おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
Atsugiの想い出

Atsugiの想い出 〜「洗い場」

あかつか 2021/04/07(Wed) 11:00 No.1928 [返信]
Re: Atsugiの想い出
1997年発行 CHECKER TAIL1の表紙を飾ったハッチさんの“名画”。
原版がフジクロームのため、ポシをお預かりしたときにはすでに退色が進んでいましたが、60年代の厚木基地と60年代の「マニア心」を語るに最もふさわしい作品で、記念すべき CHECKER TAIL 第1号の表紙とさせていただきました。
写真は「時代を映す鏡」とか「記憶の抽斗」などと言われますが、その双方を見事に表現しており、日本のマニア誌だけでなく本国の機関誌などでも紹介されてもおかしくない傑作だと思います。



 
あかつか 2021/04/07(Wed) 11:29 No.1929
Re: Atsugiの想い出
この写真は表紙として最高でしたね。こっちの勝手な印象ですが、小さな空母の、和気あいあいさが出ているような気がしてきます。軽空母として、日本で2~30億で買ったら良いんじゃないでしょうか?今の情勢だとアメリカも売ってくれるんじゃないでしょうか?改修費用100億掛けても安いと思うな〜。
後ろの8Gも良いですね。この角度の写真は少ないんじゃないでしょうか?肩の筋肉が素晴らしく、璃花子ちゃんの肩みたい。
のらひこ 2021/04/08(Thu) 20:10 No.1930
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
当時の海軍機マニアが最も注目したのが写真の主役であるこのVSF−3のA−4Bでした。
はじめてこのスカイホークを見た写真仲間が「VSFなんて聞いたことない飛行隊だよな」と言ってたのを思い出しました。
しばらくしてVSFはantisubmarine fighter squadronと判るのですが、現在のように情報化されてない60年代では初めて見聞きする事も多く、知らない世界を調べて識る喜びのようなものがありましたね。
ちなみに、写真のAK-107は厚木へ飛来したA-4Bの中で数少ない飛行隊のマークを描き込んだ機体でマニアの中でのレア度も高かったのです。
あかつか 2021/04/09(Fri) 11:54 No.1931
Re: Atsugiの想い出
CHECKER TAIL2の扉に使わせていただいたVA−145のA−1J。1966年5月14日 撮影:Sabuさん

もし、この写真を当時の航空情報の写真コンテストに応募したらどのような評価を受けるでしょうか。
時はベトナム戦争のさ中、戦火をくぐってきたスカイレイダーの汚れを厚木の洗い場で兵隊たちが流し落とす。
物語性十分なこの写真を選外とはしないでしょう。(勝手な想像ですが)
また、仮に入賞した場合、それまで写真の社会性も重視してきたコンテストの選者は評をどう書くのか? 書き難いでしょうね。
「特選」作品とはならないと思いますが。。。

あかつか 2021/04/09(Fri) 19:23 No.1932
Re: Atsugiの想い出
66年の写真を集めていましたら、↑のSabuさんのショットと同じ時に撮影された下手(左)の写真が出てきました。撮影:ハッチさん
洗い場が「密」になっております。

あかつか 2021/04/10(Sat) 23:23 No.1933
Re: Atsugiの想い出
Pukin Dog も洗われて気持ち良さそう。 撮影:中島良介さん

あかつか 2021/04/10(Sat) 23:27 No.1934
Re: Atsugiの想い出
1928が夏の「洗い場」を写した傑作なら、冬の洗い場の傑作はKubotaさんが捉えたこの作品でしょう。
A−3の角度、人の配置、動き、申し分ありませんし、A−3が東側の洗い場で洗浄される写真も珍しいのです。
夏場の兵士は洗い水と戯れながら作業を楽しんでいるように感じられますが、冬場は寒さ故なのか只々黙々と作業をしているように見えます。

ひとつ気になったのは将校らしき人物が乗ってきたと思われるダットサン・ブルーバード312。
最終型だとしても写真が撮影された1968年では6年も前の車。しかも後輪のホイールキャップは外れたまま。
せめてフォードとかシボレーでしたら、写真から受けるイメージも違うでしょうね。

60年代に立川.横田へ行ったとき、基地や周回道路でピカピカの“アメ車”に出会うのも楽しみの一つでしたが、
昔を思い出すと厚木で真新しく目を見張るようなアメ車を見た記憶が余り無いのです。何か理由があったのかなあ・・。

あかつか 2021/04/12(Mon) 00:05 No.1935
Re: Atsugiの想い出
それにしてもデカイですね。ホエールと言ったのは良く解ります。ミッチェルよりも大きい訳でしょう。冷戦の恐怖も賜物でしょうが、若い人には当時の恐怖はわかんねーだろうなあ。でも、当時の日本人もアメリカ人やソビエト人程は感じてなかったでしょうけどね。
のらひこ 2021/04/13(Tue) 06:53 No.1936
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
米ソ冷戦時代、年末になると「終末時計」なる時計の針が2分前から1分前となったと、緊張した面持ちでテレビのアナウンサーが言ってたことを思い出しました。

で、そんな頃、自分はB−52が出てくるというのでピーター・セラーズ主演のコメディ「博士の異常な愛情ーーーーー」なる映画見て面白がっていましたが、じつは核戦争の恐怖心を描いた恐い映画だったんですね。鑑賞していて何とはなくは分かったけど、どこか他人事のように思っていました。
当時の日本の若者も、同じような感覚だったのではないかなあ。恥ずかしいけど。
https://cinemore.jp/jp/erudition/1065/article_1066_p1.html
あかつか 2021/04/13(Tue) 18:19 No.1937
Re: Atsugiの想い出
1966年7月、洗い場で撮影したケアサージ/VS−21のS−2E。
S−2が洗い場に駐機するのは珍しいことでしたが、機首が見えないとトラッカーらしくないですね。単なる記録写真です。

写真撮った1966年ではまだ対潜空母(CVS)がバリバリ現役で、ケアサージ(NS)ヨークタウン(NU)ベニントン(NT)ホーネット(NV)と4隻の空母が太平洋艦隊に配備されていたので海軍のトラッカーは代わる代わる良く飛来しました。塗装も凝っていて、カラー写真向きの機体が多かったです。

あかつか 2021/04/13(Tue) 18:53 No.1938
Re: Atsugiの想い出
CHECKER TAIL1に掲載されているVA−22のA−4C。
1966年8月31日、横須賀に入港したコーラルシー/CVW−2所属機はフライ・イン後、機体のほとんどを「洗い場」と東側エプロンに置きました。
前日に情報を得ていたので、翌9月1日は早朝より東側フェンス沿いを南下しながらCVW−2機を“ 拾い撮り ”。このNE227もそのとき撮影されたものです。

あかつか 2021/04/14(Wed) 22:59 No.1939
Re: Atsugiの想い出
通常、空母艦載機のフライ・インの翌日は、ほとんど飛ばないことが多かったので「洗い場巡り」をしたわけですが、このときは何故か午後すぐに訓練が開始され、A−1、A−4、F−4の晴天時の着陸を撮れたのが嬉しい誤算でした。

フライト準備のためなのか?ゾロゾロとF−4の駐機場へ向かうCVW−2のクルーたち。 撮影日は上の写真と同日、66年9月1日。

あかつか 2021/04/14(Wed) 23:28 No.1940
Re: Atsugiの想い出
1967年2月15日ボンノム・リチャード/CVW21機のフライ・オフ2日前にSabuさんが洗い場で押さえたE−1B。
「ヒコーキ写真」の枠を越えたシュールなアングルですね。とけ始めた雪とリパブリック・シービーのフロートが彩を添えています。

あかつか 2021/04/16(Fri) 12:05 No.1941
Re: Atsugiの想い出
この東側格納庫裏のポイントは撮影範囲が狭いため着陸するヘリを撮るのには「勘」と「音」を頼りにシャッターを切ることになります。
洗い場周辺を知り尽したハッチさんならではのスーパーショットですね。(1968年頃)

原版は当時のフジクロームで、経年により退色甚だしいのですが、それが逆効果となり、赤みを帯びた画面が時代の緊張を著わしているように見えます。
作業所、電柱、電線、噴き出す水蒸気・・。航空機のドキュメント写真として傑作ではないでしょうか。

あかつか 2021/04/17(Sat) 19:15 No.1942
Re: Atsugiの想い出
NO1942良いですねえ。奥に46も居て、素晴らしい!しかし、それにしても、皆さんは洗濯屋ケンちゃん顔負けにいろんなところに覗きに行ってたんですね。私なんかは、下から眺めるだけでした。
のらひこ 2021/04/18(Sun) 16:08 No.1943
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
この頃のアツギマニアは下から覗くだけではなく上からも眺めてましたよ。

写真は66年4月16日、Migさんが発見した〇秘ポイントから狙ったRVAH−13/迷彩606。
いまRwy19エンドから見える草柳一丁目のマンションが建つ以前に聳え立っていた大木の上から400mmで撮影したショットですね。

写真に写るフェンス沿いを草むらをかき分けて南へ進むと、送油管の左端ぐらいの所にも登れる木があり、私もそこで度々撮影しています。

あかつか 2021/04/18(Sun) 23:47 No.1944
Re: Atsugiの想い出
66年9月1日、前日大挙して飛来したVMA−121のA−4Eが岩国へ向かうところですが、
木の上の撮影ポイントに到達する前に離陸してしまいました。間に合わないと判断し、仕方なく撮った痛恨のショット。
19エンド周辺がなだらかな丘状になっているのは今も変わりません。

あかつか 2021/04/19(Mon) 00:04 No.1945
Re: Atsugiの想い出
ようやく木に登ったとき残りの3機が出て来て、何とか撮ることができました。が、胴体にグリーン・ナイツのマークは描かれてなく、
最後の機は無塗装でガッカリではあります。

画面下に送油管が写っているので、撮影した位置関係は大体想像できますね。

あかつか 2021/04/19(Mon) 00:12 No.1946
Re: Atsugiの想い出
東側ニッピ寄り、木の上の撮影ポイントに行くマニアは66年当時余り居ませんでした。
理由はその頃のマニアの持つ望遠レンズが135mm、200mmが主流で木の上のポイントからF−4、F−8、A−4を撮るにはやや遠かったのです。下のVF−154のF−4Bの離陸は200mmで撮ったのですが、やはり300mmは欲しいところですね。

あかつか 2021/04/19(Mon) 19:41 No.1947
Re: Atsugiの想い出
ジェットならA−3,A−5、プロペラ機ならP−3、C−54、C−118などが200mmでソコソコの写真が撮れました。

あかつか 2021/04/19(Mon) 19:45 No.1948
Re: Atsugiの想い出
本人、ワリと気に入っている写真なのですが、リザーブ機というのがいくらか残念。
VR−1(JK)か、せめてVR−21(RZ)だったら良かった。

あかつか 2021/04/19(Mon) 19:51 No.1949
Re: Atsugiの想い出
66年9月1日、この頃は活動が厚木中心となっていたので立川・横田へは余程の珍機が飛来してない限り行くことはありませんでした。
1945/1946のA−4Eを撮った後、RW19エンドに向かうカーゴマスターを久々にキャッチ。
このショットが私にとって “ カーゴ ”の見納めになってしまいました。P&W/T−34の「ビ〜ン」と響く心地よいエンジン音は未だ耳に残っています。同じターボプロップでもR.Rダートのあの甲高い音より断然良かったなあ。

あかつか 2021/04/20(Tue) 23:32 No.1950
Atsugiの想い出

航空情報「読者写真コンテスト」1967年1月号

あかつか 2021/03/25(Thu) 18:58 No.1906 [返信]
Re: Atsugiの想い出
評者の書斎派とシャッターを押す現場派と解釈の違いは大きく、現場を知るマニアからすれば“特選級”の作品。 撮影:ハッチさん

1967年2月12日。CVW21機のフライ・インが大雪で変更になったほど最悪のコンデション下での撮影。

あかつか 2021/03/25(Thu) 19:11 No.1907
Re: Atsugiの想い出
オオッ冷戦真っ盛りのチューレ基地での撮影ですか!そう言えばどっかのカーアクセサリーメーカーがスーリーとか発音してますね?グローバルな地理や歴史を知らないエセメーカーなんですかね?
洗い場で雪落としをして、アースを外して、リバースバックと見立てましたが如何でしょう?鼻に雪が残ってるのがご愛敬です。撮影者の解説聞きたいなあ!!
それにしても、この天気でF使ってたんですよね。書斎派には「わかんねーだろうな〜〜」
のらひこ 2021/03/26(Fri) 06:54 No.1908
Re: Atsugiの想い出
1897にて01「カド」での“航空ショーもどき”の画像を掲示しましたが、プロペラ機主体の写真が出てきましたので紹介します。
F−8はタイコンデロガ搭載時代の撮影機会が少なかったVF−53。
この場での音の記憶はありませんが、おそらく不協和音のような摩訶不思議なエンジンの音を響かせていたのでしょうね。

あかつか 2021/03/28(Sun) 00:15 No.1909
Re: Atsugiの想い出
1966年2月、当時の海軍機マニアがあつぎで富士山を入れて撮ろうとすれば01の「カド」しかなかったような気がします。
横田で撮られた富士入りの写真はよく見ますが、厚木での写真が少ないのは機体だけを大きく写して塗装を重視したからでしょう。

TC−45Jは“古希マニア”にはお馴染みのATSUGI/51334。自分としてはワリと気に入ってる写真です。
機体が小さければ(小さく写せば)富士山は大きく見えるという錯覚ですね。
この頃はまだ経済的にコダクロームは使えず、フィルムはサクラリバーサルでISO50でした。

あかつか 2021/03/28(Sun) 11:55 No.1910
Re: Atsugiの想い出
no1909は面白いですね。空冷レシプロ、ターボプロップ、ターボジェットの揃い踏み!!!エンジン音が奏でる交響曲が想い描けます。後はホーネットと秋水がいれば良いんですよね。アッあとは飛燕が欲しいです。
のらひこ 2021/03/28(Sun) 17:14 No.1911
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
リクエストにお応えいたします。
ホーネットを01の「カド」で撮ったのは1度きりでロービジのこんなものしかありませんでした。
撮影した1993年頃にはすでに目隠し用の木は成長、枝葉も繁っており撮影ポイントはかなり制限されてました。

あかつか 2021/03/29(Mon) 12:25 No.1912
Re: Atsugiの想い出
「秋水」と「飛燕」が現役の頃、親父は兵役で戦地(満州)へ行っており私は影のカタチもない時代ですから想像だけの世界です。
東京64オリンピックの前年、1963年4月、二子玉川で自衛隊機を主とした航空展覧会があり、そこで撮った秋水と飛燕をを紹介します。
飛燕は紆余曲折あって今は各務ヶ原の航空博物館で見事復活。ライトアップされ博物館の目玉になってますね。

個人的にはレストアされた機体より実機の方が全然興味があるのですが、秋水はここまで原型を留めてないと興味は別方向へ行ってしまいます。
小牧の三菱の博物館にあった秋水は果たしてこの機体が使われたのか?だとすればここからレストアしたのなら大変な作業だったでしょうね。

あかつか 2021/03/29(Mon) 12:27 No.1913
Re: Atsugiの想い出
写真は再掲ですが、トップ画像の雪のシーンはこの辺りで撮影したのではないでしょうか。
1894のB−47E、VP−1[YB]のSP−2Hに見られるように、ときどき大型の外来機がここで休んでいましたから。
車の無い時代、余程のことが無い限り行かない場所で、VP−49[LP]のP−3Aが珍しい頃だったので、わざわざ撮りに行ったんでしょう。
しかしながら駐機位置が悪すぎてお粗末な結果となりました。1966年1月25日

あかつか 2021/03/30(Tue) 23:46 No.1916
Re: Atsugiの想い出
同所でWatanabeさんが捉えた1963年頃の同所でWatanabeさんが捉えた1963年頃のAEWBARONPACのCー121JとVP−19のP−3A。VP−19のオライオンが配備されて間もない頃ですので、記録写真を撮りに行ったと思われます。

数年前、Watanabeさんからスリーブをお借りしたときビネガーシンドロームに侵されていたので、つい見過ごしてしまったのですが、改めてC−121のBu.Noをみてビックリ!。
この131623は後に短期間使用で写真も少ないブルー・エンジェルスの支援機C−121Jになっていたのです。
でも、こんな話に付き合ってくれるマニアはほとんど居ないでしょうね。

あかつか 2021/03/31(Wed) 18:35 No.1917
Re: Atsugiの想い出
東側エリアへ頻繁にマニアが写真を撮りに行くようになったのは、1965年7月、厚木のMAG−11がダナンへ移動し、NAVY機が空っぽになったエプロンと“洗い場”を利用し始めたからです。
それまでも東側での撮影は可能だったでしょうが当時の先輩方の話によると警備が厳しすぎる上、撮れる機体と言えば毎日飛んでる海兵隊機(その頃はスカイレイ)だったから、危険覚悟でわざわざ撮影に行くマニアは居なかったとのこと。

写真は1966年9月1日、前日飛来したコーラルシー/CVW−2/VA−25のA−1H。

あかつか 2021/04/01(Thu) 19:07 No.1918
Re: Atsugiの想い出
no1918ジオラマにして、家に置きたい場面ですね。カマボコ倉庫も作って欲しいな〜〜〜地元のK下さん作って頂けませんか?A-1Hの音もお願いいたします。当方、テレワーク世代じゃないもんで。未だ葉書世代なんですが!ウッカリ1円切手追加せず、戻ってくる痴呆世代です。
のらひこ 2021/04/02(Fri) 10:57 No.1919
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
私も同様、モデルをつくらない模型ファンで、勝手言って恐縮ですが近年の精巧なモデルづくりの技術は限界に来ているのではないでしょうか。
たいへん多くの方々が「凄腕」となり、展覧会へ行っても昔ほど驚かなくなってしまいました。
そんな中でも、ひと際目につくようになったのはジオラマとモデルのコラボレーション。そこには一作家としてのオリジナリティが見事に表われており、つい魅入ってしまいます。これからはモデルだけに留まらない表現方法をとる人が多くなるような気がしますが、如何でしょう。

下は1966年3月レンジャー/CVW−14/VA−145/A−1J(右)。マニアとしては都合の悪い駐機ではありますが、写倉庫らしき建物と電柱が時代の空気を表していて見方によっては価値ある写真です。

あかつか 2021/04/02(Fri) 21:36 No.1920
Re: Atsugiの想い出
1918、A−1の前あたりに生えていた木の上から撮ったVF−194のF−8E。1966年10月撮影
背景の森の感じが良くワリと気に入ってるショットです。光線状態から朝早くに徒歩でこの場へ来たことが写真から見てとれます。
今やこの元気さが無くなってしまったのが淋しいですね。

あかつか 2021/04/02(Fri) 21:57 No.1921
Re: Atsugiの想い出
東側のエプロンに勢ぞろいしたF.D.ルーズベルト/CVA−42/CVW−1機の面々。
年月が経過するとこうした記録写真の価値が高まるというお手本のような写真です。Kubotaさん、有難うございます。

あかつか 2021/04/04(Sun) 11:42 No.1922
Re: Atsugiの想い出
すでに印刷されていて毎度おなじみの写真ですが、改めて見ますと、いかに当時は体力と気力があったのかが良くわかります。
木によじ登って撮影したのですが、カメラの位置は電柱の先端まできています。今や木登りなど1メートルも出来やしません。
1966年10月7日 コダクロームKX/タクマー200mm

あかつか 2021/04/04(Sun) 11:55 No.1923
Re: Atsugiの想い出
我々ロートルは「A」letterへの憧れが強い人が多いようです。Aと来たら大西洋、なんかオシャレと感じちゃったんです。1966年でも、イヤ今でもその感じはあります。
のらひこ 2021/04/06(Tue) 07:03 No.1924
Re: Atsugiの想い出
>のらひこさん
あの頃、インデペンデンスの『AG』、ルーズベルトの『AB』が日本に来ると聞いたとき “小学生の遠足前夜” 状態でした。
世界は遠かったもんなあ。
あかつか 2021/04/06(Tue) 12:46 No.1925
Re: Atsugiの想い出
東側へ写真を撮りに行くマニアが少なかったのは、エンドから現場まで歩いて行き撮影して戻ってくると最低でも3時間はかかり、いつ、何どき、何が飛んで来るのか分からない当時の状況では、着陸側ランウェイ・エンドから離れることはたいへん勇気がいることだったのです。
そんな中、私たちから “洗い場の御三家” と呼ばれていた地元のKuさん、Yaさん、Ko-さんたちは自転車やバイクを駆使し、「洗い場」はもとより新たな撮影ポイントも開拓。目を見張るような作品を撮り続け、貴重な史料写真を数多く残されました。

やはりコクピットにパイロットが入り、動きがあったほうが写真的には断然いいですね。
フェンス手前の木の上からのショットですが、大木ではなかったので高さを求めて上へ登れば登るほど細くなり、揺れる木の上で体のバランスをとりながらの撮影となるわけです。
こんな状態でファントムが動き出すまで待つのですから、若さが無ければとても出来ない芸当ですね。
撮影状況を知る厚木マニアから評価の高かったハッチさんのVF−14/F−4B。 1966年10月 撮影

あかつか 2021/04/06(Tue) 12:51 No.1926
Re: Atsugiの想い出
手前にはVF−14のCAG機、向うに写るはVF−32の編隊離陸。エンドで離陸を撮ることを捨ててまでも「洗い場」からの撮影にこだわった如何にもハッチさんらしいショット。
標本的写真が好きなマニアにはこうした写真を撮ろうとは思わないでしょうね。いろんな見方があって良いんです。

あかつか 2021/04/06(Tue) 13:13 No.1927
Atsugiの想い出 01

1960年頃の小田急・江の島線 桜ヶ丘駅

あかつか 2021/03/17(Wed) 18:21 No.1892 [返信]
Atsugiの想い出 01
車で飛行場へ来るマニアが見られるようになったのは1960年代も半ば近くになってからで、それまでは01エンドへ行く人のほとんどは電車利用と徒歩でした。
1962年12月、初めて桜ヶ丘の駅を降り立った日、改札口の前に民家を見た記憶は無く、駅前はタクシー会社と乗り場があるだけでした。
駅を出てエンドに着くまで建物を一軒も見なかったような気がしますが、上空と正面向いて急ぎ足で歩いていたでしょうから、気が付かなかったかも知れません。
ホームでバッグを持った青年を見かけたら、その人は100パーセント飛行機マニアと言ってよいほど桜ヶ丘にひと気は少なかったのです。
あかつか 2021/03/17(Wed) 18:51 No.1893
Atsugiの想い出 01
桜ヶ丘駅を最後に降り立ったの半世紀以上も前ですから、今どうなっているのか?、桜ヶ丘から01エンドまで見に行ってきました。

バス停、タクシー乗り場、商業施設や飲食店等、よくある私鉄の駅前風景ですが、時代は変われど昔同様桜ヶ丘はローカル色が漂っています。
駅前の大きな桜の木は植えてから50年ほど経っているのでしょうか。
「桜ヶ丘」と言われるように周辺は桜の木が多く見られ、満開時には美しい街並へと変化を遂げることでしょう。

あかつか 2021/03/21(Sun) 13:31 No.1897
Atsugiの想い出 01
県道45号線(中原街道)に出て下り、福田5丁目の信号を登り切ったところでフェンス沿いの道へ分かれます。
その場所が少し高くなっているのは、砂利道を歩いた昔の時代と変わりありません。
ここまで来ると時にはA1タキシーウェイを滑る機体の後ろ姿がチラっと見え、一刻も早く「カド」まで着きたく歩く速度がだんだん上がって行きました。

あかつか 2021/03/21(Sun) 13:55 No.1898
Atsugiの想い出 01
60年代後期に入ると小規模工場が雨後の筍の如く建設され、砂利道も舗装。働く人たちの姿が多く見られるようになりました。
左手前に見える大衆イタリアンレストラン「サイゼリア」も、店舗だけでなくセントラルキッチンの食品工場が隣接されています。
その先の仏具屋さんのビルには屋上があります。かつて店主の好意で屋上にて写真を撮らせてくれたのですが、
心無いマニアの行動に店主は激怒。以後立入禁止となってしまったそうです。あちらこちらで良く聞く淋しい話ですね。

あかつか 2021/03/21(Sun) 14:37 No.1899
Atsugiの想い出 01
現在の『カド』です。
1989年に長い眠りから醒め現役復帰した頃、大木もこれほど茂ってはなく何ケ所から撮影可能でした。トムキャットのタキシングにも何回か遭遇してます。

マニアから評判の悪かった植樹ですが、少しヒコーキから離れて考えればこれで良かったかと思います。
珍しい機体が来れば数百の人が集まろうかという現在、この狭い撮影ポイントに人波が押し寄せようなものなら増えた交通量と道路の見通しの悪さから事故が起きるのは必至で、違法駐車なども問題となったでしょう。
bP899の屋上の一件にもあるように、いつの時代も極端なmaniaには付ける薬はございませんから。

あかつか 2021/03/21(Sun) 15:07 No.1900
Atsugiの想い出 01
立入禁止の警告看板も小さくなり控え目。周回道路を走る小型車とともに厚木基地の変わりようが見てとれます。
金網の隙間から着陸写真を撮れないこともないと思いますが、狙うほどの“絵”は期待できそうもありませんね。

あかつか 2021/03/21(Sun) 18:32 No.1901
Re: Atsugiの想い出 01
実地調査!ご苦労様でございました。しかし、桜ヶ丘の駅は、東口だけの駅じゃなかったでしょうか?兎に角、一度坂を下って又登りの間、何も降りて来ないことを祈って歩いていたことを思い出します。
のらひこ 2021/03/21(Sun) 19:09 No.1902
Atsugiの想い出 01
>のらひこさん
そんな思い出話をひとつ。

1966年3月4日
福田の坂を登り終えたとき、タキシーウェイを走る迷彩のビジランティの後ろ姿が見えるではありませんか!
全力疾走でようやく「カド」へ辿り着いたら、無常にも轟音を響かせながら北の空へと飛び立ち、“点”となるつつあるビジランティの後ろ姿を眺めて茫然と立ちすくんでいました。
ところが、何かトラブルが発生したのでしょうか?30分も経たないないうちにビジランティは降りてきたのです。
ぼ〜としてないで、いつものランウェイエンドへに行ってれば後世に残るようなカモフラージュのRA−5Cの着陸写真が撮れたと思うと・・・。
これが私の“悔やんでも悔やみきれない思い出”ベストワンです。 (注:エアバンドラジオが無い時代)

↓200mmでは遠かったトリミングなしの画像。

あかつか 2021/03/23(Tue) 09:57 No.1903
Atsugiの想い出 01
1967年2月13日、ボンノムリチャード・CVW21のフライイン。
前日厚木へ降ろす予定が関東地方は記録的な大雪で各機は岩国へ。
翌朝岩国から飛来しましたが事故に備えてか、No1845にも登場したレッカー車が待機しています。タンクローリーは滑走路に水を撒いて雪を流したのかも知れませんね。
フライオフは2月17日。ベトナム戦の最中で空母の入港期間は短く厚木逗留期間も5日間と慌ただしかった。

あかつか 2021/03/25(Thu) 00:52 No.1904
Atsugiの想い出 01
CVW21機フライイン前に上がったEC−121。
雪と121(旧塗装)をからめたショットを毎冬狙っていたのですが、「カド」に着いたとき121はすでにランウェイ上に待機して離陸寸前。
慌てて撮った1枚はアタマで描いていたような“画”にはならず、千載一遇のチャンスを活かすことができませんでした。

あかつか 2021/03/25(Thu) 01:03 No.1905
Re: Atsugiの想い出 01
60年代の桜ヶ丘はのどかですね
写真の奥に見える看板は左側がおそらくモミヤマでしょうね
残りの医療関係は今でも健在なのでしょうか?
気になるところです
ken 2021/03/29(Mon) 17:42 No.1914
Re: Atsugiの想い出 01
>Kenさん
大和駅から撮影された思われるショットです。こちらの看板も時代を感じさせてくれます。。
写真はシャープさに欠けていますが、鉄道マニアから見た電車の貴重度を聞いてみたいですね。

あかつか 2021/03/30(Tue) 08:28 No.1915
Atsugiの想い出 01

航空情報1964年10月号「私のアルバムから」より

あかつか 2021/03/10(Wed) 09:44 No.1875 [返信]
Atsugiの想い出 01
AGC版「私のアルバムから・下巻」にも掲載させて頂きましたが、撮影日は64年3月6日で、機材はミノルタSR−1にサン・テレフォト200mmとご本人から聞いたことがあります。
その後は何人ものマニアがこの“01のカド”で同様な写真を撮っているので、特に珍しいショットではないのですが、航空情報の選者も「長焦点レンズを使い・・」と書かれた通り当時はまだ200mmを持つマニアは少なかったのです。100mm〜135mmが望遠と言われた頃、我々世代のマニアにとってはじつに羨ましく思う写真でした。A−3は胴体下の給油装置を施してないA-3Bというところが時代を表しています。

それにしてもこの航空情報の評文はいただけませんね。
航空情報の「私のアルバムから」のコーナーも回を重ね連載終盤(隔月もあり)に入り、評の切れ味が鈍くなってきてます。
あかつか 2021/03/10(Wed) 09:46 No.1876
Atsugiの想い出 01
人の目をレンズの焦点距離にたとえると、100mm前後と言われています。
「ポートレートは85mmが最適である」と写真を始めた頃、写真家の秋山庄太郎が言ってたような記憶があります。

下はランウェイエンドに向かうVF−142のF−4Bですが、レンズは105mmでトリミングはしてません。
フェンスからタキシーウェイまでの距離感はこのような感じだっのでしょう。意外と遠かったのですね。

あかつか 2021/03/10(Wed) 20:01 No.1877
Atsugiの想い出 01
次に滑ってきたのはレンジャーに載って初来日したVF−92シルバーキングスのCAG機。200mmが欲しかった。

あかつか 2021/03/10(Wed) 20:08 No.1878
Atsugiの想い出 01
結果的には105mmで良かったと思うショット。
“役者”がこれだけ揃って、航空ショーにでも飛び立つようなシーンをカメラに納められたのは105mmだったからでしょう。

1964年9月末のレンジャーの横須賀入港に伴って遂にビジランティが初来日。目の前をタキシーするビジランティは未来の国からやって来た想像上の飛行機のようで即“ひと目惚れ”。このときから海軍機ファンの道へと歩み続けることになります。
1964年10月1日、東京オリンピック開会式の9日前でした。

あかつか 2021/03/10(Wed) 23:28 No.1879
Re: Atsugiの想い出 01
01の“カド”で撮った唯一のネプチューンで、VP−42のSP−2Hも初めてした。1966年3月12日 200mmにて撮影。
VP−42(RB)の厚木飛来はVPのP−2の中でも比較的少なくファインダー覗きながら喜んだ記憶があります。

あかつか 2021/03/11(Thu) 21:36 No.1880
Atsugiの想い出 01
一緒に撮影した手前に写るマニアもVP−42のSP−2Hを撮るのは初めてだったでしょう。どなたかは知りませんがお互いにラッキーでしたね。
その後、VP−42はP−3を受領することなく1969年に解隊されてますから。

あかつか 2021/03/11(Thu) 21:48 No.1881
Atsugiの想い出 01
「カド」の思い出は数々ありますねぇ。春とか秋の風の変わりやすい時に
待ってたような気がしますね。それに、ラジオの無い時代、艦載の機体の
お帰りなんかに当たったら、その日一日しあわせの塊でしたよ。この写真も、ゾロゾロ出て来るEA-1Fに嬉しくて堪らなかったんだろうと思います。空母へのご帰還にあったんでしょうが、1964年2月3日のお昼ぐらいでしょう。その時の、壮大な乾いたエンジン音は未だ耳に残ってます。レシプロは良いなあ・・

のらひこ 2021/03/13(Sat) 18:51 No.1882
Re: Atsugiの想い出 01
EA-1Fは離陸が遅いから、多分随分ウエイティングさせられてたんじゃなかったかな。今だったら騒音の苦情が出たでしょうが、ご承知のように周りは何も無かったです。却って遠くまで聞こえたかも知れません。
NO1881のお二人は、Y尾さんと国分寺の巨匠MOさんじゃないのかしら?

のらひこ 2021/03/13(Sat) 18:57 No.1883
Re: Atsugiの想い出 01
>のらひこさん
01カドといえばNO.1882のスカイレーダー三機タキシングが圧巻ですね

この日1964年2月3日同じ日に居たはずなのですが
このEA−1F三機タキシングはネガにありませんでした
現地では落ち合ったと思いますが早起きに加えてコンパスの長いのらひこさんは早くから01カドに陣取っていたのでしょう

遅れて出てきたのかEA−1Eが二機出てきました
USS.HORNET CVSG−57 VAW−11のEA−1E
RR74/139584とRR75/139597でした
135mmほぼノートリ
新鋭のE−1Bにとって替わられる直前ぐらいの旧式機なのでしょうが、このグッピー型のレドームをまとった愛嬌のあるEA−1Eもかわいくて好きですね

村越賢司 2021/03/14(Sun) 01:00 No.1884
Re: Atsugiの想い出 01
スカイレーダーのバリエーションは凄いですね。これに5〜6人乗ってるんですね!50分の1か出来ればもう一寸大きいソリッドで全バリエーションをもし持ってたら書斎に飾ってコーヒーを飲むなんて良いですね!今16号で西砂川のそば走っていたらフライトレーダーでC-17が小田原辺りに居たので、車寄せて見てましたです。
のらひこ 2021/03/14(Sun) 08:24 No.1885
Atsugiの想い出 01
>のらひこさん >村越さん
写真集をつくるにあたって国内で撮影されたAD−5Q(EA−1F)とAD−5W(EA−1E)の写真を何十枚か見てきましたが、01の「カド」で撮られた写真はご両人が撮られたこれのみです。
空気が澄んで陽炎ひとつなく光線状態も言う事なし。スバラシイ。

厚木で最後のEA−1FについてはBBS1にて紹介されてますがEA−1Eはいつだったのしょうね。
私が最後に撮影したのは1964年7月22日でベニントン/CVSG59/VAW11det.Qでした↓。1965年には厚木で見られなかったと思います。
愛嬌のある好きなスカイレイダーでしたので、真横に近い角度の写真を撮りたかったなあ。

あかつか 2021/03/14(Sun) 19:39 No.1886
Atsugiの想い出 01
CHECKER TAIL2にも掲載された1962年12月9日のらひこさん撮影の01でのEA−1Eです。
一緒に撮っていた私は標準の50mm。のらひこさんは使い始めて日が経ってないペンタックスに135mmでしたが、レンズの長さの差は歴然。
EA−1Eらしさが見事に写し取られたショットに羨ましく思ったものです。

あかつか 2021/03/15(Mon) 23:44 No.1887
Atsugiの想い出 01
師匠は一歩進んだショットをモノにしています。
01側ショートカットでの降りでしょうが、当時スカイレイダーをこのように撮れる人はMoriさんだけでした。1962年11月7日

AD−6(A−1H/J)とAD−5は同じスカイレイダーとは思えないフォルムを持っていますが、好みから言いますと私は断然「5型派」。
しかしながら多くのヒコーキファンは6型の方が人気あるようですね。
AD−5Q(VR)AD−5W(RR)AD−5T(UE)の大きなモデルを見てみたいなあ。

あかつか 2021/03/15(Mon) 23:53 No.1888
Re: Atsugiの想い出 01
資料写真で恐縮ですが、AIR FORCEもありましたね。

あかつか 2021/03/16(Tue) 21:44 No.1889
Re: Atsugiの想い出 01
ベトナム上空で撮影されたようです。

あかつか 2021/03/16(Tue) 21:46 No.1890
Re: Atsugiの想い出 01
たいへん珍しいA-1Eの写真には違いないでしょうが、私には説明力がありません。日本に来なかったしね。

あかつか 2021/03/16(Tue) 21:50 No.1891
Re: Atsugiの想い出 01
1963年10月4日、RW01エンドの西に寄ったところから400mmで撮影されたMoriさんの貴重な記録写真。
60年代にB−47E(WBではなく)が厚木に降りたのは恐らくこの1回だけだったと思います。横田の滑走路が短期間閉鎖されたときがありその関係かも知れません。

マニアの数も情報も少なかった時代、何の予備知識もなく飛行場に行くと、時には思いがけない機体や出来事に遭遇することがありました。一旦その味を占めてしまうと益々飛行場通いの深みに嵌り込むことになるのです。

あかつか 2021/03/18(Thu) 19:36 No.1894
Re: Atsugiの想い出 01
no1894ビックリです。それもBですもんね!お尻が可愛いです。こうゆうものが出てくるんで、長生きはするもんですよね!
のらひこ 2021/03/19(Fri) 10:53 No.1895
Atsugiの想い出 01
スパム攻撃を受けて過去の画像が消えてしまいましたが、のらひこさんのこのこのRC−121Dも超レア級ですよ。
撮影日は上のB−47Eと同じころだと思うのですが、RC−121Dはこの写真の前に横田で撮影されていて2度目の日本飛来でした。
それが、厚木であるのが驚くわけなんです。しかも絶妙なショット。
1894のB−47Eも駐機位置からこのように「カド」を廻り、濛々とした煙を残し低い離陸を見せたのでしょうね。

あかつか 2021/03/19(Fri) 23:18 No.1896
Atsugiの想い出 01

1960年9月28日 午後の厚木01側  撮影:Komiyaさん

あかつか 2021/03/02(Tue) 09:24 No.1862 [返信]
Atsugiの想い出 01
デモンは着艦フックが降りているので多分エマージェンシー。VCP−61/SS918が写り込んでいるところから緊急感のある写真となっています。
ですが、実際はF8U−1Pが着陸態勢に入ったところで、後方からエマーのデモンが近づいてきたのでエンジン全開でコースを外し進路を譲ったのではないでしょうか。皆さんも長い飛行場通いでこのようなシーンに幾度となく遭遇されたでしょう。

今回気になったのは、画面右に写っている聳え立つ一本の松。
厚木へ通い出してから常に視界には入っていたものの、標準レンズの駆け出し時代では松を通り過ぎてからシャッターを切るのでネガにはほとんど写っていません。この松は何年頃まで生えていたのでしょうか?
あかつか 2021/03/02(Tue) 21:54 No.1863
Atsugiの想い出 01
Moriさんからお借りしたコムラー400mmとペトリ・ペンタで撮ったJD−1。露出不足の上、ピントも外し見苦しいショットではありますが、これが私の“松入り”唯一の写真です。1963年2月5日

あかつか 2021/03/02(Tue) 21:59 No.1864
Re: Atsugiの想い出 01
>あかつかさん
一本松ありましたね

私の映り込みショットは
1963年11月4日の厚木01エンド
VC−137A/58−6970
だけでした

村越賢司 2021/03/03(Wed) 12:49 No.1865
Atsugiの想い出 01
>村越さん
この頃はもう135mmを使っていたのですね(羨)
しかも写真がスバラシイ!。この時代のVC−137A、厚木に駐機しているのを見てますが結局1度も撮れませんでした(残念)
“松”が入ったほうが良いのか、無いほうが良いのか、マニアの好みは分かれるところですね。私は入れたい派。

下はMoriさんが200mmで捉えた「松」。ネガの画面そのままです。
滅多なことではやらなショートカットするネプチューンを焦ることなく縦位置で撮ったというのが凄すぎます。さすが師匠!。

あかつか 2021/03/03(Wed) 15:20 No.1866
Re: Atsugiの想い出 01
松の木小唄 

松の木ばかりが まつじゃない
時計を見ながら ただひとり
今か今かと   気をもんで
あなた待つのも まつのうち
あかつか 2021/03/05(Fri) 20:49 No.1867
Atsugiの想い出 01
上は「松の木小唄」の歌詞ですが、何人かの歌手が様々なアレンジで1965年に大ヒットした年配の方々にはおなじみのお座敷艶歌。
01エンドの松の写真を見て、当時のヒコーキマニアの気持ちを想像してアレンジしてみました。

待つの機ばかりが 待つじゃない
時計を見ながら ただひとり
今か今かと   気をもんで
友を待つのも 待つのうち      ※横道失礼致しました
あかつか 2021/03/05(Fri) 21:02 No.1868
Re: Atsugiの想い出 01
あのですね・・・古希過ぎた場主ですから、横道も良いですが、50以下の方は、曲も思いつかないでしょうね???
VC-137、良いですねえ。角度もバッチリ、それにさりげなく「松の木」
往年の厚木の証拠です。しかし、この時代の707、720等はカッコ良かったですね。
のらひこ 2021/03/06(Sat) 20:41 No.1869
Re: Atsugiの想い出 01
>のらひこさん
そうですね。707は筋肉系男子、ライバルのDC-8は女性的な柔らかい体つきで、マニアの人気も二分されてましたね。
のらひこさんは707派とみましたが、いかがでしょう。

707(PAA)の初来日は1959年8月21日ですから私たちが写真を撮り出す2年ほど前。そのワリには当時の“興奮エピソード”を先輩方から余り聞かないのは、1952年にコメットが、1958年にはTu−104が初来日し、
いずれも世間からも大注目された後でジェット旅客機騒ぎが一段落していたからですね。

マニア的にも横田に初飛来したときのKC-135の世界記録伝説や、B-47とKC-97コンビからB-52の給油機としてKC-135の登場が、
707の来日より先だったこともあります。
写真は、1958年4月13日、午前5時23分、無給油長距離世界記録へ横田を飛び立つKC-135A。
撮影者のNakasatoさんの話によりますと、燃料満載で離陸高度が低くなることから、危険防止のため滑走路延長線上の電柱を抜き倒したそうです。

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:02 No.1870
Re: Atsugiの想い出 01
B−47とKC−97コンビが主流だった時代、KC−135は「超」が付く新鋭機だったに違いありません。航空情報1959年8月号の読者ページに掲載されています。
生写真を拝見したことがありますが、それは素晴らしいもので、ひと目で横田で撮られたことが分かりますし「KCファン」には垂涎の写真と言えましょう。

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:35 No.1871
Atsugiの想い出 01
テーマが厚木から横田へ廻ったついでに自分のKC-135Aも張らせてもらいます。
相変わらず手前に鉄条網を入れる芸の無いショットですが、広角レンズを購入してすぐ、大型機が多い横田へ“遠征”したときの写真です。 1965.11.26    ペンタックスSV/タクマー35mmf3.5

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:45 No.1872
Atsugiの想い出 01
Narisawaさんより松の木周辺が分かる写真が送られて参りましたのでコメントと共にご紹介いたします。 1963年2月12日撮影

[コメント]
ご苦労されて続けてこられたCTのブログへの攻撃は実に腹立たしたく折角の資料作品が何とも残念ですが、再スタートされまた楽しませていただきます。
“一本松”シリーズの使用に耐えるものか分かりませんが、S2Fのタンデムストレート着陸のポジがありましたので送ります。
自身は掛かる連続着陸に遭遇したのはこの時だけでした。WWU時の映画みたいです。対潜空母の関連機体の匂いがありませんので海自のS2F−1と思われます。写真には写っていませんが離れたところにもう一機いました。

あかつか 2021/03/08(Mon) 19:28 No.1873
Atsugiの想い出 01
>Narisawaさん
たいへん珍しいトラッカーの写真ありがとうございます。
そのまま着陸したとすると後から降りるパイロットは、ずいぶん気を使ったでしょうね。
この写真を拝見しますと如何に“一本松”が目立つところに立っていたかがよく分かります。
もし、この松がランウェイ・エンドの近くに生えていたら横田36の樫の木のようにマニアは争って登るでしょうね。
あかつか 2021/03/08(Mon) 19:44 No.1874
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -