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私のアルバムFJ−4A

1958年12月29日 厚木基地滑走路南端にて  撮影:小宮 宏

あかつか 2020/10/05(Mon) 22:54 No.1485 [返信]
Re: 私のアルバムFJ−4A
滑走路延長工事以前、1958年暮れのO1の光景。これが厚木であることが分かるマニアはごく少数でしょう。私もスリーブを見ていたから分かるので、写真だけなら外国で撮った写真と思ったでしょうね。
しかもカメラはペトリの45mm。フューリーまでの距離は200m〜300mぐらいに見えます。その日、Komiyaさんは厚木へ行き出して間もない頃だったので「怖いもの知らず」。1日中この場で撮影していたそうです。
当日は何事もなく帰られたそうですが、その後、何回目かの撮影行で「捕らわれの身」になった事を話されています。
カメラはその場で没収、後日返却されましたが、何と撮影済みのフィルムも現像して返してくれたそうです。(私のときはフィルムのみ没収だった)
あかつか 2020/10/05(Mon) 23:16 No.1486
Re: 私のアルバムFJ−4A
同日、ローカルフライトを終え帰還したVMA−212のFJ−4Bの着陸。若干トリミングしていますが、45mmでフューリーがこれだけ撮れたいう夢のような世界。1958年12月29日 撮影:Komiyaさん

インターネットが普及されてない“紙”の時代、[WD]と聞けば、ランサーズのF−8やF−4が思い浮び、フューリーの塗装はF−8、F−4と同様、青を基調とした塗装と長い間思っていました。胴体の帯や尾翼の塗装が赤と白星であることが分かったのが十数年前、雑誌に載っていたカラー写真を見てからです。
 
上、下の写真はたぶんノーフィルター(UV)のようで、胴体バンドと尾翼の赤が濃く写っているのが勘違いの原因でもありました。
思い込みというのは恐ろしいもので、WDのフューリーの塗装が赤と分かった後でも青のイメージが付きまとっていて、青のほうが良かったのにと勝手に想像しています。

あかつか 2020/10/05(Mon) 23:53 No.1487
Re: 私のアルバムFJ−4A
マリンコは撮影できませんでしたが遅ればせながらVA-216のFJ-4B
1963/2/28に#603と一緒に飛来しました。ハンコックの入港?

geta-o 2020/10/06(Tue) 13:20 No.1488
Re: 私のアルバムFJ−4A
続けてですがF8U-1に変わるまで1963年に厚木に行けばいつでも撮影出来たFJ-4

geta-o 2020/10/06(Tue) 13:29 No.1489
Re: 私のアルバムFJ−4A
>GETA−0さん
「厚木へ行けばいつでも撮影できた」と仰るVU−5(UE)のFJ−4、残念ながら私たち世代のほとんどの人は間に合いませんでした。
フューリーを撮れなかった悔しい思い出は、クルーセイダーに出会えなかった70年代にデビューしたマニアの気持ちと共通するものがあるのでしょうね。
ひと回り以上の大先輩マニアたちならどうでしょう。「もう少し早く始めていたら、ゼロ戦や雷電を見られたのに」と思うのかしら?。
写真を撮ることは無理だったにしても・・・。

下はTSPCのTodaさんが、航空ファン誌の取材で、岩国へ訪れた際撮影した垂涎モノのド迫力ショット。撮影時でのシチュエーションは分かりませんがエア・ツー・エアでないことは確かです。
使用レンズは135mmと思いますが、撮っておられたTodaさんも余りに近く過ぎてド肝を抜かれたことでしょう。 1960年11月23日撮影

1960年といえば、海軍・海兵隊機はカラフルな塗装を抑え、機体全体が素っ気なくなっていた頃。このローテーション配備時での
[WD]のマーキングは尾翼に辛うじてペイントを残しています。1958年に見られたような胴体の幅の広いバンドは外されました。

あかつか 2020/10/06(Tue) 23:14 No.1490
Re: 私のアルバムFJ−4A
マリンコ最後の在日フューリーは、VMA-212[WD]のFJ−4Bでした。
写真の撮影日は1961年4月4日でマーキングはなく無塗装状態。しかしながら、4月にこれだけ“抜け”のよい青空はめったになかったはず。そんな中、大和側で午前中のワリと早い時間に[WD]のFJ−4Bをキャッチできたとは・・・“幸運”以外何ものでもありませんね。素晴らしい写真が残りました。 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/10/06(Tue) 23:26 No.1491
Re: 私のアルバムFJ−4A
VMA−212[WD]のフューリーは61年5月まで岩国を基地としましたが帰国直後の61年8月、VMA−212にA4D−2が配属されFJ−4Bは11月に退役。そして63年7月にF−8Bを受領したことにより、VMA−212からVMF−212となって、ニックネームもデビルキャッツから、皆さんおなじみのランサーズに変更されました。

マリンコのフューリーが日本を去ってから、しばらくWDのレター機の来日はなかったのですが、1965年、オリスカニーのCVW−16から去ったVF−161のデモンの穴埋めにVMF(AW)−212のF−8Eがディプロイメント。65年7月“WD機”が厚木へ飛来、久々のWDに、ときの海軍機マニアは大喜び。CVWへのマリンコ機の配属は一定期間限定であることが多く、“限定”に弱い海軍機マニアにとっていわゆる“ワンチャンス”だったのです。 1965年8月2日 大和側で午後撮影

あかつか 2020/10/07(Wed) 23:29 No.1492
Re: 私のアルバムFJ−4A
1965年7月28日、Rwy19から訓練飛行に向かうVMF(AW)212のF−8E。3機しか撮れなかったけれど少なくとも5機は飛来していたのですね。私の好きな飛行隊機でしたから、もっと撮りたかったなあ(〜〜;) 撮影:Yokooさん

あかつか 2020/10/07(Wed) 23:59 No.1493
私のアルバム〜FJ−4

航空情報1959年3月号

あかつか 2020/09/30(Wed) 23:50 No.1469 [返信]
Re: 私のアルバム〜FJ−4
今まで見た最も心に残るフューリーの写真は、航空情報「私のアルバムから」で入賞されたShimozatoさんのこの写真です。
かつてCHECKER TAIL4に掲載したくShimozatoさんに写真提供をお願いしたところ、6×6判のネガを2カット送って下さいました。原版では周囲に余裕があり地面は傾いていましたが、そこは大判フィルムの強み。写真のようなトリミングから画面は絶妙な仕上がりとなっています。
カメラのスーパー・フジカシックスは6×6判スプリング式(蛇腹)後期のカメラで、小西六(後のコニカ)のセミ・パールとともに50年代のハイ・アマチュアが使用した最高級蛇腹機でした。
あかつか 2020/09/30(Wed) 23:53 No.1470
Re: 私のアルバム〜FJ−4
下は、2コマのネガのうちの別ショット(VMA-214/WE17)。
上の航空情報掲載機はWEの19号機なので、作品タイトルの「着陸訓練」が示すように2機でタッチ・アンド・ゴーを
何回も繰り返していたのでしょうね。「50年代の厚木はこうだったのか〜!」と、写真見るだけで時代に嫉妬してしまいます。

1959.1.10 撮影:Shimozatoさん

あかつか 2020/09/30(Wed) 23:59 No.1471
Re: 私のアルバム〜FJ−4
下は航空情報1959年10月号臨時増刊「航空ファン読本」に掲載された橋本喜久男画伯のフューリーのイラスト。
飛行機絵画もイラストも地上で写生する以外、写真を基に描くようですが、橋本画伯の挿絵もその例にもれず、
Shimozatoさんの写真を参考に秋らしくアレンジしています。昭和タッチがいいですね〜(^_^)
それだけN0.1469の写真が当時の専門誌の人たちに受け入れられていたということでしょう。

あかつか 2020/10/01(Thu) 19:11 No.1472
Re: 私のアルバム〜FJ−4
VMA−214(WE)のFJ−4Bは、台湾海峡で1958年8月に勃発した金門島砲撃事件に対応して、1958年10月、VMA−212(WD)とともに厚木へ展開しました。写真は1958年12月22日、Komiyaさんが01エンドで撮影されたWE18。
その頃Komiyaさんは望遠レンズを使用していないはずなので、たぶんペトリの標準カメラで撮ったと思われます。恐ろしや・・・。

あかつか 2020/10/01(Thu) 19:39 No.1473
Re: 私のアルバム〜FJ−4
デモン特集の終わりにお知らせしましたが、各飛行隊のフューリーが退役後(60年代)に受領した機体も可能な限りご紹介したいと思います。

VMA−214は1962年1月に後継機A4D−2を受領していますが、WEのスカイホーク初来日は、何と対潜空母ホーネットの防空部隊として派遣されたA−4B/DET.Nでした。
対潜空母への分遣隊機は4機しか搭載してなく、しかも航海毎に別の飛行隊が派遣されるので撮影のチャンスはじつに少ない。そんなわけで、当時の海軍機マニアは対潜空母のA−4を目の色を変えて追いかけていました
私は残念ながらホーネットのA−4Bは撮れなかったので、のらひこさんがA1タキシーウェイを滑る3機の[WE]を、まとめて貼らしてもらいます。撮影日は不明ですが、たぶん1964年の2月でしょう。こんなシーンに出会いたかったなあ。

あかつか 2020/10/02(Fri) 21:37 No.1474
Re: 私のアルバム〜FJ−4
Moriさんが捉えたA−4B/VMA−214/DET.Nの着陸。サイドワインダーランチャーが装着されてます。撮影日は1964年1月29日

あかつか 2020/10/02(Fri) 21:43 No.1475
Re: 私のアルバム〜FJ−4
>あかつかさん
FJ−4は目撃できませんでしたが
CVSG−57 HORNETの搭載機が出てきましたので
四機貼ります

No.1474、のらひこさんの01角の時に一緒にいました
ローカルフライトを終えて01エンドに滑り込むA−4Bを4コマ連貼りです

1964年2月3日の厚木01エンド
VMF−214 DET.NのA−4B(WE81/142948)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:18 No.1476
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同日
VMA−214 DET.NのA−4B(WE82/142921)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:21 No.1477
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同じく、厚木01エンドの着陸
VMA−214 DET.NのA−4B(WE83/142676)

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:23 No.1478
Re: 私のアルバム〜FJ−4
ラスト4機目
1964年2月3日に厚木01エンドに着陸する
VMA−214 DET.NのA−4B(WE84/142879)
昼頃の撮影なので午後側に移動したあとですね
連貼り失礼しました

村越賢司 2020/10/03(Sat) 11:27 No.1479
Re: 私のアルバム〜FJ−4
>村越さん
USSホーネットに4機しか搭載されていない[WE]のA−4Bを全て撮ってらっしゃるとは・・・しかも昨日撮ったような素晴らしい写真。
“羨ましさ”を通り過ぎて締めたくなりますよ(笑)
82番は胴体にバンドが画かれていますが、隊長機だったのでしょうね。

VMA−214はA−4BからA−4Cへグレードアップされ、岩国へ配属されました。Yokooさんが1965年4月6日、厚木で撮られています。
当時は岩国のVMA機が厚木へ飛来することは少なかったから、このWE21は貴重な写真といってよいでしょう。

あかつか 2020/10/03(Sat) 21:49 No.1480
Re: 私のアルバム〜FJ−4
同じくYokooさんが、翌年の10月4日に撮られたWE21。
この[WE]のA−4Cを初めて見たときの衝撃的かつ素晴らしい塗装に驚愕した覚えがあります。ある意味“ブラックシープ”A−4シリーズの「完成型」と言えるのではないでしょうか。
今も昔も海兵隊機は塗装をよく変えますが、そんな中VMA−214のA−4は、C型からE型にコンバートされても基本塗装は同じでしたから。

あかつか 2020/10/03(Sat) 22:04 No.1481
Re: 私のアルバム〜FJ−4
初めて“大人のカメラ”を使ってヒコーキ写真を撮り出したのは1961年8月中学2年生のときでした。そのとき厚木へ行かれさえすればフューリーを見られた可能性はあったのですが、情報ゼロの時代に中学生が一人でランウェイエンドへ行かれるはずがありません。
ようやく厚木エンドに立てたのが写真を撮り始めて1年後の1962年8月。時すでに遅し、FJ−4は日本の空から消えていました。
そんな訳で、ハンコック/CVG−21で最後の厚木飛来となった[NP]のFJ−4Bの雄姿を拝めることができなかったことは、“海軍機マニア”としての無念さが未だ心に残っているのであります。     1962年3月2日 撮影:WATANABEさん

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:02 No.1482
Re: 私のアルバム〜FJ−4
翌年1963年10月4日、新機受領後初来日した“ブラックダイヤモンズ”のA−4C。
空母名を垂直尾翼に書いてあるのが珍しいですね。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:18 No.1483
Re: 私のアルバム〜FJ−4
上と同日、A1タキシーウェイを走るNP610。
私も1964年11月にVA−216のA−4Cを撮っていますが、そのときは空母名と飛行隊名が胴体尾部に移っており、塗装のバランスは63年時のほうが良かったですね。塗装デザインはA−4の中でもかなり良い方だと思うのですが如何でしょう。

あかつか 2020/10/05(Mon) 00:20 No.1484
私のアルバム〜F3HI

AGC版 私のアルバムから〜「最後のデモン」  K.Narisawa

あかつか 2020/09/13(Sun) 11:40 No.1452 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3HI
デモン特集、最終章のトップ画像はNarisawaさんが撮影されたVF−161/AH102。
これまで日本で撮影されたデモンの写真を数多く見てきましたが、光線状態、空のトーン、アクセントの雲、角度、ピント、申し分のない名作だと思っております。 1962年8月29日 厚木基地大和側にて
あかつか 2020/09/13(Sun) 12:01 No.1453
Re: 私のアルバム〜F3HI
おお!おお!美しいですなー。58年前とは思えないオシャレな塗装でした。臙脂のシェブロンにAレター。これがデモンの極め付きでしょう。8月29日。この当時は熱くなったって、気象庁発表は30度程度だったはず。でもヒコージョーの端は32度ぐらいはあったでしょうが、暑さを感じるヒマもないぐらいAHレターに興奮したものです。
でもいまだに、あの当時、どうやってフィルム現像や半間の押し入れの中の現像液を20度に保ったのか全く忘れています。あっ!!増感なら18度だった。水道の水は20度はあったんじゃないかなー?我が家は氷冷蔵庫は無く、2cm立方の小さな氷しか無かったので冷やせるはずは無かったです。
36度になんか負けるもんか!!!
のらひこ 2020/09/13(Sun) 13:09 No.1454
Re: 私のアルバム〜F3HI
オリスカニーがCVG−16(AH)を載せてるころは私は“標準時代”でしたのでお見せできるような写真を撮っていません(--;)
よって、のらひこんさんが撮られたVF−161/AH112の代貼りします。

>のらひこさん
この雰囲気、結構気に入ってます。高曇りの中、西から一瞬薄日が差してきたのでしょう。モノクロならではの優れた逸品と申しましょうか。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:03 No.1455
Re: 私のアルバム〜F3HI
これも、のらひこさんの代貼りです。
写真に撮影日が書かれていませんが、多分1963年12月2日だと思います(同じようなカットにVF−162のF−8Aがある)
燃料タンクを抱えスパローを吊るすと“細身”のデモンもグっと迫力が増しますね。撮らないまでもこんなタキシングを一度見たかったなあ。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:20 No.1456
Re: 私のアルバム〜F3HI
↑のデモンのタキシーを撮り、ランウェイへカメラを振ると、こんな光景が展開。
J71×4とR3350×6の“大演奏”はどんな音を奏でていたのでしょうか。この時ののらひこさんの心中、容易に察することができます。
半世紀以上前の出来事なのに羨ましく思ってしまう。

あかつか 2020/09/13(Sun) 17:45 No.1457
Re: 私のアルバム〜F3HI
あの日のカドでの興奮を思い出しましたよ!スカイレーダーが随分長くウエイティングした後、デモンがチョッとお先にと滑走路に進んだんですが、兎に角、レシプロのかすれたような、乾いた低音の上に、J‐71の轟音が重なって、交響曲の様でした。75mmか105mmだったらもっと臨場感を出せたでしょうが、あの時代は逆に長玉持ってたら一機一機撮って、情景写真にまで思いがいかなかったでしょうから、135mmで丁度良かったですね。
のらひこ 2020/09/14(Mon) 11:30 No.1458
Re: 私のアルバム〜F3HI
1963年来日時ではレドームの白い機体が数機確認されています。
ファントムほどではありませんが、“ノーズ”が黒か白かで機体全体のイメージは異なりますね。
海軍機マニアの多くは黒のレドームを好みますが、デモンの場合は白いほうがスマートに見え、白のファンも結構多かったのではないでしょうか。  1963.11.23 撮影:Narisawaさん

あかつか 2020/09/14(Mon) 22:55 No.1459
Re: 私のアルバム〜F3HI
上と同日に撮影されたAH110。 撮影:Narisawaさん
よく見るとテイルレターの位置とサイズの違いがありますね。こうしたことがあるのも60年代の海軍機ならではで「コダワリ派」のモデラーさんを悩ませるところ。
それにしても双方とも素晴らしい写真ではありませんか。

あかつか 2020/09/14(Mon) 23:07 No.1460
Re: 私のアルバム〜F3HI
トップ画像と同日、63年8月29日、大和側で捉えた“ベタ低い”AH107の着陸。
1965年頃までは現在の県道40号線を南へ200mぐらい先(今は基地内)まで入って撮ることができました。夏場は雑草が生い茂り居心地は余り良くありませんでしたが、少しでも滑走路の近くへ行きたがるのはマニアの性。Narisawaさんはその場所で撮ったのでしょう。レンズは多分135mm。セイダカアワダチ草が千載一遇のショットを邪魔してます。

あかつか 2020/09/14(Mon) 23:30 No.1461
Re: 私のアルバム〜F3HI
>あかつかさん、
AHデモンは探したら三機だけでした

地上も入らず、雲もないありふれた画像ですが記録写真レベルで
1963年8月2日の厚木19エンド
VF−161のF−3B(AH101/145264)

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:45 No.1462
Re: 私のアルバム〜F3HI
同日に撮影したデモンですがニッピ直後かマーキングがありません
1963年8月2日の厚木19エンド
VF−161のF−3Bと思われる(AH?/145267)

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:52 No.1463
Re: 私のアルバム〜F3HI
手持ちのラストは秋になってからのデモン
1963年11月4日の厚木01エンド
VF−161のF−3B(AH102/146738)
「ボッテリしたフォルム」に写ってしまいました

村越賢司 2020/09/15(Tue) 11:55 No.1464
Re: 私のアルバム〜F3HI
>村越さん
1963年8月2日、手帳の記録みたら厚木で一緒でした。
CVG14[NK]のF−4BやらF−8Eも飛んでましたので、横須賀にコンステレーションが入港中だったようですね。
感慨深いのは36枚1本のネガの中に、デモン(AH・NL)スカイレイ(WH・EK)クルーセイダー(NK・WS・PP・UE)ファントム(NK)と4種のファイターが写っている。当時は只ひたすらに降りてくるヒコーキを追いかけていただけでしたが、今思えば恵まれた時代環境の下に居たんだなあと思う次第です。

1463のノーマーク145267は、netで調べたところ、移動が激しい機体だったのですね。60年→VF−151/NL113,61年→VF−213/NP310,62年→VF−193/NM302,そして63年にVF−161/AHとなり、同年9月27日、オリスカニー上でクラッシュしています。
あかつか 2020/09/15(Tue) 19:39 No.1465
Re: 私のアルバム〜F3HI
これにてBBS「私のアルバムから〜F3Hデモン」を終了いたします。
当BBSへの写真、コメント等のご投稿ありがとうございました。以後もよろしくお願いいたします。

厚木で何回もデモンの離着陸に遭遇しましたが、余り記憶に残ってないのは空母艦載機であるが故、基地所属のスカイレイのように1年中飛んでいなかったからでしょうね。また、厚木へ通い出したとき最新鋭のファントムが日本に初登場した時期で、同じマクダネルの戦闘機とは言えデモンは線が細く見え、逞しさに勝る ファントムに心を奪われてしまったからだと思います。(それだけファントムの来日はショッキングでした)

↓はCHECKER TAIL1に掲載された写友SabuさんのF−4BファントムですがVF−161をデモンと比べて見ますと、塗装も機体もデモンのほうが良かったなあ、と感じるのは私だけでしょうか?
BBS2は、しばらくお休みをいただいて「フューリーと後継機たち(仮)」を10月1日から開始いたします。

あかつか 2020/09/16(Wed) 14:46 No.1466
Re: 私のアルバム〜F3HI
フューリーってFJ‐4ですよね。
のらひこ 2020/09/16(Wed) 21:16 No.1467
Re: 私のアルバム〜F3HI
>のらひこさん
巷ではFJ−1からFJ−4まで「フューリー」と呼んでいますが、我々世代マニアの中でのフューリーとはFJ−4のことを言います。
FJ−1は“ビヤダル”、FJ−2〜3は“ハチロク”ですものね〜(^_^)
まあ、BBSの展開次第でいろいろ紹介したいと思っています。
あかつか 2020/09/16(Wed) 21:30 No.1468
私のアルバム〜F3HH

1963年9月16日   撮影:赤塚 薫

あかつか 2020/09/08(Tue) 18:36 No.1438 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3HH
早朝、大和の森の脇から写したVF−213の離陸ショット。これで135mmですから如何にデモンの離陸が低かったのかが分かります。
運よく昼前には風が変わり、1428のNP301着陸写真につながることになります。午後から本降りの雨になり撤収しましたが、CVW−15[NL]のF−3B、A−4C、CVSG−53[NS]のA−4Bなどが撮れましたので、横須賀にはハンコック、コーラルシー、ケアサージの3隻の空母が入っていたようですね。
あかつか 2020/09/08(Tue) 19:34 No.1439
Re: 私のアルバム〜F3HH
Narisawaさんが1962年3月に捉えたモデックス無しのVF−213ですが、以前はVF−21[NE]の使用機。
VF−213へ転換されたばかりの“仮の姿”ではないでしょうか。

あかつか 2020/09/08(Tue) 23:57 No.1441
Re: 私のアルバム〜F3HH
三か月後の1962年6月13日、フル塗装なった同機を神戸港にてNakaiさんが撮影。

あかつか 2020/09/09(Wed) 00:07 No.1442
Re: 私のアルバム〜F3HH
翌年63年10月4日にMoriさんが撮影したときには機体を替えていました。143457 → 145222

あかつか 2020/09/09(Wed) 09:55 No.1443
Re: 私のアルバム〜F3HH
↓1963年9月3日にNarisawaさんが撮られたNP310の感動的ショット。
ここで注目したいのは、撮影日が9月3日であること。上のMoriさんが撮られたNP310は10月4日。以前Moriさんの10月4日のネガを拝見した記憶では、デモンのほかにCVG−21[NP]の所属機が数多く写っていました。と言うことはハンコックはひと月以上も横須賀に居たことが考えられます。

“ベトナム以前”の60年代、米空母が横須賀へ入港すると1〜2ケ月停泊することはさほど珍しいことではなく、その間兵士は、鎌倉をはじめ東京の観光地へ行き鋭気を養っていたのでしょうね。
こうした空母の長逗留は現在のように連日飛行場へ行かれなかった日本のマニアにとって大変有難いことでした。

あかつか 2020/09/09(Wed) 23:32 No.1444
Re: 私のアルバム〜F3HH
63年10月4日、A1タキシーウェイを走るNP311。ブルーラインとブラックライオンのパターン。Moriさん撮影。

あかつか 2020/09/09(Wed) 23:55 No.1445
Re: 私のアルバム〜F3HH
Geta−oさんが撮られた1369のNP313の再掲です。上のNP311と塗装パターンは同様ですが、微妙な相違点もあります。
御用とお急ぎでない方は見比べてお楽しみ下さい(^-^)

あかつか 2020/09/10(Thu) 18:34 No.1446
Re: 私のアルバム〜F3HH
63年10月4日のNP314。
海軍機ファンはおそらく「ラダーに星、ライオン付き」のこの塗装を支持するでしょうね。デモンらしい落ちつきあるデザインだと思います。

あかつか 2020/09/10(Thu) 18:45 No.1447
Re: 私のアルバム〜F3HH
1438トップ画像の“送りのショット”ではなく、同日並んで撮っておられたMoriさんの作品。  1963.9.16/RW19
これにて手元にありましたVF−213[NP]デモンの写真は、すべて張らせていただきました。発表された以外のモデックスを持つVF-213のデモンの写真がございましたら、よろしくお願いいたします。

あかつか 2020/09/10(Thu) 23:27 No.1448
Re: 私のアルバム〜F3HH
VF−213のデモンが日本の空で見られたのは1960年から4年ほどだったので、当時のマニア人口から見れば撮影できたマニアは多くはありません。それでも結構な数の写真が残されているのは、厚木へ飛来した機数やフライトの回数が多かったからでしょうね。

私がその後VF−213に出会ったとき(1965年12月27日)には、すでにF−3BからF−4Gに機種変換されていました。

あかつか 2020/09/12(Sat) 12:10 No.1449
Re: 私のアルバム〜F3HH
ビネガーシンドロームで酷いダメージを受けたネガからの再生なのでお見苦しい写真ですが、私が撮った唯一の右向きのVF−213/F−4Gです。
100番台にも関わらず塗装色は、スコードロンカラーの赤を使わず、フィールドグリーンを暗くしたようなくすんだ緑でした。ネット上で何枚かカラー写真を見つけましたが、色の決め手になるような写真はありませんでした。
オールドマニアとしては、こうしたオーソドックスな塗装がお気に入りなんですがね。

あかつか 2020/09/12(Sat) 12:25 No.1450
Re: 私のアルバム〜F3HH
1966年10月からのキティーホークの西太平洋航海ではF−4GからF−4Bにコンバートされ、スコードロンカラーも100番台を示す赤となりました。VF−213は以後このパターンの塗装を何年も続け、多くの海軍機マニアのカメラに納められたのはご存知の通りです。 1966年11月 洗い場にて

あかつか 2020/09/12(Sat) 12:43 No.1451
私のアルバム〜F3HG

1060.9.28 emergency!

あかつか 2020/09/02(Wed) 22:43 No.1422 [返信]
Re: 私のアルバム〜F3HG
ヒコーキ写真マニアならひと目見て分かるデモンの緊急着陸ショット。 撮影:Komiyaさん
誰もが何回ともなく見てきたエマージェンシー・シーンですが、大方は着艦フックを降ろしている機体だけを写真に収めるだけに留まります。
このショットの凄さはF8U−1Pが、いかにも事故機を見守っているかのような飛び方をして両機を一つの画面に捉えたことではないでしょうか。
これこそドキュメント写真そのものと言えます。
あかつか 2020/09/02(Wed) 23:19 No.1424
Re: 私のアルバム〜F3HG
“デモン特集”も余すところVF-213[NP]とVF-161[AH]のみとなりました。
VF−213は1959年12月にスカイレイからデモンにコンバートされ、以後60年11月にレキシントン、62年2月と63年6月からはハンコックに載って来日。来日した数々のデモンの中では比較的多くの写真が残されている人気の飛行隊機でした。 撮影:Moriさん

あかつか 2020/09/02(Wed) 23:40 No.1425
Re: 私のアルバム〜F3HG
↓geta-oさんが#1368で紹介された1963年撮影のNP301の再掲です。
文林堂「世界の傑作機」F3H Bu.Noリストの中ではF3H−2/145292〜145306 cancelled(14)と書かれていますが、
145292から145306の計は15機ですので下の145301のみが造られたことになるわけですね。

 

あかつか 2020/09/03(Thu) 23:34 No.1426
Re: 私のアルバム〜F3HG
↓はNakaiさんが1962年6月13日神戸港で撮影されたハンコック上のNP301。胴体にはブラックライオン、尾翼にはライトブルーの帯にイエローの星が入っています。

あかつか 2020/09/03(Thu) 23:47 No.1427
Re: 私のアルバム〜F3HG
1963年9月16日、RW19へ進入するNP301。テイルレターは直角パターン。
機体は1426のgeta−oさんのカラー写真と同じ145301なので、撮影日がどちらが先か気になるところです。

あかつか 2020/09/04(Fri) 00:26 No.1428
Re: 私のアルバム〜F3HG
あかつかさん、ご無沙汰しています。
F3Hの特集楽しませてもらっています。1426で145292から145306までキャンセルとの事ですが、それは無いと思います。ちょっと調べてみたのですが145303 VF-53 NF-208や145302 VF-121 NJ-139などの写真を見つけました。本当は全部探せればよいのですが。
文章だけでは何なのでF3Hの写真を探しましたがお見せできるようなものはありませんでした。と言うわけで最近のVFA-213を、と言っても7年前ですが。

徳永 2020/09/04(Fri) 10:36 No.1429
Re: 私のアルバム〜F3HG
>徳永さん
確かにネットでググッてみますと、キャンセルされてないようですね。「世界の傑作機〜デモン」の再構成版が出版されるようでしたら文林堂の編集人に注意しましょう。紙媒体をすぐ信じてしまう自分に“喝!”です(~~;)

↓は1963年10月4日、Moriさんが撮影されたNP303/145270。垂直尾翼の帯の塗り方が中途半端ですね。この年飛来したVF−213のデモンの塗装はいくつものパターンがあったのは何故だったのでしょうか。マニアにとっては大変喜ばしいことですけど・・・。

あかつか 2020/09/04(Fri) 19:20 No.1430
Re: 私のアルバム〜F3HG
No.1430のMoriさんのデモンと同じ機体の約1ヶ月後.
胴体国籍マーク後方のBlack Lionマークも無くなりつまらない塗装になっていました
1963年11月4日の厚木01エンド
VF−213のF−3B(NP303/145270)
135mmだとぼってりしたフォルムに見えてしまう

村越賢司 2020/09/04(Fri) 23:26 No.1431
Re: 私のアルバム〜F3HG
>村越さん
確かに135mmでの定番アングルですね。それでもデモンを望遠レンズで撮った人は団塊マニアの中では何人も居ませんので、私としては羨ましい限りです。

Moriさんが01の“カド”から400mmで捉えたNP306。
1963年の撮影ですが、この時代に400mmを駆使してデモンを撮ったマニアは、Moriさんしか居なかったと思います。

あかつか 2020/09/05(Sat) 23:22 No.1432
Re: 私のアルバム〜F3HG
↑と同日撮影されたNP307。
“ライオン”なし、ブルーラインは尾翼の先端部に引かれています。
左にC−135の尾翼が写っていますが、1963年当時C−135Bはまだ新鋭機だったので、もし当日に降りていたらこの日は結構ツイていたということになりますね。

あかつか 2020/09/06(Sun) 15:08 No.1433
Re: 私のアルバム〜F3HG
想像ですが、上のNP307のタキシングを200mmで抑えた後、[WS]のF−8Eが来るのを待ち、400mmで撮ったMoriさんならではの作品。“ファントム以前”、60年代初期の厚木を表す記憶に残る名ショットですね。
標準レンズしか持てなかった“駆け出し組”の私は、01エンドの土管の上から、このような光景を指をくわえて見ているだけでした。

あかつか 2020/09/06(Sun) 15:51 No.1434
Re: 私のアルバム〜F3HG
NPではありませんが1962の3軍で展示されたF3H-2N
正面からの絵が出ていませんでしたので

geta-o 2020/09/06(Sun) 21:54 No.1435
Re: 私のアルバム〜F3HG
>geta-oさん
初めて厚木三軍記念日へ行ったのは1963年5月12日。この日は残念ながらデモンの展示はありませんでした。触れるぐらいの距離でデモンをじっくり見たかったですね。たとえノーマークであろうともガッチリ撮ったレストア機より、現役機の写真ほうが良いと思うのは私だけでしょうか。

↓は私の数少ない望遠レンズでのデモンの着陸写真。古くからの写友T君からお借りしたヘクトール135mmF:6.3で撮ったものでが、ヘクトールと言っても余程のカメラマニアでないと判らないでしょうね。ライカの交換レンズです。 1963年8月 RW19側にて

あかつか 2020/09/07(Mon) 18:57 No.1436
Re: 私のアルバム〜F3HG
同年の10月4日、Moriさんが捉えたNP308。上と同じ146739ですが、2ケ月も経たぬ内にテイルレターの書き方を変えています。
理由は何だったんでしょう。ことほど左様にVF−213のデモンの塗装バリエーションは多彩だったのです。

あかつか 2020/09/07(Mon) 19:13 No.1437
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