Atsugiの想い出

相鉄線大和トンネルの上にて

あかつか 2021/06/22(Tue) 11:23 No.2075
Re: Atsugiの想い出
1960年代中頃、電車で来ようと車で来ようと、真っ先に向かうところは相模鉄道の大和トンネルの上でした。
コンクリートで固めたトンネルは小高くなっており、基地内を一望できたからであります。

左は60年代厚木マニアのスタイル。“ マニア心”が全身に表れていて、プロの役者に演技させようとしても難しそう。一種のドキュメント写真と言えましょう。
目で見て、耳で確認する。というアナログ的行動を知る人もだんだん少なくなってきましたね。(写真はイメージです)
あかつか 2021/06/22(Tue) 11:45 No.2076
Re: Atsugiの想い出
トンネルが完成したのは1964年11月ですが、それまで離陸時のオーバーラン事故が多発しており相鉄線の架線や電線が切断され
社会問題となっていました。
A−4だけでも1961年、62年、65年と60年代だけで3回も起こしています。

下の新聞の切り抜きは1965年6月25日に起きたVMA−225(CE)のA−4Cのオーバラン事故。
トンネルが完成して7ケ月後ですから、関係者は胸を撫で下ろしていたでしょうね。 (提供:いつものMさん)

あかつか 2021/06/22(Tue) 12:09 No.2077
Re: Atsugiの想い出
新聞写真なのではっきりしませんが、事故を起こしたVMA−225のA−4Cの尾翼の数字は7773のように見えなくもありません。
もし147773だとすると事故から53日前の1965年5月4日に着陸を撮影していました。

事故の日に南北のエンドで写真を撮ってる人が居たとすればその時の様子が伝わってくる筈ですが、
未だに聞こえてこないのは当日マニアが一人も居なかったからかも知れません。

あかつか 2021/06/22(Tue) 23:59 No.2078
Re: Atsugiの想い出
60年代の厚木でのオーバーラン事故を調べてみますと、ほとんどが19側で起きています。理由があれば知りたいところですね。
その中でも3人のマニアが遭遇し“ 巻き添え ”の一歩手前で事なきを得た1963年9月3日のVMF(aw)235のF−8Dの事故が私ら世代の語り草となるほどマニアにとって危険な出来事でした。詳しくはCHECKER TAIL5に書かれていますが、とにかく3人とも無事で良かった。
写真は、撮影者のNarisawaさんが相鉄線を越したところに移動して撮ったショットです。そのときのモノモノしい状況が見てとれます。

あかつか 2021/06/24(Thu) 23:35 No.2079
Re: Atsugiの想い出
下は1965年1月に撮影したRW19エンドでのスナップですが、63年9月のF−8のオーバーラン事故に出会った3人の先輩マニアは
CV240を見送っている人(T.Maさん)のあたりで撮っていたのではないでしょうか。
当時のマニアが持てる望遠レンズは135mm位だったので、はじめから離陸を狙っていたのではなく、、
ランウェイチェンジとなってしまい、迷いながらもそのまま北側に居続けていたら事故に出遭った。と、想像しました。

あかつか 2021/06/26(Sat) 11:57 No.2080
Re: Atsugiの想い出
先ずはトンネルの上から基地内を覗いてから、上の撮影ポイントに移動というのが65年頃までのマニアの行動パターンでした。
相鉄線大和トンネルの工事はいつから始まり、いつ終わったのか?。覚えている人はほとんど居ないと思います。

下のスナップは1963年3月6日のスリーブに写っていたカットです。(F−4Bは初来日時のVF−21機)
撮影時期から推察しますと、トンネル工事が始まった頃で掘り起こした土砂をダンプカーに積んでるところですね。

その昔、TSPCの顧問でした航空情報の横森周信さんが 『 ヒコーキ写真を撮るときは地上の風景も入れておくように 』
と、仰っていた記事を少年時代に読んで“ 標準カメラ ”しか持てない頃は意識して撮るようにしていました。

まさか、半世紀以上も経ってここで発表するとは、夢にも思なかった!!
横森さんの「そう言うことなんです」との声が聞こえてくるようです。

あかつか 2021/06/26(Sat) 14:10 No.2081
Re: Atsugiの想い出
皆様、はじめまして、BBS1にお邪魔しているFKENです
1965年、CEのオーバーランの写真が大和市発行の「大和市史研究」に載っていましたのでご紹介します。 やはり7773ですね、皆様ご無事でホントに良かった。。。

FKEN 2021/06/26(Sat) 22:40 No.2082
Re: Atsugiの想い出
>FKENさん
大和史研究での貴重な掲載写真のご紹介ありがとうございます。
件のスカイホークの機歴を見ると、日本マニアに馴染み深い機体だったようですね。

Douglas A4D-2N (A-4C) Skyhawk/Bu. 147773
*1961: VMA-223.
*1961: VMA-211.
*1961-62: VMA-332.
*1963-64: VMA-242.
*1964-65: VMA-225 as CE-10.
*Assigned as a ground trainer to NAS Memphis, TN.

大和史研究の写真ですが、撮影者は「写真記録」の基本をしっかり押さえており、撮影テクニックに長けた方と思いました。
特に上段の写真。当時の相鉄線(単線)は大和から先の運行は1時間に数本しかなく、その車輌を人物(神奈川県警?)とともに
画面へ写し込んだのは報道写真家としての矜持が感じられます。
ワタシ的には、相鉄5000系の車輌が懐かしいですね。横浜からよく乗せてもらいました。
県道40号の交通量の少なさも驚き。車が1台しか走っていません。
今こんな事故あったなら道路は大渋滞、周囲はヤジ馬だらけで大和署のパトカー、警察官も総動員。
空にはマスコミのヘリコプターが飛び交い、大騒動となることでしょう。時代の移ろいを感じます。
あかつか 2021/06/27(Sun) 10:50 No.2083
Re: Atsugiの想い出
トンネルが造られる以前、1963年7月に撮影されたMoriさんの写真。
EC−121Kの機首が電柱にかかってしまったのが少し惜しいですが迫力満点のショットです。

121同様、相鉄2000系車輌の下部が切れたのも惜しかったですね。
「鉄チャン」と呼ばれるマニアが少なかった時代、旧国鉄の払い下げ電車にカメラを向ける人は少なかったらしくイイ写真が残されてないようです。
鉄道マニアさんは、いかにも古めかしいパンタグラフや『急』の丸いプレートなんか見てグっときてしまうんだろうな〜。

あかつか 2021/06/28(Mon) 19:10 No.2084
Re: Atsugiの想い出
梅雨の真っ只中の1966年7月1日。いつ降り出してもいいようなどんよりとした曇り空。
撮影には向かない天気でありましたが、初来日のイントレピッドが入港中だったことから、とりあえず厚木へ出かけました。
相鉄線のトンネルに着くと誰一人居りません。フライトもほとんどなくVA−165(AK)のA−1HとVA−95(AK)のA−4Bは
東側格納庫の前で静まりかえっております。

この日はビートルズの来日公演が放送されるので、早目に切り上げ自宅のテレビで彼らのステージを鑑賞しようと思いつつ、
トンネルの上に寝転んでラジオ(エアバンでなく只の携帯ラジオ)を聞いていました。
一時間ほどするとイヤホーンからの音楽に混ざってバラバラとエンジンのような音が聞こえます。
立ち上がり滑走路を見ると、何とVA−165のスカイレイダーが整列しているではありませんか。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:24 No.2085
Re: Atsugiの想い出
茫然としたところにEA−3Bが降りてきたのでA−1の入れ込み写真を撮ったあと、マニアの言う「お墓前」に移動しようとしたとき、
A−1はランウェイを横切り始めました。
全力で走っても間に合わないと判断し、西側への移動は諦めトンネル上から撮ることにしたのです。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:43 No.2086
Re: Atsugiの想い出
訓練飛行かも知れぬと都合よく希望を持ちましたが、VA−95のA−4Bまでもが出て来ると、
その思いはだんだん遠のいて行き、フライオフだと気づいた次第です。

あかつか 2021/06/29(Tue) 13:50 No.2087
Re: Atsugiの想い出
いかに当時は情報不足であったか。
この日の離陸を撮ったという話は聞いたことがなく、CVW−10(AK)機のフライオフを見ていた人は自分ひとりだった可能性が高いです。
果たして西側のフェンスのカドから撮影したらどんな写真となったでしょう。
いくらかの後悔はありますが、これだけの数のスカイレイダーを一コマの画面に収められたのもトンネルから撮っていたからだと言えますね。

フライオフ後、いそいそと自宅へ戻って日本武道館でのBeatlesの中継録画を14インチの白黒テレビで鑑賞しましたが、大した感動はなく昼間見た Green Lizards と Boomersのほうが良かった。  (比べるものではありませんが・・・)

あかつか 2021/06/29(Tue) 14:19 No.2088
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -