それより焦点距離が短くなると、どうしても画面に不自然さが残ります。
特に超ワイドレンズで撮った写真を何枚も見せられると、頭の中の感覚がおかしくなりますね。


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/27(Wed) 11:26 No.2335
>あかつかさん、
35mmショットのクルーセイダーは「顔つき」が魅力的に強調されて好みです
左後方に 「WF17」が写っていますね
私も管制塔前のショットの他に反対面の#18しか撮っていませんでした
VMFA−513のF−4B (WF18/152245)
35mmショットのクルーセイダーは「顔つき」が魅力的に強調されて好みです
左後方に 「WF17」が写っていますね
私も管制塔前のショットの他に反対面の#18しか撮っていませんでした
VMFA−513のF−4B (WF18/152245)


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/27(Wed) 11:29 No.2336


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/27(Wed) 17:17 No.2347
>村越さん
撮影後、半世紀を越えたサクラカラー、いい感じで色が残ってますね。特に105のアルミナイズド・ラッカーの色合いがリアルで“プチ感動”いたしました。
2337は105の脚の高さがより強調されたスナップ写真ですね。この様な写真をもっと撮っておきたかったと思いますが、その頃はそこまでの余裕は無かったです。
こうした写真は年月が経つと高い価値が出てきますので、じつに惜しいことをしました。
2345の「F102と子供たち」では子供の身長ですと102の翼の下を立って歩けるのですね。これも新発見です。
2335のWFのファントムの後ろにWD−50Dの尾翼が写っています。
60年代にKB−50はよく公開展示されましたが、WB−50は初めてだったと記憶してます。そんな貴重な日本で見られた最後のB−50系の公開機を一枚も撮らなかったことを後悔してます。
ハッチさんが、このWB−50をコダクロームで撮った美しい写真を残していますが、もしここをご覧になられてたらリクエストしてよろしいでしょうか。
撮影後、半世紀を越えたサクラカラー、いい感じで色が残ってますね。特に105のアルミナイズド・ラッカーの色合いがリアルで“プチ感動”いたしました。
2337は105の脚の高さがより強調されたスナップ写真ですね。この様な写真をもっと撮っておきたかったと思いますが、その頃はそこまでの余裕は無かったです。
こうした写真は年月が経つと高い価値が出てきますので、じつに惜しいことをしました。
2345の「F102と子供たち」では子供の身長ですと102の翼の下を立って歩けるのですね。これも新発見です。
2335のWFのファントムの後ろにWD−50Dの尾翼が写っています。
60年代にKB−50はよく公開展示されましたが、WB−50は初めてだったと記憶してます。そんな貴重な日本で見られた最後のB−50系の公開機を一枚も撮らなかったことを後悔してます。
ハッチさんが、このWB−50をコダクロームで撮った美しい写真を残していますが、もしここをご覧になられてたらリクエストしてよろしいでしょうか。


Re: 三軍記念日 65
AGCハッチ
2021/10/28(Thu) 00:10 No.2348
赤塚さん、皆様、お疲れ様です。
YouTubeの編集が忙しく、投稿の機会を逸してしまいスミマセン。
ただし、懐かしい画像とコメントは、楽しみに日々閲覧しています。これからもアルバムの継続が続くことを願ってます。
1965年、厚木三軍 WB−50
そんなYouTubeですが、本日チャンネル登録者数が3万人となり、
閲覧回収も1,750万回と感謝です。
YouTubeの編集が忙しく、投稿の機会を逸してしまいスミマセン。
ただし、懐かしい画像とコメントは、楽しみに日々閲覧しています。これからもアルバムの継続が続くことを願ってます。
1965年、厚木三軍 WB−50
そんなYouTubeですが、本日チャンネル登録者数が3万人となり、
閲覧回収も1,750万回と感謝です。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/28(Thu) 08:19 No.2350
>ハッチさん
早速リクエストにお応え頂きありがとうございます。
数十年ぶりに拝見し感動しております。
WB−50そのものに“色気”はありませんので、手前にVU−5のF-8の尾翼を入れたことにより画面全体がグッと引き締まりましたね。脱帽です。
今後もよろしくお願いいたします。
YouTubeも時々のぞかせてもらってますが、
3ケ月ほど前、ヒコーキ好きのK新聞の記者がYouTube見て「AGCハッチさんはお仲間ですか?」との問い合わせがありました。
早速リクエストにお応え頂きありがとうございます。
数十年ぶりに拝見し感動しております。
WB−50そのものに“色気”はありませんので、手前にVU−5のF-8の尾翼を入れたことにより画面全体がグッと引き締まりましたね。脱帽です。
今後もよろしくお願いいたします。
YouTubeも時々のぞかせてもらってますが、
3ケ月ほど前、ヒコーキ好きのK新聞の記者がYouTube見て「AGCハッチさんはお仲間ですか?」との問い合わせがありました。


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/28(Thu) 18:41 No.2351
>AGCハッチさん
Youtubeチャンネル登録者3万人おめでとうございます
私もその一人で、折に触れ見させてもらっています
カールビンソン〜クイーンエリザベス〜R.レーガンだけで無く本当にレアな艦船が入出港しているんですね
以前AGCハッチさんらしい「タグボート」シリーズも目を見張るような操船技に脱帽です
横須賀の友人の話ですが、最近では空母の通過時は観音崎もにわかファンで駐車スペースが無いほどだそうです
これからも艦船ネタもヒコーキネタもよろしくお願いします
1965年5月9日(日)の厚木三軍記念日には民間機も展示されていました
東洋綿花(トーメン)が1965年3月に輸入し、登録したばかりの 双発のパイパーPA−30・ツインコマンチ (大洋航空)JA5135 積極的に売り込み営業しているようですね、チャンス!
Youtubeチャンネル登録者3万人おめでとうございます
私もその一人で、折に触れ見させてもらっています
カールビンソン〜クイーンエリザベス〜R.レーガンだけで無く本当にレアな艦船が入出港しているんですね
以前AGCハッチさんらしい「タグボート」シリーズも目を見張るような操船技に脱帽です
横須賀の友人の話ですが、最近では空母の通過時は観音崎もにわかファンで駐車スペースが無いほどだそうです
これからも艦船ネタもヒコーキネタもよろしくお願いします
1965年5月9日(日)の厚木三軍記念日には民間機も展示されていました
東洋綿花(トーメン)が1965年3月に輸入し、登録したばかりの 双発のパイパーPA−30・ツインコマンチ (大洋航空)JA5135 積極的に売り込み営業しているようですね、チャンス!


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/29(Fri) 10:54 No.2354
>村越さん
さすが調布が地元だけあって“軽”にも目が行ってますね。
私ら世代マニアにとって「パイパー」と聞けば何と言っても1949年初飛行のスーパーカブでしょう。同名のホンダのバイクもあって好感を持ってました。いまだ少数が活躍中で、グライダーの牽引には欠かせない存在らしいですね。
航空情報の1965年7月号に搭乗取材記事が載っていました。
この頃の航空情報を見ると、商社の広告が数ページにわたって出ています。高度経済成長まっ只中、商社も航空機メーカーの代理店指名に躍起になっていたときでしょう。
作品としての評価は置いといて、FXと商社の関係を描いた76年公開の日本映画「不毛地帯」は面白かったなあ。
さすが調布が地元だけあって“軽”にも目が行ってますね。
私ら世代マニアにとって「パイパー」と聞けば何と言っても1949年初飛行のスーパーカブでしょう。同名のホンダのバイクもあって好感を持ってました。いまだ少数が活躍中で、グライダーの牽引には欠かせない存在らしいですね。
航空情報の1965年7月号に搭乗取材記事が載っていました。
この頃の航空情報を見ると、商社の広告が数ページにわたって出ています。高度経済成長まっ只中、商社も航空機メーカーの代理店指名に躍起になっていたときでしょう。
作品としての評価は置いといて、FXと商社の関係を描いた76年公開の日本映画「不毛地帯」は面白かったなあ。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/30(Sat) 17:13 No.2355
WB−50の話題がでたところで、“飛び切り級”のレア写真を紹介します。
Watanabeさんが撮られた写真ですが、ネガを拝借したときにはビネガーシンドロームに侵されていて修正してもこれが精いっぱい。
撮影は1965年の三軍記念日前後だと思われますが、横田に駐留していた56WRSの新旧3機種が並んでいる写真は「ヨコタ史」を語りたい人にとって大変貴重な1枚と言えましょう。
昔の海軍機マニアの見方ならVQ−1(PR)のP4MマーケーターとA3D−1Q、WX−2をひとコマに3機まとめて写したようなもの。
この写真を印刷物に残せなかったことを残念に思います。
Watanabeさんが撮られた写真ですが、ネガを拝借したときにはビネガーシンドロームに侵されていて修正してもこれが精いっぱい。
撮影は1965年の三軍記念日前後だと思われますが、横田に駐留していた56WRSの新旧3機種が並んでいる写真は「ヨコタ史」を語りたい人にとって大変貴重な1枚と言えましょう。
昔の海軍機マニアの見方ならVQ−1(PR)のP4MマーケーターとA3D−1Q、WX−2をひとコマに3機まとめて写したようなもの。
この写真を印刷物に残せなかったことを残念に思います。


三軍記念日 65
そろそろお帰り時間
Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/24(Sun) 10:48 No.2311
展示のスカイホークはA−4Cが148486、A−4Eが150017でしたが両機ともノーマーク。
機歴を調べてみますとA−4CはVA−195(NM)でA−4EはVA−23(NE)なんですね。
マニアとしては部隊やレターが書かれていることを熱望するのですが、一般的にはメンテナンスを終えたばかりの汚れのない機体の方が
“受け”は良いでしょう。
そんなわけで厚木ではノーマーク機の展示が多かったと思うのです。
機歴を調べてみますとA−4CはVA−195(NM)でA−4EはVA−23(NE)なんですね。
マニアとしては部隊やレターが書かれていることを熱望するのですが、一般的にはメンテナンスを終えたばかりの汚れのない機体の方が
“受け”は良いでしょう。
そんなわけで厚木ではノーマーク機の展示が多かったと思うのです。


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:04 No.2312


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:05 No.2313


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:07 No.2314
1965年5月9日の三軍記念日飛行デモはUH−2Bのプロローグに始まり、繰り返し2回行われました
1回目のF−4BはVMFA−542(WH)が務め、2回目はVMFA−513(WF)というサービル満点
F−8EはいずれもVMF(AW)−312(DR)でした
離陸シーンは135mmでの激トリなのでイメージだけ
VMFA−542のF−4B
第1回目飛行デモは以下7枚連貼りです
1回目のF−4BはVMFA−542(WH)が務め、2回目はVMFA−513(WF)というサービル満点
F−8EはいずれもVMF(AW)−312(DR)でした
離陸シーンは135mmでの激トリなのでイメージだけ
VMFA−542のF−4B
第1回目飛行デモは以下7枚連貼りです


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:09 No.2315


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:45 No.2321


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:49 No.2325


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/24(Sun) 18:52 No.2327


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/25(Mon) 10:03 No.2328
>村越さん
2312の「鉄棒あそび」。
これはイイ写真ですね。土門拳の「筑豊の子供たち」を思い出しましたよ。
ゲームが無い時代、昭和の子供は何でも遊びの道具にしてしまうという才能を持っていました。このような作品を集めて写真集を作ってみたものです。
2313
アレっ!102のキャノピーを覗いているのは先輩マニアのT野さんではありませんか。脚立を支えているのはY彦さんですね。
T野さんは時々自営のトラックに乗って飛行場へ来てましたから、この日もトラックに脚立を積んで持ち込んだのかも知れませんね。
子供たちの羨ましそうな気持が背中に表れていて面白いです。
2312の「鉄棒あそび」。
これはイイ写真ですね。土門拳の「筑豊の子供たち」を思い出しましたよ。
ゲームが無い時代、昭和の子供は何でも遊びの道具にしてしまうという才能を持っていました。このような作品を集めて写真集を作ってみたものです。
2313
アレっ!102のキャノピーを覗いているのは先輩マニアのT野さんではありませんか。脚立を支えているのはY彦さんですね。
T野さんは時々自営のトラックに乗って飛行場へ来てましたから、この日もトラックに脚立を積んで持ち込んだのかも知れませんね。
子供たちの羨ましそうな気持が背中に表れていて面白いです。


三軍記念日 65
1965年5月9日 NAS Atsugi
Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/17(Sun) 23:22 No.2282
ここはヒコーキのBBSですから説明し難い写真です。
昭和30年代の写真専門誌的タイトルを付けるとすれば 『 少女と水兵 』 ですかね。
UC−45J/ATSUGI/12386 当時としても古過ぎるヒコーキでした。
1万2千番台機と言えばF4Fー4ワイルドキャットやFG−1コルセアも居ますよ。まさに第二次大戦機の生き残り。
昭和30年代の写真専門誌的タイトルを付けるとすれば 『 少女と水兵 』 ですかね。
UC−45J/ATSUGI/12386 当時としても古過ぎるヒコーキでした。
1万2千番台機と言えばF4Fー4ワイルドキャットやFG−1コルセアも居ますよ。まさに第二次大戦機の生き残り。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/18(Mon) 17:22 No.2283


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/18(Mon) 17:35 No.2284
こちらのショットもUC−45同様、35mmで撮影したのですが、C−117の場合50mm前後のレンズのほうが良かったかも知れません。
機首が長いぶん、どうしてもデフォルム感が前に出てしまうような気がいたします。
機首が長いぶん、どうしてもデフォルム感が前に出てしまうような気がいたします。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/19(Tue) 15:15 No.2285
[WF]のファントムが厚木で展示されたのはこの年が初めてで、前年の[VW]に続きマリンコ・ファントム2度目の公開。
[VW]から[WF]に替わったばかりもあって展示の2機(WF17/WF18)とも胴体と尾翼のマーキングは未塗装でした。
↓入場してすぐはどこからでも撮り放題でしたが、タワーをフルに入れ込んだカットはなく惜しいことをしました。
まだ、このころは機体をカメラへ納めるのことに精いっぱいで、背景へのコダワリなんか無かったのでしょうね。
[VW]から[WF]に替わったばかりもあって展示の2機(WF17/WF18)とも胴体と尾翼のマーキングは未塗装でした。
↓入場してすぐはどこからでも撮り放題でしたが、タワーをフルに入れ込んだカットはなく惜しいことをしました。
まだ、このころは機体をカメラへ納めるのことに精いっぱいで、背景へのコダワリなんか無かったのでしょうね。


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/20(Wed) 18:36 No.2287
>あかつかさん
朝早い時間では展示機の周りは人が居ませんね
当時は開門ダッシュで長い行列など無かったのでしょうか?
No.2283のスナブ、当時35mmレンズを持っていたのはレアですね
私は遠いことにかこつけて昼頃参上して飛行デモを撮ったり人だかりのする展示機を撮ったり夕方の追い出しまで居たように思います
1965年5月9日(日)の厚木三軍記念日
「VR−21」ハンガー前に置かれた
UC−45J (ATSUGI−386/12386)ごくありふれた55mmショットです
朝早い時間では展示機の周りは人が居ませんね
当時は開門ダッシュで長い行列など無かったのでしょうか?
No.2283のスナブ、当時35mmレンズを持っていたのはレアですね
私は遠いことにかこつけて昼頃参上して飛行デモを撮ったり人だかりのする展示機を撮ったり夕方の追い出しまで居たように思います
1965年5月9日(日)の厚木三軍記念日
「VR−21」ハンガー前に置かれた
UC−45J (ATSUGI−386/12386)ごくありふれた55mmショットです


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/20(Wed) 19:30 No.2290
>村越さん
↑のC−117D、このアングルがベストではないでしょうか。
昼頃から参上したとのことですが、そのワリにはギャラリーが少ないですね。
それとも入場者の皆さんはジェット機の方に溜まり、地味な輸送機のエリアに来なかったのかも知れません。
↓はUH−25Bの左側。“ハップ”は大好きなヘリコプタでしたが撮れたのはこのときだけでした。飛んでる姿を撮りたかったなあ。
↑のC−117D、このアングルがベストではないでしょうか。
昼頃から参上したとのことですが、そのワリにはギャラリーが少ないですね。
それとも入場者の皆さんはジェット機の方に溜まり、地味な輸送機のエリアに来なかったのかも知れません。
↓はUH−25Bの左側。“ハップ”は大好きなヘリコプタでしたが撮れたのはこのときだけでした。飛んでる姿を撮りたかったなあ。


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/21(Thu) 10:12 No.2291


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/21(Thu) 11:14 No.2293


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/21(Thu) 14:12 No.2295


Re: 三軍記念日 65
村越賢司
2021/10/21(Thu) 15:38 No.2296
当日カラーポジも撮りましたが「サクラカラー」はディグロー色や赤が出ないで、退色したカラー補正に苦労しましたがカブリは取り切れず(汗)
A−4C (148486) サクラカラーポジ(ペンタックスSP・オートタクマー55mmF2)
A−4C (148486) サクラカラーポジ(ペンタックスSP・オートタクマー55mmF2)


Re: 三軍記念日 65
あかつか
2021/10/24(Sun) 10:04 No.2310
>村越さん
2301のUH−34のショットを拝見しますと、ほぼ同じ位置で並ぶようにして撮っていたのですね。全く記憶にありません ^^;
2302のUH−2、イイですね。私はその場に居合わせなかったのか写していません。
それまで見てきたヘリは固定脚で外にむき出していましたから、シースプライトの登場はヘリの新時代を感じたものでした。
このショットはバックの建造物が流れているところを見ると、高速ローパスでしょうか。シースプライトのカッコ良さが見事に表れていますね。
2301のUH−34のショットを拝見しますと、ほぼ同じ位置で並ぶようにして撮っていたのですね。全く記憶にありません ^^;
2302のUH−2、イイですね。私はその場に居合わせなかったのか写していません。
それまで見てきたヘリは固定脚で外にむき出していましたから、シースプライトの登場はヘリの新時代を感じたものでした。
このショットはバックの建造物が流れているところを見ると、高速ローパスでしょうか。シースプライトのカッコ良さが見事に表れていますね。


三軍記念日 63
スカイレイのスクランブルデモ
Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/23(Thu) 19:27 No.2249


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/24(Fri) 23:14 No.2250


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/24(Fri) 23:23 No.2251


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/26(Sun) 00:15 No.2252
NariSawaさん撮影のVU−5の定置場。
当時の使用機はF−8A、UB−26J、RC−45Jに時折det.NAHAからDP−2E。
UB−26Jはこの年の夏から順次US−2Cに機種転換が進み、64年の秋には全て退役しています。
私が望遠を使い出して1度しか撮れなかった悔しさを今だに抱いております。この気持ち、皆さんお分かりでしょう。
当時の使用機はF−8A、UB−26J、RC−45Jに時折det.NAHAからDP−2E。
UB−26Jはこの年の夏から順次US−2Cに機種転換が進み、64年の秋には全て退役しています。
私が望遠を使い出して1度しか撮れなかった悔しさを今だに抱いております。この気持ち、皆さんお分かりでしょう。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/26(Sun) 00:40 No.2253


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/26(Sun) 23:33 No.2254
厚木では毎日のように飛び、三軍記念日でも展示の常連だったTC−45J“ スナブ "。
スナブとは先輩マニアが旧名称のSNBの頭文字から語呂合わせで言っていた造語です。(実際は Navigator)
形と呼び名の感じが妙に合っていてUC−45、RC−45と新名称に変わっても皆さんスナブと呼んでました。
スナブとは先輩マニアが旧名称のSNBの頭文字から語呂合わせで言っていた造語です。(実際は Navigator)
形と呼び名の感じが妙に合っていてUC−45、RC−45と新名称に変わっても皆さんスナブと呼んでました。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/27(Mon) 23:28 No.2255
VU−5のハンガー裏に展示?してあったグローブ KD6G‐2 ホタル 。
地上のカタパルトシステムから打ち上げられラジコンで操縦する100馬力のエンジンを持つ標的ドローン。
プロペラを含め木製のようで、なかなか味のあるスタイルをしてますね。
ピマ航空ミュージアムで見られるようです。
地上のカタパルトシステムから打ち上げられラジコンで操縦する100馬力のエンジンを持つ標的ドローン。
プロペラを含め木製のようで、なかなか味のあるスタイルをしてますね。
ピマ航空ミュージアムで見られるようです。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/27(Mon) 23:44 No.2256
そういえば、私ら小中学生の頃、校庭や河原で良くみられた「Uコン」を思い出しました。
飛ばした体験は無いのですが、そばで見ていてエンジンを回したとき(手動)に漂うケロシン油の香りはよく覚えています。
当時専門誌の航空ファンは毎月数ページものUコンの記事を写真入りで紹介し、さながら模型雑誌のようでした。
それだけ「Uコン」マニアが多かったということでしょう。
↓の00のモデックスは多分冗談で書いたのでしょうね。
飛ばした体験は無いのですが、そばで見ていてエンジンを回したとき(手動)に漂うケロシン油の香りはよく覚えています。
当時専門誌の航空ファンは毎月数ページものUコンの記事を写真入りで紹介し、さながら模型雑誌のようでした。
それだけ「Uコン」マニアが多かったということでしょう。
↓の00のモデックスは多分冗談で書いたのでしょうね。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/22(Fri) 10:51 No.2304
2285で1965年『ファンントムが展示されたのはこの年が初めて・・・』と説明してしまいましたが、1964年の三軍記念日でも[VW]のF−4Bが公開されており、実際の厚木初公開は1963年にハンガー内で展示されたのが初でした。改めて訂正させていただきます。m(−−)m
ハンガー内に入れたことを一昨日知り、某大先輩にも尋ねてみると「それは知らなかった」とのご返事。今なら絶対あり得ない話ですが、当時のマニアの行動のひとつと言えるでしょう。
↓はハンガー内でNarisawaさんが撮られたNAVY/ノーマークのF−4B。
他の展示機と距離が詰まりすぎてカメラの引き場き場がなく、全体像を撮ることができなかったそうです。
Bu.Noが分かれば所属は推定できるのですが、どなたかお分かりでしたらご教示ください。
可能性があるとすれば、時期的に推察してVF−114(NH)、VF−96(NG)、VF−143(NK)となりますが、2本タンクのようですのでVF−96かも知れません。
その頃厚木へ飛来したNAVYファントムはNHとNKが一本タンク。NGが2本タンクと、フライパスした時点でどこの所属機か100パーセント当たったものです。オールドマニアには懐かしいエピソードですね。
ハンガー内に入れたことを一昨日知り、某大先輩にも尋ねてみると「それは知らなかった」とのご返事。今なら絶対あり得ない話ですが、当時のマニアの行動のひとつと言えるでしょう。
↓はハンガー内でNarisawaさんが撮られたNAVY/ノーマークのF−4B。
他の展示機と距離が詰まりすぎてカメラの引き場き場がなく、全体像を撮ることができなかったそうです。
Bu.Noが分かれば所属は推定できるのですが、どなたかお分かりでしたらご教示ください。
可能性があるとすれば、時期的に推察してVF−114(NH)、VF−96(NG)、VF−143(NK)となりますが、2本タンクのようですのでVF−96かも知れません。
その頃厚木へ飛来したNAVYファントムはNHとNKが一本タンク。NGが2本タンクと、フライパスした時点でどこの所属機か100パーセント当たったものです。オールドマニアには懐かしいエピソードですね。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/22(Fri) 11:19 No.2306
同じくハンガー内で展示されたJ65エンジン。
かつての三軍記念日ではよくエンジンを公開してましたが、レシプロ機が多かったように記憶してます。ジェットエンジンをこうして見せるのは珍しかったのではないでしょうか。警備の兵隊さんも張り付いてないし、木製の見物台まで作ってくれるなど、のどかな時代でした。
かつての三軍記念日ではよくエンジンを公開してましたが、レシプロ機が多かったように記憶してます。ジェットエンジンをこうして見せるのは珍しかったのではないでしょうか。警備の兵隊さんも張り付いてないし、木製の見物台まで作ってくれるなど、のどかな時代でした。


三軍記念日 63
1963年5月6日 「横田にスコーピオン!」 撮影:TAMURA Toshio
Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/29(Wed) 10:55 No.2258
60年代のマニアが驚愕した来日米軍機の中にF-89があります。
F-4、F-105、A-5、A-6などの新鋭機の登場に身も心も奪われていた60年代にまさかスコーピオンが日本へ来ることなど想像すらしていませんでした。
いくら情報が少なかった当時でもF-89はソ連からアメリカ本土へ襲来するベアやバイソンを迎え打つためアラスカに配備された迎撃機であることぐらいの知識はありました。
よって、まさかスコーピオンが日本に飛来することなど夢にも思ってなかったのです。
しかも1948年初飛行の直線翼の第一世代のジェット戦闘機。とっくに引退していると誰もが思ったことでしょう。
上のショットは少年時代からの写友TAMURA君が撮影したものですが、標準レンズでは無理と知っていても証拠写真だけでも撮っておきたいと思ったのでしょうね。TAMURA君の緊張感が画面から伝わってきます。
F-4、F-105、A-5、A-6などの新鋭機の登場に身も心も奪われていた60年代にまさかスコーピオンが日本へ来ることなど想像すらしていませんでした。
いくら情報が少なかった当時でもF-89はソ連からアメリカ本土へ襲来するベアやバイソンを迎え打つためアラスカに配備された迎撃機であることぐらいの知識はありました。
よって、まさかスコーピオンが日本に飛来することなど夢にも思ってなかったのです。
しかも1948年初飛行の直線翼の第一世代のジェット戦闘機。とっくに引退していると誰もが思ったことでしょう。
上のショットは少年時代からの写友TAMURA君が撮影したものですが、標準レンズでは無理と知っていても証拠写真だけでも撮っておきたいと思ったのでしょうね。TAMURA君の緊張感が画面から伝わってきます。


Re: 三軍記念日 63
村越賢司
2021/09/29(Wed) 11:00 No.2259
>あかつかさん
流石に地元のTAMURAくんはしっかり捉えていますね
フェンスから近くの東エプロンに2機は駐機していたのですね
この後、5月19日の横田三軍記念日に1機がエプロン展示されマニアさんはビックリしたことを思い出します
流石に地元のTAMURAくんはしっかり捉えていますね
フェンスから近くの東エプロンに2機は駐機していたのですね
この後、5月19日の横田三軍記念日に1機がエプロン展示されマニアさんはビックリしたことを思い出します


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/29(Wed) 11:52 No.2260
1963年5月7日、Moriさんが撮られたDF-89J(52-1831/53-2541)。
以下は「アメリカ空軍機写真集1949−1969」に書かれたT.Maさんのキャプションですが、その頃のマニアの写真事情、活動状況が良くわかる文ですので転載させていただきました。
『 横田のイーストサイドのディスパーサルに置かれた2機のスコーピオン。このショットは森氏がコムラーの400mmで撮ったものだが、前日に彼から電話を貰ってこの場に居合わせたという懐かしい写真。残堀のバス停から延々30分以上も歩いたと記憶している。当時、森氏のカメラはアサヒ・ペンタックスで私はミノルタSR-1だったが、アダプターリングなどない頃だったので、彼の400ミリmmを借りてミノルタのボディーに押し付け撮った写真が私のストックに残っている。 』
以下は「アメリカ空軍機写真集1949−1969」に書かれたT.Maさんのキャプションですが、その頃のマニアの写真事情、活動状況が良くわかる文ですので転載させていただきました。
『 横田のイーストサイドのディスパーサルに置かれた2機のスコーピオン。このショットは森氏がコムラーの400mmで撮ったものだが、前日に彼から電話を貰ってこの場に居合わせたという懐かしい写真。残堀のバス停から延々30分以上も歩いたと記憶している。当時、森氏のカメラはアサヒ・ペンタックスで私はミノルタSR-1だったが、アダプターリングなどない頃だったので、彼の400ミリmmを借りてミノルタのボディーに押し付け撮った写真が私のストックに残っている。 』


Re: 三軍記念日 63
村越賢司
2021/09/30(Thu) 18:30 No.2261
1963年5月19日(日)
横田の三軍記念日には多くの先輩方に混じって少しだけ撮った写真を載せます
何といっても目玉は DF−89J スコーピオン(52−1831)
「在日アメリカ空軍機写真集」にある追い出し間際の三軍フォトはWATANABEさんの写真をご覧下さい
私は近くのタラップ上から?観衆入りで三軍風景を
横田の三軍記念日には多くの先輩方に混じって少しだけ撮った写真を載せます
何といっても目玉は DF−89J スコーピオン(52−1831)
「在日アメリカ空軍機写真集」にある追い出し間際の三軍フォトはWATANABEさんの写真をご覧下さい
私は近くのタラップ上から?観衆入りで三軍風景を


Re: 三軍記念日 63
村越賢司
2021/09/30(Thu) 18:40 No.2265


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/30(Thu) 23:42 No.2267


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/09/30(Thu) 23:49 No.2268
展示されたスコーピオンの左向きの全体写真は見たことがありません。
F−102がF−89の近くに並んでいたのでカメラの引き場がなかったのでしょうね。
この写真を見ますと撮影は窮屈な状態であったと感じられます。 撮影:WATANABEさん
F−102がF−89の近くに並んでいたのでカメラの引き場がなかったのでしょうね。
この写真を見ますと撮影は窮屈な状態であったと感じられます。 撮影:WATANABEさん


Re: 三軍記念日 63
村越賢司
2021/10/01(Fri) 21:54 No.2269
>あかつかさん
斜め前の三軍写真ありがとうございます
確かに当日スコーピオンの後部から撮影した画像はあまり見ませんね
WATANABEさんと同じ高さですが、グローブマスターの尾翼が重なってしまったので没にした私の写真です
枯れ木も山の・・・で
載せておきます
斜め前の三軍写真ありがとうございます
確かに当日スコーピオンの後部から撮影した画像はあまり見ませんね
WATANABEさんと同じ高さですが、グローブマスターの尾翼が重なってしまったので没にした私の写真です
枯れ木も山の・・・で
載せておきます


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/02(Sat) 14:00 No.2270
航空情報の国内ニュース欄に写真が掲載されたのは1963年2月号。そのとき噂のスコーピオンの来日が本当であったことを知らされます。情報の少なかった時代ですので何で板付なのか分からなかったのですが、後にドローン母機として地対空ミサイル、ナイキの発射訓練の支援のためハワイから東アジア、東南アジアを巡回していたことが判明しました。
当時航空情報に掲載された読者の写真は撮影者を最終ページに名前を載せていました。ところが板付のスコーピオンの写真だけは見当たりません。じつは掲載写真の撮影者はYoshinagaさんだったのです。
Yoshinagaさんは航空自衛官でしたので、立場上氏名を伏せて編集部に送られたことを数十年後にお聞きしました。
板付での撮影日は1962年11月18日。横田への飛来が確認されたのが1963年5月6日。任務に就いて約半年経っていますから本国への帰還途中に横田へ立ち寄ったのかも知れませんね。
ちなみに飛行中のDF−89Jの写真は地元マニアのSakaniwaさんが横田36で撮られた反逆光のショットしか見たことがありません。
現在では考えられませんが、マニアの少なった時代には良くあることでした。当時の基地や飛行場の世界は「神秘の塊」のようなもので、それがマニア心を掻き立てる要素の一つとなっていたのです。
当時航空情報に掲載された読者の写真は撮影者を最終ページに名前を載せていました。ところが板付のスコーピオンの写真だけは見当たりません。じつは掲載写真の撮影者はYoshinagaさんだったのです。
Yoshinagaさんは航空自衛官でしたので、立場上氏名を伏せて編集部に送られたことを数十年後にお聞きしました。
板付での撮影日は1962年11月18日。横田への飛来が確認されたのが1963年5月6日。任務に就いて約半年経っていますから本国への帰還途中に横田へ立ち寄ったのかも知れませんね。
ちなみに飛行中のDF−89Jの写真は地元マニアのSakaniwaさんが横田36で撮られた反逆光のショットしか見たことがありません。
現在では考えられませんが、マニアの少なった時代には良くあることでした。当時の基地や飛行場の世界は「神秘の塊」のようなもので、それがマニア心を掻き立てる要素の一つとなっていたのです。


Re: 三軍記念日 63
H.I.
2021/10/02(Sat) 21:57 No.2271
>あかつかさん、ご無沙汰しております。
>村越さん、のらひこさん、貴重な記録を羨ましく思いながら毎回画面の隅々まで見入っています。
最近の新鋭機を見ても全くと言っていい程感動はありませんが、小生よりも数年先輩方の写真を見ると”クヤシイ”と思うばかりです。(笑)
スコーピオンが出てきましたが、もう60年近く昔の事なんですね。
中学に上がったばかりの頃、近所のアメリカ軍人からF-106とF-89の写真を見せてもらったのですが、両機とも一度は見てみたいと思っていました。後年、横田でのF-89の写真を見た時には、No.2258であかつかさんが記述されている通りでした。
横田での話はMoriさんやエノさんから聞いていましたが、同じ機体が板付にも飛来していたとは初耳でした。
横田展示の時の左側機種部分の各種マーキングの画像をお持ちでしたら、是非見せて下さい。
時は移って、それから4年後の6月。F-89が再び板付に現れました。
当時東亜国内航空に勤めておられた橘高さんという方が運よく撮られていました。福岡空港勤務であった氏は仕事の合間合間に空港ターミナルから飛来する米軍機を撮影されていました。当時の粗末な2階建ての空港施設からは北側からアプローチする飛行機が良く見えていました。氏の話によるとT-33の様な機体がアプローチしてきたがT-33とは違うと思ってカメラ構えたのだそうです。シャッターを押すときになって、こんな旧式機が何で今頃?と思ったそうです。
モヤがかかった非常に悪い天気の中での着陸だったのと、貰ったプリントをコンパクトデジカメで撮った画像で見ずらいですが、記録として投稿しました。
よく見るとミサイルと電光をあしらったマークは斜めになっていますが、よく似ている様です。
お題の三軍記念日63からは横道となりましたが、昔を思い出しましたのでお邪魔させていただきました。
>村越さん、のらひこさん、貴重な記録を羨ましく思いながら毎回画面の隅々まで見入っています。
最近の新鋭機を見ても全くと言っていい程感動はありませんが、小生よりも数年先輩方の写真を見ると”クヤシイ”と思うばかりです。(笑)
スコーピオンが出てきましたが、もう60年近く昔の事なんですね。
中学に上がったばかりの頃、近所のアメリカ軍人からF-106とF-89の写真を見せてもらったのですが、両機とも一度は見てみたいと思っていました。後年、横田でのF-89の写真を見た時には、No.2258であかつかさんが記述されている通りでした。
横田での話はMoriさんやエノさんから聞いていましたが、同じ機体が板付にも飛来していたとは初耳でした。
横田展示の時の左側機種部分の各種マーキングの画像をお持ちでしたら、是非見せて下さい。
時は移って、それから4年後の6月。F-89が再び板付に現れました。
当時東亜国内航空に勤めておられた橘高さんという方が運よく撮られていました。福岡空港勤務であった氏は仕事の合間合間に空港ターミナルから飛来する米軍機を撮影されていました。当時の粗末な2階建ての空港施設からは北側からアプローチする飛行機が良く見えていました。氏の話によるとT-33の様な機体がアプローチしてきたがT-33とは違うと思ってカメラ構えたのだそうです。シャッターを押すときになって、こんな旧式機が何で今頃?と思ったそうです。
モヤがかかった非常に悪い天気の中での着陸だったのと、貰ったプリントをコンパクトデジカメで撮った画像で見ずらいですが、記録として投稿しました。
よく見るとミサイルと電光をあしらったマークは斜めになっていますが、よく似ている様です。
お題の三軍記念日63からは横道となりましたが、昔を思い出しましたのでお邪魔させていただきました。


Re: 三軍記念日 63
H.I.
2021/10/02(Sat) 22:12 No.2273


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/03(Sun) 15:14 No.2274
>I・Hさん
板付に再びスコーピオンが飛来していたとは初めて聞きました。驚きの極致です。
1967年の撮影と言えば私は“ 飛行場通い”が絶好調のときでしたから、こうしたニュースを聞き逃す筈は無いのですが、今日の今日まで知りませんでした。BBSを立ち上げておいて本当良かった思います。ありがとうございます。
60年代も後期になりますと関東の基地情報(飛行機に関しての)は漏れなく耳に入るようになりましたが、板付だけは情報網がなく、飛来機の状況は良く分かりませんでした。
きっと私たち関東のマニアが腰を抜かさんばかりの飛行機の写真が今でも沢山眠っているのでしょうね。
横田三軍記念日でのF−89の機首部分に描かれていたマーキングはGETA−O先輩がガッチリ撮られていますので、ホームページをご覧ください。
http://geta-o.jp/USMIL/F/F-89/F-89.htm
板付に再びスコーピオンが飛来していたとは初めて聞きました。驚きの極致です。
1967年の撮影と言えば私は“ 飛行場通い”が絶好調のときでしたから、こうしたニュースを聞き逃す筈は無いのですが、今日の今日まで知りませんでした。BBSを立ち上げておいて本当良かった思います。ありがとうございます。
60年代も後期になりますと関東の基地情報(飛行機に関しての)は漏れなく耳に入るようになりましたが、板付だけは情報網がなく、飛来機の状況は良く分かりませんでした。
きっと私たち関東のマニアが腰を抜かさんばかりの飛行機の写真が今でも沢山眠っているのでしょうね。
横田三軍記念日でのF−89の機首部分に描かれていたマーキングはGETA−O先輩がガッチリ撮られていますので、ホームページをご覧ください。
http://geta-o.jp/USMIL/F/F-89/F-89.htm


Re: 三軍記念日 63
H.I.
2021/10/04(Mon) 16:54 No.2275
>あかつかさん、機種部分のマーキングの情報ありがとうございます。
一番風防に近い部分にある鉄の腕が電光を掴んでいるパッチは38th Air Defense Artillery Brigadeです。当時は在韓米軍の指揮下にあった防空・ミサイルシステム担当の陸軍部隊です。
陸軍の防空ミサイル関連の任務をこなしていたのは間違いない様です。
同時期にHickam AFBで撮られた同じ様なF-89の画像を見たことがあります。
67年に板付に飛来した2機のシリアルを加えると、少なくとも5〜6機はいた様です。これらのF-89が所属するのはなんという部隊で何処が本拠地だったのかは気になるところですが、いまだに謎のままです。
数年前まではSNSでも古い写真が随分出回っていましたが、最近は少なくなった様です。更に50s、60sの情報はオフィシャルでもだんだん省略されることが増えている様です。もう60年,70年前の事ですから当然と言えば当然なのかもしれません。
話は1967年に戻ります。
スコーピオン飛来の頃は小生はまだ東京にいて、全く知りませんでした。
やがて7月、夏休みとなり福岡に戻り”板付通い”が始まりましたが、当時は板付には常駐機は無く、いつやって来るかもわからない外来待ちの日々でした。
ある日、ハンガーの扉が開いていたので双眼鏡で中を覗くと真っ暗い中にT-33の垂直尾翼の様なものがボンヤリ見えました。
それから数日後、チャリンコで飛行場に着いていつもの様に基地内を覗くと、なんとランプに”スコーピオン”が駐機しているではありませんか。飛び上がらんばかりに驚きました。一番よく見えるところに移動して観察すると、キャノピーが開き、ラダーが付けられており、期待が広がりました。
しかし、それから連日観察を続けても一向に動く気配はありませんでした。
この時の”目の前にいるのに撮れない”モヤモヤ、イライラ”。夕方になって家に帰る時のあの”明日の朝居なくなっていたらという不安”。夜中でも、エンジン音や離陸音がすると心配で心配で。そんな日々が続きました。
一番風防に近い部分にある鉄の腕が電光を掴んでいるパッチは38th Air Defense Artillery Brigadeです。当時は在韓米軍の指揮下にあった防空・ミサイルシステム担当の陸軍部隊です。
陸軍の防空ミサイル関連の任務をこなしていたのは間違いない様です。
同時期にHickam AFBで撮られた同じ様なF-89の画像を見たことがあります。
67年に板付に飛来した2機のシリアルを加えると、少なくとも5〜6機はいた様です。これらのF-89が所属するのはなんという部隊で何処が本拠地だったのかは気になるところですが、いまだに謎のままです。
数年前まではSNSでも古い写真が随分出回っていましたが、最近は少なくなった様です。更に50s、60sの情報はオフィシャルでもだんだん省略されることが増えている様です。もう60年,70年前の事ですから当然と言えば当然なのかもしれません。
話は1967年に戻ります。
スコーピオン飛来の頃は小生はまだ東京にいて、全く知りませんでした。
やがて7月、夏休みとなり福岡に戻り”板付通い”が始まりましたが、当時は板付には常駐機は無く、いつやって来るかもわからない外来待ちの日々でした。
ある日、ハンガーの扉が開いていたので双眼鏡で中を覗くと真っ暗い中にT-33の垂直尾翼の様なものがボンヤリ見えました。
それから数日後、チャリンコで飛行場に着いていつもの様に基地内を覗くと、なんとランプに”スコーピオン”が駐機しているではありませんか。飛び上がらんばかりに驚きました。一番よく見えるところに移動して観察すると、キャノピーが開き、ラダーが付けられており、期待が広がりました。
しかし、それから連日観察を続けても一向に動く気配はありませんでした。
この時の”目の前にいるのに撮れない”モヤモヤ、イライラ”。夕方になって家に帰る時のあの”明日の朝居なくなっていたらという不安”。夜中でも、エンジン音や離陸音がすると心配で心配で。そんな日々が続きました。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/05(Tue) 11:33 No.2276
>H・Iさん
板付に於かれるスコーピオンのお話、H・Iさんの興奮度がよく伝わり、私も若い頃の体験を思い出してしまいました。
“極超レア”機のスコーピオンですが、その割には現在も含めて世間(マニア)的に大きな話題になってないのは、『T−33に似ているような・・・』の文にありますよう地味な形状からくるインパクトのせいでしょうか?。
これがB−58でしたら、今でも語り継がれるような伝説的な話題になるのでしょうけれど・・。
それにしましても、米軍基地時代の板付は関東マニアの憧れの地でした。私は今でもレシプロ機が大好きなのですが、下のような写真の時代の板付に本当に行きたかったです。
1962年12月27日のYoshinahgaさんの写真、素晴らしいですね。C−123も空軍のB型というのにも惹かれます。
板付に於かれるスコーピオンのお話、H・Iさんの興奮度がよく伝わり、私も若い頃の体験を思い出してしまいました。
“極超レア”機のスコーピオンですが、その割には現在も含めて世間(マニア)的に大きな話題になってないのは、『T−33に似ているような・・・』の文にありますよう地味な形状からくるインパクトのせいでしょうか?。
これがB−58でしたら、今でも語り継がれるような伝説的な話題になるのでしょうけれど・・。
それにしましても、米軍基地時代の板付は関東マニアの憧れの地でした。私は今でもレシプロ機が大好きなのですが、下のような写真の時代の板付に本当に行きたかったです。
1962年12月27日のYoshinahgaさんの写真、素晴らしいですね。C−123も空軍のB型というのにも惹かれます。


Re: 三軍記念日 63
H.I.
2021/10/05(Tue) 12:08 No.2277
>あかつかさん、毎度ながらYoshinagaさんの写真はスバラシイです。手前の自衛隊員らしき人物も50s、60sの雰囲気を良く表していますね。当時の私だったら、人が通り過ぎるまで待ったでしょうが、この写真は生きています。
スコーピオンは1週間ほど後、テストフライトを行った1機だけが撮れました。離陸して飛行場上空を往復して、僅か10分ほどで着陸しました。1か月半ほど前の飛来時とは塗装やマーキングが異なり、バズナンバーも消されていました。整備目的の飛来だった様です。
見苦しいですが、これもプリントをiPHONEで撮ったものです。
スコーピオンは1週間ほど後、テストフライトを行った1機だけが撮れました。離陸して飛行場上空を往復して、僅か10分ほどで着陸しました。1か月半ほど前の飛来時とは塗装やマーキングが異なり、バズナンバーも消されていました。整備目的の飛来だった様です。
見苦しいですが、これもプリントをiPHONEで撮ったものです。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/06(Wed) 00:19 No.2278
>I・Hさん
2277 驚きました。iPHONEでの複写でこれだけシャープなんですからプリントはもっと美しいのではないでしょうか。
私は航空絵画も興味があるのですが、もし、このショットをそのまま絵にしたら・・と勝手に想像してみました。
航空絵画のほとんどは飛行機の写真から描きます。このスコーピオンの写真を絵にする場合、機体を幾分浮かせ山並みを目立たせ
、手前のドラム缶と立て看板を無くすと、素晴らしいスコーピオンの絵画となるでしょうね。
下はYoshinagaさんが1962年1月14日に撮られた当時の板付の日常風景(たぶん)。
“ 102に3型 ”と申しましょうか。史料としても一級で、私もこのような写真を撮ってみたかった。
2277 驚きました。iPHONEでの複写でこれだけシャープなんですからプリントはもっと美しいのではないでしょうか。
私は航空絵画も興味があるのですが、もし、このショットをそのまま絵にしたら・・と勝手に想像してみました。
航空絵画のほとんどは飛行機の写真から描きます。このスコーピオンの写真を絵にする場合、機体を幾分浮かせ山並みを目立たせ
、手前のドラム缶と立て看板を無くすと、素晴らしいスコーピオンの絵画となるでしょうね。
下はYoshinagaさんが1962年1月14日に撮られた当時の板付の日常風景(たぶん)。
“ 102に3型 ”と申しましょうか。史料としても一級で、私もこのような写真を撮ってみたかった。


Re: 三軍記念日 63
H.I.
2021/10/07(Thu) 15:22 No.2279
>あかつかさん、自分が行った事が無い場所での写真は、何となく新鮮に見えますが、赤塚さんの板付の感じも多分にそれがあると思います。
長年の飛行機写真撮影の中で、印象深く詳細に覚えている事が何度かありますが、この時の事も50年以上経っても忘れえぬ一場面です。
あの日は梅雨の末期で、九州特有の部分的に日が照ったり低い雲があったり雨が降ったりといった天候でした。後方は晴れているのに滑走路の付近は曇って、ネオパンFでは不安でした。一番イイ場面で曇って日陰になり、正直ガッカリでしたが、何とか写っていました。
あのポイントで長年邪魔だったのはご指摘の立て看板でした。ドラム缶は反対側に20cm程の穴が開いており、、警備員が拳銃に弾を込める時に銃口を中に入れていました。
長年の飛行機写真撮影の中で、印象深く詳細に覚えている事が何度かありますが、この時の事も50年以上経っても忘れえぬ一場面です。
あの日は梅雨の末期で、九州特有の部分的に日が照ったり低い雲があったり雨が降ったりといった天候でした。後方は晴れているのに滑走路の付近は曇って、ネオパンFでは不安でした。一番イイ場面で曇って日陰になり、正直ガッカリでしたが、何とか写っていました。
あのポイントで長年邪魔だったのはご指摘の立て看板でした。ドラム缶は反対側に20cm程の穴が開いており、、警備員が拳銃に弾を込める時に銃口を中に入れていました。


Re: 三軍記念日 63
あかつか
2021/10/08(Fri) 11:04 No.2280
>I・Hさん
確かに初めて見たロケ地での印象は忘れがたいものがありますね。
私の場合、いわゆる“ 羽田育ち ”ですから、「初羽田」についての記憶はおぼろげなのですが、横田、立川、厚木、それに調布まで、初めて訪れたときの飛行場の光景は今だに憶えております。
それが「遠征」なら尚更ですね。
新幹線が開通してなかった頃の伊丹、寝台急行を乗り継いで行った岩国と思い出は尽きませんが、板付には行ってないのです。
関東のマニアが初めて板付に遠征したのはF-105が初めて配備された1964年が最初ではないでしょうか。
1966年に岩国まで行ってたのですから、なぜもう少し足を延ばし板付まで行かなかったのかと後悔しております。
下は1962年にYoshinagaさんが撮られた68FISののアラートハンガー。こんな光景をフェンスの外から眺めていたら、時の経つのを忘れてしまうでしょうね。
※しばらくお休みを頂き10月18日より再開します。
確かに初めて見たロケ地での印象は忘れがたいものがありますね。
私の場合、いわゆる“ 羽田育ち ”ですから、「初羽田」についての記憶はおぼろげなのですが、横田、立川、厚木、それに調布まで、初めて訪れたときの飛行場の光景は今だに憶えております。
それが「遠征」なら尚更ですね。
新幹線が開通してなかった頃の伊丹、寝台急行を乗り継いで行った岩国と思い出は尽きませんが、板付には行ってないのです。
関東のマニアが初めて板付に遠征したのはF-105が初めて配備された1964年が最初ではないでしょうか。
1966年に岩国まで行ってたのですから、なぜもう少し足を延ばし板付まで行かなかったのかと後悔しております。
下は1962年にYoshinagaさんが撮られた68FISののアラートハンガー。こんな光景をフェンスの外から眺めていたら、時の経つのを忘れてしまうでしょうね。
※しばらくお休みを頂き10月18日より再開します。

