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Atsugiの想い出

ひと月ほどお休みを頂きましたが、BBSUを本日より再開いたします。
今回は特に固定のテーマを設けず、あの頃マニアが何を思い、どんなことを楽しみながら飛行場へ通っていたのか?
「厚木黄金期」とよばれた“60年代”の出来事を写真と共に懐かしみます。言わば、厚木基地を巡る“よもやま話”ですね。皆さんお気楽にご参加ください。

写真は1963年3月25日、厚木基地南側の光景。灌漑用水用土管の盛り土の下は北風を防ぎ、基地を巡回するガードからも見つからないので、
01側でのマニアの溜まり場になっていました。写真に写っている人は当日一緒だった村越さん、のらひこさんが含まれているかも知れません。
エアバンドラジオも車も無い時代、この場所に腰を下ろし着陸コースの空を見つめながら飛行機談義にふける。これが60年代マニアの定番行動でした。

あかつか 2021/01/31(Sun) 14:52 No.1652 [返信]
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
懐かしいですが、この土管にはお世話になりました
風よけにしたり撮影の足場にしたり、確か水は流れていなかったと思いますが

1963年2月5日の厚木01エンド
陽だまりで風をしのぎながら飛来機を待つ
左からのらひこさん、あかつかさん、T村くん、T中くん、Mori師匠
車も持っていないので飲み物と握り飯など携えて一日中粘っていた
当時はトイレもなく自販機もありませんから。最寄りの桜ヶ丘駅は無人駅でしたね

村越賢司 2021/02/01(Mon) 12:09 No.1653
Re: Atsugiの想い出
これまた懐かしい写真が出てきましたね。私のひたむきな姿勢が感じられます(笑)
かすかな記憶を辿ってみますと、確か前週あたりに「スカイナイトが厚木に来てるらしいぞ」と先輩から聞いてお仲間らと示し合わせて来たのでしょう。
こんな原始的な情報でもしっかりとスカイナイトは飛んでくれて、初めて見るRMのEF−10Bに狂喜したことを覚えています。
ほかにキティホーク/VAH−13のA−3B(GP)も撮れましたが、GPレターの珍しさが分かるのは、海軍機マニアとなった後年であり、そのときは単にA−3Bが撮れて嬉しかったぐらいの認識でしたね。

翌年2月、トップ画像の盛り土の溜まり場辺りから撮影したVF−24のF−8C(NE463/145566)。標準(50mm)ですとこんな感じに写りました。
時代の雰囲気はよく出ていますが、F−8ファンとしてはせめて135mmぐらいは欲しかったなあ。

あかつか 2021/02/02(Tue) 00:16 No.1654
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
私は厚木に行くのも2回目ぐらいで
スカイナイトがそんなに貴重かも解らなかった駆け出しさんでした

この日土管にたむろしながら撮った
1963年2月5日に厚木01エンド
マリンコのスカイナイト EF−10B RM5/125849
タクマー55mm激トリです

村越賢司 2021/02/02(Tue) 18:32 No.1655
Re: Atsugiの想い出
>村越さん
そのときのスカイナイトを見せていただき恐縮です。
さすが伝説のレンズと言われたオートタクマー55mmf2ですね。とても激トリには見えません。

写真見て気付いたのですが、レドームの下の汚れは硝煙の煤なのでしょうか。そうだとすれば電子偵察型(F3D−2Q)に改造された後も20mm機銃を備えていたことになりますね。
その辺りのことを詳しい人ご教授下さい。

1654と同じ日に降りて来たVF−111の“鮫口”付きのF−8D(NH111/148638)。厚木でススキを余り見なくなりましたが、当時は秋から冬にかけて01側も19側もススキの宝庫でした。

あかつか 2021/02/02(Tue) 23:38 No.1656
Re: Atsugiの想い出
おはようございます。
Atsugiの思い出ということで、1966年頃の画像です。
ニッピ横の未舗装の道路を南に向かい坂を上りきると視界が開け右側のフェンス越しに飛行機を見る事ができました。
中学生の頃はチャリンコのドライブコースで、このフェンス越しに飛行機を見るのが楽しみで日曜日に良く出かけましたが、車が通ると端に避け小石と砂ぼこりに悩まされた道路でした。
MACH3 2021/02/03(Wed) 07:00 No.1657
Re: Atsugiの想い出
>MACH3さん
この光景を見ますと徒歩での撮影の時代、01側に居て風が変わり19側まで歩いたときを思い出します。
正に「フェンスの向うのアメリカ」で、カメラを出すのを躊躇するほど怪し気な雰囲気があり、よほど珍しい機体が駐機してない限りフェンスを横目に大和側へ急ぎました。

ときには「超レア」機が駐機することがあって、このP−3もその一例です。
ホームベース名を書いた本邦初公開のP−3A、これは珍しいですよ。雑誌社でオライオンの本を出そうとすれば欠かせない写真でしょう。
1965年10月1日  撮影:N.Iguchiさん

あかつか 2021/02/03(Wed) 18:21 No.1658
Re: Atsugiの想い出
>あかつかさん
冒頭のあかつかさんのNo.1652と同じ時の別角度ショットが見つかりました

1963年3月25日の厚木01エンドで、なぜか機体を追わずに仲間の撮影シーンを撮影していました
果たして何が降りていたのか?
土管の上で大胆に構えているのは多分のらひこさんでしょうか?

村越賢司 2021/02/03(Wed) 22:48 No.1659
Re: Atsugiの想い出
>村越さん
撮影日は違いますが、こんなフライパスを見上げていたのかも知れませんね。  1962.2.5 撮影:Moriさん

しばらく01側を舞台にした思い出話を続けますので、よろしくお願いいたします。

あかつか 2021/02/04(Thu) 16:19 No.1660
Re: Atsugiの想い出
60年代初期、マニアと01エンドの撮影ポイント周辺がよく分る写真が出てきました。
1652のトップ画像の“溜まり場”は、農家の人が中原街道から耕地(畑)へ降りるために造られた盛り土だったようで、
我々もここから上り下りしてました。
画面中央の木が伐採されたのは2〜3年前でしたね。記憶に残っておられるマニアも大勢いらっしゃるでしょう。
スカイホークはコーラルシーに派遣されていたVMA−324のA4D−2。 1960年12月1日 撮影:T.Tanakaさん

あかつか 2021/02/05(Fri) 15:37 No.1661
Re: Atsugiの想い出
上と同日Tanakaさんが撮影した土管とF8。
用水用土管を造って間もないころは、まだ雑草が茂ってないこともあって、中原街道から耕地への段差が分かります。その分工事は面倒だったと思われます。
クルーセイダーはVMF−251(DW)のF8U−1Eですが、エフハチの説明は置いといて、空と雲の状態がじつに良いことからTanakaさんは風景を意識してシャッターを切ったのでしょうね。

あかつか 2021/02/05(Fri) 16:05 No.1662
Re: Atsugiの想い出
着陸コースよりやや離れた東からのショット。1966年1月6日 撮影:Komiyaさん
KomiyaさんもTanakaさん同様、雪化粧した丹沢山塊の美しさを出すことを意識して撮られたのでしょうね。
画面下に土管の継続部らしきコンクリートの四角い構造物が写っています。
少しでも高い位置から撮りたいと思うのはマニアの気持ちですから、200mmを使い出してから時々ここに乗って撮影しました。(定員1名)
着陸機はVMA−311/WL12/152002ですね。海兵隊のA−4Eが初めて岩国に配備されたのが前年の1965年で、この時点ではまだ珍しく私的には撮りたかった飛行隊機でした。

あかつか 2021/02/06(Sat) 18:57 No.1663
厚木のフューリー 最終章

FJ-4/VU-5  Photo:K.Kumaki  1961.11.3

あかつか 2020/12/19(Sat) 11:48 No.1635 [返信]
Re厚木のフューリー 最終章
300mmが要準レンズと言われるようになった現在、ランウェイエンドで着陸機を真下から狙うマニアはほとんど見かけません。
60年代初期では望遠レンズを中々持てなかったこともあって、上のようなアングルの写真を撮る人がけっこう居たようです。
かくいう私も何回か挑戦したものの、標準レンズで真下から撮ろうとすると、スピードが速すぎて画面に収めるのは難しく、
とても上のKumakiさんのフューリーのようにはいきませんでした。
引退した機体の下部の写真を撮ることは不可能に近いので、今飛んでる飛行機を真下から撮っておきましょう。将来きっと役に立つはずです。
あかつか 2020/12/20(Sun) 23:30 No.1636
Re厚木のフューリー 最終章
同じフューリーと名が付いても、4型と3型の違いが下の写真によって分かります。
「平面図で分かるよ」と言えばそれまでですが、実感が伴なう写真の方が断然イイですね。  1961年3月28日   撮影:Moriさん

あかつか 2020/12/20(Sun) 23:47 No.1637
Re: 厚木のフューリー 最終章
>あかつかさん、

サウスウェストのハートマークを撮りたくて下から撮ったことはありますが、確かに作例のように下から仰ぐ写真はなかなか撮りませんね。次はJALの”アマビエ”でも狙いますか。

徳永 2020/12/21(Mon) 16:18 No.1638
Re厚木のフューリー 最終章
>徳永さん
JALのアマビエ、来年の何月頃まで撮れるのでしょうか?なるべく早いうちに消してもらいたいものです。(願い)
おそらく将来語り草になろうマーキングですから早めに撮っておくべきですね。
あかつか 2020/12/21(Mon) 23:31 No.1639
Re厚木のフューリー 最終章
今手許にありますVU−5のフューリーの写真の中で、私が「ピカ一」のショットと思うのが下の着陸写真です。
午前10時〜11時頃、RW19へ進入するFJ−4を「大和の森」あたりで撮ったのではないでしょうか。
エンジングレイの胴体の上部に流れる光のライン、地上からの反射光が翼下を照らす姿は、5〜60年代の厚木の空がいかに澄んでいたかを物語っています。  1962年4月4日  撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/12/21(Mon) 23:54 No.1640
Re厚木のフューリー 最終章
「この角度ではテールレターとビュー・ローナンバーが見えないではないか!」とおっしゃる方も多かろうかと思います。
が、航空機の持つカッコウの良さを写真に残そうとすれば、どうしても尾翼が隠れてしまう「斜め前」の角度となってしまうわけです。

下は厚木の01側にてショートカットで進入着陸するショットだと思いますが、「ナンバー好き」の人はこちらの写真を支持するでしょうね。
番号をとるか・・角度をとるか・・海軍機ファンにとって永遠のテーマかもしれません。
  1961年9月25日  撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/12/22(Tue) 18:35 No.1641
Re: 厚木のフューリー 最終章
数字や文字の話になったので、手元の写真と記録から[UE−3]を追ってみました。
半世紀以上前の海軍機のビューローナンバーとモデックスに関心のある人はごく一部だと思われますが、マニア史料として捉えていただければ幸いです。

↓上のUE−3はNo.1611で紹介済みのShimozatoさんの写真から抜き出した1959年1月10日の139507。2年後1961年2月27日に撮影されたときにはガルグレイからエンジングレイに塗り替え、UE−7となっていました。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/12/24(Thu) 01:12 No.1642
Re厚木のフューリー 最終章
No.1604で紹介しました横田へ降りるUE-3/139462の撮影日は1960年5月5日。
↓Ohnoさんが厚木で撮られた日が1960年8月31日。汚れが目に付くぐらいで外見上は変わっておりません。

あかつか 2020/12/24(Thu) 18:14 No.1643
Re厚木のフューリー 最終章
7ケ月後の1961年3月28日、UE-3はFJ-3D2/135842に代わっていたのです。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/12/24(Thu) 18:38 No.1644
Re厚木のフューリー 最終章
ではガルグレイ塗装のFJ-4/UE-3/139462は、どうなったのでしょう。
Narisawaさんが1961年2月8日に139462を撮影されたときにはUE-8に変更されていました。元UE-3を示す“3”が胴体後部に残っていますね。

あかつか 2020/12/24(Thu) 18:53 No.1645
Re厚木のフューリー 最終章
UE-8の1年後、1962年1月30日にはエンジングレイになってました。と、いうことはVU−5のFJ−4のガルグレイ塗装が見られたのは1961年までと言ってよいでしょう。   撮影:Moriさん 羨ましくなるほどの素晴らしいショットです。
それにしても良く分からないのは、1960年〜61年当時、VU−5になぜガルグレイ機が一機混在していたのか?。
私ら世代のときのF8U−1では逆にガルグレイの中にエンジングレイ(UE−16)が一機だけで、そのUE−16も後にガルグレイに塗り変えています。そんなことを知る資料はおそらく無いでしょうね。

あかつか 2020/12/25(Fri) 19:01 No.1646
Re: 厚木のフューリー 最終章
VU−5のFJ−4が日本で唯一公開されたのは、1960年5月21日のジョンソン三軍記念日でした。この日は横田の公開が重なり、それを知る少数の先輩マニアは二か所の基地の掛け持ちとなったのです
午前はジョンソンに“開門ダッシュ”で展示機を拾い、急いでで横田へ駆け付けるという強行軍。そんなハードな撮影でもさすがTSPCの先輩方は、FJ−4をはじめ、展示機はしっかりと写真に収めていました。

下はKumakiさん撮影のFJ−4。背景の建物とパイロットの風情が50年代のジョンソン基地が活写されていて、在日米軍機マニアにとってはじつに有難い写真ですね。

あかつか 2020/12/27(Sun) 11:45 No.1648
Re厚木のフューリー 最終章
こちらは同日、Gabariさんが撮られたFJ−4。Gabariさんは当時オリンパス・ワイドという広角(35mm)専用カメラをよく使っておられたので、このショットはワイドカメラで撮られたようです。
右に写っているF−86Dは横田から飛来した40FISの司令機、後ろのWV−2はVW−1/TE、ほかにVF−92のF3H−2/NGや初公開のF8U−2/NGも展示されていますから、横田への掛け持ちするのにも後ろ髪ひかれるような状況だったでしょうね。

あかつか 2020/12/27(Sun) 11:46 No.1649
Re厚木のフューリー 最終章
Watanabeさん撮影の標準45mmでの写真。良く練られた画面構成で、基地公開時での手本になるショットですね。

三名の先輩方が撮られたジョンソンでの写真を紹介させて頂きました。こうして並べてみますとTSPCというクラブがフォトサークルであり、皆さん飛行機のみならず写真家としての目を持っていたことが分かりますね。

あかつか 2020/12/27(Sun) 11:53 No.1650
Re厚木のフューリー 最終章
今回のフューリー特集にて機種別スレッドを終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

機材整備のためしばらく休みをいただき来月下旬ごろから再開いたします。
現代の航空機には触れず、昭和時代のヒコーキたちと“寫眞”をテーマに進めて行こうと思っています。
引き続き皆さま方からのご投稿をお待ちしています。
あかつか 2020/12/27(Sun) 12:10 No.1651
厚木のフューリー・最終章

ありし日のVU-5の面々   Photo:T.Watanabe 1961.10.13

あかつか 2020/12/13(Sun) 10:56 No.1618 [返信]
Re:厚木のフューリー・最終章
富士山バックに撮影するフォトミッションからのお帰りなのでしょうか。
私が厚木へ行き出してからのVU−5のジェットはF8Uだったのですが、レシプロ機(UB-26J・US-2C・RC-45J)と絡んだ異機種編隊には
一度も遭遇しませんでした。
滅多に見られないであろう編隊から奏でるR2800×6発とJ65×3発の混成音は、二度と聴けない感動的な音だったに違いありません。
大空に響き渡るFJ−4とJD−1の大音響、この感動は飛行機ファンにしか分からないでしょうね。
  
あかつか 2020/12/13(Sun) 11:56 No.1619
Re: 厚木のフューリー・最終章
>あかつかさん、
その1967年のオリスカニーの航海はベトナム戦争中における最悪の損害を出した事で有名ですね。“Bloody Sixteen”と言う本が出るくらいで、一線にあった122日間で航空団の半数近い39機を失い、20名の乗員が戦死または行方不明となり、7名が捕虜となっています。VA-163はVA-164と同じく10機(AH300/303/304/306/310/311/312/313/315-152028/315-150086/)が戦闘で失われ、2機が事故で失われています。
トンキン湾に派遣される前の67年7月21日に撮ったAH-301 149964は生き残りましたが、

徳永 2020/12/14(Mon) 16:14 No.1620
Re: 厚木のフューリー・最終章
67年12月22日の撮影では痛々しい姿になっていました。

徳永 2020/12/14(Mon) 16:16 No.1621
Re: 厚木のフューリー・最終章
皆様、VU-5の編隊に触発された参考写真を貼らせて頂きます。1956年5月21日MAG-11のCOCでイーストランプ上空を飛ぶMAG-11の編隊です。数えるとF3D×16機、F2H-2P×4機、FJ-2×8機、AD-6×8機の計36機となります。何故MAG-11にADスカイレーダーの疑問が残りますが。

BATMAN 2020/12/15(Tue) 16:39 No.1622
Re: 厚木のフューリー・最終章
続けてF3Dスカイナイトの後続のF2H-2P,FJ-2とAD-6の航過です。

BATMAN 2020/12/15(Tue) 16:44 No.1623
Re:厚木のフューリー・最終章
>徳永さん
VA−163のA−4Eをカラーで2度も撮っていたのですか!。67年12月22日の“痛々しいセインツ”の写真は当時AGCメンバー何人から見せてもらいましたが、7月21日の方は初めてです。ライトブルーのシェブロンが綺麗でいいですね〜。羨ましい限りです。

>BATMANさん
これまた驚きの大編隊!。式典のようですが何だったのでしょう?。気になります。
AD−6もMAG−11だけの式典だとすると不自然ですが、海兵隊のイベントなら当時岩国に配備されていたVMA−331『VL』のAD−6の可能性もありますね。
いずれにしても大変貴重な写真であることは間違いありません。ありがとうございました。
あかつか 2020/12/15(Tue) 17:30 No.1624
Re: 厚木のフューリー・最終章
1969年1月14日に厚木に飛来したVA-163のA-4Eです。
これが最後のVA-163だと思います。
VA-163は帰国後A-6Aに改編する予定でしたが解散してしまいました。

MACH3 2020/12/15(Tue) 17:46 No.1625
Re: 厚木のフューリー・最終章
MAG-11のAD-6の件ですが1956年2月の関東地区米軍電話帳のNAS Atsugi-MAG-11のページにVMA-251 Detの存在が載っていました。当時の航空情報の厚木探訪の写真にALのスカイレーダーが載っていましたね。

BATMAN 2020/12/15(Tue) 19:37 No.1626
Re:厚木のフューリー・最終章
>MACH3さん
VA−163の最後の姿は貴重な写真ですね。VA−163そのものの写真が、net、専門誌とも少ないのは、
飛行隊自体の活動期間が短かったからでしょう。
1962年から1969年迄たった7年間、しかも使用機はA−4BとA−4Eだけという、マニアにとっては“伝説”の範疇に入るような
飛行隊であったと言えるのではないでしょうか。

生写真が手許にないのでCHECKER TAIL3からの転載になりますが、Yasuhikoさんが撮られたA−4Bを張らせていただきます。
この写真が撮られた1963年11月のオリスカニー入港時では、F−8とデモンはよく飛びましたが、A−4は飛来数が少なかったのか、
厚木で撮影したVA−163、164のA−4Bの写真は余り残されておりません。個人的に非常に撮りたかった飛行隊機です。

あかつか 2020/12/16(Wed) 13:59 No.1627
Re:厚木のフューリー・最終章
>BATMANさん
スゴイ資料をお持ちなんですね。しかもアっと言う間に「一件落着」。
航空情報1956年7月号の厚木基地ルポの写真と記事は、かつて何回も読みましたが、VMA−251のAD−6の写真は
記憶からスッポリ抜けておりました。
あらためてそのルポ写真を見直しましたら、イイ写真が出ているではありませんか。
思い出せなかったのは『AL』のテールレターに馴じみなかったせいなのかも知れません。後のVMF−251の『DW』なら
バッチリ記憶に残ったと思います。(言訳笑)
写真左の『WU』も『DB』に変わってますし、ホントに1950年代マリンコのテールレターには毎度混乱いたします。
あかつか 2020/12/16(Wed) 14:33 No.1628
Re: 厚木のフューリー・最終章
BATMANさん提供の写真は凄いですね〜
異機種大編隊! 現代ではもう夢でも見られない世界です

VA-163を3枚ほど出させていただきます
撮影は徳永さんが撮られた7月と12月の間、11月27日でした
この時は横須賀に6日から15日(米時間?)入港しており、確かFly-Offだったと思います
以下はJF.B氏のH.Pから
AH300/152003はこの航海では生き残ったようですが1969.08.13 VA-144時に事故損失
AH313/150073は1991.10.02 VF-126時に損失

ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:01 No.1629
Re: 厚木のフューリー・最終章
AH306/151154は1967.06.10 VA-212でB.H.Rでダメージを受けたようですが無事となっていますが??

ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:02 No.1630
Re: 厚木のフューリー・最終章
ラストは
AH310/150061とAH312/150006は判りませんでした
徳永さん、失われたそれぞれのB/No.ってわかります?

ダブルタンゴ 2020/12/16(Wed) 17:05 No.1631
Re:厚木のフューリー・最終章
>ダブルタングさん
オリスカニー時代のVA−163のA−4Eを撮る最後のチャンスだったのですね。しかも快晴。機体の汚れも無く“絶品”のあでやかさ!。
このときのフライオフ情報は私のところへは届きませんでした。
聞いてたら仮病を使ってまでも撮りに行ったのに・・・残念です。

>徳永さん
VA−163のパイロットの中で最も有名なのは大統領選挙でオバマと争った共和党のジョン・マケインですが、マケインがベトナムで落とされたときの機体は分かりますか?ひょっとしたら厚木に来てたかも知れないと思いまして。
あかつか 2020/12/17(Thu) 09:51 No.1632
Re: 厚木のフューリー・最終章
1963年12月に撮ったVA-163のA-4B 142917ですが、残念ながらテイルレターは描かれていませんでした。今見ると方向だのリブも青に塗られていたようですね。

>ダブルタンゴさん、
これまたきれいに撮られていますね。1967年の航海で失われたVA-163のA-4EのB/Nは;

AH300-149959 671026
AH303-150131 680105
AH304-149961 670725
AH306-150116 671022
AH310-149975 670831
AH311-149963 671024
AH-312-150097 670720
AH313-150052 670804
AH315-152028 670831
AH315-150086 671025

日付は各機の損失日です。

>あかつかさん、
マケインの撃墜された時の搭乗機はAH300-149959でした。余談ですが彼は1967年7月29日のフォレスタル火災の際、VF-11のF-4Bのズーニーロケットを受けたA-4の前に居たVA46のA-4E AA416(B/Nは不明)に搭乗していて間一髪で難を逃れています。

徳永 2020/12/17(Thu) 10:23 No.1633
Re: 厚木のフューリー・最終章
>徳永さん
なるほど、なるほど、 
この11月の横須賀入港時は、大激戦後の補充機で組まれていたのですね
納得
何も貼らないのもなんなので、同日のエフハチを

ダブルタンゴ 2020/12/17(Thu) 11:58 No.1634
私のアルバムFJ-4G

FJ-4 (VU-5/UE3/139462) Photo:T.Watanabe

あかつか 2020/12/06(Sun) 19:29 No.1604 [返信]
Re: 私のアルバムFJ-4G
BBSUフューリーの最終章は“われらのUE”VU−5です。
1960年5月5日、横田の箱根ヶ崎トンネル上で撮影したWatanabeさんの傑作。
標準レンズ(45mm)でフューリーが撮れるという夢のような撮影ポイントでした。

この頃厚木は滑走路延長工事中でVU−5はジョンソンへ移動してますから、ジョンソンから飛んできたのでしょうね。
空母が横須賀に入港すれば、艦載機は横田で訓練し、本来なら厚木に飛来する海軍・海兵隊機も横田へ集結するという、1960年の横田はヒコーキ写真マニアにとって正に「ユートピア」でした。

私が最後にトンネルの上で撮ったのが1965年の夏でしたが、何年頃までトンネルに登れたのでしょうか?
マニアの間で望遠レンズが普及し出し、望遠では距離が近すぎ機体の全体像が写せなくなったので敬遠したのか?60年代後半にトンネル上で撮影された写真を余り見ませんね。
あかつか 2020/12/07(Mon) 19:09 No.1605
Re: 私のアルバムFJ-4G
1960年3月15日、ジョンソンで撮影されたフューリーの貴重なショット。 撮影:Narisawaさん

VU−5のFJ−4は1960年のジョンソン三軍記念日で公開展示されてますので、そのときの写真は多数残されていますが、
“外撮り”写真は大変珍しい。
と、言うのは当時ジョンソンへ行くマニアは少なく(B−57が主なので)、戦闘機系がガンガン飛ぶ横田の方が人気があったからです。

あかつか 2020/12/07(Mon) 19:39 No.1606
Re: 私のアルバムFJ-4G
あかつか様、素晴らしい企画と解説を何時も懐かしさ一杯、あの時代を切り取った皆さんの写真と共に胸に迫る思いで拝見しております。さて一月まえのNo.1562の10月8日のFJ-2 WU-1のコメントにここは厚木か追浜かと有りましたがこれが撮られたのは1955年12月新設された日本飛行機の厚木整備工場の初号機のロール・アウトの写真と思います。手元に日本飛行機が撮影した同じ機体の反対側からのショットが有りますので参考のために貼らせて頂きます。前年エルトロから輸送空母で横須賀に搬入されたWUは当時の常道でバージで木更津に運ばれコクーンを剥がされて厚木に配備されたと思われます。当時の追浜はNAF OPPAMAとして海軍の管轄でしたが滑走路は米陸軍の朝鮮からの軍用車両の置き場に転用され使用できずNAFと言いながら海軍は飛行艇とバージで搬入された航空機の保管が任務で広大なエプロン地区は海兵隊のMAG-16(H)のHRS-2(H-19)の2飛行中隊HMR-162と-163が阪神補助基地から移駐して使用していました。従ってFJ-2の離陸はまず不可能と思われます。1960年代に入って空中給油によるトランスパックが確立されるまでは横須賀或いは横浜経由バージでの木更津搬入が確立されていましたので。

BATMAN 2020/12/08(Tue) 21:39 No.1607
Re: 私のアルバムFJ-4G
続いての参考写真です。1955年ごろのイーストランプのMAG-11の列線です。WUだけでも25機ぐらい居たことがモデックスから推測されます。当時は事故も多く記憶に残っているのは1956年2月3日総武線新小岩駅付近に墜落したFJ-2の事です。私が学校からの帰路総武線に乗っていると駅北側上空をスリングを下げ飛ぶ海兵隊のHRS-2と現場と思われる付近の薄くたなびく煙が見えました。帰宅後米軍機墜落を知りましたが当時は東京・川崎・横浜の上空での海兵隊機の戦闘訓練は常態化しておりこの事故も問題となりましたがまだまだ進駐軍(占領軍)への遠慮が現在のようなデモを伴う大問題化しなかった様に思います。

BATMAN 2020/12/08(Tue) 22:14 No.1608
Re: 私のアルバムFJ-4G
>BATMANさん
『WU』のFJ−2の新情報と丁寧な補足説明、ありがとうございます。日本への配備は初めてのことですし、時代的にもフューリーは新鋭機。
それこそカメラを持っている人たちは皆さん記念撮影したのでしょうね。その雰囲気は写真からも伝わってきます。

そして、H&MS−11のF2H−2!。驚いて椅子から転げ落ちそうになりました(*_*;)BATMANさんのコレクションに脱帽です。
CHECKER TAIL4にも掲載したかったですね。今後もよろしくお願いいたします。
あかつか 2020/12/08(Tue) 23:54 No.1609
Re: 私のアルバムFJ-4G
オオ!ニッピの写真ですか?我々の世代にはニッピはマボロシの工場でした。洗い場からも見えないし、入って出てくるのを見るだけでしたよ!凄い写真が出てきたものです。もっと見たいです。
のらひこ 2020/12/09(Wed) 17:04 No.1610
Re: 私のアルバムFJ-4G
1959年1月10日、RW01へ進入するUE−3/139507とUE−8(後方) 撮影:Shimozatoさん
撮影ポイントは滑走路工事前の旧中原街道の路上。雑木林、畑、荒れた道路、これが60年前の厚木基地・桜ヶ丘側です。
建物(工場や民家)が写ってないと、どう撮っても飛行場らしさが出てイイ写真になるのです。

あかつか 2020/12/09(Wed) 23:40 No.1611
Re: 私のアルバムFJ-4G
上と同日午前中でのショット。UE−7/139522。こちらからの背景は私らでも良く見た記憶があります。

当時のVU−5のFJ−4のBu.Noを調べてみますと元H&MS−11[TM]から流れた機体が多いですね。
また、1959年以前に撮影されたVU−5のFJ−4にエンジングレー機の写真を見たことがないので、受領当初はすべて通常の海軍機塗装(ガルグレイ&ホワイト)だったのではないでしょうか。
テイルレターが斜めに書かれているのも、当時のVU−5/FJ−4の特徴です。

あかつか 2020/12/10(Thu) 00:03 No.1612
Re: 私のアルバムFJ-4G
1960年8月、Komiyaさんが捉えた珍しいガルグレイ機とエンジングレイ機の編隊離陸。
私が厚木へ行き出したときにはVU−5のFJ−4は全てF8U−1に転換されていたので、離陸どころか着陸をも見るができませんでした。
ヒコーキ写真マニアの中には、見たことのない飛行機に対し、全く興味を示さない人と、見られなかった飛行機(特にタッチの差で)に強いコダワリを持つ人と分かれるようです。(7:3ぐらい?)私は断然の後者ですから、FJ−4、F11F−1、F9F−5KDなどへの無念の思いが未だに消え去らないから始末におえません。

だいぶ以前、ワールドフォトプレスの西村さんが「厚木に頻繁に通っている頃、ダナンにはまだスカイナイトが居たのに厚木へは飛んで来なかったなあ」と寂し気な口調でおっしゃっていました。そのとき、西村さんも“寸での未見機”にコダワリを持つ方だったんだと思いました。

あかつか 2020/12/10(Thu) 19:39 No.1613
Re: 私のアルバムFJ-4G
1950年代に撮られた厚木のFJ-4,日本の風景や空と雲には明らかにアメリカで撮られたそれと違いなんとも言えない味が有りますね。ペンサコーラの国立米海軍航空博物館の保存機WT-1です。ここの保存機の塗装はオリジナルに近いので好感が持てますね。

BATMAN 2020/12/10(Thu) 21:06 No.1614
Re: 私のアルバムFJ-4G
>BATMANさん
ペンサコーラ航空博物館の他の展示機もNetで見ましたが、現役時代への塗装を忠実に再現しているようですね。
それに比べ、基地のゲートガードには中途半端な意味不明の塗装が多々見られ、
海軍機の塗装に興味を持つ者にとって何とも言えぬ淋しさを感じます。(写真はネットより)

あかつか 2020/12/11(Fri) 14:08 No.1615
Re: 私のアルバムFJ-4G
あかつかさん、ご無沙汰しています。
ゲートガードが出てきたので、ノースアイランドの正門、ストックデール・ゲートに飾られていたストックデール中佐(当時)のA-4E。といってもその機体、A-4E VA-163 AH352 151134は1965年9月9日、北ベトナム軍に撃墜され中佐は捕虜にあっていたため、別の機体148516が使われていました(ちゃんとB/Nを表記する海軍はまじめですね)。

徳永 2020/12/12(Sat) 10:29 No.1616
Re: 私のアルバムFJ-4G
>徳永さん
VA−163のA−4E、これなら納得です。それぞれ施設の責任者によって塗装に対する考え方が違うのでしょうね。
件のAH352/151134は厚木へは多分来てないと思います。1965年7月のオリスカニー入港の際、VA−164のA−4Eは厚木で数機目撃しましたが、VA−163の方は一機も確認できませんした。この年にマニアが撮影したVA−163の写真も見たことがありません。

VA−163のA−4Eは当時の厚木マニアの間で撮りたいA−4の内のひとつであったから1967年11月に初めて私たちの前に現れたときは本当に嬉しかったですね。(写真はCHECKER TAIL2より)

あかつか 2020/12/12(Sat) 19:04 No.1617
私のアルバムFJ-4F

FJ−4 フライパス    

あかつか 2020/11/17(Tue) 19:09 No.1581 [返信]
Re: 私のアルバムFJ-4F
135mmで撮影されたと思われますが、地上からの高度が50年代のエンドの状況を表していますね。
機体はおそらくVMF−451。この絶好の光線状態に『VM』のフューリーの着陸写真は素晴らしいプリントに仕上がったことでしょう。 撮影:Todaさん

少年時代の1950年代に川崎の中心部で過ごしてましたが、スモッグによる灰色の空は臨海部の工業地帯だけで、真夏の晴れた日には山間部のような群青色の空に浮かぶ純白の雲が見られたものです。
私が本格的に飛行場へ行き始めた1960年代の中ごろから晴れていても霞がかった“抜け”の悪い空の日が多くなり、カラーで撮ると誰が見ても厚木で撮ったことが分かるような色具合に写りました。

少年の頃見ていた『紺碧の空』をイメージし、画像の空を染めてみましたが、近年こんな空を拝める日は滅多にありませんね。
あかつか 2020/11/17(Tue) 23:41 No.1582
Re: 私のアルバムFJ-4F
どこまでも澄みきった空をバックにH&MS−11のフューリーが滑り込む。
撮影:1958年7月17日、TSPC・Fukuiさんの作品。

あかつか 2020/11/18(Wed) 23:22 No.1583
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年5月、横田に着陸するH&MS−11/FJ−4の珍しい写真。
Nakasatoさんの撮影で日付は不明ですが、横田三軍記念日で展示するための飛来だとすると5月16日かも知れません。

あかつか 2020/11/29(Sun) 23:42 No.1590
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年5月18日、TSPCのFukuiさんが横田三軍記念日で撮影された上の写真と同機。写真をよく見ますとカメラアングルを低くとっており、画面構成へのこだわりを感じさせるショットですね。生写真が無かったのでCHECKER TAIL3から転載しました。

あかつか 2020/11/29(Sun) 23:52 No.1591
Re: 私のアルバムFJ-4F
同じく横田三軍記念日で撮影されたTSPC・Tanakaさんの後ろからのショット。右のフューリーはノーマークの303ですが、同年ジョンソン三軍記念日にホーネット/ATG−4/VF−94のFJ−3Mが展示されているので、おそらくシスタースコードロンであったVA−214のFJ−4Bと思われます。この部隊、3ケ月後に解隊されていてマニア的には貴重なのですが、ノーマークのせいか、写しにくいとろに展示されていたのか、ガッチリ撮った写真が余り残されていないようです。

あかつか 2020/11/29(Sun) 23:55 No.1592
Re: 私のアルバムFJ-4F
こちらは前年の1957年5月17日、厚木三軍記念日に展示された『TM』のFJ−4。
ホワイトベルトの中に画くクローバーの塗装で浮かぶのはVMF・VMFA−333[DN]“シャムロックス”ですが、『DN』のクローバーは緑で『TM』のほうは黒。モノクロではその違いがよく判りませんね。どちらにしてもマニア好みの塗装と言えます。

Kondohさんが撮られたこの写真、木製の低いピケットフェンスがいかにも当時のアメリカの基地らしく、団塊世代以上の方たちには懐かしさを感じさせてくれるでしょう。
スカイナイトから観客を見下ろす制服の兵士も、50年代三軍記念日の様相を著わしていますし、スナップ写真として秀逸な作品だと思います。

あかつか 2020/11/30(Mon) 23:12 No.1593
Re: 私のアルバムFJ-4F
当時、FJ−4と共に『TM』レターのTV−2(T−33B)も飛んでいましたが、こちらは複座ですので用途を使い分けていたと思います。
このTV−2の後継機がF9F−8T(TF−9J)で、私たち世代が厚木へ行き出した頃、いつも見ていたものの記憶が薄いのです。
それは多分標準レンズ1本では良い写真が撮れなかったせいでしょうね。
下の写真ように“カド”を廻るシーンを200mmで撮れたら“8Tクーガー”の印象も違っていたのかも知れません。
1963年10月4日 撮影:Moriさん

あかつか 2020/12/02(Wed) 00:01 No.1594
Re: 私のアルバムFJ-4F
尼崎市の写友、R.Nakajima氏が1964年5月30日、伊丹で撮影した新明和伊丹工場へ向かうTF−9J/TM3の素晴らしいショット。
右に写り込んでいる全日空のDC−3がこの写真の時代背景を表していますね。
“TF”とは言え、いわゆるFighter系の航空機が伊丹に飛来することは滅多になかったので、伊丹のマニアたちはTF−9Jに特別な思いがあったようです。

あかつか 2020/12/02(Wed) 23:44 No.1595
Re: 私のアルバムFJ-4F
TMクーガートレーナーの#2,3が出ていましたので#1を。撮影日はわかりません

geta-o 2020/12/03(Thu) 14:59 No.1596
Re: 私のアルバムFJ-4F
>geta-oさん
インシグニアホワイトの地に蛍光オレンジを纏った“8Tクーガー”は軍用機らしからぬ美しい塗装でしたね。
私がカラーフィルムを使い出した頃は、蛍光オレンジを外されたホワイト一色か、ガルグレイと下面ホワイトの通常の海軍機仕様で、
このようなカラフルなTFー9Jをカラーで撮れませんでした。
あかつか 2020/12/03(Thu) 19:06 No.1597
Re: 私のアルバムFJ-4F
1958年12月29日、厚木RW01へ進入するH&MS−13のFJ−4。 撮影:Komiyaさん
H&MS−13『YU』が、1958年10月から翌年2月まで、厚木へ展開していたのを知るのはCHECKER TAIL4で、MACH3さんがまとめた「厚木基地駐留の航空部隊」を見てからです。
『YU』の厚木展開は短期であったうえ、ランウェイエンドで写真を撮るようなマニアがほとんど居なかった時代ですから、この『YU』のフューリーの着陸写真は“超”レア写真と言えましょう。Komiyaさんのネガからこのコマを発見したときは本当に驚きました。

あかつか 2020/12/03(Thu) 23:24 No.1598
Re: 私のアルバムFJ-4F
no1598にはビックリしました。中原街道は何処なの??1956年の航空写真を見ると、なんと今の中原街道の多分100mは北側で撮影なさってたんですね!!接地直前の写真ですもんね!!よくぞショアポリスに捕まらずに済みましたね。

のらひこ 2020/12/04(Fri) 20:46 No.1599
Re: 私のアルバムFJ-4F
こちらも驚いたH&MS−17のFJ−4フューリー。
かつて同部隊のAD−6スカイレイダーの写真が出てきたときもビックリしましたが、FJ−4も使用していたとはこの写真を見るまで知りませんでした。バックにF2H−3バンシーが写っていますね。多分1957〜8年の岩国三軍記念日でのショットではないでしょうか。古いプリントのため画調がいまひとつの感がありますが原版は良さそうなので、ネガを拝見したいところです。それでも「時代」は十分表現されていますから岩国基地の史料として一級の写真だと思います。(Manabeさんのアルバムより)

あかつか 2020/12/05(Sat) 00:13 No.1600
Re: 私のアルバムFJ-4F
>のらひこさん
1598の撮影ポイントはランウェイ・エンドのすぐ近くの農道脇からのようですね。
撮影者のKomiyaさんはショアーポリスに捕まっています。カメラ(友人から借りたローライ・フレックス)は没収されましたが一週間後、現像したフィルムと共に返してくれたそうです。
私も一度「捕らわれの身」となり、01エンドの端にあった小さなガードの休憩所に連行され取り調べを受けた経験があります。カメラは没収されませんでしたが、フィルムは抜かれて返却されませんでした。(VMA−225/CEのA−4Cが写っていたのに〜;)
ショアーパトロールのフォードF100の助手席に乗ったマニアはたぶん私だけでしょうね。 

↓1962年厚木三軍記念日にてNarisawaさん撮影

あかつか 2020/12/05(Sat) 18:30 No.1601
Re: 私のアルバムFJ-4F
ハハハ!Narisawaさん、F‐100迄撮ってるんですか?私は発売したばっかりのエコノラインのワンボックスのNAVY BLUEが好きでしたね。兎に角基地の中の何でもが面白かった時代ですね。
のらひこ 2020/12/06(Sun) 14:45 No.1602
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