おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
Atsugiの想い出 01

1960年9月28日 午後の厚木01側  撮影:Komiyaさん

あかつか 2021/03/02(Tue) 09:24 No.1862 [返信]
Atsugiの想い出 01
デモンは着艦フックが降りているので多分エマージェンシー。VCP−61/SS918が写り込んでいるところから緊急感のある写真となっています。
ですが、実際はF8U−1Pが着陸態勢に入ったところで、後方からエマーのデモンが近づいてきたのでエンジン全開でコースを外し進路を譲ったのではないでしょうか。皆さんも長い飛行場通いでこのようなシーンに幾度となく遭遇されたでしょう。

今回気になったのは、画面右に写っている聳え立つ一本の松。
厚木へ通い出してから常に視界には入っていたものの、標準レンズの駆け出し時代では松を通り過ぎてからシャッターを切るのでネガにはほとんど写っていません。この松は何年頃まで生えていたのでしょうか?
あかつか 2021/03/02(Tue) 21:54 No.1863
Atsugiの想い出 01
Moriさんからお借りしたコムラー400mmとペトリ・ペンタで撮ったJD−1。露出不足の上、ピントも外し見苦しいショットではありますが、これが私の“松入り”唯一の写真です。1963年2月5日

あかつか 2021/03/02(Tue) 21:59 No.1864
Re: Atsugiの想い出 01
>あかつかさん
一本松ありましたね

私の映り込みショットは
1963年11月4日の厚木01エンド
VC−137A/58−6970
だけでした

村越賢司 2021/03/03(Wed) 12:49 No.1865
Atsugiの想い出 01
>村越さん
この頃はもう135mmを使っていたのですね(羨)
しかも写真がスバラシイ!。この時代のVC−137A、厚木に駐機しているのを見てますが結局1度も撮れませんでした(残念)
“松”が入ったほうが良いのか、無いほうが良いのか、マニアの好みは分かれるところですね。私は入れたい派。

下はMoriさんが200mmで捉えた「松」。ネガの画面そのままです。
滅多なことではやらなショートカットするネプチューンを焦ることなく縦位置で撮ったというのが凄すぎます。さすが師匠!。

あかつか 2021/03/03(Wed) 15:20 No.1866
Re: Atsugiの想い出 01
松の木小唄 

松の木ばかりが まつじゃない
時計を見ながら ただひとり
今か今かと   気をもんで
あなた待つのも まつのうち
あかつか 2021/03/05(Fri) 20:49 No.1867
Atsugiの想い出 01
上は「松の木小唄」の歌詞ですが、何人かの歌手が様々なアレンジで1965年に大ヒットした年配の方々にはおなじみのお座敷艶歌。
01エンドの松の写真を見て、当時のヒコーキマニアの気持ちを想像してアレンジしてみました。

待つの機ばかりが 待つじゃない
時計を見ながら ただひとり
今か今かと   気をもんで
友を待つのも 待つのうち      ※横道失礼致しました
あかつか 2021/03/05(Fri) 21:02 No.1868
Re: Atsugiの想い出 01
あのですね・・・古希過ぎた場主ですから、横道も良いですが、50以下の方は、曲も思いつかないでしょうね???
VC-137、良いですねえ。角度もバッチリ、それにさりげなく「松の木」
往年の厚木の証拠です。しかし、この時代の707、720等はカッコ良かったですね。
のらひこ 2021/03/06(Sat) 20:41 No.1869
Re: Atsugiの想い出 01
>のらひこさん
そうですね。707は筋肉系男子、ライバルのDC-8は女性的な柔らかい体つきで、マニアの人気も二分されてましたね。
のらひこさんは707派とみましたが、いかがでしょう。

707(PAA)の初来日は1959年8月21日ですから私たちが写真を撮り出す2年ほど前。そのワリには当時の“興奮エピソード”を先輩方から余り聞かないのは、1952年にコメットが、1958年にはTu−104が初来日し、
いずれも世間からも大注目された後でジェット旅客機騒ぎが一段落していたからですね。

マニア的にも横田に初飛来したときのKC-135の世界記録伝説や、B-47とKC-97コンビからB-52の給油機としてKC-135の登場が、
707の来日より先だったこともあります。
写真は、1958年4月13日、午前5時23分、無給油長距離世界記録へ横田を飛び立つKC-135A。
撮影者のNakasatoさんの話によりますと、燃料満載で離陸高度が低くなることから、危険防止のため滑走路延長線上の電柱を抜き倒したそうです。

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:02 No.1870
Re: Atsugiの想い出 01
B−47とKC−97コンビが主流だった時代、KC−135は「超」が付く新鋭機だったに違いありません。航空情報1959年8月号の読者ページに掲載されています。
生写真を拝見したことがありますが、それは素晴らしいもので、ひと目で横田で撮られたことが分かりますし「KCファン」には垂涎の写真と言えましょう。

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:35 No.1871
Atsugiの想い出 01
テーマが厚木から横田へ廻ったついでに自分のKC-135Aも張らせてもらいます。
相変わらず手前に鉄条網を入れる芸の無いショットですが、広角レンズを購入してすぐ、大型機が多い横田へ“遠征”したときの写真です。 1965.11.26    ペンタックスSV/タクマー35mmf3.5

あかつか 2021/03/07(Sun) 18:45 No.1872
Atsugiの想い出 01
Narisawaさんより松の木周辺が分かる写真が送られて参りましたのでコメントと共にご紹介いたします。 1963年2月12日撮影

[コメント]
ご苦労されて続けてこられたCTのブログへの攻撃は実に腹立たしたく折角の資料作品が何とも残念ですが、再スタートされまた楽しませていただきます。
“一本松”シリーズの使用に耐えるものか分かりませんが、S2Fのタンデムストレート着陸のポジがありましたので送ります。
自身は掛かる連続着陸に遭遇したのはこの時だけでした。WWU時の映画みたいです。対潜空母の関連機体の匂いがありませんので海自のS2F−1と思われます。写真には写っていませんが離れたところにもう一機いました。

あかつか 2021/03/08(Mon) 19:28 No.1873
Atsugiの想い出 01
>Narisawaさん
たいへん珍しいトラッカーの写真ありがとうございます。
そのまま着陸したとすると後から降りるパイロットは、ずいぶん気を使ったでしょうね。
この写真を拝見しますと如何に“一本松”が目立つところに立っていたかがよく分かります。
もし、この松がランウェイ・エンドの近くに生えていたら横田36の樫の木のようにマニアは争って登るでしょうね。
あかつか 2021/03/08(Mon) 19:44 No.1874
Atsugiの想い出 01

1958年3月 厚木01側風景     撮影:Kondohさん

あかつか 2021/02/22(Mon) 18:06 No.1849 [返信]
Re: Atsugiの想い出 01
1962年10月1日 厚木01側風景   撮影:Ichijohさん

あかつか 2021/02/22(Mon) 18:39 No.1850
Atsugiの想い出 01
No1849とほぼ同じ位置から撮られたNo1850の写真を見比べますと5年間の環境の変化が見てとれます。(農家の家も増築されている)

1958年の写真では土管もフェンスも無く、滑走路エンドまで遮蔽物らしきものが一切ありません。
Kondohさん曰く「桜ヶ丘側は怖くて行けなかった」と、かつて語っておられ、VF−154のF8U−1の写真も唯一01側で撮った写真だそうです。
あかつか 2021/02/22(Mon) 19:29 No.1851
Re: Atsugiの想い出 01
1964年1月6日、初撮りでの厚木01。
ここで注目したいのは、この地点から撮った写真に必ず写っていた農家がありません。
1850の62年10月1日以後の写真が無いので、はっきりしたことは言えませんが、おそらく1963年に移住したのでしょうね。

あかつか 2021/02/23(Tue) 00:26 No.1852
Atsugiの想い出 01
中原街道から写した『VW』のF−4Bのショット。
撮影は1966年。厚木から海兵隊が去った後ですから、この『VW』は多分ニッピからのテストフライトでしょう。
道路を見て分かるように、舗装はされておらず悪路そのもの。ときどき車全体をシートで覆った乗用車が走行してました。
付近には民家も少なく、自動車メーカーの性能試験には打ってつけの道だったようですね。

あかつか 2021/02/23(Tue) 00:35 No.1853
Atsugiの想い出 01
01エンド付近の畑を耕すお百姓さんと耕牛。撮影日は1960年10月21日と記されていますが、60年代はじめ頃まで農耕にまだ牛が使われていたのですね。
撮影者のWatanabeさんも驚きを隠せなかったのではないでしょうか。ネガを拝見しましたが「牛入り」の写真を3コマも撮影しておりました。
綾瀬市の史料として残しておくべき写真だと思います。

あかつか 2021/02/23(Tue) 23:40 No.1854
Atsugiの想い出 01
↓30年前に発行された写真集「フェンスの向うのアメリカ」に掲載されたWatanabeさんの秀作。
写真の芸術度としてはこちらの方が高いように思いますがいかがでしょうか?。
ネガ原版は上のショットと同様横位置でしたが、左右をカットして掲載したあたりは編集者のセンスに脱帽。

本書の内容の充実度は言うまでもありませんが「フェンスの向うのアメリカ」の書名にも大いにひかれました。
私ら青少年時代のアメリカと米軍基地への思いを一言で表しているようで感嘆したのですが、その後、同世代の横浜出身ロックシンガー、
柳ジョージが本牧を歌った曲名と同じであると分かりました。
なるほど。本書の出版元はソニー・マガジンズでした。

あかつか 2021/02/25(Thu) 00:01 No.1855
Atsugiの想い出 01
1967年2月13日、ボノム・リチャード/CVW−21(NP)のフライ・インが終わり一息ついたところにH&MS−15のC−54Qが降りてきました。
豪雪の翌日ではありましたが、マニアは6人しか来ていません。まあ、入港を知る人も少なかったわけですが・・・。
雪の日でも荷物を置くところは決まっていたようですね。

あかつか 2021/02/25(Thu) 23:48 No.1856
Re: Atsugiの想い出 01
イヤハヤ、60年前前後の写真のオンパレードに、感極まっていますよ。しかし、撮り鉄に全く引けを取らない貴重な写真ですね。
私も当時の思い出を一つ・・
中三の秋、1962年10月13日、なんとキューバ危機の10日ほど前の写真です。確か航空自衛隊の知り合いが前日か前々日に電話を掛けてきてくれて、キティーホークが南鳥島辺りに居るけど、ファントムを積んでるはずだよとのこと。当時は土曜も学校があったはずですが、どういう休学届?を出したのか、厚木に撮影休校しました。エンドには、工学院大学の先輩のみ。
曇り空の午後、遠く南の空に、やけに太い排煙、近づいて来るとまごうこと無きファントムに大興奮でした。真っ直ぐILSか何かでゆっくりと近づいて来たので、興奮も大きかったですね。
後で判ったことですが、現在の航空評論家の泰斗が何日か前に撮影なさっており、日本初の撮影とはなりませんでした。

のらひこ 2021/02/26(Fri) 19:16 No.1857
Atsugiの想い出 01
>のらひこさん
「初撮り」というのはマニア冥利に尽きますね。しかも対象が注目機であればあるほどボルテージが上がるわけで、この数日後、お会いしたとき初ファントムの撮影状況を神田伯山のような名調子で聞いて、心底羨ましさを感じたものです。
(私のファントム初撮りは半年後のレンジャー/VF−96(NG)まで待たなければならなかった)

1962年当時、新鋭機の写真などは専門誌でしか見られないものですから、ファントム初飛行以後、その来日をマニアは心待ちにしていたのです。その初来日時にファントムをキャッチした衝撃度は一生忘れられないのではないでしょうか。
この時点で日本のマニアの中でファントムを撮った人は3人目(同日のF井さん含め)ぐらいだったと思います。

↓着陸が01側であったと判る2枚目のショット。H&MS−17の54と117のクルーも新鋭ファントムを目で追っていたのではないかなあ。 撮影:のらひこさん

あかつか 2021/02/27(Sat) 11:49 No.1858
Atsugiの想い出 01
ファントムが初来日なら積んできた空母キテイホークも横須賀初寄港で、1962年10月10日に報道陣に公開されています。
海軍機の名称が新たになったのは9月18日付、従ってファントムはF−4Bでなく旧称のF4H−1のまま。そこに価値感を見い出す人は古希を過ぎたマニアだけでしょうね。

↓のコピーは航空情報62年12月号のルポ記事と写真ですが、のらひこさんの写真も左のWatanabeさんの写真と共に掲載されていました。当時航空情報の写真使用料は300円と記憶してますが、中華ソバが一杯50円の時代、中高生マニアにとって大変ありがたい金額でした。

あかつか 2021/02/28(Sun) 23:33 No.1859
Re: Atsugiの想い出 01
01側の思い出として1972年5月何もフライトのない静かな日は、厚木のスカイダイビングクラブが楽しんでいました。
その中の1名が北風に流されフェンスの中に着地できず、住宅地に着地しました。
景色は現在と全く違いますが、画面右側に中原街道が走っています。
新聞沙汰になったのか覚えていませんが、今ではマスゴミの絶好のネタとなったでしょうね。

MACH3 2021/03/01(Mon) 10:59 No.1860
Atsugiの想い出 01
>MACH3さん
日本の家屋とパラシュート。このアンバランスさが緊張感を生んでいますね。
ヒマな01の穏やかな昼下がり。クレー射撃場からパンパンと響く音をよく聞きました。これも今ならA社の恰好の餌食となるでしょう。
あかつか 2021/03/01(Mon) 11:54 No.1861
Atsugiの想い出 01

H&MS−17のC−54SとUB−26Jの残骸 1966年1月24日

あかつか 2021/02/16(Tue) 18:47 No.1835 [返信]
Atsugiの想い出 01
No1826・1827で紹介しましたHUPの続きです。
1961年10月1日、浜松へ飛来した際のHUP−3のショットですが、この時点ではまだエンジングレイ一色です。
B/Nが147593と若いのはARMYからまとめて移籍してきたからですね。ARMYはCH−47を1962年から使ってますから「お余り」が回ってきたということでしょうか?

あかつか 2021/02/16(Tue) 19:09 No.1836
Atsugiの想い出 01
伊丹で撮影されたエンジングレイ塗装以前のHUP−2。1958年頃 撮影:S.Hiraiさん
国内で撮影された「ガルグレイ・ハップ」は大変珍しくCHECKER TAIL4に載せられなかったことを残念に思っています。

あかつか 2021/02/16(Tue) 19:16 No.1837
Atsugiの想い出 01
1963年3月3日、浜松基地へ飛来した“ハップ・ツー”(HUP−2)。撮影:Yoshinagaさん

尾部に描かれている顔のイラストはアメリカの風刺雑誌『MAD』のマスコットキャラクター、アルフレッド・E・ニューマン。
この頃日本人の中でアメリカの雑誌を購読するような人は余り居なかったので、イラストは誰かの似顔絵だと思ったでしょうね。
その当時、横浜元町のブックストアでMADを見て初めて知りましたが、日本人の感覚から馴染めなさそうに感じました。ちょっと不気味で・・。

あかつか 2021/02/16(Tue) 19:37 No.1838
Re: Atsugiの想い出 01
>あかつかさん
不適切だったラ削除してください。でも大統領予備選のころから現運輸長官ブティジェッジ氏は、アルフレッドが大人になったらこんな顔になると思っていました。

徳永 2021/02/17(Wed) 10:09 No.1839
Re: Atsugiの想い出 01
>徳永さん
確かにアルフレッドはブティジェッジ氏によく似てます。思わず笑ってしまいました。
ずいぶん昔、横浜中華街裏の酒場にあったスロット・マシーンはアルフレッドの顔が三つ並ぶとジャックポットになるスロットでした。遊んではみたものの良い事なく回転したドラムのアルフレッドの顔が一つで止まってしまうとき、何かバカにされたような気になりましたね。

話が横道に逸れましたのでHUPに戻ります。
HUPのニックネームはRetriever。当時のマニアは皆さん『ハップ』と呼んでおり、レトリバーと言う人は居ませんでした。
ニックネームの意味がレトリバー犬だとすると、落とされた鳥を持ち返る犬にかけたと思われ、Retrieverと命名した人にセンスを感じます。

↓救難ヘリHUPの特徴である前部が透けているのが分かるMoriさんの絶妙ショット。 1961年2月27日撮影 

あかつか 2021/02/17(Wed) 18:49 No.1840
Re: Atsugiの想い出 01
航空情報1959年12月号の「私のアルバムから」の佳作作品ですが、見方によっては“特選”になったと思われるShimozatoさんの傑作。
死者、行方不明者5000人を超え、台風被害史上最悪の惨事となった伊勢湾台風上陸後の4日目、城北公園で撮影された。米軍が救助に活動していた証拠写真でもあり、史料(資料)的に大変貴重な写真です。

あかつか 2021/02/18(Thu) 19:13 No.1841
Atsugiの想い出 01
後年、ネガをお借りした原版ではHUS−1は尾部まで写っていて、空、地上も広がりがありましたが、Shimozatoさんのトリミングは1mmも動かせないほど完璧です。
カメラは「蛇腹の名機」パールV。セミ判のなせる技と言ってよいでしょう。それに致しましても1/50秒のシャッタースピードには驚きです。

あかつか 2021/02/18(Thu) 23:27 No.1842
Atsugiの想い出 01
HUPは1964年をもって退役。厚木を本拠にしていたHU−(UP)のUH−25Bは、その任をUH−2Aシースプライトに譲り、
1965年の三軍記念日では少年たちの遊具となっていました。 撮影:Murakoshiさん

あかつか 2021/02/19(Fri) 19:01 No.1843
Atsugiの想い出 01
別の機体は消化訓練の場へと運ばれ最期の“おつとめ”を果すべくJD−1との間に横たわっています。
1965年5月9日、私が見たHUPもこの日が最後となりました。

あかつか 2021/02/19(Fri) 19:18 No.1844
Atsugiの想い出 01
先輩マニアが滅多に見られなかったという岩国のP4M−1Qマーケーターは、厚木で分解され燃やされたと聞きいてますが、
那覇のJD−1D(UB−26J)も同様で厚木飛来はこのときだけの“激レア”機でした。   1963年2月28日 撮影:Flying.Tさん

あかつか 2021/02/20(Sat) 19:31 No.1845
Atsugiの想い出 01
那覇から飛来したDB−26Jは、その後飛んだという話は聞かなかったので、VU−5に数機残っていたUB−26Jの
部品取り機として格納庫から外へ出さなかったと推測いたします。
写真は8ケ月後の63年10月4日、消化訓練場へ運搬されるDB−26J。
60年代マニアにとって懐かしいクレーン車がここでも活躍してますね。「エンヤコ〜ラ」のヨイトマケの唄を思い出します。

あかつか 2021/02/20(Sat) 19:52 No.1846
Atsugiの想い出 01
8日後の10月12日、消火訓練の定置場に収まったDB−26J。
エンジンとラダーが外され、機首にはバンドが巻ついています。31のモデックスがペンキで消されていますが何か理由があるのでしょうか。
写真は50mmで撮ったものですので、かなりフェンス近くに鎮座していたようです。

次に厚木へ行ったのは10月28日ですが、その日DB−26が消火場に有ったかどうか分かりません。そのような心配よりこの日初めて見る
海兵隊のF−4B(VW)が東側MAG−11の格納庫前に12機ズラリと並んでおり、すでに用廃機への興味は失くしていたと思います。

あかつか 2021/02/20(Sat) 23:50 No.1847
Atsugiの想い出 01

綾瀬スポーツ公園多目的広場目前の中原街道前の信号付近あたりにあった通称「ガードボックス」。
チャリンコで巡回している日本人ガードの休憩所or連絡所?
と言うか南西ゲートって呼ぶんでしょうか?
大東亜戦争時代にはこの付近に遊郭があったそうです。
当時は柵、金網等は無かったので、ゲート自体も存在していなかったかもしれません。
中原街道で写真を撮っていると時々「こら〜!撮るなッ!」と我々にとってはうるさい存在でした。
1970年1月の撮影でしたが、学生運動がまだ盛んな時期にしてはフェンスはしょぼいですね。

MACH3 2021/02/11(Thu) 17:28 No.1801 [返信]
Atsugiの想い出 01
>MACH3さん
よくぞ撮っておいて下さいました。ガードボックス、じつに懐かしいです。
中は二畳ぐらいで、小さな机が置いてあり、その上に内線電話が一台置いてありました。
米軍基地特有のフェンスと警告板。手前には前日降った大雨のぬかるんだ中原街道の砂利道。写真専門誌に掲載されるような素晴らしい記録写真と言えましょう。
私はこうした日常を記録することの大切さに気付かず、最も日常と言える生まれ育った実家の写真ですら一枚も撮らなかったことを今後悔しております。

下の写真は神戸のNakaiさんが1958年5月17日の厚木三軍記念日に撮られた厚木基地の正門。
車の出入りなどから想像しますとシャッターチャンスを意識して撮影したようですね。
1958年の厚木三軍記念日は基地内での撮影が禁止され一般入場者はカメラをゲートに預けたと聞きました。
そのウップンをゲートの写真に賭けたのではないでしょうか。大変優れたドキュメント写真となっています。

あかつか 2021/02/11(Thu) 18:29 No.1802
Atsugiの想い出 01
管理人さんがレンタルサーバー会社に問いあわせたところ、バックアップデータの戻しサービスはしていないとのことでした。
復旧なれば良いのですが“スパム攻撃”は掲示板の宿命のようなものですので、こうしたケースは覚悟しなければならないでしょうね。
BBSのURLを変更しましたので、新たに検索されて攻撃を受けるまでは大丈夫かと思います。

01側の風景として貴重さではトップクラスの記録と言えるのは、Narisawaさんが1960年1月15日に撮られたこの写真です。
厚木滑走路の延長工事は1960年の2月から6月までとなっていますが、周囲の整地は2月以前に開始されたようで、工事用ブルトーザーが左端に小さく写っています。
工事中厚木をベースにしていた基地所属機は、ジョンソンやキュービポイントへ移動しましたが、連絡用のヘリコプターは残っていたようです。

あかつか 2021/02/12(Fri) 21:08 No.1824
Re: Atsugiの想い出 01
ご迷惑をお掛けしました。
今回は被害があり、投稿画像のほとんどが消えてしまいました。
このような事してなにが面白いのでしょうか?

投稿先を調べたらフランスでしたが、恐らく偽造かと思われます。
投稿するには6ケタの数字入力が必要ですが、スパム投稿するためにプログラムを作成しBBSから与えられる該当数字が一致するまで1〜999999までをカウントする仕組みでスパム投稿されたと思われます。
そのため、投稿時間が2〜3分の間隔がありましたので間違いないと思います。(ご苦労さんでした)

当BBSの投稿規制として、投稿内容に日本語が含まれなくては投稿できないのですが、この辺もうまくスルーできたようです。

今までは、投稿IPアドレス(投稿者の住所地域)でスパムの規制をかけているのですが、今回のような偽造?された場合は無限にスパムIPアドレスを登録しなくてはいけないのでURLを変更しました。
というのもIPアドレスを登録した後にもスパムが続き、しかもIPアドレスが今度は複数に増えたためです。

そこで、当BBSの住所(URL)を変更すれば、スパムが届かなくなると思い変更しました。
相手側に登録された当BBSの住所は当方が引っ越したため配達不能となっていることでしょう。

今後、検索ロボットがこの新URLを見つけGoogleなどに登録され、スパム屋さんが見つけてサイトに悪戯するまで暫く時間があると思います。

1970年7月に桜が丘側の登校A1タキシウェイ南の空き地に突然海兵隊?がテントを張り何か機材を設置しました。
画面右側には対人レーダー?でしょうか、常にフェンス外にいる我々の方に向いていました。
移動してもこちらに向くので少し不気味でしたが、何かのテストだったんでしょうか?

MACH3 2021/02/13(Sat) 06:57 No.1825
Atsugiの想い出 01
>MACH3さん
何の設備なのか軍事の専門家に尋ねれば分かると思いますが、日本のヒコーキマニアに説明できる人は居ないでしょう。
危ない雰囲気が漂っていますから、写真を撮っているとき警備の目に止まらないで良かったですね。

1824のヘリは多分HU−1(UP)のHUP−2でしょう。
HUPは1964年4月まで現役だったらしいのですが、私ら世代のマニアでは飛んでる姿を撮った人は少なく、せいぜい厚木三軍記念日で用廃となった機体をそばで見られたぐらいでした。
下はKumakiさんが1960年の立川三軍記念日にて45mmで撮影した“ハップ・ツー”の ショット。準広角でこれですから実際は相当な迫力だったでしょう。

あかつか 2021/02/13(Sat) 19:09 No.1826
Atsugiの想い出 01
専門誌等で余り出ないパイアセッキ(後にボーイング・バートルに吸収)HUPを紹介します。

HUP(UH−25)は厚木へ通い出したころはまだ飛んでいたものの標準レンズ1本の駆け出し時代ですから、遠方で確認するのみで撮影はできませんでした。H−21と共に最も撮りたかったヘリでした。
やはりタンデムのヘリは写真映えしますね。フルオレセントレッドオレンジに塗り分けていた頃の“ハップ・スリー”です。
1962年10月16日 撮影:Watanabeさん。

あかつか 2021/02/14(Sun) 19:01 No.1827
Atsugiの想い出 01
みなさん、こんばんわ。

こちらではお初になります。
“60年代”限定と敷居が高い為、いつも拝見だけさせて頂いておりましたがNo.1802での神戸のNakaiさんが撮られた厚木基地の正門を拝見し私のコレクションから、その2年前の1956年7月撮影の厚木正門です。

Burnett 2021/02/14(Sun) 19:18 No.1828
Atsugiの想い出 01
その反対側というべきか引地台側のMAG-11 MAIN GATE
現在の引地台中学校あたりでしょうか?こちらも同じく1956年7月撮影。

Burnett 2021/02/14(Sun) 19:35 No.1829
Re: Atsugiの想い出 01
Akatsukaさん、こんにちは。

BBS2では多分最も若い?部類の人間と思われる自分なので、いつも投稿を遠慮しているのですが
今回No-1825でMACH3さんが"凄い"ショットを出され我慢が出来なくなって出て参りました。

No-1825ですが、Akatsukaさんが仰る通り"危ない雰囲気が漂っていた”のは事実で
もっと言うと、"とても写真を撮れる状況ではなかった"というのが現場の雰囲気でした。

アノ「対人レーダー」の動きは俊敏で正確、加えて周辺の草むらには銃を構えた海兵隊員が腹這いとなって
此方に照準を定めていましたので、顔を出すことも躊躇われる程でした。

その為、自分は怖くて到頭1枚もシャッターを切る事が出来ませんでした。

今回ご紹介する一枚は未だマニア駆け出しの16歳の折撮った"M-17ガスマスク"をし"ウインチェスターModel 70”を
構える米海兵隊員の姿です。

M.WADA 2021/02/15(Mon) 11:27 No.1830
Re: Atsugiの想い出 01
富士山、大山、そして弾薬庫の山脈ショット。
50年前頃(1970年頃の撮影)の富士山にかかる雪の量は現在よりも多い事が確認できますね。
この弾薬庫の周りにはヤギが放たれていましたが撮っておけばよかったと思います。

弾薬庫には毒ガスまたは、原爆が保管され、ヤギはガスや放射能漏れに敏感だとマスコミに取り上げられたこともありました。
いくら50年前ともいえども、超アナログなチェックだと思うんですが・・・・

MACH3 2021/02/15(Mon) 14:22 No.1831
Atsugiの想い出 01
>Burnettさん
たいへん貴重なコレクション、ご紹介ありがとうございます。
1956年撮影のカラーということは当然日本人の撮影ではないでしょう。こうした写真こそ我々マニアの中で埋もれることなく、イデオロギーを越えたところで国や県、大和市の歴史的史料としてきちんと保存しておくべきでしょうね。

>M.WADAさん
弾薬庫とヤギとの関連話は当時良く耳にしましたが、農家から逃げ出して住みついて自然繁殖したのだと思います。
昔、私の実家でも草刈りのためにヤギを一頭飼っていたことがあり、きれいに食べてくれ手間いらずでした。基地のほうにしてもヤギが何頭居ようと迷惑でもないし、邪魔な雑草を平らげてくれるわけですから御の字だったでしょう。“左側”の人特有のつくり話のような気がしますね。

昭和30年代の米軍基地における数々の事件(ジラード事件、ロングプリー事件など)は、リアルタイムで聞いてます。青年期に入って米軍基地へ行きはじめたとき、憧れ半分、怖さ半分、何とも表現のしようもない妙な気にさせてくれるのでした。

下の写真は1960年4月の横田 撮影:Moriさん
厚木滑走路工事中のため外来海軍機は横田へ飛来してました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.ffortune.net/social/history/nihon-today/longpree.htm

あかつか 2021/02/15(Mon) 18:46 No.1832
Re: Atsugiの想い出 01
No.1829の写真凄いですね、引地台公園が基地だったとは知っていましたが写真で見るのは初めてです。
今だと柳橋交差点から公園に向かう途中何軒かお店が開いていたり、閉店してしまった店は当時の名残でしょうか?
中原街道沿いのゲートありましたね、まだ厚木に通い始めたくらいで、当時は何だこれ?ぐらいにしか思ってなく、たまに人がいるな〜くらいにしか印象がなく、いつの間にか無くなっていた記憶しかないです。しかし当時の厚木基地周辺は住民くらいしか近寄らなかったのでしょうね
ken 2021/02/15(Mon) 20:53 No.1833
Atsugiの想い出 01
>kenさん
古い話ばかりで恐縮ですが、今まで多くのマニアが余り触れなかった厚木基地周辺地を海軍機とからめながら皆さんと語り合いたいと思いますのでこれからもよろしくお願いいたします。

以前、地元の古老に聞いたところによりますと、その昔、基地東側に海兵隊の家族住宅があったそうですが、写真も資料も見たことがなく詳細を知りたいところです。
立川は横田は戦前から街として栄えていたので、戦後すぐからの史料が若干残されていますが、厚木の場合、人口も少なかったせいか終戦後から1955年ぐらいまでの基地周辺状況を示す資料がじつに少なく、分からないことが多いですね。

下は1946年3月9日に撮影された厚木基地(国土地理院より)

あかつか 2021/02/16(Tue) 10:41 No.1834
【ご連絡】

スパム攻撃により投稿bP664以前の画像が消えてしまいました。
修正画面で再度画像を貼り付ければ復活しますが、暫くの間はこのまま続けましょう。

あかつか 2021/02/11(Thu) 17:19 No.1800 [返信]
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -